「メリーランド州」の版間の差分
m編集の要約なし |
m →18世紀: typo |
||
(2人の利用者による、間の2版が非表示) | |||
6行目: | 6行目: | ||
地図 = Map of USA MD.svg| |
地図 = Map of USA MD.svg| |
||
愛称 = <nowiki></nowiki>伝統ある州<br>Old Line State| |
愛称 = <nowiki></nowiki>伝統ある州<br>Old Line State| |
||
モットー = 強い行動、優しい言葉| |
|||
州都 = [[アナポリス (メリーランド州)|アナポリス]]| |
州都 = [[アナポリス (メリーランド州)|アナポリス]]| |
||
最大都市 = [[ボルティモア]]| |
最大都市 = [[ボルティモア]]| |
||
州知事 = [[:en:Martin O'Malley|マーチン・オマ |
州知事 = [[:en:Martin O'Malley|マーチン・オマリー]]| |
||
公用語 = 法的指定なし| |
公用語 = 法的指定なし| |
||
面積順位 = 42| |
面積順位 = 42| |
||
総面積 = 32, |
総面積 = 32,133| |
||
面積大きさ = 1 E10| |
面積大きさ = 1 E10| |
||
陸地面積 = 25, |
陸地面積 = 25,314| |
||
水域面積 = 6,819| |
水域面積 = 6,819| |
||
水面積率 = 21.2| |
水面積率 = 21.2| |
||
20行目: | 21行目: | ||
人口値 = 5,773,552| |
人口値 = 5,773,552| |
||
人口大きさ = 1 E6| |
人口大きさ = 1 E6| |
||
人口密度 = |
人口密度 = 230| |
||
加入順 = 7| |
加入順 = 7| |
||
加入日 = [[1788年]][[4月28日]]| |
加入日 = [[1788年]][[4月28日]]| |
||
26行目: | 27行目: | ||
夏時間 = -4| |
夏時間 = -4| |
||
緯度 = 37°53' - 39°43'| |
緯度 = 37°53' - 39°43'| |
||
経度 = 75° |
経度 = 75°3' - 79°29'| |
||
幅 = |
幅 = 163| |
||
長さ = 400| |
長さ = 400| |
||
最高標高 = 1,024| |
最高標高 = 1,024| |
||
平均標高 = |
平均標高 = 110| |
||
最低標高 = 0| |
最低標高 = 0| |
||
ISOコード = US-MD| |
ISOコード = US-MD| |
||
36行目: | 37行目: | ||
上院議員 = [[バーバラ・ミクルスキ]]<br>[[ベン・カーディン]] |
上院議員 = [[バーバラ・ミクルスキ]]<br>[[ベン・カーディン]] |
||
}} |
}} |
||
'''メリーランド州'''({{lang-en-short|state of Maryland}})は、[[アメリカ合衆 |
'''メリーランド州'''({{lang-en-short|state of Maryland}}、略号MD、{{IPAc-en|audio=en-us-Maryland.ogg|ˈ|m|ɛr|i-|l|ə|n|d}}<ref>For those who distinguish them, ''Maryland'' is pronounced as in ''merry'' {{IPAc-en|ˈ|m|ɛr|i}}, not as in the name ''Mary'' {{IPAc-en|ˈ|m|ɛər|i}}. ''(Random House Dictionary)''</ref>)は、[[アメリカ合衆国]]東部[[大西洋]]岸にあり、[[ワシントンD.C.]]に隣接して[[大西洋岸中部地域]]([[:en:Mid-Atlantic States]])を構成する[[州]]の一つである。アメリカ合衆国50州の中で、陸地面積では第42位、人口では第19位である。人口密度が高い。南と西は[[バージニア州]]、[[ウェストバージニア州]]、ワシントンD.C.に、北は[[ペンシルベニア州]]、東は[[デラウェア州]]と接している。 |
||
州名の由来は、当時、イングランド国内で禁じられていた[[カトリック]]信仰の擁護者的存在になった[[ヘンリエッタ・マリア・オブ・フランス]]王妃([[イングランド内戦]]・[[ピューリタン革命]]で処刑されることになる[[チャールズ1世 (イングランド王)|チャールズ1世]]の妃)の名前であり、イギリス植民地時代に彼女の栄誉を称えて名付けられた<ref name="GLANCE">[http://www.mdarchives.state.md.us/msa/mdmanual/01glance/html/name.html Maryland At a Glance.] Retrieved on 2007-02-07.</ref><ref>{{cite web|url=http://www.mdarchives.state.md.us/msa/mdmanual/01glance/html/name.html |title=Maryland's Name |accessdate=2012-07-20 |work=Catholic History of Maryland|publisher=Simon & Schuster}}</ref>。当時、勅許で与えられた名前は"Terra Mariae, anglice, Maryland"だった。ただし多くの歴史家は、ジョージ・カルバートが1632年に死ぬ前に、イエスの母マリアに因んで名付けたと考えている<ref>http://wiki.answers.com/Q/Why_is_Maryland_named_after_the_Virgin_Mary</ref><ref>{{Cite journal | url = http://books.google.com/?id=9y0bAAAAYAAJ&pg=PA103&lpg=PA103&dq=proof+that+maryland+was+named+after+the+virgin+mary#v=onepage&q=proof%20that%20maryland%20was%20named%20after%20the%20virgin%20mary&f=false | title = Manual, State of Maryland | year = 1900}}</ref><ref>http://www.ncregister.com/site/article/catholics-give-thanks-to-god-in-maryland</ref>。 |
|||
==軍事== |
|||
大統領専用機[[エアフォースワン]]([[VC-25]])が駐機することで有名な[[アンドルーズ空軍基地]]。フォート・ジョージ・G・ミードに[[アメリカ国家安全保障局]]。アナポリスに海軍兵学校。フォート・デトリックに陸軍感染症医学研究所。 |
|||
[[州都]]は[[アナポリス (メリーランド州)|アナポリス市]]、最大[[都市]]は[[ボルティモア|ボルティモア市]]である。世帯当たり収入の中央値では50州の中で最も高い州である<ref>{{cite web |
|||
==歴史== |
|||
|url=http://proximityone.com/stmhi0910.htm |
|||
|title=State Median Household Income Patterns: 1990-2010 |
|||
|publisher=U.S. Census Bureau |
|||
|accessdate=2012-08-06 |
|||
}}</ref>。 |
|||
== 歴史 == |
|||
{{Main|メリーランド州の歴史}} |
{{Main|メリーランド州の歴史}} |
||
メリーランドはアメリカで最も古い州の一つで、16世紀初頭には[[イタリア人]]が訪れ、1608年[[イギリス人]][[ジョン・スミス (探検家)|ジョン・スミス]]がここを探検して地図に記している。 |
|||
1631年に[[チェサピーク湾]]のケント島に交易所が設置され、1631年から1634年にかけてイギリスのチャールズ1世がカルバート卿(ボルティモア男爵)に領土を与えた。1691年6月から1715年5月までイギリスの王室領となった。 |
|||
メリーランドはアメリカで最も古い州の一つで、16世紀初頭にはイタリア人が訪れ、1608年イギリス人ジョン・スミスがここを探検して地図に記している。 |
|||
[[アメリカ独立戦争]](1775-1783年)ではメリーランドの兵士は勇敢に戦った。ボルティモアに今も残る[[フォートマクヘンリー|マクヘンリー砦]]は、[[米英戦争]]の1814年に再び攻めてきた[[イギリス軍]]と25時間にわたる激しい戦いを繰り広げ、頑強に耐え抜いた場所である。戦いの後に要塞に堂々とたなびく星条旗を仰いで、[[フランシス・スコット・キー]]が「星条旗」という詩を詠み、それが1931年に現在のアメリカ国歌となった。 |
|||
1631年にチェサピーク湾のケント島に交易所が設置され、1631年から1634年にかけてイギリスのチャールス1世がカルバート兄弟やボルティモア卿に領土を与えた。そしてメリーランドは、1691年6月から1715年5月までイギリスの王領となる。 |
|||
1783年11月から9ヶ月間はアナポリスの議事堂が「国会議事堂」となり、1784年1月にはその議事堂で[[パリ条約 (1783年)|パリ条約]]が批准されて、アメリカ合衆国が正式に誕生した。その間事実上「合衆国の首都」であったわけで、大統領の[[ジョージ・ワシントン|ワシントン]]や[[トーマス・ジェファーソン|ジェファーソン]]、[[ジェームズ・モンロー|モンロー]]等の足跡がある。[[奴隷制度]]を保持していたが、1861-1865年の[[南北戦争]]では[[ロバート・E・リー|リー将軍]]率いる[[南軍]]の北上を引き止め、[[北軍]]の一員として戦った。 |
|||
アメリカの独立戦争(1775-83年)ではメリーランドの兵士は勇敢に戦って、ボルティモアに今も残るマックヘンリー要塞は、1814年に再び攻めてきたイギリス軍と25時間にわたる激しい戦いを繰り広げ、頑強に耐え抜いた場所。戦いの後に要塞に堂々とたなびく星条旗を仰いで、フランシス・スコット・キーが「星条旗」という詩を詠み、それが1931年に現在のアメリカ国歌となった。 |
|||
=== 17世紀 === |
|||
1783年11月から9ヶ月間はアナポリスの議事堂は「国会議事堂」となり、1784年1月にはその議事堂でパリ条約が調印されて、アメリカ合衆国が正式に誕生した。その間事実上「合衆国の首都」であったわけで、大統領のワシントンやジェファーソン、モンロー等の足跡がある。奴隷制度を保持していたが、1861-65年の南北戦争ではリー将軍率いる南軍の北上を引き止め、北軍の一員として戦っている。 |
|||
[[ファイル:Calvertcecil.jpg|thumb|200px|第2代ボルティモア男爵セシリウス・カルバート、メリーランド植民地の初代領主]] |
|||
1629年、[[アイルランド貴族]]の初代ボルティモア男爵ジョージ・カルバートが、北の[[ニューファンドランド島]]でアバロン植民地の経営に失敗した直後、国王チャールズ1世に、後に[[メリーランド植民地]]となる地域の勅許を申請した。カルバートは[[カトリック教徒]]であり、新世界にカトリック教徒のための安息地を作る望みがあったので、植民地創設に興味を抱いた。[[バージニア植民地]]で[[タバコ]]を売って利益を上げたように、ここで利益を上げ、ニューファンドランド島での失敗により被った損失を取り戻したいとも考えていた<ref name="books.google">{{Cite journal |
|||
|url=http://books.google.com/?id=WrerRiQXet4C&pg=RA1-PA215&lpg=RA1-PA215&dq=%22terra+mariae%22+mariana |
|||
|title=The English Colonization of America During the Seventeenth Century |
|||
|first=Edward Duffield |
|||
|last=Neill |
|||
|publisher=Strahan & Co. |
|||
|year=1871 |
|||
|pages=214–215 |
|||
|accessdate=2007-12-09 |
|||
|postscript=<!--None-->}}</ref><ref name="Stewart 1967 42–43">{{Cite book |
|||
|last=Stewart |
|||
|first= George R. |
|||
|authorlink= |
|||
|title= Names on the Land: A Historical Account of Place-Naming in the United States |
|||
|origyear= 1945 |edition= Sentry edition (3rd) |
|||
|year= 1967 |publisher= Houghton Mifflin |
|||
|pages= 42–43}}</ref>。 |
|||
ジョージ・カルバートは1632年4月に死んだが、メリーランド植民地に対する勅許は、1632年6月20日にその息子第2代ボルティモア男爵セシリウス・カルバートが引き継いだ。この新植民地は、チャールズ1世の妻である[[ヘンリエッタ・マリア・オブ・フランス]]に因んで名付けられた可能性がある<ref>{{cite web|url=http://www.mdarchives.state.md.us/msa/mdmanual/01glance/html/name.html |title=Maryland's Name |accessdate=2008-01-21 |work=Maryland at a Glance |publisher=Maryland State Archives }}</ref>。勅許状に書かれていた名称は ''"Terra Mariae, anglice'', Maryland" とされていた。[[ラテン語]]の "Mariae" は[[異端]]である[[スペイン]]・[[イエズス会]]のフアン・デ・マリアナと関連づけられることもあって、ラテン語よりも英語の名前が好まれた<ref name="books.google" /><ref name="Stewart 1967 42–43"/>。イギリスのカトリック教徒の逃避場とすることも目的の1つでメリーランドを設立したカルバート家は、イングランドとその植民地で優勢な[[イングランド国教会]]に従わないカトリック教徒開拓者やその他の信者を保護する法を成立させようとした。このことが1649年のメリーランド寛容法の成立に繋がった。これは宗派に関係なく信仰する権利を保障した最初の法律になった<ref>http://en-two.iwiki.icu/wiki/Maryland_Toleration_Act</ref>。 |
|||
==地理== |
|||
メリーランドは開拓者を受け入れるために、[[ジェームズタウン (バージニア州)|ジェームズタウン]]で始められたヘッドライト・システム(人頭権)とよばれる制度を使った。開拓者は植民地に連れてきた人員1人ずつに50エーカー (200,000 m<sup>2</sup>) の土地が与えられた。これは開拓者、[[年季奉公]]者、[[奴隷]]によらず勘定された。 |
|||
1634年3月25日、ボルティモア卿は最初の開拓者を現地に送り込んだ。このときの開拓者の多くは[[プロテスタント]]だったが、間もなくカトリック教徒が政治的に高い権限を獲得したことで、[[イギリス帝国]]の中でも数少ない領域の1つとなった。またイングランドで有罪とされた囚人を年季奉公人として数多く送り込むための重要な目的地にもなった。 |
|||
メリーランドを定めた王室勅許には、ポトマック川の全長にわたってその北岸から北緯40度線までと定められていた。[[チャールズ2世 (イングランド王)|チャールズ2世]]がペンシルベニアの勅許を発行したときに問題が生じた。ペンシルベニア南側の境界は、メリーランド北側境界である北緯40度線に一致していた。しかし、その勅許に使われた言葉を見ると、チャールズ2世と[[ウィリアム・ペン]]が北緯40度線は[[ニューキャッスル (デラウェア州)]]の近くを通るものと考えており、ペンは既にそこを植民地の首都とする地に選んでいた。この問題が1681年に発見された後は交渉が続いた。 |
|||
1682年、この問題を解決するための妥協案をチャールズ2世が提案した。それは以前メリーランドの一部だった現在のデラウェア州に対する追加勅許をペンが受け取るというものだった<ref name=hubbard>{{Cite book|last= Hubbard |first= Bill, Jr. |title= American Boundaries: the Nation, the States, the Rectangular Survey |year= 2009 |publisher= University of Chicago Press |isbn= 978-0-226-35591-7 |pages= 21–23}}</ref>。その後も問題は未解決のまま1世紀近くも論争が続いた。メリーランドを支配するカルバート家の子孫と、ペンシルベニアを支配するペン家の子孫がその当事者だった<ref name=hubbard/>。 |
|||
=== 18世紀 === |
|||
この紛争はペンシルベニアとメリーランドの境界紛争であるクレサップの戦争(コノジョキュラー戦争とも呼ばれる)に繋がり、1730年代に戦われた。1730年、資産権や法の執行に関する論争から一連の暴力事件が起こったことで敵対関係が始まり、その後の5年間で加速され、1736年にはメリーランドが、1737年にはペンシルベニアが軍隊を動員した。イギリス王[[ジョージ2世 (イギリス王)|ジョージ2世]]の仲裁で1738年5月に武力衝突は終わり、休戦交渉が強制された。1732年には暫定合意にまで至った<ref name=hubbard/>。 |
|||
交渉は1760年に調印された最終合意まで続いた。この合意によりメリーランドの境界は現在デラウェア州およびペンシルベニア州と共有しているものに定義された。メリーランドとペンシルベニアの境界は、フィラデルフィア市の南端から南15マイル (24 km) の線とされ、これが[[メイソン・ディクソン線]]と呼ばれるようになった。デラウェアとの境界は、デルマーバ半島の横断線と、ニューキャッスル市を囲む12マイル円となった<ref name=hubbard/>。 |
|||
[[ファイル:Ft. Henry bombardement 1814.jpg|thumb|250px|ボルティモアの[[フォートマクヘンリー|マクヘンリー砦]]への艦砲射撃を描いた絵画、これがアメリカ合衆国の国歌 "[[星条旗 (国歌)|星条旗]]"が作られる契機になった]] |
|||
バージニアがイングランド国教会を植民地の国教に指定すると、多くの[[ピューリタン]]がバージニアからメリーランドに流れてきた。かれらはプロビデンスと呼ばれた地(現在のアナポリス)に土地を与えられた。1650年、ピューリタンが領主政府に対して革命を起こして新政府を樹立し、カトリック教もイングランド国教会も禁止した。1654年3月、第2代ボルティモア男爵セシリウス・カルバートが、ウィリアム・ストーン知事に指揮をさせて軍隊を派遣し、この反乱を鎮めようとしたが、後にセバーンの戦いと呼ばれるようになったアナポリス近くでの戦闘で、決定的な敗北を喫した<ref>{{Cite book |
|||
|url=http://books.google.com/?id=5U4IAAAAQAAJ&pg=PA208&lpg=PA208&dq=%22battle+of+the+severn%22 |
|||
|title=Virginia, a history of the people |
|||
|author=John Esten Cooke |
|||
|publisher=Houghton, Mifflin |
|||
|year=1883 |
|||
|pages=208–216 |
|||
|accessdate=2013-06-22 |
|||
}}</ref><ref>{{cite web |
|||
|url=http://www.aacounty.org/AboutAACo/history.cfm |
|||
|title=History – Seventeenth Century through the Present |
|||
|publisher=Anne Arundel County—Citizens Information Center |
|||
|year=2003 |
|||
|accessdate=2013-06-22 |
|||
}}</ref>。 |
|||
このピューリタン革命でカトリック教徒を迫害しているとき、プロテスタントがメリーランド南部にあった当初のカトリック教会全てを焼き払った。ピューリタン革命は1658年まで続いた。この年、カルバート家が植民地の支配を取り戻し、寛容法を再度執行した。しかし、1688年にイングランドで[[名誉革命]]が起こり、[[ウィリアム3世 (イングランド王)|オラニエ公ウィリアム]]が王座に就いてプロテスタント信仰を制度化すると、メリーランドではカトリックを違法にした。この状態は[[アメリカ独立戦争]]が終わるまで続いた。裕福なカトリック教徒農園主は、その領地内に礼拝堂を建設し、人知れずその信仰を続けた。 |
|||
当初のメリーランド植民地ではセントメアリーズシティが最大の町であり、1708年まで植民地政府が置かれていた。この町は現在歴史的な場所とされ、小さな観光地になっている。1708年、首都はアナポリスと改名されていたプロビデンスに移された。改名されたのは1694年であり、当時デンマーク王女だったアンに因んで名付けられた。アンは後にイングランドと[[スコットランド]]の女王となり、その治世に大英帝国が作られた。 |
|||
メリーランドに入ってくるイングランド人植民地人の大半は年季奉公者としてであり、その[[北アメリカ]]への片道料金を払うために数年間労働者として働く必要があった<ref>"[http://www.folger.edu/html/folger_institute/jamestown/c_shifflet.htm Indentured Servants and the Pursuits of Happiness]". Crandall Shifflett, ''Virginia Tech''.</ref>。初期には年季奉公者とアフリカ人奴隷あるいは労働者の線引きは不明瞭であり、白人と黒人の労働者が共に住み、共に働き、仲間を作っていた。白人の母に生まれた[[混血]]の子供達は「母系」の原則によって自由と見なされ、それによって子供達は母の社会的地位を引き継いだ。この奴隷法の原則は1662年にバージニアで始められ、全植民地で採用された。植民地時代、有色自由人の家族は白人女性とアフリカ系男性の結婚で作られることが多かった<ref name="Heinegg"/>。 |
|||
自由黒人の家族の多くは、土地が安かったデラウェアに流れた<ref name="Heinegg">[http://www.freeafricanamericans.com/ Paul Heinegg. ''Free African Americans in Virginia, North Carolina, South Carolina, Maryland and Delaware'']. Retrieved 15 February 2008.</ref>。イングランドの経済が改善されたことで、植民地への年季奉公者の流れが減少し、メリーランドの農園主は多くの奴隷を輸入し、人種的な階級社会が固まった。経済の成長と繁栄は奴隷労働力に基づいており、まずは換金作物としてのタバコ栽培に振り向けられた。 |
|||
メリーランドはアメリカ独立戦争でイギリス支配に対して反旗を翻した[[13植民地]]の1つとなった。1781年2月2日、メリーランドは[[連合規約]]を批准した13番目の州となった。このことによりアメリカ合衆国は統合され、主権を持った国家になった。新しい[[アメリカ合衆国憲法]]を批准したのは7番目の州になった。1790年12月、ワシントンD.C.に新しい首都を建設するため、メリーランド州は[[ジョージ・ワシントン]]大統領が選んだ土地を連邦政府に寄付した。その土地は[[モンゴメリー郡 (メリーランド州)|モンゴメリー郡]]と[[プリンスジョージズ郡 (メリーランド州)|プリンスジョージズ郡]]から削られ、またバージニア州の[[フェアファックス郡 (バージニア州)|フェアファックス郡]]と[[アレクサンドリア (バージニア州)|アレクサンドリア市]]からも寄贈された。しかし、バージニア州が寄贈した土地は後に返還された。 |
|||
=== 19世紀 === |
|||
[[米英戦争]]のとき、イギリス軍が[[フォートマクヘンリー|マクヘンリー砦]]に守られているボルティモア港を占領しようとした。イギリス海軍が砦を砲撃したときの印象から、[[フランシス・スコット・キー]]が後に国歌となった『[[星条旗 (国歌)|星条旗]]』を作詞した。 |
|||
[[ボルチモア・アンド・オハイオ鉄道]]は国内で最初に認可された鉄道であり、1830年には最初の区間であるボルチモアとエリコットシティの間の定期運行が開始された<ref name="Dilts">{{cite book |title=The Great Road: The Building of the Baltimore and Ohio, the Nation's First Railroad, 1828–1853 |last=Dilts |first=James D. |year=1993 |publisher=Stanford University Press |location=Palo Alto, CA |isbn=0-8047-2235-8 |page=80}}</ref>。1852年、東部海岸から[[オハイオ川]]にまで達した最初の路線となった<ref name="Stover">{{cite book | last = Stover | first = John F. | title = History of the Baltimore and Ohio Railroad | publisher = Purdue University Press | year = 1987 | location = West Lafayette, IN | isbn = 0-911198-81-4 |page=18}}</ref>。ボルチモアの海港に鉄道が接続されたことで、19世紀の[[産業革命]]期にメリーランド州はかなりの成長を見ることになった。南北戦争後はボルチモアとその周辺に多くの製造業が設立された。 |
|||
経済の変化、独立戦争以来の理想、さらには[[メソジスト]]や[[クエーカー]]の牧師の説教に影響された州内の多くの農園主が、独立戦争から20年間の内に奴隷を解放していた。これは[[アップランドサウス]]では良く見られた現象であり、自由黒人の人口比率は独立戦争前の1%足らずから、1810年までに13.9%にまで増加していた<ref name="Kolchin"/>。 |
|||
[[ファイル:Battle of Antietam.png|thumb|250px|[[アンティータムの戦い]]、1862年9月17日、23,000人近い犠牲者を出し、南北戦争のみならず、アメリカ史の中でも1日の戦闘で最も多くの犠牲者を出した戦闘となった]] |
|||
==== 南北戦争 ==== |
|||
1860年までに、州内のアフリカ系アメリカ人人口に対し、49.1%が自由人となっていた<ref name="Kolchin">Peter Kolchin, ''American Slavery: 1619–1877'', New York: Hill and Wang, 1993, pp. 81–82</ref>。このことは[[南北戦争]]の間も、メリーランド州がアメリカ合衆国(北軍)に留まる力になった。さらに州知事のトマス・ホリデイ・ヒックスが州議会を暫定停止にし、「ファイアイーター」と呼ばれた奴隷制度擁護派の議員を、[[エイブラハム・リンカーン]]大統領が議会の再開前に逮捕させた。リンカーンはフェデラルヒルに大砲を据えてボルチモア市を威嚇させ、新しく北軍寄りの知事と議員が選ばれるよう促した。リンカーンはボルチモア市長のジョージ・ウィリアム・ブラウンなど、特定の南部よりの著名人や州議会議員をマクヘンリー砦の監獄に収監させた。投獄された者の中にはフランシス・スコット・キーの孫も含まれていた。この戦争という危機にこれらの行動は合憲であるかについて、歴史家達は議論を続けている。ボルチモア・アンド・オハイオ鉄道のポトマック川に架かるトマス高架橋は戦略的に重要と見なされ、北軍は戦争の全期間を通じてその守備に就いた。 |
|||
1861年4月、連邦軍正規兵部隊と州民兵の連隊が、ボルチモア市の「ベイスン」(内港)の東、フィラデルフィア・ウィルミントン・アンド・ボルチモア鉄道のプレジデント・ストリート駅に到着した。この部隊はワシントンD.C.に向かうために、ボルチモア市をボルチモア・アンド・オハイオ鉄道カムデン駅方向に行軍していたが、その途中で暴徒に襲われた。この事件は後に1861年のボルチモア暴動と呼ばれ、南北戦争では初の流血沙汰となった。この暴動で4人の兵士と12人の市民が殺された。 |
|||
リンカーンは北軍守備兵にこれ以上ボルチモア市を通過させないと約束し、一方で危険に曝されている首都を守るために地域を確保させようとした。そのために首都防衛のための軍隊の大半は時間の掛かる回り道をせざるを得なくなった。[[マサチューセッツ州]]の民兵隊将軍[[ベンジャミン・フランクリン・バトラー (マサチューセッツ州知事)|ベンジャミン・フランクリン・バトラー]](1818年-1893年)は、ボルチモア暴動の報せを聞いてから数日後に、[[セシル郡 (メリーランド州)|セシル郡]]ペリービルから[[ハーフォード郡 (メリーランド州)|ハーフォード郡]]ハバー・ド・グレイスの間の[[サスケハナ川]]を渡すフィラデルフィア・ウィルミントン・アンド・ボルチモア鉄道のフェリーボート「ハリエット・レーン」を徴発した。暴動の起きた都市を避けるためにポトマック川を下り、[[アナポリス (メリーランド州)|アナポリス市]]のセバーンポイントにある[[海軍兵学校 (アメリカ合衆国)|海軍兵学校]]沖で1夜を過ごし、トマス・ホリデイ・ヒックス州知事(1798年-1865年)の抗議にも拘わらず、マサチューセッツ州、[[ニューヨーク州]]、[[ロードアイランド州]]から連れてきた民兵隊を上陸させた。そのために、南部同調者から攻撃されないよう、海軍練習船のフリゲート艦USS''[[コンスティチューション (帆走フリゲート)|コンスティチューション]]''(''オールド・アイアンサイド'')を引っ張ってさらに沖に泊めていた。つづいて兵士の中から鉄道員やボイラーの工員を集め、操車場にあった小さな蒸気機関車を確保し、ボルチモア・アンド・オハイオ鉄道アナポリス線をエリコットシティ近くの接続点まで進ませ、そこで西は[[ハーパーズ・フェリー (ウェストバージニア州)|ハーパーズフェリー]]に、南はワシントンD.Cに繋がる本線に接続できた。それから間もなく北部の部隊は[[アメリカ合衆国議会議事堂]]近くの駅に到着し、その夜はまだ建設中だった議事堂ロタンダのドーム下で、負傷者の世話をしながら宿営した。別の部隊はペンシルベニア・アベニューを進み、大統領が歓喜と安堵感で出迎えた[[ホワイトハウス]]の警備を強化した。 |
|||
[[ファイル:Bloodylane.JPG|thumb|200px|現在のアンティータム戦場跡]] |
|||
南北戦争の間にメリーランド州から出征した兵士115,000人の中で、85,000人、77%は北軍に、残りは南軍に参戦した。北軍へのメリーランドの参入を確実にするために、リンカーン大統領は人身保護令状の発行など幾つかの市民の権利を停止させた。この停止命令は後に、メリーランド生まれの最高裁判所長官[[ロジャー・トーニー]]によって違法と判断された。 |
|||
州内で戦われた戦闘の中で、1862年9月17日にシャープスバーグ近くで起きた[[アンティータムの戦い]]が最大かつ最も重要なものとなった。この戦闘の結果は戦術的に引き分けであるが、戦略的には北軍の勝利であり、この戦争の転換点になったと考えられている。 |
|||
メリーランド州は北軍の留まったので、反乱を起こした州にのみ適用された1863年[[奴隷解放宣言]]の執行からは除外された。メリーランド州は1864年に憲法改定会議を開き、新憲法を制定した。その第24条は奴隷制度を廃止するものだった。1867年、アメリカ合衆国憲法に解放奴隷に対する選挙権を認める修正が成立し、メリーランド州は選挙権を非白人男性まで拡大した。 |
|||
==== 南北戦争後 ==== |
|||
戦争中は[[共和党 (アメリカ)|共和党]]が州の政治を支配したが、戦後は[[民主党 (アメリカ)|民主党]]の白人が急速に権限を取り戻し、共和党に代わった。1864年憲法に対する支持勢力が弱まり、民主党は1867年の憲法で置き換えた。 |
|||
アメリカ合衆国の北東部と中西部は産業革命の波が行き渡り、ボルチモアは拡大と繁栄を続けた。ジョンズ・ホプキンス、エノック・プラット、[[ジョージ・ピーボディ]]、ヘンリー・ウォルターズなどボルチモアの事業家達は、市内に教育、医療、文化施設を設立し、大学、図書館、音楽学校、美術館などにその名前が残った。 |
|||
19世紀のメリーランド州ではカンバーランドが第2の都市だった。その付近から石炭、鉄鉱石、木材が豊富に供給された。鉄道、[[カンバーランド道路|ナショナルロード]]、チェサピーク・アンド・オハイオ運河などと共にこれら資源がその成長を促した。ガラス、醸造、繊維、ブリキ板など製造業の中心だった。 |
|||
=== 20世紀 === |
|||
19世紀末から20世紀初めの[[進歩主義時代 (アメリカ合衆国)|進歩主義時代]]、政治の分野でも労働者の労働条件でも改革が進められた。1892年から1908年までに成立した一連の法により、州が発行する投票用紙が標準となり(それ以前は党が配り、印を付けていた)、党の支援者が有権者の投票を「援助」しないよう閉鎖型投票ブースを採用し、党のボスが候補者を選ばないよう[[予備選挙]]を導入し、党の印が無い候補者リストを使って、文盲の者でも投票に参加できるようにした。 |
|||
1902年、州は鉱山労働者の労働条件を規制した。12歳未満の[[児童労働]]者を違法とし、義務教育への出席を強制し、国内初の[[労働者災害補償保険|労働災害補償]]を法制化した。この法は裁判所で一旦廃案とされたが、再提出され1910年に法として成立した。 |
|||
1904年2月8日のボルチモア大火は、州内最大都市と州にとって大きな出来事になった。遠くは[[ニューヨーク]]市など多くの都市から駆けつけた消防士の数は1,231人を超えた。火は30時間以上燃え続け、市内70ブロックにわたり、1,526軒の建物が類焼した。 |
|||
1917年、アメリカ合衆国が[[第一次世界大戦]]に参戦したことで、メリーランド州にも変化が起きた。キャンプ・ミード(現在のフォートミード)や[[アバディーン性能試験場]]などの新しい軍事施設が1917年に設立され、翌年にはエッジウッド武器庫が建設された。マクヘンリー砦など既存施設は拡張された。 |
|||
[[世界恐慌]]の間、州内の都市部と田園部は異なる経験をした。1932年、「[[ボーナスアーミー|ボーナス軍隊]]」が州内を通ってワシントンD.C.まで行進した。[[フランクリン・ルーズベルト]]大統領が採った全国的な[[ニューディール政策]]では、多くの者を道路や公園の建設に使ったが、これに加えて、メリーランド州も苦難の時を乗り越える手段を採った。例えば1937年には学校や福祉のために使う目的で[[所得税]]を導入した。 |
