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'''さくらまつり'''({{Lang-en-short|Sakura Matsuri Japanese Street Festival}})は、毎年4月上旬に[[ワシントンD.C.]]で行われるワシントン日米協会主催のストリートフェスティバル。毎年3月下旬から4月上旬にかけて行われる全米桜祭り({{Lang-en-short|The National Cherry Blossom Festival}})のクライマックスとして行われる。 |
<!--'''さくらまつり'''({{Lang-en-short|Sakura Matsuri Japanese Street Festival}})は、毎年4月上旬に[[ワシントンD.C.]]で行われるワシントン日米協会主催のストリートフェスティバル。毎年3月下旬から4月上旬にかけて行われる全米桜祭り({{Lang-en-short|The National Cherry Blossom Festival}})のクライマックスとして行われる。 |
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全米桜祭りパレード終了直後の午前11時から午後6時まで開催されるさくらまつりは、全米最大の日本のお祭りでもあり、ペンシルベニア通り沿いの6ブロックにわたって、日本の文化、露店、パフォーマンス、食などが紹介される。 |
全米桜祭りパレード終了直後の午前11時から午後6時まで開催されるさくらまつりは、全米最大の日本のお祭りでもあり、ペンシルベニア通り沿いの6ブロックにわたって、日本の文化、露店、パフォーマンス、食などが紹介される。--> |
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[[File:Tidal Basin blossoms by Matthew Bisanz.JPG|thumb|350px|2010年の全米桜祭り中の[[ジェファーソン記念館]]。]] |
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'''全米桜祭り'''({{lang-en|National Cherry Blossom Festival}})は[[ワシントンD.C.]]で毎年春に行われるお祭り。[[1912年]][[3月27日]]に日本の東京市長であった[[尾崎行雄]]からワシントンに[[桜]]が贈られたことをを記念して行われている。桜はアメリカ合衆国と日本の間の友好関係を育て強めようとして寄贈されたもので、現在の祭りでも二国間の親密な関係の継続が祝われている<ref name="NCBF">{{cite web|url=http://www.nationalcherryblossomfestival.org/cms/index.php?id=574 |title=History of the Trees and Festival|publisher=National Cherry Blossom Festival}}</ref>。 |
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== 歴史 == |
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=== 初期の取り組み === |
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[[File:Eliza Ruhamah Scidmore.jpg|thumb|upright|[[ポトマック川|ポトマック]]河畔に日本の桜の木を植えることを提案した[[エリザ・シドモア]]。]] |
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桜の木をワシントンD.C.に持ち込もうという試みは公式に植樹される十数年前から行われていた。1885年、[[ナショナルジオグラフィック協会]]初の女性理事であった[[エリザ・シドモア]]は初の日本旅行からアメリカに帰国し、公共施設・公有地庁のアメリカ陸軍管理者に対して埋め立てが行われたポトマック川河畔沿いに桜の木を植えることを提案した。この提案は拒否されたが、シドモアはすべての管理者にその後24年間提案し続けた<ref name="NPS history">{{cite web|url=http://www.nps.gov/cherry/cherry-blossom-history.htm |title=History of the Cherry Trees |work=Cherry Blossom Festival |publisher=[[National Park Service]] |accessdate=9 February 2011}}</ref>。この時期、個人によって数本の桜の木がこの地域に持ち込まれ、その中には北西ワシントンD.C.のシドモアが桜鑑賞の茶会を開いたものもあった。茶会には著名な植物学者である{{仮リンク|デビッド・フェアチャイルド|en|David Fairchild}}と婚約者のマリアンや、発明家[[アレクサンダー・グラハム・ベル]]の娘などが招かれていた<ref>{{cite book|ref=harv|url=http://books.google.com/books?id=t2sFUEQQ86AC&hl=en&printsec=frontcover#v=onepage&q=&f=false |title=The Cherry Blossom Festival: Sakura Celebration |first= Ann |last=McClellan |publisher= Bunker Hill Publishing, Inc.|year= 2005 |isbn= 1-59373-040-3|page=23}}</ref>。 |
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1906年、デビッド・フェアチャイルドは日本の[[横浜植木]]社から1000本の桜の木を輸入し、自らの所有する{{仮リンク|チェビーチェイス (マリーランド)|en|Chevy Chase, Maryland|label=チェビーチェイス}}に植樹した。フェアチャイルドはその結果に満足して、1907年にワシントン地域の道に植えるのに適した樹木として日本の桜の促進を始めた。9月26日、フェアチャイルドの友人の助けによってチェビーチェイス・ランド・カンパニーは当地に植える300本の東洋の桜を発注した。1908年、フェアチャイルドは{{仮リンク|植樹祭|en|Arbor Day}}を守るためにすべてのD.C.の学校の校庭に植える桜の苗木を寄贈した。エリザ・シドモアが参加した植樹祭のスピーチで、フェアチャイルドは当時[[タイダルベイスン]]の周辺に存在した"スピードウェイ"を"桜の道"に変えることを提案した<ref name="NPS history"/>。 |
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1909年シドモアは桜を買って地区に寄贈するための資金を調達することを決めた。主な事例として、4月5日、彼女は当時の[[ファースト・レディ]]{{仮リンク|ヘレン・ヘロン・タフト|en|Helen Herron Taft}}に彼女の計画を知らせるために手紙を書いている。2日後、大統領夫人から以下のような返事があった。 |
