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{{Infobox Writer |
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[[ファイル:Dashiellhammett.jpg|right|thumb|220px|ダシール・ハメット]] |
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| name = ダシール・ハメット |
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{{Portal|文学}} |
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| image = Dashiell Hammett "Thin Man" portrait (cropped).jpg |
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'''ダシール・ハメット'''('''Samuel Dashiell Hammett'''、[[1894年]][[5月27日]] - [[1961年]][[1月10日]]) は、アメリカのミステリ作家。[[推理小説]]の世界にいわゆる[[ハードボイルド]]スタイルを確立した代表的な人物である。代表作は『[[血の収穫]]』『[[マルタの鷹]]』。 |
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| caption = '''Dashiell Hammett''' |
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| birth_name = Samuel Dashiell Hammett |
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| birth_date = {{生年月日と年齢|1894|5|27|no}} |
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| birth_place = {{USA}} [[メリーランド州]]セントメリー郡 |
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| death_date = {{死亡年月日と没年齢|1894|5|27|1961|1|10}} |
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| death_place = {{USA}} [[ニューヨーク州]][[ニューヨーク]] |
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| occupation = 小説家 |
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| nationality = {{USA}} |
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| period = 1922年 – 1951年 |
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| genre = [[ハードボイルド]]、[[推理小説|探偵小説]] |
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| influenced = [[レイモンド・チャンドラー]]、 [[ポール・オースター]] |
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'''サミュエル・ダシール・ハメット'''('''Samuel Dashiell Hammett''' {{IPA-en|ˈdæʃiəl / ˈdæʃəl / dæˈʃiːl ˈhæmɪt|}}<ref>[https://www.youtube.com/watch?v=MiW0NoSnzi0 Brad Rosenstein on Dashiell Hammett] JCCSF</ref><ref>[https://ja.forvo.com/search/Dashiell/ Dashiellの発音]</ref><ref>[https://www.oxfordlearnersdictionaries.com/definition/english/dashiell-hammett?q=Dashiell+Hammett Dashiell Hammett] Oxford Advanced Learner's Dictionary</ref><ref>Siobhan Thomas ''[https://books.google.co.jp/books?id=-owrEAAAQBAJ&pg=PT68 Best Baby Names 2022]''</ref>、[[1894年]][[5月27日]] - [[1961年]][[1月10日]]) は、アメリカのミステリ作家。[[推理小説]]の世界にいわゆる[[ハードボイルド]]スタイルを確立した代表的な人物である。代表作は『[[血の収穫]]』『[[マルタの鷹]]』。[[サム・スペード]]や[[コンチネンタル・オプ]]などの探偵を創造した。 |
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ハメットは最高の推理作家の1人とされており<ref name="shadow0">{{Harvnb|Layman|1981|p=239}}</ref>、『[[ニューヨーク・タイムズ]]』の死亡記事では「ハードボイルド派探偵小説界の長老」と評され<ref name="hardboiled0">{{Cite book|last = Layman, Richard & Bruccoli, Matthew J.|title = Hardboiled Mystery Writers: A Literary Reference|publisher = Carroll & Graf|year = 2002|page = 225|isbn = 0-7867-1029-2}}</ref>、『[[タイム (雑誌)|タイム]]』誌では[[タイム誌が選んだ小説100選|1923年から2005年までの英語の小説ベスト100]]に『[[血の収穫]]』を選んでいる<ref>{{Cite news| title = TIME's Critics pick the 100 Best Novels 1923 to the Present | first = Lev |last=Grossman | first2 = Richard |last2=Lacayo | url = http://www.time.com/time/2005/100books/ | publisher = [[タイム (雑誌)|Time]] | date = 2005-10-31 | accessdate = 2008-10-19}}</ref>。 |
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[[サム・スペード]]や[[コンチネンタル・オプ]]などの探偵を創造した。 |
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[[国際推理作家協会]]はハメットの業績を称え、[[ダシール・ハメット国際推理小説賞]]を制定し、スペイン語で書かれた最も優れた推理小説の表彰を行っている。また、同協会の北米支部は独自に「'''[[ハメット賞]]'''([[:en:The Hammett Prize|The Hammett Prize]])」を制定し、1992年より毎年、アメリカもしくはカナダ人作家を対象としてノミネートされた作品から最優秀 |
[[国際推理作家協会]]はハメットの業績を称え、[[ダシール・ハメット国際推理小説賞]]を制定し、スペイン語で書かれた最も優れた推理小説の表彰を行っている。また、同協会の北米支部は独自に「'''[[ハメット賞]]'''([[:en:The Hammett Prize|The Hammett Prize]])」を制定し、1992年より毎年、アメリカもしくはカナダ人作家を対象としてノミネートされた作品から最優秀1作を選定している。ほかに、北欧支部の[[スカンジナヴィア推理作家協会]]でも、ハメットの作品タイトルにちなんだ[[ガラスの鍵賞]]を制定し、北欧の最優秀作品を毎年選定している。 |
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== 生い立ち == |
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[[メリーランド州]]セントメリー郡にあった Hopewell and Aim という農場で生まれる<ref>{{Cite journal| url= http://maryland.lib.overdrive.com/E217782A-A9BE-4151-992F-E7FBF6903D39/10/50/en/ContentDetails.htm?id=54E71221-9997-4245-9112-BABCC4FCFFAB | title=Tobacco to Tomcats: St. Mary's County since the Revolution | first=Sandy | last=Shoemaker | pages=160 | publisher=StreamLine Enterprises, Leonardtown, Maryland | accessdate=2008-01-01}}</ref>。父はリチャード・トーマス・ハメット、母はアン・ボンド・ダシールである。母はメリーランドの旧家出身で、フランスの姓である de Chiel を英語化した姓を名乗っていた。ハメットは洗礼を受けてカトリック教徒となり<ref>{{Harvnb|Gores|2005|p=197}}</ref>、[[フィラデルフィア]]と[[ボルチモア]]で育った。通称はサム (Sam) で、13歳で学校を離れていくつかの職を転々とし、アメリカ屈指の探偵会社である[[ピンカートン探偵社]]にたどり着いた。1915年から1922年2月までピンカートンで[[探偵]]として働いたが、一時期[[第一次世界大戦]]で休職している。ピンカートン探偵社はこのころ「[[ストライキ|スト]]破り」を請け負っており、そのことで探偵という職業に抱いていた幻想を捨てることになった<ref>Heise, Thomas, [http://muse.jhu.edu/login?auth=0&type=summary&url=/journals/modern_fiction_studies/v051/51.3heise.pdf "'Going blood-simple like the natives': Contagious Urban Spaces and Modern Power in Dashiell Hammett's ''Red Harvest''" (paid access only)], ''Modern Fiction Studies'' 51, no. 3 (Fall 2005) 506. なおリンク先には無料の抄録があるが、抄録には出典となるような記述はない。</ref>。 |
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生後数年で貧しい境遇となり様々な職業を経験した。[[第一次世界大戦]]後はアメリカ屈指の探偵会社である[[ピンカートン探偵社]]の[[探偵]]として働いていたこともある。この際の経験が、作品に生かされていると言われる。その後、肺結核を患って文筆活動に入る。 |
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1918年には[[アメリカ陸軍]]に所属しており、衛生隊で働いた。しかし[[スペインかぜ]]に罹り、[[結核]]を患うことになった。そのため陸軍では大部分を[[ワシントン州]][[タコマ (ワシントン州)|タコマ]]の病院で患者として過ごすことになった。その病院でジョセフィン・ドランという看護婦と出会い、後に結婚している。 |
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1922年から、推理小説雑誌『[[ブラック・マスク]]』誌に短編推理小説の執筆を開始。同誌の看板作家の一人となった。「報告書のように簡潔な」筆致で、登場人物の行動を描く彼のハードボイルドスタイルは、この頃に確立されている。当時の初期作品にしばしば登場したのが、小太りのコンチネンタル探偵社社員「コンチネンタル・オプ」である。 |
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== 結婚と家族 == |
