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'''吉田 勝已'''(よしだ かつみ、[[1948年]](昭和23年)[[11月23日]] - )は[[日本]]の[[競走馬]]生産者。[[ノーザンファーム]]代表、[[ノーザンホースパーク]]代表取締役社長、[[社台スタリオンステーション]](有限会社社台コーポレーション)代表取締役を務め |
'''吉田 勝已'''(よしだ かつみ、[[1948年]](昭和23年)[[11月23日]] - )は[[日本]]の[[競走馬]]生産者、[[馬主]]。[[ノーザンファーム]]代表、[[ノーザンホースパーク]]代表取締役社長、[[社台スタリオンステーション]](有限会社社台コーポレーション)代表取締役を務める。 |
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== 経歴 == |
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1948年11月23日、当時[[社台牧場]]千葉富里分場の経営者であった[[吉田善哉]]の次男として生まれる。1歳上の兄に[[吉田照哉|照哉]]<ref group="注">後に[[社台ファーム]]代表。</ref>、3歳下の弟に[[吉田晴哉|晴哉]]<ref group="注">後に社台レースホース、追分ファーム代表。</ref>がいる。出生当日に[[天皇賞|天皇賞(秋)]]を制した[[カツフジ]]にあやかり「勝哉」と名づけられるはずであったが、出生当時に限り「哉」が人名用漢字と認められていなかったことから、勝已と名づけられた<ref>木村(1998)p.18</ref>。幼少より馬に親しみ、小学校4年次に母と兄弟が[[東京都]][[港区]]に購入した家に移ったのちも、勝已だけは善哉の勧めで牧場に残り、雑用を手伝っていた<ref>木村(1998)p.20</ref>。小学校卒業後は東京に移り、[[青山学院中等部・高等部|青山学院中等部]]、[[慶應義塾高等学校]]を経て[[慶応義塾大学]]商学部に進学<ref name="kimura">木村(1998)p.22</ref>。高校、大学では[[馬術]]に没頭し<ref name="yoshikawa">吉川(1999)p.208</ref>、また、その活動を通じて妻となる和美とも知り合った<ref name="kimura" />。 |
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[[北海道]]出身。[[社台グループ]]創始者[[吉田善哉]]の次男。本当は勝哉と名づけられるはずであったが、出生当時に「哉」の漢字が人名に使われないようになっていたため、勝已と名づけられた。[[慶應義塾大学]]商学部卒業。 |
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大学4年次の末から、照哉が管理を任されていたイギリスのリッジウッド・スタッドを手伝いに入ったが、遊蕩し2カ月で日本に帰され、以後は善哉が[[北海道]][[早来町]]に新設する社台ファーム早来(後のノーザンファーム)の建設作業に2年間従事した<ref name="yoshikawa" />。その完成後は場長を任され、[[アンバーシャダイ]]が1981年に[[有馬記念]]を制したのを皮切りに、数々の[[八大競走]]、[[競馬の競走格付け|GI級競走]]優勝馬を生み出した。他方、[[白老ファーム|社台ファーム白老]]の生産馬でGI競走2勝を挙げた[[サッカーボーイ]]の引退に際しては、[[種牡馬]]としての繋養場所を巡って善哉と対立した。輸入種牡馬の優越を主張する善哉に対し、勝己は同馬の優れたスピードは輸入馬に劣らず、社台で繋養すべきだと説き、これを認めさせた<ref name="dokuhon">『競馬種牡馬読本2』p.71</ref>。この出来事について勝己は後年「兄貴<small>''(照哉)''</small>は若い時から海外へ行って、アメリカの競馬や生産も目の当たりにしてきた。私の学生時代は馬術に熱中していて、関東学生選手権で優勝したり、インカレで2位になったり。競馬や生産にしても、基本的には日本でしか見ていませんでしたから、内国産種牡馬に対しての思い入れはあったかもしれません」と語っている<ref name="yushun">『優駿』2007年3月号、p.44</ref>。 |
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代表を務めるノーザンファームは日本屈指の大牧場で、優秀な[[繁殖牝馬]]を多数所有する。生産馬が2004年の[[キングカメハメハ]]による[[東京優駿|日本ダービー]]から2005年の[[ディープインパクト (競走馬)|ディープインパクト]]による[[菊花賞]]に至るまでの[[中央競馬クラシック三冠|クラシック]]7連勝を成し遂げた。 |
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1989年には妻・和美とともに乗馬文化普及をテーマとした公園・[[ノーザンホースパーク]]を創業した<ref>吉川(1999)pp.379-380</ref>。これは従業員の乗馬技術の向上や<ref name="yushun" />、生産馬が余生を送る場所の設置という目的もあった<ref name="dokuhon" />。1993年8月に善哉が死去すると、照哉が場長を務める社台ファーム千歳、勝己の社台ファーム早来、そして社台ファーム白老は、それぞれ[[社台ファーム]]、ノーザンファーム、白老ファームに分社化され、独立した牧場となった。1999年、ノーザンファームは[[東京優駿|東京優駿(日本ダービー)]]に優勝した[[アドマイヤベガ]]らの活躍で初めてリーディングブリーダー(生産馬の獲得賞金額首位)となり<ref>『優駿』2000年2月号、p.153</ref>、以降も社台ファームと首位の座を争い続けている。両牧場のライバル関係について勝己は「スタッフの間ではお互いをライバルだと思って気合いが入っている人も多いでしょう。それはそれでいいことですが、兄弟の間では意識していませんね」と述べている<ref name="yushun" />。2005年には[[ディープインパクト (競走馬)|ディープインパクト]]が[[中央競馬]]史上6頭目の[[中央競馬クラシック三冠|クラシック三冠]]を達成、最終的には[[シンボリルドルフ]]以来の「七冠馬」となり、2008年に[[社台グループ]]の生産馬として初めて中央競馬の[[JRA顕彰馬|殿堂入り]]を果たした。 |