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{{quote|Thank you very much for your suggestion about the cherry trees. I have taken the matter up and am promised the trees, but I thought perhaps it would be best to make an avenue of them, extending down to the turn in the road, as the other part is still too rough to do any planting. Of course, they could not reflect in the water, but the effect would be very lovely of the long avenue. Let me know what you think about this.<ref name="NPS history"/>}} |
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{{quote|桜に関する提案をありがとうございます。私はこの問題について桜を植えることには同意しますが、道の折り返しまで伸びる桜の並木道を作るのがよいと考えており、他の部分はまだ植えるには危ないです。もちろん、これらは水に映えないでしょうが、長い通りをとても美しくするでしょう。あなたはどう思われるでしょうか?}} |
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偶然、4月8日には日本の科学者でアドレナリンの発見者[[高峰譲吉]]がニューヨーク日本総領事の水野幸吉とワシントンにいた。 "スピードウェイ"沿いに日本の桜の木を植える計画を知らされ、高峰は大統領夫人にさらに2000本の桜を寄贈できないか尋ね、水野は東京の名で桜を贈ることを提案した。高峰と水野はその後大統領夫人と会見し、彼女は2000本の桜の寄贈の提案を受け入れた<ref name="NPS history"/>。 |
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[[File:Burning cherry tree gift, 1910.jpg|thumb|left|1910年に最初に東京からアメリカにわたった2000本の桜の木は害虫や病気が発見されたために焼却処分されることとなった。]] |
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4月13日、公共施設・公有地庁の長官であったSpencer Cosbyは90本の桜(Prunus serrulata)を輸入し、ポトマック川沿いの[[リンカーン記念館]]から{{仮リンク|東ポトマック公園|en|East Potomac Park}}まで植えた。この桜は後に普賢象ではなく白普賢に近い種類であったことがわかった。これらの木は大部分が21世紀までになくなっている<ref name="NPS history"/>。 |
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1909年8月30日、[[在アメリカ合衆国日本国大使館]]は[[アメリカ合衆国国務省]]に東京が[[アメリカ合衆国]]に2000本の桜を寄贈し、ポトマック川沿いに植えようとしていることについて伝えた。桜は1910年1月6日にワシントンD.C.に到着したが、Flora Wambaugh Pattersonが主導する農務省の検査チームが桜に[[昆虫]]や[[線形動物]]が住まっているのを発見し、桜は地元の植物を守るために処分すべきと結論付けた。 |
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タフト大統領は1月28日に焼却命令を出した<ref name="NPS history"/>。国務長官{{仮リンク|フィランダー・C・ノックス|en|Philander C. Knox}}は日本大使に対して関連する事柄に遺憾の意を示す手紙を書いた。高峰はこのニュースに反応して、新しく東京の有名な花見処である[[荒川堤]]の桜を穂木にして、[[兵庫県]][[伊丹市]]東野村の台木に接木した3020本の桜を寄贈することを試みた。1912年2月14日、3020本、12品種の桜は{{仮リンク|阿波丸 (1899年)|en|Awa Maru (1899)|label=阿波丸}}に乗せられ横浜港から出航、シアトルからは鉄道車両を経由し3月26日にワシントンD.C.に到着した<ref name="NPS history"/>。 |
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=== 日本からの寄贈 === |
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[[File:Tidal Basin photographers and painter.jpg|thumb|タイダルベイスン沿い桜の木の下の写真家や画家、1920年。]] |
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1912年3月27日に式典が行われ、ファーストレディのタフト夫人と、日本大使の妻である[[珍田捨巳|珍田子爵夫人]]が[[タイダルベイスン]]の北岸の[[西ポトマック公園]]で最初の2本の桜の植樹を行った。式典の最後にはタフト夫人が珍田夫人に「アメリカン・ビューティー」の名が付いた[[バラ]]の花束を贈っている。この2本の木は第17通り南西の端に現在もたっており、大きな銘板で、最初の2本であることが示されている<ref name="NPS history"/>。1915年から、アメリカ合衆国政府は返礼として[[ハナミズキ]]の木を日本へと贈っている<ref name="McClellan46">{{cite web|url=http://books.google.com/books?id=t2sFUEQQ86AC&pg=PA46#v=onepage&q=&f=false |title=McClellan 2005, p. 46 |publisher=Books.google.com |date= |accessdate=2012-06-20}}</ref>。 |
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1913年から1920年にかけて、寄贈された桜のうち、おおよそ1800本程度のソメイヨシノがタイダルベイスンの周りに植えられた。残りの11種類と残りのソメイヨシノは東ポトマック公園に植えられた。1927年、アメリカの学校の子供が初期の植樹を再現した。1934年、コロンビア地区委員は3日間の桜の祭典のスポンサーを行った。 |
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=== 桜祭り === |
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[[File:Washington C D.C. Tidal Basin cherry trees.jpg|thumb|left|upright|[[ワシントン記念塔]]、{{仮リンク|西ポトマック公園|en|West Potomac Park}}よりタイダルベイスンをはさんで望む]] |
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最初の桜祭りは1935年に多くの市民団体の共同支援で行われ、毎年のイベントになった。この時、桜の木はポトマック川辺縁を構成する風景の一つとなっていた。1938年、[[ジェファーソン記念館]]の建設のために桜の木を切り倒して土地を確保する計画が持ち上がったが、これに対して女性グループが抗議のために人間の鎖で予定地を封鎖した。この問題はタイダルベイスン南岸により多くの桜を植えることで妥協に達した。催し物などは1940年代に始まった<ref name="NPS history"/>。 |