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ドランと結婚し、2人の娘メアリー・ジェーン(1921年10月15日生まれ)とジョセフィン(1926年生まれ)をもうけた<ref name="layman">Layman, Richard with Rivett, Julie M. (2001). [http://www.nytimes.com/books/first/h/hammett-01letters.html "Review" of ''Selected Letters of Dashiell Hammett 1921-1960''], Retrieved on 2009-06-02</ref>。次女が生まれた直後、結核が乳幼児に感染する可能性があると指摘され、家族と同居できなくなった。そこで妻ジョセフィンが[[サンフランシスコ]]に家を借りて住み、ハメットが週末に訪問するという形をとった。この結婚生活はうまくいかず、間もなく破綻することになったが、ハメットは執筆で得た収入から養育費を払い続けた<ref>{{Harvnb|Gores|2005|pp=240, 336}}</ref>。 |
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== 経歴 == |
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[[ピンカートン探偵社|ピンカートン]]での探偵としての経験を生かした真に迫った描写で知られている<ref>{{Harvnb|Gores|2005|pp=18-24}}</ref>。ハメットは「全ての登場人物は私が個人的に知っている人々をベースにしている」と述べている<ref>Chandler, ''[https://books.google.co.jp/books?ei=q3-gTu6_B5LMsQLnut3FBQ&ct=result&id=xAEPAQAAMAAJ&redir_esc=y&hl=ja Nightmare Town]'', p. iii, ISBN 0-375-70102-8, ISBN 978-0-375-70102-3</ref>。 |
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広告の仕事のかたわら、1922年から推理小説雑誌『[[ブラック・マスク (雑誌)|ブラック・マスク]]』誌に短編推理小説の執筆を開始。同誌の看板作家の一人となったのち、専業作家となった。彼の作品の大部分は1920年代、[[サンフランシスコ]]に住んでいたころに書かれており、サンフランシスコの通りや地名がよく出てくる。「報告書のように簡潔な」筆致で、登場人物の行動を描く彼のハードボイルドスタイルは、この頃に確立されている。当時の初期作品にしばしば登場したのが、小太りのコンチネンタル探偵社の調査員(オペラティヴ)、通称「コンチネンタル・オプ」である。 |
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[[1929年]]には『血の収穫』、続いて『デイン家の呪い』とコンチネンタル・オプものの長編を送り出した。特に『血の収穫』は壮絶なバイオレンスドラマで、その後のアクション小説・映画に多大な影響を与えた。 |
[[1929年]]には『血の収穫』、続いて『デイン家の呪い』とコンチネンタル・オプものの長編を送り出した。特に『血の収穫』は壮絶なバイオレンスドラマで、その後のアクション小説・映画に多大な影響を与えた。 |
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1929年に『ブラック・マスク』誌に連載され、翌年単行本となった『マルタの鷹』は、ハメットのもっとも有名な作品である。[[サンフランシスコ]]の私立探偵サム・スペードが真相追求のために行動する姿を完全客観のカメラアイスタイルで描き、後続のハードボイルド作家の範とされる。 |
1929年に『ブラック・マスク』誌に連載され、翌年単行本となった『マルタの鷹』は、ハメットのもっとも有名な作品である。[[サンフランシスコ]]の私立探偵サム・スペードが真相追求のために行動する姿を完全客観のカメラアイスタイルで描き、後続のハードボイルド作家の範とされる。 |
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また、[[1931年]]の長編『ガラスの鍵』は、賭博師ネド・ボーモントを主人公に錯綜した事件を描いた作品で、やはり厳しい客観筆致で描かれており、もっとも好きな自作であった。この2作はとりわけ後世の評価が高い。 |
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また、[[1931年]]の長編『ガラスの鍵』は、賭博師ネド・ボーモントを主人公に錯綜した事件を描いた作品で、やはり厳しい客観筆致で描かれており、ハメット自身がもっとも愛した作品であった。この2作はとりわけ後世の評価が高い。 |
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[[1934年]]には、やや通俗的なタッチで夫婦探偵の活躍を描いた『影なき男』を書き、これは大衆からも人気を博した。<br> |
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しかし、その後のハメットは、自作の映画化で収入が得られるようになったこともあってか、創作意欲は衰えている(ただし、後半生を共に過ごした[[リリアン・ヘルマン]]はこの一般的な見解に対して否定的である。彼女によると、執筆活動はずっと続けていたが、作品を完成させることができなかった。何故、完成させられなかったのかは分からないと、自らの自伝で延べている)。 |
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[[1934年]]には、やや通俗的なタッチで夫婦探偵の活躍を描いた『影なき男』を書き、これは大衆からも人気を博した。 |
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1942年、[[太平洋戦争]]勃発後、彼は陸軍に志願し、戦時中のほとんどを[[アリューシャン諸島]]で陸軍の新聞を作る下士官として過ごしたが[[肺気腫]]で除隊している。 |
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== 後半生 == |
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労働者の実態をよく知るが故に、ハメットは労働運動にも強い共感を持っていた。彼は反ファシストであり1930年から1937年には[[アメリカ共産党]]にも入っていた。だがそれが[[第二次世界大戦後]]の[[冷戦]]下のアメリカで吹き荒れた「[[赤狩り]]」の被害にあう原因ともなり、友人の[[エリア・カザン]]による密告を受け起訴され、自らの活動や他の共産党メンバーに関する自白を拒み続けた結果、法廷侮辱罪で有罪判決を受け受刑した。晩年は病と不遇のうちに亡くなっている。 |
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1929年から1930年にかけて、女流推理作家{{仮リンク|ネル・マーティン|en|Nell Martin}}と付き合っている。『ガラスの鍵』は献辞でネル・マーティンに捧げられており、ネル・マーティンの ''Lovers Should Marry'' という作品はハメットに捧げられている。 |
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1931年、劇作家[[リリアン・ヘルマン]]と出会い、その後30年間を共に過ごすことになった。その関係は映画『[[ジュリア (映画)|ジュリア]]』で描かれており、ハメットは[[ジェイソン・ロバーズ]]([[アカデミー助演男優賞]]受賞)、ヘルマンは[[ジェーン・フォンダ]]が演じている。 |
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==作品== |
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===小説作品=== |
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<!--加筆求む--> |
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*『血の収穫』 別題『赤い収穫』 [[:en:Red Harvest| Red Harvest]] (1929) |
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*『デイン家の呪い』 別題『デイン家の呪』 [[:en:The Dain Curse| The Dain Curse]] (1929) |
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*『[[マルタの鷹]]』 [[:en:The Maltese Falcon| The Maltese Falcon]] (1930) |
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*『[[ガラスの鍵]]』 [[:en:The Glass Key| The Glass Key]] (1931) |
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*『闇の中から来た女』 Woman in the Dark (1933) |
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*『[[影なき男]]』 [[:en:The Thin Man| The Thin Man]] (1934) |
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*『血の報酬』 Blood Money (1943) |
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他70以上の短編があり多くの短編集が刊行されている。 |
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その後のハメットは、自作の映画化で収入が得られるようになったこともあってか、創作意欲は衰えている(ただし、後半生を共に過ごした[[リリアン・ヘルマン]]はこの一般的な見解に対して否定的である。彼女によると、執筆活動はずっと続けていたが、作品を完成させることができなかった。何故、完成させられなかったのかは分からないと、自らの自伝で述べている)。 |
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===他の著作=== |
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* Creeps by Night; Chills and Thrills (編纂した怪奇小説のアンソロジー, 1931) |
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* Secret Agent X-9 (原作を書いた新聞連載漫画の単行本化, 1934) |
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1934年に最後の長編を書き、その後は[[左翼]]の[[積極行動主義]]に生涯を捧げることになった。労働者の実態をよく知るが故に、ハメットは労働運動にも強い共感を持っていた。1930年代を通して[[反ファシズム]]の立場をとり、1937年には[[アメリカ共産党]]に参加している<ref>{{Cite web|url=http://www.cpusa.org/article/static/511/#question12|title=FAQ at the CPUSA site|publisher=Cpusa.org|date=|accessdate=2012-07-19|archiveurl=https://web.archive.org/web/20090618060128/http://www.cpusa.org/article/static/511/#question12|archivedate=2009-06-18|url-status=dead|url-status-date=2013-02}}</ref>。{{仮リンク|アメリカ作家連盟|en|League of American Writers}}の一員として(1941年には会長を務めた)、[[独ソ不可侵条約]]が結ばれていた1940年1月に同連盟に設置された ''Keep America Out of War Committee'' の委員を務めた<ref name="DaysOfRage">Franklin Folsom, ''Days of Anger, Days of Hope'', University Press of Colorado, 1994, ISBN 0-87081-332-3</ref>。しかし1941年夏にドイツがソ連に侵攻すると、同連盟は反戦の姿勢を改めた。 |
