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「日本の漫画家」の版間の差分

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'''日本の漫画家'''(にほんのまんがか)では、[[日本]]における[[漫画家]]について解説する。
{{ウィキプロジェクトリンク|漫画家}}
{{漫画}}
'''漫画家'''(まんがか)は、[[漫画]]を描くことを生業とする人である。


==概要==
== 概要 ==
[[アマチュア]]が増加している事を考慮すると、漫画の作家全般と捉える事もできる。漫画風の[[イラスト]]の需要が高いため、[[イラストレーター]]を兼ねている場合があり、明確な区別難しい。<!-- 画伯は一種のユーモアでしょう。画家に対しても今時は画伯とはあまり呼ばないのでは? そのためもあり、敬称として「画伯」が使用されることもある。-->
「漫画家」は、漫画作品を作る。脚本のみを作る者は「[[漫画原作者]]」。脚本と作画の両方を作る者も作画のみを作る者も「漫画家」である。ただし[[アマチュア]]が増加している事を考慮すると、漫画の作家全般と捉える事もできる。漫画風の[[イラストレーション|イラスト]]の需要が高いため、[[イラストレーター]]を兼ねている場合があり、明確な区別難しい。


画家でも脚本家でも小説家でも[[書家|書道家]]でも、創作活動に対して対価を受け取る者は「先生」と呼ばれるのが一般的である。漫画家も例外ではなく、商業誌(大小や種類を問わず)でデビューした漫画家は、「先生」の[[敬称]]を付けられる。
漫画家のイメージは、漫画家自身がその作品に描く[[自画像]]に大きく左右されてきた。古くは、[[手塚治虫]]などの描く自画像から、「ベレー帽にセーター」の画家のようなイメージが広く流布されていた。


[[メディア (媒体)|メディア]]への露出に関しては、様々である。[[いしいひさいち]]のようにメディア露出を避ける漫画家がいる一方、[[江川達也]]、[[蛭子能収]]、[[やくみつる]]<!--例は3つで充分。切りがない。-->のように積極的にテレビ出演する漫画家もいる。[[さくらももこ]]、[[尾田栄一郎]]のようにメディアにしばしば登場し私生活を明らかにしながらも、素顔を出すことを拒む者もいる。また、雑誌や単行本での顔写真の公開・非公開についても、人により様々である。
画家でも脚本家でも小説家でも書道家でも、創作活動に対して対価を受け取る者は「先生」と呼ばれるのが一般的である。漫画家も例外ではなく、商業誌(大小や種類を問わず)でデビューした漫画家は、「先生」の[[敬称]]を付けられる。


また、[[CLAMP]]を始めとした共有筆名([[ペンネーム]])で活動する漫画家の集団もいる。この場合、作画を行わない者(単独であれば「漫画原作者」とされる者)が含まれていても「漫画家」の集団と見做される。
<!-- テレビタレントよりはメディ進出に消極的とはいえ、事務員や営業マンや工員などの一般的な職業と比べればはるかに積極的。これを消極的と見るのは、「テレビタレント並みにメディアに露出するのが本来の姿だ」という根拠不明の前提に基づくもの:テレビなどのメディア進出に対して消極的な漫画家が多い。特に、-->メディアへの露出に関しては、様々である。[[いしいひさいち]]のようにメディア露出を避ける漫画家がいる一方、[[江川達也]]、[[蛭子能収]]、[[やくみつる]]<!--例は3つで充分。切りがない。[[水木しげる]]、[[倉田真由美]]、[[山咲トオル]]-->のように積極的にテレビ出演する漫画家もいる。[[さくらももこ]]<!-- 徹子の部屋への出演歴あり→や[[鳥山明]]-->のようにメディアにしばしば登場し私生活を明らかにしながらも、素顔を出すことを拒む者もいる。又、[[コロコロコミック]]連載作家はごくまれに同誌内にて顔を出す事がある。([[松本しげのぶ]]など)


==アシスタント==
== アシスタントとスタジオ ==
漫画家の中には[[アシスタント (漫画)|アシスタント]]を雇う者も存在する。アシスタントが担う作業の内容や量は、雇用主となる漫画家によって大きく異なる。一般には、ストーリー構成・下書き・主要人物の[[ペン入れ]]までは漫画家自身が担当し、群衆や背景の描写・[[ベタ]]塗り・消しゴムかけ・[[スクリーントーン]]を貼る、集中線などの画面効果を入れるといった、高度な作画技術を要しない作業や絵柄の個性が重視されない手間のかかる作業はアシスタントに任せる場合が多い。また雇用主となる漫画家によっては、アシスタントにストーリー構成やスケジュール管理、食事の用意{{Refnest|group="注"|食事=飯を作るアシスタントであることから「メシスタント」と称される。}}など作画以外の作業に従事させる事例もある。
表紙などには、漫画家一人の名前しか表記されないため、すべて一人で制作していると思われがちだが、構想から原稿作成までを完全に一人でこなしている漫画家は少ない。漫画の主な発表媒体が[[貸本]]から月刊雑誌そして週刊雑誌となるに従い、漫画を一人で完成させることが時間的に難しくなり、[[アシスタント (漫画)|アシスタント]]との共同作業が一般的になった。


