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「京王相模原線」の版間の差分

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京王多摩センター - 橋本: 相模原市の行政区を修正
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{{Infobox 鉄道路線
{|{{Railway line header}}
{{UKrail-header2|[[ファイル:KeioRailway logo.svg|38px|京王電鉄|link=京王電鉄]] 相模原線|white|#dd0077}}
|路線名=[[File:KeioRailway logo.svg|38px|京王電鉄|link=京王電鉄]] 相模原線
|路線色=#dd0077
|ロゴ=File:Number prefix Keio-line.svg
{{BS-daten |LNGE=22.6 |SPURWEITE=1372 |STROMG=1500 [[ボルト (単位)|V]] [[架空電車線方式]] |NEIGUNG= |RADIUS= |V-MAX=110 |BILDPFAD_KARTE= |PIXEL_KARTE= |IMAGE=Model 8020 of Keio Electric Railway.JPG|CAPTION=[[多摩センター駅]]に停車する[[京王8000系電車|8000系]]|IMAGE_SIZE=250px }}
|ロゴサイズ=40px
{{UKrail-header2|停車場・施設・接続路線|white|#dd0077}}
|画像=Keio 5734 Extra Semi Express 20190202.jpg
{{BS-table}}
|画像サイズ=300px
|画像説明=[[京王5000系電車 (2代)|5000系]]による区間急行<br>(2019年2月2日 京王永山駅)
|国={{JPN}}
|所在地=[[東京都]]、[[神奈川県]]
|起点=[[調布駅]]
|終点=[[橋本駅 (神奈川県)|橋本駅]]
|駅数=12駅
|路線記号=KO
|開業=[[1916年]][[6月1日]]
|最終延伸=[[1990年]][[3月30日]]<!--<br>(最終駅設置は[[1991年]][[4月6日]])-->
|休止=
|廃止=
|所有者=[[京王電鉄]]
|運営者=京王電鉄
|車両基地=[[若葉台検車区]]
|使用車両=[[#車両|車両]]の節を参照
|路線距離=22.6 [[キロメートル|km]]
|軌間=1,372 [[ミリメートル|mm]]
|線路数=[[複線]]
|電化方式=[[直流電化|直流]]1,500 [[ボルト (単位)|V]] [[架空電車線方式]]
|最大勾配 = 35&nbsp;[[パーミル|‰]]<ref name="SUBWAY2009-9">日本地下鉄協会『SUBWAY』レポート1「京王線調布駅付近連続立体交差(地下化)工事の概要」pp.10 - 14。</ref>
|最小曲線半径 = 160&nbsp;m<ref name="SUBWAY2009-9"/>
|閉塞方式=速度制御式
|保安装置=京王[[自動列車制御装置|ATC]]
|最高速度=110 [[キロメートル毎時|km/h]]<ref name="terada">寺田裕一『データブック日本の私鉄』 - ネコ・パブリッシング</ref>
|路線図=[[File:Keio Corporation Linemap.svg|300px]]
}}
'''相模原線'''(さがみはらせん)は、[[東京都]][[調布市]]の[[調布駅]]から[[神奈川県]][[相模原市]][[緑区 (相模原市)|緑区]]の[[橋本駅 (神奈川県)|橋本駅]]までを結ぶ、[[京王電鉄]]の[[鉄道路線]]である。[[駅ナンバリング]]で使われる路線記号は'''KO'''。

== 概要 ==
[[京王線]]、[[京王井の頭線|井の頭線]]とともに京王電鉄の主要路線であり、京王電鉄の路線では唯一、神奈川県内も沿線とし、かつ旧[[相模国]]の地域([[相模原市]])も通る。東京[[都心]]方面への通勤・通学路線であり、[[多摩センター駅|京王多摩センター駅]]を中心に[[若葉台駅]] - [[多摩境駅]]間に広がる[[多摩ニュータウン]]へのアクセスを[[小田急多摩線]]とともに担っている。ほとんどの列車は調布駅から京王線に直通して東京の[[副都心]]・[[新宿]]と相模原市北部の拠点地域である[[橋本 (相模原市)|橋本]]を結んでいる。

[[快速列車|快速]]や[[列車種別|区間急行]]を中心に[[都営地下鉄新宿線]]と[[直通運転|相互直通運転]]をする列車も多く設定されている。[[永山駅 (東京都)|京王永山駅]] - 京王多摩センター駅間は小田急多摩線と完全に並走しており、[[新宿駅]] - 京王永山駅・京王多摩センター駅間で[[小田急電鉄]]と競合関係にある。全線が高架または地下化されており踏切は存在しない。終点の[[橋本駅 (神奈川県)|橋本駅]]は将来的に[[中央新幹線|リニア中央新幹線]]の[[神奈川県駅]](仮称)が設置される予定である。

=== 路線データ ===
* 路線距離:22.6 km
* [[軌間]]:1,372 mm
* 複線区間:全線
* 電化区間:全線(直流1,500 V)
* 保安装置:京王[[自動列車制御装置|ATC]]、速度制御式
* 最高速度:110 km/h<ref name="terada" />
* 最急勾配:35 ‰<ref name="SUBWAY2009-9"/>
* 最小曲線半径:160 m<ref name="SUBWAY2009-9"/>
** 現在の最急勾配・最小曲線は調布駅付近地下化工事でできたものであり、これを除いた最急勾配は稲城 - 若葉台間の30 ‰<ref name="itej1975-5">運輸調査局『運輸と経済』1975年5月号「京王相模原線の建設と経営」pp.50 - 55。</ref>、最小曲線は400 m(京王多摩川付近<ref name="KotsuTech1971-4">交通協力会『交通技術』1971年4月号「京王相模原線の工事について」pp.38 - 41。</ref>・橋本付近の横浜線横断部<ref name="SUBWAY1990-5">[[日本地下鉄協会]]『SUBWAY』1990年5月号レポートV「相模原線全線開通 - 南大沢・橋本間4.4km開業により - 」pp.46 - 51。</ref>)
* 建設主体:[[日本鉄道建設公団]](現 [[独立行政法人]] [[鉄道建設・運輸施設整備支援機構]]、京王よみうりランド - 橋本間)
* 建設費用(本文中に記載する建設費用は、同じ区間でも出典によってバラツキがある)
** 京王多摩川駅 - 京王よみうりランド駅:38億円<ref name="Keio-History50th-228" >京王電鉄『京王電鉄五十年史』p.228。</ref>
** 京王よみうりランド駅 - 京王多摩センター駅:232億円<ref name="Keio-History50th-228" />
** 京王多摩センター駅 - 橋本駅:541億円<ref name="Keio-History50th-228" />

== 沿線概況 ==
{{BS-map
|title = 停車場・施設・接続路線
|title-color = white
|title-bg = #dd0077
|collapse = yes
|map =
{{BS4||||tKHSTa|||[[本八幡駅]]}}
{{BS4||||tKHSTa|||[[本八幡駅]]}}
{{BS4||||LSTR|||[[都営地下鉄]]:[[都営地下鉄新宿線|新宿線]]}}
{{BS4||||LSTR|||[[都営地下鉄]]:[[都営地下鉄新宿線|新宿線]]}}
{{BS4|||tKHSTa|tHST|||(左)[[新宿駅]] (右)[[新線新宿駅]]}}
{{BS4|||tKHSTa|O3=HUBaq|tHST|O4=HUBeq|||(左)京王線[[新宿駅]] (右)新線新宿駅}}
{{BS4|||tSTRe|LSTR|||}}
{{BS4|||tSTRe|LSTR|O3=POINTERf@gq|||[[京王線]]}}
{{BS4|||ABZrg|STRrf|||[[京王新線]]}}
{{BS4|||ABZg+l|STRr|O4=POINTER+2|||[[京王新線]]}}
{{BS2||HST|||[[笹塚駅]]}}
{{BS2||HST|||[[笹塚駅]]}}
{{BS2||LSTR|||}}
{{BS2||LSTR|||}}
{{BS2|exSTRrg|eABZrf|||}}
{{BS2|exSTR+l|eABZgr|||}}
{{BS2|exLSTR|LSTR|||[[京王線]]}}
{{BS2|exSTR|tSTRa|||}}
{{BS2|exLSTR|LSTR|||京王線}}
{{BS2|exBHF|tBHF|0.0|KO18 [[調布駅]]|(II) 1953-}}
{{BS2|exBHF|tBHF|0.0|KO18 [[調布駅]]|(II) 1953-}}
{{BS6|exABZq+l|exBHFq|exABZrf|tSTR||||''調布駅''|(I) -1953}}
{{BS6|exABZq+l|exBHFq|exABZgr|tSTR||||''調布駅''|(I) -1953}}
{{BS6|xKRZt|tSTRq|xKRZt|tABZrf|||||京王線}}
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{{BS6|exSTR||exSTR|tSTRe|||||}}
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{{BS6|exSTRl|exSTRq|exABZql|eABZg+r|||||}}
{{BS2||WBRÜCKE1|||[[府中用水]]}}
{{BS2||BHF|1.2|KO35 [[京王多摩川駅]]|}}
{{BS2||BHF|1.2|KO35 [[京王多摩川駅]]|}}
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{{BS4|||BHF|O3=HUB84|HUB61|2.5|KO36 [[京王稲田堤駅]]|}}
{{BS4|||BHF|O3=HUBaq|HUBrf|2.5|KO36 [[京王稲田堤駅]]|}}
{{BS2||STR+GRZq|||↑神奈川県 東京都↓}}
{{BS2||STR+GRZq|||↑神奈川県 東京都↓}}
{{BS2|WASSER+l|hKRZWae|||[[三沢川 (多摩川水系)|三沢川]]}}
{{BS2||BHF|3.9|KO37 [[京王よみうりランド駅]]|}}
{{BS2||BHF|5.5|KO38 [[稲城駅]]|}}
{{BS6|||WASSER|BHF|O4=HUBaq|uKHSTaq|O5=HUBeq|uSTRq|3.9|KO37 [[京王よみうりランド駅]]|}}
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{{BS2||STR+GRZq|||↑東京都 神奈川県↓}}
{{BS2|WASSER|BHF|5.5|KO38 [[稲城駅]]|}}
{{BS4|htSTReq|WKRZh|KRZh|htSTRaq|||JR東:[[武蔵野線|武蔵野南線]](貨物線)|}}
{{BS2|WASSER|STR+GRZq|||↑東京都 神奈川県↓}}
{{BS2|WASSERl|hKRZWae|||三沢川}}
{{BS2||BHF|8.8|KO39 [[若葉台駅]]|}}
{{BS2||BHF|8.8|KO39 [[若葉台駅]]|}}
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{{BS4||KDSTaq|ABZgr|STR+l||[[若葉台検車区]]|[[小田急電鉄|小田急]]:[[小田急多摩線|多摩線]]}}
{{BS4|||tSTRa|tSTRa||若葉台第1T|}}
{{BS4|||tSTRa|tSTRa||若葉台第1T|}}
{{BS4|||tSTR+GRZq|tSTR+GRZq|||↑神奈川県 東京都↓}}
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{{BS4|||tSTRe|tSTRe|||}}
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{{Vertical images list|幅=220px <!-- この画像配置テンプレートは最大10枚まで -->
|画像1=Chofu-Station-South20090709.jpg|説明1=[[調布駅]]
|画像2=KeioInadadutumiSt.jpg|説明2=[[京王稲田堤駅]]
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|画像6=HashimotoStminami.jpg|説明6=[[橋本駅 (神奈川県)|橋本駅]]
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}}
'''相模原線'''(さがみはらせん)は、[[東京都]][[調布市]]の[[調布駅]]から[[神奈川県]][[相模原市]][[緑区 (相模原市)|緑区]]の[[橋本駅 (神奈川県)|橋本駅]]までを結ぶ、[[京王電鉄]]の[[鉄道路線]]である。


京王電鉄の路線では唯一、神奈川県内も沿線とする路線である。
相模原線は都県境が入り組む地域を通る路線であり[[東京都]]と[[神奈川県]]を2回渡る。


== 路線データ ==
* 路線距離:22.6km
* [[軌間]]:1372mm
* 複線区間:全線
* 電化区間:全線(直流1500V)
* 保安装置:京王[[自動列車制御装置|ATC]]、速度制御式
* 最高速度:110km/h

== 沿線概況 ==
=== 調布 - 京王よみうりランド ===
=== 調布 - 京王よみうりランド ===
[[調布駅]]を出るとすぐに左に急カーブを切り、南向きに変わる。品川通りを過ぎると地下から一気に高架に駆け上がり、[[京王多摩川駅]]となる。この先で[[多摩川]]を渡り、川崎市に入る。[[南武線]]を跨ぐところに[[京王稲田堤駅]]がある。駅構内で大きく右カーブし、西に向きを変える。[[多摩丘陵]]の麓に沿うように進み、稲城市に入って[[京王よみうりランド駅]]となる。
[[調布駅]]([[東京都]][[調布市]])を出るとすぐに[[京王線]](本線)と分かれて左に急カーブを切り、南向きに変わる。[[品川通り]]を過ぎると地下から一気に高架に駆け上がり、[[京王多摩川駅]]となる。この先で[[多摩川]]を渡り、[[神奈川県]][[川崎市]][[多摩区]]に入る。JR[[南武線]]を跨ぐところに[[京王稲田堤駅]]がある。駅構内で大きく右カーブし、西に向きを変える。[[多摩丘陵]]の麓に沿うように進み、東京都[[稲城市]]に入って[[京王よみうりランド駅]]となる。


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Trie-keiochofu 20170904.jpg|[[調布駅]]
ファイル:京王相模原線多摩川鉄橋001.jpg |多摩川の橋梁遠望(京王多摩川駅 - 京王稲田堤駅間)
京王相模原線多摩川鉄橋001.jpg |多摩川の橋梁遠望(京王多摩川駅 - 京王稲田堤駅間)
KeioInadadutumiSt.jpg|[[京王稲田堤駅]]
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=== 京王よみうりランド - 京王多摩センター ===
=== 京王よみうりランド - 京王多摩センター ===
そのまま西進し多摩丘陵に差し掛かるところで[[稲城駅]]となる。駅構内で大きく左カーブして南西に向きを変える。この先で[[武蔵野線|武蔵野南線]]の高架をくぐり、丘陵に開かれた谷筋を進んでいく。右手に[[多摩ニュータウン]]のマンション群が見えると、西に向きを変えて再び川崎市に入り、[[東京都道・神奈川県道19号町田調布線|鶴川街道]]を跨ぐと2面4線の[[若葉台駅]]である。この先右手に[[若葉台検車区|若葉台工場]]や留置線が見える。上り勾配になり、左手から迫ってくる小田急多摩線と併走し、若葉台第1トンネルで多摩市に入、若葉台第2トンネルを抜けると[[永山駅 (東京都)|京王永山駅]]である。西南西に向きを変えて下り勾配、上り勾配となって2面4線の[[多摩センター駅|京王多摩センター駅]]となる。多摩ニュータウンの中心駅である。
そのまま西進し[[多摩丘陵]]に差し掛かるところで[[稲城駅]]となり、駅構内で大きく左カーブして南西に向きを変える。この先でJR[[武蔵野線|武蔵野南線]]の高架をくぐり、丘陵に開かれた谷筋を進んでいく。すると右手には丘陵の上に林立する集合住宅群が見えるが、これは「多摩ニュータウン長峰杜の一番街」という団地で、最初に目にする[[多摩ニュータウン]]の住宅となる。その後、右手に多摩ニュータウンのなかでも特に新しい密集した[[マンション]]群が見えると、西に向きを変えて神奈川県川崎市[[麻生区]]に入り、[[東京都道・神奈川県道19号町田調布線|鶴川街道]]を跨ぐと2面4線の[[若葉台駅]]である。この先右手に[[若葉台検車区|若葉台工場]]や留置線が見える。上り勾配になり、左手から迫ってくる[[小田急多摩線]]と併走し、若葉台第1トンネル(延長455 m)<ref name="Keio-History50th-235" >京王電鉄『京王電鉄五十年史』p.235。トンネルの延長距離は複線延長に修正している。</ref>東京都[[多摩市]]に入る。トンネルを抜けると左手に多摩ニュータウンで最も古い「多摩ニュータウン諏訪団地」を見ながら再びトンネルに入る。この若葉台第2トンネル(延長395 m)<ref name="Keio-History50th-235" />を抜けると[[永山駅 (東京都)|京王永山駅]]である。駅を出ると西南西に向きを変えて下り勾配となりすぐに右手には京王が開発た「[[桜ヶ丘 (多摩市)|京王桜ケ丘住宅地]]」が見える。その後、上り勾配となって2面4線の[[多摩センター駅|京王多摩センター駅]]となる。ここが多摩ニュータウンの中心駅である。


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File:京王相模原線の車窓から見た多摩ニュータウン長峰地区(2021年3月29日撮影).jpg|のどかな風景の背後に林立する多摩ニュータウン長峰地区の団地群(稲城駅 - 若葉台駅間)
ファイル:Training running on Keio Sagamihara Line.jpg|[[多摩丘陵]]を通る相模原線(若葉台駅 - 京王永山駅間)。手前は[[小田急多摩線]]。
Training running on Keio Sagamihara Line.jpg|多摩ニュータウン若葉台地区を走る相模原線(若葉台駅 - 京王永山駅間)。手前は小田急多摩線。
Odakyu-nagayama-station south-exit.JPG|[[永山駅 (東京都)|京王永山駅]]
多摩市内で並走する京王線と小田急線140514.jpg|多摩市内では京王相模原線と小田急多摩線が並走する(京王永山駅 - 京王多摩センター駅間)
Tama-center Station R051124.jpg|[[多摩センター駅|京王多摩センター駅]]
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=== 京王多摩センター - 橋本 ===
=== 京王多摩センター - 橋本 ===
[[多摩都市モノレール線]]の高架をくぐり、[[小田急多摩線]]を左手に見送って、西北西に向きを変える。上り勾配になり多摩センター第1第2トンネルを抜けると南西に向きを変えて[[京王堀之内駅]]となる。[[東京都道158号小山乞田線|多摩ニュータウン通り]]沿いに発展した住宅街を右手に見ながら下り勾配、そして上り勾配となって[[南大沢駅]]となる。ここから掘割となり、京王電鉄の山岳トンネルとしては最長の南大沢トンネル (809m) を抜けると[[多摩境駅]]である。ここで多摩丘陵を抜け高架となり、[[境川 (東京都・神奈川県)|境川]]を越えて相模原市に入る。相模原市街地の中をそのまま高架で進み、右カーブしながら[[横浜線]][[相模線]]を跨いで[[橋本駅 (神奈川県) |橋本駅]]に到着する。
[[多摩都市モノレール線]]の高架をくぐり、[[小田急多摩線]]を左手に見送って、西北西に向きを変える。上り勾配になり京王多摩センター第1トンネル(延長515 m)<ref name="Keio-History50th-235" />を抜けると東京都[[八王子市]]に入り、京王多摩センター第2トンネル(延長205 m)<ref name="Keio-History50th-235" />を抜けると南西に向きを変えて[[京王堀之内駅]]となる。[[東京都道158号小山乞田線|多摩ニュータウン通り]]沿いに発展した住宅街を右手に見ながら下り勾配、そして上り勾配となって[[南大沢駅]]となる。南大沢駅は[[東京都立大学 (2020-)|東京都立大学]]最寄り駅。ここから掘割となり、京王電鉄の山岳トンネルとしては最長の南大沢トンネル(延長809 m)を抜けると東京都[[町田市]]に入り、[[多摩境駅]]。ここで[[多摩丘陵]]を抜け高架となり、[[境川 (東京都・神奈川県)|境川]]を越えて神奈川県[[相模原市]][[中央区 (相模原市) |中央区]]を通り、その後すぐに相模原市[[緑区 (相模原市) |緑区]]に入る。平坦な相模原市街地の中をそのまま高架で進み、右カーブしながら[[横浜線]][[相模線]]を跨ぎ、[[東海旅客鉄道]](JR東海)により建設中の[[中央新幹線|リニア中央新幹線]]の[[神奈川県駅]]を横に見ると[[橋本駅 (神奈川県) |橋本駅]]に到着する。


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ファイル:KTR Minami-osawa station.jpg|[[南大沢駅]]
ファイル:Keio sagamihara-line.jpg|多摩丘陵を越えるため起伏の多い[[線形 (路線)|線形]]になっている(京王堀之内駅 - 南大沢駅間)
ファイル:Final Right Curve on Keio Sagamihara Line.jpg|高架区間(多摩境- 橋本駅間)
ファイル:Hashimoto Station Minami Entrance.jpg|alt=|[[橋本(神奈川県)|橋本駅]]
ファイル:End of Keio Sagamihara Line.jpg|橋本駅の相模原線終端
</gallery>
</gallery>


== 歴史 ==
== 歴史 ==
{{Redirect3|多摩川原支線|「'''多摩川支線'''」とも呼ばれた'''相模原線'''の旧称時代|[[中央本線]]にあった貨物支線の通称「'''多摩川支線'''」|多摩川原駅}}
=== 砂利運搬鉄道としての開業 ===
相模原線は、京王電鉄の前身である京王電気軌道が[[1916年]]に開業させた調布駅 - 多摩川原駅(現・[[京王多摩川駅]])間の多摩川支線(文献により多摩川原支線)に端を発する。当時、多摩川で採取された砂利を都心に運搬するための鉄道、いわゆる[[砂利鉄道]]が何本も敷設されており、多摩川支線もその一つとして開業した。


=== 多摩ニュタウン延伸 ===
=== 砂利運搬とレジャ輸送 ===
相模原線は、京王電鉄の前身である京王電気軌道が[[1916年]]に開業させた調布駅 - 多摩川原駅(現・[[京王多摩川駅]])間の多摩川支線(文献により多摩川原支線)に端を発する。当時、多摩川で採取された砂利を都心に運搬するための鉄道、いわゆる[[砂利鉄道]]が何本も敷設されており、多摩川支線もその一つとして開業した。[[1923年]]の[[関東大震災]]により東京の木造・レンガ建築が大被害を受け、その復興でコンクリート建築が急速に普及すると、原料である砂利は莫大な復興需要によりその産出量を急増させた。盗掘を含む余りの採掘は多摩川自体の環境悪化を招き、[[1934年]]に始まった採掘規制は[[第二次世界大戦]]後の戦災復興期による緩和を挟んだ後、[[1964年]]には同線周辺での砂利採取が全面禁止された<ref group="注釈">[[1965年]]には多摩川での砂利採取自体が全面的に禁止された。出典:稲城市ホームページ、「[http://www.city.inagi.tokyo.jp/kanko/rekishi/inagishibunkazai/column/jyarisaikutu.html 多摩川の砂利採掘]」、2013年6月20日付。</ref>。
[[多摩ニュータウン]]開発事業が1965年に決定して翌年から造成が開始されると、ニュータウン住民の足を担うためには鉄道が必要不可欠ということになり、京王帝都電鉄のほかに[[小田急電鉄]]と[[西武鉄道]]が免許の申請を行った。このうち、西武が申請した[[西武多摩川線|多摩川線]]延伸計画は、同線が[[武蔵境駅]]で[[中央線快速|中央線]]と接続していることから中央線の負担が大きくなるということで免許申請が取り下げられ<ref>森口誠之『鉄道未成線を歩く〈私鉄編〉』JTB、2001年、p.67</ref>、京王と小田急が多摩ニュータウンに乗り入れることになった。


