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{{Infobox 作家 |
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| name = セルマ・ラーゲルレーヴ[[ファイル:Nobel prize medal.svg|18px|ノーベル賞受賞者]]<br/>Selma Lagerlöf |
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| image = Atelje Jaeger - Selma Lagerlöf 1928.jpeg |
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| caption = セルマ・ラーゲルレーヴ([[1928年]]) |
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| birth_name = Selma Ottilia Lovisa Lagerlöf |
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| birth_date = {{生年月日と年齢|1858|11|20|no}} |
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| birth_place = {{SWE}}[[ヴェルムランド地方]]{{仮リンク|モールバッカ|en|Mårbacka}} |
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| death_date = {{死亡年月日と没年齢|1858|11|20|1940|3|16}} |
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| death_place = {{SWE}}ヴェルムランド地方モールバッカ |
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| resting_place = <!--墓地、埋葬地--> |
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| occupation = [[作家]]、[[小説家]]、[[教師]] |
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| language = <!--著作時の言語--> |
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| nationality = {{SWE}} |
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| education = [[ウプサラ大学]]([[名誉博士号]]、[[1907年]]) |
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| alma_mater = [[高等師範学校]] |
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| period = [[1891年]] - [[1940年]] |
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| genre = 小説 |
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| movement = <!--作家に関連した、もしくは関わった文学運動--> |
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| religion = <!--信仰する宗教--> |
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| notable_works = 『[[ニルスのふしぎな旅]]』([[1906年]]~[[1907年]]) |
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| spouse = <!--配偶者--> |
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| partner = <!--結婚していない仕事のパートナー(親族など)--> |
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| children = <!--子供の人数を記入。子供の中に著名な人物がいればその名前を記入する--> |
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| relations = <!--親族。その中に著名な人物がいれば記入する--> |
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| influenced = <!--影響を与えた作家名--> |
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| awards = [[ノーベル文学賞]]([[1909年]]) |
