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::::::ご返信、ありがとうございます。8月1日08:22(UTC)にいただきましたご返信を拝見し、こちらの本意をしっかりご理解いただいていること、遠藤さんの聡明さに感謝しております。その後の、ご解説も拝見しましたが、端的に申しますと、「そこまでの情熱がおありなら、あくまで中立性と加筆性に配慮しながら、雑多にならない程度に」と思うまでです。あとは、先の通り他の編集者や管理者の判断なども受けつつが良いかもしれません。 |
::::::ご返信、ありがとうございます。8月1日08:22(UTC)にいただきましたご返信を拝見し、こちらの本意をしっかりご理解いただいていること、遠藤さんの聡明さに感謝しております。その後の、ご解説も拝見しましたが、端的に申しますと、「そこまでの情熱がおありなら、あくまで中立性と加筆性に配慮しながら、雑多にならない程度に」と思うまでです。あとは、先の通り他の編集者や管理者の判断なども受けつつが良いかもしれません。 |
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::::::遠藤さんにもおっしゃっていただいている通り、たしかにWikipediaの方針に照らして、「事典は伝記ではない」との考えを持っておりますし、遠藤さんの過去の執筆は雑多で多すぎる、不要なところで当該記事人物の名前を挟み込むなど、一般的な記事執筆のお作法みたいなのを思えば若干の違和感がありました。ですが、ご本人も「冗長になりすぎないように」ということは留意されていらっしゃいますし、こちらも前述の通り、けっして箇条書きだけでまとめなければならないというルールもなく、実際に他記事もそうはなっていません。あくまで、簡潔に中立性や客観性に沿った事典編集で、皆でブラッシュアップしていくので良いと思います。ご面倒をお掛けました。何とぞよろしくお願いいたします。--[[利用者:Huskys|Huskys]]([[利用者‐会話:Huskys|会話]]) 2024年8月1日 (木) 15:39 (UTC) |
::::::遠藤さんにもおっしゃっていただいている通り、たしかにWikipediaの方針に照らして、「事典は伝記ではない」との考えを持っておりますし、遠藤さんの過去の執筆は雑多で多すぎる、不要なところで当該記事人物の名前を挟み込むなど、一般的な記事執筆のお作法みたいなのを思えば若干の違和感がありました。ですが、ご本人も「冗長になりすぎないように」ということは留意されていらっしゃいますし、こちらも前述の通り、けっして箇条書きだけでまとめなければならないというルールもなく、実際に他記事もそうはなっていません。あくまで、簡潔に中立性や客観性に沿った事典編集で、皆でブラッシュアップしていくので良いと思います。ご面倒をお掛けました。何とぞよろしくお願いいたします。--[[利用者:Huskys|Huskys]]([[利用者‐会話:Huskys|会話]]) 2024年8月1日 (木) 15:39 (UTC) |
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:::::::返信をありがとうございました。 |
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:::::::先の返信中にも書かせていただきましたが、私の場合は、記事に伝記を綴るのはOKであると思っています。ただし様々なルールがあるのも事実です。あなたのおっしゃる中立性もそのルールの中のひとつですね。 |
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:::::::以下に、この「伝記はOK」の件についてもう1度、記述しておきます。 |
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:::::::◆◆◆ |
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:::::::Wikipedia:存命人物の伝記 https://w.wiki/3pYy の記事で、例えば、「どのように書くべきか」の節(セクション)に以下の記述があります。 |
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:::::::「存命人物の伝記は責任を持って、保守的・中立的・百科事典的に書くべきです。」 |
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:::::::「場合によっては当該人物自身によって公表されたものを文章化する方がよいかもしれません。」 |
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:::::::つまり、Wikipediaの記事として、保守的、中立的、百科事典的というスタイルを貫けば、伝記を書いてもOKである、ということです。 |
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:::::::なお、小説家などの場合であれば、その著作物を、事実検証の資料として引いてくることができる、と書かれています。 |
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:::::::記事のトップのある「導入部」の直下には通常、人物の「来歴」とか「経歴」という節(セクション)が設けられると思います。 |
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:::::::「導入部」でごく簡単に人物の概略を説明し、「来歴」や「経歴」などでもう少し詳しく自分の文章でその人物の伝記を書くというスタイルです。 |
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:::::::例えば、夏目漱石 https://w.wiki/3Jvd では、少々ユニークですが、「来歴」や「経歴」などの部分が「生涯」となっていて、その直下に「生い立ち」「幼少期」「少年時代」(中略)「死去」と小見出しが多数あり、それぞれの小見出しの直下にその年代の伝記が綴ってあります。 |
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:::::::あなたでしたらこれらの部分、全部削除でしょうか。やはりそれはちょっと違うのではないかと思います。 |
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:::::::◆◆◆ |
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:::::::私の編集後に、さらに箇条書き的にシンプルになっているようです。――とのことですが、2024年4月30日から5月3日の編集内容を順を追って閲覧していきますと、あなたの編集によって、導入部の直下がいきなり箇条書きの略年譜の節(セクション)になっています。4月30日には、もっと下のエピソードの節(セクション)もその大半を削除されています。全体が箇条書き中心の印象に見えるのはあなたの編集による影響であると思います。 |
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:::::::あなたの意図も分かるのですが、こうなると逆にシンプル過ぎて、却って記事が貧相に見えてしまいます。 |
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:::::::節(セクション)名をエピソードとするのは少し誤解を受けやすいかもしれません。ウィキペディアンの中にも、芸能人の記事によく見られるようなこのエピソードという節(セクション)を淘汰するのが方針だ、とおっしゃっている方がいます。しかしその場合のエピソードには、検証可能性の低い、週刊誌レベルの「噂󠄀」のようなことばかりが綴られています。 |
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:::::::当該記事の場合、エピソードに関しては、上にも返信いたしましたが、検証可能な事実ばかりを綴っています。その大部分は人物の著作の中に記述してある事柄です。 |
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:::::::当該人物の研究においては、異性の作家仲間であった芥川賞作家遠藤周作と、芥川賞を取り損ねたものの5回のノミネートの経験があり、後に官能小説の大家として売れっ子になった川上宗薫の存在は外せません。 |
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:::::::これは当方の主観や思い入れ(思い込み)による記述ではありません。遠藤周作や川上宗薫との関係性は、この作家を研究する場合、十分な特筆性の存在する事柄です。人物の著書『血脈』(上・中・下)、『晩鐘』にも多くの記述があります。 |
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:::::::ですので、この辺りに関しても、復元をさせていただきたいと思います。悪しからずご了承をお願いできますでしょうか。 |
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:::::::最後になりますが、今一度、夏目漱石 https://w.wiki/3Jvd をご覧ください。いろいろな人との関係性や伝記などが文章により綴られています。ご存じであるとは思いますが、夏目漱石の研究においては、正岡子規との関係性を外すことはできません。きわめて重要な事柄です。これは、佐藤愛子研究に置き換えれば、遠藤周作や川上宗薫にあたります。 |
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:::::::ここまで書きまして、とりあえず、大幅削除に関しては、一旦、復元を試みたいと思います。それで、あなたのおっしゃるように、あなたと私以外の第3者の目線で見てもらい、記事がよい方向に成長するのを見守る、というようなことではどうでしょうか。 |
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:::::::それでは、こちらこそ、どうぞよろしくお願いいたします。--[[利用者:遠藤進之助|遠藤進之助]]([[利用者‐会話:遠藤進之助|会話]]) 2024年8月1日 (木) 16:23 (UTC) |
2024年8月1日 (木) 21:36時点における版
札幌南高校の記事について
はじめまして。keroban2000ともうします。札幌南高校の記事において、同校が高校入試において道内最難関になっていること、医学部志向が強いことを中立的でないとみなして削除されたようですが、これは事実を述べているだけのことであり中立性を欠く記述ではないと思いましたが、どのようにお考えですか。 --Keroban2000 2008年10月16日 (木) 16:28 (UTC)
