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「三幕構成」の版間の差分

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[[File: Three Act Structure.svg|thumb|right|400px|三幕構成の見取り図<ref>[[#フィールド]] pp. 17, 149-150.</ref>]]
{{Rough translation|英語}}
[[File:Plot Line Graph Ver.2.png|thumb|right|400px|ウェンデル・ウェルマンによるプロット・ライン・グラフ (一部追記)。<br />赤とオレンジは主人公が敵対者と衝突する[[シーン]]<ref>ここまで。[[#ウェルマン]] pp. 122 ff.</ref>。]]


'''三幕構成''' (three-act structure) は、[[脚本]]の構成の一つである。
[[File: Three Act Structure.svg|thumb|right|400px|三幕構成の図式]]


三幕構成は[[ストーリー]]を、'''設定''' (Set-up)、'''対立''' (Confrontation)<ref name="paradigm">{{Cite web|url=http://sydfield.com/writers-tools/the-paradigm-worksheet/|title=THE PARADIGM WORKSHEET|accessdate=2014-03-27|last=Field|first=Syd|year=2013|publisher=sydfield.com|language=English|archivedate=2013-09-06|archiveurl=http://web.archive.org/web/20140327003711/http://sydfield.com/writers-tools/the-paradigm-worksheet/|ref=paradigm}}</ref>、'''解決''' (Resolution) の役割を持つ3つの部分 ([[幕#舞台・映写用|幕]]) に分ける<ref>ここまで。[[#フィールド]] pp. 17-22.</ref>。3つの幕の比は1:2:1である<ref>[[シーガーII]] pp. 43 f. 監訳者注.</ref>。
'''三幕構成'''(three-act structure)は、[[脚本]](シナリオ)の標準的な様式。三幕構成は物語を'''設定'''(setup)、'''対立'''(confrontation)、'''解決'''(resolution)の三部に分ける。


幕と幕はターニング・ポイントでつながっている。ターニング・ポイント (プロットポイント) は、主人公に行動を起こさせ、ストーリーを異なる方向へ転換させる出来事である<ref>ここまで。[[#フィールド]] p. 23.</ref><ref>ここまで。[[#シーガー]] pp. 100 f.</ref>。
== 概要 ==
'''第一幕'''(first act)は通常、メインキャラクターを固めるための説明に用いれられる。彼らはどのようなキャラクターか、彼ら同士はどのような関係か、彼らの住む世界はどのようなものか、といったことが第一幕で設定される。第一幕の後半では、きっかけとなる出来事がダイナミックに起こり、主人公にぶち当たる。主人公はこの出来事に上手く取り組もうと試みる。出来事は次のよりドラマティックなシチュエーションにつながる。これがいわゆる'''ファースト・ターニング・ポイント'''(first turning point, or plot point #1)である。これは、まず、(i)第一部が終わるシグナルになる。さらに、(ii)主人公の人生をがらりと変え、引き返せなくする。なおかつ、(iii)物語での'''問い'''(question)が生じる(これには作品のクライマックスで答えが与えられる)。この問いは、主人公の行動する「きっかけ」という目線から立てられなければならない。(例えば、「Xは[[ダイヤモンド]]を取り返せるか?」「Yは彼女をゲットするか?」「Zは殺人犯を逮捕できるか?」など。)<ref name="trottier">Trottier, David: "The Screenwriter's Bible", pp. 5–7. Silman James, 1998.</ref>


三幕構成は、映画および[[ドキュメンタリー]]などの構成においては、国際的に主流である。一般的に、日本以外の国では、三幕構成のモデルに基づいて、それらの脚本が[[制作]]されている<ref name="structure">ここまで。{{Cite web|work=シネマセンス|title=構造|publisher=[[アールト大学]] (旧[[ヘルシンキ芸術デザイン大学]])|language=Japanese|accessdate=2014-04-29|url=http://elokuvantaju.uiah.fi/nihon_go/kyoozai/kyakuhon/kouzou.jsp|archivedate=2014-04-28|archiveurl=https://web.archive.org/web/20140428020425/http://elokuvantaju.uiah.fi/nihon_go/kyoozai/kyakuhon/kouzou.jsp}}</ref><ref name="act">ここまで。{{Cite web|work=シネマセンス|title=幕|publisher=[[アールト大学]] (旧[[ヘルシンキ芸術デザイン大学]])|language=Japanese|accessdate=2014-04-26|url=http://elokuvantaju.uiah.fi/nihon_go/kyoozai/kyakuhon/maku.jsp|archivedate=2014-04-26|archiveurl=https://web.archive.org/web/20140426012928/http://elokuvantaju.uiah.fi/nihon_go/kyoozai/kyakuhon/maku.jsp}}</ref><ref name="documentary">ここまで。{{Cite web |date=平成24年度|url=http://www.unijapan.org/library/unijapantext/documentary_co-production.pdf|title=ドキュメンタリーの国際共同製作ガイダンス|format=PDF|publisher=公益財団法人ユニジャパン|accessdate=2014-03-02|author=浜野高宏|coauthors=今村研一, ハンス・ロバート・アイゼンハウアー|page=12||language=Japanese|archiveurl=https://web.archive.org/web/20140302131845/http://unijapan.org/library/unijapantext/documentary_co-production.pdf|archivedate=2014-03-02}}</ref><ref group="注釈">「なお、本稿は国際共同製作のドキュメンタリーの分野についてまとめたものだが、その内容は普遍的であり、特に[[ピッチ]]に関しては[[コンテンツ|映像コンテンツ]]のそれ以外の[[ジャンル]]についても参考となるであろう。」(同出典 p. 3.)</ref>。
'''第二幕'''(second act)は、"rising action"(盛り上がり展開)とも呼ばれ、一般に、ファースト・ターニング・ポイントで始まった問題を主人公が解決しようとする努力を描く。だが、その矢先、主人公は自分がますます悪化する状況の中にいることに気づく。理由の一つは、主人公が問題を解決できないように思われるからだ。なぜならば、それは、主人公の前に立ちはだかる敵対者に対抗するスキルをまだ持っていないためである。主人公は新しいスキルを得るだけでなく、より高い意識に目覚めなければならない。すなわち、主人公が苦境から抜け出すために何が出来るのかを悟る。そして、今度は自らを変える自覚を持つことである<!--訳者注:この辺りの翻訳は自信なし。校閲求む。-->。このようなキャラクターの内面の変化は、'''キャラクターの成長'''(character development)または'''[[w:Character arc|キャラクター・アーク]]'''(character arc)と言われる。それは一人では成し遂げられない。主人公は普通、[[メンタリング|良き指導者]](mentor)や共同主人公から助けられ、励まされている。<ref name="trottier"/>


映画を3つの幕に分割することは、西洋演劇の三幕または五幕の構成を継承したものである<ref name="structure"/>([[#歴史|"歴史"の節を参照]])。[[シド・フィールド]]および{{仮リンク|リンダ・シーガー|en|Linda Seger}}らは、物語を3つに分ける三幕構成の最古のものを、[[古代ギリシア|古代ギリシア時代]] (またはそれ以前) に求めている<ref>[[#フィールド]] p. 27.</ref><ref>[[#シーガー]] pp. 17 f.</ref>。
'''第三幕'''(third act)は、ストーリーとそのわき道(subplot)の解決で特徴づけられる。'''[[クライマックス]]'''は、ストーリーの緊張がそれまでより大きく高まる[[シーン]]または[[シークエンス]]であり、その緊張は頂点に達する。そして、第一幕で出された問いの答えが明かされる。主人公と他のキャラクターたちは自分の本当の姿を見出す<!--訳者注:この辺りの翻訳は自信なし。校閲求む。-->。<ref name="trottier"/>


三幕構成の枠組は[[1979年]]、映画に共通する基礎として、シド・フィールドによって理論化された。フィールドの教本 ''Screenplay: The Foundations of Screenwriting''<ref group="注釈">[[日本語]]訳: 『映画を書くためにあなたがしなくてはならないこと-シド・フィールドの脚本術』 フィルムアート社、2009年。ISBN 4845909278。</ref> は、世界22カ国語以上に[[翻訳]]され、数回の改訂を重ねている<ref>ここまで。「訳者あとがき」 [[#フィールド]] pp. 346 f.</ref><ref group="注釈">フィールドの教本の[[帯 (出版)|帯]]には、日本の映画監督3名が推薦文を寄せている。 / 第1巻: [[山田洋次]]「拙いシナリオからは、どんな名監督の手にかかっても、良い作品は生まれない。徹底したディテールと構造の考察が、傑作をうむことを教えてくれる。」 / [[犬童一心]]「勉強になりました。クールに時に暑く書かれた脚本の名指南書」 / 第2巻: [[大林宣彦]]「言葉で考える人間が、絵で伝えるものが映画だ。言葉と映像との葛藤が劇を生み、脚本術こそが映画の核となる。面白く、劇的な一冊だ。」 / [[犬童一心]]「脚本は映画の地図、作戦計画書、そして魂。」</ref>。
== 補遺 ==
[[フランス]]の[[脚本家]]であり[[映画監督]]の[[w:Yves Lavandier|Yves Lavandier]]は、その論文"[[w:Writing Drama|La dramaturgie]]"(Writing Drama)で、やや異なるアプローチを提示している。彼はこう主張する。すなわち、人間のあらゆる行動は、架空か現実かを問わず、3つの論理的な部分を含む。行動する前(before the action)、行動する間(during the action)、行動した後(after the action)がそれである。クライマックスは行動の一部であるから、第二幕に含まれていなければならないとLavandierは考察する。<ref>[http://www.clown-enfant.com/leclown/eng/drama/livre.htm#1STRUC Excerpt on the three-act structure] from [[w:Yves Lavandier]]'s ''[[w:Writing Drama]]''</ref>これはほとんどの[[w:screenwriting theories|脚本理論]]の第三幕より遥かに短い。短い第三幕(急速な解決)はまた、日本の伝統的な[[w:Dramatic structure|演劇理論]]の基礎である「[[序破急]]」にも見られる。


== 出典 ==
== 構成 ==
全ての[[ストーリー]]には、「発端」「中盤」「結末」がある<ref>[[#フィールド]] p. 15.</ref><ref group="注釈">シド・フィールドは、狭義の三幕構成に限らず、「すべてのストーリーが持っている共通点」としている ([[#フィールド]] p. 15.)。</ref>。三幕構成において、その3つの部分はそのまま3つの幕となり、3つの幕は「設定」「対立 (衝突)」「解決」の役割を持つ<ref>[[#フィールド]] pp. 17-22.</ref><ref group="注釈">フィールドの''Screenplay''の日本語版では、「対立 (衝突)」は「葛藤」と翻訳されている ([[#フィールド]] pp. 17, 20.)。一方で、原語は"confrontation"である ([[#paradigm]])。この項目では、原語により近い訳語を採用している。</ref>。'''第一幕''' (設定) では、誰の、何についてのストーリーであるのかが設定される<ref>[[#フィールドII]] p. 144.</ref>。'''第二幕''' (対立、衝突) では、主人公が自らの目的を達成するために、その障害と対立、衝突する<ref>[[#フィールドII]] p. 185.</ref>。第二幕の後半には、主人公が敗北の寸前まで追いつめられる<ref>[[#ウェルマン]] pp. 168, 176, 184-186.</ref><ref>[[#スナイダー]] pp. 126-133.</ref>。そして、'''第三幕''' (解決) では、ストーリーの問い、すなわち「主人公は目的を達成できるのか?」<ref>[[#シーガーII]] pp. 51 f.</ref>という問いに対する答えが明かされ、その問題が解決される<ref>[[#フィールドII]] p. 238.</ref>。
{{reflist}}

映画は通常、2時間ほどの長さである<ref group="注釈">「ほとんどのハリウッド映画は二時間ほどの長さである。外国語映画は〔も〕……多くの場合、二時間を少し過ぎるか、それよりも短いかという長さだ。これが標準的な長さで、今日、製作者とプロデューサーの間でかわされる契約書には、映画は二時間八分以内で納入されなければならないと書かれていることが多い。」([[#フィールド]] p. 18.)</ref>(映像の1分は、脚本ではおよそ1ページになる)。第一幕は、開始から20-30分頃までの約30分間であり、全体のおよそ4分の1である。第二幕は、20-30分頃から85-90分頃までの約60分間であり、全体のおよそ半分である。第三幕は、85-90分頃から120分頃までの約30分間であり、全体のおよそ4分の1である<ref>ここまで。[[#フィールド]] pp. 17-22.</ref>。このとき、それぞれ3つの幕の比率は、およそ'''1:2:1'''となる<ref>[[#シーガーII]] pp. 43 f. 監訳者注.</ref>。第一幕から第三幕のそれぞれは、再びさらに短く、発端、中盤、結末の3つのパートに分割される<ref>ここのみ。[[#フィールド]] pp. 233-235.</ref>。

第一幕の終わりと第二幕の終わりには、'''ターニング・ポイント''' (プロットポイント) がある。[[シド・フィールド]]によれば、ターニング・ポイント<ref group="注釈">フィールドは「'''プロットポイント'''」という表現を用いている ([[#フィールド]] pp. 22 f.)。[[ハリウッド]]では「プロットポイント」と呼ぶほうが主流である ([[#ウェルマン]] p.143.)。ただし、トロティエ (Trottier)、シーガー、およびスナイダーらのテキストは、「ターニング・ポイント」と呼称している。本項目は、トロティエのテキストに基づいた英語版の記事から発展したため、現在のところ「ターニング・ポイント」という呼称を継承している。</ref>とは、「アクション (行動) を起こさせ、物語を違う方向性に向かわせる事件やエピソードなど」をいう。ターニング・ポイントは[[主人公]]に関するイベントである<ref>ここまで。[[#フィールド]] pp. 22 f.</ref>。劇的で大きな場合もあれば、そうでない場合もある。ときには[[台詞]]や決断のみである<ref>ここまで。[[#フィールド]] p. 187.</ref>。

三幕構成は、公式やルールではなく、見取り図 ([[パラダイム (曖昧さ回避)|パラダイム]]) であり、スタイルでしかない<ref group="注釈">すなわち、三幕構成とは、ストーリーを伝えるために効果的な「[[フレームワーク]]」(枠組み) に過ぎないのであり、独創性を奪う制限ではない ([[#シーガー]] pp. 18 f.)。</ref>。「発端」「中盤」「結末」という[[モデル]]が重要なのであり、例えばフィールドの示しているページ数の通りに書かなくともよい<ref group="注釈">フィールドは、あるときは「『プロットポイント I 』が35ページ目に来てしまった」と受講生から深夜に電話で泣きつかれ、またあるときは、[[パリ]]のワークショップで会場から「あなたは悪魔だ。構成なんか使っても脚本が書けるわけがない」と罵倒された。このときはフィールドが「では、皆さんはどうやってストーリーを組み立てているのですか?」と尋ねたところ、曖昧で釈然としない答えしか返って来なかったという (ここまで。[[#フィールドII]] pp. 32 f.)。</ref>。ストーリーが構成を決めるのであり、構成がストーリーを決めるのではない<ref>ここまで。[[#フィールド]] pp. 17, 24-26.</ref><ref>ここまで。[[#フィールドII]] p. 32.</ref>。脚本の構成とは、関連のあるイベントやエピソードを解決に向かうように並べ<ref>[[#フィールドII]] p . 37.</ref>、[[レイアウト]]することにより、全てを明確な一本のストーリーラインでつなぐツールである。そして、その目的は、[[ドラマ]]として最大の効果を得ることにある<ref>ここまで。[[#フィールドII]] p. 43.</ref>。

なお、この項目では、{{仮リンク|ブレイク・スナイダー|en|Blake Snyder}}の分類、すなわち「ブレイク・スナイダー・ビート・シート」(BS2)<ref>[[#スナイダー]] pp. 111 ff.</ref><ref group="注釈">スナイダーの開発した、三幕構成の空白を埋める15分割の[[テンプレート]]のこと ([[#スナイダー]] pp. 111 ff.)。</ref>を参考程度に掲載している。これにはフィールドの分類ほどの一般性が無いため<ref group="注釈">BS2は、フィールドのモデルとは異なり、他の教本から引用されていない。</ref>、あくまでもスナイダー個人の意見として扱っている。よって、'''スナイダーの分類に従う必要は全く無い'''点に注意が必要である。

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== 第一幕 (設定) ==
=== オープニング ===
'''第一幕''' (first act) は通常、メインキャラクターを固めるための説明に用いれられる。彼らはどのようなキャラクターか、彼ら同士はどのような関係か<ref group="注釈">シド・フィールドのテキストでは、これに替わって、「何についてのストーリーなのか」になっている。</ref>、彼らの住む世界はどのようなものか、といったことが第一幕で設定される<ref name="trottier">ここまで。[[#Trottier]] pp. 5–7.</ref>。2時間映画の場合、第一幕のうち最初の'''10分'''ほどでこういったことを説明しなければならない。この冒頭10分 (10ページ) が全体で最も重要である。観客は多くの場合、最初の10分程度で映画の評価を決めてしまうためである。ここで退屈だったり、分かりにくかったりすると、観客は映画に集中することをやめてしまう<ref name="syd">ここまで。[[#フィールド]] pp. 19-25.</ref>。

この10分間は'''セットアップ''' (set-up)<ref group="注釈">シド・フィールドは、第一幕の全体の役割を「セットアップ」としている ([[#paradigm]])。一方で、リンダ・シーガーおよびブレイク・スナイダーは、冒頭のおよそ10分間を「セットアップ」と呼んでいる ([[#シーガーII]] pp. 44, 53., [[#スナイダー]] p. 117. )。論者によって同じ用語に意味の「ねじれ」のあることに注意が必要である。 </ref>と呼ばれ、メインストーリーの登場人物が必ず全て登場するか、その存在が示唆される<ref>[[#スナイダー]] p. 117.</ref>。主人公が敵対者と初めて出会うのもこのセクションである<ref>[[#ウェルマン]] p. 158.</ref>。主人公の目的や使命が明確にされ<ref>[[#ウェルマン]] p. 160.</ref>、主人公が最終的に勝利するために足りないものを見せる<ref>[[#スナイダー]] pp. 117 f.</ref><ref group="注釈">{{仮リンク|ブレイク・スナイダー|en|Blake Snyder}}は、主人公に足りないものを「'''直すべき6つのこと'''」(6つでなくともよい) と呼び、それを「見せる」ことを重視している ([[#スナイダー]] p. 118.)。</ref>。こうして状況設定をした上で、今後の急展開の前兆が示され、[[フラグ (ストーリー)|伏線]]が敷かれる<ref name="matthew">ここまで。[[#ルーン]]</ref><ref group="注釈">講演者マシュー・ルーン (Matthew Luhn) は、[[ピクサー・アニメーション・スタジオ]]のストーリー・アーティスト (講演当時) ([[#ルーン]])。</ref>。ただし、[[シド・フィールド]]は、あらゆることを最初の10ページ (10分) に詰め込みすぎると、逆効果になるとも注意している<ref>[[#フィールド]] p. 243.</ref>。