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1941年12月11日、4本の桜が切り倒された。これは日本が同年12月8日に行った[[真珠湾攻撃]]への報復であったと考えられているが、確証されてはいない。交戦国である日本の木である桜への攻撃から更なる被害を受けないように、戦間期には「東洋の」桜とされていた<ref name="NPS history"/>。[[第二次世界大戦]]の間、祭りは休止されており、1947年にワシントンD.C.、商務省、D.C.委員会の支援によって再開された{{citation needed|date=February 2011}}。 |
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1948年、{{仮リンク|全米州協議会|en|National Conference of State Societies}}によって桜プリンセスと全米さくらの女王のプログラムが始められた。プリンセスはそれぞれの州と合衆国領から選ばれ、女王はプリンセスの中から選出される。1952年、日本は東京[[足立区]]の[[荒川堤]]の桜の木立の復元のための救援を求めた。荒川堤の桜はD.C.の桜の親に当たる木々であったが、戦争によって数が減少していた。これに対して[[アメリカ合衆国国立公園局]]は[[ハナミズキ]]を東京に送っている<ref name="NPS history"/>。 |
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1954年、日本大使は1854年に[[マシュー・ペリー|ペリー提督]]と[[日米和親条約]]が調印されたことを記念してワシントンD.C.に300年物の灯篭を寄贈した。その後、この灯篭の火入れ後に祭りが公式に始まることとなった。3年後、[[御木本幸吉]]が創業した御木本真珠店が真珠の冠を寄贈した。5ポンド以上の金と1585個の真珠が使われており、この冠はグランドボールでの女王決定後、戴冠式で使われている。翌年の1958年には横浜市から「1854年3月31日に横浜で締結された[[日米修好通商条約]]で示された米国との友好のシンボル」として石塔が贈られた。<ref name="NPS history"/> |
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[[File:65CheeryBlossonFest.jpg|thumb|upright|1965年の全米桜祭りでタイダルベイスン沿いに桜の植樹を行う[[レディ・バード・ジョンソン]]。]] |
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1965年には日本は3800本のソメイヨシノを寄贈し、これは[[レディ・バード・ジョンソン]]が受け取った。これらの桜はアメリカで育成され、多くが[[ワシントン記念塔]]の敷地に植えられた。式典としてレディ・バード・ジョンソンと武内龍次日本大使の妻が1912年の植樹を再現した。1982年、日本の園芸家は洪水で破壊された桜の木の植え替えのためにワシントンの桜から挿し木をとっている。1986年から1988年にかけて、最初に寄贈された桜の回復のために[[アメリカ合衆国国立公園局]]に民間から寄付された101,000[[USドル]]を費やして、676本の桜の木が植えられた<ref name="NPS history"/>。 |
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1994年、祭りは花が咲いている間に行われる活動に対応するために2週間に拡大された<ref>{{cite book|url=http://books.google.com/books?id=tH8halDEj-YC&pg=PA8#v=onepage&q=&f=false |page=8|title=Open-Ended Questions Coach: Level D |first= Margaret|last= Moran| publisher= Triumph Learning - Coach Books|year= 2004 |isbn=1-58620-533-1}}</ref>。1996年には[[ポトマック川]]と[[荒川]]が姉妹河川となった。1997年に挿し木が文書で証明された1912年の桜から取られ、並木の遺伝的遺産を継承するため植え替えに使われた。1999年、[[淡墨桜]]からとられた挿し木50本が[[本巣市]]から贈られ、西ポトマック公園に植えられた。伝承によればこれは[[継体天皇]]お手植えとされるもので、1922年に日本の国宝となっている木である<ref name="NPS history"/>。2002年から2006年には400本の桜が1912年当時に寄贈されたと確認されており、維持されている<ref name="NPS history"/>。 |
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[[File:Cherry Blossom Grove on the National Mall.jpg|thumb|center|600px|[[ナショナル・モール]]の桜並木の中の観光客2009年4月5日]] |
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== 祭りの組織とイベント == |
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[[File:Gordon Peterson as Master of Ceremonies for the 2006 Cherry Blossom Festival.jpg|thumb|left|2006年桜祭り司会者の{{仮リンク|ゴードン・ピーターソン|en|Gordon Peterson}}]] |
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現在、全米桜祭りはビジネスの代表者、市民、政府組織などから構成される傘下に多くの組織を持つナショナル・チェリーブロッサム・フェスティバルIncによって行われている。70万人以上の人々が、毎年ワシントンに春の始まりを告げる桜の花を観賞するため訪れる。 |
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2週間の祭りは3月最後の土曜日のファミリーデーに始まり、{{仮リンク|国立建築博物館|en|National Building Museum}}で公式の開会式が行われる<ref>{{cite web|url=http://www.nationalcherryblossomfestival.org/2011/01/30/family-day|title=National Cherry Blossom Festival® Family Day presented with the National Building Museum|publisher=National Cherry Blossom Festival, Inc.|accessdate=2011-03-31}}</ref><ref>{{cite web|url=http://www.nationalcherryblossomfestival.org/2011/01/20/opening-ceremony|title=National Cherry Blossom Festival® Opening Ceremony|publisher=National Cherry Blossom Festival, Inc.|accessdate=2011-03-31}}</ref>。文化イベントや活動の配置は次の日に行われる<ref>{{cite web|url=http://www.nationalcherryblossomfestival.org/category/events|title=Events|publisher=National Cherry Blossom Festival, Inc.|accessdate=2011-03-31}}</ref>。{{仮リンク|スミソニアン・カイト・フェスティバル|en|Smithsonian Kite Festival|label=スミソニアン凧揚げ大会}}はおおむね祭りの最初の週末に行われる。祭り中は寿司や日本酒の祝賀や桜に関する講義、タイダルベイスンの自転車ツアー等が行われる。その他のイベントには芸術展示(写真、彫刻、アニメ等)、[[落語]]など文化公演、[[着物]]のファッションショー、歌や踊り、[[格闘技]]、商人主催のイベント、[[ラグビーユニオン]]トーナメントなどがある。 |