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| debut_works = 『{{仮リンク|イェスタ・ベルリングのサガ|en|Gösta Berlings Saga}}』([[1891年]]) |
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| signature = <!--署名・サイン--> |
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| website = http://www.selmalagerlof.org/ |
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}} |
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{{Thumbnail:begin}} |
{{Thumbnail:begin}} |
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{{Thumbnail:ノーベル賞受賞者|1909年|ノーベル文学賞|その著作を特徴付ける崇高な理想主義、生気溢れる想像力、精神性の認識を称えて。}} |
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{{Thumbnail:画像|Atelje Jaeger - Selma Lagerlöf 1928.jpeg}} |
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{{Thumbnail:ノーベル賞受賞者|1909年|ノーベル文学賞|その著作を特徴付ける崇高な理想主義、生気溢れる想像力、精神性の認識を称えて。}} |
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{{Thumbnail:end}} |
{{Thumbnail:end}} |
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{{Portal|文学}} |
{{Portal|文学}} |
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[[ファイル:Selma Lagerlof.jpg|thumb|ラーゲルレーヴの『{{仮リンク|エルサレム (ラーゲルレーヴ)|sv|Jerusalem (bok)}}』に因んで[[命名]]された[[標識]]]] |
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'''セルマ・ラーゲルレーヴ'''('''{{Lang|sv|Selma Lagerlöf}}''', [[1858年]][[11月20日]] - [[1940年]][[3月16日]])は、[[スウェーデン]]の女流小説家。 |
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[[ファイル:Stamp of USSR 2284.jpg|thumb|[[1959年]]に[[ソ連]]が作成したラーゲルレーヴの[[記念切手]]]] |
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[[ファイル:Selma Lagerlöf.jpg|thumb|[[1909年]]時のラーゲルレーヴ]] |
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'''セルマ・オッティーリア・ロヴィーサ・ラーゲルレーヴ'''([[スウェーデン語]]:'''Selma Ottilia Lovisa Lagerlöf'''、{{IPA-sv|ˈsɛlˈma ˈlɑːɡərˈløːv|lang|sv-Selma_Lagerlöf.ogg}}、[[1858年]][[11月20日]] - [[1940年]][[3月16日]])は、[[スウェーデン]]の女性[[作家]]、[[小説家]]。 |
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『[[ニルスのふしぎな旅]]<ref>原題は『ニルス・ホルガションのふしぎなスウェーデン1周旅行''Nils Holgerssons underbara resa genom Sverige''』</ref>』(1906年・1907年)の著者で、[[1909年]]に女性初、[[スウェーデン人]]初となる[[ノーベル文学賞]]を受賞したとして名高い。 |
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== 『ニルスのふしぎな旅』の著者 == |
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現行の20[[スウェーデン・クローナ]]紙幣には、表にラーゲルレーヴの[[肖像]]、裏にニルスが描かれている<ref>2014年に紙幣のデザインの変更に伴い、20クローナはアストリッド・リンドグレーンになる予定」</ref>。 |
