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「グアム」の版間の差分

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{{画像提供依頼|[[コンチネンタル・ミクロネシア]]の本部 - [[グアム国際空港]] - Old Terminal Building - Tamuning|date=2010年2月}}
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{{Otheruses|米領グアム|国家連合のGUAM|GUAM|その他|グアム (曖昧さ回避)}}
{{Otheruses|米領グアム|国家連合|GUAM|その他|グアム (曖昧さ回避)}}
{{Pathnav|世界|オセアニア|ミクロネシア|frame=1}}
{{基礎情報 国
{{基礎情報 国
|自治領等 = y
| 自治領等 = y
|略名 = グアム
| 略名 = グアム
|日本語国名 = グアム
| 日本語国名 = グアム準州
|公式国名 = '''Guam'''
| 公式国名 = {{lang|en|Territory of Guam}}
|国旗画像 = Flag of Guam.svg
| 国旗画像 = Flag of Guam.svg
|国章画像 = [[Image:Coat of arms of Guam.svg|80px|グアムの紋章]]
| 国章画像 = [[ファイル:Seal of Guam.svg|80px|グアムの紋章]]
|標語 = Where America's Day Begins<br/>(アメリカの一日が始まる場所)
| 標語 = Where America's Day Begins<br />(アメリカの一日が始まる場所)
|国歌 = Fanohge Chamoru(グアムの国)
| 国歌 = Fanohge Chamoru([[グアム賛歌|グアムの国]]
| 国歌追記 = {{center|[[ファイル:Stand Ye Guamanians.oga]]}}
|位置画像 = LocationGuam.png
| 位置画像 = Guam on the globe (Southeast Asia centered) (small islands magnified).svg
|公用語 = [[英語]]、[[チャモロ語]]
| 公用語 = [[英語]]、[[チャモロ語]]
|首都 = [[ハガニア]]
|最大 = ハガニア
|都 = [[ハガニア]]
|元首等肩書 = [[知事]]
| 最大都市 = [[デデド]]
|元首等氏名 = [[フェックス・ペデス・マチョ]]
| 元首等肩書 = [[アメリカ合衆国大統領|大統領]]
| 元首等氏名 = [[ジョー・バイデン]]
|面積順位 = 202
| 首相等肩書 = [[グアム準州知事|知事]]
|面積大きさ = 1 E9
| 首相等氏名 = [[ルー・レオン・ゲレロ]]
|面積値 = 549
| 他元首等肩書1 =[[グアム副知事|副知事]]
|水面積率 = 0%
| 他元首等氏名1 ={{仮リンク|ジョシュ・テノリオ|en|Josh Tenorio}}
|人口統計年 = 2003
| 面積順位 = 202
|人口大きさ = 1 E5
| 面積大きさ = 1 E8
|人口値 = 163,941
|人口密度値 = 299
| 面積値 = 549
|GDP統計年 =
| 水面積率 = 0%
| 人口統計年 = 2013
|GDP順位 =
| 人口大きさ = 1 E5
|GDP値 =
|GDP/人 =
| 口値 = 160,378
| 人口密度値 = 292.1
|建国形態 =
|建国月日 =
| GDP統計年 =
| GDP順位 =
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| GDP値 =
|通貨コード = USD
|時間帯 = +10
| GDP/人 =
| 建国形態 = 成立
|ISO 3166-1 = GU / GUM
| 確立形態1 = [[スペイン領東インド]]成立
|ccTLD = [[.gu]]
| 確立年月日1 = 1565年4月27日
|国際電話番号 = 1-671
| 確立形態2 = 米国の{{仮リンク|グアム島占領|en|Capture of Guam}}
|注記 =
| 確立年月日2 = 1898年6月20日
| 確立形態3 = [[グアムの戦い (1941年)|日本の占領]]
| 確立年月日3 = 1941年12月10日
| 確立形態4 = [[グアムの戦い (1944年)|米国が奪還]]
| 確立年月日4 = 1944年8月10日
| 確立形態5 = {{仮リンク|グアム自治基本法|en|Guam Organic Act of 1950}}
| 確立年月日5 = 1950年7月1日
| 通貨 = [[アメリカ合衆国ドル|USドル]]
| 通貨コード = USD
| 時間帯 = +10
| 夏時間 =なし
| ISO 3166-1 = GU / GUM
| ccTLD = [[.gu]]
| 国際電話番号 = 1-671
| 注記 =
}}
'''グアム'''<ref group="注">英語発音は'''グワーム'''。「ア」を小書きし、「'''グァム'''」と表記することもある。発音でアが抜けて、「'''ガム'''」と言う場合もあった。</ref>({{Lang-en|Guam}}、{{Lang-ch|Guåhån}})は、[[太平洋]]にある[[マリアナ諸島]]南端の[[島]]。[[アメリカ合衆国]]の[[準州#アメリカ合衆国の準州|準州]]。

[[1898年]]の[[米西戦争]]から[[アメリカ合衆国]]の[[アメリカ合衆国の海外領土|海外領土]]。[[第二次世界大戦]]下で[[1941年]]から[[1944年]]にかけて[[日本軍]]が[[占領]]統治し、「'''大宮島'''(おおみやとう)<ref>{{Cite web |title=日本占領下のグアム島の呼称「大宮島」の読みを知りたい。 |url=https://crd.ndl.go.jp/reference/detail?page=ref_view&id=1000070757 |website=レファレンス協同データベース |access-date=2023-01-05 |language=ja |last=国立国会図書館}}</ref>」と呼ばれた<ref>「[[大日本帝国海軍|日本海軍]]は、島名を「大宮島」(おおみやじま)とし」とある。(中山京子「グアムが「大宮島」だった時代」/ 中山京子編著『グアム・サイパン・マリアナ諸島を知るための54章』明石書店 2012年 93ページ)</ref>。

== 地理 ==
[[ファイル:Guam_-_Location_Map_(2013)_-_GUM_-_UNOCHA.svg|thumb|240px]]
{{Maplink2|frame=yes|frame-width=240|zoom=9|type=line|stroke-width=1|frame-latitude=13.45|frame-longitude=144.78}}
[[マリアナ諸島]]および[[ミクロネシア]]最大の島で、その南西端に位置する。[[海底火山]]によって造られた。北部は[[サンゴ礁|珊瑚礁]]に囲まれた[[石灰]]質の平坦な台地で、南部は[[火山]]の丘陵地帯である。最高所は[[ラムラム山]]で標高406m。
=== 地名 ===
* [[ハガニア]] ([[チャモロ語]]・[[英語]] Hagåtña、旧称 Agana、[[日本語]] 明石、[[スペイン語]] Agaña) :グアムの[[首都]]
* [[アガット (グアム)|アガット]] (チャモロ語 Hagat、英語 Agat、日本語 昭和)
* [[アサン・マイナ|アサン]] (チャモロ語 Assan、英語 Asan、日本語 朝井)
* [[イナラハン]] (チャモロ語 Inalåhan、英語 Inarajan、日本語 稲田)
* [[メリッソ]] (チャモロ語 Malesso'、英語 Merizo、日本語 松山)
* [[ピティ (グアム)|ピティ]] (英語 Piti、日本語 港町)
* [[サンタ・リタ]] (チャモロ語 Sånta Rita、英語 Santa Rita、旧称 Sumay、日本語 須磨)
* [[タロフォフォ]] (チャモロ語 Talo fo' fo'、英語 Talofofo、日本語 太郎)
* [[タモン]] (チャモロ語 Tomhom、英語 Tumon、日本語 富田)
* [[ウマタック]] (チャモロ語 Humåtak、英語 Umatac、日本語 馬田) :[[1521年]]に[[フェルディナンド・マゼラン|マゼラン]]が上陸
* [[タムニン|タムニング]]
* [[マンギラオ]]
=== 気候 ===
[[海洋性気候|海洋性]][[熱帯|熱帯気候]]に属しており、年間を通して高温多湿。「常夏」といわれ、ほぼ1年中[[海水浴]]が楽しめる。6 - 12月が[[雨季]]、1 - 5月が[[乾季]]。雨季には[[スコール]]が降る。年間平均気温は約27℃。[[ケッペンの気候区分]]では[[熱帯モンスーン気候]](Am)と[[熱帯雨林気候]](Af)の境に位置する。
{{Weather box |
|location = [[グアム国際空港]](1981–2010)
|single line = Y
|open = Y
|metric first = Y
|Jan record high F = 94
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|Mar record high F = 93
|Apr record high F = 96
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|year high F= 87.6
|Jan mean F= 80.4
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|Dec mean F= 81.6

|Jan low F = 74.2
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|Mar record low F = 66
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|Jun record low F = 70
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|Aug record low F = 70
|Sep record low F = 70
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|precipitation colour = green
|Jan precipitation inch = 3.96
|Feb precipitation inch = 3.78
|Mar precipitation inch = 2.35
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|May precipitation inch = 4.28
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|unit precipitation days = 0.01 in
|Jan precipitation days = 18.8
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|year precipitation days=254.9
|Jan sun = 176.7
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|year sun=
|source 1 = NOAA (normals)<ref name=NCDC>{{cite web |url=http://www.nws.noaa.gov/climate/xmacis.php?wfo=guam |title=NOWData – NOAA Online Weather Data |publisher=[[National Oceanic and Atmospheric Administration]] |accessdate= November 17, 2012}}</ref>
|source 2 = [[Hong Kong Observatory]] (sun only 1961–1990)<ref name=HKO>{{cite web |url=http://www.weather.gov.hk/wxinfo/climat/world/eng/australia/pacific/guam_e.htm |title=Climatological Information for Guam, Pacific Islands, United States |publisher=Hong Kong Observatory |accessdate=November 17, 2012}}</ref>
|date = November 2012
}}
}}
[[画像:TowLoversPointView.JPG|right|300px|thumb|[[恋人岬]]からタモン湾を望む]]
[[File:Two Lovers Point from Tumon Bay.JPG|right|300px|thumb|タモン湾越しに望む[[恋人岬]]]]
'''グアム'''('''Guam''')は、[[太平洋]]の[[島]]である。[[1898年]]の[[米西戦争]]から[[アメリカ合衆国]]の[[領域 (国家)|領土]]になった。[[1941年]]から[[1944年]]までは、[[日本軍]]が[[占領]]統治していた(当時は「大宮島(だいきゅうとう<ref>「だいきゅうとう」が正式呼称であったが、一般には「おおみやじま」と呼ばれていたようである。</ref>)」と呼ばれていた)。経済面では、[[アメリカ軍]]と[[日本]]からの[[観光客]]が重要な位置を占めている。[[日本語]]では「グァ・ム」、「ガ・ム」と発音されることが多いが、近年は「グ・ア・ム」の発音も主流になっている。


== 歴史 ==
== 歴史 ==
{{main|{{仮リンク|グアムの歴史|en|History of Guam}}}}
グアム島に[[人類]]が住み着いたのは[[紀元前|B.C.]]3000年~2000年頃で、[[東南アジア]]系民族[[チャモロ人]]が[[マレーシア]]や[[インドネシア]]、[[フィリピン]]から[[航海カヌー]]に乗って移住してきたことに始まると考えられる。
=== 古代 ===
グアム島に[[人類]]が住み着いたのは[[紀元前]]3000年~2000年頃で、[[東南アジア]]系民族[[チャモロ人]]が[[マレーシア]]や[[インドネシア]]、[[フィリピン]]から[[航海カヌー]]に乗って移住してきたことに始まると考えられる。そのことは[[ラッテストーン]]と呼ばれる古代チャモロ遺跡が残存していることでわかる。
=== スペイン植民地化 ===
[[1521年]]に[[ポルトガル]]の探検家[[フェルディナンド・マゼラン|マゼラン]]がヨーロッパ人として初めてグアム島に到達<ref group="注">グアムのウマタック湾には、1930年代に建てられたマゼラン上陸記念碑がある。(中山京子「マリアナ諸島は「発見」されたのか?」/ 中山京子編著『グアム・サイパン・マリアナ諸島を知るための54章』明石書店 2012年 86ページ)</ref>。[[1565年]]に[[ミゲル・ロペス・デ・レガスピ|レガスピ]]が来島して[[スペイン]]の領有を宣言し[[植民地]]となり、フィリピンのマニラとメキシコのアカプルコを結ぶ航路が[[1568年]]に開かれ、スペインの大型船[[ガレオン船]]が太平洋を行き来するようになり、1年に1度6月ごろ[[ロタ]]やグアム周辺に現れ、チャモロと物々交換を行った。
[[1668年]]にスペインのカトリック教会使節サン・ビトレスを中心とした[[イエズス会]]が[[カトリック教会]]の[[宣教|布教]]活動のため訪れるようになった。先住民はチャモロであるが、[[サイパン]]を含む[[北マリアナ諸島]]から[[移住]]させられたチャモロが多数いた。


