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「ロンドン警視庁」の版間の差分

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{{Otheruses||[[シティ・オブ・ロンドン]]を管轄する警察|ロンドン市警察}}
'''ロンドン警視庁'''(ロンドンけいしちょう、[[英語|英称]]:''Metropolitan Police Service''、[[略語|略称]]:''MPS'')は、[[イギリス]]の[[首都]][[ロンドン]]市内で、[[シティ・オブ・ロンドン]]を除く[[グレーター・ロンドン]]を管轄する[[警察]]組織である(なお、シティ・オブ・ロンドンは[[ロンドン市警察]]の管轄である)。[[1829年]]創設。
{{行政官庁
|国名 = [[File:Flag of England.svg|20px]] [[グレーター・ロンドン|大ロンドン]]
|正式名称 = ロンドン警視庁
|公用語名 = Metropolitan Police Service
|紋章 = Flag of Metropolitan Police.svg
|紋章サイズ = 240px
|画像 = New Scotland Yard sign 3.jpg
|画像サイズ = 280px
|画像説明 = ニュー・スコットランドヤード本部
|主席閣僚職名 = [[警視総監]]
|主席閣僚氏名 =
|次席閣僚職名 = 警視総監補
|次席閣僚氏名 =
|補佐官職名 =
|補佐官氏名 =
|次官職名 =
|次官氏名 =
|上部組織 = 上部組織
|上部組織概要 = ロンドン公安委員会(Metropolitan Police Authority)
|下部組織1 = 内部組織
|下部組織概要1 = 地区警ら部、専門刑事部、中央作戦部、特殊作戦部、総務部
|下部組織2 =
|下部組織概要2 =
|下部組織3 =
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|下部組織概要6 =
|所在地 = [[グレーター・ロンドン]] [[シティ・オブ・ウェストミンスター]] ニュー・スコットランドヤード
|位置 = {{coord|51|29|54.9|N|0|7|58.9|W|region:JP|display=inline,title}}
|定員 =
|年間予算 = 41億[[UKポンド|ポンド]]<ref>{{cite web|url=http://www.personneltoday.com/articles/2008/02/14/44429/met-police-budget-settlement-to-put-more-police-on-beat-in-london.html |title=Met Police budget settlement to put more police on beat in London |publisher=Personneltoday.com |date=14 February 2008 |accessdate=6 May 2009}}</ref>
|会計年度 =
|設置年月日 = [[1829年]][[9月29日]]
|改称年月日 =
|前身 =
|ウェブサイト = [http://www.met.police.uk/ Metropolitan Police Service(ロンドン警視庁)]
|その他 =
}}
'''ロンドン警視庁'''(ロンドンけいしちょう、[[英語|英称]]:'''Metropolitan Police Service'''、[[略語|略称]]:'''MPS''')は、[[イギリス]]の[[首都]][[ロンドン]]市内で[[シティ・オブ・ロンドン]]を除く[[グレーター・ロンドン]]を管轄する[[警察]]組織である。本部所在地は[[ウェストミンスター]] ニュー・スコットランドヤード。[[1829年]]創設。


''the Met''、''Met Pol''、''MP''、''the MPS''など、非公式の呼び名や略称が数多くある。初代本部所在地に因んだ名「'''[[スコットランドヤード]]'''」の[[愛称]]はロンドン市民にとどまらず、世界中に広く知られ親しまれている通称である。また、特に日本においては'''ロンドン警視庁'''と訳されることが多い<ref>[http://www.met.police.uk/translations/ About the MPS - Translations] - ロンドン警視庁公式サイトにおける日本語での紹介文。</ref><ref>[http://www.npa.go.jp/hakusyo/index.htm 警察庁警察白書] - 公式文書中に記述がある。</ref>。これは、日本(東京)の[[警視庁]]に倣って訳されたとする説もある<ref>{{Citation|和書|author= 読売新聞校閲部|year= 2002|title= 新聞カタカナ語辞典 - 人名、商品名収録|publisher= 中公新書(中央公論社)}}</ref>。
単に'''Metropolitan Police'''や'''the Met'''と呼ばれたり、'''MP'''、'''MPS'''などと略記されることもある。'''[[スコットランドヤード]]'''の[[愛称]]で知られる。


ロンドン市内140警察署を置ている<ref>[http://www.met.police.uk/local/ MPS Local Information]</ref>。
ニュー・スコットランドヤード本部のほか、ロンドン市内140箇所に警察署をている<ref>[http://www.met.police.uk/local/ MPS Local Information]</ref>。

== 歴史 ==
ロンドン警視庁は[[1829年]][[9月29日]]に創設され、当時首都警察の構想を打ち出した内務大臣[[ロバート・ピール]]卿に因んで、警察官は親しみをこめて“ボビー”や“ピーラー”と呼ばれた。初代本部庁舎は4階建て<ref>http://www.e-1day.jp/morning/kurohakubutsukan/070607.html</ref>で、イギリス政治の中枢である[[ホワイトホール (ロンドン)|ホワイトホール]]のホワイトホール・プレイス4番地に置かれ、裏口はグレート・スコットランドヤードに面していた。こうして、[[スコットランドヤード]]の名がロンドン警視庁本部庁舎、さらにはロンドン警視庁そのものを指す愛称として、市民の間に広まっていった。イギリスのロンドン警視庁は[[グラスゴー市警察]]と[[パリ警視庁]]に次いで、世界で3番目の非準軍事的な都市警察となった。


== 管轄区域と他の警察 ==
== 管轄区域と他の警察 ==
首都の管轄する区域は首都警察管区 (Metropolitan Police District; MPD) として知られ、その区域はシティ・オブ・ロンドンを除、グレーター・ロンドンを構成している32の[[ロンドンの特別区|ロンドン特別区]]全域に及ぶ。
ロンドン視庁の管轄する区域は首都警察管区 (Metropolitan Police District; MPD) として知られ、その区域はシティ・オブ・ロンドンを除いた、グレーター・ロンドンを構成る32の[[ロンドンの特別区|ロンドン特別区]]全域に及ぶ。[[2000年]][[4月1日]]以前、グレーター・ロンドンの境界が確定するまでは、MPDには[[サリー (イングランド)|サリー州]]、[[ハートフォードシャー|ハートフォードシャー州]]、[[エセックス|エセックス州]]の一部も含まれていた


その他、ロンドン市内にはロンドン警視庁以外にも様々な警察が活動している。
[[2000年]][[4月1日]]以前、グレーター・ロンドンの境界が確定する前は、MPDには[[サリー (イングランド)|サリー州]]、[[ハートフォードシャー|ハートフォードシャー州]]、[[エセックス|エセックス州]]の一部も含まれていた。


[[ロンドン市警察]]がスクエアマイル(約1マイル四方)のシティ・オブ・ロンドンを管轄しているほか、[[イギリス鉄道警察]]は[[ロンドン地下鉄]]や[[トラムリンク]]、[[ドックランズ・ライト・レイルウェイ]]等のイギリス鉄道網を管轄し<ref>http://www.btp.police.uk/</ref>、[[国防省 (イギリス)|国防省]]警察もロンドンの国防省本庁舎をはじめとするイギリス国内にあるイギリス軍の基地や軍所有地を管轄している<ref>http://www.modpoliceofficers.co.uk/default.asp</ref>。
その他、ロンドン市内には首都警察以外にも様々な警察が活動している。


グレーター・ロンドン内の王立公園の警察業務を管轄していた王立公園警察も、[[2004年]][[4月1日]]にロンドン警視庁に吸収合併された。[[キューガーデン]]の警備にあたるキュー公園警察、同じく[[ハムステッドヒース]]のハムステッドヒース警察など、数少ないながらも現在でも公園警察が残されているところもあるが、万一公園内で凶悪犯罪や重大な事件が発生した場合は、ロンドン警視庁がそれらの事件を担当する。
[[ロンドン市警察]]が約1マイル四方のシティ・オブ・ロンドンを管轄しているほか、[[イギリス鉄道警察]]は[[ロンドン地下鉄]]や[[トラムリンク]]、[[ドックランズ・ライト・レイルウェイ]]などのイギリス鉄道網を管轄し<ref>http://www.btp.police.uk/</ref>、[[国防省 (イギリス)|国防省]]警察もロンドンの国防省本庁舎をはじめとするイギリス国内にあるイギリス軍の基地や軍所有地を管轄している<ref>http://www.modpoliceofficers.co.uk/default.asp</ref>。


== 組織と機構 ==
グレーター・ロンドン内の王立公園の警察業務を管轄していた王立公園警察も、[[2004年]][[4月1日]]に首都警察に吸収合併された。[[キューガーデン]]の警備にあたるキュー公園警察、同じく[[ハムステッドヒース]]のハムステッドヒース警察など、数少ないながらも今でも公園警察が残されているところもあるが、万一公園内で凶悪犯罪や重大な事件が発生した場合は、首都警察がそれらの事件を担当する。
{{Main|ロンドン警視庁の組織}}


ロンドン警視庁は地区警ら部、専門刑事部、特殊作戦部、中央作戦部、そして管理支援部と、大きく5つの部局に分かれており、それぞれに異なる責務を負っている。各部局は警視監(または管理部の場合は国家公務員階級同等の管理職警察職員)が監督する。管理委員会は警視総監、警視総監補および内部部局の長から構成されている。
== 歴史 ==

