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「キャンベラ」の版間の差分

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'''キャンベラ'''('''{{lang|en|Canberra}}''':{{IPAc-en|icon|ˈ|k|æ|n|b|ᵊ|r|ə}} or {{IPAc-en|ˈ|k|æ|n|b|ɛr|ə}})<ref>{{cite book | title = Macquarie ABC Dictionary | publisher=The Macquarie Library| year = 2003 | page = 144 | isbn = 1-876429-37-2}}</ref>)は、[[オーストラリア]]の[[首都]]。35万8000人の人口を擁し、オーストラリア国内では8番目、内陸の都市では最大の都市である。キャンベラは、[[オーストラリア首都特別地域]](ACT)の中にあり、[[シドニー]]の南西280キロメートル、[[メルボルン]]の北東660キロメートルに位置している。キャンベラの住民のことを英語で、Canberranと呼ぶ<ref>The Sydney Morning Herald. 7 September 1954 (pg 2)</ref>。
'''キャンベラ'''(カンベラ、'''Canberra''')は、[[オーストラリア]]の[[首都]]。南東部に位置する。[[ニューサウスウェールズ州]]の地域内にあるが、行政上は「[[オーストラリア首都特別地域]]」(ACT) と呼ばれるオーストラリア連邦の直轄地であり、どの州にも属していない。ACTとキャンベラは同一視されることが多い。都市の名前は[[1913年]]に命名された。なお、キャンベラとニューサウスウェールズ州は、行政上では分離しているものの、経済面では同一管内にされる場合がある。


キャンベラがオーストラリアの首都として選ばれたのは[[1908年]]のことであり、オーストラリアの2大都市であるシドニーとメルボルンの間の妥協の産物であった。他のオーストラリアの都市とは異なり、キャンベラは都市全体が[[計画都市]]として、設計されてきた。キャンベラの都市設計の国際的なコンテストが実施され、[[シカゴ]]の建築家である[[ウォルター・バーリー・グリフィン]]と[[マリオン・マホーニー・グリフィン]]の計画が[[1913年]]に採用された<ref>{{cite book | author=[[Wendy Lewis (Australian Writer)|Wendy Lewis]], Simon Balderstone and John Bowan | title=Events That Shaped Australia | page=106 | publisher=New Holland | year=2006 | isbn=978-1-74110-492-9 }}</ref>。グリフィンの都市計画では、キャンベラの街は、円、六角形、三角形などの幾何学模様がモチーフとして採用されている。加えて、街の中心部は、ACTにおいてのランドマークとして重要な地形を形成している。
== 歴史 ==
:''主要記事:[[w:History of Canberra|History of Canberra]]''
1901年にオーストラリアが[[イギリス]]から独立した時、首都の座をめぐり、[[メルボルン]]と[[シドニー]]が対立した。1911年にこの両都市の争いに決着を付けるべく、両都市の間に直線を引いたほぼ中間地点にキャンベラの建設が始まり、キャンベラはニューサウスウェールズ州から分離された。


キャンベラの町のデザインは、[[田園都市]]の影響を大きく受けており、キャンベラの区域には、重要な自然の植生の地域を組み込んでいる。キャンベラの成長と発展は、2つの世界大戦と[[大恐慌]](3つの機関が都市計画のために設立されたことから、都市計画をめぐる議論が長期化すると同時に非効率になった。このため、キャンベラの都市の発展が妨げられ、大きく遅れることとなった。 [[第二次世界大戦]]後、[[ロバート・メンジーズ]]首相がキャンベラの整備を指揮し、[[国立首都発展委員会]](NCDC:[[:en:National capital development commission|en]])が設立された。ACTは現在では、地方自治が展開されている一方で、オーストラリア連邦政府は、[[国家首都局]](NCA:[[:en:National Capital Authority|en]])を通じて、キャンベラの都市開発に大きな影響力を保持している。
1911年に連邦政府によって行われた設計競技により都市の原案が選出される。


オーストラリアの首都機能を有するため、キャンベラには、国会議事堂、高等裁判所、さまざまな官庁がある。首都機能のみならず、キャンベラには、[[オーストラリア戦争記念館]]([[:en:Australian War Memorial|en]])、[[オーストラリア国立大学]]、[[オーストラリア国立スポーツ研究所]]、[[オーストラリア国立美術館]]([[:en:National Gallery of Australia|en]])、[[オーストラリア国立博物館]]、[[オーストラリア国立図書館]]といった多くの社会的、文化的な施設がある。オーストラリア陸軍の教育機関として、[[王立軍事大学_(ドゥントルーン)|王立軍事大学]]があり、オーストラリア国防大学もキャンベラに存在する。
1915年に[[ジャービス湾特別地域]]は連邦首都の海への出口として連邦政府に割譲された。


== 語源 ==
1927年に臨時首都メルボルンからキャンベラに遷都され、1929年に初めてキャンベラで[[オーストラリア連邦議会|連邦議会]]が開かれた。
キャンベラの語源で、人口に膾炙しているのは、先住民族の言葉であるNgunnawal語のKamberaが由来で、「人々が集う場所」と言う意味である<ref>{{cite news |url=http://nla.gov.au/nla.news-article55185386 |title=Place Names |newspaper=[[Australian Women's Weekly|The Australian Women's Weekly (1932–1982)]] |location=1932–1982 |date=13 May 1964 |accessdate=22 February 2011 |page=61 |publisher=National Library of Australia}}</ref>。


一方、1860年代に、[[ケアンビヤン]]([[:en:Queanbeyan|en]])の新聞社のオーナーであったジョン・ゲールが報告した内容によると、anglicisationのindigenous nameである「hollow between a woman’s breasts」を意味する「nganbra」あるいは「nganbira」であるとしている。この報告では、[[アインズリー山_(オーストラリア首都特別地域)|アインズリー山]]([[:en:Mount Ainslie (Australian Capital Territory)|en]])と[[ブラックマウンテン_(オーストラリア首都特別地域)|ブラックマウンテン]]([[:en:Black Mountain (Australian Capital Territory)|en]])の間にある氾濫源の[[サリバンス川]]についても言及している<ref>{{cite web |url=http://www.crispinhull.com.au/book-on-canberra/chapter-2-european-settlement-and-the-naming-of-canberra |title=Canberra – Australia’s National Capital |chapter=European settlement and the naming of Canberra |author=Hull, Crispin |accessdate=7 June 2010|publisher=Crispin Hull}}</ref>。
1960年に一応キャンベラは完成した。キャンベラは[[アメリカ合衆国|アメリカ]]人の建築家[[ウォルター・バーリー・グリフィン]]により設計された人工都市であり、その名が付けられた人工湖[[バーリー・グリフィン湖]]がある。
<!--
ちなみに、キャンベラの地名の由来は女性の乳房を思わせる山の谷間であることから[[アボリジニー]]の言葉で胸の谷間を意味している。-->


== 歴史 ==
1989年にACTは内部の自治を確立した。
{{main|:en:History of Canberra}}
ヨーロッパ人が移住する前の、キャンベラを含むオーストラリア首都特別地域(以下、ACT)は、先住民が季節に応じて、居住していたことが分かっている。文化人類学者の[[ノーマン・ティンデール]]([[:en:Norman Tindale|en]])は、キャンベラを含む一帯は、[[ングンナワル人]]([[:en:Ngunnawal people|en]])が居住していたと考えている。また、一方で、[[ンガリゴ人]]([[:en:Ngarigo people|en]])がACTの南に、ワンダンディアン人が東に、加えて、[[ガンダンガラ人]]([[en:Gandangara people|en]])がACTの北に、[[ウィラジュリ人]]([[:en:Wiradjuri people|en]])が北西に居住していた。この地域で発掘された遺跡から分かることは、少なくとも、21,000年前からこの地域に人々が住んでいたと考えられており<ref>Flood, J. M.; David, B.; Magee, J.; English, B. (1987). "Birrigai: a Pleistocene site in the south eastern highlands", ''Archaeology in Oceania'' '''22''':9–22</ref>、当時の人々の遺跡では、ロック・シェルター、岩に描かれた壁画、埋葬場、キャンプ、石切り場が発見されており、石器の使用も確認されている<ref name="Gillespie84">{{cite book|last=Gillespie|first=Lyall|title=Aborigines of the Canberra Region|publisher=Wizard (Lyall Gillespie)|location=Canberra|year=1984|pages=1–25|isbn=0-9590255-0-2}}</ref>。

[[File:Historic Blundells' Cottage.jpg|left|250px|thumb|1860年代に建設された[[ブルンデルズ・コテージ]]([[:en:Blundell's Cottage|en]])は、キャンベラに残る、最初期のヨーロッパ系住民の住宅の数少ない建築物である<ref name=BLUNDELL>{{cite web|url = http://www.nationalcapital.gov.au/index.php?option=com_content&view=article&id=234:blundells-cottage&catid=57:ql-menu-visiting&Itemid=197|title =Blundells Cottage|publisher=National Capital Authority |accessdate=13 May 2010}}</ref>]]
キャンベラにヨーロッパ人が探検、居住し始めたのは、1820年代初頭のことである<ref name="p5"/><ref name="g3-8"/>。1820年から1824年の間にかけて4つの遠征隊が組織された<ref name="p5">Fitzgerald, p. 5.</ref><ref name="g3-8">Gillespie, pp. 3–8.</ref>。その結果、1824年に最初の白人居住地が建設された。その場所は、現在のアクトン半島であり、ジョシュア・ジョン・ムーアによって雇われた人々が最初に、居住した<ref name="g9">Gillespie, p. 9.</ref>。ジョシュア・ジョン・ムーアは、[[1826年]]に、遠征隊の居住地を正式に買収し、その不動産を「Canberry」と名づけた<ref name="p12">Fitzgerald, p. 12.</ref>。

[[19世紀]]を通して、キャンベラの成長は非常にゆっくりとしたものであった<ref>Gibbney, p. 48.</ref>。19世紀に建設された建築物で目立つものと言えば、キャンベル・ファミリーと言われる石造りの建築物で、[[ドゥントルーン]]([[:en:Duntroon|en]])にある[[王立軍事大学_(ドゥントルーン)|王立軍事大学]]([[:en:Royal Military College, Duntroon|en]])がまず挙げられる。<!--The Campbells sponsored settlement by other farmer families to work their land, such as the Southwells of "Weetangera"<ref>Gibbney, pp. 87–95.</ref>.Other notable early settlers included the inter-related Murray and Gibbes families, who owned the Yarralumlaestate—now the site of the official residence of the Governor-General of Australia—from the 1830s through to 1881<ref>{{cite web|url=http://www.gg.gov.au/governorgeneral/content.php?id=24 |title=Government House |publisher=Governor General of Australia |accessdate=23 April 2010| archiveurl = http://web.archive.org/web/20080719211832/http://www.gg.gov.au/governorgeneral/content.php?id=24| archivedate = 19 July 2008}}</ref>.
-->
キャンベラに現存する最古の公共建築物は、ライド地区にある<ref name="s116">Sparke, p. 116.</ref>聖公会系の洗礼者ヨハネ教会(the church of St John the Baptist)であり、1845年に建設された<ref name="g78">Gillespie, p. 78.</ref><ref name="p17">Fitzgerald, p. 17.</ref>。この境界にある墓地は、キャンベラ地方にある墓地の中でも最古のものである<ref>{{cite web|url=http://www.australiancemeteries.com/act/stjohns.htm|author=Applebee, P |year=2007|title=Church of St John the Baptist Cemetery|publisher=The Heraldry & Genealogy Society of Canberra |author=Weatherill, David|accessdate=7 May 2010 }}</ref>。

ヨーロッパ人の存在感が増すに連れて、先住民の人口は[[天然痘]]あるいは[[麻疹]]を原因として、減っていった<ref name=canb/>。

=== 首都決定 ===
[[ニューサウスウェールズ州]]の片田舎に過ぎなかったキャンベラが、オーストラリアの首都に決定したのは、オーストラリア独立の際に、議論された。独立直前のことである<ref name="p92">Fitzgerald, p. 92.</ref><ref>Gillespie, pp. 220–230.</ref>。当時のオーストラリアの二大都市は、ニューサウスウェールズ州の州都である[[シドニー]]と[[ヴィクトリア州]]の州都である[[メルボルン]]が、オーストラリア連邦の首都の座をめぐって<ref>Davison, Hirst and Macintyre, pp. 464–465, 662–663.</ref>、長い間、議論した。お互いが、自らの都市を首都にしたい意向を持っていたためである。その結果、最低でもシドニーから100マイル離れている<ref name="p92"/>場所に新しい首都を建設すべきという意見が持ち上がり、新首都建設の間、暫定的に、メルボルンが行政府の首都(capitalと言う言葉を用いることは無かった)とした<ref name="w24">Wigmore, p. 24.</ref>。新聞社[[ザ・ケアンビアン・エイジ]]([[:en:The Queanbeyan Age|en]])の創設者であるジョン・ゲール([[:en:John Gale (journalist)|en]])は、'Dalgety or Canberra: Which?'というパンフレットを配布し、キャンベラが連邦政府の首都になるべきであることを主張した。[[1909年]]、政府の調査団を率いた[[チャールズ・スリヴェナー]]([[:en:Charles Scrivener|en]])の調査結果が決定打となり、キャンベラが首都として選定される運びとなった<ref name="p93">Fitzgerald, p. 93.</ref>。ニューサウスウェールズ州政府は、連邦政府に、連邦首都地域という形で土地を割譲した<ref name="p92"/>。[[1911年]][[5月24日]] <ref name="p100">Fitzgerald, p. 100.</ref>、キャンベラの都市デザインの国際コンペが実施され、[[ウォルター・バーリー・グリフィン]]が提出した計画が採用された<ref name="g178">Gillespie, p. 178.</ref><ref>Wigmore, pp. 160–166.</ref>。[[1913年]]、グリフィンは連邦首都のデザインと建設のディレクターに任命され、建設が開始された<ref>Wigmore, p. 63.</ref>。

=== 建設開始 ===
[[File:Parliamenthouse2.jpg|200px|thumb|right|1927年に開場した国会議事堂]]
[[1913年]][[3月12日]] <ref name="g303">Gillespie, p. 303.</ref>、第5代[[オーストラリアの総督|オーストラリア総督]][[トーマス・デンマン_(第3代デンマン男爵)|トーマス・デンマン]]夫人であるデンメン夫人([[:en:Gertrude Denmen, Baroness Denman|en]])によって、正式に、キャンベラと命名され、クラジョングの丘で<ref name="p103">Fitzgerald, p. 103.</ref>そのセレモニーが実施された。この丘は、そのセレモニー以来、キャピタル・ヒルと呼ばれるようになり、現在、[[国会議事堂_(キャンベラ)|国会議事堂]]が置かれている<ref name="p105">Fitzgerald, p. 105.</ref>。キャンベラの日は、キャンベラ創立を祝して、ACTで制定され、3月第2月曜日に実施される<ref name=canb>{{cite web|url=http://www.cultureandrecreation.gov.au/articles/canberra/ |title=Canberra – Australia's capital city|publisher=Department of the Environment, Water, Heritage and the Arts |date=4 February 2010 |accessdate=23 April 2010}}</ref>。

このセレモニーの後、官僚の議論がグリフィンの計画を妨げるようになった<ref>Wigmore, pp. 70–71.</ref>。グリフィンと連邦政府の関係は緊張したものとなり、さらには、キャンベラ建設に拠出される資金も[[1920年]]にグリフィンが解雇されるまで、少ないものであった。グリフィンがした仕事は、ごくわずかであった<ref name=pp4>''Lake Burley Griffin, Canberra : Policy Plan'', p. 4.</ref><ref name="w6979">Wigmore, pp. 69–79.</ref>。とはいえ、グリフィンは、解雇のときまでに、最初の計画を改訂した<!--overseen the earthworks of major avenues<ref name=act>{{cite web |url= http://www.nationalcapital.gov.au/index.php?option=com_content&view=article&id=136&Itemid=171 |title=History of the NCA |publisher=National Capital Authority |date=11 June 2009 |accessdate=26 February 2010}}</ref> and established the Glenloch Cork Plantation.<ref>{{cite web |url= http://www.tams.act.gov.au/live/heritage/heritage_assets/duntroon_wollshed |title=Glenloch Cork Oak Plantation |publisher=Territory and Municipal Services |accessdate=26 February 2010| archiveurl = http://web.archive.org/web/20080721193100/http://www.tams.act.gov.au/live/heritage/heritage_assets/duntroon_wollshed| archivedate = 21 July 2008}}</ref>-->。

[[1927年]][[5月9日]]、キャンベラは、正式にオーストラリアの首都となり、[[旧国会議事堂_(キャンベラ)|国会議事堂]](現在の旧国会議事堂([[:en:Old Parliament House, Canberra|en]]))が開場した<ref name="p130">Fitzgerald, p. 130.</ref>。[[スタンレー・ブルース]]首相<ref name="w101">Wigmore, p. 101.</ref>は、その数日前に、[[ザ・ロッジ]]([[:en:The Lodge (Australia)|en]])を首相公邸とした<ref>{{cite web|url=http://primeministers.naa.gov.au/primeministers/bruce/spouse.aspx |title=Ethel Bruce – Stanley Melbourne Bruce – Australia's PMs – Australia's Prime Ministers |publisher=[[National Archives of Australia]] |accessdate=23 April 2010}}</ref>。1930年代の[[大恐慌]]時代とそれに続く[[第二次世界大戦]]の時代の間、計画都市の拡張は遅々としたものであった<ref>Wigmore, pp. 125–128.</ref>。[[ローマ・カトリック]]と[[聖公会]]のカテドラルを含めた建設が計画されたが、完成しなかった<ref>Gibbney, pp. 116–126.</ref>。

[[File:Lake-ParlHouse.JPG|220px|right|thumb|湖面は、バーリー・グリフィン湖。中央に建っているのは旧国会議事堂、右側の建物は、[[国立科学技術センター]](通称:クエスタコン)]]
[[1920年]]から[[1957年]]の間は、グリフィンの計画を引き継いだのは、[[連邦首都助言委員会]]([[:en:Federal Capital Advisory Committee|en]])<ref name="p115">Fitzgerald, p. 115.</ref>、連邦首都コミッション([[:en:Federal Capital Commision|en]])<ref name="p128">Fitzgerald, p. 128.</ref>、[[国立首都計画発展委員会]]([[:en:National Capital Planning and Development Committee|en]])の3つの構成主体でった。しかしながら、彼らはあくまで助言機関に過ぎず<ref>Wigmore, p. 113.</ref>、キャンベラ建設の決定は、彼らに相談されること無くされたため、時を経るにつれて、非効率となってきた<ref name=act/>。

終戦直後、キャンベラは、「村」に似ていると酷評を受け<ref name=s6>Sparke, p. 6.</ref><ref name=s1_3>Sparke, pp. 1–3.</ref>、さらには、ずさんに建てられた建築物は、醜いものであるという酷評を受けた<ref>Sparke, pp. 7–9.</ref>。キャンベラは、いくつかのサバーブが集まっているものであるものとして、嘲笑的に述べられていた<ref name=m804>Minty, p. 804.</ref>。[[ロバート・メンジーズ]]首相<ref>Sparke, p. 30.</ref>は国家の首都として恥ずかしいものとみなしていた。時間を越えて、メンジーズは、その後、態度を変えて、街の発展を擁護すようになった。メンジーズは、2人の大臣をキャンベラの発展が貧しいものであるとして解雇した。10年以上に及ぶメンジーズの時代で、キャンベラの発展が急速に行われるようになった<ref>Sparke, pp. 31–32.</ref><ref name=pc>Sparke, pp. 103–104, 145, 188, 323.</ref>。キャンベラの人口は、[[1955年]]から[[1975年]]の間に、5年ごとに50%の人口成長を成し遂げた<ref name=pc/>。いくつかの政府機関と公務員は戦後にメルボルンからキャンベラに移動した<ref>Wigmore, pp. 111–120.</ref>。[[オーストラリア首都地域住宅公社]]([[:en:Public housing in the Australian Capital Territory|en]])が、キャンベラの人口成長に大きな貢献した<ref>Gibbney, pp. 230–242.</ref>。