『[[アナと雪の女王]]』('13) のセットアップは、アナとエルサの姉妹が氷の魔法で一緒に遊び、アナが事故に遭うシーンから始まる。エルサ<ref group="注釈">「敵対者は必ずしも悪者ではない……。対立、衝突、障害、主人公にとって反対の理論を唱えること、そういったものを提供する者が、脚本における『敵対者』だ」([[#ウェルマン]] p. 62.)</ref>は魔法の力をコントロール出来なくなり、その力からアナを守るために姉妹が引き離される。そして両親が[[海難事故]]で亡くなるまでが、セットアップにあたる<ref name="frozen">ここまで。{{Cite web|url=http://www.savethecat.com/beat-sheet/frozen-beat-sheet|title=Frozen Beat Sheet
|publisher=Blake Snyder's SAVE THE CAT! (公式)|date=2014-01-10|language=English|accessdate=2014-05-13|archivedate=2014-05-13|archiveurl=http://web.archive.org/web/20140513062443/http://www.savethecat.com/beat-sheet/frozen-beat-sheet}}</ref>。

第一幕では設定の説明が行われるが、台詞で説明を行うと、[[キャラクター]]がアクションしなくなり、ストーリーの展開もスローになる。映像作品は映像でストーリーを説明することが重要である<ref>ここまで。[[#フィールド]] p. 125.</ref>。登場人物やストーリーを説明する上で、台詞はあまり必要でない。必要でない情報を盛り込んではならない。それでは観客は引き込まれない。必要な情報は、キャラクターの最も重要な部分を明らかにし、ストーリーを前に進める情報のみである。説明は、明確、手短、シンプルでなければならない<ref>ここまで。[[#シーガー]] pp. 72 f.</ref>。

例えば、『[[羊たちの沈黙 (映画)|羊たちの沈黙]]』('91) では、主人公が特別な任務を任されるシーンで告げられる理由はこれだけである。「君は成績もトップクラスだ。専攻も心理学と[[犯罪学]]だし」。また、映画監督の[[アルフレッド・ヒッチコック]]は、主人公が新婚であることを次の[[脚本#ト書き|ト書き]]のみで表現した。「花瓶に生けたバラのそばにカードが添えてある。『結婚おめでとう!』」 そして、ヒッチコックは、「情報を表わす的確な映像があれば、[[シーン]]の数は最小限ですむ」と述べている<ref>ここまで。[[#シーガー]] pp. 72 f.</ref>。

* バックストーリー
:{{仮リンク|バックストーリー|en|backstory}} (backstory) は、最初のシーンが始まる前に主人公に起こった出来事である。主人公が冒頭のアクションに至った過程は省略され、それはバックストーリーに置かれる。バックストーリーによって、ストーリーの最初からアクションに入ることが出来る。このため、ストーリーの緊張感はオープニングから高くなり、効果のあるオープニングがイメージしやすくなる<ref>ここまで。[[#フィールドII]] pp. 149-153.</ref><ref group="注釈">[[ラテン語]]では「[[イン・メディアス・レス]]」(In medias res) と呼ばれ、古典的な手法の一つである。</ref>。

* '''オープニング・イメージ''' <small>(※スナイダーの分類)</small>
:'''オープニング・イメージ''' (opening image) は、{{仮リンク|ブレイク・スナイダー|en|Blake Snyder}}によれば、映画の第一印象が全て決まる部分である。優れたオープニング・イメージは、どのような作品なのかがイメージでき、作品のスタイル、ジャンル、およびテーマなどが象徴される。それはまた、主人公の変化する前の姿を見せる場である。オープニング・イメージは最後のファイナル・イメージと一対になっており、主人公に起こった変化はラストで表される<ref>ここまで。[[#スナイダー]] pp. 114 f.</ref>。ここでは舞台となる場所や時代も設定される。作品の舞台がワイドアングルで映し出される場合が多いが、反対に、[[クローズアップ]]から始まる場合もある<ref>ここまで。[[#シーガー]] pp. 69 f.</ref>。

* '''セットアップ'''
:'''セットアップ''' (set-up) では、ストーリーを理解するための要点が全て示される。セットアップは、誰の、何についての、どこが舞台の、どのようなジャンルのストーリーなのかを明確にする<ref>ここまで。[[#シーガーII]] p. 44.</ref>。主人公の目的が与えられ、メインストーリーに登場するキャラクターも紹介される。このセクションは冒頭の10分 (長くても12分) であり、観客の興味を得られるかどうかの分岐点である<ref>ここまで。[[#スナイダー]] p. 117.</ref><ref>ここのみ。[[#フィールド]] pp. 18 f.</ref>。

:* 出会いと挨拶 <small>(※ウェルマンの分類.)</small>
::「出会いと挨拶」は、ウェンデル・ウェルマンによれば、冒頭の3分から10分の時点で起こる。主人公は敵対者とプライベートで出会うが、危険を感じておらず、むしろ主人公がフレンドリーな敵対者に関心を持つほどである。この時点では、まだ主人公は「普通の世界」にいる。ウェンデル・ウェルマンは、冒頭で主人公とその友人たちが暮らす「普通の世界」を、可能な限り面白い世界として描くことを勧めている。すぐ後に、主人公は敵対者によって、それとは正反対の危険な世界へと入り込むことになるからである<ref>ここまで。[[#ウェルマン]] pp. 157 f.</ref>。

:* テーマの提示 <small>(※スナイダーの分類)</small>
::スナイダーによれば、テーマの提示 (theme stated) では、登場人物の誰かが作品のテーマに関することを口にする。普通、主人公でない人物が主人公に対して忠告する。主人公は言われたことの意味をよく分からないが、ストーリーが進むほどその言葉の重さを理解するようになる。ここでは脚本家の主張が代弁され、以降は、登場人物がそれに賛成か反対かで対立しながらストーリーが進行する。スナイダーは冒頭5分の時点で起こるとしている<ref>ここまで。[[#スナイダー]] pp. 116 f.</ref><ref group="注釈">{{仮リンク|リンダ・シーガー|en|Linda Seger}}は、テーマを表現する台詞について、シナリオのどの部分にあってもよいとする一方で、「たいていは中盤か第二幕の終わりにくる」としている。そうすれば進行中のストーリーの意味が分かりやすくなるためという (ここまで。[[#シーガー]] p. 125.)。</ref>。

::『[[アナと雪の女王]]』('13) では、 頭の凍りついたアナを抱いた国王夫妻が、"The heart is not so easily changed, but the head can be persuaded." (心は頭ほど簡単には変わらない) と、[[トロール]]の長老から教えられる。つまり、アナは真実の愛を学ばなければならず、それがストーリーの中心となる。姉のエルサもまた、自らの優れた力を制御する必要があり、それには恐れが最大の障害となることを告げられる<ref name="frozen"/><ref group="注釈">{{Cite book|和書|editor=今西千鶴子|title=アナと雪の女王 公式パンフレット|publisher=東和プロモーション|date=2014-03-14|language=Japanese|quote=『恐れ』対『愛』という大きなテーマがあるわ。([[ジェニファー・リー]], 脚本・共同監督)}}</ref>。

:* '''セントラル・クエスチョン'''
::'''セントラル・クエスチョン'''は、セットアップの終わりに観客に対して行われる問いかけであり、その答えはクライマックスで与えられる。このとき、主人公の解決しなければならない問題が観客に明かされる<ref>[[#シーガーII]] p. 51.</ref>。この問いかけは、主人公の行動する「きっかけ」という目線から立てられなければならない (例: 「Xはダイヤモンドを取り返せるか?」「Yは彼女をゲットするか?」「Zは殺人犯を逮捕できるか?」など)<ref name="trottier"/>。すなわち、「主人公は目的を成し遂げられるのか」ということがクエスチョンとなるが、主人公の心理的な変化が目的となる場合もある。セントラル・クエスチョンは、ストーリー上の全ての出来事に関係する。セントラル・クエスチョンの設定によってセットアップは終了し、本当のストーリーを始める準備が出来る<ref>[[#シーガーII]] pp. 52 f.</ref>。

* '''インサイティング・インシデント'''
:'''インサイティング・インシデント''' (inciting incident, 引き金) または カタリスト (catalyst) <ref>[[#シーガーII]] pp. 49 f.</ref>は、「'''ツカミ'''」となる事件である。これは、その後に起こるさらにダイナミックな展開の引き金となる。それは[[オープニング]] (ときには1ページ目) に配置される。この出来事によって、(i) ストーリーが動き始め、また、(ii) 観客がストーリーに集中させられる<ref>ここまで。[[#フィールド]] pp. 149-151, 154-155, 160.</ref>。インサイティング・インシデントは、原則として最初の10分から15分に置かれる (この「引き金」のシーンは全編にちりばめることも出来る)。このシーンは、会話よりも出来事や行動で描いたほうがインパクトは強い<ref>ここまで。[[#シーガー]] p. 74.</ref>。たいていのヒット映画では、主人公が敵対者と最初に遭遇するのはこの辺り (開始10分頃) である<ref>[[#ウェルマン]] p. 125.</ref>。インサイティング・インシデントはファースト・ターニング・ポイントにつながる。[[ストーリー]]が本当の意味で始まるのは次のファースト・ターニング・ポイントからである。インサイティング・インシデントは必要不可欠であるが、前振りでしかない<ref>ここまで。[[#フィールド]] pp. 149-151, 154-155, 160.</ref>。

:例えば、『[[マトリックス (映画)|マトリックス]]』('99) で、ヒロインの[[マトリックスの登場人物一覧#ネブカドネザル号|トリニティ]]が重力を無視して警官隊の包囲から脱出するシーン、『[[ロード・オブ・ザ・リング]]』('01) で、指輪が川底から見つかるシーン<ref>[[#フィールド]] pp. 150 f.</ref>、『[[シックス・センス]]』('99) の主人公が撃たれるシーン、『[[プライベート・ライアン]]』('98) の[[ノルマンディー上陸作戦|ノルマンディー上陸]]のシーン<ref>[[#シーガー]] p. 74.</ref>、『[[アナと雪の女王]]』('13) で、エルサの戴冠式が始まり、妹のアナが「生まれてはじめて」を歌い踊って喜ぶシーンなどが、インサイティング・インシデントである<ref name="frozen"/>。

* 第二の10ページ
:セットアップが終わった後の「第二の10ページ」(開始10-20分) では、主人公に焦点が当てられる。セットアップが「誰の、何についてのストーリーなのか」を明確にしたのに対し、ここでは、「主人公はどのような人物なのか」ということが中心になる。 主人公の人生の「ある1日」が示され、主人公のキャラクターや人間関係がより明らかになる。この1日は、狭い意味での「日常の1日」である場合もあれば、そうでない場合もある。主人公は行動的、決断的で、ほぼ全てのシーンに登場していなければならず、また、最初の10ページ (10分) の設定に応じて行動している必要がある。なおかつ、この間のストーリーは、第一幕の終わりのファースト・ターニング・ポイントに向かって広がり、前に進まなければならない<ref>ここまで。[[#フィールドII]] pp. 172-175.</ref>。

:* 悩みのとき <small>(※スナイダーの分類)</small>
::スナイダーによれば、悩みのとき (debate) では、主人公が自分の目標を実現できるのか疑問を抱き、十分に考える (12分から15分, 全体の約1/10)。これにより疑問の答えを見つけ、主人公は自信を持って試練に立ち向かう決心が出来る。前のインサイティング・インシデントと次のファースト・ターニング・ポイントをつなぐセクション<ref>ここまで。[[#スナイダー]] pp. 120 f.</ref>。

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=== ファースト・ターニング・ポイント ===
第一幕の終わりでは、きっかけとなる出来事がダイナミックに起こり、主人公に直面する。主人公はこの出来事に上手く取り組もうと試みる。出来事は次のよりドラマティックなシチュエーションにつながる。これが'''ファースト・ターニング・ポイント'''または'''プロットポイント I''' (first turning point または plot point I)である。これは、まず、(i) 第一部が終わる合図となる。さらに、(ii) 主人公の人生をがらりと変え、引き返せなくする<ref name="trottier"/>。なおかつ、(iii) 冒頭のセントラル・クエスチョンが再び示される<ref>[[#シーガーII]] pp. 56 f.</ref>。ファースト・ターニング・ポイントから本当のストーリーが始まる<ref>[[#フィールド]] p. 47.</ref>。それは通常、開始から20-25分または30分頃に配置される<ref>[[#フィールド]] p. 23.</ref>。

ここでは、それまでの状況が一変して、主人公のゴールが明確になり、その目標を達成するためのストーリーが始まる<ref name="matthew"/>。ファースト・ターニング・ポイントは、主人公の関係する何らかのイベントであり、ここから物語は第二幕に入る<ref name="syd"/>。主人公は安定した日常から、危険にあふれた非日常へと足を踏み入れる<ref name="matthew"/>。二つの世界は著しく異なるため、自分から新しい世界に進む強い意志がなければならない。主人公は受け身のまま流されて第二幕に入ってはならない。自ら選択し、行動しなければ主人公ではない<ref>ここまで。[[#スナイダー]] pp. 122 f.</ref>。これは言わば森の中に分け入る入り口のシーンである。必ず敵対者との衝突が起こるが、通常、対峙するだけで「戦闘」にはならない。一方で、主人公は、敵対者が予想外で思いもよらない存在であり、これまでの方法では立ち向かえないことを知る。主人公は「普通の世界」を去ろうとしているのである。このため、ストーリーに最初の転換が起こる。続く数シーンでは、主人公が森の中、つまり新しい世界で、「普通の世界」とは異なる人々に出会う<ref>ここまで。[[#ウェルマン]] pp. 162-164.</ref>。

ファースト・ターニング・ポイントでは、主人公の「ドラマ上の欲求」がそれまでとは変化する。このため、続く第二幕では、まず初めに、主人公の新たな「ドラマ上の欲求」を明らかにしなければならない。『[[テルマ&ルイーズ]]』('91) では、親友テルマをレイプしようとした男をルイーズが射殺したことによって、「二人で週末の楽しい旅に出かけること」という欲求は、「二人で[[メキシコ]]まで逃げること」へと変わる。これは、ファースト・ターニング・ポイントで主人公の「ドラマ上の欲求」が変化する例である<ref>ここまで。[[#フィールド]] p. 186.</ref><ref>ここまで。[[#フィールドII]] p. 186.</ref>。

『[[タイタニック (1997年の映画)|タイタニック]]』('97) では、船から飛び降りようとしたローズをジャックが救うシーンが、ファースト・ターニング・ポイントに当たる<ref>[[#フィールドII]] p. 194.</ref>。『[[ロード・オブ・ザ・リング]]』('01) で、主人公[[フロド・バギンズ|フロド]]が指輪を運ぶために村を出るシーン<ref>[[#フィールドII]] p. 176.</ref>、『[[マトリックス (映画)|マトリックス]]』('99) では、主人公[[マトリックスの登場人物一覧#ネブカドネザル号|ネオ]]が真実の世界に目覚めるための錠剤を選ぶシーン<ref>[[#フィールド]] p. 181.</ref>、『[[アナと雪の女王]]』('13) で、アナが姉のエルサを追って雪山に向かうシーン<ref name="frozen"/>、そして『[[スター・ウォーズ エピソード4/新たなる希望|スターウォーズ]]』('77) で主人公[[ルーク・スカイウォーカー]]が旅立つことを決意するシーンなども同様である<ref>[[#スナイダー]] p. 123.</ref>。

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== 第二幕 (対立、衝突) ==
'''第二幕''' (second act) は、"rising action" (上昇する展開) とも呼ばれ、一般に、ファースト・ターニング・ポイントで始まった問題を[[主人公]]が解決しようと努力する姿を描く<ref name="trottier"/>。主人公は、目指す目標の障害と戦って勝たなければならない<ref name="syd"/>。一方で、その矢先、主人公は自分がますます悪化する状況の中にいることに気づく。理由の一つは、[[主人公]]が問題を解決できないように思われるからであり、それは、主人公の前に立ちはだかる敵対者に対抗するスキルをまだ持っていないためである。主人公は新しいスキルを得るだけでなく、より高い意識に目覚めなければならない。すなわち、主人公が苦境から抜け出すために何が出来るのかを悟る。そして、今度は自らを変える自覚を持つことである<ref name="trottier"/><!--訳者注:この辺りの翻訳は自信なし。校閲求む。-->。

このようなキャラクターの内面の変化は、'''キャラクターの成長''' (character development) または'''{{仮リンク|キャラクター・アーク|en|Character arc}}''' (character arc) と呼ばれる。それは一人では成し遂げられない。主人公は普通、[[メンタリング|良き指導者]] (mentor) や共同主人公から助けられ、励まされている<ref name="trottier"/>。

第二幕は「'''対立'''、衝突」(confrontation) である<ref name="paradigm"/><ref group="注釈">[[シド・フィールド]]の''Screenplay''の日本語版では、「対立 (衝突)」は「葛藤」と翻訳されている ([[#フィールド]] pp. 17, 20.)。一方で、原語は"confrontation"である ([[#paradigm]])。この項目では、原語により近い訳語を採用している。</ref>。登場人物が相次ぐ困難を乗り越え、「ドラマ上の欲求」を成し遂げようとする<ref>ここまで。[[#フィールド]] p. 235.</ref>。主人公の「ドラマ上の欲求」、すなわち最終目的を決めれば、そのために乗り越えなければならない障害は自然に作れ、主人公がその障害に打ち克(か)つストーリーが完成されていく<ref>[[#フィールドII]] p. 56.</ref>。第二幕においては、主人公の物理的または精神的な障害が'''4つ'''必要である<ref>[[#フィールドII]] pp. 72 f.</ref>。そうして、主人公の試練は[[クライマックス]]に向けて、いよいよ困難なものとなっていく<ref name="matthew"/>。

[[シド・フィールド]]によれば、第二幕は'''ミッドポイント''' (中間点) を境に前半と後半に分けられ、それぞれに'''サブテーマ''' (サブコンテクスト) が存在する。『[[タイタニック (1997年の映画)|タイタニック]]』('97) では、「ローズとジャックが互いを知ること」が、第二幕前半のサブテーマである。ジャックがローズの家族から夕食に招待され、二人が結ばれるまでを指す。また、第二幕後半のサブテーマは、「ローズとジャックが固い絆で結ばれること」である。ここでは、二人が生き残れるかどうかにストーリーの焦点が移る。ローズは一度は乗り込んだ救命ボートから降りて、愛するジャックのところへ行こうとする。これら第二幕の前半と後半の行動をつなぎ、ストーリーを進展させるものが、ミッドポイントでの氷山の衝突である<ref>ここまで。[[#フィールドII]] pp. 193-195.</ref>。

すなわち、第二幕の前半、後半は、それぞれサブテーマとしてまとまり、それが第二幕全体のテーマ (コンテクスト) を形成している<ref>[[#フィールドII]] p. 205.</ref>。サブテーマ (隠れた意味や背景) がクリアになれば、ストーリーに必要なアクションも明らかになってくるとする。フィールドは、区切りとなる二つのターニング・ポイントとミッドポイントを明確にした上で、第二幕の前半からサブテーマを決めることを推奨している<ref>[[#フィールドII]] pp. 200, 204-206.</ref>。

フィールドによれば、サブテーマの次に、'''時間枠'''を設定しなければならない。時間枠の設定とは、映画の限られた時間の中で、どの程度の時間の流れ (1日, 1ヶ月, 1年, 10年など) を表現するのかを決めることである。ストーリーを進めるために最も効果的な時間枠を考える必要があるとする。フィールドは、まず、第二幕の前半の時間枠から考えることを推奨している。このように、サブテーマと時間枠を決めることで、ストーリーの進む方向が定まり、ミッドポイントやセカンド・ターニング・ポイントにつながるアクションが明確になるとする。そのため、フィールドは、まずサブテーマと時間枠を決めてからアクションを考えるべきであるとしている。第二幕は「対立 (衝突)」であるから、ここが不明確であると、対立 (衝突) が弱まり、ストーリーが動かなくなる<ref>ここまで。[[#フィールドII]] pp. 185, 207-208.</ref>。

