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2005年1月27日 (木) 09:29時点における版

イスラエルは、正式名称イスラエル国(メディナット・イスラエル)で、中東西アジア。イスラエルの語源は、ヤコブに由来する。

首都は西エルサレム。(1950年にイスラエルが宣言したものの、国連では認められなかった。各国の公館はテルアビブに集中する。)北はレバノン、東はシリアヨルダン、南はエジプト、西は地中海に接する。またパレスチナ自治区とは交錯している。

イスラエル国
دولة اسرائيل(Dawlat 'Isrā'īl、アラビア語
מדינת ישראל(Medinat Yiśrā'ēl、ヘブライ語
イスラエルの国旗 イスラエルの国章
詳細 拡大
国の標語 : 無し
イスラエルの位置
公用語 アラビア語ヘブライ語
首都 エルサレム国連では認められていない)
大統領 モシェ・カツァブ
首相 アリエル・シャロン
面積
 - 総計
 - 水面積率
世界第149位
20,770km²
2.1%
人口
 - 総計(2004年
 - 人口密度
世界第99位
6,199,008
298人/km²
GDP (PPP)
 - 合計(2003年
 - 1人当たり
世界第50位
1,206億ドル
19,700ドル
独立
 - 日付
独立宣言
1948年5月15日
通貨 新シェケル
時間帯 UTC +2 (DST, +3)
国歌 希望
ccTLD .IL
国際電話番号 972

現代イスラエルの建国とパレスチナ問題

現代イスラエル国はヨーロッパにおけるポグロムドレフュス事件に端を発し、第一次第二次世界大戦中に本格的気運の高まったシオニズム運動の結果、主としてアシュケナージユダヤ人によって、紀元前イスラエル王国に因んだ「シオンの地」(パレスチナ)に建設された国家。以下イスラエルと記述。

パレスチナ分割決議

第一次世界大戦でユダヤ軍・アラブ軍は共にイギリス軍の一員としてオスマン帝国と奮闘し、現在のヨルダンを含む「パレスチナ」はイギリスの委任統治領となった。

現在のパレスチナの地へのユダヤ人帰還運動は長い歴史を持っており、ユダヤ人と共に平和な世俗国家を築こうとするアラブ人も多かった。ユダヤ人はヘブライ語口語として復活させ、砂漠を緑化し、アラブ人とともに既に繁栄した社会を築き上げていた。この地で産業が活性化されると、ユダヤ人と共に働こうと多くのアラブ人が、他のアラブ諸国から移住してきた。現在のパレスチナ人の中にはこの時期の移住者の末裔も多く含まれているとも言われる。

しかし、1947年の段階で、アラブ民族主義者によるユダヤ人移住・建国反対の暴動煽動の結果として、ヨルダンフセイン国王、アミールファイサル・フサイニー(en)(1933年アラブ過激派により暗殺)、ファウズィー・ダルウィーシュ・フサイニー(1946年暗殺)、マルティン・ブーバー(en)らの推進していたイフード運動(民族性・宗教性を表に出さない平和統合国家案)は非現実的の様相を呈し、イギリスは遂に国連にこの問題の仲介を委ねた([1][2][3][4][5])。さらに国連決議の際、アラブ代表者は連合国家案でさえも拒否する強硬手段をとった。

イスラエルはこの国連決議181号(通称パレスチナ分割決議、1947年11月29日採択)に基づき、1948年5月14日に独立宣言し、誕生したユダヤ人国家である。1949年5月11日国際連合に加盟。

アラブの土地?

ユダヤ人国家を建国したものの、そこはシオニストの宣伝していたような無人の土地ではなく、アラブ人(後のパレスチナ人)が住み、アラブ・イスラムを主体とした国家を作ろうとする者もいた。「アラブの土地」を奪うものとして、アラブ人を主体とする周辺国家が一丸となって宣戦し、独立宣言当日から第一次中東戦争が勃発。イスラエルが「譲歩できるぎりぎりのライン」として受け入れ、国連で提示されたイスラエル領に攻め込んだ。

