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'''本初子午線'''(ほんしょしごせん)とは、[[経度]]0[[度 (角度)|度]]0[[分 (角度)|分]]0[[秒 (角度)|秒]]と定義された[[子午線]](経線)のことである。「本初」とは「最初」という意味である。 |
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[[ファイル:Prime-meridian.jpg|thumb|グリニッジ子午線の基準になっている、グリニッジ天文台旧本館の窓。窓の中央の線がグリニッジ子午線である。初代天文台長[[ジョン・フラムスチード]]がここで観測を行い、観測結果を基にグリニッジ子午線が決定されたことから、この場所が基準になっている。]] |
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'''グリニッジ子午線'''(グリニッジしごせん、[[:en:Prime Meridian (Greenwich)|Prime meridian at Greenwich]])は、[[イギリス]]・[[ロンドン]]の旧王立[[グリニッジ天文台]]の跡地を通る[[子午線]](経線)である。歴史的にこの子午線を経度の基準(0°0′0″)として採用することが多かった。これを'''本初子午線'''(ほんしょしごせん、[[:en:Prime meridian|prime meridian]])と呼ぶ<ref>「本初」とは「最初」、すなわち経度0°0′0″を意味する。</ref>。子午線上で天体を観測することは時刻を定めることとなり、[[グリニッジ平均時]](グリニッジの[[平均太陽時]])が定義される。<!--<ref>GPSなどで用いられているWGS84測地系での経度0°0′0″の子午線は天文台から102.5m東にずれている。WGS84測地系では、GPS時刻を基にした測地系を元にしている。これらの計算において当初GPSの時刻の精度を安定できなかったため、計算によって求められた測地系では位置がずれることになった。</ref>--> |
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[[File:Atlas Cosmographicae (Mercator) 033.jpg|thumb|right|[[ゲラルドゥス・メルカトル]]の''[[Atlas Cosmographicae]]''(1595年)では[[西経25度線]]付近が本初子午線となっている。この子午線は[[大西洋]]の[[アゾレス諸島]]・[[サンタマリア島]]のすぐ西を通過する。180度経線は、当時存在が信じられていた{{仮リンク|アニアン海峡|en|Strait of Anian}}を通っている。]] |
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==歴史== |
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[[赤道]]や[[地理極]]という明確な基準のある[[緯度]]と異なり、経度には明確な基準が自然には存在しないため、本初子午線は人為的に設定する必要がある。過去、世界各地で様々な子午線が本初子午線に設定されてきた。<ref>[http://www.geog.port.ac.uk/webmap/hantsmap/hantsmap/meridian.htm Prime Meridian], geog.port.ac.uk</ref>現在では、[[イギリス]]・[[ロンドン]]郊外の旧[[グリニッジ天文台]]跡を通過する'''[[グリニッジ子午線]]'''が、世界で共通に使用される本初子午線となっており、「本初子午線」と「グリニッジ子午線」はほぼ同じ意味で使用される。 |
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そもそも、グリニッジ天文台は基準子午線を決定するための観測のために設置された。初代台長[[ジョン・フラムスティード]]はグリニッジ天文台で観測した厳密な恒星図を作り世界各地でグリニッジとの観測時間の差を測定すればグリニッジ天文台との経度差が分かると考え、[[天球図譜|フラムスティード天球図譜]]という星図を製作した。この星図はその後、航海者によって広く使われた。 |
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本初子午線は、[[180度経線]]とともに[[大圏コース|大円]]を形成する。この大円により、地球表面は2つの[[地球の半球|半球]]に分けられ、本初子午線の東の半球を[[東半球]]、西の半球を[[西半球]]という。 |
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一方、他国もそれぞれの国の天文台を基点とした星図を作った。しかし[[1750年代]]、イギリスが世界的な海運国になると星図もフラムスティードのものが全ヨーロッパ的に使われることが多くなった。世界の[[海図]]の多くも早くからグリニッジ子午線を基準に採用した。 |
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== 歴史 == |
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その後、鉄道網の整備が始まると<!--国際列車の運行の際に-->陸域でも<!--全世界的に-->地域共通の時刻が必要とされはじめた。イギリスではロンドンの時間である[[グリニッジ平均時]]が鉄道の運行に用いる「鉄道時間」として採用が始まった。その後、イギリス全土で共通の時刻を用いるよう収斂していった。 |
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[[File:PtolemyWorldMap.jpg|thumb|right|[[クラウディオス・プトレマイオス|プトレマイオス]]の世界地図(150年ごろ。15世紀の複製)]] |
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経度の記法は[[アレクサンドリア]]の[[エラトステネス]]([[紀元前276年]]頃 - [[紀元前195年]]頃)と[[ロドス島|ロドス]]の[[ヒッパルコス]]([[紀元前190年]]頃 - [[紀元前120年]]頃)によって考案され、[[地理学者]][[ストラボン]]([[紀元前63年]]頃 - [[23年]]頃)によって数多くの都市に適用された。しかし、世界地図に一貫性のある経度を使用したのは、[[クラウディオス・プトレマイオス|プトレマイオス]]([[90年]]頃 - [[168年]]頃)の著書『{{仮リンク|地理学 (プトレマイオス)|en|Geography (Ptolemy)|label=ゲオグラフィア}}』(Geographia、地理学)が最初であった。 |
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プトレマイオスは、"[[:en:Fortunate Isles|Fortunate Isles]]"と呼ばれた[[カナリア諸島]](西経13 - 18度)などの[[大西洋]]の島々を基準とした。[[アフリカ]]の最西端(西経17.5度)より西に本初子午線を設定することにより、プトレマイオスの地図には負の経度が現れない。プトレマイオスの本初子午線は、[[ウィンチェスター (イングランド)|ウィンチェスター]](およそ西経20度)より西に18度40分の子午線に相当する。<ref>{{harvnb|Norgate|2006}}</ref> このときよく用いられていた経度観測法は、異なる国での[[月食]]の観測時間を比較する方法であった(月食は世界中で同時に観測されるため)。 |
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[[1850年]]、[[アメリカ合衆国]]はグリニッジ子午線を基準に採用した。アメリカは領土が東西に長く広い鉄道網を持っていたため、国内で統一した子午線を使うことが必要とされていた。 |
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[[File:Worldmap 1529-Ribero.jpeg|thumb|right|ディオゴ・リベイロの1529年の地図(バチカン図書館所蔵)]] |
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一方[[1875年]]、[[国際地理学会]]は[[カナリア諸島]]フェルロを基点とする子午線を基準子午線とすることを決議した。全世界的に採用するには特定国の首都などは避けたほうがいいという主張を受け入れたものだが、実際にはカナリア諸島を基点とすると[[パリ]]を基準にするのとほぼ同じ意味になる(経度差がちょうど15度のため)という理由であった。しかし、この基準子午線はフランス以外の国には非常に不評だった。 |
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プトレマイオスの『ゲオグラフィア』は、その地図とともに1477年に[[ボローニャ]]で初めて[[印刷]]された。そして、初期の[[地球儀]]はプトレマイオスの地図を元に作成された。しかし、「自然の」本初子午線を画定するという試みは引き続きあった。[[クリストファー・コロンブス]]は1493年に、大西洋の中央のどこかで[[方位磁針]]が真北を指した(自差が0になった)と報告した。そして、この報告を元に、1494年の[[トルデシリャス条約]]で、[[スペイン]]と[[ポルトガル]]の間で[[新世界]]の境界が定められた。トルデシリャス条約で定められた境界は、[[ベルデ岬]]から西に370[[リーグ (単位)|リーグ]]の子午線に設定された。これが{{仮リンク|ディオゴ・リベイロ|en|Diogo Ribeiro}}の1529年の地図に表されている。 |
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遅くとも1594年の[[クリストファー・サクストン]]のころまで、[[アゾレス諸島]]の[[サンミゲル島]](西経25.5度)が本初子午線として使用されてきたが、この頃から、方位磁針の自差が0になる線は子午線に沿って直線状に伸びるものではないということがわかってきた。<ref>{{harvnb|Hooker|2006}}</ref> |