[[1957年]]に、[[国立首都発展委員会]](NCDC:[[:en:National Capital Development Commission|en]])が設立された後に、急速に発展した。NCDCは上述の3つの機関に代わって、設立された<ref>Andrews, p. 90.</ref>。NCDCは40年に及ぶ人工湖[[バーリー・グリフィン湖]]の形とデザインをめぐる論争を終わらせ、4年間の建設で、この湖の建設を完成させた<ref name=lbg>Sparke, pp. 130–140.</ref>。最終的には、キャンベラ中心街は、バーリー・グリフィン湖の上に、キャピタル・ヒル(現在、国会議事堂がある)、旧国会議事堂、オーストラリア戦争記念館の3ヶ所を結ぶいわゆる「パーラメンタリー・トライアングル」を建設するというグリフィンの計画通りとなった<ref>Sparke, pp. 170–180</ref>。湖の建設の最初期に、湖岸にいくつかの重要な建築物が建設された<ref name=pp18>''Lake Burley Griffin, Canberra : Policy Plan'', p. 18.</ref>。

[[オーストラリア国立大学]]の拡張が実施され<ref name=pp18/>、また、さまざまな彫刻やモニュメントも作られた<ref>Sparke, pp. 173–174.</ref>。国立図書館は、[[オーストラリア高等裁判所]]とオーストラリア国立美術館によって構成されるパーラメンタリー・トライアングルの内側に建設された<ref name="s116">Sparke, p. 116.</ref><ref name="p138">Fitzgerald, p. 138.</ref>。しばしば、北キャンベラと南キャンベラとも呼ばれるキャンベラ中心部のサバーブは、1950年代により発展した<ref name="gi250">Gibbney, p. 250.</ref>。さらに、[[ウォーデン・ヴァレー]]([[:en:Woden Valley|en]])や[[ベルコンネン]]([[:en:Belconnen|en]])と呼ばれている地域もまた、それぞれ1960年代の半ば、あるいは後半に発展していった<ref name="s180">Sparke, p. 180.</ref>。また、キャンベラ周辺に建設された新しいサバーブは、オーストラリアの政治家の名前にちなんでいる。例えば、 Barton、Deakin、Reid、Braddon、Curtin、Chifley、Parkesは、それぞれ、[[エドモンド・バートン]]、[[アルフレッド・ディーキン]]、[[ジョージ・リード_(オーストラリアの政治家)|ジョージ・リード]]、[[エドワード・ブラッドン]]([[:en:Edward Braddon|en]])、[[ジョン・カーティン]]、[[ベン・チーフリー]]([[:en:Ben Chiefly|en]])、[[ヘンリー・パークス]]([[:en:Henry Parks|en]])にちなんでいるものである<ref>''UBD Canberra, p. 6.</ref>。

[[File:Aboriginal Embassy, Old Parliament House, roses and bird.jpg|thumb|left|200px|旧国会議事堂に残るアボリジナルテント大使館]]
[[File:Aborigina tent embassy burnt.jpg|200px|right|thumb|アボリナジルテント大使館は、放火によって、一部が破壊されている]]
[[1972年]][[1月27日]]は、[[アボリジナルテント大使館]]が、国会議事堂の周辺に建設された日付ということで、キャンベラの歴史に記録されている。この大使館は、先住民の権利と土地問題に関心を集めるために、建てられたもので、テント大使館は、[[1992年]]まで、国会議事堂前を占拠した。[[1988年]][[5月9日]] <ref name=pho/>、新国会議事堂がオーストラリア建国200周年を記念して、キャピタル・ヒルに開場した<ref name="s116">Sparke, p. 116.</ref><ref name="p138">Fitzgerald, p. 138.</ref>。国会機能は、この新国会議事堂に移転された<ref name=pho>{{cite web|url=http://www.abc.net.au/news/features/aph/page01.htm |title=Australian Parliament House – 10 Years On |publisher=Australian Broadcasting Corporation |date=5 May 1998 |accessdate=23 April 2010 |archiveurl=http://web.archive.org/web/20100418161119/http://www.abc.net.au/news/features/aph/page01.htm <!--Added by H3llBot--> |archivedate=18 April 2010}}</ref>。

[[1988年]]12月、オーストラリア連邦議会で可決されたことによって、ACTに完全な地方自治が与えられた。初めての選挙は、[[1989年]][[3月4日]]に実施され<ref>{{cite web|url=http://www.elections.act.gov.au/elections/1989/timetable_89.html |title=Election timetable – 1989 Election |publisher=Elections ACT |accessdate=23 April 2010}}</ref>、17人の議員がコンスティチューション通り1番地<ref>{{cite web|url=http://www.legassembly.act.gov.au/education/fact-sheets.asp?nav=factsheet02#1 |title=Fact sheets |publisher=[[Australian Capital Territory Legislative Assembly|Legislative Assembly for the ACT]] |accessdate=23 April 2010}}</ref>で、1989年3月11日に最初の議会が開かれた<ref name=ass>{{cite web|url=http://www.legassembly.act.gov.au/education/role-of-the-assembly.asp |title=Role of the Assembly |publisher=[[Australian Capital Territory Legislative Assembly|Legislative Assembly for the ACT]] |accessdate=23 April 2010}}</ref>。ロンドン・サーキットに建設されたキャンベラ市議会の落成は、[[1994年]]のことであった<ref name=ass/>。[[オーストラリア労働党]]がキャンベラ市議会の最初の与党団を形成し<ref name=state_el/>、そのキャンベラ市議会を指導したローズマリー・フォレット([[:en:Rosemary Follett|en]])は、オーストラリアの歴史の中で、最初の州政府の女性首長となった<ref>{{cite web |title=NSW boasts first female leadership team |url=http://news.smh.com.au/breaking-news-national/nsw-boasts-first-female-leadership-team-20091204-k94l.html|work=The Sydney Morning Herald |date=3 December 2009 |author=Jerga, Josh |accessdate=13 January 2010}}</ref>。


== 地理 ==
== 地理 ==
[[File:Canberra From Black Mountain Tower.jpg|center|thumb|800px|キャンベラとバーリー・グリフィン湖を望むパノラマ]]
キャンベラの[[人口]]は311,000人([[2001年]][[国勢調査]])で、同国第8位の規模であるが、舟運のない内陸の都市としては同国に比類ない規模の大きな都市である。計画的に副都心・衛星地区を開発している。ACTの領域内で開発地区以外に町といえる規模の大きな集落はない。境界をまたいだニューサウスウェールズ州の[[:en:Queanbeyan, New South Wales|:en:クインビヤン]]が計画外の衛星都市になっている。
キャンベラの面積は814.2平方キロメートル<ref name=area>{{cite web|url=http://www.actpla.act.gov.au/tools_resources/planning_data |title=Planning Data Statistics |publisher=[[Australian Capital Territory Planning and Land Authority|ACT Planning & Land Authority]] |date=21 July 2009 |accessdate=13 May 2010 |archiveurl = http://web.archive.org/web/20080802163103/http://www.actpla.act.gov.au/tools_resources/planning_data |archivedate = 2 August 2008}}</ref>。[[ブリンダベーラ山脈]]([[:en:Brindabella Ranges|en]])のそばにある。また、オーストラリア東海岸からは、150キロメートル内陸に位置する。海抜はおおよそ580メートルであり、標高が最も高いのは、[[マジューラ山]]([[:en:Mount Majura|en]])の888メートル<ref>{{cite web|url=http://www.queanbeyanage.com.au/news/local/news/general/lady-luck-or-lucky-lady/250543.aspx?storypage=0 |title=Lady luck or lucky lady? |work=[[The Queanbeyan Age]] |date=19 July 2002 |accessdate=13 May 2010}}</ref><ref>{{cite web | url=http://www.tams.act.gov.au/__data/assets/pdf_file/0006/13686/cnpmapmajura.pdf | title=Canberra Nature Park | year=2004 | publisher=Territory and Municipal Services | accessdate=13 May 2010 }}</ref>、それ以外にも、[[テイラー山]]、[[アインズリー山]]、[[ブラック・マウンテン_(オーストラリア首都特別地域)|ブラック・マウンテン]]がキャンベラの回りにある<ref name=pn58>''The Penguin Australia Road Atlas'', p. 28.</ref>。

キャンベラの周辺にある天然林のほとんどが[[ユーカリ]]である。このユーカリが、燃料やそれ以外の目的で利用されてきた。1960年代までに、キャンベラ周辺のユーカリの多くが伐採されたことと水質の悪化が懸念されるようになった。そのため、森林の開発が中止された。キャンベラの森林資源の保護への関心は1915年の複数の「種の保存をめぐる」訴訟で始まった。それ以来、キャンベラ周辺では、植生の地域を増やすことに取り組み、キャンベラの緑は、余暇の場として役割を果たすようになっている<ref name = "McLeod">McLeod, R. 2003. ''Inquiry into the Operational Response to the January 2003 Bushfires in the ACT''. Australian Capital Territory, Canberra. ISBN 0-642-60216-6</ref>。

[[File:Canberra Map-MJC.png|thumb|250px|right|The location of Canberra within the [[オーストラリア首都地域]]の地図。黄色の部分がキャンベラの市街地で、緑の部分がキャンベラ周辺の自然保護地域。キャンベラは、ACTの一角を占めていることがわかる。]]
キャンベラの市街地は、Ginninderra plain, Molonglo plain, the Limestone plain, and theTuggeranong plain(Isabella's Plain)という4つの平原の上に展開している<ref name="g">Gibbney, inside cover.</ref>。モロングロ川は、モロングロ平原をながれ、キャンベラの中心部でせき止められ、キャンベラの中心部にある人工湖バーリー・グリフィン湖を形成する。その後、キャンベラからACT北西部に流れていき、ニューサウスウェールズ州へ流れていく<ref>Sparke, pp. 131–132.</ref>。

モロングロ川には、Jerrabomberra CreekやYarralumla Creeksといった小川が、流れ込む<ref name="g"/>。[[ジニンデラ湖]]([[:en:Lake Ginninderra|en]])と[[タガーアノン湖]]([[:en:Tuggeranong|en]])からは、それぞれ、ジニンデラ川とタガーアノン川が流れ出る<ref>Sparke, pp. 181–182.</ref><ref>{{cite web|url=http://www.tams.act.gov.au/play/pcl/parks,_reserves_and_open_places/water_catchments/lakesandponds/lakeginninderra |title= Lake Ginninderra |publisher=Territory and Municipal Services |accessdate=23 April 2010}}</ref><ref>Williams, p. 260.</ref>。ごく最近まで、モロングロ川は、大きな洪水を繰り返してきた歴史を持つ。というのも、モロングロ川を流れる水は、バーリー・グリフィン湖を満たすよりも先に、周辺の流域を水没させていた<ref>Sparke, pp. 4–7, 13–14.</ref><ref name="NCA_ Scrivener">{{cite book|title=Scrivener Dam|publisher=[[National Capital Authority]]|pages=1–2|url=http://www.nationalcapital.gov.au/downloads/education_and_understanding/factsheets/20ScrivenerDam.pdf|accessdate=2 June 2009|format=PDF}}</ref>。


=== 気候 ===
三角形の頂点に相当する位置に、市政庁、中央官庁街、業務商業機能という3つの都市機能を配置し、その外側に郊外住宅地を配置する計画案に基づいて都心部が構成されている。人造湖は河をせき止めて造られている。
キャンベラは大陸内陸部に位置しているため、相対的に乾燥している。夏は暑く、冬は寒い<ref name=bom>{{cite web | url=http://www.bom.gov.au/weather/nsw/canberra/climate.shtml | title=Climate of Canberra Area | accessdate=13 May 2010 | publisher=[[Bureau of Meteorology (Australia)|Bureau of Meteorology]] }}</ref>。キャンベラの夏は極端に乾燥し、暑さも厳しい一方で、キャンベラの冬は、空気も冷たく、濃い霧やしばしば、霜も降りる。キャンベラ市街地での降雪はまれではあるが、キャンベラ市街地からは、周辺の山の山頂が間接していることをしばしば見ることができる<ref name=bom/>。過去の最高気温は、[[1968年]][[2月1日]]に記録した42.2度<ref name=bom/>で、一方、過去の最低気温は、[[1971年]][[6月11日]]に記録したマイナス10度である<ref name=bom/>。


キャンベラは、首都とオーストラリアの州都7都市の計8都市の中では、[[アデレード]]、[[ホバート]]についで、降雨が少ない<ref>{{cite web|url=http://www.bom.gov.au/lam/climate/levelthree/ausclim/zones.htm#two | title=Australia – Climate of Our Continent|publisher=[[Bureau of Meteorology (Australia)|Bureau of Meteorology]] | accessdate=13 May 2010 }}</ref>。しかしながら、季節に関係なく降水は観測される都市であり、特に晩春は激しい降雨がある<ref>{{cite web|url=http://www.bom.gov.au/cgi-bin/climate/cgi_bin_scripts/map_script_new.cgi?70014 | title=Climate information for Canberra Aero | publisher=[[Bureau of Meteorology (Australia)|Bureau of Meteorology]] |accessdate=13 May 2010}}</ref>。[[雷]]雨を伴う嵐は、10月から4月の間発生するが<ref name=bom/>、この雷雨は、夏の暑さとや山間部にある影響である。風に関してはそこまで強く吹くことは無く、冷気を伴う風は8月11月の間に吹く。キャンベラはまた、他の海岸部の都市よりも湿度が低い<ref name=bom/>。
[[ファイル:Griffins triangle.jpg|thumb|250px|キャンベラ中心地区のグリフィン・トライアングル(ジオラマ)]]
[[ファイル:Crepuscular ray sunset from telstra tower edit.jpg|thumb|250px|夕暮れどきに雲の隙間から差し込む日光(キャンベラのテルストラ・タワーから撮影)]]
[[標準時]]はニューサウスウェールズ州と同じ[[オーストラリア時間|オーストラリア東部標準時]]である。すなわち[[UTC+10]]時間、[[日本標準時]]+1時間で、[[夏時間]]の適用される10月の第一日曜日早朝から翌年4月の第一日曜日早朝まではさらに1時間先行する。


== 気候 ==
内陸の高地にあるために、オーストラリアで最も寒い都市で、真冬には氷点下の気温になることも多い。
{{Weather box
{{Weather box
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|Jan precipitation mm = 58.5
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|Jan precipitation days = 7.3
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|Dec precipitation days = 7.8
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|Jan sun = 294.5
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|Feb sun = 254.3
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|Dec sun = 291.4
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|source 1 = <ref>{{cite web
|source 1 =<ref>{{cite web
| url = http://www.bom.gov.au/climate/averages/tables/cw_070014_All.shtml | title = Climate statistics for Australian locations| publisher = [[オーストラリア気象庁]] |accessdate = 2010-03-19 }}</ref>
| url = http://www.bom.gov.au/climate/averages/tables/cw_070014_All.shtml | title = Climate statistics for Australian locations| publisher=[[Bureau of Meteorology (Australia)|Bureau of Meteorology]] |accessdate =3 September 2011 }}</ref>
|date=August 2010
|date=September 2011
}}
}}
=== 都市構造 ===
{{main|:en:Parliamentary Triangle, Canberra|:en:Suburbs of Canberra}}
[[File:AA-memorial-2.JPG|left|200px|thumb|[[豪米戦争記念碑]]([[:en:Australian–American Memorial|en]])]]
[[File:Inner-canberra-triangle MJC01.png|right|thumb|キャンベラ中心街とバーリー・グリフィン湖。この地図で、グリフィンが計画した「パーラメンタリー・トライアングル(議会の三角形)」を確認することができる。]]
[[File:Tuggeranong-Valley-lr-cropped.jpg|thumb|タガーアノン渓谷]]
[[File:Canberra SPOT 1088.jpg|thumb|right|キャンベラの衛星写真]]
キャンベラは、計画都市として設計され、市の中心街の設計は、ウォルター・バーリー・グリフィンが行った<ref>Wigmore, pp. 60–63.</ref>。バーリー・グリフィン湖に近い道路ほど、碁盤目状ではなく、「車輪とスポークの」形状を取っている<ref name="w67">Wigmore, p. 67.</ref>。グリフィンは、キャンベラ建築計画において、ふんだんに幾何学上のパターンを採用しており、その中には、六角形や八角形の形状も含まれている<ref name=w67/>。しかしながら、キャンベラも郊外に行くと、街作りが遅かったことから、幾何学上の街づくりもしていない<ref>''UBD Canberra'', pp. 10–120.</ref>。

バーリー・グリフィン湖は、キャンベラの地形状のランドマークとして、キャンベラの街を構成する要素に関連付けるために建設された<ref name=pp3>''Lake Burley Griffin, Canberra : Policy Plan'', p. 3.</ref><ref name=w64/>。バーリー・グリフィン湖は、キャンベラ中心部を東西に横たわり、キャンベラ・セントラルは、この湖によって、南北に分けられている。キャピタル・ヒルからコモンウェルス通りを北上して、湖を渡るとそばには、コモンウェルス公園があり、キャンベラの中心地へとつながる。そのキャンベラの中心地には、ロンドン・サーキットと呼ばれる六角形の環状道路があり、ロンドン・サーキットから南東にコンスティチューション通りを行くと、北東方向に伸びる大通りがANZACパレードである。ANZACパレードの突き当りには、オーストラリア戦争記念館がある<ref name=s1_3/>。この設計は、アインズリー山の展望台から、キャピタル・ヒルの方向を臨むと国会議事堂・ANZACパレード・オーストラリア戦争記念館が一直線で展望することができる設計となっている。

コンスティチューション通りをさらにまっすぐ南東方向に進むとキングス通りとの交点に、[[豪米戦争記念碑]]([[:en:Australian–American Memorial|en]])がある。南西方向にキングス通りを進み、バーリー・グリフィン湖を渡るとキャピタル・ヒルに戻ることができる。このコモンウェルス通り、コンスティチューション通り、キングス通りの3つの街路で囲まれた部分をパーラメンタリー・トライアングル([[:en:Parliamentary Triangle, Canberra|en]])と呼び、グリフィンの計画の中心をなすものである<ref name=w64/><ref name=pp17/>。

キャンベラから南西方向に伸びる軸の終点が、キャンベラから52キロメートル離れた所にあり、ACTで標高が最も高い[[ビンペリ・ピーク]]([[:en:Bimberi Peak|en]])<ref name=w64>Wigmore, p. 64.</ref><ref name=pn58/>である。

さらに、グリフィンは、アインズリー山、ブラック・マウンテン、[[レッド・ヒル_(オーストラリア首都特別地域)|レッド・ヒル]]に精神的な価値を置いていた。そのため、彼は、それぞれの山を花で飾ることを計画した。そして、彼の計画は、それぞれの頂を1つの花で彩ることにした。その花は、それぞれが精神的価値を代表した<ref name=wp>Wigmore, pp. 64–67.</ref>。第一次世界大戦の間、建設と計画は父として進まず、結果的に、[[ビリー・ヒューズ]]首相によって、グリフィンが解雇されたことで、計画が実現することは無かった<ref name="pp4"/><ref name="w6979">Wigmore, pp. 69–79.</ref><ref>{{cite web |url=http://primeministers.naa.gov.au/timeline/results.aspx?type=pm&pm=William%20Morris%20Hughes |title=Timeline Entries for William Morris Hughes | publisher=[[National Archives of Australia]] | accessdate=13 May 2010}}</ref>。