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趣味は[[乗馬]]。 |
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== 親族 == |
== 親族 == |
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*[[吉田善太郎]](曾祖父・北海道開拓功労者) |
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兄に[[社台ファーム]]代表および[[社台スタリオンステーション]]代表取締役[[吉田照哉]]、弟に[[追分ファーム]]代表および社台スタリオンステーション専務取締役[[吉田晴哉]]がいる。母の[[吉田和子 (社台グループ)|吉田和子]]、妻でノーザンホースパーク取締役の吉田和美も馬主。[[ノーザンファーム空港牧場]]場長[[吉田俊介]](2008年から有限会社[[サンデーレーシング]]〈事務所・[[東京都]][[港区 (東京都)|港区]]〉の代表取締役を務めている)は長男。{{要出典範囲|長女の吉田真知子はジム・オドネル著『ジョンがポールと出会った日』の訳者である。|date=2012年5月}} |
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*吉田善助(祖父・社台牧場創業者) |
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*[[吉田善哉]](父・社台グループ創業者) |
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*[[吉田和子]](母・馬主) |
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*吉田俊介(長男・[[サンデーレーシング]]などの代表) |
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*[[吉田照哉]](兄・社台ファームなどの代表) |
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*吉田千津(義姉・馬主) |
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**吉田哲哉(甥・馬主) |
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*[[吉田晴哉]](弟・[[社台レースホース]]、[[追分ファーム]]などの代表) |
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*吉田安恵(義妹・馬主) |
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**[[吉田正志]](甥・追分ファーム場長) |
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== 主な生産馬 == |
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{{main|ノーザンファーム}} |
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[[JRA顕彰馬]]となったものに[[ディープインパクト (競走馬)|ディープインパクト]]、[[JRA賞|JRA年度代表馬]]となったものに[[エアグルーヴ]]<ref group="注">社台ファーム早来生産馬。</ref>、[[ジャングルポケット]]、[[アドマイヤムーン]]、[[ブエナビスタ (競走馬)|ブエナビスタ]]、[[ジェンティルドンナ]]がいる。 |
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== 主な所有馬 == |
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=== 吉田勝已名義 === |
=== 吉田勝已名義 === |
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[[ファイル:Mousquetaire(JPN) 20130323nakayamarc.jpg|thumb|勝己の[[勝負服]]色|250px]] |
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'''GI競走優勝馬''' |
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*[[ダンスパートナー]] |
*[[ダンスパートナー]](1995年[[優駿牝馬]]、1996年[[エリザベス女王杯]]など重賞3勝) |
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*[[フラワーパーク]]([[スプリンターズステークス]]、[[高松宮記念 (競馬)|高松宮杯]]) |
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*[[フラワーパーク]](1996年[[高松宮記念 (競馬)|高松宮杯]]、[[スプリンターズステークス]]など重賞3勝) |
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'''その他重賞競走優勝馬''' |