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[[1881年]]に再度開かれた国際地理学会では、カナリア諸島は基点としては不適で重要な観測拠点となりうる天文台を基点とするべきだという主張が行われた。 |
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[[File:OrteliusWorldMap1570.jpg|thumb|right|1570年の[[アブラハム・オルテリウス]]の世界地図]] |
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[[1884年]][[10月13日]]、アメリカ合衆国の提案で[[国際子午線会議]]{{enlink|International Meridian Conference}}が[[ワシントンD.C.]]で開かれた。日本からは[[菊池大麓]]が参加した。フランスは中立国を基点とするよう主張したがフランスの提案地には重要な天文台がない場所が多かったため、この提案は顧みられなかった。投票の結果、グリニッジ天文台を基点とする案が採用されグリニッジ子午線は国際的な基準子午線となった。 |
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1541年、[[ゲラルドゥス・メルカトル|メルカトル]]は41cmの地球儀を作成し、カナリア諸島の[[フエルテベントゥラ島]](西経14度1分)を通る箇所に本初子午線を引いた。彼の後の地図では、磁気の仮説に従ってアゾレス諸島を本初子午線とした。 |
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しかし、1570年に[[アブラハム・オルテリウス|オルテリウス]]が最初の地図を刊行する頃には、[[ベルデ岬]]のような他の島が本初子午線として使用されるようになってきた。オルテリウスの地図では、経度は今日のような西経180度から東経180度ではなく、0度から360度であった。この経度は18世紀まで使用された。<ref>例えば、[[ヤーコプ・ロッヘフェーン]]は1722年に[[イースター島]]の経度を268度45分(フエルテベントゥラ島を0度として)と報告している。{{citation|title=The voyage of Don Felipe Gonzalez to Easter Island in 1770-1|editor=Bolton Glanville Corney|year=1908|page=3|publisher=Hakluyt Society|url=http://archive.org/stream/voyagecaptaindo00unkngoog#page/n88/mode/2up|accessdate=13 Jan 2013}}</ref> |
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1634年、フランスの政治家[[リシュリュー]]は、[[パリ]]から西に19度55分の所にあるカナリア諸島最西端の[[エル・イエロ島|フェロ島]]を本初子午線とした([[フェロ子午線]])。不幸にも、フランスの地図製作者{{仮リンク|ギョーム・ドリル|en|Guillaume Delisle}}がパリとフェロ島との経度差をちょうど20度に丸めていたことから、フェロ子午線がフランスの本初子午線に採用されることとなった。<ref>Speech by Pierre Janssen, director of the Paris observatory, at the first session of the [http://www.gutenberg.org/files/17759/17759-h/17759-h.htm#Page_73 Meridian Conference.]</ref> |
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18世紀初頭、[[ジョン・ハリソン (時計職人)|ジョン・ハリソン]]による[[クロノメーター]]の開発と、正確な[[星図]]の発達により、海上における経度の測定が改善された。星図については特に、初代イギリス[[王室天文官]]の[[ジョン・フラムスティード]]が1680年から1719年にかけて作成し、彼の後継者である[[エドモンド・ハレー]]が広めた[[天球図譜]]が多くの航海者によって使われた。これにより航海者は、{{仮リンク|トーマス・ ゴッドフリー|en|Thomas Godfrey (inventor)}}と[[ジョン・ハドリー]]が開発した[[八分儀]]を使用して、{{仮リンク|月距法|en|Lunar distance (navigation)}}によってより正確な経度の測定が行えるようになった。<ref>{{harvnb|Sobel|Andrewes|1998|pp=110–115}}</ref>1765年から1811年の間、[[ネヴィル・マスケリン]]は49版の『{{仮リンク|航海年鑑|en|The Nautical Almanac}}』を刊行した。それは、[[グリニッジ天文台]]を通る[[グリニッジ子午線]]を基準とするものであった。マスケリンの航海年鑑は、月距法を実用的なものにしただけでなく、グリニッジ子午線を全世界の基準点とした。航海年鑑のフランス語訳では、マスケリンの計算結果を[[パリ子午線]]基準に換算していた。<ref>{{harvnb|Sobel|Andrewes|1998|pp=197–199}}</ref> |
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その後、鉄道網の整備が始まると<!-- 国際列車の運行の際に -->陸域でも<!-- 全世界的に -->地域共通の時刻が必要とされはじめた。イギリスではロンドンの時間である[[グリニッジ平均時]]が鉄道の運行に用いる「鉄道時間」として採用が始まった。その後、イギリス全土で共通の時刻を用いるよう収斂していった。 |
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[[1850年]]、[[アメリカ合衆国]]はグリニッジ子午線を基準に採用した。アメリカは領土が東西に長く広い鉄道網を持っていたため、国内で統一した子午線を使うことが必要とされていた。一方[[1875年]]、[[国際地理学会]]は[[カナリア諸島]]フェルロを基点とする[[フェロ子午線]]を基準子午線とすることを決議した。全世界的に採用するには特定国の首都などは避けたほうがいいという主張を受け入れたものだが、実際にはカナリア諸島を基点とすると[[パリ]]を基準にするのとほぼ同じ意味になる(経度差がちょうど20度のため)という理由であった。しかし、この基準子午線はフランス以外の国には非常に不評だった。[[1881年]]に再度開かれた国際地理学会では、カナリア諸島は基点としては不適で重要な観測拠点となりうる天文台を基点とするべきだという主張が行われた。 |
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[[1884年]][[10月13日]]、アメリカ合衆国の提案で[[国際子午線会議]]{{enlink|International Meridian Conference}}が[[ワシントンD.C.]]で開かれた。日本からは[[菊池大麓]]が参加した。フランスは中立国を基点とするよう主張したがフランスの提案地には重要な天文台がない場所が多かったため、この提案は顧みられなかった。投票の結果、グリニッジ天文台を基点とする案が採用され、グリニッジ子午線は国際的な基準子午線となった。 |
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日本では、江戸時代以前には暦の計算や測量などには[[京都]]にあった改暦所という役所を通る子午線を基準としていた。[[1871年]]に日本の基準子午線は東京の[[皇居]]([[江戸城]])富士見櫓を通る子午線に移された。[[1886年]][[7月13日]]の勅令「[[s:本初子午線經度計算方及標準時ノ件|本初子午線經度計算方及標準時ノ件]]」で、グリニッジ子午線を基準子午線として採用することが定められた。 |
日本では、江戸時代以前には暦の計算や測量などには[[京都]]にあった改暦所という役所を通る子午線を基準としていた。[[1871年]]に日本の基準子午線は東京の[[皇居]]([[江戸城]])富士見櫓を通る子午線に移された。[[1886年]][[7月13日]]の勅令「[[s:本初子午線經度計算方及標準時ノ件|本初子午線經度計算方及標準時ノ件]]」で、グリニッジ子午線を基準子午線として採用することが定められた。 |
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フランスは[[1911年]][[3月9日]]にグリニッジ子午線を採用した。 |
フランスは[[1911年]][[3月9日]]にグリニッジ子午線を採用した。 |
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== 世界各地の本初子午線 == |
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[[国際地球回転及び基準座標系事業]]{{enlink|International Earth Rotation and Reference Systems Service}}(IERS)によって定義、保持されている[[測地系]]が国際地球基準座標系(ITRF)であり、[[アメリカ国防総省]]の運営する[[グローバル・ポジショニング・システム|GPS]]の基準座標系にもなっている。その基準子午線はグリニッジ天文台から東に5.64秒、距離にして102.5mずれている。これはGPSの前身となるTRANSIT衛星の座標系として北米測地系1927を基準としたためである。[[国際水路機関]]は1983年にすべての海図で国際地球基準座標系を採用している。 |
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{| class="wikitable" |
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! 地名 |
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! GPSによる経度 |
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! width=200px | 子午線の名称 |
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! 備考 |