また、[[1927年]]に京王は多摩川原駅前に[[京王閣]]を開業し、当時では珍しい施設を備えた東京近郊屈指の遊園地として繁栄した。[[1933年]]から[[1936年]]までは多摩川河川敷で花火大会も始められた。戦時色が強くなると徐々に京王閣の客足は減り、食糧増産のために芋畑などにも利用されていた同施設は戦後の[[1947年]]、当時は京王も合併していた[[東京急行電鉄]](大東急)により売却されたが、その敷地の一部には[[1949年]]に[[京王閣競輪場]]が開設された。[[1954年]]には「全国輸出振興煙火競技大会」([[調布市花火大会]]の前身)として河川敷での花火大会が復活し<ref name="chofuhanabi">調布市花火実行委員会サイト、「[http://hanabi.csa.gr.jp/history.html 歴史・ギャラリー]」、2015年5月17日閲覧。</ref>、京王も[[1955年]]に[[京王遊園]]を設置して遊園地事業を再開し<ref>[[1971年]]に閉園。</ref>、[[1956年]]に[[植物園]]である「京王菖蒲園」、[[1961年]]にはこれを改称した「京王百花苑」<ref>[[1993年]]閉鎖。その後[[2002年]]に[[京王フローラルガーデンANGE]]として再開。</ref>も開設して、多摩川支線は1駅間の短距離ながらも多様なレジャー輸送で重要な役割を果たしていた。
京王が申請した免許は、多摩川支線を延伸して稲城中央・多摩センター・橋本を経て、相模中野([[相模原市]][[緑区 (相模原市)|緑区]]中野、[[津久井湖]]南岸の集落)までで、橋本までが複線、以西が単線としてである。その後、[[1968年]]4月に都市交通審議会答申第10号で「10号線」の一部として、多摩と[[千葉ニュータウン|千葉]]の両ニュータウンを結ぶ路線としても位置付けられる。建設は1968年から開始され、1971年に調布駅 - [[京王よみうりランド駅]]間が相模原線として開業した。


=== 多摩ニュータウンへの延伸 ===
しかし、京王よみうりランド駅から先の建設は進まなかった。これは多摩ニュータウンからのラッシュ時の輸送には、[[調布駅|調布]]―[[新宿駅|新宿]]間を複々線化する必要があり、相模原線の建設費用410億円にあわせ複々線化の費用が数百億円も掛かるとされ、京王帝都電鉄は採算が取れないとしたためである<ref name="yomiuri_S460521_ntshitetsu">読売新聞(昭和46年5月21日)</ref>。また多摩ニュータウン内では開発者以外の不動産事業が制限されたため、住宅の販売益で建設費用を賄うといったこともできなかった。小田急側も同じ言い分で[[小田急多摩線|多摩線]]の建設をストップしており、ニュータウンの住民はバスで[[聖蹟桜ヶ丘駅]]に出るなどを余儀なくされていた。京王帝都電鉄は[[東京都]]に対し、(1)鉄道用地の無償提供 (2)高架、橋りょうなどの付帯工事費の補助 (3)在来線改良事業への補助 を要求したが、都は「民間企業である私鉄へ用地を無償提供する考えは無い」とした<ref name="yomiuri_S460521_ntshitetsu"/>。最終的には、[[日本鉄道建設公団]]が民鉄線を建設し、完成後に民鉄が25年で元利を償還する方策がとられた。いわゆる'''P線方式'''の始まりである。これにより両線の工事は再開され、まず小田急が1974年6月に[[永山駅 (東京都)|小田急永山駅]]まで、続いて京王が同年10月に[[多摩センター駅|京王多摩センター駅]]まで開業し、小田急も翌1975年に小田急多摩センター駅に到達した。
[[1958年]]、[[相模原市]]が[[首都圏整備法]]で「開発区域」の指定を受けたことで、同市とその周辺は急速に工業地域、新興住宅地に変貌していった。そのなかで、当時の稲城町<ref group="注釈">1957年4月1日に町制施行。1971年4月1日に単独で市制施行。1956年制定の[[首都圏整備法]]に基づく1958年策定の[[首都圏整備計画]]で稲城町域は[[グリーンベルト]]地域とされていたが、都市開発を求める稲城町は強く反発し、1965年の同法改正でグリーンベルト構想自体が撤回され、稲城町も多摩ニュータウン計画に参加した。</ref>、多摩村<ref group="注釈">1964年4月1日に町制施行、1971年11月1日に単独で市制施行。</ref>、町田市<ref group="注釈">多摩ニュータウンの事業区域を確定する際、1973年12月1日に多摩市と町田市の間で境界変更が行われ、町田市は事業区域から外れることとなった(事業区域の南限が両市の新たな境界線)。一方、町田市はニュータウン事業区域の南西側で「相原・小山土地区画整理事業」を1988年1月14日に都市計画決定を行い、1991年に同地域内で多摩境駅が開設された。</ref>、八王子市<ref group="注釈">同市の南部、1964年8月1日に吸収合併した旧[[由木村]]の区域がニュータウン事業区域に含まれた。</ref>、相模原市、[[城山町 (神奈川県)|城山町]]<ref group="注釈">城山町は2007年3月11日に相模原市へ合併。2010年4月1日、相模原市の政令指定都市化に伴い同市の[[緑区 (相模原市)|緑区]]区域となる。</ref>、[[津久井町]]<ref group="注釈">津久井町は2006年3月20日に相模原市へ合併。2010年4月1日、相模原市の政令指定都市化に伴い同市の緑区区域となる。</ref>は、「京王帝都新路線建設促進実行委員会」を結成し、現在の相模原線の原型になるようなルートでの新線の建設を京王に強く働きかけた<ref>『京王電鉄五十年史』京王電鉄、平成10年、97ページ。</ref>。一方で京王でも、当時多摩町で開発を進めていた「[[桜ヶ丘 (多摩市)|京王桜ケ丘住宅地]]」をさらに南側に拡大する形で、新たな住宅地開発をするとともに、そこに新線を敷設する構想があった<ref name="vansankan_tetsudou_p14-15">『たまヴァンサンかん街づくり講座 多摩ニュータウン「鉄道計画史研究」』 多摩市立図書館所蔵資料、平成12年発行、14-15ページの京王電鉄関係者の発言より。</ref>。「第二桜ケ丘団地」と呼称されるこの住宅地開発の構想は、現在の[[多摩ニュータウン]]区域内にあたり、後述の理由により実現はしなかったものの、現在の[[多摩センター駅]]付近の「多摩ニュータウン多摩[[土地区画整理事業]]」が施行された場所で買収が進んでいたとされる<ref name="tamant_archive1_p121"/>。

[[1963年]]に京王は、多摩川支線を延長する免許を申請した。それは[[京王多摩川駅]]から[[多摩川]]を渡り、概ね現在の多摩ニュータウン区域を東西に横断して、[[橋本駅 (神奈川県)|橋本駅]]で[[横浜線]]と交差したのちにさらに西進して[[相模川]]を渡り、[[津久井湖]]の南側にあった[[津久井町]](当時)の中心地域、[[中野 (相模原市)|相模中野]]に至るルートだった<ref name="KotsuTech1971-4"/>(調布 - 橋本間は複線、橋本 - 相模中野間は単線を想定<ref name="KotsuTech1971-4"/>)。この年には「多摩町で大規模な住宅団地」という見出しで、その後多摩ニュータウン計画に組み込まれて第一次入居が行われることになる諏訪団地・永山団地の開発計画が報道されていた<ref>酒井宗一郎『新編・多摩市の郷土史誌(古代〜平成8年)』 多摩市立図書館所蔵資料、平成15年発行、203ページ。</ref>。他社も京王の免許申請に呼応して同様のルートで、[[小田急電鉄]]は[[喜多見駅]]から分岐<ref group="注釈">1962年6月策定の[[都市交通審議会答申第6号]]では「東京8号線」として喜多見から小田急線の南側に別線を「[[原宿駅|原宿]]、[[永田町駅|永田町]]、[[日比谷駅|日比谷]]、池ノ端及び[[日暮里駅|日暮里]]の各方面を経て[[松戸駅|松戸]]方面に向かう路線」として整備する予定となっていたが、1964年3月の[[都市交通審議会答申第15号]]では「東京9号線」として改めて指定された。詳しくは「[[東京メトロ千代田線]]」を参照。</ref>、[[西武鉄道]]は[[武蔵境駅]]から[[是政駅]]を結ぶ[[西武多摩川線|多摩川線]]の途中駅である北多磨駅(現在の[[白糸台駅]])から分岐線を建設する形で免許申請を行った<ref name=":0">{{Cite web |url=https://trafficnews.jp/post/83964 |title=西武も乗り入れるはずだった東京の「多摩ニュータウン」 幻に終わった原因は |access-date=2024-01-30 |website=乗りものニュース |author=草町義和 |date=2019-03-04}}</ref>。そして[[1965年]]、地方からの人口流入による東京の緊急的な住宅不足に対応するため、多摩ニュータウンが都市計画決定された。現在、多摩ニュータウンでは全面買収による[[新住宅市街地開発事業]]とともに、従来からの地権者が[[土地区画整理事業#換地処分|換地]]を受ける土地区画整理事業が行われているが、この時点では、全面的に新住宅市街地開発事業による開発だけが行われることになっていた。このため、前述した京王の新しい住宅地開発の構想はここで諦めざるを得ず、京王は[[京王高尾線|高尾線]]の建設と「[[めじろ台]]住宅地」の開発を進めることになった<ref name="vansankan_tetsudou_p14-15"/><ref group="注釈">京王高尾線(一部は休止中の[[京王御陵線]]を活用)および同線内の[[めじろ台駅]]は1967年10月1日開業。</ref>。

京王と小田急が申請した免許は、現在の[[京王よみうりランド駅]]付近で両社の新線が入り混じるため、この区間の調整が問題になった。京王側が新線を北側に移すにも用地の問題があり、小田急側が南側に移すにも[[三沢川 (多摩川水系)|三沢川]]を避けねばならず、起伏が多くトンネルが増えるという問題があった。両社の調整が難航していたため、[[運輸省]]は両社が競合しない区間のみ免許を下し、京王は京王多摩川 - 京王稲田堤、小田急は喜多見 - 稲城本町について免許を受けることとなった。その後、小田急側が[[新百合ヶ丘駅]]を新設してそこから分岐する現在の形に計画を変更し、新たに百合ヶ丘 - 多摩の免許申請を行うと同時に、得た免許の営業廃止許可を申請することでこの問題は解決した。これにより小田急は新たに申請した免許を受け、京王も残りの区間について免許を受けた。西武については、多摩川線を延伸する計画が[[中央線快速|中央線]]に負担をかける<ref group="注釈">多摩川線は武蔵境駅で[[日本国有鉄道]](現在の[[東日本旅客鉄道|JR東日本]])[[中央本線]]([[中央線快速]])と接続しており、多摩ニュータウンから新宿や東京都心部への通勤客が多摩川線を利用すると、1960年代には既に深刻だった中央線の混雑に拍車を掛けることが懸念された。</ref>という理由で免許は下りなかった<ref name=":0" /><ref>『小田急五十年史』小田急電鉄、昭和55年、489ページ。</ref>。

その後、多摩ニュータウン計画が具体化してきたことから、多摩ニュータウン側と京王、小田急とで協議が行われた。[[多摩市]]内の区間について、ニュータウン側は京王と小田急の両社に、どちらか一方がニュータウン区域の中央部を貫く([[乞田川]]沿いの)[[谷戸]]部、もう一方が概ね区域の南縁を通る[[尾根幹線道路]]を通るように提案していたが、両社とも谷戸部を通るとして譲らなかった。このことからニュータウン側の担当者は、土地区画整理事業の[[土地区画整理事業#減歩|減歩率]]を下げたいという思惑から、[[三線軌条|3本レール]]にしてレール幅の違う両社の車両が同じ線路を走ることを提案したが、小田急の担当者に「[[小田急箱根鉄道線|箱根鉄道]]<ref group="注釈">当時の同線の名称は「箱根登山鉄道線」。2024年に事業会社名の変更に伴い「小田急箱根鉄道線」へ改称。</ref>みたいにチンタラ走るわけにはいかない」と笑われたという<ref name="tamant_archive1_p121">『多摩ニュータウンアーカイブプロジェクト -第1編- 草創期~中興期の夢と苦悩を知る』多摩ニュータウン学会、2010年、121ページ。</ref><ref>『たまヴァンサンかん街づくり講座 多摩ニュータウン「鉄道計画史研究」』 多摩市立図書館所蔵資料、平成12年発行、ヒアリング記録27ページ。</ref>。こうして多摩市内では現在の京王線と小田急線の線路が並ぶ形に決まった。また当時京王は、中央線との高速運転競争を繰り広げていたことに加え、新宿から[[河口湖]]までの「超特急」の構想を描いていたことから、相模原線はニュータウン区域内についても高規格な、カーブは最小曲率半径1000メートル以上を確保できるようにニュータウン側に要求した<ref name="tamant_archive1_p125">『多摩ニュータウンアーカイブプロジェクト -第1編- 草創期~中興期の夢と苦悩を知る』多摩ニュータウン学会、2010年、125ページ。</ref>。同様に小田急側も在来区間よりも高規格な最小曲率半径800メートル以上を要求した<ref name="tamant_archive1_p125"/>。協議では他にも、鉄道会社側とニュータウン側との費用負担についても話し合われたが、これがなかなかまとまらなかった。

費用負担についてまとまらないまま、[[1968年]]に京王の新線建設が始まった<ref group="注釈">なお、この時の京王多摩川駅高架化工事を理由に「全国輸出振興煙火競技大会」が中止され、その後は周辺の宅地化を理由に中断が続いたが、1982年に「[[調布市花火大会]]」として復活した。出典:調布花火大会サイト(上記)。</ref>。[[1971年]]に京王多摩川駅 - 京王よみうりランド駅間が開業し、合わせて線名も多摩川支線から現在の「相模原線」となった。この区間は用地買収に地元が協力的であったこと、区間が短いこともあり、京王帝都の自己資金で順調に工事が進んだ<ref name="itej1975-5"/>。開業後の輸送状況も好調であったことから、経営面でも負担にはならなかった<ref name="itej1975-5"/>。1972年3月の[[都市交通審議会答申第15号]]では「東京10号線」として橋本から多摩ニュータウン中央や調布を経由して新宿へ、さらに[[市ケ谷駅|市ケ谷]]や[[神保町駅|神保町]]の東京都心部を東進して本八幡に到る、その後の京王相模原線・京王線・都営新宿線ルートの整備が定められ、さらに本八幡の先では千葉県内北西部を[[鎌ケ谷市]]北部から[[千葉ニュータウン]]印旛地区まで延伸され、東京の東西に整備される二つの巨大[[日本のニュータウン|ニュータウン]]を結ぶこととなっていた<ref group="注釈">このうち、本八幡駅から鎌ケ谷市北部の[[新鎌ヶ谷駅]]に相当する[[千葉県営鉄道]][[千葉県営鉄道北千葉線|北千葉線]]は採算の見込みが立たないという理由で未着工のまま事業計画が廃止され、新鎌ヶ谷駅から[[千葉ニュータウン中央駅]]を経由して[[印旛日本医大駅]]までは[[北総鉄道]][[北総鉄道北総線]]として開業した上で、最終的には「東京1号線」と定められていた[[京成本線]]・[[京成押上線]]・[[都営地下鉄浅草線]]へと直通先が変更された。</ref>。

しかし、京王よみうりランド駅から先の建設は進まなかった。当時の新聞に掲載されたところによると、多摩ニュータウンからのラッシュ時の輸送には、調布 - 新宿間を複々線化する必要があり、相模原線の建設費用410億円にあわせ複々線化の費用が数百億円も掛かるとされ、京王は採算が取れないとしていたためであった<ref name="yomiuri_s460521">読売新聞(昭和46年5月21日)</ref>。また、多摩ニュータウン内では開発者以外の不動産事業が制限され、住宅の販売益で建設費用を賄うこともできないともしていた<ref name="KotsuTech1971-4"/>。小田急側も同じ言い分で多摩線の建設をストップしており、そんななかニュータウンの住民はバスで2km以上先の[[聖蹟桜ヶ丘駅]]に出るなどを余儀なくされていた<ref>『多摩ニュータウンアーカイブプロジェクト -第1編- 草創期~中興期の夢と苦悩を知る』多摩ニュータウン学会、2010年、169ページ。</ref>。京王は[[東京都]]に対し、(1)鉄道用地の無償提供 (2)高架、橋りょうなどの付帯工事費の補助 (3)在来線改良事業への補助 を要求したが、都は「民間企業である私鉄へ用地を無償提供する考えは無い」とした<ref name="yomiuri_s460521"/>。最終的には、[[日本鉄道建設公団]]が民鉄線を建設し、完成後に民鉄が25年で元利を償還する方策がとられた<ref name="itej1975-5"/>。いわゆる[[日本鉄道建設公団#P線(大都市における民営鉄道)|P線方式(公団民鉄線方式)]]の始まりである。これにより両線の工事は再開され、まず小田急が[[1974年]]6月に[[永山駅 (東京都)|小田急永山駅]]まで、用地買収とオイルショックで工事が難航した京王も半年後の同年10月に[[多摩センター駅|京王多摩センター駅]]まで開業し、小田急も翌[[1975年]]に[[多摩センター駅|小田急多摩センター駅]]に到達した<ref group="注釈">この小田急ルートとなる「東京9号線」も上記の都市交通審議会答申第15号では「橋本-多摩ニュータウン中央」の整備が明記され、上記区間では10号(京王)と競合していた。小田急は橋本から西側の城山までの路線免許も取得していたが、その後にニュータウン南西部の[[唐木田]]地区へ路線延長と車庫整備を行うこととし、1987年に多摩センター-城山間の免許を失効させた。1990年に[[唐木田駅]]が開業して、さらに京王相模原線の南側になる[[相模原駅]]への延伸を図るようになった。</ref>。

=== 京王多摩センター駅までの開業後の混乱 ===
[[京王よみうりランド駅]] - [[多摩センター駅|京王多摩センター駅]]間が開業した[[1974年]]当時、京王は次の各駅の乗降人員数を以下のように予測していた。
*[[稲城駅]]:1,915人
*[[若葉台駅]]:422人
*[[永山駅 (東京都)|京王永山駅]]:4,767人
*京王多摩センター駅:3,512人


=== 京王多摩センター開業時の利用者数 ===
京王よみうりランド駅 - 京王多摩センター駅間が開業した1974年当時、京王は次の各駅の乗降人員数を以下のように予測していた。
* [[稲城駅]]:1,915人
* [[若葉台駅]]:422人
* 京王永山駅:4,767人
* 京王多摩センター駅:3,512人
しかし、実際に開業してみると、以下のような結果となった。
しかし、実際に開業してみると、以下のような結果となった。
* 稲城駅:980人
*稲城駅:980人
* 若葉台駅:280人
*若葉台駅:280人
* 京王永山駅:7,165人
*京王永山駅:7,165人
* 京王多摩センター駅:1,394人
*京王多摩センター駅:1,394人

つまり、京王永山駅以外、乗降人員数が当初の予測より大きく下回っており、大きな問題となった。これは[[オイルショック]]に伴ってニュータウンにおいて住宅の大量供給の役割が終了し、住宅建設がストップしていたからである。以降、[[多摩ニュータウン]]では団地の大量建設から、景観に優れた良質な市街地の建設へと大きく舵を切ることになる。
つまり、予測に対して5割増しとなった京王永山駅以外はほぼ半分という状況で、京王の社内ではこれが問題となり、[[多摩ニュータウン]]側に苦情を申し入れた。これには多摩ニュータウン開発の遅れが影響していて、当時入居が進んでいたのは、永山駅に近接した諏訪団地と永山団地だけといった状況であり、多摩ニュータウンの人口は3万人に過ぎなかった。

多摩ニュータウン開発の遅れの原因としては、まず、第一次入居の直後に[[多摩市]]が、多摩ニュータウン側との小学校や中学校等の公共施設の費用負担の問題から、多摩ニュータウンの住宅建設の許可を出さず、住宅建設が中止されていたということがあった。結局これは[[東京都]]が事実上、学校の土地・建物の費用を多摩市に対して無償で負担するということで解決し、第二次入居にこぎつけることになった<ref>『多摩ニュータウンアーカイブプロジェクト -第1編- 草創期~中興期の夢と苦悩を知る』多摩ニュータウン学会、2010年、187ページ。なお、東京都が小中学校の新設費用を無償で負担することになったことで、多摩市内には多くの小中学校が設置された。これらは現在「少子化」ということで廃校が進められ、借地にしたり売却することで新たな土地利用が進んでいるが、ある意味でこの時に多摩市は将来の膨大な資産を無償で手に入れたとも言われている。</ref>。しかし、この最中に[[オイルショック]]が起き、開発の遅れのもう一つの原因となっただけでなく、多摩ニュータウン計画そのものを変えてしまった。

[[1973年]]のオイルショックは日本経済を直撃し、[[高度成長期]]は終焉した。旺盛だった大都市への人口流入は沈静化し、それにより住宅需要も急速に冷え込んだ。第二次入居を始めた多摩ニュータウンでも、住宅不足を解決するための画一的な仕様・デザインの住宅は販売不振におちいり、入居がなかなか進まなかった。これをきっかけに多摩ニュータウンは、従来の「少しでも早く安く、計画的な良好な都市を大規模に提供する」という計画から、「時間をかけて理想的な都市を作る」という計画に転換し、多彩でデザイン性に優れた住宅が供給されていくことになった<ref>北條晃敬『多摩ニュータウン開発の全貌』多摩ニュータウン歴史研究会、2012年、116,175ページ。</ref>。

また、開業当時、京王永山駅および京王多摩センター駅では、当時の初乗り運賃である40円区間の乗車券の売れ行きが異常に多いと共に、その乗車券が回収されないという事態が発生した。これを不思議に思った電鉄側が[[改札#車内改札|車内検札]]を行ったところ、多くの利用客が新宿 - 聖蹟桜ヶ丘などの定期券を持っていた。相模原線が多摩ニュータウンへ乗り入れるまでは、多くの住民は[[聖蹟桜ヶ丘駅]]から京王線に乗っていたため、その定期券を悪用して[[不正乗車#中間無札|キセル]]をしていたのであった。当時は[[自動改札機]]も導入されておらず、乗車券類は紙製のものであり、[[不正乗車#事業者等による対策|フェアスルーシステム]]もなかった。

