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マリンライナーは、西日本旅客鉄道(JR西日本)と四国旅客鉄道(JR四国)が岡山駅~高松駅間を宇野線・本四備讃線・予讃線(瀬戸大橋線)経由で共同運行する快速列車の名称である。
概要
列車の案内表記はゴシック体で「快速マリンライナー」(英語案内表記:Rapid Service Marine Liner)である。ただし、213系の種別幕は「快速」はオレンジ色のゴシック体で、「マリンライナー」は白色のゴシック体、側面は「快速|○○(行先)」(「快速」はオリジナルフォント。置き換え前は号車番号も併記)となっている。
JR四国管内に乗り入れる上、四国では端岡駅などに停車する「快速サンポート」との区別が必要である上、文字数が多くなるため、JR西日本の種別フォントでは見づらくなることもあり、オレンジ文字でのオリジナルの表記にはしなかったと思われる。しかし、オレンジの「快速(Rapid Service)」幕で運転したこともあった。
運行概況
岡山~高松間71.8kmを52分~63分で運行する。原則(但しラッシュ時を除く)として1時間あたり2本運転されていて、山陽新幹線の接続にも考慮されている。そのため事故などで列車が遅延した場合でも接続が出来るように新幹線を延発している。高松発の朝1番列車は岡山発の朝1番の新幹線に接続しており、岡山発最終列車は、岡山着の最終新幹線到着後の発車というようにダイヤが組まれている。全列車が同区間の運行であり、他区間への乗り入れや区間列車は存在しない。運行主体は岡山~児島間がJR西日本、児島~高松間がJR四国で、担当乗務員も岡山~児島間が岡山運転区および岡山車掌区、児島~高松間が高松運転所および高松車掌区である。
高松~坂出間と児島~茶屋町間で130km/h運転を行っており、同列車以外の速達料金が不要な130km/h運転を行う列車は常磐線の「特別快速」・京阪神地区の「新快速」・北海道の「快速エアポート」など、数えるほどしかない。2006年度中に本四備讃線西日本管内の線路高速化改良と宇野線久々原~備中箕島間の複線化が完成し、130km/h運転区間が拡大される予定であったが、環境アセスメントを盛り込んでいない計画だったことが分かり、完成は翌2007年度以降になる模様である。
強風等により瀬戸大橋線が不通になった場合は、始発・終着駅を宇野へ変更した上で宇野港~高松港間において船舶による代行輸送を行うか、児島での折り返し運転を行うかのいずれかの措置がとられる。
使用車両
概要
1988年4月10日の運行開始時から1987年以降「備讃ライナー」で先行使用されていたステンレス車体の213系を使用しており、高松側の先頭車両は瀬戸大橋の眺望を望めるように新製された普通鋼製の展望グリーン車(形式名は211系)を連結していた。
運行開始当初は毎時1本という運行本数であり、指定席がグリーン車のみで即日完売となるなど人気が集中したことから、瀬戸大橋線開業当日には「マリンライナー2号」の続行で2本の臨時列車(1本はキハ181系で茶屋町まで)が運転された他、翌11日からもJR西日本の115系、117系、JR四国の111系などを使用した臨時快速が岡山~宇多津・坂出・高松間(一部は岡山~茶屋町・児島間の普通列車を延長運転)に運行された。これらの列車は全国版時刻表には当初は掲載されず、沿線で配布された修正時刻表にのみ記載される列車であった。その後も瀬戸大橋線の利用が好調であったことから「スーパーサルーン「ゆめじ」」のクモロ211+モロ210も繁忙期を中心に増結に入るようになり、同年7月からは普通車の指定席を設けるとともにJR西日本の117系100番台や115系3000番台などを使用した「臨時マリンライナー」や、167系や115系を使用した臨時快速が岡山~高松間に設定され、213系の増備による増発(1989年3月)までの間毎日運転の臨時列車として運行された。「臨時マリンライナー」はその後も繁忙期に運転された時期があり、JR西日本の221系が使用されたこともあった。
ちなみに「備讃ライナー」時代から全車禁煙となっていた。今でこそJRの快速・普通列車は全面禁煙が主流だが、当時としては思い切った施策であった。なお、普通列車が全面禁煙となったのはJR西日本が1993年(ただし岡山・広島支社では1992年)、JR四国が1994年である。ただし、JR四国管内の電車や1000形は使用当初から全車禁煙である。