[[フィールド]]はさらに、第二幕前半の中間、および第二幕後半の中間にあたるポイントを、それぞれ「'''ピンチ'''」(pinch, 挟むこと)<ref group="注釈">「"ピンチ"という名前は、……アクションを進展させ、ストーリーをしっかり挟んで結びつけ、脱線させないように前進させるポイントという意味を込めたのである」([[#フィールドII]] pp. 210 f.)</ref>と呼んでいる。これらは、第二幕の始まりから終わりまでのストーリーをリレーする出来事である。ピンチの[[シークエンス#映画|シークエンス]]は、ストーリーを前に進めるものであれば、行動でも会話でもよい。ピンチ I (開始45分) は第二幕の前半を、ピンチII (開始75分) は第二幕の後半を、いずれも一つにまとめ、ストーリーを前に進めている<ref>ここまで。[[#フィールドII]] pp. 209-212.</ref>。

第二幕では、ストーリーがどこへ向かっているのかを明確にすることが重要である<ref>[[#フィールドII]] p. 200.</ref>。フィールドは、まず、(i) 結末、 (ii) オープニング、(iii) ファースト・ターニング・ポイント、(iv) セカンド・ターニング・ポイント ――を順番に決めておくことを推奨している<ref>[[#フィールドII]] p. 196.</ref>。次に、フィールドは、第二幕を設定する順序として、以下のように主張している。すなわち、初めに、(i) ミッドポイントから考える。ミッドポイントにより、第二幕は前半と後半に分かれる。そして、(ii) 第二幕の前半・後半のサブテーマ、(iii) 第二幕の前半・後半の時間枠、(iv) ピンチ I および ピンチII ――をこの順に決めるとしている<ref>ここまで。[[#フィールドII]] pp. 207, 211-212.</ref>。

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=== 前半 ===
[[シド・フィールド]]は、この第二幕の前半 (first half) <ref name="paradigm"/>の中間点 (45分) を、'''ピンチ I''' (pinch I) と呼んでいる。ピンチ I は、第二幕前半の中心となる重要な出来事である。それは、第二幕の前半を一つにまとめ、ファースト・ターニング・ポイントからミッドポイントまでのストーリーをつなぐ。この出来事により、第二幕全体の構成がより明確になる。『[[テルマ&ルイーズ]]』('91) では、逃走中のテルマとルイーズが、ピンチ I で[[ヒッチハイク|ヒッチハイカー]]のJ.D.を車に乗せる。二人はミッドポイントで、そのJ.D.に逃走資金を持ち逃げされてしまう<ref>ここまで。[[#フィールドII]] pp. 209-212.</ref>。

* サブプロット <small>(※スナイダーの分類)</small>
:{{仮リンク|サブプロット|en|Subplot}} (subplot) またはBストーリー (B-story) は、{{仮リンク|ブレイク・スナイダー|en|Blake Snyder}}によれば、「[[ラブストーリー|ラブ・ストーリー]]」であることが多い (必ずしもそうであるとは限らない)。直前のターニング・ポイントのショックから観客を休ませ、なおかつ、ストーリーを加速させ前に進める「[[固体ロケットブースタ|補助ロケット]]」である。ささやかな場面転換である一方で、メインストーリーと無関係ではなく、作品のテーマも改めて示される。ここでは、新しいキャラクターが登場することが多い。第二幕は「普通」の世界である第一幕とは正反対であるため、たいてい、この新たな登場人物もそれまでとは反対に「普通」ではない。サブプロットは全体の1/4を過ぎた辺り (30分) で始まる<ref>ここまで。[[#スナイダー]] pp. 123 f.</ref>。『[[アバター (映画)|アバター]]』('09) では、主人公ジェイクがナヴィの娘ネイティリに命を助けられる<ref>{{Cite web|url=http://www.savethecat.com/beat-sheet/stc-beats-out-avatar|title=Avatar Beat Sheet|publisher=Blake Snyder's SAVE THE CAT! (公式)|date=2010-01-28|language=English|accessdate=2014-05-17|archivedate=2014-05-17|archiveurl=http://web.archive.org/web/20140517123953/http://www.savethecat.com/beat-sheet/stc-beats-out-avatar}}</ref>。『[[アナと雪の女王]]』('13) では、アナが氷売りのクリストフと雑貨屋で出会う<ref name="frozen"/>。

* ファン・アンド・ゲームズ <small>(※スナイダーの分類)</small>
:ファン・アンド・ゲームズ (fun and games, お楽しみ) は、スナイダーによれば、「この作品はこういうものです」という「お約束」を果たす場面であり、「なぜこの作品を観ようと思ったのか」という観客の期待に応える部分である (30分から55分まで、全体の約1/4から1/2まで)<ref group="注釈">サブプロットとファン・アンド・ゲームズの時間帯は重なっており、また、同時に始まる。</ref>。ポスターや[[予告編]]で使われ、観客は[[ストーリー]]よりもこのパートを待望している。「お約束」を観る場面であるため、ストーリーの目的とはやや外れ、他の部分より調子が軽い。例えば、『[[ダイ・ハード]]』('88) では、主人公[[ジョン・マクレーン (架空の人物)|ジョン・マクレーン]]がテロリストの鼻を明かす展開が始まる。『[[スパイダーマン (映画)|スパイダーマン]]』('02) では、主人公が突然手に入れた力を使ってみる<ref>ここまで。[[#スナイダー]] pp. 125 f.</ref>。『[[アナと雪の女王]]』('13) で、エルサ女王が"[[レット・イット・ゴー (ディズニーの曲)|Let It Go]]"を歌いながら氷の城を建てるシーンもこのセクションである。また、雪だるまのオラフがアナたちの仲間になる<ref name="frozen"/>。フィールドの言う'''ピンチ I''' (45分) はここで起こる<ref>[[#フィールドII]] pp. 209-211.</ref>。

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=== ミッドポイント ===
'''ミッドポイント''' (midpoint) は、ストーリーの中盤60分ほどで起こるイベントである<ref>[[#フィールド]] p. 248.</ref>。ミッドポイントすなわち中間点は、映画を前半と後半に分ける<ref>[[#スナイダー]] pp. 126 f.</ref>。ミッドポイントからは'''危険度が急に上がる'''<ref>[[#スナイダー]] p. 128.</ref><ref group="注釈">{{仮リンク|ブレイク・スナイダー|en|Blake Snyder}}によれば、主人公はここで「見せかけの」絶好調 (または絶不調) になる。勝利した場合はオール・イズ・ロスト (後述) で「見せかけの」敗北をし、敗北した場合はその逆になるという (ここまで。[[#スナイダー]] pp. 126-128.)。</ref>。主人公と敵対者の間で大きな「バトル」が起こり、ターニング・ポイントと同じ程度かそれ以上の転換シーンになる。ここでは突然、主人公の目的や主張を打ち砕く何かが起こり、ストーリーを正反対に方向転換させる。『[[タイタニック (1997年の映画)|タイタニック]]』('97) で氷山が船に衝突するシーンもこのポイントである ([[パニック映画]]ではミッドポイントで災害が発生する)<ref>ここまで。[[#ウェルマン]] pp. 143-144, 168, 170-171.</ref>。また、『[[アナと雪の女王]]』('13) で、氷の城にたどり着いたアナが、女王エルサから氷の魔法で心臓を撃たれるシーンなども、ミッドポイントの例として挙げられる<ref name="frozen"/>。

ミッドポイントでは、主人公に新しい道標が与えられる。主人公がこれまで目指してきた試みは失敗したのであるから、新たにどこへ向かうべきかを知る必要がある<ref>ここまで。[[#ウェルマン]] p. 174.</ref>。ここでは、登場人物が変化し始め、主人公がこれまでとは別の生き方を選んだり、新しい行動を開始したりする<ref>[[#シーガー]] p. 192.</ref>。[[ピクサー・アニメーション・スタジオ|ピクサー]]作品では、主人公の精神的な成長を描くため、主人公が旅の中間部でその目的を一時的に見失ってしまい、その間だけ目的が変化するという展開が必ず挿入される<ref name="matthew"/>。

作品によっては、「人目を引きつけるシーン」がここに置かれる。人目を引きつけるシーンは、ストーリーの進行を一時停止させ、にぎやかに盛り上がる[[ショー]]の場面である。このシーンは、次第にヒートアップし、テンポも急速に上がっていく [『[[美女と野獣 (アニメ映画)|美女と野獣]]』('91) のディナーのシーンなど]。それによりキャラクターが何かを達成したり、変化したりする。作品の全てのシーンの中で最も記憶に残る場合が多い。[[ミュージカル]]的な歌や踊りだけでなく、[[サーカス]]、[[カーチェイス]]、またはスポーツなども同様である。『[[ロッキー (映画)|ロッキー]]』('76) のトレーニングの場面も、その盛り上がり方から、人目を引きつけるシーンと言える<ref>ここまで。[[#シーガー]] pp. 95 f.</ref>。

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=== 後半 ===
[[シド・フィールド]]は、この第二幕の後半 (second half)<ref name="paradigm"/> の中間点 (75分) を、'''ピンチII''' (pinch II) と呼んでいる。ピンチII は、第二幕後半の中心となる重要な出来事である。それは、第二幕の後半を一つにまとめ、ミッドポイントからセカンド・ターニング・ポイントまでのストーリーをつなぐ。この出来事により、第二幕全体の構成がより明確になる。『[[テルマ&ルイーズ]]』('91) では、警察に逮捕された[[ヒッチハイク|ヒッチハイカー]]のJ.D.が、ピンチII でテルマとルイーズの逃亡先を明かしてしまう<ref>ここまで。[[#フィールドII]] pp. 209-212.</ref>。

ウェンデル・ウェルマンによれば、第二幕の後半では、主人公が混沌へと急降下し、また、少なくとももう一人、別の主要人物の下降も追って始まる。主人公らの陥る[[カオス理論|カオス]]を徹底的に描く場合も、軽く触れるだけの場合もある。主人公らが[[自由落下]]する以外に原則はとくに無く、自由に書ける部分である<ref>ここまで。[[#ウェルマン]] pp. 176-178.</ref>。

* バッドガイズ・クローズ・イン <small>(※スナイダーの分類)</small>
:バッドガイズ・クローズ・イン (bad guys close in, 迫り来る悪い奴ら) は、{{仮リンク|ブレイク・スナイダー|en|Blake Snyder}}によれば、パワーアップした敵対者が逆襲してくる場面である (55分から75分まで, 全体の1/2から約2/3まで)。一方で、主人公の側にも内輪もめが起こる<ref>ここまで。[[#スナイダー]] p. 130.</ref>。シド・フィールドの言う'''ピンチII''' (75分) はここで起こる<ref>[[#フィールドII]] pp. 209-211.</ref>。『[[アナと雪の女王]]』('13) では、アナたちがエルサ女王の作った雪の巨人に追われる。また、アナは心臓に受けたダメージにより死に向かう。そしてエルサも、ハンス王子とその兵士などによって城を襲撃され、捕らえられる<ref name="frozen"/>。

* オール・イズ・ロスト <small>(※スナイダーの分類)</small>
:オール・イズ・ロスト (all is lost, 全てを失って) は、スナイダーによれば、主人公が一時的に最悪の状況に陥ることであり、失意のどん底まで落とされる (75分, 全体の約2/3)。ヒット作では、よく何かしら死に関することが示され、観客にインパクトを与える。実際に指導者が死ぬことが多いが、植木鉢の花が枯れるなど象徴的なものもある。指導者が死んだ場合には、もはや指導者を必要としないほどの力が自分にあることを、主人公が理解する。これまでの世界、キャラクターおよび考えが「死んでいく」ことで、次の世界である第三幕へと移ることが出来る。『[[スター・ウォーズ エピソード4/新たなる希望|スターウォーズ]]』('77) では、[[オビ=ワン・ケノービ]]が亡くなる<ref>ここまで。[[#スナイダー]] pp. 131 f.</ref>。また、『[[アナと雪の女王]]』('13) では、半死半生のアナが、ハンス王子から婚約が王位のための道具であったことを告げられた後、冷たい部屋に一人残される。また、エルサ女王も、ハンスによって反逆罪で死刑を宣告される<ref name="frozen"/>。

* ダークナイト・オブ・ザ・ソウル <small>(※スナイダーの分類)</small>
:ダークナイト・オブ・ザ・ソウル (dark night of the soul, 心の暗闇) は、スナイダーによれば、全てを失った主人公が解決策を深く考え、自分や仲間を救う方法を悟るシーンである。5秒で終わることもあれば、5分続くこともある<ref>ここまで。[[#スナイダー]] p. 133.</ref>。『[[アナと雪の女王]]』('13) では、オラフが暖炉の火で溶けそうになりながら真実の愛を語る。アナは、ハンス王子ではなく、クリストフが「運命の人」であったことに気づく<ref name="frozen"/>。

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=== セカンド・ターニング・ポイント ===
'''セカンド・ターニング・ポイント'''または'''プロットポイントII''' (second turning point または plot point II) は、第三幕への分かれ目である。それは通常、開始から80-90分に配置される<ref>ここまで。[[#フィールド]] pp. 23, 25.</ref>。セカンド・ターニング・ポイントは、ファースト・ターニング・ポイントと同じく、ストーリーをより危険な方向へ転換させ、新たな幕に進ませる。ここでは、セントラル・クエスチョンがもう一度示される。 主人公が希望を捨てようとした瞬間、セントラル・クエスチョンを解決する方法が見つかるという、一続きの展開から成ることもある。また、この転換点は、結末へ向けてテンポを上げる役割を持つ。実際にタイムリミットが設定されるケースもある ("ticking clock")<ref>ここまで。[[#シーガーII]] pp. 60 f.</ref>。

このシーンでは一般的に、主人公が敵対者のエリアで彼(ら)のしていることを目撃する。それにより敵対者の真実が明らかになり、主人公の主張 (最終目的) や考え方が徹底的に破壊されて、主人公は苦しめられる。すなわち、「死」に関するシーンである。これまでの映画全体がこのシーンに向かって動いていくようにする。このシーンから主人公が生まれ変わり始める<ref>ここまで。[[#ウェルマン]] pp. 184, 187.</ref>。

登場人物はこのまま変化し続けるか、それとも後戻りするのか選択を求められる<ref>[[#シーガー]] p. 192.</ref>。主人公は大きな変化、試練を乗り越えることで、精神的にさらに成長していく<ref name="matthew"/>。{{仮リンク|ブレイク・スナイダー|en|Blake Snyder}}によれば、ここでメインプロットとサブプロット (Bストーリー) が出会い、それによって敵対者に勝つためのヒントが見つかるという (例: ヒロインが敵の弱点を教えてくれるなど)<ref>[[#スナイダー]] p. 134.</ref>。競技をテーマとした作品であれば、セカンド・ターニング・ポイントから最後の競技が始まり、第二幕におけるトレーニングなどの結果が次の第三幕において示される<ref>[[#シーガーII]] p. 62.</ref>。

セカンド・ターニング・ポイントの例として、『[[タイタニック (1997年の映画)|タイタニック]]』('97) では、ローズがジャックを助けに行くために救命ボートから降りるシーン<ref>[[#フィールドII]] p. 195.</ref>、『[[マトリックス (映画)|マトリックス]]』('99) で、主人公[[マトリックスの登場人物一覧#ネブカドネザル号|ネオ]]が拘束された船長[[マトリックスの登場人物一覧#ネブカドネザル号|モーフィアス]]を救出することを決断する[[シーン]]、『[[テルマ&ルイーズ]]』('91) では、テルマとルイーズが車中で最後の夜を静かに過ごすシーン<ref>[[#フィールド]] pp. 182, 186-187.</ref>、『[[アナと雪の女王]]』('13) で、瀕死のアナが都の城から脱出して、吹雪の中をクリストフに会いに行くシーンなどが挙げられる<ref name="frozen"/>。

ウェンデル・ウェルマンは次のように主張している。[[アメリカ合衆国の映画|アメリカ映画]]では、[[ジョーゼフ・キャンベル]]の影響により、映画開始から85分、すなわちセカンド・ターニング・ポイントにおいて、主人公と友人関係にある「いい奴」の死ぬことが必ずと言えるほど多くなった。これは既に陳腐な展開であり、登場人物の犠牲はストーリーに欠かせないと考えられる場合のみに限るべきである。誰も死なないヒット作は現に存在する。観客を感動させるためだけに登場人物の犠牲を詰め込んでいる作品は、圧倒的多数の観客から、わざとらしい、胡散臭いと感じられ、興行的に失敗することもある。登場人物を死なせる場合には、そのキャラクターと主人公の関係を十分に描き、また、それをストーリーの早い時点で描写しておかなければならない。それだけではなく、主人公がそのキャラクターの死によって、どのように考え方を変化させるのかということも決めておくべきである<ref>ここまで。[[#ウェルマン]] pp. 190-192.</ref>。

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== 第三幕 (解決) ==
'''第三幕''' (third act) は、ストーリーとそのわき道 (subplot) の解決で特徴づけられる。'''[[クライマックス]]''' (終了1-5分前<ref>[[#シーガーII]] p. 62.</ref>) は、ストーリーの緊張がそれまでより大きく高まるシーンまたは[[シークエンス]]であり、その緊張は頂点に達する。そして、第一幕で出された問いの答えが明かされる。主人公と他のキャラクターたちは自分の本当の姿を見出す<!--訳者注:この辺りの翻訳は自信なし。校閲求む。--><ref name="trottier"/>。第三幕は「変化の証明」であり、[[キャラクター]]が本当に変化したのかを試す最後のテストが行われる<ref>[[#シーガー]] pp. 190-192.</ref>。精神的に成長した主人公は、振りかかる最大の試練に勝利し、全ての物事が良い方向に運ぶ<ref group="注釈">ここではハッピーエンド ([[w:Happy ending|happy ending]]) が想定されている。</ref>。[[主人公]]によって世界は大きく変化していく<ref name="matthew"/>。そして、主人公は、失くした何かを奪還したとき、すでに自らの弱点にも打ち克っている<ref>「脚本の書き方講座」{{Cite video|title=トイ・ストーリー3: スーパー・セット|medium=Blu-ray|publisher=ディズニー|date=2010-11-03|asin=B0030IM8NG}}</ref>。こうして、ストーリーに解決をもたらすのが第三幕である。ただし、解決はエンディングとは異なる。エンディングは、ラストの特別な[[ショット (映像)|ショット]]か[[シークエンス#映画|シークエンス]]である<ref name="syd"/>。

[[1990年代]]後半以降の映画における第三幕は、かつての作品と比べ、かなり短い。敵対者とのラストバトルも、主人公が生まれ変わったことを再確認するための、静かめな最終試験である。なぜならば、主人公の心理的な葛藤はこれまでに描かれているため、クライマックスで繰り返す必要は無い。また、主人公は第二幕で古い考え方を既に捨てていることから、もはや主人公の心理的な葛藤が無くなりつつあるためである。クライマックスは、仲直り、結婚式、または旅立ちが共通のテーマである<ref>ここまで。[[#ウェルマン]] pp. 194 f.</ref>。

