紀元前12世紀
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(紀元前1200年から転送)
千年紀: | 紀元前2千年紀 |
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世紀: | 前13世紀 - 紀元前12世紀 - 前11世紀 |
紀元前12世紀(きげんぜんじゅうにせいき)は、西暦による紀元前1200年から紀元前1101年までの100年間を指す世紀。
出来事
[編集]紀元前1200年代
[編集]- 紀元前1200年頃
紀元前1190年代
[編集]- 紀元前1195年頃 - 地中海東岸の諸都市が「海の民」に破壊される。
- 紀元前1194年 - トロイア戦争の始まり(伝承に基づくエラトステネスの計算による)。
- 紀元前1192年頃 - 殷の武丁が死去(紀元前1250年頃 - (夏商周年表プロジェクトによる))。
- 紀元前1190年頃
- ヒッタイト王国の都ハットゥシャが陥落し統治機構は崩壊、同国は滅亡する。
- 最後のヒッタイト王シュッピルリウマ2世を称えるニシャンタシュ碑文が陥落直前に作られるが、王の記録はこれで途絶える。
- カルケミシュやタバルではヒッタイト残存勢力が再編成され(シロ・ヒッタイト国家群)、リュディア王国もその流れを汲む。
- トフマ川流域のメリドを中心にルウィ人系のカンマヌ王国が成立、アルスランテぺ(Arslantepe)遺跡がその地に比定されている。
- その後アナトリア中央部にはフリギアが進出し、ゴルディオンを中心として栄える。
- 後期ミケーネ文明(後期ヘラディック期III B)の終焉。
- ミケーネ・ティリンス・ピュロス・ミデアの諸宮殿が崩壊する。
- 続くヘラディック期III Cには集落は激減。線文字Bの記録も途絶える。
- ヒッタイト王国の都ハットゥシャが陥落し統治機構は崩壊、同国は滅亡する。
紀元前1180年代
[編集]紀元前1170年代
[編集]- 紀元前1178年4月16日 - ギリシア各地で皆既日食。
- 紀元前1178年頃 - エジプト王ラムセス3世がデルタの戦いで「海の民」連合軍に勝利する。
- 紀元前1175年頃 - エジプト王ラムセス3世がリビュア人の侵入を再び撃退。
紀元前1150年代
[編集]- 紀元前1159年頃 - アイスランドのヘクラ火山第三期噴火。
- 紀元前1158年頃 - エラム王シュトルク・ナフンテ1世がバビロンを陥落させカッシート朝を滅ぼす。
- ハンムラビ法典の石碑もこの時スサへ持ち出され、後世スサ遺跡で考古学者により発見される。
- この時期が中期エラム王国の最盛期で、エシュカフト・イ・サルマンの最古期の浮き彫りが作られる。
- エラム人退却の後にバビロンにはマルドゥク・カビト・アヘシュ王によりイシン第2王朝(バビロン第4王朝)が成立。
- 紀元前1157年頃 - ラムセス3世支配のエジプトのデール・エル・メディーナで建築職人によるストライキが発生(記録上最古のストライキ)。
- 紀元前1155年頃 - エジプト王ラムセス3世が暗殺され、暗殺の首謀者である王子ペンタウアーが処刑される。
紀元前1140年代
[編集]- 紀元前1141年頃 - エジプト王ラムセス5世死去。ミイラの調査からラムセス5世は世界最古の天然痘の罹患者だったことが判明している。
紀元前1120年代
[編集]- 紀元前1126年頃 - 伝承ではアテナイ王テュモエテスの死によりテセウス王家が断絶。アテナイ王にピュロス王家のメラントスが即位。
- 紀元前1125年頃 - イシン第2王朝のネブカドネザル1世王が即位( - 紀元前1104年)。
- この王は在世中にエラムを攻撃し、カッシート朝滅亡以来奪われていたマルドゥク神像をバビロンに持ち帰る。
- アッシリア王アッシュール・レシュ・イシ1世とも戦うがめぼしい戦果は得られず敗北する。
紀元前1110年代
[編集]- 紀元前1115年頃 - アッシリア王ティグラト・ピレセル1世が即位( - 紀元前1077年頃)。
- 即位から5年間は領土拡大政策により、旧ミタンニ領のフルリ人を服属させ、地中海まで進軍。
- 紀元前1112年頃 - 殷の文丁が即位。文丁は帝乙・比干・箕子の父でもある。
- 紀元前1110年頃 - ラムセス9世支配下のエジプトで王家の谷が盗掘され、調査により「墓泥棒のパピルス」が記録される。
紀元前1100年代
[編集]人物
[編集]- ヨシュア - ヘブライ人の士師・モーセの後継者
- シュッピルリウマ2世 - ヒッタイト王国の最後の王(在位前1215年/10年 - 前1190年頃)
- ラムセス3世 - エジプト第20王朝のファラオ(在位前1186年 - 前1155年)
- ラムセス4世
- ラムセス5世
- ラムセス6世
- ラムセス7世
- ラムセス8世
- ラムセス9世
- ラムセス10世
- ラムセス11世
- シュトルク・ナフンテ1世 - エラム王国の王(在位前1185年頃 - 前1155年頃)
- プリアモス - トロイア最後の王(在位? - 前1084年?)
- メラントス - アテナイ王(在位前1126年 - 前1089年)
- ネブカドネザル1世 - イシン第2王朝(バビロン第4王朝)の王(在位前1125年頃 - 前1104年頃)
伝説・架空のできごと
[編集]- 紀元前12世紀 - 周の祖古公亶父には太伯、虞仲、季歴の三兄弟がいた。末子季歴が優れた才を持っていたので、父の意を汲んだ太伯と虞仲は季歴に跡目を継がせるため出奔、荊蛮の地へと赴き断髪文身の習俗に合わせ呉国の祖となった。断髪文身の習俗を持つ倭人(日本人)はこの太伯の末裔だという(『翰苑』巻30に記録された『魏略』逸文や、『晋書』東夷伝、『梁書』東夷伝)。
- アガメムノンとオデュッセウスにトロイを陥落させる方法を考えるように言われ、初代ドクターがトロイアの木馬作戦を考案。
参考文献
[編集]- エリック・H・クライン著 安原和見訳 『B.C.1177 - 古代グローバル文明の崩壊』 筑摩書房、2018年。ISBN 978-4-480-85816-0。