相模原線の建設(新線の建設)は、経営に大きな問題を生じさせる結果にもなった<ref name="itej1975-5"/>。これは、路線免許申請時の1963年(昭和38年)時点では十分に採算が採れると予想されていたものが、その後10年間の社会情勢の変化により、不採算路線に変化してしまったためである<ref name="itej1975-5"/>。具体的には、前述のように多摩ニュータウンの入居人口が予想より少なかったこと、低廉な運賃水準では巨額の建設資金の回収ができなかったことに加えて、当初予想を大きく上回る建設費用・人件費などの上昇が原因である<ref name="itej1975-5"/>。1963年(昭和38年)頃、多摩ニュータウンが計画された当時の相模原線全線(調布 - 相模中野間29.4 km・車両費を含む)の建設費用は約110億円と想定されていたが、度重なる物価の上昇により1971年(昭和46年)時点で、橋本までの建設費用で300億円を超えることが想定されていた<ref name="KotsuTech1971-4"/>。実際、京王よみうりランド - 京王多摩センター間9.8 kmの建設費用は236億円(車両費を含まず)まで大きく膨れ上がってしまった<ref name="itej1975-5"/>(資料によっては建設費用を約278億円とするものもあり、このうち京王の負担額は166億円とされている<ref name="Keio-History30th-152" >京王帝都電鉄『京王帝都電鐵三十年史』p.152。</ref>)。このようなコスト増大が、その後、相模中野までの延長が断念された一因になっている。

=== 多摩ニュータウン西部地区への延伸 ===
[[1980年代]]に入ると、[[多摩ニュータウン]]では西部地区にも開発が進展し、多摩ニュータウンの人口は[[1980年]]に6万人だったものが、[[1987年]]には10万人に達した<ref name="tamant_jigyoshi_p270"/>。[[1980年]]には新宿駅([[京王新線]]内) - [[岩本町駅]]が延伸開業した都営新宿線との間で[[東大島駅]]までの直通運転が開始され、新宿以東の東京都心部と直結された京王相模原線の利便性はさらに向上した。[[多摩センター駅]]周辺で開発が進むなか、西部地区でも開発が進んで[[1983年]]に[[八王子市]]南大沢で入居が始まった。西部地区での鉄道開通前には、住民の足として南大沢から多摩センター駅までのバス路線が暫定的に運行された<ref>『京王電鉄五十年史』京王電鉄、平成10年、98 - 99ページ。</ref>。

延伸にあたっては、現在の[[多摩センター駅|京王多摩センター駅]]と[[京王堀之内駅]]の間にあるゴルフ場「[[府中カントリークラブ]]」<ref name="fuchu_country">府中カントリークラブ公式ページ[http://055fuchuucc.sakura.ne.jp/index.html]、「府中CCの歴史」。同クラブは1958年計画決定、[[1959年]]開業で、その後に周囲が多摩ニュータウン計画地域に指定されていた。</ref>の敷地内を通過するため、問題が生じていた。工事着工にあたりクラブ側に補償金5億円を提示したが拒否され、10億8,800万円まで引き上げるほか、地下に長さ500メートルのトンネルを建設し、13・14番ホールの中間で地表に出る設計を提示して交渉にあたった。しかしクラブ側は、(1)13・14番ホールは地表に出る部分を隠すために土盛りや芝生植え替えなど大幅なコース改造が必要 (2)工事期間中、ビジター料金収入が大きく減少する として補償金のさらなる引き上げを求めた。ルート変更も困難であったことから、京王と日本鉄道建設公団は強制収用の準備にかかったが、最終的にはトンネル出口部分を短縮し、コースレイアウトの変更を行う<ref group="注釈">現在は13番ホール(北側)と14番ホール(南側)の間をトンネルが通り、両ホールのフェアウェイやグリーンにはかからないようになっている。</ref>ことでクラブ側とは同意に至り、補償金10億8,800万円で和解した<ref name="kuramochi_sagamiharasen">倉持順一「多摩ニュータウン建設にともなう京王相模原線敷設問題」『多摩ニュータウン研究 No.9 2007』多摩ニュータウン学会、2007年、57-64ページ。</ref>。[[1986年]][[10月1日]]に「多摩センター第一トンネル」として着工、翌1987年に完成した<ref name="fuchu_country" />。

この問題の解決により延伸計画は前進し、1987年3月に[[橋本駅 (神奈川県)|橋本駅]]まで一気に開業する予定で計画が進められたが、今度は橋本駅付近で土地取得が難航した。橋本駅の終端部分と入口部分の地権者が買収を頑なに拒んでいたのである。一方で入居が進む多摩ニュータウン西部地区ではその足の確保が急務となっていたことから、[[1988年]][[5月21日]]に京王多摩センター駅 - [[南大沢駅]]間が開業した。これにより、南大沢から多摩センター駅への暫定的なバス路線の運行は終了した<ref name="keio50_p142">『京王電鉄五十年史』京王電鉄、平成10年、142ページ。</ref>。

=== 橋本駅までの開業 ===
[[橋本駅 (神奈川県)|橋本駅]]周辺の土地取得の問題は[[土地収用法]]の適用をもって解決し、[[1990年]][[3月30日]]に[[南大沢駅]] - 橋本駅間が開業し、相模原線は全通した。[[1968年]]の工事着工から22年目のことだった。翌年には[[快速列車|快速]]列車が橋本駅から[[都営地下鉄新宿線|都営新宿線]]の[[本八幡駅]]までの直通運転を始め、[[神奈川県]]北部から[[千葉県]]北西部を結ぶ東西の大動脈となった。これにより都心への玄関口となった橋本駅の乗降人員は、1990年から[[1997年]]にかけて2倍に増えた<ref name="keio50_p142"/>。


橋本駅まで開通した翌年の[[1991年]][[4月6日]]には、[[多摩境駅]]が開業した。多摩境駅は地元からの「[[請願駅]]」として設置され京王の負担を極力抑えている<ref>『多摩ニュータウン相原・小山土地区画整理事業誌』東京都、平成17年、19ページ。</ref>。多摩境駅の周辺は「多摩ニュータウン相原・小山[[土地区画整理事業]]」が施行されているが、京王と小田急は施行区域内を先行買収しており、多くの土地を所有していた<ref>『たまヴァンサンかん街づくり講座 語り継ぐ多摩ニュータウンの計画論』 多摩市立図書館所蔵資料、平成9年発行、98ページ。</ref>。この地域では開発より前から土地を売りたいとする地権者が多く、多摩ニュータウン側から土地を買うように要請を受けてのことだった<ref>北條晃敬『多摩ニュータウン開発の全貌』多摩ニュータウン歴史研究会、2012年、204ページ。</ref>。
また京王多摩センター駅および京王永山駅では、当時の初乗り運賃である40円区間の[[乗車券]]の売れ行きが異常に多いと共に、その乗車券が回収されないという事態が発生した<ref>当時は[[自動改札機]]も導入されておらず、乗車券類は紙製のものであり、[[不正乗車#交通機関の対処・対策|フェアスルーシステム]]もなかった。</ref>。これを不思議に思った電鉄側が[[車内検札]]を行ったところ、多くの利用客が新宿駅から聖蹟桜ヶ丘駅などの京王線内発着の[[定期乗車券|定期券]]を持っており、それを悪用して[[不正乗車#キセル|キセル]]をしていることが判明した。


なお、多摩境駅の開業が全線開業より後になったのは理由があった。[[ニュータウン鉄道|ニュータウン新線]]において建設費などに補助金が出るのはニュータウンの範囲内だけでなく、ニュータウンの範囲外でもニュータウン居住者が利用する場合において、ニュータウンの範囲の次の駅までが補助金の対象になる取り決めになっている。多摩境駅は多摩ニュータウン区域内にあるものの、当初は事業認可未了となっている区域であったため、この取り決めにおけるニュータウンの範囲として扱うのは難しかった。つまり、そのまま橋本駅と多摩境駅を同時に建設すると、多摩境駅がニュータウンの範囲の次の駅として扱われてしまうことから、橋本駅までの補助金が出ないことになってしまうのである。そのため、ニュータウンの範囲の次の駅を終点の橋本駅にして、橋本駅までの建設に補助金を当てようとしたためであった。
=== 京王多摩センター以西の建設の遅れ ===
京王多摩センター駅以西の建設では、府中カントリークラブの地下をトンネルで通過することから、列車通過による振動などの影響を恐れたクラブ側と電鉄側の交渉が難航したこと(10億8,800万円の補償で決着)や、[[橋本駅 (神奈川県)|橋本駅]]周辺での宅地化による地権者との交渉に時間がかかったことから、建設・開業に時間が掛かった。


橋本より先の橋本 - 相模中野間については、用地の取得が難しいことや用地費、工事費の高騰などにより、京王単独での建設が非常に困難であるとして、[[1988年]]3月に京王は免許を返上した<ref name="keio50_p142"/>。したがって、[[津久井湖]]までの延伸はかなわず、相模原線は多摩ニュータウン住民や相模原市民の足として定着することになった。多摩境駅の開業をもって、[[若葉台駅]]から多摩境駅にかけての[[多摩ニュータウン]]内の全駅開業となり、1991年の多摩境駅開業時に15万人だった多摩ニュータウンの人口は、13年後の[[2004年]]に20万人を突破した<ref name="tamant_jigyoshi_p270">「多摩ニュータウンの人口・世帯数の推移」『多摩ニュータウン開発事業史-通史編-』UR都市機構、平成18年、270ページ。</ref>。
特に橋本駅周辺での交渉は長期化し、当初京王多摩センター駅 - 橋本駅間は一気に開通させるはずであったが、結局[[南大沢駅]]まで一旦暫定開業し、後に橋本駅まで延伸開業するということとなった。


なお、相模原線の建設費用に充てるため、京王多摩川 - 橋本間には、基本運賃に加えて乗車キロに応じた10円 - 80円の加算運賃が設定されていたが、相模原線建設事業費の回収が進捗しているとして、[[2018年]](平成30年)3月17日に加算運賃の改定が行われた。その際に、京王多摩川 - 京王多摩センター間は加算運賃が廃止されたほか、残りの京王多摩センター - 橋本間の加算運賃が引き下げられた<ref name="nr170830_fare">{{PDFlink|[https://www.keio.co.jp/news/update/news_release/news_release2017/nr170830_fare.pdf 相模原線に設定している加算運賃の引下げを実施します]}} - 京王電鉄プレスリリース(2017年8月30日)</ref><ref>[https://www.keio.co.jp/news/update/announce/nr170928v1032/index.html 2018年3月17日(土)改定 相模原線加算運賃の引下げのお知らせ] - 京王電鉄、2017年10月11日</ref><ref>「[https://www.nikkei.com/article/DGKKZO2056442030082017L82000/ 京王相模原線の加算運賃 下げ幅最大で20円に]」『[[日本経済新聞]]』朝刊2017年8月31日(東京面)</ref>。その後、[[2019年]](令和元年)10月1日には再度の改定により京王多摩センター - 多摩境間の加算運賃が廃止され<ref name="nr190312_fare">{{PDFlink|[https://www.keio.co.jp/news/update/news_release/news_release2018/nr190312_fare.pdf 2019年10月予定 相模原線に設定している加算運賃の引下げを実施します]}} - 京王電鉄プレスリリース(2019年3月12日)</ref><ref name="nr190905_fare">{{PDFlink|1=[https://www.keio.co.jp/news/update/news_release/news_release2019/nr190905_fare.pdf#page=8 鉄道運賃の認可および改定について]}} - 京王電鉄プレスリリース(2019年9月5日)</ref>、残った京王稲田堤以遠 - 橋本間利用時の加算運賃についても、[[2023年]](令和5年)10月1日の運賃改定に合わせ廃止となった<ref>{{PDFlink|[https://www.keio.co.jp/news/update/news_release/news_release2023/nr20230623_unchin.pdf 鉄道旅客運賃の改定申請が認可されました~2023年10月1日(日)に運賃改定を実施します~]}} - 京王電鉄、2023年6月23日、2023年7月5日閲覧</ref>。
また、[[多摩境駅]]の開業が全線開通よりも後になったのは、京王多摩川駅以西が[[日本のニュータウン|ニュータウン]]計画に基づく[[ニュータウン鉄道|ニュータウン新線]]であり、建設費などに[[補助金]]が出るが、補助金が出るのはニュータウン地域の次の駅までであったためである。すなわち、当時は南大沢駅までが多摩ニュータウン内であり、ニュータウン外の[[町田市]]にある多摩境駅(現在は多摩ニュータウン区域内となっている)を同時に建設すると多摩境駅から先については補助金が出なくなるため、次の駅を終点の橋本駅にして橋本駅までの建設に補助金を当てようとしたためである(同じような事例が過去にも[[北大阪急行電鉄南北線|北大阪急行]][[緑地公園駅]]にあった)。


=== 年表 ===
=== 年表 ===
* [[1916年]]([[大正]]5年)[[6月1日]] - 調布駅 - 多摩川原駅(京王多摩川駅)間(1.0km)開業。
* [[1916年]]([[大正]]5年)[[6月1日]] - 調布駅 - 多摩川原駅(京王多摩川駅)間(1.0&nbsp;km)開業。
* [[1924年]](大正13年)[[4月1日]] - 調布駅 - 多摩川原駅間複線化。
* [[1924年]](大正13年)[[4月1日]] - 調布駅 - 多摩川原駅間複線化。
* [[1937年]]([[昭和]]12年)[[5月1日]] - 多摩川原駅を京王多摩川駅に改称。
* [[1937年]]([[昭和]]12年)[[5月1日]] - 多摩川原駅を京王多摩川駅に改称。
* [[1963年]](昭和38年)[[8月4日]] - 架線電圧を1500Vに昇圧。
* [[1963年]](昭和38年)[[8月4日]] - 架線電圧を1,500&nbsp;Vに昇圧。
* [[1964年]](昭和39年)
* [[1971年]](昭和46年)4月1日 - 京王多摩川駅 - 京王よみうりランド駅間(2.7km)開業。'''相模原線'''と路線名が改称される。
** [[1月20日]] - 調布 - 相模中野(津久井湖付近)間の地方鉄道敷設免許を申請<ref name="itej1975-5"/>。
* [[1974年]](昭和49年)[[10月18日]] - 京王よみうりランド駅 - 京王多摩センター駅間(9.8km)開業。
** [[3月18日]] - 運輸省(当時)の指導から、調布 - 京王多摩川間は工事方法変更の認可として、以降の区間は分割して京王多摩川 - 稲城中央(現・稲城駅)間の地方鉄道敷設免許を再申請、[[6月3日]]に免許を取得<ref name="itej1975-5"/>。
* [[1988年]](昭和63年)[[5月21日]] - 京王多摩センター駅 - 南大沢駅間(4.5km)暫定開業。
* [[1990年]]([[平成]]2年)[[330日]] - 南大沢駅 - 橋本駅(4.4km)開業(全線開通)
* [[1965年]](昭和40年)[[119日]] - 稲城中央 - 相模中野の地方鉄道敷設免許を申請、翌1966年[[7月13日]]に免許を取得<ref name="itej1975-5"/>
* [[1966年]](昭和41年)[[10月12日]] - 相模原線の建設工事に着手<ref name="Keio-History30th-246" >京王帝都電鉄『京王帝都電鐵三十年史』p.246。</ref>。
* [[1971年]](昭和46年)4月1日 - 京王多摩川駅 - 京王よみうりランド駅間(2.7&nbsp;km)開業。路線名を'''相模原線'''に改称。
* [[1972年]](昭和47年)10月 - 日本鉄道建設公団により、 京王よみうりランド駅 - 京王多摩センター駅の建設工事に着手<ref name="itej1975-5"/>。
* [[1974年]](昭和49年)[[10月18日]] - 京王よみうりランド駅 - 京王多摩センター駅間(9.8&nbsp;km)開業<ref>{{Cite news |和書|title=京王相模原線、きょう開業 |newspaper=[[交通新聞]] |publisher=交通協力会 |date=1974-10-18 |page=1 }}</ref>。
** 複線開業の予定が、用地買収の難航により開業から数か月間は京王よみうりランド駅 - 稲城駅のうち約30&nbsp;mは単線運転を行っていた<ref name="Keio-History50th-100" >京王電鉄『京王電鉄五十年史』pp.98 - 100。</ref>。
** 稲城駅 - 若葉台駅間の一部区間で地権者が用地買収に応じず、取得に大きく時間を要したこと、[[オイルショック]]もあり、予定より半年遅れの開業となった<ref name="itej1975-5"/>。
* [[1982年]](昭和57年)[[12月28日]] - 京王多摩センター駅 - 橋本間の建設工事に着手<ref name="KotsuTech1984-3">交通協力会『交通技術』1984年3月号「京王相模原線京王多摩センター - 橋本間の延伸」pp.20 - 41。</ref>。
* [[1988年]](昭和63年)[[5月21日]] - 京王多摩センター駅 - 南大沢駅間(4.5&nbsp;km)暫定開業。
* [[1990年]]([[平成]]2年)[[3月30日]] - 南大沢駅 - 橋本駅間(4.4&nbsp;km)開業(全線開通)。
* [[1991年]](平成3年)[[4月6日]] - 南大沢駅 - 橋本駅間に多摩境駅が開業。
* [[1991年]](平成3年)[[4月6日]] - 南大沢駅 - 橋本駅間に多摩境駅が開業。
* [[1997年]](平成9年)[[12月24日]] - 最高速度を105&nbsp;km/hから110&nbsp;km/hに引き上げ<ref>{{Cite journal|和書 |title=1997年12月 京王帝都電鉄ダイヤ改正 |date = 1998-4 |journal = [[鉄道ピクトリアル]] |volume = 48 |issue = 4 |pages = 90-91 |publisher = [[電気車研究会]] }}</ref>。
* [[2010年]](平成22年)[[3月26日]] - ATCの使用を開始。
* [[2010年]](平成22年)[[3月26日]] - ATCの使用を開始<ref name="Kyosan2010-7">京三製作所『京三サーキュラー』Vol.61 No.4(平成22年)2010年特集「京王・井の頭線ATCシステム 相模原線使用開始」pp.4 - 7。</ref>。
* [[2012年]](平成24年)[[8月19日]] - 調布駅 - 京王多摩川駅間地下化。これにより、相模原線からすべての踏切がなくなった。
* [[2012年]](平成24年)[[8月19日]] - 調布駅 - 京王多摩川駅間地下化。これにより、相模原線からすべての踏切がなくなった。
* [[2013年]](平成25年)[[2月22日]] - [[駅ナンバリング]]を導入<ref>{{PDFlink|[http://www.keio.co.jp/news/backnumber/news_release2012/nr130118_numbering.pdf 京王線・井の頭線全駅で「駅ナンバリング」を導入します。]}} - 京王電鉄、2013年1月18日、2013年1月19日閲覧</ref>。
* [[2017年]](平成29年)[[2月28日]] - 若葉台駅 - 多摩境駅間のトンネル内で携帯電話の利用が可能となる<ref>{{Cite press release|和書|url=https://www.keio.co.jp/news/update/news_release/news_release2016/nr170222_antenna.pdf|archiveurl=https://web.archive.org/web/20210206094546/https://www.keio.co.jp/news/update/news_release/news_release2016/nr170222_antenna.pdf|format=PDF|language=日本語|title=京王相模原線「若葉台駅〜多摩境駅」区間のトンネル内で携帯電話サービスを提供開始|publisher=京王電鉄/NTTドコモ/KDDI/ソフトバンク|date=2017-02-22|accessdate=2021-02-06|archivedate=2021-02-06}}</ref>。


== 運転 ==
== 運転 ==
[[都営地下鉄新宿線]]-[[京王線]]-相模原線([[本八幡駅]]-[[橋本駅 (神奈川県)|橋本駅]]間)は、都市交通審議会答申第10号で「10号線」として位置付けられていることもあり、[[1980年]]3月から[[直通運転|相互直通運転]]を実施している。当初、京王車が主に[[快速列車|快速]]として都営新宿線[[岩本町駅]] - 相模原線[[多摩センター駅|京王多摩センター駅]]間、都営車が都営新宿線 - 京王線[[笹塚駅]]間で運行されていたが、順次その範囲は拡大され、現在は両社局の車両全区間を運行している。
[[都営地下鉄新宿線]] - [[京王線]] - 相模原線([[本八幡駅]] - [[橋本駅 (神奈川県)|橋本駅]]間)は、都市交通審議会答申第10号で「10号線」として位置付けられていることもあり、[[1980年]]3月から[[直通運転|相互直通運転]]を実施している。当初、京王電鉄のが主に[[快速列車|快速]]として都営新宿線[[岩本町駅]] - 相模原線[[多摩センター駅|京王多摩センター駅]]間、都営地下鉄のが都営新宿線 - 京王線[[笹塚駅]]間で運行されていたが、順次その範囲は拡大され、現在は京王・都営地下鉄の車両とも全区間を運行している。今は相模原線だけでなく[[京王線]]方面でも[[都営地下鉄新宿線|都営新宿線]]への乗り入れ運転を実施している。


[[1992年]]5月には[[新宿駅]] - 橋本駅間の[[特別急行列車|特急]]が設定されたが、相模原線内での停車駅が[[調布駅]]・京王多摩センター駅・橋本駅と少なく、調布駅での[[各駅停車]]への接続廃止後は相模原線の特急通過駅では使いにくい上、新宿駅 - 調布駅間では[[急行列車|急行]]の後追い運転であり京王線系統の特急よりも所要時間がかかることもあって、[[2001年]]3月のダイヤ改定で一廃止され、代わりに急行が設定された。急行は、特急の相模原線内の停車駅に[[京王稲田堤駅]]・[[京王永山駅]]・[[南大沢駅]]を追加した上、都営新宿線の急行と結んで本八幡駅 - 橋本駅(一部をのぞく)間の運転とした。またこのダイヤ改正から急行・快速は、調布駅で京王線系統の特急・[[準特急]]と接続し、乗り換えた場合は[[明大前駅]]・新宿駅との所要時間が短縮された。[[2013年]]2月22日のダイヤ改定より特急が復活し、では急行停車駅に停車する
[[1992年]]5月には[[新宿駅|京王線新宿駅]] - 橋本駅間の[[特別急行列車|特急]]が設定された<ref name="kotsu19920428">{{Cite news |title=相模原線に特急新設 京王帝都、来月ダイヤ改正 |newspaper=[[交通新聞]] |publisher=交通新聞社 |date=1992-04-28 |page=1 }}</ref>が、相模原線内での停車駅が[[調布駅]]・京王多摩センター駅・橋本駅と少なく、調布駅での[[各駅停車]]への接続廃止後は相模原線の特急通過駅では使いにくい上、新宿駅 - 調布駅間では[[急行列車|急行]]の後追い運転であり京王線系統の特急よりも所要時間がかかることもあって、[[2001年]]3月のダイヤ改定で一廃止され、代わりに急行が設定された。急行は、特急の相模原線内の停車駅に[[京王稲田堤駅]]・[[永山駅 (東京都)|京王永山駅]]・[[南大沢駅]]を追加し、都営新宿線の急行と結んで本八幡駅 - 橋本駅(一部をく)間の運転とした。これにより京王稲田堤駅・京王永山駅・南大沢駅を通過する営業列車は消滅した。またこのダイヤ改正から急行・快速は、調布駅で京王線系統の特急・[[準特急]]と接続し、乗り換えた場合は[[明大前駅]]・新宿駅との所要時間が短縮された。[[2013年]][[2月22日]]のダイヤ改定より特急が復活し<ref name="keio2013-2">{{PDFlink|[http://www.keio.co.jp/news/backnumber/news_release2012/nr121105_diagram.pdf 2月22日京王・井の頭線のダイヤを刷新します]}} - 京王電鉄、2012年11月5日、2012年11月5日閲覧。</ref>、相模原線内の停車駅が急行と同じなった