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本国では[[フェミニスト]]としても知られる。フルネームは、セルマ・オッティリアーナ・ロヴィサ・ラーゲルレーヴ。『[[ニルスのふしぎな旅]]』(1906年)の著者。[[1909年]]に、女性で初めての[[ノーベル文学賞]]受賞者となった。[[キリスト教]]の寓話的作品、絵本を数多く書いていた。 |
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現在のスウェーデン20[[スウェーデン・クローナ|クローナ]]紙幣にその肖像を見ることができる。 |
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== 生涯 == |
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ラーゲルレーヴの受賞したノーベル文学賞は現在のものとは趣旨が異なり、現在は高い完成度の作品を著した功績を讃えるものであるのに対して当時の賞はそれまでの文学家としての活動を評価して受賞させるものであった。 |
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=== 出生から作家デビューまで === |
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1858年11月20日、[[ノルウェー]]との[[国境]]に近い[[ヴェルムランド地方]]の{{仮リンク|モールバッカ|en|Mårbacka}}に[[退役軍人]]のエリック・グスタフ・ラーゲルレーヴ(''Erik Gustaf Lagerlöf'')とルイーゼ・ラーゲルレーヴ(''Louise Lagerlöf'')の5人の子供の4番目として生まれた{{sfn|大日本百科事典|1967|p=145}}。 |
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ヴェルムランド地方は[[農業]]や[[馬]]の生産、[[製鉄]]、炭焼き、[[林業]]などの盛んな[[地域]]で、詩人{{仮リンク|エサイアス・テグネル|en|Esaias Tegnér}}や[[歴史学者]]{{仮リンク|エリック・グスタフ・イェイイェル|en|Erik Gustaf Geijer}}も輩出している。ラーゲルレーヴ家は、大農場と鍛冶場を所有し、テグネルやイェイイェルとも親戚筋にあたる名家であった。ラーゲルレーヴは、生まれつき足が不自由であったため外で遊ぶことができず、文学好きの父や[[民間伝承]]に詳しい[[祖母]]の影響で、[[文学]]の好きな少女に成長した{{sfn|大日本百科事典|1967|p=145}}{{sfn|グランド現代百科事典|1983|p=322}}。 |
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スウェーデンでは[[1870年]]代に急速な近代化が興り、それに伴ってラーゲルレーヴ家は急速に没落した。 |
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ラーゲルレーヴは、自分で身を立てるため、[[1882年]]、父の反対を押し切って[[ストックホルム]]の[[高等師範学校]]に[[入学]]し、[[1885年]]にスウェーデン南部の[[ランスクローナ]]で[[女子高等師範学校]]の教師となった。 |
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[[1885年]]、父のエリック・グスタフ・ラーゲルレーヴが[[アルコール依存症]]で死去。[[1888年]]に生家は[[競売]]に賭けられ{{sfn|万有百科大事典|1973|p=677}}、家を継いでいた次兄のヨハン・ラーゲルレーヴ(''Johan Lagerlöf'')は[[アメリカ]]に移民した。長兄のダニエル・ラーゲルレーヴ(''Daniel Lagerlöf'')はすでに[[医者]]となって家を出ており、[[姉]]のアンナ(''Anna'')は[[結婚]]、[[出産]]後に[[結核]]に罹り死去した。幼い頃から一番仲の良かった[[妹]]イェルダとは、イェルダの結婚後も頻繁に行き来した。 |
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ラーゲルレーヴは教師を務める傍ら、[[詩]]や[[短編小説]]を[[雑誌]]の[[懸賞小説]]に[[投稿]]した。[[1890年]]に雑誌『イドゥン』の懸賞に投稿した短編が受賞。[[女性解放運動]]家の{{仮リンク|ソフィー・アドレルスパッレ|en|Sophie Adlersparre}}男爵夫人の支援を受けて、女学校を一年間休職し、[[1891年]]に『{{仮リンク|イェスタ・ベルリングのサガ|en|Gösta Berlings Saga}}』を[[刊行]]した。 |
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当時の北欧では、[[アウグスト・ストリンドベリ]]や[[ヘンリック・イプセン]]などに代表される「[[80年代文学]]」([[自然主義文学]])を批判する動きがあり、[[ドイツ]]の[[哲学者]][[フリードリヒ・ニーチェ]]や[[オーストリア]]の[[精神科医]][[ジークムント・フロイト]]の影響で、精神や魂、過去など、目に見えないものを重視するようになっていた。[[1820年]]代のヴェルムランドを幻想的に描いた『イェスタ・ベルリングのサガ』は「[[90年代文学]]」([[新ロマン主義文学]])の代表的な作品となり、40ヶ国語以上に[[翻訳]]された。 |