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*メローフルーツ(1993年札幌3歳ステークス) |
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*エリザベスローズ(1993年[[セントウルステークス]]) |
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*マックロウ(2001年[[京都記念]]) |
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*デモリションマン(2004年[[新潟ジャンプステークス]]) |
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*[[ポップロック (競走馬)|ポップロック]](2007年[[目黒記念]]) |
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*セイクリッドバレー(2011年[[新潟大賞典]]) |
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*エピセアローム(2011年[[小倉2歳ステークス]] 2012年セントウルステークス) |
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'''その他の馬''' |
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*[[ジャングルポケット]](取得後は未勝利) |
*[[ジャングルポケット]](取得後は未勝利) |
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*[[ベッラレイア]](取得後は未勝利) |
*[[ベッラレイア]](取得後は未勝利) |
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=== 吉田和美名義 === |
=== 吉田和美名義 === |
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[[ファイル:Suni horse20111228.jpg|thumb|和美の勝負服色|250px]] |
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'''GI級競走優勝馬''' |
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*[[キンシャサノキセキ]]([[高松宮記念 (競馬)|高松宮記念]]、[[スワンステークス]]、[[阪神カップ]]、[[函館スプリントステークス]]、[[オーシャンステークス]]) |
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*[[スーニ (競走馬)|スーニ]](2008年[[全日本2歳優駿]]、2009年・2011年[[JBCスプリント]]など重賞9勝) |
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*[[スーニ (競走馬)|スーニ]]([[全日本2歳優駿]]、[[JBCスプリント]]2勝、[[東京盃]]、[[兵庫ジュニアグランプリ]]、[[黒船賞]]、[[東京スプリント]]) |
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*[[キンシャサノキセキ]](2010年・2011年高松宮記念など重賞7勝) |
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*[[ジャガーメイル]] |
*[[ジャガーメイル]](2010年天皇賞・春) |
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'''その他重賞競走優勝馬''' |
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==出典== |
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*東京商工リサーチ経営者情報 |
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== 参考文献 == |
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*木村幸治『名馬牧場物語』(洋泉社、1998年)ISBN 978-4896913194 |
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*[[吉川良]]『血と知と地 - 馬・吉田善哉・社台』(ミデアム出版社、1999年)ISBN 978-4944001590 |
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*『競馬種牡馬読本2』(宝島社、1997年)ISBN 978-4796693400 |
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**後藤正俊「ガンコな善哉氏も負けた! サッカーボーイに賭けた吉田勝己氏の心意気」 |
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*『優駿』2007年3月号(日本中央競馬会) |
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**後藤正俊「優駿ロングインタビュー 吉田勝己 - 極めよメイド・イン・ジャパン」 |
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==関連項目== |
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*[http://www.northernfarm.jp/cgi-bin/index02.cgi ノーザンファーム] |