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| [[ベーリング海峡]] || 西経168度30分 |
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* ベーリング海峡は、1884年の国際子午線会議で、[[ピエール・ジャンサン]]により「自然な本初子午線の可能性」として提案された。<ref>[http://www.gutenberg.org/files/17759/17759-h/17759-h.htm International Conference Held at Washington for the Purpose of Fixing a Prime Meridian and a Universal Day. October, 1884]. Project Gutenberg</ref> |
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* 西経168度15分から168度45分の範囲がUrion Argadorにより提案されている。<ref>http://www.reissmann.info/bibliotheke/projektoi/AUXhA%20--%2019372-07-06%20=%202006-03-25%20--%20Argadorian%20Calendar%20--%20en.pdf</ref> 反対側の東経11度30分は、{{仮リンク|ペテルス世界地図|en|Peters World Map}}で使用されている{{仮リンク|フィレンツェ子午線|en|Florence meridian}}(東経11度15分)に近い。 |
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| [[ワシントンD.C.]] || 西経77度03分56.07秒(1897), 西経77度04分02.24秒 (NAD 27), 西経77度04分01.16秒 (NAD 83) |
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| [[新海軍天文台子午線]] |
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| [[ワシントンD.C.]] || 西経77度02分48.0秒, 西経77度03分02.3秒, 西経77度03分06.119秒, 西経77度03分06.276秒 (both presumably NAD 27). If NAD27, the latter would be 77度03分05.194秒 (NAD 83) |
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| [[旧海軍天文台子午線]] |
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| [[ワシントンD.C.]] || 西経77度02分11.56258秒 (NAD 83), 西経77度02分11.55880秒 (NAD 83), 西経77度02分11.57375秒 (NAD 83) |
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| [[ホワイトハウス子午線]] |
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| [[ワシントンD.C.]] || 西経77度00分32.6秒 (NAD 83) |
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| [[議事堂子午線]] |
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| [[フィラデルフィア]] || 西経75度10分12秒 |
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| [[リオデジャネイロ]] || 西経43度10分19秒 |
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| <ref>[http://www.maproom.org/00/49/index.php Atlas do Brazil], 1909, by Barao Homem de Mello e Francisco Homem de Mello, published in Rio de Janeiro by F. Briguiet & Cia.</ref> |
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| [[フエルテベントゥラ島]]([[アゾレス諸島]]) || およそ 西経25度40分32秒 |
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| 中世まで使用。国際子午線会議で[[ピエール・ジャンサン]]が「自然な本初子午線の可能性」として提案した。<ref name="gutenberg.org">http://www.gutenberg.org/files/17759/17759-h/17759-h.htm</ref> |
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| [[エル・イエロ島]](フェロ島)([[カナリア諸島]]) || 西経18度03分, <br> {{nowrap|later redefined as}} <br> 西経17度39分46秒 |
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| [[フェロ子午線]] |
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| 古代、[[クラウディオス・プトレマイオス|プトレマイオス]]の『{{仮リンク|地理学 (プトレマイオス)|en|Geography (Ptolemy)|label=ゲオグラフィア}}』で使用。後に「グリニッジから西に17度39分46秒」から、「パリから西に20度」に再定義された。 |
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| [[リスボン]] || 西経9度07分54.862秒 |
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| [[マドリード]] || 西経3度41分16.58秒 |
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| [[グリニッジ]] || 西経0度00分05.3101秒 |
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| [[グリニッジ子午線]] |
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| [[ジョージ・ビドル・エアリー|エアリー]]子午線<ref name="thegreenwichmeridian.org">http://www.thegreenwichmeridian.org/tgm/articles.php?article=8</ref> |
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| グリニッジ || 西経0度00分05.33秒 |
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| {{仮リンク|イギリス測量局ゼロ経線|en|United Kingdom Ordnance Survey Zero Meridian}} |
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| [[ジェームズ・ブラッドリー|ブラッドリー]]子午線<ref name="thegreenwichmeridian.org"/> |
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| グリニッジ || 西経0度00分00.00秒 |
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| {{仮リンク|IERS基準子午線|en|IERS Reference Meridian}} |
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| [[パリ]] || 東経2度20分14.025秒 |
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| [[パリ子午線]] |
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| [[ブリュッセル]] || 東経4度22分4.71秒 |
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| [[アントワープ]] || 東経4度24分 |
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| {{仮リンク|アントワープ子午線|en|Antwerp Meridian}} |
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| メルカトルが使用 |
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| [[アムステルダム]] || 東経4度53分 |
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| {{仮リンク|西教会|en|Westerkerk}}を通過する経線。1909年から1937年まで、オランダの公式の時間を定義するのに使用された。 |
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| [[ベルン]] || 東経7度26分22.5秒 |
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| [[ピサ]] || 東経10度24分 |
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| [[オスロ]](クリスチャニア) || 東経10度43分22.5秒 |