お返事どうもありがとうございました。おっしゃること良くわかりました。学校記事においては特別慎重にならざるを得ないのですね。自分も記述の際には気をつけていきたいと思います。では。--Keroban2000 2008年10月17日 (金) 15:43 (UTC)
Wikipedia:投稿ブロック依頼/中華電信広域ブロックへのコメントのお願い。
はじめまして。いきなりの連絡で大変申し訳ございませんが、SACHENと申します。このたび、中華電信広域ブロックを再提出いたしました。趣旨は「前回の中華電信広域ブロック解除により投稿ブロックが解除されたが長期の荒らし行為を行っている利用者:影武者のソックパペットによる荒らし行為が再発したため」です。できればWikipedia:CheckUser依頼/影武者氏関連にもコメント宜しくお願い致します。--SACHEN 2007年9月30日 (日) 03:38 (UTC)
コメント有難うございます
こんにちは。Mee-sanと申します。
私の会話ページにコメントを頂きまして有難うございました。
グレート義太夫氏に対する投稿ブロック依頼でも書きましたが、本当にこういうユーザーはどうにかならないものでしょうか。ま、いずれサブページは作成しなくてはいけないな、とは思いますが。
まずは改めまして有難うございました。今後とも宜しくお願いいたします。--Mee-san 2007年10月2日 (火) 11:37 (UTC)
- (追記)サブページを作成しました(wikipedia:進行中の荒らし行為/長期/たけし軍団メンバーを名乗るログインユーザー)。不十分な部分があると思われますので加筆のご協力をお願い致します。まずは報告まで、--Mee-san 2007年10月2日 (火) 12:44 (UTC)
上杉隆について
sat666と申します。 上杉隆の編集方針について議論なされているのを拝見して書き込ませていただきました。
当該記事はPOV以前に著作権的問題が有るのではないかと思うのですがいかがでしょうか?要旨はノートに書かせていただいています。どうぞご照覧ください。突然の書き込み失礼いたしました。--Sat666 2007年10月17日 (水) 22:10 (UTC)
- こんにちは、Sat666さんのノートにも返事させて頂きました。その事実は知りませんでしたが、著作権に問題のある削除依頼案件だと思います。早めに依頼すべきですね。--Huskys 2007年10月18日 (木) 04:18 (UTC)
- 早速の御返事大変ありがとうございます。とりあえず取り急ぎWikipedia:削除依頼/上杉隆を提出させていただきました。編集の方針がまとまりかかったところへ横槍を入れる形になってしまい汗顔の至りですが、どうぞ平にご容赦いただけますようお願いいたします。--Sat666 2007年10月18日 (木) 17:24 (UTC)
- お疲れ様です。こちらこそ、削除依頼提出お手数お掛けしました。汗顔の至りなんてとんでもないです。当該ノートにもあるように、一部感情的な輩が、クーデター節の当事者のように思い込んでいて、突っ走っている過程での話でもあるように思います。勿論、著作権侵害の削除依頼は優先される物ですが、それとは別に編集方針に関しても、何かあればSat666さんも意見を述べられると良いとは思います。--Huskys 2007年10月18日 (木) 17:49 (UTC)
川上憲伸の編集意図について
文章を誤解しておりました。そちらが以前削除された際、「『「~のようだ」という単なる憶測にすぎぬ記述を除去。事典は私見を挟まない・) 』」とのことだったので、事実を元にしたものだけ残し、表現を消して復活させた次第です。文意がファンサイト的、と捉えられたようであれば申し訳ないです。
ただ、今回評論が駄目、文章がファンサイト的と仰っておられますが、ただ現役最多のホームラン数を打っていること、相手投手からも警戒されていることは事実ですので、できればすべて削除するより、そう捉えられないようなんらかの変更を加えていただきたかった、というのがこちらとしての意見です。
また岩瀬とのエピソードについても、一般の人が見た場合、ただあだ名で呼び合うか、あのように服まで買ってもらっているかで感じる親密さはまったく違うのではないでしょうか(この辺りはエピソードに記述しようかとも思いましたが、人物の方で既に岩瀬とのつながりが書いてありましたので、そちらへまとめていました。TVの演出と言われるようであれば別の話なのですが)。
最後に削除された会見での周囲からのささやきは、実際にあった訳ですし、消される必要があるかどうか悩んでいます。
ファンサイト的ネタとのことでしたが、こちらではネタ=ファンサイト的とは捉えていないため、内容を考慮して残したり、記述したりもしています。もちろん、あまりに過ぎるもの(TVでのエピソードなど)は、削除するか、隠すかしても良いと思います(あれは私が記述したものではありませんが)。
こちらは意図するにしろしないにしろ、まだまだ拙いため時に後の人に迷惑をおかけすることもあります。ただ、全消しされると正直へこみますorz
Wikiですので、悪意のある人や、ネタに走る人も多少はいるかと思います。ですが、普通は少しでも良くしようと思い、編集しているものと思います。取捨選択を再度御一考していただければ幸いです。-Mercurius 2007年10月29日 (月) 03:24 (UTC)
- お返事ありがとうございます。川上憲伸のノートに同様の返事がありましたので、あちらに返しておきました。宜しくお願いします。--Huskys 2007年10月29日 (月) 03:44 (UTC)
お願い
貴方のコメントを見ると、そこここに「問答無用」とか「言語道断」のような類の穏当を欠く表現が散見されます。言われた方は荒らしと同一視されているかのように感じてしまい、凹みます。T KOUKI 2008年1月10日 (木) 10:55 (UTC)
初めまして。申し訳ないのですが、初心者なので教えてほしいのです。いろんな方の変更履歴を見ると、ユーザー名の後に、削除や訂正した理由が、カッコ内で太字の斜字で書いてありますね?あれを書くにはどうしたら良いか(どの場所に書くのかも含め)教えて頂けませんか?本当に初心者なので…すみません。--OKIJUHY 2010年10月28日 (木) 10:47 (UTC)OKIJUHY
“ファンサイト的ネタ記述”とは?
こんにちは。クッキーです。
早速ですが、ファンサイト的ネタ記述とは何なのでしょうか?現在、あなたが行われている削除作業は、基準が曖昧な気がしてなりません。
この一連で削除された『大八木友之』を例に取ります。あなたは、<現在はバラエティ・報道・競馬をこなすアナウンサーである。>という記述を削除されました。しかし、<大のサッカーファンで、同僚の大月勇、河田直也、山中真らとともにフットサルチームに所属している。 >という記述は残されています。現在担当している番組ジャンルよりも、サッカーファンであることの方が、明らかにあなたのおっしゃるファンサイト的ネタ記述に当たると思うのですが、どうでしょう。
基準がはっきりしないままで、これ以上大規模編集を続けるべきではないと考えます。基準を明確に示してから、改めて編集するべきではないでしょうか。--クッキー 2008年1月29日 (火) 10:30 (UTC)
- こんにちは、お疲れ様です。仰る件、八木早希のノートでも最近同じ話題でやり取りしたばかりなので繰り返しになりますが、確かに、どこまでが「ファンサイト的記述」か、という線引きが微妙な所はありますよね。私の削除基準が、細部まで正確だとも、勿論すべての基準だとも思っていません。ただそれ以前に、クッキーさんもお分かりでしょうが、「色は何々が好きだ」とか「兄弟は何人で、幼いころはこんな感じだったらしい」とか、「結婚のいきさつは何々でこうだったようだ」など枚挙に暇がありませんが、明らかに、そうしたものは、そんなに嬉々として知っていることを思い入れたっぷりに書き込みたいなら、ファンサイトを作ってそちらでやって下さい、となります。この問題は、主にタレントやアナウンサー記事に以前より多く見られる問題であり、私に限らず多くのウィキペディアンが頭を悩ませている所でもあります。細部に関して、どうしてもこれは必要だ、と思うのなら、あちらでも言いましたが、まずはノートで、こういう根拠でこう思うから、と提起すればよいでしょう。もっとも、「必要なので」という主張も、個人の曖昧な基準である場合も多いでしょうから、それが通るかどうかは分かりませんが・・・。ただ、貴方も判ると思いますが、事実だから、知っていることだから何でも書ける訳ではありませんし、事実にくっ付けた個人の感想・批評・評論・賛美や中傷の類は言語道断に削除対象なのは言うまでもありません。繰り返しますが、細部でどこまでをファンサイト的とするか、という問題は確かにあると思いますが、「ファンサイト的」な類の記述の存在と、ウィキペディアを完全に、自己の思い入れのある対象の、その思い入れを書き連ねる場と勘違いしている、方針文章の要熟読対象に当たるユーザーがいることも、また事実なことはご理解頂けると思います。よって、結局は編集合戦は避けなければならないので、ノートでの合意形成に尽きると思います。最後に、貴方は、事の何たるかという本質を踏まえておられるのは、今までの様子でも分かりますが、評論や主観による賛美や中傷を書く場と完全に履き違えてしまっていて、「ファンサイト的記述」を無自覚にしてしまうユーザーに限って、「ファンサイト的って何だよ」とのたまう場合もあることは申し添えておきます。方針のここに該当するから出来ないのです、という条件の他に、いわゆる常識で考えれば分かること(事典記事に、各々が個人の主観や感想、憶測などを書き始めたら収拾がつかなくなり、記事の信憑性も担保できなくなる)を問われていることも、またあると思いますので。--Huskys 2008年1月29日 (火) 17:02 (UTC)
- ノートで合意形成するべきだとおっしゃっておりますが、『八木早希』のノートで私が意見し、今回同様の返事を頂いた後もあなたはノートでの議論を経ずに、すぐに削除してらっしゃるような気がするのですが。--クッキー 2008年1月30日 (水) 05:03 (UTC)
- いえ、それに関しては、言うところの「個人の曖昧な基準」というレベルではなくて、挙げたような、論外な個人の評論や感想、憶測に過ぎる記述と、貴方もその存在を認めておられる、好きな色は何だとか、結婚の馴れ初めはこうこうこうだったらしい、というような、私でなくとも、事典としての方針の最低限を理解しているユーザーなら問題視する、明らかなファンサイト的ネタ記述を除去したまでです。繰り返し、何もそれらの記述をすべてあなたがしているなどとは思っていませんし、履歴を見ればそれも分かります。そして、貴方も、挙げたような「これはファンサイト的と言われても仕方がない記述だよな」という物の存在については理解されているようですし、けんか腰ではなく、誤解のなきよう我々だけではなくて、話の通じる人で議論をして、極力その基準を共有できるようにしたいだけです。確かに、微妙な線引きの所で一括気味に削除してしまうのは手荒い場合があるのは承知していますが、それより大事な本質もきちんと踏まえたい所です。つまり、方向としては、基準が曖昧なら、「曖昧なんだから書いても良い」というのではなくて、ウィキペディアは何でないか、Wikipedia:中立的な観点、Wikipedia:独自研究は載せない、Wikipedia:現在進行はじめ、もろもろ設けられている方針に基づいて、「どこまでならオッケーか、ここからはダメですよ」という基準をある程度設けることが肝要です。個人的には、これも繰り返しになりますが、クッキーさんは本質を理解されている方だと思っています。そこらの節操ない、事典とは何かも分からず、いわゆる「ファンサイト的記述」に走り、除去されると、方針に照らしたり、ファンサイト的思い入れを反映しているかも、といったことを自覚する間もなく編集合戦の片方になってしまうユーザーもいるのは確かですし、何度も言いますが、これは我々に限らず、以前から長らくコミュニティが抱えているテーマですので・・・。--Huskys 2008年1月30日 (水) 05:16 (UTC)