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===映画化作品=== |
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ハメットの長編小説は、1930年代から1940年代にかけて映画化されている。 |
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=== 第二次世界大戦 === |
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[[真珠湾攻撃]]による[[太平洋戦争]]勃発後の1942年、彼は[[アメリカ陸軍|陸軍]]に志願した。第一次世界大戦で結核を患った犠牲者であり、共産主義者だったが、従軍が認められるよう働きかけた。戦時中のほとんどを[[アリューシャン列島]]で陸軍の新聞を作る下士官([[軍曹]])として過ごした。1943年、上官の命で伍長ロバート・コロドニーと共に ''The Battle of the Aleutians'' を執筆した。その後[[肺気腫]]で除隊している。 |
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ワーナー・ブラザーズ社が映画化権を取り、1931年と1936年の二度にわたって映画化したがヒットしなかった。 |
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=== 戦後の政治活動 === |
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ワーナー社は1941年に3度目の映画化を行った。[[ジョン・ヒューストン]]の初監督作品で、公式には、[[ハンフリー・ボガート]]の初主演作である。ボガート扮するスペードの厳しい演技、ヒューストンの原作に忠実な脚本と切れ味の鋭い演出、そして多彩な脇役陣とが相まって、歴史に残る名作となった。 |
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戦後は政治活動に戻ったが、かつてほど熱心ではなかった<ref name="shadow1">{{Harvnb|Layman|1981|p=206}}</ref>。1946年6月5日、公民権議会{{enlink|Civil Rights Congress}} (CRC) の議長に選ばれ、その後はCRCの活動に注力するようになった<ref name="shadow1"/>。1946年、CRCは政治犯被告の釈放のための保釈基金を創設<ref name="shadow2">{{Harvnb|Layman|1981|pp=219-223}}</ref>。1947年4月3日、大統領[[ハリー・S・トルーマン]]の命により司法長官がCRCを共産主義団体に指定した<ref>{{Cite news|url = https://www.nytimes.com/2000/02/07/us/frederick-vanderbilt-field-wealthy-leftist-dies-at-94.html |title=Frederick Vanderbilt Field, Wealthy Leftist, Dies at 94 |author=Enid Nemy |publisher=The New York Times |accessdate= 2007-11-27 | date=February 7, 2000}}</ref>。 |
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==== 懲役とブラックリスト ==== |
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このヒューストン版があまりに傑出していたため、以後『マルタの鷹』は映画化されていない。 |
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1949年11月4日、CRCの保釈基金が[[アメリカ合衆国連邦政府]]の転覆を図ったとして[[共謀罪]]で捕らえられた11人の保釈に使われたことで、アメリカ中の注目を集める事態となる<ref name="shadow2"/>。1951年7月2日、弁護側の敗訴が濃厚になると、被告のうち4人が逃亡。裁判所は逃亡者への召喚状をCRCの評議員に送った<ref name="shadow2"/>。1951年7月9日、ハメットは裁判所に出廷して証言した。ハメットに質問したのは[[タイム (雑誌)|タイム]]誌が「共産主義者を狩りたてるアメリカ一の法律家」と評した検事 [[:en:Irving H. Saypol|Irving Saypol]] だった<ref name="shadow2"/>。このとき政府側は保釈基金に寄付した人々が逃亡者をかくまっている可能性があるとして、そのリストを提出することを要求したが、ハメットはそれを拒み続けた<ref name="shadow2"/>。ハメットは[[アメリカ合衆国憲法]][[権利章典 (アメリカ)#修正第5条|修正第5条]]を盾に質問に答えることを拒否し、CRCの文書にある彼の署名やイニシャルを識別することさえ断わった。その結果、[[法廷侮辱罪]]で訴えられ、有罪の判決が下された<ref name="shadow2"/><ref name="criticalresponse">{{Harvnb|Metress|1994}}</ref><ref name=alife>{{Harvnb|Johnson|1983}}</ref><ref>{{Cite web |url=http://www.kirjasto.sci.fi/dhammett.htm |title=Dashiell Hammett |author=Petri Liukkonen |publisher=Books and Writers |accessdate=2007-11-27 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20060716050714/http://www.kirjasto.sci.fi/dhammett.htm |archivedate=2006-07-16 |url-status=dead|url-status-date=2017-09 }}</ref>。ハメットはウェストバージニア連邦刑務所で服役し、リリアン・ヘルマンによれば<ref>{{Harvnb|Hellman|1962|pp=vii-viii}}</ref> トイレ掃除をさせられたという<ref name="Hellman 1962 xi-xii">{{Harvnb|Hellman|1962|pp=xi-xii}}</ref>。 |
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1950年代には、上院議員[[ジョセフ・マッカーシー]]による共産主義のアメリカ社会と政治への影響を調査する試みの一環として、[[アメリカ合衆国議会|議会]]に調査された。1953年3月26日、上院の委員会で証言させられたが、委員会への協力を拒んだため[[ハリウッド・ブラックリスト|ブラックリスト]]に載せられることになった。 |
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====ガラスの鍵==== |
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1942年のリメイク版が有名。スチュアート・ヘイスラーが監督、脚本は『ブラック・マスク』出身の推理作家でハメットとも親交のあった[[ジョナサン・ラティマー]]。主演[[アラン・ラッド]]、共演[[ヴェロニカ・レイク]]。 |
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== 死 == |
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====影なき男==== |
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[[ファイル:Hammett Samuel D.jpg|thumb|right|225px|[[アーリントン国立墓地]]にあるハメットの墓]] |
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1934年にW・S・ヴァン・ダイクJr監督で映画化。ウィリアム・パウエルとマーナ・ロイがおしどり探偵役で主演し、続編が作られるほどのヒット作となった。 |
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第一次世界大戦で感染した結核は、その後の飲酒と喫煙で悪化していった。ヘルマンによれば、服役でさらにやせ細って病気が悪化したという<ref name="Hellman 1962 xi-xii"/>。''Tulip'' と題した長編にとりかかったものの、病状が悪化していったため完成させることはできなかった<ref>{{Harvnb|Hellman|1962|p=viii}}</ref>。 |
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[[:en:Diane Johnson|ダイアン・ジョンスン]]著『ダシール・ハメットの生涯』([[小鷹信光]]訳、[[早川書房]])には[[連邦捜査局|FBI]]がダシール・ハメットについてまとめた1957年4月5日付けの調査報告書が紹介されており、その記載からは晩年のハメットの困窮ぶりがうかがえる。 |
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====その他==== |
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[[黒澤明]]の映画「用心棒」(1962年)は、モチーフを『血の収穫』から得ている。 |
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{{Quotation| 現在彼はいかなる著作物からもあるいは文筆活動からも印税を受け取っていないし、ここ数年も同様である。それは、国と州の税務署から受けた所得税の留置権のせいである。昨年の所得はおよそ三十ドルであり、それは『セールスマンの死』という劇に投資したことにより得たものだと彼は述べた。出所した一九五一年十二月以来友人たちから借りた金で生活しているとも語った。}} |
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ヘルマンによれば、1950年代には「隠者」のような生活を送っていた<ref>{{Harvnb|Hellman|1962|p=xx}}</ref>。最終的には1人で生活することが困難になり、最晩年の4年間はヘルマンが同居して世話をした<ref>{{Harvnb|Hellman|1962|p=xxvi}}</ref>。 |
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1961年1月10日、ニューヨークの病院で[[肺癌]]のため亡くなった。癌と判明してからわずか2カ月後のことだった。2つの[[世界大戦]]に従軍した[[退役軍人]]として、[[アーリントン国立墓地]]に埋葬された。 |
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== 作品 == |
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=== 長編小説 === |
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※『影なき男』以外の長編は、雑誌に3回から5回に分けて連載されたものである<ref>Checklist of Dashiell Hammett Fiction [http://histmyst.org/mysteries/hammett.html Checklist of Dashiell Hammett Fiction]</ref>。 |
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<!--加筆求む--> |
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* ''[[:en:Red Harvest|Red Harvest]]'', 1929 |