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=== デビューからノーベル文学賞受賞まで === |
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[[1894年]]に出版した第2作『{{仮リンク|見えざる絆|sv|Osynliga länkar}}』が商業的な成功を収めたため、ラーゲルレーヴは女学校をやめて専業作家となった。それ以降、ラーゲルレーヴは『{{仮リンク|アンチ・キリストの奇跡|sv|Antikrists mirakler}}』([[1897年]])、『{{仮リンク|クンガヘラの女王たち|sv|Drottningar i Kungahälla}}』([[1899年]])、『{{仮リンク|地主屋敷の物語|sv|En herrgårdssägen}}』([[1899年]])と、人気作品を次々と刊行し、スウェーデン国内でも、国際的にも、不動の名声を獲得した。 |
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[[1896年]]、スウェーデン中部の[[ダーラナ地方]]で、「神の声を聞いた」という[[農民]]たちが、[[エルサレム]]に集団移住した。スウェーデン国民の多くは、移住した農民たちに批判的だったが、ラーゲルレーヴはエルサレムで農民たちを取材し、移住した農民たちとダーラナに残った農民たちの葛藤と和解を描いた二部作からなる大著『{{仮リンク|エルサレム (ラーゲルレーヴ)|sv|Jerusalem (bok)}}』を刊行した(第一部『ダーラナで』([[1901年]])、第二部『聖地にて』([[1902年]]))。『エルサレム』は、1901年に第一回ノーベル文学賞の候補となった(受賞したのは1909年){{sfn|グランド現代百科事典|1983|p=322}}。 |
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=== 『ニルスのふしぎな旅』 === |
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スウェーデンでは、[[1842年]]に[[初等教育]]が義務化され、1880年、国民学校の教育向上を目的に、[[スウェーデン国民学校教員協会]](''Sveriges Allmänna folkskollärarförening'')が組織された。教育の改善の中でも特に急務であったのが、読本の改訂だった。また、[[19世紀]]末から[[20世紀]]初頭にかけて、教師による教授中心の教育から児童中心の教育への転換の動きが欧米を中心に広く展開された([[新教育運動]])。新教育運動の[[バイブル]]と呼ばれたのが、1900年にスウェーデンの[[社会運動家]]・[[教育学者]]の[[エレン・ケイ]]が著した『児童の世紀(''Barnets århundrade'')』である。ケイは一貫して国民学校読本を批判し、それに代わる読本のあり方を提言した。 |
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1901年、国民学校教員協会の読本作成委員会は、ラーゲルレーヴに初等教育で使用する地理読本の執筆を依頼した。その依頼を受けて、ラーゲルレーヴはスウェーデン各地を取材し、『[[ニルスのふしぎな旅]]』(第一部1906年、第二部1907年)を刊行した。<ref>村山朝子「地理読本『ニルスの不思議な旅』の成り立ち」(茨城大学教育学部紀要 人文・社会科学・芸術(60), pp.21 - 41 , 2011 , 茨城大学教育学部) [http://jairo.nii.ac.jp/0088/00001756 JAIRO]</ref> |
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=== 女性解放運動 === |
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19世紀後半のスウェーデンでは、女性解放運動の高まりを受け、女性作家が次々とデビューした。ラーゲルレーヴ自身も、女性向け雑誌『イドゥン』で注目を集め、女性解放運動家アドレルスパッレの支援を受けるなど、女性解放運動との関わりは強かった。また、ノーベル文学賞の受賞ほか、1907年に[[ウプサラ大学]][[名誉博士号]]を修得し、1914年にはスウェーデン・アカデミー会員に選出された。いずれも女性として初めての功績であり、ラーゲルレーヴは、その存在自体が、女性解放の旗手としての意味合いを強く持っていた。 |
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[[1915年]]にラーゲルレーヴは、ストックホルムで開催された国際女性参政権会議で、スウェーデンの[[女性参政権]]を求め、「{{仮リンク|家庭と国家|sv|Hem och stat}}」と題する演説を行った。 |
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=== 後半生 === |
