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「リュブリャナ」の版間の差分

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{{世界の市
{{スロベニアの市|nativename=リュブリャナ
|正式名称 =リュブリャナ
|coat=[[ファイル:Blason ville si Ljubljana (Slovénie).svg|80px]]
|公用語名称 =Ljubljana
|image=[[ファイル:Lubpanorama.jpg|300px]]
|愛称 =
|location=[[ファイル:Karte Ljubljana si.png|300px|Ljubljana v Sloveniji]]
|標語 =
|area=275,0
|画像 =Lubpanorama.jpg
|mayor=ゾラン・ヤンコヴィッチ<br />Zoran Jankovič
|画像サイズ指定 =300px
|population=265,881
|画像の見出し =リュブリャナ旧市街俯瞰
|males=126,237
|市旗 =Flag of Ljubljana.svg
|females=139.644
|市章 =Blason ville si Ljubljana (Slovénie).svg
|avg_age=40,37
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|位置図サイズ指定 =
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|位置図の見出し =
|families=74,900
|緯度度=46 |緯度分=03 |緯度秒=20 |N(北緯)及びS(南緯)=N
|workers=130,122
|経度度=14 |経度分=30 |経度秒=30 |E(東経)及びW(西経)=E
|unemployed=14.243
|成立区分 =
|salary_date=[[2003年]]8月
|成立日 =
|avg_salary_bruto=310,000
|下位区分名 ={{SVN}}
|avg_salary_neto=187.389
|下位区分種類1 =
|students=13,256
|下位区分名1 =[[クラニスカ地方]]
|下位区分種類2 =
|下位区分名2 =[[中央スロベニア地域]]
|規模 =市
|最高行政執行者称号 =市長
|最高行政執行者名 =Aleš Čerin (Zoran Janković List)
|総面積(平方キロ) =275
|標高(メートル) =298
|人口の時点 =2011年
|人口に関する備考 =
|総人口 =272,220
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|都市圏人口 =
|都市圏人口密度(平方キロ)=
|等時帯 =[[中央ヨーロッパ時間]]
|協定世界時との時差 =+1
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|夏時間の協定世界時との時差=+2
|郵便番号の区分 = 郵便番号
|郵便番号 =1000
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|公式ウェブサイト =[http://www.ljubljana.si/ www.ljubljana.si]
|備考 =
}}
}}
'''リュブリャナ'''([[スロベニア語]]、[[英語]] ''Ljubljana'', [[ドイツ語]] ''Laibach'', [[イタリア語]] ''Lubiana'', [[ラテン語]] ''Aemona'')<ref>[http://www.osservatoriolibri.com/luoghi.html Osservatorio libri]</ref>は、[[スロベニア]]共和国の[[首都]]。11の特別市の1つにもなっている。東欧有数の[[世界都市]]。スロベニア国土の中央で、[[アルプス山脈]]と[[地中海]]の中間に位置し、[[サヴァ川]]へとつながる[[リュブリャニツァ川]]の河口にある。北緯46度3分、東経14度30分。日本の[[地図]]でも[[第一次世界大戦]]以前の古い地図ではスロベニア語読みのリュブリャナではなくドイツ語読みのライバッハで表示しているものもある。


'''リュブリャナ'''({{lang-sl|Ljubljana}}、{{lang-de|Laibach}}、{{lang-it|Lubiana}}、{{lang-la|Labacum,Aemona}})<ref>{{cite web|author=Libri Antichi Libri Rari |url=http://www.osservatoriolibri.com/luoghi.html |title=Città di stampa dei LIBRI ANTICHI dei LIBRI VECCHI dei LIBRI RARI |publisher=Osservatoriolibri.com |date=|accessdate=2011-12-10}}</ref>は[[スロベニア]]の都市およびそれを中心とした[[オプシュティナ|基礎自治体]]でスロベニアの首都である。同国では国際関係では唯一の中心地である。<ref name="Portrait2010">{{cite book |url=http://www.stat.si/doc/pub/PortretSlovenijaEU2010.pdf |title=Statistični portret Slovenije v EU 2010 |language=Slovene, English |trans_title=Statistical Portrait of Slovenia in the EU 2010 |publisher=Statistical Office of the Republic of Slovenia |first=Vojka |last=Vuk Dirnberk |coauthors=Tomaž Valantič |ISSN=1854-5734 |accessdate=2 February 2011}}</ref><ref name="GV52-2">{{Cite news|url=http://www.geodetski-vestnik.com/52/2/gv52-2_290-312.pdf |title=Small and Medium-Size Towns as the Basis of Polycentric Urban Development |authors=Zavodnik Lamovšek, Alma. Drobne, Samo. Žaucer, Tadej |journal=Geodetski vestnik |publisher=Association of Surveyors of Slovenia |ISSN=0351-0271 |year=2008 |volume=52 |issue=2 |page=303}}</ref> リュブリャナはスロベニア中央部のリュブリャナ低地に位置し、[[リュブリャナ市基礎自治体]]({{lang-sl|Mestna občina Ljubljana,MOL}})の中心である。人口は272,000人で首都として特別市としての地位が与えられている。<ref name="GV52-2" />地理的に交差路であることから、[[スラヴ]]世界と共に[[ゲルマン]]や[[ラテン]]文化など様々な要素が歴史を通じて影響を与えている。数世紀来、リュブリャナは歴史的な地域である[[クラニスカ地方]]の首都で<ref>{{cite web |last=Mehle Mihovec |first=Barbka |title=Kje so naše meje? |url=http://www.gorenjskiglas.si/novice/priloga_moja_gorenjska/index.php?action=clanek&id=18737 |date=19 March 2008 |work=Gorenjski glas |publisher=Gorenjski glas |language=Slovene |trans_title=Where are our borders? |accessdate=7 August 2009}}</ref>、スロベニアが[[1991年]]に独立して以来、文化、教育、経済、政治、行政の中心となっている。交通の利便性や産業の集中、科学機関や調査研究機関の立地などはリュブリャナの首都としての主要なポジションに貢献している。
海抜298m。気温変化は、1月の3.4&nbsp;°Cから7月の21.9&nbsp;°Cの間である。平均年間雨量は1350mm。


== 都市名とシンボル ==
== 歴史 ==
[[ファイル:Ljubljana dragon.JPG|thumb|250px|left|'''竜([[ズマイ]])'''はリュブリャナのシンボル]]
[[ファイル:Ljubljana dragon.JPG|thumb|250px|left|'''竜([[ズマイ]])'''はリュブリャナのシンボル]]
もともとの町の名前は分かっていない。もっとも有力だと思われているものには市内を流れる[[リュブリャニツァ川]]にちなみ名付けられたというものである。言語学者のシルヴォ・トルカル(Silvo Torkar)が支持するものにはリュブリャニツァ(Ljubljanica)の古い[[スラヴ語]]の名称であるリュボヴィド( Ljubovid)から来ていると言うものである。<ref>{{cite journal |url=http://www.ljubljana.si/file/32485/ljubljana_l13_st_08-09_2008.pdf |title=O nastanku in pomenu krajevnega imena Ljubljana in njegove nemške oblike Laibach |language=Slovene |trans_title=On the Origin and the Meaning of the Place Name Ljubljana and its German form Laibach |publisher=Ljubljana City Municipality |date= September 2008|issue=8, 9 |year=XIII |ISSN=1318-797X |journal=Glasilo Mestne občine Ljubljana}}</ref> ロベルト・ヴルチョン(Robert Vrčon)はリュブリャニツァはラテン語のアッルヴィアーナ(alluviana)から転じたとし、それ自体はエルヴィオ(eluvio)から来ており洪水や氾濫を意味する語である。<ref name="Promin.si">{{cite web |url=http://www.promin.si/zgodovina/slovencev/lublana.htm |title=O izvoru ali etimologija imena Lublana (Ljubljana) |language=Slovene |trans_title=On the Origin or the Etymology of the Name Lublana (Ljubljana) |publisher=Promin.si|accessdate=不明}}</ref>
紀元15年に[[ローマ帝国]]の街[[エモナ]](Emona)が設立された。エモナは約500年間発展したが、[[フン族]]に破壊された。6世紀ごろに[[スラブ民族]]の[[スロベニア人]]がスロベニアに定着して、1144年に[[リュブリャナ城]]が初めて言及される。そして現在使われている地名で記述されたのは、1144年(ドイツ語:Laibach)と1146年(Luwigana)が最初だった。


中世、町と川両方の名称はライバッハと名付けられていた。ライバッハは古いドイツ語で「流れない水は洪水を起こす」を意味し1918年まで公式に使われていた。<ref>{{cite web|author=Avtor: visitljubljana.si |url=http://www.visitljubljana.si/si/novinarji/novinarji/gradiva-o-ljubljani/o-ljubljani/ |title=O Ljubljani - Novinarji - Visit Ljubljana |publisher=Visitljubljana.si |date=|accessdate=2010-01-25}}</ref>共通する[[民間語源]]では伝統的にスロベニア語で「最愛の」を意味する'ljubljena'と結びつけられる。この考えは[[1825年]]に司祭で言語学者でもあり新しいスロベニア語の語法を提案した[[フランク・メテルコ]]を含む初期の学者により受け入れら、現代の言語学者の間でも広く一致を見ている。<ref name="Promin.si"/>
1335年にリュブリャナは[[ハプスブルク家]]の支配下に入った。1461年には司教管区になり、[[中世]]にはスロベニア文化の中心地として発展した。ハプスブルク家の支配は[[ナポレオン戦争]]時に一時的に中断した。1809年から1813年の間、リュブリャナは[[フランス第一帝政]][[イリュリア州]]の首都だった。1821年にリュブリャナは[[ライバッハ会議]]の主催となった。オーストリアの支配下中は、リュブリャナは[[カルニオラ地方]]の首都だった。


町のシンボルはリュブリャナドラゴンで、ドラゴンは力や勇気、大きさの象徴である。ドラゴンはリュブリャナの紋章に描かれた[[リュブリャナ城]]の塔の最上部とリュブリャニツァ川に架かる竜の橋(Zmajski most)に描写されている。竜の橋はしばしば、[[ウィーン分離派]]が生み出した橋の中ではもっとも美しい橋と見なされている。<ref name="ARCH124">{{cite book
[[第一次世界大戦]]後の1918年の[[オーストリア・ハンガリー帝国]]崩壊で、リュブリャナは[[ユーゴスラビア王国|セルビア人・クロアチア人・スロベニア人王国]](後にユーゴスラビア王国)の一部となり、スロベニア地方の中心都市となった。1929年にユーゴスラビア王国の行政区分が再編された際には、現在のスロベニアとほぼ同じ領域を占める[[ドラヴァ州]]([[:en:Drava Banovina|Drava Banovina]])の州都となった。
|author=C Abdunur
|title=ARCH'01: Troisième conferénce internationale sur les ponts en arc
|publisher=Presses des Ponts
|location=
|year=2001
|page=124
|isbn=2-85978-347-4
|oclc=
|doi=
}}</ref>


リュブリャナドラゴンの起源に関してはいくつかの説がある。有名な[[ギリシア神話]]によれば[[金羊毛]]を取って帰った[[アルゴナウタイ]]は今日のリュブリャナとヴルフニカの間で湿地に囲まれた大きな湖を発見した。[[イアーソーン]]が怪物を襲ったのはその湖で、この怪物はドラゴンになりドラゴンは今日のリュブリャナの紋章と市旗になっている。<ref name="InfoDragon">{{cite web |url=http://www.ljubljana.si/en/about-ljubljana |title=Dragon, the Symbol of Ljubljana |accessdate=2009-10-31}}</ref>歴史的により信憑性があるものには、15世紀にリュブリャナ城の教会が建てられた15世紀に[[ゲオルギオス (聖人)|ゲオルギオス]]が守護聖人になったことである。ゲオルギオスの伝説ではドラゴンはキリスト教によって圧倒された古い[[ペイガニズム]]の象徴である。他の説ではドラゴンは最初は紋章を飾る唯一の装飾であったと言うものである。バロックが紋章の一部となり、19世紀やとくに20世紀に塔や他の要素を凌駕するようになってきた。
[[第二次世界大戦]]の1941年4月にリュブリャナは[[イタリア]]に占領された。リュブリャナ中心市街の外部で起こったスロベニア人の抵抗運動が強かったため、1942年2月23日にイタリア軍は32kmの[[有刺鉄線]]でリュブリャナ中心市街を完全に囲ってしまった。それはヨーロッパで最も大きい戦時下キャンプであり、リュブリャナ中心市街へ入るには、イタリア軍の厳重なチェックポイントを通らなければならなかった。


== 歴史 ==
第二次世界大戦後、リュブリャナは[[ユーゴスラビア社会主義連邦共和国|ユーゴスラビア連邦人民共和国]]の[[スロベニア社会主義共和国|スロベニア人民共和国]]の首都になった。そして1955年に[[ヨシップ・ブロズ・チトー]]は、第二次世界大戦時の抵抗運動の功績を称えてリュブリャナ市に英雄都市称号を与えた。それはユーゴスラビアで最初の英雄都市称号だった。1980年5月4日、チトーはリュブリャナの病院で亡くなった。
[[File:Pristanišče na Bregu 1765.jpg|thumb|right|18世紀のリュブリャナ]]
[[File:Leander Russ - Parade zur Begrüßung des Kaisers in Laibach - 1845.jpeg|thumb|right|1821年のライバッハ会議を祝う催し]]
[[File:Ljubljana in 1895 (3).jpg|thumb|right|1895年の震災で被災し復旧中の建物]]


=== 先史時代から古代まで ===
1991年にユーゴスラビア軍との[[十日間戦争]]でスロベニアが独立を勝ち取り、リュブリャナはスロベニアの首都になった。
[[紀元前2000年]]頃にリュブリャナ近郊の湿地帯には人が高床式の住居に暮らしていた。今日でも考古学的な物が[[イグ]]に残され2011年6月から[[国際連合教育科学文化機関|ユネスコ]]の[[世界遺産]]に[[アルプス]]の連なる6各国と共に「アルプス周辺の先史時代の住居」として指定されている。<ref>{{cite news |url=http://www.ukom.gov.si/en/media_room/newsletter_slovenia_news/news/article/391/2809/1e33cc2ffd/?tx_ttnews&#91;newsletter&#93;=114 |title=Prehistoric Pile Dwellings Listed as UNESCO World Heritage |publisher=Government Communication Office |newsletter=Slovenia News |date=28 June 2011}}</ref> 湿地帯に住んでいた人々は狩猟や漁労、原始的な農業を通して生活の糧を得ていた。湖沼の移動には木の幹をくり抜いて作ったカヌーを使用していた。後にこの地域は様々な部族や人々の多くの生活の跡が残され、その中には[[ケルト人]]や[[イリュリア人]]が混合した[[ラピデス]]と呼ばれる人々や3世紀のケルト人の一部族[[タウリスキ族]]も含まれている。<ref name="Histo1">{{cite web |url=http://www.ljubljana.si/en/about-ljubljana/history/first-settlers/ |title=First settlers |accessdate=2009-10-31}}</ref>紀元前50年に[[古代ローマ|ローマ人]]が後の[[エモナ]](Aemona/Emona)となる軍の野営地を設置する。<ref name="Histo2">{{cite web |url=http://www.ljubljana.si/en/about-ljubljana/history/times-of-roman-emona/ |title=The Times of Roman Emona |accessdate=2009-10-31}}</ref>

ローマ軍団の [[第十五アポロン軍]](''Legio XV Apollinaris'')が強固な砦により占領した。<ref name="Apollinaris">{{fr icon}} Hildegard Temporini and Wolfgang Haase, ''Aufstieg und Niedergang der römischen Welt''. de Gruyter, 1988. ISBN 3-11-011893-9. [http://books.google.be/books?id=74vdDevajNoC&pg=PA343&lpg=PA343&dq=Emona+legion+XV&source=web&ots=Oz_GEBKbi_&sig=jODLhDZxfNwHfBW48cBMhE2GCs0&hl=fr&sa=X&oi=book_result&resnum=8&ct=result Google Books, p.343]</ref>452年に[[アッティラ]]の命令により[[フン族]]により破壊され、その後[[東ゴート族]]や[[ランゴバルド人]]によって破壊されている。<ref name="Artis">Daniel Mallinus, ''La Yougoslavie'', Éd. Artis-Historia, Brussels, 1988, D/1988/0832/27, p. 37-39.</ref>エモナには5,000 - 6,000人の住民が居て、多くの戦いで重要な役割を果たした。住居はプラスターを塗った煉瓦の異なった色の家で既に下水設備につながれていた。<ref name="Histo2"/>
[[6世紀]]になると[[スロベニア人]]の祖先の[[スラヴ人]]が移動して来るようになり、[[9世紀]]にはスロベニア人は[[フランク王国]]の支配下に入りたびたび[[マジャル人]]の襲撃を経験する。<ref name="Histo6">{{cite web |url=http://www.ljubljana.si/en/about-ljubljana/history/ljubljana-in-middle-ages/ |title=Ljubljana in the Middle Ages |accessdate=2009-10-31}}</ref>