[[1521年]]に[[フェルディナンド・マゼラン|マゼラン]]がヨーロッパ人として初めてグアム島に到達。[[1565年]]にレガスピが来島して[[スペイン]]の領有を宣言し[[植民地]]となり、[[1668年]]にサン・ビトレスを中心とした[[イエズス会]]が[[宣教|布教]]活動のため訪れるようになった。しかし、宣教師が祖霊崇拝を始めとする[[チャモロ人]]の伝統的な習慣や文化を厳しく禁止したため、不満を持つ[[チャモロ人]]も多く、その不満は[[1669年]]の[[スペイン・チャモロ戦争]]として現れた。[[キリスト教]]に反抗的な村は全て焼き払われ、10万人いたとされる[[チャモロ人]]が5000人以下に激減した。そして、以降は目立った反抗はく[[キリスト教]]文化が定着するようになったといわれている。
しかし、宣教師が[[祖霊崇拝]]を始めとする[[チャモロ人]]の伝統的な習慣や文化を厳しく禁止したため、不満を持つ[[チャモロ人]]も多く、その不満は[[1669年]]の[[スペイン・チャモロ戦争]]として現れた。[[キリスト教]]に反抗的な村は全て焼き払われ、10万人いたとされるチャモロ人が5000人以下に激減した。そして、以降は目立った反抗はく[[キリスト教]]文化が定着するようになったといわれている。


=== アメリカによる占領と支配 ===
[[1898年]]にアメリカと[[スペイン]]の間で勃発した[[米西戦争]]にアメリカが勝利し、同年の[[パリ条約 (1898年)|パリ条約]]によりグアム島は[[フィリピン]]、[[プエルトリコ]]とともに[[アメリカ合衆国]]に割譲された<!--(元々、『マリアナ』の領土であった){{要出典}}-->。
[[1898年]]にアメリカと[[スペイン]]の間で勃発した[[米西戦争]]にアメリカが勝利し、同年の[[パリ条約 (1898年)|パリ条約]]によりグアム島は[[フィリピン]]、[[プエルトリコ]]とともに[[アメリカ合衆国]]に割譲され、植民地支配下におかれた。アメリカはスペイン同様に現地の文化や風習を無視してグアムのアメリカ化を進めるなど、植民地支配を推し進めた。
=== 日本による占領 ===
[[ファイル:Troops of the Imperial Japanese Navy at Guam.jpg|thumb|right|240px|グアムを占領する日本海軍将兵]]
{{main|日本占領時期のグアム}}
[[1941年]][[12月8日]]、[[太平洋戦争]]が勃発。[[大日本帝国海軍]]は[[真珠湾攻撃]]の5時間後([[日本標準時|日本時間]]午前8時30分)に、グアムへの航空攻撃を開始し、2日後に[[グアムの戦い (1941年)|日本軍がアメリカ軍を放逐し]]、島名を「'''大宮島'''」と改名して[[大日本帝国]]領土とし、その後2年7か月にわたり占領した<ref group="注">この占領期間に日本人はチャモロの人々を飛行場建設や稲作の労働などに強制し、日常生活でも束縛したとされる(中山京子「グアムが「大宮島」だった時代」/ 中山京子編著『グアム・サイパン・マリアナ諸島を知るための54章』明石書店 2012年 91ページ)</ref>。


[[1941年]]128日に[[太平洋争]]が勃発。[[大日本帝国海軍|日本海軍]]は[[真珠湾攻撃]]の5時間後([[日本標準時|日本時間]]午前8時30分)、グアム航空攻撃を開始した。同月10日[[グアムの戦い (1941年)|日本占領]]したが、[[1944年]]8月に米国が奪還([[ムの戦い]]した。以後、戦争終結まで[[アメリカ軍]]の[[大日本帝国|日本]]本土の[[爆撃]]拠点としてされた。
[[1944年]]7[[グアムのい (1944年)|グアムの戦い]]で[[グアムの戦い (1944年)|アメリカ軍奪還した]]。以後[[アメリカ軍]]は日本軍が使用てい基地を拡張し、戦争終結までの[[日本列島]]の[[爆撃]]拠点として使た。


=== アメリカの再占領と支配 ===
[[1950年]]に[[アメリカ合衆国議会]]によりグアム自治法 (Guam Organic Act of 1950) が制定され、「アメリカ合衆国自治的・未編入領域 (organaized unincorporated territory)」という政治的地位となり、スキナーが初の民間人[[知事]]となった。現在まで米軍の太平洋戦略上、重要な[[基地]]のひとつとしてグアム島は活用され、近年は日本からの観光客を中心とした[[観光地]]、[[リゾート]]地として発展を遂げている。
[[ファイル:The beach of Guam Reef Resort, Tumon Bay, USA (8575993721).jpg|thumb|right|240px|タモン湾のホテル]]
[[1950年]]に[[アメリカ合衆国議会]]で成立した「グアム自治基本法」([[:en:Guam Organic Act of 1950|Organic Act of Guam]])によってグアムは主権に制限を受けており、米連邦法上は「[[アメリカ合衆国の海外領土|アメリカ合衆国自治的・未編入領域]] (organized unincorporated territory)」である。米連邦政府の所有物であるという政治的地位となり、事実上グアムは米国の「植民地」という状態の中で<ref>[https://www.jiji.com/jc/v4?id=202012nghs0001&utm_source=yahoo&utm_medium=referral&utm_campaign=link_back_edit_vb 「日本から一番近い楽園」グアムが崩壊寸前 新型コロナ禍:時事ドットコム]</ref>、カールトン・スキナー(Carlton S. Skinner)が初の民間人[[知事]]となった。


[[第二次世界大戦]]の終戦後も、現在に至るまでアメリカ軍の太平洋戦略上重要な[[基地]]のひとつとしてグアム島は活用され、[[ベトナム戦争]]の際も北爆に向かう爆撃機の拠点として使用され、アメリカ軍が経済に与える影響も大きい。
== 地理 ==
[[マリアナ諸島]]最大の島で、その南西端に位置する。[[海底火山]]によって造られた。北部は[[サンゴ礁|珊瑚礁]]に囲まれた[[石灰]]質の平坦な台地で、南部は[[火山]]の丘陵地帯である。最高所は[[ラムラム山]]で標高406m。


[[1953年]]には、[[遺骨収集事業|戦没者遺骨収集]]を行っていた[[日本丸 (初代)|日本丸]]が島に寄港した<ref>{{Cite book |和書 |author=世相風俗観察会 |title=現代世相風俗史年表:1945-2008|publisher=河出書房新社 |year=2009-03 |page=54 |isbn=9784309225043}}</ref>。
年間平均気温は約26℃。
[[1960年代]]後半以降は、[[日本]]からの観光客を中心とした[[観光地]]および[[リゾート]]地として発展を遂げ、ホテルやレストラン、免税店などが立ち並ぶ。[[1990年代]]以降日本からの観光客は減ったが、[[2000年代]]以降は[[大韓民国]]や[[中華民国]]からの観光客が増加し、{{いつ範囲|date=2022年10月|現在は経済面では日本などの海外からの外国人[[観光|観光客]]による収入が重要な位置を占めている}}。


=== 気候 ===
=== 改名問題 ===
[[ファイル:Two Lovers Point from Tumon Bay.JPG|right|240px|thumb|タモン湾越しに望む[[恋人岬]]]]
海洋性[[亜熱帯気候]]に属しており、年間を通して高温多湿。「常夏」といわれ、ほぼ1年中[[海水浴]]が楽しめる。6 - 12月が[[雨季]]、1 - 5月が[[乾季]]。雨季には[[スコール]]が降る。
準州知事[[フェリクス・カマチョ]]は[[2010年]][[2月15日]]、演説の最後に、グアムの呼称を以前の「Guahan」に変えるように呼びかけた<ref name ="KUAM20100216">[http://www.kuam.com/story/11996329/camacho-wants-guam-renamed-guahan?redirected=true Camacho wants Guam renamed "Guahan"][[:en:KUAM|KUAM]]. 2010-02-16.</ref>。同日、カマチョは島名を変更する政令を出した<ref name=pnc>{{cite news|first=|last= |title=Governor Issues Executive Order Changing Island Name To Guahan |url=http://www.pacificnewscenter.com/index.php?option=com_content&view=article&id=3315:governor-issues-executive-order-changing-island-name-to-guahan&catid=50:homepage-slideshow-rokstories|work=[[Pacific News Center]]|publisher=|date=2010-02-16 |accessdate=2010-02-18}}</ref><ref name="pdn20100216">{{cite news|first=Dionesis|last=Tamondong |title=Camacho: Name change will affirm identity |work=[[:en:Pacific Daily News|Pacific Daily News]]|publisher=|date=2010-02-16 }}</ref>。カマチョは同時に自らを「Guahanの知事」と呼び始めた<ref name="pdn20100218">{{cite news|first=Steve|last=Limtiaco|title=Residents mixed on name change |work=[[:en:Pacific Daily News|Pacific Daily News]]|publisher=|date=2010-02-18 }}</ref>。

歴史家のToni Ramírez(グアム公園保養局[[文化財]]保護所)によると、Guahanとは「我々のもの」("we have")もしくは「所有している場所」("a place that has")<ref name ="KUAM20100216" />を意味し、島の川や天然資源を指して使用した。川や天然資源はミクロネシアの他の諸島では比較的希少なものであったと言う<ref name="pdn20100216" />。

Guahan或いはGuajánは、[[1521年]]から[[1898年]]の間に島名として広く使用されていた<ref name ="KUAM20100216" /><ref>[https://books.google.es/books?id=mK3UAAAAMAAJ&pg=PA110&dq=%22Guaj%C3%A1n%22&hl=es&ei=7wwaTK3zHofJ_gbpxOidCQ&sa=X&oi=book_result&ct=result&resnum=25&ved=0CIsBEOgBMBg#v=onepage&q=%22Guaj%C3%A1n%22&f=false José Antonio Saco. Colección de papeles científicos, históricos, políticos y de otros ramos sobre la isla de Cuba. 1859.]</ref>。しかし、グアム、そしてGuahanという名前は両方とも歴史文書や地図に数百年も遡って見出されると言うのが、Peter Onedera([[グアム大学]]チャモロ語教授、歴史家)<ref name="pdn20100218" />による見解である。初代グアム知事を務めた[[:en:Richard P. Leary|リチャード・P・リアリー]]提督は1900年、「グアム」を採用したが、それは彼が「グアムの小島」と読んだからである<ref name="pdn20100216" /><ref name="pdn20100218" />。

知事2期目を務めるカマチョ(グアムにて3選はできない)は2011年にはグアム政府から引くことになる<ref name="pdn20100218" />。彼は演説の最後にて、改名は知事の遺産として基盤とし、歴史上自分が改名路線の固定化を為すべき立場にある旨を説明した<ref name="pdn20100218" />。彼はGuahanへの改名が明確な独自性とチャモロ文化の遺産を再認識させることになるだろうと論じた<ref name="pdn20100216" />。カマチョの政令は次のように明確に述べている。「チャモロ語の使用を広め、歴史的、文化的な連携を島にもたらすよう邁進しよう」<ref name="pdn20100218" />。政令は今回は地方のグアム政府機関、公式のやり取り、商業取引、標識にのみ適用される<ref name="pdn20100218" />。しかし、カマチョは地域社会の指導層、財界、議員達にGuahanの名を同じように採用させることに関心を持っている<ref name="pdn20100218" />。カマチョは更に、法的にも改名を実施するためグアム立法院で法案331号を提案すると発表した<ref name ="KUAM20100216" />。政令には政府機関が変更する際の猶予期限がないが、これは景気後退が長引いているため、準州政府の時間的、金銭的負担を軽減するためである<ref name="pdn20100218" />。改名は新しい便箋を発注する際など都合のよい時になされるべきだと言う<ref name="pdn20100218" />。