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**赤い収穫 [[砧一郎]]訳、[[ハヤカワ・ミステリ]]、1953年 |
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**血の収穫 [[田中西二郎]]訳、[[東京創元社]]、1956年 |
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**血の収穫 [[能島武文]]訳、[[新潮文庫]]、1960年 |
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**血の収穫 [[河野一郎 (翻訳家)|河野一郎]]訳、[[中公文庫]]、1977年 |
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**血の収穫 [[田中小実昌]]訳、[[講談社文庫]]、1978年 |
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**赤い収穫 [[小鷹信光]]訳、[[ハヤカワ・ミステリ文庫]]、1988年 |
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**血の収穫 [[田口俊樹]]訳、[[創元推理文庫]]、2019年 |
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* ''[[:en:The Dain Curse|The Dain Curse]]'', 1929 |
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**デイン家の呪 [[村上啓夫]]訳、[[日本出版協同]]、1953年 |
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**デイン家の呪い 小鷹信光訳、ハヤカワ・ミステリ文庫、2009年 |
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* ''[[:en:The Maltese Falcon|The Maltese Falcon]]'', 1930 |
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**マルタの鷹 砧一郎訳、ハヤカワ・ミステリ、1954年 |
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**マルタの鷹 田中西二郎訳、探偵小説文庫、1956年 |
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**マルタの鷹 村上啓夫訳、創元推理文庫、1961年 |
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**マルタの鷹 石一郎訳、角川文庫、1963年 |
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**マルタの鷹 小鷹信光訳、ハヤカワ・ミステリ文庫、1988年 |
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**マルタの鷹(改訳決定版) 小鷹信光訳、ハヤカワ・ミステリ文庫、2012年 |
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**児童書 |
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***マルタの鷹 久米みのる訳、集英社ジュニア版世界の推理、1972年 |
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***マルタの鷹 亀山竜樹訳、あかね書房、1973年 |
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***マルタの鷹 福島正美訳、文研出版、1977年 |
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* ''[[:en:The Glass Key|The Glass Key]]'', 1931 |
|||
**ガラスの鍵 砧一郎訳、ハヤカワ・ミステリ、1954年 |
|||
**ガラスの鍵 [[大久保康雄]]訳、創元推理文庫、1960年 |
|||
**ガラスの鍵 小鷹信光訳、ハヤカワ・ミステリ文庫、1993年 |
|||
**ガラスの鍵 [[池田真紀子]]訳、[[光文社]]古典新訳文庫、2010年 |
|||
* ''Woman in the Dark'', 1933 |
|||
**暗闇から來た女 吉岡龍訳、『[[新青年 (日本)|新青年]]』第15巻第10号、1934年 |
|||
**暗闇から来た女 [[乾信一郎]]訳、『別冊宝石』通巻79号、1958年 |
|||
**闇の中から来た女 [[船戸与一]]訳、[[集英社]]、1991年 |
|||
* ''[[:en:The Thin Man|The Thin Man]]'', 1934 |
|||
**影のない男 [[大門一男]]訳、『スタア』通巻15-16号、1934年 |
|||
**影なき男 砧一郎訳、おんどり・みすてりい、1950年 |
|||
**影なき男 小鷹信光訳、ハヤカワ・ミステリ文庫、1991年 |
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=== 短編集 === |
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※70以上の短編があり、多くの短編集が刊行されている。 |
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* ''[[:en:Nightmare Town|Nightmare Town]]'', 1948 |
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**悪夢の街 [[エラリー・クイーン|エラリイ・クイーン]]編、[[井上一夫]]他訳、ハヤカワ・ミステリ、1961年 |
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* ''[[:en:The Continental Op|The Continental Op]]'', 1974 |
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**コンチネンタル・オプ スティーブン・マーカス編、小鷹信光他訳、[[立風書房]]、1978年 |
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※以下、日本独自編集 |
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* 探偵コンティネンタル・オプ 砧一郎訳、[[六興出版]]、1957年 |
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* ハメット傑作集1 - フェアウェルの殺人 [[稲葉明雄]]訳、創元推理文庫、1972年 |
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* ハメット傑作集2 - スペイドという男 稲葉明雄訳、創元推理文庫、1976年 |
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* 死刑は一回でたくさん [[各務三郎]]編、[[田中融二]]訳、講談社文庫、1979年 |
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* ブラッド・マネー 小鷹信光訳、[[河出文庫]]、1988年 |
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* コンチネンタル・オプの事件簿 小鷹信光編訳、ハヤカワ・ミステリ文庫、1994年 |
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* コンチネンタル・オプ 稲葉明雄訳、[[集英社文庫]]、1997年 |
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* 血の収穫 河野一郎他訳、[[嶋中書店]]、2005年 |
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* チューリップ:ダシール・ハメット中短篇集 小鷹信光編訳解説、[[草思社]]、2015年 |
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=== ジュブナイル === |
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* 毒には毒を/山のにせ札事件(ミステリ・ベストセラーズ) [[亀山龍樹]]訳、[[鶴書房盛光社]]、刊行年不記載、「山のにせ札事件」の方は[[レイモンド・チャンドラー|チャンドラー]]の作品 |
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* 私立探偵ラッシュ(フォア文庫、原題:The Assistant Murderer) [[青木日出夫]]訳・[[西川おさむ]]画、[[岩崎書店]]、1991年 |
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* 暴力のまち(海外SFミステリー傑作選、原題:Corkscrew) [[内田庶]]訳、[[国土社]]、1995年 |
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=== 他の著作 === |
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* ''Creeps by Night; Chills and Thrills'', 1931 - ハメットが編纂した怪奇小説のアンソロジー |
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* ''Secret Agent X-9'', 1934 - ハメットが原作を書いた新聞連載漫画の単行本化 |
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== 映画 == |
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ハメットの長編小説は、1930年代から1940年代にかけて映画化されている。 |
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; マルタの鷹 |
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: [[ワーナー・ブラザース]]が映画化権を取り、1931年と1936年の2度にわたって映画化したがヒットしなかった。 |
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: ワーナー社は1941年に3度目の映画化を行った。[[ジョン・ヒューストン]]の初監督作品で、公式には、[[ハンフリー・ボガート]]の初主演作である。ボガート扮するスペードの厳しい演技、ヒューストンの原作に忠実な脚本と切れ味の鋭い演出、そして多彩な脇役陣とが相まって、歴史に残る名作となった。 |
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: このヒューストン版があまりに傑出していたため、以後『マルタの鷹』は映画化されていない。 |
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{{See also|マルタの鷹 (1941年の映画)}} |
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; ガラスの鍵 |
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: 1942年のリメイク版が有名。スチュアート・ヘイスラーが監督、脚本は『ブラック・マスク』出身の推理作家でハメットとも親交のあった[[ジョナサン・ラティマー]]。主演[[アラン・ラッド]]、共演[[ヴェロニカ・レイク]]。 |
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; [[影なき男 (1934年の映画)|影なき男]] |
