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「ガーター勲章」の版間の差分

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{{Infobox order
[[ファイル:GarterInsigniaBurkes.JPG|right|thumb|200px|ガーター勲章の星章、頚飾およびガーター。]]
|title = 最も高貴なガーター勲章
'''ガーター勲章'''(ガーターくんしょう、'''The Order of the Garter''')は、[[1348年]]に[[エドワード3世 (イングランド王)|エドワード3世]]によって創始された[[イングランド]]の最高勲章。正式タイトルは'''''”The Most Noble Order of the Garter”'''''。[[グレートブリテン及び北アイルランド連合王国]]の[[栄典]]においても騎士団勲章(order)の最高位であるが、全ての勲章・記章の中では[[ヴィクトリア十字章]]と[[ジョージ・クロス]]が上位に位置付けられている。
|image = [[File:Arms of the Most Noble Order of the Garter.svg|250px]]
|caption =
|awarded_by = [[イギリス|連合王国]]君主
|type = 騎士団勲章
|established = {{Start date and age|1348}}
|motto = Honi soit qui mal y pense<br/>悪意を抱く者に災いあれ
|eligibility =
|criteria =
|status =
|founder = [[エドワード3世 (イングランド王)|エドワード3世]]
|head_title = 主権者
|head = [[チャールズ3世 (イギリス王)|チャールズ3世]]
|head2_title = 騎士団長
|head2 = 第5代[[アバコーン公爵]][[ジェイムズ・ハミルトン (第5代アバコーン公爵)|ジェイムズ・ハミルトン]]
|grades = 王族の騎士団員<br/>臣民の騎士団員<br/>外国人の騎士団員
|former_grades =
|first_induction = 1348年
|last_induction = 2024年6月25日
|total = {{show
|
|{{Plainlist|
* [[エドワード3世 (イングランド王)|エドワード3世]]: 62
* [[リチャード2世 (イングランド王)|リチャード2世]]: 29
* [[ヘンリー4世 (イングランド王)|ヘンリー4世]]: 27
* [[ヘンリー5世 (イングランド王)|ヘンリー5世]]: 21
* [[ヘンリー6世 (イングランド王)|ヘンリー6世]]: 44
* [[エドワード4世_(イングランド王)|エドワード4世]]: 36
* [[リチャード3世_(イングランド王)|リチャード3世]]: 8
* [[ヘンリー7世 (イングランド王)|ヘンリー7世]]: 37
* [[ヘンリー8世 (イングランド王)|ヘンリー8世]]: 53
* [[エドワード6世 (イングランド王)|エドワード6世]]: 13
* [[メアリー1世 (イングランド女王)|メアリー1世]]: 9
* [[エリザベス1世]]: 54
* [[ジェームズ1世 (イングランド王)|ジェームズ1世]]: 29
* [[チャールズ1世 (イングランド王)|チャールズ1世]]: 21
* [[チャールズ2世 (イングランド王)|チャールズ2世]]: 47
* [[ジェームズ2世 (イングランド王)|ジェームズ2世]]: 7
* [[メアリー2世 (イングランド女王)|メアリー2世]]および[[ウィリアム3世 (イングランド王)|ウィリアム3世]]: 14
* [[アン (イギリス女王)|アン]]: 14
* [[ジョージ1世 (イギリス王)|ジョージ1世]]: 21
* [[ジョージ2世 (イギリス王)|ジョージ2世]]: 32
* [[ジョージ3世 (イギリス王)|ジョージ3世]]: 75
* [[ジョージ4世 (イギリス王)|ジョージ4世]]: 14
* [[ウィリアム4世 (イギリス王)|ウィリアム4世]]: 14
* [[ヴィクトリア (イギリス女王)|ヴィクトリア]]: 132
* [[エドワード7世 (イギリス王)|エドワード7世]]: 27
* [[ジョージ5世 (イギリス王)|ジョージ5世]]: 45
* [[ジョージ6世 (イギリス王)|ジョージ6世]]: 31
* [[エリザベス2世]]: 109
* [[チャールズ3世 (イギリス王)|チャールズ3世]]:
}}
}}
計: 1,024
|higher = [[ジョージ・クロス]]
|lower = [[シッスル勲章]]
|image2 = [[File:Order of the Garter UK ribbon.png|90px]]
|caption2 =
}}
'''ガーター勲章'''(ガーターくんしょう、{{lang-en-short|Order of the Garter}})は、[[1348年]]に[[エドワード3世 (イングランド王)|エドワード3世]]によって創始された、[[イングランド]]の最高勲章。正式なタイトルは''“Most Noble Order of the Garter”''(最も高貴なガーター勲章)。[[イギリス|グレートブリテン及び北アイルランド連合王国]](イギリス)の[[栄典]]においても騎士団勲章(order)の最高位であるが、全ての勲章・記章の中では[[ヴィクトリア十字章]]と[[ジョージ・クロス]]が上位に位置付けられている。


騎士団勲章は本来、その騎士団の一員になるという意味を持っており、一般に勲章と呼ばれる記章はその団員章である。ガーター騎士団員の称号は男性が'''''”Knight of the Garter”'''''、女性が'''''”Lady of the Garter”'''''で、騎士のポスト・ノミナル・レターズはそれぞれ'''''”KG”'''''および'''''”LG”'''''と表記される。
騎士団勲章は本来、その騎士団の一員になるという意味を持っており、一般に勲章と呼ばれる記章はその団員章である。ガーター騎士団員の称号は男性が''“Knight of the Garter”''、女性が''“Lady of the Garter”''で、騎士の[[ポスト・ノミナル・レターズ]]はそれぞれ''“KG”''および''“LG”''と表記される。


モットーは'''''”Honi soit qui mal y pense”'''''(思い邪なる者に災いあれ)で、[[勲章]]にその文字が刻印されている。勲章の大綬の色がブルーであるため、'''ブルーリボン'''とも呼ばれている。
[[モットー]]は''“Honi soit qui mal y pense”''(悪意を抱く者に災いあれ)で、[[勲章]]にその文字が刻印されている。勲章の大綬の色がブルーであるため、'''ブルーリボン'''とも呼ばれている。
__TOC__{{-}}
== ガーター騎士団の誕生 ==
[[File:Edward III (18th century).jpg|right|thumb|200px|エドワード3世]]
[[ファイル:Albert Chevallier Tayler - Ceremony Of The Garter 1901.jpg|right|thumb|250px|靴下止め伝説]]
ガーター勲章の母体であるガーター騎士団の設立時期については[[1344年]]1月にエドワード3世が[[ウィンザー (イングランド)|ウィンザー]]で[[円卓]]を使用した饗宴を催した際に「[[アーサー王]]と[[円卓の騎士]]」の故事に基づいて[[フランス]]との[[百年戦争]]への団結を深めたという出来事を発端とする1344年説と、[[1348年]]8月にエドワード3世が、自身と長男の[[エドワード黒太子]]および24名の騎士によって騎士団を編成し、ウインザー城に召集した出来事を設立と見なす1348年説があるが、近年では1348年説が有力視されている。


== 構成 ==
ただし、この騎士団設立の経緯については長らく『貴婦人の靴下止め』伝説が広く知られていた。エドワード3世が舞踏会で貴婦人とダンスを踊っていたとき、貴婦人の靴下止め([[ガーター]])が外れて落ちた。これは、現代の感覚では下着を落とすことに等しいことであり、それを見た周りの紳士、淑女は忍び笑いをした。しかし、エドワード3世は何食わぬ顔でそれを拾い上げ「他人を悪く言う者に災いあれ」と言って自分の左足に付けたというものである。ちなみに、この靴下止めを落としたとされる貴婦人は、後にエドワード黒太子の妃となったソールズベリー伯夫人[[ジョアン・オブ・ケント]]であると言われている。
[[File:GarterInsigniaBurkes.JPG|right|thumb|200px|星章、頸飾およびガーター]]
[[ファイル:Hosenbandorden.jpg|right|thumb|250px|ガーター(右下)、頸飾(左)、星章(右上)、大綬章(右中:これにブルーの大綬が付く)。]]
一般にガーター勲章と呼ばれるものは、以下の物で構成されている<ref name="君塚(2004)19">[[#君塚(2004)|君塚(2004)]] p.19</ref>。


*[[ガーター]]
また、聖ジョージ(聖[[ゲオルギウス]])が竜から姫を助けたという伝説にちなみ、[[リチャード1世 (イングランド王)|リチャード獅子心王]]が[[十字軍]]の時に戦場でガーターを付け、部下にもつけさせた故事からきたとも言う。エドワード3世は聖ジョージを好み、イングランドの[[守護聖人]]とした人物なので、これらからガーター勲章を考案したとも考えられている。
*黄金の頸飾とその先端に付ける記章(The George)
*大綬章
*星章
また特別な物として、歴代の国王や王妃が晩餐会等で佩用する大綬章の正章として[[カメオ]]に[[ダイヤモンド]]を散りばめた物や、[[チャールズ3世 (イギリス王)|チャールズ3世]]やロイヤルファミリーが同じく晩餐会等で佩用する[[ルビー]]星章も存在する。ガーターにはブルーの生地に金の刺繍が施され、その中央部にエドワード3世が述べたとされる“'''Honi soit qui mal y pense'''”('''悪意を抱く者に災いあれ'''、[[中世フランス語]])の文字が記されている<ref name="君塚(2004)18-19">[[#君塚(2004)|君塚(2004)]] p.18-19</ref>。着用する場合は男性の団員は左ひざに、女性の団員は左腕につける<ref name="君塚(2004)20">[[#君塚(2004)|君塚(2004)]] p.20</ref>。


黄金の頸飾には[[ランカスター朝|ランカスター家]]の赤バラと[[ヨーク朝|ヨーク家]]の白バラを合わせた[[テューダー・ローズ]]が[[テューダー朝]]成立後から使用されている<ref name="君塚(2004)19">[[#君塚(2004)|君塚(2004)]] p.19</ref>。また、頸飾の先端の記章は白馬に乗って竜を退治する聖ジョージの姿がかたどられている<ref name="君塚(2004)19"/>。
創立時のガーター騎士は[[エドワード黒太子]]、[[ランカスター公]][[ヘンリー・オブ・グロスモント]]ら24名であった。

正章でアレッサー・ジョージは左肩から右の腰に斜めがけする大綬の結び目の下につり下げられ、ガーターを模した楕円の記章の中に、頸飾の記章と同じく聖ジョージの姿が透かし彫りされている<ref name="君塚(2004)19">[[#君塚(2004)|君塚(2004)]] p.19</ref>。大綬章が17世紀に制定されたことでガーター勲章は現在の形態を確立した<ref name="君塚(2004)19">[[#君塚(2004)|君塚(2004)]] p.19</ref>。

また正装用に[[ビロード]]のマント(ガーター・ローブ)と羽飾り帽子、真紅のフードがあり、これらを着用したうえでガーター、頸飾、星章を佩用するのが騎士団の正装である。大綬章は正装時には付けないのが慣習である<ref name="君塚(2004)20">[[#君塚(2004)|君塚(2004)]] p.20</ref>。正装はガーター・セレモニーや戴冠式など限られた場面でのみ用いられている<ref name="君塚(2004)26">[[#君塚(2004)|君塚(2004)]] p.26</ref>。[[燕尾服]]のような通常の正装時は、大綬章と星章とガーターを付けるのが一般的だが、状況や個人によって異なる<ref name="君塚(2004)26"/>。

星章は他の勲章と同様に左肋に付けるが、大綬章は一般の勲章が右肩から左腰に掛けるのに対し、ガーター勲章は左肩から右腰に掛ける。[[チャールズ2世 (イングランド王)|チャールズ2世]]が大綬章を制定した直後にはガーター勲章も右肩から左腰に掛けていたが、当時9歳だったチャールズ2世の庶子、初代[[リッチモンド公]][[チャールズ・レノックス (初代リッチモンド公爵)|チャールズ・レノックス]]が誤って左肩から右腰に掛けて公式の場に現われたのをきっかけに、チャールズ2世がこれを正式な佩用方法に定めたという<ref name="森(1994)113">[[#森(1994)|森(1994)]] p.113</ref>。その後、この習慣は他国にも広がり、[[スコットランド]]の最高勲章である[[シッスル勲章]]や[[プロイセン王国|プロイセン]]の[[黒鷲勲章]]、[[日本]]の功一級[[金鵄勲章]]等その国の特別な勲章が他の勲章との差別化のために左肩から右腰に掛けられるようになった。

勲章一式は受章者が死亡すると王室へ返還するしきたりであるが、王室の許可を得れば星章や大綬章などは複製を自費で作成して所有することができ、遺族がそれを相続することも出来る<ref name="君塚(2004)26">[[#君塚(2004)|君塚(2004)]] p.26</ref>。従って、ガーター勲章の実物が市場に出回ることは有り得ない筈であるが、外国の君主等に対して授与された勲章の中には、革命やクーデターのような政変による混乱により流出し、回収できなかったものが存在するとも言われている<ref>[[#君塚(2004)|君塚(2004)]] p.286</ref>。1976年(昭和51年)、その真正品とされるものが[[日本]]の[[百貨店]]によって売り出されて問題になった<ref>[[朝日新聞]]1976年1月1日、[[#総理府(1976)|総理府(1976)]] p.99</ref>。英国王室からの抗議で販売は中止され、当該勲章の真贋を含め、そのような事態になった経緯について調査が行なわれた<ref name="総理府(1976)99">[[#総理府(1976)|総理府(1976)]] p.99</ref>。

{{Gallery
|ファイル:Field Marshal Sir Peter Inge KG, GCB.JPG|大綬と星章を付けたイング男爵[[ピーター・イング (イング男爵)|ピーター・イング]]元帥([[2007年]][[9月22日]]撮影)
|File:Melville - Queen Victoria.jpg|大綬をかけ、ガーターを左腕に佩用した[[イギリスの君主|英国女王]][[ヴィクトリア (イギリス女王)|ヴィクトリア女王]]の肖像画。
|File:Queen Elizabeth II 1959.jpg|大綬をかけ、星章を佩用した英国女王[[エリザベス2世]]
|File:KG Mantle.jpg|ガーター騎士団正装用のマントと羽飾り帽子
}}