変更案に対する反応は議員と住民共に複雑なものだった。立法院のJudith Won Pat議長は、改名がグアムにてこれまで認識されてきた独自性の喪失を、回復するのに役立つことに留意した<ref name="pdn20100216" />。彼女はメディアに「これは人々が自分達が何者なのかを知ろうとし、彼らの独自性を見つけようと望む世代が世界中に広がっているということです。これはとても重要なことであり、グアムでも同じです」と語った<ref name="pdn20100216" />。作家で元立法院議員のKatherine Aguonは政令が出る少し前にチャモロ語-英語辞典を出版したが、改名を支持する一方で、どんな提案でもグアム有権者の信認を得なければならない旨を強調した<ref name="pdn20100218" />。

グアムの名が改名されると、経済的な影響が考えられる。[[:en:Eddie Calvo|エディー・カルヴォ]]は2010年の知事選の共和党候補者であるが、政令を支援するためには標識、文書、広告の改名の際の費用を考慮しなければならない点に注意を向けている<ref name="pdn20100216" />。グアム政府観光局(Guam Visitors Bureau,GVB)は、何百万ドルもの予算を消費して主要な観光客やビジネス客に対してこの島の現在の名前、グアムを商標として使い、改名問題が惹起した頃に新しいキャンペーンをはじめた。そのキャンペーンでは「私たちはグアムです」("We Are Guam")と銘打った<ref name="pnc20100216">{{cite news|first=|last=|title=GVB Reacts To Proposed Guam Name Change |work=[[Pacific News Center]]|publisher=|date=2010-02-16}}</ref>。全ての道路標識と歓迎の看板を変更する費用は文書や観光キャンペーンと同じように見積もる必要性が指摘されている<ref name="pnc20100216" />。


=== 新型コロナウイルスの感染拡大 ===
== 主要都市 ==
[[2020年]]、アメリカ本土で[[新型コロナウイルス感染症 (2019年)|新型コロナウイルス感染症]]が拡大すると、同年3月14日、知事が公衆衛生緊急事態を発令。3月20日には住民に在宅を強いる「ステイホーム令」を発令し、事実上の[[ロックダウン (政策)|ロックダウン]]に踏み切った<ref name=":0">{{Cite web |date=2020 |url=https://www.jiji.com/jc/v4?id=202012nghs0001 |title=「日本から一番近い楽園」グアムが崩壊寸前 新型コロナ禍 |publisher=時事通信社 |accessdate=2020-12-27}}</ref>。その後、感染拡大には歯止めがかかり規制は一時的に緩和されたが、8月14日にはステイホーム令が再開。12月初旬には人口約16万6000人の島内の累計感染者は約7000人に達した。島外からの旅行者には14日間の強制隔離を課して締め出していたものの、アメリカ軍基地で働く建設関係者は検疫や隔離が免除されており、結果的に彼らが第二波の引き金を引くこととなった<ref name=":0" />。
* [[ハガニア]] (Hagatna) :グアムの[[首都|主都]]、旧称:アガナ (Agana)


== 政治 ==
== 政治 ==
=== アメリカ合衆国での地位 ===
[[アメリカ合衆国]]の[[準州]]。[[大統領]]選挙の[[参政権]]は持っていない。[[ストローポール]](擬似投票)が行われるが、選挙結果には反映されない。
[[アメリカ合衆国]]の[[準州]]であり、[[国家元首]]は[[アメリカ合衆国大統領]]。なお住民は[[アメリカ合衆国大統領選挙|大統領選挙]]の投票権を有していない。[[ストローポール]](擬似投票)が行われるが、選挙結果には反映されないため、事実上の植民地という意見もある<ref name=":0" />。


[[1968年]]以降は公選によって選ばれた[[知事]]が内政執行にあたる。かつては[[アメリカ海軍]]にる[[軍政]]だった。国家元首はアメリカ衆国大統領
[[1968年]]以降は公選によって選ばれた[[グアム準州知事|知事]]が内政執行にあたる。[[グアム議会]]が形成されおり、議会立法院のみの[[一院制]]。[[1972年]]以降、[[アメリカ合衆国議会|合衆国議会]][[アメリカ合衆国下院|下院]]に、本会議での議決権のない代表を1名選出してい。自主憲法草案が上程されたが、[[1979年]]の住民投票で否決された。現在でも[[際連非自治地域リスト]]に掲載されている


新型コロナウイルス感染症の発生時には、連邦政府からグアム準州政府に弔慰金が支払われるなど、一定の配慮があった<ref name=":0" />。
グアム議会を形成。議会は立法院のみの[[一院制]]。


===コモンウェルスへの昇格運動===
[[1972年]]以降、[[合衆国議会]][[下院]]に、本会議での議決権のない代表を1名選出している。
隣接する[[北マリアナ諸島]]が[[信託統治]]を経て[[1978年]]に実質的な[[コモンウェルス]](自治連邦区)となったことを受けて、グアムでは1980年代から1990年代前半にかけて、[[プエルトリコ]]や[[北マリアナ諸島]]と同様の自治のレベルを付与したコモンウェルスに向けた重要な推進運動があり、[[1982年]]には[[住民投票]]を実施してこの方針を決定した。 しかしながら、連邦政府はグアム準州政府の提案したコモンウェルスへの変更を拒否し、理由として改正案の条項が[[アメリカ合衆国憲法]]の領域条項([[:en:Territorial Clause|Territorial Clause]] , Art. IV, Sec. 3, cl. 2)と両立する内容ではないことを挙げた。加えて連邦政府との折衝に6年もの時をかけ、(The Draft Commonwelth Act of 1988)を提出し本格的な交渉を開始したのは[[1988年]]であった。


これに対して運動は徐々にアメリカ本国からの政治的独立、国家としての独立、唯一の独自領土として[[北マリアナ諸島]]との連合、或いは現在合衆国の一州となっているハワイとの連合に軸足を置きつつある。一方で、中島洋のように、コモンウェルスが外交権を持たないことや、独立した場合の財政援助面での不利、連邦政府・議会との交渉を通じて内政での自治権を徐々に拡充しつつある点などを挙げて否定的に見る向きもある<ref name ="nakajima-yashinomi">中島洋([[太平洋学会]]専務理事)[http://www.yashinomi.to/micronesia/no9.html コモンウェルスを目指すグアムは?] 『ミクロネシア講座』やしの実大学HP内<br />(サイパン・ロタ・テニアン月刊情報誌『ハファダイ』1992年2月号からの転載HP)<br />中島は執筆に当たり矢崎幸生『ミクロネシアの憲法集』曉印書館 1984年<br />矢崎幸生「北マリアナは連邦制国家か」『太平洋学会誌第12号』 1981年 を参照している。</ref>。
米国が全面的に防衛権を持つ。このために土地を収用することもできる。


[[2003年]]より[[2011年]]1月まで2期に渡り[[フェリクス・カマチョ]]が知事を務めたが、カマチョは北マリアナとの連合を目指していた。
自主憲法草案が上程されたが、[[1979年]]の住民投票で否決された。その後も米国連邦政府による独立や自治の勧告は無視して、大国との特権的な関係から得られる利益を選んでいる。


=== 軍事 ===
現在でも[[国際連合非自治地域リスト]]に掲載されている。
[[ファイル:All global strike bombers deploy to Andersen, maintain stability in PACOM theater (29021574755).jpg|thumb|200px|[[アンダーセン空軍基地]]]]
[[ファイル:USS San Francisco (SSN-711) 2005.jpg|thumb|200px|right|[[アプラ港]]内のアメリカ海軍潜水艦]]
アメリカ合衆国が全面的に防衛権を持つ。このために土地を収用することもできる。島の面積の{{分数|1|3}}を[[アメリカ軍]]用地が占めている。グアム島は、[[日本列島]]および[[南西諸島]]、[[朝鮮半島]]、[[台湾]]、[[南沙諸島]]、[[フィリピン]]、[[インドネシア]]、[[オーストラリア]]とあらゆる場所に緊急展開できる戦略上の要地であり、アメリカ合衆国の準州でもあるので、西太平洋の礎石としてその価値を見出されてきた。また軍事施設があることからアメリカ政府からの補助金が入るほか、多くの雇用が生み出されている<ref name=":0" />。


しかし、[[冷戦]]終結に伴って在グアム米海軍基地整理縮小計画が立てられ、1990年頃には[[アメリカ海軍]]航空隊の基地が[[グアム国際空港]]から[[アンダーセン空軍基地]]に移設され<ref name ="nakajima-yashinomi" />、1997年9月には艦船修理施設(Ship Repair Facility)が海軍からグアム準州政府に移管されるなど1990年代は基地は縮小傾向にあった。
なお、現在、グアムにおいては[[死刑制度]]は廃止されている。

[[2000年]]、[[ジョージ・W・ブッシュ]]政権に変わって以降は、地球規模の[[米軍再編]]の影響で、世界戦略を見据えたグアム島の軍事拠点化を進めることになり、兵力の増強が順次実施されてきた。[[2004年]]には、グアム島周辺を調査した[[人民解放軍|中国人民解放軍海軍]]の[[漢級原子力潜水艦]]が、行き帰りに日本の[[領海侵犯]]を行った[[漢級原子力潜水艦領海侵犯事件]]が発生した。

島の北部には、3,000m級の[[滑走路]]が2本あるアンダーセン空軍基地が存在する。ここには現在、常駐する[[戦闘機]]部隊は存在していないが、しばしば他基地の機体が飛来する。おもに[[B-52_(航空機)|B-52]]や[[B-2_(航空機)|B-2]]といった[[戦略爆撃機]]が配備されており、[[極東]][[有事]]の際には、アメリカ本土や[[ハワイ]]などから前線派遣された航空部隊の重要な出撃拠点になる。

島の西部には、[[アメリカ海軍]]も使用している[[アプラ港]]があり、[[ロサンゼルス級原子力潜水艦]]が事実上の母港としており、将来的には[[オハイオ級原子力潜水艦]]も配備される予定である。これらは[[第7艦隊 (アメリカ軍)|第7艦隊]]隷下にある。

[[在日米軍再編]]の影響により、[[沖縄本島]]に駐屯している[[アメリカ海兵隊]]7,000人がグアムに移駐する予定であり、[[キャンプ・フォスター]]から司令部も移転する予定である。移転先の新しい基地はキャンプ・ブラズであり、沖縄のアメリカ海兵隊が2024年から移転する予定となっている<ref>{{Cite web |title=グアムリポート前編「在沖米海兵隊グアム移転計画のいま」 |url=https://www.qab.co.jp/news/20230202160998.html |website=QAB NEWS Headline |access-date=2024-02-13 |language=ja |first=琉球朝日放送 |last=報道制作局}}</ref>。この部隊の受け入れのための費用を[[日本国政府]]が59%負担することで、日米両政府が合意した。上記の基地移転には先住民の一部から反発が起きているが、かつてアメリカ軍基地が縮小された事で経済的に大きな打撃を受けたことや、アメリカからの補助金の増額も予想されるため<ref name=":0" />、大半の住民は基地・観光による経済的観点から、容認もしくは賛同している。

