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ヤハウェ

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フェニキア文字アラム文字、およびヘブライ語活字によるヤハウェの名[注 1]

ヤハウェエホバヘブライ語: יהוה‎、フェニキア語: 𐤉𐤄𐤅𐤄古アラム語英語版: 𐡉𐡄𐡅𐡄)は、旧約聖書新約聖書等における唯一神、万物の創造者の名である。

この名はヘブライ語の4つの子音文字で構成される。この名前の正確な発音は分かっていない。神聖四文字テトラグラマトンと呼ばれる。「四」を意味するギリシャ語テトラと「文字」を意味するグランマに由来。

本項に示す通り、を指す様々な表現が存在するが、特に意図がある場合を除き、本項での表記は努めてヤハウェに統一する。また本項では、ヤハウェを表す他の語についても述べる。

普通名詞

ヤハウェを指して、いくつかの普通名詞もしくはそれに類するものが用いられる場合がある。次にヘブライ語表現をカタカナで、また対応する訳語を漢字で示す。

日本語訳聖書では今日、一般に、原文において「יהוה(ヤハウェ)」とある箇所を「主」と訳す(新改訳では他の語と区別するために特に【主】と表記する)。

消失の経緯で後述するユダヤ人慣習による(今日のユダヤ人はヤハウェと読まずに、アドナイ(「わが主」)という別の語を発音するためである)。

アドナイ(אֲדֹנַי [’Ăḏōnay][1])の語には、「主 (Lord)[2]」即ちヤハウェを婉曲に指す意味のほか、単数形のアドニ(אֲדֹנִ֥י)という形で「私の御主人様 (my master)[3][4][5][6]」即ち奴隷の雇用主など主一般を指す意味がある。


カトリック系の『バルバロ訳』のほか、『口語訳聖書』(日本聖書協会)などがこれである。また、口語訳聖書を後継する『新共同訳聖書』(同)も、一部の地名(『創世記』第22章14節、#固有名詞で後述)を除き、一貫して「主」とする。

プロテスタント福音派系の『新改訳聖書』では太字で「」とする。これは「文語訳ではエホバ[注 2]と訳され、学者の間ではヤハウェとされている主の御名を」「訳し」た「」と、これを「代名詞などで受けた場合かまたは通常の<主>を意味することば」とを区別するためである[7]1893年の時点で日本聖公会も、エホバではなく主の語を用いるべきだとしている[8]

主に「英語圏」・「スラブ語圏」となるが 実際の「聖四文字」の表記例を「出エジプト記20」から挙げる。


旧約聖書では、「神」という一般名詞であるエル(古典的なヘブライ語発音でエール)やその複数形「אלהים(エロヒム)」[注 3]もヤハウェの呼称として用いられる。一般に、日本語訳聖書ではこれらの音訳は使用せず、これに相当する箇所は漢訳聖書での訳語を踏襲し神とするものが多い。「全能・満たすもの」を意味するとされるシャダイの語を付してエル・シャダイとした箇所は、全能の神などと訳される。

上帝

中国語の聖書には、本項の神について「神」という語をあてたもののほか、「上帝」となっているものが多数存在した。今日も多く使われる和合本という翻訳の聖書も、この語を「神」とした上で1文字分の空白をあけ、2文字の「上帝」と同じ文字送りにしたものが多い[注 4]

」の字が、「אלהים」または「אלוהים」、古代ギリシャ語「Θεός(テオス)」、英語「God[注 5]の訳語に当てられたのは、近代日本でのキリスト教宣教に先行していたにおけるキリスト教宣教の先駆者である、ロバート・モリソンによる漢文聖書においてであった[9]。しかしながら訳語としての「神」の妥当性については、ロバート・モリソン死後の1840年代から1850年代にかけて、清における宣教団の間でも議論が割れていた。大きく分けて「上帝」を推す派と「神」を推す派とが存在したが、和訳聖書のモリソン訳の流れを汲むブリッジマン・カルバートソンによる漢文訳聖書[10][11]は、「神」を採用していた。