=== 中世から近世 ===
長い間リュブリャナが最初に言及されたのは1144年であるとされていたが、しかしながら2002年に同様に古い「死者の名前」(''Nomina defunctorum'') と呼ばれる[[羊皮紙]]のシートが発見された。この羊皮紙は[[ウーディネ大聖堂]]の公文書館に保存されている。記録は1112年-1125年となっており、貴族の''Rudolf of Tarcento''や[[アクイレイア]]の総大司教が大砲とリュブリャナ城(''castrum Leibach'')のそばに20の農地を総司教に授けたことが言及されている。<ref>{{cite book |title=Castrum Leibach: the first recorded mention of Ljubljana and the city's early history: facsimile with commentary and a history introduction |author=Peter Štih |year=2010 |ISBN=978-961-6449-36-6 |publisher=City Municipality of Ljubljana}} {{COBISS|ID=252833024}}</ref><ref name="Prepozno">{{cite web |url=http://www.rtvslovenija.si/kultura/novice/850-letnico-ljubljane-smo-praznovali-prepozno-ljubljana-je-starejsa/246277 |title=850-letnico Ljubljane smo praznovali prepozno. Ljubljana je starejša. |language=Slovene |trans_title=850th Anniversary of Ljubljana was Celebrated Too Late. Ljubljana is Older. |publisher=MMC RTV Slovenia |date=14 December 2010 |accessdate=8 February 2011}}</ref><ref>{{cite web |url=http://ms.sta.si/2010/12/historian-finds-new-oldest-mention-of-ljubljana/ |title=Historian Finds New Oldest Mention of Ljubljana |publisher=Slovenian Press Agency |date=14 December 2010 |accessdate=8 February 2011}}</ref>

リュブリャナの町が正確に町の権利を得た時期ははっきりとは分かっていないが<ref name="Ljubljana Town Hall">{{Cite news|url=http://www.visitljubljana.si/file/141388/mestna-hisa-slo-ang-3.pdf |title=Ljubljana Town Hall |author=Darinka Kladnik |year=2006 |month=October |publisher=Ljubljana Tourist Board}}</ref>、[[1220年]]より以前であった。<ref>{{cite journal |url=http://www.dlib.si/v2/StreamFile.aspx%3FURN%3DURN:NBN:SI:doc |title=700 let Novega trga v mestu Ljunbljani |author=Marija Verbič |year=1967 |volume=15 |number=2 |journal=Kronika: časopis za slovensko krajevno zgodovino}}</ref>
13世紀、町はスタリ・トルグ ({{lang|sl|''Stari trg''}}),、ノヴィ・トルグ({{lang|sl|''Novi trg''}}) 、メスト({{lang|sl|''Mesto''}}今日の聖ニコラヤ大聖堂周辺) 3つの地域で構成されていた。<ref name="Ljubljana Town Hall"/> 最初の記録では1200年頃に市場を保持する権利を有していたと考えられるが、もっとも古い前記の3地区が必ずしも含まれていた訳ではない。<ref name="Ljubljana Town Hall"/> 当時のリュブリャナ城領主は[[シュプンハイム]]家であったが、周辺の土地や屋敷は他の貴族たちのものであった。<ref name="Prepozno"/><ref name="Ljubljana Town Hall"/>1270年、[[カルニオラ]]ととくにリュブリャナは[[オタカル2世]]により征服された。<ref name="Histo6"/>オタカル2世が[[ルドルフ1世 (神聖ローマ皇帝)|ルドルフ1世]]に敗北すると、ルドルフ1世が町を1278年手に入れた。<ref name="Histo6"/> ルドルフの誓約によりリュブリャナは1279年 - 1335年は[[ゴリツィア伯国]]の支配下にあり、その後再び[[ハプスブルク]]の支配下となった。<ref name="Ljubljana Town Hall"/>ライバッハ (''Laibach'')と改名され1797年まで[[ハプスブルク家]]に属していた。<ref name="Artis"/>1461年に[[カトリック教会]]のリュブリャナ司教座が設けられ、聖ニコラヤ教会は大聖堂になった。<ref name="Histo6"/>

15世紀にリュブリャナは芸術で認められ、1511年の震災後に[[ルネサンス]]様式で町は再建され新しい城壁がその周囲に築かれている。<ref name="Histo3">{{cite web |url=http://www.ljubljana.si/en/about-ljubljana/history/renaissance-and-baroque/ |title=Renaissance and Baroque |accessdate=2009-10-31}}</ref>16世紀、町の人口は5,000人を数え、70%の住民は[[スロベニア語]]を[[第一言語]]とし、残りのほとんどは[[ドイツ語]]が使われていた。<ref name="Histo3"/>その直ぐ後にドイツで初めてスロベニア語で書かれた書物[[プリモシュ・トゥルーバー]] {{enlink|Primož Trubar|a=on}}({{lang|sl|''Primož Trubar''}})の[[カテキゼム]] {{enlink|Katekizem|a=on}}({{lang|sl|''Katekizem''}})が出版され、教育者の[[アダム・ボホリツ]]{{enlink|Adam Bohorič|a=on}}({{lang|sl|''Adam Bohorič''}})は "''Elementale Labacense oder Abecedarium der lateinischen, deutschen und slowenischen Sprache"''、''"Nomenclatura trium linguarum"''、''"Otroshia tabla"''の3冊のスロベニア語で書かれた本を著し、ヤンジュ・マンデルツ({{lang|sl|'' Janž Mandelc''}})により刷られている。この時点で町では[[宗教改革]]の基礎を得ている。[[ルーテル教会]]の牧師はプリモシュ・トゥルーバーやアダム・ボホリツ、[[ユーリィ・ダルマティン]]を含めリュブリャナに居住し布教を行っていた。スロベニア語の聖書が使われていたが、印刷はドイツの[[ヴィッテンベルク]]で行われていた。同時期には最初の高校や公共図書館、印刷所がリュブリャナに開設されている。<ref name="Histo3"/>1597年には町に[[イエズス会]]がやって来て、後に[[カレッジ]]になる高校を設立している。17世紀後半にはバロック建築が現れ始め、外国の建築家や彫刻家がリュブリャナの町に訪れるようになった。<ref name="Histo3"/>

=== 近代===
[[ナポレオン・ボナパルト]]は1809年 - 1813年に[[フランス第一帝政]]の[[イリュリア州]]の州都をリュブリャナに置いた。<ref name="Artis"/><ref name="Histo4">{{cite web |url=http://www.ljubljana.si/en/about-ljubljana/history/ljubljana-18th-19th-centuries/ |title=Ljubljana in the 18th and 19th Centuries |accessdate=2009-10-31}}</ref>1815年になると町は再びオーストリアの支配となり1816 - 1849年にオーストリア帝国は地方行政区画としてイリュリア王国{{enlink|Kingdom of Illyria (1816–1849)|a=on}}の行政的中心となった。1821年に[[ライバッハ会議]]の開催都市となり今後数年間のためのヨーロッパの政治的境界線が定められた。<ref name="InfoIntro">{{cite web |url=http://www.ljubljana.si/en/about-ljubljana/ |title=Introducing Ljubljana |accessdate=2009-10-31}}</ref>1849年には最初のウィーンからの[[オーストリア南部鉄道]]が開業し、1857年には今日のイタリアのトリエステへ延伸された。<ref name="Histo4"/>
1895年にリュブリャナは[[マグニチュード]]6.1の震災に見舞われた{{enlink|1895 Ljubljana earthquake|a=on}}。当時の人口は31,000人で、10%にあたる1,400の建物が破壊され大きな被害をもたらしている。震災後は再建が[[ウィーン分離派]]様式により各地区で再建が行われた。<ref name="Histo4"/>
街灯はリュブリャナの町には1898年に現れ、再建に続いて町の近代化が当時の市長であった[[イヴァン・フリバー]]{{enlink|Ivan Hribar|a=on}}により進められた。1918年に第一次世界大戦が終結すると[[オーストリア=ハンガリー帝国]]は解体し、リュブリャナは後の[[ユーゴスラビア王国]]となる[[ユーゴスラビア王国|セルビア人・クロアチア人・スロベニア人王国]]の一部となりスロベニア地方の中心都市となった。1929年にユーゴスラビア王国の行政区分が再編された際には、現在のスロベニアとほぼ同じ領域を占める[[ドラヴァ州]]([[:en:Drava Banovina|Drava Banovina]])の州都となる。<ref name="banovina">{{cite web |url=http://www.clio.fr/CHRONOLOGIE/chronologie_slovenie_dans_la_yougoslavie_des_karageorgevitch.asp |title=Dans la Yougoslavie des Karageorgévitch |accessdate=2008-07-30 |language=French}}</ref>

=== 第二次世界大戦から現代 ===
第二次世界大戦中の1941年にリュブリャナは[[イタリア王国]]に占領されその一部となり、1941年5月3日に[[リュビアナ州]]{{enlink|Province of Ljubljana|a=on}}の州都リュビアナとされ市長には以前のユーゴスラビア王国の将軍であった[[レオン・ルプニク]]{{enlink|Leon Rupnik|a=on}}がなっている。イタリアの降伏後は[[ナチス・ドイツ]]と[[ナチス親衛隊]](SS)の[[親衛隊大将]][[アールヴィン・ローゼナール]]{{enlink|Erwin Rösener|a=on}}と[[フリードリッヒ・ライナー]]{{enlink|Friedrich Rainer|a=on}}が1943年に町の実権を握ったが 、イタリア王国リュビアナ州の州都は1945年5月9日まで残った。リュブリャナでは占領軍は、要塞を設けたり[[売国奴]]の組織であるイタリア下の反共産主義義勇兵{{enlink|Anti-Communist Volunteer Militia|a=on}}やドイツ下のスロベニアホームガード{{enlink|Slovene Home Guard|a=on}}などが組織された。抵抗運動で地下組織の[[スロベニア国家解放戦線]]と都市の外側で活動する[[パルチザン (ユーゴスラビア)|パルティザン]]の協調を邪魔するため都市の周囲 {{convert|30|km|mi}}には[[有刺鉄線]]が張らていた。この有刺鉄線が張られていた場所は1985年以来、市街を囲む散歩道となっている。<ref name="rideau fer">{{sl icon}} {{en icon}} {{cite web|url=http://www.ljubljana-tourism.si/file/559602/2006-april-POT-SPOMINOV-IN-TOVARITVA-_2.pdf|archiveurl=http://web.archive.org/web/20080227085801/http://www.ljubljana-tourism.si/file/559602/2006-april-POT-SPOMINOV-IN-TOVARITVA-_2.pdf|archivedate=2008-02-27|title=The Path of Remembrance and Comradeship|accessdate=2008-07-30}}</ref>

第二次世界大戦終結後、リュブリャナは[[ユーゴスラビア社会主義連邦共和国]]を構成する[[スロベニア社会主義共和国]]の首都となり、それは1991年まで続いた。スロベニアのユーゴスラビアからの独立宣言後、ユーゴスラビア人民軍の侵攻により[[十日間戦争]]が起こるがリュブリャナでは戦争の影響をほとんど受けず、スロベニアの首都となり2004年には[[欧州連合]]に加盟している。リュブリャナの歴史は戦災よりも地震や洪水による自然災害に多く見舞われ、2010年10月にリュブリャニツァ川などの氾濫{{enlink|2010 Slovenia floods|a=on}}により市の南郊や西郊に続き、北郊が危険にさらされていた。<ref name="Ocena poplave">{{Cite news|url=http://www.ljubljana.si/file/405358/ogrozenost_mol_poplave_dobravc_2007.pdf |title=Ocena ogroženosti mestne občine Ljubljana zaradi poplav |language=Slovene |trans_title=Flood hazard assessment of the City Municipality of Ljubljana |year=2007 |author=Dobravc, Mina |page=7 |accessdate=20 September 2010}}</ref>


== 地勢 ==
== 地勢 ==
[[ファイル:Image Ljubljana-OpenStreetMap-Mapnik-100k.svg|thumb|right|リュブリャナ中心部位置図]]
国土の中央に位置し、[[ザグレブ]]から140km、[[ヴェネツィア]]から250km、[[ウイーン]]から350km、[[ブダペスト]]からは400kmである。
[[File:Koseški bajer.jpg|thumb|冬はスケートにも使われ、ボートや釣りが楽しめるコセゼ池]]
[[クラス地方]]と[[ジュリアン・アルプス]]の間に位置し、[[リュブリャニツァ川]]の作り出す峡谷部にある。標高はおよそ300m。
[[File:SmarnaGora.jpg|thumb|right|リュブリャナでは一番標高が高いシュマルナ・ゴラ。一番高い地点はグルマンダで {{convert|676|m|abbr=on}}]]
リュブリャナ市の面積は{{convert|275|km2|sqmi}}で、スロベニア中央部の[[南部石灰岩アルプス|アルプス]]と[[カルスト]]の間の[[リュブリャナ低地]]に位置する。リュブリャナはクロアチアの西{{convert|140|km|mi}}、セルビアのベオグラードの北西{{convert|520|km|mi}} 、ヴェネツィアの東{{convert|250|km|mi}}、ウィーンの南西 {{convert|350|km|mi}}、ブダペストの南西{{convert|400|km|mi}}の場所にある。<ref>Approximate road distances calculated through [[Google Earth]].</ref>リュブリャナの市域はここ30年来、周辺自治体との合併により拡大している。<ref>{{cite web |url=http://www.stat.si/KrajevnaImena/pregledi_naselja_najvecja_prebivalci.asp?tlist=off&txtIme=LJUBLJANA&selNacin=celo&selTip=naselja&ID=2370 |title=Največja naselja po številu prebivalcev: Ljubljana |language=Slovene |trans_title=Largest settlements by the number of residents: Ljubljana |publisher=Statistical Office of the Republic of Slovenia |date=1 January 2010 |accessdate=5 February 2011}}</ref>リュブリャナが広がる[[沖積層]]は[[第四紀]]に遡るものである。周辺部の古い山岳地域は[[中生代]]の[[三畳紀]]や[[古生代]]に遡る。<ref name="Geologymap">{{cite web|url=http://english.fossiel.net/system/geolkaart/slovenie.jpg|title=Geological Map of Slovenia|accessdate=2008-07-30}}</ref>多くの地震がリュブリャナを襲っており、1511年や1895年の地震も含まれる。

リュブリャナの重心の標高は {{convert|295|m}}<ref name="YB2002">{{cite web |url=http://www.stat.si/letopis/2002/01-02.pdf |title=Statistični letopis Republike Slovenije 2002: Ozemlje in podnebje |language=English, Slovene |trans_title=Statistical Yearbook of the Republic of Slovenia 2002: Territory and Climate |publisher=Statistical Office of the Republic of Slovenia |accessdate=7 February 2010}}</ref>である。リュブリャナの中心部はリュブリャニツァ川沿いにあり標高は{{convert|298|m}}<ref name="Mesto2006">{{cite web |url=http://www.ljubljana.si/file/32397/ljubljana-2006.pdf |title=Ljubljana, glavno mesto |trans_title=Ljubljana, the Capital |date=June 2006|publisher=Statistics and Analysis Service, Information Centre, City Administration, City Municipality of Ljubljana |accessdate=7 February 2011}}</ref>である。[[リュブリャナ城]]はグライスキ・グリツ(''Grajski grič'') の頂上にあり標高は {{convert|366|m|ft}}で中心部の南側に位置し市街では一番高い地点である。リュブリャナで一番高い地点はグルマダと呼ばれる場所で標高は{{convert|676|m|ft}}で付近の[[シュマルナ・ゴーラ]]より7m高く、ハイキングでは有名な場所になっている。<ref>{{cite web |url=http://geopedia.si/#T105_L410_F10110084_x459056_y109604_s15_b4 |title=Settlements: Ljubljana |publisher=Geopedia.si |accessdate=30 January 2012}}</ref><ref>{{cite web |url=http://www.burger.si/SmarnaGora/uvod_ENG.html |title=Šmarna gora |work=Slovenia-Landmarks |first=Boštjan |last=Burger |accessdate=30 January 2012}}</ref>