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| [[フィレンツェ]] || 東経11度15分 |
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| {{仮リンク|フィレンツェ子午線|en|Florence Meridian}} |
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| {{仮リンク|ペテルス世界地図|en|Peters World Map}}で使用。[[対蹠地]](地球の反対側)は[[ベーリング海峡]]を通る。 |
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| [[ローマ]] || 東経12度27分08.4秒 |
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| ''{{仮リンク|モンテマリオ|en|Monte Mario}}の子午線'' |
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| [[コペンハーゲン]] || 東経12度34分32.25秒 |
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| {{仮リンク|ラウンドタワー (コペンハーゲン)|label=ラウンドタワー|en|Rundetårn}}の経度 |
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| [[ナポリ]] || 東経14度15分 |
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| <ref name="gutenberg.org"/> |
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| [[ストックホルム]] || 東経18度03分29.8秒 |
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| [[ストックホルム天文台]]の経度 |
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| [[ワルシャワ]] || 東経21度00分42秒 |
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| {{仮リンク|ワルシャワ子午線|en|Warsaw Meridian}} |
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| [[オラデア]] || 東経21度55分16秒 |
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| [[アレクサンドリア]] || 東経29度53分 |
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| <ref>[[クラウディオス・プトレマイオス|プトレマイオス]]の[[アルマゲスト]]の子午線</ref> |
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| [[サンクトペテルブルク]] || 東経30度19分42.09秒 |
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| プルコヴォ子午線 |
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| [[プルコヴォ天文台]]の経度 |
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| [[ギザの大ピラミッド]] || 東経31度08分03.69秒 |
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| 1884年 <ref>Wilcomb E. Washburn, "[http://muweb.millersville.edu/~columbus/data/geo/WASHBR04.GEO The Canary Islands and the Question of the Prime Meridian: The Search for Precision in the Measurement of the Earth]"</ref> |
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| [[エルサレム]] || 東経35度13分47.1秒 |
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| [[聖墳墓教会]]のドームの経度 |
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| [[メッカ]] || 東経39度49分34秒 |
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| {{仮リンク|メッカ時間|en|Mecca Time}} |
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| {{仮リンク|ウッジャイン|en|Ujjain}} || 東経75度47分 |
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| 4世紀からインドの天文や暦に使用<ref>{{harvnb|Burgess|c. 2013}}</ref> |
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| [[京都市|京都]] || 東経135度74分 |
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| [[1779年]]から[[1871年]]まで日本の地図や暦で使用。中京区西月光町の京都改暦所を通る経線。 |
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| || 180度 |
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| グリニッジ子午線の反対側。[[1884年]][[10月13日]]の[[国際子午線会議]]で{{仮リンク|サンドフォード・フレミング|en|Sandford Fleming}}が提案した。<ref name="gutenberg.org"/> |
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|} |
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== 国際本初子午線 == |
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1884年10月、世界で共通に使用する「経度0度」を決めるために[[ワシントンD.C.]]で開かれた[[国際子午線会議]]{{enlink|International Meridian Conference}}において、25カ国41人の代表者によって[[グリニッジ子午線]]を国際本初子午線とすることが採択された。<ref name=imc>{{cite web|title=International Conference Held at Washington for the Purpose of Fixing a Prime Meridian and a Universal Day. October, 1884. Protocols of the proceedings.|url=http://www.gutenberg.org/files/17759/17759-h/17759-h.htm|publisher=Project Gutenberg|accessdate=30 November 2012|year=1884}}</ref> |
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=== グリニッジの本初子午線 === |
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[[File:Prime meridian.jpg|180px|thumb|right|グリニッジ天文台の本初子午線の表示]] |
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{{Main|グリニッジ子午線}} |
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現代の本初子午線は、[[グリニッジ天文台]]を基準としたもので、[[1851年]]に当時の台長[[ジョージ・ビドル・エアリー]]が設定したものである。<ref name="Greenwich Observatory p.10">Greenwich Observatory ... the story of Britain's oldest scientific institution, the Royal Observatory at Greenwich and Herstmonceux, 1675-1975 p.10. Taylor & Francis, 1975</ref> |
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グリニッジ子午線の位置は、エアリーが1851年に最初に{{仮リンク|子午環|en|Meridian circle}}を設置し、観測を行った地点と定義されている。<ref name="Greenwich Observatory p.10"/> それ以前は、第2代[[王室天文官]]・[[エドモンド・ハレー]]が[[1721年]]に最初に観測した位置を、子午線儀を使って継承していた。その地点は、フラムスティード・ハウスとウェスタンサマーハウスの間の天文台の北西端の角であった。その地点(現在はフラムスティード・ハウスの中に包含されている)はエアリーの子午環から西に43メートルの場所であり、時角にして約0.15秒の距離にある。<ref name="thegreenwichmeridian.org"/> |