首都警察は[[1829年]][[9月29日]]に設立され、当時首都警察の構想を打ち出した内務大臣[[ロバート・ピール]]に因んで、警察官は親しみをこめて“ボビー”や“ピーラー”と呼ばれた。本部は4階建て<ref>http://www.e-1day.jp/morning/kurohakubutsukan/070607.html</ref>で、政治の中枢である[[ホワイトホール (ロンドン)|ホワイトホール]]のホワイトホール・プレイス4番地に置かれ、裏口はグレート・スコットランドヤードに面していた。こうして、[[スコットランドヤード]]の名が首都警察本部庁舎、さらには首都警察そのものを指す愛称として、市民の間に広まっていった。イギリスの首都警察は、[[グラスゴー市警察]]と[[パリ警視庁]]に次いで、世界で3番目の非準軍事的な都市警察となった。
== 階級 ==
警察階級は肩章によって示され、ロンドン警視庁の階級は下位から警視正までは標準的なイギリスの警察階級に則っている。ただし、標準階級の上位3階級の代わりに最上位の5階級を設けている。

2003年10月には名札バッジの使用を承認し、2004年9月以降の新入職員からマジックテープ式の記章を着用するようになった。記章は着用者の階級及び名字から成る。

肩章のID番号が隠れたまま制服警官が暴力行為に及んだ事件に関して論争が続いたあと、2009年[[第2回20か国・地域首脳会合|G20ロンドン・サミット]]会期中に警視総監ポール・スティーブンソン(当時)が「(肩章のID番号より)公衆には職務中のすべての制服警官の身分を明らかにすることのできる権利がある。」と述べた。

ロンドン警視庁の階級構造と肩バッジの特徴は以下の通りである。

{| border="1" cellspacing="0" cellpadding="5" style="border-collapse:collapse;" class="wikitable"
!階級
!対応する日本の階級
!階級章
!備考
|-
|Commissioner
|警視総監
|[[File:Uk-police-11.PNG|center|60px]]
|警視長記章の上にピップス1つと[[クラウン (紋章学)|クラウン]]1つ
|-
|Deputy Commissioner
|警視総監補
|[[File:Uk-police-10.PNG|center|60px]]
|警視長記章の上に横並びのピップス2つとクラウン1つ
|-
|Assistant Commissioner
|警視監
|[[File:Uk-police-09.PNG|center|60px]]
|警視長記章の上にクラウン1つ
|-
|Deputy Assistant Commissioner
|警視監補
|[[File:Uk-police-08.PNG|center|60px]]
|警視長記章の上にピップ1つ
|-
|Commander
|警視長
|[[File:Uk-police-07.PNG|center|60px]]
|ベイリーフ・リースの中に交差するチップスタッフ1組。これより上位は英国警察長協会ACPO(Association of Chief Police Officers)階級。
|-
|Chief Superintendent
|警視正
|[[File:Uk-police-06.PNG|center|60px]]
|ピップ1つの上にクラウン1つ
|-
|Superintendent
|警視
|[[File:Uk-police-05.PNG|center|60px]]
|クラウン1つ
|-
|Chief Inspector
|警部
|[[File:Uk-police-04.PNG|center|60px]]
|ピップス3つ
|-
|Inspector
|警部補
|[[File:Uk-police-03.PNG|center|60px]]
|俗に"ピップス"として知られる、[[バス勲章]]の星章2つ
|-
|Sergeant
|巡査部長
|[[File:Uk-police-02.PNG|center|60px]]
|区別記号及び肩章番号の上に下向き3本[[シェブロン (紋章学)|シェブロン]]。短期間の巡査部長の任務を引き受けることを許容された正式な巡査が"代理の"巡査部長として着用する際は、区別記号及び肩章番号の上に下向き2本シェブロン。巡査部長代理が3本シェブロンの肩章を使用することは厳密には不正確であり、一時的に昇進する間のみに使用されるはずである。
|-
|Police Constable
|巡査
|[[File:Uk-police-01.PNG|center|60px]]
|区別記号及び肩章番号
|-
|Special Constable
|特別巡査
|
|特別巡査のクラウン1つ、区別記号及び肩章番号
|}


== 体制 ==
== 体制 ==
=== 所属警察官 ===
(データは2006/2007年度の統計<ref>[http://police.homeoffice.gov.uk/performance-and-measurement/performance-assessment/assessments-2006-2007/metropolitan-police Police Performance Assessments 2006/2007]</ref>に基づく。)
(2011年10月末現在)
* 警察官(常勤):31,128人
*常勤警察官:31,478人<ref name="police1">{{cite web|url=http://www.mpa.gov.uk/statistics/police-numbers/|title=MPS Police officer, staff and PCSO numbers|publisher=Metropolitan Police Authority |accessdate=22 December 2011}}</ref>
* 警察職員:14,016人
*地域住民警察支援担当官(PCSO; 補助警察官):3,832人<ref name="police1"/>
* 特別巡査:1,741人
*特別巡査(MSC):5,479人<ref name="police1"/>
* 地域住民警察支援担当官(交通監視員を含む):3,694人
*騎馬隊:騎手140人超および騎馬120頭<ref name="mountedpolice">{{cite web|url=http://www.met.police.uk/mountedbranch/index.htm|title=Mounted Branch&nbsp;– Introduction|publisher=Metropolitan Police|accessdate=22 December 2011}}</ref>
* その他の職員:493人
*その他警察職員:13,351人<ref name="police1"/>


=== 警察官人員の変遷 ===
=== 警察官人員の変遷 ===
* 2010年 - 33,260人(非常勤労働の3,125人の特別巡査を除く)<ref>{{cite web |url=http://www.mpa.gov.uk/statistics/annual-police-numbers/ |title=MPS Police officer, staff and PCSO numbers: 31/03/10 |accessdate=18 July 2011}}</ref>
* 2007年 — 約31,000人
* 2009年 - 32,543人(非常勤労働の2,622人の特別巡査を除く)<ref>{{cite web |url=http://www.mpa.gov.uk/statistics/annual-police-numbers/ |title=MPS Police officer, staff and PCSO numbers: 31/03/09 |accessdate=18 July 2011}}</ref>
* 2003年 — 約28,000人<ref>[http://www.london.gov.uk/view_press_release.jsp?releaseid=1657 GLA press release], 11 March 2003</ref>
* 200125,000人<ref>[http://www.publications.parliament.uk/pa/cm200001/cmhansrd/vo010423/text/10423w32.htm Hansard], 23 April 2001</ref>
* 2004-31,000人<ref name=GLA1>[http://www.london.gov.uk/view_press_release.jsp?releaseid=1657 GLA press release], 11 March 2003</ref>
* 2003年 - 約28,000人<ref name=GLA1/>
* 1984年 — 約27,000人<ref>[http://www.publications.parliament.uk/pa/cm199596/cmhansrd/vo960226/text/60226w27.htm Hansard], 26 February 1996</ref>
* 2001年 - 約25,000人<ref>[http://www.publications.parliament.uk/pa/cm200001/cmhansrd/vo010423/text/10423w32.htm Hansard], 23 April 2001. 当時のロンドンの人口は7,172,000人。</ref>
* 1965年 — 18,016人<ref>''The Thin Blue Line'', Police Council for Great Britain Staff Side Claim for Undermanning Supplements, 1965</ref>
* 1984年 - 約27,000人<ref>[http://www.publications.parliament.uk/pa/cm199596/cmhansrd/vo960226/text/60226w27.htm Hansard], 26 February 1996</ref>
* 1952年 — 16,400人<ref>Report of the Commissioner of Police of the Metropolis for the Year 1952</ref>
* 1965年 - 18,016人<ref>''The Thin Blue Line'', Police Council for Great Britain Staff Side Claim for Undermanning Supplements, 1965</ref>
* 1952年 - 16,400人<ref>Report of the Commissioner of Police of the Metropolis for the Year 1952. 警視正35人(うち女性1人)、警視正刑事12人、警視62人(うち女性1人)、警視刑事16人、警部128人(うち女性5人)、警部刑事64人(うち女性1人)、警察署配属警部補20人、警部補465人(うち女性4人)、警部補刑事140人(うち女性1人)、警察署配属巡査部長441人、一等巡査部長刑事202人、巡査部長1,834人(うち女性32人)、、二等巡査部長刑事414人(うち女性6人)、巡査11,951人(うち女性310人)、巡査刑事615人(うち女性27人)。公式な常置人員は20,045人。</ref>
* 1912年 - 20,529人<ref>Raymond B. Fosdick, ''European Police Systems'', 1915. 警視33人、警部と警部補の計607人、巡査部長2,747人、巡査17,142人を含む。1912年12月31日時点。</ref>


== 脚注 ==
===所有装備===
ロンドン警視庁は8,000以上<ref>[http://www.met.police.uk/careers/policestaff/fleet_manager.html ]{{dead link|date=July 2011}}</ref>の車両・船舶等を管理・維持しており、幅広い任務で使用している<ref name=fleet>{{cite web|url=http://www.met.police.uk/foi/pdfs/disclosure_2011/february/2011010002376.pdf|title=List of vehicles currently operated by the MPS etc.|format=PDF |accessdate=22 December 2011}}</ref>
{{Reflist}}

*'''地域車両''':パトロールや追跡
*'''事故反応車両''' (IRV):パトロールや緊急時反応
*'''交通部隊''':幹線道のパトロール、交通違反の摘発、道路安全の促進
*'''保護輸送車両''':公共秩序維持
*'''抑制部隊''':事故処理、制圧目的
*'''多目的装甲車両''':公共秩序維持、空港任務
*'''一般用車両''':一般的な支援、警官または装備の輸送
*'''教習用車両''':警察車両運転者養成用
*'''その他車両''':馬匹運搬車、トレーラー等