漫画家がアシスタントを雇う背景には、漫画の主な発表媒体が[[貸本]]から月刊雑誌そして週刊雑誌と幅広くなるに従い、主に週刊誌などで漫画を一人で完成させることが時間的に難しくなったことがある。漫画家とアシスタントは雇用関係にあるため、また絵柄を安定させるため、専属化している事例が多いが、専属のアシスタントを雇わず知人や駆け出しの漫画家にアシスタントを依頼する者も少なくない。アシスタントの給料は雇っている漫画家が支払うため、人件費を捻出できない漫画家は自然と全てを一人で製作せざるを得ず、収入に乏しい漫画家の中にはアシスタントへの給料を支払うために原稿料の前借や借金、個人資産の売却などを行う者もいる。なお最近では、[[パーソナルコンピュータ|パソコン]]を使用した漫画制作の[[デジタル化]]の影響から全ての作画を一人でこなす漫画家の比率が増えてきている。これは、アシスタントに任せる手間のかかる作業がデジタル化により短時間で容易にできるようになったためである。また、アシスタントを雇う費用の削減にもなる。アシスタントの中にはデジタル作業を主体(あるいは専門)とする者もおり、彼らは特に「デジアシ」と呼ばれる。
一般的には、ストーリー構成・下書き・主要人物の[[ペン入れ]]までは漫画家自身が担当し、群衆や背景の描写・[[ベタ]]塗り・消しゴムかけ・[[スクリーントーン]]を貼る、といった細かい作業はアシスタントに任せる場合が多い。


漫画家の多くはプロデビュー前に専属アシスタントを経験しており、アシスタントからプロデビューした際にも、作風・技法について従事していた作家の影響を受けていることが多く、基本的には師弟関係が成り立っている([[小畑健]]→[[和月伸宏]]→[[尾田栄一郎]]・[[武井宏之]]など)。ただし全てのプロ漫画家がアシスタントを経験しているわけではなく、アシスタントを経験せず投稿などから直接プロデビューした者もいる([[北条司]]、[[吾峠呼世晴]]など)。
そのためか、アシスタントに頼り切りの売れっ子漫画家は、何らかの理由でそのアシスタントに抜けられると、絵柄が変わってしまうということもある。若しくは、アシスタントの方がイラストが巧くなるという事すらある。


アメリカや香港などでは、漫画の制作は全てを分担して作業していて役職名も細かく表示される。日本でも、単行本になった際に「スタッフ」などといった表記で紹介されることがある(専用のクレジット表示欄などはなく、あくまで漫画家の任意によるもの)。日本ではアシスタントの地位が低く、漫画家として独立しない限りはメジャーにはなれない存在である(もちろん、アメリカンコミックで作画の補助を行うアシスタント達がメジャーな存在かは疑問ではあるが、日本の場合ストーリー制作やプロダクションのマネジメントにまで関わるチーフアシスタントですら基本的に日陰の存在である)。
週刊誌連載の漫画家は、締め切りが毎週あり非常に多忙なため、専属のアシスタントを持っていることが多い。月刊誌連載が中心の漫画家では、週刊誌連載の漫画家に比べると時間に余裕があるため、人手が必要なときは互いに仕事を手伝っていることが多い。


スタジオとして漫画を制作していることを公にしている漫画家に[[さいとう・たかを]]、[[本宮ひろ志]]などがいる。<!-- 一般的な知名度や時期的な早さから赤松健よりさいとうのほうが例として相応しい。ただ、アシスタントの存在はそもそも秘密でもなんでもないようにも思います。←しかし、赤松健はTV番組で紹介された事もあり、現在の“一般的な”知名度ではさいとう・たかを、本宮ひろ志を上回っている事実を考慮すべきではないだろうか。-->売れっ子となった際に[[所得税]]対策([[節税]])により漫画家活動を法人化する作家も多い(一部は作者クレジットや著作権利表記にスタジオ名が併記されている)。又、話作りだけを担当する漫画専門の原作者([[漫画原作者]])も少なくない。
[[アメリカ合衆国|アメリカ]]などでは、漫画の制作は、全てを分担して作業していることは、特に秘密でも何でもないのだが、日本においては積極的に表示されることは少ない。そのためか、日本では、漫画家にとってアシスタントは必要な存在であるが、地位が低く、漫画家として独立しない限りはメジャーにはなれない存在である。


なお少数ながら、主体となる漫画家に公認された二次作品が、スタジオや(元)アシスタント名義で発表される事例も見られる(『[[名探偵コナン]]』『[[金田一少年の事件簿]]』、直接の師弟関係ではないが『[[半妖の夜叉姫]]』、作者没後にも関連作品が発表されている『[[ドラえもん]]』『[[新ナニワ金融道]]』など)。稀な例ではあるが、作者没後に生前の構想に基づいてスタジオや(元)アシスタントによって完結まで作品が描かれた『[[サイボーグ009]]』『[[ベルセルク (漫画)|ベルセルク]]』と言った例もある。
ごくまれに、最終回でスタッフロールのような演出と共に名前が出たり、作品中に主要でないいじられ役として描かれたり、単行本で自己紹介ページをもたされたりと、その漫画家の気分次第で本人の意思とは無関係に出てくる程度である。


共同筆名とスタジオは明確に区別されるが、両者を区別する基準は特に存在しない。ただし多くの場合、共同筆名は「漫画製作の主体者」として互いが対等な関係であり、プロデビュー前から共同で漫画製作を行っている、スタジオは「漫画製作を補助する集団」として主体者と主従関係にあり、プロデビュー後に漫画製作に加わる、と言った傾向が見られる。
スタジオとして漫画を制作していることを公にしている漫画家に[[さいとう・たかを]]、[[本宮ひろ志]]などがいる。<!-- 一般的な知名度や時期的な早さから赤松健よりさいとうのほうが例として相応しい。ただ、アシスタントの存在はそもそも秘密でもなんでもないようにも思います。-->又、話作りだけを担当する漫画専門の原作者([[漫画原作者]])も少なくない。