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1884年、エアリーの子午環は世界の本初子午線の基準となった(ただしフランスを除く)。<ref name="Time">. |
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{{cite book| |
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title=TIME from Earth Rotation to Atomic Physics |
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|last1=McCarthy |
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|first1=Dennis |
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|authorlink1=Dennis McCarthy (scientist) |
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|last2=Seidelmann |
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|first1=P. Kenneth |
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|pages=244–5 |
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|location=Weinheim |
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|publisher=Wiley-VCH |
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|year=2009}}</ref><ref name="RMG">{{cite web |url= http://www.rmg.co.uk/explore/astronomy-and-time/astronomy-facts/history/the-prime-meridian-at-greenwich|title= The Prime Meridian at Greenwich |author= ROG Learing Team|date= 23 August 2002|work= Royal Museums Greenwich|publisher= Royal Museums Greenwich|accessdate=14 June 2012}}</ref> |
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グリニッジ子午線は、地表から天文観測によって位置が決定され、地表の重力方向の[[鉛直線]]によって指向された。この天文観測に基づくグリニッジ子午線は、当初は{{仮リンク|月距法|en|lunar distance method}}によって、後に船で[[クロノメーター]]を運ぶことによって、その後には[[海底ケーブル]]による[[電信]]によって、最後には[[無線]]信号によって、世界中に伝えられた。 |
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=== IERS基準子午線 === |
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{{Main|IERS基準子午線}} |
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[[国際地球回転・基準系事業]](IERS)によって定義、保持されている[[測地系]]が国際地球基準座標系(ITRF)であり、[[アメリカ国防総省]]の運営する[[グローバル・ポジショニング・システム|GPS]]の基準座標系にもなっている。その基準子午線はグリニッジ天文台から東に5.64秒、距離にして102.5mずれている。これはGPSの前身となるTRANSIT衛星の座標系として北米測地系1927を基準としたためである。[[国際水路機関]]は1983年にすべての海図で国際地球基準座標系を採用している。 |
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====本初子午線が通過する地点==== |
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本初子午線は、[[北極点]]から[[北極海]]、[[ヨーロッパ]]、[[地中海]]、[[アフリカ]]、[[大西洋]]、[[南極海]]、[[南極大陸]]を通過して[[南極点]]までを結ぶ。 |
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:{| class="wikitable plainrowheaders" |
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! scope="col" width="125" | 地理座標 |
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! scope="col" | 国・地域・海域 |
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! scope="col" | 備考 |
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| {{Coord|53|45|N|0|0|E|type:country|name=イギリス}} |
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| 北端は[[イースト・ライディング・オブ・ヨークシャー]]の{{仮リンク|タンストール (イースト・ライディング・オブ・ヨークシャー)|label=タンストール|en|Tunstall, East Riding of Yorkshire}}の近く。<br />南端は[[イースト・サセックス]]の{{仮リンク|ピースヘヴン|en|Peacehaven}}。 |
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! scope="row" | {{FRA}} |
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| 北端は[[カルヴァドス県]]{{仮リンク|ヴィレ・シュル・メール|en|Villers-sur-Mer}}。<br/ |
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> [[バス=ノルマンディー地域圏]]<br/ |
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> [[ペイ・ド・ラ・ロワール地域圏]]<br/ |
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> [[ポワトゥー=シャラント地域圏]]<br/ |
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> [[アキテーヌ地域圏]]<br/ |
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> [[ミディ=ピレネー地域圏]]<br/ |
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> 南端は{{仮リンク|ガヴァルニー|en|Gavarnie}}の近く。 |
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|-valign="top" |
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| {{Coord|42|41|N|0|0|E|type:country|name=スペイン}} |
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| [[アラゴン州]] - [[ピレネー山脈]]の[[モン・ペルデュ]]のすぐ西を通過<br/ |
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> [[バレンシア州]] |
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| [[バレンシア州]] |
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| {{coord|7|48|N|0|0|E|type:waterbody_region:GH|name=ヴォルタ湖}}で[[ヴォルタ湖]]の近くを通る。 |
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| {{Coord|68|54|S|0|0|E|type:country|name=南極大陸}} |
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! scope="row" | [[南極大陸]] |
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| [[ドローニング・モード・ランド]]({{NOR}}が[[南極における領有権主張の一覧|領有権を主張]]) |
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|} |
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== 他の天体の本初子午線 == |
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地球と同様に、他の天体の本初子午線も人為的に決められたものである。[[クレーター]]のような目立つ目標物はよく本初子午線に設定される。また、[[磁場]]に基づいて決められることもある。 |
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* [[月]]の本初子午線は、地球に向かっている面の中心に設定されている。{{仮リンク|ブルース (クレーター)|label=ブルース|en|Bruce (crater)}}クレーターの近くを通過する。 |