[[2015年]][[9月25日]]より京王線新宿駅 - 橋本駅間の準特急が設定された<ref name="keio2015">{{PDFlink|[http://www.keio.co.jp/news/update/news_release/news_release2015/nr150826_timetable20150925.pdf 9月25日(金)に 京王線・井の頭線のダイヤ改正を実施します ~都心方面へのアクセス強化など利便性向上を図ります~]}} - 京王電鉄、2015年8月26日、2015年8月26日閲覧。</ref>。
かつては列車の車両数を調節するため、朝のラッシュ後と夕方のラッシュ前の時間帯を中心に若葉台駅で車両交換を行う列車があったが、2006年9月以降は[[若葉台駅]]を行先として表示するようになったため、このような車両交換はなくなった(車両故障時などはのぞく)。車両交換の案内は、相模原線内での車内放送のほか電光行先案内板の備考(2005年3月25日時点では電光行先案内板のあった京王稲田堤駅・京王永山駅・京王多摩センター駅・南大沢駅・橋本駅のみ)に表示されていた。

[[2018年]][[2月22日]]より京王線新宿駅 - 橋本駅間の下り方向に、初の[[ホームライナー|座席指定列車]]である[[京王ライナー]]が設定された<ref name="keio2018">{{PDFlink|[https://www.keio.co.jp/news/update/news_release/news_release2017/nr180124_timetable20180222.pdf 2月22日(木)始発から 京王線・井の頭線のダイヤ改正を実施します ~京王ライナーの運行開始や、平日朝間時間帯の速達性向上を図ります~]}} - 京王電鉄、2018年1月24日、2018年2月24日閲覧。</ref>。

かつては列車の車両数を調節するため、朝のラッシュ後と夕方のラッシュ前の時間帯を中心に若葉台駅で車両交換を行う列車があったが、[[2006年]]9月以降は[[若葉台駅]]を行き先として表示するようになったため、このような車両交換はなくなった(車両故障時などは除く)。車両交換の案内は、相模原線内での車内放送のほか電光行先案内板の備考(2005年3月25日時点では電光行先案内板のあった京王稲田堤駅・京王永山駅・京王多摩センター駅・南大沢駅・橋本駅のみ)に表示されていた。

[[2022年]][[3月12日]]のダイヤ改正で準特急が特急に統合される形で廃止された<ref name="keio2022">{{PDFlink|[https://www.keio.co.jp/news/update/news_release/news_release2021/nr20211210_daiya.pdf 京王線 ダイヤ改正を実施します]}} - 京王電鉄、2021年12月10日、2021年12月10日閲覧。</ref>。


=== 運転の歴史 ===
=== 運転の歴史 ===
* [[1980年]](昭和55年)[[3月16日]] - 都営新宿線新宿駅 - 岩本町駅間開業。岩本町駅 - 京王多摩センター駅間で相互直通運転開始(都営車は笹塚駅まで)。
* [[1980年]](昭和55年)[[3月16日]] - 都営新宿線新宿駅 - 岩本町駅間開業。岩本町駅 - 京王多摩センター駅間で相互直通運転開始(都営車は笹塚駅まで)。
* [[1987年]](昭和62年)[[12月20日]] - 京王車の乗り入れ区間を都営新宿線大島駅まで、都車の乗り入れ区間を京王多摩センター駅まで延長(その後、都営車の乗り入れ区間は相模原線の延伸と共に延長)。
* [[1987年]](昭和62年)[[12月20日]] - 京王車の乗り入れ区間を都営新宿線大島駅まで、都車の乗り入れ区間を京王多摩センター駅まで延長(その後、都営車の乗り入れ区間は相模原線の延伸と共に延長)。
* [[1991年]](平成3年)[[9月1日]] - 京王車の乗り入れ区間を本八幡駅へ延長。
* [[1991年]](平成3年)[[9月1日]] - 京王車の乗り入れ区間を本八幡駅へ延長。
* [[1992年]](平成4年)[[5月28日]] - 新宿駅 - 橋本駅間の特急運転開始。
* [[1992年]](平成4年)[[5月28日]] - 京王線新宿駅 - 橋本駅間の特急運転開始<ref name="kotsu19920428"/>
* [[2001年]](平成13年)[[3月27日]] - 新宿駅 - 橋本駅間の特急廃止、急行の運転開始。
* [[2001年]](平成13年)[[3月27日]] - 京王線新宿駅 - 橋本駅間の特急廃止、急行の運転開始。
* [[2005年]](平成17年)[[3月25日]] - 平日朝ラッシュ時の新宿方面優等列車がほぼすべて10両編成に統一され、また平日夜間時間帯の急行が増発された(詳細は後述)。
* [[2005年]](平成17年)[[3月25日]] - 平日朝ラッシュ時の新宿方面急行系列車がほぼすべて10両編成に統一され、また平日夜間時間帯の急行が増発された(詳細は後述)。
* [[2006年]](平成18年)9月1日 - 都営新宿線直通列車のほぼすべてが10両編成化され、相模原線内折り返し各駅停車もすべて8両編成化された(詳細は後述)。
* [[2006年]](平成18年)9月1日 - 都営新宿線直通列車のほぼすべてが10両編成化され、相模原線内折り返し各駅停車もすべて8両編成化された(詳細は後述)。
* [[2010年]](平成22年)[[3月19日]] - 日中の快速・各駅停車がすべて10両編成化される。
* [[2010年]](平成22年)[[3月19日]] - 日中の快速・各駅停車がすべて10両編成化される。
* [[2013年]](平成25年)[[2月22日]] - ダイヤ改定により特急が復活し、通勤快速が区間急行に変更となる<ref name="keio2013-2">{{PDFlink|[http://www.keio.co.jp/news/backnumber/news_release2012/nr121105_diagram.pdf 2月22日、京王線・井の頭線のダイヤを刷新します]}} - 京王電鉄、2012年11月5日、2012年11月5日閲覧。</ref>。
* [[2013年]](平成25年)[[2月22日]] - ダイヤ改定により特急が復活し、通勤快速が区間急行に変更となる<ref name="keio2013-2" />。
* [[2015年]](平成27年)[[9月25日]] - ダイヤ改正により準特急を新設<ref name="keio2015" />。日中の区間急行・快速の一部が8両編成化される。
* [[2018年]](平成30年)[[2月22日]] - ダイヤ改正により京王ライナーを新設<ref name="keio2018" />。
* [[2022年]](令和4年)[[3月12日]] - ダイヤ改正で準特急を廃止<ref name="keio2022" />。


=== 列車種別 ===
=== 列車種別 ===
==== 京王ライナー ====
{{Main|京王ライナー}}
京王線新宿駅 - 橋本駅間で運行される座席指定列車。2018年2月22日実施のダイヤ改正から下り方向のみで運転を開始し<ref name="keio2018" />、2019年2月22日実施のダイヤ改正からは上り列車京王線新宿行きの運行も開始された。途中停車駅は、京王永山駅・京王多摩センター駅・南大沢駅で、相模原線内の京王永山駅以西は特急・準特急・急行と同じ停車駅となるが、京王線新宿駅・明大前駅 - 京王永山駅間は全て通過する。車両については、全て[[京王5000系電車 (2代)|京王5000系]]のみで運転されている。橋本発新宿行きは、平日朝5時 - 8時台に5本が、土休日朝7時台に1本がそれぞれ運転される。新宿発橋本行きは、平日は16時40分発から17時40分発・18時20分発から23時20分発まで、土曜・休日は16時20分発から23時00分発まで約1時間間隔の運転となる。

乗車には座席指定券410円が必要となるが、下り列車については京王永山駅以遠の停車駅から乗車する場合は座席指定券無しでそのまま乗車できる。

==== 特急 ====
==== 特急 ====
[[2013年]][[2月22日]]のダイヤ改定から京王線新宿駅 - 橋本駅間で運転を復活した種別で<ref name="keio2013-2" />、相模原線特急としては実質2代目である。2001年の初代特急廃止後、神奈川県鉄道輸送力増強促進会議は相模原線の特急の復活を要求しており<ref>{{PDFlink|[http://www.pref.kanagawa.jp/uploaded/attachment/428722.pdf 神奈川県鉄道輸送力増強促進会議 平成23年度 京王電鉄株式会社への要望書]}}</ref>、2013年に12年ぶりに復活することになったものである<ref name="keio2013-2" />。
[[2013年]][[2月22日]]のダイヤ改定から、新宿駅- 橋本駅間で運転を復活した種別。停車駅は、新宿駅 - 明大前駅 - 調布駅 - 京王稲田堤駅 - 京王永山駅 - 京王多摩センター駅 - 南大沢駅 - 橋本駅で、相模原線内は急行と同じ停車駅となる。


途中停車駅は、笹塚駅・明大前駅・千歳烏山駅・調布駅・京王稲田堤駅・京王永山駅・京王多摩センター駅・南大沢駅で、相模原線内は急行と同じ停車駅となる。京王電鉄の車両のみで運転されている。京王線新宿駅 - 橋本駅間の運転が基本だが、日中は京王多摩センター駅 - 橋本駅間では各駅停車(各停)として運転されている。また、平日朝には京王多摩センター発京王線新宿行も設定されている。2020年10月30日のダイヤ修正で平日は新宿発が朝2本(京王多摩センター行・橋本行の各1本)に削減され、夕方での設定も無くなった。
2013年から運転を開始した相模原線特急は実質2代目であり、初代の特急は[[1992年]][[5月28日]] - [[2001年]][[3月26日]]の間に運転されていた。当時はほとんどの列車が京王線内では急行を追尾するダイヤとなっていたため、新宿駅 - 調布駅間の所要時間は急行と大差なかったが、京王多摩センター駅で先行する快速を追い抜いて(設定当初の下りのみ調布駅でも後続の各停に接続)通過する各駅へのフォローも行い、相模原線の主力種別であった。相模原線内では京王多摩センターをのぞく途中駅は、すべて通過となっていた。


2019年2月22日ダイヤ改正より、京王多摩センター駅を境に種別を各停へ変更する列車が設定された。(対象列車は京王永山駅 - 橋本駅間で実質各駅停車となるが、種別変更は京王多摩センター駅で行う。)
これ以前にも[[京王多摩川駅]]を最寄りとする[[京王閣競輪場|京王閣競輪]]開催時には、レース終了後に同駅始発で新宿駅まで向かう特急が運転されていた(車両は、1984年以前は京王よみうりランド駅折り返し、京王よみうりランド - 京王多摩川間は回送運転、1984年以降は若葉台駅出庫、同駅 - 京王多摩川間は回送運転とされていた)。なお、1992年5月以降は競輪終了時に上り特急の一部列車を京王多摩川駅に臨時停車させることで、利用客への便宜を図っていた。現在の特急も同様に臨時停車が行われている。


2022年3月12日ダイヤ改正では準特急と統合され、京王線内の停車駅に笹塚・千歳烏山が追加されたほか、今まで準特急として運転されていた列車が特急に置き換わり、日中時間帯は全ての列車が京王多摩センター駅を境に種別を各停に変更するようになった。
2001年の特急廃止後、神奈川県鉄道輸送力増強促進会議は相模原線の特急の復活を要求していたが<ref>{{PDFlink|[http://www.pref.kanagawa.jp/uploaded/attachment/428722.pdf 神奈川県鉄道輸送力増強促進会議 平成23年度 京王電鉄株式会社への要望書]}}</ref>、2013年2月22日のダイヤ改定より、12年ぶりに復活することになった<ref name="keio2013-2" />。


==== 急行 ====
==== 急行 ====
2001年3月27日のダイヤ改正で初代特急廃止と引き換えに運行を開始した。以前の特急の停車駅に京王稲田堤駅・京王永山駅・南大沢駅を追加した形であるが、初代特急運転開始前の快速から京王多摩川駅と京王よみうりランド駅を除いたともいえる停車駅設定となった。
平日は朝と夕方のみ、土曜・休日は下り橋本行数本のみ運転。2013年2月21日のダイヤ改定前は、かつて相模原線急行の多くが20分間隔で[[京王線]]・[[京王新線]]経由で[[都営地下鉄新宿線|都営新宿線]][[本八幡駅]](土曜・休日ダイヤの一部は[[大島駅 (東京都)|大島駅]])まで直通運行されていた。朝のラッシュ時と平日夕方の京王線新宿 - 橋本間の列車は主に10両編成。都営新宿線直通も2006年9月のダイヤ改定後は、朝の一部列車に都営車8両が使用される以外は10両編成で運行。京王閣競輪開催時には、京王多摩川駅に臨時停車していた。また、平日の朝ラッシュ時および夕方には京王線内のみ急行で都営新宿線内は各駅停車として運行、平日の夕方以降には調布駅 - 橋本駅間は急行、京王線・都営新宿線の本八幡駅 - 調布駅間は快速として運転される列車もあった。また、朝と夕方から夜間には京王線新宿発着の急行も運行されていた。


平日は朝と夕方のみの運転で、都営新宿線 - 橋本駅間と京王線新宿駅 - 橋本駅間の2区間で設定されている。その他にも都営新宿線 - 京王多摩センター駅間や、京王線新宿発京王多摩センター行も設定されている。2015年9月25日のダイヤ改正より、日中は代わりに[[#準特急|準特急]]が運転されている。都営新宿線本八幡駅 - 京王相模原線橋本駅の全区間を急行として運転する列車は土休日のみの運行で、朝の下りに本八幡発急行橋本行、夕方の上りに橋本発急行本八幡行がそれぞれ1本設定されている。
都営新宿線内各駅停車の急行の場合、上り列車の行先・種別表示は京王線内では「急行 新線新宿」(都営[[東京都交通局10-000形電車|10-000形]]は「急行 新宿」)と表示、下り列車は都営新宿線内では「各停 橋本」(10-000形では種別表示はない)、駅の発車案内板には「普通 橋本」と表示される。かつて[[京王6000系電車|6000系]]では誤乗防止の観点から京王新線・都営新宿線方面行では、緑地の方向幕で表示されていた。

2013年2月22日ダイヤ改定前は、かつて相模原線急行の多くが20分間隔で、[[京王線]]・[[京王新線]]経由で[[都営地下鉄新宿線|都営新宿線]][[本八幡駅]](土曜・休日ダイヤの一部は[[大島駅 (東京都)|大島駅]])まで直通運行されていた。都営新宿線直通は、2006年9月のダイヤ改定後は朝の一部列車に都営車8両が使用される以外は10両編成での運行となった。また、平日の朝ラッシュ時および夕方には京王線内のみ急行で都営新宿線内は各駅停車として運行する列車があったほか、平日の夕方以降には調布駅 - 橋本駅間は急行、本八幡駅 - 調布駅間は快速として運転される列車もあった。朝と夕方から夜間には京王線新宿駅発着の急行も運行されていたが、朝のラッシュ時と平日夕方の京王線新宿 - 橋本駅間の列車は主に10両編成であった。京王閣競輪開催時には、京王多摩川駅に臨時停車していた。

かつては都営新宿線内各駅停車の急行の場合、上り列車の行先・種別表示は京王線内では「急行 新線新宿」(都営10-000形・10-300R形は「急行 新宿」)と表示、下り列車は都営新宿線内では「各停 橋本」(10-000形では種別表示はない)、駅の発車案内板には「普通 橋本」と表示された。かつて[[京王6000系電車|6000系]]では誤乗防止の観点から京王新線・都営新宿線方面行は、緑地の方向幕で表示されていた。そのため[[京王7000系電車|7000系]]の方向幕車では緑地で表示される(7721F-7725FではそれらがすべてLED式に更新されている)。

2018年2月22日ダイヤ改正より、京王多摩センター駅を境に種別を各停に変更する列車が設定された<ref name="keio2018" />(対象列車は京王永山駅 - 橋本駅間で実質各駅停車となるが、種別変更は京王多摩センター駅で行う)。


==== 区間急行 ====
==== 区間急行 ====
2013年2月22日のダイヤ改定で、通勤快速から改称された。都営新宿線直通列車と京王線新宿駅発着列車があり、前者は平日の日中と土曜・休日のほぼ終日にり20分間隔で運転、後者は平日の朝と深夜の下り・土休日の朝と夕方のみ運転される。上りは橋本発のほかに京王多摩センター発・深夜の桜上水止まりがあり、下りは橋本行と若葉台行がある。多くは10両編成だが、平日朝の都営新宿線直通には都営8両編成も使用されている。
2013年2月22日のダイヤ改定で、通勤快速から改称された。都営新宿線直通列車と京王線新宿駅発着列車があり、前者は平日の日中と土曜・休日のほぼ終日にわたり20分間隔で運転、後者は朝と深夜のみ運転される。上りは橋本発のほかに京王多摩センター発・深夜の桜上水があり、下りは橋本行と京王多摩センター行がある。現在のダイヤでは、都営新宿線 - 京王多摩センター駅・橋本駅間の設定のほかに、京王線新宿駅 - 橋本駅間、京王線新宿発京王多摩センター行、橋本・若葉台発桜上水も設定されている。京王線新宿発着の多くの列車と都営新宿線直通の全列が10両編成で運行される。日中は調布駅で府中方面の特急と連絡し、京王多摩センター駅で各駅停車橋本行(京王多摩センターまで特急)に接続する。2020年2月22日のダイヤ改正で平日日中の準特急の一部が京王多摩センター駅 - 橋本駅間で各駅停車となったため、京王多摩センター駅で折り返す列車設定されるようになった。2022年3月12日のダイヤ改正では平日・休日ともに準特急と統合した特急の日中に運転される全列車が京王多摩センター駅 - 橋本駅間で各駅停車となったため、それに合わせて区間急行も日中の全列車が京王多摩センターで折り返すように変更された


なお、都営新宿線直通列車の多くは、都営線内急行運転る。その際、相模原線を含む京王線内では、京王車は『区急|新線新宿』→『新線新宿から急行本八幡行』→『都営新宿線直通』といった形で切り替えて表示してい。都営車では切り替え表示機能が無いため、『区急(区間急行)|(新線)新宿』と固定表示され。いずれも新線新宿駅到着時に『急行|本八幡』と表示を変更する。
2023年現在では一部列車が都営新宿線内急行運転されている。以前は、相模原線を含む京王線内では、京王車は『区急|新線新宿』→『新線新宿から急行本八幡行(もしくは急行大島行)』→『都営新宿線直通』といった形で切り替えて表示してい。都営車では切り替え表示機能が無いため、『区急(区間急行)|(新線)新宿』と固定表示され。いずれも新線新宿駅到着時に『急行|本八幡』と表示を変更する。
平日朝夕は都営新宿線内は各駅停車で運転されている。の場合京王線内ではたとえば本八幡行では『区急|本八幡』と表示している。新線新宿駅到着時には『各停|本八幡』に変更される。
ほかの列車快速と同じく都営新宿線内は各駅停車で運転されている。の場合、えば本八幡行では京王線内で『区急(快速)|本八幡』と表示し新線新宿駅到着時には『各停|本八幡』に変更される。


==== 快速 ====
==== 快速 ====
[[1974年]][[10月18日]]の京王よみうりランド - 京王多摩センター間開業以降、[[1992年]][[5月28日]]の初代特急運転開始以前は相模原線内でも快速運転をしていた(設定当時の停車駅は調布京王多摩川京王稲田堤京王よみうりランド京王永山京王多摩センター)。1988年5月21日の京王多摩センター - 南大沢間開業時は、快速は京王多摩センター発着、通勤快速は南大沢発着で、1990年3月30日に運転区間が橋本まで延長された後、1991年4月6日から南大沢が停車駅に加わった。特急の運転開始後は現行の相模原線内各駅停車に改められている(現在の特急・急行は初代特急運転開始前の快速に近い停車駅設定となっており、京王多摩川京王よみうりランドを通過すること以外は同じである)
京王多摩川 - 京王よみうりランド駅間開業前の多摩川支線時代より運行されていたが、相模原線内は各駅に停車していた。[[1974年]][[10月18日]]の京王よみうりランド - 京王多摩センター開業時から[[1992年]][[5月28日]]の初代特急運転開始時までは相模原線内でも快速運転をしていた(設定当時の停車駅は調布駅・京王多摩川駅・京王稲田堤駅・京王よみうりランド駅・京王永山駅・京王多摩センター)。1988年5月21日の京王多摩センター - 南大沢間開業時は、快速は京王多摩センター発着、通勤快速は南大沢発着で、1990年3月30日に運転区間が橋本まで延長された後、1991年4月6日から南大沢が停車駅に加わった。初代特急の運転開始後は現行の相模原線内各駅停車に改められている。そ後初代特急は2001年に廃止され、初代特急運転開始前の快速停車駅から京王多摩川駅と京王よみうりランド除いた急行が運転開始されることとなった

2013年2月21日までは、日中・深夜は京王線新宿駅発着で運行され、土休日の朝と夕方以降は都営新宿線に直通し、大島駅・本八幡駅発着で運転されていた。このほか、平日の夕方以降には相模原線内急行・京王線内快速という列車もあった。基本は橋本駅発着だが、一部に若葉台駅・京王多摩センター駅発着もあり、一部の若葉台駅発着を除いて、橋本駅発着の各停との接続が行われていた。また[[2012年]][[8月19日]]の調布駅地下化によるダイヤ改定により、早朝時間帯に若葉台発快速つつじヶ丘行が登場した。調布駅での折り返しができなくなったことに伴い、この列車は折り返し設備のあるつつじヶ丘駅まで営業運転して、到着後はそのまま調布方面へ回送として折り返していた。また、終点のつつじヶ丘駅では後続の新宿行の快速・通勤快速に接続していた。

2013年2月22日のダイヤ改定では、調布駅で橋本駅発着の特急と接続する京王線新宿駅発着列車が中心となった。都営新宿線直通列車は大幅に本数が減らされ、平日は夕方に上り4本・深夜に下り1本、休日は朝に下り3本・夜に下り9本が設定されていた。基本的には本八幡駅 - 橋本駅間の運行であったが、平日上り1本のみ若葉台発本八幡行であった。夕方と深夜には新宿発京王多摩センター行、早朝と夜間以降には上りの桜上水行・つつじヶ丘行もあった。


2013222日のダイヤ改定では、調布で橋本発着の特急と接続する京王線新宿発着列車が中心となり都営新宿線直通列車は極少数まで減らされた。早朝と夜間以降には下りの京王多摩センター行、上りの桜上水行・つつじヶ丘行もある
2015925改正のダイヤでは、平日の日中と土休日のほぼ終日20分間隔本八幡駅 - 橋本駅間(一部は若葉台駅・京王多摩センター駅発着)の列車が設定されたが土休日のみ京王線新宿駅 - 橋本駅間の列車も設定された。また橋本発つつじヶ丘行も設定されていた


