コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

「ジュワン・ハワード」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
情報を加 キャリアのスタッツを加 出典のないプレイスタイルを削除
Cewbot (会話 | 投稿記録)
 
80行目: 80行目:
2001年には、[[クリスチャン・レイトナー]]らとの交換で[[ダラス・マーベリックス]]へ、2002年には、[[リーフ・ラフレンツ]]、[[ニック・ヴァン・エクセル]]らとの交換トレードで[[デンバー・ナゲッツ]]へ移籍した。2003年、再びFAとなり、[[オーランド・マジック]]と契約した。
2001年には、[[クリスチャン・レイトナー]]らとの交換で[[ダラス・マーベリックス]]へ、2002年には、[[リーフ・ラフレンツ]]、[[ニック・ヴァン・エクセル]]らとの交換トレードで[[デンバー・ナゲッツ]]へ移籍した。2003年、再びFAとなり、[[オーランド・マジック]]と契約した。


2004年に、[[トレーシー・マグレディ]]と共に、[[ヒューストン・ロケッツ]]へ移籍した。ロケッツでは頼れるベテランとして先発、ベンチからの出場とマルチな活躍をした。ロケッツで3シーズン過ごした後、2007年6月14日に[[マイク・ジェームス]]らとのトレードによって[[ミネソタ・ティンバーウルブズ]]へ移籍するが解雇された。
2004年に、[[トレーシー・マグレディ]]と共に、[[ヒューストン・ロケッツ]]へ移籍した。ロケッツでは頼れるベテランとして先発、ベンチからの出場とマルチな活躍をした。ロケッツで3シーズン過ごした後、2007年6月14日に[[マイク・ジェームズ (1975年生のバスケットボール選手)|マイク・ジェームス]]らとのトレードによって[[ミネソタ・ティンバーウルブズ]]へ移籍するが解雇された。


その後、[[ダラス・マーベリックス]]、[[シャーロット・ボブキャッツ]]、[[ポートランド・トレイルブレイザーズ]]とチームを転々とし、[[ジャーニーマン]]となった。ブレイザーズ在籍時の2009-10シーズン、チームはセンターの[[グレッグ・オデン]]や[[ジョエル・プリジビラ]]が怪我でシーズン絶望と危機的状況になる。ハワードは数少ないインサイドの1人として怪我人続出のチームを支え、プレーオフ出場に貢献した。
その後、[[ダラス・マーベリックス]]、[[シャーロット・ボブキャッツ]]、[[ポートランド・トレイルブレイザーズ]]とチームを転々とし、[[ジャーニーマン]]となった。ブレイザーズ在籍時の2009-10シーズン、チームはセンターの[[グレッグ・オデン]]や[[ジョエル・プリジビラ]]が怪我でシーズン絶望と危機的状況になる。ハワードは数少ないインサイドの1人として怪我人続出のチームを支え、プレーオフ出場に貢献した。

2024年6月11日 (火) 23:14時点における最新版

ジュワン・ハワード
Juwan Howard
ミシガン大学HC時のハワード (2020年)
ミシガン・ウルバリンズ HC
ポジション SF/PF
役職 ヘッドコーチ
所属リーグ ビッグ・テン・カンファレンス
基本情報
愛称 J-Ho
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
生年月日 (1973-02-07) 1973年2月7日(51歳)
出身地 イリノイ州の旗 イリノイ州シカゴ
身長(現役時) 206cm (6 ft 9 in)
体重(現役時) 115kg (254 lb)
キャリア情報
高校 シカゴ・ボケーショナル高等学校英語版(IL)
大学 ミシガン大学
NBAドラフト 1994年 / 1巡目 / 全体5位[1]
プロ選手期間 1994年–2013年
経歴
選手時代:
1994-2001ワシントン・ブレッツ/ウィザーズ
2001-2002ダラス・マーベリックス
2002-2003デンバー・ナゲッツ
2003-2004オーランド・マジック
2004-2007ヒューストン・ロケッツ
2007-2008ダラス・マーベリックス
2008デンバー・ナゲッツ
2008-2009シャーロット・ボブキャッツ
2009-2010ポートランド・トレイルブレイザーズ
2010-2013マイアミ・ヒート
コーチ時代:
2013-2019マイアミ・ヒート
2019-ミシガン大学
受賞歴
通算成績
得点 16,159 (13.4 ppg)
リバウンド 7,428 (6.1 rpg)
アシスト 2,663 (2.2 apg)
Stats ウィキデータを編集 Basketball-Reference.com
Stats ウィキデータを編集 NBA.com 選手情報 NBA.Rakuten