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2度目の土曜のには、{{仮リンク|サウスウェスト・ウォータフロント (ワシントンD.C.)|en|Southwest Waterfront, Washington, D.C.|label=サウスウェスト}}で3ステージフェスタが行われる<ref>{{cite web|url=http://www.nationalcherryblossomfestival.org/2011/01/20/southwest-washington-waterfront-fireworks-festival|title=Southwest Waterfront Fireworks Festival|publisher=National Cherry Blossom Festival, Inc.|accessdate=2011-03-31}}</ref>。この祭りが終わると{{仮リンク|ワシントン運河|en|Washington Channel}}近郊で花火が始まる<ref name=fireworks>{{cite web|url=http://www.nationalcherryblossomfestival.org/2011/01/20/fireworks-show|title=National Cherry Blossom Festival® Fireworks Show|publisher=National Cherry Blossom Festival, Inc.|accessdate=2011-03-31}}</ref>。 |
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翌朝、[[ワシントン記念塔]]から{{仮リンク|さくら10マイルラン|en|Cherry Blossom Ten Mile Run}}が行われる<ref>{{cite web|url=http://www.nationalcherryblossomfestival.org/2011/01/20/ten-mile-run|title=Credit Union Cherry Blossom Ten Mile Run|publisher=National Cherry Blossom Festival, Inc.|accessdate=2011-03-31}}</ref>。また、同日にタイダルベイスンに日本から送られた石灯籠の点灯式のために高官が集まる<ref>{{cite web|url=http://www.nationalcherryblossomfestival.org/2011/01/20/lantern-lighting-ceremony/|title=Lantern Lighting Ceremony|publisher=National Cherry Blossom Festival, Inc.|accessdate=2011-03-31}}</ref>。 |
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祭りの最後の土曜日、{{仮リンク|コンスティテューション通り|en|Constitution Avenue}}でパレードが行われる<ref>{{cite web|url=http://www.nationalcherryblossomfestival.org/2011/01/20/parade|title=National Cherry Blossom Festival Parade®|publisher=National Cherry Blossom Festival, Inc.|accessdate=2011-03-31}}</ref>。パレード中とパレード後はさくらまつり<ref>{{cite web|url=http://www.sakuramatsuri.org/|title=Sakura Matsuri-Japanese Street Festival|publisher=Japan-America Society of Washiington DC, Inc.|accessdate=2012-05-23}}</ref>と呼ばれるストリートフェスティバルが12番通りと{{仮リンク|ペンシルバニア通り|en|Pennsylvania Avenue}}、{{仮リンク|ノースウェスト (ワシントンD.C.)|en|Northwest, Washington, D.C.|label=ノースウェスト}}で行われ、これはアメリカ最大の日本文化祭となっている<ref>{{cite web|url=http://www.nationalcherryblossomfestival.org/2011/01/20/sakura-matsuri|title=Sakura Matsuri - Japanese Street Festival|publisher=National Cherry Blossom Festival, Inc.|accessdate=2011-03-31}}</ref>。祭りは事前に長期計画を建てなければならないため、さくらまつりの期間は桜のピークをすぎていることがある。 |
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2009年、全米桜祭りはチェリーブラスト(Cherry Blast)と呼ばれる新しいイベントを導入し、無人のAnacostia倉庫を祭りの間飾り、芸術作品、ダンスパフォーマンス、ライブ音楽、ファッション、DJのアンダーグラウンド的ミックスの企画が行われた。観客のほとんどは{{仮リンク|デュポンサークル|en|Dupont Circle, Washington, D.C.}}からのシャトルバスで当地に赴いた。2010年にはピンクラインプロジェクトの芸術家フィリパ・P・ヒューズによって行われたチェリーブラストIIはアダムス・モーガンの保管倉庫に移動したが、地元の芸術家と音楽家のグループを組み合わせた企画を行った<ref name="Washington Post">{{cite news|url=http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2010/03/30/AR2010033004352.html |title=Going Out Guide: Cask Ale at Black Squirrel and Cherry Blossom events|publisher=Washington Post | date=March 31, 2010}}</ref>。チェリーブラストIIIは2011年の祭りの第2土曜日の夕方、近くで行われる花火の最中やその後に<ref name=fireworks />に南西河岸の近くの屋内で行われた<ref>{{cite web|url=http://www.nationalcherryblossomfestival.org/2011/01/20/cherry-blast|title=Cherry Blast III|publisher=National Cherry Blossom Festival, Inc.|accessdate=2011-03-31}}</ref>。 |