また作品の内容によっては、共同筆名でもアシスタントでもスタジオでもない、作画や設定、考証等の「協力者」が外部から付く場合もある(軍事考証が付いた『[[ヨルムンガンド (漫画)|ヨルムンガンド]]』、医療監修が付いた『[[はたらく細胞]]』、ネーム担当者が付いたコミカライズ版『[[ロード・エルメロイII世の事件簿]]』など)。これは主体者となる漫画家が、作品に必要な全ての知識を網羅・検証できず、それを補完する必要があるためであり、漫画製作の主体者に準ずる存在として位置づけられる。連載作品の場合、連載途中から協力者が付く事例も見られる。
なお最近では、漫画制作の[[デジタル化]]の影響から、アシスタントを雇わない漫画家もわずかながら増えてきている。これは、上記の細かい作業がデジタル化により短時間で容易にできるようになるためである。


{{seealso|アシスタント (漫画)}}
<!--学生時代にデビューしてそのまま専業になった漫画家は、世間知らずになり易い。若くして富を得た漫画家は傲慢になりがちで、[[編集者]]の頭を痛める種になっている。-->
[[アシスタント (漫画)]]についても参照のこと


==収入==
== 収入 ==
売れなければ収入にならないと思われがちだが、基本的に刷られた時点で印税(価格の5%)が発生する。
売れなければ収入にならないと思われがちだが、出版物は基本的に刷られた時点で印税(価格の5% - 15%)が発生する。逆に言えば、在庫が少しずつ売れていても増刷がかからなければ全く作家の収入にはならない


収入の差が極めて大きい。稼ぎの少ない漫画家ではアシスタント代を払うことすら困難な場合もあり、借金生活を余儀なくされている者もいる。
収入の差が極めて大きい。稼ぎの少ない漫画家ではアシスタント代を払うことすら困難な場合もあり、借金生活を余儀なくされている者もいる。その一方で、作品が大ヒットした漫画家は、作品の[[アニメ化]]やキャラクターグッズ化などの[[メディアミックス]]化も相俟って、年収十億円を超える事すらある。収入の多い漫画家のアシスタントが数千万円を超える年収を得ていることもあるが、こういった例はごく僅かである。


売れない作家の収入が低いのはあらゆる表現媒体に共通しているが、漫画家においては、売れっ子の収入が極めて高くメディア等で取り上げられる機会も多いため、売れない者の収入の低さがより際立つようである。人気の浮き沈みが激しくかつてヒットを飛ばした漫画家が廃業し別の業界に転職したり、アシスタント専業として生計を立てていたりと安定した職業とは言いがたい現状にある。
その一方で、作品が大ヒットした漫画家は、年収十億円を超える事すらある。収入の多い漫画家のアシスタントが数千万円を超える年収を得ていることもあるが、これらは少ない。


ただし、日本の「漫画産業」は、作家の資質・関心が現在の[[時流]]にミスマッチである場合を除き、一定水準の才能を持つものが地道に努力すれば充分に生活が成り立つだけの裾野を持っていることも事実である。[[コンピュータゲーム]]・広告・一般書籍・情報誌などにおいて、漫画や漫画調の[[イラストレーション]]などのコンテンツの需要は大きくなっており、こうした媒体がヒット作のない漫画家や漫画家志望者の収入源となっている側面が無視できない。近年は商業漫画誌に執筆しつつ[[同人誌|同人作家]]を兼業している者も多く、作家によっては同人誌からの収入の方が商業誌からの収入より多い場合もある。
売れない作家の収入が低いのはあらゆる表現媒体に共通しているが、漫画家においては、売れっ子の収入が極めて高いために、売れない者の収入の低さがより際立つようである。


== 社会との関係 ==
人気の浮き沈みが激しくかつてヒットを飛ばした漫画家が廃業し別の業界に転職していたり、アシスタント専業として生計を立てていたりと安定した職業とは言いがたい現状にある。
=== 社会貢献活動 ===
以前から一部の漫画家は慈善活動等を行ってきたが、[[東日本大震災]]の発生を受けて大勢の被災者を支援するために出版社の枠を超えて共同で[[東日本大震災チャリティ同人誌「pray for Japan」]]に多くの志ある漫画家が執筆した<ref>[http://koge.kokage.cc/earthquake/ 東日本大震災チャリティ同人誌「pray for Japan」]{{リンク切れ|date=2022年8月17日}}{{出典無効|date=2022年8月17日|title=基本情報の不備}}</ref>。[[共同募金|赤い羽根共同募金]]に協力する漫画家もいる<ref name="北海道共同募金会_2019">{{Cite web|和書|date=2019 |title=漫画家のみなさん < 赤い羽根サポーター宣言 |url=http://www.akaihane-hokkaido.jp/do3ko/manga.html |publisher=社会福祉法人 北海道共同募金会 |accessdate=2022-08-17 }}</ref>。