キャンベラの街は、7つの地区に分けられる。7つの地区とは、キャンベラ・セントラル、ウォーデン・ヴァレー、ベルコンネン、ウェストン・クリーク、タガーアノン、ガンガーリン、モロンゴ・ヴァレーである。これらの7つの地区の中心に、役場が設けられており、複数のサバーブを束ねているピラミッド型の構造をとる。<ref>''UBD Canberra'', pp. 10–60.</ref>。
*[[キャンベラ・セントラル]]([[:en:Canberra Central|en]])--25のサバーブで構成される地区。キャンベラの中心であり、1920年代から1930年代に、居住が開始された。1960年代に区域が拡張されている<ref>Gibbney, pp. 110–200.</ref>。
*[[ウォーデン・ヴァレー]]([[:en:Woden Valley|en]])--1964年より、供用された地区<ref name=s180>Sparke, p. 180.</ref>で、12のサバーブで構成される地区。
*[[ベルコンネン]]([[:en:Belconnen|en]])--1966年より供用された地区<ref name=s180/>で、25のサバーブで構成される地区ではあるが、1つのサバーブは、まだ、開発されていない。
*[[ウェストン・クリーク]]([[:en:Weston Creek|en]])--1969年より供用された地区で、8つのサバーブで構成される<ref>{{cite web|url=http://www.wccc.com.au/Pages/aboutweston.php |title=About Weston Creek, Canberra |publisher=Weston Creek Community Council |accessdate=23 April 2010}}</ref>。
*[[タガーアノン]]([[:en:Tuggeranong|en]])--1974年より供用された地区<ref>Fitzgerald, p. 167.</ref>で、18のサバーブから構成される。
*[[ガンダーリン]]([[:en:Gungahlin|en]])--1990年代より供用された地区で、18のサバーブから構成されているが、6つのサバーブがまだ、未開発である。
*[[モロンゴ・ヴァレー]]([[:en:Molonglo Valley|en]]—2010年に開発が開始された。13のサバーブの開発が予定されている。
キャンベラ・セントラル地区は、基本的に、ウォルター・バーリー・グリフィンの計画に基づいている<ref name="w64"/><ref name=pp17>''Lake Burley Griffin, Canberra : Policy Plan'', p. 17.</ref>。1967年、NCDCは、「Y計画」という計画を決定した<ref name="s1545">Sparke, pp. 154–155.</ref>。「Y計画」という計画は、タガーアノンが「Y」の文字の縦棒の一番下の部分、ベルコンネンとガンガーリンがそれぞれ、「Y」の文字の斜め棒の先端とすることで、それぞれの地区とキャンベラ中心部を高速道路で結ぶという計画で、Yの文字に似ている所から来ている<ref name="s1545"/>。

<!--
キャンベラの発展は、政府によって統制されてきた<ref>{{cite web | url=http://www.canberratimes.com.au/news/local/news/opinion/how-to-cut-through-the-acts-planning-thicket/717006.aspx?storypage=0 | title=How to cut through the ACT's planning thicket |work=[[The Canberra Times]] | date=1 March 2005 | accessdate=13 May 2010}} {{Dead link|date=March 2012|bot=H3llBot}}</ref><ref name=rest>{{cite web | url=http://www.abc.net.au/local/stories/2010/04/09/2868553.htm | title=It's time to review the grand plan for Canberra, says the NCA | author=Trail, Jim | date=9 April 2010 |publisher=Australian Broadcasting Corporation | accessdate=13 May 2010 }}</ref>。both through planning processes and the use of crown lease terms that have tightly limited the use of parcels of land. Land in the ACT is held on 99 year crown leases from the national government, although most leases are now administered by the Territory government.<ref>{{cite web | url=http://www.actpla.act.gov.au/topics/property_purchases/leases_licenses/grants_of_leases | title=Grants of leases | publisher=[[Australian Capital Territory Planning and Land Authority|ACT Planning & Land Authority]] | accessdate=13 May 2010 }}</ref> There have been persistent calls for constraints on development to be liberalised.<ref name=rest/>-->

前述のように、多くのキャンベラのサバーブは、[[オーストラリアの首相]]や有名なオーストラリア人、オーストラリアへ移住してきた人々、あるいは、[[アボリジニ]]にちなんで名づけられている。キャンベラの街路名は、特定の主題にしたがっている。例えば、「Duffy」の街の通りは、オーストラリアのダムや貯水池、「Dunlop」の街の通りは、オーストラリアの発明や発明家・芸術家、「Page」の街の通りは、生物学者や博物学者の名前にちなんでいる。

[[大使館]]の多くは、 [[ヤラルムラ_(オーストラリア首都地域)|ヤラルムラ]]([[:en:Yarralumla, Australian Capital Territory|en]])
、[[ディーキン_(オーストラリア首都地域)|ディーキン]]([[:en:Deakin, Australian Capital Territory|en]])、[[オマリー_(オーストラリア首都地域)|オマリー]]([[:en:O'Malley, Australian Capital Territory|en]])といったサバーブにある<ref>{{cite web|url=http://www.dfat.gov.au/protocol/Protocol_Guidelines/13.html#131 |title=Diplomatic and Consular Premises – Protocol Guidelines |publisher=[[Department of Foreign Affairs and Trade (Australia)|Department of Foreign Affairs and Trade]] |accessdate=23 April 2010}}</ref>。キャンベラの工業地域は、[[フィッシュウィック_(オーストラリア首都地域)|フィッシュウィック]]([[:en:Fyshwick, Australian Capital Territory|en]])、[[ミッチェル_(オーストラリア首都地域)|ミッチェル]]([[:en:Mitchell, Australian Capital Territory|en]])、[[ヒューム_(オーストラリア首都地域)|ヒューム]]([[:en:Hume, Australian Capital Territory|en]])の各地区にある<ref>{{cite web | url=http://www.australianhumanitiesreview.org/archive/Issue-September-2000/johnston.html | author=Johnston, Dorothy | title=Cyberspace and Canberra Crime Fiction | year=2000 |month=September |work=Australian Humanities Review | accessdate=13 May 2010 }}</ref>。

== 行政 ==
[[File:Australian Capital Territory Legislative Assembly and the statue Ethos.jpg|thumb|オーストラリア首都特別地域議会と<br />''Ethos''の像 (Tom Bass, 1961)]]
キャンベラの外は、ACTでは、村の規模よりも大きい住居地区は無い。オーストラリア首都地域議会([[:en:Australian Capital Territory Legislative Assembly|en]])は、市議会とACT全体の立法を兼ねている<ref name=govt>{{cite web | url=http://www.legassembly.act.gov.au/education/role-of-the-assembly.asp | publisher=[[Australian Capital Territory Legislative Assembly|Legislative Assembly for the ACT]] | year=2010 | title=Role of the Assembly | accessdate=13 May 2010 }}</ref>。この議会は17人から構成され、それぞれ、人口の比率に応じて割り振られた3つの選挙区から選出されている<ref name=state_el>{{cite web |title=Past Election Results |url=http://www.abc.net.au/elections/act/2008/guide/pastelections.htm|publisher=Australian Broadcasting Corporation |accessdate=13 January 2010}}</ref>。3つの選挙区とは、モロングロ選挙区、ギニンデラ選挙区、ブリンダベーラ選挙区と名づけられており、それぞれの議席数は、7、5、5である<ref>{{cite web |title=Election Summary |url=http://www.abc.net.au/elections/act/2008/guide/summary.htm|publisher=Australian Broadcasting Corporation |accessdate=13 January 2010}}</ref>。

キャンベラを主管するACTの首相は、ACT議会のメンバー(the Members of the Legislative Assembly: MLA)から選出され、首相が同一会派のメンバーから大臣を任命し、ACTの内閣が組閣される<ref name=govt/>。[[2004年]]の選挙では、[[オーストラリア自由党]]が17議席中9議席を獲得することで第一党となり、[[ジョン・スタンホープ]]([[:en:Jon Stanhope|en]])がACT首相となったが、[[2008年]]の選挙で、自由党は、少数派に転落し、[[オーストラリア緑の党]]との連立政権を強いられた<ref name=state_el/><ref name=anniv>{{cite web |title=Turbulent 20yrs of self-government |url=http://www.abc.net.au/news/stories/2009/05/11/2566162.htm|publisher=Australian Broadcasting Corporation |accessdate=31 January 2010 |date=11 May 2009}}</ref>。

ACTの人口のほとんどがキャンベラに居住しているが、政治的傾向は、キャンベラ・ACTともに似通っている。ACTに[[代議院_(オーストラリア)|下院]]の議席が割り当てられたのは[[1949年]]のことである<ref name="s289"/><ref name= 1948act/>。ACT選出の議員は、ACTに直接影響を与える案件にのみ、投票することができる<ref name= 1948act>{{cite web | title= ACT Representation (House of Representatives) Act 1974 (Cth)| publisher=[[National Archives of Australia]] |url=http://www.foundingdocs.gov.au/item.asp?sdID=116 |accessdate=29 January 2010 }}</ref>。 1974年、ACTには、[[元老院_(オーストラリア)|上院]]2議席が割り当てられた<ref name="s289">Sparke, p. 289.</ref>。1996年には、第3の議席が割り当てられたが、これは、地域の人口バランスの変更のために、1998年に廃止された<ref name=canb/>。キャンベラ選出の議員は、ともに、常にある程度のリードをもって、労働党が議員を獲得している<ref name=canb>{{cite web |title=Canberra |url=http://www.abc.net.au/elections/federal/2007/guide/canb.htm |publisher=Australian Broadcasting Corporation |date=29 December 2007 |accessdate=31 January 2010 }}</ref><ref name=fras>{{cite web |title=Fraser |url=http://www.abc.net.au/elections/federal/2007/guide/fras.htm |publisher=Australian Broadcasting Corporation |date= 29 December 2007 |accessdate=31 January 2010 }}</ref>。少なくとも、1990年以来、少なくとも、7%のリードを労働党は自由党に対して保ち続けている<ref name=state_el>{{cite web |title=Past election results |url=http://www.abc.net.au/elections/act/2008/guide/pastelections.htm|publisher=Australian Broadcasting Corporation |accessdate=31 January 2010 }}</ref>。 オーストラリア上院の2議席は、労働党と自由党がそれぞれ1議席を分け合っている形となっている<ref>{{cite web |title=Senate – A.C.T. |url=http://www.abc.net.au/elections/federal/2007/guide/sact.htm |publisher=Australian Broadcasting Corporation |date=6 November 2007 |accessdate=31 January 2010 }}</ref>。

地方自治権を獲得したとはいえ、オーストラリア連邦政府は、ACT政府に大きな影響力を持ち続けている。行政の分野では、[[国家首都局]]([[:en:National Capital Authority|en]]:NCA)が、キャンベラの都市計画を首都としての重要性あるいはグリフィンの計画を遂行させるために、責任を持っているという考えから、頻繁に行動をとっている<ref name=nca/>。グリフィンの計画には、パーラメンタリー・トライアングル、バーリー・グリフィン湖、道路計画、連邦政府の所有地、あるいは未開発の山や尾根といったものも含まれる<ref name=nca>{{cite web | url=http://www.nationalcapital.gov.au/index.php?option=com_content&view=article&id=315&Itemid=284 | title=Administration of National Land | publisher=[[National Capital Authority]] | year=2008, 18 December | accessdate=13 May 2010 }}</ref><ref>{{cite web | url=http://www.nationalcapital.gov.au/index.php?option=com_content&view=article&id=312&Itemid=281 | title=Capital Works Overview | year=2008, 23 October | publisher=[[National Capital Authority]] | accessdate=13 May 2010 }}</ref><ref>{{cite web | url=http://www.nationalcapital.gov.au/index.php?option=com_content&view=article&id=314&Itemid=283 | title=Maintenance and Operation of Assets | publisher=[[National Capital Authority]] | year=2008, 23 October | accessdate=13 May 2010 }}</ref>。連邦政府は、1988年に制定されたオーストラリア州地域地方自治法([[:en:Australian Capital Territory (Self-Government) Act 1988|en]])を整備したことで、ACT議会をある程度、コントロールしている<ref>{{cite web | title=Australian Capital Territory (Self-Government) Act 1988 |publisher=[[Australasian Legal Information Institute]] | url=http://www.austlii.edu.au/au/legis/cth/consol_act/acta1988482/ |accessdate=19 January 2010}}</ref>。連邦政府の行動は、ACT議会の立法権を定義している<ref>{{cite web | url=http://www.austlii.edu.au/au/legis/cth/consol_act/acta1988482/sch4.html | title=Australian Capital Territory (Self-Government) Act 1988. Schedule 4 | publisher=[[Australasian Legal Information Institute]] | accessdate=13 May 2010 }}</ref>。

オーストラリア連邦警察([[:en:Australian Federal Police|en]] :AFP)は、州警察と似たような警察力をACT管内で行使しているが、警察権の行使は、ACT政府との契約に基づく<ref>{{cite web |url=http://www.afp.gov.au/recruitment/faqs/frequently_asked_questions_sworn.html#general |title=Frequently Asked Questions |date=19 November 2009 |publisher=[[Australian Federal Police]] |accessdate=21 January 2010 |archiveurl=http://web.archive.org/web/20100103094447/http://www.afp.gov.au/recruitment/faqs/frequently_asked_questions_sworn.html <!--Added by H3llBot--> |archivedate=3 January 2010}}</ref>。そのため、AFPは、オーストラリア州地域警察として、地域の保安の役割を担っている ([[Australian Capital Territory Police]]).<ref name=afpact>{{cite web|url=http://www.afp.gov.au/act.html |title=ACT Policing |publisher=[[Australian Federal Police]] |date=16 March 2010 |accessdate=23 April 2010 |archiveurl=http://web.archive.org/web/20100127071930/http://www.afp.gov.au/act.html <!--Added by H3llBot--> |archivedate=27 January 2010}}</ref>。

犯罪ないしはその他の被告人は、、 [[オーストラリア州地域地方裁判所]]([[:en:Magistrates Court of the Australian Capital Territory|en]])あるいは、重大犯罪は、 [[オーストラリア最高裁判所]]([[:en:Supreme Court of the Australian Capital Territory|en]])において、裁判が行われる<ref>{{cite web|url=http://www.courts.act.gov.au/supreme/content/about_us_history.asp?textonly=no |title=History |publisher=The Supreme Court of the ACT|accessdate=23 April 2010}} {{Dead link|date=March 2012|bot=H3llBot}}</ref><ref>{{cite web|url=http://www.courts.act.gov.au/supreme/content/about_us_general_information.asp?textonly=no |title=General Information |publisher=The Supreme Court of the ACT| date=16 October 2008 | accessdate=23 April 2010 }} {{Dead link|date=March 2012|bot=H3llBot}}</ref>。被告人の拘留は、ベルコンネン・リマンド・センター([[:en:Belconnen Remand Centre|en]])で行われるが、有罪が確定した場合には、ニューサウスウェールズ州内の刑務所に収監される<ref>{{cite web | last=Laverty | first=Jo | url=http://www.abc.net.au/local/stories/2009/05/07/2563620.htm | title=The Belconnen Remand Centre |publisher=Australian Broadcasting Corporation | date=21 May 2009 | accessdate=23 April 2010 }}</ref>。2008年9月、ジョン・スタンホープACT首相の手によって、新しい刑務所である[[アレクサンダー・マッコーニー・センター]]([[:en:Alexander Maconochie Centre|en]])が開所した。建設費用は、1.3億オーストラリアドルである<ref>{{cite web|last=Kittel |first=Nicholas |url=http://www.abc.net.au/local/videos/2008/11/26/2430325.htm |title=ACT prison built to meet human rights obligations |publisher=Australian Broadcasting Corporation | date=26 November 2008 |accessdate=23 April 2010}}</ref>。また、民事裁判や家庭裁判は、Small Claims Tribunalや家庭裁判所で審理される<ref>{{cite web |
url=http://www.familycourt.gov.au/wps/wcm/connect/FCOA/home/court_lists/Canberra/ | publisher=[[Family Court of Australia]] | title=Canberra Court List | accessdate=13 May 2010 }}</ref><ref>{{cite web | url=http://www.courts.act.gov.au/magistrates/TelephoneList1.htm | title=Court Listing | publisher=ACT Law Courts and Tribunals | accessdate=13 May 2010 }} {{Dead link|date=March 2012|bot=H3llBot}}</ref>。


== 経済 ==
[[File:Australian Treasury.JPG|thumb|right|多くのキャンベラの住民が官公庁で勤めている。写真は、オーストラリア財務省。]]
[[2010年]]のキャンベラの[[失業率]]は、3.9パーセントで、オーストラリア全体の失業率が5.3パーセントであったことから<ref>{{cite web|url=http://www.abs.gov.au/AUSSTATS/abs@.nsf/Previousproducts/6202.0Media%20Release1Jan%202010?opendocument&tabname=Summary&prodno=6202.0&issue=Jan%202010&num=&view=|title=Australia's unemployment rate at 5.3 per cent in January 2010: ABS |date=11 February 2010|publisher=[[Australian Bureau of Statistics]]|accessdate=13 May 2010}}</ref>、他の地域よりも相対的に低い<ref>{{cite news|url=http://www.smh.com.au/business/economy-adds-more-fulltime-jobs-20100311-q0sp.html|title=Economy adds more full-time jobs|last=Zappone|first=Chris|date=11 March 2010 |work=The Sydney Morning Herald |accessdate=13 May 2010 }}</ref>。失業率の低さと公共部門・商業部門の雇用に支えられ、キャンベラは、オーストラリアの中でも、1人当たりの所得が高い<ref>{{cite web | publisher=[[Australian Bureau of Statistics]] | url=http://www.abs.gov.au/AUSSTATS/abs@.nsf/Previousproducts/D1427AE6A791C71CCA2570D700081161?opendocument | title=ACT Stats, 2005 |date=12 September 2005| accessdate=13 May 2010 }}</ref>。[[2009年]]11月の統計では、オーストラリア全体の平均1人当たり所得が週給1223.30[[オーストラリアドル]]であったのに対し、キャンベラのそれは、1392オーストラリアドルに達する<ref name="acttreasuryawe">{{cite web | publisher=ACT Department of Treasury, Economics Branch | date=25 February 2010 | url=http://www.treasury.act.gov.au/snapshot/AWOTE.pdf | title=Full-Time Adult Average Weekly Ordinary Time Earnings Earnings – February Quarter 2010| accessdate=13 May 2010 }}</ref>。

2009年の経済統計に基づくと、キャンベラの中位家計所得は511,820[[オーストラリアドル]]である。この数字は、キャンベラと10万人以上のオーストラリアの都市の家計所得と比較した場合、[[シドニー]]のみがキャンベラよりも豊かである。[[2005年]]以降は、[[メルボルン]]や[[パース_(西オーストラリア州)|パース]]の金額を上回っている<ref>{{cite web | url=http://www.abc.net.au/news/stories/2009/10/29/2727042.htm | title=House prices surge as rate hike looms |publisher=Australian Broadcasting Corporation | accessdate=13 May 2010 | author=Janda, Michael | date=29 October 2009 }}</ref><ref>{{cite web
|publisher=Real Estate Institute of Australia |url=http://www.reiaustralia.com.au/media/releases.asp |title= It’s official: the property market has cooled |date=9 September 2010 |accessdate=7 June 2010| archiveurl = http://web.archive.org/web/20080719140035/http://reiaustralia.com.au/media/releases.asp| archivedate = 19 July 2008}}</ref>。労働分配という視点で、週給をものさしとした場合、キャンベラの住民の平均週給は、他の州・準州と比較しても高い<ref>{{cite web | publisher=[[Australian Bureau of Statistics]] | year=2004 | title=Census of Population and Housing Australia in Profile A Regional Analysis| url=http://www.abs.gov.au/ausstats/subscriber.nsf/log?openagent&20320_2001.pdf&2032.0&Publication&6E673B244F83579CCA257156007B9D31&0&2001&16 January 2004&Latest | accessdate=13 May 2010 }}</ref>。2009年3月の統計では、 キャンベラの住民の平均週給は420ドルで<ref>{{cite web |url=http://www.abc.net.au/news/stories/2009/06/17/2600326.htm |date=17 June 2009 |accessdate=7 June 2010 |publisher=Australian Broadcasting Corporation | title=Canberra homes cheaper to buy than rent: REIA}}</ref>、オーストラリア全体の中で、第3位である<ref>{{cite web | url=http://www.globalpropertyguide.com/Pacific/Australia/Price-History | title=Australian house prices surge! | publisher=Global Property Guide | date=22 November 2009 | accessdate=13 May 2010 }}</ref>。