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* [[火星]]の本初子午線は、[[エアリー0]]クレーターによって定義されている。 |
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* [[金星]]の本初子午線は、アリアドネ・クレーターの中央の丘によって定義されている。<ref>{{cite web|url=http://astrogeology.usgs.gov/Projects/WGCCRE/constants/iau2000_table1.html|accessdate=22 October 2009|title=USGS Astrogeology: Rotation and pole position for the Sun and planets (IAU WGCCRE)}}</ref> |
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* [[太陽]]の[[日面座標系]]は2通りある。1つはキャリントン日面座標系で、[[1853年]][[11月9日]]に地球から見える太陽の中心を通る子午線を本初子午線とする。この日は[[リチャード・キャリントン]]が[[黒点]]の観測を始めた日である。もう1つは{{仮リンク|ストニーハースト日面座標系|en|Stonyhurst Observatory#Stonyhurst heliographic coordinates}}である。 |
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* [[木星]]にはいくつかの座標系がある。それは、外側から見える木星の雲の表面が、緯度によって違う速度で周回しているためである。<ref>{{cite web|url=http://documents.wolfram.com/applications/astronomer/AdditionalInformation/PlanetographicCoordinates.html|title=Planetographic Coordinates|accessdate=2009-06-19}}</ref> 木星が、地球のような座標系を可能にする固体の表面を持っているかどうかは、わかっていない。天文学者は、南北部分の中緯度に当る領域での大気の動きに基づいたシステムII座標や、惑星磁気の回転に基づくシステムIII座標を使用している。 |
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* [[土星]]の衛星[[タイタン (衛星)|タイタン]]は、地球の月と同様に常に同じ面を土星に向けているため、地球の月と同じく土星に向けている面の中央を経度0度としている。 |
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== 脚注 == |
== 脚注 == |
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{{ |
{{reflist}} |
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{{Reflist}} |
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== |
== 参考文献 == |
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*{{Citation |
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| last = Burgess |
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| first = Ebenezer |
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| others = |
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| publication-date = c. 2013 |
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| month = |
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| origyear = 1860 |
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| title = Journal of the American Oriental Society |
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| contribution = Translation of the Surya-Siddhanta |
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| type = e book |
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| volume = 6 |
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| publisher = Google |
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| page = 185 |
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}} |
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*{{citation|first=Brian|last=Hooker|title=A multitude of prime meridians|year=2006 |url=http://findingnz.co.nz/ab/jab1.htm|accessdate=13 Jan 2013}} |
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*{{citation|first=Jean and Martin|last= Norgate|year=2006|title=Prime meridian|url=http://www.geog.port.ac.uk/webmap/hantsmap/hantsmap/meridian.htm|accessdate=13 Jan 2013}} |
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*{{citation|first1=Dava|last1=Sobel|first2=William J. H.|last2=Andrewes|title=The Illustrated Longitude|year=1998|publisher=Fourth Estate, London}} |
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== 外部リンク == |
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{{Commonscat|Prime meridian}} |
{{Commonscat|Prime meridian}} |
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* [http://books.google.com/books?id=qOIDAAAAMBAJ&pg=PA927 "Where the Earth's surface begins—and ends"], ''Popular Mechanics'', December 1930 |
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* [[グリニッジ天文台]] |
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* [http://www.ucolick.org/~sla/leapsecs/scans-meridian.html scanned TIFFs of the conference proceedings] |
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* [[子午線]] |
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* [http://wwp.greenwichmeantime.com/info/prime-meridian.htm Prime meridians in use in the 1880s, by country] |
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* [http://www.flickr.com/photos/20683202@N00/324876051/ Canadian Prime Meridian] |
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== 関連項目 == |
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* [[東経1度線]] |
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* [[西経1度線]] |
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* [[180度経線]] |
* [[180度経線]] |
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** [[国際日付変更線]] |
** [[国際日付変更線]] |
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{{Time measurement and standards}} |
{{Time measurement and standards}} |