|||
[[第二次世界大戦]]のとき、ボルチモアは軍需品の主要生産地となった。その最大のものは、[[リバティ船]]を建造した[[ベスレヘム・スチール]]のフェイフィールド造船所や、航空機製造の[[グレン・L・マーティン|グレン・マーティン]]だった。 |
|||
戦後のメリーランド州は郊外部、特にボルチモアとワシントンD.C.を取り囲む地域が成長した。コロンビアやモンゴメリービレッジでは農地が住宅地に転換された。同時に[[州間高速道路]]体系が建設され、特に95号線や495号線が交通の態様をはっきりと変えた。1952年、州の東半分と西半分が長大なチェサピーク湾橋で初めて結ばれ、フェリーの役目に代わった<ref name="baybridge.com-history">{{cite web|url=http://www.baybridge.com/cms/index.php?option=com_content&task=view&id=16&Itemid=|title=William Preston Lane Jr. Memorial Bay Bridge – History|publisher=baybridge.com| accessdate=2008-02-05}}</ref>。この橋がオーシャンシティへの観光客を増やし、建設ブームになった。その後間もなくボルチモア港トンネルで、長距離を移動するものにとってボルチモア中心街をバイパスできるようになり、ハリー・W・ナイス記念橋はワシントンD.C.をバイパスできるようにさせた。 |
|||
国内の都市と同じように、戦後のボルチモアでは重工業が衰退した。下流部の東部海岸では大規模な機械化された養鶏場が主流になり、灌漑を施された野菜農場もできた。州南部では20世紀の終わりまでにタバコ農園がほとんど姿を消した。これは郊外の住宅開発がすすんだことと、州がタバコの買い取りを進めたためだった。西部4郡の工業、鉄道、石炭鉱業は衰退した。 |
|||
ボルチモア市は1960年代から都市再開発を進め、チャールズセンターやボルチモア世界貿易センターが造られた。1980年、バーバープレースやボルチモア水族館ができて重要な観光地になった。野球場の[[オリオール・パーク・アット・カムデン・ヤーズ|カムデン・ヤーズ]]が1992年に中心街にオープンした。 |
|||
== 地理 == |
|||
=== 自然地理 === |
|||
メリーランド州の面積は12,406.68平方マイル (32,133.2 km<sup>2</sup>) あり、[[ヨーロッパ]]の国では[[ベルギー]]の大きさ(11,787平方マイル、30,530km<sup>2</sup>)に匹敵する<ref>{{cite web |
|||
| url= https://www.cia.gov/library/publications/the-world-factbook/geos/be.html |
|||
| title= Belgium |
|||
| accessdate= 15 May 2008 |
|||
| date= 2008-05-15 |
|||
| work= CIA World Factbook |
|||
| publisher= Central Intelligence Agency |
|||
| quote= Area – comparative: about the size of Maryland |
|||
}}</ref>。国内50州の中では第42位であり、第43位の[[ハワイ州]](11,787平方マイル、28,311.1km<sup>2</sup>)と接近している。第41位は西隣の[[ウェストバージニア州]](24229.76平方マイル、62,754.8km<sup>2</sup>)であり、ほぼ2倍である。 |
|||
州内には多様な地形があり、「アメリカのミニチュア」というニックネームもある<ref>{{cite web|url=http://www.mdisfun.org/planningamarylandvisit/kidsroom/Kids%20Room%20Maryland%20Facts1.html |title=Maryland Facts |accessdate=2008-05-19 |work=Kids Room |publisher=Maryland Office of Tourism |archiveurl = http://web.archive.org/web/20080426172733/http://www.mdisfun.org/planningamarylandvisit/kidsroom/Kids+Room+Maryland+Facts1.html |archivedate = 2008-04-26}}</ref>。東部の海草が点在する砂丘地帯から、[[チェサピーク湾]]に近い野生生物とヌマスギが群がる低湿地、[[ピードモント台地]]のオーク林がある穏やかにうねる丘陵部、西部山岳地の松林まで様々である。 |
|||
[[ファイル:Deep Creek Lake Maryland Panoramic View.jpg|thumb|left|180px|ディープクリーク湖と周辺の[[アパラチア山脈]]、[[ガレット郡 (メリーランド州)|ガレット郡]]]] |
|||
[[ファイル:ChesapeakeTidalWetlands.jpg|thumb|250px|国内最大の入り江、かつ州内最大の水域である[[チェサピーク湾]]潮汐湿地]] |
|||
北は[[ペンシルベニア州]]、西は[[ウェストバージニア州]]、東は[[デラウェア州]]に接し、大西洋に面する。南は[[ポトマック川]]を隔ててウェストバージニア州と[[バージニア州]]と接する。ポトマック川の中域、メリーランド州側には[[ワシントンD.C.]]がある。その場所は元々[[モンゴメリー郡 (メリーランド州)|モンゴメリー郡]]と[[プリンスジョージズ郡 (メリーランド州)|プリンスジョージズ郡]]に属し、[[ジョージタウン (ワシントンD.C.)|ジョージタウン]]の町を含め、1790年にコロンビア特別区を造るために連邦政府に譲渡された。同時にポトマック側の南岸、[[アレクサンドリア (バージニア州)|アレクサンドリア市]]を含むバージニア州の部分も譲渡されたが、1840年代に返還された。チェサピーク湾が州中央を二分している。湾の東にある郡部は集合的に東海岸部と呼ばれる。 |
|||
[[ファイル:Patapsco fg01.jpg|thumb|left|180px|パタプスコ川、有名なトマス高架鉄道橋が架かり、パタプスコバレー州立公園に入っている。チェサピーク湾に注ぐ前にインナーハーバーを形成している]] |
|||
州内の水路の大半はチェサピーク湾の水域に属している。州最西端[[ガレット郡 (メリーランド州)|ガレット郡]]のほんの小さな部分はヨカゲイニー川からミシシッピ川まで流れていく。南東部[[ウースター郡 (メリーランド州)|ウースター郡]]の東半分からは大西洋岸にある湾に流れ、北西隅の小部分からは[[デラウェア川]]に流れる。地理的にも経済生活でもチェサピーク湾は州内の大きな存在なので、州の公式ニックネームを「湾の州」とする提案が何度か行われてきた。ただし、このニックネームは昔から[[マサチューセッツ州]]に使われているものである。 |
|||
州内最高地点は、ガレット郡の南西隅、ウェストバージニア州との州境やポトマック川北支流の水源に近い、バックボーン山のホイ・クレストであり、標高は3,360フィート (1,020 m) である。州の西端から横幅の3分の1程度、ハンコックという小さな町の近くでは、州境に挟まれた南北の幅が1.83マイル (2.95 km) しかなく、メリーランド州は最も細い州になっている。北はペンシルベニア州との[[メイソン・ディクソン線]]であり、南はポトマック川の北向き円弧になっている。 |
|||
州内の部分は公式にも非公式にも様々な地理区分に加えられている。例えば、[[デルマーバ半島]]は、州東海岸部、デラウェア州の全体、およびバージニア州東海岸部2郡で構成されている。州西側の郡は[[アパラチア]]地方にあると見なされている。ボルチモア・ワシントン回廊の大半は海岸平原のピードモント台地南にあり<ref>http://dnrweb.dnr.state.md.us/download/gp_coastal_west.pdf</ref>、その2つの領域の境目にある。 |
|||
メリーランド州の地形で特徴的なのは自然湖が無いことである<ref>{{cite web |
|||
|url=http://www.mgs.md.gov/esic/fs/fs15.html |
|||
|title=Maryland's Lakes and Reservoirs: FAQ |
|||
|publisher=Maryland Geological Survey |
|||
|date=January 24, 2007 |
|||
|accessdate=2008-02-03 |
|||
}}</ref>。ただし、池は数多くある。最終[[氷河期]]に氷河の先端がメリーランドまでは達していなかったので、北の州にあるような深い自然湖を造りださなかった。人工湖は多く、西端のガレット郡にある貯水池ディープクリーク湖が最大である。氷河の影響を受けなかったことで、土壌は砂や泥がおおく、北方や北東に見られる岩の多い土壌とは異なっている。 |
|||
=== 人文地理 === |
|||
参照:[[メリーランド州の郡一覧]] |
参照:[[メリーランド州の郡一覧]] |
||
[[ファイル:Map of maryland counties.jpg|thumb|250px|メリーランド州の郡配置図]] |
|||
州人口の大半はワシントンD.C.周辺の都市や郊外部、また州内最大都市ボルチモアとその周辺に集中している。昔からこれら多くの都市は、川や小川が急流となり、あるいは滝となる点を繋いだ[[滝線]]に沿って発達してきた。州都アナポリスは例外であり、チェサピーク湾近くにあって、それに注ぐセバーン川の岸にある。 |
|||
その他の人口集中部としては、 |
|||
* [[ハワード郡 (メリーランド州)|ハワード郡]]の[[コロンビア (メリーランド州)|コロンビア]]とエリコットシティの各市 |
|||
* [[モンゴメリー郡 (メリーランド州)|モンゴメリー郡]]の[[シルバースプリング (メリーランド州)|シルバースプリング]]、[[ロックビル (メリーランド州)|ロックビル]]、[[ゲイザースバーグ]]の各市 |
|||
* [[プリンスジョージズ郡 (メリーランド州)|プリンスジョージズ郡]]のローレル、カレッジパーク、グリーンベルト、ハイアッツビル、ランドーバー、クリントン、ボウイー、グレーターアッパーマルボロの各市 |
|||
* [[フレデリック郡 (メリーランド州)|フレデリック郡]]の[[フレデリック (メリーランド州)|フレデリック市]] |
|||
* [[ワシントン郡 (メリーランド州)|ワシントン郡]]の[[ヘイガーズタウン (メリーランド州)|ヘイガーズタウン市]] |
|||
* [[チャールズ郡 (メリーランド州)|チャールズ郡]]のウォルドーフ市 |
|||
* [[ボルチモア郡 (メリーランド州)|ボルチモア郡]]のパイクスビル、エセックス、タウソンの各市 |
|||
* [[アナランデル郡 (メリーランド州)|アナランデル郡]]のグレンバーニー、ハノーバーの各市がある。 |
|||
州東部、南部、西部には田園部が残るが、その中にも、東海岸部のソールズベリー、オーシャンシティ、南部のレキシントンパーク、ウォルドーフ、西部のカンバーランド各市などの地域にとって重要な都市が点在している。 |
|||
[[ファイル:Regions of Maryland USA.gif|thumb|right|人文地理的な区分]] |
|||
メリーランド州は境界州としての歴史があるので、[[アメリカ合衆国北部]]と[[アメリカ合衆国南部|同南部]]双方の性格を併せ持っている。ウェストバージニア州東パンハンドル部とペンシルベニア州に挟まれた州西部はアパラチアン文化がある。南部と東海岸部は南部の文化が強い<ref>{{cite web |
|||
| title = The South As It's{{Sic|nolink=y}} Own Nation |
|||
| publisher = League of the South |
|||
| year = 2004 |
|||
| url = http://dixienet.org/New%20Site/thesouthasitsownnation.shtml |
|||
| accessdate = 2008-05-23 |
|||
| quote = On the other hand, areas beyond these thirteen States maintain their Southern culture to varying degrees. Much of Missouri remains basically Southern, as do parts of southern Maryland and Maryland’s eastern shore. |
|||
}}</ref>。人口の多いボルチモア市やワシントンD.C.から外側に広がる中央部は[[アメリカ合衆国北東部]]の文化が浸透している<ref>{{cite web |
|||
| author = Beck, John; Randall, Aaron; and Frandsen, Wendy |
|||
| title = Southern Culture: An Introduction |
|||
| date = 2007-06-27 |
|||
| location = Durham, North Carolina |
|||
| format = PDF |
|||
| publisher = Carolina Academic Press |
|||
| pages = 14–15 |
|||
| url = http://www.cap-press.com/pdf/1517.pdf |
|||
| accessdate = 2008-05-23 |
|||
| quote = Kentucky, Missouri, West Virginia [...] and Maryland —slaveholding states and regions before the Civil War that did not secede from the Union – are also often included as part of the South. As border states, these states always were crossroads of values and customs, and today [...] parts of Maryland seem to have become part of the “Northeast. |
|||
}}</ref>。アメリカ合衆国国勢調査局<ref>[http://www.census.gov/geo/www/reg_div.txt U.S. Census Bureau]</ref>は大西洋岸南部に分類しているが、他の連邦機関、メディア、また住民も大西洋岸中部、あるいはアメリカ合衆国北東部に分類するのが通常である<ref name="LOC">{{cite web|url=http://memory.loc.gov/ammem/gmdhtml/rrhtml/regdef.html|title=Regions of the United States|work=American Memory|publisher=The Library of Congress|accessdate=2009-08-11}}</ref><ref name="EPA">{{cite web|url=http://www.epa.gov/region03/index.htm|title=Region 3: The Mid-Atlantic States|work=www.epa.gov|publisher=U.S. Environmental Protection Agency|accessdate=2009-08-11}}</ref><ref name="FBI">{{cite web|url=http://www.fbi.gov/contact/fo/fo.htm|title=Your Local FBI Office|work=www.fbi.gov|publisher=Federal Bureau of Investigation|accessdate=2009-08-11}}</ref><ref name="amtrak">{{cite web|url=http://www.amtrak.com/servlet/ContentServer?pagename=Amtrak/Page/Browse_Routes_Page&c=Page&cid=1081256321410&ssid=134|title=Routes Serving the Northeast|publisher=National Railroad Passenger Corporation|accessdate=2009-08-11}}</ref><ref name="princeton">{{cite web|url=http://www.princetonreview.com/best-regional-colleges.aspx|title=Best Regional Colleges|work=www.princetonreview.com|publisher=The Princeton Review|accessdate=2009-08-11}}</ref>。 |
|||
=== 気候 === |
|||
メリーランド州は標高の違い、水域との接近度、また山を下る風([[滑降風]])から守られている程度の違いによって様々な気候を呈している。 |
|||
州の東半分は大西洋岸平原にあり、大変平坦な地形と砂や泥の多い土壌である。この地域は[[温暖湿潤気候]]([[ケッペンの気候区分]]''Cfa'')にあり、暑く湿気た夏と、短く温暖から冷涼な冬が特徴である。[[アメリカ合衆国農務省]]の植物耐寒性区分では 8a に属している<ref name = "Arbor Day Foundation">{{cite web|url=http://www.arborday.org/media/zones.cfm |title=Hardiness Zones |publisher=Arbor Day Foundation |accessdate=2013-03-05}}</ref>。この地域にある都市としては、ソールズベリー、アナポリス、オーシャンシティ、およびワシントンD.C.とボルチモアの南部と東部の郊外がある。 |
|||
[[ファイル:Sunset over the marsh at Cardinal Cove - NOAA.jpg|thumb|250px|パタクセント川カーディナル入り江湿地の夕日]] |
|||
その東にはピードモント台地があり、冬の降雪量は20インチ (51 cm) を超え、農務省の植物耐寒性区分では 7b と 7a に属している<ref name = "Arbor Day Foundation"/>。気温が10{{°F}} (-12 ℃) を下回るのは希である。カンバーランド・バレーから西は[[湿潤大陸性気候]](ケッペンの気候区分''Dfa'')への移行が始まる。この地域にはボルチモア大都市圏の北部と西部、ウェストミンスター、ゲイザースバーグ、フレデリック、ヘイガーズタウンが含まれる。 |
|||
さらに西は[[アリゲイニー郡 (メリーランド州)|アリゲイニー郡]]やガレット郡の標高が高い地域であり、湿潤大陸性気候の性格が強くなる。ペンシルベニア州の南中部の気候に似ている。カンバーランド市は[[アルトゥーナ (ペンシルベニア州)]]のWTAJテレビ気象センターによる地域都市の1つに挙げられている。農務省の植物耐寒性区分では 6b とそれ以下に属している<ref name = "Arbor Day Foundation"/>。 |
|||
降水量はアメリカ合衆国東海岸の特性と同様である。年間降水量は35インチ (890 mm) から45インチ (1,100 mm) であり、高度が高い地方で多い。ほとんどの地域で月間降水量は3.5インチ (89 mm) から4.5インチ (110 mm) である。年間降雪量は海岸地域の9インチ (23 cm) から西部山岳地の100インチ (250 cm) まで幅がある<ref>{{cite web|url=http://www.erh.noaa.gov/er/lwx/Historic_Events/md-snow-avg.gif |title=Snowfall Map |date= |accessdate=2010-10-24}}</ref>。 |
|||
大西洋岸に近いので[[熱帯低気圧]]の影響を受けやすいが、デルマーバ半島や、南の[[ノースカロライナ州]][[アウターバンクス]]が緩衝となり、カテゴリー3を超える[[ハリケーン]]に襲われることは大変希である。ただし皆無ではない。海岸に上陸または接近して勢力を落とした熱帯低気圧の名残に襲われることはある。雷雨が起こるのは年間平均30ないし40日であり、[[竜巻]]は年平均で6回発生している<ref name="Annual average number of tornadoes">[http://www.ncdc.noaa.gov/img/climate/research/tornado/small/avgt5304.gif] NOAA National Climatic Data Center. Retrieved on October 24, 2006.</ref>。 |
|||
<center> |
|||
{| class="wikitable" "text-align:center;font-size:90%;"| |
|||
| colspan="13" style="text-align:center;font-size:120%;background:#E8EAFA;"|州内各都市の月別平均最高最低気温 |
|||
|- |
|||
! style="background:#e5afaa; color:#000; height:17px;"| 都市 |
|||
! style="background:#e5afaa; color:#000;"| 1月 |
|||
! style="background:#e5afaa; color:#000;"| 2月 |
|||
! style="background:#e5afaa; color:#000;"| 3月 |
|||
! style="background:#e5afaa; color:#000;"| 4月 |
|||
! style="background:#e5afaa; color:#000;"| 5月 |
|||
! style="background:#e5afaa; color:#000;"| 6月 |
|||
! style="background:#e5afaa; color:#000;"| 7月 |
|||
! style="background:#e5afaa; color:#000;"| 8月 |
|||
! style="background:#e5afaa; color:#000;"| 9月 |
|||
! style="background:#e5afaa; color:#000;"| 10月 |
|||
! style="background:#e5afaa; color:#000;"| 11月 |
|||
! style="background:#e5afaa; color:#000;"| 12月 |
|||
|- |
|||
! style="background:#f8f3ca; color:#000; height:16px;"| フロストバーグ |
|||
| style="text-align:center; background:#f8f3ca; color:#000;"| 34 °F (1 ℃)<br />18 °F (-8 ℃) |
|||
| style="text-align:center; background:#f8f3ca; color:#000;"| 37 °F (3 ℃)<br />20 °F (-7 ℃) |
|||
| style="text-align:center; background:#f8f3ca; color:#000;"| 46 °F (8 ℃)<br />26 °F (-3 ℃) |
|||
| style="text-align:center; background:#f8f3ca; color:#000;"| 58 °F (14 ℃)<br />37 °F (3 ℃) |
|||
| style="text-align:center; background:#f8f3ca; color:#000;"| 67 °F (19 ℃)<br />46 °F (8 ℃) |
|||
| style="text-align:center; background:#f8f3ca; color:#000;"| 75 °F (24 ℃)<br />55 °F (13 ℃) |
|||
| style="text-align:center; background:#f8f3ca; color:#000;"| 79 °F (26 ℃)<br />59 °F (15 ℃) |
|||
| style="text-align:center; background:#f8f3ca; color:#000;"| 78 °F (26 ℃)<br />58 °F (14 ℃) |
|||
| style="text-align:center; background:#f8f3ca; color:#000;"| 71 °F (22 ℃)<br />51 °F (11 ℃) |
|||
| style="text-align:center; background:#f8f3ca; color:#000;"| 60 °F (16 ℃)<br />41 °F (5 ℃) |
|||
| style="text-align:center; background:#f8f3ca; color:#000;"| 49 °F (9 ℃)<br />32 °F (0 ℃) |
|||
| style="text-align:center; background:#f8f3ca; color:#000;"| 37 °F (3 ℃)<br />23 °F (-5 ℃) |
|||
|- |
|||
! style="background:#f8f3ca; color:#000; height:16px;"| カンバーランド |
|||
| style="text-align:center; background:#f8f3ca; color:#000;"| 41 °F (5 ℃)<br />22 °F (-6 ℃) |
|||
| style="text-align:center; background:#f8f3ca; color:#000;"| 46 °F (8 ℃)<br />24 °F (-4 ℃) |
|||
| style="text-align:center; background:#f8f3ca; color:#000;"| 56 °F (13 ℃)<br />32 °F (0 ℃) |
|||
| style="text-align:center; background:#f8f3ca; color:#000;"| 68 °F (20 ℃)<br />41 °F (5 ℃) |
|||
| style="text-align:center; background:#f8f3ca; color:#000;"| 77 °F (25 ℃)<br />51 °F (11 ℃) |
|||
| style="text-align:center; background:#f8f3ca; color:#000;"| 85 °F (29 ℃)<br />60 °F (16 ℃) |
|||
| style="text-align:center; background:#f8f3ca; color:#000;"| 89 °F (32 ℃)<br />65 °F (18 ℃) |
|||
| style="text-align:center; background:#f8f3ca; color:#000;"| 87 °F (31 ℃)<br />63 °F (17 ℃) |
|||
| style="text-align:center; background:#f8f3ca; color:#000;"| 80 °F (27 ℃)<br />55 °F (13 ℃) |
|||
| style="text-align:center; background:#f8f3ca; color:#000;"| 69 °F (21 ℃)<br />43 °F (6 ℃) |
|||
| style="text-align:center; background:#f8f3ca; color:#000;"| 57 °F (14 ℃)<br />34 °F (1 ℃) |
|||
| style="text-align:center; background:#f8f3ca; color:#000;"| 45 °F (7 ℃)<br />26 °F (-3 ℃) |
|||
|- |
|||
! style="background:#f8f3ca; color:#000; height:16px;"| フレデリック |
|||
| style="text-align:center; background:#f8f3ca; color:#000;"| 42 °F (6 ℃)<br />26 °F (-3 ℃) |
|||
| style="text-align:center; background:#f8f3ca; color:#000;"| 47 °F (8 ℃)<br />28 °F (-2 ℃) |
|||
| style="text-align:center; background:#f8f3ca; color:#000;"| 56 °F (13 ℃)<br />35 °F (2 ℃) |
|||
| style="text-align:center; background:#f8f3ca; color:#000;"| 68 °F (20 ℃)<br />45 °F (7 ℃) |
|||
| style="text-align:center; background:#f8f3ca; color:#000;"| 77 °F (25 ℃)<br />54 °F (12 ℃) |
|||
| style="text-align:center; background:#f8f3ca; color:#000;"| 85 °F (29 ℃)<br />63 °F (17 ℃) |
|||
| style="text-align:center; background:#f8f3ca; color:#000;"| 89 °F (32 ℃)<br />68 °F (20 ℃) |
|||
| style="text-align:center; background:#f8f3ca; color:#000;"| 87 °F (31 ℃)<br />66 °F (19 ℃) |
|||
| style="text-align:center; background:#f8f3ca; color:#000;"| 80 °F (27 ℃)<br />59 °F (15 ℃) |
|||
| style="text-align:center; background:#f8f3ca; color:#000;"| 68 °F (20 ℃)<br />47 °F (8 ℃) |
|||
| style="text-align:center; background:#f8f3ca; color:#000;"| 56 °F (13 ℃)<br />38 °F (3 ℃) |
|||
| style="text-align:center; background:#f8f3ca; color:#000;"| 45 °F (7 ℃)<br />30 °F (-1 ℃) |
|||
|- |
|||
! style="background:#f8f3ca; color:#000; height:16px;"| ボルチモア |
|||
| style="text-align:center; background:#f8f3ca; color:#000;"| 42 °F (6 ℃)<br />29 °F (-2 ℃) |
|||
| style="text-align:center; background:#f8f3ca; color:#000;"| 46 °F (8 ℃)<br />31 °F (-1 ℃) |
|||
| style="text-align:center; background:#f8f3ca; color:#000;"| 54 °F (12 ℃)<br />39 °F (4 ℃) |
|||
| style="text-align:center; background:#f8f3ca; color:#000;"| 65 °F (18 ℃)<br />48 °F (9 ℃) |
|||
| style="text-align:center; background:#f8f3ca; color:#000;"| 75 °F (24 ℃)<br />57 °F (14 ℃) |
|||
| style="text-align:center; background:#f8f3ca; color:#000;"| 85 °F (29 ℃)<br />67 °F (19 ℃) |
|||
| style="text-align:center; background:#f8f3ca; color:#000;"| 89 °F (32 ℃)<br />72 °F (22 ℃) |
|||
| style="text-align:center; background:#f8f3ca; color:#000;"| 87 °F (31 ℃)<br />71 °F (22 ℃) |
|||
| style="text-align:center; background:#f8f3ca; color:#000;"| 80 °F (27 ℃)<br />64 °F (18 ℃) |
|||
| style="text-align:center; background:#f8f3ca; color:#000;"| 68 °F (20 ℃)<br />52 °F (11 ℃) |
|||
| style="text-align:center; background:#f8f3ca; color:#000;"| 58 °F (14 ℃)<br />43 °F (4 ℃) |
|||
| style="text-align:center; background:#f8f3ca; color:#000;"| 46 °F (9 ℃)<br />33 °F (0 ℃) |
|||
|- |
|||
! style="background:#f8f3ca; color:#000; height:16px;"| オーシャンシティ |
|||
| style="text-align:center; background:#f8f3ca; color:#000;"| 45 °F (7 ℃)<br />28 °F (-2 ℃) |
|||
| style="text-align:center; background:#f8f3ca; color:#000;"| 46 °F (8 ℃)<br />29 °F (-2 ℃) |
|||
| style="text-align:center; background:#f8f3ca; color:#000;"| 53 °F (12 ℃)<br />35 °F (2 ℃) |
|||
| style="text-align:center; background:#f8f3ca; color:#000;"| 61 °F (16 ℃)<br />44 °F (7 ℃) |
|||