キャンベラの主要産業は、官公庁セクターと防衛産業である。2008-09年度の地域総生産は、これらの産業は31%に達し、キャンベラの労働力の40%以上の雇用を生み出している<ref name="acttreasuryawe"/><ref>{{cite web | publisher=ACT Department of Treasury, Economics Branch | date=15 April 2010 | title=Gross State Product 2008–09 | url=http://www.treasury.act.gov.au/snapshot/GSP.pdf | accessdate=13 May 2010 }}</ref>。[[オーストラリア国防軍]]のいくつかの施設は、キャンベラ近郊にある。その中でも著名なものは、[[オーストラリア国防軍]]総司令部とHMAS Harmanと呼ばれる[[オーストラリア海軍]]の施設である<ref>{{cite web | url=http://www.navy.gov.au/HMAS_Harman | publisher=[[Royal Australian Navy]] | title=HMAS Harman | accessdate=13 May 2010 | year=2008 }}</ref>。[[キャンベラ国際空港]]の隣接地にはかつて、オーストラリア空軍の施設があったが、その施設は現在、空港のオペレーターに売却されている<ref name=fb>{{cite web|url=http://www.awm.gov.au/units/place_1686.asp |title=Fairbairn: Australian War Memorial |publisher=[[Australian War Memorial]] | year=2010 |accessdate=23 April 2010}}</ref>。しかしながら、旧オーストラリア空軍基地は、現在もVIPのフライトとして使用されている<ref>{{cite web | url=http://www.airforce.gov.au/raafmuseum/research/bases/fairbairn.htm | title= RAAF Museum Fairbairn | publisher=[[RAAF Museum]] | year=2009 | accessdate=13 May 2010 }}</ref><ref>{{cite web | url=http://www.airforce.gov.au/raafmuseum/research/units/34sqn.htm | title=No 34 Squadron | publisher=[[RAAF Museum]] | year=2009 | accessdate=13 May 2010 }}</ref>。

政府機関の顧客に投資をするために、[[ソフトウェア]]の会社のいくつかの会社がキャンベラに本社を置いている。代表的な会社は、[[タワー・ソフトウェア]]([[:en:Tower Software|en]])と[[ルールバースト]]([[:en:RuleBurst|en]])の二社である<ref>{{cite web| title= USFTA begins to reap results |date=15 January 2007 |work=[[Australian Financial Review]] |author=Sutherland, Tracy |url=http://www.tradewatch.org.au/AUSFTA/Article43.html |accessdate=17 June 2010}}</ref><ref>{{cite web |url=http://www.theaustralian.com.au/australian-it/hp-bids-for-tower-software/story-e6frgamo-1111115951854 |title=HP bids for Tower Software |author=Sharma, Mahesh |work=The Australian |date=2 April 2008 |accessdate=17 June 2010}}</ref>。官民合弁のコンソーシアムは現在、キャンベラをアジア太平洋地域のデータ・ハブセンターとすることを狙い、10億ドルの出資計画を策定している<ref>{{cite web |url=http://www.theaustralian.com.au/australian-it/canberra-a-data-hub-target/story-e6frgamo-1111114545957|title=HP bids for Tower Software |author=Colley, Andrew|work=The Australian |date=2 October 2007 |accessdate=17 June 2010}}</ref>。

== 人口統計 ==
[[2006年]]時点で、キャンベラの人口は、323,056人である。2006年の人口統計では、キャンベラの人口の1.2%が先住民系、21.7%が海外系である。キャンベラにおける最大の人口グループは、[[イギリス]]あるいは[[ニュージーランド]]を出身とする[[英語]]話者のグループである。
キャンベラにおける移民で、重要な意義を持つ民族集団は、[[中国]]、[[インド]]、[[ヴェトナム]]出身者である。直近の移民の多くは、[[東アジア]]・[[東南アジア]]を出自としている。キャンベラで話される言語は、当然のことながら英語 (81.1%)であるが、それ以外の第二言語も話されている。その言語とは、マンダリン([[中国語]])、[[イタリア語]]、[[ヴェトナム語]]、[[カタルーニャ語]]、[[ギリシャ語]]である。これら5つの言語は、合計で人口の4.8%ではなされている。

キャンベラの住民は、相対的に年齢が若い。平均年齢は34歳であり、人口の9.8%が65歳である。また、人口流動がオーストラリアで大きい都市である。[[1996年]]から[[2001年]]の間にかけて、キャンベラの人口の61.9%がキャンベラから転出あるいは転入している。この流動性は、オーストラリアの州都8都市の中で2番目に高い。2004年の時点で、ACT内15歳から64歳の年齢層の30%が学士号を取得している。この数字は、オーストラリア全体の19%という数字と比較しても高い。

約60%のキャンベラの住民が自らを[[キリスト教徒]]と考えており、[[カトリック]]あるいは[[聖公会]]である。6%がキリスト教以外の宗教を信仰し、23%は無宗教である。

[[2002年]]時点でのキャンベラで発生した犯罪の多くが、住居不法侵入と自動車の盗難で、それぞれ、10万人あたりの発生件数は、1961件と630件である。殺人に関連する犯罪は、10万人当たり、1.5件であり、オーストラリア全体の4.9件と比較しても小さい。暴行事件や性的暴行事件もまた、オーストラリア平均よりも低い数字である。

== 教育 ==
キャンベラには、2つの総合大学がある。アクトンにある[[オーストラリア国立大学]](ANU)とブルースにある[[キャンベラ大学]](UC)である。それぞれ、10,500人と8,000人の学生を抱える<ref>{{cite web|url=http://www.goingtouni.gov.au/Main/CoursesAndProviders/ProvidersAndCourses/HigherEducationProviders/ACT/UniversityOfCanberra.htm |title= University of Canberra |publisher=[[Department of Education, Employment and Workplace Relations]] |accessdate=23 April 2010}}</ref><ref name=anu>{{cite web|url=http://www.goingtouni.gov.au/Main/CoursesAndProviders/ProvidersAndCourses/HigherEducationProviders/ACT/AustralianNationalUniversity.htm |title= Australian National University |publisher=[[Department of Education, Employment and Workplace Relations]] |accessdate=23 April 2010}}</ref>。[[1946年]]に設立された<ref>Gibbney, pp. 258–262.</ref>オーストラリア国立大学は、常に、研究活動に焦点をおき、オーストラリア最高位の順位の大学として、The Times Higher Education Supplementのランキングにランクされている<ref name=anu/><ref>{{cite web | publisher=Institute of Higher Education, Shanghai Jiao Tong University | year=2005 | url=http://ed.sjtu.edu.cn/rank/2004/2004Main.htm | title=Academic Ranking of World Universities 2004 | accessdate=13 May 2010 }}</ref>。また、キャンベラには、2つの宗教系大学がある。1つがキャンベラ北部のサバーブ・ワトソンにあるSignadouでオーストラリアカトリック大学の校舎であり<ref>{{cite web | url=http://www.acu.edu.au/about_acu/our_campuses/canberra_campus/ | title=Canberra Campus | publisher=[[Australian Catholic University]] | date=5 May 2010 | accessdate=13 May 2010}}</ref>、[[チャールズ・スタート大学]]のキャンパスとして、St Mark's Theological Collegeがある<ref>{{cite web|url=http://www.csu.edu.au/about/canberra.html |title=Canberra School of Theology |publisher=[[Charles Sturt University]] |accessdate=23 April 2010}}</ref>。
キャンベラ北部のサバーブ・キャンベルには、[[オーストラリア国防大学]](ADFA)と[[王立軍事大学_(ドゥントルーン)|王立軍事大学]]([[:en:Royal Military College, Duntroon|en]])がある<ref>{{cite web|url=http://www.defence.gov.au/adc/ |title=Australian Defence College |publisher=[[Australian Defence College]] |accessdate=23 April 2010}}</ref><ref>{{cite web|url=http://northcanberra.org.au/suburbs/campbell/ |title=Campbell |publisher=North Canberra Community Council |accessdate=23 April 2010}}</ref>。ADFAでは、軍事大学及び軍事大学院を保有し、[[ニューサウスウェールズ州立大学]]のキャンバスでもある<ref>{{cite web|url=http://www.defence.gov.au/adfa/about/program.html |title=The Program |publisher=[[Australian Defence Force Academy]] |accessdate=23 April 2010}}</ref><ref>{{cite web|url=http://www.unsw.adfa.edu.au/about/index.html |title=Introduction |publisher=[[Australian Defence Force Academy]] |date=2 April 2009 |accessdate=23 April 2010}}</ref>。ドゥントルーンには、オーストラリア陸軍の士官学校部門もある<ref>{{cite web|url=http://www.defencejobs.gov.au/army/Training/officer.aspx |title=Officer Training |publisher=Defence Jobs |accessdate=23 April 2010}}</ref>。キャンベラ工科大学の複数のキャンパスでは、大学レベル職業訓練が施されている<ref>{{cite web|url=http://www.cit.act.edu.au/about/organisation/maps/ |title=Campus Maps |publisher=[[Canberra Institute of Technology]] |date=25 February 2010 |accessdate=23 April 2010}}</ref>。

[[2004年]]2月の段階で、キャンベラには140の学校があった。96校は公立で44校は私立校である。2006年中に、ACT政府は、39校を効率化のために閉鎖すると発表した<ref>{{cite web | url=http://activated.act.edu.au/2020/ | title=Towards 2020: Renewing Our Schools – Message from the Minister | publisher=ACT Department of Education and Training | author=Barr, Andrew | year=2007 | accessdate=13 May 2005 | authorlink=Andrew Barr }} {{Dead link|date=March 2012|bot=H3llBot}}</ref>。その結果、2006年から2008年にかけて、複数の学校が閉鎖、統合された。このACT政府の学校政策に関しては、重要な反対が起きた。 多くのサバーブが小学校を持つように設計されている。学校の多くは、レクレーションやスポーツ活動が簡単に利用できるような公共空間の近くに設けられている<ref>{{cite web| url=http://www.abc.net.au/news/stories/2009/10/29/2727379.htm | date=29 October 2009 |accessdate=10 May 2010 |title=Closing date for primary school |publisher=Australian Broadcasting Corporation}}</ref><ref>{{cite web |title=Tharwa, Hall schools should be reopened: committee |url=http://www.abc.net.au/news/stories/2009/09/17/2688701.htm|publisher=Australian Broadcasting Corporation |accessdate=13 May 2010 | date=17 September 2009}}</ref><ref>{{cite web |title=School closures report 'doesn't go far enough'|url=http://www.abc.net.au/news/stories/2009/09/18/2689533.htm|publisher=Australian Broadcasting Corporation |accessdate=13 May 2010 | date=18 September 2009}}</ref> Most suburbs are planned to include a primary and a nearby preschool; these are usually located near open areas where recreational and sporting activities are easily available.<ref>''UBD Canberra'', pp. 1–90.</ref>


== 文化 ==
== 文化 ==
=== 文化施設 ===
=== 芸術・娯楽 ===
* オーストラリア国立図書 ([[:en:National Library of Australia]])
[[File:NatMusAus Main Entrance Strip.jpg|left|thumb|2001年に設立された[[オーストラリア国立博物館]]]]
キャンベラには、[[オーストラリア戦争記念館]]、[[オーストラリア国立美術館]]、[[オーストラリア国立肖像美術館]]([[:en: National Portrait Gallery (Australia)|en]])、[[オーストラリア国立図書館]]<ref name=map/>、[[オーストラリア国立アーカイブ]]([[:en:National Archives of Australia|en]])<ref>{{cite web|url=http://www.naa.gov.au/info/opening-hours/index.aspx |title=Opening hours |publisher=[[National Archives of Australia]] |accessdate=23 April 2010}}</ref>、[[オーストラリア国立映像音響アーカイブ]] <ref>{{cite web|url=http://www.naa.gov.au/info/opening-hours/index.aspx |title=Opening hours |publisher=[[National Archives of Australia]] |accessdate=23 April 2010}}</ref>、[[オーストラリア科学院]]([[:en:Australian Academy of Science|en]])<ref>{{cite web|url=http://www.science.org.au/dome/ |title=The Shine Dome |publisher=[[Australian Academy of Science]] |accessdate=23 April 2010}}</ref> 、[[オーストラリア国立博物館]]のように、多くの国立のモニュメントや施設がある<ref name=map/>。キャンベラにある連邦政府の施設である[[国会議事堂_(キャンベラ)|国会議事堂]]や[[オーストラリア高等裁判所]]、[[王立オーストラリア造幣局]]は、一般公開されている<ref>{{cite web|url=http://www.highcourt.gov.au/about_05.html |title=Visiting the High Court |publisher=[[High Court of Australia]] |accessdate=23 April 2010}}</ref><ref>{{cite web|url=http://www.aph.gov.au/visitors/index.htm |title=Visitors |publisher=[[Parliament of Australia]] |accessdate=23 April 2010}}</ref><ref>{{cite web|url=http://www.ramint.gov.au/visit/ |title=Opening hours |publisher=[[Royal Australian Mint]] |accessdate=23 April 2010}}</ref>。
* オーストラリア国立博物館 ([[:en:National Museum of Australia]])
バーリー・グリフィン湖の湖畔には、[[キャプテン・ジェームズ・クック・メモリアル]]([[:en:Captain James Cook Memorial|en]])と[[ナショナル・キャリロン]]([[:en:National Carillon|en]])がある<ref name=map>{{cite web|url=http://www.nationalcapital.gov.au/enjoythelake/map.asp |title=Lake Burley Griffin Interactive Map |accessdate=1 June 2009 |publisher=[[National Capital Authority]]}}</ref>。他のキャンベラの主要施設には、[[ブラック・マウンテン・タワー]]([[:en:Black Mountain Tower|en]])、[[オーストラリア王立ボタニック・ガーデン]]([[:en:Australian National Botanic Gardens|en]])、[[国立動物園水族館]]([[:en: National Zoo and Aquarium|en]])、[[国立恐竜博物館]]([[:en:National Dinosaur Museum|en]])、[[国立科学技術センター]]がある<ref name=map/><ref>{{cite web|url=http://www.visitcanberra.com.au/Things%20to%20do%20and%20see/Outdoor%20and%20nature.aspx?currPage=2&category=&l |title=Outdoor and Nature |publisher=Visit Canberra |accessdate=23 April 2010}}</ref>。
* オーストラリア国立美術館 ([[:en:National Gallery of Australia]])
* [[国立科学技術センター]](QUESTACON:クエスタコン)日本の援助で作られた科学館。


キャンベラ市街地にある[[キャンベラ博物館美術館]]([[:en:Canberra Museum and Gallery|en]])は、キャンベラ地域の歴史と芸術を収納する役割を果たしている<ref>Germaine, pp. 756–758, 796–797, 809–810, 814–815, 819–820, 826–827, 829–830.</ref>。複数の歴史的な住居が一般公開されている。[[タガーアノン]]([[:en:Tuggeranong|en]])にあるLanyon and Tuggeranong Homesteads<ref>{{cite web | url=http://www.museumsandgalleries.act.gov.au/lanyon/index.html | title=Lanyon | publisher=ACT Museums and Galleries | accessdate=13 May 2010 }}</ref><ref>{{cite web | url=http://www.events.act.gov.au/?/event/view/225 | title=Minders of Tuggeranong Homestead | publisher=[[Australian Capital Territory Chief Minister's Department|Chief Minister's Department]] | accessdate=13 May 2010 }}</ref>や[[シモンストン_(オーストラリア首都地域)|シモンストン]]([[:en:Symonston|en]])にあるMugga-Mugga<ref>{{cite web | url=http://www.museumsandgalleries.act.gov.au/mugga/index.html | title=Mugga-Mugga | publisher=ACT Museums and Galleries | accessdate=13 May 2010 }}</ref>、[[パークス]]([[:en:Parkes, Australian Capital Territory|en]])にあるブランデルズ・コテージは、キャンベラ入植初期の白人の生活スタイルを展示している<ref name=BLUNDELL/>。[[レッド・ヒル_(オーストラリア州地域)|レッド・ヒル]]([[:en:Red Hill|en]])にあるCalthorpes' Houseは小さいながらも、1920年代のキャンベラの住宅をよく保存している<ref>{{cite web | url=http://www.museumsandgalleries.act.gov.au/calthorpes/index.html | title=Calthorpes' House | publisher=ACT Museums and Galleries | accessdate=13 May 2010 }}</ref>。

キャンベラは、多くの音楽や演劇が公演されている場所でもある。例えば、[[キャンベラ劇場]]([[:en:Canberra Theatre|en]])では、多くの主要なコンサートが開催されている。[[オーストラリア国立大学音楽学校]]([[:en:ANU School of Music|en]])内にあるLlewellyn Hallも世界級のコンサートが開催される<ref name=rg>{{cite book |title=Rough Guide to Australia |author=Daly, Margo |publisher=Rough Guides |year= 2003 |page=67|isbn=1-84353-090-2 }}</ref>。The Street Theatreでは、主流の音楽以外を提供している場所である<ref name=rg/>。[[アルバート・ホール_(キャンベラ)|アルバート・ホール]]([[:en:Albert Hall, Canberra|en]])は、キャンベラで最初に開場した劇場であり、[[1928年]]に開場した。ここでは、Canberra Repertory Societyのような劇団がオリジナルの演劇を行う場所である<ref>{{cite web|url=http://www.naa.gov.au/about-us/publications/fact-sheets/fs250.aspx |title=Fact sheets |publisher=[[National Archives of Australia]] |accessdate=23 April 2010}}</ref>。

キャンベラ大学で開催される[[ストーンフェスト]]([[:en:Stonefest|en]]は、2日間にまたがって開催される音楽祭である<ref name=v278/>。また、特に、ディクソン、キングストン、キャンベラの中心街には、たくさんのバーやナイトクラブがあり、この地域でも多くのエンターテイメントが提供されている<ref>Vaisutis, pp. 283–285.</ref>。多くの町の中心部には、劇場、映画館、図書館といった施設が整備されている<ref>''UBD Canberra'', pp. 10–12.</ref>。ナショナル・フォーク・フェスティバル([[:en:National Folk Festival|en]])、ロイヤル・キャンベラ・ショー([[:en:Royal Canberra Show|en]])、サマーナッツ([[:en:Summernats|en]])といった人気のあるイベントは2月に実施され、「Celebrate Canberra festival」は、3月、キャンベラの日を祝うために、10日以上にわたって開催される<ref name=v278>Vaisutis, p. 278.</ref>。

[[File:Canberra Nara park.JPG|thumb|right|キャンベラ・奈良公園]]
キャンベラは、[[奈良市]]と[[北京市]]と[[姉妹都市]]関係、[[東ティモール]]・[[ディリ]]と[[杭州市]]とは友好関係を締結している<ref name=Canberra/>。都市同士の結びつきが、相互に、幅広い分野で、文化交流を行っている。キャンベラとならの姉妹都市関係を祝して、「Canberra Nara Candle Festival」が毎春開催される<ref>{{cite web|url=http://www.abc.net.au/news/stories/2008/09/26/2375107.htm |title=Festival celebrates Canberra-Nara friendship |publisher=Australian Broadcasting Corporation | date=26 September 2008 |accessdate=23 April 2010 }}</ref>。Tこの祭りは、バーリー・グリフィン湖畔のキャンベラ・奈良公園で開催される<ref>{{cite web|url=http://www.canberratimes.com.au/eventdetails/canberra-nara-candle-festival/34260.aspx |title=Canberra Nara Candle Festival |work=[[The Canberra Times]] |accessdate=23 April 2010}} {{Dead link|date=March 2012|bot=H3llBot}}</ref><ref>{{cite web|url=http://www.tams.act.gov.au/play/parks_conservation_and_lands/parks_reserves_and_open_places/parkslakesandponds/urbanparks/districtparks/canberranarapark#location |title=Canberra Nara Park |publisher=Territory and Municipal Services | date=9 October 1999 |accessdate=13 May 2010}}</ref>。