ロンドン警視庁の最前線で用いられている車両の一覧はこちら。<ref name="fleet"/>

大多数の車両は3年から5年の運用寿命で、毎年およそ800台から1,000台の間で置き換え、更新が進んでいる。

また、航空支援隊は3台のヘリコプター[[ユーロコプター EC 145]]を所有しており、India 97、India 98、India 99、のコールサインを使用している。これらのヘリコプターはロンドン警視庁向けの塗装が施され、幅広い任務に使用されている。各々の運用経費は520万ポンドで、運用寿命は10年とされており、2017年に更新される予定である。<ref name=fleet/>

ロンドン警視庁海上保安部はロンドン東部[[ドックランズ]]のワッピング地区を拠点に、計22隻の船舶を運用している。

== 警察署 ==
ニュー・スコットランドヤード本部に加えて、ロンドン市内には140の[[警察署]]が置かれている。<ref>{{cite web|url=http://www.met.police.uk/contacts/AZPhonenumbers.htm |title=Met Police stations: A-Z Directory |publisher=Metropolitan Police |accessdate=8 June 2009}}</ref>これらの警察署は、24時間警察官が常駐する大規模警察署から、一般的な勤務時間の間あるいは一週間のうち決まった曜日のみ応対する小規模警察署まで様々である。

[[File:Met Police Blue Lamp.jpg|thumb|right|upright|多くの警察署の前には伝統的な青い街灯が設置されている。この写真はボウ・ストリート警察署のもの。]]
ほとんどの警察署は入口前に設置された一つまたは複数の青い街灯によって簡単に見分けることができる。この街灯は1861年に導入された。

1881年にボウ・ストリートに設置された最も歴史のある警察署は1992年に閉署し、2006年7月14日に最後の訴訟を処理したボウ・ストリート治安判事裁判所の隣接地に移転した。<ref>{{cite news|url=http://news.bbc.co.uk/1/hi/england/london/5179270.stm |title=BBC: Bow Street court closes its doors |publisher=BBC News |date=14 July 2006 |accessdate=8 June 2009}}</ref>現在まで運用を続けている最古の警察署はワッピングにあり、1908年に開署した。[[テムズ川]]の警備を司るロンドン警視庁海上保安部(旧・テムズ局)の本部もここに置かれている。また、霊安室やテムズ川警察博物館も併設している。

パディントン・グリーン警察署は地下にテロ容疑者の収容施設をもつことで世間から多くの注目を集める警察署である。

[[File:Wapping Met Police marine station.jpg|thumb|right|ワッピングに本部を置くロンドン警視庁海上保安部]]
ロンドン警視庁の警察署は様々な役割を担っており、そこには多くの警察職員の階級が存在する。
* 制服警察官および特別巡査は[[緊急通報用電話番号|緊急通報]]を受理する責任を持つ。
* 近隣防犯チーム(SNTs)を構成する制服警察官および特別巡査は特定の地域を保安する。
* 地域住民警察支援担当官は地域全般に駐在する責務を負い、保安義務を補佐する。
* ロンドン警視庁に雇用される交通監視員は人々に駐車規制を遵守させることを職務とする。
* 非警察職員の警察署の受付職員または地域住民警察支援担当官は総合管理部門に従って警察署の受付に入ってくる人々に接する責務を負う。
* 非警察職員の指紋および身分証明に関わる職員は犯罪の身分証明アーカイブのメンテナンスを責務とする。
* 警察官候補生は警察官と地域住民警察支援担当官、また他の警察職員を補佐する。
* 犯罪捜査局の刑事は犯罪捜査に関係する。

ほとんどの警察署には逮捕者を一時的に勾留するための独房がある。

2004年には公共政策研究所から、警察権力とより広いコミュニティの間の関係を改善する助けとなる、より想像力に富んだ警察署の構想が提示された。<ref>[http://www.ippr.org.uk/ecomm/files/reinventing_police_station.pdf Institute for Public Policy Research: Re-inventing the police station] (PDF)</ref>

== 管内で発生した著名な重大事件 ==
ロンドン警視庁の関わった著名な重大事件を以下に示す。

* '''[[ホワイトチャペル]]殺人事件'''([[1888年]] - [[1891年]]):[[切り裂きジャック]]が5人の[[売春婦]]を殺害したとみられるものの、一連の[[猟奇殺人]]の被疑者は発見されず、その正体も未だ特定されていない[[未解決事件]]。

* '''シドニー・ストリートの包囲戦'''([[1911年]]):1911年1月2日、宝石強盗を試みた[[ラトビア]]人暴力団の一味が強盗に失敗した後に一組の人質を取った事件。後れて現場に到着した内務大臣[[ウィンストン・チャーチル]](当時)が[[ロンドン塔]]から警察の支援をするために[[近衛兵 (イギリス)#スコッツガーズ|スコッツガーズ]]の分遣隊に権限を与えた。<ref>{{cite web|url=http://www.met.police.uk/history/sidney_street.htm |title=Metropolitan Police Service&nbsp;– History of the Metropolitan Police Service |publisher=Metropolitan Police |accessdate=6 May 2009}}</ref>

* '''[[IRA暫定派|アイルランド共和軍暫定派]]爆撃戦''':([[1969年]] - [[1997年]])20世紀最後の四半世紀を通して、[[IRA暫定派]]によって膨大な数の爆撃が実行され、それらの爆撃は首都警察管区やロンドン中心部にも仕掛けられた。<ref>{{cite news|url=http://findarticles.com/p/articles/mi_qn4158/is_/ai_n14726815 |title=TERROR IN LONDON: LONDON UNDER ATTACK: THE IRA CAMPAIGN &#124; Independent, The (London) &#124; Find Articles at BNET |publisher=Findarticles.com |accessdate=6 May 2009 |deadurl=yes}} {{Dead link|date=September 2010|bot=H3llBot}}</ref>

* '''バルカム・ストリート包囲戦'''([[1975年]]):1975年12月6日から12日にかけて、IRA暫定派のメンバーが警察からの逃亡中に一組の人質を取った。<ref>{{cite news|url=http://news.bbc.co.uk/onthisday/hi/dates/stories/december/6/newsid_4261000/4261478.stm |title=BBC ON THIS DAY &#124; 6 &#124; 1975: Couple under siege in Balcombe Street |publisher=BBC News |date=6 December 1975 |accessdate=6 May 2009}}</ref>一連の出来事はテレビ放映された。

* '''スパゲティー・ハウス包囲戦'''(1975年):1975年9月18日、[[黒人解放軍]]のメンバーとみられる男数人が世間の注目を集める目的でスパゲティー・ハウス・レストランへ拳銃強盗に押し入ろうとした。しかし、警察によって犯行現場を発見され、強盗するはずだった男たちは人質を取って立てこもり始めた。<ref>{{cite news|url=http://news.bbc.co.uk/onthisday/hi/dates/stories/october/3/newsid_4286000/4286414.stm |title=BBC ON THIS DAY &#124; 3 &#124; 1975: London's Spaghetti House siege ends |publisher=BBC News |date=3 October 1995 |accessdate=6 May 2009}}</ref>

* '''ムーアゲート地下鉄事故'''(1975年):[[ロンドン地下鉄]][[ムーアゲート駅]]で[[オーバーラン]]した列車がトンネル出口の[[車止め]]に衝突し、43人が死亡。ロンドン地下鉄史上最大の死者数となった。<ref>{{cite news|url=http://news.bbc.co.uk/onthisday/hi/witness/february/28/newsid_4298000/4298307.stm |title=website: on this day 28&nbsp;February&nbsp;1975 |publisher=BBC News |date=28 February 1975 |accessdate=8 June 2009}}</ref>

* '''[[ノッティング・ヒル]]・カーニバル暴動'''([[1976年]]):1976年8月30日、ロンドン警視庁の警官がノッティング・ヒル・カーニバルの会場で[[スリ]]の容疑者を逮捕しようとした後、暴動が起こり、100人を超える警官が病院に搬送された。<ref>{{cite news|url=http://news.bbc.co.uk/onthisday/hi/dates/stories/august/30/newsid_2511000/2511059.stm |title=website: on this day 30&nbsp;August&nbsp;1975 |publisher=BBC News |date=30 August 1976 |accessdate=8 June 2009}}</ref>

* '''マスウェル・ヒル殺人事件'''([[1978年]] - [[1983年]]):連続殺人犯デニス・ニルセンは5年間に少なくとも15人の男性と少年を殺害した。彼は性行為のために死体を保存した後、燃やしたり下水に流したりして死体を遺棄することで知られていた。ロンドン警視庁の警官が彼を逮捕した際、マスウェル・ヒルにある彼の自宅から死体の一部が発見された。<ref>{{cite web|url=http://www.crimeandinvestigation.co.uk/famous_criminal/14/biography/1/Dennis_Nilsen.htm |title=Famous Criminals: Dennis Nilsen |publisher=Crimeandinvestigation.co.uk |accessdate=8 June 2009}}</ref>

* '''ブレア・ピーチの死'''([[1979年]]):1979年4月にサウソールの町役場で行われた[[イギリス国民戦線]]の選挙会合に反対する反ナチリーグのデモ中に、教員だったピーチ先生は致命傷を負った。彼は翌日、病院で意識を失って死亡した。警察の蛮行は決して彼の死を招く有力な原因にはならなかったことが判明したが、彼はロンドン警視庁の特殊パトロール班(現在は廃止)所属の警官に殴りかかられたのだとして非難された。<ref>{{cite web|author=4:00&nbsp;am Monday 9 Mar 2009 |url=http://www.nzherald.co.nz/world/news/article.cfm?c_id=2&objectid=10560632 |title=Activists to mark death of teacher&nbsp;– World&nbsp;– NZ Herald News |work=The New Zealand Herald |date=9 March 2009 |accessdate=6 May 2009}}</ref>2010年、警察の報告により「どちらが始めたか」について、ロンドン警視庁の警官が「致命的な一撃を与えた」可能性があり、ある無名の警察官に重大な容疑がかけられることが発表された。その警官は2人の同僚と共に事態の隠滅に関係していたかもしれないと話している。<ref>{{cite news| url=http://news.bbc.co.uk/1/hi/uk/8645485.stm |work=BBC News | title=Peach 'died after police attack' | date=27 April 2010}}</ref>