現在では、日中は20分間隔で本八幡駅 - 橋本駅間の列車が設定されている。京王線新宿発着のほぼ全ての列車と都営新宿線直通の全列車が10両編成で運行される。日中は調布駅で府中方面の特急と連絡する。相模原線内は特急に抜かれることなく先着する。平日の夕方・深夜、土休日の深夜に橋本発つつじヶ丘行きも運行されている。
2013年2月21日までの日中・深夜と土曜・休日の深夜は京王線新宿発着で運行され、土曜・休日の朝と夕方以降は都営新宿線に直通し、本八幡・大島発着で運転されていた。このほか、平日の夕方以降には相模原線内急行・京王線内快速という列車もあった。基本は橋本発着だが、一部に若葉台や京王多摩センター発着もあり、一部の若葉台発着をのぞいて橋本発着の各停との接続が行われていた。また[[2012年]][[8月19日]]の調布駅地下化によるダイヤ改定により、早朝時間帯に若葉台始発の快速つつじヶ丘行が登場した。調布駅での折り返しができなくなったことに伴い、この列車は折り返し設備のあるつつじヶ丘駅まで営業運転して、到着後はそのまま調布方面へ回送として折り返す。また、つつじヶ丘駅では後続の新宿行の快速・通勤快速に接続していた。


かつては、都営車8両による運転もあった。
京王線新宿発着・都営新宿線直通ともに多くの電車が10両編成で運行されるが、一部の都営新宿線直通は都営車8両編成で運行される。


※急行、快速(通勤快速)の京王線内の停車駅は、京王線の記事中の「[[京王線#駅一覧|駅一覧]]」を参照。
急行、区間急行、快速の京王線内の停車駅は、京王線の記事中の「[[京王線#駅一覧|駅一覧]]」を参照。


==== 各駅停車 ====
==== 各駅停車 ====
2013年2月22日のダイヤ改定により、平日は朝夕のみ、土曜・休日は早朝と深夜のみ運転となった。それ以外の時間帯は相模原線内各駅停車の区間急行・快速が運転され、各駅停車を補完している。ごく一部に若葉台・京王多摩センター発着、また橋本発着の都営新宿線直通各駅停車僅かながらある
2013年2月22日のダイヤ改定により、平日は朝夕のみ、土曜・休日は早朝と深夜のみ運転となった。それ以外の時間帯は相模原線内各駅停車の区間急行・快速が運転され、各駅停車を補完している。2015年9月25日改正のダイヤでは平日夕方新宿駅 - 橋本駅間の列車が主に設定されたが、その他にも若葉台・京王多摩センター発着も設定され。本八幡発若葉台・橋本行や橋本・若葉台本八幡行き設定されていた
京王多摩センター始発の橋本行各停は、すべて調布方面からの京王多摩センター止まりの列車との接続が行われている。


京王多摩センター発橋本行の各停はすべて調布方面から列車と接続している。
2013年2月21日以前は一日を通して設定されており、朝ラッシュ時を中心に新宿駅方面へ直通する列車も設定された一方、日中以降は大部分が相模原線内の区間で折り返し運転を行なっていた。折り返し運転の際は、調布駅で上りは京王八王子方面からの、下りは京王八王子方面行の各駅停車と接続を取っていた。


2013年2月21日以前は終日設定があり、朝ラッシュ時を中心に新宿方面へ直通する列車も設定された一方、日中以降は大部分が相模原線内の区間で折り返し運転を行なっていた。相模原線内のみの列車は、調布駅で上りは京王八王子方面からの、下りは京王八王子方面行の各駅停車と接続を取っていた。
折り返し運転ダイヤ時代、2006年9月のダイヤ改定までは日中を中心に6両編成での運転があったが、同改定以降、日中は[[都営地下鉄新宿線|都営新宿線]]直通列車に10両編成の京王車が重用されたことによる距離調整のため、都営車の8両編成での運転となり、6両編成での運転が無くなった。このため、折り返し運転専属だった[[京王6000系電車#5扉車(通称6020系)|6000系5扉車]]の6721Fは運用を離脱した。[[2010年]][[3月19日]]のダイヤ修正では日中の列車はすべて10両編成化され、都営車を含む8両編成は夕方以降に見られるようになった。

線内折り返し運転の際、[[調布駅]]付近の地下化以前は、調布駅にて本線上を利用して行われていた。[[2012年]][[8月19日]]の調布駅付近地下化以降は[[つつじヶ丘駅]]まで一度回送して、つつじヶ丘駅構内で折り返していた。
また、2006年9月のダイヤ改定までは日中を中心に6両編成での運転があったが、この改定以降、日中は都営新宿線直通列車に10両編成の京王電鉄の車両が重用されたことによる距離調整のため、都営地下鉄の車両による8両編成での運転となり、6両編成での運転がなくなった。このため、主に相模原線内列車のみの運用に使われていた[[京王6000系電車#5扉車|6000系5扉車]]の6721Fは運用を離脱した。[[2010年]][[3月19日]]のダイヤ修正では日中の列車はすべて10両編成化され、都営地下鉄の車両を含む8両編成は夕方以降に見られるようになった。

相模原線内運転の列車は、[[調布駅]]付近の地下化以前は、調布駅にて本線上を利用して折り返しが行われていた。[[2012年]][[8月19日]]の調布駅付近地下化以降は[[つつじヶ丘駅]]まで一度回送して、つつじヶ丘駅構内で折り返していた。

2018年2月22日ダイヤ改正より、一部の準特急及び急行は京王多摩センター駅で種別を各駅停車に変更する列車が設定された<ref name="keio2018" />。

2019年2月22日ダイヤ改正より、一部の特急にも京王多摩センター駅で種別を各駅停車に変更する列車が設定された。

2022年3月12日ダイヤ改正より日中に運転される特急の全列車と一部の急行が京王多摩センター駅で種別を各駅停車に変更するようになった。

=== 運行本数 ===
[[2022年]]3月12日改正時点のダイヤで日中1時間あたりの運行本数は、以下のようになっている。

{| class="wikitable"
|+日中の運行パターン
|-
!colspan="2"|種別\駅名
!京王線直通
!style="width:1em;"|{{縦書き|調布}}
!…
!colspan="2" style="width:1em;"|{{縦書き|京王多摩センター}}
!…
!style="width:1em;"|{{縦書き|橋本}}
|- style="text-align:center;"
!rowspan="3" style="width:1em;"|運行範囲
|rowspan="1" style="background:pink;" |特急||rowspan="1" style="background:pink;" |←京王線新宿 || colspan="4" style="background:pink;" |3本
|colspan="3" style="background:lightgray;" |3本
|- style="text-align:center;"
|rowspan="1" style="background:yellow;"|区間急行||rowspan="1" style="background:yellow;"|←本八幡||colspan="4" style="background:yellow;"|3本
|colspan="3" |&nbsp;
|- style="text-align:center;"
| style="background:lightblue;"|快速||colspan="1" style="background:lightblue;"|←本八幡||colspan="7" style="background:lightblue;"|3本
|}


=== 廃止された種別 ===
=== 廃止された種別 ===
==== 特急(1992 - 2001) ====
[[1992年]][[5月28日]]<ref name="kotsu19920428"/> - [[2001年]][[3月26日]]の間に運転されていた。当時はほとんどの列車が京王線内では急行を追尾するダイヤとなっていたため、京王線新宿駅 - 調布駅間の所要時間は急行と大差なかったが、京王多摩センター駅で先行する快速を追い抜いて、(設定当初の下りのみ調布駅でも後続の各停に接続)通過する各駅へのフォローも行い、相模原線の主力種別であった。相模原線内では京王多摩センター駅以外の途中駅は、すべて通過となっていた。

1992年以前にも[[京王多摩川駅]]を最寄りとする[[京王閣競輪場|京王閣競輪]]開催時には、レース終了後に京王多摩川発京王線新宿行の特急が運転されていた(車両は、[[1984年]]以前は京王よみうりランド駅折り返し、京王よみうりランド駅 - 京王多摩川駅間は回送運転、1984年以降は若葉台駅出庫で京王多摩川駅までは回送運転とされていた)。なお、1992年5月以降は競輪終了時に上り特急の一部列車を京王多摩川駅に臨時停車させることで、利用客への便宜を図っていた。この臨時停車は現在の特急にも引き継がれている。

==== 通勤快速 ====
==== 通勤快速 ====
2013年2月22日ダイヤ改定まで運転されていた種別。平日朝ラッシュ時および深夜時間帯下りのみ運転となっていた。都営新宿線直通列車と京王線新宿駅発着列車がある。上りには橋本発のほかに京王多摩センター始発があり、下りは橋本、京王多摩センター、若葉台行があった。多くは10両編成だが、平日朝の都営新宿線直通には都営車8両編成も使用されていた。同ダイヤ改定で区間急行に改称されて消滅した。
2013年2月22日ダイヤ改定まで運転されていた種別。平日朝ラッシュ時および深夜時間帯下りのみ運転となっていた。都営新宿線直通列車と京王線新宿駅発着列車がある。上りには橋本発のほかに京王多摩センター始発があり、下りは橋本行き、京王多摩センター行き、若葉台行があった。多くは10両編成だが、平日朝の都営新宿線直通には都営車8両編成も使用されていた。同ダイヤ改定で区間急行に改称されて消滅した。

==== 準特急 ====
[[2015年]][[9月25日]]ダイヤ改正で新設された<ref name="keio2015" />。途中停車駅は、笹塚駅・明大前駅・千歳烏山駅・調布駅・京王稲田堤駅・京王永山駅・京王多摩センター駅・南大沢駅で、現在の特急停車駅と同じである。京王線新宿駅 - 橋本駅間の運転が基本で、平日朝に京王線新宿発京王多摩センター行も設定されていた。

2018年2月22日ダイヤ改正より、京王多摩センター駅を境に種別を各停へ変更する列車が設定された<ref name="keio2018" />(対象列車は京王永山駅 - 橋本駅間で実質各駅停車となるが、種別変更は京王多摩センター駅で行う)。

2022年3月12日のダイヤ改正で特急に統合される形で廃止された(実質的には特急が廃止され、準特急を特急に改名した)<ref name="keio2022" />。


=== 女性専用車 ===
=== 女性専用車 ===
平日朝7:30 - 9:30に新宿駅または新線新宿駅に到着する上り急行・区間急行および都営新宿線直通電車の進行方向先頭車両が[[女性専用車両|女性専用車]]になる。実施区間は新宿線本八幡方向を含めた全区間で、この時間に運転される急行・区間急行および都営新宿線直通はいずれも京王車の10両編成で運行されるが、運用の乱れによって8両編成が充当される場合は設定されない。
平日朝7:30 - 9:30に京王線新宿駅または新線新宿駅に到着する上り特急・急行・区間急行(急行・区間急行のうち、都営新宿線直通する電車も含む)の進行方向先頭(本八幡寄り)車両が[[女性専用車両|女性専用車]]になる。実施区間は新宿線本八幡方向を含めた全区間で、この時間に運転される特急・急行・区間急行および都営新宿線直通はいずれも10両編成で運行されるが、運用の乱れによって8両編成が充当される場合は設定されない。


== 車両 ==
== 車両 ==
=== 現用車両 ===
=== 現用車両 ===
{{See also|京王電鉄#現用車両}}
{{See also|京王電鉄#現用車両}}
* [[京王5000系電車 (2代)|5000系(2代目)]]
* [[京王9000系電車|9000系]]
* [[京王9000系電車|9000系]]
* [[京王8000系電車|8000系]]
* [[京王8000系電車|8000系]]
* [[京王7000系電車|7000系]]
* [[京王7000系電車|7000系]]
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<gallery>
Keio 5734 Extra Semi Express 20190202.jpg|5000系
ファイル:Keio9000train9081 semiexp.JPG|9000系
Keio-Series9000-9740.jpg|9000系
ファイル:Model 8020 of Keio Electric Railway.JPG|8000系
Keio-Series8000-8711.jpg|8000系
ファイル:Model 7000-6Cars of Keio Electric Railway.JPG|7000系
Keio-Series7000-7722.jpg|7000系
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* 東京都交通局
* 東京都交通局
** [[東京都交通局10-300形電車|10-300形]]
** [[東京都交通局10-300形電車|10-300形]]
** [[東京都交通局10-000形電車|10-000形]]
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ファイル:Toei 10-300.jpg|10-300形
Toei_Type10-300_10-460.jpg|10-300形(1・2次車)
Toei_Type10-300.jpg|10-300形(3次車以降)
ファイル:Toei10line10-260F.jpg|10-000形
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== 駅一覧 ==
== 駅一覧 ==
* 停車駅 … ●:停車、◇:イベント開催時等に一部が臨時停車|:通過。各駅停車・快速・区間急行は各駅に停車するため省略。
* 停車駅 … ●:停車、◇:イベント開催時等に一部が臨時停車。▽:イベント開催時等やダイヤ混乱時に一部が臨時停車。|:通過。各駅停車・快速・区間急行は各駅に停車するため省略。
* #印:上下待避可能駅
* [[駅ナンバリング|駅番号]]は2013年2月22日から導入<ref>{{PDFlink|[http://www.keio.co.jp/news/backnumber/news_release2012/nr130118_numbering.pdf 京王線・井の頭線全駅で「駅ナンバリング」を導入します。]}} - 京王電鉄、2013年1月18日、2013年1月19日閲覧</ref>。
* #印上下待避可能駅
{|class="wikitable" rules="all"
{|class="wikitable" rules="all"
|-
|-
!rowspan="2" style="width:4em;"|駅番号
!rowspan="2" style="width:4em;border-bottom:3px solid #dd0077;"|駅番号
!rowspan="2" style="width:10em;"|駅名
!rowspan="2" style="width:14em;border-bottom:3px solid #dd0077;"|駅名
!rowspan="2" style="width:2.5em;"|駅間キロ
!rowspan="2" style="width:2.5em;border-bottom:3px solid #dd0077;"|駅間キロ
!colspan="2"|累計キロ
!colspan="2"|累計キロ
!rowspan="2" style="width:1em; background:lightgreen;"|急行
!rowspan="2" style="width:1em; background:lightgreen;border-bottom:3px solid #dd0077;"|{{縦書き|急行}}
!rowspan="2" style="width:1em; background:pink;"|特急
!rowspan="2" style="width:1em; background:pink;border-bottom:3px solid #dd0077;"|{{縦書き|特急}}
!rowspan="2" style="width:1em; background:white;border-bottom:3px solid #dd0077;"|{{縦書き|京王ライナー|height=7em}}
!rowspan="2"|接続路線
!rowspan="2" colspan="2"|所在地
!rowspan="2" style="border-bottom:3px solid #dd0077;"|接続路線
!rowspan="2" colspan="2" style="border-bottom:3px solid #dd0077;"|所在地
|-
!style="width:2.5em;"|調布から
!style="width:2.5em;"|[[新宿駅|新宿]]から
|-
|-
|colspan="10" style="padding:0px; line-height:0px; border-top:3px solid #dd0077;"|&nbsp;
!style="width:2.5em;border-bottom:3px solid #dd0077;"|調布から
!style="width:2.5em;border-bottom:3px solid #dd0077;"|[[新宿駅|新宿]]から
|-
|-
!KO18
!KO18
258行目: 415行目:
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|[[京王電鉄]]:[[京王線]](各駅停車の一部をのぞく全列車が新宿方面直通)
|[[京王電鉄]]:[[ファイル:Number prefix Keio-line.svg|18px|KO]] [[京王線]](各駅停車・急行の一部を除く全列車が新宿方面直通)
|rowspan="2" colspan="2" style="white-space:nowrap;"|[[東京都]][[調布市]]
|rowspan="2" colspan="2"|[[東京都]]<br />[[調布市]]
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!KO35
!KO35
268行目: 426行目:
|style="background:lightgreen; text-align:center;"|◇
|style="background:lightgreen; text-align:center;"|◇
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|style="background:pink; text-align:center;"|◇
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|
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277行目: 436行目:
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|[[東日本旅客鉄道]]:[[南武線]]([[稲田堤駅]])
|[[東日本旅客鉄道]]:[[ファイル:JR_JN_line_symbol.svg|18px|JN]] [[南武線]]([[稲田堤駅]]:JN 16)
|colspan="2"|[[神奈川県]]<br />[[川崎市]][[多摩区]]
|colspan="2" style="white-space:nowrap;"|[[神奈川県]]<br />[[川崎市]]<br>[[多摩区]]
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!KO37
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285行目: 445行目:
|style="text-align:right;"|3.9
|style="text-align:right;"|3.9
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|style="text-align:right;"|19.4
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|style="background:white; text-align:center;"|◇
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|rowspan="2" colspan="2"|東京都[[稲城市]]
|rowspan="2" colspan="2"|東京都<br />[[稲城市]]
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!KO38
!KO38
|[[稲城駅]]
|[[稲城駅]]<br />(駒沢女子大学 最寄駅)
|style="text-align:right;"|1.6
|style="text-align:right;"|1.6
|style="text-align:right;"|5.5
|style="text-align:right;"|5.5
297行目: 458行目:
|style="background:lightgreen; text-align:center;"||
|style="background:lightgreen; text-align:center;"||
|style="background:pink; text-align:center;"||
|style="background:pink; text-align:center;"||
|style="background:white; text-align:center;"||
|
|
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|-
304行目: 466行目:
|style="text-align:right;"|8.8
|style="text-align:right;"|8.8
|style="text-align:right;"|24.3
|style="text-align:right;"|24.3
|style="background:lightgreen; text-align:center;"|
|style="background:lightgreen; text-align:center;"|
|style="background:pink; text-align:center;"|
|style="background:pink; text-align:center;"|
|style="background:white; text-align:center;"|◇
|
|車庫所在駅
|colspan="2"|神奈川県<br />川崎市[[麻生区]]
|colspan="2"|神奈川県<br />川崎市<br>[[麻生区]]
|-
|-
!KO40
!KO40
316行目: 479行目:
|style="background:lightgreen; text-align:center;"|●
|style="background:lightgreen; text-align:center;"|●
|style="background:pink; text-align:center;"|●
|style="background:pink; text-align:center;"|●
|style="background:white; text-align:center;"|●
|[[小田急電鉄]]:[[小田急多摩線|多摩線]]([[永山駅 (東京都)|小田急永山駅]]:OT05)
|[[小田急電鉄]]:[[File:Odakyu tama.svg|18px|OT]] [[小田急多摩線|多摩線]]([[永山駅 (東京都)|小田急永山駅]]:OT05)
|rowspan="5" style="width:1em;"|東京都
|rowspan="5" style="width:1em; text-align:center;"|{{縦書き|東京都|height=4em}}
|rowspan="2"|[[多摩市]]
|rowspan="2"|[[多摩市]]
|-
|-
!KO41
!KO41
|[[多摩センター駅|京王多摩センター駅]]#
|[[多摩センター駅|京王多摩センター駅]]#<br />([[サンリオピューロランド]] 最寄駅)
|style="text-align:right;"|2.3
|style="text-align:right;"|2.3
|style="text-align:right;"|13.7
|style="text-align:right;"|13.7
327行目: 491行目:
|style="background:lightgreen; text-align:center;"|●
|style="background:lightgreen; text-align:center;"|●
|style="background:pink; text-align:center;"|●
|style="background:pink; text-align:center;"|●
|style="background:white; text-align:center;"|●
|小田急電鉄:多摩線([[多摩センター駅|小田急多摩センター駅]]:OT06)<br />[[多摩都市モノレール]]:[[多摩都市モノレール線]]([[多摩センター駅]])
|小田急電鉄:[[File:Odakyu tama.svg|18px|OT]] 多摩線([[多摩センター駅|小田急多摩センター駅]]:OT06)<br />[[多摩都市モノレール]]:[[File:Tama Monorail Line symbol.svg|18px|TT]] [[多摩都市モノレール線]]([[多摩センター駅]]:TT01)
|-
|-
!KO42
!KO42
336行目: 501行目:
|style="background:lightgreen; text-align:center;"||
|style="background:lightgreen; text-align:center;"||
|style="background:pink; text-align:center;"||
|style="background:pink; text-align:center;"||
|style="background:white; text-align:center;"||
|
|
|rowspan="2" style="white-space:nowrap;"|[[八王子市]]
|rowspan="2" style="white-space:nowrap;"|[[八王子市]]
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|-
!KO43
!KO43
|[[南大沢駅]]
|[[南大沢駅]]<br />(東京都立大学 最寄駅)
|style="text-align:right;"|2.2
|style="text-align:right;"|2.2
|style="text-align:right;"|18.2
|style="text-align:right;"|18.2
346行目: 512行目:
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|style="background:pink; text-align:center;"|●
|style="background:white; text-align:center;"|●
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355行目: 522行目:
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|style="background:pink; text-align:center;"||
|style="background:pink; text-align:center;"||
|style="background:white; text-align:center;"||
|
|
|[[町田市]]
|[[町田市]]
365行目: 533行目:
|style="background:lightgreen; text-align:center;"|●
|style="background:lightgreen; text-align:center;"|●
|style="background:pink; text-align:center;"|●
|style="background:pink; text-align:center;"|●
|style="background:white; text-align:center;"|●
|東日本旅客鉄道:[[横浜線]]・[[相模線]]
|東日本旅客鉄道:[[ファイル:JR_JH_line_symbol.svg|18px|JH]] [[横浜線]] (JH 28)・{{Color|#009793|■}}[[相模線]]
|colspan="2"|神奈川県<br />[[相模原市]][[緑区 (相模原市)|緑区]]
|colspan="2"|神奈川県<br />[[相模原市]]<br>[[緑区 (相模原市)|緑区]]
|}
|}

◇・▽印の臨時停車の解説
*京王多摩川駅:[[京王閣競輪場]]・[[調布市花火大会]]の開催日に、開催時間に合わせて臨時停車。
*京王よみうりランド駅:[[よみうりランド]]でのジュエルミネーションの開催日に、開催時間に合わせて臨時停車。
*若葉台駅:[[テレビ朝日若葉台メディアセンター]]でのイベント開催日に、開催時間に合わせて臨時停車。


=== 新駅構想など ===
=== 新駅構想など ===

[[稲城駅]] - [[若葉台駅]]間の中間地点付近に、沿線の稲城市坂浜・平尾地区の土地区画整備の一環として坂浜新駅(仮称)を設置する構想があるが採算性が見込めず実現には至っていない<ref>[http://www.city.inagi.tokyo.jp/shichoushitsu/tegami_kaitou/2404/no3/index.html 市政への提案の回答 平成24年4月 3. まちづくり・住環境に関すること]</ref>。
==== 坂浜新駅(仮称)構想 ====
稲城駅 - 若葉台駅間の中間地点付近に、沿線の稲城市坂浜・平尾地区の土地区画整備の一環として坂浜新駅(仮称)を設置する構想があるが採算性が見込めず実現には至っていない<ref>[http://www.city.inagi.tokyo.jp/shichoushitsu/tegami_kaitou/2404/no3/index.html 市政への提案の回答 平成24年4月 3. まちづくり・住環境に関すること]</ref>。


[[稲城市]]では、稲城駅に急行を停車させる政策を掲げ、京王電鉄に働きかけを行っている<ref>[http://www.city.inagi.tokyo.jp/kouhou_hiroba/kouhou_text/190515/k01.htm テキスト版広報いなぎ・平成19年5月15日号1面]</ref>。
[[稲城市]]では、稲城駅に急行を停車させる政策を掲げ、京王電鉄に働きかけを行っている<ref>[http://www.city.inagi.tokyo.jp/kouhou_hiroba/kouhou_text/190515/k01.htm テキスト版広報いなぎ・平成19年5月15日号1面]</ref>。