* フィナーレ <small>(※スナイダーの分類)</small>
:フィナーレ (finale) は、{{仮リンク|ブレイク・スナイダー|en|Blake Snyder}}によれば、全体のまとめである (85分から結末まで、第三幕すべて)。ここでは、主人公の足りないものが克服され、主人公はメインストーリーでもサブプロットでも勝利する。主人公は第二幕で学んだことで、新しい世界を切り開く力を持っている。主人公によって、第二幕までの古い世界は新しい世界に変化する。敵対者 (生物とは限らない) はその過程で、下位の者からボスに至るまで、下から順に全て敗北する<ref>ここまで。[[スナイダー]] pp. 134 f.</ref>。

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=== エンディング ===
'''[[エンディング]]'''は、ときには爽快であり、ときには悲劇的であり、または、どちらとも言えないラストもある。[[シド・フィールド]]は次のように述べている。最も良いエンディングには、強引にまとめられた不自然さも無く、誰でも予想が付くような月並みさも無い。予想外だが、リアリティがあり、観客の納得できるものが最良のエンディングである。脚本を書き始める際には、まずエンディングを考えなければならない〔編者注:これには異説もある<ref group="注釈">ウェンデル・ウェルマンは、エンディングからではなく、まず中間部の3つの大転換シーンを決めることを、新しい公式として薦めている。それにより、残りの[[プロット (物語)|プロット]]構成は楽しく容易な作業になるのだという (ここまで。[[#ウェルマン]] pp. 143 f.)。</ref>〕。エンディングは[[オープニング]]の結果であり、行き先であること<ref group="注釈">「覚えておかなければならない最も重要なことは、エンディングはオープニングから生まれる、ということである。ある人がアクションを起こし、そのアクションがどのように帰結されるのかということがストーリーの流れなのである。」([[#フィールド]] pp. 121 f.)</ref>を強く意識する必要がある<ref>ここまで。[[#フィールド]] pp. 99, 111, 121-122.</ref><ref>ここまで。[[#フィールドII]] p. 43.</ref>。

[[1990年代]]後半以降では、ヒネリで終わるエンディングが流行になっている。主人公が新しい考え方を身につけ、勝利を収めようとしたとき、最後にその考え方がヒネリによって打ち砕かれる [『[[シックス・センス]]』('99) など ]<ref>ここまで。[[#ウェルマン]] p. 201.</ref>。もし第三幕の終わりにヒネリを置く場合には、明らかになる真実が多すぎて、観客が混乱しないように配慮する必要がある。ヒネリは、巧みに張られた[[フラグ (ストーリー)|伏線]]が回収され、想定外の真実が明かされる瞬間である。それは普通、二つのターニング・ポイント、ミッドポイント、またはクライマックスのいずれかに置かれる (ただしヒネリは転換とは異なる)。本来、ヒネリは、セカンド・ターニング・ポイントに配置され、第三幕でその結果が描かれることが多い。秘密の隠される時間が長いほど、ヒネリのインパクトは強くなる<ref>ここまで。[[#シーガー]] pp. 104-113.</ref>。

フィールドは次のように主張している。未熟な[[脚本家]]の多くが、メインキャラクターをエンディングで死なせたり、著しい場合には、全ての登場人物を死なせたりする。そのほうが容易であるからだ。一方で、脚本家は、それより優れたエンディングを書くことが出来る<ref>ここまで。[[#フィールド]] p. 111.</ref>。ストーリーの締め方に不安のある場合には、肯定的なエンディングを検討する。これは、「全ての人が[[シンデレラ]]のように幸せになりました」といったエンディングにせよということではない。映画の目的は、観客を楽しませること、すなわち観客の気分を高揚させ、満足させることである<ref>ここまで。[[#フィールド]] p. 99.</ref> 。

また、フィールドは、「'''脚本家には観客に影響を与え、観客を変える責任がある'''」と述べている。脚本を書くということは、異なる人間が互いに愛し合う新しい世界、新しい行動パターンを作る機会であるとする。その機会を用いることが脚本家の使命であるという。よって、結末は、アマチュア性の高い絶望的、破滅的なものではなく、最も高いレベルの意識を目指さなければならないと、フィールドは主張している<ref>ここまで。[[#フィールドII]] pp. 245 f.</ref><ref group="注釈">[[ベルリンの壁崩壊]]の数か月前に[[西ベルリン]]で行われたシド・フィールドのワークショップでは、受講生50人のうち48人が、死、自殺、または混乱で終わる脚本を書いた。「今、われわれは時代が大きく転換する歴史的瞬間に直面し、どんな未来を創造したいかを表現するまたとないチャンスではないか」とフィールドは提案した。その提案は失敗に終わり、悲観的な結末のほうがリアルなストーリーであるとして、受講生のほとんどに拒絶された。フィールドはこのエピソードに対して、主に過去への執着と未来への恐怖によるものであるとし、「'''未来は自らの手で作るものだ'''」と述べている (ここまで。[[#フィールドII]] pp. 245 f.)</ref>。

* '''ファイナル・イメージ''' <small>(※スナイダーの分類)</small>
:ファイナル・イメージ (final image) は、{{仮リンク|ブレイク・スナイダー|en|Blake Snyder}}によれば、冒頭の「オープニング・イメージ」と一対になる場であり、これまでに起こった変化が本物であることを見せる。ファイナル・イメージが思い浮かばない場合には、第二幕での積み重ねが不足している<ref>ここまで。[[#スナイダー]] p. 135.</ref>。ここではオープニング・イメージとは正反対の[[イメージ]]が描かれ、ストーリーは終わる<ref>[[#スナイダー]] p. 142.</ref>。

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== 敵対者 ==
主人公の敵対者 ([[Wikt:antagonist|antagonist]]) がいなければ、[[ストーリー]]は成り立たない。敵対者は[[主人公]]とは正反対の意見を持ち、[[主人公]]の最終目的を妨げる大きな存在である。敵対者は、主人公と対立し、衝突し、障害となる<ref>ここまで。[[#ウェルマン]] pp. 62 f.</ref>。一般的に、敵対者は主人公と同じものを求めて争っているが、求めているものに対する観点は主人公と正反対である<ref>[[#ウェルマン]] p. 67.</ref>。

主人公と敵対者が衝突<ref group="注釈">ウェンデル・ウェルマンは、主人公と敵対者の衝突のシーンを、「対峙」「戦い」「難題」または「試練」などといった言葉でも表している ([[#ウェルマン]] p. 22.)。</ref>することで主人公は選択を迫られ、ストーリーが転換する。主人公が敵対者と関わる転換点は、最低でも5回 (10分頃, 25分頃, 60分頃, 85分頃, 95分頃) は必要であり、そのうち3回は大きな転換シーンである。それは二つのターニング・ポイントとミッドポイント (中間点) で起こる。ウェンデル・ウェルマンは、主人公と敵対者の接触が多いほどストーリーの緊張感は高まり、その映画がヒットする可能性も増すとしている。つまり、対立する者同士はくっつけよ<ref group="注釈">ウェルマンが例に挙げる『[[ミート・ザ・ペアレンツ]]』('00) および『[[あの頃ペニー・レインと]]』('00) では、主人公がほとんどのシーンで敵対者と接触している ([[#ウェルマン]] p. 125.)。</ref>、というのがウェルマンの主張である<ref>ここまで。[[#ウェルマン]] pp. 123, 125, 127, 131.</ref>。

敵対者は特定の個人とは限らず、災害やモンスターなどであったり、人種差別、ナチス・ドイツ、懲役またはスクール・ライフなどのような目に見えない抽象的なものであったりする (ただし、その場合でも具体的な敵対者は一人は必要である)。敵対者が複数の場合もある。また、敵対者は必ずしも悪の存在ではない。[[ラブストーリー|ラブ・ストーリー]]では恋愛の相手が敵対者となる<ref>ここまで。[[#ウェルマン]] pp. 62-67, 70-71.</ref>。

=== Magic "3" ===
主人公は少なくとも3回は誤った選択をしなければならない (the magic "3")。主人公は第二幕の終わりで正しい答えを得て、正しい選択をする。正しい選択をしたことにより第三幕で勝利する。主人公の1回の決断だけでストーリーを引っ張ってはならない。そのような映画は退屈な作品になる<ref>ここまで。[[#ウェルマン]] pp. 210-213.</ref><ref group="注釈">現在のメジャーな作品の中には、誤った選択を2回に留めているものもあるが、登場人物の魅力でストーリーを進行させる最先端の作品では、悪い選択の回数はたいてい3回かそれ以上である ([[#ウェルマン]] pp. 210 f.)。</ref>。

かつて刷り込まれた古い考え方 (心の傷や欠陥など) が主人公の新しい考え方と衝突する。主人公はその古い考え方のために誤った行動をとる。新しい考え方は、それとは正反対の主人公の最終目的である (自由や正義など)。この二つの考え方の衝突が、脚本における葛藤 (inner conflict) であり、三つの主な転換シーンである<ref>[[#ウェルマン]] pp. 74-78, 81.</ref>。つまり、主人公の古い考え方、すなわち心の傷や欠陥などを思い起こさせるものが敵対者である<ref>[[#ウェルマン]] pp. 69 f.</ref>。現状から変化しようとする主人公は、それを阻止する敵対者と対決していくことになる。主人公とその新しい主張は、敵対者によって、まず徹底的に打ちのめされなければならない<ref>ここまで。[[#ウェルマン]] pp. 72-73, 93.</ref>。
<!--編者注: 敵対者やmagic3についての記述が多くなり、項目全体として見たときバランスが良くない。英語版の"Screenwriting"の項目を翻訳し、そこに一部の記述を移すことを検討中。-->

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== メタファー ==
ウェンデル・ウェルマンは次のように主張している。ファースト・ターニング・ポイント、ミッド・ポイント、およびセカンド・ターニング・ポイントの三つの大きな「バトル」は、一つの目に見える象徴、イメージ、態度または行動などの「共通シンボル」(controlling symbol)、すなわち[[メタファー]]によって、ストーリーがつながっていることが望ましい。例えば『[[ブレイブハート]]』('95) では、父を亡くした主人公の少年に、ある幼女が葬儀で花を手渡す。20年後、今度は成長した主人公がしおれた花を恋人に手渡して求婚する。また、冒頭では殉死した父親が「[[伏臥位|うつぶせ]]」に寝かされ、ミッドポイントでの野戦の大敗で主人公が「うつぶせ」に倒れ、終盤には捕らえられ「うつぶせ」に縛られて処刑を待つ。[[シンボル]]が何か具体的なモノである場合には「[[マクガフィン]]」になる (例: [[ロード・オブ・ザ・リングシリーズ]]の[[指輪]])。シンボルによって、ばらばらの三大シーンがつながり、ストーリーがどこへ向かって動いているのかが明確になる<ref>ここまで。[[#ウェルマン]] pp. 146-151, 154.</ref>。{{仮リンク|リンダ・シーガー|en|Linda Seger}}は、時間帯の異なるシーンであっても、何か共通するものを画面に出すことで、つながりを示すことが出来るとしている<ref>[[#シーガー]] p. 49.</ref>。
<!--編者注: メタファーについての記述が多くなり、項目全体として見たときバランスが良くない。英語版の"Screenwriting"の項目を翻訳し、そこに一部の記述を移すことを検討中。-->

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== 形式 ==
[[1990年代]]初期以降、ストーリー展開の新しい形式が数多く生まれた<ref>[[#シーガー]] pp. 16-17, 24.</ref>。アメリカの著名なスクリプト・コンサルタント、{{仮リンク|リンダ・シーガー|en|Linda Seger}}は、[[ストーリー]]の時間の流れによって、三幕構成を以下の形式に分類している<ref>[[#シーガー]] pp. 16-47.</ref>。

* 「直線型構成」 - 時間の流れ通り、始まり→中盤→結末と前進する。[[古代]]から[[現代 (時代区分)|現代]]に至るまで大半の[[脚本家]]が用いている。
* 「反復型構成」 - 同じ状況を何度も繰り返す。ただし、繰り返しの間にもストーリーは進んでいる。『[[恋はデジャ・ブ]]』('93) など。
* 「平行型構成」 - 複数のメインストーリーが無関係に進行し、ある時点で絡み合う。『[[マグノリア (映画)|マグノリア]]』('99)、『[[アメリ]]』('01) など。
* 「らせん型構成」 - 同じ過去の出来事が[[フラッシュバック (心理現象)|フラッシュバック]]を繰り返しながら展開し、第三幕で克服される。『[[普通の人々]]』('80) など。
* 「謎解き型構成」 - 第一幕で〈事件の発生〉、第二幕で〈事件の調査〉、第三幕で〈事件の解決〉に至る。『[[ユージュアル・サスペクツ]]』('95) など。
* 「逆流型構成」 - 結末→中盤→始まりへとフラッシュバックを重ねて時間をさかのぼる。『[[メメント (映画)|メメント]]』('00) など。
* 「循環型構成」 - 始まり→中盤→始まりと、永遠に同じことが繰り返される。現実では起こり得ない。『[[ビフォア・ザ・レイン]]』('96) など。
* 「ループ型構成」 - 出来事の順序を[[シャッフル]]する。始まり→結末→中盤、結末→始まり→中盤→結末など。『[[パルプ・フィクション]]』('94) が典型。

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== 別解釈 ==
アメリカの脚本家、俳優のウェンデル・ウェルマンは、[[ウォルト・ディズニー・カンパニー|ディズニー]]のストーリー・アナリスト (当時)、ピーター・フラッドとディスカッションを重ね、以下のシンプルなステップを提案している<ref>[[#ウェルマン]] pp. 87-89.</ref>。
* 第一幕 - 主人公の主張 (最終目的)
* 第二幕 - 主人公に反発するあらゆる主張の数々
* 第三幕 - 書き手の主張

アメリカで最も成功した競売向け脚本家の一人である{{仮リンク|ブレイク・スナイダー|en|Blake Snyder}}<ref>[[#スナイダー]] 著者略歴</ref>は、[[弁証法]]になぞらえて、以下の3つの世界に映画のストーリーを分けている<ref>[[#スナイダー]] pp. 118 f.</ref>。
* 第一幕 - テーゼ (正) ―― 古い世界
* 第二幕 - アンチテーゼ (反) ―― 正反対の世界
* 第三幕 - ジンテーゼ (合) ―― 新しい世界

フランスの脚本家であり映画監督のイヴ・ラヴァンディエ ([[w:Yves Lavandier|Yves Lavandier]]) は、その論文"[[w:Writing Drama|La dramaturgie]]" (Writing Drama) において、他の{{仮リンク|脚本理論|en|screenwriting theories}}とは次の点で異なるアプローチを提示している。ラヴァンディエはこう主張する。すなわち、人間のあらゆる行動は、架空か現実かを問わず、3つの論理的な部分を含む。行動する前 (before the action)、行動する間 (during the action)、行動した後 (after the action) がそれである。[[クライマックス]]は行動の一部であるから、第二幕に含まれていなければならないとラヴァンディエは考察する。ラヴァンディエの主張する第三幕は、クライマックスを含まない比較的短いものである<ref>ここまで。[http://www.clown-enfant.com/leclown/eng/drama/livre.htm#1STRUC Excerpt on the three-act structure] from [[w:Yves Lavandier|Yves Lavandier]]'s ''[[w:Writing Drama|La dramaturgie]]''</ref>。短い第三幕 (急速な解決) はまた、日本の伝統的な{{仮リンク|演劇理論|en|Dramatic structure}}の基礎である「[[序破急]]」にも見られる<!--(編者注: 妥当な内容なので英語版から翻訳したまま残してあるが、出典が必要。)-->。

日本における序破急 (三幕構成) は、[[雅楽]]の[[舞#舞楽|舞楽]]に起源があり、[[能]]、[[浄瑠璃]]および[[歌舞伎]]などにおいて、中近世より伝統的に用いられてきた脚本構成である<ref>『[[大辞林]]』 第三版 [[三省堂]] 「[http://kotobank.jp/word/序破急?dic=daijirin&oid=DJR_johakyuu_-010 じょはきゅう【序破急】]」の頁</ref><ref>『[[世界大百科事典]]』 第2版 [[平凡社]] 「[http://kotobank.jp/word/序破急?dic=sekaidaihyakka&oid=00202814 じょはきゅう【序破急】]」の頁</ref><ref>{{Cite web|url=http://www2.ntj.jac.go.jp/dglib/contents/learn/edc11/sakuhin/kousei/|title=歌舞伎舞踊の作品と表現-五段構成と序破急|accessdate=2014-2-28|year=2009|work=文化デジタルライブラリー|publisher=独立行政法人日本芸術文化振興会|language=Japanese|archiveurl=https://web.archive.org/web/20140306085340/http://www2.ntj.jac.go.jp/dglib/contents/learn/edc11/sakuhin/kousei/|archivedate=2014-3-6}}</ref>。[[現代]]の[[日本]]において、しばしば脚本構成として教授される[[起承転結]] (起承転合) は、[[漢詩]]における[[近体詩]]の構成法である<ref>{{Cite book|和書|edition=第2版|year=2006|title=世界大百科事典|publisher=平凡社|language=Japanese|page=きしょうてんけつ【起承転結 qǐ chéng zhuǎng jié】の頁}}</ref>。

[[NHKエンタープライズ]]の[[エグゼクティブ・プロデューサー]] (当時) である浜野高宏によれば、日本人以外では、「起承転結」を知っている[[コンテンツ|映像コンテンツ]]の[[プロデューサー]]は稀であるが、三幕構成は日本人以外であれば、ほとんどのプロデューサーが知っている。そして、国際的には、三幕構成がストーリーの組み立て方において主流となっている。このため、例えば[[ドキュメンタリー|ドキュメンタリー作品]]の国際マーケットでは、[[ピッチ]]〔編者注: 企画の売り込み〕において、三幕構成に沿ってストーリー構成を説明できなければ、基本的なことを考えていない企画以前の段階であると評価される<ref name="documentary"/><ref group="注釈">「なお、本稿は国際共同製作のドキュメンタリーの分野についてまとめたものだが、その内容は普遍的であり、特にピッチに関しては映像コンテンツのそれ以外の[[ジャンル]]についても参考となるであろう。」(同出典 p. 3.)</ref>。

スウェーデンの映画研究者オラ・オルソン (Ola Olsson) によれば、映画には次の六幕がある。すなわち、「起点」「紹介」「進展」「衝突の頂点 (加速)」「解決」「退場」である。 オルソンのモデルは三幕構成に応用できる<ref>ここまで。{{Cite web|work=シネマセンス|title=起点|publisher=[[アールト大学]] (旧[[ヘルシンキ芸術デザイン大学]])|language=Japanese|accessdate=2014-01-13|url=http://elokuvantaju.uiah.fi/nihon_go/kyoozai/kyakuhon/kiten.jsp|archivedate=2014-01-13|archiveurl=https://web.archive.org/web/20140113133409/http://elokuvantaju.uiah.fi/nihon_go/kyoozai/kyakuhon/kiten.jsp}}</ref>。演劇のような幕間の無い映画においては、構成は、ドラマを分析するための分類でしかなく、映画は二幕、四幕、五幕、九幕にも分けられる。三幕構成が映画の構成として一般的であるのは、それを用いることにより、効果的なストーリー・テリングが可能となるためである<ref name="structure"/><ref name="act"/>。