人口の一割を失う激戦でイスラエルは戦争に勝利し、国防のため領土を広げたが、アラブ諸国は「国連分割案を上回る地域にまで侵攻し停戦後も占領し続けた」と主張した。イスラエル側は第一次中東戦争を独立戦争と呼び、戦争の目的を「アラブ人の過激派の攻撃を防ぎ、ユダヤ人と多民族が安心して暮らせる、ユダヤ人主導の国家を樹立すること」としていたとされる。

イスラエルは、アラブ系住民に土地に残るよう勧め、これが現在の100万人以上のアラブ系イスラエル国民の祖先となっているが、一部でアラブ人人口が少なくなったほうがユダヤ国家の建国に有利という考えがあったことは確かである。

この時、1948年の時点でパレスチナの地に住んでいたアラブ人が大量に周辺地域に逃れ、アラブ側によれば「難民」化した(パレスチナ難民)。「パレスチナ難民」の多くは避難先のアラブ社会には吸収されず、イスラエル側によればアラブ過激派/抵抗運動の煽動/活動などの結果、アラブ過激派/抵抗組織の意図した反イスラエル的作戦が含まれていたと考える場合もある。

またイスラム世界に住んでいた多くのユダヤ系住民(セファルディムミズラヒム)が不当に土地を追われて難民化し、イスラエルに逃げ込んだ。またこの時イスラエルは世界各地のディアスポラ住民を極力救おうとした(→イスラエルの作戦一覧)と主張する。それによるとアラブ人とユダヤ教徒の「住民交換」が起きたという見方をとる。

停戦後、パレスチナには民族主義的ゲリラ/抵抗組織が活動し、パレスチナ解放や難民の帰還権を訴えた。戦後50年以上経過しながら各地のアラブ社会に吸収されないパレスチナ難民は、初期の難民の人数60万から80万人に比べ膨れ上がっている。パレスチナへの帰還はイスラエル政府からは非現実的と考えられている。

第三次中東戦争以降

エジプトによるチラン海峡封鎖宣言に端を発する第三次中東戦争によって、ヨルダン・エジプトによって占領されていたヨルダン川西岸地区ガザ地区と、シリアの砲台があったゴラン高原はイスラエルの管理下に入り、ユダヤ教の宗教者はそれまで立ち入ることのできなかったエルサレム旧市街と嘆きの壁ヘブロン市、ゴラン高原などに押しかけ、アラブ人居住区にあったシナゴーグも再建した。イスラエルのサマリア人ナブルスでの過ぎ越しの祭りを執り行うことができるようになり、西岸のサマリア人はイスラエルの支援を受けることができるようになった。スコープス山にあったヘブライ大学の建物も使えるようになった。

イスラエルの主張では国連決議181号を拒否した時点でパレスチナ全土にユダヤ人国家による施政権が認められており、また占領は平和条約締結まで戦勝国に認められている合法的行為であるとしている。前者の立場に立つ場合、占領には当たらない([6])

イスラエル政府により電気・水道・経済などが向上し、急患はイスラエルで高度な治療を受けられるようになった。テロに関与せず安全と判断されたパレスチナ人(主として、若者ではない人々)はイスラエルで働くことができるようになった。

しかし一部のパレスチナ住民は産業が形成されず、慢性的失業・貧困状態が続いており、また反イスラエル主義を国策としているため、これもテロリズム(「抵抗運動」)の温床/要因の一つになっているといわれる。パレスチナ人の反イスラエル主義者は、イスラエルの建国をアル・ナクバ(「あの大災難」の意のアラビア語)と呼ぶ。今日に至るまで、パレスチナ問題は解決の目処が立っていない。

ヨルダン川西岸地区ガザ地区は、ヨルダン・エジプト両国がイスラエルによる返還の申し出を拒否したため、現在はイスラエルの主権下にある。パレスチナには1993年以降自治政府が設置され、徐々に拡大されている。どの国家にも属さず、独立させられる状態ではないのがパレスチナ自治区である。将来の国家像については、未だイスラエルとの連合国家案、連邦案などもある。

(詳細はパレスチナ問題を参照)

歴史

古代史

紀元前11世紀頃、パレスチナの地に古代イスラエル王国が誕生。
紀元前922年、内乱のため南北に分裂。
紀元70年、ローマ帝国により滅ぼされ、民族は分散し長い放浪の旅に出る。

(詳細は古代イスラエルを参照)