<!--=== メディア ===-->
=== スポーツ ===
=== スポーツ ===
[[File:BruceStadium19032005.JPG|right|thumb|[[キャンベラ・スタジアム]]のラグビー・リーグの試合]]
* [[オーストラリア国立スポーツ研究所]] (AIS) の本部および主要な施設がある。
キャンベラには、複数のスポーツリーグのチームがある。キャンベラでもっとも有名なスポーツチームは、[[ラグビー・リーグ]]の[[キャンベラ・ライダーズ]]([[:en:Canberra Raiders|en]])と[[ラグビー・ユニオン]]の[[ブランビーズ]]([[:en:Brumbies_(rugby)|en]])である。この両チームは、それぞれのリーグで優勝経験があり<ref>{{cite news|title=Brumbies Crowned Super 12 Champions. |url=http://www.irishrugby.ie/6855_3684.php|publisher=[[Irish Rugby]] |date=22 May 2004 |accessdate=8 October 2007 |archiveurl = http://web.archive.org/web/20071013130431/http://irishrugby.ie/6855_3684.php <!-- Bot retrieved archive --> |archivedate = 13 October 2007}}</ref><ref>{{cite web
* [[ラグビー]]ユニオン [[スーパーラグビー]]: [[ブランビーズ (ラグビー)|ブランビーズ]]
|title=Premiership Records.
* [[ラグビーリーグ]] [[ナショナル・ラグビー・リーグ|NRL]]: [[:en:Canberra Raiders|:en:キャンベラ・レイダース]]
|url=http://www.raiders.com.au/2008/history/records.php
* [[バスケットボール]] WNBL: [[:en:Canberra Capitals|:en:キャンベラ・キャピタルズ]], AIS
|publisher=[[Canberra Raiders]]
|accessdate=22 February 2009}}</ref>、ともに、[[キャンベラ・スタジアム]]を本拠地としている。キャンベラ・スタジアムは、キャンベラ最大の競技場であり<ref>{{cite news|title=Canberra Stadium|url=http://www.ais.org.au/facilities/stadium.asp|publisher=[[Australian Institute of Sport]] |accessdate=8 October 2007}}</ref>、[[2000年]]の[[シドニーオリンピック]]でのサッカー競技、[[2003年]]のラグビー・ワールドカップが開催された<ref>{{cite news|title=Sydney 2000:Football |url=http://www.abc.net.au/news/olympics/sports/football.htm|publisher=Australian Broadcasting Corporation |year=1999 |accessdate=8 October 2007|archiveurl=http://web.archive.org/web/20070803175201/http://www.abc.net.au/news/olympics/sports/football.htm <!--Added by H3llBot-->|archivedate=3 August 2007}}</ref><ref>{{cite news|title=Complete draw for 2003 Rugby World Cup|url=http://www.abc.net.au/rugbyunion/worldcup/2003/draw/default.htm|publisher=Australian Broadcasting Corporation |year=2003 |accessdate=8 October 2007}}</ref>。キャンベラにはまた、[[キャンベラ・キャピタルス]]([[:en:Canberra Capitals|en]])というリーグ戦で11回中7回優勝し、最も成功している女子[[バスケットボール]]チームがある<ref>{{cite news|title=Caps take WNBL championship|url=http://www.abc.net.au/news/stories/2010/03/06/2838446.htm?site=news|publisher=Australian Broadcasting Corporation |date=17 February 2007 |accessdate=8 October 2007}}</ref>。また、女子サッカーチームの[[キャンベラ・ユナイテッドFC]]([[:en:Canberra United FC|en]])が、キャンベラを本拠地としており、2011-12シーズンを優勝した<ref>{{cite news|url=http://www.abc.net.au/news/2012-01-28/united-down-roar-to-clinch-title/3798330|title=Canberra downs Roar to clinch W-League title|publisher=[[Australian Broadcasting Corporation]]|date=31 January 2012|accessdate=3 February 2012}}</ref>。


[[File:Manuka Oval.JPG|right|thumb|180px|クリケットとオージーフットボールが開催される[[マヌカ・オーヴァル]]]]
== 社会基盤 ==
キャンベラには、また[[ネットボール]]、[[ホッケー]]、[[アイスホッケー]]、[[クリケット]]、[[野球]]の国内リーグのチームがある。[[マヌカ・オーヴァル]]([[:en:Manuka Oval|en]])は、クリケットと[[オージーフットボール]]の試合を行うことができる、キャンベラのもう1つの競技場である。ここでは、メルボルンを本拠地とする[[オーストラリアン・フットボール・リーグ]]のチームであるカンガルーズの愛称を持つ[[ノースメルボルンFC]]([[:en:North Melbourne Football Club|en]])が2006年7月に試合を主催したことがある競技場である<ref>{{cite news|title=Kangaroos finding capital gains taxing |url=http://www.smh.com.au/news/AFL/Kangaroos-finding-capital-gains-taxing/2005/03/31/1111862534238.html|first= Richard|last=Hinds|work=The Sydney Morning Herald |date=1 April 2005 |accessdate=8 October 2007}}</ref>。カンガルーズがキャンベラから本拠地を[[クイーンズランド州]]の[[カラーラ]]([[:en:Carrara|en]])に移動すると、[[メルボルンFC]]([[:en:Melbourne Football club|en]])と同じくメルボルンを本拠とする[[ウェスタン・ブルドッグス]]([[:en:Western Bulldogs|en]])が、シドニー・スワンズ([[:en:Sydney Swans|en]])と試合をする際には、マヌカ・オーヴァルで開催するようになった<ref>{{cite news|url=http://abc.net.au/news/items/200608/1716460.htm?canberra|publisher=Australian Broadcasting Corporation|title=Dogs, Demons to play in Canberra|accessdate=9 October 2007|date=16 August 2006|archiveurl=http://web.archive.org/web/20071013112123/http://abc.net.au/news/items/200608/1716460.htm?canberra <!--Added by H3llBot-->|archivedate=13 October 2007}}</ref>。 キャンベラはまた、ジュニアのオージーフットボールの国際大会であるバラシ国際オーストラリアン・フットボール・ユース・トーナメント([[:en:Barassi International Australian Football Youth Tournament|en]])の開催地でもある<ref>{{cite news|title=Who Rules, Aussie Rules! | url=http://www.afl.com.au/GameDevelopment/International/tabid/285/Default.aspx|publisher=[[Australian Football League|AFL]] |date=15 February 2007 |accessdate=8 October 2007}}</ref>。さらに、オーストラリアの歴史的なクリケットの試合であるプライム・ミニスターズ・イレブン([[:en:Prime Minister's XI|en]])も毎年、 マヌカ・オーヴァルで開催される<ref>Growden, pp. 200–210.</ref>。
=== 教育 ===
:''主要記事:[[w:Education in the Australian Capital Territory|Education in the Australian Capital Territory]]''


毎年、キャンベラで開催されるほかの重要なスポーツイベントは、[[キャンベラ・マラソン]]([[:en:Canberra Marathon|en]])、キャンベラ・ハーフマラソン、キャンベラ・トライアスロンである。[[2006年]]まで、キャンベラは、[[テニス]]の[[全豪オープン]]開催前に、[[キャンベラ国際トーナメント]]([[:en:Canberra Women's Tennis Classic|en]])が実施されていた<ref>{{cite news|title=Title winners head to Canberra|url=http://www.tennis.com.au/pages/article.aspx?id=6042&articleid=ArticleID200617161324&pageId=9953&HandlerId=1|publisher=[[Tennis Australia]] |date=7 January 2006 |accessdate=8 October 2007}}</ref>
* [[オーストラリア・カトリック大学|オーストラリア・カトリック大学 [ACU]]]
* [[オーストラリア国立大学|オーストラリア国立大学 [ANU]]]
* [[キャンベラ大学]] [UC]
* [[チャールズ・スタート大学]] [CSU] [[神学]]部 (St. Mark's National Theological Centre)
* [[オーストラリア国防大学]][ADFA] は [[ニュー・サウス・ウェールズ大学]][UNSW]が[[高等教育]]部分を担当している。


[[オーストラリア国立スポーツ研究所]] (AIS)は、[[ブルース_(オーストラリア首都特別地域)|ブルース]]([[:en:Bruce|en]])にある<ref name="s304">Sparke, p. 304.</ref>。AISではジュニア層のエリートをコーチする施設である。[[1981年]]以来、AISは、さまざまな成功を国際的にも国内的にも、エリートのアスリートを育成することで収めてきた<ref name="s304"/>。[[2000年]]の[[シドニーオリンピック]]のオーストラリア選手団とそのメダリストの多くは、AISを卒業している<ref>{{cite news|title=History and successes|url=http://www.ausport.gov.au/ais/history|publisher=[[Australian Institute of Sport]] |accessdate=8 October 2007}}</ref>。
参照 : [[オーストラリアの大学リスト]]
キャンベラには、複数のスポーツ競技場、ゴルフコース、スケート場、テニスコート、プールがあるが、これらは、一般に公開している。キャンベラ一帯に整備されている自転車道は、サイクリストがレクレーションやスポーツ活動をできるように作られた道路である。キャンベラの周辺にある国立公園には、多くの遊歩道や乗馬用、マウンテンバイク用の道路を整備している。セイリング、ボートやドラゴンボート、水上スキーといった水上スポーツは、キャンベラの湖で行われている<ref>{{cite web|url=http://www.nationalcapital.gov.au/visiting/lake_burley_griffin/boating/|title=Boating on Lake Burley Griffin|publisher=[[National Capital Authority]]|accessdate=9 October 2007| archiveurl = http://web.archive.org/web/20070923025439/http://www.nationalcapital.gov.au/visiting/lake_burley_griffin/boating/| archivedate = 23 September 2007}}</ref><ref>{{cite web|title=Lake Burley Griffin reopens|url=http://www.abc.net.au/news/stories/2007/11/16/2093294.htm|work=ABC News|publisher=Australian Broadcasting Corporation|accessdate=26 July 2010|date=16 November 2007}}</ref>。キャンベラでは毎年、ラリー競技も開催されており、現在では、ドラッグレースの施設の建設を計画中である<ref>{{cite news |title=Canberra Dragway Frequently Asked Questions |url=http://www.tams.act.gov.au/__data/assets/pdf_file/0004/43069/act_dragway_faq_feb200620.pdf |publisher=ACT Government |date=21 February 2006 |accessdate=8 October 2007|format=PDF}}</ref><ref>{{cite news|title=Possum Bourne|url=http://www.abc.net.au/stateline/act/content/2003/s847002.htm|publisher=Australian Broadcasting Corporation |date=3 May 2003 |accessdate=8 October 2007}}</ref>。


== インフラストラクチャー ==
=== 交通 ===
=== 医療 ===
* [[キャンベラ国際空港]]が東部近郊に位置し、[[ニューサウスウェールズ州]]南部や[[シドニー]]、[[メルボルン]]、[[ブリスベン]]、[[アデレード]]、[[パース (西オーストラリア州)|パース]]との間に定期便が運航する。
[[File:Canberra Hospital.jpg|thumb|[[キャンベラ病院]]]]
* 市内南東部[[w:Kingston, Australian Capital Territory|w:キングストン]]のキャンベラ[[鉄道駅]] (Canberra railway station) はキャンベラの建設に必要な資材を輸送した。現在は[[シドニー]]との間に旅客[[特別急行列車|特急列車]]が運行している。
キャンベラには、2つの大きな公共病院がある。1つが、おおよそ600床を持つ[[キャンベラ病院]]([[:en:Canberra Hospital|en]])で、もう1つが、174床を持つ[[カルヴァリー公立病院]])[[:en:Calvary Public Hospital|en]])である。両機関とも、教育機関も兼ねている<ref name=hos>{{cite web|url=http://www.health.act.gov.au/c/health?a=da&did=10134232&pid=1147829186 |title= Hospitals |publisher=ACT Health |accessdate=23 April 2010}}</ref><ref>{{cite web|url=http://health.act.gov.au/c/health?a=da&did=10209377 |title=Canberra Hospital |publisher=ACT Health |accessdate=23 April 2010}}</ref><ref name="calvary-act1">{{cite web |url=http://www.calvary-act.com.au/contact.html |title=Contact Us & Location Map |publisher=Calvary Health Care ACT |accessdate=23 April 2010 |archiveurl=http://web.archive.org/web/20100323231918/http://www.calvary-act.com.au/contact.html <!--Added by H3llBot--> |archivedate=23 March 2010}}</ref><ref>{{cite web|url=http://www.calvary-act.com.au/public.html |title= Public Hospital |publisher=Calvary Health Care ACT |accessdate=23 April 2010| archiveurl = http://web.archive.org/web/20080718171953/http://www.calvary-act.com.au/public.html| archivedate = 18 July 2008}}</ref>。キャンベラ最大の私立病院は、ディーキンにあるカルヴァリー・ジョン・ジェームズ病院(Calvary John James Hospital)である<ref>{{cite web|url=http://www.canberratimes.com.au/news/local/news/general/chemo-crisis-to-hit-act-patients/1241514.aspx |author=Cronin, Fiona |title=Chemo crisis to hit ACT patients |work=[[The Canberra Times]] |date=12 August 2008 |accessdate=23 April 2010}} {{Dead link|date=March 2012|bot=H3llBot}}</ref><ref>{{cite web |url=http://www.calvaryjohnjames.com.au/ |title=Welcome to Calvary John James Hospital |publisher=Calvary John James Hospital |accessdate=23 April 2010}}</ref>。ブルースにあるカルヴァリー私立病院(Calvary Private Hospital)とガーランにあるヘルスコープス首都私立病院(Healthscope's National Capital Private Hospital)もまた、医療分野での教育機関である<ref name=hos/><ref name="calvary-act1"/>。
* [[都心]]部のジョリモント・ツーリスト・センター (Jolimont Tourist Centre) は[[高速バス]]ターミナルで、シドニーやメルボルンへの便も発着する。

* [[高速道路]]はニューサウスウェールズ州南部の各都市へ放射状に伸びる。シドニー — メルボルン間を内陸側で結ぶ [[w:Hume Highway|w:ヒューム・ハイウェイ]]への接続点は、キャンベラ北方の[[w:Yass, New South Wales|w:ヤス]]である。
王立キャンベラ病院は、かつて、バーレー・グリフィン湖畔のアクトン半島にあったが、[[1991年]]に閉鎖、[[1997年]]に廃止された。廃止の際には、爆破され([[:en:Controversial and fatal implosion|en]])、跡地には、[[オーストラリア王立美術館]]が建設された<ref name="pp18"/><ref name="pp17"/><ref name=map>{{cite web|url=http://www.nationalcapital.gov.au/enjoythelake/map.asp |title=Lake Burley Griffin Interactive Map |accessdate=1 June 2009 |publisher=[[National Capital Authority]]}}</ref><ref>{{cite news|url=http://www.abc.net.au/am/stories/s64319.htm|author=Reynolds, Fiona |
* キャンベラ市内の大量公共交通機関は、公営のオーストラリア首都特別地域内[[路線バス|バス]]網 (Australian Capital Territory Internal Omnibus Network, ACTION [http://www.action.act.gov.au/ 英語版公式]) だけである。
title=Increasing pressure on ACT Chief Minister|date=5 November 1999|work=A.M.|publisher=Australian Broadcasting Corporation|accessdate=2 June 2009}}</ref> The city has 10 aged care facilities. Canberra's hospitals receive emergency cases from throughout southern New South Wales,<ref>{{cite web|url=http://health.act.gov.au/c/health?a=da&did=10063975&pid=1082945856 |title=About Emergency |publisher=ACT Government Health Information |accessdate=23 April 2010}}</ref>。キャンベラの病院は、[[ニューサウスウェールズ州]]南部の救急医療を請け負っており、[[オーストラリア首都地域救急サービス]]([[:en:ACT Ambulance Service|en]]は、[[オーストラリア首都地域緊急サービス局]]([[:en:ACT Emergency Services Authority|en]])に属する4つの機関の1つである<ref>{{cite web|url=http://www.esa.act.gov.au/ESAWebsite/content_esa/about_us/about_us_home_page/about_us.html |title=About Us |publisher=[[ACT Emergency Services Authority]] |accessdate=23 April 2010}}</ref>。[[新生児救急輸送サービス]]([[:en:Newborn Emergency Transport Service|en]]:NETS)は、ACTのみならず、ニューサウスウェールズ州南部の新生児の救急サービスを請け負っている<ref>{{cite web|url=http://www.nets.org.au/main/what.htm |title=What is NETS? |publisher=[[Newborn Emergency Transport Service]] |accessdate=23 April 2010| archiveurl = http://web.archive.org/web/20071223110451/http://www.nets.org.au/main/what.htm| archivedate = 23 December 2007}}</ref>

=== 輸送 ===
[[File:New terminal building at Canberra Airport cropped2.jpg|thumb|right|[[キャンベラ国際空港]]のターミナル]]
[[File:Canberra Railway Station.jpg|thumb|[[キャンベラ駅]]]]
キャンベラにおいては、[[自動車]]が最も支配的な交通手段である<ref name=road>{{cite web|url=http://www.aph.gov.au/house/committee/ncet/natcapauth/report/chapter9.pdf |title=Canberra's transport system|format=PDF |publisher=[[Parliament of Australia]] |accessdate=23 April 2010}}</ref>。キャンベラは幹線[[道路]]が複数の住宅地区及び未開発地域や森林を貫いている<ref>''The Penguin Australia Road Atlas'', pp. 23–25.</ref>。結果として、キャンベラの[[人口密度]]は低いものとなっており、このことが意味することは、仮に将来、キャンベラの未開発地域が開発に供与されることが必要となったとしても、他のオーストラリアの主要都市とは異なり、道路建設の際には、必ずしもトンネルを建設し、既に住宅となっている地域の収容をする必要がないということを意味する<ref>''The Penguin Australia Road Atlas'', pp. 23–25.</ref>

キャンベラの7つの地区は一般的に、2車線の入場が制限される「公園道路」で接続しており<ref name=road/><ref>{{cite web|url=http://www.tams.act.gov.au/move/roads/road_safety/speedandspeeding/act_road_hierarchy |title=ACT Road Hierarchy |publisher=Territory and Municipal Services |date=14 April 2008 |accessdate=23 April 2010}}</ref>、制限速度は、時速100キロメートルに設定されている<ref>{{cite web|url=http://www.chiefminister.act.gov.au/media.php?v=5787&s=29 |title= Survey shows speeding at disputed camera site |publisher=[[Australian Capital Territory Chief Minister's Department|Chief Minister's Department]]|date=17 July 2007 |accessdate=23 April 2010}}</ref><ref>{{cite web|url=http://www.afp.gov.au/act/road_traffic/speeding.html |title=Speeding |publisher=[[Australian Federal Police]] |date=20 May 2008 |accessdate=23 April 2010}} {{Dead link|date=March 2012|bot=H3llBot}}</ref>。一例として、キャンベラ中心地区とトゥゲラノング([[:en:Tuggeranong|en]])をむすぶ[[トゥゲラノング・パークウェイ]]([[:en:Tuggeranong Parkway|en]])は、ウェストン・クリークの迂回路になっている<ref>''UBD Canberra'', pp. 57, 67, 77.</ref>。多くの地区では、不連続の住宅地区のサバーブは、幹線道路によって境界が設けられている。これは、サバーブに居住する人々以外の車が近道目的で、サバーブに侵入するのを防ぐ目的がある<ref>''UBD Canberra'', pp. 1–100.</ref>。