<gallery>
File:Joan of Kent.jpg|ジョアン・オブ・ケント
</gallery>
{{-}}
== 騎士団の儀式 ==
== 騎士団の儀式 ==
=== ガーターセレモニー ===
=== ガーターセレモニー(叙任) ===
[[ファイル:Garter 2008 Queen Duke.JPG|right|thumb|250px|ガーター騎士団の正装女王[[エリザベス2世 (イギリス女王)|エリザベス2世]]。]]
[[ファイル:Garter 2008 Queen Duke.JPG|right|thumb|250px|[[2008年]][[6月16日]]、[[セント・ジョージ・チャペル (ウィンザー城)|セント・ジョージ・チャペル]]まで行進するガーター騎士団の正装姿の女王[[エリザベス2世]]。]]
[[1948年]]以来、6月にウィンザー城で行われるのがガーターセレモニー(''Garter Ceremony'')である。その年に新たに叙任される勲爵士がいる場合にはガーターの玉座の間叙任式が行われる。
[[1948年]]以来、6月にウィンザー城で行われる例会は、ガーターセレモニー(''Garter Ceremony'')、またガーター・サーヴィス(''Garter Service'')と呼ばれている。その年に新たに叙任される[[勲爵士]]あれば、[[ウィンザ城]]玉座の間」において叙任式が開かれる<ref>[[#君塚(2004)|君塚(2004)]] p.21-22</ref>{{Sfnp|スレイター|2019|p=158}}。儀式には紋章院総裁たる[[ノーフォーク公]]以下の紋章官たちも出席し、[[ガーター主席紋章官]](Garter Principal King of Arms)が中心となって行事は行われる<ref>[[#森(1985)|森(1985)]] p.69-70</ref>


新たに勲爵士となる者は二名の存の勲爵士から紹介を受けるのがしきたりである。例えば、1954年に[[アンソニー・イーデン]]外相(当時。翌年に首相)が叙されたときは[[ウィンストン・チャーチル]]首相(当時。1953年叙勲)と[[バーナード・モントゴメリー]][[子爵]](1946年叙勲)紹介役をつとめた。また、1992年に元首相の[[エドワード・ヒース]]が叙されたときは[[ピーター・キャリントン]][[男爵]](1985年叙勲。[[外務英連邦大臣|元外相]])と[[ジェームズ・キャラハン]]男爵(1987年叙勲)が紹介役をつとめた。
新たに勲爵士となる者は勲爵士となっている2名から紹介を受けるのが慣例となっている。例えば、[[1954年]]に[[アンソニー・イーデン]]外相(当時。翌年に首相)が叙された際には[[ウィンストン・チャーチル]]首相(当時。1953年叙勲)と初代[[アラメインのモントゴメリー子爵|モントゴメリー子爵]][[バーナード・モントゴメリー]](1946年叙勲が、[[1992年]]に元首相の[[エドワード・ヒース]]が叙された際に第6代[[キャリントン男爵]][[ピーター・キャリントン (第6代キャリントン男爵)|ピーター・キャリントン]](1985年叙勲。[[外務英連邦大臣|元外相]]キャラハン男爵[[ジェームズ・キャラハン]](1987年叙勲。元首相)それぞれ紹介役をつとめた<ref name="君塚(2004)22">[[#君塚(2004)|君塚(2004)]] p.22</ref>


叙任式では新勲爵士が君主の前に歩み出て、君主から小姓に渡されたガーターを小姓が勲爵士の左膝(女性の場合は左腕)に着け、次いで君主自ら大綬章を掛け左胸に星章を着ける。そして紹介者がガーターローブと呼ばれる[[ビロード]]の[[マント]]をかぶせ、最後に頸飾を掛け君主と握手をして正式にガーター勲爵士となる。
叙任式ではまず、ガーター主席紋章官と[[黒杖官|アッシャー]]が新勲爵士を連れて「玉座の間」に入る{{Sfnp|スレイター|2019|p=158}}。続いて、新勲爵士が2名の騎士に伴われて君主の前に導かれる{{Sfnp|スレイター|2019|p=158}}。新勲爵士は君主の前に歩み出て、君主から[[ペイジ|小姓]]に渡されたガーターを小姓が勲爵士の左膝(女性の場合は左腕)に着け、次いで君主自ら大綬章を掛け星章を左胸に着ける。そして紹介者がガーターローブをかぶせ、最後に頸飾を掛け君主と握手をして正式にガーター勲爵士となる<ref name="君塚(2004)22"/>


叙任式が終わると、正装姿の騎士団員たちが、新しく叙された者を先頭に[[セント・ジョージ・チャペル (ウィンザー城)|セント・ジョージ・チャペル]]まで行進する。隊列は、{{仮リンク|ウィンザー城長官|en|Constables_and_Governors_of_Windsor_Castle|label=ウィンザー城代}}を先頭に、「ウィンザー城代、{{仮リンク|ミリタリー・ナイト・オブ・ウィンザー|en|Military_Knights_of_Windsor}}、紋章官、騎士団員、王族、騎士団員役職者、国王とその配偶者、[[近衛兵 (イギリス) #ヨーマン・オブ・ザ・ガード|ヨーマン・オブ・ザ・ガード]]」の順で並ぶ{{Sfnp|スレイター|2019|p=159}}。この行進は公開であり、観光客も見物することができる<ref name="君塚(2004)23">[[#君塚(2004)|君塚(2004)]] p.23</ref>。
叙任式が終わると、ガーター・ローブに羽根飾り付きの帽子、深紅のフードをつけた騎士団の正装姿の団員が、新しく叙された者を先頭にセント・ジョージ・チャペルまで行進する。隊列は古株ほど後方となり、最後列になると王族、そして君主自身が殿となる。
{{-}}
=== バナーの掲揚 ===
[[File:Castell de Windsor - Capella de Sant Jordi.JPG|right|thumb|250px|ウィンザー城のセント・ジョージ・チャペルに掲げられたガーター勲爵士のバナー。右側にはヨーロッパの紋章とは様式を異にする天皇家の[[菊花紋章]]が見える。]]
城内のセント・ジョージ・チャペルにはガーター勲爵士の[[バナー (旗) |バナー]]が掲げられ、騎士の世界を象徴するように剣とクレスト(羽根飾り)<ref>勲爵士の家紋に関係する動植物をあしらうのが通例。</ref>を着けたヘルメット、プレートと呼ばれる勲爵士の家紋と名前が刻まれたものが飾られている。これらは勲爵士が死去すると翌年の[[ゲオルギオスの日|聖ジョージの日]](4月23日)に追悼式が行われ取り外される。
{{-}}
== 勲章の構成 ==
[[ファイル:Hosenbandorden.jpg|right|thumb|250px|ガーター(右下)、頸飾(左)、星章(右上)、大綬章(右中:これにブルーの大綬が付く)。]]
一般にガーター勲章と呼ばれるものは、以下の物で構成されている
*ガーター
*黄金の頸飾とその先端に付ける記章(The George)
*星章(通常版と宝石でふんだんに飾られた特別版がある)
*大綬章(The Lesser George)
{{-}}
[[ファイル:Field Marshal Sir Peter Inge KG, GCB.JPG|right|thumb|200px|大綬と星章を付けた[[ピーター・インゲ]][[男爵]]]]
ガーターにはブルーの生地に金の刺繍が施され、その中央部にエドワード3世が述べたとされる“'''Honi soit qui mal y pense'''”=「'''思い邪なる者に災いあれ'''」の文字が記されている。着用する場合は男性の団員は左ひざに、女性の団員は左腕につける。黄金の頸飾には[[ランカスター朝|ランカスター家]]の赤バラと[[ヨーク朝|ヨーク家]]の白バラを合わせたテューダー・ローズが[[テューダー朝]]成立後から使用されている。また、頸飾の先端に付く記章は白馬に乗って竜を退治する聖ジョージの姿がかたどられ、ブルーのサッシュをつける大綬章にも記章と同じ聖ジョージの姿がかたどられている。17世紀にこの形態は確立され、現在に至る。騎士団の正装時にはガーターと頸飾および星章を着用するが、大綬章は付けないという慣習がある。


=== バナー、ヘルメット、プレート ===
通常の正装時は大綬章と星章を付ける。星章は他の勲章と同様に左肋に付けるが、大綬章は一般の勲章が右肩から左腰に掛けるのに対し、ガーター勲章は左肩から右腰に掛ける。[[チャールズ2世 (イングランド王)|チャールズ2世]]の時代まではガーター勲章も右肩から左腰に掛けていたが、当時9歳だったチャールズ2世の庶子、初代リッチモンド公チャールズ・レノックス([[:en:Charles Lennox, 1st Duke of Richmond|Charles Lennox, 1st Duke of Richmond]])が誤って左肩から右腰に掛けて公式の場に現われたことから、このような装着法が定められた{{ref label |森|d|d}}。その後、この習慣は他国にも広がり、[[スコットランド]]の最高勲章であるシッスル勲章や[[プロイセン]]の[[黒鷲勲章]]、[[日本]]の功一級[[金鵄勲章]]等その国の特別な勲章が他の勲章との差別化のために左肩から右腰に掛けられるようになった。
[[File:Castell de Windsor - Capella de Sant Jordi.JPG|right|thumb|250px|ウィンザー城の聖ジョージ礼拝堂に掲げられたガーター勲爵士のバナー。右後方に、皇室の[[菊花紋章]]が見える。]]
城内の聖ジョージ礼拝堂にはガーター勲爵士の[[バナー (旗) |バナー]]が掲げられ、騎士の世界を象徴するように剣とクレスト(羽根飾り){{#tag:ref|勲爵士の紋章に関係する動植物をあしらうのが通例<ref name="君塚(2004)168">[[#君塚(2004)|君塚(2004)]] p.168</ref>。|group=注釈}}を着けたヘルメット、プレートと呼ばれる勲爵士の紋章と名前が刻まれたものが飾られている{{Sfnp|スレイター|2019|p=147}}{{Sfnp|スレイター|2019|p=147}}。これらは勲爵士が死去すると翌年の[[ゲオルギオスの日|聖ジョージの日]](4月23日)に追悼式が行われてプレート以外は取り外される<ref>[[#君塚(2004)|君塚(2004)]] p.166-168</ref>。


死亡以外でも反逆した臣下や敵国となった国の君主は勲爵士の地位を剥奪され、バナーが撤去される。反逆した臣下の剥奪例は古くから存在し、[[エリザベス朝]]期には第8代[[ノーサンバーランド伯爵]]{{仮リンク|ヘンリー・パーシー (第8代ノーサンバーランド伯爵)|label=ヘンリー・パーシー|en|Henry Percy, 8th Earl of Northumberland}}や第4代[[ノーフォーク公爵]][[トマス・ハワード (第4代ノーフォーク公)|トマス・ハワード]]などの騎士団員がその座を剥奪されている<ref>[[#君塚(2004)|君塚(2004)]] p.152-154, 161</ref>。
勲章一式は受章者が死亡すると王室へ返還するしきたりであるが、王室の許可を得れば星章や大綬章などは複製を自費で作成して所有することができ、遺族がそれを相続することも出来る。従って、ガーター勲章の実物が市場に出回ることは有り得ない筈であるが、外国の君主等に対して授与された勲章の中には、革命やクーデターのような政変による混乱により回収できなかったものが存在するとも言われている{{ref label |君塚|c|c}}。昭和51年、その真正品とされるものが[[日本]]の[[百貨店]]によって売り出されて問題になった<ref>朝日新聞1976年1月1日</ref>。英国王室からの抗議で販売は中止され、当該勲章の真贋を含め、その様な事態になった経緯について調査が行なわれた{{ref label |総理府|b|b}}。

20世紀に入り、敵国君主のバナー撤去が行われるようになった([[#外国人団員への剥奪と復帰|後述]])。
{{-}}
{{-}}
== 歴史 ==
=== ガーター騎士団の誕生 ===
[[ファイル:Albert Chevallier Tayler - Ceremony Of The Garter 1901.jpg|right|thumb|250px|[[ソールズベリー伯爵]]夫人[[ジョアン・オブ・ケント|ジョアン]]が落としたガーターを[[エドワード3世 (イングランド王)|エドワード3世]]が拾い上げたという逸話を描いた絵画<small>([[1901年]]、[[アルバート・シュヴァリエ・タイラー]]画)</small>]]
ガーター勲章の母体であるガーター騎士団の設立時期については[[1344年]]1月に[[エドワード3世 (イングランド王)|エドワード3世]]が[[ウィンザー (イングランド)|ウィンザー]]で[[円卓]]を使用した饗宴を催した際に「[[アーサー王]]と[[円卓の騎士]]」の故事に基づいて[[フランス]]との[[百年戦争]]への団結を深めたという出来事を発端とする1344年説と、[[1348年]]8月にエドワード3世が、自身と長男の[[エドワード黒太子]]および24名の騎士によって騎士団を編成し、ウインザー城に召集した出来事を設立と見なす1348年説があるが、近年では1348年説が歴史学者の間で有力視されているという{{Sfnp|スレイター|2019|p=146}}<ref name="君塚(2004)16">[[#君塚(2004)|君塚(2004)]] p.16-17</ref>。(24名の創立メンバーの騎士は[[:en:Order_of_the_Garter#List_of_Founder_Knights]]および[[:en:Bruges Garter Book]]を参照)

この騎士団設立の経緯については次の逸話が知られている。エドワード3世が舞踏会で[[ソールズベリー伯爵]]夫人[[ジョアン・オブ・ケント|ジョアン]](後のエドワード黒太子妃)とダンスを踊っていたとき、伯爵夫人の靴下止め([[ガーター]])が外れて落ちたが、これは当時恥ずかしい不作法とされていたので、周囲から嘲笑された。しかしエドワード3世はそれを拾い上げ「悪意を抱く者に災いあれ(Honi soit qui mal y pense)」と言って自分の左足に付けたというものである<ref name="君塚(2004)18">[[#君塚(2004)|君塚(2004)]] p.18</ref><ref name="小川(2009)92">[[#小川(2009)|小川(2009)]] p.92</ref>{{Sfnp|スレイター|2019|p=146}}。

しかしこの逸話は伝説に過ぎないともいわれ、エドワード3世がフランス王を名乗ることを「悪」と主張する者に対してエドワード3世が「災いあれ」といったのが始まりとする逸話もある<ref name="森(1994)112">[[#森(1994)|森(1994)]] p.112</ref>。また、聖ジョージ(聖[[ゲオルギウス]])が竜から姫を助けたという伝説にちなみ、[[リチャード1世 (イングランド王)|リチャード獅子心王]]が[[十字軍]]の時に戦場でガーターを付け、部下にもつけさせた故事からきたとする説もある。エドワード3世は聖ジョージを好み、イングランドの[[守護聖人]]とした人物なので、これらからガーター勲章を考案したとも考えられている。

[[金羊毛騎士団]]の創設は[[1429年]]であり、ガーター騎士団の創設はそれに81年先立っている。ヨーロッパの現存騎士団の中で最古の歴史を誇っている<ref name="森(1985)121">[[#森(1985)|森(1985)]] p.121</ref>。