==== 橋本駅移設構想 ====
== その他 ==
橋本駅南口付近に[[中央新幹線|リニア中央新幹線]]の新駅が設置されることを受けて、[[相模原市]]は橋本駅南口地区の約13.7haの[[土地区画整理事業]]を京王線橋本駅移設を前提に行うことを決定した。<ref>[https://www.city.sagamihara.kanagawa.jp/_res/projects/default_project/_page_/001/004/650/20230309/04.pdf 橋本駅周辺整備推進事業における都市計画の決定及び変更 相模原市 2022年9月1日]</ref>[[2022年]]([[令和]]4年)に相模原市が発表した資料によると、JR橋本駅とリニア新駅の間に交通広場などを設けて、京王線橋本駅を現在の位置より南側に移設することが検討されている。
相模原線では新路線として開設するための建設費の償還を目的とした[[運賃#加算運賃|加算運賃]]が設定されており、京王多摩川 - 橋本間を利用する場合(他の区間に跨る場合を含む)は、利用する距離に応じて運賃が加算される(加算額は[[京王電鉄#運賃]]参照。なお調布 - 京王多摩川間は既設路線のため運賃の加算はない)。


== 付記 ==
同区間は、完成したのが[[1970年代]]以降と比較的新しく、カーブが少なく高速で安定した走行が可能であり、調布駅周辺の連続立体交差(地下化)事業が完了した後は全線にわたって[[踏切]]がなく、重大事故も起こりにくくなっている。また、京王の他の路線と比べて駅が広く、[[エレベーター]]などの[[バリアフリー]]設備も充実している。
{{出典の明記|section=1|date=2021年5月29日 (土) 13:01 (UTC)}}
京王多摩川 - 橋本間は、開通が[[1970年代]]以降と比較的新しいため、カーブが従来線より少ない。調布駅周辺の地下化工事の完了後は全線に渡って[[踏切]]が存在しない。


以前は調布駅で相模原線と京王線は平面でY字形に合流・分岐していた(厳密には相模原線上り線と京王線下り線が平面交差していた)。そのため同駅がダイヤ設定上の[[ボトルネック]]となっていたが前述の通り[[柴崎駅|柴崎]] - [[西調布駅|西調布]]・京王多摩川間の連続立体交差が完了し、調布駅は地下2層構造のホームとなり、ボトルネックが解消された。
以前は調布駅で相模原線と京王線は相模原線上り線と京王線下り線が平面交差していたため同駅がダイヤ設定上の[[ボトルネック]]となっていたが前述の通り[[国領駅|国領]] - [[西調布駅|西調布]]・京王多摩川間の地下化工事が完了し、調布駅は地下2層構造のホームとなり、ボトルネックが解消された。


京王永山 - 京王多摩センター間は[[小田急多摩線]]と併走する。[[小田急小田原線|小田原線]]の線路容量が逼迫していた小田急は、多摩線には一部をのぞき線内折り返し列車しか設定していなかったために、多摩ニュータウンから都心への旅客輸送は京王がメインルートとなっていた時代が長かったが、その後の小田原線の複々線化の進捗に応じて多摩線から都心へ直通する急行や[[多摩急行]]設定し、競争力を高めている
京王永山 - 京王多摩センター間は[[小田急多摩線]]と併走する。[[小田急小田原線|小田原線]]の線路容量が逼迫していた小田急は、多摩線直通列車をほとんど設定していなかったために、多摩ニュータウンから都心への旅客輸送は京王がメインルートとなっていた時代が長かったが、その後の小田原線の複々線化の進捗に応じて多摩線から都心へ直通する速達列車充実させ、競争力を高め


上述の申請路線免許により、橋本駅は相模中野方面への延伸を前提とした構造になっていて、延伸先の路線用地も所々に確保されていた。だがその後、延伸予定区間の路線免許は失効し、路線用地の多くは地元[[不動産会社]]に放出、宅地開発された中規模程度までではあるもののマンション等の建造物建てられたことから、現在の線路をそのまま延ばす形での今後の相模中野方面への延伸は難しいと見られている。[http://www.pref.kanagawa.jp/cnt/f7140/ 神奈川県鉄道輸送力増強促進会議]の要望書に対して、京王は[[上下分離方式]]での延伸に含みを残すものの「単独での建設はきわめて困難」と回答している。
[[#多摩ニュータウンへの延伸|上述]]の路線免許申請により、橋本駅は相模中野方面への延伸を前提とした構造になっていて、延伸先の路線用地も所々に確保されていた。だがその後、延伸予定区間の路線免許は失効し、路線用地の多くは地元[[不動産会社]]に放出され、宅地開発された中規模程度までではあるマンション等の建造物建てられたことから、現在の線路をそのまま延ばす形での相模中野方面への延伸は難しいと見られており、[http://www.pref.kanagawa.jp/cnt/f7140/ 神奈川県鉄道輸送力増強促進会議]の要望書に対して、京王は[[上下分離方式]]での延伸に含みを残すものの「単独での建設はきわめて困難」と回答している。


== 脚注 ==
== 脚注 ==
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{{脚注ヘルプ}}
=== 注釈 ===
{{Reflist}}
{{Notelist}}
=== 出典 ===
{{Reflist|3}}

== 参考文献 ==
* 交通協力会『交通技術』1971年4月号「京王相模原線の工事について」(大沢 清志・京王帝都電鉄株式会社・建設部課長)
* 運輸調査局『運輸と経済』1975年5月号「京王相模原線の建設と経営」(永井 信弘・京王帝都電鉄(株)鉄道事業本部 計画担当課長)
* [[日本地下鉄協会]]『SUBWAY』
** 1990年5月号レポートV「相模原線全線開通 - 南大沢・橋本間4.4km開業により - 」(京王帝都電鉄株式会社工務部次長・和田 宏)
** 2009年9月号{{PDFlink|[http://www.jametro.or.jp/upload/subway/nnkPmRQLYEHE.pdf レポート1「京王線調布駅付近連続立体交差(地下化)工事の概要」]}}(pp.10 - 14掲載)


== 関連項目 ==
== 関連項目 ==
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{{京王電鉄の路線}}
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[[Category:京王電鉄の鉄道路線|さかみはらせん]]
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2025年1月8日 (水) 17:59時点における最新版

京王電鉄 相模原線
シンボルマーク
5000系による区間急行 (2019年2月2日 京王永山駅)
5000系による区間急行
(2019年2月2日 京王永山駅)
基本情報
日本の旗 日本
所在地 東京都神奈川県
起点 調布駅
終点 橋本駅
駅数 12駅
路線記号 KO
開業 1916年6月1日
最終延伸 1990年3月30日
所有者 京王電鉄
運営者 京王電鉄
車両基地 若葉台検車区
使用車両 車両の節を参照
路線諸元
路線距離 22.6 km
軌間 1,372 mm
線路数 複線
電化方式 直流1,500 V 架空電車線方式
最大勾配 35 [1]
最小曲線半径 160 m[1]
閉塞方式 速度制御式
保安装置 京王ATC
最高速度 110 km/h[2]
路線図
テンプレートを表示

相模原線(さがみはらせん)は、東京都調布市調布駅から神奈川県相模原市緑区橋本駅までを結ぶ、京王電鉄鉄道路線である。駅ナンバリングで使われる路線記号はKO

概要

[編集]

京王線井の頭線とともに京王電鉄の主要路線であり、京王電鉄の路線では唯一、神奈川県内も沿線とし、かつ旧相模国の地域(相模原市)も通る。東京都心方面への通勤・通学路線であり、京王多摩センター駅を中心に若葉台駅 - 多摩境駅間に広がる多摩ニュータウンへのアクセスを小田急多摩線とともに担っている。ほとんどの列車は調布駅から京王線に直通して東京の副都心新宿と相模原市北部の拠点地域である橋本を結んでいる。

快速区間急行を中心に都営地下鉄新宿線相互直通運転をする列車も多く設定されている。京王永山駅 - 京王多摩センター駅間は小田急多摩線と完全に並走しており、新宿駅 - 京王永山駅・京王多摩センター駅間で小田急電鉄と競合関係にある。全線が高架または地下化されており踏切は存在しない。終点の橋本駅は将来的にリニア中央新幹線神奈川県駅(仮称)が設置される予定である。

路線データ

[編集]
  • 路線距離:22.6 km
  • 軌間:1,372 mm
  • 複線区間:全線
  • 電化区間:全線(直流1,500 V)
  • 保安装置:京王ATC、速度制御式
  • 最高速度:110 km/h[2]
  • 最急勾配:35 ‰[1]
  • 最小曲線半径:160 m[1]
    • 現在の最急勾配・最小曲線は調布駅付近地下化工事でできたものであり、これを除いた最急勾配は稲城 - 若葉台間の30 ‰[3]、最小曲線は400 m(京王多摩川付近[4]・橋本付近の横浜線横断部[5]
  • 建設主体:日本鉄道建設公団(現 独立行政法人 鉄道建設・運輸施設整備支援機構、京王よみうりランド - 橋本間)
  • 建設費用(本文中に記載する建設費用は、同じ区間でも出典によってバラツキがある)
    • 京王多摩川駅 - 京王よみうりランド駅:38億円[6]
    • 京王よみうりランド駅 - 京王多摩センター駅:232億円[6]
    • 京王多摩センター駅 - 橋本駅:541億円[6]

沿線概況

[編集]
停車場・施設・接続路線
tKHSTa
本八幡駅
LSTR
都営地下鉄新宿線
(左)京王線新宿駅 (右)新線新宿駅
LSTR
京王線
ABZg+l
京王新線
HST
笹塚駅
LSTR
exSTR+l eABZgr
exSTR tSTRa
exLSTR LSTR
京王線
exBHF tBHF
0.0 KO18 調布駅 (II) 1953-
exABZq+l exBHFq exABZgr tSTR
調布駅 (I) -1953
xKRZt tSTRq xKRZt tABZgr
京王線
exSTR exSTR tSTRe
exSTRl exSTRq exABZql eABZg+r
WBRÜCKE1
府中用水
BHF
1.2 KO35 京王多摩川駅
hKRZWae+GRZq
多摩川東京都 神奈川県
KRZo
稲田堤駅 JR東南武線
HUBrf
2.5 KO36 京王稲田堤駅
STR+GRZq
↑神奈川県 東京都↓
WASSER+l hKRZWae
三沢川
WASSER
uSTRq
3.9 KO37 京王よみうりランド駅
WASSER STR GNDC
スカイシャトル
WASSER BHF
5.5 KO38 稲城駅
htSTReq WKRZh KRZh htSTRaq
JR東:武蔵野南線(貨物線)
WASSER STR+GRZq
↑東京都 神奈川県↓
WASSERl hKRZWae
三沢川
BHF
8.8 KO39 若葉台駅
KDSTaq ABZgr STR+l
若葉台検車区 小田急多摩線
tSTRa tSTRa
若葉台第1T
tSTR+GRZq tSTR+GRZq
↑神奈川県 東京都↓
tSTRe tSTRe
TUNNEL2 TUNNEL2
若葉台第2T
WASSER+r
11.4 KO40 京王永山駅 (右)小田急永山駅
WASSER STR STR
(右)小田急多摩センター駅
WASSER
HUBlg
13.7 KO41 京王多摩センター駅
WKRZh KRZh KRZh
多摩センター駅 多摩都市モノレール線
WASSERl hKRZWae hKRZWae
乞田川
STR STRl
小田急:多摩線
TUNNEL2
京王多摩センター第1T
TUNNEL2
京王多摩センター第2T
BHF
16.0 KO42 京王堀之内駅
BHF
18.2 KO43 南大沢駅
TUNNEL2
南大沢T 809m
BHF
20.1 KO44 多摩境駅
hKRZWae+GRZq
境川 ↑東京都 神奈川県↓
STR uextSTR+l
中央新幹線
STR+l KRZo uxmtKRZ ABZq+r
JR東:横浜線
uextSTR STRl
22.6 KO45 橋本駅 JR東:相模線
STR uextHST
神奈川県駅
STR
JR東:横浜線

相模原線は都県境が入り組む地域を通る路線であり、東京都神奈川県を2回渡る。

調布 - 京王よみうりランド

[編集]

調布駅東京都調布市)を出るとすぐに京王線(本線)と分かれて左に急カーブを切り、南向きに変わる。品川通りを過ぎると地下から一気に高架に駆け上がり、京王多摩川駅となる。この先で多摩川を渡り、神奈川県川崎市多摩区に入る。JR南武線を跨ぐところに京王稲田堤駅がある。駅構内で大きく右カーブし、西に向きを変える。多摩丘陵の麓に沿うように進み、東京都稲城市に入って京王よみうりランド駅となる。

京王よみうりランド - 京王多摩センター

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そのまま西進し多摩丘陵に差し掛かるところで稲城駅となり、駅構内で大きく左にカーブして南西に向きを変える。この先でJR武蔵野南線の高架をくぐり、丘陵に開かれた谷筋を進んでいく。すると右手には丘陵の上に林立する集合住宅群が見えるが、これは「多摩ニュータウン長峰杜の一番街」という団地で、最初に目にする多摩ニュータウンの住宅となる。その後、右手に多摩ニュータウンのなかでも特に新しい密集したマンション群が見えると、西に向きを変えて神奈川県川崎市麻生区に入り、鶴川街道を跨ぐと2面4線の若葉台駅である。この先右手に若葉台工場や留置線が見える。上り勾配になり、左手から迫ってくる小田急多摩線と併走し、若葉台第1トンネル(延長455 m)[7]で東京都多摩市に入る。トンネルを抜けると、左手に多摩ニュータウンで最も古い「多摩ニュータウン諏訪団地」を見ながら再びトンネルに入る。この若葉台第2トンネル(延長395 m)[7]を抜けると、京王永山駅である。駅を出ると西南西に向きを変えて下り勾配となり、すぐに右手には京王が開発した「京王桜ケ丘住宅地」が見える。その後、上り勾配となって、2面4線の京王多摩センター駅となる。ここが多摩ニュータウンの中心駅である。

京王多摩センター - 橋本

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多摩都市モノレール線の高架をくぐり、小田急多摩線を左手に見送って、西北西に向きを変える。上り勾配になり京王多摩センター第1トンネル(延長515 m)[7]を抜けると東京都八王子市に入り、京王多摩センター第2トンネル(延長205 m)[7]を抜けると南西に向きを変えて京王堀之内駅となる。多摩ニュータウン通り沿いに発展した住宅街を右手に見ながら下り勾配、そして上り勾配となって南大沢駅となる。南大沢駅は東京都立大学最寄り駅。ここから掘割となり、京王電鉄の山岳トンネルとしては最長の南大沢トンネル(延長809 m)を抜けると東京都町田市に入り、多摩境駅へ。ここで多摩丘陵を抜け高架となり、境川を越えて神奈川県相模原市中央区を通り、その後すぐに相模原市緑区に入る。平坦な相模原市街地の中をそのまま高架で進み、右カーブしながら横浜線相模線を跨ぎ、東海旅客鉄道(JR東海)により建設中のリニア中央新幹線神奈川県駅を横に見ると橋本駅に到着する。

歴史

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砂利運搬とレジャー輸送

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相模原線は、京王電鉄の前身である京王電気軌道が1916年に開業させた調布駅 - 多摩川原駅(現・京王多摩川駅)間の多摩川支線(文献により多摩川原支線)に端を発する。当時、多摩川で採取された砂利を都心に運搬するための鉄道、いわゆる砂利鉄道が何本も敷設されており、多摩川支線もその一つとして開業した。1923年関東大震災により東京の木造・レンガ建築が大被害を受け、その復興でコンクリート建築が急速に普及すると、原料である砂利は莫大な復興需要によりその産出量を急増させた。盗掘を含む余りの採掘は多摩川自体の環境悪化を招き、1934年に始まった採掘規制は第二次世界大戦後の戦災復興期による緩和を挟んだ後、1964年には同線周辺での砂利採取が全面禁止された[注釈 1]

また、1927年に京王は多摩川原駅前に京王閣を開業し、当時では珍しい施設を備えた東京近郊屈指の遊園地として繁栄した。1933年から1936年までは多摩川河川敷で花火大会も始められた。戦時色が強くなると徐々に京王閣の客足は減り、食糧増産のために芋畑などにも利用されていた同施設は戦後の1947年、当時は京王も合併していた東京急行電鉄(大東急)により売却されたが、その敷地の一部には1949年京王閣競輪場が開設された。1954年には「全国輸出振興煙火競技大会」(調布市花火大会の前身)として河川敷での花火大会が復活し[8]、京王も1955年京王遊園を設置して遊園地事業を再開し[9]1956年植物園である「京王菖蒲園」、1961年にはこれを改称した「京王百花苑」[10]も開設して、多摩川支線は1駅間の短距離ながらも多様なレジャー輸送で重要な役割を果たしていた。

多摩ニュータウンへの延伸

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1958年相模原市首都圏整備法で「開発区域」の指定を受けたことで、同市とその周辺は急速に工業地域、新興住宅地に変貌していった。そのなかで、当時の稲城町[注釈 2]、多摩村[注釈 3]、町田市[注釈 4]、八王子市[注釈 5]、相模原市、城山町[注釈 6]津久井町[注釈 7]は、「京王帝都新路線建設促進実行委員会」を結成し、現在の相模原線の原型になるようなルートでの新線の建設を京王に強く働きかけた[11]。一方で京王でも、当時多摩町で開発を進めていた「京王桜ケ丘住宅地」をさらに南側に拡大する形で、新たな住宅地開発をするとともに、そこに新線を敷設する構想があった[12]。「第二桜ケ丘団地」と呼称されるこの住宅地開発の構想は、現在の多摩ニュータウン区域内にあたり、後述の理由により実現はしなかったものの、現在の多摩センター駅付近の「多摩ニュータウン多摩土地区画整理事業」が施行された場所で買収が進んでいたとされる[13]

1963年に京王は、多摩川支線を延長する免許を申請した。それは京王多摩川駅から多摩川を渡り、概ね現在の多摩ニュータウン区域を東西に横断して、橋本駅横浜線と交差したのちにさらに西進して相模川を渡り、津久井湖の南側にあった津久井町(当時)の中心地域、相模中野に至るルートだった[4](調布 - 橋本間は複線、橋本 - 相模中野間は単線を想定[4])。この年には「多摩町で大規模な住宅団地」という見出しで、その後多摩ニュータウン計画に組み込まれて第一次入居が行われることになる諏訪団地・永山団地の開発計画が報道されていた[14]。他社も京王の免許申請に呼応して同様のルートで、小田急電鉄喜多見駅から分岐[注釈 8]西武鉄道武蔵境駅から是政駅を結ぶ多摩川線の途中駅である北多磨駅(現在の白糸台駅)から分岐線を建設する形で免許申請を行った[15]。そして1965年、地方からの人口流入による東京の緊急的な住宅不足に対応するため、多摩ニュータウンが都市計画決定された。現在、多摩ニュータウンでは全面買収による新住宅市街地開発事業とともに、従来からの地権者が換地を受ける土地区画整理事業が行われているが、この時点では、全面的に新住宅市街地開発事業による開発だけが行われることになっていた。このため、前述した京王の新しい住宅地開発の構想はここで諦めざるを得ず、京王は高尾線の建設と「めじろ台住宅地」の開発を進めることになった[12][注釈 9]

京王と小田急が申請した免許は、現在の京王よみうりランド駅付近で両社の新線が入り混じるため、この区間の調整が問題になった。京王側が新線を北側に移すにも用地の問題があり、小田急側が南側に移すにも三沢川を避けねばならず、起伏が多くトンネルが増えるという問題があった。両社の調整が難航していたため、運輸省は両社が競合しない区間のみ免許を下し、京王は京王多摩川 - 京王稲田堤、小田急は喜多見 - 稲城本町について免許を受けることとなった。その後、小田急側が新百合ヶ丘駅を新設してそこから分岐する現在の形に計画を変更し、新たに百合ヶ丘 - 多摩の免許申請を行うと同時に、得た免許の営業廃止許可を申請することでこの問題は解決した。これにより小田急は新たに申請した免許を受け、京王も残りの区間について免許を受けた。西武については、多摩川線を延伸する計画が中央線に負担をかける[注釈 10]という理由で免許は下りなかった[15][16]

その後、多摩ニュータウン計画が具体化してきたことから、多摩ニュータウン側と京王、小田急とで協議が行われた。多摩市内の区間について、ニュータウン側は京王と小田急の両社に、どちらか一方がニュータウン区域の中央部を貫く(乞田川沿いの)谷戸部、もう一方が概ね区域の南縁を通る尾根幹線道路を通るように提案していたが、両社とも谷戸部を通るとして譲らなかった。このことからニュータウン側の担当者は、土地区画整理事業の減歩率を下げたいという思惑から、3本レールにしてレール幅の違う両社の車両が同じ線路を走ることを提案したが、小田急の担当者に「箱根鉄道[注釈 11]みたいにチンタラ走るわけにはいかない」と笑われたという[13][17]。こうして多摩市内では現在の京王線と小田急線の線路が並ぶ形に決まった。また当時京王は、中央線との高速運転競争を繰り広げていたことに加え、新宿から河口湖までの「超特急」の構想を描いていたことから、相模原線はニュータウン区域内についても高規格な、カーブは最小曲率半径1000メートル以上を確保できるようにニュータウン側に要求した[18]。同様に小田急側も在来区間よりも高規格な最小曲率半径800メートル以上を要求した[18]。協議では他にも、鉄道会社側とニュータウン側との費用負担についても話し合われたが、これがなかなかまとまらなかった。

費用負担についてまとまらないまま、1968年に京王の新線建設が始まった[注釈 12]1971年に京王多摩川駅 - 京王よみうりランド駅間が開業し、合わせて線名も多摩川支線から現在の「相模原線」となった。この区間は用地買収に地元が協力的であったこと、区間が短いこともあり、京王帝都の自己資金で順調に工事が進んだ[3]。開業後の輸送状況も好調であったことから、経営面でも負担にはならなかった[3]。1972年3月の都市交通審議会答申第15号では「東京10号線」として橋本から多摩ニュータウン中央や調布を経由して新宿へ、さらに市ケ谷神保町の東京都心部を東進して本八幡に到る、その後の京王相模原線・京王線・都営新宿線ルートの整備が定められ、さらに本八幡の先では千葉県内北西部を鎌ケ谷市北部から千葉ニュータウン印旛地区まで延伸され、東京の東西に整備される二つの巨大ニュータウンを結ぶこととなっていた[注釈 13]

しかし、京王よみうりランド駅から先の建設は進まなかった。当時の新聞に掲載されたところによると、多摩ニュータウンからのラッシュ時の輸送には、調布 - 新宿間を複々線化する必要があり、相模原線の建設費用410億円にあわせ複々線化の費用が数百億円も掛かるとされ、京王は採算が取れないとしていたためであった[19]。また、多摩ニュータウン内では開発者以外の不動産事業が制限され、住宅の販売益で建設費用を賄うこともできないともしていた[4]。小田急側も同じ言い分で多摩線の建設をストップしており、そんななかニュータウンの住民はバスで2km以上先の聖蹟桜ヶ丘駅に出るなどを余儀なくされていた[20]。京王は東京都に対し、(1)鉄道用地の無償提供 (2)高架、橋りょうなどの付帯工事費の補助 (3)在来線改良事業への補助 を要求したが、都は「民間企業である私鉄へ用地を無償提供する考えは無い」とした[19]。最終的には、日本鉄道建設公団が民鉄線を建設し、完成後に民鉄が25年で元利を償還する方策がとられた[3]。いわゆるP線方式(公団民鉄線方式)の始まりである。これにより両線の工事は再開され、まず小田急が1974年6月に小田急永山駅まで、用地買収とオイルショックで工事が難航した京王も半年後の同年10月に京王多摩センター駅まで開業し、小田急も翌1975年小田急多摩センター駅に到達した[注釈 14]