| style="text-align:center; background:#f8f3ca; color:#000;"| 70 °F (21 ℃)<br />53 °F (12 ℃) |
|||
| style="text-align:center; background:#f8f3ca; color:#000;"| 79 °F (26 ℃)<br />63 °F (17 ℃) |
|||
| style="text-align:center; background:#f8f3ca; color:#000;"| 84 °F (29 ℃)<br />68 °F (20 ℃) |
|||
| style="text-align:center; background:#f8f3ca; color:#000;"| 82 °F (28 ℃)<br />67 °F (19 ℃) |
|||
| style="text-align:center; background:#f8f3ca; color:#000;"| 77 °F (25 ℃)<br />60 °F (16 ℃) |
|||
| style="text-align:center; background:#f8f3ca; color:#000;"| 68 °F (20 ℃)<br />51 °F (11 ℃) |
|||
| style="text-align:center; background:#f8f3ca; color:#000;"| 58 °F (14 ℃)<br />39 °F (4 ℃) |
|||
| style="text-align:center; background:#f8f3ca; color:#000;"| 49 °F (9 ℃)<br />32 °F (0 ℃) |
|||
|- |
|||
| colspan="13" style="text-align:center;font-size:90%;background:#E8EAFA;"|''<ref name= NOAA> |
|||
{{cite web |
|||
|url = http://www.nws.noaa.gov/climate/xmacis.php?wfo=lwx |
|||
|title = NowData – NOAA Online Weather Data |
|||
|publisher = National Oceanic and Atmospheric Administration |
|||
|accessdate = 2012-12-17}}</ref><ref name="NOAA Cumberland">{{cite web |url=ftp://ftp.ncdc.noaa.gov/pub/data/normals/1981-2010/products/station/USC00182282.normals.txt |publisher=National Oceanic and Atmospheric Administration |title=Station Name: MD CUMBERLAND 2 |deadurl=no |accessdate=2013-03-05}}</ref><ref name="NOAA Frederick">{{cite web |url=ftp://ftp.ncdc.noaa.gov/pub/data/normals/1981-2010/products/station/USC00183348.normals.txt |publisher=National Oceanic and Atmospheric Administration |title=Station Name: MD FREDERICK POLICE BRKS |deadurl=no |accessdate=2013-03-05}}</ref><ref name="NOAA Baltimore downtown">{{cite web |url=ftp://ftp.ncdc.noaa.gov/pub/data/normals/1981-2010/products/station/USW00093784.normals.txt |publisher=National Oceanic and Atmospheric Administration |title=Station Name: MD MD SCI CTR BALTIMORE |deadurl=no |accessdate=2013-02-27}}</ref><ref name="NOAA Ocean City">{{cite web |url=ftp://ftp.ncdc.noaa.gov/pub/data/normals/1981-2010/products/station/USW00093786.normals.txt |publisher=National Oceanic and Atmospheric Administration |title=Station Name: MD OCEAN CITY MUNI AP |deadurl=no |accessdate=2013-03-05}}</ref>'' |
|||
|} |
|||
</center> |
|||
=== 植物相 === |
|||
メリーランド州は東海岸にある州と同様に植物が豊富で繁殖している。年間雨量が適度にあることで小さなものは[[海草]]や各種[[ヨシ]]から、大きなものはホワイトオークが巨大になったワイオークまで多種の植物を茂らせている。ワイオークは高さ70フィート (21 m) を超えることもある。 |
|||
大西洋岸中部海岸林は大西洋岸平原南東部に典型的なものであり、チェサピーク湾沿岸やデルマーバ半島に育っている。それより西では、北東海岸林と南東混合林が混合し、州中央部を覆っている。さらに西のアパラチア山脈にはアパラチアン・ブルーリッジ林がある。ウェストバージニア州との州境近くではアパラチアン中性混合林に変わっていく<ref name = "ecoregions">{{cite journal |author = Olson, D. M, E. Dinerstein, ''et al'' |title = Terrestrial Ecoregions of the World: A New Map of Life on Earth |journal = BioScience |year = 2001 |volume=51 |issue=11 |pages= 933–938 |url = http://gis.wwfus.org/wildfinder/ |doi = 10.1641/0006-3568(2001)051[0933:TEOTWA]2.0.CO;2 }}</ref>。 |
|||
州内で多くの外来植物が栽培されており、観賞用や贈答用もある。暖かい地域ではサルスベリ、イタリアイトスギ、ライブオーク([[カシ]])があり<ref>{{cite web|url=http://www.prairiefrontier.com/pages/hardiness/zone.html |title=Zone Hardiness Map through Prairie Frontier |publisher=Prairiefrontier.com |date= |accessdate=2010-10-24}}</ref>、さらに暖かい中部や東部では椰子の木も見られる<ref>{{cite book|url=http://books.google.com/?id=tkwOAAAAIAAJ&pg=PA24&lpg=PA24&dq=palm+trees+in+maryland#PPA24,M1 |title=The History of Maryland, From its first settlement, in 1633, to the restoration, in 1660, with a copious introduction, and notes and illustrations |publisher=Books.google.com |date= |accessdate=2010-10-24|year=1837}}</ref>。農務省の植物耐寒性区分では、州西端で 5 と 6、中央部で 7、南部海岸、湾岸、ボルチモア大都市圏の一部で 8 となっている<ref name = "Arbor Day Foundation"/>。[[クズ]]、[[ニワウルシ]]、[[ノイバラ]]、[[アシボソ]]など外来種が固有種の成長を抑えている<ref>{{cite web|url=http://www.mdinvasivesp.org/list_terrestrial_plants.html |title=Invasive Species of concern in Maryland |publisher=Mdinvasivesp.org |date= |accessdate=2010-10-24}}</ref>。州花であるブラック・アイド・スーザンは州内どこでも野草の中に豊富に見られる。州の昆虫であるボルチモアヒョウモンモドキ(蝶)はその南限に近いのであまり見られない<ref>[http://www.butterfliesandmoths.org/species?l=1753 Euphydryas phaeton (Drury, 1773)], ''Butterflies and Moths of North America''</ref>。州内では435種の鳥が観測されている<ref name="MRC">{{cite web|title=Official list of the birds of Maryland|work=Maryland/District of Columbia Records Committee|url=http://www.mdbirds.org/mddcrc/pdf/mdlist.pdf|accessdate=2009-05-04}}</ref>。 |
|||
=== 動物相 === |
|||
[[ファイル:Assateague Island horses August 2009 4.jpg|thumb|250px|野生のチンコティーグ・ポニー、アサティーグ島]] |
|||
州内には多数の[[シカ]]がおり、特に州西部の森林や山岳部で多く、年々過繁殖が問題になってきている。哺乳類は西部の山岳地から中央部まで見られ、[[クマ]]<ref name="Maryland Wildlife">[http://www.sailor.lib.md.us/MD_topics/res/env_ani.html] ''Maryland's Public Information Network'' Retrieved on 4-9-2008.</ref>、[[ボブキャット]]<ref>{{cite web|title=Lions in our mountains? The mystery of cougars in Maryland|url=http://www.dnr.state.md.us/naturalresource/fall2007/lions.pdf |
|||
|first=Glenn|last=Therres|date=2007|format=PDF|work=Wildlife and Heritage|publisher=Maryland Department of Natural Resources|accessdate=6 July 2009|quote=Historically bobcats were distributed statewide but during the post colonization period densities began to plummet. By the mid-1900s, populations had probably reached all-time lows, with remnant populations existing only in western Maryland. This prompted the Department of Natural Resources (DNR) to classify them as a state-listed “Species of Special Concern.” During the past quarter century, occupied range and densities have increased markedly. Results from the annual Bowhunter Survey and the Hunter Mail survey have identified bobcat sightings in 14 of Maryland’s 23 counties. Currently, bobcats have dual legal classification in Maryland. In addition to the Species of Special Concern designation, they are also defined as a Game Animal / Furbearer with a closed harvest season. |
|||
}}</ref>、[[キツネ]]、[[コヨーテ]]<ref>{{cite web|title=Coyotes in Maryland|url=http://www.dnr.state.md.us/wildlife/Hunt_Trap/furbearers/coyote.asp|publisher=Maryland Department of Natural Resources|accessdate=16 September 2011|quote=Coyotes were historically a western species with core populations found west of the Mississippi River. Alterations and/or elimination of competing predators during the post-European colonization period facilitated rapid range expansion into eastern North America during the 20th Century. Established populations now occur in every state and province in North America. Coyotes are a relatively new addition to local ecosystems, and were first documented in Maryland during 1972. Initial substantiated sightings occurred in Cecil, Frederick and Washington counties. Since that time population densities and occupied range have expanded incrementally and coyotes now occur statewide. |
|||
}}</ref>、[[アライグマ]]、[[カワウソ]]がいる<ref name="Maryland Wildlife" />。 |
|||
アサティーグ島では個体数が減った野生馬がいる<ref name="Maryland Wildlife" /><ref>{{cite web|url=http://www.assateagueisland.com/wildlife/pony.htm |title=Assateague Island National Seashore Wild Ponies |publisher=Assateagueisland.com |date= |accessdate=2010-10-24}}</ref>。毎年7月の最終週に、野生馬が捕獲され、浅い湾を渡して、バージニア州チンコティーグで売却されている。この保存手段によりこの小さな島が馬で溢れないようにされている。このポニーとその販売については子供向けの図書『チンコティーグのミスティ』に紹介された。難船から逃げ出した馬の子孫と考えられている。 |
|||
純血種の[[チェサピーク・ベイ・レトリーバー]]は、ウォータースポーツ、狩猟、捜索、救助用に飼われている<ref name="Maryland1">{{cite web|url=http://www.k9web.com/dog-faqs/breeds/chessies.html |title=Chesapeake Bay Retriever History |publisher=K9web.com |date= |accessdate=2010-10-24}}</ref>。1878年、[[アメリカンケネルクラブ]]が認定した最初のレトリーバー種となった<ref name="Maryland1"/>。 |
|||
爬虫類と両生類ではダイヤモンドガメ([[キスイガメ]])が特筆され、[[メリーランド大学カレッジパーク校]]のマスコットになっている。[[ボルチモアムクドリモドキ]]の生息域であり、州の公式鳥に指定され、[[メジャーリーグベースボール]]の[[ボルチモア・オリオールズ]]はチーム名とマスコットに使っている<ref>{{cite web|url=http://www.msa.md.gov/msa/mdmanual/01glance/html/symbols/bird.html |title=Maryland Government Website – Maryland State Bird |publisher=Msa.md.gov |date=2010-06-07 |accessdate=2010-10-24}}</ref>。 |
|||
=== 環境意識 === |
|||
北は[[ペンシルベニア州]]、西は[[ウェストバージニア州]]、東は[[デラウェア州]]に接し、大西洋に面する。南は[[ポトマック川]]を隔てて[[バージニア州]]及び[[ワシントンD.C.]]と接する。[[チェサピーク湾]]が州中央に大きく入り込んでいる。 |
|||
2007年、Forbes.com は国内で「緑豊かな」州の第5位にメリーランド州を指定した。上位には[[太平洋]]岸3州と[[バーモント州]]が来ていた。エネルギー消費量では国内第40位であり、2005年では1人当たり有害廃棄物量で国内第7位だった<ref>{{cite web|url=http://www.forbes.com/2007/10/16/environment-energy-vermont-biz-beltway-cx_bw_mm_1017greenstates_2.html |title=– America's Greenest States |publisher=Forbes.com |date=2007-10-16 |accessdate=2010-10-24}}</ref>。2007年4月、温室効果ガス排出を減らすための、北東部の州全てとワシントンD.C.およびカナダの3州で構成する地域温室効果ガス・イニシアティブのメンバーになった。 |
|||
=== 地震 === |
|||
24の郡(county)と1つの[[独立市]](independent city)([[ボルティモア]])からなる。 |
|||
メリーランド州は構造プレートや地震帯から遠いために、地震は希である。起こったとしても小さいが、有感の地震はあった<ref>{{cite web|title=M2.0 – Maryland|url=http://earthquake.usgs.gov/earthquakes/dyfi/events/ld/01015030/us/index.html|accessdate=25 November 2012}}</ref><ref>{{cite web|title=M3.4 – Maryland Potomac-Shenandoah Region|url=http://earthquake.usgs.gov/earthquakes/dyfi/events/us/2010yua6/us/index.html|accessdate=25 November 2012}}</ref>。2011年に起きた[[マグニチュード]]5の[[バージニア地震]]は州全体で幾らか感じられた。州内のビルは耐震設計が施されておらず、簡単に壊れる可能性もある。 |
|||
===国立公園=== |
=== 国立公園 === |
||
[[アメリカ合衆国国立公園局|国立公園局]]の管理及び保護下にある地域は |
[[アメリカ合衆国国立公園局|国立公園局]]の管理及び保護下にある地域は以下の通りである。 |
||
*[[w:Antietam National Battlefield| |
* [[w:Antietam National Battlefield|アンティータム国立戦場跡]]([[シャープスバーグ (メリーランド州)|シャープスバーグ]]近郊) |
||
*[[w:Antietam National Battlefield| |
* [[w:Antietam National Battlefield|アンティータム国立墓地]] |
||
* [[アパラチアン・トレイル|アパラチア国立景観側道]] |
|||
*[[w:Appalachian Trail|Appalachian National Scenic Trail]] |
|||
*[[w:Assateague Island National Seashore| |
* [[w:Assateague Island National Seashore|アサティーグ島国立海岸]] |
||
*[[w:Baltimore-Washington Parkway| |
* [[w:Baltimore-Washington Parkway|ボルチモア・ワシントン・パークウェイ]] |
||
*[[w:Catoctin Mountain Park| |
* [[w:Catoctin Mountain Park|カトクチン山公園]](サーモント) |
||
*[[w:Chesapeake and Ohio Canal National Historical Park| |
* [[w:Chesapeake and Ohio Canal National Historical Park|チェサピーク・アンド・オハイオ運河国立歴史公園]]([[ポトマック川]]) |
||
*[[w:Chesapeake Bay Gateways Network]] |
* [[w:Chesapeake Bay Gateways Network|チェサピーク湾ゲイトウェイズ・ネットワーク]] |
||
*[[w:Clara Barton National Historic Site| |
* [[w:Clara Barton National Historic Site|クララ・バートン国立歴史史跡]](グレンエコー) |
||
*[[w:Fort Foote Park]]( |
* [[w:Fort Foote Park|フォートフット公園]](オクソンヒル) |
||
*[[w:Fort McHenry| |
* [[w:Fort McHenry|マクヘンリー砦国立記念碑と歴史堂]](ボルティモア) |
||
*[[w:Fort Washington Park]]([[フォートワシントン (メリーランド州)|フォートワシントン]]) |
* [[w:Fort Washington Park|フォートワシントン公園]]([[フォートワシントン (メリーランド州)|フォートワシントン]]) |
||
*[[w:George Washington Memorial Parkway| |
* [[w:George Washington Memorial Parkway|ジョージ・ワシントン記念パークウェイ]] |
||
*[[w:Glen Echo Park (Maryland)| |
* [[w:Glen Echo Park (Maryland)|グレンエコー公園]](グレンエコー) |
||
*[[w:Greenbelt Park| |
* [[w:Greenbelt Park|グリーンベルト公園]]([[グリーンベルト (メリーランド州)|グリーンベルト]]) |
||
*[[w:Hampton National Historic Site| |
* [[w:Hampton National Historic Site|ハンプトン国立歴史史跡]](タウソン) |
||
*[[w:Harmony Hall]](プリンスジョージ郡) |
* [[w:Harmony Hall|ハーモニーホール]](プリンスジョージ郡) |
||
*[[w:Monocacy National Battlefield| |
* [[w:Monocacy National Battlefield|モノカシー国立戦場跡]]([[フレデリック (メリーランド州)|フレデリック]]近郊) |
||
*[[w:Oxon Cove Park and Oxon Hill Farm]] |
* [[w:Oxon Cove Park and Oxon Hill Farm|オクソンコーブ公園とオクソンヒル農園]](オクソンヒル) |
||
*[[w:Piscataway Park]]( |
* [[w:Piscataway Park|ピスカタウェイ公園]](アッコキーク) |
||
*[[w:Potomac Heritage Trail| |
* [[w:Potomac Heritage Trail|ポトマック文化遺産国立景観側道]](チェサピーク湾及びアリゲイニー高原間の回廊) |
||
*[[w:Suitland Parkway| |
* [[w:Suitland Parkway|スウィートランド・パークウェイ]](プリンスジョージ郡) |
||
*[[w:Thomas Stone National Historic Site]]( |
* [[w:Thomas Stone National Historic Site|トマス・ストーン国立歴史史跡]](ポートトバコ) |
||
==人口動勢== |
== 人口動勢 == |
||
{{USCensusPop |
|||
{{歴史的人口 |
|||
|1790 = 319728 |
|||
|[[w:United States Census, 1790|1790年]]|319728 |
|||
|1800 = 341548 |
|||
|[[w:United States Census, 1800|1800年]]|341548 |
|||
|1810 = 380546 |
|||
|[[w:United States Census, 1810|1810年]]|380546 |
|||
|1820 = 407350 |
|||
|[[w:United States Census, 1820|1820年]]|407350 |
|||
|1830 = 447040 |
|||
|[[w:United States Census, 1830|1830年]]|447040 |
|||
|1840 = 470019 |
|||
|[[w:United States Census, 1840|1840年]]|470019 |
|||
|1850 = 583034 |
|||
|[[w:United States Census, 1850|1850年]]|583034 |
|||
|1860 = 687049 |
|||
|[[w:United States Census, 1860|1860年]]|687049 |
|||
|1870 = 780894 |
|||
|[[w:United States Census, 1870|1870年]]|780894 |
|||
|1880 = 934943 |
|||
|[[w:United States Census, 1880|1880年]]|934943 |
|||
| |
|1890 = 1042390 |
||
| |
|1900 = 1188044 |
||
| |
|1910 = 1295346 |
||
| |
|1920 = 1449661 |
||
| |
|1930 = 1631526 |
||
| |
|1940 = 1821244 |
||
| |
|1950 = 2343001 |
||
| |
|1960 = 3100689 |
||
| |
|1970 = 3922399 |
||
| |
|1980 = 4216975 |
||
| |
|1990 = 4781468 |
||
| |
|2000 = 5296486 |
||
| |
|2010 = 5773552 |
||
|estimate= 5884563 |
|||
|estyear= 2012 |
|||
|footnote=Source: 1910–2010<ref>{{cite web|author=Resident Population Data |url=http://2010.census.gov/2010census/data/apportionment-pop-text.php |title=Resident Population Data – 2010 Census |publisher=2010.census.gov |accessdate=December 24, 2012}}</ref> |
|||
}} |
}} |
||
[[ファイル:Maryland population map.png|thumb|450px|メリーランド州の人口密度図]] |
|||
2006年現在、メリーランド州は前年より26,128人、または0.5%増加し、2000年より319,221人、または6.0%増加した、人口5,615,727人と概算される。これは189,158人(出生464,251、死亡275,093)と前回の国勢調査からの自然増並びに州内への移住者116,713人の増加が含まれている。アメリカ合衆国外からの移住は129,730人増加する事となり、合衆国内部の移住者は13,017人減少する事になる。 |
|||
2012年7月1日時点で、メリーランド州人口は5,884,563と推計され、2010年国勢調査からは1.9%増加した<ref name=PopEstUS>{{cite web|url=http://www.census.gov/popest/data/national/totals/2012/index.html|title=Annual Estimates of the Population for the United States, Regions, States, and Puerto Rico: April 1, 2010 to July 1, 2012|format=[[comma-separated values|CSV]]|work=2012 Population Estimates|publisher=[[United States Census Bureau]], Population Division|date=December 2012|accessdate=December 24, 2012}}</ref>。2006年時点では人口5,615,727人と推計され、前年より26,128人、0.5%増加し、2000年国勢調査からは319,221人、6.0%増加していた。2000年と比較すると189,158人の自然増(出生464,251、死亡275,093)、並びに州内への移住者純増116,713人が含まれている。アメリカ合衆国外からの移住で129,730人増加し、合衆国内部への移住で13,017人減少した。 |
|||
2006年、645,744人 |
2006年時点、外国生まれは645,744人であり、主に[[ラテンアメリカ]]及び[[アジア]]から来ていた。このうち約4.0%はビザを持たない不法在留外国人である。[[韓国系アメリカ人]]の人口が多い<ref>{{cite web |
||
|url=http://www.migrationinformation.org/USfocus/display.cfm?id=273 |
|||
|title=The Foreign Born from Korea in the United States |
|||
|first=Jennifer |
|||
|last=Yau |
|||
|publisher=Migration Policy Institute |
|||
|year=2007 |
|||
|accessdate=2007-12-23 |
|||
}}</ref>。アジア系アメリカ人がほぼ6.0%いるのに対し、韓国系アメリカ人は1.7%である<ref>{{cite web |
|||
|url=http://www.jhsph.edu/kacp/about_us.html |
|||
|title=About Us: Korean Americans in Maryland |
|||
|publisher=Johns Hopkins Bloomberg School of Public Health |
|||
|accessdate=2007-12-23 |
|||
}}</ref>。 |
|||
メリーランド州の人口の多くは |
メリーランド州の人口の多くはボルチモア・ワシントン大都市圏内の、ボルチモア都市圏とワシントン都市圏に住んでいる。東海岸部は人口が少ない田園部であり、西部や南部も同様である。 |
||
西部のアリゲイニー郡とガレット郡は山が多く、人口が少ない。メリーランド州よりもウェストバージニア州に類似している。アフリカ系アメリカ人の割合は18世紀のタバコ栽培場生産高がピーク(38%)に達した頃ほど高くないが、メリーランド州には今でも[[ディープサウス|深南部]]以外の州では最大の黒人人口を有している。 |
|||
メリーランド州の[[人口重心]]は |
メリーランド州の[[人口重心]]は、[[アナランデル郡 (メリーランド州)|アナランデル郡]]及び[[ハワード郡 (メリーランド州)|ハワード郡]]の郡境にあるジェサップという未編入の町にある<ref>{{cite web| title = Population and Population Centers by State – 2000 | publisher = United States Census Bureau | accessdate = 2008-12-05 | url = http://www.census.gov/geo/www/cenpop/statecenters.txt}}</ref>。 |
||
===人種及び祖先=== |
=== 人種及び祖先 === |
||
2011年推計に拠れば、メリーランド州の人種による人口構成は次のようになっている<ref>http://quickfacts.census.gov/qfd/states/24000.html</ref>。 |
|||
この州の人種的な構成は: |
|||
* |
* 61.1% 白人(非ヒスパニック白人は54.4%、ヒスパニック白人は6.7%) |
||
* |
* 30.0% 黒人 |
||
* 5.8% アジア |
|||
*4.3% ヒスパニック |
|||
* |
* 0.5% [[インディアン]] |
||
* 0.1% 太平洋諸島系 |
|||
*0.3% [[インディアン]] |
|||
*2% 混血 |
* 2.5% 混血 |
||
* 8.4% ヒスパニック<ref name=PopUS/> |
|||
メリーランド州で |
メリーランド州で申告された祖先祖先による構成比は、[[ドイツ系アメリカ人|ドイツ系]] (15.7%)、[[アイルランド系アメリカ人|アイルランド系]] (11.7%)、[[イギリス系アメリカ人|イギリス系]] (9%)、アメリカ人 (5.8%)、[[イタリア系アメリカ人|イタリア系]] (5.1%)<ref>{{cite web|url=http://www.niaf.org/research/2000_census_4.asp|title=Italian American Population in All 50 States|publisher=Niaf.org|date=|accessdate=2008-09-22}}</ref>だった。 |
||