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== 種類 == |
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[[File:Yoshino Sakura Tidal Basin DC.jpg|thumb|[[ソメイヨシノ]]はワシントンD.C.で最も一般的であり、タイダルベイスンを囲むように植えられている。]] |
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最初に贈られた3020本の桜は12種類で、現在ではソメイヨシノとカンザンが多くを占めるである<ref name="NPS types">{{cite web|url=http://www.nps.gov/cherry/cherry-blossom-types.htm |title=Types |work=Cherry Blossom Festival |publisher=[[National Park Service]] |accessdate=2011-02-09}}</ref>。 |
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ソメイヨシノ(Yoshino)はタイダルベイスンを囲む白い雲のようにたなびいており、北はワシントン記念塔にも植えられている。ソメイヨシノよりは少ないが少数の[[アケボノ]](Akebono)も一緒に植えられており、ソメイヨシノと同時に咲く<ref name="NPS types"/><ref name=map1>{{cite web|url=http://www.nps.gov/nama/planyourvisit/upload/Tidal%20Basin.pdf|title=Tidal Basin Cherry Tree Location Map|work=[http://www.nps.gov/cherry/cherry-blossom-maps.htm Cherry Blossom Festival Maps and Brochures]|publisher=[[National Park Service]]|accessdate=2011-03-31}}</ref>。 |
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[[カンザン]](Kwanzan)は主に東ポトマック公園で生育しており、ソメイヨシノの2週間後に満開となる。東ポトマック公園には[[フゲンゾウ]](Fugenzo)や[[シロフゲン]](Shirofugen)も植えられている<ref name="NPS types"/><ref name=map2>{{cite web|url=http://www.nps.gov/nama/planyourvisit/upload/East%20PotPark.pdf|title=East Potomac Park Cherry Tree Location Map|work=[http://www.nps.gov/cherry/cherry-blossom-maps.htm Cherry Blossom Festival Maps and Brochures]|publisher=[[National Park Service]]|accessdate=2011-03-31}}</ref>。 |
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これらの木々の間に点在して様々な[[枝垂桜]](Weeping Cherry)がありソメイヨシノの1週間前に咲き始める。そのほか[[ジュウガツザクラ]](Autumn Cherry)、[[オオヤマザクラ]](Sargent Cherry)、[[ウスズミ]](Usuzumi)、[[タケシマザクラ]](Takesimensis)等が植えられている<ref name="NPS types"/><ref name=map1/><ref name=map2/>。 |
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== 画像 == |
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<gallery> |
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File:Cherry blossom Festival Tidal Basin.JPG|[[タイダルベイスン]]沿いの桜 |
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File:Cherry Blossoms Washington Monument.JPG|[[ワシントン記念塔]]近辺の桜 |
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File:Cherry Blossom Festival Washington DC.JPG|祭りの様子 |
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</gallery> |
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== 関連項目 == |
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*{{仮リンク|ブランチ・ブルック・パーク|en|Branch Brook Park}} |
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*[[花見]] |
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*{{仮リンク|国際桜祭り|en|International Cherry Blossom Festival}} |
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*[[荒川堤]] |
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== 註 == |
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{{reflist|2}} |
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== 外部リンク == |
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{{commonscat|National Cherry Blossom Festival|全米桜祭り}} |
{{commonscat|National Cherry Blossom Festival|全米桜祭り}} |
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{{wikinews|Photo Essay: Cherry Blossoms Bloom in DC}} |