== 主要な都市と町・村 ==
参照:[[グアムの都市一覧]]
{{clearleft}}
{|class="wikitable" style="text-align:right;margin-right:60px;"
|-
!順位
!都市名
!人口(人)
|-
|align=left|1
|align=left|[[デデド]]
|46,000
|-
|align=left|2
|align=left|[[ジーゴ]]
|25,039
|-
|align=left|3
|align=left|[[タムニン]]([[タモン]])
|18,012
|-
|align=left|4
|align=left|[[マンギラオ]]
|15,191
|-
|align=left|5
|align=left|[[バリガダ]]
|8,652
|-
|align=left|6
|align=left|[[モンモン・トト・マイテ]]
|6,825
|-
|align=left|7
|align=left|[[チャラン・パゴ・オルド]]
|6,822
|-
|align=left|8
|align=left|[[ジョーニャ]]
|6,480
|-
|align=left|9
|align=left|[[サンタ・リタ]]
|6,084
|-
|align=left|10
|align=left|[[アガット (グアム)|アガット]]
|4,917
|-
|align=left|11
|align=left|[[アガニャ・ハイツ]]
|3,808
|-
|align=left|12
|align=left|[[タロフォフォ]]
|3,050
|-
|align=left|13
|align=left|[[シナハニャ]]
|2,592
|-
|align=left|14
|align=left|[[イナラハン]]
|2,273
|-
|align=left|15
|align=left|[[アサン・マイナ]]
|2,137
|-
|align=left|16
|align=left|[[メリッソ]]
|1,850
|-
|align=left|17
|align=left|[[ピティ (グアム)|ピティ]]
|1,454
|-
|align=left|18
|align=left|[[ハガニア]]([[首都|主都]])
|1,051
|-
|align=left|19
|align=left|[[ウマタック]]
|782
|}
<gallery>
Dededo - panoramio.jpg|[[デデド]]
SimonSanchezHS.jpg|[[ジーゴ]]
Pleasure Island Guam.JPG|[[タムニン]]・[[タモン]]<br />(経済の中心地)
University of Guam Campus.JPG|[[マンギラオ]]
|[[バリガダ]]
Hagatna from Fort Santa Agueda.JPG|[[ハガニア]]<br />([[首都|主都]])
</gallery>


== 経済 ==
== 経済 ==
観光業、[[農業]]、[[漁業]]が主要な経済基盤で、[[1980年代]]前半までアメリカ軍への依存度が高かったが、冷戦終結によるアメリカ軍基地の縮小に伴い、近年は観光業が産業の大部分を占め、島民の約60%が観光業に従事している。
[[通貨]]は[[アメリカ合衆国ドル]](USドル)。ただし現在では日用品や土産等の購入に関し、多くの場合、少額(おおよそ100ドル以内)であれば、[[円 (通貨)|日本円]]でも通用する店舗が増えつつある。


=== 観光 ===
米軍の基地関連産業と[[アメリカ合衆国連邦政府|アメリカ政府]]からの補助金、観光業、[[農業]]、[[漁業]]が主要な経済基盤で、[[1980年代]]前半まで米軍への依存度が高かったが、米軍基地の縮小に伴い、近年は観光業が産業の大部分を占め、島民の約60%が観光業に従事している。
[[ファイル:Tumon Bay in Guam 2000-11-16.jpg|thumb|right|240px|タモン湾を一望(2000年11月)]]
[[ファイル:Line3766 - Flickr - NOAA Photo Library.jpg|thumb|right|240px|タモン湾]]
[[ファイル:Beach of the Westin Resort, Tumon Bay, Guam, USA (8648520606).jpg|thumb|right|240px|タモン湾のホテル・ニッコー・グアム]]
[[ファイル:Tamuning, Guam.jpg|thumb|right|240px|タムニンのショッピングアーケード]]


年間100万人以上の観光客が訪れる観光収入9割以上[[日]]からの観光客ので、日本依存度い。近年は特に和食料理店など、日本外食企業参入も多く見られる傾向にある。
観光産業は年間100万人以上の観光客が訪れる、第二次世界大戦後から現在に至るまでグアム最大の産業である。なお、本土から数千キロの距離あり、さらに直行便が設定されていないアメリカからの観光客よも、日本や韓国などアジア各国からの観光客の方い。アメリカへ[[ビザ]]で行けてアジアと時差が少ないことが強みとなっている。


[[通貨]]は[[アメリカ合衆国ドル]](USドル)。但し日用品や土産等の購入に関して少額(おおよそ100ドルを目途)の場合、主要顧客である日本人観光客に対する便宜として[[円 (通貨)|日本円]]を受け入れる店舗が多い。
[[2006年]]にグアムの[[携帯電話]]事業者であるグアムワイヤレス及びグアムセルラーを[[NTTドコモ]]が買収・統合し、[[2008年]]に[[ドコモパシフィック]]と社名を変更しており、国際ローミング([[WORLD WING]])を使って、[[FOMA]]サービス及び[[iモード]]サービスが利用できるようになっている。ただしPulse Mobileなど他の事業者によるローミングと扱いは基本的に一緒となっている(グアムはドコモパシフィックを含め、[[2010年]]現在携帯電話事業者が6社存在する)。


1960年代に[[パンアメリカン航空]]の、[[1970年代]]に[[日本航空]]の直行便が開設されて以降、東京や[[名古屋市|名古屋]]、大阪などの主要都市から約3-4時間で訪れることのできる日本からの観光客が多くを占めていたが、そのピークは1990年代で、[[バブル崩壊]]後日本人観光客の渡航先が変化し、[[2000年代]]に入ってからは減少した。
== 軍事 ==
島の面積の1/3をアメリカ軍用地が占めている。グアム島は、[[朝鮮半島]]、[[台湾]]、[[南沙諸島]]、[[フィリピン]]、[[インドネシア]]、[[オーストラリア]]とあらゆる場所に緊急展開できる戦略上の要地であり、米準州でもあるので、西太平洋の礎石として、世界戦略を見据えた軍事拠点化を進めてきた。[[2004年]]には、グアム島周辺を調査した[[人民解放軍|中国人民解放軍海軍]]の[[漢級原子力潜水艦]]が行き帰りに日本の[[領海侵犯]]を行った[[漢級原子力潜水艦領海侵犯事件]]が発生した。


2017年5月時点でグアムに訪れる観光客数は日本人48000人、それに対し韓国人52000人となっている。しかし2017年には[[北朝鮮によるミサイル発射実験_(2017年8月)|北朝鮮によるミサイル発射実験]]でグアム周辺を包囲射撃する作戦計画を検討していたこともあり、例年の4割程まで減った。<ref>[http://www.tokyo-np.co.jp/article/economics/list/201712/CK2017122702000247.html ミサイル計画 グアムに影 北朝鮮表明で邦人客38%減] [[東京新聞]](2017年12月27日 夕刊) 2018年2月7日号閲覧</ref>
島の北部には3,000m級[[滑走路]]が2本ある[[アンダーセン空軍基地]]が存在する。ここには現在常駐する[[戦闘機]]部隊は存在していないが、しばしば飛来する。現在、[[B-52_(航空機)|B-52]][[戦略爆撃機]]や[[B-2_(航空機)|B-2]]が配備されている。[[極東]][[有事]]の際には、アメリカ本土や[[ハワイ]]などから前線派遣された航空部隊の重要な出撃拠点になる。


タモンエリアを中心に、欧米の大手ホテルチェーンが進出しているほか、[[オークラ ニッコー ホテルマネジメント|ホテル・ニッコー・グアム]]や[[レオパレスリゾート・グアム]]などの日系のホテルも多い。また観光客向けの[[ショッピングモール]]や[[免税店]]、大型[[スーパーマーケット]]や[[レストラン]]も多い。近年は特に和食料理店など、日本の外食企業の参入も多く見られる傾向にある。
島の西部には、[[アメリカ海軍]]も使用している[[アプラ港]]があり、[[ロサンゼルス級原子力潜水艦]]が事実上の母港としており、将来的には[[オハイオ級原子力潜水艦]]も配備される予定である。これらは[[第7艦隊 (アメリカ軍)|第7艦隊]]隷下にある。


==== 主なホテル ====
[[在日米軍再編]]の影響により、[[沖縄本島]]に駐屯している[[アメリカ海兵隊]]7,000人がグアムに移駐する予定であり、[[キャンプ瑞慶覧]]から司令部も移転する予定である。この部隊の受け入れのための費用を[[日本の政治|日本政府]]が59%負担することで日米両政府が合意した。上記の基地移転には先住民の一部から反発がおきているが、大半の住民はかつて米軍基地が縮小された事で経済的に大きな打撃を受けたため基地・観光による経済的観点から賛同している。
*[[オークラ ニッコー ホテルマネジメント#日本国外|ホテル・ニッコー・グアム]]
*[[レオパレスリゾート・グアム]]
*[[ヒルトン]]・グアム
*[[ウェスティン]]・グアム
*パシフィックアイランドクラブ
*デュシット ビーチリゾートグアム (旧アウトリガー・グアム・ビーチ・リゾート)
*[[ハイアットホテルアンドリゾーツ|ハイアット]]・リージェンシー・グアム
*デシュタニホテル・グアム

=== 軍事 ===
アメリカ軍の基地に関連する産業と[[アメリカ合衆国連邦政府|アメリカ政府]]から支払われる補助金は大きな収入源となっている<ref name=":0" />。

冷戦終結により減少していたが、2024年からの基地再編計画により増額が見込まれている<ref name=":0" />。

=== マグロ産業 ===
[[ファイル:Apra Harbor.jpg|thumb|240px|right|[[アプラ港]]]]
『ミクロネシア』1997年4月号によれば、ミクロネシアの要所であるグアムは1980年代以降は[[マグロ]]の転載業でも知られている。ただし、グアム周辺水域においてマグロ資源に恵まれている訳ではなく、大消費地である日本、およびアメリカ本土への航空貨物直行便がありアクセスに恵まれていることや、[[漁船]]の修理施設、乗組員の休養施設、金融サービス機関が整っていることが挙げられる。従って他のミクロネシア水域で漁獲されたマグロ類はアプラ港で水揚げされ、主に日本本土に空輸されている。漁獲を実施しているのは1990年代においては台湾籍船が最も多く、次いで日本籍船であった。

問題はグアム周辺の[[排他的経済水域]]内の開発である。アメリカ本国は1978年4月にマグナソン漁業保存管理法によりアメリカの200海里水域内での他国漁船の操業を禁止した。そのため、グアムは[[パラオ]]や[[マーシャル諸島]]に比較し、資源開発で遅れをとった。1980年初頭、グアム準州政府はグアム200海里を法制化する中、外国漁船に200海里水域内での操業許可を与えようとしたが、実現しなかった。その後本格化したコモンウェルス昇格運動の背景にも、200海里内における管轄権を本国政府から入手したいという意向があり、1988年に提出したコモンウェルス法案にも経済水域問題が重要事項として謳われている。その後、本国へのロビー活動などの結果、1996年10月11日にマグナソン法の改正案が公布(Public Law 104-297)された。これは、[[アメリカ国務省|国務省]]への申請、入漁料の徴収などを通じて他国漁船への漁業参加を認める内容であった。

経済水域内の取り締まりは[[沿岸警備隊]]と商務省国家海洋漁業局([[:en:National Marine Fisheries Service|National Marine Fisheries Service]])が実施している。1997年に海軍は艦船修理施設をグアム準州政府に移管したが、この跡地を活用してアプラ港の総合開発計画が立てられ、漁業基地の強化を狙った内容となっていた。このような努力は周辺諸国も行っており、ミクロネシア水域のマグロ産業規模に比較して従来4~5%程度しか得ることの出来なかった見返りを自主的に漁業を拡大することで移行を図る動きがある<ref>泉正南「知っておきたいグアムのマグロ産業-米国マグナソン漁業保存管理法の改正-」『ミクロネシア』1997年4月No.105</ref>。2000年代に入っても、中西部太平洋まぐろ類委員会(WCPFC)をグアムなどで開催し漁業資源の管理と多国間交渉に努力がなされている<ref>[https://www.jfa.maff.go.jp/j/press/kokusai/071207_1.html 中西部太平洋まぐろ類委員会(WCPFC)第4回年次会合の結果について] 日本国[[水産庁]] 2007年12月7日</ref>。

==島内のインフラ==
=== 通信 ===
{{更新|date=2023-11|section=1}}
グアムは[[2010年]]現在、携帯電話事業者が6社存在する。[[2006年]]にグアムの[[携帯電話]]事業者であるグアムワイヤレス及びグアムセルラーを[[NTTドコモ]]が買収・統合し、[[2008年]]に[[ドコモパシフィック]]と社名を変更しており、国際ローミング([[WORLD WING]])を使って、[[FOMA]]サービス及び[[iモード]]サービスが利用できるようになっている。ただしPulse Mobileなど他の事業者によるローミングと扱いは基本的に一緒となっている。