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1910年代になると、[[北欧]]では90年代文学に代わって[[モダニズム文学]]が主流となる。[[1911年]]の『{{仮リンク|リリエクローナの家|sv|Liljecronas hem}}』や、[[1912年]]に著され、後に『[[霊魂の不滅]]』としてされた『幻の馬車』、1914年の『{{仮リンク|ポルトガリヤの皇帝さん|sv|Kejsarn av Portugallien}}』などは人気を博したが、[[1918年]]に[[第一次世界大戦]]に反対して執筆した『追放者(''Bannlyst'')』は酷評され、それ以降、ラーゲルレーヴは時代遅れの作家と見なされるようになった。[[1920年]]以降の作品には、自伝『モールバッカ(''Mårbacka'')』三部作([[1922年]]、[[1930年]]、[[1932年]])や、『{{仮リンク|レーヴェンシェルドの指輪|sv|Löwensköldska ringen}}』三部作などがある。 |
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[[1933年]]にドイツで[[ナチス]]が[[政権]]を握ると、ラーゲルレーヴは『土間で書いた話(''Skriften på jordgolvet'')』で、[[反ユダヤ主義]]を批判した。 |
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1940年3月16日、ノーベル賞の賞金で買い戻した生家モールバッカで死去した。 |
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== ラーゲルレーヴと日本 == |
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* ラーゲルレーヴの代表作『ニルスのふしぎな旅』の第48章に、スウェーデンで勉強する[[日本人]]が登場する。 |
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* 『ポルトガリヤの皇帝さん』では、主人公が歌う歌の中に「ニッポン」と言う[[歌詞]]がある。 |
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== 日本語訳されたおもな作品 == |
== 日本語訳されたおもな作品 == |
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* 藤原英司、辺見栄 訳『キリストの伝説 Ⅱ 聖ヴェロニカ』 キリスト教視聴覚センター(AVACO)2011年 ISBN 4-906401-79-6 |
* 藤原英司、辺見栄 訳『キリストの伝説 Ⅱ 聖ヴェロニカ』 キリスト教視聴覚センター(AVACO)2011年 ISBN 4-906401-79-6 |
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* 藤原英司、辺見栄 訳『キリストの伝説 Ⅲ・他一篇 胸赤コマドリ』 キリスト教視聴覚センター(AVACO)2011年 ISBN 4-906401-80-2 |
* 藤原英司、辺見栄 訳『キリストの伝説 Ⅲ・他一篇 胸赤コマドリ』 キリスト教視聴覚センター(AVACO)2011年 ISBN 4-906401-80-2 |
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* 菱木晃子訳『ニルスのふしぎな旅』 福音館書店 (上)ISBN 4-834-022735 (下)ISBN 4-834-022742 |
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* 新妻ゆり 訳『モールバッカ ニルスの故郷』 柏艪舎 2005年 ISBN 4-434-06339-1 |
* 新妻ゆり 訳『モールバッカ ニルスの故郷』 柏艪舎 2005年 ISBN 4-434-06339-1 |
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* 松岡尚子 訳『ダーラナの地主館奇談』 [[日本図書刊行会]]/[[近代文藝社]] 2001年 ISBN 4-8231-0640-7 |
* 松岡尚子 訳『ダーラナの地主館奇談』 [[日本図書刊行会]]/[[近代文藝社]] 2001年 ISBN 4-8231-0640-7 |
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30行目: | 100行目: | ||
* 石賀修 訳『エルサレム』第1部 岩波書店(岩波文庫) 1942年 ISBN 4-00-327563-2 |
* 石賀修 訳『エルサレム』第1部 岩波書店(岩波文庫) 1942年 ISBN 4-00-327563-2 |
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* 石賀修 訳『エルサレム』第2部 岩波書店(岩波文庫) 1952年 ISBN 4-00-327564-0 |
* 石賀修 訳『エルサレム』第2部 岩波書店(岩波文庫) 1952年 ISBN 4-00-327564-0 |
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* 野上彌生子訳『ゲスタ・ベルリング』、「野上彌生子全集 第Ⅱ期 第十八巻 翻訳1」所収 岩波書店 1987年 |