現代史

(詳細はイスラエルの歴史を参照)

フランクル、同年ライプツィヒで「エルサレムへ Nach Jerusalem」出版。
モーゼス・ヘスローマとエルサレム
ハーティクワーがシオニズム讃歌となる。
イズレイル・ザングウィル w:Israel Zangwill 聖地巡礼。
4月1日 - ヘブライ大学開校式
  • 1929年 - ユダヤ教の聖地ツファットで、アラブ人テロリストの襲撃により133名のユダヤ教徒が虐殺される。

ヘブロン事件:ユダヤ教の聖地ヘブロンで60名のユダヤ教徒が虐殺され、3000年の歴史を持つヘブロンのユダヤ人・コミュニティーが滅亡。
ハダサー、パレスチナで活動開始。
マルティン・ブーバー、「アラブ・ユダヤ和解協力連盟」設立。(のちに「イフード」が分立)

4月 - マルティン・ブーバーとユダ・マグネス、雑誌「ハオール」にて連名でガンジーの論文に抗議。イフードシオニズム参照)
アインシュタイン、ブーバーに英国によるアラブ人の暴動煽動、入植制限などの陰謀を通知。アインシュタイン、国連による統治を提唱。

アラブ・ユダヤ民族国家(cf.イフード」建国を提唱していたパレスチナ人のシオニズム支持団体「新しいパレスチナ」代表、ファウズィー・ダルウィーシュ・フサイニーが暗殺される。
この団体はイフードに共鳴し、「ユダヤ人とアラブ人が、ともに植民地主義と闘う」ことを表明していた。
3月4日 - アタロトで、アラブ人が16人のユダヤ人を待ち伏せ攻撃し、虐殺
4月8日 - デイル・ヤシーン事件
4月13日 - シェイフヤラ・ハダサー医療従事者虐殺事件(en):アラブ人テロリストによる護送車襲撃事件。ハダサーの医師・看護婦・ヘブライ大学教授・職員70人以上が虐殺される。イギリス軍、黙殺。
5月12日 - クファール・エツィオンで、アラブ軍が100人のユダヤ人を虐殺(15人は降伏後に処刑)。
5月14日 - イスラエル共和国として独立宣言。
第1次中東戦争。エルサレムの西半分がイスラエル領となる。国連は占領を非難する。エジプトヨルダンによる占領を同時に非難。
9月 - 国連調停官ベルナドッテ伯暗殺
  • 1956年 - 第二次中東戦争。エジプトのナセル大統領のスエズ運河国有化宣言に対応して、英・仏・イスラエル連合軍がスエズ運河に侵攻。米・ソの仲介により三国は撤退。
  • 1967年 - 第三次中東戦争(六日間戦争)。エジプトのナセル大統領による紅海のティラン海峡を封鎖が引き金となり、イスラエルが「防御的先制攻撃」を実施。エジプトからシナイ半島とガザ地区を、同戦争に参戦したシリアからゴラン高原を、ヨルダンから東エルサレムとヨルダン川西岸全域を奪取。六日間でイスラエルの圧倒的勝利に終わる。
  • 1973年 - 第四次中東戦争(ヨム・キプール戦争)。エジプトのサダト大統領がシナイ半島奪還を目的としてユダヤ教の祝日「大贖罪の日(ヨム・キプール)」にイスラエル軍に攻撃を開始。イスラエル軍の不敗神話が崩壊する。その後アリエル・シャロン将軍(現首相)が復帰、スエズ渡河作戦を実行。形勢は逆転し、17日で停戦に至る。
  • 1976年 - エンテベ人質救出作戦(オペレーション・ヨナタン)。一部のパレスチナ過激派がエールフランス機をハイジャック、ユダヤ人またはイスラエル人以外を解放し、ウガンダのエンテベ空港に着陸。同国のアミン大統領の庇護のもと膠着状態が続くが、イスラエルのラビン首相は特殊部隊を派遣し、人質奪回とハイジャッカーの全員射殺に成功。その際にイスラエルの実行部隊で唯一戦死したヨナタン・ネタニヤフ中佐の名前をとり、「オペレーション・ヨナタン」と名づけられている。なお、ヨナタンはベンヤミン(ビビ)・ネタニヤフ元首相の実兄であり、同氏の対パレスチナ強硬姿勢の原点になったといわれている。
  • 1977年 - サダト大統領のエルサレム訪問。これまで仇敵であったエジプトのサダト大統領がエルサレム訪問を宣言し、クネセット(イスラエル国会議事堂)で演説を行う。二年後の平和条約締結の第一歩となる。
  • 1979年 - イスラエル・エジプト平和条約締結。イスラエルが占領していたシナイ半島の返還に合意し、米国のカーター大統領の仲介のもと、キャンプ・デーヴィッドにてエジプトのサダト大統領とイスラエルのベギン首相が調印。イスラエルにとって初のアラブの隣国との平和条約となる。
  • 1981年 - イラクの原子炉爆撃。かねてからフランスからの技術協力を得て原爆の開発をすすめていたイラクのフセイン大統領(当時)の野望を阻止するため、イスラエル空軍はバグダッド郊外のオシラクで建設中だった原子炉を爆撃。国際法違反として非難も浴びたが、核拡大を防いだという肯定的な見解もある。
  • 1982年 - レバノン侵攻ガリラヤ平和作戦)。レバノン南部からのパレスチナ人によるイスラエル北部へのテロ攻撃を鎮圧し、レバノン国内の少数派キリスト教徒保護と親イスラエル政権の樹立、平和条約締結を目指すという目的で、ベギン首相がレバノン侵攻を開始。アリエル・シャロン国防相に率いられたイスラエル軍は瞬く間に首都ベイルートに入城。PLOのアラファト議長の追放に成功する。しかし、その過程においてイスラエルの同盟軍であるマロン派キリスト教徒がシリアによるリーダーのバシル・ジュマイル大統領暗殺に憤激し、パレスチナ人難民の居住区であったサブラ・シャティーラ・キャンプに侵入し、虐殺事件を引き起こす。アリエル・シャロン国防相は「虐殺を傍観した不作為の罪」を問われ、国防相を辞任。また、「キリスト教徒による親イスラエル政権の樹立、平和条約の締結」もならず、イスラエルにとっては後味の悪い結果に終わる。
  • 1991年湾岸戦争が発生し、テル・アヴィヴを標的としたイラクによるスカッドミサイルの攻撃を受ける。
  • 1992年-米国の主導により、マドリッド会議開催。PLOとの顔合わせの機会となる。
  • 1993年-オスロ協定成立。PLOによるヨルダン川西岸及びガザ地区の自治が始まる。
  • 1995年-イツハク・ラビン首相が射殺される。
(詳細はレバントの歴史(History of Levantを参照)