{{Gallery
|lines=0
|File:Edward III of England (Order of the Garter).jpg|ガーター騎士団創設者[[イングランド君主一覧|イングランド王]][[エドワード3世 (イングランド王)|エドワード3世]]<small>({{仮リンク|ウィリアム・ブルージェス|en|William Bruges}}作)</small>。
|File:Joan of Kent.jpg|[[ソールズベリー伯爵]]夫人[[ジョアン・オブ・ケント|ジョアン]]。彼女がガーターを落として笑われたのをエドワード3世がかばったのが始まりという。
}}

=== 儀礼の定式化 ===
創立時よりガーター騎士は王と[[プリンス・オブ・ウェールズ|皇太子]]を含めて26名であり、最初のメンバーは国王エドワード3世以下の13名と[[エドワード黒太子]]以下の13名の2組に分けられていた<ref>[[#森(1985)|森(1985)]] p.121-122</ref>。その後、[[16世紀]]前期に[[ヘンリー8世 (イングランド王)|ヘンリー8世]]によってガーター騎士団の儀礼の定式化が進められ、騎士団員は国王と皇太子と24名の勲爵士に限定された。当初国王と皇太子以外の王族は24名の勲爵士と別枠ではなかったが、[[18世紀]]後半、[[ジョージ3世 (イギリス王)|ジョージ3世]]に王子がたくさんあったことから臣民への授与の圧迫を避けるために別枠となった。後述する外国君主への授与も別枠である<ref>[[#君塚(2004)|君塚(2004)]] p.27-28</ref>。

=== 外国人団員への剥奪と復帰 ===
敵国君主の剥奪は[[第一次世界大戦]]からはじまった慣習である。大戦で敵方となった[[ドイツ皇帝]][[ヴィルヘルム2世 (ドイツ皇帝)|ヴィルヘルム2世]]以下ドイツ諸侯や[[オーストリア皇帝]][[フランツ・ヨーゼフ1世 (オーストリア皇帝)|フランツ・ヨーゼフ1世]]について、戦争の長期化に伴う世論の反発を受けて、1915年5月、[[ジョージ5世 (イギリス王)|ジョージ5世]]の命によりバナーが撤去された<ref>[[#君塚(2014)|君塚(2014)]] p.168-186</ref>{{#tag:ref|世論の反発から剥奪に至る経緯については、[[称号剥奪法_(1917年)|1917年称号剥奪法]]を参照。|group=注釈}}。しかし、将来的な和解への期待から<ref>[[#君塚(2014)|君塚(2014)]] p.168-189</ref>、「プレートは歴史の記録である」と述べて、プレートの撤去は行われなかった<ref name="君塚(2004)23">[[#君塚(2004)|君塚(2004)]] p.23</ref>。同様に、[[第二次世界大戦]]でも敵国となった[[日本]]の[[昭和天皇]]と[[イタリア君主一覧|イタリア国王]][[ヴィットーリオ・エマヌエーレ3世]]のバナーが撤去され、プレートのみが残された。

これらのうち、ドイツ諸侯、オーストリア、イタリアの各国は、戦後、君主制が廃止されたため、二度と復帰することは無かったが、日本においては皇室が存続した状態で英国との国交が復活したため、昭和天皇の騎士団員としての資格が問題になった。昭和天皇がガーター勲章を佩用したのは[[1929年]](昭和4年)に授与された時のみで、戦後しばらくは具体的な問題は発生していなかった。初めて問題となったのは[[1961年]](昭和36年)11月、[[アレクサンドラ (レディ・オギルヴィ)|アレクサンドラ王女]]訪日の時だった。この時の会談に際して昭和天皇が剥奪されているガーター勲章を佩用できるのかが問題となった。イギリス王室に直接問い合わせたところ、ガーター勲章を佩用することに了解があったので昭和天皇はガーター勲章を佩用してアレクサンドラ王女と会談した。昭和天皇はガーター勲章を剥奪されたのに佩用できるという特殊な状態になり、これはガーター騎士団の長い歴史においても前例がないことだった。これが昭和天皇のガーター勲爵士の地位を復活させる議論が起きるきっかけとなった。その後も1962年(昭和37年)の[[雍仁親王妃勢津子|秩父宮妃]]訪英、1969年(昭和44年)の[[マーガレット (スノードン伯爵夫人)|マーガレット王女]]訪日などで日本皇室と英国王室の友好が深まる中、ついに昭和天皇の訪英に先立つ[[1971年]](昭和46年)[[4月7日]]に至ってイギリス王室は「剥奪された天皇の名誉を全て回復させる」という宣言を発した<ref>[[#君塚(2014)|君塚(2014)]] p.257</ref><ref>{{Cite journal|和書|title=天皇家をめぐる宮廷外交の一側面 ―金羊毛勲章とガーター勲章― |publisher=宮崎大学教育学部 |url=https://hdl.handle.net/10458/00010342 |journal=宮崎大学教育学部紀要 |volume=98 |page=56 |id={{CRID|1050855068413287808}} |hdl=10458/00010342 |author=中堀博司 |date=2022-03 |ISSN=2433-9709}}</ref>。これにより昭和天皇は正式にガーター騎士団員の地位を取り戻し、1971年[[5月22日]]からセント・ジョージ・チャペルに再び[[菊花紋章]]のバナーが掲揚されることになった<ref>[[#君塚(2014)|君塚(2014)]] p.256</ref>。一度剥奪されて名誉回復を果たした外国君主は騎士団600年余の歴史の中でも昭和天皇のみである<ref>[[#君塚(2014)|君塚(2014)]] p.262</ref>。

{{Gallery
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|File:Rudolf Wimmer - Wilhelm II, Emperor of Germany, 1891.jpg|1891年画、[[ヴィルヘルム2世 (ドイツ皇帝)|ヴィルヘルム2世]](大綬をかけ、星章を佩用)
|File:Franz Josef of Austria K.G. Colonel-in-Chief 1st King's Dragoon Guards 1896 - 1914.jpg|1896年画、[[フランツ・ヨーゼフ1世 (オーストリア皇帝)|フランツ・ヨーゼフ1世]](大綬をかけ、星章を佩用)
}}

=== 女性への授与 ===
当初、女性も女性団員(Lady Companion)として勲爵士になることができたが、ヘンリー8世による定式化により女性君主以外の女性にはガーター勲章は与えられないこととなった。再び君主以外の女性にガーター勲章が授与されるようになるのは[[20世紀]]初頭の[[エドワード7世 (イギリス王)|エドワード7世]]の時代になってのことである<ref name="君塚(2004)27">[[#君塚(2004)|君塚(2004)]] p.27</ref>。ただし、女性団員は24名の勲爵士とは別枠で、バナーは掲げられるが、ヘルメットと剣の代わりに王冠が飾られる<ref>[[#君塚(2014)|君塚(2014)]] p.219</ref>。また、プレートも飾られない<ref name="kimi2014-220">[[#君塚(2014)|君塚(2014)]] p.220</ref>。

第二次世界大戦中の1944年9月、[[ジョージ6世 (イギリス王)|ジョージ6世]]は英国亡命から帰国するオランダ女王[[ウィルヘルミナ (オランダ女王)|ウィルヘルミナ]]を正式なガーター騎士団員に叙し、史上初めて外国人女性君主にガーター勲章が授与された<ref>[[#君塚(2014)|君塚(2014)]] p.216</ref>。この際、女性団員の例にならい、バナーと王冠のみが飾られることとなった。以後、近代以降の女性君主も同様になっている<ref name="kimi2014-220"/>。

{{Gallery
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|File:Queen Mary by William Llewellyn.jpg|1911年頃画、[[メアリー・オブ・テック|メアリー王妃]]
|File:Queen Elizabeth the Queen Mother portrait.jpg|1986年撮影、[[エリザベス・ボーズ=ライアン|エリザベス王太后]]
|
}}

=== 役職者 ===
[[File:Officers of the Order of the Garter.JPG|thumb|セント・ジョージ・チャペルまで行進するガーター騎士団役職者たち。左からセクレタリー、[[黒杖官]]、ガーター主席紋章官、レジスター、プレラッテ、チャンセラー]]
ガーター騎士団には5つの役職ポストがある。プレラッテ(Prelate)、{{仮リンク|ガーター騎士団長|label=チャンセラー|en|Chancellor of the Order of the Garter}}(Chancellor)、レジスター(Register)、{{仮リンク|ガーター・プリンシパル・キング・オブ・アームズ|en|Garter Principal King of Arms|label=ガーター主席紋章官}}、[[黒杖官|アッシャー]](Usher)の5つである<ref name=":0">{{Cite web |title=The Most Noble Order of the Garter {{!}} English knighthood {{!}} Britannica |url=https://www.britannica.com/topic/The-Most-Noble-Order-of-the-Garter |website=www.britannica.com |access-date=2022-09-26 |language=en}}</ref>。
*プレラッテは、ガーター騎士団創設期の{{仮リンク|ウィンチェスター司教|en|Bishop of Winchester}}{{仮リンク|ウィリアム・エディントン|en|William Edington}}以来、歴代のウィンチェスター司教・主教が務めている<ref name=":0" />。
*チャンセラーは、ガーター騎士の一人が就任する。かつては[[ソールズベリー主教]]や{{仮リンク|オックスフォード主教|en|Bishop of Oxford}}が務めた。
*レジスターは、[[1558年]]以来、{{仮リンク|ウィンザー主席司祭|en|Dean of Windsor}}が務める<ref name=":0" />。叙任式の際、新しい騎士の名前を読み上げる役職者{{Sfnp|スレイター|2019|p=159}}。
*ガーター主席紋章官は、ガーター騎士の紋章を統括する[[紋章官]]。[[1415年]]に{{仮リンク|ウィリアム・ブルージュ|en|William_Bruges}}紋章官が就任したことに始まる{{Sfnp|スレイター|2019|p=38}}。現在は、[[紋章院]]の上席筆頭紋章官の[[充て職]]になっている。叙任式では、新騎士の左足にガーターをはめる役割を負う{{Sfnp|スレイター|2019|p=158}}。
*アッシャーは、[[貴族院 (イギリス)|貴族院]]の[[黒杖官]]が兼務する<ref name=":0" />。
'''現在の役職者'''

# (プレラッテ) - {{仮リンク|フィリップ・モンステファン|en|Philip_Mounstephen}}({{仮リンク|ウィンチェスター司教|en|Bishop of Winchester}})
# (チャンセラー)- [[イライザ・マニンガム=ブラー|マニンガム=ブラー女男爵イライザ・マニンガム=ブラー]]
# (レジスター) - {{仮リンク|クリストファー・コックスワース|en|Christopher_Cocksworth}}(ウィンザー主席主祭)
# ([[ガーター主席紋章官|主席紋章官]]) - {{仮リンク|デイヴィッド・ホワイト (紋章官)|en|David_White_(officer_of_arms)|label=デイヴィッド・ホワイト}}
# ([[黒杖官|アッシャー]]) - {{仮リンク|サラ・クラーク (黒杖官)|en|Sarah_Clarke_(Black_Rod)|label=サラ・クラーク}},{{Post-nominals|country=GBR|OBE}}(黒杖官)
# (セクレタリー)- [[ステファン・セグレイブ]]
<gallery widths="200" heights="120">
ファイル:Review into Christian persecution (48306616482) (Philip Mounstephen cropped).jpg|(プレラッテ){{仮リンク|フィリップ・モンステファン|en|Philip_Mounstephen}}
ファイル:Official portrait of Baroness Manningham-Butler.jpg|(チャンセラー)[[イライザ・マニンガム=ブラー|マニンガム=ブラー女男爵イライザ・マニンガム=ブラー]]
ファイル:Official portrait of The Lord Bishop of Coventry crop 2, 2019.jpg|(レジスター){{仮リンク|クリストファー・コックスワース|en|Christopher_Cocksworth}}
ファイル:David White 2024 (crop).jpg|([[ガーター主席紋章官|主席紋章官]])[[デイヴィッド・ホワイト (紋章官)|デイヴィッド・ホワイト]]
ファイル:Sarah Clarke 2022.jpg|([[黒杖官|アッシャー]]){{仮リンク|サラ・クラーク (黒杖官)|en|Sarah_Clarke_(Black_Rod)|label=サラ・クラーク}}
</gallery>


== 外国人への叙勲 ==
== 外国人への叙勲 ==
[[ファイル:MeijiEmperorReceivingOrderOfTheGarter1906.jpg|thumb|right|250px|ガーター勲章を[[アーサー (コノート公)|コノト公爵]]より伝達される[[明治天皇]](1906年)。この時[[アーサー (コノート公)|コノート公爵]]は誤ってピンで自分の指を傷付け出血したが、何事もなかったように式を続け、天皇も気付かない振りをした。天皇は式が終わった後、コノート公の落ち着きを称えた{{ref label |岩倉|a|a}}。]]
[[ファイル:Prince Arthur of Connaught Offering the Order of the Garter to the Emperor Meiji.jpg|thumb|right|300px|ガーター勲章を[[コノート=ストラサーン公爵|コノート公爵]][[アーサー (コノート公)|アーサー]]より伝達される[[明治天皇]](1906年)。この時コノート公は誤ってピンで自分の指を傷付け出血したが、何事もなかったように式を続け、天皇も気付かない振りをした。天皇は式が終わった後、コノート公の落ち着きを称えた<ref name="藤樫(1965)192">[[#藤樫(1965)|藤樫(1965)]] p.192</ref>。]]
[[2014年]][[6月]]現在の外国人保持者は、[[日本]]の[[明仁|今上天皇]]以外は[[ヨーロッパ]]の君主制国家の君主であり、[[デンマーク]]の[[マルグレーテ2世 (デンマーク女王)|マルグレーテ2世女王]]、[[スペイン]]の[[フアン・カルロス1世 (スペイン王)|フアン・カルロス1世前国王]]、[[オランダ]]の[[ベアトリクス (オランダ女王)|ベアトリクス前女王]]、[[ノルウェー]]の[[ハーラル5世 (ノルウェー王)|ハーラル5世国王]]、[[スウェーデン]]の[[カール16世グスタフ (スウェーデン王)|カール16世グスタフ国王]]、および[[ルクセンブルク]]の[[ジャン (ルクセンブルク大公)|ジャン前大公]]の計7名である。