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* 森鷗外 訳『牧師』、「鷗外全集 第4巻」所収 岩波書店 1972年 ISBN 4-00-327564-0 |
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== その他 == |
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* [[2013年]][[11月20日]]、[[Google]]の[[トップページ]]にラーゲルレーヴ生誕155周年を[[記念]]して『[[ニルスのふしぎな旅]]』が[[ロゴ]]に採用された<ref>[http://newclassic.jp/archives/3337 セルマ・ラーゲルレーヴ生誕155周年 Googleトップページが『ニルスのふしぎな旅』仕様に] - [[newclassic]]、2013年11月20日閲覧。</ref>。 |
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== 脚注 == |
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<references/> |
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== 参考文献 == |
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* {{Cite book|和書|author=高津春繁|authorlink=高津春繁|coauthors=[[手塚富雄]]、[[西脇順三郎]]、[[久松潜一]]|editor= [[相賀徹夫]]|others=|title=万有百科大事典 1 文学|origdate=1973-8-10|url=|format=|accessdate=|edition=初版|date=|year=|publisher=[[小学館]]|location=|series=[[日本大百科全書]]|language=}} |
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* {{Cite book|和書|author=|authorlink=|coauthors=|editor=[[鈴木泰二]]|others=|title=グランド現代百科事典 29 ヤシチーリツフ|origdate=1983-6-1|url=|format=|accessdate=|edition=|date=|year=|publisher=[[学習研究社]]|location=|series=|language=}} |
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* {{Cite book|和書|author=|authorlink=|coauthors=|editor=[[澤田嘉一]]|others=|title=大日本百科事典 18 よーん|origdate=1967-11-20|url=|format=|accessdate=|edition=|date=|year=|publisher=[[小学館]]|location=|series=|language=}} |
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* {{Cite book|和書|author=|authorlink=|coauthors=|editor=[[鈴木勤]]|others=|title=世界文化大百科事典 10 ホクーラヒユ|origdate=1971|url=|format=|accessdate=|edition=|date=|year=|publisher=[[世界文化社]]|location=|series=|language=}} |
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== 関連項目 == |
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* [[スウェーデン文学]] |
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{{ノーベル文学賞受賞者 (1901年-1925年)}} |
{{ノーベル文学賞受賞者 (1901年-1925年)}} |
2013年11月24日 (日) 01:38時点における版
セルマ・ラーゲルレーヴ Selma Lagerlöf | |
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セルマ・ラーゲルレーヴ(1928年) | |
誕生 |
Selma Ottilia Lovisa Lagerlöf 1858年11月20日 スウェーデンヴェルムランド地方モールバッカ |
死没 |
1940年3月16日(81歳没) スウェーデンヴェルムランド地方モールバッカ |
職業 | 作家、小説家、教師 |
国籍 | スウェーデン |
教育 | ウプサラ大学(名誉博士号、1907年) |
最終学歴 | 高等師範学校 |
活動期間 | 1891年 - 1940年 |
ジャンル | 小説 |
代表作 | 『ニルスのふしぎな旅』(1906年~1907年) |
主な受賞歴 | ノーベル文学賞(1909年) |