=== 医療 ===
アメリカ本土と比較しても医療体制が脆弱であり、2019年の新型コロナウイルス感染症発生時には、大病院が公立、私立、海軍の病院しかないが海軍の病院は関係者専用であることから実質2箇所であること、[[集中治療室]]が少なく[[体外式膜型人工肺]]を扱える医師が島内にいないことが問題となった<ref name=":0" />。

== 教育 ==
{{画像提供依頼|[[グアム日本人学校]] - 170 Terao St, Mangilao, Guam 96913|date=2015年9月|cat=アメリカ合衆国}}
=== 大学 ===
{{Seealso|グアムの大学一覧}}
*[[グアム大学]]
*[[:en:Guam Community College|Guam Community College]]
*[[:en:Pacific Islands University|Pacific Islands University]]

=== 高等学校 ===
*Father Duenas Memorial School(FD)(男子校)(マンギラオ)
*George Washington High School (マンギラオ)
*DoDEA Guam High School
*Saint Paul Christian School
*John F. Kennedy High School
*Simon Sanchez High School (ジーゴ)
*Southern High School&nbsp;(サンタ・リタ)
*J.P. Torres Alternative School (サンタ・アガニア)
*Notre Dame High School, Inc.(タロフォフォ)
=== 学区 ===
*[[:en:Guam Department of Education|Guam Department of Education]]
=== 日本人学校 ===
*[[グアム日本人学校]] ([[:en:Japanese School of Guam|Japanese School of Guam]]) - [[マンギラオ]] グアム大学近く ([[:en:Mangilao|Mangilao]])<ref>"[http://mwrguam.com/files/2012/12/PRIVATE-SCHOOLS-IN-GUAM.pdf Private Schools in Guam]." ([https://webcitation.org/6MJty5AJ1 Archive]) Morale Welfare & Recreation Office, Guam (MRW Guam). March 19, 2012. p. 2 of 4. Retrieved on January 2, 2014. "170 Terao St, Mangilao, Guam 96913."</ref>


== 交通 ==
== 交通 ==
=== 港と空港 ===
[[ファイル:Apra Harbor.jpg|thumb|300px|right|[[アプラ港]]]]

訪島手段として[[飛行機]]と[[船舶]]があるが、[[飛行場]]は[[グアム国際空港]]、[[港湾|港]]はアプラ港がある。アプラ港は[[ミクロネシア]]最大の港。
現在、グアムへの訪島手段として[[飛行機]]と[[船舶]]がある。[[飛行場]]は[[グアム国際空港]]、[[港湾|港]]はアプラ港を利用することが多い。アプラ港は[[ミクロネシア]]最大の港である。

グアム国際空港は[[1964年]]より民間供用が開始され、以前は[[飛行艇]]で乗り入れていた[[パンアメリカン航空]]や[[コンチネンタル航空]]、[[ノースウェスト航空]]が就航を開始した。[[1967年]]にはパンアメリカン航空が[[東京国際空港]]との路線を開設し、[[1970年]]には初の外国航空会社として[[日本航空]]が東京国際空港との路線を開設した。

2024年現在、日本からは日本航空が[[成田国際空港]]、[[ユナイテッド航空]]が成田・[[東京国際空港|羽田]]・[[中部国際空港]]・関西・[[福岡空港]]からそれぞれ乗り入れている。
また、2020年代一時期韓国系[[LCC]]が日本との航空協定で[[以遠権]]行使して韓国から[[関西国際空港|関西]]などを経由して運航していたが、[[COVID-19]]流行による運休後再開時には直行便化されている。
日本以外では、[[ホノルル]]や[[仁川国際空港|仁川]]、[[ニノイ・アキノ国際空港|マニラ]]や[[コロール (都市)|コロール]]、サイパンなどへの直行便がある。

=== バス ===
[[ファイル:Shuttle bus, Guam, USA (8421649605).jpg|thumb|240px|right|シャトルバス]]
島内の交通機関は[[バス (交通機関)|バス]]や[[タクシー]]のみで、[[鉄道]]や[[路面電車]]などはない。また[[州間高速道路]](インターステート・ハイウェイ)は存在しない。

バスは、観光地をまわる[[トロリーバス]]などを運行しているグレイラインバスや「ショッピングセンター」はDFSギャラリア、[[マイクロネシアモール]]、[[グアム・プレミア・アウトレット]]や小規模なものではタモンサンズプラザなどがあり[[ホテル]]、[[旅行会社]]が運行するザ・ショッピングバス、[[シャトルバス]]を運行するアイバスなどがある。


[[サイパン島]]と同様に、島内では[[九州産業交通]]の現地法人である[[グアム産交]]が貸切バス事業を行なっていたが、九州産業交通の[[産業再生機構]]活用による事業再編の一環として売却されている。
島内の交通機関は[[バス (交通機関)|バス]]や[[タクシー]]のみで[[鉄道]]はない。バスは、観光地をまわる[[トロリーバス]]などを運行しているグレイラインバスや「ショッピングセンター」はDFSギャラリア・マイクロネシアモール・グアムプレミアムアウトレットや小規模なものではタモンサンズプラザなどがあり[[ホテル]]、[[旅行会社]]が運行するザ・ショッピングバス、[[シャトルバス]]を運行するアイバスなどがある。


観光客による島内移動には[[レンタカー]]が多用されており、空港やホテル内などに事務所がある。また日本人観光客向けに、日本のレンタカー会社の店舗が複数存在する。 
[[サイパン島]]と同様に、島内では[[九州産業交通]]の現地法人である[[グアム産交]]が貸切バス事業を行なっていたが、九州産業交通の[[産業再生機構]]活用による事業再編の一環として売却されている。[[航空]]便で到着する乗客の7割が[[日本国籍]]である(2010年現在)。


== 住民 ==
== 文化 ==
=== 民族・人種・出自構成 ===
=== 民族・人種・出自構成 ===
* [[チャモロ人]]:47%
* [[チャモロ人]]:47%
* [[フィリピン]]:25%
* [[フィリピン人|フィリピン系]]:25%
* 他の太平洋諸島(FSMは、パラオ)、アジア(日本、韓国、中国、ベトナム): 10%
* 他の太平洋諸島([[ミクロネシア連邦]][[パラオ]])、アジア([[日本]][[大|韓国]][[中国]][[ベトナム]]):10%


=== 言語 ===
=== 言語 ===
[[公用語]]は[[英語]]、[[チャモロ語]]であるが、日本からの観光客による収入が島の大部分の収入を占めていることから[[日本語]]も使われており、日本語を理解できる住民がかなり多い島では、あちこちの店に日本語が使われている。また、[[フィリピン]]系も多く、[[タガログ語]]も使用される。
[[公用語]]は[[英語]]、[[チャモロ語]]。[[フィリピン]]系も多く、[[タガログ語]]も使用される。


== 芸術・文化 ==
=== 芸術 ===
[[画像:Latte stones in Hagatna.jpg|thumb|right|300px|[[ラッテ・ストーン]]。家の土台だったとか[[宗教]]行事に使た物ではない言われて未解明。]]
[[ファイル:Latte stones in Hagatna.jpg|thumb|right|240px|[[ラッテ・ストーン]]。使用用途は解明さていないが、建築物の土台という見方有力。]]
*グアムの創生にかかわる物語「プンタンとフウナの物語」があり、幼稚園では歌遊びで、小・中学校ではチャモロ語学習やチャモロダンスで学習する<ref>中山京子「プンタンとフウナの物語」/ 中山京子編著『グアム・サイパン・マリアナ諸島を知るための54章』明石書店 2012年 81ページ</ref>。
* 伝統的な文化としてチャモロ文化がある。踊りではミクロネシアダンスが有名。
* 伝統的な文化としてチャモロ文化がある。踊りではミクロネシアダンスが有名。
* グアムの[[芸術]]や[[文化]]に関する機関として「グアム芸術文化省」(Kaha)がある。
* グアムの[[芸術]]や[[文化]]に関する機関として「グアム芸術文化省」(Kaha)がある。
* [[ミクロネシア連邦]]の[[チューク諸島|チューク州]]の[[プルワット環礁]]との結びつきが強く、プルワット出身の航法師が伝統的な航海カヌーによる航海術を教えている。
* [[ミクロネシア連邦]]の[[チューク諸島|チューク州]]の[[プルワット環礁]]との結びつきが強く、プルワット出身の航法師が伝統的な航海カヌーによる航海術を教えている。
* グアムの高校や大学で教育を受けるために、ミクロネシア各地から学生・生徒が集まってくる。
 

== 姉妹・友好都市 ==
=== 食文化 ===
[[日本]]の[[千葉県]][[柏市]]はグアムの[[友好都市]]である。グアムとの交流は、柏まつりを通じて始まり、ミス柏に副賞としてグアム旅行が贈られ、[[1985年]]([[昭和]]60年)からは、ミス・グアム及びグアム政府観光局代表が柏まつりに参加するようになった。その後、柏グリーン・ライオンズクラブとグアムマリアナス・ライオンズクラブが[[1990年]]([[平成]]2年)[[2月]]姉妹クラブを結び、青少年交流派遣を実施するなど、交流が深まった。こうした経過を経て、[[1991年]](平成3年)[[5月]]、柏市とグアム政府の親善提携を求める陳情書が提出され、1991年(平成3年)[[6月]]定例市議会で採択。柏市長が同年7月、グアム知事に書簡で親善提携を申し入れたところ、同知事も快諾、友好都市提携が決定。1991年(平成3年)[[11月30日]]、グアムにて友好都市提携の調印を行った。 
[[ファイル:Chamoro BBQ.JPG|thumb|right|240px|チャモロ式バーベキュー]]
グアムに伝わる伝統料理にチャモロ料理がある。スペイン、アメリカ、日本、東南アジアなど、色々な国の文化の影響を受けて生まれた。ココナツ、赤唐辛子、醤油、酢、玉ねぎ、レモン汁、砂糖などがよく使われ、甘さ・辛さ・酸っぱさのいずれかが強い味が特徴。<ref>[http://www.visitguam.jp/chamorro-culture/food/about-chamorro-food/ チャモロ料理について] グアム政府観光局</ref>

== スポーツ ==
{{Main|{{仮リンク|グアムのサッカー|en|Football in Guam}}}}
[[1990年]]に[[グアムサッカーリーグ]]が創設されている。[[グアム・シップヤード]]がリーグ最多となる9度の優勝を数える。[[グアムサッカー協会]] (GFA)は[[オセアニアサッカー連盟|オセアニア]]や[[北中米カリブ海サッカー連盟|北中米カリブ]]ではなく、[[アジアサッカー連盟]] (AFC)に属している。[[サッカーグアム代表]]は、これまで[[FIFAワールドカップ]]や[[AFCアジアカップ]]には未出場である<ref>{{cite web|url=http://www.guamfa.com/national-teams-mens-matao-tournaments/837-matao-asian-cup-campaign-officially-ends-with-withdrawal|title=Matao Asian Cup campaign officially ends with withdrawal|publisher=[[グアムサッカー協会]]|date=2016-12-29|accessdate=2017-01-04}}</ref>。