1970年の国勢調査では、アフリカ系アメリカ人人口構成比を17.8%、非ヒスパニック白人80.4%と報告していた<ref>{{cite web|title=Maryland – Race and Hispanic Origin: 1790 to 1990|publisher=U.S. Census Bureau|url=http://www.census.gov/population/www/documentation/twps0056/twps0056.html|accessdate=April 18, 2012}}</ref>。アフリカ系アメリカ人は2010年で30%となっており<ref name=PopUS>{{cite web |url=http://quickfacts.census.gov/qfd/states/24000.html |title=Maryland QuickFacts |date=December 23, 2011 |publisher=U.S. Census Bureau |accessdate=January 14, 2012}}</ref>、これにはナイジェリアのイグボ族移民が含まれている<ref>{{cite web |url=http://www.usefoundation.org/userdata/file/Research/Regions/maryland.pdf |title=Languages in Maryland |quote=Prince George’s County has the highest percentage of Kru/Ibo/Yoruba speakers of any county in the nation. |format=PDF |publisher=U.S.ENGLISH Foundation, Inc |accessdate=2012-05-22}}</ref>。アフリカ系アメリカ人は州全体に多く住んでいるが、特にボルチモア市、プリンスジョージズ郡、チャールズ郡、ランドールズタウン、東海岸部南部に多い。 |
|||
2011年時点で1歳未満の幼児の58.0%は少数民族の両親に生まれていた<ref>{{cite news|url=http://www.cleveland.com/datacentral/index.ssf/2012/06/americas_under_age_1_populatio.html|title=Americans under age 1 now mostly minorities, but not in Ohio: Statistical Snapshot|last=Exner|first=Rich|date=June 3, 2012|work=The Plain Dealer}}</ref>。 |
|||
===宗教=== |
|||
東海岸部と南部はイギリス人を祖先とする者が多く、東海岸部は伝統的にメソジスト、南部はカトリック教徒が多い。西部と北部はドイツ系アメリカ人が多い。イタリア系、[[ポーランド]]系、[[チェコ]]系、[[ギリシャ]]系は主に大都市のボルチモアに集中している。ヒスパニック系はハイアッツビル、ラングレーパーク、ウィートン、ブラーデンスバーグ、リバーデール、ゲイサーズバーグ、東ボルチモアのハイランドタウンに多い。[[エルサルバドル]]系がヒスパニックの中では最大である。他にそこそこの人口があるものとして、[[メキシコ]]系と[[プエルトリコ]]系がある。エルサルバドル系がワシントンD.C.を中心とした地域に多いのに対し、プエルトリコ系はボルチモア地域に集中し、他のヒスパニック系もこの2つの大都市圏の間に分散している。ヒスパニック系の多様さについては国内でも最大級であり、[[カリブ海]]や中央アメリカの国々からかなりの人々が移住してきている<ref>{{cite web |url=http://dls.state.md.us/data/polanasubare/polanasubare_intmatnpubadm/Overview-of-Hispanic-Community.pdf |title=Overview of Hispanic Community in Maryland |author=Department of Legislative Services |pages=6–7 |month=June |year=2008 |format=PDF |accessdate=July 5, 2012}}</ref>。 |
|||
*[[キリスト教]] – 82% |
|||
**[[プロテスタント]] – 56% |
|||
***[[バプテスト教会|バプテスト]] – 18% |
|||
***[[メソジスト]] – 11% |
|||
***[[ルーテル教会]] – 5% |
|||
***[[米国聖公会]] – 3% |
|||
***他のプロテスタントまたは一般的なプロテスタント – 19% |
|||
**[[カトリック教会|ローマ・カトリック]] – 23% |
|||
**他のキリスト教 – 3% |
|||
*[[ユダヤ教]] – 3% |
|||
*他の宗教 – 1% |
|||
*無宗教 – 14% |
|||
[[ユダヤ系アメリカ人|ユダヤ系]]はモンゴメリー郡とボルチモア北西のパイクスビル、およびオーウィングスミルズに多い。アジア系アメリカ人はワシントンD.C.を取り巻く郊外郡に集中し、特に韓国系と[[台湾系アメリカ人|台湾系]]はロックビルに、[[フィリピン]]系はフォートワシントンにコミュニティがある。[[インド]]系も特に中央部に多い。セントメアリーズ郡、ガレット郡、ワシントン郡では[[アーミッシュ]]や[[メノナイト]]の集落も見られる。 |
|||
==インディアン部族== |
|||
少数民族比率の多さでは国内第5位である<ref>{{cite news|url=http://www.msnbc.msn.com/id/8902484/ |title=Minority population surging in Texas |date=August 18, 2005 |work=msnbc.com |agency=Associated Press |accessdate=December 7, 2009}}</ref>。 |
|||
=== 宗教 === |
|||
[[ファイル:BasilicaExterior.jpg|thumb|ボルティモア・バシリカ、国内初のローマ・カトリック教大聖堂、建築家[[ベンジャミン・ラトローブ|ベンジャミン・ヘンリー・ラトローブ]]の傑作と見なされている]] |
|||
メリーランド州はイングランドで少数派だったローマ・[[カトリック教]]徒にとって、宗教的寛容さを与えるために設立された。しかしイギリスの議会はその政策を覆し、メリーランドでカトリック教信仰を排除した。移民の構成によってメリーランド州は植民地時代からカトリック教徒が多数にはならなかった。それでもカトリック教は単一宗派として最大である。 |
|||
2000年時点で、RCMSに拠れば、カトリック教徒が952,389人で第1位、信徒数の第2位は[[メインライン・プロテスタント]]、第3位は[[福音主義]][[プロテスタント]]である。[[ユダヤ教]]は信徒数241,000人、人口構成比4.3%であり、非キリスト教としては最大である<ref>{{cite web|url=http://www.census.gov/compendia/statab/2010/tables/10s0077.xls |title=census.gov/compendia/statab/2010/tables/10s0077.xls |date= |accessdate=2010-10-24}}</ref>。 |
|||
{| class=wikitable |
|||
|- |
|||
!colspan=6| |
|||
<span style="font-size:125%;">'''宗派別構成比''' |
|||
|- |
|||
!colspan=4| |
|||
キリスト教 |
|||
!colspan=2| |
|||
非キリスト教 |
|||
|- |
|||
|[[カトリック教|ローマ・カトリック教]] |
|||
|24% |
|||
| |
|||
| |
|||
|[[ユダヤ教]] |
|||
|4% |
|||
|- |
|||
|[[バプテスト]] |
|||
|18% |
|||
|他のキリスト教 |
|||
|3% |
|||
|[[イスラム教]] |
|||
|1% |
|||
|- |
|||
|[[メソジスト]] |
|||
|11% |
|||
| |
|||
| |
|||
|他の宗教 |
|||
|1% |
|||
|- |
|||
|[[ルーテル教会]] |
|||
|6% |
|||
| |
|||
| |
|||
|務酒興 |
|||
|11% |
|||
|- |
|||
|その他のプロテスタント |
|||
|21% |
|||
| |
|||
| |
|||
| |
|||
| |
|||
|} |
|||
プロテスタントが多数派であるが、国内ではカトリック教の伝統が強い州である。これには植民地領主のジョージ・カルバートがイングランド・カトリック教徒の安息地とすることを目指したことが係わっている。ボルチモアは国内初のカトリック司教が就いたところであり(1789年)、エミッツバーグはアメリカ初の聖人セントエリザベス・アン・シートンが生まれ、埋葬された場所である。最初のカトリック系大学[[ジョージタウン大学]]は1789年に州内に設立された(現在はワシントンD.C.)<ref>It became a part of the District of Columbia when that city was created in the 1790s.</ref>。ボルチモアにある聖母マリア被昇天バシリカ聖堂は国内初のローマ・カトリック教大聖堂であり、ボルチモア大司教は正式な位階ではないが、擬似的な職位であり、枢機卿と呼ばれることも多い。 |
|||
== インディアン部族 == |
|||
もともとこの州には、[[コノイ族]]([[ピスカタウェイ族]])、[[レナペ|デラウェア族]]、[[ナンチコーク族]]、[[チョプタンク族]]、[[ポコモケ族]]、[[ポウハタン|ポウハタン族]]、[[ショーニー族]]、[[サスケハンナ族]]などが先住し、[[ウィグワム]]の集落を形成し、農耕生活を営んでいた。最初期からイギリス人入植者の侵略を受け、幾多の領土を巡る戦いによって弱体化した。 |
もともとこの州には、[[コノイ族]]([[ピスカタウェイ族]])、[[レナペ|デラウェア族]]、[[ナンチコーク族]]、[[チョプタンク族]]、[[ポコモケ族]]、[[ポウハタン|ポウハタン族]]、[[ショーニー族]]、[[サスケハンナ族]]などが先住し、[[ウィグワム]]の集落を形成し、農耕生活を営んでいた。最初期からイギリス人入植者の侵略を受け、幾多の領土を巡る戦いによって弱体化した。 |
||
167行目: | 549行目: | ||
*「[[ショーニー族]]・ユーギオガヘニー川バンド」 |
*「[[ショーニー族]]・ユーギオガヘニー川バンド」 |
||
===インディアンと「一滴規定」=== |
=== インディアンと「一滴規定」 === |
||
19世紀も末になると、連邦とメリーランド州政府は黒人と混血した同州のインディアンたちを、アメリカ合衆国に住んでいる人間を「一滴でも黒人の血が入ったらもう黒人である」と規定する「[[w:One-drop rule|一滴規定]]」に基づき、人種的に「インディアン」から「ニグロ」、または「[[ムラート]]」、あるいは「ブラック」になったとした。彼らは「[[ジム・クロウ法]]」の対象となり、「自由身分の色つき([[w:Free people of color|free people of color]])」、または「自由身分の黒人([[w:Free negro|Free negro]])」という扱いで出生証明書に記載された。「インディアンではなくなった」ことになったメリーランド州の「元・インディアン」はインディアン条約をすべて破棄され、20世紀までにはすべて、保留地領有をはじめとするインディアンの権利を剥奪された。 |
19世紀も末になると、連邦とメリーランド州政府は黒人と混血した同州のインディアンたちを、アメリカ合衆国に住んでいる人間を「一滴でも黒人の血が入ったらもう黒人である」と規定する「[[w:One-drop rule|一滴規定]]」に基づき、人種的に「インディアン」から「ニグロ」、または「[[ムラート]]」、あるいは「ブラック」になったとした。彼らは「[[ジム・クロウ法]]」の対象となり、「自由身分の色つき([[w:Free people of color|free people of color]])」、または「自由身分の黒人([[w:Free negro|Free negro]])」という扱いで出生証明書に記載された。「インディアンではなくなった」ことになったメリーランド州の「元・インディアン」はインディアン条約をすべて破棄され、20世紀までにはすべて、保留地領有をはじめとするインディアンの権利を剥奪された。 |
||
===インディアン・カジノ=== |
=== インディアン・カジノ === |
||
同州ではインディアン部族は存在しないことになっており、現在のところインディアン部族が運営する「インディアン・カジノ」は一軒もない。州のスロットマシン導入方針で、他州の連邦認定インディアン部族による「インディアン・カジノ」が設立される可能性はある。 |
同州ではインディアン部族は存在しないことになっており、現在のところインディアン部族が運営する「インディアン・カジノ」は一軒もない。州のスロットマシン導入方針で、他州の連邦認定インディアン部族による「インディアン・カジノ」が設立される可能性はある。 |
||
==主要な都市及び町== |
== 主要な都市及び町 == |
||
:''主要記事:[[w:List of cities in Maryland|List of cities in Maryland]]'' |
:''主要記事:[[w:List of cities in Maryland|List of cities in Maryland]]'' |
||
:''関連項目:[[w:List of census-designated places in Maryland|List of census-designated places in Maryland]] 及び [[w:Maryland locations by per capita income|Maryland locations by per capita income]] |
:''関連項目:[[w:List of census-designated places in Maryland|List of census-designated places in Maryland]] 及び [[w:Maryland locations by per capita income|Maryland locations by per capita income]] |
||
*[[アナポリス (メリーランド州)|アナポリス市]] – [[州都]]、[[海軍兵学校 (アメリカ合衆国)|海軍兵学校]]の本部。チェサピーク湾にかかる[[チェサピーク湾ブリッジ|ベイブリッジ]]でも有名。 |
* [[アナポリス (メリーランド州)|アナポリス市]] – [[州都]]、[[海軍兵学校 (アメリカ合衆国)|海軍兵学校]]の本部。チェサピーク湾にかかる[[チェサピーク湾ブリッジ|ベイブリッジ]]でも有名。 |
||
*[[ボルティモア|ボルティモア市]] – 最も人口の多い都市。商業と文化の中心。 |
* [[ボルティモア|ボルティモア市]] – 最も人口の多い都市。商業と文化の中心。 |
||
*[[ベセスダ (メリーランド州)|ベセスダ]] – ワシントンDCの政府機関に勤務するエリート官僚たちが多く住む高級住宅地。世界最大の研究所といわれる[[NIH]]を抱える。 |
* [[ベセスダ (メリーランド州)|ベセスダ]] – ワシントンDCの政府機関に勤務するエリート官僚たちが多く住む高級住宅地。世界最大の研究所といわれる[[NIH]]を抱える。 |
||
*[[ゲイザースバーグ|ゲイザースバーグ市]] – |
* [[ゲイザースバーグ|ゲイザースバーグ市]] – [[アメリカ国立標準技術研究所|NIST]]の本部がある。 |
||
*[[カレッジパーク (メリーランド州)|カレッジパーク市]] – D.C. の郊外、[[メリーランド大学]]の本部。[[アメリカ国立公文書記録管理局|米国立公文書館]]の別館や、政府と[[ライト兄弟]]らが用いた、[[飛行機]]の試験場(現在も飛行場、博物館併設)がある。 |
* [[カレッジパーク (メリーランド州)|カレッジパーク市]] – D.C. の郊外、[[メリーランド大学]]の本部。[[アメリカ国立公文書記録管理局|米国立公文書館]]の別館や、政府と[[ライト兄弟]]らが用いた、[[飛行機]]の試験場(現在も飛行場、博物館併設)がある。 |
||
*[[コロンビア (メリーランド州)|コロンビア]] – 行政に編入されておらずコロンビア協会 ([[w:Columbia Association]]) が運営する大きな[[国勢調査指定地域]] |
* [[コロンビア (メリーランド州)|コロンビア]] – 行政に編入されておらずコロンビア協会 ([[w:Columbia Association]]) が運営する大きな[[国勢調査指定地域]] |
||
*[[フレデリック (メリーランド州)|フレデリック]] – [[アパラチア山脈]]への西部入口、郊外の中心地 |
* [[フレデリック (メリーランド州)|フレデリック]] – [[アパラチア山脈]]への西部入口、郊外の中心地 |
||
*[[ヘイガーズタウン (メリーランド州)|ヘイガーズタウン]] – |
* [[ヘイガーズタウン (メリーランド州)|ヘイガーズタウン]] – 州西部の3郡内で最大の町。 |
||
*[[ローレル (メリーランド州)|ローレル市]]– 州間高速道路95号線上のボルティモア及びワシントン間の最大郊外コミュニティ。 ([[w:Laurel, Maryland]]) |
* [[ローレル (メリーランド州)|ローレル市]] – 州間高速道路95号線上のボルティモア及びワシントン間の最大郊外コミュニティ。 ([[w:Laurel, Maryland]]) |
||
*[[オーシャンシティー (メリーランド州)|オーシャンシティー]]– [[大西洋]]海岸沿いの大変人気なビーチリゾート。([[w:Ocean City, Maryland]]) |
* [[オーシャンシティー (メリーランド州)|オーシャンシティー]] – [[大西洋]]海岸沿いの大変人気なビーチリゾート。([[w:Ocean City, Maryland]]) |
||
*[[ロックビル (メリーランド州)|ロックビル市]] – ワシントンの北西部富裕な[[モントゴメリー郡 (メリーランド州)|モントゴメリー郡]]のビジネス中心地 |
* [[ロックビル (メリーランド州)|ロックビル市]] – ワシントンの北西部、富裕な[[モントゴメリー郡 (メリーランド州)|モントゴメリー郡]]のビジネス中心地 |
||
*[[ |
* [[ソールズベリー (メリーランド州)|ソールズベリー]] – [[デルマーバ半島]]の最大都市及びビジネスの中心地。 |
||
*[[タウソン (メリーランド州)|タウソン]]– [[ボルティモア郡 (メリーランド州)|ボルティモア郡]] |
* [[タウソン (メリーランド州)|タウソン]] – [[ボルティモア郡 (メリーランド州)|ボルティモア郡]]郊外の[[郡庁所在地]]。([[w:Towson, Maryland]]) |
||
==政治と法律== |
== 政治と法律 == |
||
:''主要記事:[[w:Government of Maryland|Government of Maryland]]'' |
:''主要記事:[[w:Government of Maryland|Government of Maryland]]、[[w:List of Governors of Maryland|List of Governors of Maryland]]'' |
||
[[ファイル:Maryland quarter, reverse side, 2000.jpg|thumb|upright|メリーランド州4分の1ドル硬貨裏面、アナポリスの州会議事堂ドームが描かれている]] |
|||
メリーランド州政府はメリーランド州憲法に従って運営されている。他の49州と同様、[[アメリカ合衆国憲法]]に規定されることを除き、州内の事情について排他的権限を持っている。 |
|||
三権が分立されている。[[行政府]]、[[立法府]]、[[司法府]]である。州議会は下院と上院の[[両院制]]である。州知事は他の州とは異なり予算についてかなりの権限が与えられている。議会は知事が提案する予算支出を増やすことが許されていない。他州とは異なり多くの郡にかなりの自治権が認められている。 |
|||
政府の事業の大半は州都アナポリスで遂行されている。事実上州と郡の全選挙は4で割り切れない偶数年に行われている。このことで[[アメリカ合衆国大統領選挙]]とは別の年に選挙が行われ、州と連邦の政治を分けることが意図されている。 |
|||
司法府は各郡とボルチモア市にある州統合地区裁判所と、各郡とボルチモア市にある24の巡回裁判所があり、巡回裁判所は訴訟額3万ドル以上の民事事件全て、衡平法上の訴訟全て、重要な刑事事件を扱う一般的裁判所である。中間控訴裁判所は特別控訴裁判所と呼ばれ、州最高裁判所は控訴裁判所と呼ばれる。控訴裁判所の判事は赤いローブを纏うことで、国内でも唯一の存在である<ref>Lamy, Rudolf B. (2006). [http://www.lawlib.state.md.us/aboutus/history/judgesrobes.pdf "A Study of Scarlet: Red Robes and the Maryland Court of Appeals."] Monograph. (Annapolis, MD: Maryland State Law Library.)</ref>。 |
|||
=== 選挙 === |
|||
:''主要記事:[[w:Political party strength in Maryland|Political party strength in Maryland]]}} |
|||
南北戦争以前からメリーランド州の選挙は[[民主党 (アメリカ)|民主党]]によって支配されてきており、当時の党綱領がかなり変わっても同様だった。州全体の選挙はボルチモア市と人口が多いワシントンD.C.周辺の郊外郡、すなわちモンゴメリー郡とプリンスジョージズ郡の影響が強い。州人口の43%がこれらの地域に住んでおり、それぞれが民主党への組織票を維持してきた。ボルチモア市とプリンスジョージズ郡のアフリカ系アメリカ人、プリンスジョージズ郡とモンゴメリー郡の連邦政府職員、モンゴメリー郡の高学歴者がこれに該当する。州の他の部分、特に西部や東海岸部は[[共和党 (アメリカ)|共和党]]への支持が強い。 |
|||
[[ファイル:Spiro Agnew.jpg|thumb|upright|[[スピロ・アグニュー]]、元[[アメリカ合衆国副大統領]]、建国以来メリーランド州出身の政治家としては最高位に就いた指導者]] |
|||
最近15回のアメリカ合衆国大統領選挙では一貫して民主党候補を支持してきており、平均支持率差は15.4%だった。1980年には[[ジミー・カーター]]を選んだ6州の1つだった。近年は民主党候補にとって最も頼れる州になっている。1992年、[[ビル・クリントン]]は出身州である[[アーカンソー州]]以外ではどの州よりもメリーランド州での支持率が高かった。1996年ではクリントン支持率で第6位であり、2000年の[[アル・ゴア]]支持率で第4位、2004年の[[ジョン・ケリー]]支持率で第5位だった。2008年は州内で[[バラク・オバマ]]が61.9%の支持を得て10人の選挙人票を得た。対する[[ジョン・マケイン]]は36.5%に留まった。 |
|||
共和党は西部と東部の郡では大差で勝利しているが、人口の多い地域、民主党主軸のボルチモア・ワシントンではほとんど勝てない。例えば2008年、ジョン・マケインは17郡を制し、対するオバマは6郡を制しただけだった。オバマはボルチモア市も制した。マケインは西部と東部の郡で2対1以上の得票差で制したが、ボルチモア市とワシントンD.C周辺の郡では全く勝てなかった。大型郡のうちアナランデル郡以外は全てオバマが制した<ref>http://www.cnn.com/ELECTION/2008/results/individual/#mapPMD</ref>。 |
|||
メリーランド州選出の[[アメリカ合衆国上院]]議員2人と下院議員8人のうち7人は民主党員であり、州議会では民主党が絶対多数を占めている。前知事ロバート・アーリックは40年ぶりの共和党知事となり、1期を務めただけで民主党員のボルチモア市長マーティン・J・オマリーにその座を明け渡した。アーリックは2010年にも再出馬したが、オマリーに再度敗れた。 |
|||
アメリカ合衆国下院議員スティニー・ホイヤー(第5選挙区、民主党)は第110議会の多数派院内総務に選ばれて2007年から2011年まで務めた。その選挙区にはアナランデル郡とプリンスジョージズ郡の一部、州南部のチャールズ郡、カルバート郡、セントメアリーズ郡の全部が含まれている<ref>Steny Hoyer, Fifth Congressional District of Maryland. U.S. House of Representatives. Retrieved December 8, 2006 from http://hoyer.house.gov</ref>。 |
|||
メリーランド州は民主党の強固な地盤だが、最も著名な政治家は共和党の[[スピロ・アグニュー]]元知事であり、[[リチャード・ニクソン]]政権では[[アメリカ合衆国副大統領]]を務めた(在任1969年-1973年)。アグニューはメリーランド州知事時代に賄賂を受け取っていたことが暴露され、副大統領を辞任した。1973年後半、アグニューは税法違反で有罪となった。 |
|||
2010年の選挙では、共和党が多くの郡を制し、民主党はボルチモア市を含む8郡の支配に留まった。 |
|||
=== 死刑制度 === |
=== 死刑制度 === |
||
2013年3月に死刑廃止法案が州議会を通過し、2013年5月2日に州知事のマーチン・オマリーが法案に署名したことにより、[[死刑制度]]が廃止された<ref>[[アムネスティ・インターナショナル]](2013年5月13日)「[http://www.amnesty.or.jp/news/2013/0513_3951.html 米国:メリーランド州も死刑を廃止]」</ref>。 |
2013年3月に死刑廃止法案が州議会を通過し、2013年5月2日に州知事のマーチン・オマリーが法案に署名したことにより、[[死刑制度]]が廃止された<ref>[[アムネスティ・インターナショナル]](2013年5月13日)「[http://www.amnesty.or.jp/news/2013/0513_3951.html 米国:メリーランド州も死刑を廃止]」</ref>。 |
||
==経済== |
== 経済 == |
||
[[ファイル:Baltoport.jpg|thumb|300px|ボルチモア港]] |
|||
[http://wwww.bea.gov/ アメリカ合衆国経済分析局]は2004年のメリーランド州の州生産高が2,280億米ドルであると見込んでいる[http://www.bea.gov/bea/newsrel/gspnewsrelease.htm]。2003年の一人当たりの収入は合衆国内で5番目に位置する、37,446米ドルであった。 |
|||
[http://wwww.bea.gov/ アメリカ合衆国商務省経済分析局]は2006年のメリーランド州の州総生産高が2,570億米ドルであると推計した<ref name="growth2006">{{cite web|url=http://www.bea.gov/newsreleases/regional/gdp_state/2007/pdf/gsp0607.pdf|title=State Economic Growth Widespread in 2006|work=bea.gov|publisher=U.S. Department of Commerce: Bureau of Economic Analysis|format=PDF|accessdate=2009-08-11}}</ref>。しかし、メリーランド州はGDPのような成長指数だけでなく、州の発展を導くために福祉の指数である純粋進展指数を用いてきた<ref>{{cite news|last=Dolan|first=Karen|title=A better way of measuring progress in Maryland|url=http://www.baltimoresun.com/news/opinion/oped/bs-ed-measuring-progress-20120130,0,7700054.story|newspaper=Baltimore Sun|date=January 30, 2012}}</ref><ref>http://www.thesolutionsjournal.com/node/1070</ref>。国勢調査局統計では、2009年の世帯当たり収入中央値が69,272ドルとなり、全米一の裕福な州である<ref name="census1">{{cite web|author=American FactFinder, United States Census Bureau |url=http://factfinder.census.gov/servlet/GRTTable?_bm=y&-geo_id=01000US&-_box_head_nbr=R1901&-ds_name=ACS_2009_1YR_G00_&-redoLog=false&-format=US-30&-mt_name=ACS_2008_1YR_G00_R1901_US30&-CONTEXT=grt |title=U.S. Census Bureau, September 29, 2010 |publisher=Factfinder.census.gov |date= |accessdate=2010-10-24}}</ref>(第2位は[[ニュージャージー州]]、第3位は[[コネチカット州]]だった)。郡の単位ではハワード郡が第3位、モンゴメリー郡が第10位だった。また[[貧困線]]以下の人口比率は7.8%であり、全米最小である<ref>[http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2007/08/28/AR2007082800779.html?nav%3Drss_nation&sub=AR U.S. Poverty Rate Drops; Ranks of Uninsured Grow] washingtonpost.com.</ref><ref>[http://web.archive.org/web/20070930030825/http://www.baltimoresun.com/news/local/bal-te.md.census29aug29,0,3537917.story?coll=bal_tab01_layout Maryland is ranked as richest state] baltmioresun.com.(2007年9月30日時点の[[インターネット・アーカイブ|アーカイブ]])</ref><ref>[http://web.archive.org/web/20071016080423/http://www.foxnews.com/wires/2007Aug29/0,4670,Poverty,00.html US Poverty Rate Declines Significantly] FOXNews.com.(2007年10月16日時点の[[インターネット・アーカイブ|アーカイブ]])</ref>。2006年の一人当たりの収入は合衆国内で5番目に位置する、43,500米ドルだった。 |
|||
2012年3月時点で、失業率は6.6%だった<ref>[http://www.bls.gov/lau/ Bls.gov]; Local Area Unemployment Statistics</ref>。 |
|||
===カジノ=== |
|||
メリーランド州の経済活動は第三次サービス産業に強く集中しており、その地理的な位置づけに強く影響されている。サービス産業の1つが輸送業であり、ボルチモア港を中心に鉄道と徒タックが組み合わされている。港の2008年の取扱貨物量は国内第17位だった<ref>U.S. Army Corps of Engineers. Waterborne Commerce Statistics Center. New Orleans, LA. [http://www.iwr.usace.army.mil/ndc/wcsc/portname08.htm "Tonnage for Selected U.S. Ports in 2008."] Revised 2010-02-17.</ref>。取り扱う製品は多様であるが、最も多い輸入品は、鉄鉱石、石油、砂糖、肥料など原材料やばら積み資材であり、陸の輸送機関を介して内陸[[アメリカ合衆国中西部|中西部]]の比較的近い工業地帯に配送されるものが多い。幾つかのブランドの自動車も輸入しており、その数では国内第2位である。 |
|||
サービス産業の2つめはワシントンD.Cの連邦政府に近いという位置づけを生かしたものであり、防衛・航空産業やバイオ研究所などの技術や管理の業務があり、またボルチモア、ワシントンD.C地域の郊外部あるいは準郊外部にある政府の支所の職員がいる。さらに多くの教育や医療の研究機関がある。[[ジョンズ・ホプキンス大学]]とその医療研究施設の様々な部門が、ボルチモア地域では最大の雇用主である。またホワイトカラーの技術、管理職が州内労働力の25%を占めており、連邦政府職員の比率が高いワシントン大都市圏に属していることが寄与している。 |
|||
食品加工業も大きい。チェサピーク湾を中心とする商業漁業が大きな要素であるが、大西洋沿岸漁業も含まれている。漁獲対象はワタリガニ、[[カキ (貝)|カキ]]、[[ストライプドバス|シマスズキ]]、メンハーデンなどである。チェサピーク湾の野生生物保護区では越冬する水鳥も多い。これが観光の対象になっている。 |
|||
[[ファイル:CarrollCountyMD.jpg|thumb|250px|農業は州経済の重要部分である]] |
|||
州内海岸部とピードモント台地には広い肥沃な農地があるが、都市化によって徐々に侵食されてきている。山岳部の麓やピードモント台地では酪農が盛んであり、近くの大都市に乳製品を送る他、キュウリ、スイカ、スイートコーン、トマト、マスクメロン、カボチャ、豆類など生鮮野菜を栽培している。さらにチェサピーク湾西岸の南部郡は暖かいので、タバコが植民地時代以来の換金作物だったが、1990年代に州政府が買い上げるようになって大きく衰退してきた。南東部には機械化された大型養鶏場もある。ソールズベリーにはパーデュー農園がある。州内の食品加工工場は産出額で州内でも最も重要な製造業である。 |
|||
製造業は売り上げが大きいがかなり多様化しているために、その1部門で全体の20%を超えるようなものは無い。点綴的な製造部門は電子工業、コンピュータ機器、化学品である。かつては主要金属が主力であり、スパロウズポイントには世界最大の製鉄所があった時もあった。この製鉄所は現在もあるが、海外との競争に押されて破産し、会社は併合された。第二次世界大戦中、グレンマーティン社(現在の[[ロッキード・マーティン]])の航空機工場は4万人ほどを雇用していた。 |
|||
建材以外の鉱業は事実上石炭に限られ、鉱山は州西部の山岳地にある。東部の褐色砂岩採石場は、ボルチモアやワシントンで19世紀半ばの建築に強く影響を与え、かつては最大の自然資源だった。州内には小さな金鉱山があったこともあり、しかもワシントンの近くだったが、現在は残っていない。 |
|||