== ゆかりの深い地域 ==
==都市==
ここでは、過去と現在の別なく、日本の漫画家と特筆性の高い関係が見られる地域について記載した。
*[[横手市]](旧[[増田町]]):旧増田町出身の漫画家・[[矢口高雄]]に因んだ「まんが美術館」がある。
*[[いわき市]]:[[1996年]]に第1回[[マンガサミット|アジアマンガサミット]]が開催される。
*[[さいたま市]](旧[[大宮市]]):旧大宮市が設立した市立漫画会館がある。
*[[横浜市]]:[[2004年]]に第5回アジアマンガサミットが開催された。
*[[川崎市]]:[[大韓民国|韓国]]でマンガ特区に指定されている[[富川市]]と姉妹都市関係。マンガ家を招待しての交流を行う。
*[[新潟市]]:[[にいがたマンガ大賞]]が毎年開催されている。
*[[京都市]]: [[2008年]]に第9回[[マンガサミット|世界マンガサミット]]の開催が決定。
*[[広島市]]:[[広島市立まんが図書館|市立のまんが図書館]]がある。
*[[高知市]]:毎年8月に[[まんが甲子園]]が開催されている。


まずは、施設および地域と、イベント開催地に大別し、前者は「その件に関する最初の由来が生じた時期」を基準に[[時系列]]で記載した。
==関連項目==
*[[日本の漫画]]
*[[漫画作品一覧]]
*[[漫画原作者]]
*[[漫画雑誌]]


===漫画家のリスト===
=== 施設と地域 ===
==== 1950年代 ====
{|
* {{Anchors|水木荘}}水木荘<ref>{{Cite web|和書|title=水木しげるヒストリー |url=https://www.mizukipro.com/100th/history/history01/ |publisher=水木プロダクション |website=げげげ通信 |accessdate=2022-09-15 }}</ref>
|valign="top"|
:: [[兵庫県]][[神戸市]][[兵庫区]]水木通2-2-22に所在した借家([[木構造 (建築)|木造]]2階建[[アパート]])であり、[[1949年]](昭和24年)に武良茂([[水木しげる]])が格安で購入して[[不動産賃貸業|大家]]をしていたが{{R|zakzak_20220906|"新潮_20220701"}}、ここを揺籃の地として{{R|"新潮_20220701"}}、[[作家]]「水木しげる」が、まずは[[紙芝居]]作家として[[1950年]](昭和25年)に誕生した。[[1953年]](昭和28年)、経営に行き詰まって大家業から手を引き、水木荘を売却。紆余曲折ののち、[[貸本漫画]]家を経て、漫画家・水木しげるに繋がった。その後は、『[[鬼太郎夜話]]』を代表作に、高学歴[[インテリ]]集団であったトキワ荘の面々とは一線を画す、[[ガロ系]]の漫画家集団における2本柱の1本になっていった。もう1本の柱は『[[カムイ伝]]』の[[白土三平]]である。''cf.'' 「[[水木しげる#紙芝居時代]]」
* {{Anchors|トキワ荘|トキワ荘マンガミュージアム}}[[トキワ荘]]
:: [[東京都]][[豊島区]]に所在した[[借家]](木造2階建アパート)。巨匠・[[手塚治虫]]が1953年(昭和28年)初頭に住み始めたのを機に、出版社「学童社」が、[[藤子不二雄]]、[[石ノ森章太郎]]、[[赤塚不二夫]]等々、自社の雑誌に連載を持つ新進気鋭の漫画家の多くを同所の住人にしていったことで、トキワ荘は日本を代表する漫画家たちの一大拠点になった。[[1982年]](昭和57年)に解体されている。
:* [[トキワ荘マンガミュージアム]]
:: 東京都豊島区に所在する。トキワ荘と同所にゆかりある漫画家をテーマとした博物館。[[2020年]](令和2年)開館。

==== 1960年代 ====
* [[さいたま市立漫画会館]]
:: [[埼玉県]][[さいたま市]]に所在。「日本の近代漫画の先駆者」「日本初の職業漫画家」とされる漫画家・[[北澤楽天]]の晩年の居宅跡にて、[[1966年]](昭和41年)に開館した。

==== 1970年代 ====
* {{Anchors|大泉サロン}}[[大泉サロン]]
:: 東京都[[練馬区]][[南大泉]]に所在した借家にて、[[竹宮惠子]]が[[萩尾望都]]を誘い、[[1970年]](昭和45年)から[[1972年]](昭和47年)にかけて同居した。それにより、日本の[[少女漫画]]界における「[[24年組|花の24年組]]」を呼ばれる気鋭の漫画家たちが二人を慕って集う場所になった。「大泉サロン」という名は竹宮たちによる愛称である。トキワ荘が手塚治虫という不世出の天才を“[[引力]]”の中心として成立していたのと同じように、大泉サロンは、「女手塚」と呼ばれた鬼才で、やがては「少女漫画の神様」と呼ばれることになる、萩尾望都が中核を為していた{{Sfn|山田玲司のヤングサンデー #161}}。

==== 1980年代 ====
* [[長谷川町子美術館]]
:: [[東京都]][[世田谷区]]に所在。[[1985年]](昭和60年)開館。漫画家・[[長谷川町子]]と姉の[[画家]]・[[長谷川毬子]]をテーマとした[[個人美術館]]。

==== 1990年代 ====
* [[水木しげるロード]]
:: [[鳥取県]][[境港市]]に所在する観光対応型[[商店街]]。[[1993年]](平成5年)オープン。境港出身の[[水木しげる]]とその漫画キャラクターをテーマにしている。
:* [[水木しげるロード#水木しげる記念館|水木しげる記念館]] - 鳥取県境港市に所在。[[2003年]](平成15年)開館。
* [[宝塚市立手塚治虫記念館]] - [[兵庫県]][[宝塚市]]に所在。[[1994年]](平成6年)開館。[[手塚治虫]]の[[マンガ・アニメミュージアム]]。
* [[横手市増田まんが美術館]]
:: [[秋田県]][[横手市]]増田町(旧・[[増田町 (秋田県)|増田町]])に所在。[[1995年]](平成7年)開館。旧増田町出身の漫画家・[[矢口高雄]]のマンガ・アニメミュージアム。
* [[香美市立やなせたかし記念館]]
:: [[高知県]][[香美市]](旧・[[香北町]])に所在。[[1996年]](平成8年)開館。[[やなせたかし]]のマンガ・アニメミュージアム。
* [[広島市まんが図書館]] - 広島県[[広島市]]に所在。[[1997年]](平成9年)開館。
* [[田河水泡・のらくろ館]] - 東京都[[江東区]]に所在。[[1999年]](平成11年)開館。[[田河水泡]]のマンガ・アニメミュージアム。