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* {{Official website|http://www.nationalcherryblossomfestival.org/ }} |
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* [http://www.nps.gov/cherry/index.htm Cherry Blossom Festival] by the [[National Park Service]] |
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* [http://www.gwu.edu/gelman/spec/ead/ms2046.xml National Cherry Blossom Festival Records], Special Collections Research Center, Estelle and Melvin Gelman Library, The George Washington University |
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* [http://havecamerawilltravel.com/washington-dc-cherry-blossoms-photos Photos of Washington DC's cherry blossoms in bloom] |
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* [http://ghostsofdc.org/2012/01/23/video-of-the-1944-cherry-blossom-festival/ Video of the 1944 Cherry Blossom Festival] |
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* [http://www.DCinsiderGuide.com/washington-dc-cherry-blossoms.html Washington DC Cherry Blossoms and Blossom Kite Festival] |
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* [http://www.sakuramatsuri.org Sakura Matsuri-Japanese Street Festival] |
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* View [http://biodiversitylibrary.org/item/120849 ''The Japanese flowering cherry trees of Washington, D.C.'' by Roland M. Jefferson] online at the Biodiversity Heritage Library. |
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* [http://www.nationalcherryblossomfestival.org/ 全米桜祭り公式サイト (英語)] |
* [http://www.nationalcherryblossomfestival.org/ 全米桜祭り公式サイト (英語)] |
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* [http://sakuramatsuri.org/japanese.html さくらまつり] |
* [http://sakuramatsuri.org/japanese.html さくらまつり] |
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[[Category:桜]] |
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[[Category:ワシントンD.C.]] |
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2013年4月6日 (土) 17:34時点における版
全米桜祭り(英語: National Cherry Blossom Festival)はワシントンD.C.で毎年春に行われるお祭り。1912年3月27日に日本の東京市長であった尾崎行雄からワシントンに桜が贈られたことをを記念して行われている。桜はアメリカ合衆国と日本の間の友好関係を育て強めようとして寄贈されたもので、現在の祭りでも二国間の親密な関係の継続が祝われている[1]。
歴史
初期の取り組み
桜の木をワシントンD.C.に持ち込もうという試みは公式に植樹される十数年前から行われていた。1885年、ナショナルジオグラフィック協会初の女性理事であったエリザ・シドモアは初の日本旅行からアメリカに帰国し、公共施設・公有地庁のアメリカ陸軍管理者に対して埋め立てが行われたポトマック川河畔沿いに桜の木を植えることを提案した。この提案は拒否されたが、シドモアはすべての管理者にその後24年間提案し続けた[2]。この時期、個人によって数本の桜の木がこの地域に持ち込まれ、その中には北西ワシントンD.C.のシドモアが桜鑑賞の茶会を開いたものもあった。茶会には著名な植物学者であるデビッド・フェアチャイルドと婚約者のマリアンや、発明家アレクサンダー・グラハム・ベルの娘などが招かれていた[3]。
1906年、デビッド・フェアチャイルドは日本の横浜植木社から1000本の桜の木を輸入し、自らの所有するチェビーチェイスに植樹した。フェアチャイルドはその結果に満足して、1907年にワシントン地域の道に植えるのに適した樹木として日本の桜の促進を始めた。9月26日、フェアチャイルドの友人の助けによってチェビーチェイス・ランド・カンパニーは当地に植える300本の東洋の桜を発注した。1908年、フェアチャイルドは植樹祭を守るためにすべてのD.C.の学校の校庭に植える桜の苗木を寄贈した。エリザ・シドモアが参加した植樹祭のスピーチで、フェアチャイルドは当時タイダルベイスンの周辺に存在した"スピードウェイ"を"桜の道"に変えることを提案した[2]。
1909年シドモアは桜を買って地区に寄贈するための資金を調達することを決めた。主な事例として、4月5日、彼女は当時のファースト・レディヘレン・ヘロン・タフトに彼女の計画を知らせるために手紙を書いている。2日後、大統領夫人から以下のような返事があった。
Thank you very much for your suggestion about the cherry trees. I have taken the matter up and am promised the trees, but I thought perhaps it would be best to make an avenue of them, extending down to the turn in the road, as the other part is still too rough to do any planting. Of course, they could not reflect in the water, but the effect would be very lovely of the long avenue. Let me know what you think about this.[2]
桜に関する提案をありがとうございます。私はこの問題について桜を植えることには同意しますが、道の折り返しまで伸びる桜の並木道を作るのがよいと考えており、他の部分はまだ植えるには危ないです。もちろん、これらは水に映えないでしょうが、長い通りをとても美しくするでしょう。あなたはどう思われるでしょうか?