ボルチモア市は国内第8位の港であり、2006年に[[ドバイ・ポーツ・ワールド]]社の取引に関する論争では、戦略的に重要な位置づけにあったので、その中心になった。州全体の工業化が進んでおり、経済の好況と影響力のある技術の中心である。コンピュータ産業は国内でも進化しており、連邦政府はこの地域に大きな投資をしてきた。また州内には幾つかの大きな軍事基地があり、政府関連の仕事も多い。 |
|||
=== 税 === |
|||
メリーランド州の[[所得税]]は個人収入に応じて2%から6.25%の累進課税方式である<ref>{{cite web |
|||
|url=http://www.bankrate.com/brm/itax/edit/state/profiles/state_tax_Md.asp |
|||
|title=Maryland State taxes |
|||
|publisher=BankRate.com |
|||
|accessdate=2008-04-09 |
|||
}}</ref>。ボルチモア市と23郡は1.25%から3.2%の「抱き合わせ」地方税を加算している。地方政府は税率を設定し、歳入は四半期毎に地方政府に戻される。最大9.45%の税率は国内の州と地方政府の税率の中で5番目に高い。最高はニューヨーク市の11.35%、続いて[[カリフォルニア州]]の10.3%、[[ロードアイランド州]]の9.9%、バーモント州の9.5%となっている<ref>{{cite web|url=http://individuals.marylandtaxes.com/incometax/localtax.asp |title=Maryland Income Tax Information – Local Tax Rates |publisher=Individuals.marylandtaxes.com |date= |accessdate=2008-09-22}}</ref>。 |
|||
[[消費税]]率は6%である。不動産は全て資産税の対象になる。宗教、慈善、教育団体あるいは連邦政府、州、地方政府が所有する資産は免税である。資産税率は幅がある。資産税に制限や上限は無く、都市や郡が行政を行うために必要とみなす税率を設定できる。毎年増減あるいは同率に保持することもできる。税収の総額を上げるために税率を上げるならば、政府はそのことを広告し、新しい税率について公聴会を開かねばならない。これは、恒常税率制度と呼ばれている。 |
|||
=== バイオテクノロジー === |
|||
メリーランド州は生命科学の研究と開発の中心である。州内に400以上のバイオテクノロジー会社があり、国内第4位の集積である<ref>{{cite web|url=http://marylandbiocenter.org/Bioscience%20of%20Maryland/Pages/factsandfigures.aspx |title=Maryland's Bioscience Environment: 2009 |accessdate=2011-08-19 |publisher=The Maryland Biotechnology Center}}</ref>。 |
|||
州内にある研究と開発に関連する研究所や政府機関としては、[[ジョンズ・ホプキンス大学]]、ジョンズ・ホプキンス応用物理研究所、メリーランド大学の各キャンパス、[[ゴダード宇宙飛行センター]]、[[アメリカ合衆国国勢調査局]]、[[アメリカ国立衛生研究所]]、[[アメリカ国立標準技術研究所]]、国立精神医学研究所、[[アメリカ食品医薬品局]]、ハワード・ヒューズ医療研究所、[[セレラ]]・ゲノミックス社、ヒューマン・ゲノム科学、J・クレイグ・ベンター研究所、メドインミューン(近年、[[アストラゼネカ]]に買収)がある。 |
|||
=== 軍事関連施設 === |
|||
大統領専用機[[エアフォースワン]]([[VC-25]])が駐機することで有名な[[アンドルーズ空軍基地]]、フォート・ジョージ・G・ミードに[[アメリカ国家安全保障局]]、アナポリスに[[海軍兵学校 (アメリカ合衆国)|海軍兵学校]]、フォート・デトリックに陸軍感染症医学研究所がある。 |
|||
=== カジノ === |
|||
2008年11月6日、メリーランド州は州選挙で有権者が認可した公式委員会の承認要項に基づき、同州における[[スロットマシン]]賭博の導入を決定した。[[w:Martin O'Malley|マーチン・オマリー]]知事はこの賭博許可について、「州の予算、教育資金、州の競馬業界にとって有益である」と発表した。 |
2008年11月6日、メリーランド州は州選挙で有権者が認可した公式委員会の承認要項に基づき、同州における[[スロットマシン]]賭博の導入を決定した。[[w:Martin O'Malley|マーチン・オマリー]]知事はこの賭博許可について、「州の予算、教育資金、州の競馬業界にとって有益である」と発表した。 |
||
2009年9月28日、州政府はオーシャン・ダウンズの競馬場に、最高800台のスロットマシンの設置を認可する最初の免許を発行した。今後、この競馬場を含めた同州の5つの郡にスロットマシン賭博場が開設される予定である。 |
2009年9月28日、州政府はオーシャン・ダウンズの競馬場に、最高800台のスロットマシンの設置を認可する最初の免許を発行した。今後、この競馬場を含めた同州の5つの郡にスロットマシン賭博場が開設される予定である。 |
||
この5つの郡のうち、2番目の候補地としてセシル郡が名乗りを上げており、ボルチモア市はこの賭博施設設営のため410万ドルの予算配分を行った。大手カジノ業者「[[w:Penn National Gaming|ペン・ナショナル・ゲーミング]]」との協議によって1500台の |
この5つの郡のうち、2番目の候補地として[[セシル郡 (メリーランド州)|セシル郡]]が名乗りを上げており、ボルチモア市はこの賭博施設設営のため410万ドルの予算配分を行った。大手カジノ業者「[[w:Penn National Gaming|ペン・ナショナル・ゲーミング]]」との協議によって1500台のスロットマシン設置が計画されている。 |
||
ア |
アナランデル郡では娯楽業者「[[w:Cordish Company|コーディッシュ社]]」が、「[[w:Arundel Mills|アランデル・ミルズ・モール]]」に4750台のスロットマシン設置を計画しているが、州議会は慎重な姿勢を見せている。ボルチモア郡では業者が複合し、計画が遅れている。彼らは「ボルチモア・レイブンズ」の本拠競技場内にカジノ開設を求めている。 |
||
<!-- |
|||
== 交通 == |
|||
===主な会社など=== |
|||
アナランデル郡の未編入領域ハノーバーに本部を置くメリーランド州交通省が<ref>"[http://web.archive.org/web/20080528223826/http://www.mdot.state.md.us/Contact+Us/TSO+Executive+Staff+List_2 MDOT Departments]." ''Maryland Department of Transportation''. Retrieved on March 23, 2009.</ref>、各種管理レベルの機関を通じて州内の交通を監督している。ボルチモアに本部を置く独立系のメリーランド州交通公社が州内8か所の有料施設を維持管理している。 |
|||
{○○}州に本拠地のある企業には以下のようなものがある。 |
|||
=== 道路 === |
|||
[[ファイル:Map of Maryland NA.png|thumb|550px|州内の主要都市と道路]] |
|||
州内を通る州間高速道路は、延長110マイル (180 km) の95号線があり、州北東部から入り、ボルチモア市を通り、キャピタル・ベルトウェイ(495号線)の東部に合流して[[ウッドロウ・ウィルソン記念橋]]に向かう。68号線は州西部とハンコックという小さな町で70号線を繋ぐ、延長81マイル (130 km) である。70号線はハンコックの北、ペンシルベニア州から入り、ボルチモア市まで93マイル (150 km) 走り、道中でヘイガーズタウンやフレデリックを繋ぐ。 |
|||
83号線は延長34マイル (55 km) でボルチモア市とペンシルベニア州南中部(ハリスバーグ (ペンシルベニア州)ハリスバーグや[[ヨーク (ペンシルベニア州)|ヨーク]])を繋ぐ。[[州間高速道路81号線]]も11マイル (18 km) が州内を通り、ヘイガーズタウン近くを抜ける。97号線はアナランデル郡に全体が入る、1桁あるいは2桁の州間高速どうろとして2番目に短いものであり、ボルチモア地域とアナポリス地域を繋いでいる([[ハワイ州]]に最短の道路がある)。 |
|||
補助的な州間高速道路も幾つかある。その中の2本は主要都市を環状に回るものである。695号線、マッケルディン・ベルトウェイはボルチモアを取り巻いている。495号線、キャピタル・ベルトウェイはワシントンD.C.を取り巻いている。270号線はフレデリック地域と北バージニア、コロンビア特別区、ワシントンD.C.の北西郊外部を繋いでおり、主要な通勤道路であり、場所によっては14車線ある。 |
|||
270号線とキャピタル・ベルトウェイはどちらも渋滞が激しい。しかし、インターカウンティ・コネクター、略号ICCが渋滞を幾らか緩和できると期待されている。ICCの建設は前知事ロバート・アーリックの選挙公約で主要部だった。アーリックは州知事を2003年から2007年まで務め、後継者のマーティン・オマリーも同じ公約を掲げている。595号線はアメリカ国道50号線および同301号線と合流し、国内でも表示のない州間高速道路として最長であり、プリンスジョージズ郡とワシントンD.C.、アナポリスを繋ぎ、チェサピーク湾橋を介して東海岸部に渡る。 |
|||
[[ファイル:Chesapeake Bay Bridge.jpg|thumb|right|upright|チェサピーク湾橋、東海岸部と西海岸部を繋ぐ、リゾート地のオーシャンシティに行く観光ルート]] |
|||
州内には2号線から999号線までつけられた州道の体系もある。ただし番号の大きな州道は表示が無いか、比較的短距離である。主な州道としては、2号線、4号線、5号線、32号線、45号線、97号線、100号線、210号線、235号線、295号線、355号得sン、404号線、650号線がある。 |
|||
=== 空港 === |
|||
州内最大の空港は[[ボルチモア・ワシントン国際空港|ボルチモア・ワシントン国際サーグッド・マーシャル空港]]である。1950年に建設されたときはフレンドシップ空港と呼ばれ、2005年にボルチモア生まれでアフリカ系アメリカ人初の最高裁判所判事になった[[サーグッド・マーシャル]]の名前が付けられた。商業便がある空港としてはヘイガーズタウン地域空港とソールズベリー地域空港がある。ワシントンD.C.郊外では、北バージニアにある[[ロナルド・レーガン・ワシントン・ナショナル空港]]と[[ワシントン・ダレス国際空港]]が利用できる。カレッジパーク空港は1909年に設立された国内最古の空港であり、現在も利用されている。ウィルバー・ライト([[ライト兄弟]]の兄)がここで軍隊飛行士を訓練した<ref>www.collegeparkaviationmuseum.com</ref><ref>{{cite web |url=http://dmna.state.ny.us/historic/articles/humphrey.htm |title=Frederick E. Humphreys: First Military Pilot |publisher=New York State Division of Military and Naval Affairs: Military History |date=December 9, 2008 |accessdate=November 23, 2010 }}</ref>。 |
|||
[[ファイル:Ellicott City Station 1970.jpg|thumb|left|200px|エリコットシティ駅、[[ボルチモア・アンド・オハイオ鉄道]]では最古の現存する乗客駅、この路線は[[CSXトランスポーテーション]]が使用しており、駅は博物館になっている]] |
|||
=== 鉄道 === |
|||
ワシントンD.C.と[[ボストン]]を結ぶ[[北東回廊]]を走る高速の[[アセラ・エクスプレス]]など[[アムトラック]]の列車が、ボルチモアのペン駅、BWI空港駅、ニューキャロルトン駅、アバディーン駅に停車している。さらに[[ロックビル駅]]とカンバーランドには、ワシントンD.C.と[[シカゴ]]を結ぶアムトラックの[[キャピトル・リミテッド]]が停車する。 |
|||
ワシントン首都圏交通公社のメトロレイル高速鉄道とメトロバスのバス体系がモンゴメリー郡とプリンスジョージズ郡、で運行し、ワシントンD.C.とを結んでいる。急行メトロバスはBWI空港とを結んでいる。メリーランド州交通省の機関であるメリーランド交通管理部も州内の交通網を提供している。ボルチモア市に本部があり、州中部と東海岸部や南部の一部を繋いでいる。ボルチモア市の[[ライトレール]]とメトロ地下鉄は、人口の多い都心部と郊外を結んでいる。メリーランド交通管理部はまた市および郊外部と地方バスとを繋いでいる。その通勤バスはワシントンD.C.とボルチモアから州中部および南部や東海岸部を繋ぐ長距離路線も運行している。マークと呼ばれる通勤鉄道は3本の路線を運行しており、すべてワシントンの[[ユニオン駅 (ワシントンD.C.)|ユニオン駅]]を発着点とし、ボルチモアのペン駅、カムデン、ペリービル、フレデリック、ウェストバージニア州のマーティンズバーグ各駅まで繋いでいる。さらに多くの郊外郡が独自のバス体系を運行し、メリーランド交通管理部やワシントン首都圏交通公社の補助的な役割を果たしている。 |
|||
貨物鉄道は、2つの[[一級鉄道]]と、幾つかの小さな地方鉄道会社が運行している。[[CSXトランスポーテーション]]が州内に総延長560マイル (900 km) の広範な鉄道網を持ち<ref name="CSXT">CSX Transportation. Jacksonville, FL (2010). [http://www.csx.com/index.cfm/about-csx/company-overview/state-fact-sheets/maryland/ "CSX and Maryland."]</ref>、続いて[[ノーフォーク・サザン鉄道]]がある。大きな操車場がボルチモア市とカンバーランド市にある<ref name="CSXT" />。[[インターモーダル輸送]]の駅はボルチモア市にある<ref>Maryland Port Administration. Baltimore, MD. [http://mpa.maryland.gov/content/seagirt-marine-terminal.php "Seagirt Marine Terminal."] Retrieved 2011-10-31.</ref>。 |
|||
=== 船舶用運河 === |
|||
チェサピーク・アンド・デラウェア運河は東海岸部にある長さ14マイル (23 km) の運河であり、デラウェア川とチェサピーク湾、特にボルチモア港を繋ぎ、この港の船舶の40%が利用している<ref>U.S. Army Corps of Engineers. Philadelphia, PA. [http://www.nap.usace.army.mil/sb/c&d.htm "The Chesapeake and Delaware Canal."]. Retrieved 2010-06-27.</ref>。 |
|||
== 教育 == |
|||
=== 初等中等教育 === |
|||
[[ファイル:Memorial Chapel at UMCP, front view off-center, August 21, 2006.jpg|thumb|right|upright|州内最大の大学である[[メリーランド大学カレッジパーク校]]の記念礼拝堂]] |
|||
公立の初等中等教育はメリーランド州教育省が監督しており、ボルチモア市に本部がある<ref>"[http://www.marylandpublicschools.org/MSDE/aboutmsde/department_info.htm About MSDE]." ''Maryland State Department of Education''. Retrieved on March 22, 2009.</ref>。州教育部門の長は州教育監督官であり、教育委員会が指名し、任期は4年間である。州議会は監督官と教育委員会に対して、教育関連の判断については裁量権を与えており、公共教育の日々の機能には干渉を制限している。各郡とボルチモア市には地方教育委員会があり、公立学校の運営と特別な管理を行わせている。 |
|||
州の教育予算は2009年で55億ドルであり、州の一般会計予算の約40%に相当している<ref>{{cite web|url=http://www.gazette.net/stories/10302009/poliedi181547_32521.shtml |title=Slicing education? |accessdate=November 12, 2009 |date=October 30, 2009 |work=gazette.net |publisher=The Gazette |page=A-9 |quote=As it stands, the $5.5 billion Maryland spends on education makes up about 40 percent of the general fund budget.... }}</ref>。 |
|||
州内には幅広い私立の初等中等教育学校がある。これらの多くは、カトリック教の教区学校、クエーカー、[[セブンスデー・アドベンチスト教会]]、ユダヤ教など様々な宗派に属している。2003年メリーランド州法が変更され、公的資金によるチャータースクール創設が認められた。ただしチャータースクールは地方の教育委員会に承認されねばならず、団体交渉法など教育に関する州法の適用を除外されない。 |
|||
2008年、州は飛び級試験に合格する生徒の比率について全郡を指導した。2008年5月の試験では23.4%の生徒が合格した。これはメリーランド州がその栄誉を得た最初の年になった<ref>{{cite news|url=http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2009/02/04/AR2009020401459.html|title=Md. Leads U.S. in Passing Rates on AP Exams|last=de Vise|first=Daniel|date=5 February 2009|newspaper=Washington Post|pages=B1|accessdate=2009-02-18}}</ref>。この成績で州内の3つの高校が国内100傑に入った<ref>{{cite web|url=http://www.usnews.com/articles/education/high-schools/2008/12/04/best-high-schools-gold-medal-list.html?PageNr=1 |title=Best High Schools: Gold Medal List |work=usnews.com |publisher=U.S. News & World Report |accessdate=November 7, 2009 }}</ref>。 |
|||
=== 単科及び総合大学 === |
|||
:''主要記事:[[w:List of colleges and universities in Maryland|List of colleges and universities in Maryland]]}} |
|||
州内には歴史があり著名な私立カレッジと大学が数校あり、なかでも1876年に設立された[[ジョンズ・ホプキンス大学]]はボルチモアの事業家ジョンズ・ホプキンスから認可を得たものである。 |
|||
州内初の公立大学はメリーランド大学ボルチモア校であり、1807年に設立され、メリーランド大学システムの中では唯一、医学校、ヒューマンサービス、法学校が入っている。7つの学部と大学院で州内の医師、看護師、歯科医師、弁護士、ソーシャルワーカー、薬剤師の大半を訓練している<ref>University of Maryland, Baltimore; http://www.umaryland.edu/about/</ref>。州内最大の大学は[[メリーランド大学カレッジパーク校]]であり、1856年にメリーランド農学カレッジとして設立され、1864年には公立の[[ランドグラント大学]]となった。1866年に設立されたタウソン大学は、州内第2の大きさの大学である。ボルチモア市にはメリーランド芸術カレッジがある。公立大学の大半はメリーランド大学システムに入っている。モーガン州立大学とセントメアリーズ・メリーランドカレッジという2つの州立機関、および健康科学統一サービス大学と[[海軍兵学校 (アメリカ合衆国)|海軍兵学校]]という2つの連邦政府機関はメリーランド大学システムに入っていない。 |
|||
アナポリスのセントジョンズ・カレッジとチェスタートンのワシントン・カレッジはどちらも私立であり、州内では最古のカレッジであり、国内でも最古クラスである。その他の私立大学として、マウントセントメアリーズ大学、マクダニエル・カレッジ、フッド・カレッジ、スティーブンソン大学、ロヨラ大学メリーランド校、グーシャー・カレッジ、ソールズベリー大学がある。 |
|||
===主な産業など=== |
|||
--> |
|||
==教育== |
|||
===単科及び総合大学=== |
|||
<table><tr><td valign=top> |
<table><tr><td valign=top> |
||
*Alleghany College of Maryland |
* Alleghany College of Maryland |
||
*[[w:Anne Arundel Community College]] |
* [[w:Anne Arundel Community College]] |
||
*[[w:Baltimore City Community College]] |
* [[w:Baltimore City Community College]] |
||
*[[w:Baltimore Hebrew University]] |
* [[w:Baltimore Hebrew University]] |
||
*[[w:Baltimore International College]] |
* [[w:Baltimore International College]] |
||
*[[w:Carroll Community College]] |
* [[w:Carroll Community College]] |
||
*[[w:Capitol College]] |
* [[w:Capitol College]] |
||
*Cecil Community College |
* Cecil Community College |
||
*[[w:Chesapeake College]] |
* [[w:Chesapeake College]] |
||
*[[w:College of Notre Dame of Maryland]] |
* [[w:College of Notre Dame of Maryland]] |
||
*College of Southern Maryland |
* College of Southern Maryland |
||
*[[w:Columbia Union College]] |
* [[w:Columbia Union College]] |
||
*Community College of Baltimore County |
* Community College of Baltimore County |
||
*Frederick Community College |
* Frederick Community College |
||
*[[w:Frostburg State University]] |
* [[w:Frostburg State University]] |
||
*Garrett College |
* Garrett College |
||
*[[w:Goucher College]] |
* [[w:Goucher College]] |
||
*Hagerstown Community College |
* Hagerstown Community College |
||
*[[w:Hood College]] |
* [[w:Hood College]] |
||
*[[w:Howard Community College]] |
* [[w:Howard Community College]] |
||
*[[ジョンズ・ホプキンス大学]] |
* [[ジョンズ・ホプキンス大学]] |
||
*[[w:Loyola College]] |
* [[w:Loyola College]] |
||
*[[w:Maryland Institute College of Art]] |
* [[w:Maryland Institute College of Art]] |
||
*[[w:McDaniel College]] |
* [[w:McDaniel College]] |
||
*[[w:Montgomery College]] |
* [[w:Montgomery College]] |
||
*[[w:Morgan State University]] |
* [[w:Morgan State University]] |
||
*[[w:Mount St. Mary's University]] |
* [[w:Mount St. Mary's University]] |
||
</td><td valign=top> |
</td><td valign=top> |
||
*Prince George's Community College |
* Prince George's Community College |
||
*[[w:St. John's College, U. S.|St. John's College, Annapolis]] |
* [[w:St. John's College, U. S.|St. John's College, Annapolis]] |
||
*[[w:St. Mary's College of Maryland]] |
* [[w:St. Mary's College of Maryland]] |
||
*[[w:Sojourner-Douglass College]] |
* [[w:Sojourner-Douglass College]] |
||
*[[w:Uniformed Services University of the Health Sciences]] |
* [[w:Uniformed Services University of the Health Sciences]] |
||
*[[海軍兵学校 (アメリカ合衆国)|海軍兵学校]] |
* [[海軍兵学校 (アメリカ合衆国)|海軍兵学校]] |
||
*[[w:University System of Maryland]] |
* [[w:University System of Maryland]] |
||
**[[w:Bowie State University]] |
** [[w:Bowie State University]] |
||
**[[w:Coppin State University]] |
** [[w:Coppin State University]] |
||
**[[w:Frostburg State University]] |
** [[w:Frostburg State University]] |
||
**[[w:Salisbury University]] |
** [[w:Salisbury University]] |
||
**[[w:Towson University]] |
** [[w:Towson University]] |
||
**[[ボルティモア大学]] |
** [[ボルティモア大学]] |
||
**[[メリーランド大学ボルティモア校]] |
** [[メリーランド大学ボルティモア校]] |
||
**[[w:University of Maryland Baltimore County]] |
** [[w:University of Maryland Baltimore County]] |
||
**[[メリーランド大学|メリーランド大学カレッジ・パーク校]] |
** [[メリーランド大学|メリーランド大学カレッジ・パーク校]] |
||
**[[w:University of Maryland Eastern Shore]] |
** [[w:University of Maryland Eastern Shore]] |
||
**[[w:University of Maryland University College]] |
** [[w:University of Maryland University College]] |
||
**[[w:University of Maryland Center for Environmental Science]] |
** [[w:University of Maryland Center for Environmental Science]] |
||
**[[w:University of Maryland Biotechnology Institute]] |
** [[w:University of Maryland Biotechnology Institute]] |
||
**[[w:Universities at Shady Grove]] |
** [[w:Universities at Shady Grove]] |
||
*Washington Bible College |
* Washington Bible College |
||
*[[w:Washington College]] |
* [[w:Washington College]] |
||
*[[w:Wor-Wic Community College]] |
* [[w:Wor-Wic Community College]] |
||
*[[w:Villa Julie College]] |
* [[w:Villa Julie College]] |
||
</td></tr></table> |
</td></tr></table> |
||
==芸術・文化== |
== 芸術・文化 == |
||
<!-- |
<!-- |
||
===劇場=== |
===劇場=== |
||
280行目: | 766行目: | ||
===オーケストラなど=== |
===オーケストラなど=== |
||
--> |
--> |
||
===プロスポーツチーム=== |
=== プロスポーツチーム === |
||
[[ファイル:CamdenYards 2005-05-08.jpg|thumb|right|[[オリオール・パーク・アット・カムデン・ヤーズ]]]] |
[[ファイル:CamdenYards 2005-05-08.jpg|thumb|right|[[オリオール・パーク・アット・カムデン・ヤーズ]]]] |
||
<table><tr><td valign=top> |
<table><tr><td valign=top> |
||
*[[NFL]] |
* [[NFL]] |
||
**[[ボルチモア・レイブンズ]] |
** [[ボルチモア・レイブンズ]] |
||
**[[ワシントン・レッドスキンズ]] |
** [[ワシントン・レッドスキンズ]] |
||
*[[ワシントン・ベイホークス]]、[[メジャーリーグ・ラクロス]] |
* [[ワシントン・ベイホークス]]、[[メジャーリーグ・ラクロス]] |
||
*[[w:Baltimore Blast]]、[[w:Major Indoor Soccer League]] |
* [[w:Baltimore Blast]]、[[w:Major Indoor Soccer League]] |
||
*[[ボルチモア・オリオールズ]]、[[メジャーリーグベースボール|MLB]] |
* [[ボルチモア・オリオールズ]]、[[メジャーリーグベースボール|MLB]] |
||
</td><td valign=top> |
</td><td valign=top> |
||
*[[マイナーリーグ|マイナーリーグ野球チーム]] |
* [[マイナーリーグ|マイナーリーグ野球チーム]] |
||
**[[w:Hagerstown Suns]] |
** [[w:Hagerstown Suns]] |
||
**[[w:Bowie Baysox]] |
** [[w:Bowie Baysox]] |
||
**[[w:Frederick Keys]] |
** [[w:Frederick Keys]] |
||
**[[w:Aberdeen IronBirds]] |
** [[w:Aberdeen IronBirds]] |
||
**[[w:Delmarva Shorebirds]] |
** [[w:Delmarva Shorebirds]] |
||
</td></tr></table> |
</td></tr></table> |
||
<!-- |
<!-- |
||
==日本との関連== |
== 日本との関連 == |
||
--> |
--> |
||
==その他== |
== その他 == |
||
===同州出身の有名人=== |
=== 同州出身の有名人 === |
||
*[[ビック・ウィリス]] - 野球選手 ([[アメリカ野球殿堂]]表彰者) |
* [[ビック・ウィリス]] - 野球選手 ([[アメリカ野球殿堂]]表彰者) |
||
*[[ボウイ・クーン]] - MLBコミッショナー・弁護士 (アメリカ野球殿堂表彰者) |
* [[ボウイ・クーン]] - MLBコミッショナー・弁護士 (アメリカ野球殿堂表彰者) |
||
*[[レフティ・グローブ]] - 野球選手 (アメリカ野球殿堂表彰者) |
* [[レフティ・グローブ]] - 野球選手 (アメリカ野球殿堂表彰者) |
||
*[[アル・ケーライン]] - 野球選手 (アメリカ野球殿堂表彰者) |
* [[アル・ケーライン]] - 野球選手 (アメリカ野球殿堂表彰者) |
||
*[[ジュディ・ジョンソン]] - 野球選手 (アメリカ野球殿堂表彰者) |
* [[ジュディ・ジョンソン]] - 野球選手 (アメリカ野球殿堂表彰者) |
||
*[[ジミー・フォックス]] - 野球選手 (アメリカ野球殿堂表彰者) |
* [[ジミー・フォックス]] - 野球選手 (アメリカ野球殿堂表彰者) |
||
*[[フランク・ベーカー (1886年生の内野手)|フランク・ベーカー]] - 野球選手 (アメリカ野球殿堂表彰者) |
* [[フランク・ベーカー (1886年生の内野手)|フランク・ベーカー]] - 野球選手 (アメリカ野球殿堂表彰者) |
||
*[[ハロルド・ベインズ]] - 野球選手 |
* [[ハロルド・ベインズ]] - 野球選手 |
||
*[[カル・リプケン・ジュニア]] - 野球選手 (アメリカ野球殿堂表彰者) |
* [[カル・リプケン・ジュニア]] - 野球選手 (アメリカ野球殿堂表彰者) |
||
*[[ベーブ・ルース]] - 野球選手 (アメリカ野球殿堂表彰者) |
* [[ベーブ・ルース]] - 野球選手 (アメリカ野球殿堂表彰者) |
||
*[[ジョン・バース]] - 作家 (メリーランドを舞台にした小説『酔いどれ草の仲買人』が代表作) |
* [[ジョン・バース]] - 作家 (メリーランドを舞台にした小説『酔いどれ草の仲買人』が代表作) |
||
=== |
=== 州の象徴など === |
||