ジュワン・アントニオ・ハワードJuwan Antonio Howard,1973年2月7日 - )は、アメリカ合衆国イリノイ州シカゴ出身の元バスケットボール選手。現在はミシガン大学ヘッドコーチ。身長206cm、体重115kg、ポジションはフォワード。オーランド・マジック所属のジェット・ハワードは実子である。

経歴

[編集]

学生時代

[編集]

全米で一大旋風を巻き起こしたミシガン大学ファブ・ファイブの一角として学生時代から全米の注目を浴びる。大学時代はセンターとして出場し、背番号は25を付けていた。1年の年から2年連続でNCAAトーナメントファイナルに進出し、クリス・ウェバーが抜けた3年目にもエリート8(ベスト8)進出を果たしている。

NBA

[編集]

3年時(1994年)のNCAAトーナメント敗退直後にファブ・ファイブのもう一人であるジェイレン・ローズと共にアーリーエントリーを表明、同年のNBAドラフトワシントン・ブレッツから全体で5位の指名を受けNBA入りを果たした。1年目から17.0得点、8.4リバウンド、2.5アシストと大活躍し、オールルーキー2ndチームにも選出された。 2年目には、22.1得点、8.1リバウンド、4.4アシストとさらに成績を伸ばし、NBAオールスターゲームオールNBA3rdチームにも選出された。3年目には初のNBAプレーオフに進出するも、シカゴ・ブルズにスウィープされた。 1996年にFAになると、マイアミ・ヒートの球団社長であったパット・ライリーに見込まれ、ヒートと長期高額契約を結んだ。ところが、サラリーキャップのルールに反していた為、リーグから契約は取り消され、同じ金額でブレッツと再契約することになった。 その後、フロントコートを組む、クリス・ウェバーゲオルゲ・ムレシャンら主力選手の怪我や移籍もあり、チームは下降線を辿っていった。 2001年には、クリスチャン・レイトナーらとの交換でダラス・マーベリックスへ、2002年には、リーフ・ラフレンツニック・ヴァン・エクセルらとの交換トレードでデンバー・ナゲッツへ移籍した。2003年、再びFAとなり、オーランド・マジックと契約した。

2004年に、トレーシー・マグレディと共に、ヒューストン・ロケッツへ移籍した。ロケッツでは頼れるベテランとして先発、ベンチからの出場とマルチな活躍をした。ロケッツで3シーズン過ごした後、2007年6月14日にマイク・ジェームスらとのトレードによってミネソタ・ティンバーウルブズへ移籍するが解雇された。

その後、ダラス・マーベリックスシャーロット・ボブキャッツポートランド・トレイルブレイザーズとチームを転々とし、ジャーニーマンとなった。ブレイザーズ在籍時の2009-10シーズン、チームはセンターのグレッグ・オデンジョエル・プリジビラが怪我でシーズン絶望と危機的状況になる。ハワードは数少ないインサイドの1人として怪我人続出のチームを支え、プレーオフ出場に貢献した。

2011-12シーズンにマイアミ・ヒートへ移籍。ヒートでは出場機会は少なかったものの、ロッカールームでのまとめ役としてチームを支え[1]2012年のNBAファイナル英語版2013年のNBAファイナル英語版で優勝を経験した。(ただし、2013年は出場なし)

引退後

[編集]

2013年9月28日、現役を引退。マイアミ・ヒートのアシスタントコーチに就任した。

2019年5月23日、母校のミシガン大学ヘッドコーチに就任した[2]

2024-25シーズンからブルックリン・ネッツのアシスタントコーチに就任すると発表された[1]

個人成績

[編集]
略称説明
  GP 出場試合数   GS  先発出場試合数  MPG  平均出場時間
 FG%  フィールドゴール成功率  3P%  スリーポイント成功率  FT%  フリースロー成功率
 RPG  平均リバウンド  APG  平均アシスト  SPG  平均スティール
 BPG  平均ブロック   TO  平均ターンオーバー  PPG  平均得点
 太字  キャリアハイ  *  リーグリーダー  †  優勝シーズン