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{{DEFAULTSORT:ほんしよしこせん}} |
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[[Category:座標]] |
[[Category:座標]] |
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[[Category:標準時|*]] |
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[[Category:ロンドン]] |
[[Category:ロンドン]] |
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[[Category:標準]] |
[[Category:標準]] |
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[[Category:名前がついた子午線]] |
2013年7月12日 (金) 15:10時点における版
本初子午線(ほんしょしごせん)とは、経度0度0分0秒と定義された子午線(経線)のことである。「本初」とは「最初」という意味である。
赤道や地理極という明確な基準のある緯度と異なり、経度には明確な基準が自然には存在しないため、本初子午線は人為的に設定する必要がある。過去、世界各地で様々な子午線が本初子午線に設定されてきた。[1]現在では、イギリス・ロンドン郊外の旧グリニッジ天文台跡を通過するグリニッジ子午線が、世界で共通に使用される本初子午線となっており、「本初子午線」と「グリニッジ子午線」はほぼ同じ意味で使用される。
本初子午線は、180度経線とともに大円を形成する。この大円により、地球表面は2つの半球に分けられ、本初子午線の東の半球を東半球、西の半球を西半球という。
歴史
経度の記法はアレクサンドリアのエラトステネス(紀元前276年頃 - 紀元前195年頃)とロドスのヒッパルコス(紀元前190年頃 - 紀元前120年頃)によって考案され、地理学者ストラボン(紀元前63年頃 - 23年頃)によって数多くの都市に適用された。しかし、世界地図に一貫性のある経度を使用したのは、プトレマイオス(90年頃 - 168年頃)の著書『ゲオグラフィア』(Geographia、地理学)が最初であった。
プトレマイオスは、"Fortunate Isles"と呼ばれたカナリア諸島(西経13 - 18度)などの大西洋の島々を基準とした。アフリカの最西端(西経17.5度)より西に本初子午線を設定することにより、プトレマイオスの地図には負の経度が現れない。プトレマイオスの本初子午線は、ウィンチェスター(およそ西経20度)より西に18度40分の子午線に相当する。[2] このときよく用いられていた経度観測法は、異なる国での月食の観測時間を比較する方法であった(月食は世界中で同時に観測されるため)。
プトレマイオスの『ゲオグラフィア』は、その地図とともに1477年にボローニャで初めて印刷された。そして、初期の地球儀はプトレマイオスの地図を元に作成された。しかし、「自然の」本初子午線を画定するという試みは引き続きあった。クリストファー・コロンブスは1493年に、大西洋の中央のどこかで方位磁針が真北を指した(自差が0になった)と報告した。そして、この報告を元に、1494年のトルデシリャス条約で、スペインとポルトガルの間で新世界の境界が定められた。トルデシリャス条約で定められた境界は、ベルデ岬から西に370リーグの子午線に設定された。これがディオゴ・リベイロの1529年の地図に表されている。
遅くとも1594年のクリストファー・サクストンのころまで、アゾレス諸島のサンミゲル島(西経25.5度)が本初子午線として使用されてきたが、この頃から、方位磁針の自差が0になる線は子午線に沿って直線状に伸びるものではないということがわかってきた。[3]
1541年、メルカトルは41cmの地球儀を作成し、カナリア諸島のフエルテベントゥラ島(西経14度1分)を通る箇所に本初子午線を引いた。彼の後の地図では、磁気の仮説に従ってアゾレス諸島を本初子午線とした。
しかし、1570年にオルテリウスが最初の地図を刊行する頃には、ベルデ岬のような他の島が本初子午線として使用されるようになってきた。オルテリウスの地図では、経度は今日のような西経180度から東経180度ではなく、0度から360度であった。この経度は18世紀まで使用された。[4]
1634年、フランスの政治家リシュリューは、パリから西に19度55分の所にあるカナリア諸島最西端のフェロ島を本初子午線とした(フェロ子午線)。不幸にも、フランスの地図製作者ギョーム・ドリルがパリとフェロ島との経度差をちょうど20度に丸めていたことから、フェロ子午線がフランスの本初子午線に採用されることとなった。[5]
18世紀初頭、ジョン・ハリソンによるクロノメーターの開発と、正確な星図の発達により、海上における経度の測定が改善された。星図については特に、初代イギリス王室天文官のジョン・フラムスティードが1680年から1719年にかけて作成し、彼の後継者であるエドモンド・ハレーが広めた天球図譜が多くの航海者によって使われた。これにより航海者は、トーマス・ ゴッドフリーとジョン・ハドリーが開発した八分儀を使用して、月距法によってより正確な経度の測定が行えるようになった。[6]1765年から1811年の間、ネヴィル・マスケリンは49版の『航海年鑑』を刊行した。それは、グリニッジ天文台を通るグリニッジ子午線を基準とするものであった。マスケリンの航海年鑑は、月距法を実用的なものにしただけでなく、グリニッジ子午線を全世界の基準点とした。航海年鑑のフランス語訳では、マスケリンの計算結果をパリ子午線基準に換算していた。[7]
その後、鉄道網の整備が始まると陸域でも地域共通の時刻が必要とされはじめた。イギリスではロンドンの時間であるグリニッジ平均時が鉄道の運行に用いる「鉄道時間」として採用が始まった。その後、イギリス全土で共通の時刻を用いるよう収斂していった。
1850年、アメリカ合衆国はグリニッジ子午線を基準に採用した。アメリカは領土が東西に長く広い鉄道網を持っていたため、国内で統一した子午線を使うことが必要とされていた。一方1875年、国際地理学会はカナリア諸島フェルロを基点とするフェロ子午線を基準子午線とすることを決議した。全世界的に採用するには特定国の首都などは避けたほうがいいという主張を受け入れたものだが、実際にはカナリア諸島を基点とするとパリを基準にするのとほぼ同じ意味になる(経度差がちょうど20度のため)という理由であった。しかし、この基準子午線はフランス以外の国には非常に不評だった。1881年に再度開かれた国際地理学会では、カナリア諸島は基点としては不適で重要な観測拠点となりうる天文台を基点とするべきだという主張が行われた。
1884年10月13日、アメリカ合衆国の提案で国際子午線会議 (International Meridian Conference) がワシントンD.C.で開かれた。日本からは菊池大麓が参加した。フランスは中立国を基点とするよう主張したがフランスの提案地には重要な天文台がない場所が多かったため、この提案は顧みられなかった。投票の結果、グリニッジ天文台を基点とする案が採用され、グリニッジ子午線は国際的な基準子午線となった。
日本では、江戸時代以前には暦の計算や測量などには京都にあった改暦所という役所を通る子午線を基準としていた。1871年に日本の基準子午線は東京の皇居(江戸城)富士見櫓を通る子午線に移された。1886年7月13日の勅令「本初子午線經度計算方及標準時ノ件」で、グリニッジ子午線を基準子午線として採用することが定められた。
世界各地の本初子午線
地名 | GPSによる経度 | 子午線の名称 | 備考 |
---|---|---|---|
ベーリング海峡 | 西経168度30分 |
| |
ワシントンD.C. | 西経77度03分56.07秒(1897), 西経77度04分02.24秒 (NAD 27), 西経77度04分01.16秒 (NAD 83) | 新海軍天文台子午線 | |
ワシントンD.C. | 西経77度02分48.0秒, 西経77度03分02.3秒, 西経77度03分06.119秒, 西経77度03分06.276秒 (both presumably NAD 27). If NAD27, the latter would be 77度03分05.194秒 (NAD 83) | 旧海軍天文台子午線 | |
ワシントンD.C. | 西経77度02分11.56258秒 (NAD 83), 西経77度02分11.55880秒 (NAD 83), 西経77度02分11.57375秒 (NAD 83) | ホワイトハウス子午線 | |
ワシントンD.C. | 西経77度00分32.6秒 (NAD 83) | 議事堂子午線 | |
フィラデルフィア | 西経75度10分12秒 | ||
リオデジャネイロ | 西経43度10分19秒 | [10] | |
フエルテベントゥラ島(アゾレス諸島) | およそ 西経25度40分32秒 | 中世まで使用。国際子午線会議でピエール・ジャンサンが「自然な本初子午線の可能性」として提案した。[11] | |
エル・イエロ島(フェロ島)(カナリア諸島) | 西経18度03分, later redefined as 西経17度39分46秒 |
フェロ子午線 | 古代、プトレマイオスの『ゲオグラフィア』で使用。後に「グリニッジから西に17度39分46秒」から、「パリから西に20度」に再定義された。 |
リスボン | 西経9度07分54.862秒 | ||
マドリード | 西経3度41分16.58秒 | ||
グリニッジ | 西経0度00分05.3101秒 | グリニッジ子午線 | エアリー子午線[12] |
グリニッジ | 西経0度00分05.33秒 | イギリス測量局ゼロ経線 | ブラッドリー子午線[12] |
グリニッジ | 西経0度00分00.00秒 | IERS基準子午線 | |
パリ | 東経2度20分14.025秒 | パリ子午線 | |
ブリュッセル | 東経4度22分4.71秒 | ||
アントワープ | 東経4度24分 | アントワープ子午線 | メルカトルが使用 |
アムステルダム | 東経4度53分 | 西教会を通過する経線。1909年から1937年まで、オランダの公式の時間を定義するのに使用された。 | |
ベルン | 東経7度26分22.5秒 | ||
ピサ | 東経10度24分 | ||
オスロ(クリスチャニア) | 東経10度43分22.5秒 | ||
フィレンツェ | 東経11度15分 | フィレンツェ子午線 | ペテルス世界地図で使用。対蹠地(地球の反対側)はベーリング海峡を通る。 |