[[2024年]][[6月]]現在の外国人保持者は、[[デンマーク]]の[[マルグレーテ2世 (デンマーク女王)|マルグレーテ2世]][[デンマーク君主一覧|前女王]]、[[スウェーデン]]の[[カール16世グスタフ (スウェーデン王)|カール16世グスタフ]][[スウェーデン君主一覧|国王]]、[[スペイン]]の[[フアン・カルロス1世 (スペイン王)|フアン・カルロス1世]][[スペイン君主一覧|前国王]]、[[オランダ]]の[[ベアトリクス (オランダ女王)|ベアトリクス]][[オランダ君主一覧|前女王]]、[[日本]]の[[明仁]][[上皇 (天皇退位特例法)|上皇]]、[[ノルウェー]]の[[ハーラル5世 (ノルウェー王)|ハーラル5世]][[ノルウェー君主一覧|国王]]、[[スペイン]]の[[フェリペ6世 (スペイン王)|フェリペ6世]]国王、[[オランダ]]の[[ウィレム=アレクサンダー (オランダ王)|ウィレム=アレクサンダー]]国王、[[日本]]の[[徳仁|今上天皇]]の9名であり、明仁上皇、今上天皇以外は[[ヨーロッパ]]の[[キリスト教|キリスト教徒]]の君主である{{#tag:ref|[[リヒテンシュタイン公]]と[[モナコ公]]はキリスト教徒のヨーロッパ君主であるが、君主としての格が低いとされており、ガーター勲章の受章対象者ではない<ref name="君塚(2008)280">[[#君塚(2008)|君塚(2008)]] p.280</ref>。[[ベルギー国王]]は受章対象者だが、[[1993年]]8月の元ベルギー国王[[ボードゥアン1世 (ベルギー王)|ボードゥアン1世]]の葬儀に際してエリザベス女王が葬列の最前列を要求したのに、ベルギー側は「最前列は亡き国王が最も親しかった王族専用にしたい」と断ったため、エリザベス女王としてはこれを「非礼」と受け取り、前ベルギー国王[[アルベール2世 (ベルギー王)|アルベール2世]](1934年-、在位1993年-2013年)に対してガーター勲章を贈らなかった<ref>[[#君塚(2008)|君塚(2008)]] p.277-280</ref>。現ベルギー王[[フィリップ (ベルギー王)|フィリップ]](1960年-、在位2013年-)も即位してから年数を経ておらず、未だ受章していないので、慣例的に授章されていた国のうちベルギーのみ勲爵士がない状態が続いている。|group=注釈}}。
ガーター勲章の外国人への叙勲は、原則としてキリスト教徒である[[ヨーロッパ]]の君主制国家の君主に限られており、ヨーロッパ以外の国の君主や非キリスト教徒の君主に対しては、その国がイギリスと特別な関係にあり、政策上特別な事情がある場合に限り例外的に贈られている。また、共和制国家の元首に対して贈られた例はない。


ガーター勲章の外国人への叙勲は、原則としてキリスト教徒である[[ヨーロッパ]]の君主制国家の君主に限られており、ヨーロッパ以外の国の君主や非キリスト教徒の君主に対しては、その国やその君主がイギリスや英国王室と深い友好関係にある場合に限り例外的に贈られている。また、共和制国家の元首に対して贈られた例はない。
かつては国王や女王と血縁関係にある外国貴族、或は皇太子や摂政にも授与されていたが、[[1952年]]に[[エリザベス2世]]が女王に即位して以降は君主という条件に関して例外はなく、ヨーロッパの君主制国家の君主でも在位期間が短いと授与されない。そして、これら資格を満たさないとされる外国君主および重要な共和制国家の元首には[[ロイヤル・ヴィクトリア頚飾]]が贈られ<ref>[[#君塚|君塚]] p 222, 261</ref>、外国皇太子には[[ロイヤル・ヴィクトリア勲章]]のナイト・グランド・クロス又はデーム・グランド・クロスが贈られる<ref>[[#君塚|君塚]] 259</ref>。更に、ロイヤル・ヴィクトリア頚飾の外国君主より格下とされる国の君主や共和制国家の元首には、[[バス勲章]]や[[聖マイケル・聖ジョージ勲章]]のナイト・グランドクロスがその格に応じて贈られる<ref>[[#君塚|君塚]] p 222, 253, 257</ref>。


かつては国王や女王と血縁関係にある外国貴族、或は皇太子、摂政などにも授与されていたが、[[1952年]]に[[エリザベス2世]]が女王に即位して以降は君主という条件に関して例外はなく、ヨーロッパの君主制国家の君主でも在位期間が短いと授与されない。そして、これら資格を満たさないとされる外国君主および重要な共和制国家の元首には[[ロイヤル・ヴィクトリア頸飾]]が贈られ<ref>[[#君塚(2004)|君塚(2004)]] p.222, 261</ref>、外国皇太子には[[ロイヤル・ヴィクトリア勲章]]のナイト・グランド・クロス又はデーム・グランド・クロスが贈られる<ref>[[#君塚(2004)|君塚(2004)]] p.259-260</ref>。更に、ロイヤル・ヴィクトリア頸飾の外国君主より格下とされる国の君主や共和制国家の元首には、[[バス勲章]]や[[聖マイケル・聖ジョージ勲章]]のナイト・グランドクロスがその格に応じて贈られる<ref>[[#君塚(2004)|君塚(2004)]] p.222, 253, 257</ref>{{#tag:ref|具体的には[[タイ国王]]、[[ヨルダン国王]]、[[アフガニスタン国王]](1973年廃位)、[[ネパール国王]](2008年廃位)、[[サウジアラビア国王]]には[[ロイヤル・ヴィクトリア頸飾]]が贈られ、旧[[植民地]]や[[英連邦]]加盟国の国王にはそれより格が下がる勲章が贈られている([[マレーシア国王]]には[[バス勲章]]ナイト・グランド・クロス、[[トンガの国王|トンガ国王]]には[[聖マイケル・聖ジョージ勲章]]ナイト・グランド・クロス)。またヨーロッパの君主の場合は、即位してから最初の訪英時にロイヤル・ヴィクトリア頸飾、二度目の訪英時にガーター勲章を授与されるのが慣習になっている<ref>[[#君塚(2004)|君塚(2004)]] p.222-223, 262-263</ref>。タイ国王[[ラーマ9世]]は自分にガーター勲章が贈られないことに不満を抱いていると言われ、エリザベス女王がガーター勲章を贈ってくるまでタイの最高勲章[[ラーチャミトラーポーン勲章]]をエリザベス女王に贈らないようにしているといわれる<ref>[[#君塚(2008)|君塚(2008)]] p.274-275</ref>。|group=注釈}}。
非キリスト教徒への叙勲は[[1856年]]の[[オスマン帝国]]皇帝[[アブデュルメジト1世]]が最初であり、[[アジア]]では[[1873年]]の[[ペルシャ]]皇帝[[ナーセロッディーン・シャー]]が最初である。


非キリスト教徒への叙勲は[[1856年]]に訪英した[[オスマン帝国]]皇帝[[アブデュルメジト1世]]が最初であり{{#tag:ref|オスマン皇帝[[アブデュルメジト1世]]は1856年の訪英に際してガーター勲章を授与されることを強く望んだため、外相第4代[[クラレンドン伯爵]][[ジョージ・ヴィリアーズ (第4代クラレンドン伯爵)|ジョージ・ヴィリアーズ]]の推挙により、[[ヴィクトリア (イギリス女王)|ヴィクトリア女王]]はロシアへの当てつけ的意味でアブデュルメジト1世にガーター勲章を贈った。この頃は[[クリミア戦争]]が終結したばかりの頃であり、イギリス・オスマン陣営とロシアの関係は険悪だったのである<ref>[[#君塚(2004)|君塚(2004)]] p.73-76</ref>。|group=注釈}}、[[アジア]]では[[1873年]]に訪英した[[ガージャール朝|ペルシャ]]皇帝[[ナーセロッディーン・シャー]]が最初である{{#tag:ref|当時[[ガージャール朝|ペルシャ]]はイギリスにとってインド防衛や対ロシア政策の観点から重要な国だった。ロシアはペルシャ皇帝[[ナーセロッディーン・シャー]]に最高勲章{{仮リンク|聖アンドレーイ勲章|ru|Орден Святого апостола Андрея Первозванного}}を贈っていたため、外相第2代[[グランヴィル伯爵]][[グランヴィル・ルーソン=ゴア (第2代グランヴィル伯爵)|グランヴィル・ルーソン=ゴア]]はイギリスとしても彼に最高勲章を贈る必要があると判断した。その結果1873年のシャーの訪英の際にヴィクトリア女王からガーター勲章が贈られることになった。シャーもこれには大変喜んだという<ref>[[#君塚(2004)|君塚(2004)]] p.84-88</ref>。|group=注釈}}。
[[日本]]に対しては、[[日英同盟]]の関係から[[1906年]]に[[明治天皇]]が[[東アジア]]の国の[[元首]]として初めて贈られ、以後の歴代天皇も授与されている。[[大正天皇]]は[[1912年]]、[[昭和天皇]]が[[1929年]]にそれぞれ叙勲されたが、[[第二次世界大戦]]中は敵国となったため昭和天皇の名前が騎士団の名簿から抹消され、バナーも撤去された。しかし、[[1971年]][[10月]]のイギリス訪問時に復帰し、[[明仁|今上天皇]]も[[1998年]]のイギリス訪問時に他国の王室に授けられる“Stranger Knights and Ladies”のガーター勲章に叙せられた。


[[日本]]に対しては、[[日英同盟]]の関係から[[1906年]](明治39年)に[[明治天皇]]が[[東アジア]]の国の[[元首]]として初めて贈られた。明治天皇にガーター勲章が贈られたのは外相第5代[[ランズダウン侯爵]][[ヘンリー・ペティ=フィッツモーリス (第5代ランズダウン侯爵)|ヘンリー・ペティ=フィッツモーリス]]の推挙による。日露戦争が日本優位に進む中の[[1905年]](明治38年)に日英同盟の更新を決意したランズダウン侯が[[アーサー・バルフォア|バルフォア]]首相の許可も得て、日本との関係を強化する一環として天皇へのガーター勲章授与を国王[[エドワード7世 (イギリス王)|エドワード7世]]に上奏した結果、実現した<ref>[[#君塚(2004)|君塚(2004)]] p.127-130</ref>。[[保守統一党|保守党]]政権は直後に失脚し、[[自由党 (イギリス)|自由党]]政権に代わったが、1906年の日本への初めてのガーター勲章使節団の7名には、[[コノート公]][[アーサー (コノート公)|アーサー・アルバート]]のほか、[[アルジャーノン・フリーマン=ミットフォード_(初代リーズデイル男爵)|アルジャーノン・ミットフォード]]も[[マイルズ・ランプソン_(初代キラーン男爵)|マイルズ・ランプソン]]も含まれていた<ref>[[アルジャーノン・ミットフォード]]『[https://archive.org/stream/gartermissiontoj00redeiala#page/n7/mode/2up The Garter Mission to Japan]』(ガーター使節団)、序文。[[マクミラン出版社]]、1906年。</ref>。
[[1902年]]に[[モザッファロッディーン・シャー]]に対して贈られて以降、[[日本]]の[[天皇]]以外で非キリスト教徒の外国君主が叙された例はなく、[[エチオピア]]皇帝[[ハイレ・セラシエ1世]]が退位により団員資格を喪失した[[1974年]]以降は、ヨーロッパ人以外でガーター騎士団に叙されているのも日本の天皇のみである。


明治天皇以後の歴代天皇も授与されている<ref>[[#君塚(2004)|君塚(2004)]] p.122-134</ref>。[[大正天皇]]は[[1912年]](大正元年)、[[昭和天皇]]が[[1929年]](昭和4年)にそれぞれ叙勲されたが、第二次世界大戦中は敵国となったため昭和天皇の名前が騎士団の名簿から抹消され、バナーも撤去された。しかし、先述の通り[[1971年]](昭和46年)[[10月]]の訪英時に復帰した。明仁上皇も天皇在位中の[[1998年]](平成10年)、イギリス訪問時に叙勲された<ref name="君塚(2004)238">[[#君塚(2004)|君塚(2004)]] p.238</ref>。[[徳仁|今上天皇]]も2024年(令和6年)6月、[[国賓]]として英国を訪問した際に叙勲された<ref>[https://www3.nhk.or.jp/news/html/20240625/k10014491931000.html 天皇皇后両陛下 歓迎の昼食会に「ガーター勲章」贈られる]</ref>。なお、歴代天皇も[[エドワード7世]]以降の歴代イギリス君主に対して、日本の最高勲章である[[大勲位菊花章頸飾]]を贈与している<ref>[[#君塚(2004)|君塚(2004)]]</ref>。
<gallery>

File:Emperor Taisho the Order of the Garter.jpg|騎士団の正装をした[[大正天皇]]([[1912年]]頃撮影)
[[1974年]][[8月27日]]にキリスト教徒の[[エチオピア]]前皇帝[[ハイレ・セラシエ1世]](同年3月に廃位されて幽閉中だった)が崩御した後には、欧州外の外国君主でガーター騎士団に叙されているのは日本の天皇のみである<ref>[[#君塚(2004)|君塚(2004)]] p.221-222/305-306</ref>。
</gallery>

{{-}}
{{Gallery
|lines=0
|File:Friedrich III in Garter Ceremonial Robes.jpg|騎士団の正装をしたプロイセン皇太子[[フリードリヒ3世 (ドイツ皇帝)|フリードリヒ]](1863年撮影、後[[ドイツ皇帝]]・[[プロイセン王]])
|File:Prince Ludwig of Hesse in Garter robes and insignia.png|騎士団の正装をした[[ヘッセン大公]][[ルートヴィヒ3世 (ヘッセン大公)|ルートヴィヒ3世]](1863年撮影)
|File:König Umberto I von Italien im Ornat des Hosenbandordens.png|騎士団の正装をした[[イタリア君主一覧|イタリア国王]][[ウンベルト1世]]を描いた肖像画(1873年[[ペドロ・アメリコ]]画)
|File:König Albert von Saschen in Ceremonial Robes of Order of The Garter.jpg|騎士団の正装をした[[ザクセン君主一覧|ザクセン国王]][[アルベルト (ザクセン王)|アルベルト]](1902年撮影)
|File:Manuel II.jpg|[[1911年]][[6月11日]]のガーターセレモニーでガーター騎士団員としてセント・ジョージ・チャペルまで行進するイギリス亡命中の元[[ポルトガル君主一覧|ポルトガル国王]][[マヌエル2世 (ポルトガル王)|マヌエル2世]]
|File:Emperor Taisho the Order of the Garter.jpg|騎士団の正装をした日本の[[大正天皇]]([[1912年]]頃撮影)
|File:H.I.M. Haile Sellassie I in Knight of the Garter regalia.jpg|騎士団の正装をした[[エチオピア皇帝]][[ハイレ・セラシエ1世]](1935年頃撮影)
}}