オーストラリアの公共[[バス]]サービスである[[ACTION]]([[:en:ACTION|en]])は、キャンベラ全体の公共輸送を受け持つ<ref>{{cite web|url=http://www.action.act.gov.au/about_us.html |title=About Us |publisher=[[ACTION]] |date=18 July 2008 |accessdate=23 April 2010}}</ref>。Deane's Transit Groupは、キャンベラとキャンベラ近郊の[[ニューサウスウェールズ州]]南部の[[ムルムベイトマン]]([[:en:Murrumbateman|en]])と[[ヤス]]([[:en:Yass, New South Wales|en]])の間には、「Transborder Express」のブランドで<ref>{{cite web|url=http://www.transborder.com.au/aboutus.html |title=About Us |publisher=[[Transborder Express]] |accessdate=23 April 2010}}</ref>、[[ケアンビヤン]]([[:en: Queanbeyan|en]])の間には、 「Deane's Buslines」のブランドで<ref>{{cite web|url=http://www.deanesbuslines.com.au/aboutus.html |title=About Us|publisher=[[Deane's Buslines]] |date=4 February 2010 |accessdate=23 April 2010}}</ref>、[[バス]]を運行している。2006年の人口統計では、通勤者の7.7%がバスを利用している。一方で、7.4%の通勤者が徒歩か自転車を利用している<ref name="2006census">{{Census 2006 AUS|id=805|name=Canberra (Statistical Division)|accessdate=24 January 2009}}</ref>。
キャンベラには2つの[[タクシー]]会社があり、2007年に、Cabxpressが登場するまでは、Aerial Capital Groupがキャンベラのタクシー輸送を独占していた<ref>{{cite web|url=http://www.abc.net.au/news/stories/2007/02/03/1839551.htm |title=Taxi company 'not concerned' at losing monopoly |publisher=Australian Broadcasting Corporation |date=3 February 2007 |accessdate=23 April 2010}}</ref>。

[[シドニー]]とキャンベラの州間鉄道輸送を[[カントリーリンク]]が担っている<ref>{{cite web|url=http://www.countrylink.info/timetables |title=Timetables |publisher=[[CountryLink]] |accessdate=23 April 2010}}</ref>。[[キャンベラ駅]]([[:en:Canberra's railway station|en]])は、サウス・キャンベラ地区のサバーブである[[キングストン_(オーストラリア首都地域)|キングストン]]([[:en:Kingston, Australian Capital Territory|en]])にある<ref>{{cite web|url=http://www.countrylink.info/travel_passes/travelpass_agencies |title=Travel pass agencies |publisher=[[CountryLink]] |date=14 December 2009 |accessdate=23 April 2010}}</ref>。[[1920年]]から[[1922年]]の間、鉄道路線は、モロングロ川を渡り、さらに、北進しキャンベラの中心街まで延びていたが、モロングロ川の洪水のために、キャンベラ駅とキャンベラ市街をつなぐ鉄道路線は閉鎖され、再建されなかった。同時に、ヤスへの延伸計画も放棄された。1067ミリメートルの狭軌で、Yarralumla brickworksと国会議事堂の間にも軌道は建設され、市街地まで延伸したものの、こちらも、[[1927年]]には廃止となった<ref>{{Cite book |title=Canberra's Engineering Heritage |url=http://www.engineer.org.au/chapter02.html |chapter=Railways |author=Shellshear, Walter M. |accessdate=7 June 2010| publisher=Engineers Australia}}</ref>。キャンベラから[[メルボルン]]に鉄道で出るには、バスで1時間離れたヤスまで移動し、そこで、シドニーとメルボルンを結ぶカントリーリンクに乗り換える必要がある<ref>{{cite web|url=http://www.countrylink.info/timetables/network_map |title=Network map |publisher=[[CountryLink]] |accessdate=23 April 2010}}</ref><ref name=drive/>。

[[TGV]]のような[[高速鉄道]]で、シドニー、キャンベラ、メルボルンを高速鉄道で結ぶ計画はあるが、2012年現在では、まだ、建設されていない<ref>{{cite web|url=http://www.nytimes.com/2000/07/19/business/worldbusiness/19iht-ausrail.2.t.html|title=Sydney to Canberra in 80 Minutes–by High-Speed Train|work=New York Times|date= 19 July 2000 |accessdate=7 June 2010|author=Richardson, Michael}}</ref>。背景には、[[高速鉄道]]を建設したとしても、経済的に採算が取れる提案ができないためである<ref>{{cite web|url=http://eriksrailnews.com/archive/hst2.html|title=Oz HSR Received?|work=The Australian |date= 29 October 2002 |accessdate=7 June 2010}}</ref><ref>{{cite web|author=Somer, Belinda |url=http://www.abc.net.au/pm/stories/s312944.htm|title=Govt considers rail link between eastern cities|publisher=Australian Broadcasting Corporation|date=14 June 2001|accessdate=7 June 2010}}</ref>。キャンベラ市内に鉄道を建設する計画もあるが、そちらも達成されていない<ref name=act>{{cite journal |title=Railways in the Australian Capital Territory |author=MacDonald, B.T. |publisher=[[Australian Railway History|Australian Railway Historical Society Bulletin]] |month= May |year=1967 |pages=106–116}}</ref>。同様に、ジャービス・ベイと鉄道で結ぶ計画もあるが、こちらも未建設のままである<ref>Gibbney, pp. 58, 76.</ref>。

自動車での都市間移動では、シドニーとは[[連邦高速道路_(オーストラリア)|連邦高速道路23号線]]で連結しており、シドニー・キャンベラ間の所要時間は約3時間である<ref name=cov>''The Penguin Australian Road Atlas'', inside cover.</ref> 。また、連邦高速道路25号線を介して、8時間でメルボルンに到達することができる<ref name=cov/>。また、オーストラリアのスキー・シーズンの中心である[[スノーウィ山脈]]([[:en:Snowy Mountains|en]]や[[:en:Kosciuszko National Park|en]]には、23号線で2時間<ref name=drive>''The Penguin Australia Road Atlas'', p. 20.</ref>、ニューサウスウェールズ州南部の保養地であるベイトマンズ・ベイ([[:en:Batemans Bay|en]])もキングス・ハイウェイ([[:en:Kings Highway|en]])を経由して、約2時間である<ref name=drive/>。

[[キャンベラ国際空港]]は、[[キングスフォード・スミス国際空港]](シドニー)、[[メルボルン]]、[[ブリズベン]]、[[アデレード]]、[[パース_(西オーストラリア州)|パース]]との直行便がある<ref>{{cite web | url=http://www.canberraairport.com.au/air_flight_info/departures.cfm | title=Departures | publisher=[[Canberra International Airport]] | accessdate=13 May 2010 }}</ref>。また、ニューサウスウェールズ州のアルバリー([[:en:Albury|en]])と[[ニューカッスル]] との便も用意されている。しかし、国際便の定期便は、就航していない。2003年までは、軍民共用であったが、現在は、オーストラリア空軍がキャンベラ国際空港を利用していないため、完全民間空港である<ref>{{cite journal|title=Farewell to Fairbairn|work=Air Force|publisher=Royal Australian Air Force|volume=45|issue=12|last=Hogan|first=Richard|date=July 2003}}</ref>。

=== その他の公共インフラ ===
[[File:Telstra Tower 2009.jpg|right|thumb|upright|[[ブラック・マウンテン・タワー]]もまた、キャンベラの観光客をひきつける、キャンベラのランドマークである。]]
ACT政府保有のACTEW公社([[:en:ACTEW Corporation|en]])がキャンベラの上下水道を担っている<ref>{{cite web|url=http://www.actew.com.au/about/profile.aspx |title=Company Profile |publisher=[[ACTEW]] |accessdate=23 April 2010}}</ref><ref>{{cite web|url=http://www.actewagl.com.au/wastewater/default.aspx |title=Wastewater Networks |publisher=[[ActewAGL]] |accessdate=23 April 2010}}</ref>。[[ActewAGL]]([[:en:ActewAGL|en]])は、ACTEWと[[オーストラリアン・ガズ・ライト・カンパニー]]([[:en:Australian Gas Light Company|en]])の共同出資会社であるActewAGLがキャンベラに水道水、天然ガス、電気、そして、[[TransACT]]([[:en:TransACT|en]])の子会社の電線を経由して電話サービスを供給している<ref>{{cite web|url=http://www.actewagl.com.au/about/company/default.aspx |title=Our company |publisher=[[ActewAGL]] |accessdate=23 April 2010}}</ref>。

キャンベラは、コリン(Corin)、ベンドラ(Bendora)、 コッター川([[:en:Cotter River|en]])にあるコッターダムとケアンビヤン川にあるGoogong Damの計4つの貯水場を持つ。Googong Damは、ニューサウスウェールズ州にあるが、管理は、ACT政府によって行われている<ref>{{cite web|url=http://www.actewagl.com.au/water/catchment/default.aspx |title=Water Catchment |publisher=[[ActewAGL]] |accessdate=23 April 2010}}</ref>。ACTEWは、フィッシュウィックとモロングロ川の下流域の2ヶ所に下水処理場を持っている<ref>{{cite web|url=http://www.actewagl.com.au/wastewater/reuse/northcanberra.aspx |title=North Canberra Water Reuse Scheme (NCWRS) |publisher=[[ActewAGL]] |accessdate=23 April 2010}}</ref><ref>{{cite web|url=http://www.actewagl.com.au/wastewater/reuse/lowermolonglo.aspx |title=Lower Molonglo Water Quality Control Centre (LMWQCC) effluent reuse scheme |publisher=ActewAGL |accessdate=23 April 2010}}</ref>

キャンベラに供給される電力は、国家電力網を通じて、ホウルト([[:en:Holt|en]])やフィッシュウィックから供給される<ref>{{cite web|url=http://www.icrc.act.gov.au/__data/assets/pdf_file/0007/16792/issuespaperelecinfcontestabilityoctober03.pdf |title=Review of Contestable Electricity Infrastructure Workshop |page=13 |format=PDF |date= October 2003|accessdate=10 May 2010|author=Independent Competition and Regulatory Commission}}</ref>。再生可能エネルギーはキャンベラに水資源を供給するストロムロ山にある水力発電で発電され、ベルコンネンとムッガ・レーンには、メタンによる発電所が設置されている<ref>{{cite web|url=http://www.actewagl.com.au/about/hydro.aspx |title=[[ActewAGL]] |publisher=ActewAGL |accessdate=23 April 2010}}</ref><ref>{{cite web|url=http://www.actewagl.com.au/Education/energy/NonRenewableEnergy/NaturalGas/RenewableGasSources.aspx |title=Renewable Gas Sources |publisher=[[ActewAGL]] |date=11 June 2009 |accessdate=23 April 2010}}</ref>。キャンベラに最初の発電所が建設されたのは、モロングロ川近くで1913年のことである<ref>{{cite news|work=The Sydney Morning Herald |date=14 March 1913|page=5|title=The Founding of Canberra}}</ref>。ACTは、オーストラリアの中でも、もっとも、コンピュータの使用率とインターネットの利用率が高い<ref>{{cite web| date=11 August 2006| url = http://www.abs.gov.au/AUSSTATS/abs@.nsf/mediareleasesbyReleaseDate/49A64B934C728DCCCA2571C70004BE20?OpenDocument
| title = ACT has highest rate of eCensus returns | publisher=[[Australian Bureau of Statistics]] | accessdate =13 May 2010}}</ref>。


== 姉妹都市 ==
== 姉妹都市 ==
キャンベラは、2つの都市と[[姉妹都市]]となっている。
* {{Flagicon|USA}} [[アトランタ]]([[アメリカ合衆国]])
* {{Flagicon|JPN}} [[奈良市]]([[日本]])
*{{flagicon|CHN}} [[北京市]]
*{{flagicon|JPN}} [[奈良市]]


== 脚注 ==
== 脚注 ==
<references />
{{脚注ヘルプ}}

{{Reflist}}
== 参考文献 ==
* {{Cite book |title=Lake Burley Griffin, Canberra: Policy Plan |year=1988 |location=Canberra |publisher=National Capital Development Commission |isbn=0-642-13957-1}}
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* {{Cite book |title=Canberra 1954–1980 |first=Eric |last=Sparke |year=1988 |location=Canberra |publisher=Australian Government Publishing Service |isbn=0-644-08060-4}}
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== 外部リンク ==
== 外部リンク ==

2012年6月10日 (日) 06:55時点における版

キャンベラ
Canberra
左上から時計回りで、国会議事堂、オーストラリア戦争記念館、キャンベラ市街を貫く国会議事堂・ANZACパレード・オーストラリア戦争記念館、ブラック・マウンテン・タワー、オーストラリア国立図書館、オーストラリア国立大学
左上から時計回りで、国会議事堂オーストラリア戦争記念館、キャンベラ市街を貫く国会議事堂・ANZACパレード・オーストラリア戦争記念館、ブラック・マウンテン・タワーオーストラリア国立図書館オーストラリア国立大学
位置
キャンベラの位置の位置図
キャンベラの位置
座標 : 南緯35度18分27秒 東経149度07分27.9秒 / 南緯35.30750度 東経149.124417度 / -35.30750; 149.124417
歴史
設立日 1913年3月12日
行政
オーストラリアの旗 オーストラリア
  オーストラリア首都特別地域
 市 キャンベラ
地理
面積  
  市域 805.6 km2 (311.0 mi2)
人口
人口 2006年7月現在)
  市域 333,940人
    人口密度   414.5人/km2(1073.6人/mi2
その他
等時帯 オーストラリア東部標準時 (UTC+10)
夏時間 オーストラリア東部夏時間 (UTC+11)

キャンベラCanberra[[無効な指定です: 'icon']ˈkænb[無効な指定です: 'ᵊ']rə] or [ˈkænbɛrə])[1])は、オーストラリア首都。35万8000人の人口を擁し、オーストラリア国内では8番目、内陸の都市では最大の都市である。キャンベラは、オーストラリア首都特別地域(ACT)の中にあり、シドニーの南西280キロメートル、メルボルンの北東660キロメートルに位置している。キャンベラの住民のことを英語で、Canberranと呼ぶ[2]

キャンベラがオーストラリアの首都として選ばれたのは1908年のことであり、オーストラリアの2大都市であるシドニーとメルボルンの間の妥協の産物であった。他のオーストラリアの都市とは異なり、キャンベラは都市全体が計画都市として、設計されてきた。キャンベラの都市設計の国際的なコンテストが実施され、シカゴの建築家であるウォルター・バーリー・グリフィンマリオン・マホーニー・グリフィンの計画が1913年に採用された[3]。グリフィンの都市計画では、キャンベラの街は、円、六角形、三角形などの幾何学模様がモチーフとして採用されている。加えて、街の中心部は、ACTにおいてのランドマークとして重要な地形を形成している。

キャンベラの町のデザインは、田園都市の影響を大きく受けており、キャンベラの区域には、重要な自然の植生の地域を組み込んでいる。キャンベラの成長と発展は、2つの世界大戦と大恐慌(3つの機関が都市計画のために設立されたことから、都市計画をめぐる議論が長期化すると同時に非効率になった。このため、キャンベラの都市の発展が妨げられ、大きく遅れることとなった。 第二次世界大戦後、ロバート・メンジーズ首相がキャンベラの整備を指揮し、国立首都発展委員会(NCDC:en)が設立された。ACTは現在では、地方自治が展開されている一方で、オーストラリア連邦政府は、国家首都局(NCA:en)を通じて、キャンベラの都市開発に大きな影響力を保持している。

オーストラリアの首都機能を有するため、キャンベラには、国会議事堂、高等裁判所、さまざまな官庁がある。首都機能のみならず、キャンベラには、オーストラリア戦争記念館en)、オーストラリア国立大学オーストラリア国立スポーツ研究所オーストラリア国立美術館en)、オーストラリア国立博物館オーストラリア国立図書館といった多くの社会的、文化的な施設がある。オーストラリア陸軍の教育機関として、王立軍事大学があり、オーストラリア国防大学もキャンベラに存在する。

語源

キャンベラの語源で、人口に膾炙しているのは、先住民族の言葉であるNgunnawal語のKamberaが由来で、「人々が集う場所」と言う意味である[4]

一方、1860年代に、ケアンビヤンen)の新聞社のオーナーであったジョン・ゲールが報告した内容によると、anglicisationのindigenous nameである「hollow between a woman’s breasts」を意味する「nganbra」あるいは「nganbira」であるとしている。この報告では、アインズリー山en)とブラックマウンテンen)の間にある氾濫源のサリバンス川についても言及している[5]

歴史

ヨーロッパ人が移住する前の、キャンベラを含むオーストラリア首都特別地域(以下、ACT)は、先住民が季節に応じて、居住していたことが分かっている。文化人類学者のノーマン・ティンデールen)は、キャンベラを含む一帯は、ングンナワル人en)が居住していたと考えている。また、一方で、ンガリゴ人en)がACTの南に、ワンダンディアン人が東に、加えて、ガンダンガラ人()がACTの北に、ウィラジュリ人en)が北西に居住していた。この地域で発掘された遺跡から分かることは、少なくとも、21,000年前からこの地域に人々が住んでいたと考えられており[6]、当時の人々の遺跡では、ロック・シェルター、岩に描かれた壁画、埋葬場、キャンプ、石切り場が発見されており、石器の使用も確認されている[7]

1860年代に建設されたブルンデルズ・コテージen)は、キャンベラに残る、最初期のヨーロッパ系住民の住宅の数少ない建築物である[8]

キャンベラにヨーロッパ人が探検、居住し始めたのは、1820年代初頭のことである[9][10]。1820年から1824年の間にかけて4つの遠征隊が組織された[9][10]。その結果、1824年に最初の白人居住地が建設された。その場所は、現在のアクトン半島であり、ジョシュア・ジョン・ムーアによって雇われた人々が最初に、居住した[11]。ジョシュア・ジョン・ムーアは、1826年に、遠征隊の居住地を正式に買収し、その不動産を「Canberry」と名づけた[12]

19世紀を通して、キャンベラの成長は非常にゆっくりとしたものであった[13]。19世紀に建設された建築物で目立つものと言えば、キャンベル・ファミリーと言われる石造りの建築物で、ドゥントルーンen)にある王立軍事大学en)がまず挙げられる。 キャンベラに現存する最古の公共建築物は、ライド地区にある[14]聖公会系の洗礼者ヨハネ教会(the church of St John the Baptist)であり、1845年に建設された[15][16]。この境界にある墓地は、キャンベラ地方にある墓地の中でも最古のものである[17]

ヨーロッパ人の存在感が増すに連れて、先住民の人口は天然痘あるいは麻疹を原因として、減っていった[18]

首都決定

ニューサウスウェールズ州の片田舎に過ぎなかったキャンベラが、オーストラリアの首都に決定したのは、オーストラリア独立の際に、議論された。独立直前のことである[19][20]。当時のオーストラリアの二大都市は、ニューサウスウェールズ州の州都であるシドニーヴィクトリア州の州都であるメルボルンが、オーストラリア連邦の首都の座をめぐって[21]、長い間、議論した。お互いが、自らの都市を首都にしたい意向を持っていたためである。その結果、最低でもシドニーから100マイル離れている[19]場所に新しい首都を建設すべきという意見が持ち上がり、新首都建設の間、暫定的に、メルボルンが行政府の首都(capitalと言う言葉を用いることは無かった)とした[22]。新聞社ザ・ケアンビアン・エイジen)の創設者であるジョン・ゲール(en)は、'Dalgety or Canberra: Which?'というパンフレットを配布し、キャンベラが連邦政府の首都になるべきであることを主張した。1909年、政府の調査団を率いたチャールズ・スリヴェナーen)の調査結果が決定打となり、キャンベラが首都として選定される運びとなった[23]。ニューサウスウェールズ州政府は、連邦政府に、連邦首都地域という形で土地を割譲した[19]1911年5月24日 [24]、キャンベラの都市デザインの国際コンペが実施され、ウォルター・バーリー・グリフィンが提出した計画が採用された[25][26]1913年、グリフィンは連邦首都のデザインと建設のディレクターに任命され、建設が開始された[27]