* 州の鳥 - ムクドリモドキ Baltimore Oriole |
|||
*主要な州間高速道路Interstate Highway は、I-68, I-70, I-81, I-83, I-95, I-97, I-195, I-270, I-370, I-395, I-495, I-695, I-795, I-895. |
|||
* 州の木 - 白樫 White Oak |
|||
* 州の花 - 黒い瞳のスーザン Black-Eyed Susan |
|||
=== 日本の姉妹都市 === |
|||
*主要な国際空港は、ボルティモア・ワシントン国際空港 Baltimore - Washington International Thurgood Marshall Airport (BWI)、レーガン国際空港 Reagan National Airport、 ダレス国際空港 Dulles International Airport の 3 国際空港と7地方空港がある。 |
|||
* (日本) - (州内)、[[年]] |
|||
* ([[神奈川県]]) - (メリーランド州) |
|||
* ([[神奈川県]][[川崎市]]) - ([[ボルティモア|ボルティモア市]]) |
|||
== 脚注 == |
|||
*主要な港湾は、ボルティモア港 Port of Baltimore |
|||
{{reflist|30em}} |
|||
== 参考文献 == |
|||
*主要な鉄道は、CSX 鉄道や Norfolk Southern 鉄道を含み7路線が運行している。 |
|||
{{Refbegin}} |
|||
* {{Cite book|title=Maryland, A Middle Temperament: 1634-1980 |last=Brugger |first=Robert J. |authorlink= |year=1988 |publisher=Johns Hopkins University Press |location=Baltimore |isbn=0-8018-5465-2 |page= |pages= |url=http://books.google.com/?id=fNspu2FxwUwC&lpg=PP1&dq=Maryland%2C%20A%20Middle%20Temperament&pg=PP1#v=onepage&q |accessdate=}} |
|||
* Davis, William Wilkins. ''Religion and Politics in Maryland on the Eve of the Civil War: The Letters of W. Wilkins Davis''. Foreword by Charles W. Mitchell. 1988; rev. ed., Eugene, Ore.: Wipf & Stock, 2009. |
|||
* {{Cite book|title=Maryland: A History of its People |last=Chappelle |first=Susan Ellery Green; et al. |authorlink= |coauthors= |year=1986 |publisher=Johns Hopkins University Press |location=Baltimore |isbn=0-8018-3005-2 |page= |pages= |url=http://books.google.com/?id=zw87C-gF8GgC&lpg=PP1&dq=Maryland%3A%20A%20History%20of%20its%20People&pg=PP1#v=onepage&q |accessdate=}} |
|||
* {{Cite book|title=A Southern Star for Maryland |last=Denton |first=Lawrence M.|authorlink= |year=1995 |publisher=Publishing Concepts |location=Baltimore |isbn=0-9635159-3-4 |page= |pages= |url= |accessdate=}} |
|||
{{Refend}} |
|||
== 関連項目 == |
|||
* [[メリーランド州の都市圏の一覧]] |
|||
* [[メリーランド州の郡一覧]] |
|||
* [[キャンプデービッド]] - 州の国立公園内にあり、大統領専用の別荘として使われている。 |
|||
== 外部リンク == |
|||
===州の象徴など=== |
|||
*州の鳥 - ムクドリモドキ Baltimore Oriole |
|||
*州の木 - 白樫 White Oak |
|||
*州の花 - 黒い瞳のスーザン Black-Eyed Susan |
|||
===日本の姉妹都市=== |
|||
*(日本) - (州内)、[[年]] |
|||
*([[神奈川県]]) - (メリーランド州) |
|||
*([[神奈川県]][[川崎市]]) - ([[ボルティモア|ボルティモア市]]) |
|||
==脚注== |
|||
{{reflist}} |
|||
==関連項目== |
|||
*[[メリーランド州の都市圏の一覧]] |
|||
*[[メリーランド州の郡一覧]] |
|||
*[[w:Bethesda%2C_Maryland|Bethesda]] - (ベセスダ)には「ヒトゲノムプロジェクト」に於いて中心的な役割を果たした[[国立衛生研究所]](NIH)があり、Rockville(ロックビル)には合衆国の食品医薬局FDA があって、メリーランド州内には50以上の国家研究所や世界的な専門研究・調査施設がある。 |
|||
*[[キャンプデービッド]] - 州の国立公園内にあり、大統領専用の別荘として使われている。 |
|||
==外部リンク== |
|||
{{commons|Category:Maryland}} |
{{commons|Category:Maryland}} |
||
*[http://www. |
* [http://www.maryland.gov/Pages/default.aspx 州政府] |
||
* [http://visitmaryland.org/Pages/MarylandHome.aspx The Official Site of the Maryland Office of Tourism(英語版)] |
|||
*[http://www.choosemaryland.com/ 州政府商務経済開発省DBED (英語)] |
|||
*[http://visitmaryland.org/Pages/Welcome.aspx The Official Site of the Maryland Office of Tourism(英語版)] |
|||
*[http://www.cgj.org/ 在ニューヨーク日本国総領事館] |
|||
*[http://tonto.eia.doe.gov/state/state_energy_profiles.cfm?sid=MD Energy Data & Statistics for Maryland] |
|||
*[http://www.usgs.gov/state/state.asp?State=MD USGS real-time, geographic, and other scientific resources of Maryland] |
|||
*[http://quickfacts.census.gov/qfd/states/24000.html U.S. Census Bureau] |
|||
*[http://www.newadvent.org/cathen/09755b.htm Catholic Encyclopedia article] |
|||
*[http://www.ers.usda.gov/StateFacts/MD.htm Maryland State Facts] |
|||
*{{dmoz|Regional/North_America/United_States/Maryland}} |
|||
* {{osmrelation-inline|162112}} |
|||
{{メリーランド州}} |
{{メリーランド州}} |
||
{{アメリカ合衆国の州}} |
{{アメリカ合衆国の州}} |
||
{{Coord|display=title|39|N|76.7|W|region:US-MD_type:adm1st_scale:3000000}} |
|||
{{us-stub}} |
|||
{{Link FA|am}} |
{{Link FA|am}} |
||
{{DEFAULTSORT:めりらんと}} |
|||
[[Category:アメリカ合衆国の州]] |
|||
[[Category:メリーランド州|*]] |
[[Category:メリーランド州|*]] |
||
[[Category:1788年に設立された州・地域 |
[[Category:1788年に設立された州・地域]] |
2013年6月22日 (土) 12:49時点における版
- メリーランド州
- State of Maryland
-
(州旗) (州章) - 州の愛称: 伝統ある州
Old Line State - 州のモットー: 強い行動、優しい言葉
-
州都 アナポリス 最大の都市 ボルティモア 州知事 マーチン・オマリー 公用語 法的指定なし 面積
- 総計
- 陸地
- 水域全米第42位
32,133 km²
25,314 km²
6,819 km² (21.2%)人口(2010年)
- 総計
- 人口密度全米第19位
5,773,552人
230人/km²合衆国加入
- 順番
- 加入年月日
7番目
1788年4月28日時間帯 UTC -5
DST -4緯度 北緯37°53' - 39°43' 経度 西経75°3' - 79°29' 東西の幅 163 km 南北の長さ 400 km 標高
-最高標高
-平均標高
-最低標高
1,024 m
110 m
0 m略称 (ISO 3166-2:US) US-MD
ウェブサイト メリーランド州政府 上院議員 バーバラ・ミクルスキ
ベン・カーディン
メリーランド州(英: state of Maryland、略号MD、[ˈmɛr[無効な指定です: 'i-']lənd] ( 音声ファイル)[1])は、アメリカ合衆国東部大西洋岸にあり、ワシントンD.C.に隣接して大西洋岸中部地域(en:Mid-Atlantic States)を構成する州の一つである。アメリカ合衆国50州の中で、陸地面積では第42位、人口では第19位である。人口密度が高い。南と西はバージニア州、ウェストバージニア州、ワシントンD.C.に、北はペンシルベニア州、東はデラウェア州と接している。
州名の由来は、当時、イングランド国内で禁じられていたカトリック信仰の擁護者的存在になったヘンリエッタ・マリア・オブ・フランス王妃(イングランド内戦・ピューリタン革命で処刑されることになるチャールズ1世の妃)の名前であり、イギリス植民地時代に彼女の栄誉を称えて名付けられた[2][3]。当時、勅許で与えられた名前は"Terra Mariae, anglice, Maryland"だった。ただし多くの歴史家は、ジョージ・カルバートが1632年に死ぬ前に、イエスの母マリアに因んで名付けたと考えている[4][5][6]。
州都はアナポリス市、最大都市はボルティモア市である。世帯当たり収入の中央値では50州の中で最も高い州である[7]。
歴史
メリーランドはアメリカで最も古い州の一つで、16世紀初頭にはイタリア人が訪れ、1608年イギリス人ジョン・スミスがここを探検して地図に記している。
1631年にチェサピーク湾のケント島に交易所が設置され、1631年から1634年にかけてイギリスのチャールズ1世がカルバート卿(ボルティモア男爵)に領土を与えた。1691年6月から1715年5月までイギリスの王室領となった。
アメリカ独立戦争(1775-1783年)ではメリーランドの兵士は勇敢に戦った。ボルティモアに今も残るマクヘンリー砦は、米英戦争の1814年に再び攻めてきたイギリス軍と25時間にわたる激しい戦いを繰り広げ、頑強に耐え抜いた場所である。戦いの後に要塞に堂々とたなびく星条旗を仰いで、フランシス・スコット・キーが「星条旗」という詩を詠み、それが1931年に現在のアメリカ国歌となった。
1783年11月から9ヶ月間はアナポリスの議事堂が「国会議事堂」となり、1784年1月にはその議事堂でパリ条約が批准されて、アメリカ合衆国が正式に誕生した。その間事実上「合衆国の首都」であったわけで、大統領のワシントンやジェファーソン、モンロー等の足跡がある。奴隷制度を保持していたが、1861-1865年の南北戦争ではリー将軍率いる南軍の北上を引き止め、北軍の一員として戦った。
17世紀
1629年、アイルランド貴族の初代ボルティモア男爵ジョージ・カルバートが、北のニューファンドランド島でアバロン植民地の経営に失敗した直後、国王チャールズ1世に、後にメリーランド植民地となる地域の勅許を申請した。カルバートはカトリック教徒であり、新世界にカトリック教徒のための安息地を作る望みがあったので、植民地創設に興味を抱いた。バージニア植民地でタバコを売って利益を上げたように、ここで利益を上げ、ニューファンドランド島での失敗により被った損失を取り戻したいとも考えていた[8][9]。
ジョージ・カルバートは1632年4月に死んだが、メリーランド植民地に対する勅許は、1632年6月20日にその息子第2代ボルティモア男爵セシリウス・カルバートが引き継いだ。この新植民地は、チャールズ1世の妻であるヘンリエッタ・マリア・オブ・フランスに因んで名付けられた可能性がある[10]。勅許状に書かれていた名称は "Terra Mariae, anglice, Maryland" とされていた。ラテン語の "Mariae" は異端であるスペイン・イエズス会のフアン・デ・マリアナと関連づけられることもあって、ラテン語よりも英語の名前が好まれた[8][9]。イギリスのカトリック教徒の逃避場とすることも目的の1つでメリーランドを設立したカルバート家は、イングランドとその植民地で優勢なイングランド国教会に従わないカトリック教徒開拓者やその他の信者を保護する法を成立させようとした。このことが1649年のメリーランド寛容法の成立に繋がった。これは宗派に関係なく信仰する権利を保障した最初の法律になった[11]。
メリーランドは開拓者を受け入れるために、ジェームズタウンで始められたヘッドライト・システム(人頭権)とよばれる制度を使った。開拓者は植民地に連れてきた人員1人ずつに50エーカー (200,000 m2) の土地が与えられた。これは開拓者、年季奉公者、奴隷によらず勘定された。
1634年3月25日、ボルティモア卿は最初の開拓者を現地に送り込んだ。このときの開拓者の多くはプロテスタントだったが、間もなくカトリック教徒が政治的に高い権限を獲得したことで、イギリス帝国の中でも数少ない領域の1つとなった。またイングランドで有罪とされた囚人を年季奉公人として数多く送り込むための重要な目的地にもなった。
メリーランドを定めた王室勅許には、ポトマック川の全長にわたってその北岸から北緯40度線までと定められていた。チャールズ2世がペンシルベニアの勅許を発行したときに問題が生じた。ペンシルベニア南側の境界は、メリーランド北側境界である北緯40度線に一致していた。しかし、その勅許に使われた言葉を見ると、チャールズ2世とウィリアム・ペンが北緯40度線はニューキャッスル (デラウェア州)の近くを通るものと考えており、ペンは既にそこを植民地の首都とする地に選んでいた。この問題が1681年に発見された後は交渉が続いた。
1682年、この問題を解決するための妥協案をチャールズ2世が提案した。それは以前メリーランドの一部だった現在のデラウェア州に対する追加勅許をペンが受け取るというものだった[12]。その後も問題は未解決のまま1世紀近くも論争が続いた。メリーランドを支配するカルバート家の子孫と、ペンシルベニアを支配するペン家の子孫がその当事者だった[12]。
18世紀
この紛争はペンシルベニアとメリーランドの境界紛争であるクレサップの戦争(コノジョキュラー戦争とも呼ばれる)に繋がり、1730年代に戦われた。1730年、資産権や法の執行に関する論争から一連の暴力事件が起こったことで敵対関係が始まり、その後の5年間で加速され、1736年にはメリーランドが、1737年にはペンシルベニアが軍隊を動員した。イギリス王ジョージ2世の仲裁で1738年5月に武力衝突は終わり、休戦交渉が強制された。1732年には暫定合意にまで至った[12]。
交渉は1760年に調印された最終合意まで続いた。この合意によりメリーランドの境界は現在デラウェア州およびペンシルベニア州と共有しているものに定義された。メリーランドとペンシルベニアの境界は、フィラデルフィア市の南端から南15マイル (24 km) の線とされ、これがメイソン・ディクソン線と呼ばれるようになった。デラウェアとの境界は、デルマーバ半島の横断線と、ニューキャッスル市を囲む12マイル円となった[12]。
バージニアがイングランド国教会を植民地の国教に指定すると、多くのピューリタンがバージニアからメリーランドに流れてきた。かれらはプロビデンスと呼ばれた地(現在のアナポリス)に土地を与えられた。1650年、ピューリタンが領主政府に対して革命を起こして新政府を樹立し、カトリック教もイングランド国教会も禁止した。1654年3月、第2代ボルティモア男爵セシリウス・カルバートが、ウィリアム・ストーン知事に指揮をさせて軍隊を派遣し、この反乱を鎮めようとしたが、後にセバーンの戦いと呼ばれるようになったアナポリス近くでの戦闘で、決定的な敗北を喫した[13][14]。
このピューリタン革命でカトリック教徒を迫害しているとき、プロテスタントがメリーランド南部にあった当初のカトリック教会全てを焼き払った。ピューリタン革命は1658年まで続いた。この年、カルバート家が植民地の支配を取り戻し、寛容法を再度執行した。しかし、1688年にイングランドで名誉革命が起こり、オラニエ公ウィリアムが王座に就いてプロテスタント信仰を制度化すると、メリーランドではカトリックを違法にした。この状態はアメリカ独立戦争が終わるまで続いた。裕福なカトリック教徒農園主は、その領地内に礼拝堂を建設し、人知れずその信仰を続けた。
当初のメリーランド植民地ではセントメアリーズシティが最大の町であり、1708年まで植民地政府が置かれていた。この町は現在歴史的な場所とされ、小さな観光地になっている。1708年、首都はアナポリスと改名されていたプロビデンスに移された。改名されたのは1694年であり、当時デンマーク王女だったアンに因んで名付けられた。アンは後にイングランドとスコットランドの女王となり、その治世に大英帝国が作られた。
メリーランドに入ってくるイングランド人植民地人の大半は年季奉公者としてであり、その北アメリカへの片道料金を払うために数年間労働者として働く必要があった[15]。初期には年季奉公者とアフリカ人奴隷あるいは労働者の線引きは不明瞭であり、白人と黒人の労働者が共に住み、共に働き、仲間を作っていた。白人の母に生まれた混血の子供達は「母系」の原則によって自由と見なされ、それによって子供達は母の社会的地位を引き継いだ。この奴隷法の原則は1662年にバージニアで始められ、全植民地で採用された。植民地時代、有色自由人の家族は白人女性とアフリカ系男性の結婚で作られることが多かった[16]。
自由黒人の家族の多くは、土地が安かったデラウェアに流れた[16]。イングランドの経済が改善されたことで、植民地への年季奉公者の流れが減少し、メリーランドの農園主は多くの奴隷を輸入し、人種的な階級社会が固まった。経済の成長と繁栄は奴隷労働力に基づいており、まずは換金作物としてのタバコ栽培に振り向けられた。
メリーランドはアメリカ独立戦争でイギリス支配に対して反旗を翻した13植民地の1つとなった。1781年2月2日、メリーランドは連合規約を批准した13番目の州となった。このことによりアメリカ合衆国は統合され、主権を持った国家になった。新しいアメリカ合衆国憲法を批准したのは7番目の州になった。1790年12月、ワシントンD.C.に新しい首都を建設するため、メリーランド州はジョージ・ワシントン大統領が選んだ土地を連邦政府に寄付した。その土地はモンゴメリー郡とプリンスジョージズ郡から削られ、またバージニア州のフェアファックス郡とアレクサンドリア市からも寄贈された。しかし、バージニア州が寄贈した土地は後に返還された。
19世紀
米英戦争のとき、イギリス軍がマクヘンリー砦に守られているボルティモア港を占領しようとした。イギリス海軍が砦を砲撃したときの印象から、フランシス・スコット・キーが後に国歌となった『星条旗』を作詞した。
ボルチモア・アンド・オハイオ鉄道は国内で最初に認可された鉄道であり、1830年には最初の区間であるボルチモアとエリコットシティの間の定期運行が開始された[17]。1852年、東部海岸からオハイオ川にまで達した最初の路線となった[18]。ボルチモアの海港に鉄道が接続されたことで、19世紀の産業革命期にメリーランド州はかなりの成長を見ることになった。南北戦争後はボルチモアとその周辺に多くの製造業が設立された。
経済の変化、独立戦争以来の理想、さらにはメソジストやクエーカーの牧師の説教に影響された州内の多くの農園主が、独立戦争から20年間の内に奴隷を解放していた。これはアップランドサウスでは良く見られた現象であり、自由黒人の人口比率は独立戦争前の1%足らずから、1810年までに13.9%にまで増加していた[19]。
南北戦争
1860年までに、州内のアフリカ系アメリカ人人口に対し、49.1%が自由人となっていた[19]。このことは南北戦争の間も、メリーランド州がアメリカ合衆国(北軍)に留まる力になった。さらに州知事のトマス・ホリデイ・ヒックスが州議会を暫定停止にし、「ファイアイーター」と呼ばれた奴隷制度擁護派の議員を、エイブラハム・リンカーン大統領が議会の再開前に逮捕させた。リンカーンはフェデラルヒルに大砲を据えてボルチモア市を威嚇させ、新しく北軍寄りの知事と議員が選ばれるよう促した。リンカーンはボルチモア市長のジョージ・ウィリアム・ブラウンなど、特定の南部よりの著名人や州議会議員をマクヘンリー砦の監獄に収監させた。投獄された者の中にはフランシス・スコット・キーの孫も含まれていた。この戦争という危機にこれらの行動は合憲であるかについて、歴史家達は議論を続けている。ボルチモア・アンド・オハイオ鉄道のポトマック川に架かるトマス高架橋は戦略的に重要と見なされ、北軍は戦争の全期間を通じてその守備に就いた。
1861年4月、連邦軍正規兵部隊と州民兵の連隊が、ボルチモア市の「ベイスン」(内港)の東、フィラデルフィア・ウィルミントン・アンド・ボルチモア鉄道のプレジデント・ストリート駅に到着した。この部隊はワシントンD.C.に向かうために、ボルチモア市をボルチモア・アンド・オハイオ鉄道カムデン駅方向に行軍していたが、その途中で暴徒に襲われた。この事件は後に1861年のボルチモア暴動と呼ばれ、南北戦争では初の流血沙汰となった。この暴動で4人の兵士と12人の市民が殺された。
リンカーンは北軍守備兵にこれ以上ボルチモア市を通過させないと約束し、一方で危険に曝されている首都を守るために地域を確保させようとした。そのために首都防衛のための軍隊の大半は時間の掛かる回り道をせざるを得なくなった。マサチューセッツ州の民兵隊将軍ベンジャミン・フランクリン・バトラー(1818年-1893年)は、ボルチモア暴動の報せを聞いてから数日後に、セシル郡ペリービルからハーフォード郡ハバー・ド・グレイスの間のサスケハナ川を渡すフィラデルフィア・ウィルミントン・アンド・ボルチモア鉄道のフェリーボート「ハリエット・レーン」を徴発した。暴動の起きた都市を避けるためにポトマック川を下り、アナポリス市のセバーンポイントにある海軍兵学校沖で1夜を過ごし、トマス・ホリデイ・ヒックス州知事(1798年-1865年)の抗議にも拘わらず、マサチューセッツ州、ニューヨーク州、ロードアイランド州から連れてきた民兵隊を上陸させた。そのために、南部同調者から攻撃されないよう、海軍練習船のフリゲート艦USSコンスティチューション(オールド・アイアンサイド)を引っ張ってさらに沖に泊めていた。つづいて兵士の中から鉄道員やボイラーの工員を集め、操車場にあった小さな蒸気機関車を確保し、ボルチモア・アンド・オハイオ鉄道アナポリス線をエリコットシティ近くの接続点まで進ませ、そこで西はハーパーズフェリーに、南はワシントンD.Cに繋がる本線に接続できた。それから間もなく北部の部隊はアメリカ合衆国議会議事堂近くの駅に到着し、その夜はまだ建設中だった議事堂ロタンダのドーム下で、負傷者の世話をしながら宿営した。別の部隊はペンシルベニア・アベニューを進み、大統領が歓喜と安堵感で出迎えたホワイトハウスの警備を強化した。
南北戦争の間にメリーランド州から出征した兵士115,000人の中で、85,000人、77%は北軍に、残りは南軍に参戦した。北軍へのメリーランドの参入を確実にするために、リンカーン大統領は人身保護令状の発行など幾つかの市民の権利を停止させた。この停止命令は後に、メリーランド生まれの最高裁判所長官ロジャー・トーニーによって違法と判断された。
州内で戦われた戦闘の中で、1862年9月17日にシャープスバーグ近くで起きたアンティータムの戦いが最大かつ最も重要なものとなった。この戦闘の結果は戦術的に引き分けであるが、戦略的には北軍の勝利であり、この戦争の転換点になったと考えられている。
メリーランド州は北軍の留まったので、反乱を起こした州にのみ適用された1863年奴隷解放宣言の執行からは除外された。メリーランド州は1864年に憲法改定会議を開き、新憲法を制定した。その第24条は奴隷制度を廃止するものだった。1867年、アメリカ合衆国憲法に解放奴隷に対する選挙権を認める修正が成立し、メリーランド州は選挙権を非白人男性まで拡大した。
南北戦争後
戦争中は共和党が州の政治を支配したが、戦後は民主党の白人が急速に権限を取り戻し、共和党に代わった。1864年憲法に対する支持勢力が弱まり、民主党は1867年の憲法で置き換えた。
アメリカ合衆国の北東部と中西部は産業革命の波が行き渡り、ボルチモアは拡大と繁栄を続けた。ジョンズ・ホプキンス、エノック・プラット、ジョージ・ピーボディ、ヘンリー・ウォルターズなどボルチモアの事業家達は、市内に教育、医療、文化施設を設立し、大学、図書館、音楽学校、美術館などにその名前が残った。
19世紀のメリーランド州ではカンバーランドが第2の都市だった。その付近から石炭、鉄鉱石、木材が豊富に供給された。鉄道、ナショナルロード、チェサピーク・アンド・オハイオ運河などと共にこれら資源がその成長を促した。ガラス、醸造、繊維、ブリキ板など製造業の中心だった。
20世紀
19世紀末から20世紀初めの進歩主義時代、政治の分野でも労働者の労働条件でも改革が進められた。1892年から1908年までに成立した一連の法により、州が発行する投票用紙が標準となり(それ以前は党が配り、印を付けていた)、党の支援者が有権者の投票を「援助」しないよう閉鎖型投票ブースを採用し、党のボスが候補者を選ばないよう予備選挙を導入し、党の印が無い候補者リストを使って、文盲の者でも投票に参加できるようにした。
1902年、州は鉱山労働者の労働条件を規制した。12歳未満の児童労働者を違法とし、義務教育への出席を強制し、国内初の労働災害補償を法制化した。この法は裁判所で一旦廃案とされたが、再提出され1910年に法として成立した。
1904年2月8日のボルチモア大火は、州内最大都市と州にとって大きな出来事になった。遠くはニューヨーク市など多くの都市から駆けつけた消防士の数は1,231人を超えた。火は30時間以上燃え続け、市内70ブロックにわたり、1,526軒の建物が類焼した。
1917年、アメリカ合衆国が第一次世界大戦に参戦したことで、メリーランド州にも変化が起きた。キャンプ・ミード(現在のフォートミード)やアバディーン性能試験場などの新しい軍事施設が1917年に設立され、翌年にはエッジウッド武器庫が建設された。マクヘンリー砦など既存施設は拡張された。
世界恐慌の間、州内の都市部と田園部は異なる経験をした。1932年、「ボーナス軍隊」が州内を通ってワシントンD.C.まで行進した。フランクリン・ルーズベルト大統領が採った全国的なニューディール政策では、多くの者を道路や公園の建設に使ったが、これに加えて、メリーランド州も苦難の時を乗り越える手段を採った。例えば1937年には学校や福祉のために使う目的で所得税を導入した。
第二次世界大戦のとき、ボルチモアは軍需品の主要生産地となった。その最大のものは、リバティ船を建造したベスレヘム・スチールのフェイフィールド造船所や、航空機製造のグレン・マーティンだった。
戦後のメリーランド州は郊外部、特にボルチモアとワシントンD.C.を取り囲む地域が成長した。コロンビアやモンゴメリービレッジでは農地が住宅地に転換された。同時に州間高速道路体系が建設され、特に95号線や495号線が交通の態様をはっきりと変えた。1952年、州の東半分と西半分が長大なチェサピーク湾橋で初めて結ばれ、フェリーの役目に代わった[20]。この橋がオーシャンシティへの観光客を増やし、建設ブームになった。その後間もなくボルチモア港トンネルで、長距離を移動するものにとってボルチモア中心街をバイパスできるようになり、ハリー・W・ナイス記念橋はワシントンD.C.をバイパスできるようにさせた。
国内の都市と同じように、戦後のボルチモアでは重工業が衰退した。下流部の東部海岸では大規模な機械化された養鶏場が主流になり、灌漑を施された野菜農場もできた。州南部では20世紀の終わりまでにタバコ農園がほとんど姿を消した。これは郊外の住宅開発がすすんだことと、州がタバコの買い取りを進めたためだった。西部4郡の工業、鉄道、石炭鉱業は衰退した。
ボルチモア市は1960年代から都市再開発を進め、チャールズセンターやボルチモア世界貿易センターが造られた。1980年、バーバープレースやボルチモア水族館ができて重要な観光地になった。野球場のカムデン・ヤーズが1992年に中心街にオープンした。
地理
自然地理
メリーランド州の面積は12,406.68平方マイル (32,133.2 km2) あり、ヨーロッパの国ではベルギーの大きさ(11,787平方マイル、30,530km2)に匹敵する[21]。国内50州の中では第42位であり、第43位のハワイ州(11,787平方マイル、28,311.1km2)と接近している。第41位は西隣のウェストバージニア州(24229.76平方マイル、62,754.8km2)であり、ほぼ2倍である。
州内には多様な地形があり、「アメリカのミニチュア」というニックネームもある[22]。東部の海草が点在する砂丘地帯から、チェサピーク湾に近い野生生物とヌマスギが群がる低湿地、ピードモント台地のオーク林がある穏やかにうねる丘陵部、西部山岳地の松林まで様々である。
北はペンシルベニア州、西はウェストバージニア州、東はデラウェア州に接し、大西洋に面する。南はポトマック川を隔ててウェストバージニア州とバージニア州と接する。ポトマック川の中域、メリーランド州側にはワシントンD.C.がある。その場所は元々モンゴメリー郡とプリンスジョージズ郡に属し、ジョージタウンの町を含め、1790年にコロンビア特別区を造るために連邦政府に譲渡された。同時にポトマック側の南岸、アレクサンドリア市を含むバージニア州の部分も譲渡されたが、1840年代に返還された。チェサピーク湾が州中央を二分している。湾の東にある郡部は集合的に東海岸部と呼ばれる。
州内の水路の大半はチェサピーク湾の水域に属している。州最西端ガレット郡のほんの小さな部分はヨカゲイニー川からミシシッピ川まで流れていく。南東部ウースター郡の東半分からは大西洋岸にある湾に流れ、北西隅の小部分からはデラウェア川に流れる。地理的にも経済生活でもチェサピーク湾は州内の大きな存在なので、州の公式ニックネームを「湾の州」とする提案が何度か行われてきた。ただし、このニックネームは昔からマサチューセッツ州に使われているものである。
州内最高地点は、ガレット郡の南西隅、ウェストバージニア州との州境やポトマック川北支流の水源に近い、バックボーン山のホイ・クレストであり、標高は3,360フィート (1,020 m) である。州の西端から横幅の3分の1程度、ハンコックという小さな町の近くでは、州境に挟まれた南北の幅が1.83マイル (2.95 km) しかなく、メリーランド州は最も細い州になっている。北はペンシルベニア州とのメイソン・ディクソン線であり、南はポトマック川の北向き円弧になっている。
州内の部分は公式にも非公式にも様々な地理区分に加えられている。例えば、デルマーバ半島は、州東海岸部、デラウェア州の全体、およびバージニア州東海岸部2郡で構成されている。州西側の郡はアパラチア地方にあると見なされている。ボルチモア・ワシントン回廊の大半は海岸平原のピードモント台地南にあり[23]、その2つの領域の境目にある。
メリーランド州の地形で特徴的なのは自然湖が無いことである[24]。ただし、池は数多くある。最終氷河期に氷河の先端がメリーランドまでは達していなかったので、北の州にあるような深い自然湖を造りださなかった。人工湖は多く、西端のガレット郡にある貯水池ディープクリーク湖が最大である。氷河の影響を受けなかったことで、土壌は砂や泥がおおく、北方や北東に見られる岩の多い土壌とは異なっている。
人文地理
参照:メリーランド州の郡一覧
州人口の大半はワシントンD.C.周辺の都市や郊外部、また州内最大都市ボルチモアとその周辺に集中している。昔からこれら多くの都市は、川や小川が急流となり、あるいは滝となる点を繋いだ滝線に沿って発達してきた。州都アナポリスは例外であり、チェサピーク湾近くにあって、それに注ぐセバーン川の岸にある。
その他の人口集中部としては、
- ハワード郡のコロンビアとエリコットシティの各市
- モンゴメリー郡のシルバースプリング、ロックビル、ゲイザースバーグの各市
- プリンスジョージズ郡のローレル、カレッジパーク、グリーンベルト、ハイアッツビル、ランドーバー、クリントン、ボウイー、グレーターアッパーマルボロの各市
- フレデリック郡のフレデリック市
- ワシントン郡のヘイガーズタウン市
- チャールズ郡のウォルドーフ市
- ボルチモア郡のパイクスビル、エセックス、タウソンの各市
- アナランデル郡のグレンバーニー、ハノーバーの各市がある。
州東部、南部、西部には田園部が残るが、その中にも、東海岸部のソールズベリー、オーシャンシティ、南部のレキシントンパーク、ウォルドーフ、西部のカンバーランド各市などの地域にとって重要な都市が点在している。
メリーランド州は境界州としての歴史があるので、アメリカ合衆国北部と同南部双方の性格を併せ持っている。ウェストバージニア州東パンハンドル部とペンシルベニア州に挟まれた州西部はアパラチアン文化がある。南部と東海岸部は南部の文化が強い[25]。人口の多いボルチモア市やワシントンD.C.から外側に広がる中央部はアメリカ合衆国北東部の文化が浸透している[26]。アメリカ合衆国国勢調査局[27]は大西洋岸南部に分類しているが、他の連邦機関、メディア、また住民も大西洋岸中部、あるいはアメリカ合衆国北東部に分類するのが通常である[28][29][30][31][32]。
気候
メリーランド州は標高の違い、水域との接近度、また山を下る風(滑降風)から守られている程度の違いによって様々な気候を呈している。
州の東半分は大西洋岸平原にあり、大変平坦な地形と砂や泥の多い土壌である。この地域は温暖湿潤気候(ケッペンの気候区分Cfa)にあり、暑く湿気た夏と、短く温暖から冷涼な冬が特徴である。アメリカ合衆国農務省の植物耐寒性区分では 8a に属している[33]。この地域にある都市としては、ソールズベリー、アナポリス、オーシャンシティ、およびワシントンD.C.とボルチモアの南部と東部の郊外がある。
その東にはピードモント台地があり、冬の降雪量は20インチ (51 cm) を超え、農務省の植物耐寒性区分では 7b と 7a に属している[33]。気温が10°F (-12 ℃) を下回るのは希である。カンバーランド・バレーから西は湿潤大陸性気候(ケッペンの気候区分Dfa)への移行が始まる。この地域にはボルチモア大都市圏の北部と西部、ウェストミンスター、ゲイザースバーグ、フレデリック、ヘイガーズタウンが含まれる。
さらに西はアリゲイニー郡やガレット郡の標高が高い地域であり、湿潤大陸性気候の性格が強くなる。ペンシルベニア州の南中部の気候に似ている。カンバーランド市はアルトゥーナ (ペンシルベニア州)のWTAJテレビ気象センターによる地域都市の1つに挙げられている。農務省の植物耐寒性区分では 6b とそれ以下に属している[33]。