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== 歴史 ==
[[演劇|近代演劇]]においては、[[ヘンリック・イプセン|イプセン]]の『[[人形の家]]』(1879)<ref>『[[世界大百科事典]]』 第2版 [[平凡社]] 「[http://kotobank.jp/word/人形の家?dic=sekaidaihyakka&oid=00266165 にんぎょうのいえ【人形の家 Et dukkehjem】]」の頁</ref>(『人形の家』は最初の[[戯曲|近代戯曲]]である<ref>ここのみ。{{Cite web|title=村井版 近代演劇史年表|publisher=[[新国立劇場]]|format=PDF|language=Japanese|accessdate=2014-05-02|url=http://www.nntt.jac.go.jp/library/library/pdf/kindai_engeki.pdf‎|archivedate=2014-05-02|archiveurl=https://web.archive.org/web/*/http://www.nntt.jac.go.jp/library/library/pdf/kindai_engeki.pdf}}</ref>)、[[ベルトルト・ブレヒト|ブレヒト]]の『[[三文オペラ]]』(1928)<ref>『[[大辞林]]』 第三版 「[http://kotobank.jp/word/三文オペラ?dic=daijirin&oid=DJR_sannmonnOPERA_-010 さんもんオペラ【三文オペラ】]」の頁</ref>、[[ソーントン・ワイルダー|ワイルダー]]の『[[わが町]]』(1938)<ref>『[[大辞泉|デジタル大辞泉]]』 [[小学館]] 『[http://kotobank.jp/word/わが町?dic=daijisen&oid=19771200 わが町]』の頁</ref>、[[アルベール・カミュ|カミュ]]の『[[誤解 (戯曲)|誤解]]』(1944)<ref>{{Cite journal |和書|author=桂川久|title=カミュの『誤解』を読む: 空間構造への着眼|date =1996-09-01|publisher=京都大学フランス語学フランス文学研究会|journal=仏文研究|volume=27|page=239}}</ref>、 [[テネシー・ウィリアムズ|T. ウィリアムズ]]の『[[欲望という名の電車]]』(1947) <ref>『[[大辞泉|デジタル大辞泉プラス]]』 [[小学館]] 『[http://kotobank.jp/word/欲望という名の電車?dic=daijisen&oid=18941500 よくぼうというなのでんしゃ 〔ヨクバウといふなのデンシヤ〕 【欲望という名の電車】]』の頁</ref>、および[[エドワード・オールビー|オールビー]]の『[[ヴァージニア・ウルフなんかこわくない]]』(1962) <ref>『[[マイペディア|百科事典マイペディア]]』 日立ソリューションズ・ビジネス 『[http://kotobank.jp/word/オールビー?dic=mypedia オールビー]』の頁</ref>などが三幕構成である 。

また、[[オペラ]]においては、三幕構成の作品が[[バロック|バロック時代]]<ref>『[[大辞泉|デジタル大辞泉プラス]]』 [[小学館]] 『[http://kotobank.jp/word/バロック音楽?dic=daijisen&oid=15153200 バロック‐おんがく 【バロック音楽】]』の頁</ref>から上演されており、[[17世紀]]には、[[ヘンリー・パーセル|パーセル]]の『[[ディドとエネアス]]』(1689) <ref>『[[大辞泉|デジタル大辞泉プラス]]』 [[小学館]] 『[http://kotobank.jp/word/ディドとエネアス?dic=daijisenplus&oid=00101980 ディドとエネアス]』の頁</ref>など、および[[18世紀]]には、[[ゲオルク・フリードリヒ・ヘンデル|ヘンデル]]<ref>『[[大辞泉|デジタル大辞泉プラス]]』 [[小学館]] 『[http://kotobank.jp/word/ヘンデル?dic=daijisen&oid=16689300 ヘンデル 【Georg Friedrich Hndel】]』の頁</ref>の『[[エジプトのジュリアス・シーザー]] (ジュリオ・チェーザレ)』(1724)<ref>『[[大辞泉|デジタル大辞泉プラス]]』 [[小学館]] 『[http://kotobank.jp/word/ジュリオ・チェーザレ?dic=daijisenplus&oid=00101850 ジュリオ・チェーザレ]』の頁</ref>などが、それぞれ全3幕で初演された。

[[オペラ]]では、続く[[古典派音楽|古典派時代]]<ref>『[[世界大百科事典]]』 第2版 [[平凡社]] 「[http://kotobank.jp/word/古典派音楽?dic=sekaidaihyakka&oid=00171497 こてんはおんがく【古典派音楽】]」の頁</ref>には、オペラ改革を行った[[クリストフ・ヴィリバルト・グルック|グルック]]<ref>『[[世界大百科事典]]』 第2版 [[平凡社]] 「[http://kotobank.jp/word/グルック?dic=sekaidaihyakka&oid=00154498 グルック【Christoph Willibald Gluck】]」の頁</ref>の『[[オルフェオとエウリディーチェ]]』 (1762)<ref>『[[大辞泉|デジタル大辞泉プラス]]』 [[小学館]] 「[http://kotobank.jp/word/オルフェオとエウリディーチェ?dic=daijisenplus&oid=00101550 オルフェオとエウリディーチェ]」の頁</ref>、ならびに[[ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト|モーツァルト]]の[[オペラ・セリア]] [『[[イドメネオ]]』(1781) <ref>『[[大辞泉|デジタル大辞泉プラス]]』 [[小学館]] 『[http://kotobank.jp/word/イドメネオ?dic=daijisenplus&oid=00101400 イドメネオ]』の頁</ref><ref>{{Cite web|author=安田和信|url=https://www.kitabunka.or.jp/data/jigyo/himf2004/himf2004-2.htm|title=モーツァルトのオペラ《イドメネオ》をめぐって|publisher=公益財団法人 北区文化振興財団|date=2004|language=Japanese|accessdate=2014-05-07|archivedate=2014-05-07|archiveurl=https://web.archive.org/web/20140507020605/https://www.kitabunka.or.jp/data/jigyo/himf2004/himf2004-2.htm}}</ref>など] および『[[後宮からの誘拐]]』(1782)<ref>『[[大辞泉|デジタル大辞泉プラス]]』 [[小学館]] 『[http://kotobank.jp/word/後宮からの誘拐?dic=daijisenplus&oid=00101660 後宮からの誘拐]』の頁</ref>などに三幕構成が見られる。

[[ロマン派音楽|ロマン派時代]]<ref>音楽用語ダス. ヤマハミュージックメディア 『[http://kotobank.jp/word/ロマン派時代+%5Bromantic+%5D?dic=music ロマン派時代]」の頁</ref>以降のオペラとしては、[[カール・マリア・フォン・ウェーバー|ウェーバー]]の『[[魔弾の射手]]』(1820)<ref>『[[世界大百科事典]]』 第2版 [[平凡社]] 「[http://kotobank.jp/word/魔弾の射手?dic=sekaidaihyakka&oid=00312863 まだんのしゃしゅ【魔弾の射手 Der Freischütz】]」の頁</ref>および『[[オベロン (オペラ)|オベロン]]』(1826)<ref>『[[大辞泉|デジタル大辞泉プラス]]』 [[小学館]] 『[http://kotobank.jp/word/オベロン?dic=daijisenplus&oid=00101530 オベロン]』の頁</ref>、[[リヒャルト・ワーグナー|ワーグナー]]の『[[タンホイザー]]』(1845)<ref>『[[世界大百科事典]]』 第2版 [[平凡社]] 「[http://kotobank.jp/word/タンホイザー?dic=sekaidaihyakka&oid=00234552 タンホイザー【Tannhäuser】]」の頁</ref>、『[[ローエングリン]]』(1850)<ref>『[[世界大百科事典]]』 第2版 [[平凡社]] 「[http://kotobank.jp/word/ローエングリン?dic=sekaidaihyakka&oid=00343658 ローエングリン【Lohengrin】]」の頁</ref>、『[[トリスタンとイゾルデ (楽劇)|トリスタンとイゾルデ]]』(1865)<ref>『[[世界大百科事典]]』 第2版 [[平凡社]] 「[http://kotobank.jp/word/トリスタンとイゾルデ?dic=sekaidaihyakka&oid=00256924 トリスタンとイゾルデ【Tristan und Isolde】 ]」の頁</ref>、『[[ニュルンベルクのマイスタージンガー]]』(1868)<ref>「[http://kotobank.jp/word/ニュルンベルクのマイスタージンガー?dic=sekaidaihyakka&oid=00265776 ニュルンベルクのマイスタージンガー【Die Meistersinger von Nürnberg】 ]」の頁</ref>、および『[[パルジファル]]』<ref>『[[世界大百科事典]]』 第2版 [[平凡社]] 「[http://kotobank.jp/word/パルジファル?dic=sekaidaihyakka&oid=00278140 パルジファル【Parsifal】 ]」の頁</ref>、[[ジュゼッペ・ヴェルディ|ヴェルディ]]の『[[アッティラ (ヴェルディ)|アッティラ]]』(1846)<ref>{{Cite book|和書|author=松原武実|title=ヴェルディのオペラ: 全作品解説|publisher=南方新社|date=2005-03-30|isbn=4861240514|pages=57-60|language=Japanese}}</ref>、『[[リゴレット]]』(1851)<ref>『[[大辞林]]』 第三版 [[三省堂]] 「[http://kotobank.jp/word/リゴレット?dic=daijirin&oid=DJR_RIGOREXTUTO_-010 リゴレット]」の頁</ref>、『[[椿姫 (オペラ)|椿姫]]』(1853)<ref>{{Cite web|author=新国立劇場|title=有名なオペラ作品の紹介: 椿姫|publisher=[[新国立劇場]]|language=Japanese|accessdate=2014-04-27|url=http://www.nntt.jac.go.jp/bravo_opera/program/traviata01.html|archivedate=2013-10-10|archiveurl=https://web.archive.org/web/20131010053011/http://www.nntt.jac.go.jp/bravo_opera/program/traviata01.html}}</ref>、『[[シモン・ボッカネグラ]]』(1857)<ref>『[[大辞泉|デジタル大辞泉プラス]]』 [[小学館]] 『[http://kotobank.jp/word/シモン・ボッカネグラ?dic=daijisenplus&oid=00101810 シモン・ボッカネグラ]』の頁</ref>、『[[仮面舞踏会 (ヴェルディ)|仮面舞踏会]]』(1859)<ref>『[[大辞泉|デジタル大辞泉プラス]]』 [[小学館]] 『[http://kotobank.jp/word/仮面舞踏会?dic=daijisenplus&oid=00101620 仮面舞踏会]』の頁</ref>、および『[[ファルスタッフ]]』(1893)<ref>『[[大辞泉|デジタル大辞泉プラス]]』 [[小学館]] 『[http://kotobank.jp/word/ファルスタッフ?dic=daijisenplus&oid=00102250 ファルスタッフ]』の頁</ref>、[[ベドルジハ・スメタナ|スメタナ]]の『[[売られた花嫁]]』(1866)<ref>『[[大辞林]]』 第三版 「[http://kotobank.jp/word/売られた花嫁?dic=daijirin&oid=DJR_uraretahanayome_-010 うられたはなよめ【売られた花嫁】]」の頁</ref>、[[カミーユ・サン=サーンス|サン=サーンス]] の『[[サムソンとデリラ (オペラ)|サムソンとデリラ]]』(1877)<ref>『[[大辞林]]』 第三版 「[http://kotobank.jp/word/サムソンとデリラ?dic=daijirin&oid=DJR_SAMUSONN_-010-_toDERIRA_-01 サムソンとデリラ]」の頁</ref>、 [[エンゲルベルト・フンパーディンク|フンパーディンク]]の『[[ヘンゼルとグレーテル (オペラ)|ヘンゼルとグレーテル]]』(1893)<ref>『[[大辞泉|デジタル大辞泉プラス]]』 [[小学館]] 『[http://kotobank.jp/word/ヘンゼルとグレーテル?dic=daijisenplus&oid=00102290 ヘンゼルとグレーテル]』の頁</ref>、[[ジャコモ・プッチーニ|プッチーニ]]の『[[トスカ]]』(1900)<ref>『[[世界大百科事典]]』 第2版 [[平凡社]] 「[http://kotobank.jp/word/トスカ?dic=sekaidaihyakka&oid=00254487 トスカ【ToscaF】]」の頁</ref>および『[[トゥーランドット]]』(1926)<ref>『[[大辞泉|デジタル大辞泉プラス]]』 [[小学館]] 「[http://kotobank.jp/word/トゥーランドット?dic=daijisenplus&oid=00102010 トゥーランドット]」の頁</ref>、ならびに[[リヒャルト・シュトラウス|R. シュトラウス]]の『[[ばらの騎士]]』(1911)<ref>『[[大辞泉|デジタル大辞泉プラス]]』 [[小学館]] 「[http://kotobank.jp/word/ばらの騎士?dic=daijisenplus&oid=00102180 ばらの騎士]」の頁</ref>、『[[影の無い女]]』(1919)<ref>『[[大辞泉|デジタル大辞泉プラス]]』 [[小学館]] 「[http://kotobank.jp/word/影のない女?dic=daijisenplus&oid=00101590 影のない女]」の頁</ref>、および『[[アラベラ (オペラ)|アラベラ]]』(1933)<ref>『[[大辞泉|デジタル大辞泉プラス]]』 [[小学館]] 「[http://kotobank.jp/word/アラベラ?dic=daijisenplus&oid=00101350 アラベラ]」の頁</ref>などが三幕構成に当たる。[[リヒャルト・ワーグナー|ワーグナー]]の[[オペラ#ヴァーグナー|楽劇]]『[[ニーベルングの指環]]』(1876) は、1日に3幕ずつ3日 (と序夜1幕) にわたって上演される<ref>{{Cite web|author=新国立劇場|title=有名なオペラ作品の紹介: ニーベルングの指環|publisher=[[新国立劇場]]|language=Japanese|accessdate=2014-05-02|url=http://www.nntt.jac.go.jp/bravo_opera/program/ring01.html|archivedate=2014-04-28|archiveurl=https://web.archive.org/web/20140428031323/http://www.nntt.jac.go.jp/bravo_opera/program/ring01.html}}</ref>。

[[オペレッタ]]では、[[ヨハン・シュトラウス2世|J. シュトラウス2世]]の『[[こうもり (オペレッタ)|こうもり]]』(1874)<ref>『[[大辞泉|デジタル大辞泉プラス]]』 [[小学館]] 「[http://kotobank.jp/word/こうもり?dic=daijisenplus&oid=00101680 こうもり]」の頁</ref>および[[フランツ・レハール|レハール]]の『[[メリー・ウィドウ]]』(1905)<ref>『[[大辞泉|デジタル大辞泉プラス]]』 [[小学館]] 「[http://kotobank.jp/word/メリー・ウィドウ?dic=daijisenplus&oid=00102500 メリー・ウィドウ]」の頁</ref>など、ならびに[[バレエ]]では、[[チャイコフスキー]]の『[[眠れる森の美女 (チャイコフスキー)|眠れる森の美女]]』(1890)<ref>『[[世界大百科事典]]』 第2版 [[平凡社]] 「[http://kotobank.jp/word/眠れる森の美女?dic=sekaidaihyakka&oid=00267668 ねむれるもりのびじょ【眠れる森の美女 Spyashchaya krasavitsa】 ]」の頁</ref>などが三幕構成を用いている。
なお、中近世以降の[[日本伝統芸能|日本の伝統演劇]]においては、[[能]]、[[浄瑠璃]]、および[[歌舞伎]]などが「[[序破急]]」、すなわち三幕構成である<ref>『[[大辞林]]』 第三版 [[三省堂]] 「[http://kotobank.jp/word/序破急?dic=daijirin&oid=DJR_johakyuu_-010 じょはきゅう【序破急】]」の頁</ref><ref>{{Cite web|url=http://www2.ntj.jac.go.jp/dglib/contents/learn/edc11/sakuhin/kousei/|title=歌舞伎舞踊の作品と表現-五段構成と序破急|accessdate=2014-02-28|year=2009|work=文化デジタルライブラリー|publisher=独立行政法人日本芸術文化振興会|language=Japanese|archiveurl=https://web.archive.org/web/20140306085340/http://www2.ntj.jac.go.jp/dglib/contents/learn/edc11/sakuhin/kousei/|archivedate=2014-03-06}}</ref>。

このような西洋演劇の三幕構成は、映画の三幕構成の基礎の一つである。一方で、映画の三幕構成は、演劇のそれと異なり、映画を分析するためのツールの一種類にすぎない。同じ映画が観点によって三幕にも五幕 (またはその他) にも分けられる。それらの中から三幕構成が映画脚本のモデルとして一般化したのは、その有用性によるものである<ref name="structure"/><ref name="act"/><ref>ここまで。{{Cite web|work=CinemaSense|title=Structure|publisher=[[アールト大学|‪Aalto University School of Arts, Design and Architecture‬]] (旧[[ヘルシンキ芸術デザイン大学]])|language=English|accessdate=2014-05-08|url=http://elokuvantaju.uiah.fi/english/study_material/screenplay/rakenne.jsp|archivedate=2014-05-08|archiveurl=https://web.archive.org/web/20140508102412/http://elokuvantaju.uiah.fi/english/study_material/screenplay/rakenne.jsp}}</ref><ref>ここまで。{{Cite web|work=CinemaSense|title=Act|publisher=[[アールト大学|‪Aalto University School of Arts, Design and Architecture‬]] (旧[[ヘルシンキ芸術デザイン大学]])|language=English|accessdate=2014-05-08|url=http://elokuvantaju.uiah.fi/english/study_material/screenplay/naytos.jsp|archivedate=2014-05-08|archiveurl=https://web.archive.org/web/20140508115309/http://elokuvantaju.uiah.fi/english/study_material/screenplay/naytos.jsp}}</ref>。

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== 脚注 ==
=== 注釈 ===
{{Reflist|group="注釈"}}
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=== 出典 ===
{{reflist|5}}
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== 参考文献 ==
* {{Cite book|和書|author=ウェンデル・ウェルマン|title=映画ライターズ・ロードマップ: “プロット構築”最前線の歩き方|publisher=フィルムアート社|year=2005|isbn=4845905728|language=Japanese|ref=ウェルマン}}
* {{Cite book|和書|author={{仮リンク|リンダ・シーガー|en|Linda Seger}}|title=アカデミー賞を獲る脚本術|publisher=フィルムアート社|year=2005|isbn=4845905736|language=Japanese|ref=シーガー}}
* {{Cite book|和書|author={{仮リンク|リンダ・シーガー|label=リンダ・シガー (リンダ・シーガー)|en|Linda Seger}}|title=ハリウッド・リライティング・バイブル|publisher=愛育社|year=2000|isbn=4750000655|language=Japanese|ref=シーガーII}}
* {{Cite book|和書|author={{仮リンク|ブレイク・スナイダー|en|Blake Snyder}}|title=SAVE THE CATの法則: 本当に売れる脚本術|publisher=フィルムアート社|year=2010|isbn=484591056X|language=Japanese|ref=スナイダー}}
* {{Cite book|和書|author=[[シド・フィールド]]|title=映画を書くためにあなたがしなくてはならないこと: シド・フィールドの脚本術|publisher=フィルムアート社|year=2009|isbn=4845909278|language=Japanese|ref=フィールド}}
* {{Cite book|和書|author=[[シド・フィールド]]|title=素晴らしい映画を書くためにあなたに必要なワークブック: シド・フィールドの脚本術2|publisher=フィルムアート社||year=2012|isbn=4845911779|language=Japanese|ref=フィールドII}}
* マシュー・ルーン講演. 「The 5 Key Plot Points to Creating a Great Story 」. [[Game Developers Conference]]. {{Cite web|author=小野憲史|title=ディズニー&ピクサーのヒットタイトルに見られるストーリーの黄金律とは? 現役クリエイターがあかす方程式|publisher=[http://animeanime.jp アニメ!アニメ!]|date=2013-03-31|language=Japanese|accessdate=2014-01-13|url=http://animeanime.jp/article/2013/03/31/13498.html|archivedate=2014-1-12|archiveurl=https://web.archive.org/web/20140112175655/http://animeanime.jp/article/2013/03/31/13498.html|ref=ルーン}}
* {{Cite book|last=Trottier|first=David|year=1998|title=The Screenwriter's Bible|publisher=Silman James|ref=Trottier}}