リュブリャナの主要河川は[[リュブリャニツァ川]]の他に[[サヴァ川]]、[[グラダシュツィツァ川]]、[[マリ・フラベン川]]、[[イシュカ川]]などがある。リュブリャナ市の東側の境界となっている場所ではサヴァ川とカムニシュカ・ビストリツァ川が共に流れている。<ref>{{cite web |url=http://geopedia.si/lite.jsp?locale=en&params=T105_L410_F10110084_x468931.15599999996_y105141_s11#T105_L410_F10110084_x468931.15599999996_y105141_s11 |title=Settlements: Ljubljana |publisher=Geopedia.si |accessdate=5 February 2011}}</ref><ref>{{cite web |url=http://www.ljubljana.si/si/zivljenje-v-ljubljani/okolje-prostor-bivanje/povrsinske-vode/ |title=Površinske vode |language=Slovene |trans_title=Surface Waters |accessdate=5 February 2011 |publisher=Municipality of Ljubljana}}</ref>一番標高が低い地点は川が合流する地点で{{convert|261|m}}ある。

リュブリャナには大きな池が3つあり<ref name="Lešnik2003">{{cite book |url=http://www.ckff.si/dokumenti/inventarizacija_dvozivk_tivoli.pdf |title=Poročilo: Inventarizacija dvoživk (Amphibia) v Krajinskem parku Tivoli, Rožnik in Šišenski hrib |language=Slovene |trans_title=A Report: The Inventarisation of Amphibians (Amphibia) in the Tivoli–Rožnik–Šiška Hill Landscape Park |pages=8–9 |language=Slovene |publisher=Centre for Cartography of Fauna and Flora |date=23 September 2003 |first=Aleksandra |last=Lešnik}}</ref>一番大きな池は[[コセゼ池]](Koseški bajer)でシシュカ地区にあり、ティボリ池は[[リュブリャナティボリ公園]]の南側にある。<ref>{{cite web |url=http://www.kamnaizlet.si/destinacije/tivolski-ribnik |title=Tivolski ribnik |language=Slovene |trans_title=Tivoli Pond |work=Kamnaizlet.si |publisher=PVA, d. o. o. |accessdate=8 February 2012}}</ref>コセゼ池は1960年代に人工池として造られ、多くの珍しい動植物やポピュラーなスポーツやレクレーションの場となっている。<ref>{{cite news |url=http://www.delo.si/clanek/151456 |title=Dobimo se na Koseškem bajerju |language=Slovene |trans_title=Let's Meet at the Koseze Pond |date=5 May 2011}}</ref>ティヴォリ池は浅くて小さい池で、1880年に掘られた。元はボート遊びやアイススケートに使われたが年が経て現在では釣りのみに使われている。<ref name="Krelj2012">{{cite book |url=http://www.digitalna-knjiznica.bf.uni-lj.si/dn_krelj_ziva.pdf |language=Slovene, with an abstract in English |title=Ekološki status ribnika Tivoli |trans_title=The Ecological Status of the Tivoli Pond |first=Živa |last=Krelj |publisher=Department of Biology, Faculty of Natural Sciences and Engineering, University of Ljubljana |year=2007}}</ref>
湿地帯の低地と公園の大小のラコヴニク丘の間に人造の {{convert|650|m2}} の池が広がっている。<ref name="Lešnik2003" />


== 気候 ==
== 気候 ==
リュブリャナの気候は[[ケッペンの気候区分]]で[[西岸海洋性気候]](Cfb)と[[温暖湿潤気候]](Cfa)境界に位置し<ref>glej [[http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/3/32/World_Koppen_Map.png Datoteka:World Koppen Map.png]]</ref>暑い夏や寒い冬など[[大陸性気候]]の特徴も併せ持つ。7月と8月は一番暑い月で日中の最高気温は25から30℃に達する。一番寒い月は1月で0℃付近で変動する。年間90日程度は0℃以下になり11日程度は30℃以上になる。また、リュブリャナでは年間121日程度霧の日がありほとんどは秋や冬に発生する。<ref name="ARSO">{{cite web |url=http://www.arso.gov.si/vreme/napovedi%20in%20podatki/ljubljana.html|title=ARSO|accessdate=<!-- 30 avgust 2010 -->2010-08-30}}</ref>年間降水量は1,400mmになりヨーロッパの首都の都市では一番湿気がある都市の1つでもある。雷雨は5月から9月かけて見られ、時折とても激しくなる。降雪は12月から2月にかけて見られ、冬季の平均48日間は雪に覆われる。夏の天気は地中海の空気の影響を受け晴天や暑い日が多くなる。
{{Infobox Weather

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{{Weather box|location= リュブリャナ
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|source 1= [http://meteo.arso.gov.si/uploads/probase/www/climate/table/en/by_location/ljubljana/climate_normals_71_00_ljubljana.pdf www.arso.gov.si]{{Verify source|date=January 2012}}
|source 2= Hong Kong Observatory.<ref name="HKO">[http://www.weather.gov.hk/wxinfo/climat/world/eng/europe/ger_pl/ljubljana_e.htm Climatological Information for Ljubljana, Slovenia], accessed 31 March 2012.</ref>
|date=January 2012}}

== 都市景観 ==
=== 建築物 ===
とくにリュブリャナ周辺部では大きな建物が増えているが、リュブリャナ中心部には歴史的なものが損なわれることなく[[バロック]]や[[ウィーン分離派]]の建築様式が交わり残っている。リュブリャナはオーストリアの型、特に[[グラーツ]]や[[ザルツブルク]]のスタイルの影響を強く受けている。[[1511年]]に起こったスロベニア西部の大地震の後、リュブリャナはバロック様式によって、続いて[[ルネサンス]]モデルの都市で再建された。その後1895年に町は再び地震に襲われ、酷い被災を受けている。再び再建されこの時はウィーン分離派様式が採用された。リュブリャナでは再建が行われた時代を反映し様々な様式が混在している。第二次世界大戦後に建てられたリュブリャナの建築物の大きな部分ではしばしば個人的にスロベニア人建築家[[ヨジェ・プレチニック]]が関わっている。

リュブリャニツァ川を見下ろす丘の上を占める[[リュブリャナ城]]は12世紀に建てられ、[[辺境伯]]の居城で後に[[カルニオラ公国]]君主のものとなった。<ref>[http://www.ljubljana-calling.com/ENG/inCallingZnGrad.php Ljubljana Calling/Sightseeing/Ljubljana Castle]{{dead link|date=December 2011}}</ref>城から少し離れた、[[聖ニコラヤ大聖堂]]({{lang|sl|Stolnica svetega Nikolaja}})、[[聖ペトロスカ教会]]({{lang|sl|Cerkev Sv. Petra , Šentpetrska cerkev}})、フランシスコ会の受胎告知教会({{lang|sl|Frančiškanska cerkev Marijinega oznanjenja,Frančiškanska cerkev}})、[[竜の橋]]({{lang|sl|Zmajski most}})はリュブリャナのメインとなる建築物である。市庁舎近くのリュブリャナ市広場にはバロック様式の[[ロブバ泉]]({{lang|sl|Robbov vodnjak}})のレプリカがある。オリジナルのものは[[スロベニア国立美術館]]に移動し収蔵されている。泉は[[ローマ]]の[[ナヴォーナ広場]]にあるものに似て[[オベリスク]]と台部分の[[カルニオラ地方]]の3つの主要河川を象徴する3体の大理石の彫像が据えられている。この作品はイタリアの彫刻家[[フランチェスコ・ロッバ]]によるもので、市内には彼の多くのバロック様式の彫刻が残されている。リュブリャナの教会では同様にこの様式が1511年の震災以後、広く普及している。<ref name="Baroque">{{cite web |url=http://www.ljubljana.si/en/sights/baroque_ljubljana/default.html |title=Baroque Ljubljana |accessdate=2008-07-30 |archiveurl= http://web.archive.org/web/20080627191346/http://www.ljubljana.si/en/sights/baroque_ljubljana/default.html <!-- Bot retrieved archive --> |archivedate= 27 June 2008}}</ref>


ウィーン分離派の傑出したものは[[プレシェーレン広場]]と[[竜の橋]]に見られる。ヨジェ・プレチニックが設計したいくつかの橋も含まれ、その中には[[三本橋]]や[[スロベニア国立図書館]]も含まれる。<ref name="Plecnik">{{cite web |url=http://www.visitljubljana.si/en/journalists_and_travel_professionals/journalists/press-resources/celebrities/ |title=Jože Plečnik (1872-1957) |accessdate=2009-10-31}}</ref> 1930年代に建てられたネボティチュニクは良く知られた高層住宅である。
== 建築 ==
リュブリャナはたびたび地震で荒廃した。1511年の大地震後、リュブリャナ市街は[[ルネッサンス様式]]で再建された。そして1895年の壊滅的な大地震後は[[新古典主義]]と脱退([[アール・ヌーヴォー]])様式で再建された。このようにリュブリャナの建築物は様々な様式の混合である。


<gallery>
リュブリャナ市街の象徴の1つである[[リュブリャナ城]]は現在も再建中である。また、旧市街と新市街を結びつける[[三本橋]]は[[ヨジェ・プレチニック]]が設計した。そして彼は新市街の建物のいくつかも設計した。
File:TownHall-Ljubljana.JPG|リュブリャナ市庁舎
<gallery widths="180" style="font-size:90%;">
ファイル:Ljubljana cathedral.jpg|リュブリャナ大聖堂
File:SLO-Ljubljana20.JPG|リュブリャナ市広場
File:LjubljanaFrančiškanska072008.JPG|受胎告知教会と[[フランツェ・プレシェーレン]]のモニュメント、三本橋
ファイル:Ljubljana triplebridge.jpg|リュブリャナ中心地:[[三本橋]](トロモストウイエ)とフランシスコ教会
File:StPeter-Ljubljana.JPG|ペトロスカ教会
ファイル:Ljubljana-skyline.jpg|左の丘に[[リュブリャナ城]]がある
File:UrbancevaHisa-Ljubljana.JPG|プレシェーレン広場の''Urbančeva hiša''
ファイル:TownHall-Ljubljana.JPG|リュブリャナ市庁舎
File:Čirilo i Metodije HDR.jpg|セルビア正教会
</gallery>
</gallery>


== 芸術 ==
=== 観光 ===
==== リュブリャナ城 ====
リュブリャナには、偉大なスロベニア人芸術家の美術品を所蔵している国立美術館と、1945年に建設されて主に近~現代美術品を展示している近代美術館がある。''Metelkova''([[メテルコヴァ]])はユーゴスラビア軍に対する[[カウンターカルチャー]]の中心地であり、そこの壁は[[落書き]]で覆われている。
[[File:Ljubljana Castle.JPG|thumb|left|リュブリャナ城]]
[[リュブリャナ城]] (''Ljubljanski grad'') は市街を見下ろす丘の上に建っている。城の周辺は[[紀元前1200年]]以来、絶え間なく人が居住している。<ref name="LubljanaCastle">{{cite web |url=http://www.ljubljana.si/en/sights/castle/default.html |title=Ljubljanski grad / Ljubljana Castle |accessdate=2008-07-30 |archiveurl= http://web.archive.org/web/20080502132830/http://www.ljubljana.si/en/sights/castle/default.html <!-- Bot retrieved archive --> |archivedate= 2 May 2008}}</ref> 城の見張り塔は1848年に遡り見張り番が住み込み、火事の警告や重要な来訪者や出来事を大砲で知らせる義務があり、現在でも続いているが<ref name="LubljanaCastle"/> 今日では観光客の呼び物となっている。文化的な行事や結婚式などがこの城では行われる。<ref name="LubljanaFestival">{{cite web |url=http://www.ljubljanafestival.si/en/ljubljana_castle/history/|title=Festival Ljubljana |accessdate=2008-07-30}}</ref> 2006年からケーブルカーによって市街と丘の上の城が結ばれた。<ref>{{cite web |url=http://www.ljubljana.si/en/municipality/news/75611/detail.html |title=5 Years of the Funicular Railway to the Castle |date=28 December 2011 |publisher=City Municipality of Ljubljana|accessdate=不明}}</ref>

==== 聖ニコラヤ大聖堂 ====
[[File:NadskofijaStolnica-Ljubljana.JPG|thumb|upright|聖ニコラヤ大聖堂]]
[[聖ニコラヤ大聖堂]]はリュブリャナ大司教区により管理されている。緑のドームと2つの塔により簡単に見分けることが出来、キュリロスとメトディオ広場(''Ciril-Metodov trg'')に面した[[リュブリャナ中央市場]]や市庁舎近くに位置する。<ref name="LubljanaCathedrale">{{cite web |url=http://www.ljubljana.si/en/sights/baroque_ljubljana/cathedral/default.html |title=Stolnica (Cerkev sv. Nikolaja) / The Cathedral (Church of St. Nicholas) |accessdate=2008-07-30 |archiveurl= http://web.archive.org/web/20080412030506/http://www.ljubljana.si/en/sights/baroque_ljubljana/cathedral/default.html <!-- Bot retrieved archive --> |archivedate= 12 April 2008}}</ref>リュブリャナ教区は1461年に設立された。<ref name="LubljanaCathedrale"/>1701年から1706年にかけてイエズス会の建築家[[アンドレア・ポッツォ]](Andrea Pozzo)によりバロック様式の教会と2つの両側の礼拝堂の十字架の形で設計された。<ref name="LubljanaCathedrale"/>ドームは1841年に中央部に造られている。<ref name="LubljanaCathedrale"/>内装はバロック様式の[[フレスコ]]により1703年 - 1706年と1721年 - 1723年にイタリアのフレスコ画家[[ジュリオ・クアーリョ]](Giulio Quaglio)により描かれた。

==== 竜の橋 ====
[[竜の橋]] (''Zmajski most'')はリュブリャナが[[オーストリア=ハンガリー帝国]]の一部であった1900年 - 1901年に造られた。ウィーンで学んだダルマチア人建築家が設計しオーストリア人の技術者が建て、[[ウィーン分離派]]の建築物の中では傑出したものとされている。<ref name="ARCH124">{{cite book|author=C. Abdunur|title=ARCH'01: Troisième conférence internationale sur les ponts en arc|publisher=Presses des Ponts|location=|year=2001|page=124|isbn=2-85978-347-4|oclc=|doi=|language=French}}</ref><ref name="PontDragons">{{cite web |url=http://www.ljubljana.si/en/sights/art_nouveau/dragon_bridge/default.html |title=Zmajski most / Dragon Bridge |accessdate=2008-07-30 |archiveurl= http://web.archive.org/web/20080412035550/http://www.ljubljana.si/en/sights/art_nouveau/dragon_bridge/default.html <!-- Bot retrieved archive --> |archivedate= 12 April 2008}}</ref>一部の市民からは四隅の恐ろしい竜の顔になぞらえて「姑」と言うニックネームで呼ばれている。<ref name="SBTG84">{{cite book|author=Robin McKelvie, Jenny McKelvie|title=Slovenia: The Bradt Travel Guide|publisher=Robin McKelvie|location=|year=2005|page=84|isbn=1-84162-119-6|oclc=|doi=}}</ref>

==== チョプヴァ通り ====
[[File:VidGajsek - Copova bottomup.jpg|thumb|チョプヴァ通り]]
[[チョプヴァ通り]] ({{lang|sl|''Čopova ulica''}})はリュブリャナ中心部を通る大通りである。通りの名は言語学者で文学史家の[[マティア・チョプ]]に因み名付けられた。彼は19世紀初期のロマン主義の詩人[[フランツェ・プレシェーレン]]の親友であった。この通りはスロヴェンスカ通りに面した中央郵便局({{lang|sl|''Glavna pošta''}}) やプレシェーレン広場({{lang|sl|''Prešernov trg''}})に続いており、通りにはバーやスロベニアでは一番古くからある[[マクドナルド]]を含む様々な店舗が軒を連ねている。この通りは歩行者専用で都心の[[プロムナード]]と見なされている。

==== コングレスニ広場 ====
[[コングレスニ広場]]はリュブリャナにとっては一番重要な中心である。広場は1821年に[[ライバッハ会議]]を目的に造られ、後に現在の名称が付けられた。それ以来政治的な式典やデモ抗議の場所として重要な中心となっており、[[スロベニア人・クロアチア人・セルビア人国]]の設立式典、ベオグラード解放の式典、1988年のユーゴスラビア当局に対する抗議などが開かれている。広場周囲には[[リュブリャナ大学]]、[[スロベニア·フィルハーモニー管弦楽団]]、''Slovenska matica''、[[ウルスラ]]の三位一体教会などの重要な組織の建物がある。2010年と2011年に大規模な改修が行われ現在ではほとんどの地上部分の道路交通は閉鎖されたが、商業目的の5区画と地下に多くの駐車場がある。<ref>{{cite web |url=http://www.rtvslo.si/kultura/drugo/foto-zgodbe-ki-so-se-dogajale-na-kongresnem-trgu/260463 |title=Zgodbe, ki so se dogajale na Kongresnem trgu |language=Slovene |trans_title=News from Congress Square |accessdate=9 October 2011 |publisher=Radiotelevizija Slovenija}}</ref>