政治

議会制民主国家であり、抑制均衡の機能を持つ三権分立の国である。行政府(政府)は、立法府(クネセット)の信任をうけ、司法府(裁判所)は法により完全なる独立を保証されている。

行政

国の最高行政機関である政府は、国家の安全保障を含む内外の諸問題を担当し、クネセットに対して責任を有し、その信任を受けねばならない。政府の政策決定権には極めて幅がある。法により他の機関に委任されていない問題について、行動をとる権利を認められている。

官公庁
内閣
外務省
国防省
大蔵省
産業貿易省
法務省
教育省
国内治安省
通信省
内務省
運輸省
農林水産省
科学・文化・スポーツ省
国家基盤省
観光省
建設・住宅省
環境省
労働・社会省
宗教省(間も無く廃止の予定)
エルサレム問題担当省
保健省

立法

イスラエルの国会は一院制、議員総数120名で、クネセットと称せられる。その名称と議員数は、紀元前5世紀にエズラとネヘミヤによってエルサレムに招集されたユダヤの代表機関、クネセット・ハグドラ(大議会)に由来する。

司法

司法の独立は法により完全に保証されている。最高裁判事3名、弁護士協会メンバー、政官界者(閣僚、国会議員など)で構成される指名委員会があり、判事はこの委員会の推薦により大統領が任命する。 判事の任期は無期で、70歳になったら退任する。