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[[Category:社台グループの人物]] |
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2014年4月20日 (日) 06:24時点における版
吉田 勝已(よしだ かつみ、1948年(昭和23年)11月23日 - )は日本の競走馬生産者、馬主。ノーザンファーム代表、ノーザンホースパーク代表取締役社長、社台スタリオンステーション(有限会社社台コーポレーション)代表取締役を務める。
経歴
1948年11月23日、当時社台牧場千葉富里分場の経営者であった吉田善哉の次男として生まれる。1歳上の兄に照哉[注 1]、3歳下の弟に晴哉[注 2]がいる。出生当日に天皇賞(秋)を制したカツフジにあやかり「勝哉」と名づけられるはずであったが、出生当時に限り「哉」が人名用漢字と認められていなかったことから、勝已と名づけられた[1]。幼少より馬に親しみ、小学校4年次に母と兄弟が東京都港区に購入した家に移ったのちも、勝已だけは善哉の勧めで牧場に残り、雑用を手伝っていた[2]。小学校卒業後は東京に移り、青山学院中等部、慶應義塾高等学校を経て慶応義塾大学商学部に進学[3]。高校、大学では馬術に没頭し[4]、また、その活動を通じて妻となる和美とも知り合った[3]。
大学4年次の末から、照哉が管理を任されていたイギリスのリッジウッド・スタッドを手伝いに入ったが、遊蕩し2カ月で日本に帰され、以後は善哉が北海道早来町に新設する社台ファーム早来(後のノーザンファーム)の建設作業に2年間従事した[4]。その完成後は場長を任され、アンバーシャダイが1981年に有馬記念を制したのを皮切りに、数々の八大競走、GI級競走優勝馬を生み出した。他方、社台ファーム白老の生産馬でGI競走2勝を挙げたサッカーボーイの引退に際しては、種牡馬としての繋養場所を巡って善哉と対立した。輸入種牡馬の優越を主張する善哉に対し、勝己は同馬の優れたスピードは輸入馬に劣らず、社台で繋養すべきだと説き、これを認めさせた[5]。この出来事について勝己は後年「兄貴(照哉)は若い時から海外へ行って、アメリカの競馬や生産も目の当たりにしてきた。私の学生時代は馬術に熱中していて、関東学生選手権で優勝したり、インカレで2位になったり。競馬や生産にしても、基本的には日本でしか見ていませんでしたから、内国産種牡馬に対しての思い入れはあったかもしれません」と語っている[6]。
1989年には妻・和美とともに乗馬文化普及をテーマとした公園・ノーザンホースパークを創業した[7]。これは従業員の乗馬技術の向上や[6]、生産馬が余生を送る場所の設置という目的もあった[5]。1993年8月に善哉が死去すると、照哉が場長を務める社台ファーム千歳、勝己の社台ファーム早来、そして社台ファーム白老は、それぞれ社台ファーム、ノーザンファーム、白老ファームに分社化され、独立した牧場となった。1999年、ノーザンファームは東京優駿(日本ダービー)に優勝したアドマイヤベガらの活躍で初めてリーディングブリーダー(生産馬の獲得賞金額首位)となり[8]、以降も社台ファームと首位の座を争い続けている。両牧場のライバル関係について勝己は「スタッフの間ではお互いをライバルだと思って気合いが入っている人も多いでしょう。それはそれでいいことですが、兄弟の間では意識していませんね」と述べている[6]。2005年にはディープインパクトが中央競馬史上6頭目のクラシック三冠を達成、最終的にはシンボリルドルフ以来の「七冠馬」となり、2008年に社台グループの生産馬として初めて中央競馬の殿堂入りを果たした。
親族
- 吉田善太郎(曾祖父・北海道開拓功労者)
- 吉田善助(祖父・社台牧場創業者)
- 吉田善哉(父・社台グループ創業者)
- 吉田和子(母・馬主)
- 吉田俊介(長男・サンデーレーシングなどの代表)
- 吉田照哉(兄・社台ファームなどの代表)
- 吉田千津(義姉・馬主)
- 吉田哲哉(甥・馬主)
- 吉田晴哉(弟・社台レースホース、追分ファームなどの代表)
- 吉田安恵(義妹・馬主)
- 吉田正志(甥・追分ファーム場長)
主な生産馬
JRA顕彰馬となったものにディープインパクト、JRA年度代表馬となったものにエアグルーヴ[注 3]、ジャングルポケット、アドマイヤムーン、ブエナビスタ、ジェンティルドンナがいる。
主な所有馬
吉田勝已名義
GI競走優勝馬
その他重賞競走優勝馬
- スカーレットブーケ(1990年札幌3歳ステークス 1991年クイーンカップ 1992年京都牝馬特別、中山牝馬ステークス)
- メローフルーツ(1993年札幌3歳ステークス)
- エリザベスローズ(1993年セントウルステークス)
- マックロウ(2001年京都記念)
- デモリションマン(2004年新潟ジャンプステークス)
- サンバレンティン(2006年福島記念 2007年七夕賞)
- ポップロック(2007年目黒記念)
- セイクリッドバレー(2011年新潟大賞典)
- エピセアローム(2011年小倉2歳ステークス 2012年セントウルステークス)
- ムスカテール(2013年目黒記念)
その他の馬
吉田和美名義
GI級競走優勝馬
- スーニ(2008年全日本2歳優駿、2009年・2011年JBCスプリントなど重賞9勝)
- テスタマッタ(2009年ジャパンダートダービー 2012年フェブラリーステークスなど重賞4勝)
- キンシャサノキセキ(2010年・2011年高松宮記念など重賞7勝)
- ジャガーメイル(2010年天皇賞・春)
その他重賞競走優勝馬
出典
参考文献
- 木村幸治『名馬牧場物語』(洋泉社、1998年)ISBN 978-4896913194
- 吉川良『血と知と地 - 馬・吉田善哉・社台』(ミデアム出版社、1999年)ISBN 978-4944001590
- 『競馬種牡馬読本2』(宝島社、1997年)ISBN 978-4796693400
- 後藤正俊「ガンコな善哉氏も負けた! サッカーボーイに賭けた吉田勝己氏の心意気」
- 『優駿』2007年3月号(日本中央競馬会)
- 後藤正俊「優駿ロングインタビュー 吉田勝己 - 極めよメイド・イン・ジャパン」