デビュー作 | 『イェスタ・ベルリングのサガ』(1891年) |
公式サイト | http://www.selmalagerlof.org/ |
ウィキポータル 文学 |
|
セルマ・オッティーリア・ロヴィーサ・ラーゲルレーヴ(スウェーデン語:Selma Ottilia Lovisa Lagerlöf、スウェーデン語: [ˈsɛlˈma ˈlɑːɡərˈløːv] ( 音声ファイル)、1858年11月20日 - 1940年3月16日)は、スウェーデンの女性作家、小説家。
『ニルスのふしぎな旅[1]』(1906年・1907年)の著者で、1909年に女性初、スウェーデン人初となるノーベル文学賞を受賞したとして名高い。 現行の20スウェーデン・クローナ紙幣には、表にラーゲルレーヴの肖像、裏にニルスが描かれている[2]。
生涯
出生から作家デビューまで
1858年11月20日、ノルウェーとの国境に近いヴェルムランド地方のモールバッカに退役軍人のエリック・グスタフ・ラーゲルレーヴ(Erik Gustaf Lagerlöf)とルイーゼ・ラーゲルレーヴ(Louise Lagerlöf)の5人の子供の4番目として生まれた[3]。
ヴェルムランド地方は農業や馬の生産、製鉄、炭焼き、林業などの盛んな地域で、詩人エサイアス・テグネルや歴史学者エリック・グスタフ・イェイイェルも輩出している。ラーゲルレーヴ家は、大農場と鍛冶場を所有し、テグネルやイェイイェルとも親戚筋にあたる名家であった。ラーゲルレーヴは、生まれつき足が不自由であったため外で遊ぶことができず、文学好きの父や民間伝承に詳しい祖母の影響で、文学の好きな少女に成長した[3][4]。
スウェーデンでは1870年代に急速な近代化が興り、それに伴ってラーゲルレーヴ家は急速に没落した。
ラーゲルレーヴは、自分で身を立てるため、1882年、父の反対を押し切ってストックホルムの高等師範学校に入学し、1885年にスウェーデン南部のランスクローナで女子高等師範学校の教師となった。
1885年、父のエリック・グスタフ・ラーゲルレーヴがアルコール依存症で死去。1888年に生家は競売に賭けられ[5]、家を継いでいた次兄のヨハン・ラーゲルレーヴ(Johan Lagerlöf)はアメリカに移民した。長兄のダニエル・ラーゲルレーヴ(Daniel Lagerlöf)はすでに医者となって家を出ており、姉のアンナ(Anna)は結婚、出産後に結核に罹り死去した。幼い頃から一番仲の良かった妹イェルダとは、イェルダの結婚後も頻繁に行き来した。
ラーゲルレーヴは教師を務める傍ら、詩や短編小説を雑誌の懸賞小説に投稿した。1890年に雑誌『イドゥン』の懸賞に投稿した短編が受賞。女性解放運動家のソフィー・アドレルスパッレ男爵夫人の支援を受けて、女学校を一年間休職し、1891年に『イェスタ・ベルリングのサガ』を刊行した。
当時の北欧では、アウグスト・ストリンドベリやヘンリック・イプセンなどに代表される「80年代文学」(自然主義文学)を批判する動きがあり、ドイツの哲学者フリードリヒ・ニーチェやオーストリアの精神科医ジークムント・フロイトの影響で、精神や魂、過去など、目に見えないものを重視するようになっていた。1820年代のヴェルムランドを幻想的に描いた『イェスタ・ベルリングのサガ』は「90年代文学」(新ロマン主義文学)の代表的な作品となり、40ヶ国語以上に翻訳された。
デビューからノーベル文学賞受賞まで
1894年に出版した第2作『見えざる絆』が商業的な成功を収めたため、ラーゲルレーヴは女学校をやめて専業作家となった。それ以降、ラーゲルレーヴは『アンチ・キリストの奇跡』(1897年)、『クンガヘラの女王たち』(1899年)、『地主屋敷の物語』(1899年)と、人気作品を次々と刊行し、スウェーデン国内でも、国際的にも、不動の名声を獲得した。
1896年、スウェーデン中部のダーラナ地方で、「神の声を聞いた」という農民たちが、エルサレムに集団移住した。スウェーデン国民の多くは、移住した農民たちに批判的だったが、ラーゲルレーヴはエルサレムで農民たちを取材し、移住した農民たちとダーラナに残った農民たちの葛藤と和解を描いた二部作からなる大著『エルサレム (ラーゲルレーヴ)』を刊行した(第一部『ダーラナで』(1901年)、第二部『聖地にて』(1902年))。『エルサレム』は、1901年に第一回ノーベル文学賞の候補となった(受賞したのは1909年)[4]。
『ニルスのふしぎな旅』
スウェーデンでは、1842年に初等教育が義務化され、1880年、国民学校の教育向上を目的に、スウェーデン国民学校教員協会(Sveriges Allmänna folkskollärarförening)が組織された。教育の改善の中でも特に急務であったのが、読本の改訂だった。また、19世紀末から20世紀初頭にかけて、教師による教授中心の教育から児童中心の教育への転換の動きが欧米を中心に広く展開された(新教育運動)。新教育運動のバイブルと呼ばれたのが、1900年にスウェーデンの社会運動家・教育学者のエレン・ケイが著した『児童の世紀(Barnets århundrade)』である。ケイは一貫して国民学校読本を批判し、それに代わる読本のあり方を提言した。
1901年、国民学校教員協会の読本作成委員会は、ラーゲルレーヴに初等教育で使用する地理読本の執筆を依頼した。その依頼を受けて、ラーゲルレーヴはスウェーデン各地を取材し、『ニルスのふしぎな旅』(第一部1906年、第二部1907年)を刊行した。[6]
女性解放運動