== 現在の騎士団員 ==
臣民の勲爵士は24人までに限定されている。王族や外国君主への授与はこれとは別枠になっている<ref name="小川(2009)92"/><ref>[[#君塚(2004)|君塚(2004)]] p.17/27-28</ref>。

政治家による乱用防止のため{{#tag:ref|首相[[デビッド・ロイド・ジョージ|ロイド・ジョージ]]が[[シッスル勲章]]を第4代[[ビュート侯爵]]{{仮リンク|ジョン・クライトン=ステュアート (第4代ビュート侯爵)|label=ジョン・クライトン=ステュアート|en|John Crichton-Stuart, 4th Marquess of Bute}}に贈ったことの教訓という<ref name="小川(2009)92"/>。|group=注釈}}、1946年以降ガーター勲章とシッスル勲章は、君主自らによって授与されるのが慣例となっている<ref name="小川(2009)92"/>。

=== 主権者(Sovereign) ===
{| class="wikitable" style="text-align:center; font-size:smaller"
! 肖像
! バナー
! 紋章
! 名前<br/><small>(生年)</small><br/><small>(在位)</small>
! 団員番号
|-
| [[File:Garter robe Prince of Wales.jpg|80px]]
| [[File:Garter Banner of the British Monarch.svg|80px]]
| [[File:Royal Coat of Arms of the United Kingdom.svg|80px]]
| [[イギリスの君主|国王]]<br/>[[チャールズ3世 (イギリス王)|チャールズ3世]]<br/><small>(1948年 - )</small><br/><small>(2022年即位 - )</small>
| 920
|}

=== 王族の騎士団員(Royal Knights and Ladies Companion) ===
{| class="wikitable" style="text-align:center; font-size:smaller"
! 肖像
! バナー
! 紋章
! 名前<br/><small>(生年)</small>
! 叙任日
! 団員番号
! 備考
|-
| [[File:Duke Cambridge2013,6.jpg|80px]]
| [[File:Garter Banner of the Prince of Wales.svg|80px]]
| [[File:Coat of arms of the Prince of Wales.svg|80px]]
| [[プリンス・オブ・ウェールズ]]<br/>ウィリアム<br/><small>(1982年 -)</small>
| [[2008年]][[4月23日]]<ref name="British Monarchy" />
| 1000
| 国王の長男([[皇太子|王太子]])
|-
| [[File:Duke of Kent2013,6.jpg|80px]]
| [[File:Garter Banner of the Duke of Kent.svg|80px]]
| [[File:Coat of Arms of Edward, Duke of Kent.svg|80px]]
| [[ケント公]]<br/>[[エドワード (ケント公)|エドワード]]<br/><small>([[1935年]] -)</small>
| [[1985年]][[10月9日]]<ref name="British Monarchy"/>
| 966
| 前女王[[エリザベス2世]]の[[従弟]]
|-
| [[File:Garter robe Princess Royal.jpg|80px]]
| [[File:Garter Banner of the Princess Royal.svg|80px]]
| [[File:Coat of Arms of Anne, the Princess Royal.svg|80px]]
| [[プリンセス・ロイヤル]]<br/>[[アン (イギリス王女)|アン]]<br/><small>([[1950年]] -)</small>
| [[1994年]][[4月23日]]<ref name="British Monarchy"/>
| L9
| 前女王の長女
|-
| [[File:The Duke of Gloucester in 2008 cropped2.jpg|80px]]
| [[File:Garter Banner of the Duke of Gloucester.svg|80px]]
| [[File:Coat of Arms of Richard, Duke of Gloucester.svg|80px]]
| [[グロスター公]]<br/>[[リチャード (グロスター公)|リチャード]]<br/><small>([[1944年]] -)</small>
| [[1997年]][[4月23日]]<ref name="British Monarchy"/>
| 984
| 前女王の従弟
|-
| [[File:Prinses Alexandra (1961).jpg|80px]]
| [[File:Garter Banner of Princess Alexandra of the United Kingdom.svg|80px]]
| [[File:Coat of Arms of Alexandra, The Honourable Lady Ogilvy.svg|80px]]
| オギルヴィ令夫人<br/>[[アレクサンドラ (レディ・オギルヴィ)|アレクサンドラ]]<br/><small>([[1936年]] -)</small>
| [[2003年]][[4月23日]]<ref name="British Monarchy"/>
| L10
| 前女王の従妹
|-
| [[File:Garter robe Duke of York.jpg|80px]]
| [[File:Garter Banner of the Duke of York.svg|80px]]
| [[File:Coat of Arms of Andrew, Duke of York.svg|80px]]
| [[ヨーク公]]<br/>[[アンドルー (ヨーク公)|アンドルー]]<br/><small>([[1960年]] -)</small>
| [[2006年]][[4月23日]]<ref name="British Monarchy"/>
| 997
| 前女王の次男
|-
| [[File:Gater robe Earl of Wessex.jpg|80px]]
| [[File:Garter Banner of the Earl of Wessex.svg|80px]]
| [[File:Coat of Arms of Edward, Earl of Wessex.svg|80px]]
| [[エディンバラ公]]<br/>[[エドワード (エディンバラ公爵)|エドワード]]<br/><small>([[1964年]] -)</small>
| [[2006年]][[4月23日]]<ref name="British Monarchy"/>
| 998
| 前女王の三男
|-
| [[File:Official opening of Senedd Cymru - Welsh Parliament, Wales; 7 June 2011 06.jpg|80px]]
| [[ファイル:Garter_Banner_of_Queen_Camilla.svg|80x80ピクセル]]
| [[File:Coat of arms of Queen Camilla.svg|80px]]
| 王妃<br />[[カミラ (イギリス王妃)|カミラ]]<br /><small>([[1947年]] -)</small>
| [[2022年]][[1月1日]]
| L11
| 国王チャールズ3世の王妃
|-
| [[ファイル:Birgitte,_Duchess_of_Gloucester.jpg|124x124ピクセル]]
| [[ファイル:Garter_Banner_of_Birgitte,_Duchess_of_Gloucester.svg|80x80ピクセル]]
| [[ファイル:Coat_of_Arms_of_Birgitte,_Duchess_of_Gloucester_(Order_of_the_Garter).svg|80x80ピクセル]]
| {{Fontsize|small|グロスター公爵夫人<br />[[バージット (グロスター公爵夫人)|バージット]]}}<br/><small>([[1946年]] -)</small>
| {{Fontsize|small|[[2024年]][[4月23日]]<ref>{{cite news|last=Milss|first=Rhiannon|title=King recognises Queen and Prince William in honours list and creates new role for Kate, Princess of Wales|url=https://news.sky.com/story/king-recognises-queen-and-prince-william-in-honours-list-and-creates-new-role-for-kate-princess-of-wales-13121607|archive-url=https://web.archive.org/web/20240423152048/https://news.sky.com/story/king-recognises-queen-and-prince-william-in-honours-list-and-creates-new-role-for-kate-princess-of-wales-13121607|access-date=23 April 2024|work=Sky News|date=23 April 2024|archive-date=23 April 2024|url-status=live}}</ref>}}
| L12
| グロスター公夫人
|}

=== 外国人の騎士団員(Stranger Knights and Ladies Companion) ===
{| class="wikitable" style="text-align:center; font-size:smaller"
! 肖像
! バナー
! 紋章
! 名前<br/><small>(生年)<br/>(在位)</small>
! 叙任日
! 団員番号
|-
| [[File:Drottning Margrethe av Danmark crop.jpg|80px]]
| [[File:Garter Banner of the Danish Monarch.svg|80px]]
| [[File:Coat of Arms of the Monarch of Denmark (Member of the Garter Variant).svg|80px]]
| {{flagicon|デンマーク}} [[デンマーク君主一覧|デンマーク前女王]]<br/>[[マルグレーテ2世 (デンマーク女王)|マルグレーテ2世]]<br/><small>([[1940年]] -)<br/>([[1972年]]即位 - [[2024年]]退位)</small>
| [[1979年]][[5月16日]]<ref name="British Monarchy"/>
| L7
|-
| [[File:Carl XVI Gustaf of Sweden Senate of Poland.JPG|80px]]
| [[File:Garter Banner of the Swedish Monarch.svg|80px]]
| [[File:Coat of arms of Swedish Monarch (Member of the Garter variant).svg|80px]]
| {{flagicon|スウェーデン}} [[スウェーデン国王]]<br/>[[カール16世グスタフ (スウェーデン王)|カール16世グスタフ]]<br/><small>([[1946年]] -)<br/>([[1973年]]即位 - 在位中)</small>
| [[1983年]][[5月25日]]<ref name="British Monarchy"/>
| 963
|-
| [[File:Juan Carlos I of Spain (2010) cropped.jpg|80px]]
| [[File:Garter Banner of King Juan Carlos of Spain.svg|80px]]
| [[File:Coat of Arms of Juan Carlos I of Spain (Member of the Garter Variant).svg|80px]]
| {{flagicon|スペイン}} [[スペイン君主一覧|スペイン前国王]]<br/>[[フアン・カルロス1世 (スペイン王)|フアン・カルロス1世]]<br/><small>([[1938年]] -)<br/>([[1975年]]即位 - [[2014年]]退位)</small>
| [[1988年]][[10月17日]]<ref name="British Monarchy"/>
| 970
|-
| [[File:Beatrix in April 2013.jpg|80px]]
| [[File:Garter Banner of Dutch Monarchs as Members.svg|80px]]
| [[File:Coat of Arms of Beatrix of the Netherlands (Dame of the Garter Variant).svg|80px]]
| {{flagicon|オランダ}} [[オランダ君主一覧|オランダ前女王]]<br/>[[ベアトリクス (オランダ女王)|ベアトリクス]]<br/><small>([[1938年]] -)<br/>([[1980年]]即位 - [[2013年]]退位)</small>
| [[1989年]][[6月28日]]<ref name="British Monarchy"/>
| L8
|-
| [[ファイル:Emperor Akihito cropped 2 Barack Obama Emperor Akihito and Empress Michiko 20140424 1.jpg|80px]]
| [[File:Garter Banner of Emperor Emeritus Akihito.svg|80px]]
| [[File:Coat of Arms of Japanese Emperor (Knight of the Garter Variant).svg|80px]]
| {{flagicon|日本}} [[天皇|日本]][[上皇 (天皇退位特例法)|上皇]]<br />[[明仁]]<br /><small>([[1933年]] -)<br />([[1989年]][[昭和天皇崩御|即位]] - [[2019年]][[明仁から徳仁への皇位継承|退位]])</small>
| [[1998年]][[5月26日]]<ref name="British Monarchy"/>
| 985
|-
| [[File:Harald V Norway-Agencia Brasil.jpg|80px]]
| [[File:Garter Banner of the Norwegian Monarch.svg|80px]]
| [[File:Coat of Arms of the Monarch of Norway (Member of Garter Variant).svg|80px]]
| {{flagicon|ノルウェー}} [[ノルウェー君主一覧|ノルウェー国王]]<br/>[[ハーラル5世 (ノルウェー王)|ハーラル5世]]<br/><small>([[1937年]] -)<br/>([[1991年]]即位 - 在位中)</small>
| [[2001年]][[5月30日]]<ref name="British Monarchy"/>
| 990
|-
| [[File:Felipe VI 2015 (cropped).jpg|80px]]
| [[File:Garter Banner of the Spanish Monarch.svg|80px]]
| [[File:Coat of Arms of Felipe VI of Spain (Member of the Garter Variant).svg|70px]]
| {{flagicon|スペイン}} [[スペイン君主一覧|スペイン国王]]<br/>[[フェリペ6世 (スペイン王)|フェリペ6世]]<br/><small>([[1968年]] -)<br/>([[2014年]]即位 - 在位中)</small>
| [[2017年]][[7月12日]]
| 1009
|-
| [[ファイル:Willem-Alexander (Royal Wedding in Stockholm, 2010) cropped.jpg|80px]]
| [[File:Garter Banner of Dutch Monarchs as Members.svg|80px]]
| [[File:Coat of Arms of the Monarch of the Netherlands as a Stranger Member of the Order of the Garter.svg|70px]]
| {{flagicon|オランダ}} [[オランダ|オランダ国王]]<br/>[[ウィレム=アレクサンダー (オランダ王)|ウィレム=アレクサンダー]]<br/><small>([[1967年]] -)<br/>([[2013年]]即位 - 在位中)</small>
| [[2018年]][[10月23日]]
| 1012
|-
| [[ファイル:Naruhito and Masako visit Bogor Palace 48 (cropped).jpg|80px]]
| [[File:Garter Banner of Emperor Emeritus Akihito.svg|80px]]
| [[File:Coat of Arms of Japanese Emperor (Knight of the Garter Variant).svg|80px]]
| {{flagicon|日本}} [[天皇|日本天皇]]<br />[[徳仁]]<br /><small>([[1960年]] -)<br />([[2019年]][[明仁から徳仁への皇位継承|即位]] - 在位中)</small>
| [[2024年]][[6月25日]]
| 1022
|-
|}