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== 関連項目 ==
== 関連項目 ==
* [[脚本]]
* [[脚本]]
* [[プロット]]
* [[プロット (物語)|プロット]]
* [[序破急]]
* [[起承転結]]
* [[起承転結]]
* [[IMRAD]]
* [[シド・フィールド]] - 三幕構成[[メソッド]]の普及に最も貢献した一人
* [[シド・フィールド]] - 三幕構成[[メソッド]]の普及に最も貢献した一人
* [[ピクサー]] - [[1995年]]の『[[トイ・ストーリー]]』以降は三幕構成を採用
* [[ピクサー・アニメーション・スタジオ|ピクサー]] - [[1995年]]の『[[トイ・ストーリー]]』以降は三幕構成を採用
* [[スティーブ・ジョブズ]] - [[プレゼンテーション|プレゼン]]に三幕構成を用いていた

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{{Narrative}}
{{DEFAULTSORT:さんまくこうせい}}

[[Category:映画]]
[[Category:プロット]]
[[Category:アニメ製作の手法と役職]]

2014年5月31日 (土) 09:14時点における版

三幕構成の見取り図[1]
ウェンデル・ウェルマンによるプロット・ライン・グラフ (一部追記)。
赤とオレンジは主人公が敵対者と衝突するシーン[2]

三幕構成 (three-act structure) は、脚本の構成の一つである。

三幕構成はストーリーを、設定 (Set-up)、対立 (Confrontation)[3]解決 (Resolution) の役割を持つ3つの部分 () に分ける[4]。3つの幕の比は1:2:1である[5]

幕と幕はターニング・ポイントでつながっている。ターニング・ポイント (プロットポイント) は、主人公に行動を起こさせ、ストーリーを異なる方向へ転換させる出来事である[6][7]

三幕構成は、映画およびドキュメンタリーなどの構成においては、国際的に主流である。一般的に、日本以外の国では、三幕構成のモデルに基づいて、それらの脚本が制作されている[8][9][10][注釈 1]

映画を3つの幕に分割することは、西洋演劇の三幕または五幕の構成を継承したものである[8]("歴史"の節を参照)。シド・フィールドおよびリンダ・シーガー英語版らは、物語を3つに分ける三幕構成の最古のものを、古代ギリシア時代 (またはそれ以前) に求めている[11][12]

三幕構成の枠組は1979年、映画に共通する基礎として、シド・フィールドによって理論化された。フィールドの教本 Screenplay: The Foundations of Screenwriting[注釈 2] は、世界22カ国語以上に翻訳され、数回の改訂を重ねている[13][注釈 3]

構成

全てのストーリーには、「発端」「中盤」「結末」がある[14][注釈 4]。三幕構成において、その3つの部分はそのまま3つの幕となり、3つの幕は「設定」「対立 (衝突)」「解決」の役割を持つ[15][注釈 5]第一幕 (設定) では、誰の、何についてのストーリーであるのかが設定される[16]第二幕 (対立、衝突) では、主人公が自らの目的を達成するために、その障害と対立、衝突する[17]。第二幕の後半には、主人公が敗北の寸前まで追いつめられる[18][19]。そして、第三幕 (解決) では、ストーリーの問い、すなわち「主人公は目的を達成できるのか?」[20]という問いに対する答えが明かされ、その問題が解決される[21]

映画は通常、2時間ほどの長さである[注釈 6](映像の1分は、脚本ではおよそ1ページになる)。第一幕は、開始から20-30分頃までの約30分間であり、全体のおよそ4分の1である。第二幕は、20-30分頃から85-90分頃までの約60分間であり、全体のおよそ半分である。第三幕は、85-90分頃から120分頃までの約30分間であり、全体のおよそ4分の1である[22]。このとき、それぞれ3つの幕の比率は、およそ1:2:1となる[23]。第一幕から第三幕のそれぞれは、再びさらに短く、発端、中盤、結末の3つのパートに分割される[24]

第一幕の終わりと第二幕の終わりには、ターニング・ポイント (プロットポイント) がある。シド・フィールドによれば、ターニング・ポイント[注釈 7]とは、「アクション (行動) を起こさせ、物語を違う方向性に向かわせる事件やエピソードなど」をいう。ターニング・ポイントは主人公に関するイベントである[25]。劇的で大きな場合もあれば、そうでない場合もある。ときには台詞や決断のみである[26]

三幕構成は、公式やルールではなく、見取り図 (パラダイム) であり、スタイルでしかない[注釈 8]。「発端」「中盤」「結末」というモデルが重要なのであり、例えばフィールドの示しているページ数の通りに書かなくともよい[注釈 9]。ストーリーが構成を決めるのであり、構成がストーリーを決めるのではない[27][28]。脚本の構成とは、関連のあるイベントやエピソードを解決に向かうように並べ[29]レイアウトすることにより、全てを明確な一本のストーリーラインでつなぐツールである。そして、その目的は、ドラマとして最大の効果を得ることにある[30]

なお、この項目では、ブレイク・スナイダー英語版の分類、すなわち「ブレイク・スナイダー・ビート・シート」(BS2)[31][注釈 10]を参考程度に掲載している。これにはフィールドの分類ほどの一般性が無いため[注釈 11]、あくまでもスナイダー個人の意見として扱っている。よって、スナイダーの分類に従う必要は全く無い点に注意が必要である。

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第一幕 (設定)

オープニング

第一幕 (first act) は通常、メインキャラクターを固めるための説明に用いれられる。彼らはどのようなキャラクターか、彼ら同士はどのような関係か[注釈 12]、彼らの住む世界はどのようなものか、といったことが第一幕で設定される[32]。2時間映画の場合、第一幕のうち最初の10分ほどでこういったことを説明しなければならない。この冒頭10分 (10ページ) が全体で最も重要である。観客は多くの場合、最初の10分程度で映画の評価を決めてしまうためである。ここで退屈だったり、分かりにくかったりすると、観客は映画に集中することをやめてしまう[33]

この10分間はセットアップ (set-up)[注釈 13]と呼ばれ、メインストーリーの登場人物が必ず全て登場するか、その存在が示唆される[34]。主人公が敵対者と初めて出会うのもこのセクションである[35]。主人公の目的や使命が明確にされ[36]、主人公が最終的に勝利するために足りないものを見せる[37][注釈 14]。こうして状況設定をした上で、今後の急展開の前兆が示され、伏線が敷かれる[38][注釈 15]。ただし、シド・フィールドは、あらゆることを最初の10ページ (10分) に詰め込みすぎると、逆効果になるとも注意している[39]

アナと雪の女王』('13) のセットアップは、アナとエルサの姉妹が氷の魔法で一緒に遊び、アナが事故に遭うシーンから始まる。エルサ[注釈 16]は魔法の力をコントロール出来なくなり、その力からアナを守るために姉妹が引き離される。そして両親が海難事故で亡くなるまでが、セットアップにあたる[40]

第一幕では設定の説明が行われるが、台詞で説明を行うと、キャラクターがアクションしなくなり、ストーリーの展開もスローになる。映像作品は映像でストーリーを説明することが重要である[41]。登場人物やストーリーを説明する上で、台詞はあまり必要でない。必要でない情報を盛り込んではならない。それでは観客は引き込まれない。必要な情報は、キャラクターの最も重要な部分を明らかにし、ストーリーを前に進める情報のみである。説明は、明確、手短、シンプルでなければならない[42]

例えば、『羊たちの沈黙』('91) では、主人公が特別な任務を任されるシーンで告げられる理由はこれだけである。「君は成績もトップクラスだ。専攻も心理学と犯罪学だし」。また、映画監督のアルフレッド・ヒッチコックは、主人公が新婚であることを次のト書きのみで表現した。「花瓶に生けたバラのそばにカードが添えてある。『結婚おめでとう!』」 そして、ヒッチコックは、「情報を表わす的確な映像があれば、シーンの数は最小限ですむ」と述べている[43]

  • バックストーリー
バックストーリー (backstory) は、最初のシーンが始まる前に主人公に起こった出来事である。主人公が冒頭のアクションに至った過程は省略され、それはバックストーリーに置かれる。バックストーリーによって、ストーリーの最初からアクションに入ることが出来る。このため、ストーリーの緊張感はオープニングから高くなり、効果のあるオープニングがイメージしやすくなる[44][注釈 17]
  • オープニング・イメージ (※スナイダーの分類)
オープニング・イメージ (opening image) は、ブレイク・スナイダー英語版によれば、映画の第一印象が全て決まる部分である。優れたオープニング・イメージは、どのような作品なのかがイメージでき、作品のスタイル、ジャンル、およびテーマなどが象徴される。それはまた、主人公の変化する前の姿を見せる場である。オープニング・イメージは最後のファイナル・イメージと一対になっており、主人公に起こった変化はラストで表される[45]。ここでは舞台となる場所や時代も設定される。作品の舞台がワイドアングルで映し出される場合が多いが、反対に、クローズアップから始まる場合もある[46]
  • セットアップ
セットアップ (set-up) では、ストーリーを理解するための要点が全て示される。セットアップは、誰の、何についての、どこが舞台の、どのようなジャンルのストーリーなのかを明確にする[47]。主人公の目的が与えられ、メインストーリーに登場するキャラクターも紹介される。このセクションは冒頭の10分 (長くても12分) であり、観客の興味を得られるかどうかの分岐点である[48][49]
  • 出会いと挨拶 (※ウェルマンの分類.)
「出会いと挨拶」は、ウェンデル・ウェルマンによれば、冒頭の3分から10分の時点で起こる。主人公は敵対者とプライベートで出会うが、危険を感じておらず、むしろ主人公がフレンドリーな敵対者に関心を持つほどである。この時点では、まだ主人公は「普通の世界」にいる。ウェンデル・ウェルマンは、冒頭で主人公とその友人たちが暮らす「普通の世界」を、可能な限り面白い世界として描くことを勧めている。すぐ後に、主人公は敵対者によって、それとは正反対の危険な世界へと入り込むことになるからである[50]
  • テーマの提示 (※スナイダーの分類)
スナイダーによれば、テーマの提示 (theme stated) では、登場人物の誰かが作品のテーマに関することを口にする。普通、主人公でない人物が主人公に対して忠告する。主人公は言われたことの意味をよく分からないが、ストーリーが進むほどその言葉の重さを理解するようになる。ここでは脚本家の主張が代弁され、以降は、登場人物がそれに賛成か反対かで対立しながらストーリーが進行する。スナイダーは冒頭5分の時点で起こるとしている[51][注釈 18]
アナと雪の女王』('13) では、 頭の凍りついたアナを抱いた国王夫妻が、"The heart is not so easily changed, but the head can be persuaded." (心は頭ほど簡単には変わらない) と、トロールの長老から教えられる。つまり、アナは真実の愛を学ばなければならず、それがストーリーの中心となる。姉のエルサもまた、自らの優れた力を制御する必要があり、それには恐れが最大の障害となることを告げられる[40][注釈 19]
  • セントラル・クエスチョン
セントラル・クエスチョンは、セットアップの終わりに観客に対して行われる問いかけであり、その答えはクライマックスで与えられる。このとき、主人公の解決しなければならない問題が観客に明かされる[52]。この問いかけは、主人公の行動する「きっかけ」という目線から立てられなければならない (例: 「Xはダイヤモンドを取り返せるか?」「Yは彼女をゲットするか?」「Zは殺人犯を逮捕できるか?」など)[32]。すなわち、「主人公は目的を成し遂げられるのか」ということがクエスチョンとなるが、主人公の心理的な変化が目的となる場合もある。セントラル・クエスチョンは、ストーリー上の全ての出来事に関係する。セントラル・クエスチョンの設定によってセットアップは終了し、本当のストーリーを始める準備が出来る[53]
  • インサイティング・インシデント
インサイティング・インシデント (inciting incident, 引き金) または カタリスト (catalyst) [54]は、「ツカミ」となる事件である。これは、その後に起こるさらにダイナミックな展開の引き金となる。それはオープニング (ときには1ページ目) に配置される。この出来事によって、(i) ストーリーが動き始め、また、(ii) 観客がストーリーに集中させられる[55]。インサイティング・インシデントは、原則として最初の10分から15分に置かれる (この「引き金」のシーンは全編にちりばめることも出来る)。このシーンは、会話よりも出来事や行動で描いたほうがインパクトは強い[56]。たいていのヒット映画では、主人公が敵対者と最初に遭遇するのはこの辺り (開始10分頃) である[57]。インサイティング・インシデントはファースト・ターニング・ポイントにつながる。ストーリーが本当の意味で始まるのは次のファースト・ターニング・ポイントからである。インサイティング・インシデントは必要不可欠であるが、前振りでしかない[58]
例えば、『マトリックス』('99) で、ヒロインのトリニティが重力を無視して警官隊の包囲から脱出するシーン、『ロード・オブ・ザ・リング』('01) で、指輪が川底から見つかるシーン[59]、『シックス・センス』('99) の主人公が撃たれるシーン、『プライベート・ライアン』('98) のノルマンディー上陸のシーン[60]、『アナと雪の女王』('13) で、エルサの戴冠式が始まり、妹のアナが「生まれてはじめて」を歌い踊って喜ぶシーンなどが、インサイティング・インシデントである[40]
  • 第二の10ページ
セットアップが終わった後の「第二の10ページ」(開始10-20分) では、主人公に焦点が当てられる。セットアップが「誰の、何についてのストーリーなのか」を明確にしたのに対し、ここでは、「主人公はどのような人物なのか」ということが中心になる。 主人公の人生の「ある1日」が示され、主人公のキャラクターや人間関係がより明らかになる。この1日は、狭い意味での「日常の1日」である場合もあれば、そうでない場合もある。主人公は行動的、決断的で、ほぼ全てのシーンに登場していなければならず、また、最初の10ページ (10分) の設定に応じて行動している必要がある。なおかつ、この間のストーリーは、第一幕の終わりのファースト・ターニング・ポイントに向かって広がり、前に進まなければならない[61]
  • 悩みのとき (※スナイダーの分類)
スナイダーによれば、悩みのとき (debate) では、主人公が自分の目標を実現できるのか疑問を抱き、十分に考える (12分から15分, 全体の約1/10)。これにより疑問の答えを見つけ、主人公は自信を持って試練に立ち向かう決心が出来る。前のインサイティング・インシデントと次のファースト・ターニング・ポイントをつなぐセクション[62]

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ファースト・ターニング・ポイント

第一幕の終わりでは、きっかけとなる出来事がダイナミックに起こり、主人公に直面する。主人公はこの出来事に上手く取り組もうと試みる。出来事は次のよりドラマティックなシチュエーションにつながる。これがファースト・ターニング・ポイントまたはプロットポイント I (first turning point または plot point I)である。これは、まず、(i) 第一部が終わる合図となる。さらに、(ii) 主人公の人生をがらりと変え、引き返せなくする[32]。なおかつ、(iii) 冒頭のセントラル・クエスチョンが再び示される[63]。ファースト・ターニング・ポイントから本当のストーリーが始まる[64]。それは通常、開始から20-25分または30分頃に配置される[65]

ここでは、それまでの状況が一変して、主人公のゴールが明確になり、その目標を達成するためのストーリーが始まる[38]。ファースト・ターニング・ポイントは、主人公の関係する何らかのイベントであり、ここから物語は第二幕に入る[33]。主人公は安定した日常から、危険にあふれた非日常へと足を踏み入れる[38]。二つの世界は著しく異なるため、自分から新しい世界に進む強い意志がなければならない。主人公は受け身のまま流されて第二幕に入ってはならない。自ら選択し、行動しなければ主人公ではない[66]。これは言わば森の中に分け入る入り口のシーンである。必ず敵対者との衝突が起こるが、通常、対峙するだけで「戦闘」にはならない。一方で、主人公は、敵対者が予想外で思いもよらない存在であり、これまでの方法では立ち向かえないことを知る。主人公は「普通の世界」を去ろうとしているのである。このため、ストーリーに最初の転換が起こる。続く数シーンでは、主人公が森の中、つまり新しい世界で、「普通の世界」とは異なる人々に出会う[67]

ファースト・ターニング・ポイントでは、主人公の「ドラマ上の欲求」がそれまでとは変化する。このため、続く第二幕では、まず初めに、主人公の新たな「ドラマ上の欲求」を明らかにしなければならない。『テルマ&ルイーズ』('91) では、親友テルマをレイプしようとした男をルイーズが射殺したことによって、「二人で週末の楽しい旅に出かけること」という欲求は、「二人でメキシコまで逃げること」へと変わる。これは、ファースト・ターニング・ポイントで主人公の「ドラマ上の欲求」が変化する例である[68][69]

タイタニック』('97) では、船から飛び降りようとしたローズをジャックが救うシーンが、ファースト・ターニング・ポイントに当たる[70]。『ロード・オブ・ザ・リング』('01) で、主人公フロドが指輪を運ぶために村を出るシーン[71]、『マトリックス』('99) では、主人公ネオが真実の世界に目覚めるための錠剤を選ぶシーン[72]、『アナと雪の女王』('13) で、アナが姉のエルサを追って雪山に向かうシーン[40]、そして『スターウォーズ』('77) で主人公ルーク・スカイウォーカーが旅立つことを決意するシーンなども同様である[73]

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第二幕 (対立、衝突)

第二幕 (second act) は、"rising action" (上昇する展開) とも呼ばれ、一般に、ファースト・ターニング・ポイントで始まった問題を主人公が解決しようと努力する姿を描く[32]。主人公は、目指す目標の障害と戦って勝たなければならない[33]。一方で、その矢先、主人公は自分がますます悪化する状況の中にいることに気づく。理由の一つは、主人公が問題を解決できないように思われるからであり、それは、主人公の前に立ちはだかる敵対者に対抗するスキルをまだ持っていないためである。主人公は新しいスキルを得るだけでなく、より高い意識に目覚めなければならない。すなわち、主人公が苦境から抜け出すために何が出来るのかを悟る。そして、今度は自らを変える自覚を持つことである[32]

このようなキャラクターの内面の変化は、キャラクターの成長 (character development) またはキャラクター・アーク (character arc) と呼ばれる。それは一人では成し遂げられない。主人公は普通、良き指導者 (mentor) や共同主人公から助けられ、励まされている[32]

第二幕は「対立、衝突」(confrontation) である[3][注釈 20]。登場人物が相次ぐ困難を乗り越え、「ドラマ上の欲求」を成し遂げようとする[74]。主人公の「ドラマ上の欲求」、すなわち最終目的を決めれば、そのために乗り越えなければならない障害は自然に作れ、主人公がその障害に打ち克(か)つストーリーが完成されていく[75]。第二幕においては、主人公の物理的または精神的な障害が4つ必要である[76]。そうして、主人公の試練はクライマックスに向けて、いよいよ困難なものとなっていく[38]