しかし、運行から15年程度しか使用されていないものの、グリーン車は塩害による車体へのダメージが酷い上、普通車も2扉のためラッシュ時の乗降に時間がかかっており遅延が慢性化していたため、2003年10月1日のダイヤ改正でJR四国の5000系(M編成、5100形(Thswc)-5200形(T)-5000形(Mc))とJR西日本の223系5000番台(P編成、クハ223-5000形(Tc)-クモハ223-5000形(Mc))へ置き換えられた。使用車両がすべてJR西日本所有だったので、JR四国は車両使用料を支払わなければいけなかったことも1つの要因とされている。
2007年2月に早島駅付近で踏切事故を起こした223系5000番台が修理に出され、その代走として翌3月末まで元々指定席を連結せず、130km/h運転をしない下り最終の77号と上り始発の2号に213系の運用が復活した。
5000系1号車
高松側の先頭車両は2階建て展望車であり、2階はグリーン席、1階は普通車指定席である。どちらもリクライニングシートでシートピッチも同じであるが、背面テーブルの有無や座席背面の形状に違いがあり、座席のリクライニング角度も普通席は浅くグリーン席は深い、といった差異を設けている。なお、高松側運転席後ろの平屋席4席もグリーン席となっており、指定の際も「マリンライナー(パノラマグリーン)」とマルス管理上別列車扱いとなっている(切符には「マリン・パノラマxx号」と表記している)。岡山側の平屋席2席は車椅子対応の普通車指定席となっている。
高松側デッキはグリーン車のデッキとして扱われ、ここでの立席乗車はグリーン料金が発生する。ただし、同じ1号車を共有する指定席券を所持する旅客に対しては瀬戸大橋通過中の記念撮影などといった一時的な滞在について車掌も黙認しているようである。
その他
223系5000番台と5000系に置き換えられた当時は、深夜と早朝が2~3両、日中が5両、ラッシュ時の一部が7両編成であったが、ダイヤ改正による新幹線からの乗り換え客の増加やラッシュ対策(岡山~茶屋町間のラッシュ時の混雑率は200%を超えていた)として、2007年6月下旬より223系5000番台車の中間に2000番台が組み込まれ、深夜・早朝が3両、日中が6両、ラッシュ時の一部が9両編成となった。
現在、基本的にM編成+P編成の6両編成で運用されている。早朝、深夜の一部列車はP編成のみやM編成のみの3両編成、また朝ラッシュ時の上りにはM編成1編成とP編成2編成による9両編成(3+3+3)での運用もある。また、年末年始・大型連休・盆休などの多客期の一部の列車は終日9両編成での運用がある。また、過去には5101を中間に連結してM編成2編成とP編成1編成による8両編成(3+2+3)で運用されたこともあった。
213系時代には優先座席の設定がなく、朝ラッシュ時には普通車指定席の設定がない列車があった(この場合、2号車の指定席のサボを裏返しにしていた)。
変わったところでは、グリーンデッキのトイレは男女兼用と男性専用の2種類がある。JR西日本区間ではグリーン席・指定席の客は1号車、自由席の客は4号車のトイレを利用するようにさせているが、JR四国ではそのようなことはしていない(JR西日本区間でも車掌によりその事を言う人もいれば言わない人もいる)。どちらも自動ドアを備え、洋式で車いすでの利用を配慮したバリアフリー対応になっているが、P編成のトイレの方が若干広い。また、P編成のトイレがカセット式であるのに対し、M編成は真空式を採用している。
四国内で行われる夏季・冬季の車内保温を高めるための半自動ドア措置は、途中駅では行われない。
停車駅
- 岡山駅 - (大元駅) - (備前西市駅) - (妹尾駅) - (早島駅) - 茶屋町駅 - (植松駅) - (木見駅) - (上の町駅) - 児島駅 - 坂出駅 - (鴨川駅) - (国分駅) - (端岡駅) - (鬼無駅) - 高松駅
- ()内の駅には一部の列車が停車。この書体は早朝と深夜のみの停車。また上の町駅も、早朝・深夜以外は1往復のみ停車。
- 妹尾と早島は昼間は千鳥停車し、ラッシュ時は両方に停車する。両方通過する列車はなく、どちらかに必ず停車する。
- ラッシュ時は、朝の上りは全区間、夕方・夜の下りは岡山~児島間で補助席使用不可。
- 備前西市駅の停車は上りの2本(2・10号)のみで、下りの停車はない。10号はホームが6両分しかない同駅に停車しているため、朝ラッシュ時にも関わらず通常の6両編成となっている。
四国連絡列車の沿革
元々、宇高連絡船との連絡の関係で宇野線には東京駅・大阪駅発着のものを中心に、多くの列車が運行されていた。