大統領

大統領の仕事は儀式的性格が強いが、法によって規定されている。新国会の開会式の開会宣言、外国大使の信任状受理、クネセットの採択ないしは批准した法、条約の署名、当該機関の推薦するイスラエルの大使、裁判官、イスラエル銀行総裁の任命、法務大臣の勧告にもとづく受刑者の特赦、減刑が、仕事に含まれている。さまざまな公式任務のほか、市民の諸願の聴取といったインフォーマルな仕事もある。大統領としての威信をコミュニティ組織に及ぼし、社会合体の生活の質をたかめるキャンペーンに力をかす。

政党一覧

  • リクード(世俗的右派)
  • 一つのイスラエル(労働党とメイマッドの統一会派、左派)
  • 労働党(左派)
  • ゲシェル(中道右派、一つのイスラエルから離脱)
  • シヌイ(メレツから分離、世俗超左派)
  • シャス(中東系宗教派)
  • 国家統一党
  • 国家宗教党(東欧系宗教派)
  • メレツ(労働党から分離、世俗左派)
  • 民族の家(極右政党)
  • イスラエル・バアリヤ(ロシア系)
  • 民主的選択(イスラエル・バアリヤから分派)
  • アム・エハッド(労働組合の支持)
  • 中道党(中道右派、新興政党)
  • 新しい道(中道党から分離)
  • 統一トーラー・ユダヤ教(超正統派)
  • ユダヤ教連合
  • 平和と平等のための民主戦線(ハダッシュ、イスラム教左派)
  • 国民民主同盟
  • 統一アラブリスト(アラブ主流、非宗教的左派)
  • バラッド(キリスト教左派)
  • ヘルート(極右政党)

地理

イスラエルの地図
イスラエルの地図

狭くて小さな土地

国境及び休戦ライン内にあるイスラエルの地域は、パレスチナ人自治機関の管理地域を含め、27,800kmである。国土は小さく細長い。長さは470kmあるが、幅は一番広い所でも135kmである。国は北にレバノン、北東にシリア、東にヨルダン、南西にエジプトと接する。西側は地中海である。

  • 地理上の特徴:山脈や高原、肥沃な畑や砂漠、と景色は分刻みで変わる。国の広さは、西の地中海から東の死海まで車ならば90分ほどでドライブできる。ジュディアの丘陵にあるエルサレムから海岸沿いのテルアビブまでは1時間もかからないし、北のメトゥーラから最南端の町エイラットへは約9時間である。標高835mにあるエルサレムから海抜下398mの死海まで、走行時間は1時間とかからない。
  • 地形:イスラエルは地理学的には4つの地帯に分けられる。その3つは同じように北から南に長く伸びる地帯で、残る1つは国の南半分にあたる広大な乾燥した地帯である。

都市、世界遺産

  • エルサレム東エルサレム):地中海から車で約一時間内陸部に入った小高い丘の上にある。ヘブライ語名のイェルシャライムは「平和の街」を意味する「イール・シャローム」から来たとされるが、確かではない。アラビア語ではアル=クドス。ユダヤ人が住む西エルサレムとアラブ人居住区である東エルサレムから成り立つ。1967年6月の第三次中東戦争(六日間戦争)の結果、イスラエルは東エルサレムとの統合を主張している。ユダヤ人の聖地である「嘆きの壁」を訪れる人々は絶えない。壁の上の神殿の丘にはシャロン現首相が2000年に訪問して投石にあったイスラム教聖地アル=アクサモスクイスラム建築の傑作岩のドームがあって、これはユダヤ人の神殿をイスラム教徒がモスクに変えたものであり、岩のドームにはムハンマドが旅立ったという伝説があり、地下には最後の審判の日にすべての魂がここに集結してくるとされる「魂の井戸」がある(イスラム教ユダヤ教徒の伝統に従い、ユダヤ教最高の神殿をイスラム教寺院に改造することは、イエス・キリストムハンマドユダヤ教徒にも信頼されうる預言者であり、イスラムがユダヤ教を凌駕するものであることを示しており、ここにパレスチナ問題における宗教的側面での問題がある)。