* '''[[駐英イラン大使館占拠事件]]'''(1980年):アラブ自由と民主革命運動(DRMLA)を名乗るテロリスト集団のメンバーが大使館職員を人質に取って大使館を占拠した。ロンドン警視庁の[[交渉人]]が交渉任務に当たるなどして事件に大きく関わっていたが、6日目に事態が一変して人質のうちの1名が殺害されると、指揮権は[[イギリス陸軍]]に委譲され、[[特殊部隊]][[SAS (イギリス陸軍)|SAS]]が大使館ビルに突入した。テロリスト6名のうち5名を射殺し、26名の人質は無事に解放された。<ref>{{cite news|url=http://www.guardian.co.uk/Archive/Article/0,4273,4467433,00.html |title=Six days that shook Britain |work=The Guardian |location=London |date=24 July 2002 |author=Peter Taylor |accessdate=11 June 2009 }}</ref>

* '''ブリクストン暴動'''([[1981年]]):1980年代初め頃、警官が非行や犯罪の疑いを持った人々を止めることを法的に認めた不審者抑止法に基づく路上犯罪削減のために、ロンドン警視庁はオペレーション・スワンプ(沼地作戦)を実施した。黒人青年が刺殺された後、黒人社会の緊張が高まり、1981年4月11日に大規模な暴動が発生した。<ref>{{cite news|url=http://news.bbc.co.uk/onthisday/hi/dates/stories/november/25/newsid_2546000/2546233.stm |title=website: on this day 25&nbsp;November&nbsp;1981 |publisher=BBC News |date=25 November 1963 |accessdate=8 June 2009}}</ref>

* '''鉄道強姦事件'''([[1982年]] - [[1986年]]):ジョン・ダフィーとデビッド・マッケイの2人はロンドン近郊や[[サウス・イースト・イングランド]]の鉄道駅で計18人の女性および少女に対して強姦行為を犯し、そのうち3人を殺害した。ロンドン警視庁の警官は近隣の警察と連携して事件解決に向けて臨んだ。ダフィーは1988年に有罪判決を受けたが、マッケイには10年近くの間、刑事罰が下されなかった。<ref>{{cite news|url=http://news.bbc.co.uk/1/hi/uk/1146657.stm |title=website: Life for depraved killer |publisher=BBC News |date=2 February 2001 |accessdate=8 June 2009}}</ref>

* '''ブリクストン暴動'''([[1985年]]):警察が母親の家に潜伏していると思われていたマイケル・グロウスを火器の違法使用の疑いで捜査中に、彼の母ドロシー・グロウスを誤射したことを発端とする暴動が1985年9月28日に勃発した。彼はその時、母親の家には不在であった。母ドロシーは撃ち込まれた弾丸によって部分麻痺だった。<ref>{{cite news|url=http://news.bbc.co.uk/onthisday/hi/dates/stories/september/28/newsid_2540000/2540397.stm |title=On this day 28&nbsp;September&nbsp;1985 |publisher=BBC News |date=28 September 1995 |accessdate=8 June 2009}}</ref>

* '''ブロードウォーター・ファーム暴動'''(1985年):上記のブリクストン暴動の一週間後、黒人社会の緊張状態は依然高く、捜査対象にされていた黒人男性の母親が警察の捜査中に心臓発作で死亡した後で、北ロンドンのトッテナムで暴動が発生した。暴動の最中、ロンドン警視庁所属のキース・ブレークロック巡査が殺害され、殉職。この殺人事件は未だ解決していない。<ref>{{cite news|url=http://news.bbc.co.uk/onthisday/hi/dates/stories/october/6/newsid_4094000/4094928.stm |title=On this day 6&nbsp;October&nbsp;1985 |publisher=BBC News |accessdate=8 June 2009 | date=6 October 1985}}</ref>

* '''ストックウェル絞殺事件'''(1986年):連続殺人犯ケネス・アースキンはストックウェルで高齢者の男女の家に押し入り、首を絞めて殺人を犯した。多くのケースで、殺害の前には性的暴行が加えられた。2009年、控訴後に責任能力の減退があるとする意見により、アースキンに対する有罪判決は故殺に減軽された。<ref>{{cite web|url=http://www.serialkillers.nl/kenneth-erskine/kenneth-erskine.htm |title=Serial Killers: Kenneth Erskine |publisher=Serialkillers.nl |accessdate=2 June 2010}}</ref>

* '''キングス・クロス火災事故'''(1987年):[[キングス・クロス・セント・パンクラス駅]]の地下鉄プラットホームから地上へとつながる木製のエレベータの下から出火。炎と煙により、ベテランの消防士を含む、計31名が死亡。<ref>{{cite news|url=http://news.bbc.co.uk/onthisday/hi/dates/stories/november/18/newsid_2519000/2519675.stm |title=On this day 18&nbsp;November&nbsp;1987 |publisher=BBC News |accessdate=8 June 2009 | date=18 November 1987}}</ref>

* '''クラパムジャンクション鉄道事故'''(1988年):[[クラパムジャンクション駅]]へ満員の通勤電車が欠陥信号を発しながら、別の通勤電車の後方に向かって突進し、さらに別の対向列車の線路に列車を脱線させた。この事故によって35人が死亡、69人がけがをした。<ref>{{cite news|url=http://news.bbc.co.uk/onthisday/hi/dates/stories/december/12/newsid_2547000/2547561.stm |title=On this day 12&nbsp;December&nbsp;1988 |publisher=BBC News |accessdate=8 June 2009 | date=12 December 1988}}</ref>

* '''[[マーショネス号転覆沈没事故]]'''(1989年):クルーズ客船マーショネス号が[[浚渫|浚渫船]]と衝突し沈没、51名が死亡した。<ref>{{cite news|url=http://news.bbc.co.uk/onthisday/hi/dates/stories/august/20/newsid_2500000/2500211.stm |title=On this day 20&nbsp;August&nbsp;1989 |publisher=BBC News |accessdate=8 June 2009 | date=20 August 1989}}</ref>

* '''人頭税暴動'''(1990年):コミュニティ・チャージ([[人頭税]])に対して増大していた社会不安がきっかけとなった暴動で、早期に実施されていた合法的なデモから発展した。この暴動により、約40万ポンドの損害が生じたと見積もられている。<ref>{{cite news|url=http://news.bbc.co.uk/onthisday/hi/dates/stories/march/31/newsid_2530000/2530763.stm |title=BBC ON THIS DAY &#124; 31 &#124; 1990: Violence flares in poll tax demonstration |publisher=BBC News |date=31 March 1966 |accessdate=6 May 2009}}</ref>

* '''キャノン・ストリート鉄道事故'''(1991年):2人が死亡、500人以上がけがをした<ref>{{cite news|url=http://news.bbc.co.uk/onthisday/hi/dates/stories/january/8/newsid_4091000/4091741.stm |title=On this day 8&nbsp;January&nbsp;1991 |publisher=BBC News |accessdate=8 June 2009 | date=8 January 1991}}</ref>

* '''ゲイ殺害事件'''(1993年):元軍人のコリン・アイルランドが同性愛者の男性5人を殺害した。<ref>{{cite web|url=http://www.crimelibrary.com/serial_killers/predators/ireland/story_1.html |title=Colin Ireland |publisher=Crime Library |accessdate=8 June 2009}}</ref>

* '''スティーヴン・ローレンス殺人事件'''(1993年):十分な証拠があったにもかかわらず、学生の殺人犯スティーヴン・ローレンスに有罪判決を与える一連の作戦は失敗に終わった。マクファーソンの審理の結果では、ロンドン警視庁は制度上の人種差別者だとされた。<ref>{{cite web|url=http://www.archive.official-documents.co.uk/document/cm42/4262/sli-01.htm |title=The Stephen Lawrence Inquiry |publisher=Archive.official-documents.co.uk |accessdate=6 May 2009}}</ref>

* '''ブリクストン暴動'''(1995年):警察の拘置所で地元の男性が死亡したことを巡り、ブリクストン警察署の前で大きな抗議集会が開かれ、暴動へと発展した。2人の警察官がけがをし、ブリクストンの周囲半径3キロに排除ゾーンが張られた。のちの報告では、拘置所内で亡くなった男性の死因は心不全だったとし、彼を抑制するのは困難だったと述べられている。<ref>{{cite news|url=http://news.bbc.co.uk/onthisday/hi/dates/stories/december/13/newsid_2559000/2559341.stm |title=On this day 13&nbsp;December&nbsp;1995 |publisher=BBC News |accessdate=8 June 2009 | date=13 December 1995}}</ref>

* '''ロンドン釘爆弾事件'''(1999年):デイビッド・コープランドは憎悪をもって、少数民族地区やゲイ・コミュニティが頻繁に出入りするパブを襲撃した。<ref>[http://www.met.police.uk/news/stories/copeland/job/1.htm The Job: Life sentence for London nailbomber]{{Dead link|date=June 2009}}</ref>