=== 臣民の騎士団員(Knights and Ladies Companion) ===
{| class="wikitable" style="text-align:center; font-size:smaller"
! 肖像
! バナー
! 紋章
! 名前<br/><small>(生年)</small>
! 叙任日
! 団員番号
! 備考
|-
| [[File:Garter robe 5th Duke of Abercorn.jpg|80px]]
| [[File:Garter Banner of the 5th Duke of Abercorn.svg|80px]]
| [[File:Arms of James Hamilton, 5th Duke of Abercorn.svg|80px]]
| 第5代[[アバコーン公爵]]<br/>[[ジェイムズ・ハミルトン (第5代アバコーン公爵)|ジェイムズ・ハミルトン]]<br/><small>([[1934年]] -)</small>
| [[1999年]][[4月23日]]<ref name="British Monarchy"/>
| 986
|[[庶民院 (イギリス)|庶民院]]議員<small>([[1964年]] - [[1970年]])</small><br/>[[貴族院 (イギリス)|貴族院]]議員([[世襲貴族]])<small>([[1979年]] - [[1999年]])</small><br/>{{仮リンク|王室家政長官|en|Lord Steward}}<small>([[2001年]] - [[2009年]])</small><br/>{{仮リンク|ガーター騎士団長|en|Chancellor of the Order of the Garter}}<small>([[2012年]] - )</small>
|-
| [[File:Gater robe Lord Butler.jpg|80px]]
| [[File:Garter Banner of the Baron Butler Brockwell.svg|80px]]
| [[File:Coat of Arms of Robin, Baron Butler Brockwell.svg|80px]]
| バトラー男爵<br/>{{仮リンク|ロビン・バトラー (ブロックウェルのバトラー男爵)|label=ロビン・バトラー|en|Robin Butler, Baron Butler of Brockwell}}<br/><small>([[1938年]] -)</small>
| [[2003年]][[4月23日]]<ref name="British Monarchy"/>
| 992
| {{仮リンク|首相第一個人秘書|en|Principal Private Secretary to the Prime Minister}}<small>([[1979年]] - [[1985年]])</small><br/>貴族院議員(一代貴族)<small>([[1998年]] -)</small>
|-
| [[File:John Major in Garter procession.jpg|80px]]
| [[File:Garter Banner of Sir John Major.svg|80px]]
| [[File:Coat of Arms of John Major.svg|80px]]
| [[ジョン・メージャー|サー・ジョン・メージャー]]<br/><small>([[1943年]] -)</small>
| [[2005年]][[4月23日]]<ref name="British Monarchy"/>
| 994
| [[イギリスの首相|首相]]<small>([[1990年]] - [[1997年]])</small><br/>[[財務大臣 (イギリス)|財務大臣]]<small>([[1989年]] - [[1990年]])</small><br/>庶民院議員<small>([[1979年]] - [[2001年]])</small>
|-
| [[File:Official portrait of Lord Luce crop 3.jpg|80px]]
| [[File:Garter Banner of the Baron Luce.svg|80px]]
| [[File:Coat of Arms of Richard, Baron Luce.svg|80px]]
| ルース男爵<br/>{{仮リンク|リチャード・ルース (ルース男爵)|label=リチャード・ルース|en|Richard Luce, Baron Luce}}<br/><small>([[1936年]] -)</small>
| [[2008年]][[4月23日]]<ref name="British Monarchy"/>
| 999
| {{仮リンク|宮内長官|en|Lord Chamberlain}}<small>([[2000年]] - [[2006年]])</small><br/>[[ジブラルタル総督]]<small>([[1997年]] - [[2000年]])</small><br/>{{仮リンク|芸術担当大臣|en| Parliamentary Under-Secretary of State for Arts and Heritage}}<small>([[1985年]] - [[1990年]])</small><br/>庶民院議員<small>([[1971年]] - [[1992年]])</small><br/>貴族院議員(一代貴族)<small>([[2000年]] -)</small>
|-
| [[File:Replace this image JA.svg|80px]]
| [[File:Garter Banner of Sir Thomas Raymond Dunne.svg|80px]]
| [[File:Coat of Arms of Sir Thomas Raymond Dunne.svg|80px]]
| {{仮リンク|トマス・ダン (1933-)|label=サー・トマス・ダン|en|Thomas Dunne (Lord Lieutenant)}}<br/><small>([[1933年]] -)</small>
| [[2008年]][[4月23日]]<ref name="British Monarchy"/>
| 1001
| {{仮リンク|ヘレフォード及びウースター統監|en|Lord Lieutenant of Hereford and Worcester}}<small>([[1977年]] - [[1998年]])</small><br/>{{仮リンク|ヘレフォードシャー統監|en|Lord Lieutenant of Herefordshire}}<small>([[1998年]] - [[2008年]])</small><br/>{{仮リンク|ウースターシャー統監|en|Lord Lieutenant of Worcestershire}}<small>([[1998年]] - [[2001年]])</small>
|-
| [[File:Official portrait of Lord Phillips of Worth Matravers crop 2.jpg|80px]]
| [[File:Garter Banner of the Baron Phillips of Worth Matravers.svg|80px]]
| [[File:Coat of Arms of Nicholas, Baron Phillips of Worth Matravers.svg|80px]]
| フィリップス男爵<br/>[[ニコラス・フィリップス (フィリップス男爵)|ニコラス・フィリップス]]<br/><small>([[1938年]] -)</small>
| [[2011年]][[4月23日]]<ref name="BBC11423">{{cite news |url=http://www.bbc.co.uk/news/uk-13168587 |title=Lord Phillips and Admiral Boyce made Knights of Garter| date=2011-04-23 |newspaper=BBC News}}</ref>
| 1002
| {{仮リンク|首席常任上訴法服貴族|en|Senior Lord of Appeal in Ordinary}}<small>([[2008年]] - [[2009年]])</small><br/>[[連合王国最高裁判所]]長官<small>([[2009年]] - [[2012年]])</small><br/>貴族院議員(法服貴族)<small>([[1999年]] - [[2009年]]、[[2012年]]-)</small>
|-
| [[File:Stirrup in Istanbul.jpg|80px]]
| [[File:Garter Banner of the Baron Stirrup.svg|80px]]
| [[File:Coat of Arms of Jock, Baron Stirrup.svg|80px]]
| スターラップ男爵<br/>[[ジョック・スターラップ (スターラップ男爵)|ジョック・スターラップ]]<br/><small>([[1949年]] -)</small>
| [[2013年]][[4月23日]]<ref>{{cite news|url=http://www.telegraph.co.uk/news/uknews/defence/10011474/Former-head-of-the-Armed-Forces-becomes-a-Knight-of-the-Garter.html|title=Former head of the Armed Forces becomes a Knight of the Garter|publisher=Telegraph|accessdate=2014-09-28|location=London|date=2013-04-22}}</ref>
| 1004
| 空軍元帥<br/>{{仮リンク|空軍参謀総長 (イギリス)|label=空軍参謀総長|en|Chief of the Air Staff (United Kingdom)}}<small>([[2003年]] - [[2006年]])</small><br/>統合参謀総長<small>([[2006年]] - [[2010年]])</small><br/>貴族院議員(一代貴族)<small>([[2010年]] - )</small>
|-
| [[ファイル:Eliza Manningham-Buller at Chatham House 2016.jpg|80px]]
| [[File:Garter Banner of the Baroness Manningham-Buller.svg|80px]]
| [[File:Coat of Arms of Eliza, Baroness Manningham-Buller.svg|80px]]
| マニンガム=ブラー女男爵<br/>[[イライザ・マニンガム=ブラー]]<br/><small>([[1948年]] -)</small>
| [[2014年]][[4月23日]]<ref name="LG14424">{{London Gazette |issue=60848 |date=24 April 2014 |page=8182 }}</ref>
| 1005
| [[ディルホーン子爵]]家出身<br/>{{仮リンク|MI5長官|en|Director General of MI5}}<small>([[2002年]] - [[2007年]])</small><br/>貴族院議員(一代貴族)<small>([[2008年]] - )</small>
|-
| [[File:Official portrait of Lord King of Lothbury crop 2.jpg|80px]]
| [[File:Garter Banner of Baron King of Lothbury.svg|80px]]
| [[File:Coat of Arms of Mervyn, Baron King of Lothbury.svg|80px]]
| キング男爵<br/>[[マーヴィン・キング]]<br/><small>([[1948年]] -)</small>
| [[2014年]][[4月23日]]<ref name="LG14424"/>
| 1006
| 経済学者<br/>{{仮リンク|イングランド銀行総裁|en|Governor of the Bank of England|redirect=1}}<small>([[2003年]] - [[2013年]])</small><br/>貴族院議員(一代貴族)<small>([[2013年]] - )</small>
|-
| [[File:Replace this image JA.svg|80px]]
| [[File:Garter Banner of the 5th Baron Shuttleworth.svg|80px]]
| [[File:Coat of Arms of Charles Geoffrey Nicholas, Baron Shuttleworth.svg|80px]]
| 第5代[[シャトルワース男爵]]<br/>[[チャールズ・ケイ=シャトルワース (第5代シャトルワース男爵)|チャールズ・ケイ=シャトルワース]]<br/><small>([[1948年]] -)</small>
| [[2016年]][[4月23日]]<ref name="royal.uk">https://www.royal.uk/appointments-knights-companion-most-noble-order-garter</ref>
| 1007
| [[ランカスター公領]]会議議長<small>([[1998年]]-[[2006年]])</small><br>{{仮リンク|ランカシャー統監|en|Lord Lieutenant of Lancashire}}<small>([[1997年]]-)</small><br>貴族院議員(世襲貴族)<small>([[1975年]]-[[1999年]])</small>
|-
| [[File:Dame Mary Fagan (cropped).jpg|80px]]
| [[File:Garter Banner of Lady Mary Fagan.svg|80px]]
| [[File:Coat of Arms of Lady Mary Fagan.svg|70px]]
| {{仮リンク|メアリー・フェーガン|label=レディ・メアリー・フェーガン|en|Mary Fagan}}<br/><small>([[1939年]] -)</small>
| [[2018年]][[4月23日]]<ref name="royal.uk2">{{cite web |url=https://www.royal.uk/appointments-order-garter |title=Appointments to the Order of the Garter |date=23 April 2018 |website=The Royal Family |access-date=23 April 2018}}</ref>
| 1010
| {{仮リンク|ウィンチェスター大学|en|University of Winchester}}学長<br>[[ハンプシャー統監]]<small>([[1994年]]-[[2014年]])</small>
|-
| [[File:Official portrait of Viscount Brookeborough crop 2.jpg|80px]]
| [[File:Garter Banner of the 3rd Viscount Brookeborough.svg|80px]]
| [[File:Coat of Arms of Alan Brooke, 3rd Viscount Brookeborough.svg|80px]]
| 第3代[[ブルックバラ子爵]]<br>[[アラン・ブルック (第3代ブルックバラ子爵)|アラン・ブルック]]<br/><small>([[1952年]] -)</small>
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| [[2019年]][[2月27日]]<ref name=royal.uk3>{{cite web |url=https://www.royal.uk/new-appointments-order-garter-announced|title=New appointments to the Order of the Garter announced|date=27 February 2019|website=The Royal Family |access-date=27 February 2019}}</ref>
| 1013
| [[五種競技]]・[[砲丸投]]のアスリート<br/>[[1972年ミュンヘンオリンピック|1972年ミュンヘン五輪]]五種競技金メダリスト
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| [[File:Robert Gascoyne-Cecil 2013-crop.jpg|80px]]
| [[File:Garter Banner of the 7th Marquess of Salisbury.svg|80px]]
| [[File:Coat of Arms of Robert Gascoyne-Cecil, 7th Marquess of Salisbury.svg|80px]]
| 第7代[[ソールズベリー侯爵]]<br/>[[ロバート・ガスコイン=セシル (第7代ソールズベリー侯爵)|ロバート・ガスコイン=セシル]]<br/><small>([[1946年]] -)</small>
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| アモス女男爵<br/>{{仮リンク|ヴァレリー・アモス (アモス女男爵)|label=ヴァレリー・アモス|en|Valerie Amos, Baroness Amos}}<br/><small>([[1954年]] -)</small>
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|アップホーランドのアシュトン女男爵<br/> [[キャサリン・アシュトン]]<br/><small>([[1956年]] -)</small>
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|バーンズのパッテン男爵<br/> [[クリストファー・パッテン]]<br/><small>([[1944年]] -)</small>
| [[2023年]][[4月23日]]
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== 脚注 ==
== 脚注 ==
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=== 注釈 ===
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=== 出典 ===
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}}


== 参考文献 ==
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* {{Cite book|和書|title=【図説】紋章学事典|date=|year=2019|publisher=創元社|edition=初版|isbn=978-4-422-21532-7|translator=朝治 啓三|ref=harv|last=スレイター|first=スティーヴン}}
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**『英国貴族の見た明治日本』長岡洋三訳、新人物往来社、1986年
**『ミットフォード日本日記 英国貴族の見た明治』 講談社学術文庫、2001年
* {{Cite book|和書|author=森護|authorlink=森護|date=1994年(平成6年)|title=英国王室史事典-Historical encyclopaedia of Royal Britain-|publisher=[[大修館書店]]|id=ISBN 978-4469012408|ref=森(1994)}}
* {{Cite book|和書|author=森護|authorlink=森護|date=1985年(昭和60年)|title=英国紋章物語|publisher=[[三省堂]]|ref=森(1985)}}


== 関連項目 ==
== 関連項目 ==
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* [[勲章]]
* [[ガーター]](靴下止め)
* [[百年戦争]]
* [[百年戦争]]
* [[騎士]]
* [[ブルーリボン]]
* [[日英同盟]]
* [[日英同盟]]
* [[君塚直隆]]
* [[:Category:ガーター勲章]](受章者のカテゴリ)

== 外部リンク ==
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}}
* [https://www.heraldica.org/topics/orders/garterlist.htm List of the Knights of the Garter]
* {{Kotobank}}


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2024年12月19日 (木) 10:59時点における最新版

最も高貴なガーター勲章
連合王国君主による栄典
種別 騎士団勲章
標語 Honi soit qui mal y pense
悪意を抱く者に災いあれ
創設者 エドワード3世
主権者 チャールズ3世
騎士団長 第5代アバコーン公爵ジェイムズ・ハミルトン
地位 王族の騎士団員
臣民の騎士団員
外国人の騎士団員
歴史・統計
創立 1348年 (676年前) (1348)
最初の叙任 1348年
最後の叙任 2024年6月25日
人数 計: 1,024
階位
上位席 ジョージ・クロス
下位席 シッスル勲章

ガーター勲章(ガーターくんしょう、: Order of the Garter)は、1348年エドワード3世によって創始された、イングランドの最高勲章。正式なタイトルは“Most Noble Order of the Garter”(最も高貴なガーター勲章)。グレートブリテン及び北アイルランド連合王国(イギリス)の栄典においても騎士団勲章(order)の最高位であるが、全ての勲章・記章の中ではヴィクトリア十字章ジョージ・クロスが上位に位置付けられている。

騎士団勲章は本来、その騎士団の一員になるという意味を持っており、一般に勲章と呼ばれる記章はその団員章である。ガーター騎士団員の称号は男性が“Knight of the Garter”、女性が“Lady of the Garter”で、騎士のポスト・ノミナル・レターズはそれぞれ“KG”および“LG”と表記される。

モットー“Honi soit qui mal y pense”(悪意を抱く者に災いあれ)で、勲章にもその文字が刻印されている。勲章の大綬の色がブルーであるため、「ブルーリボン」とも呼ばれている。

構成

[編集]
星章、頸飾およびガーター
ガーター(右下)、頸飾(左)、星章(右上)、大綬章(右中:これにブルーの大綬が付く)。

一般にガーター勲章と呼ばれるものは、以下の物で構成されている[1]