1972年3月15日の山陽新幹線岡山駅乗り入れにより、従来の東京駅や大阪駅からの昼行の連絡列車を廃止し、代わりに岡山駅~宇野駅間の快速列車を設定して新幹線などから宇高連絡船への連絡とした。当初は153系など運行されなくなった急行列車用の車両が充当されたが、混雑緩和のため宮原電車区の113系に置き換えられ、さらに京阪神地区での車両の所要増から1980年に岡山電車区の115系に置き換えられ、この時グリーン車が廃止された。さらに1987年3月より「備讃ライナー」の名称が与えられて213系が使用されるようになった。「備讃ライナー」は「マリンライナー」に投入する車両の先行使用の性格が強い列車であった。
「マリンライナー」が宇高連絡船の代替列車として運行されるようになったのは、1988年4月10日からである。
宇野線開業
- 1910年(明治43年)6月12日 - それまで本州と四国の間は山陽鉄道(現在の山陽本線を敷設した私鉄。1906年12月1日に鉄道国有法に基いて国有化。)によって運行が開始された岡山~高松間航路によって連絡されていた。しかし、岡山側では鉄道との連絡が不便だったため、この時岡山~宇野間の宇野線と宇野~高松間の宇高航路が開業し、それに本州~四国間輸送を譲って岡山~高松間航路は廃止された。
直通列車の運行開始
- 1930年(昭和5年)10月1日 - 宇野線の列車は線内間を走るもののみといった状態が長く続いていたが、この時に京都~宇野間に夜行普通列車と大阪~宇野間下り夜行・上り昼行の不定期快速列車がそれぞれ1往復設定された。夜行普通列車の方は二等寝台車も連結した。
- 1934年(昭和9年)12月1日 - 京都発着の夜行普通列車が鳥羽(三重県・参宮線)発着となる。
- 1943年(昭和18年)2月15日 - 閣議決定された「戦時陸運非常体制」に基くダイヤ改正が行われ、旅客列車が大幅削減。大阪~宇野間の不定期快速列車と鳥羽駅直通列車が廃止される。
戦後の直通列車
- 1950年(昭和25年)10月1日 - 東京~宇野間に夜行急行列車1往復が設定され(岡山駅まで広島駅への「安芸」と併結)、東京発着の四国連絡列車が初登場した。また、大阪~宇野間にも夜行準急列車が設定された(広島駅行と併結)が、こちらの方は宇高連絡船に客車の一部を積み込み、松山駅(愛媛県)と須崎駅(高知県)まで直通運転を行い、「海を行く汽車」として話題になった。
- 1951年(昭和26年)12月2日 - 東京~宇野間の夜行急行列車に「せと」と命名される。
- 1953年(昭和28年)11月11日 - 大阪~宇野間の夜行準急列車が独立運行となる。
- 1955年(昭和30年)5月11日 - 宇高連絡船で紫雲丸事故が発生した。これにより「客車内に居る乗客が、船が沈没する際に脱出することは困難である」とされたため、乗客の乗った客車の航送が中止される。
- 1956年(昭和31年)11月19日 - 「せと」は「瀬戸」と表記を改めて独立運行されるとともに、大阪~宇野間の夜行準急列車が普通列車に格下げられる。その代替として京都駅~宇野駅間に昼行の準急列車が設定される(広島駅行準急列車と併結)。
- 1958年(昭和33年)10月1日 - 京都~宇野間運行の準急列車が独立運行となる。
- 1959年(昭和34年)9月22日 - 準急列車に「わしう」と命名される。
- 1960年(昭和35年)10月1日 - 「わしう」は「鷲羽」と漢字表記に変更。またこの時山陽本線の倉敷駅までと宇野線の電化が完成したため、「鷲羽」は153系を使用して客車から電車化され、さらに3往復に増発(京都・大阪~宇野)される。
- 1961年(昭和36年)10月1日 - 「サン・ロク・トオ」と年月を取って後に呼ばれるようになるほどの大規模なダイヤ改正が行われ、東京~宇野間に特急「富士」が1往復、その間合い運用で大阪~宇野間に特急「うずしお」が1往復設定される。初めて宇野線に特急列車が登場した。また、山陰方面からの直通列車として岡山~出雲市~博多間運行の準急「しんじ」が宇野まで乗り入れるようになった。
- 1962年(昭和37年)9月1日 - 宇野~鳥取間運行の準急「砂丘」が設定され、岡山~宇野間で「しんじ」と併結して乗り入れるようになった。
- 1964年(昭和39年)10月1日 - 東海道新幹線開業に伴い東海道本線の昼行特急列車を全廃することになったため、「富士」は廃止。元「富士」の東海道新幹線と重複しない区間(新大阪~宇野間)に関しては「ゆうなぎ」と名称変更して存続した。また「瀬戸」の補助列車としてそれと同区間に急行「さぬき」を設定する。
- 1965年(昭和40年)10月1日 - 宇野線列車の大増発が行われ、「鷲羽」は夜行1往復も登場して下り7本・上り8本になる。また宇野~出雲市間に準急「たまつくり」を設定する。