建設開始

1927年に開場した国会議事堂

1913年3月12日 [28]、第5代オーストラリア総督トーマス・デンマン夫人であるデンメン夫人(en)によって、正式に、キャンベラと命名され、クラジョングの丘で[29]そのセレモニーが実施された。この丘は、そのセレモニー以来、キャピタル・ヒルと呼ばれるようになり、現在、国会議事堂が置かれている[30]。キャンベラの日は、キャンベラ創立を祝して、ACTで制定され、3月第2月曜日に実施される[18]

このセレモニーの後、官僚の議論がグリフィンの計画を妨げるようになった[31]。グリフィンと連邦政府の関係は緊張したものとなり、さらには、キャンベラ建設に拠出される資金も1920年にグリフィンが解雇されるまで、少ないものであった。グリフィンがした仕事は、ごくわずかであった[32][33]。とはいえ、グリフィンは、解雇のときまでに、最初の計画を改訂した。

1927年5月9日、キャンベラは、正式にオーストラリアの首都となり、国会議事堂(現在の旧国会議事堂(en))が開場した[34]スタンレー・ブルース首相[35]は、その数日前に、ザ・ロッジen)を首相公邸とした[36]。1930年代の大恐慌時代とそれに続く第二次世界大戦の時代の間、計画都市の拡張は遅々としたものであった[37]ローマ・カトリック聖公会のカテドラルを含めた建設が計画されたが、完成しなかった[38]

湖面は、バーリー・グリフィン湖。中央に建っているのは旧国会議事堂、右側の建物は、国立科学技術センター(通称:クエスタコン)

1920年から1957年の間は、グリフィンの計画を引き継いだのは、連邦首都助言委員会en[39]、連邦首都コミッション(en[40]国立首都計画発展委員会en)の3つの構成主体でった。しかしながら、彼らはあくまで助言機関に過ぎず[41]、キャンベラ建設の決定は、彼らに相談されること無くされたため、時を経るにつれて、非効率となってきた[42]

終戦直後、キャンベラは、「村」に似ていると酷評を受け[43][44]、さらには、ずさんに建てられた建築物は、醜いものであるという酷評を受けた[45]。キャンベラは、いくつかのサバーブが集まっているものであるものとして、嘲笑的に述べられていた[46]ロバート・メンジーズ首相[47]は国家の首都として恥ずかしいものとみなしていた。時間を越えて、メンジーズは、その後、態度を変えて、街の発展を擁護すようになった。メンジーズは、2人の大臣をキャンベラの発展が貧しいものであるとして解雇した。10年以上に及ぶメンジーズの時代で、キャンベラの発展が急速に行われるようになった[48][49]。キャンベラの人口は、1955年から1975年の間に、5年ごとに50%の人口成長を成し遂げた[49]。いくつかの政府機関と公務員は戦後にメルボルンからキャンベラに移動した[50]オーストラリア首都地域住宅公社en)が、キャンベラの人口成長に大きな貢献した[51]

1957年に、国立首都発展委員会(NCDC:en)が設立された後に、急速に発展した。NCDCは上述の3つの機関に代わって、設立された[52]。NCDCは40年に及ぶ人工湖バーリー・グリフィン湖の形とデザインをめぐる論争を終わらせ、4年間の建設で、この湖の建設を完成させた[53]。最終的には、キャンベラ中心街は、バーリー・グリフィン湖の上に、キャピタル・ヒル(現在、国会議事堂がある)、旧国会議事堂、オーストラリア戦争記念館の3ヶ所を結ぶいわゆる「パーラメンタリー・トライアングル」を建設するというグリフィンの計画通りとなった[54]。湖の建設の最初期に、湖岸にいくつかの重要な建築物が建設された[55]

オーストラリア国立大学の拡張が実施され[55]、また、さまざまな彫刻やモニュメントも作られた[56]。国立図書館は、オーストラリア高等裁判所とオーストラリア国立美術館によって構成されるパーラメンタリー・トライアングルの内側に建設された[14][57]。しばしば、北キャンベラと南キャンベラとも呼ばれるキャンベラ中心部のサバーブは、1950年代により発展した[58]。さらに、ウォーデン・ヴァレーen)やベルコンネンen)と呼ばれている地域もまた、それぞれ1960年代の半ば、あるいは後半に発展していった[59]。また、キャンベラ周辺に建設された新しいサバーブは、オーストラリアの政治家の名前にちなんでいる。例えば、 Barton、Deakin、Reid、Braddon、Curtin、Chifley、Parkesは、それぞれ、エドモンド・バートンアルフレッド・ディーキンジョージ・リードエドワード・ブラッドンen)、ジョン・カーティンベン・チーフリーen)、ヘンリー・パークスen)にちなんでいるものである[60]

旧国会議事堂に残るアボリジナルテント大使館
アボリナジルテント大使館は、放火によって、一部が破壊されている

1972年1月27日は、アボリジナルテント大使館が、国会議事堂の周辺に建設された日付ということで、キャンベラの歴史に記録されている。この大使館は、先住民の権利と土地問題に関心を集めるために、建てられたもので、テント大使館は、1992年まで、国会議事堂前を占拠した。1988年5月9日 [61]、新国会議事堂がオーストラリア建国200周年を記念して、キャピタル・ヒルに開場した[14][57]。国会機能は、この新国会議事堂に移転された[61]

1988年12月、オーストラリア連邦議会で可決されたことによって、ACTに完全な地方自治が与えられた。初めての選挙は、1989年3月4日に実施され[62]、17人の議員がコンスティチューション通り1番地[63]で、1989年3月11日に最初の議会が開かれた[64]。ロンドン・サーキットに建設されたキャンベラ市議会の落成は、1994年のことであった[64]オーストラリア労働党がキャンベラ市議会の最初の与党団を形成し[65]、そのキャンベラ市議会を指導したローズマリー・フォレット(en)は、オーストラリアの歴史の中で、最初の州政府の女性首長となった[66]

地理

キャンベラとバーリー・グリフィン湖を望むパノラマ

キャンベラの面積は814.2平方キロメートル[67]ブリンダベーラ山脈en)のそばにある。また、オーストラリア東海岸からは、150キロメートル内陸に位置する。海抜はおおよそ580メートルであり、標高が最も高いのは、マジューラ山en)の888メートル[68][69]、それ以外にも、テイラー山アインズリー山ブラック・マウンテンがキャンベラの回りにある[70]

キャンベラの周辺にある天然林のほとんどがユーカリである。このユーカリが、燃料やそれ以外の目的で利用されてきた。1960年代までに、キャンベラ周辺のユーカリの多くが伐採されたことと水質の悪化が懸念されるようになった。そのため、森林の開発が中止された。キャンベラの森林資源の保護への関心は1915年の複数の「種の保存をめぐる」訴訟で始まった。それ以来、キャンベラ周辺では、植生の地域を増やすことに取り組み、キャンベラの緑は、余暇の場として役割を果たすようになっている[71]

The location of Canberra within the オーストラリア首都地域の地図。黄色の部分がキャンベラの市街地で、緑の部分がキャンベラ周辺の自然保護地域。キャンベラは、ACTの一角を占めていることがわかる。

キャンベラの市街地は、Ginninderra plain, Molonglo plain, the Limestone plain, and theTuggeranong plain(Isabella's Plain)という4つの平原の上に展開している[72]。モロングロ川は、モロングロ平原をながれ、キャンベラの中心部でせき止められ、キャンベラの中心部にある人工湖バーリー・グリフィン湖を形成する。その後、キャンベラからACT北西部に流れていき、ニューサウスウェールズ州へ流れていく[73]

モロングロ川には、Jerrabomberra CreekやYarralumla Creeksといった小川が、流れ込む[72]ジニンデラ湖en)とタガーアノン湖en)からは、それぞれ、ジニンデラ川とタガーアノン川が流れ出る[74][75][76]。ごく最近まで、モロングロ川は、大きな洪水を繰り返してきた歴史を持つ。というのも、モロングロ川を流れる水は、バーリー・グリフィン湖を満たすよりも先に、周辺の流域を水没させていた[77][78]

気候

キャンベラは大陸内陸部に位置しているため、相対的に乾燥している。夏は暑く、冬は寒い[79]。キャンベラの夏は極端に乾燥し、暑さも厳しい一方で、キャンベラの冬は、空気も冷たく、濃い霧やしばしば、霜も降りる。キャンベラ市街地での降雪はまれではあるが、キャンベラ市街地からは、周辺の山の山頂が間接していることをしばしば見ることができる[79]。過去の最高気温は、1968年2月1日に記録した42.2度[79]で、一方、過去の最低気温は、1971年6月11日に記録したマイナス10度である[79]

キャンベラは、首都とオーストラリアの州都7都市の計8都市の中では、アデレードホバートについで、降雨が少ない[80]。しかしながら、季節に関係なく降水は観測される都市であり、特に晩春は激しい降雨がある[81]雨を伴う嵐は、10月から4月の間発生するが[79]、この雷雨は、夏の暑さとや山間部にある影響である。風に関してはそこまで強く吹くことは無く、冷気を伴う風は8月11月の間に吹く。キャンベラはまた、他の海岸部の都市よりも湿度が低い[79]

Canberra Airportの気候
1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
最高気温記録 °C°F 41.4
(106.5)
42.2
(108)
37.5
(99.5)
32.6
(90.7)
24.5
(76.1)
20.1
(68.2)
19.7
(67.5)
24.0
(75.2)
28.6
(83.5)
32.7
(90.9)
38.9
(102)
39.2
(102.6)
42.2
(108)
平均最高気温 °C°F 28.0
(82.4)
27.1
(80.8)
24.5
(76.1)
20.0
(68)
15.6
(60.1)
12.3
(54.1)
11.4
(52.5)
13.0
(55.4)
16.2
(61.2)
19.4
(66.9)
22.7
(72.9)
26.1
(79)
19.7
(67.5)
平均最低気温 °C°F 13.2
(55.8)
13.1
(55.6)
10.7
(51.3)
6.7
(44.1)
3.2
(37.8)
1.0
(33.8)
−0.1
(31.8)
1.0
(33.8)
3.3
(37.9)
6.1
(43)
8.8
(47.8)
11.4
(52.5)
6.5
(43.7)
最低気温記録 °C°F 1.8
(35.2)
3.0
(37.4)
−1.1
(30)
−3.7
(25.3)
−7.5
(18.5)
−8.5
(16.7)
−10.0
(14)
−8.5
(16.7)
−6.4
(20.5)
−3.3
(26.1)
−1.8
(28.8)
1.1
(34)
−10.0
(14)
降水量 mm (inch) 58.5
(2.303)
56.4
(2.22)
50.7
(1.996)
46.0
(1.811)
44.4
(1.748)
40.4
(1.591)
41.4
(1.63)
46.2
(1.819)
52.0
(2.047)
62.4
(2.457)
64.4
(2.535)
53.8
(2.118)
616.4
(24.268)
平均降水日数 7.3 6.7 6.9 7.3 8.4 9.8 10.5 11.1 10.2 10.4 9.8 7.8 106.2
平均月間日照時間 294.5 254.3 251.1 219 186 156 179.8 217 231 266.6 267 291.4 2,813.7
出典:[82]

都市構造

豪米戦争記念碑en
キャンベラ中心街とバーリー・グリフィン湖。この地図で、グリフィンが計画した「パーラメンタリー・トライアングル(議会の三角形)」を確認することができる。
タガーアノン渓谷
キャンベラの衛星写真

キャンベラは、計画都市として設計され、市の中心街の設計は、ウォルター・バーリー・グリフィンが行った[83]。バーリー・グリフィン湖に近い道路ほど、碁盤目状ではなく、「車輪とスポークの」形状を取っている[84]。グリフィンは、キャンベラ建築計画において、ふんだんに幾何学上のパターンを採用しており、その中には、六角形や八角形の形状も含まれている[84]。しかしながら、キャンベラも郊外に行くと、街作りが遅かったことから、幾何学上の街づくりもしていない[85]

バーリー・グリフィン湖は、キャンベラの地形状のランドマークとして、キャンベラの街を構成する要素に関連付けるために建設された[86][87]。バーリー・グリフィン湖は、キャンベラ中心部を東西に横たわり、キャンベラ・セントラルは、この湖によって、南北に分けられている。キャピタル・ヒルからコモンウェルス通りを北上して、湖を渡るとそばには、コモンウェルス公園があり、キャンベラの中心地へとつながる。そのキャンベラの中心地には、ロンドン・サーキットと呼ばれる六角形の環状道路があり、ロンドン・サーキットから南東にコンスティチューション通りを行くと、北東方向に伸びる大通りがANZACパレードである。ANZACパレードの突き当りには、オーストラリア戦争記念館がある[44]。この設計は、アインズリー山の展望台から、キャピタル・ヒルの方向を臨むと国会議事堂・ANZACパレード・オーストラリア戦争記念館が一直線で展望することができる設計となっている。

コンスティチューション通りをさらにまっすぐ南東方向に進むとキングス通りとの交点に、豪米戦争記念碑en)がある。南西方向にキングス通りを進み、バーリー・グリフィン湖を渡るとキャピタル・ヒルに戻ることができる。このコモンウェルス通り、コンスティチューション通り、キングス通りの3つの街路で囲まれた部分をパーラメンタリー・トライアングル(en)と呼び、グリフィンの計画の中心をなすものである[87][88]

キャンベラから南西方向に伸びる軸の終点が、キャンベラから52キロメートル離れた所にあり、ACTで標高が最も高いビンペリ・ピークen[87][70]である。

さらに、グリフィンは、アインズリー山、ブラック・マウンテン、レッド・ヒルに精神的な価値を置いていた。そのため、彼は、それぞれの山を花で飾ることを計画した。そして、彼の計画は、それぞれの頂を1つの花で彩ることにした。その花は、それぞれが精神的価値を代表した[89]。第一次世界大戦の間、建設と計画は父として進まず、結果的に、ビリー・ヒューズ首相によって、グリフィンが解雇されたことで、計画が実現することは無かった[32][33][90]

キャンベラの街は、7つの地区に分けられる。7つの地区とは、キャンベラ・セントラル、ウォーデン・ヴァレー、ベルコンネン、ウェストン・クリーク、タガーアノン、ガンガーリン、モロンゴ・ヴァレーである。これらの7つの地区の中心に、役場が設けられており、複数のサバーブを束ねているピラミッド型の構造をとる。[91]

  • キャンベラ・セントラルen)--25のサバーブで構成される地区。キャンベラの中心であり、1920年代から1930年代に、居住が開始された。1960年代に区域が拡張されている[92]
  • ウォーデン・ヴァレーen)--1964年より、供用された地区[59]で、12のサバーブで構成される地区。
  • ベルコンネンen)--1966年より供用された地区[59]で、25のサバーブで構成される地区ではあるが、1つのサバーブは、まだ、開発されていない。
  • ウェストン・クリークen)--1969年より供用された地区で、8つのサバーブで構成される[93]
  • タガーアノンen)--1974年より供用された地区[94]で、18のサバーブから構成される。
  • ガンダーリンen)--1990年代より供用された地区で、18のサバーブから構成されているが、6つのサバーブがまだ、未開発である。
  • モロンゴ・ヴァレーen—2010年に開発が開始された。13のサバーブの開発が予定されている。

キャンベラ・セントラル地区は、基本的に、ウォルター・バーリー・グリフィンの計画に基づいている[87][88]。1967年、NCDCは、「Y計画」という計画を決定した[95]。「Y計画」という計画は、タガーアノンが「Y」の文字の縦棒の一番下の部分、ベルコンネンとガンガーリンがそれぞれ、「Y」の文字の斜め棒の先端とすることで、それぞれの地区とキャンベラ中心部を高速道路で結ぶという計画で、Yの文字に似ている所から来ている[95]


前述のように、多くのキャンベラのサバーブは、オーストラリアの首相や有名なオーストラリア人、オーストラリアへ移住してきた人々、あるいは、アボリジニにちなんで名づけられている。キャンベラの街路名は、特定の主題にしたがっている。例えば、「Duffy」の街の通りは、オーストラリアのダムや貯水池、「Dunlop」の街の通りは、オーストラリアの発明や発明家・芸術家、「Page」の街の通りは、生物学者や博物学者の名前にちなんでいる。

大使館の多くは、 ヤラルムラen) 、ディーキンen)、オマリーen)といったサバーブにある[96]。キャンベラの工業地域は、フィッシュウィックen)、ミッチェルen)、ヒュームen)の各地区にある[97]

行政

オーストラリア首都特別地域議会と
Ethosの像 (Tom Bass, 1961)

キャンベラの外は、ACTでは、村の規模よりも大きい住居地区は無い。オーストラリア首都地域議会(en)は、市議会とACT全体の立法を兼ねている[98]。この議会は17人から構成され、それぞれ、人口の比率に応じて割り振られた3つの選挙区から選出されている[65]。3つの選挙区とは、モロングロ選挙区、ギニンデラ選挙区、ブリンダベーラ選挙区と名づけられており、それぞれの議席数は、7、5、5である[99]

キャンベラを主管するACTの首相は、ACT議会のメンバー(the Members of the Legislative Assembly: MLA)から選出され、首相が同一会派のメンバーから大臣を任命し、ACTの内閣が組閣される[98]2004年の選挙では、オーストラリア自由党が17議席中9議席を獲得することで第一党となり、ジョン・スタンホープen)がACT首相となったが、2008年の選挙で、自由党は、少数派に転落し、オーストラリア緑の党との連立政権を強いられた[65][100]

ACTの人口のほとんどがキャンベラに居住しているが、政治的傾向は、キャンベラ・ACTともに似通っている。ACTに下院の議席が割り当てられたのは1949年のことである[101][102]。ACT選出の議員は、ACTに直接影響を与える案件にのみ、投票することができる[102]。 1974年、ACTには、上院2議席が割り当てられた[101]。1996年には、第3の議席が割り当てられたが、これは、地域の人口バランスの変更のために、1998年に廃止された[18]。キャンベラ選出の議員は、ともに、常にある程度のリードをもって、労働党が議員を獲得している[18][103]。少なくとも、1990年以来、少なくとも、7%のリードを労働党は自由党に対して保ち続けている[65]。 オーストラリア上院の2議席は、労働党と自由党がそれぞれ1議席を分け合っている形となっている[104]

地方自治権を獲得したとはいえ、オーストラリア連邦政府は、ACT政府に大きな影響力を持ち続けている。行政の分野では、国家首都局en:NCA)が、キャンベラの都市計画を首都としての重要性あるいはグリフィンの計画を遂行させるために、責任を持っているという考えから、頻繁に行動をとっている[105]。グリフィンの計画には、パーラメンタリー・トライアングル、バーリー・グリフィン湖、道路計画、連邦政府の所有地、あるいは未開発の山や尾根といったものも含まれる[105][106][107]。連邦政府は、1988年に制定されたオーストラリア州地域地方自治法(en)を整備したことで、ACT議会をある程度、コントロールしている[108]。連邦政府の行動は、ACT議会の立法権を定義している[109]

オーストラリア連邦警察(en :AFP)は、州警察と似たような警察力をACT管内で行使しているが、警察権の行使は、ACT政府との契約に基づく[110]。そのため、AFPは、オーストラリア州地域警察として、地域の保安の役割を担っている (Australian Capital Territory Police).[111]