京王多摩センター駅までの開業後の混乱

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京王よみうりランド駅 - 京王多摩センター駅間が開業した1974年当時、京王は次の各駅の乗降人員数を以下のように予測していた。

しかし、実際に開業してみると、以下のような結果となった。

  • 稲城駅:980人
  • 若葉台駅:280人
  • 京王永山駅:7,165人
  • 京王多摩センター駅:1,394人

つまり、予測に対して5割増しとなった京王永山駅以外はほぼ半分という状況で、京王の社内ではこれが問題となり、多摩ニュータウン側に苦情を申し入れた。これには多摩ニュータウン開発の遅れが影響していて、当時入居が進んでいたのは、永山駅に近接した諏訪団地と永山団地だけといった状況であり、多摩ニュータウンの人口は3万人に過ぎなかった。

多摩ニュータウン開発の遅れの原因としては、まず、第一次入居の直後に多摩市が、多摩ニュータウン側との小学校や中学校等の公共施設の費用負担の問題から、多摩ニュータウンの住宅建設の許可を出さず、住宅建設が中止されていたということがあった。結局これは東京都が事実上、学校の土地・建物の費用を多摩市に対して無償で負担するということで解決し、第二次入居にこぎつけることになった[21]。しかし、この最中にオイルショックが起き、開発の遅れのもう一つの原因となっただけでなく、多摩ニュータウン計画そのものを変えてしまった。

1973年のオイルショックは日本経済を直撃し、高度成長期は終焉した。旺盛だった大都市への人口流入は沈静化し、それにより住宅需要も急速に冷え込んだ。第二次入居を始めた多摩ニュータウンでも、住宅不足を解決するための画一的な仕様・デザインの住宅は販売不振におちいり、入居がなかなか進まなかった。これをきっかけに多摩ニュータウンは、従来の「少しでも早く安く、計画的な良好な都市を大規模に提供する」という計画から、「時間をかけて理想的な都市を作る」という計画に転換し、多彩でデザイン性に優れた住宅が供給されていくことになった[22]

また、開業当時、京王永山駅および京王多摩センター駅では、当時の初乗り運賃である40円区間の乗車券の売れ行きが異常に多いと共に、その乗車券が回収されないという事態が発生した。これを不思議に思った電鉄側が車内検札を行ったところ、多くの利用客が新宿 - 聖蹟桜ヶ丘などの定期券を持っていた。相模原線が多摩ニュータウンへ乗り入れるまでは、多くの住民は聖蹟桜ヶ丘駅から京王線に乗っていたため、その定期券を悪用してキセルをしていたのであった。当時は自動改札機も導入されておらず、乗車券類は紙製のものであり、フェアスルーシステムもなかった。

相模原線の建設(新線の建設)は、経営に大きな問題を生じさせる結果にもなった[3]。これは、路線免許申請時の1963年(昭和38年)時点では十分に採算が採れると予想されていたものが、その後10年間の社会情勢の変化により、不採算路線に変化してしまったためである[3]。具体的には、前述のように多摩ニュータウンの入居人口が予想より少なかったこと、低廉な運賃水準では巨額の建設資金の回収ができなかったことに加えて、当初予想を大きく上回る建設費用・人件費などの上昇が原因である[3]。1963年(昭和38年)頃、多摩ニュータウンが計画された当時の相模原線全線(調布 - 相模中野間29.4 km・車両費を含む)の建設費用は約110億円と想定されていたが、度重なる物価の上昇により1971年(昭和46年)時点で、橋本までの建設費用で300億円を超えることが想定されていた[4]。実際、京王よみうりランド - 京王多摩センター間9.8 kmの建設費用は236億円(車両費を含まず)まで大きく膨れ上がってしまった[3](資料によっては建設費用を約278億円とするものもあり、このうち京王の負担額は166億円とされている[23])。このようなコスト増大が、その後、相模中野までの延長が断念された一因になっている。

多摩ニュータウン西部地区への延伸

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1980年代に入ると、多摩ニュータウンでは西部地区にも開発が進展し、多摩ニュータウンの人口は1980年に6万人だったものが、1987年には10万人に達した[24]1980年には新宿駅(京王新線内) - 岩本町駅が延伸開業した都営新宿線との間で東大島駅までの直通運転が開始され、新宿以東の東京都心部と直結された京王相模原線の利便性はさらに向上した。多摩センター駅周辺で開発が進むなか、西部地区でも開発が進んで1983年八王子市南大沢で入居が始まった。西部地区での鉄道開通前には、住民の足として南大沢から多摩センター駅までのバス路線が暫定的に運行された[25]

延伸にあたっては、現在の京王多摩センター駅京王堀之内駅の間にあるゴルフ場「府中カントリークラブ[26]の敷地内を通過するため、問題が生じていた。工事着工にあたりクラブ側に補償金5億円を提示したが拒否され、10億8,800万円まで引き上げるほか、地下に長さ500メートルのトンネルを建設し、13・14番ホールの中間で地表に出る設計を提示して交渉にあたった。しかしクラブ側は、(1)13・14番ホールは地表に出る部分を隠すために土盛りや芝生植え替えなど大幅なコース改造が必要 (2)工事期間中、ビジター料金収入が大きく減少する として補償金のさらなる引き上げを求めた。ルート変更も困難であったことから、京王と日本鉄道建設公団は強制収用の準備にかかったが、最終的にはトンネル出口部分を短縮し、コースレイアウトの変更を行う[注釈 15]ことでクラブ側とは同意に至り、補償金10億8,800万円で和解した[27]1986年10月1日に「多摩センター第一トンネル」として着工、翌1987年に完成した[26]

この問題の解決により延伸計画は前進し、1987年3月に橋本駅まで一気に開業する予定で計画が進められたが、今度は橋本駅付近で土地取得が難航した。橋本駅の終端部分と入口部分の地権者が買収を頑なに拒んでいたのである。一方で入居が進む多摩ニュータウン西部地区ではその足の確保が急務となっていたことから、1988年5月21日に京王多摩センター駅 - 南大沢駅間が開業した。これにより、南大沢から多摩センター駅への暫定的なバス路線の運行は終了した[28]

橋本駅までの開業

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橋本駅周辺の土地取得の問題は土地収用法の適用をもって解決し、1990年3月30日南大沢駅 - 橋本駅間が開業し、相模原線は全通した。1968年の工事着工から22年目のことだった。翌年には快速列車が橋本駅から都営新宿線本八幡駅までの直通運転を始め、神奈川県北部から千葉県北西部を結ぶ東西の大動脈となった。これにより都心への玄関口となった橋本駅の乗降人員は、1990年から1997年にかけて2倍に増えた[28]

橋本駅まで開通した翌年の1991年4月6日には、多摩境駅が開業した。多摩境駅は地元からの「請願駅」として設置され京王の負担を極力抑えている[29]。多摩境駅の周辺は「多摩ニュータウン相原・小山土地区画整理事業」が施行されているが、京王と小田急は施行区域内を先行買収しており、多くの土地を所有していた[30]。この地域では開発より前から土地を売りたいとする地権者が多く、多摩ニュータウン側から土地を買うように要請を受けてのことだった[31]

なお、多摩境駅の開業が全線開業より後になったのは理由があった。ニュータウン新線において建設費などに補助金が出るのはニュータウンの範囲内だけでなく、ニュータウンの範囲外でもニュータウン居住者が利用する場合において、ニュータウンの範囲の次の駅までが補助金の対象になる取り決めになっている。多摩境駅は多摩ニュータウン区域内にあるものの、当初は事業認可未了となっている区域であったため、この取り決めにおけるニュータウンの範囲として扱うのは難しかった。つまり、そのまま橋本駅と多摩境駅を同時に建設すると、多摩境駅がニュータウンの範囲の次の駅として扱われてしまうことから、橋本駅までの補助金が出ないことになってしまうのである。そのため、ニュータウンの範囲の次の駅を終点の橋本駅にして、橋本駅までの建設に補助金を当てようとしたためであった。

橋本より先の橋本 - 相模中野間については、用地の取得が難しいことや用地費、工事費の高騰などにより、京王単独での建設が非常に困難であるとして、1988年3月に京王は免許を返上した[28]。したがって、津久井湖までの延伸はかなわず、相模原線は多摩ニュータウン住民や相模原市民の足として定着することになった。多摩境駅の開業をもって、若葉台駅から多摩境駅にかけての多摩ニュータウン内の全駅開業となり、1991年の多摩境駅開業時に15万人だった多摩ニュータウンの人口は、13年後の2004年に20万人を突破した[24]

なお、相模原線の建設費用に充てるため、京王多摩川 - 橋本間には、基本運賃に加えて乗車キロに応じた10円 - 80円の加算運賃が設定されていたが、相模原線建設事業費の回収が進捗しているとして、2018年(平成30年)3月17日に加算運賃の改定が行われた。その際に、京王多摩川 - 京王多摩センター間は加算運賃が廃止されたほか、残りの京王多摩センター - 橋本間の加算運賃が引き下げられた[32][33][34]。その後、2019年(令和元年)10月1日には再度の改定により京王多摩センター - 多摩境間の加算運賃が廃止され[35][36]、残った京王稲田堤以遠 - 橋本間利用時の加算運賃についても、2023年(令和5年)10月1日の運賃改定に合わせ廃止となった[37]

年表

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  • 1916年大正5年)6月1日 - 調布駅 - 多摩川原駅(京王多摩川駅)間(1.0 km)開業。
  • 1924年(大正13年)4月1日 - 調布駅 - 多摩川原駅間複線化。
  • 1937年昭和12年)5月1日 - 多摩川原駅を京王多摩川駅に改称。
  • 1963年(昭和38年)8月4日 - 架線電圧を1,500 Vに昇圧。
  • 1964年(昭和39年)
    • 1月20日 - 調布 - 相模中野(津久井湖付近)間の地方鉄道敷設免許を申請[3]
    • 3月18日 - 運輸省(当時)の指導から、調布 - 京王多摩川間は工事方法変更の認可として、以降の区間は分割して京王多摩川 - 稲城中央(現・稲城駅)間の地方鉄道敷設免許を再申請、6月3日に免許を取得[3]
  • 1965年(昭和40年)1月19日 - 稲城中央 - 相模中野間の地方鉄道敷設免許を申請、翌1966年7月13日に免許を取得[3]
  • 1966年(昭和41年)10月12日 - 相模原線の建設工事に着手[38]
  • 1971年(昭和46年)4月1日 - 京王多摩川駅 - 京王よみうりランド駅間(2.7 km)開業。路線名を相模原線に改称。
  • 1972年(昭和47年)10月 - 日本鉄道建設公団により、 京王よみうりランド駅 - 京王多摩センター駅の建設工事に着手[3]
  • 1974年(昭和49年)10月18日 - 京王よみうりランド駅 - 京王多摩センター駅間(9.8 km)開業[39]
    • 複線開業の予定が、用地買収の難航により開業から数か月間は京王よみうりランド駅 - 稲城駅のうち約30 mは単線運転を行っていた[40]
    • 稲城駅 - 若葉台駅間の一部区間で地権者が用地買収に応じず、取得に大きく時間を要したこと、オイルショックもあり、予定より半年遅れの開業となった[3]
  • 1982年(昭和57年)12月28日 - 京王多摩センター駅 - 橋本間の建設工事に着手[41]
  • 1988年(昭和63年)5月21日 - 京王多摩センター駅 - 南大沢駅間(4.5 km)暫定開業。
  • 1990年平成2年)3月30日 - 南大沢駅 - 橋本駅間(4.4 km)開業(全線開通)。
  • 1991年(平成3年)4月6日 - 南大沢駅 - 橋本駅間に多摩境駅が開業。
  • 1997年(平成9年)12月24日 - 最高速度を105 km/hから110 km/hに引き上げ[42]
  • 2010年(平成22年)3月26日 - ATCの使用を開始[43]
  • 2012年(平成24年)8月19日 - 調布駅 - 京王多摩川駅間地下化。これにより、相模原線からすべての踏切がなくなった。
  • 2013年(平成25年)2月22日 - 駅ナンバリングを導入[44]
  • 2017年(平成29年)2月28日 - 若葉台駅 - 多摩境駅間のトンネル内で携帯電話の利用が可能となる[45]

運転

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都営地下鉄新宿線 - 京王線 - 相模原線(本八幡駅 - 橋本駅間)は、都市交通審議会答申第10号で「10号線」として位置付けられていることもあり、1980年3月から相互直通運転を実施している。当初、京王電鉄の車両が主に快速として都営新宿線岩本町駅 - 相模原線京王多摩センター駅間、都営地下鉄の車両が都営新宿線 - 京王線笹塚駅間で運行されていたが、順次その範囲は拡大され、現在は京王・都営地下鉄の車両とも全区間を運行している。今は相模原線だけでなく京王線方面でも都営新宿線への乗り入れ運転を実施している。

1992年5月には京王線新宿駅 - 橋本駅間の特急が設定された[46]が、相模原線内での停車駅が調布駅・京王多摩センター駅・橋本駅と少なく、調布駅での各駅停車への接続廃止後は相模原線の特急通過駅では使いにくい上、新宿駅 - 調布駅間では急行の後追い運転であり京王線系統の特急よりも所要時間がかかることもあって、2001年3月のダイヤ改定で一度廃止され、代わりに急行が設定された。急行は、特急の相模原線内の停車駅に京王稲田堤駅京王永山駅南大沢駅を追加し、都営新宿線の急行と結んで本八幡駅 - 橋本駅(一部を除く)間の運転とした。これにより京王稲田堤駅・京王永山駅・南大沢駅を通過する営業列車は消滅した。またこのダイヤ改正から急行・快速は、調布駅で京王線系統の特急・準特急と接続し、乗り換えた場合は明大前駅・新宿駅との所要時間が短縮された。2013年2月22日のダイヤ改定より特急が復活し[47]、相模原線内の停車駅が急行と同じになった。

2015年9月25日より京王線新宿駅 - 橋本駅間の準特急が設定された[48]

2018年2月22日より京王線新宿駅 - 橋本駅間の下り方向に、初の座席指定列車である京王ライナーが設定された[49]

かつては列車の車両数を調節するため、朝のラッシュ後と夕方のラッシュ前の時間帯を中心に若葉台駅で車両交換を行う列車があったが、2006年9月以降は若葉台駅を行き先として表示するようになったため、このような車両交換はなくなった(車両故障時などは除く)。車両交換の案内は、相模原線内での車内放送のほか電光行先案内板の備考(2005年3月25日時点では電光行先案内板のあった京王稲田堤駅・京王永山駅・京王多摩センター駅・南大沢駅・橋本駅のみ)に表示されていた。

2022年3月12日のダイヤ改正で準特急が特急に統合される形で廃止された[50]

運転の歴史

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  • 1980年(昭和55年)3月16日 - 都営新宿線新宿駅 - 岩本町駅間開業。岩本町駅 - 京王多摩センター駅間で相互直通運転開始(都営車は笹塚駅まで)。
  • 1987年(昭和62年)12月20日 - 京王車の乗り入れ区間を都営新宿線大島駅まで、都営車の乗り入れ区間を京王多摩センター駅まで延長(その後、都営車の乗り入れ区間は相模原線の延伸と共に延長)。
  • 1991年(平成3年)9月1日 - 京王車の乗り入れ区間を本八幡駅へ延長。
  • 1992年(平成4年)5月28日 - 京王線新宿駅 - 橋本駅間の特急運転開始[46]
  • 2001年(平成13年)3月27日 - 京王線新宿駅 - 橋本駅間の特急廃止、急行の運転開始。
  • 2005年(平成17年)3月25日 - 平日朝ラッシュ時の新宿方面急行系列車がほぼすべて10両編成に統一され、また平日夜間時間帯の急行が増発された(詳細は後述)。
  • 2006年(平成18年)9月1日 - 都営新宿線直通列車のほぼすべてが10両編成化され、相模原線内折り返し各駅停車もすべて8両編成化された(詳細は後述)。
  • 2010年(平成22年)3月19日 - 日中の快速・各駅停車がすべて10両編成化される。
  • 2013年(平成25年)2月22日 - ダイヤ改定により特急が復活し、通勤快速が区間急行に変更となる[47]
  • 2015年(平成27年)9月25日 - ダイヤ改正により準特急を新設[48]。日中の区間急行・快速の一部が8両編成化される。
  • 2018年(平成30年)2月22日 - ダイヤ改正により京王ライナーを新設[49]
  • 2022年(令和4年)3月12日 - ダイヤ改正で準特急を廃止[50]

列車種別

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京王ライナー

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京王線新宿駅 - 橋本駅間で運行される座席指定列車。2018年2月22日実施のダイヤ改正から下り方向のみで運転を開始し[49]、2019年2月22日実施のダイヤ改正からは上り列車京王線新宿行きの運行も開始された。途中停車駅は、京王永山駅・京王多摩センター駅・南大沢駅で、相模原線内の京王永山駅以西は特急・準特急・急行と同じ停車駅となるが、京王線新宿駅・明大前駅 - 京王永山駅間は全て通過する。車両については、全て京王5000系のみで運転されている。橋本発新宿行きは、平日朝5時 - 8時台に5本が、土休日朝7時台に1本がそれぞれ運転される。新宿発橋本行きは、平日は16時40分発から17時40分発・18時20分発から23時20分発まで、土曜・休日は16時20分発から23時00分発まで約1時間間隔の運転となる。

乗車には座席指定券410円が必要となるが、下り列車については京王永山駅以遠の停車駅から乗車する場合は座席指定券無しでそのまま乗車できる。

特急

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2013年2月22日のダイヤ改定から京王線新宿駅 - 橋本駅間で運転を復活した種別で[47]、相模原線特急としては実質2代目である。2001年の初代特急廃止後、神奈川県鉄道輸送力増強促進会議は相模原線の特急の復活を要求しており[51]、2013年に12年ぶりに復活することになったものである[47]

途中停車駅は、笹塚駅・明大前駅・千歳烏山駅・調布駅・京王稲田堤駅・京王永山駅・京王多摩センター駅・南大沢駅で、相模原線内は急行と同じ停車駅となる。京王電鉄の車両のみで運転されている。京王線新宿駅 - 橋本駅間の運転が基本だが、日中は京王多摩センター駅 - 橋本駅間では各駅停車(各停)として運転されている。また、平日朝には京王多摩センター発京王線新宿行も設定されている。2020年10月30日のダイヤ修正で平日は新宿発が朝2本(京王多摩センター行・橋本行の各1本)に削減され、夕方での設定も無くなった。

2019年2月22日ダイヤ改正より、京王多摩センター駅を境に種別を各停へ変更する列車が設定された。(対象列車は京王永山駅 - 橋本駅間で実質各駅停車となるが、種別変更は京王多摩センター駅で行う。)

2022年3月12日ダイヤ改正では準特急と統合され、京王線内の停車駅に笹塚・千歳烏山が追加されたほか、今まで準特急として運転されていた列車が特急に置き換わり、日中時間帯は全ての列車が京王多摩センター駅を境に種別を各停に変更するようになった。

急行

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2001年3月27日のダイヤ改正で初代特急廃止と引き換えに運行を開始した。以前の特急の停車駅に京王稲田堤駅・京王永山駅・南大沢駅を追加した形であるが、初代特急運転開始前の快速から京王多摩川駅と京王よみうりランド駅を除いたともいえる停車駅設定となった。

平日は朝と夕方のみの運転で、都営新宿線 - 橋本駅間と京王線新宿駅 - 橋本駅間の2区間で設定されている。その他にも都営新宿線 - 京王多摩センター駅間や、京王線新宿発京王多摩センター行も設定されている。2015年9月25日のダイヤ改正より、日中は代わりに準特急が運転されている。都営新宿線本八幡駅 - 京王相模原線橋本駅の全区間を急行として運転する列車は土休日のみの運行で、朝の下りに本八幡発急行橋本行、夕方の上りに橋本発急行本八幡行がそれぞれ1本設定されている。

2013年2月22日ダイヤ改定前は、かつて相模原線急行の多くが20分間隔で、京王線京王新線経由で都営新宿線本八幡駅(土曜・休日ダイヤの一部は大島駅)まで直通運行されていた。都営新宿線直通は、2006年9月のダイヤ改定後は朝の一部列車に都営車8両が使用される以外は10両編成での運行となった。また、平日の朝ラッシュ時および夕方には京王線内のみ急行で都営新宿線内は各駅停車として運行する列車があったほか、平日の夕方以降には調布駅 - 橋本駅間は急行、本八幡駅 - 調布駅間は快速として運転される列車もあった。朝と夕方から夜間には京王線新宿駅発着の急行も運行されていたが、朝のラッシュ時と平日夕方の京王線新宿 - 橋本駅間の列車は主に10両編成であった。京王閣競輪開催時には、京王多摩川駅に臨時停車していた。

かつては都営新宿線内各駅停車の急行の場合、上り列車の行先・種別表示は京王線内では「急行 新線新宿」(都営10-000形・10-300R形は「急行 新宿」)と表示、下り列車は都営新宿線内では「各停 橋本」(10-000形では種別表示はない)、駅の発車案内板には「普通 橋本」と表示された。かつて6000系では誤乗防止の観点から京王新線・都営新宿線方面行は、緑地の方向幕で表示されていた。そのため7000系の方向幕車では緑地で表示される(7721F-7725FではそれらがすべてLED式に更新されている)。

2018年2月22日ダイヤ改正より、京王多摩センター駅を境に種別を各停に変更する列車が設定された[49](対象列車は京王永山駅 - 橋本駅間で実質各駅停車となるが、種別変更は京王多摩センター駅で行う)。

区間急行

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2013年2月22日のダイヤ改定で、通勤快速から改称された。都営新宿線直通列車と京王線新宿駅発着列車があり、前者は平日の日中と土曜・休日のほぼ終日にわたり20分間隔で運転、後者は朝と深夜のみ運転される。上りは橋本発のほかに京王多摩センター発・深夜の桜上水行があり、下りは橋本行と京王多摩センター行がある。現在のダイヤでは、都営新宿線 - 京王多摩センター駅・橋本駅間の設定のほかに、京王線新宿駅 - 橋本駅間、京王線新宿発京王多摩センター行、橋本・若葉台発桜上水行も設定されている。京王線新宿発着の多くの列車と都営新宿線直通の全列車が10両編成で運行される。日中は調布駅で府中方面の特急と連絡し、京王多摩センター駅で各駅停車橋本行(京王多摩センターまで特急)に接続する。2020年2月22日のダイヤ改正で平日日中の準特急の一部が京王多摩センター駅 - 橋本駅間で各駅停車となったため、京王多摩センター駅で折り返す列車も設定されるようになった。2022年3月12日のダイヤ改正では平日・休日ともに準特急と統合した特急の日中に運転される全列車が京王多摩センター駅 - 橋本駅間で各駅停車となったため、それに合わせて区間急行も日中の全列車が京王多摩センターで折り返すように変更された。