* '''反資本主義カーニバル'''(1999年):シティ・オブ・ロンドンで起こった騒動をもって、以前は平穏に終わっていた反資本主義者たちのデモが特にグローバル資本主義と同一視される企業を中心として、広範囲に損害を与えた。<ref>{{cite news|url=http://news.bbc.co.uk/onthisday/hi/dates/stories/june/18/newsid_2515000/2515679.stm |title=On this day 18&nbsp;June&nbsp;1999 |publisher=BBC News |accessdate=8 June 2009 | date=18 June 1999}}</ref>

* '''メーデー抗議暴動'''(2001年):群衆を抑制する試みの中で、ロンドン警視庁がケトリング(囲い込み)と呼ばれる戦術をとったことで、無実の傍観者らを長時間拘束したとして、非難を浴びた。<ref name="mayday2001">{{cite news|url=http://news.bbc.co.uk/1/hi/uk/1383846.stm|title=Met pressured for May Day 'apology'|date=11 June 2001|publisher=BBC News |accessdate=16 April 2009}}</ref>

* '''テムズ殺人事件'''(2001年):4才から7才くらいと思われる少年の切断された死体がテムズ川に浮いていた。確かな身元が不明なこの少年にはアダムという名が警察によりつけられた。捜査中に警視長と警部はネルソン・マンデラと会談している。<ref>{{cite news|url=http://news.bbc.co.uk/1/hi/england/1930359.stm |title=ENGLAND &#124; Thames torso police meet occult experts |publisher=BBC News |date=15 April 2002 |accessdate=6 May 2009}}</ref>事件は解決されていない。<ref>{{cite news|url=http://findarticles.com/p/articles/mi_qn4159/is_20030803/ai_n12743122 |title=Focus: Torso in the Thames&nbsp;– MUTI: THE STORY OF ADAM &#124; Independent on Sunday, The &#124; Find Articles at BNET |publisher=Findarticles.com |accessdate=6 May 2009 |deadurl=yes}} {{Dead link|date=September 2010|bot=H3llBot}}</ref>

* '''プロ・ハンティング抗議暴動'''(2004年):狩猟法の制定に反対する抗議デモの参加者らは議会前でロンドン警視庁と暴力的な衝突をした。<ref name="huntprotest2004">{{cite news|url=http://news.bbc.co.uk/1/hi/uk/3659030.stm|title=Anger and defiance at hunt rally|last=Griffiths|first=Emma|date=15 September 2004|publisher=BBC News |accessdate=16 April 2009}}</ref>

* '''[[ロンドン同時爆破事件]]'''(2005年):7月7日、4件の自爆テロがロンドン市内各所で発生した。同月21日にもロンドン市内で複数の爆発未遂事件があった。これらの事件の直後、オペーレーション・クラトスを展開中のロンドン警視庁は英国在住のブラジル人男性ジェアンシャルレス・ジメネゼスを誤って標的の自爆テロ犯とみなし誤射殺した。<ref>{{cite news|url=http://news.bbc.co.uk/onthisday/hi/dates/stories/july/7/newsid_4942000/4942238.stm |title=On this day 7&nbsp;July&nbsp;2005 |publisher=BBC News |accessdate=8 June 2009 | date=7 July 2005}}</ref><ref>{{cite news|url=http://news.bbc.co.uk/1/shared/spl/hi/uk/05/london_blasts/tube_shooting/html/default.stm |title=Indepth &#124; London Attacks |publisher=BBC News |date=22 July 2005 |accessdate=6 May 2009}}</ref>

* '''[[ロンドン旅客機爆破テロ未遂事件]]'''(2006年):爆発性の液体を大西洋上を飛行中の航空機内で爆発させるとされた計画とイスラム過激派による他の関連テロリストの活動は、ロンドン警視庁などを含む英国警察によって阻止された。<ref>{{cite news|url=http://news.bbc.co.uk/1/hi/uk/4778575.stm |title=UK &#124; 'Airlines terror plot' disrupted |publisher=BBC News |date=10 August 2006 |accessdate=6 May 2009}}</ref><ref>{{cite web|url=http://www.number10.gov.uk/Page9970 |title=PM pays tribute to police and security services |publisher=Number10.gov.uk |date=10 August 2006 |accessdate=6 May 2009}}</ref>

* '''オペレーション・モクポ'''(2006年):[[ケント (イングランド)|ケント州]]ダートフォードで一連の襲撃があった後、トライデント作戦課はロンドン警視庁で過去最大規模となる数の火器を押収した。<ref>{{cite news|url=http://news.bbc.co.uk/1/hi/uk/4778575.stm |title=UK &#124; 'Airlines terror plot' disrupted |publisher=BBC News |date=10 August 2006 |accessdate=6 May 2009}}</ref><ref>{{cite web|url=http://www.number10.gov.uk/Page9970 |title=PM pays tribute to police and security services |publisher=Number10.gov.uk |date=10 August 2006 |accessdate=6 May 2009}}</ref>

* '''自動車爆破未遂事件'''(2007年):ロンドン中心部で自動車爆撃未遂があった。ナイトクラブの外に停めた車に設置されていた爆弾は、別件で出動していたロンドン救急サービス(LAS)の救急救命士が最初に発見、報告した。ロンドン警視庁の爆発物処理班がこの爆弾と別の地下駐車場内に仕掛けられていた爆弾の解体を行った。その後の捜査によって、容疑者に有罪判決が下された。

* '''英国黒人警察官協会ボイコット'''(2008年):人種差別の面から警察に反対する宣言をした。イアン・ブレア警視総監に反対した(アジア人警察官としてはロンドン警視庁で最も高い階級にあった)タリク・ガファル警視監(役職はいずれも当時のもの)による人種差別的な主張を含む、上級の黒人警察官もこの論争に巻き込まれた。

* '''G20サミット抗議暴動'''と'''イアン・トムリンソンの死'''(2009年):ロンドン警視庁はG20サミットへの抗議デモに参加する多くの群衆を抑制する手法としてケトリングを用いた。抗議行動を傍観していたイアン・トムリンソンは地域支援班の巡査に警棒で殴られた後、地面に叩きつけられたために、内部出血を起こして死亡した。<ref name="Tomlinson">{{cite news | first= Paul | last=Lewis | title=Video reveals G20 police assault on man who died | date=7 April 2009 |work=The Guardian |location=London | url =http://www.guardian.co.uk/uk/2009/apr/07/video-g20-police-assault | accessdate =7 April 2009 }}</ref>トムリンソン死についての検死陪審では、非合法な殺害であったとの評決が下された。これとは別に、女性の顔を素手で殴ったり、警棒で脚を打ちつけたりしている映像が撮影された後で、地域支援班の巡査部長がその容疑にかけられた。だが、後にすべての罪は晴らされた。<ref name="BBCG20">{{cite news|url=http://news.bbc.co.uk/1/hi/england/london/7999277.stm|title=Met suspends G20 footage officer|date=15 April 2009|publisher=BBC News |accessdate=16 April 2009}}</ref>

[[File:2010 protest the pope rally start.png|thumb|right|教皇訪英に反対する抗議デモを取り締まるロンドン警視庁の警察官ら(2010年9月18日)]]
* '''ローマ教皇ベネディクト16世、初の公式訪英'''(2010年):2010年9月、[[ローマ教皇]][[ベネディクト16世 (ローマ教皇)|ベネディクト16世]]は英国を訪問した初めての教皇となった。教皇のスコットランドとイングランドへの行幸が首都ロンドンに達した時、約1万人の人々がロンドンの通りをデモ行進した。<ref>{{cite news| url=http://www.guardian.co.uk/world/2010/sep/18/pope-benedict-xvi-protest |location=London |work=The Guardian | first=Tracy | last=McVeigh | title=Protest the Pope rally sees 10,000&nbsp;march&nbsp;through London's streets | date=18 September 2010}}</ref>

*'''アンチ・カット抗議暴動'''([[2011年]]):歳出削減案に反対した50万人にも上る人々がロンドン中心部をデモ行進し、201人が逮捕され、警察官31人を含む66人が負傷した。2003年2月15日に行われた反イラク戦争抗議行動以降では英国内最大級の抗議行動であり、第二次世界大戦後のロンドンにおいて最大規模の労働組合集会となった。

* '''夜間ストーカー犯に対する有罪判決'''(2011年):12年間にも及んだミンステッド作戦は夜間ストーカー犯の有罪判決をもって、2011年3月24日に終結した。デルロイ・グラントは1992年から2009年までの17年間に[[ケント (イングランド)|ケント州]]や[[サリー (イングランド)|サリー州]]等ロンドン南方の地域で複数の中年女性に強姦、強制わいせつ行為を働いた。彼には住居侵入罪、強姦罪、性的暴行の罪など29の罪で有罪判決が下されたが、ロンドン警視庁は1990年代から2000年代にかけてさらに別に200件以上の犯罪に関与していたとみている。<ref>{{cite news| url=http://www.bbc.co.uk/news/uk-england-london-12803014 |work=BBC News | title=Night Stalker rapist: Delroy Grant guilty | date=24 March 2011}}</ref>グラントには4つの終身刑が与えられ、最低27年の懲役を命じられた。<ref>{{cite news| url=http://www.bbc.co.uk/news/uk-england-london-12857539 |work=BBC News | title=Night Stalker rapist Delroy Grant jailed for 27 years | date=25 March 2011}}</ref>