== 対外関係 ==
=== 日本との姉妹自治体・提携自治体 ===
;姉妹都市
*{{Flagicon|JPN}}[[対馬市]]([[日本国]] [[長崎県]])
**[[1977年]]([[昭和]]52年) 姉妹島縁組により締結
;提携都市
*{{Flagicon|JPN}}[[柏市]](日本国 [[千葉県]])
**グアムとの交流は、柏まつりを通じて始まり、ミス柏に副賞としてグアム旅行が贈られ、[[1985年]]([[昭和]]60年)からは、ミス・グアム及びグアム政府観光局代表が柏まつりに参加するようになった。その後、柏グリーン・ライオンズクラブとグアムマリアナス・ライオンズクラブが[[1990年]]([[平成]]2年)[[2月]]姉妹クラブを結び、青少年交流派遣を実施するなど、交流が深まった。こうした経過を経て、[[1991年]](平成3年)[[5月]]、柏市とグアム政府の親善提携を求める陳情書が提出され、1991年(平成3年)[[6月]]定例市議会で採択。柏市長が同年7月、グアム知事に書簡で親善提携を申し入れたところ、同知事も快諾、友好都市提携が決定。1991年(平成3年)[[11月30日]]、グアムにて友好都市提携の調印を行った。
*{{Flagicon|JPN}}[[岡山市]](日本国 [[岡山県]])
**[[2010年]](平成22年)[[8月22日]] [[1998年]][[3月]]に[[岡山空港|岡山]][[グアム国際空港|グアム]]間が空路で結ばれたことを契機として、民間交流が盛んとなったことからパートナーシップ連携協定を締結。なお[[2015年]][[2月]]から岡山-グアム線を運休している<ref>{{Cite web |title=「この時期沖縄は泳げないけど、グアムなら泳げます」岡山ーグアム線再開を目指し 県とグアム政府観光局がグアムの魅力をPR {{!}} TBS NEWS DIG (1ページ) |url=https://newsdig.tbs.co.jp/articles/-/279717 |website=TBS NEWS DIG |date=2023-01-17 |access-date=2024-07-19 |language=ja}}</ref><ref>{{Cite web |title=岡山―グアム線の再開目指しグアム政府観光局が魅力をPR 伝統の「チャモロ料理」など紹介 {{!}} KSBニュース {{!}} KSB瀬戸内海放送 |url=https://news.ksb.co.jp/article/14816539 |website=KSB |date=2023-01-17 |access-date=2024-07-19 |language=ja}}</ref>。


== 脚注 ==
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
<references/>
=== 注釈 ===
{{Notelist2}}
=== 出典 ===
{{Reflist|2}}


== 関連項目 ==
== 関連項目 ==
* [[グアムの都市一覧]]
* [[グアムにおけるコーヒー生産]]
* [[横井庄一]]
* [[横井庄一]]
* [[横井ケイブ]]
* [[横井ケイブ]]
* [[グアム (大型巡洋艦)]]
* [[グアム (大型巡洋艦)]]
* [[グアム無差別殺傷事件]]
* [[タモン]]
* [[ミナミオオガシラ]]
* [[ISO 3166-2:GU]]


== 外部リンク ==
== 外部リンク ==
{{Commons&cat|Guam|Guam}}
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* [http://www.guam.gov/ グアム公式サイト] {{en icon}}
* [https://governor.guam.gov/ グアム公式サイト] {{en icon}}
* [https://www.visitguam.jp/ グアム政府観光局] {{ja icon}}
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[[zh-min-nan:Guahan]]

2024年12月5日 (木) 10:34時点における最新版

座標: 北緯13度27分 東経144度47分 / 北緯13.450度 東経144.783度 / 13.450; 144.783

グアム準州
Territory of Guam
グアムの旗 グアムの紋章
地域の旗 地域の紋章
地域の標語:Where America's Day Begins
(アメリカの一日が始まる場所)
地域の歌:Fanohge Chamoru(グアムの国
グアムの位置
公用語 英語チャモロ語
主都 ハガニア
最大の都市 デデド
政府
大統領 ジョー・バイデン
知事 ルー・レオン・ゲレロ
副知事ジョシュ・テノリオ英語版
面積
総計 549km2202位
水面積率 0%
人口
総計(2013年 160,378人(N/A
人口密度 292.1人/km2
成立
スペイン領東インド成立1565年4月27日
米国のグアム島占領英語版1898年6月20日
日本の占領1941年12月10日
米国が奪還1944年8月10日
グアム自治基本法英語版1950年7月1日
通貨 USドルUSD
時間帯 UTC+10 (DST:なし)
ISO 3166-1 GU / GUM
ccTLD .gu
国際電話番号 1-671

グアム[注 1]英語: Guamチャモロ語: Guåhån)は、太平洋にあるマリアナ諸島南端のアメリカ合衆国準州

1898年米西戦争からアメリカ合衆国海外領土第二次世界大戦下で1941年から1944年にかけて日本軍占領統治し、「大宮島(おおみやとう)[1]」と呼ばれた[2]

地理

[編集]
地図
地図

マリアナ諸島およびミクロネシア最大の島で、その南西端に位置する。海底火山によって造られた。北部は珊瑚礁に囲まれた石灰質の平坦な台地で、南部は火山の丘陵地帯である。最高所はラムラム山で標高406m。

地名

[編集]

気候

[編集]

海洋性熱帯気候に属しており、年間を通して高温多湿。「常夏」といわれ、ほぼ1年中海水浴が楽しめる。6 - 12月が雨季、1 - 5月が乾季。雨季にはスコールが降る。年間平均気温は約27℃。ケッペンの気候区分では熱帯モンスーン気候(Am)と熱帯雨林気候(Af)の境に位置する。

グアム国際空港(1981–2010)の気候
1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
最高気温記録 °C°F 34
(94)
34
(93)
34
(93)
36
(96)
34
(94)
35
(95)
35
(95)
34
(94)
34
(93)
34
(93)
33
(92)
33
(91)
36
(96)
平均最高気温 °C°F 29.6
(85.2)
28.7
(83.6)
30.1
(86.2)
30.8
(87.4)
31.6
(88.8)
31.6
(88.8)
31.1
(88.0)
30.8
(87.5)
30.9
(87.6)
31.1
(87.9)
31
(87.8)
30.4
(86.8)
30.9
(87.6)
日平均気温 °C°F 26.9
(80.4)
26.7
(80.1)
27.3
(81.2)
28.1
(82.5)
28.3
(83.0)
28.4
(83.1)
27.9
(82.3)
27.7
(81.9)
27.7
(81.9)
27.9
(82.2)
28
(82.4)
27.6
(81.6)
27.71
(81.88)
平均最低気温 °C°F 23.4
(74.2)
23.2
(73.8)
24.1
(75.3)
24.7
(76.5)
25.2
(77.3)
25.2
(77.4)
24.7
(76.5)
24.6
(76.3)
24.5
(76.1)
24.8
(76.6)
24.9
(76.9)
24.6
(76.3)
24.6
(76.3)
最低気温記録 °C°F 19
(66)
18
(65)
19
(66)
20
(68)
21
(70)
21
(70)
21
(70)
21
(70)
21
(70)
19
(67)
20
(68)
20
(68)
18
(65)
降水量 mm (inch) 100.6
(3.96)
96
(3.78)
59.7
(2.35)
72.1
(2.84)
108.7
(4.28)
196.9
(7.75)
290.8
(11.45)
406.4
(16.00)
344.9
(13.58)
298.2
(11.74)
205.2
(8.08)
158.5
(6.24)
2,338.1
(92.05)
平均降水日数 (≥0.01 in) 18.8 15.7 16.8 17.0 19.3 22.6 24.7 25.3 24.3 25.1 23.4 22.1 254.9
平均月間日照時間 176.7 186.0 217.0 213.0 220.1 195.0 155.0 142.6 132.0 133.3 135.0 142.6 2,048.3
出典1:NOAA (normals)[3]
出典2:Hong Kong Observatory (sun only 1961–1990)[4]

歴史

[編集]

古代

[編集]

グアム島に人類が住み着いたのは紀元前3000年~2000年頃で、東南アジア系民族チャモロ人マレーシアインドネシアフィリピンから航海カヌーに乗って移住してきたことに始まると考えられる。そのことはラッテストーンと呼ばれる古代チャモロ遺跡が残存していることでわかる。

スペイン植民地化

[編集]

1521年ポルトガルの探検家マゼランがヨーロッパ人として初めてグアム島に到達[注 2]1565年レガスピが来島してスペインの領有を宣言し植民地となり、フィリピンのマニラとメキシコのアカプルコを結ぶ航路が1568年に開かれ、スペインの大型船ガレオン船が太平洋を行き来するようになり、1年に1度6月ごろロタやグアム周辺に現れ、チャモロと物々交換を行った。 1668年にスペインのカトリック教会使節サン・ビトレスを中心としたイエズス会カトリック教会布教活動のため訪れるようになった。先住民はチャモロであるが、サイパンを含む北マリアナ諸島から移住させられたチャモロが多数いた。

しかし、宣教師が祖霊崇拝を始めとするチャモロ人の伝統的な習慣や文化を厳しく禁止したため、不満を持つチャモロ人も多く、その不満は1669年スペイン・チャモロ戦争として現れた。キリスト教に反抗的な村は全て焼き払われ、10万人いたとされるチャモロ人が5000人以下に激減した。そして、以降は目立った反抗はなくキリスト教文化が定着するようになったといわれている。

アメリカによる占領と支配

[編集]

1898年にアメリカとスペインの間で勃発した米西戦争にアメリカが勝利し、同年のパリ条約によりグアム島はフィリピンプエルトリコとともにアメリカ合衆国に割譲され、植民地支配下におかれた。アメリカはスペイン同様に現地の文化や風習を無視してグアムのアメリカ化を進めるなど、植民地支配を推し進めた。

日本による占領

[編集]
グアムを占領する日本海軍将兵

1941年12月8日太平洋戦争が勃発。大日本帝国海軍真珠湾攻撃の5時間後(日本時間午前8時30分)に、グアムへの航空攻撃を開始し、2日後に日本軍がアメリカ軍を放逐し、島名を「大宮島」と改名して大日本帝国領土とし、その後2年7か月にわたり占領した[注 3]

1944年7月、グアムの戦いアメリカ軍が奪還した。以後アメリカ軍は日本軍が使用していた基地を拡張し、戦争終結までの間日本列島への爆撃拠点として使用した。

アメリカの再占領と支配

[編集]
タモン湾のホテル

1950年アメリカ合衆国議会で成立した「グアム自治基本法」(Organic Act of Guam)によってグアムは主権に制限を受けており、米連邦法上は「アメリカ合衆国自治的・未編入領域 (organized unincorporated territory)」である。米連邦政府の所有物であるという政治的地位となり、事実上グアムは米国の「植民地」という状態の中で[5]、カールトン・スキナー(Carlton S. Skinner)が初の民間人知事となった。

第二次世界大戦の終戦後も、現在に至るまでアメリカ軍の太平洋戦略上重要な基地のひとつとしてグアム島は活用され、ベトナム戦争の際も北爆に向かう爆撃機の拠点として使用され、アメリカ軍が経済に与える影響も大きい。

1953年には、戦没者遺骨収集を行っていた日本丸が島に寄港した[6]1960年代後半以降は、日本からの観光客を中心とした観光地およびリゾート地として発展を遂げ、ホテルやレストラン、免税店などが立ち並ぶ。1990年代以降日本からの観光客は減ったが、2000年代以降は大韓民国中華民国からの観光客が増加し、現在は経済面では日本などの海外からの外国人観光客による収入が重要な位置を占めている[いつ?]