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: 1934年にW・S・ヴァン・ダイクJr監督で映画化。ウィリアム・パウエルとマーナ・ロイがおしどり探偵役で主演し、続編が作られるほどのヒット作となった。 |
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[[黒澤明]]の映画『[[用心棒]]』(1961年)は、モチーフを『血の収穫』から得ている。 |
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1983年の映画『[[ハメット (映画)|ハメット]]』は、[[ヴィム・ヴェンダース]]の監督作品で、原作はハメットファンの作家[[ジョー・ゴアズ]]。ダシール・ハメットその人を探偵役に異様な物語が展開される。ハメット役の[[フレデリック・フォレスト]]は、ハメットそっくりに扮して出演。 |
1983年の映画『[[ハメット (映画)|ハメット]]』は、[[ヴィム・ヴェンダース]]の監督作品で、原作はハメットファンの作家[[ジョー・ゴアズ]]。ダシール・ハメットその人を探偵役に異様な物語が展開される。ハメット役の[[フレデリック・フォレスト]]は、ハメットそっくりに扮して出演。 |
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== 脚注 == |
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{{Reflist|colwidth=30em}} |
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== 書誌情報 == |
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* Mundell, E.H. ''A List of the Original Appearances of Dashiell Hammett's Magazine Work'', 1968, The Kent State University, Ohio. |
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* Layman, Richard. ''Dashiell Hammett: A Descriptive Bibliography'', 1979, Pittsburgh Series in Bibliography, University of Pittsburgh Press. |
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* Lovisi, Gary. ''Dashiell Hammett and Raymond Chandler: A Checklist and Bibliography of Their Paperback Appearances'', 1994, Gryphon Books. |
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== 参考文献 == |
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* Nolan, William F. ''Dashiell Hammett: A Casebook'', 1969, McNally & Lofin, Santa Barbara. |
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* Fechheimer, David, editor. ''City of San Francisco: Dashiell Hammett Issue'', 4 November 1975, City Publishing, San Francisco. |
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* Braun, Martin. ''Prototypen der amerikanischen Kriminalzahlung: Die Romane und Kurzgeschichten Carroll John Daly und Dashiell Hammett'', 1977, Lang, Frankfurt. |
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* {{Cite book|last = Layman|first = Richard |title = Shadow Man: The Life of Dashiell Hammett|publisher = Harcourt Brace Jovanovich |year = 1981 |isbn = 0-15-181459-7 |place= New York |ref=harv}} |
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* Nolan, William F. ''Hammett: A Life at the Edge'', 1983, Congdon & Weed, New York. |
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* {{Cite book|last = Johnson|first = Diane |title = Dashiell Hammett, a Life |publisher = [[ランダムハウス|Random House]] |year = 1983 |ref=harv}} |
|||
* Marling, William. ''Dashiell Hammett'', 1983, Twayne, New York. |
|||
* Symons, Julian. ''Dashiell Hammett'', 1985, Harcourt, Brace & Javonovich, New York. |
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* Gregory, Sinda. ''Private Investigations: The Novels of Dashiell Hammett'', 1985, Southern Illinois University Press. |
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* {{Cite book|last = Metress|first = Christopher|title = The Critical Response to Dashiell Hammett|publisher = Greenwood Press|year = 1994 |place=Westport, Connecticut|ref=harv}} |
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* Maurin, Maria Jose Alvarez. ''Claves Para un Enigma: La Poetica del Misterio en la Narrativa de Dashiell Hammett'', 1994, Universidad de Leon. |
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* Mellon, Joan. ''Hellman and Hammett'', 1996, Harper Collins, New York. |
|||
* Beunat, Natalie. ''Dashiell Hammett: Parcours d'une oeuvre'', 1997, Encrage Edition, Amiens. |
|||
* Gale, Robert L. ''A Dashiell Hammett Companion'', 2000, Greenwood Press, Westport, Connecticut. |
|||
* Layman, Richard. ''Literary Masters, Volume 3: Dashiell Hammett'', 2000, Gale Group, Detroit. |
|||
* Hammett, Jo. ''Dashiell Hammett: A Daughter Remembers'', 2001, Carroll and Graf Publishers. |
|||
* Panek, Leroy Lad. ''Reading Early Hammett: A Critical Study of the Fiction Prior to The Maltese Falcon'', 2004, McFarland, Jefferson, North Carolina. |
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* Lopez, Jesus Angel Gonzalez. ''La Narrativa Popular de Dashiell Hammett: Pulps, Cine, Y Comics'', 2004, Biblioteca Javier Coy d'Estudis Nord-Americans, Universitat de Valencia. |
|||
* Layman, Richard, guest editor. ''Clues: A Journal of Detection; Theme Issue: Dashiell Hammett'', Winter 2005, Heldref Publications, Washington DC. |
|||
* Thompson, George J. "Rhino". ''Hammett's Moral Vision'', 2007, Vince Emery Productions, San Francisco. |
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* Herron, Don. ''The Dashiell Hammett Tour: Thirtieth Anniversary Guidebook'', 2009, Vince Emery Productions, San Francisco. |
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* Lillian Hellman's three volumes of memoir, ''An Unfinished Woman'', ''Pentimento'', and ''Scoundrel Time'' contain much Hammett-related material. |
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* {{Citation|first2=Hellman |last2=Lilian |contribution=Introduction |first=Hammett |last=Dashiell |title=The Big Knockover: Selected Stories and Short Novels |publisher=Houghton Mifflin |year=1962 |ref={{SfnRef|Hellman|1962}}}} ハメットの死後出版された短編集で、リリアン・ヘルマンが序文を書いている。 |
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* {{Citation |last=Gores |first=Joe |editor-last=Emery |editor-first=Vince |title=Dashiell Hammett: Lost Stories |place=San Francisco |publisher=Vince Emery Productions |year=2005 |contribution=Introduction}} こちらも死後編集された短編集の序文 |
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== 関連項目 == |
== 関連項目 == |
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{{Commonscat|Dashiell Hammett}} |
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* [[推理作家一覧]] |
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* [[レイモンド・チャンドラー]] |
* [[レイモンド・チャンドラー]] |