レギュラーシーズン

[編集]
シーズン チーム GP GS MPG FG% 3P% FT% RPG APG SPG BPG TO PPG
1994–95 WAS 65 52 36.1 .489 .000 .664 8.4 2.5 .8 .2 2.6 17.0
1995–96 81 81 40.7 .489 .308 .749 8.1 4.4 .8 .5 3.7 22.1
1996–97 82 82 40.5 .486 .000 .756 8.0 3.8 1.1 .3 3.0 19.1
1997–98 64 64 40.0 .467 .000 .721 7.0 3.3 1.3 .4 2.9 18.5
1998–99 36 36 39.7 .474 .000 .753 8.1 3.0 1.2 .4 2.6 18.9
1999–2000 82 82 35.5 .459 .000 .735 5.7 3.0 .8 .3 2.7 14.9
2000–01 54 54 36.7 .474 --- .770 7.0 2.9 .9 .4 3.1 18.2
DAL 27 27 36.8 .488 .000 .780 7.1 2.6 1.1 .6 2.7 17.8
2000-01計 81 81 36.7 .479 .000 .773 7.1 2.8 .9 .5 3.0 18.0
2001–02 53 44 31.3 .462 .000 .754 7.4 1.8 .5 .6 1.5 12.9
DEN 28 28 34.9 .457 .000 .770 7.9 2.7 .6 .6 2.6 17.9
2001-02計 81 72 32.5 .460 .000 .761 7.6 2.1 .6 .6 1.9 14.6
2002–03 77 77 35.5 .450 .500 .803 7.6 3.0 1.0 .4 2.5 18.4
2003–04 ORL 81 77 35.5 .453 .000 .809 7.0 2.0 .7 .3 2.2 17.0
2004–05 HOU 61 47 26.6 .451 .000 .843 5.7 1.5 .5 .1 1.3 9.6
2005–06 80 80 31.7 .459 .000 .806 6.7 1.4 .6 .1 1.7 11.8
2006–07 80 38 26.5 .465 --- .824 5.9 1.6 .4 .1 1.4 9.7
2007–08 DAL 50 0 7.1 .359 --- .786 1.6 .3 .1 .0 .3 1.1
2008–09 DEN 3 0 7.3 .500 --- .000 1.3 .7 .3 .3 .0 .7
CHA 39 2 11.5 .510 --- .676 1.8 .6 .2 .1 .7 4.4
2008-09計 42 2 11.2 .510 --- .676 1.8 .6 .2 .1 .6 4.1
2009–10 POR 73 27 22.4 .509 .000 .786 4.6 .8 .4 .1 1.0 6.0
2010–11 MIA 57 0 10.4 .440 --- .829 2.1 .4 .2 .1 .4 2.4
2011–12 28 0 6.8 .309 --- .800 1.7 .4 .1 .0 .7 1.5
2012–13 7 2 7.3 .526 --- 1.000 1.1 .9 .0 .0 .6 3.0
通算:19年 1208 900 30.3 .469 .120 .764 6.1 2.2 .7 .3 2.0 13.4
  • 1998-99シーズンは50試合、2011-12シーズンは66試合で打ち切り

プレーオフ

[編集]
シーズン チーム GP GS MPG FG% 3P% FT% RPG APG SPG BPG TO PPG
1997 WAS 3 3 43.0 .465 --- .889 6.0 1.7 .7 .7 1.0 18.7
2001 DAL 10 10 39.1 .360 --- .800 8.3 1.4 .6 .5 1.4 13.4
2007 HOU 7 0 22.4 .400 --- .636 4.4 1.0 .7 .0 .6 5.0
2008 DAL 3 0 3.7 --- .000 .250 .0 .3 .0 .0 .0 .3
2010 POR 6 0 14.5 .526 --- --- 2.7 .7 .2 .2 .5 3.3
2011 MIA 11 0 5.5 .444 --- .692 .9 .1 .0 .0 .2 1.5
2012 9 0 2.7 .286 --- .750 .1 .0 .0 .0 .0 .8
出場:7回 49 13 17.5 .394 --- .758 3.2 .7 .3 .2 .5 5.5


関連項目

[編集]

脚注

[編集]
  1. ^ a b ミシガン大で5季HCを務めたジュワン・ハワード、新体制構築のネッツにACとして加入”. バスケットボールキング (April 27, 2024). April 27, 2024閲覧。
  2. ^ ジュワン・ハワードがミシガン大のHC就任へ 「選手たちが成長していけるように尽力する」”. バスケットボールキング. フロムワン (2019年5月23日). 2020年6月9日閲覧。

外部リンク

[編集]