==== ティヴォリ公園 ====
[[File:Tivoli park.jpg|thumb|ティヴォリ公園のヤコピプロムナード]]
[[リュブリャナティヴォリ公園]] ({{lang|sl|''Park Tivoli''}})はリュブリャナでは一番大きな公園である。 <ref name="CulturalHeritage">{{cite web |url=http://www.slovenia.info/?kul_zgod_znamenitosti=6296&lng=2 |title=Ljubljana, Park Tivoli, Rožnik and Šišenski hill - Cultural and Historical Heritage - Slovenia - Official Travel Guide - |first=|last=Slovenia.Info |work=slovenia.info |year=2011 [last update] |accessdate=5 July 2011}}</ref><ref name="LjubljanaLife">{{cite web |url=http://www.ljubljana-life.com/culture/culture_details/49-Tivoli_Park |title=Tivoli Park Ljubljana &#124; Slovenia - Ljubljana Life |first=|last=LjubljanaLife.com |work=ljubljana-life.com |year=2011 [last update] |accessdate=5 July 2011}}</ref>公園は1813年にフランス人技術者ジャン·ブランチャードにより設計され、現在の面積は約{{convert|5|km2|abbr=on}}.<ref name="CulturalHeritage"/> である。公園はリュブリャナが[[フランス第一帝政]]下にあった1813年に[[レイアウト]]されパリのジャルダン・ディ・ティヴォリ(ティヴォリ公園)に因み名付けられた。<ref name="CulturalHeritage"/>ティヴォリ公園の縁にある釣り堀は1880年に遡る。池の一方は小さな植物園でもう一方は子供の遊技場となっている。1921年と1939年にヨジェ・プレチニックによって刷新され彼により設計され中央部の広いプロムナードはヤコピチプロムナード({{lang|sl|''Jakopičevo sprehajališče''}})と呼ばれスロベニアの印象派画家[[リハルド・ヤコピチ]](Rihard Jakopič)に因み名付けられている。<ref name="CulturalHeritage"/><ref name="LjubljanaLife"/>3つの主要な通りにはクリの木が植えられている。公園内には異なった種類の木や花園、いくつかの彫像、噴水などがある。<ref name="CulturalHeritage"/><ref name="LjubljanaLife"/>公園内には[[ティヴォリ城]]や[[国立現代史博物館]]、[[ティヴォリホール]]などがある。<ref name="CulturalHeritage"/>

==== 肉屋の橋 ====
[[File:Sculptures on Butchers' Bridge.jpg|thumb|left|肉屋の橋の彫像]]
[[肉屋の橋]]({{lang|sl|''Mesarski most''}})はリュブリャニツァ川に架かる歩行者用の橋である。リュブリャナ中央市場とペトコヴシェケの土手を結んでいる。橋にはスロベニア人彫刻家[[ヤコヴ・ブルダール]](Jakov Brdar)の作品で飾られ1930年代からのヨジェ・プレチニックの計画が完了した。2010年7月10日に公式に開通している。橋の開通後、恋人同士により橋のワイヤーに南京錠が掛け始められ、パリの[[ポンデザール (パリ)|ポンテザール]]のような現象は永遠の愛を宣言する象徴となっている。

== 人口・宗教==
1869年のリュブリャナの人口は約22,600人であった。<ref name="Pipp">{{Cite news|url=http://www.dlib.si/stream/URN:NBN:SI:DOC-0GBMI71V/7473cdee-a0c0-405b-aed2-39786b347805/PDF |title=Razvoj števila prebivalstva Ljubljane in bivše vojvodine Kranjske |language=Slovene |trans_title=The Development of the Number of Population of Ljubljana and the Former Duchy of Carniola |first=Lojze |last=Pipp |year=1935 |journal=Kronika slovenskih mest |publisher=City Municipality of Ljubljana |issue=2 |number=1}}</ref>1931年には60,000人に増加している。2002年の国勢調査によればリュブリャナ市民の宗教分布は39.2%は[[カトリック教会]]、30.2%は[[無宗教]]、19.2%は不明、5.5%は[[正教]]、5.0%は[[イスラム教]]、残りの0.7%は[[プロテスタント]]か他の宗教を信仰している。<ref name="Religion">{{cite web |url=http://www.stat.si/popis2002/en/rezultati/rezultati_red.asp?ter=OBC&st=6 |title=Population by religion, municipalities, Slovenia, Census 2002 |accessdate=2008-08-05}}</ref>人口の84%はスロベニア語話者で、2番目が[[ボスニア語]]話者、3番目に[[セルビア語]]話者がそれぞれ占めている。<ref>{{cite web |url=http://www.stat.si/popis2002/en/rezultati/rezultati_red.asp?ter=OBC&st=92 Statistični urad RS |title=Population by language usually spoken in the household (family), municipalities, Slovenia, 2002 Census |accessdate=2011-09-04}}</ref>
<div class="center">
'''人口推移<ref name="Pipp" /><ref>{{cite book |url=http://geo2.ff.uni-lj.si/pisnadela/pdfs/dipl_201111_maja_bohnec_kogoj.pdf |title=Raba tal in spreminjanje meje Mestne občine Ljubljana |language=Slovene |trans_title=The Use of Soil and Changes of the Borders of the City Municipality of Ljubljana |first=Maja |last=Bohnec Kogoj |year=2011 |publisher=Department of Geography, Faculty of Arts, University of Ljubljana}}</ref><ref>{{cite book |url=http://193.2.17.2/publikacije/prenos/?urn=SISTORY:ID:1555 |title=Življenje Ljubljančanov med drugo svetovno vojno |language=Slovene |trans_title=The life of the Ljubljana Inhabitants During World War II |first=Mojca |last=Šorn |publisher=Institute of Modern History |year=2007 |ISBN=978-961-6386-12-8}}</ref><ref>{{cite book |url=http://www.stat.si/doc/pub/mestna_naselja_slo_03.pdf |title=Mestna naselja v Republiki Sloveniji |language=Slovene, English |trans_title=Urban Settlement in the Republic of Slovenia, 2003 |publisher=Statistical Office of the Republic of Slovenia |year=2004 |page=53}}</ref>'''
{|class="wikitable" style="font-size:90%; width:80%; border:0; text-align:center; line-height:120%;"
|-
! style="background:#f5f5f5; width:11%; color:black;" |1600
! style="background:#f5f5f5; width:11%; color:black;" |1700
! style="background:#f5f5f5; width:11%; color:black;" |1754
! style="background:#f5f5f5; width:11%; color:black;" |1800
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! style="background:#f5f5f5; width:12%; color:black;" |2002
! style="background:#f5f5f5; width:12%; color:black;" |2010
|- style="color:black; background:#d1e8ff; background:#d1e8ff;"
||6,000
||7,500
||9,400
||10,000
||18,000
||22,593
||26,284
||30,505
||36,547
||41,727
||53,294
||59,768
||98,599
||113,340
||135,366
||173,853
||224,817
||258,873
||267,008
||271,885
|}
</div>

== 行政 ==
リュブリャナ市は[[リュブリャナ市基礎自治体]](MOL)により統治され、市議会により導かれている。市議会の議長は市長と呼ばれ、市議会の議員と市長は4年ごとの地元選挙により選出される。議会には自治体予算の草案作成や様々な役割があり、健康、スポーツ、金融、教育、環境保護、観光などの様々な委員会により支援されている。<ref name="Commissions">{{cite web |url=http://www.ljubljana.si/en/municipality/council/boards/default.html |title=Boards of the City Council |accessdate=2008-07-31}} {{Dead link|date=September 2010|bot=H3llBot}}</ref> 自治体は17の地区に分けられ、地区評議会が代表している。地区評議会は共に自治体の議会で活動し、既知の住民の提案や地区での活動の計画を行っている。<ref name="Districts">{{cite web |url=http://www.ljubljana.si/en/municipality/districts/default.html |title=District authorities |accessdate=2008-07-31 |archiveurl= http://web.archive.org/web/20080412032307/http://www.ljubljana.si/en/municipality/districts/default.html <!-- Bot retrieved archive --> |archivedate= 12 April 2008}}</ref><ref>{{cite news |url=http://www.uradni-list.si/1/objava.jsp?urlurid=2001381 |title=Spremembe in dopolnitve statuta Mestne občine Ljubljana |language=Slovene |trans_title=Amendments and Completions of the Statute of the City Municipality of Ljubljana |newspaper=Official Gazette}}</ref>2002年 - 2006年の市長はダニツァ・シムシツ(Danica Simšič)であった。<ref>{{cite web |url=http://www.ljubljana.si/si/ljubljana/zupani/1911/danica-simsic/ |title=Danica Simšič 2002 |publisher=City Municipality of Ljubljana |accessdate=30 January 2012}}</ref>
2006年10月22日の自治体選挙以来、2011年12月に[[国民議会 (スロベニア)|国民議会]]の議員になるまで[[ゾラン・ヤンコヴィッチ]]がリュブリャナ市長を務めた。彼はスロベニアのスーパーマーケットチェーンであるメルカトルの前常務で、2006年の選挙では62.99%の投票率で当選している。<ref name="Maire">{{cite web |url=http://www.ljubljana.si/en/municipality/mayor/default.html |title=The Mayor of the City of Ljubljana |accessdate=2008-07-31}}</ref>2010年10月10日の再選挙でヤンコヴィッチは64.79%の一般得票により他の4年の再選をされた。2006年から2010年10月まで市議会では45議席中、23議席を''Lista Zorana Jankovića''が過半数を占めた。<ref name="Maire"/>2011年12月21日からヤコヴィッチは国民議会の議員となり、副市長で''Lista Zorana Jankovića''のアレシュ・チェリンが自治体を率いて行くことになったが、チェリンは市長の地位には無い。市長の交代は法律に従い行われるが、補欠選挙が行われるまではその地位に関しては自治体の法規と合致している。<ref name="Dnevnik2012-02-01">{{cite news |url=http://www.dnevnik.si/novice/slovenija/1042506738 |title=Čerin ljubljansko občino trenutno vodi v neskladju s statutom |language=Slovene |trans_title=Čerin is Currently Leading the Ljubljana Municipality in Discrepancy with its Statute |newspaper=Dnevnik.si |date=1 February 2012}}</ref>リュブリャナの治安に関してはリュブリャナ警察総局 ({{lang|sl|''Policijska uprava Ljubljana''}})が担っている。<ref name="Police">{{cite web |url=http://www.policija.si/portal_en/organiziranost/pu/lj/index.php |title=Police directorate Ljubljana |accessdate=1 February 2012}}</ref> 市内には5つの地域署と4つの区域署がある。<ref name="PDL">{{cite web |url=http://www.ljubljana.si/file/954611/9.-toka---predstavitev-varnostnih-razmer.pdf |title=Varnostne razmere na območju Mestne občine Ljubljana v obdobju 2005 - 2010 |language=Slovene |trans_title=Safety Situation in the Area of the City Municipality of Ljubljana in the 2005–2010 Period |publisher=Police Directorate of Ljubljana, Ministry of the Interior, Republic of Slovenia |date=March 2011|accessdate=不明}}</ref>交通の取り締まりは市交通監理官({{lang|sl|''Mestno redarstvo''}})が行っている。<ref>{{cite web |url=http://www.ljubljana.si/en/municipality/administration/offences-departments/wardens/ |title=City traffic wardens |accessdate=14 September 2010 |publisher=City Municipality of Ljubljana}}</ref>リュブリャナは治安の良さや静かさの評価を得ている。<ref name="securite">{{cite web |url=http://www.var.fr/dispatch.do?sectionId=site/page_d_accueil_10772717277503/le_var_10772717703904/les_varois_dans_le_monde_1191224486801284/conseils___bons_plans_1191224797342285/slov_nie_1191225455611299&showSection=site/page_d_accueil_10772717277503/le_var_10772717703904/les_varois_dans_le_monde_1191224486801284/conseils___bons_plans_1191224797342285/slov_nie_1191225455611299 |title=Precautions to take |accessdate=2008-07-31 |language=French}}</ref><ref name="PDL" />

=== リュブリャナの地区 ===
[[File:MOL-CS.png|thumb|300px|リュブリャナの地区]]
{|
|-
| valign="top"|
* [[ベジグラード]] ({{lang|sl|''Bežigrad''}}) (1)
* [[ツェンテェル]]({{lang|sl|''Center''}}) (2)
* [[ツルヌーチェ]]({{lang|sl|''Črnuče''}}) (3)
* [[ドラヴリェ]]({{lang|sl|''Dravlje''}}) (4)
* [[ゴロヴェツ]]({{lang|sl|''Golovec''}}) (5)
* [[ヤルシェ]]({{lang|sl|''Jarše''}}) (6)
* [[モステ]]({{lang|sl|''Moste''}}) (7)
* [[ポリェ]]({{lang|sl|''Polje''}}) (8)
||
||
* [[ポサヴィエ]]({{lang|sl|''Posavje''}}) (9)
* [[ロジュニク]]({{lang|sl|''Rožnik''}}) (10)
* [[ルドゥニク]]({{lang|sl|''Rudnik''}}) (11)
* [[ソストロ]]({{lang|sl|''Sostro''}}) (12)
* [[シェントヴィ]]({{lang|sl|''Šentvid''}}) (13)
* [[シシュカ]]({{lang|sl|''Šiška''}}) (14)
* [[シュマルナ・ゴーラ]]({{lang|sl|''Šmarna gora''}}) (15)
* [[トゥルノヴォ]]({{lang|sl|''Trnovo''}}) (16)
* [[ヴィツ]]({{lang|sl|''Vič''}}) (17)
</ol>
|}

== 経済 ==
[[File:Wtcslovenia.jpg|thumb|right|200px|リュブリャナ世界貿易センター]]
特に[[製薬]]、[[石油化学]]、食品産業等の工業は重要な雇用として残っている。他の分野では銀行業、金融、交通、建設、技術関連、サービス業、観光業などが含まれる。公共部門では教育、文化、医療、官公庁などが雇用を提供している。[[リュブリャナ証券取引所]]({{lang|sl|''Ljubljanska borza''}})は2008年にウィーン証券取引所に買収され<ref name="Bourse Vienne">{{cite web |url=http://www.sloveniatimes.com/en/inside.cp2?uid=DCC97754-19B6-64BF-BC26-9760B7F88908&linkid=news&cid=ED4C6575-3589-840B-A072-1B6760015E2E |title=Austrians Buy Ljubljana Stock Exchange |accessdate=2008-07-31}}</ref>、市場ではスロベニアの大手企業の株が取引されている。リュブリャナにはチェーンストアの[[メルツァトル]]や石油化学のペトログループ、テレコムコンツェルンのテレコムスロベニアなどのスロベニアの大手企業の本社がいくつか立地している。<ref name="Bourse Ljubljana">{{cite web |url=http://www.ljse.si/cgi-bin/jve.cgi?doc=%208373&sid=qaKUUjazRohwRuAP |title=Ljubljanska borza d.d. |accessdate=2008-07-31}}</ref>15,000を超える企業がリュブリャナでは運営されており、そのほとんどは[[第三次産業]]である。<ref name="Tertiaire Ljubljana">{{cite web |url=http://www.wieninternational.at/en/node/4997 |title=Ljubljana: economic center of Slovenia |accessdate=2008-07-31}}</ref>
ビジネス、ショッピング、スポーツの複合施設であるBTCセンターには多くの企業や450を超える店舗が立地しこの種の施設ではヨーロッパ最大規模である。毎年、2,100万人が訪れている。<ref>{{cite web |url=http://www.ljubljana.info/shopping/btc/ |title=BTC City, Ljubljana |publisher=Ljubljana.info |accessdate=22 December 2010}}</ref><ref>{{cite web |url=http://www.ljubljana-life.com/shop/shops_details/60-BTC_City |title=Ljubljana Life: BTC City |publisher=Lifeboat Limited |accessdate=22 December 2010}}</ref> 施設の面積は{{convert|475000|m2}} を占め、リュブリャナ東部のモステ地区に位置する。<ref>{{Cite news|url=http://www.revijakapital.com/kapital/novice.php?rubrika_id=1&novica=13106 |title=20 let od otvoritve prve trgovine na območju BTC CITY Ljubljana |language=Slovene |trans_title=20 Years Since the Opening of the First Shop in the BTC CITY Ljubljana Area |journal=[[Kapital (magazine)|Kapital]] |publisher=Kapital Publishing Company |date=4 October 2010 |accessdate=22 December 2010}}</ref><ref>{{cite book |title=Zgodovina nakupovalnih centrov |trans_title=A History of Shopping Centres |first=Tomaž |last=Martinek |year=2007 |publisher=Faculty of Social Sciences, University of Ljubljana |accessdate=22 December 2010 |language=Slovene}}</ref><ref>{{cite book |url=http://geo.ff.uni-lj.si/pisnadela/pdfs/dipl_200705_anja_sulin.pdf |title=Preobrazba industrijskih območij v Mestni občini Ljubljana |language=Slovene |trans_title=The Transformation of Industrial Areas in the City Municipality of Ljubljana |year=2007 |first=Anja |last=Šulin |publisher=Faculty of Arts, University of Ljubljana |accessdate=22 December 2010}}</ref>