改名問題

[編集]
タモン湾越しに望む恋人岬

準州知事フェリクス・カマチョ2010年2月15日、演説の最後に、グアムの呼称を以前の「Guahan」に変えるように呼びかけた[7]。同日、カマチョは島名を変更する政令を出した[8][9]。カマチョは同時に自らを「Guahanの知事」と呼び始めた[10]

歴史家のToni Ramírez(グアム公園保養局文化財保護所)によると、Guahanとは「我々のもの」("we have")もしくは「所有している場所」("a place that has")[7]を意味し、島の川や天然資源を指して使用した。川や天然資源はミクロネシアの他の諸島では比較的希少なものであったと言う[9]

Guahan或いはGuajánは、1521年から1898年の間に島名として広く使用されていた[7][11]。しかし、グアム、そしてGuahanという名前は両方とも歴史文書や地図に数百年も遡って見出されると言うのが、Peter Onedera(グアム大学チャモロ語教授、歴史家)[10]による見解である。初代グアム知事を務めたリチャード・P・リアリー提督は1900年、「グアム」を採用したが、それは彼が「グアムの小島」と読んだからである[9][10]

知事2期目を務めるカマチョ(グアムにて3選はできない)は2011年にはグアム政府から引くことになる[10]。彼は演説の最後にて、改名は知事の遺産として基盤とし、歴史上自分が改名路線の固定化を為すべき立場にある旨を説明した[10]。彼はGuahanへの改名が明確な独自性とチャモロ文化の遺産を再認識させることになるだろうと論じた[9]。カマチョの政令は次のように明確に述べている。「チャモロ語の使用を広め、歴史的、文化的な連携を島にもたらすよう邁進しよう」[10]。政令は今回は地方のグアム政府機関、公式のやり取り、商業取引、標識にのみ適用される[10]。しかし、カマチョは地域社会の指導層、財界、議員達にGuahanの名を同じように採用させることに関心を持っている[10]。カマチョは更に、法的にも改名を実施するためグアム立法院で法案331号を提案すると発表した[7]。政令には政府機関が変更する際の猶予期限がないが、これは景気後退が長引いているため、準州政府の時間的、金銭的負担を軽減するためである[10]。改名は新しい便箋を発注する際など都合のよい時になされるべきだと言う[10]

変更案に対する反応は議員と住民共に複雑なものだった。立法院のJudith Won Pat議長は、改名がグアムにてこれまで認識されてきた独自性の喪失を、回復するのに役立つことに留意した[9]。彼女はメディアに「これは人々が自分達が何者なのかを知ろうとし、彼らの独自性を見つけようと望む世代が世界中に広がっているということです。これはとても重要なことであり、グアムでも同じです」と語った[9]。作家で元立法院議員のKatherine Aguonは政令が出る少し前にチャモロ語-英語辞典を出版したが、改名を支持する一方で、どんな提案でもグアム有権者の信認を得なければならない旨を強調した[10]

グアムの名が改名されると、経済的な影響が考えられる。エディー・カルヴォは2010年の知事選の共和党候補者であるが、政令を支援するためには標識、文書、広告の改名の際の費用を考慮しなければならない点に注意を向けている[9]。グアム政府観光局(Guam Visitors Bureau,GVB)は、何百万ドルもの予算を消費して主要な観光客やビジネス客に対してこの島の現在の名前、グアムを商標として使い、改名問題が惹起した頃に新しいキャンペーンをはじめた。そのキャンペーンでは「私たちはグアムです」("We Are Guam")と銘打った[12]。全ての道路標識と歓迎の看板を変更する費用は文書や観光キャンペーンと同じように見積もる必要性が指摘されている[12]

新型コロナウイルスの感染拡大

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2020年、アメリカ本土で新型コロナウイルス感染症が拡大すると、同年3月14日、知事が公衆衛生緊急事態を発令。3月20日には住民に在宅を強いる「ステイホーム令」を発令し、事実上のロックダウンに踏み切った[13]。その後、感染拡大には歯止めがかかり規制は一時的に緩和されたが、8月14日にはステイホーム令が再開。12月初旬には人口約16万6000人の島内の累計感染者は約7000人に達した。島外からの旅行者には14日間の強制隔離を課して締め出していたものの、アメリカ軍基地で働く建設関係者は検疫や隔離が免除されており、結果的に彼らが第二波の引き金を引くこととなった[13]

政治

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アメリカ合衆国での地位

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アメリカ合衆国準州であり、国家元首アメリカ合衆国大統領。なお住民は大統領選挙の投票権を有していない。ストローポール(擬似投票)が行われるが、選挙結果には反映されないため、事実上の植民地という意見もある[13]

1968年以降は公選によって選ばれた知事が内政執行にあたる。グアム議会が形成されており、議会は立法院のみの一院制1972年以降、合衆国議会下院に、本会議での議決権のない代表を1名選出している。自主憲法草案が上程されたが、1979年の住民投票で否決された。現在でも国際連合非自治地域リストに掲載されている。

新型コロナウイルス感染症の発生時には、連邦政府からグアム準州政府に弔慰金が支払われるなど、一定の配慮があった[13]

コモンウェルスへの昇格運動

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隣接する北マリアナ諸島信託統治を経て1978年に実質的なコモンウェルス(自治連邦区)となったことを受けて、グアムでは1980年代から1990年代前半にかけて、プエルトリコ北マリアナ諸島と同様の自治のレベルを付与したコモンウェルスに向けた重要な推進運動があり、1982年には住民投票を実施してこの方針を決定した。 しかしながら、連邦政府はグアム準州政府の提案したコモンウェルスへの変更を拒否し、理由として改正案の条項がアメリカ合衆国憲法の領域条項(Territorial Clause , Art. IV, Sec. 3, cl. 2)と両立する内容ではないことを挙げた。加えて連邦政府との折衝に6年もの時をかけ、(The Draft Commonwelth Act of 1988)を提出し本格的な交渉を開始したのは1988年であった。

これに対して運動は徐々にアメリカ本国からの政治的独立、国家としての独立、唯一の独自領土として北マリアナ諸島との連合、或いは現在合衆国の一州となっているハワイとの連合に軸足を置きつつある。一方で、中島洋のように、コモンウェルスが外交権を持たないことや、独立した場合の財政援助面での不利、連邦政府・議会との交渉を通じて内政での自治権を徐々に拡充しつつある点などを挙げて否定的に見る向きもある[14]

2003年より2011年1月まで2期に渡りフェリクス・カマチョが知事を務めたが、カマチョは北マリアナとの連合を目指していた。

軍事

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アンダーセン空軍基地
アプラ港内のアメリカ海軍潜水艦

アメリカ合衆国が全面的に防衛権を持つ。このために土地を収用することもできる。島の面積の13アメリカ軍用地が占めている。グアム島は、日本列島および南西諸島朝鮮半島台湾南沙諸島フィリピンインドネシアオーストラリアとあらゆる場所に緊急展開できる戦略上の要地であり、アメリカ合衆国の準州でもあるので、西太平洋の礎石としてその価値を見出されてきた。また軍事施設があることからアメリカ政府からの補助金が入るほか、多くの雇用が生み出されている[13]

しかし、冷戦終結に伴って在グアム米海軍基地整理縮小計画が立てられ、1990年頃にはアメリカ海軍航空隊の基地がグアム国際空港からアンダーセン空軍基地に移設され[14]、1997年9月には艦船修理施設(Ship Repair Facility)が海軍からグアム準州政府に移管されるなど1990年代は基地は縮小傾向にあった。

2000年ジョージ・W・ブッシュ政権に変わって以降は、地球規模の米軍再編の影響で、世界戦略を見据えたグアム島の軍事拠点化を進めることになり、兵力の増強が順次実施されてきた。2004年には、グアム島周辺を調査した中国人民解放軍海軍漢級原子力潜水艦が、行き帰りに日本の領海侵犯を行った漢級原子力潜水艦領海侵犯事件が発生した。

島の北部には、3,000m級の滑走路が2本あるアンダーセン空軍基地が存在する。ここには現在、常駐する戦闘機部隊は存在していないが、しばしば他基地の機体が飛来する。おもにB-52B-2といった戦略爆撃機が配備されており、極東有事の際には、アメリカ本土やハワイなどから前線派遣された航空部隊の重要な出撃拠点になる。

島の西部には、アメリカ海軍も使用しているアプラ港があり、ロサンゼルス級原子力潜水艦が事実上の母港としており、将来的にはオハイオ級原子力潜水艦も配備される予定である。これらは第7艦隊隷下にある。

在日米軍再編の影響により、沖縄本島に駐屯しているアメリカ海兵隊7,000人がグアムに移駐する予定であり、キャンプ・フォスターから司令部も移転する予定である。移転先の新しい基地はキャンプ・ブラズであり、沖縄のアメリカ海兵隊が2024年から移転する予定となっている[15]。この部隊の受け入れのための費用を日本国政府が59%負担することで、日米両政府が合意した。上記の基地移転には先住民の一部から反発が起きているが、かつてアメリカ軍基地が縮小された事で経済的に大きな打撃を受けたことや、アメリカからの補助金の増額も予想されるため[13]、大半の住民は基地・観光による経済的観点から、容認もしくは賛同している。

主要な都市と町・村

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参照:グアムの都市一覧

順位 都市名 人口(人)
1 デデド 46,000
2 ジーゴ 25,039
3 タムニンタモン 18,012
4 マンギラオ 15,191
5 バリガダ 8,652
6 モンモン・トト・マイテ 6,825
7 チャラン・パゴ・オルド 6,822
8 ジョーニャ 6,480
9 サンタ・リタ 6,084
10 アガット 4,917
11 アガニャ・ハイツ 3,808
12 タロフォフォ 3,050
13 シナハニャ 2,592
14 イナラハン 2,273
15 アサン・マイナ 2,137
16 メリッソ 1,850
17 ピティ 1,454
18 ハガニア主都 1,051
19 ウマタック 782

経済

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観光業、農業漁業が主要な経済基盤で、1980年代前半までアメリカ軍への依存度が高かったが、冷戦終結によるアメリカ軍基地の縮小に伴い、近年は観光業が産業の大部分を占め、島民の約60%が観光業に従事している。

観光

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タモン湾を一望(2000年11月)
タモン湾
タモン湾のホテル・ニッコー・グアム
タムニンのショッピングアーケード

観光産業は年間100万人以上の観光客が訪れる、第二次世界大戦後から現在に至るまでグアムの最大の産業である。なお、本土から数千キロの距離があり、さらに直行便が設定されていないアメリカ本土からの観光客よりも、日本や韓国などのアジア各国からの観光客の方が多い。アメリカへのビザで行けてアジアとの時差が少ないことが強みとなっている。

通貨アメリカ合衆国ドル(USドル)。但し日用品や土産等の購入に関して少額(おおよそ100ドルを目途)の場合、主要顧客である日本人観光客に対する便宜として日本円を受け入れる店舗が多い。

1960年代にパンアメリカン航空の、1970年代日本航空の直行便が開設されて以降、東京や名古屋、大阪などの主要都市から約3-4時間で訪れることのできる日本からの観光客が多くを占めていたが、そのピークは1990年代で、バブル崩壊後日本人観光客の渡航先が変化し、2000年代に入ってからは減少した。

2017年5月時点でグアムに訪れる観光客数は日本人48000人、それに対し韓国人52000人となっている。しかし2017年には北朝鮮によるミサイル発射実験でグアム周辺を包囲射撃する作戦計画を検討していたこともあり、例年の4割程まで減った。[16]

タモンエリアを中心に、欧米の大手ホテルチェーンが進出しているほか、ホテル・ニッコー・グアムレオパレスリゾート・グアムなどの日系のホテルも多い。また観光客向けのショッピングモール免税店、大型スーパーマーケットレストランも多い。近年は特に和食料理店など、日本の外食企業の参入も多く見られる傾向にある。

主なホテル

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軍事

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アメリカ軍の基地に関連する産業とアメリカ政府から支払われる補助金は大きな収入源となっている[13]

冷戦終結により減少していたが、2024年からの基地再編計画により増額が見込まれている[13]

マグロ産業

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アプラ港

『ミクロネシア』1997年4月号によれば、ミクロネシアの要所であるグアムは1980年代以降はマグロの転載業でも知られている。ただし、グアム周辺水域においてマグロ資源に恵まれている訳ではなく、大消費地である日本、およびアメリカ本土への航空貨物直行便がありアクセスに恵まれていることや、漁船の修理施設、乗組員の休養施設、金融サービス機関が整っていることが挙げられる。従って他のミクロネシア水域で漁獲されたマグロ類はアプラ港で水揚げされ、主に日本本土に空輸されている。漁獲を実施しているのは1990年代においては台湾籍船が最も多く、次いで日本籍船であった。

問題はグアム周辺の排他的経済水域内の開発である。アメリカ本国は1978年4月にマグナソン漁業保存管理法によりアメリカの200海里水域内での他国漁船の操業を禁止した。そのため、グアムはパラオマーシャル諸島に比較し、資源開発で遅れをとった。1980年初頭、グアム準州政府はグアム200海里を法制化する中、外国漁船に200海里水域内での操業許可を与えようとしたが、実現しなかった。その後本格化したコモンウェルス昇格運動の背景にも、200海里内における管轄権を本国政府から入手したいという意向があり、1988年に提出したコモンウェルス法案にも経済水域問題が重要事項として謳われている。その後、本国へのロビー活動などの結果、1996年10月11日にマグナソン法の改正案が公布(Public Law 104-297)された。これは、国務省への申請、入漁料の徴収などを通じて他国漁船への漁業参加を認める内容であった。