- ちょっとお邪魔します。「事典としての方針の最低限を理解しているユーザーなら問題視する、明らかなファンサイト的ネタ記述を除去したまで」との事ですが、それまで該当記事の編集に携わったり、該当記事を見て不問に付していたユーザーは全て「事典としての方針の最低限を理解していないユーザー」になるのですか?以前から各所で貴殿の編集を拝見しておりますが、どうも貴殿自身の価値観を絶対とし、異なる価値観を持って編集するユーザーを悪としてる様な気がするのですが。--Ho13 2008年1月30日 (水) 19:34 (UTC)
インテンド戻します。貴殿のノートにお返事させて頂きます。--Huskys 2008年1月31日 (木) 02:32 (UTC)
- 『誰が見ても分かる記述』を削除したと書いてらっしゃいますが、冒頭に書いている『大八木友之』の件などは、私でなくても削除部分について、疑問を持つと思うのですが、どうでしょう。--クッキー 2008年2月6日 (水) 10:42 (UTC)
(2/18編集分について)記事本人の知人で、適さない編集から守っています。あなたが加えた情報が不正確な内容等を含んでいた為削除しました。また、あなたが削除した部分について、ご本人も気に入っている事柄であり、緊張感に乏しい人物像になってしまう為、正確に伝える為に元に戻しますので、何卒ご理解ご了承戴きたくお願い致します。—以上の署名の無いコメントは、221.242.119.148(会話・履歴)さんによるものです。Huskys
- こんにちは。貴殿の会話ページにもどう内容の変身をしておきました。しかし、上には最初あなたの署名もなく、何の記事に関することなのかも言及がなく(2/18の編集といわれても、貴方の言う物の他にもやっている場合もありますし)これでは、相手は、誰が何の話について書いているのか分かりませんよ(苦笑)。後から、假屋崎省吾についての内容であると分かりましたが・・・。最低限、「主語」は記すようにして頂けると助かります。署名は、IPユーザーでもできますので、きちんと文末で署名をして下さい。署名は、編集欄の上部にも説明がある通り、文末で、アイコンの右から2番目(サインのアイコン)をクリックすると波線が出て、それによって投稿時に日時とともに付加されます。あと、内容については、知人と名乗り、「ご本人も気に入っている事柄であり、緊張感に乏しい人物像になってしまうから残したい」という根拠と正当性についてはよく分かりませんが(知人といえば、恣意的な編集が出来る訳ではありません)まあ一先ずそれは良いでしょう。とにかく、以後よろしくお願いします。--
西靖について。オリンピック出張や、棒高跳びの記事は、必要であると考えますが。--クッキー 2008年3月23日 (日) 01:25 (UTC)
西靖の編集意図について。記事中の客観的事実にまで削除するあなたの執拗までのこの行為の意図とあなたのポリシーを論理一環的にご説明下さい。また、広く論議したく記事中に告知を出させていただきました。--61.86.241.194 2008年3月27日 (木) 10:56 (UTC)
自己観念による記事修正について
倉野麻里の記事に関して 無知識に記事をいじくるのは止めたらいかがですか? 自称正義を振りかざしてるつもりでしょうけど。—以上の署名の無いコメントは、219.119.0.174(会話・履歴)さんによるものです。Huskys
↑ 人のノートに上がりこんで、自身が事典の基本方針も理解せず、ファンサイト的な記述掲載に節操なく固執し、それを咎められたら自己観念だの自称正義だの言っている暇があったら、ノートへの署名の仕方くらい学びましょうね。ちなみに、そちらのIPノートにも書きましたが、タレントやアナウンサー記事に特に沸く、そうした主観憶測思い入れ反映記述に固執し、方針上そうしたことを書く場ではありませんよ、と言われ、それを理解する気もないユーザーに限って、判で押したように他人のせいにして、そうした逆切れをするものでして。そんなに横暴で自称正義で間違っていると思うなら、こそこそ他人のノートで文句を言わないで、同じ理屈を、コメント依頼や井戸端などでご披露下さいませ。自分の書きたいことを咎められて面白くないのは分かりますが、こちらの行為が、あなたのいう自称正義とやらだけで通るのか、どうぞ公の元で確かめて頂きたいと、心から願っております。--Huskys 2008年2月27日 (水) 16:44 (UTC)
議論参加のお願い
どうもはじめまして。昇竜出っ歯と申します。
さて、ノート:稲森いずみ#ファンサイト的な、個人的批評・感想はすべて不要の議論に参加していたHuskysさんに訳あってお願いにやって参りました。
ノート:大泉洋での議論にご参加いただけないでしょうか。当該項目におけるファンサイト的な内容の掲載を巡って是非ともHuskysさんのご意見をいただけたら幸いです。--昇竜出っ歯 2008年5月10日 (土) 16:17 (UTC)
ファンサイトでない、という独自概念を根拠にした大幅な情報削除が目に余る
こんにちは。 あるバラエティ番組でウィキペディア宮迫博之の編集について、取り上げられていました。その時点で本人を交えて、本人によるエピソードを交え加筆、編集などが行われており、興味深く見ていました。そこで、どうせこういうのは、いろいろ理由をつけて後でばっさり削除する利用者がいるのだろうな、と確認してみると案の定大幅な情報削除が行われていました。該当編集者はあなたで、他の人物の記事も同様に、「ファンサイトでない」という独自概念をもとに大幅削除されているようです。 [1] さて、ウィキペディアは何でないか?というものを振り回しておられるようですが、基本的にあの文書は、基本方針の例示集です。英語版と比較してみればよくわかりますが、日本語版のものは現在非常に雑で、援用するには非常な注意を要します。参考→Wikipedia:井戸端/subj/「ニュース速報ではありません」はどこから出てきた概念なのか?
ファンサイトでない、という独自概念は、その例示集にさえ、反対があり、却下されたものであり、方針のどの部分についての概念かと分類するとそれは「特筆性」です。特筆性、特に人物に関する特筆性の判断は、個人による判断が大きくことなり、注意を要します。あなたが上で述べられているように微妙な判断基準であり、ノートで合意を取ることは基本姿勢となります。
しかし、あなたは、このノートで複数多数の利用者に指摘されているように、事実であると裏が取れているものも含め、大幅にその場のあなたのフィーリングのみを基準とした大幅な削除を継続的に行っており、事後の議論に参加しろ、という呼びかけがあっても、答えているように見えないし、やったらやりっぱなしですね。同じ「何でないか?」の独自解釈を延々と繰返すのみで、何も知らないウィキペディア素人がやってる、そういうものは事情を知る自分がばっさりと切り捨てて何の問題もないと、別の方も指摘する独善的行動に走っているのは明白です。こういう大幅な削除はもうちょっと慎重にやったらどうですか?戻す人と編集合戦になるのは明らかで、そこでまたあなたの慎重さ配慮を欠いた独自基準の特筆性について語ってもそれは合意など得られないでしょう。よく考えてください。とりあえず、宮迫博之の情報削除はすべてRVしておきます。再度整理が必要である、と強弁されるのなら、細部にわたり、ノートにてなぜこの部分は特筆性を満たさない「と自分は思うのか?」と説明し、それぞれに合意を求めてからやってください。--121.84.162.164 2008年7月17日 (木) 11:55 (UTC)
ノート:伊藤利尋のコメント依頼の件
こんにちは。Wikipedia:コメント依頼で、伊藤利尋を追加されているのをたまたま見かけました。依頼に当たって一部、内容を修正させて頂いてます。まず、議論先のリンク。伊藤利尋ではなくノート:伊藤利尋にさせて頂きました。コメント依頼でのリンクは、議論の場となるノートにのみリンクさせる事になっています。次に依頼内容。詳細を記述しすぎのような感じでしたので、コメントアウトし簡略した内容に変更致しました。これはコメント依頼ページを議論の場にしないために詳細を記述しないという注意書きに基づきます。他者発言の改竄に当たると思い、一応お知らせに参りました。もし修正内容に異論などありましたら、差し戻しして頂いて構いません。--FOXi/Talk/Log 2008年7月23日 (水) 00:12 (UTC)
- お世話様です。貴殿のノートにも書かせて頂きましたが、お手数掛けました。
--Huskys 2008年7月23日 (水) 02:53 (UTC)
苦言を呈しておきます
上の件と関連するので紐付けておきます。久方振りで、しかも俺からこんなことを言うのも気が引けるのだけれども…。エラソーなのって、嫌いなんですよホントに。
ともあれ、お久しぶりです、ish-kaです。上の件をみて、いくつか思うことがあったので、苦言と言うか、なんというか。
まず、ああいう依頼のコメントを書いてしまう「精神状態」にあるなら、今すぐWikibreakをするべきです。依頼系ページで感情・思いを吐露したっていいことなんかなにひとつありゃしません。そうでないのなら、今すぐ雑草取りという作業から手を引くべきです。玉石混合、もとい石石混合な「芸能」というジャンルでなにかしようとするなら、この程度の苦労は当然と考えておく覚悟がいる(何せ石を玉に変えるのですから)だろう、というのはすぐにわかる話であるからです。これが一点。
もうひとつ。今のペースで草取りをやるのは、控えるべきです。というか、Huskysさんのやっているそれは草取りじゃないです。文中から(それがどのような意図であれ)意図して文を削除するのであれば、それは改稿と呼ぶべきものです。そして、改稿と呼ぶには、Huskysさんが手がけているページは多すぎますし、クオリティとしても大雑把過ぎます(see【“ファンサイト的ネタ記述”とは?】)。やるのであれば、もっと腰を落ち着けて(少なくとも1month/記事)、ひとつひとつ丁寧にやっていかなければ、衝突は大きくなりますし、実際なっているように見えます(コメント依頼での依頼文は、「Huskysさんが疲弊している」のであって、「コミュニティが疲弊している」わけじゃない)。
辛らつかもしれませんが、「Huskysさんは、一体何をしにWikipediaに来ているのですか?」とお聞きしておきます。もし、「記事を百科事典として良くしたい」と思っていらっしゃるのであれば、「記事を変えるな。人を変えろ。」と。記事を変える(そのベクトルはプラスでもマイナスでもどっちでもいいです、この際)ことに終始している今のHuskysさんの履歴は、その意味で「ラクしすぎ」です(じゃあどうやって?という方法論については、話がそれるので後日機会と場所があれば書きます)。
今のやり方では、無駄な軋轢を生むことはあれ(そしてそれは誰かしらを疲弊させるでしょう、Huskysさんも含めて)、良い記事・良い執筆者を生むことはまずないでしょう。草取りをするならば、少なくとも、自分の庭(=自分が詳しい分野だったり、まあ定義はいろいろでしょうけれど)ぐらいは完璧にきれいに出来るような方法を考えるべきではないでしょうか?