== 文化 ==
[[File:SLO-Ljubljana47.JPG|thumb|フランツェ・プレシェーレンの像]]
リュブリャナには多くの美術館や博物館がある。2004年には15の博物館と41の美術館、11の劇場があり、4つのプロオーケストラがあった。<ref name="InNumbers">{{cite web|url=http://www.ljubljana.si/en/about-ljubljana/ljubljana-in-numbers/|title=Ljubljana in Numbers|accessdate=2008-07-30}}</ref> これらには建築博物館や鉄道博物館、スポーツ博物館、近代美術館、現代美術館、ビール醸造博物館、[[スロベニア国立歴史博物館]]、スロベニア民族誌博物館など様々なものが含まれている。<ref name="Pointinteret">{{cite web |url=http://www.ljubljana.si/en/tourism/ljubljana/points_of_interest/museums/default.html |title=Museums |accessdate=2008-07-31 |archiveurl= http://web.archive.org/web/20080412005405/http://www.ljubljana.si/en/tourism/ljubljana/points_of_interest/museums/default.html <!-- Bot retrieved archive --> |archivedate= 12 April 2008}}</ref>[[リュブリャナ動物園]]は {{convert|19.6|ha|acre}}を占め、152種類の動物が展示されている。[[アンティーク]]の[[蚤の市]]は毎週土曜日に開催されている。2006年には博物館には264,470人、美術館には403,890人、劇場には396,440人の来場者があった。<ref name="InNumbers"/>

毎年、10,000を超える文化的な催しがリュブリャナでは開かれその中には10の国際的な演劇や音楽、一般芸術のフェスティバルが含まれる。多くの音楽フェスティバルが催されるが、リュブリャナサマーフェスティバル (''Ljubljanski poletni festival'')の場合は主にクラシック音楽やジャズである。様々な[[スロベニアワイン]]の中心的な地域にあり、リュブリャナは「ワインとブドウの木の町」として知られている。ブドウの木は城の丘の傾斜地を利用し、既にローマ時代のエモナの住民が栽培を行っていた。

1701年に今日のスロベニア·フィルハーモニー管弦楽団が初めての交響楽団としてリュブリャナに開かれ、この地域の音楽作成の発展に拍車をかけた。 スロベニア·フィルハーモニー管弦楽団の名誉会員には[[フランツ・ヨーゼフ・ハイドン]]や[[ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン]]、[[ヨハネス・ブラームス]]、[[ニコロ・パガニーニ]]などが含まれている。[[グスタフ・マーラー]]は初期のキャリアの中で、リュブリャナのオペラハウスの指揮者を務めており、1881年9月から1882年4月にかけて与えられた84の公演を完全にこなしている。<ref>{{cite book|author=Raymond Holden|title=The Virtuoso Conductors|publisher=[[Yale University Press]]|location=New Haven|year=2005|page=65|isbn=0-300-09326-8|oclc=|doi=}}</ref>
[[スロベニア国立美術館]] (''Narodna galerija'')は1918年に設立され 、[[リュブリャナ近代美術館]](''Moderna galerija'')と共にリュブリャではもっとも影響力があるスロベニア人芸術家の作品が展示されている。メテルコヴァ通り(''Metelkova ulica'')にある[[ソーシャルセンター]]では[[オルタナティブカルチャー]]に熱心で、以前のオーストリア=ハンガリーの兵舎を改装している。<ref name="Metelkova">{{cite web |url=http://www.ljubljana.si/en/sights/20th_century_ljubljana/metelkova-mesto/ |title=Metelkova mesto alternative culture centre |accessdate=2008-07-31}} {{Dead link|date=September 2010|bot=H3llBot}}</ref>''Metelkova''([[メテルコヴァ]])はユーゴスラビア軍に対する[[カウンターカルチャー]]の中心地であり、そこの壁は[[落書き]]で覆われている。また、この活気のある通りには多くのクラブやライブハウスがあり様々な音楽が演奏され、大部分は[[オルタナティヴ・ロック]]である。近代美術館の一部としてリュブリャナ現代美術館が2011年11月26日にメテルコヴァ通りに開館した。<ref name="MetelkovaII">{{cite web |url=http://www.metelkova.org/indexe.htm |title=AKC Metelkova mesto |accessdate=2008-07-31}} {{Dead link|date=September 2010|bot=H3llBot}}</ref> 他のオルタナティブカルチャーの中心は以前のログファクトリーがあった場所で、1980年代リュブリャナは[[新スロベニア芸術]]''Neue Slowenische Kunst''の中心地となり、バンドの[[ライバッハ (バンド)|ライバッハ]]や画家の[[IRWIN]]、哲学者の[[スラヴォイ・ジジェク]]は関連付けられる。


== 教育 ==
== 教育 ==
[[File:Ljubljana by Martin - 05.JPG|thumb|right|250px|リュブリャナ大学本館]]
1693年に、リュブリャナで''Academia operosorum Labacensis''が設立され、1701年に音楽協会が後に続いた。1902年に[[リュブリャナ大学]]、1938年に[[スロベニア芸術科学アカデミー]]が成立した。
リュブリャナの人口の7分の1は学生で占められ都市に若々しい特徴を与えている。<ref name="University of Ljubljana">{{cite web |url=http://www.uni-lj.si/en/about_university_of_ljubljana/university_of_ljubljana.aspx |title=University of Ljubljana |first=|last=University of Ljubljana |work=uni-lj.si |year=2011 [last update] |accessdate=5 July 2011}}</ref><ref name="Université Ljubljana">{{cite web |url=http://www.uni-lj.si/en/about_university_of_ljubljana/ul_history.aspx |title=UL history |accessdate=2008-07-31}}</ref> [[リュブリャナ大学]]はスロベニアではもっとも重要でリュブリャナでは唯一の大学で1919年に設立された。<ref name="University of Ljubljana"/>大学の本部はコングレスニ広場にあり、カルニオラの公邸として1902-1918年に使われていた建物を使用している。建物は1902年にチェコ人の建築家ヤン・ヴラディミル・フラスキー(Jan Vladimír Hráský)により設計され、後にウィーンのチェコ人建築家ヨシプ・フデッツ(Josip Hudetz)により造り直されている。2010年現在、23の学部と3のアカデミーがある。スロベニア語の学科や医学、[[応用科学]]、法律、経営学などのコースがあり<ref name="Université Ljubljana II">{{cite web |url=http://www.uni-lj.si/en/about_university_of_ljubljana/statues_of_ul.aspx |title=Statutes of UL |accessdate=2008-07-31}}</ref>、64,000人の学生と3,500人の教授、教員が在籍する。<ref name="University of Ljubljana"/>スロベニア国立・大学図書館には1,169,09冊の蔵書がある。リュブリャナ市内には55校の小学校に20,802人の生徒が、32校の中等学校に25,797人の生徒が在籍する。<ref name="University of Ljubljana"/>1693年にリュブリャナで''Academia operosorum Labacensis''が設立され、1701年に音楽協会が後に続いた。1938年には[[スロベニア芸術科学アカデミー]]が成立した。


== 名所 ==
== スポーツ ==
* [[リュブリャナ]]
[[File:Ljubljana marathon.JPG|right|thumb|2006年リュブリャナマラソン]]
リュブリャナにはアイスホッケーのクラブチーム''HD HS Olimpija''、''ŠD Alfa''、''HK Slavija''などがある。これらのチームはスロベニアホッケーリーグで競い合っており、''HDD Olimpija Ljubljana''はオーストリアのリーグにも参加している。<ref name="Olimpija">{{cite web |url=http://www.hsolimpija.over.net/|title=Hokejske Selekcije Olimpija |accessdate=2008-07-31 |language=Slovenian}}</ref> バスケットボールのクラブチームには''KD Slovan''、''ŽKD Ježica Ljubljana''、''KK Union Olimpija''などがある。2010年以来、ストジツェスタジアムで試合が行われている。
* [[プレシェーレン広場]]
リュブリャナにはプロサッカーリーグ[[1.SNL|プルヴァ・リーガ]]で活躍するクラブチーム[[NKインテルブロック・リュブリャナ]]と<ref name="Tivoli ArenaII">{{cite web |url=http://www.nkinterblock.eu/contents/index/63 |title=NK Interblock |accessdate=2008-07-31}}</ref> ''NK Olimpija Ljubljana''がある。市内にはサッカースタジアムが2箇所ある。古くからあったベジグラドスタジアムは2011年に刷新されたが、ここをホームとしていた[[NKオリンピア・リュブリャナ (1911年 - 2004年)|NKオリンピア・リュブリャナ]]は2004年に負債を抱え破綻している。より大きいストジツェスタジアム{{enlink|Stožice Stadium|a=on}}が2010年8月にストジツェスポーツ公園に開業し緑の竜をシンボルとする新たに設立された''NK Olimpija Ljubljana''のホームとなっている他、スロベニア代表のホームスタジアムでもある。
* [[三本橋]]

* [[竜の橋]]
1957年5月8日-10日以来毎年開催される第二次世界大戦中に有刺鉄線が張られていた場所を歩くイベントである'' Pot spominov in tovarištva, acronym''{{enlink|Stožice Stadium|a=on}}は1945年5月9日にリュブリャナが解放されたことを記念し行われている。<ref>{{cite web |url=http://www.ukom.gov.si/eng/slovenia/publications/slovenia-news/6446/6468/ |title=Thousands Join Ljubljana Hike |accessdate=2008-11-01}} {{Dead link|date=September 2010|bot=H3llBot}}</ref>10月にはリュブリャナマラソンが市街の通りで催され毎年多くのランナーをひき付けている。<ref>{{cite web |url=http://www.ljubljana.si/en/highlights/current_topics/marathon/default.html |title=13th Ljubljana marathon – record participation! |accessdate=2008-11-01}} {{Dead link|date=September 2010|bot=H3llBot}}</ref>
* [[ディヴォリ公園]]

市街地の北西8kmのサヴァ川に隣接した場所にはカヌーやカヤックのコースである''Tacen Whitewater Course''があり、[[国際カヌー連盟]]主催の国際的な大会等が開催されている。<ref>{{cite web |url=http://www.wc-tacen.si/3/?pID=55 |title=Tacen White Water Slalom Course |accessdate=2009-02-21}}</ref>

スキースポーツは今日のリュブリャナでは第二次世界大戦以前から振興されている。<ref name="SDDolomiti2012-01-05">{{cite web |url=http://www.sddolomiti.si/?page_id=172 |title=Zgodovina |trans_title=History |publisher=Sports Club Dolomiti |accessdate=5 January 2012}}</ref> 1940年代より<ref name="SDDolomiti2012-01-05" />、市内北西部のグンツリエではアルペンスキーが行われている。<ref name="APG2012-05-02OP">{{cite web |url=http://ski.element.si/default.asp?mID=menu_smucisce&pID={f14f886f-6700-451c-998f-9a599266a7a3} |title=Osnovni podatki smučišča |language=Slovene |trans_title=Basic Data About the Ski Slope |work=Alpski poligon Gunclje |accessdate=5 February 2012}}</ref><ref>{{cite web |url=http://ski.element.si/default.asp?pid=smucisce |title=Smučišče |language=Slovene |trans_title=Ski Slope |work=Alpski poligon Gunclje |accessdate=5 February 2012}}</ref> 5つのスキージャンプ台がスキースロープの近くにあり<ref name="SDDolomiti2012-01-05" />、スロベニアのオリンピックやワールドカップの選手がトレーニングや競争をここで行っている。<ref name="SDDolomiti2012-01-05" /><ref>{{Cite news|url=http://www.ventilatorbesed.com/?opcija=kom_clanki&oce=47&id=3014 |title=Primož Peterka – prvi Slovenec, ki je preskočil magično mejo |language=Slovene |trans_title=Primož Peterka – the First Slovene Who Jumper Over the Magic Limit |date=14 October 2011 |journal=Ventilator besed – revija za kulturo in izobraževanje}}</ref>シシュカ地区のアレナ・トリグラヴ複合施設では6つのジャンプヒルを備えている。<ref>{{cite web |url=http://www.szlj.si/novice/1212 |title=Revija smučarskih skokov v Mostecu |language=Slovene |trans_title=A Ski Jumping Show in Mostec |publisher=Sports Society of Ljubljana |date=9 June 2011|accessdate=不明}}</ref><ref>{{cite web |url=http://www.cssiska.si/pdf/dan_css.pdf |title=Vabilo na prireditve ob dnevu Četrtne skupnosti Šiška in evropske dnevu sosedov |language=Slovene |trans_title=The Invitation to the Events on the Day of the District Community of Šiška and the European Day of Neighbours |publisher=District Community of Šiška |year=2011 |accessdate=6 February 2012}}</ref>


== 交通 ==
== 交通 ==
=== 道路 ===
* [[リュブリャナ駅]]  スロヴェニアの鉄道路線の基点をなし、[[ウィーン]]-[[グラーツ]]-[[マリボル]]-[[トリエステ]]を結ぶ路線と、[[ミュンヘン]]-[[ザルツブルク]]-[[ザグレブ]]を結ぶ路線、そして[[ジェノヴァ]]-[[ヴェネツィア]]-[[ブダペスト]]を結ぶ路線が交差する。
リュブリャナはスロベニア中央部に位置し幹線道路が交差する地点で<ref>{{cite journal |url=http://www.ff.uni-lj.si/oddelki/geo/publikacije/dela/files/dela_22/011_cerne.pdf |title=Pomen prometa za ljubljansko mestno aglomeracijo |language=Slovene, with an abstract in English |trans_title=The Significance of Transport for the Ljubljana Urban Agglomeration |first=Černe |last=Andrej |journal=Dela |issue=22 |year=2004 |page=78 |publisher=Department of Geography, Faculty of Arts, University of Ljubljana |ISSN=0354-0596}}</ref>、東西は汎ヨーロッパ交通回廊5号線で南北方向は汎ヨーロッパ交通回廊10号線である。<ref name="Oplotnik2004">{{cite conference |url=http://dinamico2.unibg.it/highways/paper/oplotnik.pdf |title=National motorway construction program (NMCP) in Slovenia (financing, impact on national economy and realisation) |authors=Oplotnik, Žan. Križanič, France |booktitle=Highways: cost and regulation in Europe |year=2004 |month=November}}</ref>リュブリャナはA1([[欧州自動車道路]]70号線、E70)で[[マリボル]]、[[オーストリア]]の[[グラーツ]]、[[ウィーン]]と結ばれている。南西方向はA1-E70によりイタリアの[[トリエステ]]、[[ヴェネチア]]、[[クロアチア]]の[[リエカ]]などに通じる。<ref name="Michelin">Michelin, ''Slovénie, Croatie, Bosnie-Herzégovine, Serbie, Monténégro, Macédoine'', Cartes et guides n°736, Michelin, Zellik, Belgium, 2007, ISBN 978-2-06-712627-5</ref> 東側はA2-E70によってクロアチアの首都ザグレブやハンガリーの他、[[ベオグラード]]などのかつて[[ユーゴスラビア]]であった国々の主要都市へ達する。<ref name="Michelin"/>北西方向はA2-E61によってオーストリアの[[クラーゲンフルト]]、[[ザルツブルク]]などに達し北ヨーロッパからスロベニアへ入国する観光客にとっては重要なポイントである。<ref name="Michelin"/> [[ヴィグネット]]と呼ばれる道路税を徴収するステッカーシステムが2008年7月1日から[[リュブリャナ環状道路]]で導入されている。<ref>{{cite web |url=http://www.voyage.gc.ca/countries_pays/report_rapport-eng.asp?id=267000 |title=Travel Report: Slovenia |publisher=Foreign Affairs and International Trade Canada |date=17 January 2012|accessdate=不明}}</ref><ref>{{cite web |url=http://www.portoroz.si/en/slovenian-vignettes |title=Slovenian Vignettes (Toll Stickers) |publisher=Tourist Association Portorož |accessdate=6 February 2012}}</ref> <ref>{{cite book |url=http://books.google.com/books?id=kBPvhxipCM4C&lpg=PA9&ots=DYU1hY3y0f&dq=prometna%20dostopnost%20v%20sloveniji&hl=sl&pg=PA9#v=onepage&q=prometna%20dostopnost%20v%20sloveniji&f=false |language=Slovene |trans_title=Transport Accessibility in Slovenia |first=Jani |last=Kozina |year=2010 |publisher=ZRC Publishing House |ISBN=978-961-254-235-1 |pages=69–71}}</ref>リュブリャナ中心部はラッシュ時には通勤客による渋滞で通行に難がある。<ref>{{cite book |url=http://books.google.com/books?id=kBPvhxipCM4C&lpg=PA9&ots=DYU1hY3y0f&dq=prometna%20dostopnost%20v%20sloveniji&hl=sl&pg=PA9#v=onepage&q=prometna%20dostopnost%20v%20sloveniji&f=false |language=Slovene |trans_title=Transport Accessibility in Slovenia |first=Jani |last=Kozina |year=2010 |publisher=ZRC Publishing House |ISBN=978-961-254-235-1 |pages=69–71}}</ref>