==== 2000年代 ====
* [[石ノ森萬画館]]
:: [[宮城県]][[石巻市]]に所在。[[2001年]](平成13年)開館。石巻市と縁の深い[[石ノ森章太郎]](出身は現・[[登米市]])のマンガ・アニメミュージアム。なお、同市に属する[[田代島]]にはアウトドア施設「マンガアイランド」もある。
* [[青梅赤塚不二夫会館]]
:: 東京都[[青梅市]]に所在した。[[2003年]](平成15年)開館、[[2020年]](令和2年)閉館。[[赤塚不二夫]]のマンガ・アニメミュージアム。

==== 2010年代 ====
* [[藤子・F・不二雄ミュージアム]]
:: [[神奈川県]][[川崎市]]に所在。[[2011年]](平成23年)開館。[[藤子・F・不二雄]]のマンガ・アニメミュージアム。

=== イベント開催地 ===
* [[高知市]] - [[1992年]](平成4年)より毎年8月に[[まんが甲子園]]が開催されている。
* [[東京都]]および[[いわき市]]
:: [[1996年]](平成8年)に[[マンガサミット]](現・国際マンガサミット)の第1回大会が開催された。その後の開催地は、日本国内と世界各国の都市の持ち回りになっていった。開催地域が拡大していくに連れ、大会名の冠称も、無印から「東アジア」へ、さらに「アジア」へ、そして「世界」へと範囲を拡大していき、最終的には「国際」に落ち着いた。<!--** [[横浜市]] - [[2004年]](平成16年)に第5回アジアマンガサミットが開催された。** [[京都市]] - [[2008年]](平成20年)に第9回[[マンガサミット|世界マンガサミット]]の開催が決定。-->
* [[新潟市]] - [[にいがたマンガ大賞]]が[[1998年]](平成10年)から毎年開催されている。
* [[川崎市]] - [[大韓民国|韓国]]でマンガ特区に指定されている[[富川市]]と姉妹都市関係。漫画家を招待しての交流を行う。まんが寺という寺がある。

== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
=== 注釈 ===
{{Reflist|group="注"}}
=== 出典 ===
{{Reflist|2|refs=
<ref name=zakzak_20220906>{{Cite news |和書 |author=[[楠木新]] |date=2022-09-06 |title=先生は私の師匠ではないが、私は先生の弟子…「勝手弟子」になってみる 水木しげる生誕100周年記念ウイーク |url=https://www.zakzak.co.jp/article/20220906-VY6CCLI2MFMJVL4X5A462LYKM4/ |publisher=株式会社[[産業経済新聞社#産経デジタル|産経デジタル]] |newspaper=zakzak |accessdate=2022-09-15 }}</ref>
<ref name="新潮_20220701">{{Cite news |和書 |date=2022-07-01 |title=桂あやめ「新開地を水木しげるの聖地に」 ゲゲゲの鬼太郎の作者・生誕100周年イベント |url=https://www.daily.co.jp/gossip/2022/07/01/0015432756.shtml |publisher=[[新潮社]] |newspaper=デイリー新潮 |accessdate=2022-09-15 }}</ref>
}}

== 参考文献 ==
{{参照方法|section=1|date=2022-08-17}}
{{ページ番号|section=1|date=2022-08-17}}<!--※推奨されている出典の表示の例:{{Sfn|||p=ページ番号}}-->
* <!--ながたに-->{{Cite book |和書 |author=[[長谷邦夫]] |date=1994-03 |title=ニッポン漫画家名鑑―漫画家500人のデータブック |publisher=[[データハウス]] |ref={{SfnRef|長谷|1994}} }}{{Small|{{ISBN2|4-88718-196-5}}、{{ISBN2|978-4-88718-196-0}}、{{OCLC|33876158}}}}。
<!--※以下は法人など。-->
* <!--にちがい...-->{{Cite book |和書 |others=まんがseek、日外アソシエ−ツ編集部 共編 |date=2003-02 |title=漫画家人名事典 |publisher=[[日外アソシエーツ]]、[[紀伊國屋書店]] |ref={{SfnRef|『漫画家人名事典』|2003}} }}{{Small|{{ISBN2|4-8169-1760-8}}、{{ISBN2|978-4-8169-1760-8}}、{{OCLC|674855721}}}}。

== 関連項目 ==
* [[日本の漫画]]
* [[公益社団法人]] [[日本漫画家協会]]、[[日本漫画家協会賞]]
* [[漫画家学会 (企業)]]、[[渋谷画劇団]]
* [[漫画原作者]]
* [[漫画作品一覧]]
* [[漫画雑誌]]
* [[同人]]