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* [[リリアン・ヘルマン]] |
* [[リリアン・ヘルマン]] |
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* [[ハリウッド・ブラックリスト]] |
* [[ハリウッド・ブラックリスト]] |
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* [[マッカーシズム]] |
* [[マッカーシズム]] |
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* [[戯曲]] - [[大久保康雄]]訳の『ガラスの鍵』巻末の解説によると、戯曲を書く野心を持っていたという。 |
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==外部リンク== |
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{{DEFAULTSORT:はめつと たしる}} |
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*[https://web.archive.org/web/20111120182244/http://www.markcoggins.com/essays/post.html The Apartment of Dashiell Hammett and Sam Spade] |
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[[Category:アメリカ合衆国の小説家]] |
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*[http://www.loc.gov/today/cyberlc/feature_wdesc.php?rec=3678 Library of Congress lecture ] by Hammett estate trustee and biographer Richard Layman on the 75th anniversary of ''The Maltese Falcon'' |
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*[http://histmyst.org/mysteries/hammett.html Checklist] 全作品リスト |
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*[http://www.miskatonic.org/rara-avis/biblio/lazy-gink.html The Lazy Gink's Guide to a Complete Hammett Collection] |
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*[http://www.pbs.org/wnet/americanmasters/database/hammett_d.html PBS American Masters] portrait of Hammett |
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*[http://research.hrc.utexas.edu:8080/hrcxtf/view?docId=ead/00397.xml&query=hammett,%20dashiell&query-join=and Dashiell Hammett Collection] at the Harry Ransom Center at the [[テキサス大学オースティン校|University of Texas at Austin]] |
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*{{Imdb title|0401304|The Case of Dashiell Hammett}} (KQED-TV, San Francisco, 1982) |
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{{Normdaten}} |
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{{DEFAULTSORT:はめつと たしいる}} |
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[[Category:ダシール・ハメット|*]] |
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[[Category:アメリカ共産党の人物]] |
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[[Category:アメリカ合衆国の推理作家]] |
[[Category:アメリカ合衆国の推理作家]] |
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[[Category:コピーライター]] |
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[[Category:第一次世界大戦期のアメリカ合衆国の軍人]] |
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[[Category:第二次世界大戦期のアメリカ合衆国の軍人]] |
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[[Category:20世紀アメリカ合衆国の小説家]] |
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[[Category:ハードボイルド]] |
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[[Category:リリアン・ヘルマン]] |
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[[Category:結核に罹患した人物]] |
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[[Category:メリーランド州の人物]] |
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[[Category:肺癌で亡くなった人物]] |
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[[Category:1894年生]] |
[[Category:1894年生]] |
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[[Category:1961年没]] |
[[Category:1961年没]] |
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[[Category:アーリントン国立墓地に埋葬された人物]] |
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[[Category:ハリウッド・ブラックリスト]] |
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[[am:ዳሼል ሃሜት]] |
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[[et:Dashiell Hammett]] |
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[[eu:Dashiell Hammet]] |
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[[fa:دشیل همت]] |
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[[fi:Dashiell Hammett]] |
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[[fr:Dashiell Hammett]] |
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[[gl:Dashiell Hammett]] |
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[[he:דשייל האמט]] |
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[[hu:Dashiell Hammett]] |
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[[hy:Դեշիլ Հեմմեթ]] |
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[[sr:Дашијел Хамет]] |
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2024年9月30日 (月) 13:26時点における最新版
ダシール・ハメット | |
---|---|
Dashiell Hammett | |
誕生 |
Samuel Dashiell Hammett 1894年5月27日 アメリカ合衆国 メリーランド州セントメリー郡 |
死没 |
1961年1月10日(66歳没) アメリカ合衆国 ニューヨーク州ニューヨーク |
職業 | 小説家 |
国籍 | アメリカ合衆国 |
活動期間 | 1922年 – 1951年 |
ジャンル | ハードボイルド、探偵小説 |
影響を与えたもの
| |
ウィキポータル 文学 |
サミュエル・ダシール・ハメット(Samuel Dashiell Hammett [ˈdæʃiəl / ˈdæʃəl / dæˈʃiːl ˈhæmɪt][1][2][3][4]、1894年5月27日 - 1961年1月10日) は、アメリカのミステリ作家。推理小説の世界にいわゆるハードボイルドスタイルを確立した代表的な人物である。代表作は『血の収穫』『マルタの鷹』。サム・スペードやコンチネンタル・オプなどの探偵を創造した。
ハメットは最高の推理作家の1人とされており[5]、『ニューヨーク・タイムズ』の死亡記事では「ハードボイルド派探偵小説界の長老」と評され[6]、『タイム』誌では1923年から2005年までの英語の小説ベスト100に『血の収穫』を選んでいる[7]。
国際推理作家協会はハメットの業績を称え、ダシール・ハメット国際推理小説賞を制定し、スペイン語で書かれた最も優れた推理小説の表彰を行っている。また、同協会の北米支部は独自に「ハメット賞(The Hammett Prize)」を制定し、1992年より毎年、アメリカもしくはカナダ人作家を対象としてノミネートされた作品から最優秀1作を選定している。ほかに、北欧支部のスカンジナヴィア推理作家協会でも、ハメットの作品タイトルにちなんだガラスの鍵賞を制定し、北欧の最優秀作品を毎年選定している。
生い立ち
[編集]メリーランド州セントメリー郡にあった Hopewell and Aim という農場で生まれる[8]。父はリチャード・トーマス・ハメット、母はアン・ボンド・ダシールである。母はメリーランドの旧家出身で、フランスの姓である de Chiel を英語化した姓を名乗っていた。ハメットは洗礼を受けてカトリック教徒となり[9]、フィラデルフィアとボルチモアで育った。通称はサム (Sam) で、13歳で学校を離れていくつかの職を転々とし、アメリカ屈指の探偵会社であるピンカートン探偵社にたどり着いた。1915年から1922年2月までピンカートンで探偵として働いたが、一時期第一次世界大戦で休職している。ピンカートン探偵社はこのころ「スト破り」を請け負っており、そのことで探偵という職業に抱いていた幻想を捨てることになった[10]。
1918年にはアメリカ陸軍に所属しており、衛生隊で働いた。しかしスペインかぜに罹り、結核を患うことになった。そのため陸軍では大部分をワシントン州タコマの病院で患者として過ごすことになった。その病院でジョセフィン・ドランという看護婦と出会い、後に結婚している。
結婚と家族
[編集]ドランと結婚し、2人の娘メアリー・ジェーン(1921年10月15日生まれ)とジョセフィン(1926年生まれ)をもうけた[11]。次女が生まれた直後、結核が乳幼児に感染する可能性があると指摘され、家族と同居できなくなった。そこで妻ジョセフィンがサンフランシスコに家を借りて住み、ハメットが週末に訪問するという形をとった。この結婚生活はうまくいかず、間もなく破綻することになったが、ハメットは執筆で得た収入から養育費を払い続けた[12]。