* '''[[ウィリアム王子とキャサリン・ミドルトンの結婚式]]'''(2011年):2011年4月29日[[ウィリアム (ケンブリッジ公)|ウィリアム王子]]と[[キャサリン (ケンブリッジ公爵夫人)|キャサリン・ミドルトン]]の婚礼が執り行われる[[ウェストミンスター寺院]]の警備に当たるため、約5,000名のロンドン警視庁の警察官が配置された。催事の進行中、警視監リン・オーエンスが「平和的に抗議するためにロンドンに来たい人々はそれを実行するがいい。だが、今日は国家的祝事の日であることを彼らは思い出さなくてはならない。」と述べた。実際に、抗議暴動の未然抑止目的でおよそ100人が式典期間に先立って先制逮捕、勾留されている。式典当日にも逮捕者が出ており、鉄道駅に到着したところを勾留された抗議者もいた。ロンドン警視庁は結婚式のパレードを観覧するために、現に100万人の人々がロンドンを訪れていると主張した。<ref>{{cite news| url=http://www.bbc.co.uk/news/uk-13240683 |work=BBC News | title=Royal wedding: Police arrest 55 around security zone | date=29 April 2011}}</ref>

* '''[[ニューズ・インターナショナル電話盗聴スキャンダル]]'''(2006年 - 2011年):ロンドン警視庁の警察官の一部が捜査情報と引き換えにジャーナリストから金銭を受け取っていたとする収賄の疑いの告発を中心とした警察不祥事である。<ref>{{cite news| url=http://www.bbc.co.uk/news/uk-14110233 |work=BBC News | title=News of the World 'was offered royal numbers' | date=11 July 2011}}</ref>

*'''[[イギリス暴動|2011年ロンドン暴動]]'''(2011年):ロンドン警視庁の警官が一般人を射殺した疑いのある事案が発生したことに続いて、トッテナム地区を初めとする一連の暴動が起こり、多くの警察官が負傷した。<ref>{{cite news| url=http://www.bbc.co.uk/news/uk-14436499 | work=BBC News | title=England riots: Maps and timeline | date=15 August 2011}}</ref>ロンドン警視庁は市内の他の多くの地区に広がった暴動、略奪、放火に対する大規模な捜査活動を含む、オペレーション・ウィザーンを発表した。<ref>{{cite news| url=http://www.bbc.co.uk/news/uk-england-london-14438109 | work=BBC News | title=London riots: Met Police launch major investigation | date=7 August 2011}}</ref>


== 関連項目 ==
== 関連項目 ==
*[[スコットランドヤード]]
*[[スコットランドヤード]]
*[[ロンドン市警察]]
*[[ロンドン市警察]]
*[[首都警察]]

== 脚注・参照 ==
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== 外部リンク ==
== 外部リンク ==
* [http://www.met.police.uk/ Metropolitan Police Service]
* [http://www.met.police.uk/ Metropolitan Police Service(ロンドン警視庁)] {{en icon}}


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2012年1月22日 (日) 02:05時点における版

大ロンドン行政機関
ロンドン警視庁
Metropolitan Police Service
ニュー・スコットランドヤード本部
ニュー・スコットランドヤード本部
役職
組織
上部組織 ロンドン公安委員会(Metropolitan Police Authority)
内部組織 地区警ら部、専門刑事部、中央作戦部、特殊作戦部、総務部
概要
所在地 グレーター・ロンドン シティ・オブ・ウェストミンスター ニュー・スコットランドヤード
北緯51度29分54.9秒 西経0度7分58.9秒 / 北緯51.498583度 西経0.133028度 / 51.498583; -0.133028座標: 北緯51度29分54.9秒 西経0度7分58.9秒 / 北緯51.498583度 西経0.133028度 / 51.498583; -0.133028
年間予算 41億ポンド[1]
設置 1829年9月29日
ウェブサイト
Metropolitan Police Service(ロンドン警視庁)
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ロンドン警視庁(ロンドンけいしちょう、英称Metropolitan Police Service略称MPS)は、イギリス首都ロンドン市内でシティ・オブ・ロンドンを除くグレーター・ロンドンを管轄する警察組織である。本部所在地はウェストミンスター ニュー・スコットランドヤード。1829年創設。

the MetMet PolMPthe MPSなど、非公式の呼び名や略称が数多くある。初代本部所在地に因んだ名「スコットランドヤード」の愛称はロンドン市民にとどまらず、世界中に広く知られ親しまれている通称である。また、特に日本においてはロンドン警視庁と訳されることが多い[2][3]。これは、日本(東京)の警視庁に倣って訳されたとする説もある[4]

ニュー・スコットランドヤード本部のほか、ロンドン市内140箇所に警察署を設置している[5]

歴史

ロンドン警視庁は1829年9月29日に創設され、当時首都警察の構想を打ち出した内務大臣ロバート・ピール卿に因んで、警察官は親しみをこめて“ボビー”や“ピーラー”と呼ばれた。初代本部庁舎は4階建て[6]で、イギリス政治の中枢であるホワイトホールのホワイトホール・プレイス4番地に置かれ、裏口はグレート・スコットランドヤードに面していた。こうして、スコットランドヤードの名がロンドン警視庁本部庁舎、さらにはロンドン警視庁そのものを指す愛称として、市民の間に広まっていった。イギリスのロンドン警視庁はグラスゴー市警察パリ警視庁に次いで、世界で3番目の非準軍事的な都市警察となった。

管轄区域と他の警察

ロンドン警視庁の管轄する区域は首都警察管区 (Metropolitan Police District; MPD) として知られ、その区域はシティ・オブ・ロンドンを除いた、グレーター・ロンドンを構成する32のロンドン特別区全域に及ぶ。2000年4月1日以前、グレーター・ロンドンの境界が確定するまでは、MPDにはサリー州ハートフォードシャー州エセックス州の一部も含まれていた。

その他、ロンドン市内にはロンドン警視庁以外にも様々な警察が活動している。

ロンドン市警察がスクエアマイル(約1マイル四方)のシティ・オブ・ロンドンを管轄しているほか、イギリス鉄道警察ロンドン地下鉄トラムリンクドックランズ・ライト・レイルウェイ等のイギリス鉄道網を管轄し[7]国防省警察もロンドンの国防省本庁舎をはじめとするイギリス国内にあるイギリス軍の基地や軍所有地を管轄している[8]

グレーター・ロンドン内の王立公園の警察業務を管轄していた王立公園警察も、2004年4月1日にロンドン警視庁に吸収合併された。キューガーデンの警備にあたるキュー公園警察、同じくハムステッドヒースのハムステッドヒース警察など、数少ないながらも現在でも公園警察が残されているところもあるが、万一公園内で凶悪犯罪や重大な事件が発生した場合は、ロンドン警視庁がそれらの事件を担当する。

組織と機構

ロンドン警視庁は地区警ら部、専門刑事部、特殊作戦部、中央作戦部、そして管理支援部と、大きく5つの部局に分かれており、それぞれに異なる責務を負っている。各部局は警視監(または管理部の場合は国家公務員階級同等の管理職警察職員)が監督する。管理委員会は警視総監、警視総監補および内部部局の長から構成されている。

階級

警察階級は肩章によって示され、ロンドン警視庁の階級は下位から警視正までは標準的なイギリスの警察階級に則っている。ただし、標準階級の上位3階級の代わりに最上位の5階級を設けている。

2003年10月には名札バッジの使用を承認し、2004年9月以降の新入職員からマジックテープ式の記章を着用するようになった。記章は着用者の階級及び名字から成る。

肩章のID番号が隠れたまま制服警官が暴力行為に及んだ事件に関して論争が続いたあと、2009年G20ロンドン・サミット会期中に警視総監ポール・スティーブンソン(当時)が「(肩章のID番号より)公衆には職務中のすべての制服警官の身分を明らかにすることのできる権利がある。」と述べた。

ロンドン警視庁の階級構造と肩バッジの特徴は以下の通りである。

階級 対応する日本の階級 階級章 備考
Commissioner 警視総監
警視長記章の上にピップス1つとクラウン1つ
Deputy Commissioner 警視総監補
警視長記章の上に横並びのピップス2つとクラウン1つ
Assistant Commissioner 警視監
警視長記章の上にクラウン1つ
Deputy Assistant Commissioner 警視監補
警視長記章の上にピップ1つ
Commander 警視長
ベイリーフ・リースの中に交差するチップスタッフ1組。これより上位は英国警察長協会ACPO(Association of Chief Police Officers)階級。
Chief Superintendent 警視正
ピップ1つの上にクラウン1つ
Superintendent 警視
クラウン1つ
Chief Inspector 警部
ピップス3つ
Inspector 警部補
俗に"ピップス"として知られる、バス勲章の星章2つ
Sergeant 巡査部長
区別記号及び肩章番号の上に下向き3本シェブロン。短期間の巡査部長の任務を引き受けることを許容された正式な巡査が"代理の"巡査部長として着用する際は、区別記号及び肩章番号の上に下向き2本シェブロン。巡査部長代理が3本シェブロンの肩章を使用することは厳密には不正確であり、一時的に昇進する間のみに使用されるはずである。
Police Constable 巡査
区別記号及び肩章番号
Special Constable 特別巡査 特別巡査のクラウン1つ、区別記号及び肩章番号

体制

所属警察官

(2011年10月末現在)

  • 常勤警察官:31,478人[9]
  • 地域住民警察支援担当官(PCSO; 補助警察官):3,832人[9]
  • 特別巡査(MSC):5,479人[9]
  • 騎馬隊:騎手140人超および騎馬120頭[10]
  • その他警察職員:13,351人[9]