降水量はアメリカ合衆国東海岸の特性と同様である。年間降水量は35インチ (890 mm) から45インチ (1,100 mm) であり、高度が高い地方で多い。ほとんどの地域で月間降水量は3.5インチ (89 mm) から4.5インチ (110 mm) である。年間降雪量は海岸地域の9インチ (23 cm) から西部山岳地の100インチ (250 cm) まで幅がある[34]。
大西洋岸に近いので熱帯低気圧の影響を受けやすいが、デルマーバ半島や、南のノースカロライナ州アウターバンクスが緩衝となり、カテゴリー3を超えるハリケーンに襲われることは大変希である。ただし皆無ではない。海岸に上陸または接近して勢力を落とした熱帯低気圧の名残に襲われることはある。雷雨が起こるのは年間平均30ないし40日であり、竜巻は年平均で6回発生している[35]。
州内各都市の月別平均最高最低気温 | ||||||||||||
都市 | 1月 | 2月 | 3月 | 4月 | 5月 | 6月 | 7月 | 8月 | 9月 | 10月 | 11月 | 12月 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
フロストバーグ | 34 °F (1 ℃) 18 °F (-8 ℃) |
37 °F (3 ℃) 20 °F (-7 ℃) |
46 °F (8 ℃) 26 °F (-3 ℃) |
58 °F (14 ℃) 37 °F (3 ℃) |
67 °F (19 ℃) 46 °F (8 ℃) |
75 °F (24 ℃) 55 °F (13 ℃) |
79 °F (26 ℃) 59 °F (15 ℃) |
78 °F (26 ℃) 58 °F (14 ℃) |
71 °F (22 ℃) 51 °F (11 ℃) |
60 °F (16 ℃) 41 °F (5 ℃) |
49 °F (9 ℃) 32 °F (0 ℃) |
37 °F (3 ℃) 23 °F (-5 ℃) |
カンバーランド | 41 °F (5 ℃) 22 °F (-6 ℃) |
46 °F (8 ℃) 24 °F (-4 ℃) |
56 °F (13 ℃) 32 °F (0 ℃) |
68 °F (20 ℃) 41 °F (5 ℃) |
77 °F (25 ℃) 51 °F (11 ℃) |
85 °F (29 ℃) 60 °F (16 ℃) |
89 °F (32 ℃) 65 °F (18 ℃) |
87 °F (31 ℃) 63 °F (17 ℃) |
80 °F (27 ℃) 55 °F (13 ℃) |
69 °F (21 ℃) 43 °F (6 ℃) |
57 °F (14 ℃) 34 °F (1 ℃) |
45 °F (7 ℃) 26 °F (-3 ℃) |
フレデリック | 42 °F (6 ℃) 26 °F (-3 ℃) |
47 °F (8 ℃) 28 °F (-2 ℃) |
56 °F (13 ℃) 35 °F (2 ℃) |
68 °F (20 ℃) 45 °F (7 ℃) |
77 °F (25 ℃) 54 °F (12 ℃) |
85 °F (29 ℃) 63 °F (17 ℃) |
89 °F (32 ℃) 68 °F (20 ℃) |
87 °F (31 ℃) 66 °F (19 ℃) |
80 °F (27 ℃) 59 °F (15 ℃) |
68 °F (20 ℃) 47 °F (8 ℃) |
56 °F (13 ℃) 38 °F (3 ℃) |
45 °F (7 ℃) 30 °F (-1 ℃) |
ボルチモア | 42 °F (6 ℃) 29 °F (-2 ℃) |
46 °F (8 ℃) 31 °F (-1 ℃) |
54 °F (12 ℃) 39 °F (4 ℃) |
65 °F (18 ℃) 48 °F (9 ℃) |
75 °F (24 ℃) 57 °F (14 ℃) |
85 °F (29 ℃) 67 °F (19 ℃) |
89 °F (32 ℃) 72 °F (22 ℃) |
87 °F (31 ℃) 71 °F (22 ℃) |
80 °F (27 ℃) 64 °F (18 ℃) |
68 °F (20 ℃) 52 °F (11 ℃) |
58 °F (14 ℃) 43 °F (4 ℃) |
46 °F (9 ℃) 33 °F (0 ℃) |
オーシャンシティ | 45 °F (7 ℃) 28 °F (-2 ℃) |
46 °F (8 ℃) 29 °F (-2 ℃) |
53 °F (12 ℃) 35 °F (2 ℃) |
61 °F (16 ℃) 44 °F (7 ℃) |
70 °F (21 ℃) 53 °F (12 ℃) |
79 °F (26 ℃) 63 °F (17 ℃) |
84 °F (29 ℃) 68 °F (20 ℃) |
82 °F (28 ℃) 67 °F (19 ℃) |
77 °F (25 ℃) 60 °F (16 ℃) |
68 °F (20 ℃) 51 °F (11 ℃) |
58 °F (14 ℃) 39 °F (4 ℃) |
49 °F (9 ℃) 32 °F (0 ℃) |
[36][37][38][39][40] |
植物相
メリーランド州は東海岸にある州と同様に植物が豊富で繁殖している。年間雨量が適度にあることで小さなものは海草や各種ヨシから、大きなものはホワイトオークが巨大になったワイオークまで多種の植物を茂らせている。ワイオークは高さ70フィート (21 m) を超えることもある。
大西洋岸中部海岸林は大西洋岸平原南東部に典型的なものであり、チェサピーク湾沿岸やデルマーバ半島に育っている。それより西では、北東海岸林と南東混合林が混合し、州中央部を覆っている。さらに西のアパラチア山脈にはアパラチアン・ブルーリッジ林がある。ウェストバージニア州との州境近くではアパラチアン中性混合林に変わっていく[41]。
州内で多くの外来植物が栽培されており、観賞用や贈答用もある。暖かい地域ではサルスベリ、イタリアイトスギ、ライブオーク(カシ)があり[42]、さらに暖かい中部や東部では椰子の木も見られる[43]。農務省の植物耐寒性区分では、州西端で 5 と 6、中央部で 7、南部海岸、湾岸、ボルチモア大都市圏の一部で 8 となっている[33]。クズ、ニワウルシ、ノイバラ、アシボソなど外来種が固有種の成長を抑えている[44]。州花であるブラック・アイド・スーザンは州内どこでも野草の中に豊富に見られる。州の昆虫であるボルチモアヒョウモンモドキ(蝶)はその南限に近いのであまり見られない[45]。州内では435種の鳥が観測されている[46]。
動物相
州内には多数のシカがおり、特に州西部の森林や山岳部で多く、年々過繁殖が問題になってきている。哺乳類は西部の山岳地から中央部まで見られ、クマ[47]、ボブキャット[48]、キツネ、コヨーテ[49]、アライグマ、カワウソがいる[47]。
アサティーグ島では個体数が減った野生馬がいる[47][50]。毎年7月の最終週に、野生馬が捕獲され、浅い湾を渡して、バージニア州チンコティーグで売却されている。この保存手段によりこの小さな島が馬で溢れないようにされている。このポニーとその販売については子供向けの図書『チンコティーグのミスティ』に紹介された。難船から逃げ出した馬の子孫と考えられている。
純血種のチェサピーク・ベイ・レトリーバーは、ウォータースポーツ、狩猟、捜索、救助用に飼われている[51]。1878年、アメリカンケネルクラブが認定した最初のレトリーバー種となった[51]。
爬虫類と両生類ではダイヤモンドガメ(キスイガメ)が特筆され、メリーランド大学カレッジパーク校のマスコットになっている。ボルチモアムクドリモドキの生息域であり、州の公式鳥に指定され、メジャーリーグベースボールのボルチモア・オリオールズはチーム名とマスコットに使っている[52]。
環境意識
2007年、Forbes.com は国内で「緑豊かな」州の第5位にメリーランド州を指定した。上位には太平洋岸3州とバーモント州が来ていた。エネルギー消費量では国内第40位であり、2005年では1人当たり有害廃棄物量で国内第7位だった[53]。2007年4月、温室効果ガス排出を減らすための、北東部の州全てとワシントンD.C.およびカナダの3州で構成する地域温室効果ガス・イニシアティブのメンバーになった。
地震
メリーランド州は構造プレートや地震帯から遠いために、地震は希である。起こったとしても小さいが、有感の地震はあった[54][55]。2011年に起きたマグニチュード5のバージニア地震は州全体で幾らか感じられた。州内のビルは耐震設計が施されておらず、簡単に壊れる可能性もある。
国立公園
国立公園局の管理及び保護下にある地域は以下の通りである。
- アンティータム国立戦場跡(シャープスバーグ近郊)
- アンティータム国立墓地
- アパラチア国立景観側道
- アサティーグ島国立海岸
- ボルチモア・ワシントン・パークウェイ
- カトクチン山公園(サーモント)
- チェサピーク・アンド・オハイオ運河国立歴史公園(ポトマック川)
- チェサピーク湾ゲイトウェイズ・ネットワーク
- クララ・バートン国立歴史史跡(グレンエコー)
- フォートフット公園(オクソンヒル)
- マクヘンリー砦国立記念碑と歴史堂(ボルティモア)
- フォートワシントン公園(フォートワシントン)
- ジョージ・ワシントン記念パークウェイ
- グレンエコー公園(グレンエコー)
- グリーンベルト公園(グリーンベルト)
- ハンプトン国立歴史史跡(タウソン)
- ハーモニーホール(プリンスジョージ郡)
- モノカシー国立戦場跡(フレデリック近郊)
- オクソンコーブ公園とオクソンヒル農園(オクソンヒル)
- ピスカタウェイ公園(アッコキーク)
- ポトマック文化遺産国立景観側道(チェサピーク湾及びアリゲイニー高原間の回廊)
- スウィートランド・パークウェイ(プリンスジョージ郡)
- トマス・ストーン国立歴史史跡(ポートトバコ)
人口動勢
人口推移 | |||
---|---|---|---|
年 | 人口 | %± | |
1790 | 319,728 | — | |
1800 | 341,548 | 6.8% | |
1810 | 380,546 | 11.4% | |
1820 | 407,350 | 7.0% | |
1830 | 447,040 | 9.7% | |
1840 | 470,019 | 5.1% | |
1850 | 583,034 | 24.0% | |
1860 | 687,049 | 17.8% | |
1870 | 780,894 | 13.7% | |
1880 | 934,943 | 19.7% | |
1890 | 1,042,390 | 11.5% | |
1900 | 1,188,044 | 14.0% | |
1910 | 1,295,346 | 9.0% | |
1920 | 1,449,661 | 11.9% | |
1930 | 1,631,526 | 12.5% | |
1940 | 1,821,244 | 11.6% | |
1950 | 2,343,001 | 28.6% | |
1960 | 3,100,689 | 32.3% | |
1970 | 3,922,399 | 26.5% | |
1980 | 4,216,975 | 7.5% | |
1990 | 4,781,468 | 13.4% | |
2000 | 5,296,486 | 10.8% | |
2010 | 5,773,552 | 9.0% | |
2012(推計) | 5,884,563 | 1.9% | |
Source: 1910–2010[56] |
2012年7月1日時点で、メリーランド州人口は5,884,563と推計され、2010年国勢調査からは1.9%増加した[57]。2006年時点では人口5,615,727人と推計され、前年より26,128人、0.5%増加し、2000年国勢調査からは319,221人、6.0%増加していた。2000年と比較すると189,158人の自然増(出生464,251、死亡275,093)、並びに州内への移住者純増116,713人が含まれている。アメリカ合衆国外からの移住で129,730人増加し、合衆国内部への移住で13,017人減少した。
2006年時点、外国生まれは645,744人であり、主にラテンアメリカ及びアジアから来ていた。このうち約4.0%はビザを持たない不法在留外国人である。韓国系アメリカ人の人口が多い[58]。アジア系アメリカ人がほぼ6.0%いるのに対し、韓国系アメリカ人は1.7%である[59]。
メリーランド州の人口の多くはボルチモア・ワシントン大都市圏内の、ボルチモア都市圏とワシントン都市圏に住んでいる。東海岸部は人口が少ない田園部であり、西部や南部も同様である。
西部のアリゲイニー郡とガレット郡は山が多く、人口が少ない。メリーランド州よりもウェストバージニア州に類似している。アフリカ系アメリカ人の割合は18世紀のタバコ栽培場生産高がピーク(38%)に達した頃ほど高くないが、メリーランド州には今でも深南部以外の州では最大の黒人人口を有している。
メリーランド州の人口重心は、アナランデル郡及びハワード郡の郡境にあるジェサップという未編入の町にある[60]。
人種及び祖先
2011年推計に拠れば、メリーランド州の人種による人口構成は次のようになっている[61]。
- 61.1% 白人(非ヒスパニック白人は54.4%、ヒスパニック白人は6.7%)
- 30.0% 黒人
- 5.8% アジア
- 0.5% インディアン
- 0.1% 太平洋諸島系
- 2.5% 混血
- 8.4% ヒスパニック[62]
メリーランド州で申告された祖先祖先による構成比は、ドイツ系 (15.7%)、アイルランド系 (11.7%)、イギリス系 (9%)、アメリカ人 (5.8%)、イタリア系 (5.1%)[63]だった。 1970年の国勢調査では、アフリカ系アメリカ人人口構成比を17.8%、非ヒスパニック白人80.4%と報告していた[64]。アフリカ系アメリカ人は2010年で30%となっており[62]、これにはナイジェリアのイグボ族移民が含まれている[65]。アフリカ系アメリカ人は州全体に多く住んでいるが、特にボルチモア市、プリンスジョージズ郡、チャールズ郡、ランドールズタウン、東海岸部南部に多い。
2011年時点で1歳未満の幼児の58.0%は少数民族の両親に生まれていた[66]。 東海岸部と南部はイギリス人を祖先とする者が多く、東海岸部は伝統的にメソジスト、南部はカトリック教徒が多い。西部と北部はドイツ系アメリカ人が多い。イタリア系、ポーランド系、チェコ系、ギリシャ系は主に大都市のボルチモアに集中している。ヒスパニック系はハイアッツビル、ラングレーパーク、ウィートン、ブラーデンスバーグ、リバーデール、ゲイサーズバーグ、東ボルチモアのハイランドタウンに多い。エルサルバドル系がヒスパニックの中では最大である。他にそこそこの人口があるものとして、メキシコ系とプエルトリコ系がある。エルサルバドル系がワシントンD.C.を中心とした地域に多いのに対し、プエルトリコ系はボルチモア地域に集中し、他のヒスパニック系もこの2つの大都市圏の間に分散している。ヒスパニック系の多様さについては国内でも最大級であり、カリブ海や中央アメリカの国々からかなりの人々が移住してきている[67]。
ユダヤ系はモンゴメリー郡とボルチモア北西のパイクスビル、およびオーウィングスミルズに多い。アジア系アメリカ人はワシントンD.C.を取り巻く郊外郡に集中し、特に韓国系と台湾系はロックビルに、フィリピン系はフォートワシントンにコミュニティがある。インド系も特に中央部に多い。セントメアリーズ郡、ガレット郡、ワシントン郡ではアーミッシュやメノナイトの集落も見られる。
少数民族比率の多さでは国内第5位である[68]。
宗教
メリーランド州はイングランドで少数派だったローマ・カトリック教徒にとって、宗教的寛容さを与えるために設立された。しかしイギリスの議会はその政策を覆し、メリーランドでカトリック教信仰を排除した。移民の構成によってメリーランド州は植民地時代からカトリック教徒が多数にはならなかった。それでもカトリック教は単一宗派として最大である。
2000年時点で、RCMSに拠れば、カトリック教徒が952,389人で第1位、信徒数の第2位はメインライン・プロテスタント、第3位は福音主義プロテスタントである。ユダヤ教は信徒数241,000人、人口構成比4.3%であり、非キリスト教としては最大である[69]。
宗派別構成比 | |||||
---|---|---|---|---|---|
キリスト教 |
非キリスト教 | ||||
ローマ・カトリック教 | 24% | ユダヤ教 | 4% | ||
バプテスト | 18% | 他のキリスト教 | 3% | イスラム教 | 1% |
メソジスト | 11% | 他の宗教 | 1% | ||
ルーテル教会 | 6% | 務酒興 | 11% | ||
その他のプロテスタント | 21% |
プロテスタントが多数派であるが、国内ではカトリック教の伝統が強い州である。これには植民地領主のジョージ・カルバートがイングランド・カトリック教徒の安息地とすることを目指したことが係わっている。ボルチモアは国内初のカトリック司教が就いたところであり(1789年)、エミッツバーグはアメリカ初の聖人セントエリザベス・アン・シートンが生まれ、埋葬された場所である。最初のカトリック系大学ジョージタウン大学は1789年に州内に設立された(現在はワシントンD.C.)[70]。ボルチモアにある聖母マリア被昇天バシリカ聖堂は国内初のローマ・カトリック教大聖堂であり、ボルチモア大司教は正式な位階ではないが、擬似的な職位であり、枢機卿と呼ばれることも多い。
インディアン部族
もともとこの州には、コノイ族(ピスカタウェイ族)、デラウェア族、ナンチコーク族、チョプタンク族、ポコモケ族、ポウハタン族、ショーニー族、サスケハンナ族などが先住し、ウィグワムの集落を形成し、農耕生活を営んでいた。最初期からイギリス人入植者の侵略を受け、幾多の領土を巡る戦いによって弱体化した。
同州のインディアン部族は黒人奴隷を部族員として迎え入れ、混血(ブラック・インディアン)が増加した。これを受けて州政府は「一滴規定(下項参照)」を基に、これらをインディアンと認めず、19世紀末にインディアン保留地の保留を解消し、同州の部族をすべて解体して「絶滅」扱いとした。
ピスカタウェイ族の呪い師ターキー・タヤク(1895年~1978年)は、連邦・州の扱いに対し、徹底抗議運動を続けた運動家だった。彼は部族の墳墓遺跡モヤオネの開発を阻止するため、「ピスカタウェイ国立公園」の創設を内務省に働きかけ、また、その見返りとしてピスカタウェイ族の同地への自由往来と、自分が死んだらこの墳墓へ埋葬するよう、約束をとりつけた。
ターキー酋長は、「アメリカインディアン運動(AIM)」と共闘し、ラムビー族、ポウハタン族、ナンチコーク族など周辺部族の権利回復運動をまとめ、また1974年に「ピスカタウェイ・コノイ族法人組織」を結成した。1978年に白血病で死の床に伏したターキーは、「モヤオネ墳墓遺跡に埋葬してくれ」との内務省BIAとの約束を遺言に残した。しかし、彼の遺体を墳墓に埋葬するためのグラディス・スペルマンの議案は合衆国議会で否決され、ポール・サーベーンズ上院議員や「全米インディアン国民会議」の支援で、ターキー酋長の埋葬が実現したのはようやく一年後になってからだった。彼の埋葬場所には目印に赤杉が植えられた。
ターキー酋長の運動は受け継がれ、1990年代後半には、メリーランド州に任命された系譜学者たちによる調査委員会によって、ピスカタウェイ族の共同体からの異議申し立てが認められ、2007年8月29日にはクリストファー・グッドウィン博士らによって、インディアンとしての血統を有効とする証言書が提出された。これがピスカタウェイ族の連邦公認要求に有利なものになるかどうかはわからない。
同州ランドーバーに本拠地を持つプロスポーツチームの「ワシントン・レッドスキンズ」は、インディアン戦士の肖像をチームマークとし、「赤い肌」というインディアンに対する差別語をチーム名としている。全米のインディアン団体はこの名称の撤廃を求め、数10年来の激しい抗議をNCAA並びに同チームに寄せているが、同チームはこれに応じる姿勢を見せていない。
現在、この州にアメリカ連邦政府が認定しているインディアン部族はない。彼らは保留地(Reservation)を持てず、部族単位では存在しないことになっている。
≪アメリカ連邦政府に公式認定を要求中のインディアン部族≫
インディアンと「一滴規定」
19世紀も末になると、連邦とメリーランド州政府は黒人と混血した同州のインディアンたちを、アメリカ合衆国に住んでいる人間を「一滴でも黒人の血が入ったらもう黒人である」と規定する「一滴規定」に基づき、人種的に「インディアン」から「ニグロ」、または「ムラート」、あるいは「ブラック」になったとした。彼らは「ジム・クロウ法」の対象となり、「自由身分の色つき(free people of color)」、または「自由身分の黒人(Free negro)」という扱いで出生証明書に記載された。「インディアンではなくなった」ことになったメリーランド州の「元・インディアン」はインディアン条約をすべて破棄され、20世紀までにはすべて、保留地領有をはじめとするインディアンの権利を剥奪された。
インディアン・カジノ
同州ではインディアン部族は存在しないことになっており、現在のところインディアン部族が運営する「インディアン・カジノ」は一軒もない。州のスロットマシン導入方針で、他州の連邦認定インディアン部族による「インディアン・カジノ」が設立される可能性はある。
主要な都市及び町
- 主要記事:List of cities in Maryland
- 関連項目:List of census-designated places in Maryland 及び Maryland locations by per capita income
- アナポリス市 – 州都、海軍兵学校の本部。チェサピーク湾にかかるベイブリッジでも有名。
- ボルティモア市 – 最も人口の多い都市。商業と文化の中心。
- ベセスダ – ワシントンDCの政府機関に勤務するエリート官僚たちが多く住む高級住宅地。世界最大の研究所といわれるNIHを抱える。
- ゲイザースバーグ市 – NISTの本部がある。
- カレッジパーク市 – D.C. の郊外、メリーランド大学の本部。米国立公文書館の別館や、政府とライト兄弟らが用いた、飛行機の試験場(現在も飛行場、博物館併設)がある。
- コロンビア – 行政に編入されておらずコロンビア協会 (w:Columbia Association) が運営する大きな国勢調査指定地域
- フレデリック – アパラチア山脈への西部入口、郊外の中心地
- ヘイガーズタウン – 州西部の3郡内で最大の町。
- ローレル市 – 州間高速道路95号線上のボルティモア及びワシントン間の最大郊外コミュニティ。 (w:Laurel, Maryland)
- オーシャンシティー – 大西洋海岸沿いの大変人気なビーチリゾート。(w:Ocean City, Maryland)
- ロックビル市 – ワシントンの北西部、富裕なモントゴメリー郡のビジネス中心地
- ソールズベリー – デルマーバ半島の最大都市及びビジネスの中心地。
- タウソン – ボルティモア郡郊外の郡庁所在地。(w:Towson, Maryland)
政治と法律
メリーランド州政府はメリーランド州憲法に従って運営されている。他の49州と同様、アメリカ合衆国憲法に規定されることを除き、州内の事情について排他的権限を持っている。
三権が分立されている。行政府、立法府、司法府である。州議会は下院と上院の両院制である。州知事は他の州とは異なり予算についてかなりの権限が与えられている。議会は知事が提案する予算支出を増やすことが許されていない。他州とは異なり多くの郡にかなりの自治権が認められている。
政府の事業の大半は州都アナポリスで遂行されている。事実上州と郡の全選挙は4で割り切れない偶数年に行われている。このことでアメリカ合衆国大統領選挙とは別の年に選挙が行われ、州と連邦の政治を分けることが意図されている。
司法府は各郡とボルチモア市にある州統合地区裁判所と、各郡とボルチモア市にある24の巡回裁判所があり、巡回裁判所は訴訟額3万ドル以上の民事事件全て、衡平法上の訴訟全て、重要な刑事事件を扱う一般的裁判所である。中間控訴裁判所は特別控訴裁判所と呼ばれ、州最高裁判所は控訴裁判所と呼ばれる。控訴裁判所の判事は赤いローブを纏うことで、国内でも唯一の存在である[71]。
選挙
南北戦争以前からメリーランド州の選挙は民主党によって支配されてきており、当時の党綱領がかなり変わっても同様だった。州全体の選挙はボルチモア市と人口が多いワシントンD.C.周辺の郊外郡、すなわちモンゴメリー郡とプリンスジョージズ郡の影響が強い。州人口の43%がこれらの地域に住んでおり、それぞれが民主党への組織票を維持してきた。ボルチモア市とプリンスジョージズ郡のアフリカ系アメリカ人、プリンスジョージズ郡とモンゴメリー郡の連邦政府職員、モンゴメリー郡の高学歴者がこれに該当する。州の他の部分、特に西部や東海岸部は共和党への支持が強い。
最近15回のアメリカ合衆国大統領選挙では一貫して民主党候補を支持してきており、平均支持率差は15.4%だった。1980年にはジミー・カーターを選んだ6州の1つだった。近年は民主党候補にとって最も頼れる州になっている。1992年、ビル・クリントンは出身州であるアーカンソー州以外ではどの州よりもメリーランド州での支持率が高かった。1996年ではクリントン支持率で第6位であり、2000年のアル・ゴア支持率で第4位、2004年のジョン・ケリー支持率で第5位だった。2008年は州内でバラク・オバマが61.9%の支持を得て10人の選挙人票を得た。対するジョン・マケインは36.5%に留まった。
共和党は西部と東部の郡では大差で勝利しているが、人口の多い地域、民主党主軸のボルチモア・ワシントンではほとんど勝てない。例えば2008年、ジョン・マケインは17郡を制し、対するオバマは6郡を制しただけだった。オバマはボルチモア市も制した。マケインは西部と東部の郡で2対1以上の得票差で制したが、ボルチモア市とワシントンD.C周辺の郡では全く勝てなかった。大型郡のうちアナランデル郡以外は全てオバマが制した[72]。
メリーランド州選出のアメリカ合衆国上院議員2人と下院議員8人のうち7人は民主党員であり、州議会では民主党が絶対多数を占めている。前知事ロバート・アーリックは40年ぶりの共和党知事となり、1期を務めただけで民主党員のボルチモア市長マーティン・J・オマリーにその座を明け渡した。アーリックは2010年にも再出馬したが、オマリーに再度敗れた。
アメリカ合衆国下院議員スティニー・ホイヤー(第5選挙区、民主党)は第110議会の多数派院内総務に選ばれて2007年から2011年まで務めた。その選挙区にはアナランデル郡とプリンスジョージズ郡の一部、州南部のチャールズ郡、カルバート郡、セントメアリーズ郡の全部が含まれている[73]。
メリーランド州は民主党の強固な地盤だが、最も著名な政治家は共和党のスピロ・アグニュー元知事であり、リチャード・ニクソン政権ではアメリカ合衆国副大統領を務めた(在任1969年-1973年)。アグニューはメリーランド州知事時代に賄賂を受け取っていたことが暴露され、副大統領を辞任した。1973年後半、アグニューは税法違反で有罪となった。
2010年の選挙では、共和党が多くの郡を制し、民主党はボルチモア市を含む8郡の支配に留まった。
死刑制度
2013年3月に死刑廃止法案が州議会を通過し、2013年5月2日に州知事のマーチン・オマリーが法案に署名したことにより、死刑制度が廃止された[74]。
経済
アメリカ合衆国商務省経済分析局は2006年のメリーランド州の州総生産高が2,570億米ドルであると推計した[75]。しかし、メリーランド州はGDPのような成長指数だけでなく、州の発展を導くために福祉の指数である純粋進展指数を用いてきた[76][77]。国勢調査局統計では、2009年の世帯当たり収入中央値が69,272ドルとなり、全米一の裕福な州である[78](第2位はニュージャージー州、第3位はコネチカット州だった)。郡の単位ではハワード郡が第3位、モンゴメリー郡が第10位だった。また貧困線以下の人口比率は7.8%であり、全米最小である[79][80][81]。2006年の一人当たりの収入は合衆国内で5番目に位置する、43,500米ドルだった。
2012年3月時点で、失業率は6.6%だった[82]。
メリーランド州の経済活動は第三次サービス産業に強く集中しており、その地理的な位置づけに強く影響されている。サービス産業の1つが輸送業であり、ボルチモア港を中心に鉄道と徒タックが組み合わされている。港の2008年の取扱貨物量は国内第17位だった[83]。取り扱う製品は多様であるが、最も多い輸入品は、鉄鉱石、石油、砂糖、肥料など原材料やばら積み資材であり、陸の輸送機関を介して内陸中西部の比較的近い工業地帯に配送されるものが多い。幾つかのブランドの自動車も輸入しており、その数では国内第2位である。
サービス産業の2つめはワシントンD.Cの連邦政府に近いという位置づけを生かしたものであり、防衛・航空産業やバイオ研究所などの技術や管理の業務があり、またボルチモア、ワシントンD.C地域の郊外部あるいは準郊外部にある政府の支所の職員がいる。さらに多くの教育や医療の研究機関がある。ジョンズ・ホプキンス大学とその医療研究施設の様々な部門が、ボルチモア地域では最大の雇用主である。またホワイトカラーの技術、管理職が州内労働力の25%を占めており、連邦政府職員の比率が高いワシントン大都市圏に属していることが寄与している。
食品加工業も大きい。チェサピーク湾を中心とする商業漁業が大きな要素であるが、大西洋沿岸漁業も含まれている。漁獲対象はワタリガニ、カキ、シマスズキ、メンハーデンなどである。チェサピーク湾の野生生物保護区では越冬する水鳥も多い。これが観光の対象になっている。
州内海岸部とピードモント台地には広い肥沃な農地があるが、都市化によって徐々に侵食されてきている。山岳部の麓やピードモント台地では酪農が盛んであり、近くの大都市に乳製品を送る他、キュウリ、スイカ、スイートコーン、トマト、マスクメロン、カボチャ、豆類など生鮮野菜を栽培している。さらにチェサピーク湾西岸の南部郡は暖かいので、タバコが植民地時代以来の換金作物だったが、1990年代に州政府が買い上げるようになって大きく衰退してきた。南東部には機械化された大型養鶏場もある。ソールズベリーにはパーデュー農園がある。州内の食品加工工場は産出額で州内でも最も重要な製造業である。
製造業は売り上げが大きいがかなり多様化しているために、その1部門で全体の20%を超えるようなものは無い。点綴的な製造部門は電子工業、コンピュータ機器、化学品である。かつては主要金属が主力であり、スパロウズポイントには世界最大の製鉄所があった時もあった。この製鉄所は現在もあるが、海外との競争に押されて破産し、会社は併合された。第二次世界大戦中、グレンマーティン社(現在のロッキード・マーティン)の航空機工場は4万人ほどを雇用していた。
建材以外の鉱業は事実上石炭に限られ、鉱山は州西部の山岳地にある。東部の褐色砂岩採石場は、ボルチモアやワシントンで19世紀半ばの建築に強く影響を与え、かつては最大の自然資源だった。州内には小さな金鉱山があったこともあり、しかもワシントンの近くだったが、現在は残っていない。
ボルチモア市は国内第8位の港であり、2006年にドバイ・ポーツ・ワールド社の取引に関する論争では、戦略的に重要な位置づけにあったので、その中心になった。州全体の工業化が進んでおり、経済の好況と影響力のある技術の中心である。コンピュータ産業は国内でも進化しており、連邦政府はこの地域に大きな投資をしてきた。また州内には幾つかの大きな軍事基地があり、政府関連の仕事も多い。
税
メリーランド州の所得税は個人収入に応じて2%から6.25%の累進課税方式である[84]。ボルチモア市と23郡は1.25%から3.2%の「抱き合わせ」地方税を加算している。地方政府は税率を設定し、歳入は四半期毎に地方政府に戻される。最大9.45%の税率は国内の州と地方政府の税率の中で5番目に高い。最高はニューヨーク市の11.35%、続いてカリフォルニア州の10.3%、ロードアイランド州の9.9%、バーモント州の9.5%となっている[85]。
消費税率は6%である。不動産は全て資産税の対象になる。宗教、慈善、教育団体あるいは連邦政府、州、地方政府が所有する資産は免税である。資産税率は幅がある。資産税に制限や上限は無く、都市や郡が行政を行うために必要とみなす税率を設定できる。毎年増減あるいは同率に保持することもできる。税収の総額を上げるために税率を上げるならば、政府はそのことを広告し、新しい税率について公聴会を開かねばならない。これは、恒常税率制度と呼ばれている。
バイオテクノロジー
メリーランド州は生命科学の研究と開発の中心である。州内に400以上のバイオテクノロジー会社があり、国内第4位の集積である[86]。
州内にある研究と開発に関連する研究所や政府機関としては、ジョンズ・ホプキンス大学、ジョンズ・ホプキンス応用物理研究所、メリーランド大学の各キャンパス、ゴダード宇宙飛行センター、アメリカ合衆国国勢調査局、アメリカ国立衛生研究所、アメリカ国立標準技術研究所、国立精神医学研究所、アメリカ食品医薬品局、ハワード・ヒューズ医療研究所、セレラ・ゲノミックス社、ヒューマン・ゲノム科学、J・クレイグ・ベンター研究所、メドインミューン(近年、アストラゼネカに買収)がある。
軍事関連施設
大統領専用機エアフォースワン(VC-25)が駐機することで有名なアンドルーズ空軍基地、フォート・ジョージ・G・ミードにアメリカ国家安全保障局、アナポリスに海軍兵学校、フォート・デトリックに陸軍感染症医学研究所がある。
カジノ
2008年11月6日、メリーランド州は州選挙で有権者が認可した公式委員会の承認要項に基づき、同州におけるスロットマシン賭博の導入を決定した。マーチン・オマリー知事はこの賭博許可について、「州の予算、教育資金、州の競馬業界にとって有益である」と発表した。
2009年9月28日、州政府はオーシャン・ダウンズの競馬場に、最高800台のスロットマシンの設置を認可する最初の免許を発行した。今後、この競馬場を含めた同州の5つの郡にスロットマシン賭博場が開設される予定である。
この5つの郡のうち、2番目の候補地としてセシル郡が名乗りを上げており、ボルチモア市はこの賭博施設設営のため410万ドルの予算配分を行った。大手カジノ業者「ペン・ナショナル・ゲーミング」との協議によって1500台のスロットマシン設置が計画されている。
アナランデル郡では娯楽業者「コーディッシュ社」が、「アランデル・ミルズ・モール」に4750台のスロットマシン設置を計画しているが、州議会は慎重な姿勢を見せている。ボルチモア郡では業者が複合し、計画が遅れている。彼らは「ボルチモア・レイブンズ」の本拠競技場内にカジノ開設を求めている。
交通
アナランデル郡の未編入領域ハノーバーに本部を置くメリーランド州交通省が[87]、各種管理レベルの機関を通じて州内の交通を監督している。ボルチモアに本部を置く独立系のメリーランド州交通公社が州内8か所の有料施設を維持管理している。
道路
州内を通る州間高速道路は、延長110マイル (180 km) の95号線があり、州北東部から入り、ボルチモア市を通り、キャピタル・ベルトウェイ(495号線)の東部に合流してウッドロウ・ウィルソン記念橋に向かう。68号線は州西部とハンコックという小さな町で70号線を繋ぐ、延長81マイル (130 km) である。70号線はハンコックの北、ペンシルベニア州から入り、ボルチモア市まで93マイル (150 km) 走り、道中でヘイガーズタウンやフレデリックを繋ぐ。
83号線は延長34マイル (55 km) でボルチモア市とペンシルベニア州南中部(ハリスバーグ (ペンシルベニア州)ハリスバーグやヨーク)を繋ぐ。州間高速道路81号線も11マイル (18 km) が州内を通り、ヘイガーズタウン近くを抜ける。97号線はアナランデル郡に全体が入る、1桁あるいは2桁の州間高速どうろとして2番目に短いものであり、ボルチモア地域とアナポリス地域を繋いでいる(ハワイ州に最短の道路がある)。
補助的な州間高速道路も幾つかある。その中の2本は主要都市を環状に回るものである。695号線、マッケルディン・ベルトウェイはボルチモアを取り巻いている。495号線、キャピタル・ベルトウェイはワシントンD.C.を取り巻いている。270号線はフレデリック地域と北バージニア、コロンビア特別区、ワシントンD.C.の北西郊外部を繋いでおり、主要な通勤道路であり、場所によっては14車線ある。