=== 航空 ===
[[リュブリャナ空港|リュブリャナ・ヨゼ・プチニク空港]](IATA LJU)は市の北側26kmの場所にあり、多くの欧州主要都市と結ばれている。当空港は[[アドリア航空]]のハブで、[[エールフランス]]や[[ブリュッセル航空]]、[[イージージェット]]、[[フィンランド航空]]など様々な航空会社が乗り入れる。<ref name="Transavion">{{cite web |url=http://www.lju-airport.si/eng/airliner.asp?IDD=12&IDM=209|title=Aerodrom Ljubljana, d.d. |accessdate=2008-07-31}}</ref>現在の空港は1933年に建設され、1963年まで使われていた空港に代わりに建設された。旧空港はスロベニアでは最初の民間空港で第二次世界大戦中や戦後は軍用として使われた。<ref>{{cite web |url=http://giskd2s.situla.org/rkd/Opis.asp?Esd=7622 |title=7622: Ljubljana - Staro letališče |language=Slovene |trans_title=Ljubljana: The Old Airport |work=Register of the Cultural Heritage of Slovenia |publisher=Ministry of Culture, Slovenia |accessdate=16 January 2011}}</ref><ref name="Matjaz">{{cite web |url=https://sites.google.com/site/staroljubljanskoletalisce/home |title=Staro Ljubljansko letališče: Zgodovina |language=Slovene |trans_title=The Old Ljubljana Airport: History |accessdate=16 January 2012}}</ref>最初の路線はベオグラード、ザグレブ、リエカの間で開設されている。<ref name="Izgubljena">{{cite news |url=http://www.dnevnik.si/tiskane_izdaje/dnevnik/1042403604 |title=Izgubljena Ljubljana |language=Slovene |trans_title=Lost Ljubljana |first=Nenad |last=Pataky |newspaper=Dnevnik |date=17 November 2010}}</ref><ref name="ZajecABB">{{cite book |url=http://www.bb.si/doc/diplome/Zajec_Anja-Sprejem_in_odprava_potnikov_na_Letaliscu_Jozeta_Pucnika_Ljubljana.pdf |title=Sprejem in odprava potnikov na Letališču Jožeta Pučnika Ljubljana |first=Anja |last=Zajec |year=2010 |month=May |publisher=B&B education and training |pages=8–9}}</ref>

=== 鉄道 ===
リュブリャナは北アドリア地域と中東欧をもっとも速く結ぶ汎ヨーロッパ鉄道回廊5号線上にあり<ref>{{cite web |url=http://www.ukom.gov.si/en/media_relations/background_information/transport/slovenia_a_country_at_the_crossroads_of_transport_links/ |title=Slovenia, a Country at the Crossroads of Transport Links |publisher=Government Communication Office, Republic of Slovenia |date=November 2000|accessdate=不明}}</ref> 、中央ヨーロッパからバルカン半島にかけての10号線も通る。<ref>{{cite book |url=http://www.slo-zeleznice.si/uploads/SZ/program_omrezja_2009_EN/Prva_verzija/Network_Statement_RS_2009.doc |chapter=Extent of PRI |page=25 |title=Network Statement of the Republic of Slovenia 2009 |date=December 2007|authors=Pšenica, Peter. Pangerc, Jože}}</ref>
スロベニアを経由するすべての国際列車は[[リュブリャナ駅]]を経由する。<ref name="oDPN2010-03">{{cite book |url=http://arhiv.mm.gov.si/mop/javno/zeleznisko_vozlisce_ljubljana/1_tekstualni_del/12_uredba/oDPN_Zeleznica_100323.pdf |title=Državni prostorski načrt za Ljubljansko železniško vozlišče |language=Slovene |trans_title=The National Space Plan for the Ljubljana Rail Hub: Draft |date=March 2010 |author=LUZ, d. d.}}</ref>リュブリャナには6箇所の旅客駅と9つの停留所がある。<ref>{{cite news |url=http://www.dnevnik.si/tiskane_izdaje/dnevnik/1042289357 |first=Tanja |last=Brkić |title=SŽ: Železniška postajališča niso zadovoljivo opremljena |language=Slovene |trans_title=SŽ: The Railway Stops are Not Adequately Fitted |newspaper=Dnevnik.si |date=7 August 2008}}</ref>スロベニア鉄道のリュブリャナ駅は中央駅となるハブで、スロベニアでは一番規模が大きい駅である。リュブリャナ・ザログ駅はスロベニアの貨物の中枢となる操車場である。<ref name="oDPN2010-03" />また、いくつかの産業用の鉄道がリュブリャナには敷かれている。<ref>{{cite web |url=http://www.sindikat-szps.si/downloads/daljinar%208.pdf |title=0800.03: Imenik železniških postaj, daljinar in kažipot za prevoz blaga po progah SŽ |language=Slovene |trans_title=0800.03: The Directory of Railway Stations, Fare Scales and a Signpost for the Transport of Goods on the Rails of the Slovenian Railways |publisher=Holding Slovenske železnice |date=16 April 2004|accessdate=不明}}</ref>

=== 公共交通・その他 ===
路線バス網はリュブリャナ旅客交通(Ljubljanski potniški promet,LPP)が運営し市内の公共交通を担っている。バスの車両は比較的モダンなものでいくつかの路線はラッシュ時の混雑が問題となっている。<ref name="ECORYS2011">{{cite book |url=http://ec.europa.eu/regional_policy/sources/docgener/evaluation/pdf/evasltrat_tran/slovenia.pdf |chapter=Situtation per mode of transport |title=Study on Strategic Evaluation on Transport Investment Priorities under Structural and Cohesion funds for the Programming Period 2007-2013 |year=2006 |month=August |publisher=ECORYS Nederland BV}}</ref>バスはウルバナ(Urbana)と呼ばれるプリペイドカードか[[非接触型決済|携帯電話]]で乗車することが出来る。バスは時折トロリーバスを表すトロール(troll)と呼ばれることがあり、リュブリャナのトロリーバスは1951-1971年まで活躍した。<ref name="Izgubljena"/>トロリーバスは5系統あり、[[1958年]]までは[[路面電車]]も同時に走っていた。<ref name="Nebec">{{cite book |url=http://www.bb-kranj.si/doc/diplome/Nebec_Damjan-Analiza_placilnega_sistema_v_LPP.pdf |title=Analiza plačilnega sistema v LPP |language=Slovene, with a German abstract |trans_title=An Analysis of the Payment System in the LPP |first=Damjan |last=Nebec |publisher=B&B education and training |year=2010 |month=March |pages=10–11}}</ref> リュブリャナバスステーションはリュブリャナのバスの中枢でリュブリャナバスステーション社(Avtobusna postaja Ljubljana)により運営されている。また、市内には多くのタクシー会社がある。<ref name="Taxi">{{cite web|url=http://www.ljubljana.si/en/ljubljana_az/489/kategorija.html |title=Taxi |accessdate=2008-07-31}} {{Dead link|date=September 2010|bot=H3llBot}}</ref>かつて存在したリュブリャナの路面電車は規模が小さかった。完成したのは[[1901年]][[9月]]であった。<ref name="110CPT">{{cite web |url=http://www.ljubljana.si/si/zivljenje-v-ljubljani/v-srediscu/73744/detail.html |title=110 let mestnega potniškega prometa |language=Slovene |trans_title=110 Years of the City Passenger Traffic |publisher=Municipality of Ljubljana |date=6 September 2011|accessdate=不明}}</ref> 1928年7月までにはバスを置き換え、財政的な損失からバスは1930年までには廃止され1931年に路面電車に置き換えらている。<ref name="110CPT"/>第二次世界大戦後は自動車が増加しより重要になり、場所を取るようになり路面電車は廃れて来た。<ref name="Nebec"/>自転車もリュブリャナでは重要な交通手段と考えられるようになり、2011年5月からBicikeljと呼ばれるセルフサービスのレンタサイクルサービスが住民や旅行者に開始され、300台の自転車と600の駐輪場、31のステーションなど市中心部に幅広く広がっている。日に2,500のレンタルがある。<ref>{{cite web |url=http://www.sta.si/vest.php?s=a&id=1659068 |title=Ljubljana Rent-a-Bike Network Gaining in Popularity |date=24 July 2011 |publisher=STA|accessdate=不明}}</ref><ref>{{cite web |url=http://www.sta.si/en/vest.php?id=1635721 |title=Ljubljana Launches Public Bike Project |date=14 May 2011 |publisher=STA|accessdate=不明}}</ref> 町の主要な通りは自転車の通行が禁止されているが、[[自転車道]]や道路標示の普及で部分的に規制は廃止されている。<ref>{{cite web|url=http://www.mladina.si/tednik/200029/clanek/i-kuscer/ |archiveurl=http://web.archive.org/web/00000000000000/http://www.mladina.si/tednik/200029/clanek/i-kuscer/ |archivedate=2008-01-09 |title=Mladina (17. julij 2000): Kolesarski zmaji |publisher=Web.archive.org |date=2008-01-09 |accessdate=2011-12-10}}</ref><ref>{{cite web|url=http://lkm.kolesarji.org/besedila/LKM%20pobude%20za%20prijazno%20kolesarsko%20infrastrukturo.pdf |title=Ljubljanska kolesarska mreža (okt. 2010): Pobude za izboljšave v Ljubljanski kolesarski infrastrukturi, str. 2 |format=PDF |date=|accessdate=2011-12-10}}</ref>

<gallery>
ファイル:ZelezniskaPostaja-Ljubljana.JPG|リュブリャナ駅と駅前のリュブリャナバスステーション
ファイル:SŽ 310 series EMU (04).JPG|スロベニア鉄道の[[ペンドリーノ]]特急電車ICS
ファイル:Tramvaj Ljubljana.JPG|かつて運行されていたリュブリャナの市電
ファイル:Slovenska cesta kolo nezazeleno 2.jpg|リュブリャナ中心部の自転車通行禁止の標識
File:Rowery w lublanie.jpg|リュブリャナの自転車
</gallery>


== ゆかりの人物 ==
* [[リュブリャナ空港]] リュブリャナの北方26kmにある。スロベニア国営の航空会社・[[アドリア航空]]が[[ハブ空港]]としている。[[格安航空会社]]の[[イージージェット]]も乗り入れている。
*[[フランツェ・プレシェーレン]] - 詩人
*[[フリッツ・プレーグル]] - 医師・化学者
*[[ヨジェ・プレチニック]] - 建築家・都市計画家
*[[イヴァン・ツァンカル]] - 作家・劇作家
*[[カルロス・マリア・デ・ボルボーン (マドリード公)]] - ブルボン家のスペイン王位およびフランス王位請求者
*[[ロイゼ・コヴァチッチ]] - 作家
*[[スラヴォイ・ジジェク]] - 哲学者・思想家
*[[ラドスラフ・ネステロヴィッチ]] - バスケットボール選手
*[[ヤネス・ヤンシャ]] - 政治家


== 姉妹都市 ==
== 姉妹都市 ==
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== 脚注 ==
== 脚注 ==
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<references />

== 外部リンク ==
== 外部リンク ==
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132行目: 440行目:
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[[Category:リュブリャナ|*りゅぶりゃな]]
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[[Category:リュブリャナ|*りゅぶりゃな]]
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2012年5月3日 (木) 16:54時点における版

リュブリャナ
Ljubljana
リュブリャナ旧市街俯瞰
リュブリャナ旧市街俯瞰
リュブリャナの市旗 リュブリャナの市章
市旗 市章
位置
の位置図
座標 : 北緯46度03分20秒 東経14度30分30秒 / 北緯46.05556度 東経14.50833度 / 46.05556; 14.50833
行政
スロベニアの旗 スロベニア
  クラニスカ地方
  中央スロベニア地域
 市 リュブリャナ
市長 Aleš Čerin (Zoran Janković List)
地理
面積  
  市域 275 km2
標高 298 m
人口
人口 (2011年現在)
  市域 272,220人
    人口密度   989人/km2
その他
等時帯 中央ヨーロッパ時間 (UTC+1)
夏時間 中央ヨーロッパ夏時間 (UTC+2)
郵便番号 1000
市外局番 01
ナンバープレート LJ
公式ウェブサイト : www.ljubljana.si

リュブリャナスロベニア語: Ljubljanaドイツ語: Laibachイタリア語: Lubianaラテン語: Labacum,Aemona[1]スロベニアの都市およびそれを中心とした基礎自治体でスロベニアの首都である。同国では国際関係では唯一の中心地である。[2][3] リュブリャナはスロベニア中央部のリュブリャナ低地に位置し、リュブリャナ市基礎自治体スロベニア語: Mestna občina Ljubljana,MOL)の中心である。人口は272,000人で首都として特別市としての地位が与えられている。[3]地理的に交差路であることから、スラヴ世界と共にゲルマンラテン文化など様々な要素が歴史を通じて影響を与えている。数世紀来、リュブリャナは歴史的な地域であるクラニスカ地方の首都で[4]、スロベニアが1991年に独立して以来、文化、教育、経済、政治、行政の中心となっている。交通の利便性や産業の集中、科学機関や調査研究機関の立地などはリュブリャナの首都としての主要なポジションに貢献している。

都市名とシンボル

竜(ズマイはリュブリャナのシンボル

もともとの町の名前は分かっていない。もっとも有力だと思われているものには市内を流れるリュブリャニツァ川にちなみ名付けられたというものである。言語学者のシルヴォ・トルカル(Silvo Torkar)が支持するものにはリュブリャニツァ(Ljubljanica)の古いスラヴ語の名称であるリュボヴィド( Ljubovid)から来ていると言うものである。[5] ロベルト・ヴルチョン(Robert Vrčon)はリュブリャニツァはラテン語のアッルヴィアーナ(alluviana)から転じたとし、それ自体はエルヴィオ(eluvio)から来ており洪水や氾濫を意味する語である。[6]

中世、町と川両方の名称はライバッハと名付けられていた。ライバッハは古いドイツ語で「流れない水は洪水を起こす」を意味し1918年まで公式に使われていた。[7]共通する民間語源では伝統的にスロベニア語で「最愛の」を意味する'ljubljena'と結びつけられる。この考えは1825年に司祭で言語学者でもあり新しいスロベニア語の語法を提案したフランク・メテルコを含む初期の学者により受け入れら、現代の言語学者の間でも広く一致を見ている。[6]

町のシンボルはリュブリャナドラゴンで、ドラゴンは力や勇気、大きさの象徴である。ドラゴンはリュブリャナの紋章に描かれたリュブリャナ城の塔の最上部とリュブリャニツァ川に架かる竜の橋(Zmajski most)に描写されている。竜の橋はしばしば、ウィーン分離派が生み出した橋の中ではもっとも美しい橋と見なされている。[8]

リュブリャナドラゴンの起源に関してはいくつかの説がある。有名なギリシア神話によれば金羊毛を取って帰ったアルゴナウタイは今日のリュブリャナとヴルフニカの間で湿地に囲まれた大きな湖を発見した。イアーソーンが怪物を襲ったのはその湖で、この怪物はドラゴンになりドラゴンは今日のリュブリャナの紋章と市旗になっている。[9]歴史的により信憑性があるものには、15世紀にリュブリャナ城の教会が建てられた15世紀にゲオルギオスが守護聖人になったことである。ゲオルギオスの伝説ではドラゴンはキリスト教によって圧倒された古いペイガニズムの象徴である。他の説ではドラゴンは最初は紋章を飾る唯一の装飾であったと言うものである。バロックが紋章の一部となり、19世紀やとくに20世紀に塔や他の要素を凌駕するようになってきた。

歴史

18世紀のリュブリャナ
1821年のライバッハ会議を祝う催し
1895年の震災で被災し復旧中の建物

先史時代から古代まで

紀元前2000年頃にリュブリャナ近郊の湿地帯には人が高床式の住居に暮らしていた。今日でも考古学的な物がイグに残され2011年6月からユネスコ世界遺産アルプスの連なる6各国と共に「アルプス周辺の先史時代の住居」として指定されている。[10] 湿地帯に住んでいた人々は狩猟や漁労、原始的な農業を通して生活の糧を得ていた。湖沼の移動には木の幹をくり抜いて作ったカヌーを使用していた。後にこの地域は様々な部族や人々の多くの生活の跡が残され、その中にはケルト人イリュリア人が混合したラピデスと呼ばれる人々や3世紀のケルト人の一部族タウリスキ族も含まれている。[11]紀元前50年にローマ人が後のエモナ(Aemona/Emona)となる軍の野営地を設置する。[12]