経歴
[編集]ピンカートンでの探偵としての経験を生かした真に迫った描写で知られている[13]。ハメットは「全ての登場人物は私が個人的に知っている人々をベースにしている」と述べている[14]。
広告の仕事のかたわら、1922年から推理小説雑誌『ブラック・マスク』誌に短編推理小説の執筆を開始。同誌の看板作家の一人となったのち、専業作家となった。彼の作品の大部分は1920年代、サンフランシスコに住んでいたころに書かれており、サンフランシスコの通りや地名がよく出てくる。「報告書のように簡潔な」筆致で、登場人物の行動を描く彼のハードボイルドスタイルは、この頃に確立されている。当時の初期作品にしばしば登場したのが、小太りのコンチネンタル探偵社の調査員(オペラティヴ)、通称「コンチネンタル・オプ」である。
1929年には『血の収穫』、続いて『デイン家の呪い』とコンチネンタル・オプものの長編を送り出した。特に『血の収穫』は壮絶なバイオレンスドラマで、その後のアクション小説・映画に多大な影響を与えた。
1929年に『ブラック・マスク』誌に連載され、翌年単行本となった『マルタの鷹』は、ハメットのもっとも有名な作品である。サンフランシスコの私立探偵サム・スペードが真相追求のために行動する姿を完全客観のカメラアイスタイルで描き、後続のハードボイルド作家の範とされる。
また、1931年の長編『ガラスの鍵』は、賭博師ネド・ボーモントを主人公に錯綜した事件を描いた作品で、やはり厳しい客観筆致で描かれており、ハメット自身がもっとも愛した作品であった。この2作はとりわけ後世の評価が高い。
1934年には、やや通俗的なタッチで夫婦探偵の活躍を描いた『影なき男』を書き、これは大衆からも人気を博した。
後半生
[編集]1929年から1930年にかけて、女流推理作家ネル・マーティンと付き合っている。『ガラスの鍵』は献辞でネル・マーティンに捧げられており、ネル・マーティンの Lovers Should Marry という作品はハメットに捧げられている。
1931年、劇作家リリアン・ヘルマンと出会い、その後30年間を共に過ごすことになった。その関係は映画『ジュリア』で描かれており、ハメットはジェイソン・ロバーズ(アカデミー助演男優賞受賞)、ヘルマンはジェーン・フォンダが演じている。
その後のハメットは、自作の映画化で収入が得られるようになったこともあってか、創作意欲は衰えている(ただし、後半生を共に過ごしたリリアン・ヘルマンはこの一般的な見解に対して否定的である。彼女によると、執筆活動はずっと続けていたが、作品を完成させることができなかった。何故、完成させられなかったのかは分からないと、自らの自伝で述べている)。
1934年に最後の長編を書き、その後は左翼の積極行動主義に生涯を捧げることになった。労働者の実態をよく知るが故に、ハメットは労働運動にも強い共感を持っていた。1930年代を通して反ファシズムの立場をとり、1937年にはアメリカ共産党に参加している[15]。アメリカ作家連盟の一員として(1941年には会長を務めた)、独ソ不可侵条約が結ばれていた1940年1月に同連盟に設置された Keep America Out of War Committee の委員を務めた[16]。しかし1941年夏にドイツがソ連に侵攻すると、同連盟は反戦の姿勢を改めた。
第二次世界大戦
[編集]真珠湾攻撃による太平洋戦争勃発後の1942年、彼は陸軍に志願した。第一次世界大戦で結核を患った犠牲者であり、共産主義者だったが、従軍が認められるよう働きかけた。戦時中のほとんどをアリューシャン列島で陸軍の新聞を作る下士官(軍曹)として過ごした。1943年、上官の命で伍長ロバート・コロドニーと共に The Battle of the Aleutians を執筆した。その後肺気腫で除隊している。
戦後の政治活動
[編集]戦後は政治活動に戻ったが、かつてほど熱心ではなかった[17]。1946年6月5日、公民権議会 (Civil Rights Congress) (CRC) の議長に選ばれ、その後はCRCの活動に注力するようになった[17]。1946年、CRCは政治犯被告の釈放のための保釈基金を創設[18]。1947年4月3日、大統領ハリー・S・トルーマンの命により司法長官がCRCを共産主義団体に指定した[19]。
懲役とブラックリスト
[編集]1949年11月4日、CRCの保釈基金がアメリカ合衆国連邦政府の転覆を図ったとして共謀罪で捕らえられた11人の保釈に使われたことで、アメリカ中の注目を集める事態となる[18]。1951年7月2日、弁護側の敗訴が濃厚になると、被告のうち4人が逃亡。裁判所は逃亡者への召喚状をCRCの評議員に送った[18]。1951年7月9日、ハメットは裁判所に出廷して証言した。ハメットに質問したのはタイム誌が「共産主義者を狩りたてるアメリカ一の法律家」と評した検事 Irving Saypol だった[18]。このとき政府側は保釈基金に寄付した人々が逃亡者をかくまっている可能性があるとして、そのリストを提出することを要求したが、ハメットはそれを拒み続けた[18]。ハメットはアメリカ合衆国憲法修正第5条を盾に質問に答えることを拒否し、CRCの文書にある彼の署名やイニシャルを識別することさえ断わった。その結果、法廷侮辱罪で訴えられ、有罪の判決が下された[18][20][21][22]。ハメットはウェストバージニア連邦刑務所で服役し、リリアン・ヘルマンによれば[23] トイレ掃除をさせられたという[24]。
1950年代には、上院議員ジョセフ・マッカーシーによる共産主義のアメリカ社会と政治への影響を調査する試みの一環として、議会に調査された。1953年3月26日、上院の委員会で証言させられたが、委員会への協力を拒んだためブラックリストに載せられることになった。
死
[編集]第一次世界大戦で感染した結核は、その後の飲酒と喫煙で悪化していった。ヘルマンによれば、服役でさらにやせ細って病気が悪化したという[24]。Tulip と題した長編にとりかかったものの、病状が悪化していったため完成させることはできなかった[25]。
ダイアン・ジョンスン著『ダシール・ハメットの生涯』(小鷹信光訳、早川書房)にはFBIがダシール・ハメットについてまとめた1957年4月5日付けの調査報告書が紹介されており、その記載からは晩年のハメットの困窮ぶりがうかがえる。
現在彼はいかなる著作物からもあるいは文筆活動からも印税を受け取っていないし、ここ数年も同様である。それは、国と州の税務署から受けた所得税の留置権のせいである。昨年の所得はおよそ三十ドルであり、それは『セールスマンの死』という劇に投資したことにより得たものだと彼は述べた。出所した一九五一年十二月以来友人たちから借りた金で生活しているとも語った。
ヘルマンによれば、1950年代には「隠者」のような生活を送っていた[26]。最終的には1人で生活することが困難になり、最晩年の4年間はヘルマンが同居して世話をした[27]。
1961年1月10日、ニューヨークの病院で肺癌のため亡くなった。癌と判明してからわずか2カ月後のことだった。2つの世界大戦に従軍した退役軍人として、アーリントン国立墓地に埋葬された。
作品
[編集]長編小説
[編集]※『影なき男』以外の長編は、雑誌に3回から5回に分けて連載されたものである[28]。
- Red Harvest, 1929
- The Dain Curse, 1929
- The Maltese Falcon, 1930
- マルタの鷹 砧一郎訳、ハヤカワ・ミステリ、1954年
- マルタの鷹 田中西二郎訳、探偵小説文庫、1956年
- マルタの鷹 村上啓夫訳、創元推理文庫、1961年
- マルタの鷹 石一郎訳、角川文庫、1963年
- マルタの鷹 小鷹信光訳、ハヤカワ・ミステリ文庫、1988年
- マルタの鷹(改訳決定版) 小鷹信光訳、ハヤカワ・ミステリ文庫、2012年
- 児童書
- マルタの鷹 久米みのる訳、集英社ジュニア版世界の推理、1972年
- マルタの鷹 亀山竜樹訳、あかね書房、1973年
- マルタの鷹 福島正美訳、文研出版、1977年
- The Glass Key, 1931
- Woman in the Dark, 1933
- The Thin Man, 1934
- 影のない男 大門一男訳、『スタア』通巻15-16号、1934年
- 影なき男 砧一郎訳、おんどり・みすてりい、1950年
- 影なき男 小鷹信光訳、ハヤカワ・ミステリ文庫、1991年
短編集
[編集]※70以上の短編があり、多くの短編集が刊行されている。
- Nightmare Town, 1948
- The Continental Op, 1974
- コンチネンタル・オプ スティーブン・マーカス編、小鷹信光他訳、立風書房、1978年
※以下、日本独自編集
- 探偵コンティネンタル・オプ 砧一郎訳、六興出版、1957年
- ハメット傑作集1 - フェアウェルの殺人 稲葉明雄訳、創元推理文庫、1972年
- ハメット傑作集2 - スペイドという男 稲葉明雄訳、創元推理文庫、1976年
- 死刑は一回でたくさん 各務三郎編、田中融二訳、講談社文庫、1979年
- ブラッド・マネー 小鷹信光訳、河出文庫、1988年
- コンチネンタル・オプの事件簿 小鷹信光編訳、ハヤカワ・ミステリ文庫、1994年
- コンチネンタル・オプ 稲葉明雄訳、集英社文庫、1997年
- 血の収穫 河野一郎他訳、嶋中書店、2005年
- チューリップ:ダシール・ハメット中短篇集 小鷹信光編訳解説、草思社、2015年
ジュブナイル
[編集]- 毒には毒を/山のにせ札事件(ミステリ・ベストセラーズ) 亀山龍樹訳、鶴書房盛光社、刊行年不記載、「山のにせ札事件」の方はチャンドラーの作品
- 私立探偵ラッシュ(フォア文庫、原題:The Assistant Murderer) 青木日出夫訳・西川おさむ画、岩崎書店、1991年
- 暴力のまち(海外SFミステリー傑作選、原題:Corkscrew) 内田庶訳、国土社、1995年
他の著作
[編集]- Creeps by Night; Chills and Thrills, 1931 - ハメットが編纂した怪奇小説のアンソロジー
- Secret Agent X-9, 1934 - ハメットが原作を書いた新聞連載漫画の単行本化
映画
[編集]ハメットの長編小説は、1930年代から1940年代にかけて映画化されている。
- マルタの鷹
- ワーナー・ブラザースが映画化権を取り、1931年と1936年の2度にわたって映画化したがヒットしなかった。
- ワーナー社は1941年に3度目の映画化を行った。ジョン・ヒューストンの初監督作品で、公式には、ハンフリー・ボガートの初主演作である。ボガート扮するスペードの厳しい演技、ヒューストンの原作に忠実な脚本と切れ味の鋭い演出、そして多彩な脇役陣とが相まって、歴史に残る名作となった。
- このヒューストン版があまりに傑出していたため、以後『マルタの鷹』は映画化されていない。
- ガラスの鍵
- 1942年のリメイク版が有名。スチュアート・ヘイスラーが監督、脚本は『ブラック・マスク』出身の推理作家でハメットとも親交のあったジョナサン・ラティマー。主演アラン・ラッド、共演ヴェロニカ・レイク。
- 影なき男
- 1934年にW・S・ヴァン・ダイクJr監督で映画化。ウィリアム・パウエルとマーナ・ロイがおしどり探偵役で主演し、続編が作られるほどのヒット作となった。
黒澤明の映画『用心棒』(1961年)は、モチーフを『血の収穫』から得ている。
1983年の映画『ハメット』は、ヴィム・ヴェンダースの監督作品で、原作はハメットファンの作家ジョー・ゴアズ。ダシール・ハメットその人を探偵役に異様な物語が展開される。ハメット役のフレデリック・フォレストは、ハメットそっくりに扮して出演。
脚注
[編集]- ^ Brad Rosenstein on Dashiell Hammett JCCSF
- ^ Dashiellの発音
- ^ Dashiell Hammett Oxford Advanced Learner's Dictionary
- ^ Siobhan Thomas Best Baby Names 2022
- ^ Layman 1981, p. 239
- ^ Layman, Richard & Bruccoli, Matthew J. (2002). Hardboiled Mystery Writers: A Literary Reference. Carroll & Graf. p. 225. ISBN 0-7867-1029-2
- ^ Grossman, Lev; Lacayo, Richard (2005年10月31日). “TIME's Critics pick the 100 Best Novels 1923 to the Present”. Time 2008年10月19日閲覧。
- ^ Shoemaker, Sandy. Tobacco to Tomcats: St. Mary's County since the Revolution. StreamLine Enterprises, Leonardtown, Maryland. pp. 160 2008年1月1日閲覧。.