2023年現在では、一部列車が都営新宿線内急行で運転されている。以前は、相模原線を含む京王線内では、京王車は『区急|新線新宿』→『新線新宿から急行本八幡行(もしくは急行大島行)』→『都営新宿線直通』といった形で切り替えて表示していた。都営車では切り替え表示機能が無いため、『区急(区間急行)|(新線)新宿』と固定表示された。いずれも新線新宿駅到着時に『急行|本八幡』と表示を変更する。 そのほかの列車は快速と同じく都営新宿線内は各駅停車で運転されている。この場合、例えば本八幡行では京王線内で『区急(快速)|本八幡』と表示し、新線新宿駅到着時には『各停|本八幡』に変更される。

快速

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京王多摩川 - 京王よみうりランド駅間開業前の多摩川支線時代より運行されていたが、相模原線内は各駅に停車していた。1974年10月18日の京王よみうりランド駅 - 京王多摩センター駅間の開業時から1992年5月28日の初代特急運転開始時までは相模原線内でも快速運転をしていた(設定当時の停車駅は調布駅・京王多摩川駅・京王稲田堤駅・京王よみうりランド駅・京王永山駅・京王多摩センター駅)。1988年5月21日の京王多摩センター駅 - 南大沢駅間開業時は、快速は京王多摩センター駅発着、通勤快速は南大沢駅発着で、1990年3月30日に運転区間が橋本駅まで延長された後、1991年4月6日から南大沢駅が停車駅に加わった。初代特急の運転開始後は、現行の相模原線内各駅停車に改められている。その後初代特急は2001年に廃止され、初代特急運転開始前の快速停車駅から京王多摩川駅と京王よみうりランド駅を除いた急行が運転開始されることとなった。

2013年2月21日までは、日中・深夜は京王線新宿駅発着で運行され、土休日の朝と夕方以降は都営新宿線に直通し、大島駅・本八幡駅発着で運転されていた。このほか、平日の夕方以降には相模原線内急行・京王線内快速という列車もあった。基本は橋本駅発着だが、一部に若葉台駅・京王多摩センター駅発着もあり、一部の若葉台駅発着を除いて、橋本駅発着の各停との接続が行われていた。また2012年8月19日の調布駅地下化によるダイヤ改定により、早朝時間帯に若葉台発快速つつじヶ丘行が登場した。調布駅での折り返しができなくなったことに伴い、この列車は折り返し設備のあるつつじヶ丘駅まで営業運転して、到着後はそのまま調布方面へ回送として折り返していた。また、終点のつつじヶ丘駅では後続の新宿行の快速・通勤快速に接続していた。

2013年2月22日のダイヤ改定では、調布駅で橋本駅発着の特急と接続する京王線新宿駅発着列車が中心となった。都営新宿線直通列車は大幅に本数が減らされ、平日は夕方に上り4本・深夜に下り1本、休日は朝に下り3本・夜に下り9本が設定されていた。基本的には本八幡駅 - 橋本駅間の運行であったが、平日上り1本のみ若葉台発本八幡行であった。夕方と深夜には新宿発京王多摩センター行、早朝と夜間以降には上りの桜上水行・つつじヶ丘行もあった。

2015年9月25日改正のダイヤでは、平日の日中と土休日のほぼ終日に20分間隔で本八幡駅 - 橋本駅間(一部は若葉台駅・京王多摩センター駅発着)の列車が設定されたが、土休日のみ京王線新宿駅 - 橋本駅間の列車も設定された。また、橋本発つつじヶ丘行も設定されていた。

現在では、日中は20分間隔で本八幡駅 - 橋本駅間の列車が設定されている。京王線新宿発着のほぼ全ての列車と都営新宿線直通の全列車が10両編成で運行される。日中は調布駅で府中方面の特急と連絡する。相模原線内は特急に抜かれることなく先着する。平日の夕方・深夜、土休日の深夜に橋本発つつじヶ丘行きも運行されている。

かつては、都営車8両による運転もあった。

※急行、区間急行、快速の京王線内の停車駅は、京王線の記事中の「駅一覧」を参照。

各駅停車

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2013年2月22日のダイヤ改定により、平日は朝夕のみ、土曜・休日は早朝と深夜のみ運転となった。それ以外の時間帯は、相模原線内各駅停車の区間急行・快速が運転され、各駅停車を補完している。2015年9月25日改正のダイヤでは平日夕方に新宿駅 - 橋本駅間の列車が主に設定されたが、その他にも若葉台駅・京王多摩センター駅発着も設定された。本八幡発若葉台・橋本行や橋本・若葉台発本八幡行きも設定されていた。

京王多摩センター発橋本行の各停はすべて調布方面から列車と接続している。

2013年2月21日以前は終日設定があり、朝ラッシュ時を中心に新宿方面へ直通する列車も設定された一方、日中以降は大部分が相模原線内の区間で折り返し運転を行なっていた。相模原線内のみの列車は、調布駅で上りは京王八王子方面からの、下りは京王八王子方面行の各駅停車と接続を取っていた。

また、2006年9月のダイヤ改定までは日中を中心に6両編成での運転があったが、この改定以降、日中は都営新宿線直通列車に10両編成の京王電鉄の車両が重用されたことによる距離調整のため、都営地下鉄の車両による8両編成での運転となり、6両編成での運転がなくなった。このため、主に相模原線内列車のみの運用に使われていた6000系5扉車の6721Fは運用を離脱した。2010年3月19日のダイヤ修正では日中の列車はすべて10両編成化され、都営地下鉄の車両を含む8両編成は夕方以降に見られるようになった。

相模原線内運転の列車は、調布駅付近の地下化以前は、調布駅にて本線上を利用して折り返しが行われていた。2012年8月19日の調布駅付近地下化以降はつつじヶ丘駅まで一度回送して、つつじヶ丘駅構内で折り返していた。

2018年2月22日ダイヤ改正より、一部の準特急及び急行は京王多摩センター駅で種別を各駅停車に変更する列車が設定された[49]

2019年2月22日ダイヤ改正より、一部の特急にも京王多摩センター駅で種別を各駅停車に変更する列車が設定された。

2022年3月12日ダイヤ改正より日中に運転される特急の全列車と一部の急行が京王多摩センター駅で種別を各駅停車に変更するようになった。

運行本数

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2022年3月12日改正時点のダイヤで日中1時間あたりの運行本数は、以下のようになっている。

日中の運行パターン
種別\駅名 京王線直通 調布 京王多摩センター 橋本
運行範囲 特急 ←京王線新宿 3本 3本
区間急行 ←本八幡 3本  
快速 ←本八幡 3本

廃止された種別

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特急(1992 - 2001)

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1992年5月28日[46] - 2001年3月26日の間に運転されていた。当時はほとんどの列車が京王線内では急行を追尾するダイヤとなっていたため、京王線新宿駅 - 調布駅間の所要時間は急行と大差なかったが、京王多摩センター駅で先行する快速を追い抜いて、(設定当初の下りのみ調布駅でも後続の各停に接続)通過する各駅へのフォローも行い、相模原線の主力種別であった。相模原線内では京王多摩センター駅以外の途中駅は、すべて通過となっていた。

1992年以前にも京王多摩川駅を最寄りとする京王閣競輪開催時には、レース終了後に京王多摩川発京王線新宿行の特急が運転されていた(車両は、1984年以前は京王よみうりランド駅折り返し、京王よみうりランド駅 - 京王多摩川駅間は回送運転、1984年以降は若葉台駅出庫で京王多摩川駅までは回送運転とされていた)。なお、1992年5月以降は競輪終了時に上り特急の一部列車を京王多摩川駅に臨時停車させることで、利用客への便宜を図っていた。この臨時停車は現在の特急にも引き継がれている。

通勤快速

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2013年2月22日ダイヤ改定まで運転されていた種別。平日朝ラッシュ時および深夜時間帯下りのみ運転となっていた。都営新宿線直通列車と京王線新宿駅発着列車がある。上りには橋本発のほかに京王多摩センター始発があり、下りは橋本行き、京王多摩センター行き、若葉台行きがあった。多くは10両編成だが、平日朝の都営新宿線直通には都営車8両編成も使用されていた。同ダイヤ改定で区間急行に改称されて消滅した。

準特急

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2015年9月25日ダイヤ改正で新設された[48]。途中停車駅は、笹塚駅・明大前駅・千歳烏山駅・調布駅・京王稲田堤駅・京王永山駅・京王多摩センター駅・南大沢駅で、現在の特急停車駅と同じである。京王線新宿駅 - 橋本駅間の運転が基本で、平日朝に京王線新宿発京王多摩センター行も設定されていた。

2018年2月22日ダイヤ改正より、京王多摩センター駅を境に種別を各停へ変更する列車が設定された[49](対象列車は京王永山駅 - 橋本駅間で実質各駅停車となるが、種別変更は京王多摩センター駅で行う)。

2022年3月12日のダイヤ改正で特急に統合される形で廃止された(実質的には特急が廃止され、準特急を特急に改名した)[50]

女性専用車

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平日朝7:30 - 9:30に京王線新宿駅または新線新宿駅に到着する上り特急・急行・区間急行(急行・区間急行のうち、都営新宿線に直通する電車も含む)の進行方向先頭(本八幡寄り)車両が女性専用車になる。実施区間は新宿線本八幡方向を含めた全区間で、この時間に運転される特急・急行・区間急行および都営新宿線直通はいずれも10両編成で運行されるが、運用の乱れによって8両編成が充当される場合は設定されない。

車両

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現用車両

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乗り入れ車両

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駅一覧

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  • 停車駅 … ●:停車、◇:イベント開催時等に一部が臨時停車。▽:イベント開催時等やダイヤ混乱時に一部が臨時停車。|:通過。各駅停車・快速・区間急行は各駅に停車するため省略。
  • #印:上下待避可能駅
駅番号 駅名 駅間キロ 累計キロ 急行 特急 京王ライナー 接続路線 所在地
調布から 新宿から
KO18 調布駅 - 0.0 15.5 京王電鉄KO 京王線(各駅停車・急行の一部を除く全列車が新宿方面直通) 東京都
調布市
KO35 京王多摩川駅 1.2 1.2 16.7
KO36 京王稲田堤駅 1.3 2.5 18.0 東日本旅客鉄道JN 南武線稲田堤駅:JN 16) 神奈川県
川崎市
多摩区
KO37 京王よみうりランド駅 1.4 3.9 19.4 東京都
稲城市
KO38 稲城駅
(駒沢女子大学 最寄駅)
1.6 5.5 21.0
KO39 若葉台駅# 3.3 8.8 24.3 車庫所在駅 神奈川県
川崎市
麻生区
KO40 京王永山駅 2.6 11.4 26.9 小田急電鉄OT 多摩線小田急永山駅:OT05) 東京都 多摩市
KO41 京王多摩センター駅#
サンリオピューロランド 最寄駅)
2.3 13.7 29.2 小田急電鉄:OT 多摩線(小田急多摩センター駅:OT06)
多摩都市モノレールTT 多摩都市モノレール線多摩センター駅:TT01)
KO42 京王堀之内駅 2.3 16.0 31.5 八王子市
KO43 南大沢駅
(東京都立大学 最寄駅)
2.2 18.2 33.7
KO44 多摩境駅 1.9 20.1 35.6 町田市
KO45 橋本駅 2.5 22.6 38.1 東日本旅客鉄道:JH 横浜線 (JH 28)・相模線 神奈川県
相模原市
緑区

◇・▽印の臨時停車の解説

新駅構想など

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坂浜新駅(仮称)構想

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稲城駅 - 若葉台駅間の中間地点付近に、沿線の稲城市坂浜・平尾地区の土地区画整備の一環として坂浜新駅(仮称)を設置する構想があるが採算性が見込めず実現には至っていない[52]

稲城市では、稲城駅に急行を停車させる政策を掲げ、京王電鉄に働きかけを行っている[53]

橋本駅移設構想

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橋本駅南口付近にリニア中央新幹線の新駅が設置されることを受けて、相模原市は橋本駅南口地区の約13.7haの土地区画整理事業を京王線橋本駅移設を前提に行うことを決定した。[54]2022年令和4年)に相模原市が発表した資料によると、JR橋本駅とリニア新駅の間に交通広場などを設けて、京王線橋本駅を現在の位置より南側に移設することが検討されている。

付記

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京王多摩川 - 橋本間は、開通が1970年代以降と比較的新しいため、カーブが従来線より少ない。調布駅周辺の地下化工事の完了後は全線に渡って踏切が存在しない。

以前は調布駅で相模原線と京王線は相模原線上り線と京王線下り線が平面交差していたため同駅がダイヤ設定上のボトルネックとなっていたが前述の通り国領 - 西調布・京王多摩川間の地下化工事が完了し、調布駅は地下2層構造のホームとなり、ボトルネックが解消された。

京王永山 - 京王多摩センター間は小田急多摩線と併走する。小田原線の線路容量が逼迫していた小田急は、多摩線直通列車をほとんど設定していなかったために、多摩ニュータウンから都心への旅客輸送は京王がメインルートとなっていた時代が長かったが、その後の小田原線の複々線化の進捗に応じて多摩線から都心へ直通する速達列車を充実させ、競争力を高めた。

上述の路線免許申請により、橋本駅は相模中野方面への延伸を前提とした構造になっていて、延伸先の路線用地も所々に確保されていた。だがその後、延伸予定区間の路線免許は失効し、路線用地の多くは地元不動産会社に放出され、宅地開発された。中規模程度までではあるがマンション等の建造物も建てられたことから、現在の線路をそのまま延ばす形での相模中野方面への延伸は難しいと見られており、神奈川県鉄道輸送力増強促進会議の要望書に対して、京王は上下分離方式での延伸に含みを残すものの「単独での建設はきわめて困難」と回答している。

脚注

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注釈

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  1. ^ 1965年には多摩川での砂利採取自体が全面的に禁止された。出典:稲城市ホームページ、「多摩川の砂利採掘」、2013年6月20日付。
  2. ^ 1957年4月1日に町制施行。1971年4月1日に単独で市制施行。1956年制定の首都圏整備法に基づく1958年策定の首都圏整備計画で稲城町域はグリーンベルト地域とされていたが、都市開発を求める稲城町は強く反発し、1965年の同法改正でグリーンベルト構想自体が撤回され、稲城町も多摩ニュータウン計画に参加した。
  3. ^ 1964年4月1日に町制施行、1971年11月1日に単独で市制施行。
  4. ^ 多摩ニュータウンの事業区域を確定する際、1973年12月1日に多摩市と町田市の間で境界変更が行われ、町田市は事業区域から外れることとなった(事業区域の南限が両市の新たな境界線)。一方、町田市はニュータウン事業区域の南西側で「相原・小山土地区画整理事業」を1988年1月14日に都市計画決定を行い、1991年に同地域内で多摩境駅が開設された。
  5. ^ 同市の南部、1964年8月1日に吸収合併した旧由木村の区域がニュータウン事業区域に含まれた。
  6. ^ 城山町は2007年3月11日に相模原市へ合併。2010年4月1日、相模原市の政令指定都市化に伴い同市の緑区区域となる。
  7. ^ 津久井町は2006年3月20日に相模原市へ合併。2010年4月1日、相模原市の政令指定都市化に伴い同市の緑区区域となる。
  8. ^ 1962年6月策定の都市交通審議会答申第6号では「東京8号線」として喜多見から小田急線の南側に別線を「原宿永田町日比谷、池ノ端及び日暮里の各方面を経て松戸方面に向かう路線」として整備する予定となっていたが、1964年3月の都市交通審議会答申第15号では「東京9号線」として改めて指定された。詳しくは「東京メトロ千代田線」を参照。
  9. ^ 京王高尾線(一部は休止中の京王御陵線を活用)および同線内のめじろ台駅は1967年10月1日開業。
  10. ^ 多摩川線は武蔵境駅で日本国有鉄道(現在のJR東日本中央本線中央線快速)と接続しており、多摩ニュータウンから新宿や東京都心部への通勤客が多摩川線を利用すると、1960年代には既に深刻だった中央線の混雑に拍車を掛けることが懸念された。
  11. ^ 当時の同線の名称は「箱根登山鉄道線」。2024年に事業会社名の変更に伴い「小田急箱根鉄道線」へ改称。
  12. ^ なお、この時の京王多摩川駅高架化工事を理由に「全国輸出振興煙火競技大会」が中止され、その後は周辺の宅地化を理由に中断が続いたが、1982年に「調布市花火大会」として復活した。出典:調布花火大会サイト(上記)。
  13. ^ このうち、本八幡駅から鎌ケ谷市北部の新鎌ヶ谷駅に相当する千葉県営鉄道北千葉線は採算の見込みが立たないという理由で未着工のまま事業計画が廃止され、新鎌ヶ谷駅から千葉ニュータウン中央駅を経由して印旛日本医大駅までは北総鉄道北総鉄道北総線として開業した上で、最終的には「東京1号線」と定められていた京成本線京成押上線都営地下鉄浅草線へと直通先が変更された。
  14. ^ この小田急ルートとなる「東京9号線」も上記の都市交通審議会答申第15号では「橋本-多摩ニュータウン中央」の整備が明記され、上記区間では10号(京王)と競合していた。小田急は橋本から西側の城山までの路線免許も取得していたが、その後にニュータウン南西部の唐木田地区へ路線延長と車庫整備を行うこととし、1987年に多摩センター-城山間の免許を失効させた。1990年に唐木田駅が開業して、さらに京王相模原線の南側になる相模原駅への延伸を図るようになった。
  15. ^ 現在は13番ホール(北側)と14番ホール(南側)の間をトンネルが通り、両ホールのフェアウェイやグリーンにはかからないようになっている。

出典

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  1. ^ a b c d 日本地下鉄協会『SUBWAY』レポート1「京王線調布駅付近連続立体交差(地下化)工事の概要」pp.10 - 14。
  2. ^ a b 寺田裕一『データブック日本の私鉄』 - ネコ・パブリッシング
  3. ^ a b c d e f g h i j k l m 運輸調査局『運輸と経済』1975年5月号「京王相模原線の建設と経営」pp.50 - 55。
  4. ^ a b c d e 交通協力会『交通技術』1971年4月号「京王相模原線の工事について」pp.38 - 41。
  5. ^ 日本地下鉄協会『SUBWAY』1990年5月号レポートV「相模原線全線開通 - 南大沢・橋本間4.4km開業により - 」pp.46 - 51。
  6. ^ a b c 京王電鉄『京王電鉄五十年史』p.228。
  7. ^ a b c d 京王電鉄『京王電鉄五十年史』p.235。トンネルの延長距離は複線延長に修正している。
  8. ^ 調布市花火実行委員会サイト、「歴史・ギャラリー」、2015年5月17日閲覧。
  9. ^ 1971年に閉園。
  10. ^ 1993年閉鎖。その後2002年京王フローラルガーデンANGEとして再開。
  11. ^ 『京王電鉄五十年史』京王電鉄、平成10年、97ページ。
  12. ^ a b 『たまヴァンサンかん街づくり講座 多摩ニュータウン「鉄道計画史研究」』 多摩市立図書館所蔵資料、平成12年発行、14-15ページの京王電鉄関係者の発言より。
  13. ^ a b 『多摩ニュータウンアーカイブプロジェクト -第1編- 草創期~中興期の夢と苦悩を知る』多摩ニュータウン学会、2010年、121ページ。
  14. ^ 酒井宗一郎『新編・多摩市の郷土史誌(古代〜平成8年)』 多摩市立図書館所蔵資料、平成15年発行、203ページ。
  15. ^ a b 草町義和 (2019年3月4日). “西武も乗り入れるはずだった東京の「多摩ニュータウン」 幻に終わった原因は”. 乗りものニュース. 2024年1月30日閲覧。
  16. ^ 『小田急五十年史』小田急電鉄、昭和55年、489ページ。
  17. ^ 『たまヴァンサンかん街づくり講座 多摩ニュータウン「鉄道計画史研究」』 多摩市立図書館所蔵資料、平成12年発行、ヒアリング記録27ページ。
  18. ^ a b 『多摩ニュータウンアーカイブプロジェクト -第1編- 草創期~中興期の夢と苦悩を知る』多摩ニュータウン学会、2010年、125ページ。
  19. ^ a b 読売新聞(昭和46年5月21日)
  20. ^ 『多摩ニュータウンアーカイブプロジェクト -第1編- 草創期~中興期の夢と苦悩を知る』多摩ニュータウン学会、2010年、169ページ。
  21. ^ 『多摩ニュータウンアーカイブプロジェクト -第1編- 草創期~中興期の夢と苦悩を知る』多摩ニュータウン学会、2010年、187ページ。なお、東京都が小中学校の新設費用を無償で負担することになったことで、多摩市内には多くの小中学校が設置された。これらは現在「少子化」ということで廃校が進められ、借地にしたり売却することで新たな土地利用が進んでいるが、ある意味でこの時に多摩市は将来の膨大な資産を無償で手に入れたとも言われている。
  22. ^ 北條晃敬『多摩ニュータウン開発の全貌』多摩ニュータウン歴史研究会、2012年、116,175ページ。
  23. ^ 京王帝都電鉄『京王帝都電鐵三十年史』p.152。
  24. ^ a b 「多摩ニュータウンの人口・世帯数の推移」『多摩ニュータウン開発事業史-通史編-』UR都市機構、平成18年、270ページ。
  25. ^ 『京王電鉄五十年史』京王電鉄、平成10年、98 - 99ページ。
  26. ^ a b 府中カントリークラブ公式ページ[1]、「府中CCの歴史」。同クラブは1958年計画決定、1959年開業で、その後に周囲が多摩ニュータウン計画地域に指定されていた。
  27. ^ 倉持順一「多摩ニュータウン建設にともなう京王相模原線敷設問題」『多摩ニュータウン研究 No.9 2007』多摩ニュータウン学会、2007年、57-64ページ。
  28. ^ a b c 『京王電鉄五十年史』京王電鉄、平成10年、142ページ。
  29. ^ 『多摩ニュータウン相原・小山土地区画整理事業誌』東京都、平成17年、19ページ。
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  35. ^ 2019年10月予定 相模原線に設定している加算運賃の引下げを実施します (PDF) - 京王電鉄プレスリリース(2019年3月12日)
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  51. ^ 神奈川県鉄道輸送力増強促進会議 平成23年度 京王電鉄株式会社への要望書 (PDF)
  52. ^ 市政への提案の回答 平成24年4月 3. まちづくり・住環境に関すること
  53. ^ テキスト版広報いなぎ・平成19年5月15日号1面
  54. ^ 橋本駅周辺整備推進事業における都市計画の決定及び変更 相模原市 2022年9月1日

参考文献

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  • 交通協力会『交通技術』1971年4月号「京王相模原線の工事について」(大沢 清志・京王帝都電鉄株式会社・建設部課長)
  • 運輸調査局『運輸と経済』1975年5月号「京王相模原線の建設と経営」(永井 信弘・京王帝都電鉄(株)鉄道事業本部 計画担当課長)
  • 日本地下鉄協会『SUBWAY』

関連項目

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