ローマ | 東経12度27分08.4秒 | モンテマリオの子午線 | |
コペンハーゲン | 東経12度34分32.25秒 | ラウンドタワーの経度 | |
ナポリ | 東経14度15分 | [11] | |
ストックホルム | 東経18度03分29.8秒 | ストックホルム天文台の経度 | |
ワルシャワ | 東経21度00分42秒 | ワルシャワ子午線 | |
オラデア | 東経21度55分16秒 | ||
アレクサンドリア | 東経29度53分 | [13] | |
サンクトペテルブルク | 東経30度19分42.09秒 | プルコヴォ子午線 | プルコヴォ天文台の経度 |
ギザの大ピラミッド | 東経31度08分03.69秒 | 1884年 [14] | |
エルサレム | 東経35度13分47.1秒 | 聖墳墓教会のドームの経度 | |
メッカ | 東経39度49分34秒 | メッカ時間 | |
ウッジャイン | 東経75度47分 | 4世紀からインドの天文や暦に使用[15] | |
京都 | 東経135度74分 | 1779年から1871年まで日本の地図や暦で使用。中京区西月光町の京都改暦所を通る経線。 | |
180度 | グリニッジ子午線の反対側。1884年10月13日の国際子午線会議でサンドフォード・フレミングが提案した。[11] |
国際本初子午線
1884年10月、世界で共通に使用する「経度0度」を決めるためにワシントンD.C.で開かれた国際子午線会議 (International Meridian Conference) において、25カ国41人の代表者によってグリニッジ子午線を国際本初子午線とすることが採択された。[16]
グリニッジの本初子午線
現代の本初子午線は、グリニッジ天文台を基準としたもので、1851年に当時の台長ジョージ・ビドル・エアリーが設定したものである。[17]
グリニッジ子午線の位置は、エアリーが1851年に最初に子午環を設置し、観測を行った地点と定義されている。[17] それ以前は、第2代王室天文官・エドモンド・ハレーが1721年に最初に観測した位置を、子午線儀を使って継承していた。その地点は、フラムスティード・ハウスとウェスタンサマーハウスの間の天文台の北西端の角であった。その地点(現在はフラムスティード・ハウスの中に包含されている)はエアリーの子午環から西に43メートルの場所であり、時角にして約0.15秒の距離にある。[12]
1884年、エアリーの子午環は世界の本初子午線の基準となった(ただしフランスを除く)。[18][19]
グリニッジ子午線は、地表から天文観測によって位置が決定され、地表の重力方向の鉛直線によって指向された。この天文観測に基づくグリニッジ子午線は、当初は月距法によって、後に船でクロノメーターを運ぶことによって、その後には海底ケーブルによる電信によって、最後には無線信号によって、世界中に伝えられた。
IERS基準子午線
国際地球回転・基準系事業(IERS)によって定義、保持されている測地系が国際地球基準座標系(ITRF)であり、アメリカ国防総省の運営するGPSの基準座標系にもなっている。その基準子午線はグリニッジ天文台から東に5.64秒、距離にして102.5mずれている。これはGPSの前身となるTRANSIT衛星の座標系として北米測地系1927を基準としたためである。国際水路機関は1983年にすべての海図で国際地球基準座標系を採用している。
本初子午線が通過する地点
本初子午線は、北極点から北極海、ヨーロッパ、地中海、アフリカ、大西洋、南極海、南極大陸を通過して南極点までを結ぶ。
他の天体の本初子午線
地球と同様に、他の天体の本初子午線も人為的に決められたものである。クレーターのような目立つ目標物はよく本初子午線に設定される。また、磁場に基づいて決められることもある。
- 月の本初子午線は、地球に向かっている面の中心に設定されている。ブルースクレーターの近くを通過する。
- 火星の本初子午線は、エアリー0クレーターによって定義されている。
- 金星の本初子午線は、アリアドネ・クレーターの中央の丘によって定義されている。[20]
- 太陽の日面座標系は2通りある。1つはキャリントン日面座標系で、1853年11月9日に地球から見える太陽の中心を通る子午線を本初子午線とする。この日はリチャード・キャリントンが黒点の観測を始めた日である。もう1つはストニーハースト日面座標系である。
- 木星にはいくつかの座標系がある。それは、外側から見える木星の雲の表面が、緯度によって違う速度で周回しているためである。[21] 木星が、地球のような座標系を可能にする固体の表面を持っているかどうかは、わかっていない。天文学者は、南北部分の中緯度に当る領域での大気の動きに基づいたシステムII座標や、惑星磁気の回転に基づくシステムIII座標を使用している。
- 土星の衛星タイタンは、地球の月と同様に常に同じ面を土星に向けているため、地球の月と同じく土星に向けている面の中央を経度0度としている。
脚注
- ^ Prime Meridian, geog.port.ac.uk
- ^ Norgate 2006
- ^ Hooker 2006
- ^ 例えば、ヤーコプ・ロッヘフェーンは1722年にイースター島の経度を268度45分(フエルテベントゥラ島を0度として)と報告している。Bolton Glanville Corney, ed. (1908), The voyage of Don Felipe Gonzalez to Easter Island in 1770-1, Hakluyt Society, p. 3 13 Jan 2013閲覧。
- ^ Speech by Pierre Janssen, director of the Paris observatory, at the first session of the Meridian Conference.
- ^ Sobel & Andrewes 1998, pp. 110–115
- ^ Sobel & Andrewes 1998, pp. 197–199
- ^ International Conference Held at Washington for the Purpose of Fixing a Prime Meridian and a Universal Day. October, 1884. Project Gutenberg
- ^ http://www.reissmann.info/bibliotheke/projektoi/AUXhA%20--%2019372-07-06%20=%202006-03-25%20--%20Argadorian%20Calendar%20--%20en.pdf
- ^ Atlas do Brazil, 1909, by Barao Homem de Mello e Francisco Homem de Mello, published in Rio de Janeiro by F. Briguiet & Cia.
- ^ a b c http://www.gutenberg.org/files/17759/17759-h/17759-h.htm
- ^ a b c http://www.thegreenwichmeridian.org/tgm/articles.php?article=8
- ^ プトレマイオスのアルマゲストの子午線
- ^ Wilcomb E. Washburn, "The Canary Islands and the Question of the Prime Meridian: The Search for Precision in the Measurement of the Earth"
- ^ Burgess c. 2013
- ^ “International Conference Held at Washington for the Purpose of Fixing a Prime Meridian and a Universal Day. October, 1884. Protocols of the proceedings.”. Project Gutenberg (1884年). 30 November 2012閲覧。
- ^ a b Greenwich Observatory ... the story of Britain's oldest scientific institution, the Royal Observatory at Greenwich and Herstmonceux, 1675-1975 p.10. Taylor & Francis, 1975
- ^ . McCarthy, P. Kenneth; Seidelmann (2009). TIME from Earth Rotation to Atomic Physics. Weinheim: Wiley-VCH. pp. 244–5
- ^ ROG Learing Team (23 August 2002). “The Prime Meridian at Greenwich”. Royal Museums Greenwich. Royal Museums Greenwich. 14 June 2012閲覧。
- ^ “USGS Astrogeology: Rotation and pole position for the Sun and planets (IAU WGCCRE)”. 22 October 2009閲覧。
- ^ “Planetographic Coordinates”. 2009年6月19日閲覧。
参考文献
- Burgess, Ebenezer (c. 2013) [1860], “Translation of the Surya-Siddhanta”, Journal of the American Oriental Society (e book), 6, Google, p. 185
- Hooker, Brian (2006), A multitude of prime meridians 13 Jan 2013閲覧。
- Norgate, Jean and Martin (2006), Prime meridian 13 Jan 2013閲覧。
- Sobel, Dava; Andrewes, William J. H. (1998), The Illustrated Longitude, Fourth Estate, London
外部リンク
- "Where the Earth's surface begins—and ends", Popular Mechanics, December 1930
- scanned TIFFs of the conference proceedings
- Prime meridians in use in the 1880s, by country
- Canadian Prime Meridian