警察官人員数の変遷

  • 2010年 - 33,260人(非常勤労働の3,125人の特別巡査を除く)[11]
  • 2009年 - 32,543人(非常勤労働の2,622人の特別巡査を除く)[12]
  • 2004年 - 約31,000人[13]
  • 2003年 - 約28,000人[13]
  • 2001年 - 約25,000人[14]
  • 1984年 - 約27,000人[15]
  • 1965年 - 18,016人[16]
  • 1952年 - 16,400人[17]
  • 1912年 - 20,529人[18]

所有装備

ロンドン警視庁は8,000以上[19]の車両・船舶等を管理・維持しており、幅広い任務で使用している[20]

  • 地域車両:パトロールや追跡
  • 事故反応車両 (IRV):パトロールや緊急時反応
  • 交通部隊:幹線道のパトロール、交通違反の摘発、道路安全の促進
  • 保護輸送車両:公共秩序維持
  • 抑制部隊:事故処理、制圧目的
  • 多目的装甲車両:公共秩序維持、空港任務
  • 一般用車両:一般的な支援、警官または装備の輸送
  • 教習用車両:警察車両運転者養成用
  • その他車両:馬匹運搬車、トレーラー等

ロンドン警視庁の最前線で用いられている車両の一覧はこちら。[20]

大多数の車両は3年から5年の運用寿命で、毎年およそ800台から1,000台の間で置き換え、更新が進んでいる。

また、航空支援隊は3台のヘリコプターユーロコプター EC 145を所有しており、India 97、India 98、India 99、のコールサインを使用している。これらのヘリコプターはロンドン警視庁向けの塗装が施され、幅広い任務に使用されている。各々の運用経費は520万ポンドで、運用寿命は10年とされており、2017年に更新される予定である。[20]

ロンドン警視庁海上保安部はロンドン東部ドックランズのワッピング地区を拠点に、計22隻の船舶を運用している。

警察署

ニュー・スコットランドヤード本部に加えて、ロンドン市内には140の警察署が置かれている。[21]これらの警察署は、24時間警察官が常駐する大規模警察署から、一般的な勤務時間の間あるいは一週間のうち決まった曜日のみ応対する小規模警察署まで様々である。

多くの警察署の前には伝統的な青い街灯が設置されている。この写真はボウ・ストリート警察署のもの。

ほとんどの警察署は入口前に設置された一つまたは複数の青い街灯によって簡単に見分けることができる。この街灯は1861年に導入された。

1881年にボウ・ストリートに設置された最も歴史のある警察署は1992年に閉署し、2006年7月14日に最後の訴訟を処理したボウ・ストリート治安判事裁判所の隣接地に移転した。[22]現在まで運用を続けている最古の警察署はワッピングにあり、1908年に開署した。テムズ川の警備を司るロンドン警視庁海上保安部(旧・テムズ局)の本部もここに置かれている。また、霊安室やテムズ川警察博物館も併設している。

パディントン・グリーン警察署は地下にテロ容疑者の収容施設をもつことで世間から多くの注目を集める警察署である。

ワッピングに本部を置くロンドン警視庁海上保安部

ロンドン警視庁の警察署は様々な役割を担っており、そこには多くの警察職員の階級が存在する。

  • 制服警察官および特別巡査は緊急通報を受理する責任を持つ。
  • 近隣防犯チーム(SNTs)を構成する制服警察官および特別巡査は特定の地域を保安する。
  • 地域住民警察支援担当官は地域全般に駐在する責務を負い、保安義務を補佐する。
  • ロンドン警視庁に雇用される交通監視員は人々に駐車規制を遵守させることを職務とする。
  • 非警察職員の警察署の受付職員または地域住民警察支援担当官は総合管理部門に従って警察署の受付に入ってくる人々に接する責務を負う。
  • 非警察職員の指紋および身分証明に関わる職員は犯罪の身分証明アーカイブのメンテナンスを責務とする。
  • 警察官候補生は警察官と地域住民警察支援担当官、また他の警察職員を補佐する。
  • 犯罪捜査局の刑事は犯罪捜査に関係する。

ほとんどの警察署には逮捕者を一時的に勾留するための独房がある。

2004年には公共政策研究所から、警察権力とより広いコミュニティの間の関係を改善する助けとなる、より想像力に富んだ警察署の構想が提示された。[23]

