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玉島乙島 | |
---|---|
北緯34度31分47.2秒 東経133度40分53.6秒 / 北緯34.529778度 東経133.681556度 | |
国 | 日本 |
都道府県 | 岡山県 |
市町村 | 倉敷市 |
行政地区(広域) | 玉島地域 |
人口 | |
• 合計 | 11,541人 |
郵便番号 |
713-8103 |
玉島乙島(たましまおとしま)は、岡山県倉敷市玉島地域にある大字。
概要
玉島の南東部にあたる。東は高梁川河口部、西は玉島港、南は瀬戸内海(水島灘)に面している。地区の西・北部は丘陵、南・東・中央部は平野となっている。[1]
かつて周囲は玉の浦(たまのうら)あるいは甕の海(もたいのうみ)と呼ばれる海域で、現在の丘陵部は隣接の玉島地区の一部とともに乙島もしくは戸島(としま)という島で、近隣の島と諸島をなしていた。現在の地名はこれに由来している。また、現在の北東部の上成地区との境界にある丘は、狐島という小島であった。
平野部は近世以降の新田干拓や埋立造成により生まれた土地である。南部の海浜部は現代における埋立造成地で、工業地帯となっている。水島から続く水島臨海工業地帯の一部である。
古代においては、『和名抄』記載の備中国浅口郡間人郷の一部であったされている。古くから漁村として漁業を主産業としていた。[1]
江戸時代の寛永19年、備中松山藩主の水谷勝隆の時代から乙島はその領分となった。正保時代に作られた古図に乙島村二百石六升六合松山領との記載がある。 元禄6年には幕府領に移管され、倉敷支配所の配下となった。元禄の検地には、乙島村二百石五升五合、井ノ浦塩浜八十八石五升とあり、この頃に塩田の開発も行われている。 元禄15年に遠江浜松藩の飛地領に変わったが、享保14年に再び幕府領倉敷支配所管轄となった。[1]
18世紀後半の寛政年間に当地の庄屋・守屋十左右衛門が主導し、子・孫の3代にわたり新田開発が行われた。幕末までに新たに150町歩を造成し、狐島とともに陸続きとなった。この新田を乙島内新田と呼んだ。当初、新田干拓計画は江戸初期に松山藩主水谷勝宗が計画したが、領主の交代などで事業が進まなかった。その後、1758年(宝暦8年)には、近隣の阿賀崎新田村の藤九郎が倉敷代官所に新田開発を願い出たが、上流14村の名主や庄屋の反対に合い、再び実現できなかった。そして寛政年間になりやっと実現した。[2]
『備中村鑑』には、乙島村900石3斗1升8合6勺、守屋勝太郎と記載されている。[1]
明治になると、狐島の東半分を上成村へ割譲、また玉島村の一部を乙島村へ編入した。その後、明治35年に乙島村は玉島町へ編入。のち玉島市を経て、新しい倉敷市となり現在に至っている。[1]
昭和9年に坂田新田(56ヘクタール)を干拓、同18年に養父ヶ鼻周辺を埋立てて太平新開(33ヘクタール)を造成し、浦賀重工業を誘致した。さらに高梁川河口西側の大型干拓が国営事業として行われ、玉島レイヨン(のちの倉敷レイヨン)を中心とした興行千葉開発された。続いてその沖合が干拓・埋め立てされ、水島から一連をなす工業地帯(水島臨海工業地帯E地区)の造成となった。[1]
これら一連の干拓や埋立造成により、現在の乙島中南東部・高梁川河口西岸の広大な平地が生まれた。
現在は幹線道路の整備や工場など企業誘致により、市街化・宅地化が進行している。一方、平野部では排水良好な砂質壌土であるため、野菜の産地となっている。丘陵部も宅地化しているが、野菜・果実の栽培も行われている。[2]また、高梁川河口部の砂浜では、アナジャコが多く捕れ、乙島ジャコの名でブランド化している。
歴史
おとしまそん 乙島村 | |
---|---|
廃止日 | 1902年(明治35年)9月30日 |
廃止理由 |
新設合併 玉島町、柏崎村、乙島村 → 玉島町 |
現在の自治体 | 倉敷市 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 中国地方(山陽地方) |