シド・フィールドによれば、第二幕はミッドポイント (中間点) を境に前半と後半に分けられ、それぞれにサブテーマ (サブコンテクスト) が存在する。『タイタニック』('97) では、「ローズとジャックが互いを知ること」が、第二幕前半のサブテーマである。ジャックがローズの家族から夕食に招待され、二人が結ばれるまでを指す。また、第二幕後半のサブテーマは、「ローズとジャックが固い絆で結ばれること」である。ここでは、二人が生き残れるかどうかにストーリーの焦点が移る。ローズは一度は乗り込んだ救命ボートから降りて、愛するジャックのところへ行こうとする。これら第二幕の前半と後半の行動をつなぎ、ストーリーを進展させるものが、ミッドポイントでの氷山の衝突である[77]

すなわち、第二幕の前半、後半は、それぞれサブテーマとしてまとまり、それが第二幕全体のテーマ (コンテクスト) を形成している[78]。サブテーマ (隠れた意味や背景) がクリアになれば、ストーリーに必要なアクションも明らかになってくるとする。フィールドは、区切りとなる二つのターニング・ポイントとミッドポイントを明確にした上で、第二幕の前半からサブテーマを決めることを推奨している[79]

フィールドによれば、サブテーマの次に、時間枠を設定しなければならない。時間枠の設定とは、映画の限られた時間の中で、どの程度の時間の流れ (1日, 1ヶ月, 1年, 10年など) を表現するのかを決めることである。ストーリーを進めるために最も効果的な時間枠を考える必要があるとする。フィールドは、まず、第二幕の前半の時間枠から考えることを推奨している。このように、サブテーマと時間枠を決めることで、ストーリーの進む方向が定まり、ミッドポイントやセカンド・ターニング・ポイントにつながるアクションが明確になるとする。そのため、フィールドは、まずサブテーマと時間枠を決めてからアクションを考えるべきであるとしている。第二幕は「対立 (衝突)」であるから、ここが不明確であると、対立 (衝突) が弱まり、ストーリーが動かなくなる[80]

フィールドはさらに、第二幕前半の中間、および第二幕後半の中間にあたるポイントを、それぞれ「ピンチ」(pinch, 挟むこと)[注釈 21]と呼んでいる。これらは、第二幕の始まりから終わりまでのストーリーをリレーする出来事である。ピンチのシークエンスは、ストーリーを前に進めるものであれば、行動でも会話でもよい。ピンチ I (開始45分) は第二幕の前半を、ピンチII (開始75分) は第二幕の後半を、いずれも一つにまとめ、ストーリーを前に進めている[81]

第二幕では、ストーリーがどこへ向かっているのかを明確にすることが重要である[82]。フィールドは、まず、(i) 結末、 (ii) オープニング、(iii) ファースト・ターニング・ポイント、(iv) セカンド・ターニング・ポイント ――を順番に決めておくことを推奨している[83]。次に、フィールドは、第二幕を設定する順序として、以下のように主張している。すなわち、初めに、(i) ミッドポイントから考える。ミッドポイントにより、第二幕は前半と後半に分かれる。そして、(ii) 第二幕の前半・後半のサブテーマ、(iii) 第二幕の前半・後半の時間枠、(iv) ピンチ I および ピンチII ――をこの順に決めるとしている[84]

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前半

シド・フィールドは、この第二幕の前半 (first half) [3]の中間点 (45分) を、ピンチ I (pinch I) と呼んでいる。ピンチ I は、第二幕前半の中心となる重要な出来事である。それは、第二幕の前半を一つにまとめ、ファースト・ターニング・ポイントからミッドポイントまでのストーリーをつなぐ。この出来事により、第二幕全体の構成がより明確になる。『テルマ&ルイーズ』('91) では、逃走中のテルマとルイーズが、ピンチ I でヒッチハイカーのJ.D.を車に乗せる。二人はミッドポイントで、そのJ.D.に逃走資金を持ち逃げされてしまう[85]

  • サブプロット (※スナイダーの分類)
サブプロット英語版 (subplot) またはBストーリー (B-story) は、ブレイク・スナイダー英語版によれば、「ラブ・ストーリー」であることが多い (必ずしもそうであるとは限らない)。直前のターニング・ポイントのショックから観客を休ませ、なおかつ、ストーリーを加速させ前に進める「補助ロケット」である。ささやかな場面転換である一方で、メインストーリーと無関係ではなく、作品のテーマも改めて示される。ここでは、新しいキャラクターが登場することが多い。第二幕は「普通」の世界である第一幕とは正反対であるため、たいてい、この新たな登場人物もそれまでとは反対に「普通」ではない。サブプロットは全体の1/4を過ぎた辺り (30分) で始まる[86]。『アバター』('09) では、主人公ジェイクがナヴィの娘ネイティリに命を助けられる[87]。『アナと雪の女王』('13) では、アナが氷売りのクリストフと雑貨屋で出会う[40]
  • ファン・アンド・ゲームズ (※スナイダーの分類)
ファン・アンド・ゲームズ (fun and games, お楽しみ) は、スナイダーによれば、「この作品はこういうものです」という「お約束」を果たす場面であり、「なぜこの作品を観ようと思ったのか」という観客の期待に応える部分である (30分から55分まで、全体の約1/4から1/2まで)[注釈 22]。ポスターや予告編で使われ、観客はストーリーよりもこのパートを待望している。「お約束」を観る場面であるため、ストーリーの目的とはやや外れ、他の部分より調子が軽い。例えば、『ダイ・ハード』('88) では、主人公ジョン・マクレーンがテロリストの鼻を明かす展開が始まる。『スパイダーマン』('02) では、主人公が突然手に入れた力を使ってみる[88]。『アナと雪の女王』('13) で、エルサ女王が"Let It Go"を歌いながら氷の城を建てるシーンもこのセクションである。また、雪だるまのオラフがアナたちの仲間になる[40]。フィールドの言うピンチ I (45分) はここで起こる[89]

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ミッドポイント

ミッドポイント (midpoint) は、ストーリーの中盤60分ほどで起こるイベントである[90]。ミッドポイントすなわち中間点は、映画を前半と後半に分ける[91]。ミッドポイントからは危険度が急に上がる[92][注釈 23]。主人公と敵対者の間で大きな「バトル」が起こり、ターニング・ポイントと同じ程度かそれ以上の転換シーンになる。ここでは突然、主人公の目的や主張を打ち砕く何かが起こり、ストーリーを正反対に方向転換させる。『タイタニック』('97) で氷山が船に衝突するシーンもこのポイントである (パニック映画ではミッドポイントで災害が発生する)[93]。また、『アナと雪の女王』('13) で、氷の城にたどり着いたアナが、女王エルサから氷の魔法で心臓を撃たれるシーンなども、ミッドポイントの例として挙げられる[40]

ミッドポイントでは、主人公に新しい道標が与えられる。主人公がこれまで目指してきた試みは失敗したのであるから、新たにどこへ向かうべきかを知る必要がある[94]。ここでは、登場人物が変化し始め、主人公がこれまでとは別の生き方を選んだり、新しい行動を開始したりする[95]ピクサー作品では、主人公の精神的な成長を描くため、主人公が旅の中間部でその目的を一時的に見失ってしまい、その間だけ目的が変化するという展開が必ず挿入される[38]

作品によっては、「人目を引きつけるシーン」がここに置かれる。人目を引きつけるシーンは、ストーリーの進行を一時停止させ、にぎやかに盛り上がるショーの場面である。このシーンは、次第にヒートアップし、テンポも急速に上がっていく [『美女と野獣』('91) のディナーのシーンなど]。それによりキャラクターが何かを達成したり、変化したりする。作品の全てのシーンの中で最も記憶に残る場合が多い。ミュージカル的な歌や踊りだけでなく、サーカスカーチェイス、またはスポーツなども同様である。『ロッキー』('76) のトレーニングの場面も、その盛り上がり方から、人目を引きつけるシーンと言える[96]

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後半

シド・フィールドは、この第二幕の後半 (second half)[3] の中間点 (75分) を、ピンチII (pinch II) と呼んでいる。ピンチII は、第二幕後半の中心となる重要な出来事である。それは、第二幕の後半を一つにまとめ、ミッドポイントからセカンド・ターニング・ポイントまでのストーリーをつなぐ。この出来事により、第二幕全体の構成がより明確になる。『テルマ&ルイーズ』('91) では、警察に逮捕されたヒッチハイカーのJ.D.が、ピンチII でテルマとルイーズの逃亡先を明かしてしまう[97]

ウェンデル・ウェルマンによれば、第二幕の後半では、主人公が混沌へと急降下し、また、少なくとももう一人、別の主要人物の下降も追って始まる。主人公らの陥るカオスを徹底的に描く場合も、軽く触れるだけの場合もある。主人公らが自由落下する以外に原則はとくに無く、自由に書ける部分である[98]

  • バッドガイズ・クローズ・イン (※スナイダーの分類)
バッドガイズ・クローズ・イン (bad guys close in, 迫り来る悪い奴ら) は、ブレイク・スナイダー英語版によれば、パワーアップした敵対者が逆襲してくる場面である (55分から75分まで, 全体の1/2から約2/3まで)。一方で、主人公の側にも内輪もめが起こる[99]。シド・フィールドの言うピンチII (75分) はここで起こる[100]。『アナと雪の女王』('13) では、アナたちがエルサ女王の作った雪の巨人に追われる。また、アナは心臓に受けたダメージにより死に向かう。そしてエルサも、ハンス王子とその兵士などによって城を襲撃され、捕らえられる[40]
  • オール・イズ・ロスト (※スナイダーの分類)
オール・イズ・ロスト (all is lost, 全てを失って) は、スナイダーによれば、主人公が一時的に最悪の状況に陥ることであり、失意のどん底まで落とされる (75分, 全体の約2/3)。ヒット作では、よく何かしら死に関することが示され、観客にインパクトを与える。実際に指導者が死ぬことが多いが、植木鉢の花が枯れるなど象徴的なものもある。指導者が死んだ場合には、もはや指導者を必要としないほどの力が自分にあることを、主人公が理解する。これまでの世界、キャラクターおよび考えが「死んでいく」ことで、次の世界である第三幕へと移ることが出来る。『スターウォーズ』('77) では、オビ=ワン・ケノービが亡くなる[101]。また、『アナと雪の女王』('13) では、半死半生のアナが、ハンス王子から婚約が王位のための道具であったことを告げられた後、冷たい部屋に一人残される。また、エルサ女王も、ハンスによって反逆罪で死刑を宣告される[40]
  • ダークナイト・オブ・ザ・ソウル (※スナイダーの分類)
ダークナイト・オブ・ザ・ソウル (dark night of the soul, 心の暗闇) は、スナイダーによれば、全てを失った主人公が解決策を深く考え、自分や仲間を救う方法を悟るシーンである。5秒で終わることもあれば、5分続くこともある[102]。『アナと雪の女王』('13) では、オラフが暖炉の火で溶けそうになりながら真実の愛を語る。アナは、ハンス王子ではなく、クリストフが「運命の人」であったことに気づく[40]

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セカンド・ターニング・ポイント

セカンド・ターニング・ポイントまたはプロットポイントII (second turning point または plot point II) は、第三幕への分かれ目である。それは通常、開始から80-90分に配置される[103]。セカンド・ターニング・ポイントは、ファースト・ターニング・ポイントと同じく、ストーリーをより危険な方向へ転換させ、新たな幕に進ませる。ここでは、セントラル・クエスチョンがもう一度示される。 主人公が希望を捨てようとした瞬間、セントラル・クエスチョンを解決する方法が見つかるという、一続きの展開から成ることもある。また、この転換点は、結末へ向けてテンポを上げる役割を持つ。実際にタイムリミットが設定されるケースもある ("ticking clock")[104]

このシーンでは一般的に、主人公が敵対者のエリアで彼(ら)のしていることを目撃する。それにより敵対者の真実が明らかになり、主人公の主張 (最終目的) や考え方が徹底的に破壊されて、主人公は苦しめられる。すなわち、「死」に関するシーンである。これまでの映画全体がこのシーンに向かって動いていくようにする。このシーンから主人公が生まれ変わり始める[105]

登場人物はこのまま変化し続けるか、それとも後戻りするのか選択を求められる[106]。主人公は大きな変化、試練を乗り越えることで、精神的にさらに成長していく[38]ブレイク・スナイダー英語版によれば、ここでメインプロットとサブプロット (Bストーリー) が出会い、それによって敵対者に勝つためのヒントが見つかるという (例: ヒロインが敵の弱点を教えてくれるなど)[107]。競技をテーマとした作品であれば、セカンド・ターニング・ポイントから最後の競技が始まり、第二幕におけるトレーニングなどの結果が次の第三幕において示される[108]

セカンド・ターニング・ポイントの例として、『タイタニック』('97) では、ローズがジャックを助けに行くために救命ボートから降りるシーン[109]、『マトリックス』('99) で、主人公ネオが拘束された船長モーフィアスを救出することを決断するシーン、『テルマ&ルイーズ』('91) では、テルマとルイーズが車中で最後の夜を静かに過ごすシーン[110]、『アナと雪の女王』('13) で、瀕死のアナが都の城から脱出して、吹雪の中をクリストフに会いに行くシーンなどが挙げられる[40]

ウェンデル・ウェルマンは次のように主張している。アメリカ映画では、ジョーゼフ・キャンベルの影響により、映画開始から85分、すなわちセカンド・ターニング・ポイントにおいて、主人公と友人関係にある「いい奴」の死ぬことが必ずと言えるほど多くなった。これは既に陳腐な展開であり、登場人物の犠牲はストーリーに欠かせないと考えられる場合のみに限るべきである。誰も死なないヒット作は現に存在する。観客を感動させるためだけに登場人物の犠牲を詰め込んでいる作品は、圧倒的多数の観客から、わざとらしい、胡散臭いと感じられ、興行的に失敗することもある。登場人物を死なせる場合には、そのキャラクターと主人公の関係を十分に描き、また、それをストーリーの早い時点で描写しておかなければならない。それだけではなく、主人公がそのキャラクターの死によって、どのように考え方を変化させるのかということも決めておくべきである[111]

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第三幕 (解決)

第三幕 (third act) は、ストーリーとそのわき道 (subplot) の解決で特徴づけられる。クライマックス (終了1-5分前[112]) は、ストーリーの緊張がそれまでより大きく高まるシーンまたはシークエンスであり、その緊張は頂点に達する。そして、第一幕で出された問いの答えが明かされる。主人公と他のキャラクターたちは自分の本当の姿を見出す[32]。第三幕は「変化の証明」であり、キャラクターが本当に変化したのかを試す最後のテストが行われる[113]。精神的に成長した主人公は、振りかかる最大の試練に勝利し、全ての物事が良い方向に運ぶ[注釈 24]主人公によって世界は大きく変化していく[38]。そして、主人公は、失くした何かを奪還したとき、すでに自らの弱点にも打ち克っている[114]。こうして、ストーリーに解決をもたらすのが第三幕である。ただし、解決はエンディングとは異なる。エンディングは、ラストの特別なショットシークエンスである[33]

1990年代後半以降の映画における第三幕は、かつての作品と比べ、かなり短い。敵対者とのラストバトルも、主人公が生まれ変わったことを再確認するための、静かめな最終試験である。なぜならば、主人公の心理的な葛藤はこれまでに描かれているため、クライマックスで繰り返す必要は無い。また、主人公は第二幕で古い考え方を既に捨てていることから、もはや主人公の心理的な葛藤が無くなりつつあるためである。クライマックスは、仲直り、結婚式、または旅立ちが共通のテーマである[115]

  • フィナーレ (※スナイダーの分類)
フィナーレ (finale) は、ブレイク・スナイダー英語版によれば、全体のまとめである (85分から結末まで、第三幕すべて)。ここでは、主人公の足りないものが克服され、主人公はメインストーリーでもサブプロットでも勝利する。主人公は第二幕で学んだことで、新しい世界を切り開く力を持っている。主人公によって、第二幕までの古い世界は新しい世界に変化する。敵対者 (生物とは限らない) はその過程で、下位の者からボスに至るまで、下から順に全て敗北する[116]

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エンディング

エンディングは、ときには爽快であり、ときには悲劇的であり、または、どちらとも言えないラストもある。シド・フィールドは次のように述べている。最も良いエンディングには、強引にまとめられた不自然さも無く、誰でも予想が付くような月並みさも無い。予想外だが、リアリティがあり、観客の納得できるものが最良のエンディングである。脚本を書き始める際には、まずエンディングを考えなければならない〔編者注:これには異説もある[注釈 25]〕。エンディングはオープニングの結果であり、行き先であること[注釈 26]を強く意識する必要がある[117][118]

1990年代後半以降では、ヒネリで終わるエンディングが流行になっている。主人公が新しい考え方を身につけ、勝利を収めようとしたとき、最後にその考え方がヒネリによって打ち砕かれる [『シックス・センス』('99) など ][119]。もし第三幕の終わりにヒネリを置く場合には、明らかになる真実が多すぎて、観客が混乱しないように配慮する必要がある。ヒネリは、巧みに張られた伏線が回収され、想定外の真実が明かされる瞬間である。それは普通、二つのターニング・ポイント、ミッドポイント、またはクライマックスのいずれかに置かれる (ただしヒネリは転換とは異なる)。本来、ヒネリは、セカンド・ターニング・ポイントに配置され、第三幕でその結果が描かれることが多い。秘密の隠される時間が長いほど、ヒネリのインパクトは強くなる[120]

フィールドは次のように主張している。未熟な脚本家の多くが、メインキャラクターをエンディングで死なせたり、著しい場合には、全ての登場人物を死なせたりする。そのほうが容易であるからだ。一方で、脚本家は、それより優れたエンディングを書くことが出来る[121]。ストーリーの締め方に不安のある場合には、肯定的なエンディングを検討する。これは、「全ての人がシンデレラのように幸せになりました」といったエンディングにせよということではない。映画の目的は、観客を楽しませること、すなわち観客の気分を高揚させ、満足させることである[122]

また、フィールドは、「脚本家には観客に影響を与え、観客を変える責任がある」と述べている。脚本を書くということは、異なる人間が互いに愛し合う新しい世界、新しい行動パターンを作る機会であるとする。その機会を用いることが脚本家の使命であるという。よって、結末は、アマチュア性の高い絶望的、破滅的なものではなく、最も高いレベルの意識を目指さなければならないと、フィールドは主張している[123][注釈 27]

  • ファイナル・イメージ (※スナイダーの分類)
ファイナル・イメージ (final image) は、ブレイク・スナイダー英語版によれば、冒頭の「オープニング・イメージ」と一対になる場であり、これまでに起こった変化が本物であることを見せる。ファイナル・イメージが思い浮かばない場合には、第二幕での積み重ねが不足している[124]。ここではオープニング・イメージとは正反対のイメージが描かれ、ストーリーは終わる[125]

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敵対者

主人公の敵対者 (antagonist) がいなければ、ストーリーは成り立たない。敵対者は主人公とは正反対の意見を持ち、主人公の最終目的を妨げる大きな存在である。敵対者は、主人公と対立し、衝突し、障害となる[126]。一般的に、敵対者は主人公と同じものを求めて争っているが、求めているものに対する観点は主人公と正反対である[127]