  • ガーター
  • 黄金の頸飾とその先端に付ける記章(The George)
  • 大綬章
  • 星章

また特別な物として、歴代の国王や王妃が晩餐会等で佩用する大綬章の正章としてカメオダイヤモンドを散りばめた物や、チャールズ3世やロイヤルファミリーが同じく晩餐会等で佩用するルビー星章も存在する。ガーターにはブルーの生地に金の刺繍が施され、その中央部にエドワード3世が述べたとされる“Honi soit qui mal y pense”(悪意を抱く者に災いあれ中世フランス語)の文字が記されている[2]。着用する場合は男性の団員は左ひざに、女性の団員は左腕につける[3]

黄金の頸飾にはランカスター家の赤バラとヨーク家の白バラを合わせたテューダー・ローズテューダー朝成立後から使用されている[1]。また、頸飾の先端の記章は白馬に乗って竜を退治する聖ジョージの姿がかたどられている[1]

正章でアレッサー・ジョージは左肩から右の腰に斜めがけする大綬の結び目の下につり下げられ、ガーターを模した楕円の記章の中に、頸飾の記章と同じく聖ジョージの姿が透かし彫りされている[1]。大綬章が17世紀に制定されたことでガーター勲章は現在の形態を確立した[1]

また正装用にビロードのマント(ガーター・ローブ)と羽飾り帽子、真紅のフードがあり、これらを着用したうえでガーター、頸飾、星章を佩用するのが騎士団の正装である。大綬章は正装時には付けないのが慣習である[3]。正装はガーター・セレモニーや戴冠式など限られた場面でのみ用いられている[4]燕尾服のような通常の正装時は、大綬章と星章とガーターを付けるのが一般的だが、状況や個人によって異なる[4]

星章は他の勲章と同様に左肋に付けるが、大綬章は一般の勲章が右肩から左腰に掛けるのに対し、ガーター勲章は左肩から右腰に掛ける。チャールズ2世が大綬章を制定した直後にはガーター勲章も右肩から左腰に掛けていたが、当時9歳だったチャールズ2世の庶子、初代リッチモンド公チャールズ・レノックスが誤って左肩から右腰に掛けて公式の場に現われたのをきっかけに、チャールズ2世がこれを正式な佩用方法に定めたという[5]。その後、この習慣は他国にも広がり、スコットランドの最高勲章であるシッスル勲章プロイセン黒鷲勲章日本の功一級金鵄勲章等その国の特別な勲章が他の勲章との差別化のために左肩から右腰に掛けられるようになった。

勲章一式は受章者が死亡すると王室へ返還するしきたりであるが、王室の許可を得れば星章や大綬章などは複製を自費で作成して所有することができ、遺族がそれを相続することも出来る[4]。従って、ガーター勲章の実物が市場に出回ることは有り得ない筈であるが、外国の君主等に対して授与された勲章の中には、革命やクーデターのような政変による混乱により流出し、回収できなかったものが存在するとも言われている[6]。1976年(昭和51年)、その真正品とされるものが日本百貨店によって売り出されて問題になった[7]。英国王室からの抗議で販売は中止され、当該勲章の真贋を含め、そのような事態になった経緯について調査が行なわれた[8]

騎士団の儀式

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ガーターセレモニー(叙任)

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2008年6月16日セント・ジョージ・チャペルまで行進するガーター騎士団の正装姿の女王エリザベス2世

1948年以来、6月にウィンザー城で行われる例会は、ガーターセレモニー(Garter Ceremony)、またガーター・サーヴィス(Garter Service)と呼ばれている。その年に新たに叙任される勲爵士があれば、ウィンザー城の「玉座の間」において叙任式が開かれる[9][10]。儀式には紋章院総裁たるノーフォーク公以下の紋章官たちも出席し、ガーター主席紋章官(Garter Principal King of Arms)が中心となって行事は行われる[11]

新たに勲爵士となる者は、既に勲爵士となっている2名から紹介を受けるのが慣例となっている。例えば、1954年アンソニー・イーデン外相(当時。翌年に首相)が叙された際にはウィンストン・チャーチル首相(当時。1953年叙勲)と初代モントゴメリー子爵バーナード・モントゴメリー(1946年叙勲)が、1992年に元首相のエドワード・ヒースが叙された際には第6代キャリントン男爵ピーター・キャリントン(1985年叙勲。元外相)とキャラハン男爵ジェームズ・キャラハン(1987年叙勲。元首相)がそれぞれ紹介役をつとめた[12]

叙任式ではまず、ガーター主席紋章官とアッシャーが新勲爵士を連れて「玉座の間」に入る[10]。続いて、新勲爵士が2名の騎士に伴われて君主の前に導かれる[10]。新勲爵士は君主の前に歩み出て、君主から小姓に渡されたガーターを小姓が勲爵士の左膝(女性の場合は左腕)に着け、次いで君主自ら大綬章を掛け、星章を左胸に着ける。そして紹介者がガーターローブをかぶせ、最後に頸飾を掛け君主と握手をして正式にガーター勲爵士となる[12]

叙任式が終わると、正装姿の騎士団員たちが、新しく叙された者を先頭にセント・ジョージ・チャペルまで行進する。隊列は、ウィンザー城代英語版を先頭に、「ウィンザー城代、ミリタリー・ナイト・オブ・ウィンザー英語版、紋章官、騎士団員、王族、騎士団員役職者、国王とその配偶者、ヨーマン・オブ・ザ・ガード」の順で並ぶ[13]。この行進は公開であり、観光客も見物することができる[14]

バナー、ヘルメット、プレート

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ウィンザー城の聖ジョージ礼拝堂に掲げられたガーター勲爵士のバナー。右後方に、皇室の菊花紋章が見える。

城内の聖ジョージ礼拝堂にはガーター勲爵士のバナーが掲げられ、騎士の世界を象徴するように剣とクレスト(羽根飾り)[注釈 1]を着けたヘルメット、プレートと呼ばれる勲爵士の紋章と名前が刻まれたものが飾られている[16][16]。これらは勲爵士が死去すると翌年の聖ジョージの日(4月23日)に追悼式が行われてプレート以外は取り外される[17]

死亡以外でも反逆した臣下や敵国となった国の君主は勲爵士の地位を剥奪され、バナーが撤去される。反逆した臣下の剥奪例は古くから存在し、エリザベス朝期には第8代ノーサンバーランド伯爵ヘンリー・パーシー英語版や第4代ノーフォーク公爵トマス・ハワードなどの騎士団員がその座を剥奪されている[18]

20世紀に入り、敵国君主のバナー撤去が行われるようになった(後述)。

歴史

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ガーター騎士団の誕生

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ソールズベリー伯爵夫人ジョアンが落としたガーターをエドワード3世が拾い上げたという逸話を描いた絵画1901年アルバート・シュヴァリエ・タイラー画)

ガーター勲章の母体であるガーター騎士団の設立時期については1344年1月にエドワード3世ウィンザー円卓を使用した饗宴を催した際に「アーサー王円卓の騎士」の故事に基づいてフランスとの百年戦争への団結を深めたという出来事を発端とする1344年説と、1348年8月にエドワード3世が、自身と長男のエドワード黒太子および24名の騎士によって騎士団を編成し、ウインザー城に召集した出来事を設立と見なす1348年説があるが、近年では1348年説が歴史学者の間で有力視されているという[19][20]。(24名の創立メンバーの騎士はen:Order_of_the_Garter#List_of_Founder_Knightsおよびen:Bruges Garter Bookを参照)

この騎士団設立の経緯については次の逸話が知られている。エドワード3世が舞踏会でソールズベリー伯爵夫人ジョアン(後のエドワード黒太子妃)とダンスを踊っていたとき、伯爵夫人の靴下止め(ガーター)が外れて落ちたが、これは当時恥ずかしい不作法とされていたので、周囲から嘲笑された。しかしエドワード3世はそれを拾い上げ「悪意を抱く者に災いあれ(Honi soit qui mal y pense)」と言って自分の左足に付けたというものである[21][22][19]

しかしこの逸話は伝説に過ぎないともいわれ、エドワード3世がフランス王を名乗ることを「悪」と主張する者に対してエドワード3世が「災いあれ」といったのが始まりとする逸話もある[23]。また、聖ジョージ(聖ゲオルギウス)が竜から姫を助けたという伝説にちなみ、リチャード獅子心王十字軍の時に戦場でガーターを付け、部下にもつけさせた故事からきたとする説もある。エドワード3世は聖ジョージを好み、イングランドの守護聖人とした人物なので、これらからガーター勲章を考案したとも考えられている。

金羊毛騎士団の創設は1429年であり、ガーター騎士団の創設はそれに81年先立っている。ヨーロッパの現存騎士団の中で最古の歴史を誇っている[24]

儀礼の定式化

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創立時よりガーター騎士は王と皇太子を含めて26名であり、最初のメンバーは国王エドワード3世以下の13名とエドワード黒太子以下の13名の2組に分けられていた[25]。その後、16世紀前期にヘンリー8世によってガーター騎士団の儀礼の定式化が進められ、騎士団員は国王と皇太子と24名の勲爵士に限定された。当初国王と皇太子以外の王族は24名の勲爵士と別枠ではなかったが、18世紀後半、ジョージ3世に王子がたくさんあったことから臣民への授与の圧迫を避けるために別枠となった。後述する外国君主への授与も別枠である[26]

外国人団員への剥奪と復帰

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敵国君主の剥奪は第一次世界大戦からはじまった慣習である。大戦で敵方となったドイツ皇帝ヴィルヘルム2世以下ドイツ諸侯やオーストリア皇帝フランツ・ヨーゼフ1世について、戦争の長期化に伴う世論の反発を受けて、1915年5月、ジョージ5世の命によりバナーが撤去された[27][注釈 2]。しかし、将来的な和解への期待から[28]、「プレートは歴史の記録である」と述べて、プレートの撤去は行われなかった[14]。同様に、第二次世界大戦でも敵国となった日本昭和天皇イタリア国王ヴィットーリオ・エマヌエーレ3世のバナーが撤去され、プレートのみが残された。

これらのうち、ドイツ諸侯、オーストリア、イタリアの各国は、戦後、君主制が廃止されたため、二度と復帰することは無かったが、日本においては皇室が存続した状態で英国との国交が復活したため、昭和天皇の騎士団員としての資格が問題になった。昭和天皇がガーター勲章を佩用したのは1929年(昭和4年)に授与された時のみで、戦後しばらくは具体的な問題は発生していなかった。初めて問題となったのは1961年(昭和36年)11月、アレクサンドラ王女訪日の時だった。この時の会談に際して昭和天皇が剥奪されているガーター勲章を佩用できるのかが問題となった。イギリス王室に直接問い合わせたところ、ガーター勲章を佩用することに了解があったので昭和天皇はガーター勲章を佩用してアレクサンドラ王女と会談した。昭和天皇はガーター勲章を剥奪されたのに佩用できるという特殊な状態になり、これはガーター騎士団の長い歴史においても前例がないことだった。これが昭和天皇のガーター勲爵士の地位を復活させる議論が起きるきっかけとなった。その後も1962年(昭和37年)の秩父宮妃訪英、1969年(昭和44年)のマーガレット王女訪日などで日本皇室と英国王室の友好が深まる中、ついに昭和天皇の訪英に先立つ1971年(昭和46年)4月7日に至ってイギリス王室は「剥奪された天皇の名誉を全て回復させる」という宣言を発した[29][30]。これにより昭和天皇は正式にガーター騎士団員の地位を取り戻し、1971年5月22日からセント・ジョージ・チャペルに再び菊花紋章のバナーが掲揚されることになった[31]。一度剥奪されて名誉回復を果たした外国君主は騎士団600年余の歴史の中でも昭和天皇のみである[32]

女性への授与

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当初、女性も女性団員(Lady Companion)として勲爵士になることができたが、ヘンリー8世による定式化により女性君主以外の女性にはガーター勲章は与えられないこととなった。再び君主以外の女性にガーター勲章が授与されるようになるのは20世紀初頭のエドワード7世の時代になってのことである[33]。ただし、女性団員は24名の勲爵士とは別枠で、バナーは掲げられるが、ヘルメットと剣の代わりに王冠が飾られる[34]。また、プレートも飾られない[35]

第二次世界大戦中の1944年9月、ジョージ6世は英国亡命から帰国するオランダ女王ウィルヘルミナを正式なガーター騎士団員に叙し、史上初めて外国人女性君主にガーター勲章が授与された[36]。この際、女性団員の例にならい、バナーと王冠のみが飾られることとなった。以後、近代以降の女性君主も同様になっている[35]

役職者

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セント・ジョージ・チャペルまで行進するガーター騎士団役職者たち。左からセクレタリー、黒杖官、ガーター主席紋章官、レジスター、プレラッテ、チャンセラー

ガーター騎士団には5つの役職ポストがある。プレラッテ(Prelate)、チャンセラー英語版(Chancellor)、レジスター(Register)、ガーター主席紋章官アッシャー(Usher)の5つである[37]

現在の役職者

  1. (プレラッテ) - フィリップ・モンステファン英語版ウィンチェスター司教英語版
  2. (チャンセラー)- マニンガム=ブラー女男爵イライザ・マニンガム=ブラー
  3. (レジスター) - クリストファー・コックスワース英語版(ウィンザー主席主祭)
  4. 主席紋章官) - デイヴィッド・ホワイト
  5. アッシャー) - サラ・クラーク英語版,OBE(黒杖官)
  6. (セクレタリー)- ステファン・セグレイブ

外国人への叙勲

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ガーター勲章をコノート公爵アーサーより伝達される明治天皇(1906年)。この時コノート公は誤ってピンで自分の指を傷付け出血したが、何事もなかったように式を続け、天皇も気付かない振りをした。天皇は式が終わった後、コノート公の落ち着きを称えた[39]

2024年6月現在の外国人保持者は、デンマークマルグレーテ2世前女王スウェーデンカール16世グスタフ国王スペインフアン・カルロス1世前国王オランダベアトリクス前女王日本明仁上皇ノルウェーハーラル5世国王スペインフェリペ6世国王、オランダウィレム=アレクサンダー国王、日本今上天皇の9名であり、明仁上皇、今上天皇以外はヨーロッパキリスト教徒の君主である[注釈 3]

ガーター勲章の外国人への叙勲は、原則としてキリスト教徒であるヨーロッパの君主制国家の君主に限られており、ヨーロッパ以外の国の君主や非キリスト教徒の君主に対しては、その国やその君主がイギリスや英国王室と深い友好関係にある場合に限り例外的に贈られている。また、共和制国家の元首に対して贈られた例はない。