- 1966年(昭和41年)3月5日 - 走行距離100km以上の準急列車を急行列車に格上げさせることになったため、「鷲羽」「砂丘」「しんじ」は急行列車となった。
- 1968年(昭和43年)10月1日 - 「サン・ロク・トオ」同様年月を取って「ヨン・サン・トオ」と呼ばれることになる大規模なダイヤ改正が行われた。宇野線では「うずしお」が「ゆうなぎ」統合と同時に1往復増発されて3往復、「瀬戸」が「さぬき」を統合して2往復、「しんじ」も「たまつくり」を統合して2往復、「鷲羽」は定期9往復・不定期2往復の11往復となった。
新幹線岡山開業後
- 1972年(昭和47年)3月15日 - 山陽新幹線の新大阪~岡山間が開業。これに伴うダイヤ改正により、以下のように変更した。
- 新幹線開業区間における輸送は多くが新幹線に振り返られることとなったことから、「うずしお」は全廃、「鷲羽」も夜行1往復を残して廃止となる。
- 「砂丘」「しんじ」の宇野駅乗り入れも廃止。
- 「瀬戸」は1往復に統合し特急へ格上げ。
- それらの列車の代替として途中茶屋町のみ停車とした快速列車が岡山~宇野間にほぼ1時間間隔で運行を開始した。快速列車は「鷲羽」で使っていた153系を流用し、グリーン車も連結した。なお、153系は現行の「サンライナー」に相当する山陽本線岡山~三原間の快速列車にグリーン車も営業して使用された。
- 1980年(昭和55年)2月13日 - 京阪神地区の増発に宮原電車区の113系を捻出する必要が生じたことと国鉄の度重なる運賃・料金の値上げから利用が減少したことにより、快速列車のグリーン車を夜行急行「鷲羽」の間合い運用であった1往復を除いて廃止、車両も岡山電車区の115系に置き換えられた。
- 1980年(昭和55年)10月1日 - 宇野駅発着が深夜であり、そのためもあってか利用客が少なくなっていた夜行急行「鷲羽」を廃止。これにより快速列車のグリーン車が全廃された。
- 1985年(昭和60年)3月14日 - 快速列車の一部が妹尾駅に停車。
- 1987年(昭和62年)3月23日 - 翌年の瀬戸大橋の完成を前にして快速列車に115系に代わって213系が使用されるようになり、「備讃ライナー」と命名された。同列車には指定席も設けられた。
本四備讃線(瀬戸大橋線)開業後
- 1988年(昭和63年)4月10日 - 瀬戸大橋の完成に伴って本四備讃線(茶屋町~宇多津間)が開通し、同年3月13日に開業していた青函トンネルとあわせ、日本四島が線路で結ばれることになった(一本列島というキャッチコピーも生まれた)。なお、本四備讃線と宇野線の岡山~茶屋町間、予讃線の宇多津~高松間を合わせて岡山~高松間には「瀬戸大橋線」という愛称が付けられた。これにより「備讃ライナー」と宇高連絡船の普通便と急行便(ホーバー便)は廃止され、代わりに岡山~高松間に快速「マリンライナー」が設定された。車両は213系を引き続いて使用したが、新造された展望車のグリーン車が設けられ、1980年以来8年ぶりに四国連絡列車のグリーン車が復活した。7月には普通車指定席も設けられた。「マリンライナー」は宇多津通過線という短絡線を通るため、宇多津駅は通過扱いとなった。その他にも「瀬戸」が高松駅発着になったり、岡山駅に四国からの特急「しおかぜ」「うずしお」「南風」が乗り入れるなどといった動きがあった。ちなみに宇高連絡船の急行便(高速艇便)が瀬戸大橋線開業後も1990年3月まで存続していた。
- 1998年(平成10年)7月10日 - 「瀬戸」が285系を使用し電車化、列車名も「サンライズ瀬戸」となる。
- 1999年(平成11年)3月13日 - 「マリンライナー」の岡山発15時以降の高松行の全列車が妹尾駅に停車する。
- 2001年(平成13年)5月 - 高松駅改修により駅複合施設サンポート高松開業に伴う祝賀列車として485系により大阪駅~高松駅間を運行する臨時急行列車として「サンポート高松号」が運行された。
- 2003年(平成15年)10月1日 - 同列車の使用車両を5000系・223系5000番台に置き換える。
- 2007年(平成19年)6月下旬 - 223系5000番台の編成に同2000番台1両が組み込まれる。
関連項目
- 岡山市
- 倉敷市
- 坂出市
- 高松市
- 西日本旅客鉄道(JR西日本)
- 四国旅客鉄道(JR四国)
- 1972年3月15日国鉄ダイヤ改正
- 一本列島(1988年4月10日JRダイヤ改正)
- 東海道本線優等列車沿革
- 山陽本線優等列車沿革
- 瀬戸 (列車)
- 日本の列車愛称一覧