犯罪ないしはその他の被告人は、、 オーストラリア州地域地方裁判所en)あるいは、重大犯罪は、 オーストラリア最高裁判所en)において、裁判が行われる[112][113]。被告人の拘留は、ベルコンネン・リマンド・センター(en)で行われるが、有罪が確定した場合には、ニューサウスウェールズ州内の刑務所に収監される[114]。2008年9月、ジョン・スタンホープACT首相の手によって、新しい刑務所であるアレクサンダー・マッコーニー・センターen)が開所した。建設費用は、1.3億オーストラリアドルである[115]。また、民事裁判や家庭裁判は、Small Claims Tribunalや家庭裁判所で審理される[116][117]


経済

多くのキャンベラの住民が官公庁で勤めている。写真は、オーストラリア財務省。

2010年のキャンベラの失業率は、3.9パーセントで、オーストラリア全体の失業率が5.3パーセントであったことから[118]、他の地域よりも相対的に低い[119]。失業率の低さと公共部門・商業部門の雇用に支えられ、キャンベラは、オーストラリアの中でも、1人当たりの所得が高い[120]2009年11月の統計では、オーストラリア全体の平均1人当たり所得が週給1223.30オーストラリアドルであったのに対し、キャンベラのそれは、1392オーストラリアドルに達する[121]

2009年の経済統計に基づくと、キャンベラの中位家計所得は511,820オーストラリアドルである。この数字は、キャンベラと10万人以上のオーストラリアの都市の家計所得と比較した場合、シドニーのみがキャンベラよりも豊かである。2005年以降は、メルボルンパースの金額を上回っている[122][123]。労働分配という視点で、週給をものさしとした場合、キャンベラの住民の平均週給は、他の州・準州と比較しても高い[124]。2009年3月の統計では、 キャンベラの住民の平均週給は420ドルで[125]、オーストラリア全体の中で、第3位である[126]

キャンベラの主要産業は、官公庁セクターと防衛産業である。2008-09年度の地域総生産は、これらの産業は31%に達し、キャンベラの労働力の40%以上の雇用を生み出している[121][127]オーストラリア国防軍のいくつかの施設は、キャンベラ近郊にある。その中でも著名なものは、オーストラリア国防軍総司令部とHMAS Harmanと呼ばれるオーストラリア海軍の施設である[128]キャンベラ国際空港の隣接地にはかつて、オーストラリア空軍の施設があったが、その施設は現在、空港のオペレーターに売却されている[129]。しかしながら、旧オーストラリア空軍基地は、現在もVIPのフライトとして使用されている[130][131]

政府機関の顧客に投資をするために、ソフトウェアの会社のいくつかの会社がキャンベラに本社を置いている。代表的な会社は、タワー・ソフトウェアen)とルールバーストen)の二社である[132][133]。官民合弁のコンソーシアムは現在、キャンベラをアジア太平洋地域のデータ・ハブセンターとすることを狙い、10億ドルの出資計画を策定している[134]

人口統計

2006年時点で、キャンベラの人口は、323,056人である。2006年の人口統計では、キャンベラの人口の1.2%が先住民系、21.7%が海外系である。キャンベラにおける最大の人口グループは、イギリスあるいはニュージーランドを出身とする英語話者のグループである。 キャンベラにおける移民で、重要な意義を持つ民族集団は、中国インドヴェトナム出身者である。直近の移民の多くは、東アジア東南アジアを出自としている。キャンベラで話される言語は、当然のことながら英語 (81.1%)であるが、それ以外の第二言語も話されている。その言語とは、マンダリン(中国語)、イタリア語ヴェトナム語カタルーニャ語ギリシャ語である。これら5つの言語は、合計で人口の4.8%ではなされている。

キャンベラの住民は、相対的に年齢が若い。平均年齢は34歳であり、人口の9.8%が65歳である。また、人口流動がオーストラリアで大きい都市である。1996年から2001年の間にかけて、キャンベラの人口の61.9%がキャンベラから転出あるいは転入している。この流動性は、オーストラリアの州都8都市の中で2番目に高い。2004年の時点で、ACT内15歳から64歳の年齢層の30%が学士号を取得している。この数字は、オーストラリア全体の19%という数字と比較しても高い。

約60%のキャンベラの住民が自らをキリスト教徒と考えており、カトリックあるいは聖公会である。6%がキリスト教以外の宗教を信仰し、23%は無宗教である。

2002年時点でのキャンベラで発生した犯罪の多くが、住居不法侵入と自動車の盗難で、それぞれ、10万人あたりの発生件数は、1961件と630件である。殺人に関連する犯罪は、10万人当たり、1.5件であり、オーストラリア全体の4.9件と比較しても小さい。暴行事件や性的暴行事件もまた、オーストラリア平均よりも低い数字である。

教育

キャンベラには、2つの総合大学がある。アクトンにあるオーストラリア国立大学(ANU)とブルースにあるキャンベラ大学(UC)である。それぞれ、10,500人と8,000人の学生を抱える[135][136]1946年に設立された[137]オーストラリア国立大学は、常に、研究活動に焦点をおき、オーストラリア最高位の順位の大学として、The Times Higher Education Supplementのランキングにランクされている[136][138]。また、キャンベラには、2つの宗教系大学がある。1つがキャンベラ北部のサバーブ・ワトソンにあるSignadouでオーストラリアカトリック大学の校舎であり[139]チャールズ・スタート大学のキャンパスとして、St Mark's Theological Collegeがある[140]。 キャンベラ北部のサバーブ・キャンベルには、オーストラリア国防大学(ADFA)と王立軍事大学en)がある[141][142]。ADFAでは、軍事大学及び軍事大学院を保有し、ニューサウスウェールズ州立大学のキャンバスでもある[143][144]。ドゥントルーンには、オーストラリア陸軍の士官学校部門もある[145]。キャンベラ工科大学の複数のキャンパスでは、大学レベル職業訓練が施されている[146]

2004年2月の段階で、キャンベラには140の学校があった。96校は公立で44校は私立校である。2006年中に、ACT政府は、39校を効率化のために閉鎖すると発表した[147]。その結果、2006年から2008年にかけて、複数の学校が閉鎖、統合された。このACT政府の学校政策に関しては、重要な反対が起きた。 多くのサバーブが小学校を持つように設計されている。学校の多くは、レクレーションやスポーツ活動が簡単に利用できるような公共空間の近くに設けられている[148][149][150] Most suburbs are planned to include a primary and a nearby preschool; these are usually located near open areas where recreational and sporting activities are easily available.[151]

文化

芸術・娯楽

2001年に設立されたオーストラリア国立博物館

キャンベラには、オーストラリア戦争記念館オーストラリア国立美術館オーストラリア国立肖像美術館en)、オーストラリア国立図書館[152]オーストラリア国立アーカイブen[153]オーストラリア国立映像音響アーカイブ [154]オーストラリア科学院en[155]オーストラリア国立博物館のように、多くの国立のモニュメントや施設がある[152]。キャンベラにある連邦政府の施設である国会議事堂オーストラリア高等裁判所王立オーストラリア造幣局は、一般公開されている[156][157][158]。 バーリー・グリフィン湖の湖畔には、キャプテン・ジェームズ・クック・メモリアルen)とナショナル・キャリロンen)がある[152]。他のキャンベラの主要施設には、ブラック・マウンテン・タワーen)、オーストラリア王立ボタニック・ガーデンen)、国立動物園水族館en)、国立恐竜博物館en)、国立科学技術センターがある[152][159]

キャンベラ市街地にあるキャンベラ博物館美術館en)は、キャンベラ地域の歴史と芸術を収納する役割を果たしている[160]。複数の歴史的な住居が一般公開されている。タガーアノンen)にあるLanyon and Tuggeranong Homesteads[161][162]シモンストンen)にあるMugga-Mugga[163]パークスen)にあるブランデルズ・コテージは、キャンベラ入植初期の白人の生活スタイルを展示している[8]レッド・ヒルen)にあるCalthorpes' Houseは小さいながらも、1920年代のキャンベラの住宅をよく保存している[164]

キャンベラは、多くの音楽や演劇が公演されている場所でもある。例えば、キャンベラ劇場en)では、多くの主要なコンサートが開催されている。オーストラリア国立大学音楽学校en)内にあるLlewellyn Hallも世界級のコンサートが開催される[165]。The Street Theatreでは、主流の音楽以外を提供している場所である[165]アルバート・ホールen)は、キャンベラで最初に開場した劇場であり、1928年に開場した。ここでは、Canberra Repertory Societyのような劇団がオリジナルの演劇を行う場所である[166]

キャンベラ大学で開催されるストーンフェストenは、2日間にまたがって開催される音楽祭である[167]。また、特に、ディクソン、キングストン、キャンベラの中心街には、たくさんのバーやナイトクラブがあり、この地域でも多くのエンターテイメントが提供されている[168]。多くの町の中心部には、劇場、映画館、図書館といった施設が整備されている[169]。ナショナル・フォーク・フェスティバル(en)、ロイヤル・キャンベラ・ショー(en)、サマーナッツ(en)といった人気のあるイベントは2月に実施され、「Celebrate Canberra festival」は、3月、キャンベラの日を祝うために、10日以上にわたって開催される[167]

キャンベラ・奈良公園

キャンベラは、奈良市北京市姉妹都市関係、東ティモールディリ杭州市とは友好関係を締結している[170]。都市同士の結びつきが、相互に、幅広い分野で、文化交流を行っている。キャンベラとならの姉妹都市関係を祝して、「Canberra Nara Candle Festival」が毎春開催される[171]。Tこの祭りは、バーリー・グリフィン湖畔のキャンベラ・奈良公園で開催される[172][173]


スポーツ

キャンベラ・スタジアムのラグビー・リーグの試合

キャンベラには、複数のスポーツリーグのチームがある。キャンベラでもっとも有名なスポーツチームは、ラグビー・リーグキャンベラ・ライダーズen)とラグビー・ユニオンブランビーズen)である。この両チームは、それぞれのリーグで優勝経験があり[174][175]、ともに、キャンベラ・スタジアムを本拠地としている。キャンベラ・スタジアムは、キャンベラ最大の競技場であり[176]2000年シドニーオリンピックでのサッカー競技、2003年のラグビー・ワールドカップが開催された[177][178]。キャンベラにはまた、キャンベラ・キャピタルスen)というリーグ戦で11回中7回優勝し、最も成功している女子バスケットボールチームがある[179]。また、女子サッカーチームのキャンベラ・ユナイテッドFCen)が、キャンベラを本拠地としており、2011-12シーズンを優勝した[180]

クリケットとオージーフットボールが開催されるマヌカ・オーヴァル

キャンベラには、またネットボールホッケーアイスホッケークリケット野球の国内リーグのチームがある。マヌカ・オーヴァルen)は、クリケットとオージーフットボールの試合を行うことができる、キャンベラのもう1つの競技場である。ここでは、メルボルンを本拠地とするオーストラリアン・フットボール・リーグのチームであるカンガルーズの愛称を持つノースメルボルンFCen)が2006年7月に試合を主催したことがある競技場である[181]。カンガルーズがキャンベラから本拠地をクイーンズランド州カラーラen)に移動すると、メルボルンFCen)と同じくメルボルンを本拠とするウェスタン・ブルドッグスen)が、シドニー・スワンズ(en)と試合をする際には、マヌカ・オーヴァルで開催するようになった[182]。 キャンベラはまた、ジュニアのオージーフットボールの国際大会であるバラシ国際オーストラリアン・フットボール・ユース・トーナメント(en)の開催地でもある[183]。さらに、オーストラリアの歴史的なクリケットの試合であるプライム・ミニスターズ・イレブン(en)も毎年、 マヌカ・オーヴァルで開催される[184]

毎年、キャンベラで開催されるほかの重要なスポーツイベントは、キャンベラ・マラソンen)、キャンベラ・ハーフマラソン、キャンベラ・トライアスロンである。2006年まで、キャンベラは、テニス全豪オープン開催前に、キャンベラ国際トーナメントen)が実施されていた[185]

オーストラリア国立スポーツ研究所 (AIS)は、ブルースen)にある[186]。AISではジュニア層のエリートをコーチする施設である。1981年以来、AISは、さまざまな成功を国際的にも国内的にも、エリートのアスリートを育成することで収めてきた[186]2000年シドニーオリンピックのオーストラリア選手団とそのメダリストの多くは、AISを卒業している[187]。 キャンベラには、複数のスポーツ競技場、ゴルフコース、スケート場、テニスコート、プールがあるが、これらは、一般に公開している。キャンベラ一帯に整備されている自転車道は、サイクリストがレクレーションやスポーツ活動をできるように作られた道路である。キャンベラの周辺にある国立公園には、多くの遊歩道や乗馬用、マウンテンバイク用の道路を整備している。セイリング、ボートやドラゴンボート、水上スキーといった水上スポーツは、キャンベラの湖で行われている[188][189]。キャンベラでは毎年、ラリー競技も開催されており、現在では、ドラッグレースの施設の建設を計画中である[190][191]

インフラストラクチャー

医療

キャンベラ病院

キャンベラには、2つの大きな公共病院がある。1つが、おおよそ600床を持つキャンベラ病院en)で、もう1つが、174床を持つカルヴァリー公立病院en)である。両機関とも、教育機関も兼ねている[192][193][194][195]。キャンベラ最大の私立病院は、ディーキンにあるカルヴァリー・ジョン・ジェームズ病院(Calvary John James Hospital)である[196][197]。ブルースにあるカルヴァリー私立病院(Calvary Private Hospital)とガーランにあるヘルスコープス首都私立病院(Healthscope's National Capital Private Hospital)もまた、医療分野での教育機関である[192][194]

王立キャンベラ病院は、かつて、バーレー・グリフィン湖畔のアクトン半島にあったが、1991年に閉鎖、1997年に廃止された。廃止の際には、爆破され(en)、跡地には、オーストラリア王立美術館が建設された[55][88][152][198] The city has 10 aged care facilities. Canberra's hospitals receive emergency cases from throughout southern New South Wales,[199]。キャンベラの病院は、ニューサウスウェールズ州南部の救急医療を請け負っており、オーストラリア首都地域救急サービスenは、オーストラリア首都地域緊急サービス局en)に属する4つの機関の1つである[200]新生児救急輸送サービスen:NETS)は、ACTのみならず、ニューサウスウェールズ州南部の新生児の救急サービスを請け負っている[201]

輸送

キャンベラ国際空港のターミナル
キャンベラ駅

キャンベラにおいては、自動車が最も支配的な交通手段である[202]。キャンベラは幹線道路が複数の住宅地区及び未開発地域や森林を貫いている[203]。結果として、キャンベラの人口密度は低いものとなっており、このことが意味することは、仮に将来、キャンベラの未開発地域が開発に供与されることが必要となったとしても、他のオーストラリアの主要都市とは異なり、道路建設の際には、必ずしもトンネルを建設し、既に住宅となっている地域の収容をする必要がないということを意味する[204]

キャンベラの7つの地区は一般的に、2車線の入場が制限される「公園道路」で接続しており[202][205]、制限速度は、時速100キロメートルに設定されている[206][207]。一例として、キャンベラ中心地区とトゥゲラノング(en)をむすぶトゥゲラノング・パークウェイen)は、ウェストン・クリークの迂回路になっている[208]。多くの地区では、不連続の住宅地区のサバーブは、幹線道路によって境界が設けられている。これは、サバーブに居住する人々以外の車が近道目的で、サバーブに侵入するのを防ぐ目的がある[209]

オーストラリアの公共バスサービスであるACTIONen)は、キャンベラ全体の公共輸送を受け持つ[210]。Deane's Transit Groupは、キャンベラとキャンベラ近郊のニューサウスウェールズ州南部のムルムベイトマンen)とヤスen)の間には、「Transborder Express」のブランドで[211]ケアンビヤンen)の間には、 「Deane's Buslines」のブランドで[212]バスを運行している。2006年の人口統計では、通勤者の7.7%がバスを利用している。一方で、7.4%の通勤者が徒歩か自転車を利用している[213]。 キャンベラには2つのタクシー会社があり、2007年に、Cabxpressが登場するまでは、Aerial Capital Groupがキャンベラのタクシー輸送を独占していた[214]

シドニーとキャンベラの州間鉄道輸送をカントリーリンクが担っている[215]キャンベラ駅en)は、サウス・キャンベラ地区のサバーブであるキングストンen)にある[216]1920年から1922年の間、鉄道路線は、モロングロ川を渡り、さらに、北進しキャンベラの中心街まで延びていたが、モロングロ川の洪水のために、キャンベラ駅とキャンベラ市街をつなぐ鉄道路線は閉鎖され、再建されなかった。同時に、ヤスへの延伸計画も放棄された。1067ミリメートルの狭軌で、Yarralumla brickworksと国会議事堂の間にも軌道は建設され、市街地まで延伸したものの、こちらも、1927年には廃止となった[217]。キャンベラからメルボルンに鉄道で出るには、バスで1時間離れたヤスまで移動し、そこで、シドニーとメルボルンを結ぶカントリーリンクに乗り換える必要がある[218][219]

TGVのような高速鉄道で、シドニー、キャンベラ、メルボルンを高速鉄道で結ぶ計画はあるが、2012年現在では、まだ、建設されていない[220]。背景には、高速鉄道を建設したとしても、経済的に採算が取れる提案ができないためである[221][222]。キャンベラ市内に鉄道を建設する計画もあるが、そちらも達成されていない[42]。同様に、ジャービス・ベイと鉄道で結ぶ計画もあるが、こちらも未建設のままである[223]

自動車での都市間移動では、シドニーとは連邦高速道路23号線で連結しており、シドニー・キャンベラ間の所要時間は約3時間である[224] 。また、連邦高速道路25号線を介して、8時間でメルボルンに到達することができる[224]。また、オーストラリアのスキー・シーズンの中心であるスノーウィ山脈enenには、23号線で2時間[219]、ニューサウスウェールズ州南部の保養地であるベイトマンズ・ベイ(en)もキングス・ハイウェイ(en)を経由して、約2時間である[219]

キャンベラ国際空港は、キングスフォード・スミス国際空港(シドニー)、メルボルンブリズベンアデレードパースとの直行便がある[225]。また、ニューサウスウェールズ州のアルバリー(en)とニューカッスル との便も用意されている。しかし、国際便の定期便は、就航していない。2003年までは、軍民共用であったが、現在は、オーストラリア空軍がキャンベラ国際空港を利用していないため、完全民間空港である[226]

その他の公共インフラ

ブラック・マウンテン・タワーもまた、キャンベラの観光客をひきつける、キャンベラのランドマークである。

ACT政府保有のACTEW公社(en)がキャンベラの上下水道を担っている[227][228]ActewAGLen)は、ACTEWとオーストラリアン・ガズ・ライト・カンパニーen)の共同出資会社であるActewAGLがキャンベラに水道水、天然ガス、電気、そして、TransACTen)の子会社の電線を経由して電話サービスを供給している[229]

キャンベラは、コリン(Corin)、ベンドラ(Bendora)、 コッター川(en)にあるコッターダムとケアンビヤン川にあるGoogong Damの計4つの貯水場を持つ。Googong Damは、ニューサウスウェールズ州にあるが、管理は、ACT政府によって行われている[230]。ACTEWは、フィッシュウィックとモロングロ川の下流域の2ヶ所に下水処理場を持っている[231][232]

キャンベラに供給される電力は、国家電力網を通じて、ホウルト(en)やフィッシュウィックから供給される[233]。再生可能エネルギーはキャンベラに水資源を供給するストロムロ山にある水力発電で発電され、ベルコンネンとムッガ・レーンには、メタンによる発電所が設置されている[234][235]。キャンベラに最初の発電所が建設されたのは、モロングロ川近くで1913年のことである[236]。ACTは、オーストラリアの中でも、もっとも、コンピュータの使用率とインターネットの利用率が高い[237]

姉妹都市

キャンベラは、2つの都市と姉妹都市となっている。

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参考文献

外部リンク

公式

日本政府

観光

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