19世紀後半のスウェーデンでは、女性解放運動の高まりを受け、女性作家が次々とデビューした。ラーゲルレーヴ自身も、女性向け雑誌『イドゥン』で注目を集め、女性解放運動家アドレルスパッレの支援を受けるなど、女性解放運動との関わりは強かった。また、ノーベル文学賞の受賞ほか、1907年にウプサラ大学名誉博士号を修得し、1914年にはスウェーデン・アカデミー会員に選出された。いずれも女性として初めての功績であり、ラーゲルレーヴは、その存在自体が、女性解放の旗手としての意味合いを強く持っていた。
1915年にラーゲルレーヴは、ストックホルムで開催された国際女性参政権会議で、スウェーデンの女性参政権を求め、「家庭と国家」と題する演説を行った。
後半生
1910年代になると、北欧では90年代文学に代わってモダニズム文学が主流となる。1911年の『リリエクローナの家』や、1912年に著され、後に『霊魂の不滅』としてされた『幻の馬車』、1914年の『ポルトガリヤの皇帝さん』などは人気を博したが、1918年に第一次世界大戦に反対して執筆した『追放者(Bannlyst)』は酷評され、それ以降、ラーゲルレーヴは時代遅れの作家と見なされるようになった。1920年以降の作品には、自伝『モールバッカ(Mårbacka)』三部作(1922年、1930年、1932年)や、『レーヴェンシェルドの指輪』三部作などがある。
1933年にドイツでナチスが政権を握ると、ラーゲルレーヴは『土間で書いた話(Skriften på jordgolvet)』で、反ユダヤ主義を批判した。
1940年3月16日、ノーベル賞の賞金で買い戻した生家モールバッカで死去した。
ラーゲルレーヴと日本
日本語訳されたおもな作品
年号は日本語訳の最初の出版年、人名の仮名表記は書籍中のものに従う
- 藤原英司、辺見栄 訳『キリストの伝説 Ⅰ 聖なるよる』 キリスト教視聴覚センター(AVACO)2011年 ISBN 4-906401-78-9
- 藤原英司、辺見栄 訳『キリストの伝説 Ⅱ 聖ヴェロニカ』 キリスト教視聴覚センター(AVACO)2011年 ISBN 4-906401-79-6
- 藤原英司、辺見栄 訳『キリストの伝説 Ⅲ・他一篇 胸赤コマドリ』 キリスト教視聴覚センター(AVACO)2011年 ISBN 4-906401-80-2
- 菱木晃子訳『ニルスのふしぎな旅』 福音館書店 (上)ISBN 4-834-022735 (下)ISBN 4-834-022742
- 新妻ゆり 訳『モールバッカ ニルスの故郷』 柏艪舎 2005年 ISBN 4-434-06339-1
- 松岡尚子 訳『ダーラナの地主館奇談』 日本図書刊行会/近代文藝社 2001年 ISBN 4-8231-0640-7
- V.S.ハワード 英訳、吉田比砂子 訳(重訳)『イングマルソン家の人びと』 けやき書房 1996年 ISBN 4-87452-321-8
- なかむらたえこ 訳、ドミニク・ルクレール 絵『きよしこのよる』(絵本) 新教出版社 1992年 ISBN 4-400-60810-7
- 中村妙子 訳、高瀬ユリ 絵『むねあかどり』(絵本) 日本基督教団出版局 1989年 ISBN 4-8184-0018-1
- 香川鉄蔵、香川節 訳『ニルスのふしぎな旅』(全4巻) 偕成社 1982年 ISBN 4-03-651061-4
- イシガオサム 訳『ポルトガリヤの皇帝さん』 岩波書店(岩波文庫) 1981年 ISBN 4-00-327562-4
- 石丸静雄 訳『幻の馬車』 角川書店(角川文庫) 1959年 ISBN 4-04-217203-2
- イシガオサム 訳『キリスト伝説集』 岩波書店(岩波文庫) 1955年 ISBN 4-00-327561-6
- 石賀修 訳『エルサレム』第1部 岩波書店(岩波文庫) 1942年 ISBN 4-00-327563-2
- 石賀修 訳『エルサレム』第2部 岩波書店(岩波文庫) 1952年 ISBN 4-00-327564-0
- 野上彌生子訳『ゲスタ・ベルリング』、「野上彌生子全集 第Ⅱ期 第十八巻 翻訳1」所収 岩波書店 1987年
- 森鷗外 訳『牧師』、「鷗外全集 第4巻」所収 岩波書店 1972年 ISBN 4-00-327564-0
その他
脚注
- ^ 原題は『ニルス・ホルガションのふしぎなスウェーデン1周旅行Nils Holgerssons underbara resa genom Sverige』
- ^ 2014年に紙幣のデザインの変更に伴い、20クローナはアストリッド・リンドグレーンになる予定」
- ^ a b 大日本百科事典 1967, p. 145.
- ^ a b グランド現代百科事典 1983, p. 322.
- ^ 万有百科大事典 1973, p. 677.
- ^ 村山朝子「地理読本『ニルスの不思議な旅』の成り立ち」(茨城大学教育学部紀要 人文・社会科学・芸術(60), pp.21 - 41 , 2011 , 茨城大学教育学部) JAIRO
- ^ セルマ・ラーゲルレーヴ生誕155周年 Googleトップページが『ニルスのふしぎな旅』仕様に - newclassic、2013年11月20日閲覧。
参考文献
- 高津春繁、手塚富雄、西脇順三郎、久松潜一 著、相賀徹夫 編『万有百科大事典 1 文学』(初版)小学館〈日本大百科全書〉(原著1973-8-10)。
- 鈴木泰二 編『グランド現代百科事典 29 ヤシチーリツフ』学習研究社(原著1983-6-1)。
- 澤田嘉一 編『大日本百科事典 18 よーん』小学館(原著1967年11月20日)。
- 鈴木勤 編『世界文化大百科事典 10 ホクーラヒユ』世界文化社(原著1971年)。