かつては国王や女王と血縁関係にある外国貴族、或は皇太子、摂政などにも授与されていたが、1952年エリザベス2世が女王に即位して以降は君主という条件に関して例外はなく、ヨーロッパの君主制国家の君主でも在位期間が短いと授与されない。そして、これら資格を満たさないとされる外国君主および重要な共和制国家の元首にはロイヤル・ヴィクトリア頸飾が贈られ[42]、外国皇太子にはロイヤル・ヴィクトリア勲章のナイト・グランド・クロス又はデーム・グランド・クロスが贈られる[43]。更に、ロイヤル・ヴィクトリア頸飾の外国君主より格下とされる国の君主や共和制国家の元首には、バス勲章聖マイケル・聖ジョージ勲章のナイト・グランドクロスがその格に応じて贈られる[44][注釈 4]

非キリスト教徒への叙勲は1856年に訪英したオスマン帝国皇帝アブデュルメジト1世が最初であり[注釈 5]アジアでは1873年に訪英したペルシャ皇帝ナーセロッディーン・シャーが最初である[注釈 6]

日本に対しては、日英同盟の関係から1906年(明治39年)に明治天皇東アジアの国の元首として初めて贈られた。明治天皇にガーター勲章が贈られたのは外相第5代ランズダウン侯爵ヘンリー・ペティ=フィッツモーリスの推挙による。日露戦争が日本優位に進む中の1905年(明治38年)に日英同盟の更新を決意したランズダウン侯がバルフォア首相の許可も得て、日本との関係を強化する一環として天皇へのガーター勲章授与を国王エドワード7世に上奏した結果、実現した[49]保守党政権は直後に失脚し、自由党政権に代わったが、1906年の日本への初めてのガーター勲章使節団の7名には、コノート公アーサー・アルバートのほか、アルジャーノン・ミットフォードマイルズ・ランプソンも含まれていた[50]

明治天皇以後の歴代天皇も授与されている[51]大正天皇1912年(大正元年)、昭和天皇1929年(昭和4年)にそれぞれ叙勲されたが、第二次世界大戦中は敵国となったため昭和天皇の名前が騎士団の名簿から抹消され、バナーも撤去された。しかし、先述の通り1971年(昭和46年)10月の訪英時に復帰した。明仁上皇も天皇在位中の1998年(平成10年)、イギリス訪問時に叙勲された[52]今上天皇も2024年(令和6年)6月、国賓として英国を訪問した際に叙勲された[53]。なお、歴代天皇もエドワード7世以降の歴代イギリス君主に対して、日本の最高勲章である大勲位菊花章頸飾を贈与している[54]

1974年8月27日にキリスト教徒のエチオピア前皇帝ハイレ・セラシエ1世(同年3月に廃位されて幽閉中だった)が崩御した後には、欧州外の外国君主でガーター騎士団に叙されているのは日本の天皇のみである[55]

現在の騎士団員

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臣民の勲爵士は24人までに限定されている。王族や外国君主への授与はこれとは別枠になっている[22][56]

政治家による乱用防止のため[注釈 7]、1946年以降ガーター勲章とシッスル勲章は、君主自らによって授与されるのが慣例となっている[22]

主権者(Sovereign)

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肖像 バナー 紋章 名前
(生年)
(在位)
団員番号
国王
チャールズ3世
(1948年 - )
(2022年即位 - )
920

王族の騎士団員(Royal Knights and Ladies Companion)

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肖像 バナー 紋章 名前
(生年)
叙任日 団員番号 備考
プリンス・オブ・ウェールズ
ウィリアム
(1982年 -)
2008年4月23日[57] 1000 国王の長男(王太子)
ケント公
エドワード
(1935年 -)
1985年10月9日[57] 966 前女王エリザベス2世従弟
プリンセス・ロイヤル
アン
(1950年 -)
1994年4月23日[57] L9 前女王の長女
グロスター公
リチャード
(1944年 -)
1997年4月23日[57] 984 前女王の従弟
オギルヴィ令夫人
アレクサンドラ
(1936年 -)
2003年4月23日[57] L10 前女王の従妹
ヨーク公
アンドルー
(1960年 -)
2006年4月23日[57] 997 前女王の次男
エディンバラ公
エドワード
(1964年 -)
2006年4月23日[57] 998 前女王の三男
王妃
カミラ
(1947年 -)
2022年1月1日 L11 国王チャールズ3世の王妃
グロスター公爵夫人
バージット

(1946年 -)
2024年4月23日[58] L12 グロスター公夫人

外国人の騎士団員(Stranger Knights and Ladies Companion)

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肖像 バナー 紋章 名前
(生年)
(在位)
叙任日 団員番号
デンマークの旗 デンマーク前女王
マルグレーテ2世
(1940年 -)
(1972年即位 - 2024年退位)
1979年5月16日[57] L7
スウェーデンの旗 スウェーデン国王
カール16世グスタフ
(1946年 -)
(1973年即位 - 在位中)
1983年5月25日[57] 963
スペインの旗 スペイン前国王
フアン・カルロス1世
(1938年 -)
(1975年即位 - 2014年退位)
1988年10月17日[57] 970
オランダの旗 オランダ前女王
ベアトリクス
(1938年 -)
(1980年即位 - 2013年退位)
1989年6月28日[57] L8
日本の旗 日本上皇
明仁
(1933年 -)
(1989年即位 - 2019年退位)
1998年5月26日[57] 985
ノルウェーの旗 ノルウェー国王
ハーラル5世
(1937年 -)
(1991年即位 - 在位中)
2001年5月30日[57] 990
スペインの旗 スペイン国王
フェリペ6世
(1968年 -)
(2014年即位 - 在位中)
2017年7月12日 1009
オランダの旗 オランダ国王
ウィレム=アレクサンダー
(1967年 -)
(2013年即位 - 在位中)
2018年10月23日 1012
日本の旗 日本天皇
徳仁
(1960年 -)
(2019年即位 - 在位中)
2024年6月25日 1022

臣民の騎士団員(Knights and Ladies Companion)

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肖像 バナー 紋章 名前
(生年)
叙任日 団員番号 備考
第5代アバコーン公爵
ジェイムズ・ハミルトン
(1934年 -)
1999年4月23日[57] 986 庶民院議員(1964年 - 1970年)
貴族院議員(世襲貴族)(1979年 - 1999年)
王室家政長官英語版(2001年 - 2009年)
ガーター騎士団長英語版(2012年 - )
バトラー男爵
ロビン・バトラー英語版
(1938年 -)
2003年4月23日[57] 992 首相第一個人秘書英語版(1979年 - 1985年)
貴族院議員(一代貴族)(1998年 -)
サー・ジョン・メージャー
(1943年 -)
2005年4月23日[57] 994 首相(1990年 - 1997年)
財務大臣(1989年 - 1990年)
庶民院議員(1979年 - 2001年)
ルース男爵
リチャード・ルース英語版
(1936年 -)
2008年4月23日[57] 999 宮内長官英語版(2000年 - 2006年)
ジブラルタル総督(1997年 - 2000年)
芸術担当大臣英語版(1985年 - 1990年)
庶民院議員(1971年 - 1992年)
貴族院議員(一代貴族)(2000年 -)
サー・トマス・ダン英語版
(1933年 -)
2008年4月23日[57] 1001 ヘレフォード及びウースター統監英語版(1977年 - 1998年)
ヘレフォードシャー統監英語版(1998年 - 2008年)
ウースターシャー統監英語版(1998年 - 2001年)
フィリップス男爵
ニコラス・フィリップス
(1938年 -)
2011年4月23日[59] 1002 首席常任上訴法服貴族英語版(2008年 - 2009年)
連合王国最高裁判所長官(2009年 - 2012年)
貴族院議員(法服貴族)(1999年 - 2009年2012年-)
スターラップ男爵
ジョック・スターラップ
(1949年 -)
2013年4月23日[60] 1004 空軍元帥
空軍参謀総長英語版(2003年 - 2006年)
統合参謀総長(2006年 - 2010年)
貴族院議員(一代貴族)(2010年 - )
マニンガム=ブラー女男爵
イライザ・マニンガム=ブラー
(1948年 -)
2014年4月23日[61] 1005 ディルホーン子爵家出身
MI5長官英語版(2002年 - 2007年)
貴族院議員(一代貴族)(2008年 - )
キング男爵
マーヴィン・キング
(1948年 -)
2014年4月23日[61] 1006 経済学者
イングランド銀行総裁英語版(2003年 - 2013年)
貴族院議員(一代貴族)(2013年 - )
第5代シャトルワース男爵
チャールズ・ケイ=シャトルワース
(1948年 -)
2016年4月23日[62] 1007 ランカスター公領会議議長(1998年-2006年)
ランカシャー統監英語版(1997年-)
貴族院議員(世襲貴族)(1975年-1999年)
レディ・メアリー・フェーガン英語版
(1939年 -)
2018年4月23日[63] 1010 ウィンチェスター大学英語版学長
ハンプシャー統監(1994年-2014年)
第3代ブルックバラ子爵
アラン・ブルック
(1952年 -)
2018年4月23日[63] 1011 貴族院議員(世襲貴族)(1987年-現在)
ファーマナ統監(2012年-現在)
レディ・メアリー・ピーターズ
(1939年 -)
2019年2月27日[64] 1013 五種競技砲丸投のアスリート
1972年ミュンヘン五輪五種競技金メダリスト
第7代ソールズベリー侯爵
ロバート・ガスコイン=セシル
(1946年 -)
2019年2月27日[64] 1014 貴族院議員(世襲貴族・一代貴族)(1992年-現在)
王璽尚書貴族院院内総務(1994年-1997年)
アモス女男爵
ヴァレリー・アモス英語版
(1954年 -)
2022年1月1日 1015 貴族院議員(一代貴族)(1997年-現在)
枢密院議長貴族院院内総務(2003年-2007年)
サー・トニー・ブレア
(1953年 -)
2022年1月1日 1016 首相(1997年-2007年)
庶民院議員(1983年-2007年)
アップホーランドのアシュトン女男爵
キャサリン・アシュトン
(1956年 -)
2023年4月23日 1017 欧州連合外務・安全保障政策上級代表(2009年-2014年)
貴族院院内総務

枢密院議長(2007年-2008年)

バーンズのパッテン男爵
クリストファー・パッテン
(1944年 -)
2023年4月23日 1018 香港総督(1992年-1997年)
庶民院議員(1979年-1992年)
貴族院議員(2005年-)
ピーチ男爵
ステュアート・ピーチ英語版
2024年 1019 空軍元帥
統合参謀総長英語版
副統合参謀総長英語版
カッカー男爵
アジャイ・カッカー英語版
2024年 1020 裁判官任命委員会委員長英語版
ロイド=ウェバー男爵
アンドルー・ロイド・ウェバー
2024年 1021 作曲家(EGOT受賞経験者)
空席3席

脚注

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注釈

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  1. ^ 勲爵士の紋章に関係する動植物をあしらうのが通例[15]
  2. ^ 世論の反発から剥奪に至る経緯については、1917年称号剥奪法を参照。
  3. ^ リヒテンシュタイン公モナコ公はキリスト教徒のヨーロッパ君主であるが、君主としての格が低いとされており、ガーター勲章の受章対象者ではない[40]ベルギー国王は受章対象者だが、1993年8月の元ベルギー国王ボードゥアン1世の葬儀に際してエリザベス女王が葬列の最前列を要求したのに、ベルギー側は「最前列は亡き国王が最も親しかった王族専用にしたい」と断ったため、エリザベス女王としてはこれを「非礼」と受け取り、前ベルギー国王アルベール2世(1934年-、在位1993年-2013年)に対してガーター勲章を贈らなかった[41]。現ベルギー王フィリップ(1960年-、在位2013年-)も即位してから年数を経ておらず、未だ受章していないので、慣例的に授章されていた国のうちベルギーのみ勲爵士がない状態が続いている。
  4. ^ 具体的にはタイ国王ヨルダン国王アフガニスタン国王(1973年廃位)、ネパール国王(2008年廃位)、サウジアラビア国王にはロイヤル・ヴィクトリア頸飾が贈られ、旧植民地英連邦加盟国の国王にはそれより格が下がる勲章が贈られている(マレーシア国王にはバス勲章ナイト・グランド・クロス、トンガ国王には聖マイケル・聖ジョージ勲章ナイト・グランド・クロス)。またヨーロッパの君主の場合は、即位してから最初の訪英時にロイヤル・ヴィクトリア頸飾、二度目の訪英時にガーター勲章を授与されるのが慣習になっている[45]。タイ国王ラーマ9世は自分にガーター勲章が贈られないことに不満を抱いていると言われ、エリザベス女王がガーター勲章を贈ってくるまでタイの最高勲章ラーチャミトラーポーン勲章をエリザベス女王に贈らないようにしているといわれる[46]
  5. ^ オスマン皇帝アブデュルメジト1世は1856年の訪英に際してガーター勲章を授与されることを強く望んだため、外相第4代クラレンドン伯爵ジョージ・ヴィリアーズの推挙により、ヴィクトリア女王はロシアへの当てつけ的意味でアブデュルメジト1世にガーター勲章を贈った。この頃はクリミア戦争が終結したばかりの頃であり、イギリス・オスマン陣営とロシアの関係は険悪だったのである[47]
  6. ^ 当時ペルシャはイギリスにとってインド防衛や対ロシア政策の観点から重要な国だった。ロシアはペルシャ皇帝ナーセロッディーン・シャーに最高勲章聖アンドレーイ勲章ロシア語版を贈っていたため、外相第2代グランヴィル伯爵グランヴィル・ルーソン=ゴアはイギリスとしても彼に最高勲章を贈る必要があると判断した。その結果1873年のシャーの訪英の際にヴィクトリア女王からガーター勲章が贈られることになった。シャーもこれには大変喜んだという[48]
  7. ^ 首相ロイド・ジョージシッスル勲章を第4代ビュート侯爵ジョン・クライトン=ステュアート英語版に贈ったことの教訓という[22]

出典

[編集]
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  2. ^ 君塚(2004) p.18-19
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  8. ^ 総理府(1976) p.99
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  29. ^ 君塚(2014) p.257
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  31. ^ 君塚(2014) p.256
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  49. ^ 君塚(2004) p.127-130
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  53. ^ 天皇皇后両陛下 歓迎の昼食会に「ガーター勲章」贈られる
  54. ^ 君塚(2004)
  55. ^ 君塚(2004) p.221-222/305-306
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  63. ^ a b Appointments to the Order of the Garter”. The Royal Family (23 April 2018). 23 April 2018閲覧。
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参考文献

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関連項目

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外部リンク

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