都道府県 | 岡山県 |
郡 | 浅口郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
乙島村役場 | |
所在地 | 岡山県浅口郡乙島村 |
ウィキプロジェクト |
年表
- 1183年(寿永2年) - 乙島・柏島で源平合戦(治承・寿永の乱)・水島の戦いがおきる。
- 1550年(天文19年) - 乙島の玉島湊と松山(高梁市)間で高瀬舟による物資の輸送が始まる。
- 1624年(寛永元年) - 岡山藩により、七島や道越の新田開発がはじまる。
- 1642年(寛永19年) - 水谷氏が備中松山藩藩主になり玉島東南部を支配に収め、長尾・船穂・玉島などの新田開発を始める。
- 1670年(寛文10年) - 阿賀崎新田が完成。その後、港の整備と街の形成が進み北前船の寄港地になる。
- 1693年(元禄6年) - 3代水谷勝美死去により水谷氏が断絶。領地の多くが幕府に接収される。
- 1779年(安永8年) - 良寛和尚が円通寺で修行を始める。
- 1865年(慶応元年) - 乙島新開工事完了,(12月汐留)
- 1871年(明治4年) - 廃藩置県により深津県(1872年に小田県に改称、1875年に岡山県と合併)に含まれた。
- 1878年(明治11年) - 浅口郡役所が設置される。
- 1882年(明治15年) - 沙美に日本最初の海水浴場が開場。
- 1891年(明治24年) - 7月14日 浅口郡長尾村爪崎(現在の玉島爪崎)に、山陽鉄道玉島駅が開業。
- 1953年(昭和28年) - 浅口郡長尾町を編入合併。
- 1960年(昭和35年) - 玉島港が水島港に併合され、重要港湾に指定。
- 1975年(昭和50年) - 3月10日 山陽新幹線が開通、玉島駅に乗入れと同時に新倉敷駅に改称。
- 1979年(昭和54年) - 3月パオ玉島店とニチイ新倉敷店の構成され開店。
- 2004年(平成16年) - 8月30日 台風16号[3]、 9月7日 台風18号[4] が相次いで上陸。沿岸部に甚大な高潮被害をもたらす。
- 2009年(平成21年)溜川公園、開園。
- 2012年(平成24年)6月玉島みなと公園、開園。
- 2021年(令和3年) - 7月8日岡山県全域を大雨が襲った。
人口・世帯数
平成24年9月末現在[5]。
町字 | 世帯数 | 男性人口 | 女性人口 | 総人口 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|
玉島乙島 | 4657 | 5681 | 5860 | 11541 | |
合計 | 4657 | 5681 | 5860 | 11541 |
郵便番号
- 玉島乙島 - 713-8103
学区
- 小学校区
倉敷市立乙島小学校区および倉敷市立乙島東小学校区。
- 中学校区
全域が倉敷市立玉島東中学校区。
産業
- 農業
- 野菜・果実・米など
- 漁業
- 工業
- 水島臨海工業地帯E地区
- 住友重機械工業(株)岡山製造所総務グループ
- トヨタカローラ岡山
- 商業
- (株)クラレ倉敷事業所
- ハローズ乙島店
- 大黒天物産(ディオ)
- ファッションセンターしまむら
- 西松屋
- ひらい
- ザグザグ乙島店
- くすりのレディ玉島店
- セリア乙島店
- コンビニ
- セブン-イレブン倉敷玉島堀貫店
- 飲食店
名物・特産品
- 乙島ジャコ(アナジャコ)
- 乙島祭り
主要施設
- 教育・保育施設
- 倉敷市立乙島小学校
- 倉敷市立乙島東小学校
- 倉敷市立乙島幼稚園
- いずみ乙島保育園
- 企業
- 水島臨海工業地帯E地区
- 港湾
- 水島港玉島地区・玉島ハーバーアイランド
- 神社仏閣
- 他
- 公民館
- 玉島東公民館
- 公園
- 乙島公園
- 木野山公園
- 前新田公園
- 乙島前新田第2公園
- 乙島紡績所公園
- 乙島井ノ奥公園