主人公と敵対者が衝突[注釈 28]することで主人公は選択を迫られ、ストーリーが転換する。主人公が敵対者と関わる転換点は、最低でも5回 (10分頃, 25分頃, 60分頃, 85分頃, 95分頃) は必要であり、そのうち3回は大きな転換シーンである。それは二つのターニング・ポイントとミッドポイント (中間点) で起こる。ウェンデル・ウェルマンは、主人公と敵対者の接触が多いほどストーリーの緊張感は高まり、その映画がヒットする可能性も増すとしている。つまり、対立する者同士はくっつけよ[注釈 29]、というのがウェルマンの主張である[128]

敵対者は特定の個人とは限らず、災害やモンスターなどであったり、人種差別、ナチス・ドイツ、懲役またはスクール・ライフなどのような目に見えない抽象的なものであったりする (ただし、その場合でも具体的な敵対者は一人は必要である)。敵対者が複数の場合もある。また、敵対者は必ずしも悪の存在ではない。ラブ・ストーリーでは恋愛の相手が敵対者となる[129]

Magic "3"

主人公は少なくとも3回は誤った選択をしなければならない (the magic "3")。主人公は第二幕の終わりで正しい答えを得て、正しい選択をする。正しい選択をしたことにより第三幕で勝利する。主人公の1回の決断だけでストーリーを引っ張ってはならない。そのような映画は退屈な作品になる[130][注釈 30]

かつて刷り込まれた古い考え方 (心の傷や欠陥など) が主人公の新しい考え方と衝突する。主人公はその古い考え方のために誤った行動をとる。新しい考え方は、それとは正反対の主人公の最終目的である (自由や正義など)。この二つの考え方の衝突が、脚本における葛藤 (inner conflict) であり、三つの主な転換シーンである[131]。つまり、主人公の古い考え方、すなわち心の傷や欠陥などを思い起こさせるものが敵対者である[132]。現状から変化しようとする主人公は、それを阻止する敵対者と対決していくことになる。主人公とその新しい主張は、敵対者によって、まず徹底的に打ちのめされなければならない[133]

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メタファー

ウェンデル・ウェルマンは次のように主張している。ファースト・ターニング・ポイント、ミッド・ポイント、およびセカンド・ターニング・ポイントの三つの大きな「バトル」は、一つの目に見える象徴、イメージ、態度または行動などの「共通シンボル」(controlling symbol)、すなわちメタファーによって、ストーリーがつながっていることが望ましい。例えば『ブレイブハート』('95) では、父を亡くした主人公の少年に、ある幼女が葬儀で花を手渡す。20年後、今度は成長した主人公がしおれた花を恋人に手渡して求婚する。また、冒頭では殉死した父親が「うつぶせ」に寝かされ、ミッドポイントでの野戦の大敗で主人公が「うつぶせ」に倒れ、終盤には捕らえられ「うつぶせ」に縛られて処刑を待つ。シンボルが何か具体的なモノである場合には「マクガフィン」になる (例: ロード・オブ・ザ・リングシリーズ指輪)。シンボルによって、ばらばらの三大シーンがつながり、ストーリーがどこへ向かって動いているのかが明確になる[134]リンダ・シーガー英語版は、時間帯の異なるシーンであっても、何か共通するものを画面に出すことで、つながりを示すことが出来るとしている[135]

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形式

1990年代初期以降、ストーリー展開の新しい形式が数多く生まれた[136]。アメリカの著名なスクリプト・コンサルタント、リンダ・シーガー英語版は、ストーリーの時間の流れによって、三幕構成を以下の形式に分類している[137]

  • 「直線型構成」 - 時間の流れ通り、始まり→中盤→結末と前進する。古代から現代に至るまで大半の脚本家が用いている。
  • 「反復型構成」 - 同じ状況を何度も繰り返す。ただし、繰り返しの間にもストーリーは進んでいる。『恋はデジャ・ブ』('93) など。
  • 「平行型構成」 - 複数のメインストーリーが無関係に進行し、ある時点で絡み合う。『マグノリア』('99)、『アメリ』('01) など。
  • 「らせん型構成」 - 同じ過去の出来事がフラッシュバックを繰り返しながら展開し、第三幕で克服される。『普通の人々』('80) など。
  • 「謎解き型構成」 - 第一幕で〈事件の発生〉、第二幕で〈事件の調査〉、第三幕で〈事件の解決〉に至る。『ユージュアル・サスペクツ』('95) など。
  • 「逆流型構成」 - 結末→中盤→始まりへとフラッシュバックを重ねて時間をさかのぼる。『メメント』('00) など。
  • 「循環型構成」 - 始まり→中盤→始まりと、永遠に同じことが繰り返される。現実では起こり得ない。『ビフォア・ザ・レイン』('96) など。
  • 「ループ型構成」 - 出来事の順序をシャッフルする。始まり→結末→中盤、結末→始まり→中盤→結末など。『パルプ・フィクション』('94) が典型。

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別解釈

アメリカの脚本家、俳優のウェンデル・ウェルマンは、ディズニーのストーリー・アナリスト (当時)、ピーター・フラッドとディスカッションを重ね、以下のシンプルなステップを提案している[138]

  • 第一幕 - 主人公の主張 (最終目的)
  • 第二幕 - 主人公に反発するあらゆる主張の数々
  • 第三幕 - 書き手の主張

アメリカで最も成功した競売向け脚本家の一人であるブレイク・スナイダー英語版[139]は、弁証法になぞらえて、以下の3つの世界に映画のストーリーを分けている[140]

  • 第一幕 - テーゼ (正) ―― 古い世界
  • 第二幕 - アンチテーゼ (反) ―― 正反対の世界
  • 第三幕 - ジンテーゼ (合) ―― 新しい世界

フランスの脚本家であり映画監督のイヴ・ラヴァンディエ (Yves Lavandier) は、その論文"La dramaturgie" (Writing Drama) において、他の脚本理論英語版とは次の点で異なるアプローチを提示している。ラヴァンディエはこう主張する。すなわち、人間のあらゆる行動は、架空か現実かを問わず、3つの論理的な部分を含む。行動する前 (before the action)、行動する間 (during the action)、行動した後 (after the action) がそれである。クライマックスは行動の一部であるから、第二幕に含まれていなければならないとラヴァンディエは考察する。ラヴァンディエの主張する第三幕は、クライマックスを含まない比較的短いものである[141]。短い第三幕 (急速な解決) はまた、日本の伝統的な演劇理論英語版の基礎である「序破急」にも見られる。

日本における序破急 (三幕構成) は、雅楽舞楽に起源があり、浄瑠璃および歌舞伎などにおいて、中近世より伝統的に用いられてきた脚本構成である[142][143][144]現代日本において、しばしば脚本構成として教授される起承転結 (起承転合) は、漢詩における近体詩の構成法である[145]

NHKエンタープライズエグゼクティブ・プロデューサー (当時) である浜野高宏によれば、日本人以外では、「起承転結」を知っている映像コンテンツプロデューサーは稀であるが、三幕構成は日本人以外であれば、ほとんどのプロデューサーが知っている。そして、国際的には、三幕構成がストーリーの組み立て方において主流となっている。このため、例えばドキュメンタリー作品の国際マーケットでは、ピッチ〔編者注: 企画の売り込み〕において、三幕構成に沿ってストーリー構成を説明できなければ、基本的なことを考えていない企画以前の段階であると評価される[10][注釈 31]

スウェーデンの映画研究者オラ・オルソン (Ola Olsson) によれば、映画には次の六幕がある。すなわち、「起点」「紹介」「進展」「衝突の頂点 (加速)」「解決」「退場」である。 オルソンのモデルは三幕構成に応用できる[146]。演劇のような幕間の無い映画においては、構成は、ドラマを分析するための分類でしかなく、映画は二幕、四幕、五幕、九幕にも分けられる。三幕構成が映画の構成として一般的であるのは、それを用いることにより、効果的なストーリー・テリングが可能となるためである[8][9]

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歴史

近代演劇においては、イプセンの『人形の家』(1879)[147](『人形の家』は最初の近代戯曲である[148])、ブレヒトの『三文オペラ』(1928)[149]ワイルダーの『わが町』(1938)[150]カミュの『誤解』(1944)[151]T. ウィリアムズの『欲望という名の電車』(1947) [152]、およびオールビーの『ヴァージニア・ウルフなんかこわくない』(1962) [153]などが三幕構成である 。

また、オペラにおいては、三幕構成の作品がバロック時代[154]から上演されており、17世紀には、パーセルの『ディドとエネアス』(1689) [155]など、および18世紀には、ヘンデル[156]の『エジプトのジュリアス・シーザー (ジュリオ・チェーザレ)』(1724)[157]などが、それぞれ全3幕で初演された。

オペラでは、続く古典派時代[158]には、オペラ改革を行ったグルック[159]の『オルフェオとエウリディーチェ』 (1762)[160]、ならびにモーツァルトオペラ・セリア [『イドメネオ』(1781) [161][162]など] および『後宮からの誘拐』(1782)[163]などに三幕構成が見られる。

ロマン派時代[164]以降のオペラとしては、ウェーバーの『魔弾の射手』(1820)[165]および『オベロン』(1826)[166]ワーグナーの『タンホイザー』(1845)[167]、『ローエングリン』(1850)[168]、『トリスタンとイゾルデ』(1865)[169]、『ニュルンベルクのマイスタージンガー』(1868)[170]、および『パルジファル[171]ヴェルディの『アッティラ』(1846)[172]、『リゴレット』(1851)[173]、『椿姫』(1853)[174]、『シモン・ボッカネグラ』(1857)[175]、『仮面舞踏会』(1859)[176]、および『ファルスタッフ』(1893)[177]スメタナの『売られた花嫁』(1866)[178]サン=サーンス の『サムソンとデリラ』(1877)[179]フンパーディンクの『ヘンゼルとグレーテル』(1893)[180]プッチーニの『トスカ』(1900)[181]および『トゥーランドット』(1926)[182]、ならびにR. シュトラウスの『ばらの騎士』(1911)[183]、『影の無い女』(1919)[184]、および『アラベラ』(1933)[185]などが三幕構成に当たる。ワーグナー楽劇ニーベルングの指環』(1876) は、1日に3幕ずつ3日 (と序夜1幕) にわたって上演される[186]

オペレッタでは、J. シュトラウス2世の『こうもり』(1874)[187]およびレハールの『メリー・ウィドウ』(1905)[188]など、ならびにバレエでは、チャイコフスキーの『眠れる森の美女』(1890)[189]などが三幕構成を用いている。 なお、中近世以降の日本の伝統演劇においては、浄瑠璃、および歌舞伎などが「序破急」、すなわち三幕構成である[190][191]

このような西洋演劇の三幕構成は、映画の三幕構成の基礎の一つである。一方で、映画の三幕構成は、演劇のそれと異なり、映画を分析するためのツールの一種類にすぎない。同じ映画が観点によって三幕にも五幕 (またはその他) にも分けられる。それらの中から三幕構成が映画脚本のモデルとして一般化したのは、その有用性によるものである[8][9][192][193]

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脚注

注釈

  1. ^ 「なお、本稿は国際共同製作のドキュメンタリーの分野についてまとめたものだが、その内容は普遍的であり、特にピッチに関しては映像コンテンツのそれ以外のジャンルについても参考となるであろう。」(同出典 p. 3.)
  2. ^ 日本語訳: 『映画を書くためにあなたがしなくてはならないこと-シド・フィールドの脚本術』 フィルムアート社、2009年。ISBN 4845909278
  3. ^ フィールドの教本のには、日本の映画監督3名が推薦文を寄せている。 / 第1巻: 山田洋次「拙いシナリオからは、どんな名監督の手にかかっても、良い作品は生まれない。徹底したディテールと構造の考察が、傑作をうむことを教えてくれる。」 / 犬童一心「勉強になりました。クールに時に暑く書かれた脚本の名指南書」 / 第2巻: 大林宣彦「言葉で考える人間が、絵で伝えるものが映画だ。言葉と映像との葛藤が劇を生み、脚本術こそが映画の核となる。面白く、劇的な一冊だ。」 / 犬童一心「脚本は映画の地図、作戦計画書、そして魂。」
  4. ^ シド・フィールドは、狭義の三幕構成に限らず、「すべてのストーリーが持っている共通点」としている (#フィールド p. 15.)。
  5. ^ フィールドのScreenplayの日本語版では、「対立 (衝突)」は「葛藤」と翻訳されている (#フィールド pp. 17, 20.)。一方で、原語は"confrontation"である (#paradigm)。この項目では、原語により近い訳語を採用している。
  6. ^ 「ほとんどのハリウッド映画は二時間ほどの長さである。外国語映画は〔も〕……多くの場合、二時間を少し過ぎるか、それよりも短いかという長さだ。これが標準的な長さで、今日、製作者とプロデューサーの間でかわされる契約書には、映画は二時間八分以内で納入されなければならないと書かれていることが多い。」(#フィールド p. 18.)
  7. ^ フィールドは「プロットポイント」という表現を用いている (#フィールド pp. 22 f.)。ハリウッドでは「プロットポイント」と呼ぶほうが主流である (#ウェルマン p.143.)。ただし、トロティエ (Trottier)、シーガー、およびスナイダーらのテキストは、「ターニング・ポイント」と呼称している。本項目は、トロティエのテキストに基づいた英語版の記事から発展したため、現在のところ「ターニング・ポイント」という呼称を継承している。
  8. ^ すなわち、三幕構成とは、ストーリーを伝えるために効果的な「フレームワーク」(枠組み) に過ぎないのであり、独創性を奪う制限ではない (#シーガー pp. 18 f.)。
  9. ^ フィールドは、あるときは「『プロットポイント I 』が35ページ目に来てしまった」と受講生から深夜に電話で泣きつかれ、またあるときは、パリのワークショップで会場から「あなたは悪魔だ。構成なんか使っても脚本が書けるわけがない」と罵倒された。このときはフィールドが「では、皆さんはどうやってストーリーを組み立てているのですか?」と尋ねたところ、曖昧で釈然としない答えしか返って来なかったという (ここまで。#フィールドII pp. 32 f.)。
  10. ^ スナイダーの開発した、三幕構成の空白を埋める15分割のテンプレートのこと (#スナイダー pp. 111 ff.)。
  11. ^ BS2は、フィールドのモデルとは異なり、他の教本から引用されていない。
  12. ^ シド・フィールドのテキストでは、これに替わって、「何についてのストーリーなのか」になっている。
  13. ^ シド・フィールドは、第一幕の全体の役割を「セットアップ」としている (#paradigm)。一方で、リンダ・シーガーおよびブレイク・スナイダーは、冒頭のおよそ10分間を「セットアップ」と呼んでいる (#シーガーII pp. 44, 53., #スナイダー p. 117. )。論者によって同じ用語に意味の「ねじれ」のあることに注意が必要である。
  14. ^ ブレイク・スナイダー英語版は、主人公に足りないものを「直すべき6つのこと」(6つでなくともよい) と呼び、それを「見せる」ことを重視している (#スナイダー p. 118.)。
  15. ^ 講演者マシュー・ルーン (Matthew Luhn) は、ピクサー・アニメーション・スタジオのストーリー・アーティスト (講演当時) (#ルーン)。
  16. ^ 「敵対者は必ずしも悪者ではない……。対立、衝突、障害、主人公にとって反対の理論を唱えること、そういったものを提供する者が、脚本における『敵対者』だ」(#ウェルマン p. 62.)
  17. ^ ラテン語では「イン・メディアス・レス」(In medias res) と呼ばれ、古典的な手法の一つである。
  18. ^ リンダ・シーガー英語版は、テーマを表現する台詞について、シナリオのどの部分にあってもよいとする一方で、「たいていは中盤か第二幕の終わりにくる」としている。そうすれば進行中のストーリーの意味が分かりやすくなるためという (ここまで。#シーガー p. 125.)。
  19. ^ 今西千鶴子 編(Japanese)『アナと雪の女王 公式パンフレット』東和プロモーション、2014年3月14日。「『恐れ』対『愛』という大きなテーマがあるわ。(ジェニファー・リー, 脚本・共同監督)」 
  20. ^ シド・フィールドScreenplayの日本語版では、「対立 (衝突)」は「葛藤」と翻訳されている (#フィールド pp. 17, 20.)。一方で、原語は"confrontation"である (#paradigm)。この項目では、原語により近い訳語を採用している。
  21. ^ 「"ピンチ"という名前は、……アクションを進展させ、ストーリーをしっかり挟んで結びつけ、脱線させないように前進させるポイントという意味を込めたのである」(#フィールドII pp. 210 f.)
  22. ^ サブプロットとファン・アンド・ゲームズの時間帯は重なっており、また、同時に始まる。
  23. ^ ブレイク・スナイダー英語版によれば、主人公はここで「見せかけの」絶好調 (または絶不調) になる。勝利した場合はオール・イズ・ロスト (後述) で「見せかけの」敗北をし、敗北した場合はその逆になるという (ここまで。#スナイダー pp. 126-128.)。
  24. ^ ここではハッピーエンド (happy ending) が想定されている。
  25. ^ ウェンデル・ウェルマンは、エンディングからではなく、まず中間部の3つの大転換シーンを決めることを、新しい公式として薦めている。それにより、残りのプロット構成は楽しく容易な作業になるのだという (ここまで。#ウェルマン pp. 143 f.)。
  26. ^ 「覚えておかなければならない最も重要なことは、エンディングはオープニングから生まれる、ということである。ある人がアクションを起こし、そのアクションがどのように帰結されるのかということがストーリーの流れなのである。」(#フィールド pp. 121 f.)
  27. ^ ベルリンの壁崩壊の数か月前に西ベルリンで行われたシド・フィールドのワークショップでは、受講生50人のうち48人が、死、自殺、または混乱で終わる脚本を書いた。「今、われわれは時代が大きく転換する歴史的瞬間に直面し、どんな未来を創造したいかを表現するまたとないチャンスではないか」とフィールドは提案した。その提案は失敗に終わり、悲観的な結末のほうがリアルなストーリーであるとして、受講生のほとんどに拒絶された。フィールドはこのエピソードに対して、主に過去への執着と未来への恐怖によるものであるとし、「未来は自らの手で作るものだ」と述べている (ここまで。#フィールドII pp. 245 f.)
  28. ^ ウェンデル・ウェルマンは、主人公と敵対者の衝突のシーンを、「対峙」「戦い」「難題」または「試練」などといった言葉でも表している (#ウェルマン p. 22.)。
  29. ^ ウェルマンが例に挙げる『ミート・ザ・ペアレンツ』('00) および『あの頃ペニー・レインと』('00) では、主人公がほとんどのシーンで敵対者と接触している (#ウェルマン p. 125.)。
  30. ^ 現在のメジャーな作品の中には、誤った選択を2回に留めているものもあるが、登場人物の魅力でストーリーを進行させる最先端の作品では、悪い選択の回数はたいてい3回かそれ以上である (#ウェルマン pp. 210 f.)。
  31. ^ 「なお、本稿は国際共同製作のドキュメンタリーの分野についてまとめたものだが、その内容は普遍的であり、特にピッチに関しては映像コンテンツのそれ以外のジャンルについても参考となるであろう。」(同出典 p. 3.)

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出典

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参考文献

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関連項目

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