経済

イスラエルはわずか人口650万人余りの小さな国ではあるが、農業、灌漑、そして様々なハイテク及び電子ベンチャー産業において長年にわたり世界各国で最先端をいき、過去20年間ではヨーロッパ諸国及びアメリカとの自由貿易地域協定により商品及びサービスの輸出を拡大し(2000年には年間450億ドルの輸出)、更に1990年代の加速度的な経済成長をもたらした国際的な企業活動への参加を促進した。そして、2000年にはGDP成長率6.4%という驚くべき成長率をとげたイスラエル経済活動の急成長が記録された。しかし、治安状況の悪化により、経済活動はほぼ全分野において著しい低迷が続いている。事実、過去50年で初めて、2001年にはGDPが減少。 また、イスラエルは中東のシリコンバレーともよばれ、インテルやマイクロソフトなどの世界的に有名な企業の研究所が軒を連ねる。

国民

古代のヘブライ人聖書においてはアブラハムイサクヤコブ)を先祖とする、主としてセム系の言語を用いる民族。イスラエル王国は南北分裂後アッシリアによって滅び、指導層はメソポタミア北部に強制移住させられたためイスラエルの失われた十氏族などの様々な憶測を呼んだ。またアッシリアからの入植者と混血した者の子孫はサマリア人と呼ばれる。
現在、イスラエルは宗教的・文化的・社会的背景の異なる多様な人々が住む国である。古いルーツをもつこの新しい社会は、今日もなお融合発展しつつある。人口550万の内、81%がユダヤ人(半数以上がイスラエル生まれ、他は70余ヶ国からの移住者)、17.3%がアラブ人キリスト教徒・イスラム教徒、前者にはマロン派、後者にはベドウィンなどが含まれる)、残りの1.7%がドルーズ族チェルケス人サマリア人バハーイー教徒、その他の少数派である。比較的若い社会(平均年令26.9才)で、社会的・宗教的関心、政治思想、経済資力、文化的創造力などに特徴があり、これらすべてが国の発展にダイナミックなはずみをつけている。

(詳細はイスラエル (民族)ユダヤ人ヘブライ人を参照)

「ユダヤ人」の多様性

イスラエルのユダヤ人を単に宗教的集団(ユダヤ教徒)と定義するには問題があり、ひとつの民族といえるかどうかも問題がある。

アシュケナジム
主にドイツ語イディッシュ語を母語とするドイツ東ヨーロッパからの移民で、エリート層をしめる。イスラエル独立以前からの移民はアシュケナジムが多く、都市は西洋風である。無神論者も多い。
セファルディム(イベリア系;イタリアオランダ南米、かつてのオスマン帝国領域)、ミズラヒム山岳ユダヤ人グルジアインドブハライランアラブイエメンエチオピアなどオリエント系移民の総称)
東アフリカや北アフリカなどのイスラム教圏からの移民が多く、失業率も高く、砂漠地方に住む場合が多い。イスラエル独立後に、移住して来た場合が多い。ユダヤ教の戒律を重視する人が比較的多い。イスラム教はユダヤ教やキリスト教に敬意をしめすため、迫害されることは少なくユダヤ教徒としての暮らしを続けて来た。イスラエルには現在主席ラビが二つしかないためアシュケナジムセファルディムで総称されることが多いが、本来は別のものである。ただセファルディムは一時ミズラヒムと同じイスラム圏に属したこともあるし、居住地から、宗教的慣習などでも共通性はある。セファルディムミズラヒムは国民の40%弱を占め、ミズラヒムのうち最大グループはモロッコ出身のユダヤ人である。
サマリア人
現在ユダヤ教徒の一派として認められている。
カライムクリムチャク
ハザールとの関連も唱えられるチュルク系言語の話者。

その他、ユダヤ教に改宗した人々(ブラック・ジューミゾ)などもユダヤ教徒として住んでいる。

社会福祉

イスラエルは高度の社会福祉の保証につとめているといわれる。とくに病人や老人など社会の弱者に特別の配慮が払われている。よって社会福祉関係で予算に占める割合は大きい。 イスラエルの高水準の保健サービス、質の高い医療人材と研究、近代的な病院施設、高い人口当たりの医師数・医療専門家数などは、乳幼児死亡率の低さ(1,000人当り6.8人)や平均寿命の長さ(女性80.4才、男性75.4才)に表れている。乳幼児からお年寄りまで、国民全員に対する保健サービスは法に規定され、国の医療支出(GNPの8.2%)は他の先進国と肩を並べる。