=== 漫画家のリスト ===
<div style="float: left; vertical-align: top; white-space: nowrap; margin-right: 1em;">
* [[漫画家一覧]]
* [[漫画家一覧]]
* [[日本の漫画家一覧]]
* [[日本の漫画家一覧]]
* [[出身都道府県別漫画家一覧]]
* [[生年別日本の漫画家一覧 1920 - 1930年代|生年別日本の漫画家一覧]]
* [[生年別日本の漫画家一覧 1920 - 1930年代|生年別日本の漫画家一覧]]
</div><div style="float: left; vertical-align: top; white-space: nowrap; margin-right: 1em;">
* [[4コマ漫画家の一覧]]
* [[4コマ漫画家の一覧]]
* [[日本の成人向け漫画家の一覧]]
* [[日本の成人向け漫画家の一覧]]
* [[少年漫画#主な少年漫画雑誌]]
|valign="top"|
</div><div style="float: left; vertical-align: top; white-space: nowrap; margin-right: 1em;">
* [[少年漫画#少年漫画家]]
* [[少女漫画#少女漫画家]]
* [[少女漫画#少女漫画家]]
* [[青年漫画#青年漫画家]]
* [[青年漫画#概要]]
* [[ギャグ漫画#ギャグ漫画家]]
* [[ギャグ漫画#歴史]]
</div><div style="float: left; vertical-align: top; white-space: nowrap; margin-right: 1em;">
* [[ホラー漫画#ホラー漫画家]]
* [[ホラー漫画#ホラー漫画家]]
* [[SF漫画#SF漫画家]]
* [[SF漫画#SF漫画家]]
* [[劇画#劇画作家]]
* [[劇画#主な劇画作家]]
</div>{{clear|left}}
|}
* [[作品がテレビアニメ化されたことがある漫画家一覧]]
* [[作品がビデオアニメ化されたことがある漫画家一覧]]
* [[作品が映画化されたことがある漫画家一覧]]
* [[作品がテレビドラマ化されたことがある漫画家一覧]]
* [[作品が演劇化されたことがある漫画家一覧]]


== 外部リンク ==
==参考文献==
* {{Citation |title=漫画家公式サイトリンク集 |url=https://web.archive.org/web/20221221105928/http://www.manga-ka.net/ |publisher= |ref={{SfnRef|manga-ka.net}} }}
* [[長谷邦夫]] 『ニッポン漫画家名鑑―漫画家500人のデータブック』 データハウス、1994年、ISBN 4887181965
* [https://web.archive.org/web/20001021093140/http://www.anime.ne.jp/~honmono/entrance.shtml 本物指向のリンク集]
* まんがseek 日外アソシエ−ツ編集部 共編 『漫画家人名事典』 日外アソシエーツ、2003年、ISBN 4816917608
* [https://web.archive.org/web/20050729101751/http://www.nerimadors.or.jp/~jiro/link.html 漫画家関連リンク集]

* [https://web.archive.org/web/19991011192448/http://www.ask.ne.jp/~comicbox/links/l-index.html コミックボックスリンク集]
[[Category:漫画家|*]]
* {{Cite web|和書|date=2021 |title=プロ漫画家は日本に何人いるのか? < マンガ業界コラム |url=https://www.clipstudio.net/oekaki/archives/151844 |publisher=株式会社セルシス |website=CLIP STUDIO |work=イラスト・マンガ描き方ナビ |accessdate=2022-09-15 |ref={{SfnRef|ClipStudio 2021}} }}


{{DEFAULTSORT:につほんのまんかか}}
[[Category:日本の漫画家|*]]
{{Manga-stub}}
{{Manga-stub}}

[[ast:Mangaka]]
[[br:Mangaka]]
[[ca:Mangaka]]
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2024年9月6日 (金) 11:43時点における最新版

日本の漫画家(にほんのまんがか)では、日本における漫画家について解説する。

概要

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「漫画家」は、漫画作品を作る。脚本のみを作る者は「漫画原作者」。脚本と作画の両方を作る者も作画のみを作る者も「漫画家」である。ただしアマチュアが増加している事を考慮すると、漫画の作家全般と捉える事もできる。漫画風のイラストの需要が高いため、イラストレーターを兼ねている場合があり、明確な区別は難しい。

画家でも脚本家でも小説家でも書道家でも、創作活動に対して対価を受け取る者は「先生」と呼ばれるのが一般的である。漫画家も例外ではなく、商業誌(大小や種類を問わず)でデビューした漫画家は、「先生」の敬称を付けられる。

メディアへの露出に関しては、様々である。いしいひさいちのようにメディア露出を避ける漫画家がいる一方、江川達也蛭子能収やくみつるのように積極的にテレビ出演する漫画家もいる。さくらももこ尾田栄一郎のようにメディアにしばしば登場し私生活を明らかにしながらも、素顔を出すことを拒む者もいる。また、雑誌や単行本での顔写真の公開・非公開についても、人により様々である。

また、CLAMPを始めとした共有筆名(ペンネーム)で活動する漫画家の集団もいる。この場合、作画を行わない者(単独であれば「漫画原作者」とされる者)が含まれていても「漫画家」の集団と見做される。

アシスタントとスタジオ

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漫画家の中にはアシスタントを雇う者も存在する。アシスタントが担う作業の内容や量は、雇用主となる漫画家によって大きく異なる。一般には、ストーリー構成・下書き・主要人物のペン入れまでは漫画家自身が担当し、群衆や背景の描写・ベタ塗り・消しゴムかけ・スクリーントーンを貼る、集中線などの画面効果を入れるといった、高度な作画技術を要しない作業や絵柄の個性が重視されない手間のかかる作業はアシスタントに任せる場合が多い。また雇用主となる漫画家によっては、アシスタントにストーリー構成やスケジュール管理、食事の用意[注 1]など作画以外の作業に従事させる事例もある。