最後に。技術系の著書ですが、コミュニケートの方法全体についていえることだろうと思っている言葉を引用しておきます。
「アジャイルプラクティス 達人プログラマに学ぶ現場開発者の習慣(Venkat Subramaniam and Andy Hunt 著/角谷信太郎・木下史彦監訳)」より引用 -批判するならアイデアになさい、人ではなく (P22) -あなた自身とチームのレベルを引き上げましょう (P33) 引用ここまで
--ish-ka a.k.a.lisky@s.i.b! (talk/wikimail/contributions)2008年7月23日 (水) 03:32 (UTC)
- 編集競合しましたがそのまま投稿します。--ish-ka a.k.a.lisky@s.i.b! (talk/wikimail/contributions)2008年7月23日 (水) 03:32 (UTC)
- ご無沙汰でした、そして、ありがとうございます。偉そうなんてまったく思いませんし、言いたいこともよく分かります。ただ、ちょっときついね、書き方が(苦笑)。--Huskys 2008年7月23日 (水) 09:14 (UTC)
- でしょーね(苦笑)。まあ、これ見て「俺と思ってることおんなじこと指摘されてるんじゃんかコイツww」なんてことを思って、単純にそのまま乗り込んできちゃうような人に言っておくと「それは浅知恵ってやつだから、悪いことは言わないからやめとけ」っていう感じですけど。
- ま、「必要なのはeliminate(削除)じゃなくてsublimate(昇華)じゃないかなあ」とか(俺の最近の命題)、そんなようなことが言いたいことの「芯」なので、それ以上でも以下でも以外でも、ヘタに引用しちゃうと、「お前見誤ってるぞ(笑)ということになりかねんので要注意ね(笑)」ってことで牽制球ひとつ。--ish-ka a.k.a.lisky@s.i.b! (talk/wikimail/contributions)2008年7月23日 (水) 09:47 (UTC)
- あ、上のお話は、便乗して、単にファンサイト的記述を咎められたとか削除されたことに逆上して、便乗して自分の攻撃をしようとしている人の為に書いたわけではないですよ、ということね。自分が説明するんも妙な話だけど・・・苦笑。正直、ishi-kaさんもちょっと「言葉足らず」な時があるかも。ただishi-kaさん、やはりあまりに問題あるネタ記述とかファンサイトと勘違いしている記述は削除もやむなし、とは思いますよ。「削除じゃなく昇華」というのは理想ですし、本意は勿論分かっていますが、それだけでは済まない場面も多々あることも事実です。要は、あちら側(そうした記述に固執するユーザー)にも、会話や、方針に基づいたやんわりした諫めなどお構いなしに記述をしたり差し戻したりするユーザーがいるということ。そういう輩に手を焼いて、私のような対応を取るベテランユーザーは他にもいるし、彼らの対応がいつもまずいとは言えないんじゃないでしょうか?勿論、私の至らなさとは別にしても。繰り返し、苦言する内容は分かるし賢く振る舞う必要性もわかるけれども、だったら、そういうユーザーにishi-kaさんのような、根気強く賢いユーザーが、うまく立ち振る舞って「お手本」を見せてほしいという感じもあるかな。もちろん、今までにそうした局面で、あなたにしても、自分などより苦労して、上手くやってきていることがあるのは承知の上ですけれども。--Huskys 2008年7月23日 (水) 09:56 (UTC)
戻しますね。
「言葉足らず」なのは、まあ、わざとやっていることもあるし(今回はわざとです。わざわざ「ある程度空文」にしておくことで、ホントに引用してなにかやったユーザがいたとしたら、よほどきちんと意図を掴んでいない限りは、そいつは「使えないヤツ」「啓蒙できないヤツ」ということがいえるわけで)、ぽっかり抜けちゃってて「申し訳ないっ」って平謝りすることもあるし、時々ですかねえ(俺ってば性格悪い)。
とまあさておき。「削除による昇華」というのも、アリなのだけど、コレってもの凄く難しくないですか?結果的にも、対外的にも。どうせやるなら全編に渡って精査しておくべきだと思いますし、しかしこれにはかなりの人的リソースがかかるし、かといって一部だけでやろうものなら「アレはいいのにコレはだめかよ」的な中途半端さが付きまとうし、記事としてレベルが上がってるかどうかといえば、そんなこともなかったり…。俺がリソース使って大々的に整理した項目にテイルズオブデスティニーがあるのですが(2007年10月ごろの、Hi-ask名義の編集がそれ)、アレもかなり時間をかけて、自分の手元にあった資料精査して、ってやって、それでも「何で消すんだ」といわれたんですよ。それほどに難しいと思っています(さらに言えば維持はもっと難しい…)。
はっきり言って俺はそんな所にはリソース使いたくないし、ならもっといい方法を考えないといけないなあと思っていたり。だから「やるなら1month/記事位の期間をかけてじっくりやる」とか、あとは「もっと上のスコープ(ウィキプロジェクトとか、方針文書とか)から攻める(ガイドライン制定とか)」とか。このあたりなんかデジャヴュですけど…。そういうところを、できればやってもらえたらなあ、という。
自分について言えば、強行突破(=Hi-ask名義での編集)はあまり上手くいかなかった(予想外にカミングアウトしちゃったってのもあるけど、あれはまあ、Chakuwikiでニセモノが出現したりしたし)ので、今のところは、そういうジャンル(サブカルチャー系)には我慢して手を出さないようにしていますし、より自分が詳しく解説できる「酒」というジャンルをメインに改稿していたりするのです。このあたりは後々何かに生きるのかな?とは思う(おっしゃるような「お手本」としても)けれど、今はせいぜい井戸端での議論に参加したりするのが限界のような気もしていたり。
なんかに任せて書くとまとまらなくてダメですね。とりあえずはこんなところで。--ish-ka a.k.a.lisky@s.i.b! (talk/wikimail/contributions)ish-ka 2008年7月23日 (水) 12:50 (UTC)
- ishi-kaさんのノートにも失礼しました。レスは消しておいても良いかなと思ったんですが・・・苦笑。何だったら、消しておいて貰っても良いですんで。言われること、よく分かります。デジャヴにさせてしまい申し訳ないとも思いつつ、特に2~3段落のお話、その通りと思います。最初に言われた「ラクしすぎ!」ということに尽きるかなと・・・苦笑。確かに、「どこまでを残してどこまでを削るのか」というのは、難しい所もあると思います。ノートでの議論が必要なのもあります。ただ一方で、常識で考えればわかること」という、通念上どうなのか、という線引きもやはりないと、ここの記事で延々、ともすると屁理屈をかざして、そうした記述に固執する輩に向き合うのか、という面も抱えているようには思います。実際、合意をとりながら進めていくのは難しいですし、大切なことだとも思います。しかし、他で言っていた人の言葉を借りれば、「合意を取って、懇切丁寧向き合って行くべき相手なのか」というユーザーも、残念ながら存在します。勿論、ish-kaさんも、それらユーザーがいることは百も承知の上で、周りのユーザーがどう振る舞うか、という問題ではあると思いますが・・・。あと、何をしにWikipediaに来ているのか、というのは、それぞれで良いと思います。もっとも、いわゆるファンサイトと完全にはき違えているユーザーは論外で、そこはきちんと諭していくしかなと思います。全体を通して言えるのは、「方法論」であって、そこは謙虚に聞かねばと思いますが、繰り返し、常識で考えれば分かるだろ」という通念を、まったく出さずに、いわば性善説だけで行くのも無理があるとは思います。
- おさらいすると、ishi-kaさんの言う、雑草取りをするなら、不本意ながらも根気よく、理不尽な場面が多々あっても、やるにあたってはそれも織り込んで向き合うべし、というのはもっともな正論です。ただ、なかなか向き合うのに難儀するユーザーへの接し方に、絶対的にこれが正しい、間違っているというのはないと思うのです。指摘は良いと思いますが、私も、ish-kaさんに「それは間違っている」と決め付けたことはないです。いろいろ考え方もあると思うし、今後も、我々の間では遠慮なく意見交換したり、協力したりできれば幸いです。--Huskys 2008年7月23日 (水) 14:59 (UTC)
編集合戦の回避に関して
こんにちは。一部の記事でファンサイト的な記述で差し戻しあいになっている所を見ましたが、差し戻しにされた後すぐにソレを返すのではなく、3回目くらいから{{要出典}}のタグを利用してみてはいかがでしょうか?出典のない記述の除去は正当なものですが、ファン的な記述でも出典が示されて中立的に書かれれば、それはそれで有効な記述ですし。また、削除する際に「ファン的な記述は不要」などとばっさり切るのではなく、「出典のない、中立的な観点を欠いたファン的な記述を除去」などでウィキペディアにおける基本方針を明示した方が説得力もあります。それでも、差し戻しになった場合に{{要出典}}のタグを使用、といった手段をとったほうが良いかと。{{要出典}}のタグ自体、元は編集合戦を避けるために作成されたタグですので、バカスカ貼られるのも問題ですが、適切に使えば問題にはなりません。少なくとも、現状の強行の状態では反感を招き摩擦もおきやすいので、もう少しルールを明示して正論をぶつけるなどの方法で他者との摩擦を少なくすれば、不要なな編集合戦的な差し戻しあいや無用な保護依頼は少なくなるはずです。ご検討ください。--ぽーるべあー 2008年7月29日 (火) 10:19 (UTC)
- おつかれさまです。おっしゃる通り、細部に関しては難しい部分もあると思います。出典があり中立的に描かれているものまでを否定しませんが、一方で、出典さえあれば何でも書けるのか、的にはき違えているユーザーや記述内容も目にしますよね。この辺、どう線引きするのか、確かに難しいです。ただ、タレントやアナウンサー記事を中心にした、憶測やネタ、事実であっても内輪受け的、あるいはそこに主観や評論を織り交ぜてしまっている、といった記述内容は、いちいちノートで議論しているなんていう悠長なことはできないと思います。なぜなら、そうした方針を理解していないユーザーは次々となだれ込んできていますし、もう長年このテーマはいたちごっこ的に、多くのユーザーが手を焼いていることでもあります。ただ、段階を踏むとか、意地になって差し戻すユーザーがいても、安易に編集合戦を招かないことは必要だとは感じます。--Huskys 2008年7月29日 (火) 10:26 (UTC)
- 横から出てきて3つほど。上で言ったことが全然伝わってなくてちょっと思うところが多すぎです。今回ははっきりとした「依頼」です。提案ではなく。
- ひとつ。上で俺がチャチャいれ終わってから、今までにHuskysさんが編集したもののうちいくつかを差し戻した上でやり直しておきました。これくらいの手間はかけてください。今Huskysさんが言われているのは「Huskysさん自身のこと」です。ほかのユーザのことではありません。「不要な編集合戦や保護依頼をかけないように努力してくれ」と言われているのがわかりませんか。再度言います。「ラクをしすぎです」。自身おっしゃっているように、段階を踏んでください。これも、言うの多分3回目くらい。「いちいちノートで議論しているなんていう悠長なこと」をやってください。編集はHuskysさんだけでやるわけではありません。ペース下げて、じっくり取り組んでください。Huskysさんがやらなかった分は他の誰かがやるでしょう。Wikipediaコミュニティにはそういう作用が期待されていますし、実際ある程度は機能するでしょう。