偶然、4月8日には日本の科学者でアドレナリンの発見者高峰譲吉がニューヨーク日本総領事の水野幸吉とワシントンにいた。 "スピードウェイ"沿いに日本の桜の木を植える計画を知らされ、高峰は大統領夫人にさらに2000本の桜を寄贈できないか尋ね、水野は東京の名で桜を贈ることを提案した。高峰と水野はその後大統領夫人と会見し、彼女は2000本の桜の寄贈の提案を受け入れた[2]。
4月13日、公共施設・公有地庁の長官であったSpencer Cosbyは90本の桜(Prunus serrulata)を輸入し、ポトマック川沿いのリンカーン記念館から東ポトマック公園まで植えた。この桜は後に普賢象ではなく白普賢に近い種類であったことがわかった。これらの木は大部分が21世紀までになくなっている[2]。
1909年8月30日、在アメリカ合衆国日本国大使館はアメリカ合衆国国務省に東京がアメリカ合衆国に2000本の桜を寄贈し、ポトマック川沿いに植えようとしていることについて伝えた。桜は1910年1月6日にワシントンD.C.に到着したが、Flora Wambaugh Pattersonが主導する農務省の検査チームが桜に昆虫や線形動物が住まっているのを発見し、桜は地元の植物を守るために処分すべきと結論付けた。
タフト大統領は1月28日に焼却命令を出した[2]。国務長官フィランダー・C・ノックスは日本大使に対して関連する事柄に遺憾の意を示す手紙を書いた。高峰はこのニュースに反応して、新しく東京の有名な花見処である荒川堤の桜を穂木にして、兵庫県伊丹市東野村の台木に接木した3020本の桜を寄贈することを試みた。1912年2月14日、3020本、12品種の桜は阿波丸に乗せられ横浜港から出航、シアトルからは鉄道車両を経由し3月26日にワシントンD.C.に到着した[2]。
日本からの寄贈
1912年3月27日に式典が行われ、ファーストレディのタフト夫人と、日本大使の妻である珍田子爵夫人がタイダルベイスンの北岸の西ポトマック公園で最初の2本の桜の植樹を行った。式典の最後にはタフト夫人が珍田夫人に「アメリカン・ビューティー」の名が付いたバラの花束を贈っている。この2本の木は第17通り南西の端に現在もたっており、大きな銘板で、最初の2本であることが示されている[2]。1915年から、アメリカ合衆国政府は返礼としてハナミズキの木を日本へと贈っている[4]。
1913年から1920年にかけて、寄贈された桜のうち、おおよそ1800本程度のソメイヨシノがタイダルベイスンの周りに植えられた。残りの11種類と残りのソメイヨシノは東ポトマック公園に植えられた。1927年、アメリカの学校の子供が初期の植樹を再現した。1934年、コロンビア地区委員は3日間の桜の祭典のスポンサーを行った。
桜祭り
最初の桜祭りは1935年に多くの市民団体の共同支援で行われ、毎年のイベントになった。この時、桜の木はポトマック川辺縁を構成する風景の一つとなっていた。1938年、ジェファーソン記念館の建設のために桜の木を切り倒して土地を確保する計画が持ち上がったが、これに対して女性グループが抗議のために人間の鎖で予定地を封鎖した。この問題はタイダルベイスン南岸により多くの桜を植えることで妥協に達した。催し物などは1940年代に始まった[2]。
1941年12月11日、4本の桜が切り倒された。これは日本が同年12月8日に行った真珠湾攻撃への報復であったと考えられているが、確証されてはいない。交戦国である日本の木である桜への攻撃から更なる被害を受けないように、戦間期には「東洋の」桜とされていた[2]。第二次世界大戦の間、祭りは休止されており、1947年にワシントンD.C.、商務省、D.C.委員会の支援によって再開された[要出典]。
1948年、全米州協議会によって桜プリンセスと全米さくらの女王のプログラムが始められた。プリンセスはそれぞれの州と合衆国領から選ばれ、女王はプリンセスの中から選出される。1952年、日本は東京足立区の荒川堤の桜の木立の復元のための救援を求めた。荒川堤の桜はD.C.の桜の親に当たる木々であったが、戦争によって数が減少していた。これに対してアメリカ合衆国国立公園局はハナミズキを東京に送っている[2]。
1954年、日本大使は1854年にペリー提督と日米和親条約が調印されたことを記念してワシントンD.C.に300年物の灯篭を寄贈した。その後、この灯篭の火入れ後に祭りが公式に始まることとなった。3年後、御木本幸吉が創業した御木本真珠店が真珠の冠を寄贈した。5ポンド以上の金と1585個の真珠が使われており、この冠はグランドボールでの女王決定後、戴冠式で使われている。翌年の1958年には横浜市から「1854年3月31日に横浜で締結された日米修好通商条約で示された米国との友好のシンボル」として石塔が贈られた。[2]
1965年には日本は3800本のソメイヨシノを寄贈し、これはレディ・バード・ジョンソンが受け取った。これらの桜はアメリカで育成され、多くがワシントン記念塔の敷地に植えられた。式典としてレディ・バード・ジョンソンと武内龍次日本大使の妻が1912年の植樹を再現した。1982年、日本の園芸家は洪水で破壊された桜の木の植え替えのためにワシントンの桜から挿し木をとっている。1986年から1988年にかけて、最初に寄贈された桜の回復のためにアメリカ合衆国国立公園局に民間から寄付された101,000USドルを費やして、676本の桜の木が植えられた[2]。
1994年、祭りは花が咲いている間に行われる活動に対応するために2週間に拡大された[5]。1996年にはポトマック川と荒川が姉妹河川となった。1997年に挿し木が文書で証明された1912年の桜から取られ、並木の遺伝的遺産を継承するため植え替えに使われた。1999年、淡墨桜からとられた挿し木50本が本巣市から贈られ、西ポトマック公園に植えられた。伝承によればこれは継体天皇お手植えとされるもので、1922年に日本の国宝となっている木である[2]。2002年から2006年には400本の桜が1912年当時に寄贈されたと確認されており、維持されている[2]。
祭りの組織とイベント
現在、全米桜祭りはビジネスの代表者、市民、政府組織などから構成される傘下に多くの組織を持つナショナル・チェリーブロッサム・フェスティバルIncによって行われている。70万人以上の人々が、毎年ワシントンに春の始まりを告げる桜の花を観賞するため訪れる。
2週間の祭りは3月最後の土曜日のファミリーデーに始まり、国立建築博物館で公式の開会式が行われる[6][7]。文化イベントや活動の配置は次の日に行われる[8]。スミソニアン凧揚げ大会はおおむね祭りの最初の週末に行われる。祭り中は寿司や日本酒の祝賀や桜に関する講義、タイダルベイスンの自転車ツアー等が行われる。その他のイベントには芸術展示(写真、彫刻、アニメ等)、落語など文化公演、着物のファッションショー、歌や踊り、格闘技、商人主催のイベント、ラグビーユニオントーナメントなどがある。
2度目の土曜のには、サウスウェストで3ステージフェスタが行われる[9]。この祭りが終わるとワシントン運河近郊で花火が始まる[10]。 翌朝、ワシントン記念塔からさくら10マイルランが行われる[11]。また、同日にタイダルベイスンに日本から送られた石灯籠の点灯式のために高官が集まる[12]。
祭りの最後の土曜日、コンスティテューション通りでパレードが行われる[13]。パレード中とパレード後はさくらまつり[14]と呼ばれるストリートフェスティバルが12番通りとペンシルバニア通り、ノースウェストで行われ、これはアメリカ最大の日本文化祭となっている[15]。祭りは事前に長期計画を建てなければならないため、さくらまつりの期間は桜のピークをすぎていることがある。