管内で発生した著名な重大事件

ロンドン警視庁の関わった著名な重大事件を以下に示す。

  • バルカム・ストリート包囲戦1975年):1975年12月6日から12日にかけて、IRA暫定派のメンバーが警察からの逃亡中に一組の人質を取った。[26]一連の出来事はテレビ放映された。
  • スパゲティー・ハウス包囲戦(1975年):1975年9月18日、黒人解放軍のメンバーとみられる男数人が世間の注目を集める目的でスパゲティー・ハウス・レストランへ拳銃強盗に押し入ろうとした。しかし、警察によって犯行現場を発見され、強盗するはずだった男たちは人質を取って立てこもり始めた。[27]
  • ノッティング・ヒル・カーニバル暴動1976年):1976年8月30日、ロンドン警視庁の警官がノッティング・ヒル・カーニバルの会場でスリの容疑者を逮捕しようとした後、暴動が起こり、100人を超える警官が病院に搬送された。[29]
  • マスウェル・ヒル殺人事件1978年 - 1983年):連続殺人犯デニス・ニルセンは5年間に少なくとも15人の男性と少年を殺害した。彼は性行為のために死体を保存した後、燃やしたり下水に流したりして死体を遺棄することで知られていた。ロンドン警視庁の警官が彼を逮捕した際、マスウェル・ヒルにある彼の自宅から死体の一部が発見された。[30]
  • ブレア・ピーチの死1979年):1979年4月にサウソールの町役場で行われたイギリス国民戦線の選挙会合に反対する反ナチリーグのデモ中に、教員だったピーチ先生は致命傷を負った。彼は翌日、病院で意識を失って死亡した。警察の蛮行は決して彼の死を招く有力な原因にはならなかったことが判明したが、彼はロンドン警視庁の特殊パトロール班(現在は廃止)所属の警官に殴りかかられたのだとして非難された。[31]2010年、警察の報告により「どちらが始めたか」について、ロンドン警視庁の警官が「致命的な一撃を与えた」可能性があり、ある無名の警察官に重大な容疑がかけられることが発表された。その警官は2人の同僚と共に事態の隠滅に関係していたかもしれないと話している。[32]
  • 駐英イラン大使館占拠事件(1980年):アラブ自由と民主革命運動(DRMLA)を名乗るテロリスト集団のメンバーが大使館職員を人質に取って大使館を占拠した。ロンドン警視庁の交渉人が交渉任務に当たるなどして事件に大きく関わっていたが、6日目に事態が一変して人質のうちの1名が殺害されると、指揮権はイギリス陸軍に委譲され、特殊部隊SASが大使館ビルに突入した。テロリスト6名のうち5名を射殺し、26名の人質は無事に解放された。[33]
  • ブリクストン暴動1981年):1980年代初め頃、警官が非行や犯罪の疑いを持った人々を止めることを法的に認めた不審者抑止法に基づく路上犯罪削減のために、ロンドン警視庁はオペレーション・スワンプ(沼地作戦)を実施した。黒人青年が刺殺された後、黒人社会の緊張が高まり、1981年4月11日に大規模な暴動が発生した。[34]
  • 鉄道強姦事件1982年 - 1986年):ジョン・ダフィーとデビッド・マッケイの2人はロンドン近郊やサウス・イースト・イングランドの鉄道駅で計18人の女性および少女に対して強姦行為を犯し、そのうち3人を殺害した。ロンドン警視庁の警官は近隣の警察と連携して事件解決に向けて臨んだ。ダフィーは1988年に有罪判決を受けたが、マッケイには10年近くの間、刑事罰が下されなかった。[35]
  • ブリクストン暴動1985年):警察が母親の家に潜伏していると思われていたマイケル・グロウスを火器の違法使用の疑いで捜査中に、彼の母ドロシー・グロウスを誤射したことを発端とする暴動が1985年9月28日に勃発した。彼はその時、母親の家には不在であった。母ドロシーは撃ち込まれた弾丸によって部分麻痺だった。[36]
  • ブロードウォーター・ファーム暴動(1985年):上記のブリクストン暴動の一週間後、黒人社会の緊張状態は依然高く、捜査対象にされていた黒人男性の母親が警察の捜査中に心臓発作で死亡した後で、北ロンドンのトッテナムで暴動が発生した。暴動の最中、ロンドン警視庁所属のキース・ブレークロック巡査が殺害され、殉職。この殺人事件は未だ解決していない。[37]
  • ストックウェル絞殺事件(1986年):連続殺人犯ケネス・アースキンはストックウェルで高齢者の男女の家に押し入り、首を絞めて殺人を犯した。多くのケースで、殺害の前には性的暴行が加えられた。2009年、控訴後に責任能力の減退があるとする意見により、アースキンに対する有罪判決は故殺に減軽された。[38]
  • クラパムジャンクション鉄道事故(1988年):クラパムジャンクション駅へ満員の通勤電車が欠陥信号を発しながら、別の通勤電車の後方に向かって突進し、さらに別の対向列車の線路に列車を脱線させた。この事故によって35人が死亡、69人がけがをした。[40]
  • 人頭税暴動(1990年):コミュニティ・チャージ(人頭税)に対して増大していた社会不安がきっかけとなった暴動で、早期に実施されていた合法的なデモから発展した。この暴動により、約40万ポンドの損害が生じたと見積もられている。[42]
  • キャノン・ストリート鉄道事故(1991年):2人が死亡、500人以上がけがをした[43]
  • ゲイ殺害事件(1993年):元軍人のコリン・アイルランドが同性愛者の男性5人を殺害した。[44]
  • スティーヴン・ローレンス殺人事件(1993年):十分な証拠があったにもかかわらず、学生の殺人犯スティーヴン・ローレンスに有罪判決を与える一連の作戦は失敗に終わった。マクファーソンの審理の結果では、ロンドン警視庁は制度上の人種差別者だとされた。[45]
  • ブリクストン暴動(1995年):警察の拘置所で地元の男性が死亡したことを巡り、ブリクストン警察署の前で大きな抗議集会が開かれ、暴動へと発展した。2人の警察官がけがをし、ブリクストンの周囲半径3キロに排除ゾーンが張られた。のちの報告では、拘置所内で亡くなった男性の死因は心不全だったとし、彼を抑制するのは困難だったと述べられている。[46]
  • ロンドン釘爆弾事件(1999年):デイビッド・コープランドは憎悪をもって、少数民族地区やゲイ・コミュニティが頻繁に出入りするパブを襲撃した。[47]
  • 反資本主義カーニバル(1999年):シティ・オブ・ロンドンで起こった騒動をもって、以前は平穏に終わっていた反資本主義者たちのデモが特にグローバル資本主義と同一視される企業を中心として、広範囲に損害を与えた。[48]
  • メーデー抗議暴動(2001年):群衆を抑制する試みの中で、ロンドン警視庁がケトリング(囲い込み)と呼ばれる戦術をとったことで、無実の傍観者らを長時間拘束したとして、非難を浴びた。[49]
  • テムズ殺人事件(2001年):4才から7才くらいと思われる少年の切断された死体がテムズ川に浮いていた。確かな身元が不明なこの少年にはアダムという名が警察によりつけられた。捜査中に警視長と警部はネルソン・マンデラと会談している。[50]事件は解決されていない。[51]
  • プロ・ハンティング抗議暴動(2004年):狩猟法の制定に反対する抗議デモの参加者らは議会前でロンドン警視庁と暴力的な衝突をした。[52]
  • ロンドン同時爆破事件(2005年):7月7日、4件の自爆テロがロンドン市内各所で発生した。同月21日にもロンドン市内で複数の爆発未遂事件があった。これらの事件の直後、オペーレーション・クラトスを展開中のロンドン警視庁は英国在住のブラジル人男性ジェアンシャルレス・ジメネゼスを誤って標的の自爆テロ犯とみなし誤射殺した。[53][54]
  • ロンドン旅客機爆破テロ未遂事件(2006年):爆発性の液体を大西洋上を飛行中の航空機内で爆発させるとされた計画とイスラム過激派による他の関連テロリストの活動は、ロンドン警視庁などを含む英国警察によって阻止された。[55][56]
  • オペレーション・モクポ(2006年):ケント州ダートフォードで一連の襲撃があった後、トライデント作戦課はロンドン警視庁で過去最大規模となる数の火器を押収した。[57][58]
  • 自動車爆破未遂事件(2007年):ロンドン中心部で自動車爆撃未遂があった。ナイトクラブの外に停めた車に設置されていた爆弾は、別件で出動していたロンドン救急サービス(LAS)の救急救命士が最初に発見、報告した。ロンドン警視庁の爆発物処理班がこの爆弾と別の地下駐車場内に仕掛けられていた爆弾の解体を行った。その後の捜査によって、容疑者に有罪判決が下された。
  • 英国黒人警察官協会ボイコット(2008年):人種差別の面から警察に反対する宣言をした。イアン・ブレア警視総監に反対した(アジア人警察官としてはロンドン警視庁で最も高い階級にあった)タリク・ガファル警視監(役職はいずれも当時のもの)による人種差別的な主張を含む、上級の黒人警察官もこの論争に巻き込まれた。
  • G20サミット抗議暴動イアン・トムリンソンの死(2009年):ロンドン警視庁はG20サミットへの抗議デモに参加する多くの群衆を抑制する手法としてケトリングを用いた。抗議行動を傍観していたイアン・トムリンソンは地域支援班の巡査に警棒で殴られた後、地面に叩きつけられたために、内部出血を起こして死亡した。[59]トムリンソン死についての検死陪審では、非合法な殺害であったとの評決が下された。これとは別に、女性の顔を素手で殴ったり、警棒で脚を打ちつけたりしている映像が撮影された後で、地域支援班の巡査部長がその容疑にかけられた。だが、後にすべての罪は晴らされた。[60]
教皇訪英に反対する抗議デモを取り締まるロンドン警視庁の警察官ら(2010年9月18日)
  • ローマ教皇ベネディクト16世、初の公式訪英(2010年):2010年9月、ローマ教皇ベネディクト16世は英国を訪問した初めての教皇となった。教皇のスコットランドとイングランドへの行幸が首都ロンドンに達した時、約1万人の人々がロンドンの通りをデモ行進した。[61]
  • アンチ・カット抗議暴動2011年):歳出削減案に反対した50万人にも上る人々がロンドン中心部をデモ行進し、201人が逮捕され、警察官31人を含む66人が負傷した。2003年2月15日に行われた反イラク戦争抗議行動以降では英国内最大級の抗議行動であり、第二次世界大戦後のロンドンにおいて最大規模の労働組合集会となった。
  • 夜間ストーカー犯に対する有罪判決(2011年):12年間にも及んだミンステッド作戦は夜間ストーカー犯の有罪判決をもって、2011年3月24日に終結した。デルロイ・グラントは1992年から2009年までの17年間にケント州サリー州等ロンドン南方の地域で複数の中年女性に強姦、強制わいせつ行為を働いた。彼には住居侵入罪、強姦罪、性的暴行の罪など29の罪で有罪判決が下されたが、ロンドン警視庁は1990年代から2000年代にかけてさらに別に200件以上の犯罪に関与していたとみている。[62]グラントには4つの終身刑が与えられ、最低27年の懲役を命じられた。[63]
  • ウィリアム王子とキャサリン・ミドルトンの結婚式(2011年):2011年4月29日ウィリアム王子キャサリン・ミドルトンの婚礼が執り行われるウェストミンスター寺院の警備に当たるため、約5,000名のロンドン警視庁の警察官が配置された。催事の進行中、警視監リン・オーエンスが「平和的に抗議するためにロンドンに来たい人々はそれを実行するがいい。だが、今日は国家的祝事の日であることを彼らは思い出さなくてはならない。」と述べた。実際に、抗議暴動の未然抑止目的でおよそ100人が式典期間に先立って先制逮捕、勾留されている。式典当日にも逮捕者が出ており、鉄道駅に到着したところを勾留された抗議者もいた。ロンドン警視庁は結婚式のパレードを観覧するために、現に100万人の人々がロンドンを訪れていると主張した。[64]
  • 2011年ロンドン暴動(2011年):ロンドン警視庁の警官が一般人を射殺した疑いのある事案が発生したことに続いて、トッテナム地区を初めとする一連の暴動が起こり、多くの警察官が負傷した。[66]ロンドン警視庁は市内の他の多くの地区に広がった暴動、略奪、放火に対する大規模な捜査活動を含む、オペレーション・ウィザーンを発表した。[67]

関連項目

脚注・参照

  1. ^ Met Police budget settlement to put more police on beat in London”. Personneltoday.com (14 February 2008). 6 May 2009閲覧。
  2. ^ About the MPS - Translations - ロンドン警視庁公式サイトにおける日本語での紹介文。
  3. ^ 警察庁警察白書 - 公式文書中に記述がある。
  4. ^ 読売新聞校閲部『新聞カタカナ語辞典 - 人名、商品名収録』中公新書(中央公論社)、2002年。 
  5. ^ MPS Local Information
  6. ^ http://www.e-1day.jp/morning/kurohakubutsukan/070607.html
  7. ^ http://www.btp.police.uk/
  8. ^ http://www.modpoliceofficers.co.uk/default.asp
  9. ^ a b c d MPS Police officer, staff and PCSO numbers”. Metropolitan Police Authority. 22 December 2011閲覧。
  10. ^ Mounted Branch – Introduction”. Metropolitan Police. 22 December 2011閲覧。
  11. ^ MPS Police officer, staff and PCSO numbers: 31/03/10”. 18 July 2011閲覧。
  12. ^ MPS Police officer, staff and PCSO numbers: 31/03/09”. 18 July 2011閲覧。
  13. ^ a b GLA press release, 11 March 2003
  14. ^ Hansard, 23 April 2001. 当時のロンドンの人口は7,172,000人。
  15. ^ Hansard, 26 February 1996
  16. ^ The Thin Blue Line, Police Council for Great Britain Staff Side Claim for Undermanning Supplements, 1965
  17. ^ Report of the Commissioner of Police of the Metropolis for the Year 1952. 警視正35人(うち女性1人)、警視正刑事12人、警視62人(うち女性1人)、警視刑事16人、警部128人(うち女性5人)、警部刑事64人(うち女性1人)、警察署配属警部補20人、警部補465人(うち女性4人)、警部補刑事140人(うち女性1人)、警察署配属巡査部長441人、一等巡査部長刑事202人、巡査部長1,834人(うち女性32人)、、二等巡査部長刑事414人(うち女性6人)、巡査11,951人(うち女性310人)、巡査刑事615人(うち女性27人)。公式な常置人員は20,045人。
  18. ^ Raymond B. Fosdick, European Police Systems, 1915. 警視33人、警部と警部補の計607人、巡査部長2,747人、巡査17,142人を含む。1912年12月31日時点。
  19. ^ [1][リンク切れ]
  20. ^ a b c List of vehicles currently operated by the MPS etc.” (PDF). 22 December 2011閲覧。
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外部リンク