- ふたつ。履き違えてるユーザや記述をどうにかするのは、記事の編集では無理です。というか、完全に畑が違います。ガイドライン制定するとか、ユーザ一人ひとりに対してコツコツ働きかけるとか、そういう行動の結果によって徐々に結果がでるようなタチのものです。Huskysさんの今のやりかたは、「花壇をきれいにするのに全部抜いてしまって、黒土だけの花壇見ながら「きれいになった」といってるようなもの」です。一瞬きれいに見えるかもしれません(それで満足であるなら構いませんけれど。ただ、それに無用な軋轢を招けば普通のユーザからも煙たがられるだけでしょう)が、それはむしろWikipediaの理念とは逆を行くものになると思っています。
- みっつ。そろそろ転嫁するのはやめにしませんか。「はき違えているユーザーや記述内容」があったら「それを削除」するんじゃなくて、「記事を良くする」ために「編集」してください。わざわざ軋轢を生みそうな削除なんてしなくたって記事はよくすることが出来ます。「たったひとつじゃない冴えたやり方」を探してください。今の方法は「ベター」ではありません(see ノート:友近。あれほど無用で、意味のない議論はありません。アレを起こした一端になったのは間違いなくHuskysさんです。それを自覚して欲しい)。
- 以上です。かなりドぎつく書きました(2/3はわざとです。ただし残り1/3が笑顔だったりはしません)。よろしくお願いします。返信・要約無用です。--ish-ka a.k.a.lisky@s.i.b! (talk/wikimail/contributions)2008年7月30日 (水) 04:21 (UTC)
インテンド、戻します。 ishi-kaさんの言われることは分かります。しかし、あなたが何度言おうが、その、自分は絶対的に正しいという前提がある感じで、上から諭すような物言い、接し方で向かわれるのはいかがかなと。その、返信・要約不要です、というのも、根本に「俺の言っていることは正しいんだから、あんたは黙って聞いていれば良い。どうせ返すのは要約なんだから」的な、驕りとは言わないまでも、やや身勝手なものを感じます。でなければ、返信不要などと、相手に物を言わせないのか、と受け取られかねない発言は控えるべきです。あなたにそのつもりがなくとも、です。あなたに指摘されている、私の対処も傲慢があるかもしれませんが、あなたの私に対する接し方も、傲慢気味です。この点は、少し反省してもらえればと思います。 あなたにすれば、「本当に分かってくれている?」と思ってしまうのも分かりますが、あなたの言っていることは分かりますし、間違っていない部分が多くを占めていると思います。おかしいものがあっても、やり方とプロセスがあると。ただ、それであれば、私も何度も言いますが、ネタ的記述、憶測記述に辟易して、対応に苦慮しているのは、私だけではないのです(あなたは、私だけがそう思っていると強調しますが、とんでもない事実誤認です。長らく参加されていて、同様の局面に多く遭遇している人の発言とは思えません)。では、出典なき、個人の憶測記述は勿論のこと、いくら出典があろうと、事実につなげて、個人の主観賛美中傷、憶測記述は、即削除の対象ではないのですか?すべてが即削除の対象にはならず、ノートなどでの議論が必要なのは勿論ですが、一方で、即削除対象、やむなしの記述もあるはずです。あなたほど、ウィキペディアを勉強して努力されている方なら、もう少し、その辺も言及して、「でもね」的に言ってくれないと、なんだかバランスを欠いているように見えてしまいます。あと、履き違えてるユーザや記述をどうにかするのは、記事の編集では無理です。との発言も、半分分かりますが、編集対応では無理、と断言するのも、あなたの私見だと思います。正確には、どちらも必要な場面があるはずです。 総じて、あなたの言っていることは分かりますが、同じ土俵に立った物言いをしてもらえると助かります。あなたは私の師匠でも、先生でもありません。前から言っているように、率直な指摘は歓迎ですし、それで互いに高めていければとは思いますが、私はあなたにそんな言い方をしたことはないはずです。あなたは無自覚かもしれませんが、上から、俺が先生だ的な(そう受け取られかねない)接し方はどうかと思います。--Huskys 2008年7月30日 (水) 10:00 (UTC)
- いくつかに分けます。話の分かれるところには「◆」をおきます。
- ◆まず、「正しい」ってなんですか?俺は一度たりとも「正しい」か「間違っている」かというような二元的な考え方をしたことはありません。ただし、自分の言っていることに「理があるかどうか」ということは常に意識してはいます(「筋が通っている」とかこの際言い方はなんだっていいですが)。そして、今回、そしてこれまでに何度かHuskysさんにお話している「もっといい方法でやってくれ」というのは「理がある」と思っています。
- ◆「返信・要約不要」について。「俺は何度か同じことを言った。だから「おっしゃることはわかる」と言うならもう行動してくれ」という意思表示以上でも以下でもありません。この言い方がかなり指弾的である(お前黙ってろ的な言い方である)ことは確かですが、直球ド真ん中ストレートな言い方であるとも思います。だからこの言い方をしました。
- ◆以上を通して。俺は、「自分の評価」なんて知ったこっちゃないんですよ。こういう言い方をすれば「ish-kaって傲慢な奴だ」と思われるかもしれない。でも、「これ以上にストレートに伝わる表現=無駄も飾り気もない表現(それは時にナイフのように鋭いかもしれません)」をしたければ、そんなことは気にもなりません。ここ、と言うときに「自分の評価」なんて瑣末なものにとらわれて、「伝わるかどうか解らない表現」をするくらいなら、話に筋をきちっとつけることを選びます。
- ◆少し飛ばして、「出典のない~」以降の部分。よく使われる「ウィキペディアはファンサイトではありません」ですが、あれって実はWP:NOTには一語たりとも記述がないのをご存知ですか。どういうものが「ファンサイト的記述」であるか、ガイドラインすらないんですよ。「そんなのウィキペディア=百科事典だって考えればわかろうに」というのは当然ですが、唯でさえ線引きが難しい、主観の混じる概念であるのに、「どういったものが「ファンサイト的」なんです」というようなものもないのでは、各人一人ひとりに、まったく異なる「ファンサイト的ってこんなもの」という概念がある可能性だってある。ここまで前置き。
- で。WP:NPOVにはこのように書いてあります。
特別なケースがひとつ考えられます。審美的な判断にかかわるものです。 ウィキペディアの記事の一部はアート、アーティスト、その他クリエイティブな話題(例えばミュージシャン、役者、本、テレビゲーム、など)を扱うもので、 執筆者が感じたことを表現する傾向にあります。 これは、百科事典にそぐわない記述だと言えるでしょう。だれそれが歴史上最も偉大なベーシストである、といったことについてはわれわれは意見の一致を見ることができないでしょう。 ですが、あるアーティストや作品が一般大衆や、批評家や、有名な専門家などにどのように受け止められたか、という情報は実際のところとても重要なものです。 ある作品についての一般的な解釈の概説をすること、それもできればその解釈を提唱している特定の著名な人への言及なりその人の引用をつけて、はよいことです。 例えば、シェイクスピアが英語による著述家の中で最も偉大な人の一人だということは、どこかの生徒が百科事典から学ぶべき重要な知識でしょう。 ただし、注意して下さい――作家や作品が大衆や批評家にどのように受け止められたかを判断するためには、下調べが必要でしょう。 ですが、そのような情報は百科事典にとっては非常に重要で、ウィキペディアの執筆者の独自の見解は重要ではありません。 Wikipedia:中立的な観点のこの版から引用
- つまり、「瑣末な評価は必要でないが、そうでない評価はとても重要である」と。それを分けるのはどこか。ノート:友近で海獺さんもおっしゃってたように、出典です。つまり、「どこからが瑣末な評価で、どこからが重要な評価であるのかがわからない場合は、削除でなく要出典で対応すべき」ということです。「ステップを踏め」というのはそういうことです。
- ◆「おっしゃることはわかります、でもね」について。俺はこのモノイイが実はあまり好きではありません。Huskysさんがもし営業系や接客系などの仕事をされているならば釈迦に説法でしょうけれど、これは、いわゆるクレーム対応に用いられる論法(つまり、「そうはいうけど、結局どうにもならないんですよ」というやわらかくも強い拒否をあらわす論法)だからです。
- 問題があるであろうことがわかっていて、「yes,but」でつないでしまえば、結局そこから次に行くことはないでしょう(クレーム対応が、結局相手に納得してもらうのが前提であるように)。「yes,then(そうだね、であるならば)」でつなぐべきです。これなら理想100%にはならなくても、ひとつ次のステップに踏み出せる可能性があるように思います。
- 「履き違えてるユーザや記述をどうにかするのは、記事の編集では無理です。」というのは、「記事の編集からの改善で「対応に苦慮する」のであれば、別の視点から責めるべきでしょ?」というthenの結論に過ぎません。俺はそろそろ、Huskysさんくらいアクティブな人には、「次」を考えていて欲しいと思っていたりします。
- ◆最後に。同じ土俵に立っているつもりです。立っていなければ、俺はむしろ何も言わないでしょう。勝手にやって、勝手に保護をかけて、論争になってしまえばいいと思っているでしょう。でも、そうじゃない。ガキの俺からこんな強い物言いをされれば腹も立つと思いますが、本質的な部分を見ておいて欲しいと思います。オブラートに包めばいいってわけじゃないと思っています。
- ◆長くなりましたが以上です。時間なくて推敲できていないので、誤字脱字があるかもしれません。ご容赦ください。--ish-ka a.k.a.lisky@s.i.b! (talk/wikimail/contributions)2008年7月31日 (木) 04:08 (UTC)
- ファンサイトでない、という独自概念を根拠にした大幅な情報削除が目に余る、という節を上に書いたものです。Ishi-ka氏も言われているとおり、このHuskys氏が「使い方は難しい」とか言いながらも、単なる削除荒らしと認知できるほど、またそれによって無用な混乱、編集合戦を引き起こす元凶になっており、その行動根拠は、「ウィキペディアはファンサイトではありません」とかいうまったくの独自方針です。各編集合戦のノートはもとより、このノートだけでも複数の利用者よりまったく同じ論調の批判がありながらもなお、行動を改める気配が一切見られません。しばらく様子見、猶予を置いた後、なお問題行動が改善されないのであれば、最終的にはこの利用者を排除すべく編集ブロックを見据えた上でのコメント依頼を提出してみてはどうでしょうか。--121.84.114.163 2008年8月29日 (金) 05:17 (UTC)
- Huskysさんは「上からの物言い」をされることを嫌がっておられるようですが、ご自身が他の人に対してそのような物言いをしているのには気づいておられないのですね。まさに「ああ言えばこう言う」状態です。--コウキ 2009年10月18日 (日) 00:09 (UTC)
お詫び!