- 川崎遊園
- 川崎公園
- 玉島3丁目第2公園
名所・旧跡
- 戸島神社
- 戸島公園
- 金刀比羅神社
- 美保神社
放送
メディア
新聞
- 山陽新聞玉島支局
放送
- ケーブルテレビ
- 地上波テレビ放送
玉島北部に玉島中継局、南部に玉島南中継局が置かれているが、地上デジタルテレビ放送は玉島南中継局は2010年4月に、玉島中継局は同年11月にNHKのみが置局され、民放の中継局は設置されていない。このため、対岸香川県の西讃岐中継局や岡山局を受信して、民放分を補っている世帯が多い。この際、西讃岐局など香川県内の送信所を受信する場合は、NHKの県域ニュース等エリア番組が香川県及び四国地方のものとなるので、玉島地区のいずれかの中継局に合わせたアンテナも併せて設置して、岡山県及び中国地方のNHKエリア番組を視聴する必要がある。
アナログ放送停止前は、玉島中継局、玉島南中継局とも民放の中継局が置かれていたが、玉島南局においては山陽放送(RSK)が、テレビせとうち(TSC)にいたっては両局において電波を出していないため、受信できない局については岡山局もしくは西讃岐局のアナログテレビ放送の電波を受信して補う必要があった。
局名 | NHK岡山 | NHK高松 | RSK | OHK | TSC | RNC | KSB | 出力 | 偏波面 | 送信 場所 | |||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
総合 | 教育 | 総合 | 教育 | ||||||||||
デジタルリモコン番号 | 1ch | 2ch | 1ch | 2ch | 6ch | 8ch | 7ch | 4ch | 5ch | ||||
玉島 | デジタル | 36ch | 34ch | - | - | - | - | - | - | - | 0.3W | 水平 | 野呂山 |
アナログ | 37ch | 39ch | - | - | 29ch | 31ch | - | 26ch | 33ch | 3W | 垂直 | ||
玉島南 | デジタル | 32ch | 45ch | - | - | - | - | - | - | - | 0.3W | 水平 | 妙見山 |
アナログ | 51ch | 53ch | - | - | 57ch | 59ch | - | - | 61ch | 3W | 垂直 | ||
岡山 (北讃岐) |
デジタル | 32ch | 45ch | (24ch) | (13ch) | 21ch | 27ch | 18ch | 20ch | 30ch | 2kW(200W) | 水平 | 金甲山 |
アナログ | 5ch | 3ch | - | - | 11ch | 35ch | 23ch | 9ch | 25ch | V10kW/U20kW | |||
西讃岐 | デジタル | - | - | 24ch | 13ch | 21ch | 28ch | 18ch | 15ch | 17ch | 100W | 水平 | 大麻山 |
アナログ | - | - | 44ch | 40ch | 48ch | 52ch | 46ch | 50ch | 42ch | 3kW |
- FMラジオ放送
県外波
交通
- 道路
池
- 大池
- 溜池
石碑
- 才の谷道路改修紀行碑
港
- 玉島港
医院
- もりや胃腸科外科
- 玉島南眼科
- たかはし医院
- 守屋おさむクリニック
脚注
参考文献
- 巌津政右衛門『岡山地名事典』(1974年)日本文教出版社
- 岡山県大百科事典編集委員会『岡山大百科事典』(1979年)山陽新聞社
- 渡辺光・中野尊正・山口恵一郎・式正英『日本地名大辞典2 中国・四国』(1968年)朝倉書店
- 下中直也『日本地名大系第三四巻 岡山県の地名』(1988年)平凡社
- 黒田茂夫『県別マップル33 岡山県広域・詳細道路地図』(2010年)昭文社
- 大田茂弥『郷土史講座テキスト玉島地方史 上』(1988年)玉地方研究会