多数の日本語訳聖書はこの流れを汲み[12]1938年には「神」という用語についてキリスト教神学者前島潔が論じることはあった[13]ものの、今日に至るまで適訳であるかどうかをほぼ問題とせずに「神」を翻訳語として採用するものが多数となっている。

固有名詞

旧約聖書すなわちヘブライ語聖書の原文には、ヘブライ語で記された名前「יהוה(ヤハウェ)」[注 1]が6,859回登場するとされている。

これは4文字のヘブライ文字からなることから、ギリシャ語では「Τετραγράμματον(テトラグラマトン)」(神聖四文字、原義は「四字」)とも呼ばれる。

アラム文字でヘブライ語を記述するようになってからも、この4文字はフェニキア文字で書かれていたとされる[14]

なお、この4文字はラテン文字では「YHVH」「YHWH」「JHVH」「JHWH」「IHVH」などと翻字される。

新共同訳聖書』付録には、「神聖四文字 YHWH」について次のように記されている。

この語の正確な読み方は分からないが一般にヤーウェまたヤハウェと表記されている。この神名は人名の末尾に「ヤー」という短い形で付加されることが多い(「イザヤ」「エレミヤ」)など) — 『新共同訳聖書』付録30ページ「用語解説」主(しゅ)

なお、同書では「旧約聖書中」とあり、一般にこの固有名詞新約聖書には登場しない(ただし後述にもあるようにヤハウェの短縮形が「ハレルヤ」の形で新約聖書のヨハネの黙示録19章に出てくる)。一方、これまで写本などの研究から、原文の新約聖書に神の名は使用されなかったと考えられてきたが、死海写本の最新の発見により、神の名は新約聖書にも当初使用されたとされる研究結果が出されている[15][注 6]

発音

もともとヘブライ語は母音表記法を持たなかった。語根は子音だけから成り語形変化を母音だけで表すので、文章子音文字のみで記述され、母音の復元はもっぱら読み手の語彙力によった。この方式をアブジャドといい、現代アラビア語などにもみられる。

やがて聖書ヘブライ語が日常言語としては死語になり、ヤハウェにあたる語を何と読むか、正確な発音は消失した。消失の経緯で後述するように、その発音は人々の口に上らなくなっていたのである。

しかし後に、ニクダーもしくはニクードと呼ばれるいろいろな点々を打つことにより、母音の表記が可能となった。

また、すでにユダヤ人は、詠唱の際にヤハウェの名の登場する箇所をアドナイ(「わが主」、消失の経緯で後述)[16]と読み替えるようになっていた。

その際、ヤハウェ(の子音字)「יהוה」に、アドナイ אֲדֹנָי と同じニクードすなわち -ă -ō -a という母音を示す点々を打って、そう読み慣わした。

これをそのまま読むと、イェホワ (יְהֹוָה、YəHōVaH) と読める(文法上、ヘブライ文字 y には弱母音の「ă」を付けられないため、曖昧母音のエ ə に変化する)。

日本語のエホバ(ヱホバ)、英語の「Jehovah」、および各言語のそれに類する形は、ここに由来するのである。

それらは確率的に正しい読みに偶然に一致する可能性も完全には捨てきれないかもしれないが、あくまで可能性であって、学術的にはヤハウェと推定する見解で今日ほぼ一致している(異論もある[17])。

日本語ではヤハウェの他にヤハヴェ YaHVeH(ヘブライ文字 ו [w]は現代ヘブライ語読みで/v/と発音)、ヤーウェ YaHWe(HのaHを長音として音写)などの表記が用いられることもある。

人名などの固有名詞の要素として用いられる יהוה の略称は「ヤ」 ( יָה [yāh])、「ヤフ」 (יָהוּ [yāhû])等であり、ここから最初の母音はaであったと推測できる。