- ^ Gores 2005, p. 197
- ^ Heise, Thomas, "'Going blood-simple like the natives': Contagious Urban Spaces and Modern Power in Dashiell Hammett's Red Harvest" (paid access only), Modern Fiction Studies 51, no. 3 (Fall 2005) 506. なおリンク先には無料の抄録があるが、抄録には出典となるような記述はない。
- ^ Layman, Richard with Rivett, Julie M. (2001). "Review" of Selected Letters of Dashiell Hammett 1921-1960, Retrieved on 2009-06-02
- ^ Gores 2005, pp. 240, 336
- ^ Gores 2005, pp. 18–24
- ^ Chandler, Nightmare Town, p. iii, ISBN 0-375-70102-8, ISBN 978-0-375-70102-3
- ^ “FAQ at the CPUSA site”. Cpusa.org. 2009年6月18日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年7月19日閲覧。
- ^ Franklin Folsom, Days of Anger, Days of Hope, University Press of Colorado, 1994, ISBN 0-87081-332-3
- ^ a b Layman 1981, p. 206
- ^ a b c d e f Layman 1981, pp. 219–223
- ^ Enid Nemy (February 7, 2000). “Frederick Vanderbilt Field, Wealthy Leftist, Dies at 94”. The New York Times 2007年11月27日閲覧。
- ^ Metress 1994
- ^ Johnson 1983
- ^ Petri Liukkonen. “Dashiell Hammett”. Books and Writers. 2006年7月16日時点のオリジナルよりアーカイブ。2007年11月27日閲覧。
- ^ Hellman 1962, pp. vii–viii
- ^ a b Hellman 1962, pp. xi–xii
- ^ Hellman 1962, p. viii
- ^ Hellman 1962, p. xx
- ^ Hellman 1962, p. xxvi
- ^ Checklist of Dashiell Hammett Fiction Checklist of Dashiell Hammett Fiction
書誌情報
[編集]- Mundell, E.H. A List of the Original Appearances of Dashiell Hammett's Magazine Work, 1968, The Kent State University, Ohio.
- Layman, Richard. Dashiell Hammett: A Descriptive Bibliography, 1979, Pittsburgh Series in Bibliography, University of Pittsburgh Press.
- Lovisi, Gary. Dashiell Hammett and Raymond Chandler: A Checklist and Bibliography of Their Paperback Appearances, 1994, Gryphon Books.
参考文献
[編集]- Nolan, William F. Dashiell Hammett: A Casebook, 1969, McNally & Lofin, Santa Barbara.
- Fechheimer, David, editor. City of San Francisco: Dashiell Hammett Issue, 4 November 1975, City Publishing, San Francisco.
- Braun, Martin. Prototypen der amerikanischen Kriminalzahlung: Die Romane und Kurzgeschichten Carroll John Daly und Dashiell Hammett, 1977, Lang, Frankfurt.
- Layman, Richard (1981). Shadow Man: The Life of Dashiell Hammett. New York: Harcourt Brace Jovanovich. ISBN 0-15-181459-7
- Nolan, William F. Hammett: A Life at the Edge, 1983, Congdon & Weed, New York.
- Johnson, Diane (1983). Dashiell Hammett, a Life. Random House
- Marling, William. Dashiell Hammett, 1983, Twayne, New York.
- Symons, Julian. Dashiell Hammett, 1985, Harcourt, Brace & Javonovich, New York.
- Gregory, Sinda. Private Investigations: The Novels of Dashiell Hammett, 1985, Southern Illinois University Press.
- Metress, Christopher (1994). The Critical Response to Dashiell Hammett. Westport, Connecticut: Greenwood Press
- Maurin, Maria Jose Alvarez. Claves Para un Enigma: La Poetica del Misterio en la Narrativa de Dashiell Hammett, 1994, Universidad de Leon.
- Mellon, Joan. Hellman and Hammett, 1996, Harper Collins, New York.
- Beunat, Natalie. Dashiell Hammett: Parcours d'une oeuvre, 1997, Encrage Edition, Amiens.
- Gale, Robert L. A Dashiell Hammett Companion, 2000, Greenwood Press, Westport, Connecticut.
- Layman, Richard. Literary Masters, Volume 3: Dashiell Hammett, 2000, Gale Group, Detroit.
- Hammett, Jo. Dashiell Hammett: A Daughter Remembers, 2001, Carroll and Graf Publishers.
- Panek, Leroy Lad. Reading Early Hammett: A Critical Study of the Fiction Prior to The Maltese Falcon, 2004, McFarland, Jefferson, North Carolina.
- Lopez, Jesus Angel Gonzalez. La Narrativa Popular de Dashiell Hammett: Pulps, Cine, Y Comics, 2004, Biblioteca Javier Coy d'Estudis Nord-Americans, Universitat de Valencia.
- Layman, Richard, guest editor. Clues: A Journal of Detection; Theme Issue: Dashiell Hammett, Winter 2005, Heldref Publications, Washington DC.
- Thompson, George J. "Rhino". Hammett's Moral Vision, 2007, Vince Emery Productions, San Francisco.
- Herron, Don. The Dashiell Hammett Tour: Thirtieth Anniversary Guidebook, 2009, Vince Emery Productions, San Francisco.
- Lillian Hellman's three volumes of memoir, An Unfinished Woman, Pentimento, and Scoundrel Time contain much Hammett-related material.
- Dashiell, Hammett; Lilian, Hellman (1962), “Introduction”, The Big Knockover: Selected Stories and Short Novels, Houghton Mifflin ハメットの死後出版された短編集で、リリアン・ヘルマンが序文を書いている。
- Gores, Joe (2005), “Introduction”, in Emery, Vince, Dashiell Hammett: Lost Stories, San Francisco: Vince Emery Productions こちらも死後編集された短編集の序文
関連項目
[編集]- レイモンド・チャンドラー
- リリアン・ヘルマン
- ハリウッド・ブラックリスト
- マッカーシズム
- 戯曲 - 大久保康雄訳の『ガラスの鍵』巻末の解説によると、戯曲を書く野心を持っていたという。
外部リンク
[編集]- The Apartment of Dashiell Hammett and Sam Spade
- Library of Congress lecture by Hammett estate trustee and biographer Richard Layman on the 75th anniversary of The Maltese Falcon
- Checklist 全作品リスト
- The Lazy Gink's Guide to a Complete Hammett Collection
- PBS American Masters portrait of Hammett
- Dashiell Hammett Collection at the Harry Ransom Center at the University of Texas at Austin
- The Case of Dashiell Hammett - IMDb (KQED-TV, San Francisco, 1982)