経済水域内の取り締まりは沿岸警備隊と商務省国家海洋漁業局(National Marine Fisheries Service)が実施している。1997年に海軍は艦船修理施設をグアム準州政府に移管したが、この跡地を活用してアプラ港の総合開発計画が立てられ、漁業基地の強化を狙った内容となっていた。このような努力は周辺諸国も行っており、ミクロネシア水域のマグロ産業規模に比較して従来4~5%程度しか得ることの出来なかった見返りを自主的に漁業を拡大することで移行を図る動きがある[17]。2000年代に入っても、中西部太平洋まぐろ類委員会(WCPFC)をグアムなどで開催し漁業資源の管理と多国間交渉に努力がなされている[18]

島内のインフラ

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通信

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グアムは2010年現在、携帯電話事業者が6社存在する。2006年にグアムの携帯電話事業者であるグアムワイヤレス及びグアムセルラーをNTTドコモが買収・統合し、2008年ドコモパシフィックと社名を変更しており、国際ローミング(WORLD WING)を使って、FOMAサービス及びiモードサービスが利用できるようになっている。ただしPulse Mobileなど他の事業者によるローミングと扱いは基本的に一緒となっている。

医療

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アメリカ本土と比較しても医療体制が脆弱であり、2019年の新型コロナウイルス感染症発生時には、大病院が公立、私立、海軍の病院しかないが海軍の病院は関係者専用であることから実質2箇所であること、集中治療室が少なく体外式膜型人工肺を扱える医師が島内にいないことが問題となった[13]

教育

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大学

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高等学校

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  • Father Duenas Memorial School(FD)(男子校)(マンギラオ)
  • George Washington High School (マンギラオ)
  • DoDEA Guam High School
  • Saint Paul Christian School
  • John F. Kennedy High School
  • Simon Sanchez High School (ジーゴ)
  • Southern High School (サンタ・リタ)
  • J.P. Torres Alternative School (サンタ・アガニア)
  • Notre Dame High School, Inc.(タロフォフォ)

学区

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日本人学校

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交通

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港と空港

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現在、グアムへの訪島手段として飛行機船舶がある。飛行場グアム国際空港はアプラ港を利用することが多い。アプラ港はミクロネシア最大の港である。

グアム国際空港は1964年より民間供用が開始され、以前は飛行艇で乗り入れていたパンアメリカン航空コンチネンタル航空ノースウェスト航空が就航を開始した。1967年にはパンアメリカン航空が東京国際空港との路線を開設し、1970年には初の外国航空会社として日本航空が東京国際空港との路線を開設した。

2024年現在、日本からは日本航空が成田国際空港ユナイテッド航空が成田・羽田中部国際空港・関西・福岡空港からそれぞれ乗り入れている。 また、2020年代一時期韓国系LCCが日本との航空協定で以遠権行使して韓国から関西などを経由して運航していたが、COVID-19流行による運休後再開時には直行便化されている。 日本以外では、ホノルル仁川マニラコロール、サイパンなどへの直行便がある。

バス

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シャトルバス

島内の交通機関はバスタクシーのみで、鉄道路面電車などはない。また州間高速道路(インターステート・ハイウェイ)は存在しない。

バスは、観光地をまわるトロリーバスなどを運行しているグレイラインバスや「ショッピングセンター」はDFSギャラリア、マイクロネシアモールグアム・プレミア・アウトレットや小規模なものではタモンサンズプラザなどがありホテル旅行会社が運行するザ・ショッピングバス、シャトルバスを運行するアイバスなどがある。

サイパン島と同様に、島内では九州産業交通の現地法人であるグアム産交が貸切バス事業を行なっていたが、九州産業交通の産業再生機構活用による事業再編の一環として売却されている。

観光客による島内移動にはレンタカーが多用されており、空港やホテル内などに事務所がある。また日本人観光客向けに、日本のレンタカー会社の店舗が複数存在する。 

文化

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民族・人種・出自構成

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言語

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公用語英語チャモロ語フィリピン系も多く、タガログ語も使用される。

芸術

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ラッテ・ストーン。使用用途は解明されていないが、建築物の土台という見方が有力。
  • グアムの創生にかかわる物語「プンタンとフウナの物語」があり、幼稚園では歌遊びで、小・中学校ではチャモロ語学習やチャモロダンスで学習する[20]
  • 伝統的な文化としてチャモロ文化がある。踊りではミクロネシアダンスが有名。
  • グアムの芸術文化に関する機関として「グアム芸術文化省」(Kaha)がある。
  • ミクロネシア連邦チューク州プルワット環礁との結びつきが強く、プルワット出身の航法師が伝統的な航海カヌーによる航海術を教えている。
  • グアムの高校や大学で教育を受けるために、ミクロネシア各地から学生・生徒が集まってくる。

食文化

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チャモロ式バーベキュー

グアムに伝わる伝統料理にチャモロ料理がある。スペイン、アメリカ、日本、東南アジアなど、色々な国の文化の影響を受けて生まれた。ココナツ、赤唐辛子、醤油、酢、玉ねぎ、レモン汁、砂糖などがよく使われ、甘さ・辛さ・酸っぱさのいずれかが強い味が特徴。[21]

スポーツ

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1990年グアムサッカーリーグが創設されている。グアム・シップヤードがリーグ最多となる9度の優勝を数える。グアムサッカー協会 (GFA)はオセアニア北中米カリブではなく、アジアサッカー連盟 (AFC)に属している。サッカーグアム代表は、これまでFIFAワールドカップAFCアジアカップには未出場である[22]

対外関係

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日本との姉妹自治体・提携自治体

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姉妹都市
提携都市
  • 日本の旗柏市(日本国 千葉県
    • グアムとの交流は、柏まつりを通じて始まり、ミス柏に副賞としてグアム旅行が贈られ、1985年昭和60年)からは、ミス・グアム及びグアム政府観光局代表が柏まつりに参加するようになった。その後、柏グリーン・ライオンズクラブとグアムマリアナス・ライオンズクラブが1990年平成2年)2月姉妹クラブを結び、青少年交流派遣を実施するなど、交流が深まった。こうした経過を経て、1991年(平成3年)5月、柏市とグアム政府の親善提携を求める陳情書が提出され、1991年(平成3年)6月定例市議会で採択。柏市長が同年7月、グアム知事に書簡で親善提携を申し入れたところ、同知事も快諾、友好都市提携が決定。1991年(平成3年)11月30日、グアムにて友好都市提携の調印を行った。
  • 日本の旗岡山市(日本国 岡山県

脚注

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注釈

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  1. ^ 英語発音はグワーム。「ア」を小書きし、「グァム」と表記することもある。発音でアが抜けて、「ガム」と言う場合もあった。
  2. ^ グアムのウマタック湾には、1930年代に建てられたマゼラン上陸記念碑がある。(中山京子「マリアナ諸島は「発見」されたのか?」/ 中山京子編著『グアム・サイパン・マリアナ諸島を知るための54章』明石書店 2012年 86ページ)
  3. ^ この占領期間に日本人はチャモロの人々を飛行場建設や稲作の労働などに強制し、日常生活でも束縛したとされる(中山京子「グアムが「大宮島」だった時代」/ 中山京子編著『グアム・サイパン・マリアナ諸島を知るための54章』明石書店 2012年 91ページ)

出典

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  1. ^ 国立国会図書館. “日本占領下のグアム島の呼称「大宮島」の読みを知りたい。”. レファレンス協同データベース. 2023年1月5日閲覧。
  2. ^ 日本海軍は、島名を「大宮島」(おおみやじま)とし」とある。(中山京子「グアムが「大宮島」だった時代」/ 中山京子編著『グアム・サイパン・マリアナ諸島を知るための54章』明石書店 2012年 93ページ)
  3. ^ NOWData – NOAA Online Weather Data”. National Oceanic and Atmospheric Administration. November 17, 2012閲覧。
  4. ^ Climatological Information for Guam, Pacific Islands, United States”. Hong Kong Observatory. November 17, 2012閲覧。
  5. ^ 「日本から一番近い楽園」グアムが崩壊寸前 新型コロナ禍:時事ドットコム
  6. ^ 世相風俗観察会『現代世相風俗史年表:1945-2008』河出書房新社、2009年3月、54頁。ISBN 9784309225043 
  7. ^ a b c d Camacho wants Guam renamed "Guahan"KUAM. 2010-02-16.
  8. ^ “Governor Issues Executive Order Changing Island Name To Guahan”. Pacific News Center. (2010年2月16日). http://www.pacificnewscenter.com/index.php?option=com_content&view=article&id=3315:governor-issues-executive-order-changing-island-name-to-guahan&catid=50:homepage-slideshow-rokstories 2010年2月18日閲覧。 
  9. ^ a b c d e f g Tamondong, Dionesis (2010年2月16日). “Camacho: Name change will affirm identity”. Pacific Daily News 
  10. ^ a b c d e f g h i j k Limtiaco, Steve (2010年2月18日). “Residents mixed on name change”. Pacific Daily News 
  11. ^ José Antonio Saco. Colección de papeles científicos, históricos, políticos y de otros ramos sobre la isla de Cuba. 1859.
  12. ^ a b “GVB Reacts To Proposed Guam Name Change”. Pacific News Center. (2010年2月16日) 
  13. ^ a b c d e f g h i 「日本から一番近い楽園」グアムが崩壊寸前 新型コロナ禍”. 時事通信社 (2020年). 2020年12月27日閲覧。
  14. ^ a b 中島洋(太平洋学会専務理事)コモンウェルスを目指すグアムは? 『ミクロネシア講座』やしの実大学HP内
    (サイパン・ロタ・テニアン月刊情報誌『ハファダイ』1992年2月号からの転載HP)
    中島は執筆に当たり矢崎幸生『ミクロネシアの憲法集』曉印書館 1984年
    矢崎幸生「北マリアナは連邦制国家か」『太平洋学会誌第12号』 1981年 を参照している。
  15. ^ 報道制作局, 琉球朝日放送. “グアムリポート前編「在沖米海兵隊グアム移転計画のいま」”. QAB NEWS Headline. 2024年2月13日閲覧。
  16. ^ ミサイル計画 グアムに影 北朝鮮表明で邦人客38%減 東京新聞(2017年12月27日 夕刊) 2018年2月7日号閲覧
  17. ^ 泉正南「知っておきたいグアムのマグロ産業-米国マグナソン漁業保存管理法の改正-」『ミクロネシア』1997年4月No.105
  18. ^ 中西部太平洋まぐろ類委員会(WCPFC)第4回年次会合の結果について 日本国水産庁 2007年12月7日
  19. ^ "Private Schools in Guam." (Archive) Morale Welfare & Recreation Office, Guam (MRW Guam). March 19, 2012. p. 2 of 4. Retrieved on January 2, 2014. "170 Terao St, Mangilao, Guam 96913."
  20. ^ 中山京子「プンタンとフウナの物語」/ 中山京子編著『グアム・サイパン・マリアナ諸島を知るための54章』明石書店 2012年 81ページ
  21. ^ チャモロ料理について グアム政府観光局
  22. ^ Matao Asian Cup campaign officially ends with withdrawal”. グアムサッカー協会 (2016年12月29日). 2017年1月4日閲覧。
  23. ^ 「この時期沖縄は泳げないけど、グアムなら泳げます」岡山ーグアム線再開を目指し 県とグアム政府観光局がグアムの魅力をPR | TBS NEWS DIG (1ページ)”. TBS NEWS DIG (2023年1月17日). 2024年7月19日閲覧。
  24. ^ 岡山―グアム線の再開目指しグアム政府観光局が魅力をPR 伝統の「チャモロ料理」など紹介 | KSBニュース | KSB瀬戸内海放送”. KSB (2023年1月17日). 2024年7月19日閲覧。

関連項目

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外部リンク

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(英語)