また、古代教父によるギリシア文字転写形として Ιαουε (イァォウェ)、Ιαβε (イァベ)があり、これらからYHWHの本来の発音は英語式に表記するところの「Yahweh」あるいは「Yahveh」であったと推測されている。

消失の経緯

前述の通りユダヤ人は、詠唱の際もアドナイと読み替えるなどして、ヤハウェの名の発音を避けてきた。現在もユダヤ人は一般生活において、ヤハウェをヤハウェと呼ばず、アドナイあるいはハッシェム(הַשֵּׁם [haš Šēm])などと呼ぶ。これらは、ヤハウェとは別の語である。

理由のひとつとして、出エジプト記申命記などにみられるモーセの十戒のうち次に挙げるものについて、直接神の名を口にすることは畏れ多い禁忌である、との解釈が後代に成立したためではないかと考えられている(同一の箇所である。また、ヱホバとはヤハウェのことである)。

汝の神ヱホバの名を妄に口にあぐべからずヱホバはおのれの名を妄にあぐる者を罰せではおかざるべし
あなたは、あなたの神、主の名を、みだりに唱えてはならない。主は、み名をみだりに唱えるものを、罰しないでは置かないであろう。

これは本来その名をみだりに唱え、口にあげること(ヤハウェの名を連呼して呪文とすること、もしくはヤハウェの名を口にあげて誓っておきながら実際には嘘をつくこと)について、「そのようなことをすべきではない」と教えるものであって、名の発音を禁ずる趣旨ではないという説がある。

古くはこの名は自由に口にされていたようである。南ユダ王国崩壊からバビロン捕囚までの時代に書かれた『ラキシュ書簡』にも יהוה は頻繁に現れており、この名がこの時代に至ってもなお口にされていたことがわかる。また、それ以後にもこれを記した史料は散見される。

これまで、紀元前3世紀初めごろから翻訳の始まった『七十人訳聖書』(旧約聖書のギリシャ語訳)では、原語のヘブライ語での「יהוה(ヤハウェ)」が置き換えられ、ほとんどの箇所で「主」を意味する「Κύριος(キュリオス)」と訳されているとされてきた。なぜなら、西暦4世紀ころのものと思われる七十人訳聖書の古い写本には、神の名が出てくる部分で「主」という言葉への置き換えがなされているからである。そのため、西暦1世紀にはすでに神の名の発音は禁じられており、当時成立した福音書によれば、神の子イエスもこれをはばかって「天の父」などと表現したという説があった。

しかし、20世紀半ば、また最近発見された死海写本は、更に古い西暦1世紀ころの七十人訳聖書の写本を含んでおり、そこに神の名「יהוה(ヤハウェ)」が出てくることが分かった。「主」への置き換えはなされていない。これにより、イエス・キリストの時代に神の名がまだ発音されていた可能性もあるとの議論が現在なされている。

この点に関し、聖書文献ジャーナル誌の中では「クリスチャン時代以前のユダヤ人のために,ユダヤ人によって訳されたギリシャ語訳の聖書すべては,神の名として,ヘブライ語文字のテトラグラマトンを用いていたに違いない。そして,七十人訳聖書のクリスチャンによる写本に見られるように,キュリオスおよびその略号が使われるようなことはなかった」と指摘されている[18]。さらに「初期教会の聖書はギリシャ語聖書の写本であるが,その中になお四文字語<テトラグラマトン>が書かれていた以上,新約の筆者が聖書から引用するとき,聖書本文中に四文字語<テトラグラマトン>を保存したことは当然に考えられる。……しかしそれがギリシャ語の旧約[聖書]から除かれた時,新約[聖書]中に引用された旧約[聖書]の聖句からもそれは除かれてしまった。それで2世紀初めごろに,四文字語<テトラグラマトン>は,代用語のために新旧約両方の聖書から締め出されてしまったに違いない」との見解を述べている[19]