270号線とキャピタル・ベルトウェイはどちらも渋滞が激しい。しかし、インターカウンティ・コネクター、略号ICCが渋滞を幾らか緩和できると期待されている。ICCの建設は前知事ロバート・アーリックの選挙公約で主要部だった。アーリックは州知事を2003年から2007年まで務め、後継者のマーティン・オマリーも同じ公約を掲げている。595号線はアメリカ国道50号線および同301号線と合流し、国内でも表示のない州間高速道路として最長であり、プリンスジョージズ郡とワシントンD.C.、アナポリスを繋ぎ、チェサピーク湾橋を介して東海岸部に渡る。
州内には2号線から999号線までつけられた州道の体系もある。ただし番号の大きな州道は表示が無いか、比較的短距離である。主な州道としては、2号線、4号線、5号線、32号線、45号線、97号線、100号線、210号線、235号線、295号線、355号得sン、404号線、650号線がある。
空港
州内最大の空港はボルチモア・ワシントン国際サーグッド・マーシャル空港である。1950年に建設されたときはフレンドシップ空港と呼ばれ、2005年にボルチモア生まれでアフリカ系アメリカ人初の最高裁判所判事になったサーグッド・マーシャルの名前が付けられた。商業便がある空港としてはヘイガーズタウン地域空港とソールズベリー地域空港がある。ワシントンD.C.郊外では、北バージニアにあるロナルド・レーガン・ワシントン・ナショナル空港とワシントン・ダレス国際空港が利用できる。カレッジパーク空港は1909年に設立された国内最古の空港であり、現在も利用されている。ウィルバー・ライト(ライト兄弟の兄)がここで軍隊飛行士を訓練した[88][89]。
鉄道
ワシントンD.C.とボストンを結ぶ北東回廊を走る高速のアセラ・エクスプレスなどアムトラックの列車が、ボルチモアのペン駅、BWI空港駅、ニューキャロルトン駅、アバディーン駅に停車している。さらにロックビル駅とカンバーランドには、ワシントンD.C.とシカゴを結ぶアムトラックのキャピトル・リミテッドが停車する。
ワシントン首都圏交通公社のメトロレイル高速鉄道とメトロバスのバス体系がモンゴメリー郡とプリンスジョージズ郡、で運行し、ワシントンD.C.とを結んでいる。急行メトロバスはBWI空港とを結んでいる。メリーランド州交通省の機関であるメリーランド交通管理部も州内の交通網を提供している。ボルチモア市に本部があり、州中部と東海岸部や南部の一部を繋いでいる。ボルチモア市のライトレールとメトロ地下鉄は、人口の多い都心部と郊外を結んでいる。メリーランド交通管理部はまた市および郊外部と地方バスとを繋いでいる。その通勤バスはワシントンD.C.とボルチモアから州中部および南部や東海岸部を繋ぐ長距離路線も運行している。マークと呼ばれる通勤鉄道は3本の路線を運行しており、すべてワシントンのユニオン駅を発着点とし、ボルチモアのペン駅、カムデン、ペリービル、フレデリック、ウェストバージニア州のマーティンズバーグ各駅まで繋いでいる。さらに多くの郊外郡が独自のバス体系を運行し、メリーランド交通管理部やワシントン首都圏交通公社の補助的な役割を果たしている。
貨物鉄道は、2つの一級鉄道と、幾つかの小さな地方鉄道会社が運行している。CSXトランスポーテーションが州内に総延長560マイル (900 km) の広範な鉄道網を持ち[90]、続いてノーフォーク・サザン鉄道がある。大きな操車場がボルチモア市とカンバーランド市にある[90]。インターモーダル輸送の駅はボルチモア市にある[91]。
船舶用運河
チェサピーク・アンド・デラウェア運河は東海岸部にある長さ14マイル (23 km) の運河であり、デラウェア川とチェサピーク湾、特にボルチモア港を繋ぎ、この港の船舶の40%が利用している[92]。
教育
初等中等教育
公立の初等中等教育はメリーランド州教育省が監督しており、ボルチモア市に本部がある[93]。州教育部門の長は州教育監督官であり、教育委員会が指名し、任期は4年間である。州議会は監督官と教育委員会に対して、教育関連の判断については裁量権を与えており、公共教育の日々の機能には干渉を制限している。各郡とボルチモア市には地方教育委員会があり、公立学校の運営と特別な管理を行わせている。
州の教育予算は2009年で55億ドルであり、州の一般会計予算の約40%に相当している[94]。
州内には幅広い私立の初等中等教育学校がある。これらの多くは、カトリック教の教区学校、クエーカー、セブンスデー・アドベンチスト教会、ユダヤ教など様々な宗派に属している。2003年メリーランド州法が変更され、公的資金によるチャータースクール創設が認められた。ただしチャータースクールは地方の教育委員会に承認されねばならず、団体交渉法など教育に関する州法の適用を除外されない。
2008年、州は飛び級試験に合格する生徒の比率について全郡を指導した。2008年5月の試験では23.4%の生徒が合格した。これはメリーランド州がその栄誉を得た最初の年になった[95]。この成績で州内の3つの高校が国内100傑に入った[96]。
単科及び総合大学
州内には歴史があり著名な私立カレッジと大学が数校あり、なかでも1876年に設立されたジョンズ・ホプキンス大学はボルチモアの事業家ジョンズ・ホプキンスから認可を得たものである。
州内初の公立大学はメリーランド大学ボルチモア校であり、1807年に設立され、メリーランド大学システムの中では唯一、医学校、ヒューマンサービス、法学校が入っている。7つの学部と大学院で州内の医師、看護師、歯科医師、弁護士、ソーシャルワーカー、薬剤師の大半を訓練している[97]。州内最大の大学はメリーランド大学カレッジパーク校であり、1856年にメリーランド農学カレッジとして設立され、1864年には公立のランドグラント大学となった。1866年に設立されたタウソン大学は、州内第2の大きさの大学である。ボルチモア市にはメリーランド芸術カレッジがある。公立大学の大半はメリーランド大学システムに入っている。モーガン州立大学とセントメアリーズ・メリーランドカレッジという2つの州立機関、および健康科学統一サービス大学と海軍兵学校という2つの連邦政府機関はメリーランド大学システムに入っていない。
アナポリスのセントジョンズ・カレッジとチェスタートンのワシントン・カレッジはどちらも私立であり、州内では最古のカレッジであり、国内でも最古クラスである。その他の私立大学として、マウントセントメアリーズ大学、マクダニエル・カレッジ、フッド・カレッジ、スティーブンソン大学、ロヨラ大学メリーランド校、グーシャー・カレッジ、ソールズベリー大学がある。
芸術・文化
プロスポーツチーム
その他
同州出身の有名人
- ビック・ウィリス - 野球選手 (アメリカ野球殿堂表彰者)
- ボウイ・クーン - MLBコミッショナー・弁護士 (アメリカ野球殿堂表彰者)
- レフティ・グローブ - 野球選手 (アメリカ野球殿堂表彰者)
- アル・ケーライン - 野球選手 (アメリカ野球殿堂表彰者)
- ジュディ・ジョンソン - 野球選手 (アメリカ野球殿堂表彰者)
- ジミー・フォックス - 野球選手 (アメリカ野球殿堂表彰者)
- フランク・ベーカー - 野球選手 (アメリカ野球殿堂表彰者)
- ハロルド・ベインズ - 野球選手
- カル・リプケン・ジュニア - 野球選手 (アメリカ野球殿堂表彰者)
- ベーブ・ルース - 野球選手 (アメリカ野球殿堂表彰者)
- ジョン・バース - 作家 (メリーランドを舞台にした小説『酔いどれ草の仲買人』が代表作)
州の象徴など
- 州の鳥 - ムクドリモドキ Baltimore Oriole
- 州の木 - 白樫 White Oak
- 州の花 - 黒い瞳のスーザン Black-Eyed Susan
日本の姉妹都市
脚注
- ^ For those who distinguish them, Maryland is pronounced as in merry [ˈmɛri], not as in the name Mary [ˈmɛəri]. (Random House Dictionary)
- ^ Maryland At a Glance. Retrieved on 2007-02-07.
- ^ “Maryland's Name”. Catholic History of Maryland. Simon & Schuster. 2012年7月20日閲覧。
- ^ http://wiki.answers.com/Q/Why_is_Maryland_named_after_the_Virgin_Mary
- ^ Manual, State of Maryland. (1900) .
- ^ http://www.ncregister.com/site/article/catholics-give-thanks-to-god-in-maryland
- ^ “State Median Household Income Patterns: 1990-2010”. U.S. Census Bureau. 2012年8月6日閲覧。
- ^ a b Neill, Edward Duffield (1871). The English Colonization of America During the Seventeenth Century. Strahan & Co.. pp. 214–215 2007年12月9日閲覧。
- ^ a b Stewart, George R. (1967) [1945]. Names on the Land: A Historical Account of Place-Naming in the United States (Sentry edition (3rd) ed.). Houghton Mifflin. pp. 42–43
- ^ “Maryland's Name”. Maryland at a Glance. Maryland State Archives. 2008年1月21日閲覧。
- ^ http://en-two.iwiki.icu/wiki/Maryland_Toleration_Act
- ^ a b c d Hubbard, Bill, Jr. (2009). American Boundaries: the Nation, the States, the Rectangular Survey. University of Chicago Press. pp. 21–23. ISBN 978-0-226-35591-7
- ^ John Esten Cooke (1883). Virginia, a history of the people. Houghton, Mifflin. pp. 208–216 2013年6月22日閲覧。
- ^ “History – Seventeenth Century through the Present”. Anne Arundel County—Citizens Information Center (2003年). 2013年6月22日閲覧。
- ^ "Indentured Servants and the Pursuits of Happiness". Crandall Shifflett, Virginia Tech.
- ^ a b Paul Heinegg. Free African Americans in Virginia, North Carolina, South Carolina, Maryland and Delaware. Retrieved 15 February 2008.
- ^ Dilts, James D. (1993). The Great Road: The Building of the Baltimore and Ohio, the Nation's First Railroad, 1828–1853. Palo Alto, CA: Stanford University Press. p. 80. ISBN 0-8047-2235-8
- ^ Stover, John F. (1987). History of the Baltimore and Ohio Railroad. West Lafayette, IN: Purdue University Press. p. 18. ISBN 0-911198-81-4
- ^ a b Peter Kolchin, American Slavery: 1619–1877, New York: Hill and Wang, 1993, pp. 81–82
- ^ “William Preston Lane Jr. Memorial Bay Bridge – History”. baybridge.com. 2008年2月5日閲覧。
- ^ “Belgium”. CIA World Factbook. Central Intelligence Agency (2008年5月15日). 15 May 2008閲覧。 “Area – comparative: about the size of Maryland”
- ^ “Maryland Facts”. Kids Room. Maryland Office of Tourism. 2008年4月26日時点のオリジナルよりアーカイブ。2008年5月19日閲覧。
- ^ http://dnrweb.dnr.state.md.us/download/gp_coastal_west.pdf
- ^ “Maryland's Lakes and Reservoirs: FAQ”. Maryland Geological Survey (January 24, 2007). 2008年2月3日閲覧。
- ^ “The South As It's〔ママ〕 Own Nation”. League of the South (2004年). 2008年5月23日閲覧。 “On the other hand, areas beyond these thirteen States maintain their Southern culture to varying degrees. Much of Missouri remains basically Southern, as do parts of southern Maryland and Maryland’s eastern shore.”
- ^ Beck, John; Randall, Aaron; and Frandsen, Wendy (2007年6月27日). “Southern Culture: An Introduction” (PDF). Durham, North Carolina: Carolina Academic Press. pp. 14–15. 2008年5月23日閲覧。 “Kentucky, Missouri, West Virginia [...] and Maryland —slaveholding states and regions before the Civil War that did not secede from the Union – are also often included as part of the South. As border states, these states always were crossroads of values and customs, and today [...] parts of Maryland seem to have become part of the “Northeast.”
- ^ U.S. Census Bureau
- ^ “Regions of the United States”. American Memory. The Library of Congress. 2009年8月11日閲覧。
- ^ “Region 3: The Mid-Atlantic States”. www.epa.gov. U.S. Environmental Protection Agency. 2009年8月11日閲覧。
- ^ “Your Local FBI Office”. www.fbi.gov. Federal Bureau of Investigation. 2009年8月11日閲覧。
- ^ “Routes Serving the Northeast”. National Railroad Passenger Corporation. 2009年8月11日閲覧。
- ^ “Best Regional Colleges”. www.princetonreview.com. The Princeton Review. 2009年8月11日閲覧。
- ^ a b c d “Hardiness Zones”. Arbor Day Foundation. 2013年3月5日閲覧。
- ^ “Snowfall Map”. 2010年10月24日閲覧。
- ^ [1] NOAA National Climatic Data Center. Retrieved on October 24, 2006.
- ^ “NowData – NOAA Online Weather Data”. National Oceanic and Atmospheric Administration. 2012年12月17日閲覧。
- ^ “Station Name: MD CUMBERLAND 2”. National Oceanic and Atmospheric Administration. 2013年3月5日閲覧。
- ^ “Station Name: MD FREDERICK POLICE BRKS”. National Oceanic and Atmospheric Administration. 2013年3月5日閲覧。
- ^ “Station Name: MD MD SCI CTR BALTIMORE”. National Oceanic and Atmospheric Administration. 2013年2月27日閲覧。
- ^ “Station Name: MD OCEAN CITY MUNI AP”. National Oceanic and Atmospheric Administration. 2013年3月5日閲覧。
- ^ Olson, D. M, E. Dinerstein, et al (2001). “Terrestrial Ecoregions of the World: A New Map of Life on Earth”. BioScience 51 (11): 933–938. doi:10.1641/0006-3568(2001)051[0933:TEOTWA]2.0.CO;2 .
- ^ “Zone Hardiness Map through Prairie Frontier”. Prairiefrontier.com. 2010年10月24日閲覧。
- ^ The History of Maryland, From its first settlement, in 1633, to the restoration, in 1660, with a copious introduction, and notes and illustrations. Books.google.com. (1837) 2010年10月24日閲覧。
- ^ “Invasive Species of concern in Maryland”. Mdinvasivesp.org. 2010年10月24日閲覧。
- ^ Euphydryas phaeton (Drury, 1773), Butterflies and Moths of North America
- ^ “Official list of the birds of Maryland”. Maryland/District of Columbia Records Committee. 2009年5月4日閲覧。
- ^ a b c [2] Maryland's Public Information Network Retrieved on 4-9-2008.
- ^ Therres, Glenn (2007年). “Lions in our mountains? The mystery of cougars in Maryland” (PDF). Wildlife and Heritage. Maryland Department of Natural Resources. 6 July 2009閲覧。 “Historically bobcats were distributed statewide but during the post colonization period densities began to plummet. By the mid-1900s, populations had probably reached all-time lows, with remnant populations existing only in western Maryland. This prompted the Department of Natural Resources (DNR) to classify them as a state-listed “Species of Special Concern.” During the past quarter century, occupied range and densities have increased markedly. Results from the annual Bowhunter Survey and the Hunter Mail survey have identified bobcat sightings in 14 of Maryland’s 23 counties. Currently, bobcats have dual legal classification in Maryland. In addition to the Species of Special Concern designation, they are also defined as a Game Animal / Furbearer with a closed harvest season.”
- ^ “Coyotes in Maryland”. Maryland Department of Natural Resources. 16 September 2011閲覧。 “Coyotes were historically a western species with core populations found west of the Mississippi River. Alterations and/or elimination of competing predators during the post-European colonization period facilitated rapid range expansion into eastern North America during the 20th Century. Established populations now occur in every state and province in North America. Coyotes are a relatively new addition to local ecosystems, and were first documented in Maryland during 1972. Initial substantiated sightings occurred in Cecil, Frederick and Washington counties. Since that time population densities and occupied range have expanded incrementally and coyotes now occur statewide.”
- ^ “Assateague Island National Seashore Wild Ponies”. Assateagueisland.com. 2010年10月24日閲覧。
- ^ a b “Chesapeake Bay Retriever History”. K9web.com. 2010年10月24日閲覧。
- ^ “Maryland Government Website – Maryland State Bird”. Msa.md.gov (2010年6月7日). 2010年10月24日閲覧。
- ^ “– America's Greenest States”. Forbes.com (2007年10月16日). 2010年10月24日閲覧。
- ^ “M2.0 – Maryland”. 25 November 2012閲覧。
- ^ “M3.4 – Maryland Potomac-Shenandoah Region”. 25 November 2012閲覧。
- ^ Resident Population Data. “Resident Population Data – 2010 Census”. 2010.census.gov. December 24, 2012閲覧。
- ^ “Annual Estimates of the Population for the United States, Regions, States, and Puerto Rico: April 1, 2010 to July 1, 2012” (CSV). 2012 Population Estimates. United States Census Bureau, Population Division (December 2012). December 24, 2012閲覧。
- ^ Yau, Jennifer (2007年). “The Foreign Born from Korea in the United States”. Migration Policy Institute. 2007年12月23日閲覧。
- ^ “About Us: Korean Americans in Maryland”. Johns Hopkins Bloomberg School of Public Health. 2007年12月23日閲覧。
- ^ “Population and Population Centers by State – 2000”. United States Census Bureau. 2008年12月5日閲覧。
- ^ http://quickfacts.census.gov/qfd/states/24000.html
- ^ a b “Maryland QuickFacts”. U.S. Census Bureau (December 23, 2011). January 14, 2012閲覧。
- ^ “Italian American Population in All 50 States”. Niaf.org. 2008年9月22日閲覧。
- ^ “Maryland – Race and Hispanic Origin: 1790 to 1990”. U.S. Census Bureau. April 18, 2012閲覧。
- ^ “Languages in Maryland” (PDF). U.S.ENGLISH Foundation, Inc. 2012年5月22日閲覧。 “Prince George’s County has the highest percentage of Kru/Ibo/Yoruba speakers of any county in the nation.”
- ^ Exner, Rich (June 3, 2012). “Americans under age 1 now mostly minorities, but not in Ohio: Statistical Snapshot”. The Plain Dealer
- ^ Department of Legislative Services (2008年6月). “Overview of Hispanic Community in Maryland” (PDF). pp. 6–7. July 5, 2012閲覧。
- ^ “Minority population surging in Texas”. msnbc.com. Associated Press. (August 18, 2005) December 7, 2009閲覧。
- ^ “census.gov/compendia/statab/2010/tables/10s0077.xls”. 2010年10月24日閲覧。
- ^ It became a part of the District of Columbia when that city was created in the 1790s.
- ^ Lamy, Rudolf B. (2006). "A Study of Scarlet: Red Robes and the Maryland Court of Appeals." Monograph. (Annapolis, MD: Maryland State Law Library.)
- ^ http://www.cnn.com/ELECTION/2008/results/individual/#mapPMD
- ^ Steny Hoyer, Fifth Congressional District of Maryland. U.S. House of Representatives. Retrieved December 8, 2006 from http://hoyer.house.gov
- ^ アムネスティ・インターナショナル(2013年5月13日)「米国:メリーランド州も死刑を廃止」
- ^ “State Economic Growth Widespread in 2006” (PDF). bea.gov. U.S. Department of Commerce: Bureau of Economic Analysis. 2009年8月11日閲覧。
- ^ Dolan, Karen (January 30, 2012). “A better way of measuring progress in Maryland”. Baltimore Sun
- ^ http://www.thesolutionsjournal.com/node/1070
- ^ American FactFinder, United States Census Bureau. “U.S. Census Bureau, September 29, 2010”. Factfinder.census.gov. 2010年10月24日閲覧。
- ^ U.S. Poverty Rate Drops; Ranks of Uninsured Grow washingtonpost.com.
- ^ Maryland is ranked as richest state baltmioresun.com.(2007年9月30日時点のアーカイブ)
- ^ US Poverty Rate Declines Significantly FOXNews.com.(2007年10月16日時点のアーカイブ)
- ^ Bls.gov; Local Area Unemployment Statistics
- ^ U.S. Army Corps of Engineers. Waterborne Commerce Statistics Center. New Orleans, LA. "Tonnage for Selected U.S. Ports in 2008." Revised 2010-02-17.
- ^ “Maryland State taxes”. BankRate.com. 2008年4月9日閲覧。
- ^ “Maryland Income Tax Information – Local Tax Rates”. Individuals.marylandtaxes.com. 2008年9月22日閲覧。
- ^ “Maryland's Bioscience Environment: 2009”. The Maryland Biotechnology Center. 2011年8月19日閲覧。
- ^ "MDOT Departments." Maryland Department of Transportation. Retrieved on March 23, 2009.
- ^ www.collegeparkaviationmuseum.com
- ^ “Frederick E. Humphreys: First Military Pilot”. New York State Division of Military and Naval Affairs: Military History (December 9, 2008). November 23, 2010閲覧。
- ^ a b CSX Transportation. Jacksonville, FL (2010). "CSX and Maryland."
- ^ Maryland Port Administration. Baltimore, MD. "Seagirt Marine Terminal." Retrieved 2011-10-31.
- ^ U.S. Army Corps of Engineers. Philadelphia, PA. "The Chesapeake and Delaware Canal.". Retrieved 2010-06-27.
- ^ "About MSDE." Maryland State Department of Education. Retrieved on March 22, 2009.
- ^ “Slicing education?”. gazette.net. The Gazette. p. A-9 (October 30, 2009). November 12, 2009閲覧。 “As it stands, the $5.5 billion Maryland spends on education makes up about 40 percent of the general fund budget....”
- ^ de Vise, Daniel (5 February 2009). “Md. Leads U.S. in Passing Rates on AP Exams”. Washington Post: pp. B1 2009年2月18日閲覧。
- ^ “Best High Schools: Gold Medal List”. usnews.com. U.S. News & World Report. November 7, 2009閲覧。
- ^ University of Maryland, Baltimore; http://www.umaryland.edu/about/
参考文献
- Brugger, Robert J. (1988). Maryland, A Middle Temperament: 1634-1980. Baltimore: Johns Hopkins University Press. ISBN 0-8018-5465-2
- Davis, William Wilkins. Religion and Politics in Maryland on the Eve of the Civil War: The Letters of W. Wilkins Davis. Foreword by Charles W. Mitchell. 1988; rev. ed., Eugene, Ore.: Wipf & Stock, 2009.
- Chappelle, Susan Ellery Green; et al. (1986). Maryland: A History of its People. Baltimore: Johns Hopkins University Press. ISBN 0-8018-3005-2
- Denton, Lawrence M. (1995). A Southern Star for Maryland. Baltimore: Publishing Concepts. ISBN 0-9635159-3-4
関連項目
- メリーランド州の都市圏の一覧
- メリーランド州の郡一覧
- キャンプデービッド - 州の国立公園内にあり、大統領専用の別荘として使われている。