ローマ軍団の 第十五アポロン軍Legio XV Apollinaris)が強固な砦により占領した。[13]452年にアッティラの命令によりフン族により破壊され、その後東ゴート族ランゴバルド人によって破壊されている。[14]エモナには5,000 - 6,000人の住民が居て、多くの戦いで重要な役割を果たした。住居はプラスターを塗った煉瓦の異なった色の家で既に下水設備につながれていた。[12] 6世紀になるとスロベニア人の祖先のスラヴ人が移動して来るようになり、9世紀にはスロベニア人はフランク王国の支配下に入りたびたびマジャル人の襲撃を経験する。[15]

中世から近世

長い間リュブリャナが最初に言及されたのは1144年であるとされていたが、しかしながら2002年に同様に古い「死者の名前」(Nomina defunctorum) と呼ばれる羊皮紙のシートが発見された。この羊皮紙はウーディネ大聖堂の公文書館に保存されている。記録は1112年-1125年となっており、貴族のRudolf of Tarcentoアクイレイアの総大司教が大砲とリュブリャナ城(castrum Leibach)のそばに20の農地を総司教に授けたことが言及されている。[16][17][18]

リュブリャナの町が正確に町の権利を得た時期ははっきりとは分かっていないが[19]1220年より以前であった。[20] 13世紀、町はスタリ・トルグ (Stari trg),、ノヴィ・トルグ(Novi trg) 、メスト(Mesto今日の聖ニコラヤ大聖堂周辺) 3つの地域で構成されていた。[19] 最初の記録では1200年頃に市場を保持する権利を有していたと考えられるが、もっとも古い前記の3地区が必ずしも含まれていた訳ではない。[19] 当時のリュブリャナ城領主はシュプンハイム家であったが、周辺の土地や屋敷は他の貴族たちのものであった。[17][19]1270年、カルニオラととくにリュブリャナはオタカル2世により征服された。[15]オタカル2世がルドルフ1世に敗北すると、ルドルフ1世が町を1278年手に入れた。[15] ルドルフの誓約によりリュブリャナは1279年 - 1335年はゴリツィア伯国の支配下にあり、その後再びハプスブルクの支配下となった。[19]ライバッハ (Laibach)と改名され1797年までハプスブルク家に属していた。[14]1461年にカトリック教会のリュブリャナ司教座が設けられ、聖ニコラヤ教会は大聖堂になった。[15]

15世紀にリュブリャナは芸術で認められ、1511年の震災後にルネサンス様式で町は再建され新しい城壁がその周囲に築かれている。[21]16世紀、町の人口は5,000人を数え、70%の住民はスロベニア語第一言語とし、残りのほとんどはドイツ語が使われていた。[21]その直ぐ後にドイツで初めてスロベニア語で書かれた書物プリモシュ・トゥルーバー  (en(Primož Trubar)のカテキゼム  (en(Katekizem)が出版され、教育者のアダム・ボホリツ (en(Adam Bohorič)は "Elementale Labacense oder Abecedarium der lateinischen, deutschen und slowenischen Sprache""Nomenclatura trium linguarum""Otroshia tabla"の3冊のスロベニア語で書かれた本を著し、ヤンジュ・マンデルツ( Janž Mandelc)により刷られている。この時点で町では宗教改革の基礎を得ている。ルーテル教会の牧師はプリモシュ・トゥルーバーやアダム・ボホリツ、ユーリィ・ダルマティンを含めリュブリャナに居住し布教を行っていた。スロベニア語の聖書が使われていたが、印刷はドイツのヴィッテンベルクで行われていた。同時期には最初の高校や公共図書館、印刷所がリュブリャナに開設されている。[21]1597年には町にイエズス会がやって来て、後にカレッジになる高校を設立している。17世紀後半にはバロック建築が現れ始め、外国の建築家や彫刻家がリュブリャナの町に訪れるようになった。[21]

近代

ナポレオン・ボナパルトは1809年 - 1813年にフランス第一帝政イリュリア州の州都をリュブリャナに置いた。[14][22]1815年になると町は再びオーストリアの支配となり1816 - 1849年にオーストリア帝国は地方行政区画としてイリュリア王国 (enの行政的中心となった。1821年にライバッハ会議の開催都市となり今後数年間のためのヨーロッパの政治的境界線が定められた。[23]1849年には最初のウィーンからのオーストリア南部鉄道が開業し、1857年には今日のイタリアのトリエステへ延伸された。[22] 1895年にリュブリャナはマグニチュード6.1の震災に見舞われた (en。当時の人口は31,000人で、10%にあたる1,400の建物が破壊され大きな被害をもたらしている。震災後は再建がウィーン分離派様式により各地区で再建が行われた。[22] 街灯はリュブリャナの町には1898年に現れ、再建に続いて町の近代化が当時の市長であったイヴァン・フリバー (enにより進められた。1918年に第一次世界大戦が終結するとオーストリア=ハンガリー帝国は解体し、リュブリャナは後のユーゴスラビア王国となるセルビア人・クロアチア人・スロベニア人王国の一部となりスロベニア地方の中心都市となった。1929年にユーゴスラビア王国の行政区分が再編された際には、現在のスロベニアとほぼ同じ領域を占めるドラヴァ州Drava Banovina)の州都となる。[24]

第二次世界大戦から現代

第二次世界大戦中の1941年にリュブリャナはイタリア王国に占領されその一部となり、1941年5月3日にリュビアナ州 (enの州都リュビアナとされ市長には以前のユーゴスラビア王国の将軍であったレオン・ルプニク (enがなっている。イタリアの降伏後はナチス・ドイツナチス親衛隊(SS)の親衛隊大将アールヴィン・ローゼナール (enフリードリッヒ・ライナー (enが1943年に町の実権を握ったが 、イタリア王国リュビアナ州の州都は1945年5月9日まで残った。リュブリャナでは占領軍は、要塞を設けたり売国奴の組織であるイタリア下の反共産主義義勇兵 (enやドイツ下のスロベニアホームガード (enなどが組織された。抵抗運動で地下組織のスロベニア国家解放戦線と都市の外側で活動するパルティザンの協調を邪魔するため都市の周囲 30キロメートル (19 mi)には有刺鉄線が張らていた。この有刺鉄線が張られていた場所は1985年以来、市街を囲む散歩道となっている。[25]

第二次世界大戦終結後、リュブリャナはユーゴスラビア社会主義連邦共和国を構成するスロベニア社会主義共和国の首都となり、それは1991年まで続いた。スロベニアのユーゴスラビアからの独立宣言後、ユーゴスラビア人民軍の侵攻により十日間戦争が起こるがリュブリャナでは戦争の影響をほとんど受けず、スロベニアの首都となり2004年には欧州連合に加盟している。リュブリャナの歴史は戦災よりも地震や洪水による自然災害に多く見舞われ、2010年10月にリュブリャニツァ川などの氾濫 (enにより市の南郊や西郊に続き、北郊が危険にさらされていた。[26]

地勢

リュブリャナ中心部位置図
冬はスケートにも使われ、ボートや釣りが楽しめるコセゼ池
リュブリャナでは一番標高が高いシュマルナ・ゴラ。一番高い地点はグルマンダで 676 m (2,218 ft)

リュブリャナ市の面積は275平方キロメートル (106 sq mi)で、スロベニア中央部のアルプスカルストの間のリュブリャナ低地に位置する。リュブリャナはクロアチアの西140キロメートル (87 mi)、セルビアのベオグラードの北西520キロメートル (320 mi) 、ヴェネツィアの東250キロメートル (160 mi)、ウィーンの南西 350キロメートル (220 mi)、ブダペストの南西400キロメートル (250 mi)の場所にある。[27]リュブリャナの市域はここ30年来、周辺自治体との合併により拡大している。[28]リュブリャナが広がる沖積層第四紀に遡るものである。周辺部の古い山岳地域は中生代三畳紀古生代に遡る。[29]多くの地震がリュブリャナを襲っており、1511年や1895年の地震も含まれる。

リュブリャナの重心の標高は 295メートル (968 ft)[30]である。リュブリャナの中心部はリュブリャニツァ川沿いにあり標高は298メートル (978 ft)[31]である。リュブリャナ城はグライスキ・グリツ(Grajski grič) の頂上にあり標高は 366メートル (1,201 ft)で中心部の南側に位置し市街では一番高い地点である。リュブリャナで一番高い地点はグルマダと呼ばれる場所で標高は676メートル (2,218 ft)で付近のシュマルナ・ゴーラより7m高く、ハイキングでは有名な場所になっている。[32][33]

リュブリャナの主要河川はリュブリャニツァ川の他にサヴァ川グラダシュツィツァ川マリ・フラベン川イシュカ川などがある。リュブリャナ市の東側の境界となっている場所ではサヴァ川とカムニシュカ・ビストリツァ川が共に流れている。[34][35]一番標高が低い地点は川が合流する地点で261メートル (856 ft)ある。

リュブリャナには大きな池が3つあり[36]一番大きな池はコセゼ池(Koseški bajer)でシシュカ地区にあり、ティボリ池はリュブリャナティボリ公園の南側にある。[37]コセゼ池は1960年代に人工池として造られ、多くの珍しい動植物やポピュラーなスポーツやレクレーションの場となっている。[38]ティヴォリ池は浅くて小さい池で、1880年に掘られた。元はボート遊びやアイススケートに使われたが年が経て現在では釣りのみに使われている。[39] 湿地帯の低地と公園の大小のラコヴニク丘の間に人造の 650平方メートル (7,000 sq ft) の池が広がっている。[36]

気候

リュブリャナの気候はケッペンの気候区分西岸海洋性気候(Cfb)と温暖湿潤気候(Cfa)境界に位置し[40]暑い夏や寒い冬など大陸性気候の特徴も併せ持つ。7月と8月は一番暑い月で日中の最高気温は25から30℃に達する。一番寒い月は1月で0℃付近で変動する。年間90日程度は0℃以下になり11日程度は30℃以上になる。また、リュブリャナでは年間121日程度霧の日がありほとんどは秋や冬に発生する。[41]年間降水量は1,400mmになりヨーロッパの首都の都市では一番湿気がある都市の1つでもある。雷雨は5月から9月かけて見られ、時折とても激しくなる。降雪は12月から2月にかけて見られ、冬季の平均48日間は雪に覆われる。夏の天気は地中海の空気の影響を受け晴天や暑い日が多くなる。

リュブリャナの気候
1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
最高気温記録 °C°F 14
(57)
19
(66)
23
(73)
30
(86)
31
(88)
38
(100)
39
(102)
35
(95)
31
(88)
29
(84)
20
(68)
16
(61)
39
(102)
平均最高気温 °C°F 2
(36)
5
(41)
10
(50)
15
(59)
20
(68)
24
(75)
27
(81)
26
(79)
22
(72)
15
(59)
8
(46)
4
(39)
15
(59)
平均最低気温 °C°F −4
(25)
−4
(25)
0
(32)
4
(39)
9
(48)
12
(54)
14
(57)
14
(57)
11
(52)
6
(43)
2
(36)
−1
(30)
5
(41)
最低気温記録 °C°F −27
(−17)
−28
(−18)
−16
(3)
−5
(23)
−3
(27)
4
(39)
7
(45)
4
(39)
1
(34)
−2
(28)
−11
(12)
−15
(5)
−28
(−18)
降水量 mm (inch) 88
(3.46)
89
(3.5)
76
(2.99)
98
(3.86)
121
(4.76)
133
(5.24)
113
(4.45)
127
(5)
142
(5.59)
151
(5.94)
131
(5.16)
114
(4.49)
1,383
(54.45)
平均降水日数 6.6 4.4 6.3 9.3 9.0 10.0 9.0 7.8 9.5 9.5 11.6 9.1 102.1
平均月間日照時間 46.5 84.8 127.1 162.0 210.8 222.0 260.4 229.4 162.0 114.7 57.0 37.2 1,713.9
出典1:www.arso.gov.si[要検証]
出典2:Hong Kong Observatory.[42]

都市景観

建築物

とくにリュブリャナ周辺部では大きな建物が増えているが、リュブリャナ中心部には歴史的なものが損なわれることなくバロックウィーン分離派の建築様式が交わり残っている。リュブリャナはオーストリアの型、特にグラーツザルツブルクのスタイルの影響を強く受けている。1511年に起こったスロベニア西部の大地震の後、リュブリャナはバロック様式によって、続いてルネサンスモデルの都市で再建された。その後1895年に町は再び地震に襲われ、酷い被災を受けている。再び再建されこの時はウィーン分離派様式が採用された。リュブリャナでは再建が行われた時代を反映し様々な様式が混在している。第二次世界大戦後に建てられたリュブリャナの建築物の大きな部分ではしばしば個人的にスロベニア人建築家ヨジェ・プレチニックが関わっている。

リュブリャニツァ川を見下ろす丘の上を占めるリュブリャナ城は12世紀に建てられ、辺境伯の居城で後にカルニオラ公国君主のものとなった。[43]城から少し離れた、聖ニコラヤ大聖堂Stolnica svetega Nikolaja)、聖ペトロスカ教会Cerkev Sv. Petra , Šentpetrska cerkev)、フランシスコ会の受胎告知教会(Frančiškanska cerkev Marijinega oznanjenja,Frančiškanska cerkev)、竜の橋Zmajski most)はリュブリャナのメインとなる建築物である。市庁舎近くのリュブリャナ市広場にはバロック様式のロブバ泉Robbov vodnjak)のレプリカがある。オリジナルのものはスロベニア国立美術館に移動し収蔵されている。泉はローマナヴォーナ広場にあるものに似てオベリスクと台部分のカルニオラ地方の3つの主要河川を象徴する3体の大理石の彫像が据えられている。この作品はイタリアの彫刻家フランチェスコ・ロッバによるもので、市内には彼の多くのバロック様式の彫刻が残されている。リュブリャナの教会では同様にこの様式が1511年の震災以後、広く普及している。[44]

ウィーン分離派の傑出したものはプレシェーレン広場竜の橋に見られる。ヨジェ・プレチニックが設計したいくつかの橋も含まれ、その中には三本橋スロベニア国立図書館も含まれる。[45] 1930年代に建てられたネボティチュニクは良く知られた高層住宅である。

観光

リュブリャナ城

リュブリャナ城

リュブリャナ城 (Ljubljanski grad) は市街を見下ろす丘の上に建っている。城の周辺は紀元前1200年以来、絶え間なく人が居住している。[46] 城の見張り塔は1848年に遡り見張り番が住み込み、火事の警告や重要な来訪者や出来事を大砲で知らせる義務があり、現在でも続いているが[46] 今日では観光客の呼び物となっている。文化的な行事や結婚式などがこの城では行われる。[47] 2006年からケーブルカーによって市街と丘の上の城が結ばれた。[48]

聖ニコラヤ大聖堂

聖ニコラヤ大聖堂

聖ニコラヤ大聖堂はリュブリャナ大司教区により管理されている。緑のドームと2つの塔により簡単に見分けることが出来、キュリロスとメトディオ広場(Ciril-Metodov trg)に面したリュブリャナ中央市場や市庁舎近くに位置する。[49]リュブリャナ教区は1461年に設立された。[49]1701年から1706年にかけてイエズス会の建築家アンドレア・ポッツォ(Andrea Pozzo)によりバロック様式の教会と2つの両側の礼拝堂の十字架の形で設計された。[49]ドームは1841年に中央部に造られている。[49]内装はバロック様式のフレスコにより1703年 - 1706年と1721年 - 1723年にイタリアのフレスコ画家ジュリオ・クアーリョ(Giulio Quaglio)により描かれた。

竜の橋

竜の橋 (Zmajski most)はリュブリャナがオーストリア=ハンガリー帝国の一部であった1900年 - 1901年に造られた。ウィーンで学んだダルマチア人建築家が設計しオーストリア人の技術者が建て、ウィーン分離派の建築物の中では傑出したものとされている。[8][50]一部の市民からは四隅の恐ろしい竜の顔になぞらえて「姑」と言うニックネームで呼ばれている。[51]

チョプヴァ通り

チョプヴァ通り

チョプヴァ通り (Čopova ulica)はリュブリャナ中心部を通る大通りである。通りの名は言語学者で文学史家のマティア・チョプに因み名付けられた。彼は19世紀初期のロマン主義の詩人フランツェ・プレシェーレンの親友であった。この通りはスロヴェンスカ通りに面した中央郵便局(Glavna pošta) やプレシェーレン広場(Prešernov trg)に続いており、通りにはバーやスロベニアでは一番古くからあるマクドナルドを含む様々な店舗が軒を連ねている。この通りは歩行者専用で都心のプロムナードと見なされている。