上記の根拠などをもとに、エホバの証人の翻訳による『新世界訳聖書』は、「ヘブライ語-アラム語聖書」(一般にいう旧約聖書)のみならず、続く「クリスチャンーギリシャ語聖書」(一般の新約聖書)でも神の名を復元し、これらの訳し方を支持する様々な資料を挙げている[証人 1]

語源

古くからヤハウェの名は、「存在」を意味する語根(√היה [√hyh])と関連づけて解釈されてきた。これは『出エジプト記』第3章第14節で、ヤハウェがモーセに応えて「私は在りて在るものである」 (אֶהְיֶה אֲשֶׁר אֶהְיֶה [’ehyeh ’ăšer ’ehyeh])と名乗った事に由来する。

この「私は在る」(אֶהְיֶה [’ehyeh])という一人称・単数・未完了相の動詞を三人称・単数・男性・未完了の形「彼は在る」にするとיִהְיֶה [yihyeh]となり、יהוהと似た形になる。ここから、ヤハウェの名はイヒイェの転訛で「『出エジプト記』に出て来た一言 」「彼は在りて在るものである」「実在するもの」「ありありと目の前に在り、在られるもの」などの意味だと解釈されてきた。

ヘブライ人は誓言の時に「主は生きておられる」という決まり文句を使っていたが、ここからも彼らがヤハウェを「はっきりしないとはいえ、生々しく実在するもの」と捉えていた事がわかる。はっきりしているのは、創世記の冒頭により、ユダヤ人(キリスト教徒ムスリム)は、闇が主要素となる宇宙空間を構築した正体を、ヤハウェ(ゴッドアッラー)であると考えている点である。エロヒム (אלהים) はアラハヤム(アラー)とも読める。また、ヘブライ語ではエジプトの太陽神のことをアラー (אל) と表記する[注 7]

また、היהのヒフイル(使役)態の三人称・単数・男性・未完了相の形が、יַהְיֶה[yahyeh]となり、ちょうど「ヤハウェ」と同じ母音の組み合わせになる。ここからその名を「在らしめるもの」「創造神」とする解釈もある。


短縮形

本項の神を誉め讃える際に発するヘブライ語「ハレルヤ」(Hallelujah)の末尾の「ヤ」(ヤハJah)はその名の短縮形。旧約聖書と新約聖書のヨハネの黙示録に出てくる表現である。ジャマイカに発生したラスタファリ運動においても「ジャー」(Jah) という形で見ることができる。

ヤハウェ

#発音のセクションで述べたとおり、今日、学術的に推定される読みである。ラテン文字で書くとYahweh。中沢洽樹による旧約聖書[20]では「ハ」を小書きにしたヤㇵウェが用いられている。

ヤーウェ

学術的に推定された読みである点や、ラテン文字で書くとYahwehとなる点では、おおむねヤハウェと同様であるが、カタカナ語日本語として音韻を考慮した場合、はじめのh音が長母音化しており、ヤハウェに比べて発音としての正確さという点で疑問が残る。

カトリックの『フランシスコ会訳聖書』で使用される読みである。

で前述の通り、『新共同訳』ではこの神をほぼ一貫して「主」と呼び、『創世記』第22章14節でのみ「ヤーウェ」とする。これはいわゆるイサクの燔祭の行われた「ヤーウェ・イルエ」の地名を説明するために発音を示したものである。

なお、この箇所はパブリックドメイン化した他の聖書ではこうなっている。

アブラハム其處をヱホバエレ(ヱホバ預備たまはん)と名く是に縁て今日もなほ人々山にヱホバ預備たまはんといふ
それでアブラハムはその所の名をアドナイ・エレと呼んだ。これにより、人々は今日もなお「主の山に備えあり」と言う。
アブラハムはその所を「ヤーウェ・イルエ」と名づけた。それで今日でもなお、「ヤーウェの山で計らわれる」と言われている。