運輸・通信

イスラエルのような狭い国では、車やバストラックなどが主な交通機関である。近年、車の急速な増大に対応し、辺鄙な地域への交通の便をはかるため、道路網の拡充がはかられた。多車線のハイウェーは目下300キロの運営だが、2004年現在南のベエルシェバから北のロシュハニクラ、ロシュピナまでハイウェー網が整備されつつある。さらに、人口稠密地にはバイパスが設けられた。

イスラエル鉄道は、エルサレム、テルアビブ、ハイファナハリヤの間で旅客運送を行っている。貨物運送としては、アシュドッド港、アシュケロン市、ベエルシェバ市、ディモナの南部の鉱山採掘場など、より南部にまで及んでいる。貨物鉄道の利用は年々増加し、乗客の利用も近年増えている。テルアビブとハイファでは、道路の交通渋滞を緩和するため、既存の路線を改善した高速鉄道サービスが導入されつつある。

科学技術

イスラエルは専門資格をもった人材資源が豊富であり、自国がもつ科学的資源や専門知識を駆使して、国際協力において大事な役割を果たしてきた。イスラエルはいくつかの分野に限定して専門化し、国際的な努力を注ぎ、高度な技術成果を得ようと奮闘している。科学技術研究にたずさわるイスラエル人の比率、および研究開発に注がれる資金の額は、国内総生産 (GDP) との比率でみると世界有数の高率である。

また労働力数との比率でみると、自然科学、工学、農業、医学分野のおける論文執筆者の数は世界一である。医学とその周辺分野、ならびに生物工学の分野では、極めて進んだ研究開発基盤を持ち、広範囲な研究に取り組んでいる。研究は、大学医学部、各種国立研究機関を始め、医薬、生物工学、食品加工、医療機器の各メーカーの研究開発部門でも、活発に行なわれている。イスラエルの研究水準の高さは世界によく知られており、海外の医学・科学分野の研究諸機関との相互交流も盛んである。イスラエルではまた、医学上のさまざまな議題の国際会議が頻繁に開催されている。

教育

イスラエルでは教育は貴重な遺産であり、出身地、宗教、文化、政治体制など、背景がさまざまに異なる人々が共存している社会である。この民主的複合社会の責任あるメンバーとなるように子供を育てることが、教育制度の目的であるとされ、高水準の教育システムが実践されている。

大学は全て公立であり、比較的安価で高等教育を受けることができる。 ほとんどの大学生はダブルメジャー(二つの専攻)で、平均3年で学位を取得する。高校卒業後に兵役に就き、その後世界旅行に出てから大学に入学する場合が多いため、大学生の平均年齢は高くなっている。

軍事

1948年建国と共に創設されたIDF(国防軍)は、国の防衛の任にあたる。世界でも有数の戦闘に鍛えられた練度の高い軍であるとされる。文字通りの国民皆兵国家であり、高校卒業後に男子は3年、女子も1年10ヶ月の兵役に服さねばならない。少数派のドルーズ教徒とベドウィンは兵役に服すが、正統派ユダヤ教徒、アラブ系イスラエル人(ユダヤ教徒でないもの)は兵役が免除されている。

IDFの存在意義は、「日常生活に脅威を及ぼすあらゆる形態のテロリズムを排除し、すべての敵を抑止し、以て国家の存在を守り、領土の保全と主権を守ること」にある。その主たる任務は、パレスチナ人自治機関と協調しつつヨルダン川西岸及びガザの「平和措置」を補強し、イスラエル国内及び国境周辺で生起するテロリズムとの戦いの第一線にたち、戦闘行為の発生を防ぐ抑止能力の維持を含む。

IDFの防衛思想は、戦略レベルで防勢、戦術レベルでは攻勢である。国は戦略縦深を欠くので、必要と判断された場合、ないしは敵の攻撃をうけた場合、直ちに攻撃に転じて敵の領土内で戦闘する。相手方と比べ圧倒的に進んだ兵器の配備など質でこれもおぎなってきた。この兵器の多くは、特別のニーズに応じて国内で開発、生産されている。

また、核開発は公然の秘密であり、これを漏らした技術者が投獄されたこともあったが、この度 核施設の映像が国内で流された。([7])

関連項目

外部リンク

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参考資料