コングレスニ広場

コングレスニ広場はリュブリャナにとっては一番重要な中心である。広場は1821年にライバッハ会議を目的に造られ、後に現在の名称が付けられた。それ以来政治的な式典やデモ抗議の場所として重要な中心となっており、スロベニア人・クロアチア人・セルビア人国の設立式典、ベオグラード解放の式典、1988年のユーゴスラビア当局に対する抗議などが開かれている。広場周囲にはリュブリャナ大学スロベニア·フィルハーモニー管弦楽団Slovenska maticaウルスラの三位一体教会などの重要な組織の建物がある。2010年と2011年に大規模な改修が行われ現在ではほとんどの地上部分の道路交通は閉鎖されたが、商業目的の5区画と地下に多くの駐車場がある。[52]

ティヴォリ公園

ファイル:Tivoli park.jpg
ティヴォリ公園のヤコピプロムナード

リュブリャナティヴォリ公園 (Park Tivoli)はリュブリャナでは一番大きな公園である。 [53][54]公園は1813年にフランス人技術者ジャン·ブランチャードにより設計され、現在の面積は約5 km2 (1.9 sq mi).[53] である。公園はリュブリャナがフランス第一帝政下にあった1813年にレイアウトされパリのジャルダン・ディ・ティヴォリ(ティヴォリ公園)に因み名付けられた。[53]ティヴォリ公園の縁にある釣り堀は1880年に遡る。池の一方は小さな植物園でもう一方は子供の遊技場となっている。1921年と1939年にヨジェ・プレチニックによって刷新され彼により設計され中央部の広いプロムナードはヤコピチプロムナード(Jakopičevo sprehajališče)と呼ばれスロベニアの印象派画家リハルド・ヤコピチ(Rihard Jakopič)に因み名付けられている。[53][54]3つの主要な通りにはクリの木が植えられている。公園内には異なった種類の木や花園、いくつかの彫像、噴水などがある。[53][54]公園内にはティヴォリ城国立現代史博物館ティヴォリホールなどがある。[53]

肉屋の橋

ファイル:Sculptures on Butchers' Bridge.jpg
肉屋の橋の彫像

肉屋の橋(Mesarski most)はリュブリャニツァ川に架かる歩行者用の橋である。リュブリャナ中央市場とペトコヴシェケの土手を結んでいる。橋にはスロベニア人彫刻家ヤコヴ・ブルダール(Jakov Brdar)の作品で飾られ1930年代からのヨジェ・プレチニックの計画が完了した。2010年7月10日に公式に開通している。橋の開通後、恋人同士により橋のワイヤーに南京錠が掛け始められ、パリのポンテザールのような現象は永遠の愛を宣言する象徴となっている。

人口・宗教

1869年のリュブリャナの人口は約22,600人であった。[55]1931年には60,000人に増加している。2002年の国勢調査によればリュブリャナ市民の宗教分布は39.2%はカトリック教会、30.2%は無宗教、19.2%は不明、5.5%は正教、5.0%はイスラム教、残りの0.7%はプロテスタントか他の宗教を信仰している。[56]人口の84%はスロベニア語話者で、2番目がボスニア語話者、3番目にセルビア語話者がそれぞれ占めている。[57]

人口推移[55][58][59][60]

1600 1700 1754 1800 1846 1869 1880 1890 1900 1910 1921 1931 1948 1953 1961 1971 1981 1991 2002 2010
6,000 7,500 9,400 10,000 18,000 22,593 26,284 30,505 36,547 41,727 53,294 59,768 98,599 113,340 135,366 173,853 224,817 258,873 267,008 271,885

行政

リュブリャナ市はリュブリャナ市基礎自治体(MOL)により統治され、市議会により導かれている。市議会の議長は市長と呼ばれ、市議会の議員と市長は4年ごとの地元選挙により選出される。議会には自治体予算の草案作成や様々な役割があり、健康、スポーツ、金融、教育、環境保護、観光などの様々な委員会により支援されている。[61] 自治体は17の地区に分けられ、地区評議会が代表している。地区評議会は共に自治体の議会で活動し、既知の住民の提案や地区での活動の計画を行っている。[62][63]2002年 - 2006年の市長はダニツァ・シムシツ(Danica Simšič)であった。[64] 2006年10月22日の自治体選挙以来、2011年12月に国民議会の議員になるまでゾラン・ヤンコヴィッチがリュブリャナ市長を務めた。彼はスロベニアのスーパーマーケットチェーンであるメルカトルの前常務で、2006年の選挙では62.99%の投票率で当選している。[65]2010年10月10日の再選挙でヤンコヴィッチは64.79%の一般得票により他の4年の再選をされた。2006年から2010年10月まで市議会では45議席中、23議席をLista Zorana Jankovićaが過半数を占めた。[65]2011年12月21日からヤコヴィッチは国民議会の議員となり、副市長でLista Zorana Jankovićaのアレシュ・チェリンが自治体を率いて行くことになったが、チェリンは市長の地位には無い。市長の交代は法律に従い行われるが、補欠選挙が行われるまではその地位に関しては自治体の法規と合致している。[66]リュブリャナの治安に関してはリュブリャナ警察総局 (Policijska uprava Ljubljana)が担っている。[67] 市内には5つの地域署と4つの区域署がある。[68]交通の取り締まりは市交通監理官(Mestno redarstvo)が行っている。[69]リュブリャナは治安の良さや静かさの評価を得ている。[70][68]

リュブリャナの地区

リュブリャナの地区

経済

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リュブリャナ世界貿易センター

特に製薬石油化学、食品産業等の工業は重要な雇用として残っている。他の分野では銀行業、金融、交通、建設、技術関連、サービス業、観光業などが含まれる。公共部門では教育、文化、医療、官公庁などが雇用を提供している。リュブリャナ証券取引所(Ljubljanska borza)は2008年にウィーン証券取引所に買収され[71]、市場ではスロベニアの大手企業の株が取引されている。リュブリャナにはチェーンストアのメルツァトルや石油化学のペトログループ、テレコムコンツェルンのテレコムスロベニアなどのスロベニアの大手企業の本社がいくつか立地している。[72]15,000を超える企業がリュブリャナでは運営されており、そのほとんどは第三次産業である。[73] ビジネス、ショッピング、スポーツの複合施設であるBTCセンターには多くの企業や450を超える店舗が立地しこの種の施設ではヨーロッパ最大規模である。毎年、2,100万人が訪れている。[74][75] 施設の面積は475,000平方メートル (5,110,000 sq ft) を占め、リュブリャナ東部のモステ地区に位置する。[76][77][78]

文化

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フランツェ・プレシェーレンの像

リュブリャナには多くの美術館や博物館がある。2004年には15の博物館と41の美術館、11の劇場があり、4つのプロオーケストラがあった。[79] これらには建築博物館や鉄道博物館、スポーツ博物館、近代美術館、現代美術館、ビール醸造博物館、スロベニア国立歴史博物館、スロベニア民族誌博物館など様々なものが含まれている。[80]リュブリャナ動物園は 19.6ヘクタール (48エーカー)を占め、152種類の動物が展示されている。アンティーク蚤の市は毎週土曜日に開催されている。2006年には博物館には264,470人、美術館には403,890人、劇場には396,440人の来場者があった。[79]

毎年、10,000を超える文化的な催しがリュブリャナでは開かれその中には10の国際的な演劇や音楽、一般芸術のフェスティバルが含まれる。多くの音楽フェスティバルが催されるが、リュブリャナサマーフェスティバル (Ljubljanski poletni festival)の場合は主にクラシック音楽やジャズである。様々なスロベニアワインの中心的な地域にあり、リュブリャナは「ワインとブドウの木の町」として知られている。ブドウの木は城の丘の傾斜地を利用し、既にローマ時代のエモナの住民が栽培を行っていた。

1701年に今日のスロベニア·フィルハーモニー管弦楽団が初めての交響楽団としてリュブリャナに開かれ、この地域の音楽作成の発展に拍車をかけた。 スロベニア·フィルハーモニー管弦楽団の名誉会員にはフランツ・ヨーゼフ・ハイドンルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンヨハネス・ブラームスニコロ・パガニーニなどが含まれている。グスタフ・マーラーは初期のキャリアの中で、リュブリャナのオペラハウスの指揮者を務めており、1881年9月から1882年4月にかけて与えられた84の公演を完全にこなしている。[81] スロベニア国立美術館 (Narodna galerija)は1918年に設立され 、リュブリャナ近代美術館(Moderna galerija)と共にリュブリャではもっとも影響力があるスロベニア人芸術家の作品が展示されている。メテルコヴァ通り(Metelkova ulica)にあるソーシャルセンターではオルタナティブカルチャーに熱心で、以前のオーストリア=ハンガリーの兵舎を改装している。[82]Metelkovaメテルコヴァ)はユーゴスラビア軍に対するカウンターカルチャーの中心地であり、そこの壁は落書きで覆われている。また、この活気のある通りには多くのクラブやライブハウスがあり様々な音楽が演奏され、大部分はオルタナティヴ・ロックである。近代美術館の一部としてリュブリャナ現代美術館が2011年11月26日にメテルコヴァ通りに開館した。[83] 他のオルタナティブカルチャーの中心は以前のログファクトリーがあった場所で、1980年代リュブリャナは新スロベニア芸術Neue Slowenische Kunstの中心地となり、バンドのライバッハや画家のIRWIN、哲学者のスラヴォイ・ジジェクは関連付けられる。

教育

リュブリャナ大学本館

リュブリャナの人口の7分の1は学生で占められ都市に若々しい特徴を与えている。[84][85] リュブリャナ大学はスロベニアではもっとも重要でリュブリャナでは唯一の大学で1919年に設立された。[84]大学の本部はコングレスニ広場にあり、カルニオラの公邸として1902-1918年に使われていた建物を使用している。建物は1902年にチェコ人の建築家ヤン・ヴラディミル・フラスキー(Jan Vladimír Hráský)により設計され、後にウィーンのチェコ人建築家ヨシプ・フデッツ(Josip Hudetz)により造り直されている。2010年現在、23の学部と3のアカデミーがある。スロベニア語の学科や医学、応用科学、法律、経営学などのコースがあり[86]、64,000人の学生と3,500人の教授、教員が在籍する。[84]スロベニア国立・大学図書館には1,169,09冊の蔵書がある。リュブリャナ市内には55校の小学校に20,802人の生徒が、32校の中等学校に25,797人の生徒が在籍する。[84]1693年にリュブリャナでAcademia operosorum Labacensisが設立され、1701年に音楽協会が後に続いた。1938年にはスロベニア芸術科学アカデミーが成立した。

スポーツ

2006年リュブリャナマラソン

リュブリャナにはアイスホッケーのクラブチームHD HS OlimpijaŠD AlfaHK Slavijaなどがある。これらのチームはスロベニアホッケーリーグで競い合っており、HDD Olimpija Ljubljanaはオーストリアのリーグにも参加している。[87] バスケットボールのクラブチームにはKD SlovanŽKD Ježica LjubljanaKK Union Olimpijaなどがある。2010年以来、ストジツェスタジアムで試合が行われている。 リュブリャナにはプロサッカーリーグプルヴァ・リーガで活躍するクラブチームNKインテルブロック・リュブリャナ[88] NK Olimpija Ljubljanaがある。市内にはサッカースタジアムが2箇所ある。古くからあったベジグラドスタジアムは2011年に刷新されたが、ここをホームとしていたNKオリンピア・リュブリャナは2004年に負債を抱え破綻している。より大きいストジツェスタジアム (enが2010年8月にストジツェスポーツ公園に開業し緑の竜をシンボルとする新たに設立されたNK Olimpija Ljubljanaのホームとなっている他、スロベニア代表のホームスタジアムでもある。

1957年5月8日-10日以来毎年開催される第二次世界大戦中に有刺鉄線が張られていた場所を歩くイベントである Pot spominov in tovarištva, acronym (enは1945年5月9日にリュブリャナが解放されたことを記念し行われている。[89]10月にはリュブリャナマラソンが市街の通りで催され毎年多くのランナーをひき付けている。[90]

市街地の北西8kmのサヴァ川に隣接した場所にはカヌーやカヤックのコースであるTacen Whitewater Courseがあり、国際カヌー連盟主催の国際的な大会等が開催されている。[91]

スキースポーツは今日のリュブリャナでは第二次世界大戦以前から振興されている。[92] 1940年代より[92]、市内北西部のグンツリエではアルペンスキーが行われている。[93][94] 5つのスキージャンプ台がスキースロープの近くにあり[92]、スロベニアのオリンピックやワールドカップの選手がトレーニングや競争をここで行っている。[92][95]シシュカ地区のアレナ・トリグラヴ複合施設では6つのジャンプヒルを備えている。[96][97]

交通

道路

リュブリャナはスロベニア中央部に位置し幹線道路が交差する地点で[98]、東西は汎ヨーロッパ交通回廊5号線で南北方向は汎ヨーロッパ交通回廊10号線である。[99]リュブリャナはA1(欧州自動車道路70号線、E70)でマリボルオーストリアグラーツウィーンと結ばれている。南西方向はA1-E70によりイタリアのトリエステヴェネチアクロアチアリエカなどに通じる。[100] 東側はA2-E70によってクロアチアの首都ザグレブやハンガリーの他、ベオグラードなどのかつてユーゴスラビアであった国々の主要都市へ達する。[100]北西方向はA2-E61によってオーストリアのクラーゲンフルトザルツブルクなどに達し北ヨーロッパからスロベニアへ入国する観光客にとっては重要なポイントである。[100] ヴィグネットと呼ばれる道路税を徴収するステッカーシステムが2008年7月1日からリュブリャナ環状道路で導入されている。[101][102] [103]リュブリャナ中心部はラッシュ時には通勤客による渋滞で通行に難がある。[104]

航空

リュブリャナ・ヨゼ・プチニク空港(IATA LJU)は市の北側26kmの場所にあり、多くの欧州主要都市と結ばれている。当空港はアドリア航空のハブで、エールフランスブリュッセル航空イージージェットフィンランド航空など様々な航空会社が乗り入れる。[105]現在の空港は1933年に建設され、1963年まで使われていた空港に代わりに建設された。旧空港はスロベニアでは最初の民間空港で第二次世界大戦中や戦後は軍用として使われた。[106][107]最初の路線はベオグラード、ザグレブ、リエカの間で開設されている。[108][109]

鉄道

リュブリャナは北アドリア地域と中東欧をもっとも速く結ぶ汎ヨーロッパ鉄道回廊5号線上にあり[110] 、中央ヨーロッパからバルカン半島にかけての10号線も通る。[111] スロベニアを経由するすべての国際列車はリュブリャナ駅を経由する。[112]リュブリャナには6箇所の旅客駅と9つの停留所がある。[113]スロベニア鉄道のリュブリャナ駅は中央駅となるハブで、スロベニアでは一番規模が大きい駅である。リュブリャナ・ザログ駅はスロベニアの貨物の中枢となる操車場である。[112]また、いくつかの産業用の鉄道がリュブリャナには敷かれている。[114]

公共交通・その他

路線バス網はリュブリャナ旅客交通(Ljubljanski potniški promet,LPP)が運営し市内の公共交通を担っている。バスの車両は比較的モダンなものでいくつかの路線はラッシュ時の混雑が問題となっている。[115]バスはウルバナ(Urbana)と呼ばれるプリペイドカードか携帯電話で乗車することが出来る。バスは時折トロリーバスを表すトロール(troll)と呼ばれることがあり、リュブリャナのトロリーバスは1951-1971年まで活躍した。[108]トロリーバスは5系統あり、1958年までは路面電車も同時に走っていた。[116] リュブリャナバスステーションはリュブリャナのバスの中枢でリュブリャナバスステーション社(Avtobusna postaja Ljubljana)により運営されている。また、市内には多くのタクシー会社がある。[117]かつて存在したリュブリャナの路面電車は規模が小さかった。完成したのは1901年9月であった。[118] 1928年7月までにはバスを置き換え、財政的な損失からバスは1930年までには廃止され1931年に路面電車に置き換えらている。[118]第二次世界大戦後は自動車が増加しより重要になり、場所を取るようになり路面電車は廃れて来た。[116]自転車もリュブリャナでは重要な交通手段と考えられるようになり、2011年5月からBicikeljと呼ばれるセルフサービスのレンタサイクルサービスが住民や旅行者に開始され、300台の自転車と600の駐輪場、31のステーションなど市中心部に幅広く広がっている。日に2,500のレンタルがある。[119][120] 町の主要な通りは自転車の通行が禁止されているが、自転車道や道路標示の普及で部分的に規制は廃止されている。[121][122]

ゆかりの人物

姉妹都市

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外部リンク

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観光

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