漫画家がアシスタントを雇う背景には、漫画の主な発表媒体が貸本から月刊雑誌そして週刊雑誌と幅広くなるに従い、主に週刊誌などで漫画を一人で完成させることが時間的に難しくなったことがある。漫画家とアシスタントは雇用関係にあるため、また絵柄を安定させるため、専属化している事例が多いが、専属のアシスタントを雇わず知人や駆け出しの漫画家にアシスタントを依頼する者も少なくない。アシスタントの給料は雇っている漫画家が支払うため、人件費を捻出できない漫画家は自然と全てを一人で製作せざるを得ず、収入に乏しい漫画家の中にはアシスタントへの給料を支払うために原稿料の前借や借金、個人資産の売却などを行う者もいる。なお最近では、パソコンを使用した漫画制作のデジタル化の影響から全ての作画を一人でこなす漫画家の比率が増えてきている。これは、アシスタントに任せる手間のかかる作業がデジタル化により短時間で容易にできるようになったためである。また、アシスタントを雇う費用の削減にもなる。アシスタントの中にはデジタル作業を主体(あるいは専門)とする者もおり、彼らは特に「デジアシ」と呼ばれる。

漫画家の多くはプロデビュー前に専属アシスタントを経験しており、アシスタントからプロデビューした際にも、作風・技法について従事していた作家の影響を受けていることが多く、基本的には師弟関係が成り立っている(小畑健和月伸宏尾田栄一郎武井宏之など)。ただし全てのプロ漫画家がアシスタントを経験しているわけではなく、アシスタントを経験せず投稿などから直接プロデビューした者もいる(北条司吾峠呼世晴など)。

アメリカや香港などでは、漫画の制作は全てを分担して作業していて役職名も細かく表示される。日本でも、単行本になった際に「スタッフ」などといった表記で紹介されることがある(専用のクレジット表示欄などはなく、あくまで漫画家の任意によるもの)。日本ではアシスタントの地位が低く、漫画家として独立しない限りはメジャーにはなれない存在である(もちろん、アメリカンコミックで作画の補助を行うアシスタント達がメジャーな存在かは疑問ではあるが、日本の場合ストーリー制作やプロダクションのマネジメントにまで関わるチーフアシスタントですら基本的に日陰の存在である)。

スタジオとして漫画を制作していることを公にしている漫画家にさいとう・たかを本宮ひろ志などがいる。売れっ子となった際に所得税対策(節税)により漫画家活動を法人化する作家も多い(一部は作者クレジットや著作権利表記にスタジオ名が併記されている)。又、話作りだけを担当する漫画専門の原作者(漫画原作者)も少なくない。

なお少数ながら、主体となる漫画家に公認された二次作品が、スタジオや(元)アシスタント名義で発表される事例も見られる(『名探偵コナン』『金田一少年の事件簿』、直接の師弟関係ではないが『半妖の夜叉姫』、作者没後にも関連作品が発表されている『ドラえもん』『新ナニワ金融道』など)。稀な例ではあるが、作者没後に生前の構想に基づいてスタジオや(元)アシスタントによって完結まで作品が描かれた『サイボーグ009』『ベルセルク』と言った例もある。

共同筆名とスタジオは明確に区別されるが、両者を区別する基準は特に存在しない。ただし多くの場合、共同筆名は「漫画製作の主体者」として互いが対等な関係であり、プロデビュー前から共同で漫画製作を行っている、スタジオは「漫画製作を補助する集団」として主体者と主従関係にあり、プロデビュー後に漫画製作に加わる、と言った傾向が見られる。

また作品の内容によっては、共同筆名でもアシスタントでもスタジオでもない、作画や設定、考証等の「協力者」が外部から付く場合もある(軍事考証が付いた『ヨルムンガンド』、医療監修が付いた『はたらく細胞』、ネーム担当者が付いたコミカライズ版『ロード・エルメロイII世の事件簿』など)。これは主体者となる漫画家が、作品に必要な全ての知識を網羅・検証できず、それを補完する必要があるためであり、漫画製作の主体者に準ずる存在として位置づけられる。連載作品の場合、連載途中から協力者が付く事例も見られる。

収入

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売れなければ収入にならないと思われがちだが、出版物は基本的に刷られた時点で印税(価格の5% - 15%)が発生する。逆に言えば、在庫が少しずつ売れていても増刷がかからなければ全く作家の収入にはならない。

収入の差が極めて大きい。稼ぎの少ない漫画家ではアシスタント代を払うことすら困難な場合もあり、借金生活を余儀なくされている者もいる。その一方で、作品が大ヒットした漫画家は、作品のアニメ化やキャラクターグッズ化などのメディアミックス化も相俟って、年収十億円を超える事すらある。収入の多い漫画家のアシスタントが数千万円を超える年収を得ていることもあるが、こういった例はごく僅かである。

売れない作家の収入が低いのはあらゆる表現媒体に共通しているが、漫画家においては、売れっ子の収入が極めて高くメディア等で取り上げられる機会も多いため、売れない者の収入の低さがより際立つようである。人気の浮き沈みが激しくかつてヒットを飛ばした漫画家が廃業し別の業界に転職したり、アシスタント専業として生計を立てていたりと安定した職業とは言いがたい現状にある。