初めましてそしてすいませんでした。さっきの「ミヤネ屋」ついては失礼しました。時間拡大として間違ったことですけどごめんなさい!--58.87.186.209 2008年8月12日 (火) 11:50 (UTC)
- いえいえ、とんでもありません。あちらにも書きましたが、おそらくそういった意味だろうなとは思いつつ、といったところでした。かえってご丁寧に恐縮です。--Huskys 2008年8月12日 (火) 14:00 (UTC)
太田雄貴について
ノート:太田雄貴にコメントいたしました。スポーツ選手に限らずWikipedia:存命人物の伝記にあたる人物記事、会社記事、警察署記事なども真新しいニュースで何か(例えば不祥事)があった場合に重要性を考えることなく、加筆がされることが多いように思います。英語版ですとen:Wikipedia:RecentismにWikipedia:最新情報の記載について(仮称)といったものがあり、NBA選手や芸能人のゴシップやさして重要でない内容を記載することについて、最新情報を更新することは良いことであるといった意味のことも書いてはあるようですがどこか適切なところを考えて翻訳依頼を出そうと思っています。(Wikipediaの関連文書がらみのところには出しましたが。)--Tiyoringo 2008年9月6日 (土) 02:53 (UTC)
- おつかれさまです。全く同意です。当該ノートとTiyoringoさんのノートにお返事しておきます。--Huskys 2008年9月6日 (土) 02:58 (UTC)
上杉隆の経歴について
こんにちは、山本山815と言います。上杉氏の経歴は、出版物に従い「NHK報道局勤務」とすべきだと思われます。 この著書は、上杉氏が書いた物ですが、(『ジャーナリズム崩壊』(幻冬舎)/『官邸崩壊』(新潮社))それぞれ、名の知れた出版社の編集者のチェックを経て出版されています。
検証可能で、しかも第三者の目を通過した信頼のおける出典にもとづき、これらの経歴に合わした方が良いと思われます。
なぜなら、「記者見習い」と裁判で判断されたと言っているのは、上杉氏本人であり[2]、現時点でその判決を第三者が検証することは出来ません。--山本山815 2009年3月9日 (月) 08:49 (UTC)
- たびたび失礼します。 今、検証可能で、第三者の目(複数の編集者)を通過した出典(『ジャーナリズム崩壊』(幻冬舎)/『官邸崩壊』(新潮社))では、「NHK報道局勤務」となっているため、そう記述すべきだと思われます。 「記者見習い」も「NHK報道局勤務」も「同じだ」という見解には無理があるように思われます。 上杉氏を持ち上げたり、けなしたりする意図がある中で、第三者の目を通過した、信頼のおける出典に即して、淡々と記述する事がWikipediaにとって大事なことだと思われます。 もちろん信頼のおける出典があれば、「アルバイト」でも「記者見習い」でも良い訳ですが、一般論として、出版された書籍の経歴に沿って記述することが、Wikipediaでは望まれるのではないでしょうか?--山本山815 2009年3月9日 (月) 11:15 (UTC)
細部の編集について
日頃の編集活動お疲れ様です。偏った記述やファンサイト的記述の削除などで記事の質の向上に寄与されておられる姿を拝見して、頭が下がります。しかし、すべてに細部の編集のしるしが入っています。Help:細部の編集にあるように、大きな記述の削除は細部の編集にはあたらないかと思います。オプションの「細部の編集をデフォルトでチェックする」のチェックをはずしていただきますようにお願いします。細かいことですが、細部の編集となっていることでウォッチリストに出ない設定の人もいますので、お願いします。--114.153.84.160 2009年5月18日 (月) 08:14 (UTC)
Goodproです。
- こんにちは。編集ご苦労様です。さて、こちらの件のご意見を頂きたく、お願いに参りました。コメはリンクにてお願いいたします。--Goodpro 2009年6月1日 (月) 01:42 (UTC)
削除依頼サブページの残骸について
すみませんが、書きかけと思われるWikipedia:削除依頼/小笠原淳20090802というページが残っていますので、即時削除の措置をとっていただけないでしょうか。--倫敦橋 (Londonbashi) 2009年9月10日 (木) 21:32 (UTC)
ご対応がないようなので、こちらで依頼の不備を補った上で、即時存続意見をつけておきました。--倫敦橋 (Londonbashi) 2009年9月22日 (火) 21:23 (UTC)
- お返事が遅れまして、申し訳ありません。元の依頼の際、サブページタイトルの日付を間違え、どうすれば削除できるのか分からず、書きかけのまま残ってしまったことで、お手数かけることになってしまいました。申し訳ありません。倫敦橋さんのノートにも返信させて頂きました。宜しくお願いいたします。--Huskys 2009年9月23日 (水) 04:24 (UTC)
細部の編集について
こんにちは。Huskysさんがこの編集で細部の編集とは思えない編集をしていますが、細部の編集がついています。「個人設定」→「編集画面」→「細部の編集をデフォルトでチェックする」が設定されているためと思われますので、設定を解除していただくか、細部の編集でない場合にはその都度「これは細部の編集です」のチェックをはずしていただくようにお願いします。Help:細部の編集もご一読ください。--Sanjo 2009年10月6日 (火) 05:37 (UTC)
土屋敬之における要約欄の虚偽記載と記述除去について
Huskysさんは本人HPに大学卒業は記述がなく、真偽不明。と要約欄に書いて獨協大学出身を削除されました[3]。どうしてそのような虚偽を要約欄に記述して削除されたのでしょうか?本人HPには協大学法律専攻科修了と記述されています。--Chichiii 2010年6月6日 (日) 12:21 (UTC)
- 横から失礼しますが法律専攻科が現在存在しない組織?と見られるためHuskyさんが誤解されたのだと思います。獨協大学を見ると1977年大学院法学研究科修士課程を設置。とありますがそれまでは専攻科#大学の専攻科が存在していたものと推測されます。現存しない組織ですと専攻科の位置づけがわからず学部卒業ではないのではと思われたものかもしれません。その後東北歯科大学にも入学していることからよけいそうお感じになったのではないかと思います。--Tiyoringo 2010年6月6日 (日) 13:26 (UTC)
- 失礼しました。Tiyoringoさんに説明頂いた通りだと思います。--Huskys 2010年6月6日 (日) 13:36 (UTC)
- ご理解ありがとうございます。--Chichiii 2010年6月6日 (日) 13:47 (UTC)
松永真理の編集の件
Huskysさん、こんにちは。初めまして、竹富島です。松永真理の編集の件で質問です。
Huskysさんが、2010年6月29日 (火) 20:21(UTC)の編集の要約欄で「一般人の家族の氏名は方針違反」と書かれているのですが、Huskysさんが書かれている「一般人」には、松永真理さん、松永市郎氏も含むという理解でしょうか。--竹富島 2010年6月30日 (水) 14:35 (UTC)
札幌南高校編集について
こんにちは。Sickmanと申します。札幌南高校についての記述で、医学部志向が強いという趣旨の記事を「賛美記事」と書かれて削除され北大、道外私立についての記述は削除されなかったのはなぜでしょうか。基準が主観的に過ぎると思うのですが。--Sickman 2010年8月23日 (月) 14:29 (UTC)
- こんにちは。そちら様のノートにお返事しておきます。--Huskys 2010年8月23日 (月) 22:41 (UTC)
こんにちは。お返事ありがとうございます。 Huskys様の文章を読む限り、学校の「概要」の節に進学のことを書くのは間違いだとおっしゃっているように思えるのですが、「進学」という節を作れば許される(もちろん過度な誇張や賛美記述は論外として、事実のみを書く)という理解で良いでしょうか。それとも百科事典であるがゆえに大学進学についての記事は不要であるとのお考えでしょうか。 日比谷高等学校、灘高等学校その他多くの進学校においては大学進学実績が高いことが大きな特徴として扱われ、両者の東大合格者数の盛衰までもが書かれていますが、これについてのご意見を伺いたいです。--Sickman 2010年8月25日 (水) 15:09 (UTC)
- 再び、貴殿のノートにお返事しておきました。--Huskys 2010年8月25日 (水) 15:51 (UTC)
こんにちは。お返事どうもありがとうございます。 学校記事については賛美的記述をしたがる一部の人間がいることも確かですし、事実と賛美記述の線引きが難しいこともありますし慎重になるべきですね。おっしゃること良くわかりました。お手数をおかけしました。--Sickman 2010年8月26日 (木) 15:25 (UTC)
発言はもう少し穏やかに
要約覧でのこの発言、こういう命令口調はできるだけ控えてください。こういう命令口調で誤りを指摘して、これに激高した原執筆者と編集合戦になったケースが多々あります。よろしくお願いいたします。--121.93.158.11 2010年11月15日 (月) 06:46 (UTC)
常口アトムのノートのご参加のお誘い。
- 初めまして、私は常口アトムの編集履歴からあなたのノートページに訪れました。今回私は常口アトムのノートにて、編集の形成とローカルルールの制定について、ご意見を伺いたいと考え、今回あなた様にご要請致しました。--サンダース大佐 2011年3月7日 (月) 09:53 (UTC)
貴兄の行為について
Wikipedia:井戸端/subj/結局、伝記記事の「略歴」節は記載してもよいのでしょうか、駄目なのでしょうかにて問題になっているためご連絡いたします。--Shutokeisatsunijuyoji(会話) 2014年11月15日 (土) 21:09 (UTC)
久米宏での編集について
こんにちは。「本人が3人とテレビで発言」したとして姉弟数についての編集を行っていらっしゃいますが、「TVで観た」というのはWP:TVWATCHに該当しており検証可能性に反する記述となります。
「本人が3人とテレビで発言」したことが確認できる出典または姉弟数について言及されている出典をご提示のうえ変更をお願いいたします。--103.90.19.83 2019年7月19日 (金) 07:31 (UTC)
- こんにちは。2019年7月19日放送のNHK「あさイチ」内プレミアムトークで間違いなく話しているのですが、その部分を語った動画があると良いですね。番組で語ったのなら、その記述も出典たり得ますでしょうか。--Huskys(会話) 2019年7月22日 (月) 16:07 (UTC)
追記。ありました。こちらですttps://youtu.be/CcYBHmT33i8?t=1617(スパムになるため、冒頭のhを削除しています)--Huskys(会話) 2019年7月22日 (月) 16:23 (UTC)
2021年ウィキメディア財団選挙の候補者を紹介します
こんにちは!