2009年、全米桜祭りはチェリーブラスト(Cherry Blast)と呼ばれる新しいイベントを導入し、無人のAnacostia倉庫を祭りの間飾り、芸術作品、ダンスパフォーマンス、ライブ音楽、ファッション、DJのアンダーグラウンド的ミックスの企画が行われた。観客のほとんどはデュポンサークルからのシャトルバスで当地に赴いた。2010年にはピンクラインプロジェクトの芸術家フィリパ・P・ヒューズによって行われたチェリーブラストIIはアダムス・モーガンの保管倉庫に移動したが、地元の芸術家と音楽家のグループを組み合わせた企画を行った[16]。チェリーブラストIIIは2011年の祭りの第2土曜日の夕方、近くで行われる花火の最中やその後に[10]に南西河岸の近くの屋内で行われた[17]。
種類
最初に贈られた3020本の桜は12種類で、現在ではソメイヨシノとカンザンが多くを占めるである[18]。
ソメイヨシノ(Yoshino)はタイダルベイスンを囲む白い雲のようにたなびいており、北はワシントン記念塔にも植えられている。ソメイヨシノよりは少ないが少数のアケボノ(Akebono)も一緒に植えられており、ソメイヨシノと同時に咲く[18][19]。
カンザン(Kwanzan)は主に東ポトマック公園で生育しており、ソメイヨシノの2週間後に満開となる。東ポトマック公園にはフゲンゾウ(Fugenzo)やシロフゲン(Shirofugen)も植えられている[18][20]。
これらの木々の間に点在して様々な枝垂桜(Weeping Cherry)がありソメイヨシノの1週間前に咲き始める。そのほかジュウガツザクラ(Autumn Cherry)、オオヤマザクラ(Sargent Cherry)、ウスズミ(Usuzumi)、タケシマザクラ(Takesimensis)等が植えられている[18][19][20]。
画像
関連項目
註
- ^ “History of the Trees and Festival”. National Cherry Blossom Festival. Template:Cite webの呼び出しエラー:引数 accessdate は必須です。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o “History of the Cherry Trees”. Cherry Blossom Festival. National Park Service. 9 February 2011閲覧。
- ^ McClellan, Ann (2005). The Cherry Blossom Festival: Sakura Celebration. Bunker Hill Publishing, Inc.. p. 23. ISBN 1-59373-040-3
- ^ “McClellan 2005, p. 46”. Books.google.com. 2012年6月20日閲覧。
- ^ Moran, Margaret (2004). Open-Ended Questions Coach: Level D. Triumph Learning - Coach Books. p. 8. ISBN 1-58620-533-1
- ^ “National Cherry Blossom Festival® Family Day presented with the National Building Museum”. National Cherry Blossom Festival, Inc.. 2011年3月31日閲覧。
- ^ “National Cherry Blossom Festival® Opening Ceremony”. National Cherry Blossom Festival, Inc.. 2011年3月31日閲覧。
- ^ “Events”. National Cherry Blossom Festival, Inc.. 2011年3月31日閲覧。
- ^ “Southwest Waterfront Fireworks Festival”. National Cherry Blossom Festival, Inc.. 2011年3月31日閲覧。
- ^ a b “National Cherry Blossom Festival® Fireworks Show”. National Cherry Blossom Festival, Inc.. 2011年3月31日閲覧。
- ^ “Credit Union Cherry Blossom Ten Mile Run”. National Cherry Blossom Festival, Inc.. 2011年3月31日閲覧。
- ^ “Lantern Lighting Ceremony”. National Cherry Blossom Festival, Inc.. 2011年3月31日閲覧。
- ^ “National Cherry Blossom Festival Parade®”. National Cherry Blossom Festival, Inc.. 2011年3月31日閲覧。
- ^ “Sakura Matsuri-Japanese Street Festival”. Japan-America Society of Washiington DC, Inc.. 2012年5月23日閲覧。
- ^ “Sakura Matsuri - Japanese Street Festival”. National Cherry Blossom Festival, Inc.. 2011年3月31日閲覧。
- ^ “Going Out Guide: Cask Ale at Black Squirrel and Cherry Blossom events”. Washington Post. (March 31, 2010)
- ^ “Cherry Blast III”. National Cherry Blossom Festival, Inc.. 2011年3月31日閲覧。
- ^ a b c d “Types”. Cherry Blossom Festival. National Park Service. 2011年2月9日閲覧。
- ^ a b “Tidal Basin Cherry Tree Location Map”. Cherry Blossom Festival Maps and Brochures. National Park Service. 2011年3月31日閲覧。
- ^ a b “East Potomac Park Cherry Tree Location Map”. Cherry Blossom Festival Maps and Brochures. National Park Service. 2011年3月31日閲覧。
外部リンク
- 公式ウェブサイト
- Cherry Blossom Festival by the National Park Service
- National Cherry Blossom Festival Records, Special Collections Research Center, Estelle and Melvin Gelman Library, The George Washington University
- Photos of Washington DC's cherry blossoms in bloom
- Video of the 1944 Cherry Blossom Festival
- Washington DC Cherry Blossoms and Blossom Kite Festival
- Sakura Matsuri-Japanese Street Festival
- View The Japanese flowering cherry trees of Washington, D.C. by Roland M. Jefferson online at the Biodiversity Heritage Library.
- 全米桜祭り公式サイト (英語)
- さくらまつり
- ワシントン日米協会