ただし、日本の「漫画産業」は、作家の資質・関心が現在の時流にミスマッチである場合を除き、一定水準の才能を持つものが地道に努力すれば充分に生活が成り立つだけの裾野を持っていることも事実である。コンピュータゲーム・広告・一般書籍・情報誌などにおいて、漫画や漫画調のイラストレーションなどのコンテンツの需要は大きくなっており、こうした媒体がヒット作のない漫画家や漫画家志望者の収入源となっている側面が無視できない。近年は商業漫画誌に執筆しつつ同人作家を兼業している者も多く、作家によっては同人誌からの収入の方が商業誌からの収入より多い場合もある。

社会との関係

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社会貢献活動

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以前から一部の漫画家は慈善活動等を行ってきたが、東日本大震災の発生を受けて大勢の被災者を支援するために出版社の枠を超えて共同で東日本大震災チャリティ同人誌「pray for Japan」に多くの志ある漫画家が執筆した[1]赤い羽根共同募金に協力する漫画家もいる[2]

ゆかりの深い地域

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ここでは、過去と現在の別なく、日本の漫画家と特筆性の高い関係が見られる地域について記載した。

まずは、施設および地域と、イベント開催地に大別し、前者は「その件に関する最初の由来が生じた時期」を基準に時系列で記載した。

施設と地域

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1950年代

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兵庫県神戸市兵庫区水木通2-2-22に所在した借家(木造2階建アパート)であり、1949年(昭和24年)に武良茂(水木しげる)が格安で購入して大家をしていたが[4][5]、ここを揺籃の地として[5]作家「水木しげる」が、まずは紙芝居作家として1950年(昭和25年)に誕生した。1953年(昭和28年)、経営に行き詰まって大家業から手を引き、水木荘を売却。紆余曲折ののち、貸本漫画家を経て、漫画家・水木しげるに繋がった。その後は、『鬼太郎夜話』を代表作に、高学歴インテリ集団であったトキワ荘の面々とは一線を画す、ガロ系の漫画家集団における2本柱の1本になっていった。もう1本の柱は『カムイ伝』の白土三平である。cf.水木しげる#紙芝居時代
東京都豊島区に所在した借家(木造2階建アパート)。巨匠・手塚治虫が1953年(昭和28年)初頭に住み始めたのを機に、出版社「学童社」が、藤子不二雄石ノ森章太郎赤塚不二夫等々、自社の雑誌に連載を持つ新進気鋭の漫画家の多くを同所の住人にしていったことで、トキワ荘は日本を代表する漫画家たちの一大拠点になった。1982年(昭和57年)に解体されている。
東京都豊島区に所在する。トキワ荘と同所にゆかりある漫画家をテーマとした博物館。2020年(令和2年)開館。

1960年代

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埼玉県さいたま市に所在。「日本の近代漫画の先駆者」「日本初の職業漫画家」とされる漫画家・北澤楽天の晩年の居宅跡にて、1966年(昭和41年)に開館した。

1970年代

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東京都練馬区南大泉に所在した借家にて、竹宮惠子萩尾望都を誘い、1970年(昭和45年)から1972年(昭和47年)にかけて同居した。それにより、日本の少女漫画界における「花の24年組」を呼ばれる気鋭の漫画家たちが二人を慕って集う場所になった。「大泉サロン」という名は竹宮たちによる愛称である。トキワ荘が手塚治虫という不世出の天才を“引力”の中心として成立していたのと同じように、大泉サロンは、「女手塚」と呼ばれた鬼才で、やがては「少女漫画の神様」と呼ばれることになる、萩尾望都が中核を為していた[6]

1980年代

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東京都世田谷区に所在。1985年(昭和60年)開館。漫画家・長谷川町子と姉の画家長谷川毬子をテーマとした個人美術館

1990年代

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鳥取県境港市に所在する観光対応型商店街1993年(平成5年)オープン。境港出身の水木しげるとその漫画キャラクターをテーマにしている。
秋田県横手市増田町(旧・増田町)に所在。1995年(平成7年)開館。旧増田町出身の漫画家・矢口高雄のマンガ・アニメミュージアム。
高知県香美市(旧・香北町)に所在。1996年(平成8年)開館。やなせたかしのマンガ・アニメミュージアム。

2000年代

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宮城県石巻市に所在。2001年(平成13年)開館。石巻市と縁の深い石ノ森章太郎(出身は現・登米市)のマンガ・アニメミュージアム。なお、同市に属する田代島にはアウトドア施設「マンガアイランド」もある。
東京都青梅市に所在した。2003年(平成15年)開館、2020年(令和2年)閉館。赤塚不二夫のマンガ・アニメミュージアム。

2010年代

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神奈川県川崎市に所在。2011年(平成23年)開館。藤子・F・不二雄のマンガ・アニメミュージアム。

イベント開催地

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1996年(平成8年)にマンガサミット(現・国際マンガサミット)の第1回大会が開催された。その後の開催地は、日本国内と世界各国の都市の持ち回りになっていった。開催地域が拡大していくに連れ、大会名の冠称も、無印から「東アジア」へ、さらに「アジア」へ、そして「世界」へと範囲を拡大していき、最終的には「国際」に落ち着いた。

脚注

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注釈

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  1. ^ 食事=飯を作るアシスタントであることから「メシスタント」と称される。

出典

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参考文献

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  • 長谷邦夫『ニッポン漫画家名鑑―漫画家500人のデータブック』データハウス、1994年3月。 ISBN 4-88718-196-5ISBN 978-4-88718-196-0OCLC 33876158
  • 『漫画家人名事典』まんがseek、日外アソシエ−ツ編集部 共編、日外アソシエーツ紀伊國屋書店、2003年2月。 ISBN 4-8169-1760-8ISBN 978-4-8169-1760-8OCLC 674855721

関連項目

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漫画家のリスト

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外部リンク

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