2021年ウィキメディア財団選挙が8月に始まります。今年の理事会選挙は、2021年8月4日から17日まで実施されます。ウィキペディア日本語版の編集者を含むウィキメディア・コミュニティのメンバーは、3年の任期で4人の新しい理事を選出する機会があります。理事会選挙の開始に先立ち選挙運動期間が設けられており、この期間中にコミュニティが候補者と顔を合わせる機会があります。
- ウィキメディア財団における理事会の役割は何ですか?
- 候補者紹介
- 今回の選挙には20名の立候補者がいます。候補者についてはこちらをご覧ください。
理事選挙をサポートするファシリテーター チームは、選挙運動期間中にいくつかの活動を用意しています。
7月31日(土)の19:30(JST)から、日本を含むアジア・太平洋地域のユーザーが候補者と交流できるオンラインイベントが開催されます。日本語による同時通訳も提供される予定ですので、どうぞお気軽にご参加ください。
- こちらのフォームから事前に参加登録をお願いします。
- フォームのプライバシーポリシーをご確認ください。
その他の活動については、メタウィキの理事選挙ページをご覧ください。
ご質問がございましたら、ファシリテーターか選挙ボランティアまでお問い合わせください。
選挙ボランティア一同 2021年7月24日 (土) 15:04 (UTC)
このお知らせは2021年ウィキメディア財団理事会選挙ボランティアにより作成され、botにより配信されました。 •フィードバック •購読解除
まもなく終了 理事会選挙へ投票のお願い
Huskysさん
こんばんは。お忙しい時間帯に恐れ入ります。
2021年ウィキメディア財団選挙は最終盤に入っております。これまでご協力いただいた皆様、ご投票いただいた皆様に心より御礼申し上げます。
もしHuskysさんが投票をお済ませでなければ、ぜひこちらから清き一票をお願いいたします。
ウィキペディア日本語版の運営にも深く関与する理事会の候補者の選出に際し、投票資格をお持ちの数少ないユーザーの一人であるHuskysさんのご意見を反映することは非常に重要だと考えています。
投票いただくに際し、まず19名の候補者からHuskysさんが支持する方をお選びください。 支持する候補者を選んだら、支持する順に候補者の名前を選び、投票ボタンを押すだけです。 所要時間は5分未満で、完全な匿名性が保証されます。
投票は、日本時間の9月1日(水)の朝9時に締め切られます。
ウィキメディア財団の運営にウィキペディア日本語版コミュニティの意見を反映させるために、Huskysさんのご協力を重ねてお願い申し上げます。
どうぞよろしくお願いいたします。
--選挙ボランティア一同 2021年8月31日 (火) 11:17 (UTC)
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「伊藤初代」において、主語などを省く編集について
Huskysさん、はじめまして。伊藤初代の記事において「初代」という主語が多用されているということで、多いところを省いていただきありがとうございました。ただ彼女の子供が亡くなったところなどでは、あまり主語や所有格を省きすぎてしまうと、文意が容易に飲み込みにくくなる場合もあります(興味の薄い人や、ネイティブの日本人以外の方々が読んでも、なるべくわかりやすいようにしています)。また、「川端の中にあった初代の〈少女〉の姿はなくなった」の箇所で、「初代」を省いて「川端の中にあった〈少女〉の姿はなくなった」となってしまうと、文学的な意味の正確性も損なわれますので、そういう大事なところまで省かれてしまうと困るのです。なので、のちほど精査して戻す箇所もありますが、ご理解願えればと思います。よろしくお願いします。--みしまるもも(会話) 2022年4月8日 (金) 01:51 (UTC)
- みしまるももさま、はじめまして。大変ご丁寧な返信をいただき、ありがとうございます。そして、こちらの本意をご理解いただいて感謝しております。書きました通り、Wikipedia人物や団体記事などで、それと分かりきっている記事内、あるいは見出しをつけている項目内にて、明らかに意味が通じるのに当該固有名詞を枕詞につけているのは、一般世間的な編集ルールに沿わず、何より読みづらいということはありますよね。もちろん、仰せのように興味の薄い人や日本語ネイティブ以外の方々に分かりやすく、というのは理解できます。ですが、それを言い出すとすべての記事にご丁寧にそのたび固有名詞をつけなければならない気もしています。
- ただ、ご指摘の箇所などは確かに正確性の意味で損なわれるかもしれず、大変失礼しました。当該記事の修正も長時間をかけてじっくり吟味しているわけではないのですが、必要性の高いと思われる箇所以外、なくとも明らかに通じる、ネイティブ外の方でも読み直せば通じる箇所は極力省いていきましょう、といった感じと思っております。こちらこそ、ご面倒かけますがよろしくお願いいたします。--Huskys(会話) 2022年4月8日 (金) 07:24 (UTC)
- Huskysさん、丁寧なご返信どうもありがとうございました。今回、Huskysさんのご指摘で私も学ばせていただいた点がございました。文章を組み立てる際に予備知識のない人にもスムーズに誤解のないように理解でき、なおかつ、固有名詞の主語がくどくならないよう、そうした点をうまく両立させ工夫しつつ今後の編集に生かさせていただきたいと思います。こちらこそ、今後ともよろしくお願いいたします。いろいろ参考になりどうもありがとうございました。--みしまるもも(会話) 2022年4月9日 (土) 01:34 (UTC)
佐藤愛子 (作家) について
はじめまして。遠藤進之助と申します。
大幅に紙面をカットされていますが、現在の 佐藤愛子 (作家) の記事紙面を一覧すると、導入部を除き、以降は、ほどんと箇条書きばかりが目立つ紙面となってしまっています。
ウィキペディア当局がすすめるのは、節(セクション)の内容は、箇条書きばかりではなく、自分の文章で綴ってください、と提唱しています。正確には以下のような記述がありました。
「事項の箇条書きのみで構成された節を避け、一連の文脈を持った文章として記述するべきです」
Wikipedia:おすすめ記事 https://w.wiki/Aoez の中で、源義経 https://w.wiki/3Zub が「秀逸な記事に選ばれたもの」として挙がっています。
Huskysさんの場合でしたら、源義経の記事も「百科事典」ではなく「伝記」として大幅にカットしてしまいますか?--遠藤進之助(会話) 2024年7月31日 (水) 23:29 (UTC)
- https://w.wiki/AoiX
- 「略歴に紛れた記述者の評論や感想を除去。」との編集理由があります。しかし、僕が考えるには、作家佐藤愛子の人物を語る場合、それ以外に職歴のないことは重要なことであると思います。この人物を語る場合、そのことに「特筆性」が存在すると考えています。
- 僕の編集が全面的に正しいなどとは考えていませんが、必要な箇所も無造作に削除されてしまっているように感じています。ひとつひとつ精査する時間が今はないので今日はここで筆を置きます。--遠藤進之助(会話) 2024年8月1日 (木) 04:36 (UTC)
- 遠藤さま、ご丁寧かつ冷静なメッセージをいただきまして、ありがとうございます。
- >「事項の箇条書きのみで構成された節を避け、一連の文脈を持った文章として記述するべきです」
- おっしゃる通り、いくら伝記のようなことをつらつらを書き連ねるのがいかがなものかとはいえ、箇条書きでなければならないという決まりもありませんよね。文章になっているのが悪いなどというルールは存在していませんし、私の編集が「箇条書きにすること」が目的ではないことは、投稿履歴をご覧いただいてもご理解いただけるかと思います(私の編集後に、さらに箇条書き的にシンプルになっているようです)。
- ただ、一方で上の引用にもあります通り、遠藤さんが繰り返し「佐藤愛子自身が」と、いちいちフルネームを繰り返すことや、瑣末なエピソードを延々書き連ねることで、無用に人物や出来事の項目が膨らんでしまっていることも事実かと思います。他記事でも逐一編集しているのですが、基本的な文章の書き方として、僭越ながら、当人の記事で、それとわかるのに、「佐藤愛子が」や「佐藤が」といった逐一の記述は、無用かつ可読性も損ないます。当人の名称を付記する必要があるのは、あくまで複数人が出てきて意味が通りにくくなる場合のみでしょう。そこは、当該記事に限らず、今後の記述面の改善点としてご理解いただければと存じます。
- あと、伝記的な記述な否かは明確な基準があるわけではないかもしれませんが、おっしゃるように「源義経ならよくて、佐藤愛子はダメ」ということはないでしょう。源義経だろうと徳川家康だろうと、延々と(おもに記述者の思い入れも反映したような)伝記的記述で占めてしまうのがどうなのか、これは管理者も含めて他の皆さんの判断も仰ぐのが良いかもしれません。実際、大幅なカットは私がしましたが、他氏も編集はされていますので。
- 遠藤さんに言っていただいたのと同じく、多少手荒いかもしれませんが、私も自分が全て正しいとは思っていません。ただ、Wikipedia:中立的な観点もご参照いただいて、私に限らず議論が必要でしたら行っていただけましたら幸甚です。私は、延々とここでやり取りをするのは難しく、ご理解いただければと思います。ありがとうございます。--Huskys(会話) 2024年8月1日 (木) 07:20 (UTC)
- 返信をありがとうございました。
- 確かに「佐藤愛子は」といちいち主語を付けるのは、文章としてちょっと不細工ですね。そもそもこの記事は佐藤愛子のことを書いているわけで、その点は読者にも自明であるわけです。
- 記事は、冗長にすれば、人物をリスペクトしているというものではなく、実のところ、コンパクトに全体像を網羅しているのが、インテリジェンスがありますし、理想の記事でもあると思っています。たまにそういう見事な記事を見かけます。
- 僕の記事にぜい肉が多いのは事実です。そのへんもよく踏まえまして、Huskysさんの限られた時間内での大幅削除に対して、必要と考えた場合には、再び、加筆をさせていただくことがあるかと思います。その点は悪しからずご了承ください。--遠藤進之助(会話) 2024年8月1日 (木) 08:22 (UTC)
- ◆Wikipediaは「事典」であって「伝記」ではない、という理由でいくつかの大きなエリアを削除されていますが、Wikipedia:存命人物の伝記 https://w.wiki/3pYy の記事で、例えば、「どのように書くべきか」の節(セクション)に以下の記述があります。「存命人物の伝記は責任を持って、保守的・中立的・百科事典的に書くべきです。」「場合によっては当該人物自身によって公表されたものを文章化する方がよいかもしれません。」
- つまり、Wikipediaの記事として伝記を書いてもOKであるし(ただし同じ節中に、保守的・中立的・百科事典的に書くべきであるとの注意書きもあります)、その場合、情報源としての確かさは、佐藤愛子自身が上梓した著書から引いてもよい、ということになります。
- 当方の場合、佐藤愛子著『血脈』(上・中・下)、『晩鐘』を4年かけて筆写しており、双方ともPDF化しています。検索ワードを入力すればこれらの著書の本文中を検索できるようにしています。
- あなたの場合、「伝記的な記述である」とか「記述者の主観や思い込み」という理由で多くの箇所を削除されていますが、それは少々、誤解であると思います。あなたのおっしゃるように、確かに記事があまり冗長になっても、全体とのバランスも悪くなりますから、できるだけ要領よく、スリムに書くのは理想ではありますが。この件に該当する部分は、再度、加筆をさせていただきたいと存じます。
- 具体的には、例えば、佐藤愛子の元夫(最初の夫)が、戦争中に腹痛を起こし、軍隊ではそれに対してモルヒネを投与し鎮痛効果を得ていた、というのは、人物の著書にきちんと書かれ公表されていることです。夫のモルヒネ中毒が完治しないことで佐藤愛子は婚家に子供を預け離婚します。この経緯は佐藤愛子研究にとっては外せない重要な部分であると思っています。
- 具体例を次々に列挙することは却ってこの紙面を繁雑にしますので、例示はこの程度に留めておきます。--遠藤進之助(会話) 2024年8月1日 (木) 12:49 (UTC)
- それと、人物は直木賞作家です。最初の夫と離婚し、まだ20代の頃、人物は文藝首都という純文学の同人に所属します。これがいってみれば人物の戦後であり初めての青春です。そこで、北杜夫と友人になります。北杜夫は文学者斎藤茂吉を父に持つ小説家です。人物も佐藤紅緑という大衆作家の末娘でした。そんな環境で作家としての修行時代を過ごした人物は、北杜夫の芥川賞受賞作『楡家の人びと』のように、一族の物語を長編で描き、そのことにより芥川賞を受賞することを青図に描いていました。ところが、人物が再婚した相手である田畑麦彦は、新人賞クラスの小説家ではありましたが、やがて事業家となります。そして、風変りな金銭感覚のせいで、彼は多額の借金を背負うことになります。人物はその返済のため、全国のテレビ局を渡り歩き、時間のある時は執筆に充てました。そんな無我夢中の状態で上梓したのが、400字詰め原稿用紙換算で50枚ほどの『戦いすんで日が暮れて』です。短編です。これが人物の青図に反して、直木賞を受賞してしまいます。この作品を識者が、「佐藤愛子の作品の中でも、最も文章に力がある」と評したのも事実です。佐藤愛子研究にとってとても大切な部分ですが、あなたはこんな部分も惜しげもなく削除されてしまいます。これが人物が直木賞作家になる一連の経緯です。これを綴った節(セクション)は、この人物の記事(百科事典)としては、最も重要な部分です。どうしてそこをあっさりと削除されてしまうのか、と思うと溜息が出て悲しくなります。この部分は具体的には「小見出し1」以下に記述していたと思います。
- またその直下には、同人誌随筆春秋(一般社団法人)との関係性を綴っていましたが、これもまた惜しげもなく削除されています。人物は69歳‐70歳で随筆春秋と出会っています。それ以来、この同人の文学指導を行っています。また同人が毎年主催する公募の文学賞である「随筆春秋賞」「佐藤愛子奨励賞」の最終選考者でもあります。分野は純文学でエッセイです。第30回随筆春秋賞、第5回佐藤愛子奨励賞は、現在(2024.8.1)応募作品を募集中ですが、人物とこの同人や主催する文学賞との関係は、とても重要です。人物は現在(2024年8月1日)満100歳を迎えて存命中です。人物の長い人生を考えると随筆春秋との関係性においては、あまり冗長になってはいけないと思っています。繰り返しになりますが、人物が69‐70歳という年齢になってからのことですから。ただしとても重要な事柄であるので、その「小見出し1」をバッサリと削除してしまうのは、どうしてなのでしょうか? とても疑問に思います。--遠藤進之助(会話) 2024年8月1日 (木) 13:24 (UTC)
- ご返信、ありがとうございます。8月1日08:22(UTC)にいただきましたご返信を拝見し、こちらの本意をしっかりご理解いただいていること、遠藤さんの聡明さに感謝しております。その後の、ご解説も拝見しましたが、端的に申しますと、「そこまでの情熱がおありなら、あくまで中立性と加筆性に配慮しながら、雑多にならない程度に」と思うまでです。あとは、先の通り他の編集者や管理者の判断なども受けつつが良いかもしれません。
- 遠藤さんにもおっしゃっていただいている通り、たしかにWikipediaの方針に照らして、「事典は伝記ではない」との考えを持っておりますし、遠藤さんの過去の執筆は雑多で多すぎる、不要なところで当該記事人物の名前を挟み込むなど、一般的な記事執筆のお作法みたいなのを思えば若干の違和感がありました。ですが、ご本人も「冗長になりすぎないように」ということは留意されていらっしゃいますし、こちらも前述の通り、けっして箇条書きだけでまとめなければならないというルールもなく、実際に他記事もそうはなっていません。あくまで、簡潔に中立性や客観性に沿った事典編集で、皆でブラッシュアップしていくので良いと思います。ご面倒をお掛けました。何とぞよろしくお願いいたします。--Huskys(会話) 2024年8月1日 (木) 15:39 (UTC)
- 返信をありがとうございました。
- 先の返信中にも書かせていただきましたが、私の場合は、記事に伝記を綴るのはOKであると思っています。ただし様々なルールがあるのも事実です。あなたのおっしゃる中立性もそのルールの中のひとつですね。
- 遠藤さんに言っていただいたのと同じく、多少手荒いかもしれませんが、私も自分が全て正しいとは思っていません。ただ、Wikipedia:中立的な観点もご参照いただいて、私に限らず議論が必要でしたら行っていただけましたら幸甚です。私は、延々とここでやり取りをするのは難しく、ご理解いただければと思います。ありがとうございます。--Huskys(会話) 2024年8月1日 (木) 07:20 (UTC)
- 以下に、この「伝記はOK」の件についてもう1度、記述しておきます。
- ◆◆◆
- Wikipedia:存命人物の伝記 https://w.wiki/3pYy の記事で、例えば、「どのように書くべきか」の節(セクション)に以下の記述があります。
- 「存命人物の伝記は責任を持って、保守的・中立的・百科事典的に書くべきです。」
- 「場合によっては当該人物自身によって公表されたものを文章化する方がよいかもしれません。」
- つまり、Wikipediaの記事として、保守的、中立的、百科事典的というスタイルを貫けば、伝記を書いてもOKである、ということです。
- なお、小説家などの場合であれば、その著作物を、事実検証の資料として引いてくることができる、と書かれています。
- 記事のトップのある「導入部」の直下には通常、人物の「来歴」とか「経歴」という節(セクション)が設けられると思います。
- 「導入部」でごく簡単に人物の概略を説明し、「来歴」や「経歴」などでもう少し詳しく自分の文章でその人物の伝記を書くというスタイルです。
- 例えば、夏目漱石 https://w.wiki/3Jvd では、少々ユニークですが、「来歴」や「経歴」などの部分が「生涯」となっていて、その直下に「生い立ち」「幼少期」「少年時代」(中略)「死去」と小見出しが多数あり、それぞれの小見出しの直下にその年代の伝記が綴ってあります。
- あなたでしたらこれらの部分、全部削除でしょうか。やはりそれはちょっと違うのではないかと思います。
- ◆◆◆
- 私の編集後に、さらに箇条書き的にシンプルになっているようです。――とのことですが、2024年4月30日から5月3日の編集内容を順を追って閲覧していきますと、あなたの編集によって、導入部の直下がいきなり箇条書きの略年譜の節(セクション)になっています。4月30日には、もっと下のエピソードの節(セクション)もその大半を削除されています。全体が箇条書き中心の印象に見えるのはあなたの編集による影響であると思います。
- あなたの意図も分かるのですが、こうなると逆にシンプル過ぎて、却って記事が貧相に見えてしまいます。
- 節(セクション)名をエピソードとするのは少し誤解を受けやすいかもしれません。ウィキペディアンの中にも、芸能人の記事によく見られるようなこのエピソードという節(セクション)を淘汰するのが方針だ、とおっしゃっている方がいます。しかしその場合のエピソードには、検証可能性の低い、週刊誌レベルの「噂󠄀」のようなことばかりが綴られています。
- 当該記事の場合、エピソードに関しては、上にも返信いたしましたが、検証可能な事実ばかりを綴っています。その大部分は人物の著作の中に記述してある事柄です。
- 当該人物の研究においては、異性の作家仲間であった芥川賞作家遠藤周作と、芥川賞を取り損ねたものの5回のノミネートの経験があり、後に官能小説の大家として売れっ子になった川上宗薫の存在は外せません。
- これは当方の主観や思い入れ(思い込み)による記述ではありません。遠藤周作や川上宗薫との関係性は、この作家を研究する場合、十分な特筆性の存在する事柄です。人物の著書『血脈』(上・中・下)、『晩鐘』にも多くの記述があります。
- ですので、この辺りに関しても、復元をさせていただきたいと思います。悪しからずご了承をお願いできますでしょうか。
- 最後になりますが、今一度、夏目漱石 https://w.wiki/3Jvd をご覧ください。いろいろな人との関係性や伝記などが文章により綴られています。ご存じであるとは思いますが、夏目漱石の研究においては、正岡子規との関係性を外すことはできません。きわめて重要な事柄です。これは、佐藤愛子研究に置き換えれば、遠藤周作や川上宗薫にあたります。
- ここまで書きまして、とりあえず、大幅削除に関しては、一旦、復元を試みたいと思います。それで、あなたのおっしゃるように、あなたと私以外の第3者の目線で見てもらい、記事がよい方向に成長するのを見守る、というようなことではどうでしょうか。
- それでは、こちらこそ、どうぞよろしくお願いいたします。--遠藤進之助(会話) 2024年8月1日 (木) 16:23 (UTC)