ヤハヴェ

同じく学術的に推定される読みである。無教会の関根正雄による旧約聖書などに登場する。

ヱホバ

日本の国語として伝統的な形である。『明治元訳聖書』とともに普及し、広く日本の思想・文学に影響を与えた[21]。 『明治元訳聖書』はヘボンらによって1887年に完成し、旧約部分にこの語が用いられている。 エホバの証人も、新世界訳聖書を用いるようになるまでこの語の登場するこの翻訳を使用してきた。 静岡県富士宮市には、日本ヱホバ教団という文部科学大臣所轄包括宗教法人が所在することが指摘されている[22]

エホバ

ノルウェーの教会に掲げられている「IEHOVA」の文字

歴史的仮名遣で書かれたヱホバを戦後現代仮名遣いに直したもの。

「エホバ」もしくは「ヱホバ」の読み(表記)は、日本の文学においても古くから好まれてきた。例として、カトリック俳人・阿波野青畝銀河季題とする俳句がある。

銀河より聴かむエホバのささやきを — 青畝

なお、前掲句の底本はその弟子である日本イエス・キリスト教団 明石人丸教会プロテスタント俳人・やまだみのるによるウェブサイトの秀句鑑賞のページによったが、この句には次のような形もあり、同サイト青畝俳句研究のページでは後者の鑑賞が行われている。

銀河より聞かむエホバのひとりごと — 青畝


なお、現存する新約聖書の写本には神の名が使用されている翻訳は見つかっていない。しかし上述したように、エホバの証人の翻訳による『新世界訳聖書』は、「ヘブライ語-アラム語聖書」(一般にいう旧約聖書)のみならず、続く「クリスチャンーギリシャ語聖書」(一般の新約聖書)でも「エホバ」を用いる。『新世界訳』側は、新約のそのような訳し方について「神のみ名を復元している」とし、「これらの訳し方を支持する様々な資料」を挙げている[証人 2]。一方で懐疑的な見解を寄せる専門家は、信頼ある校訂本文や古代訳、教父文書にも神の名がないことなどを指摘し、『新世界訳』の「資料」に問題があることを5箇条にまとめて示し、新約で「エホバと訳したこと、これは正当な根拠がない」としている[23]

エホバの証人と源流を同じくする灯台社(燈臺社)員は戦時中、明石順三主幹の訳によって「エホバの證者」と称された。そして戦後しばらくして、この名はエホバの証人と改められ、現在に至る。

ユダヤ教成立後のヤハウェ

旧約聖書に於けるヤハウェは唯一神であり全世界の創造神とされ「宇宙の最高原理」のようなもので、預言者を除いた一般人にとっては、はっきりしない存在であるが、むしろ自ら人間たちに積極的に語りかけ、「妬む」と自称するほど人類を自らの作品として愛し、創世記のとおり人類は内面をヤハウェに似せて造られたことが伺える。ただし、広義では他の生物、物質も人類と性質が似ており、人類がヤハウェに似ていることは宇宙空間全体の事象に帰納できる。また、『創世記』第32章第31節~や『出エジプト記』第4章第24節~などには自ら預言者たちに試練を与える場面もあり、ヘブライ人たちがヤハウェを決してはっきりしないというだけではなく、預言者を通じて実在感のある存在と捉えていた事がわかる。

キリスト教におけるヤハウェ

Ἐγώ εἰµι ὁ ὤν(エゴー・エイミ・ホ・オーン)」(私は在るものである)はイエスとヤハウェを結び付け、その神性を現す意図で多用されている。これはセプトゥアギンタの『出エジプト記』第3章第14節でヤハウェが「私は在るものである」と名乗ったので、イエスはこれを多用して自分がヤハウェと密接な関係にある事を暗に示したとされる(『ヨハネによる福音書』第8章第58節など)。

三位一体の教説が成立して以降、ヤハウェを単に神の名とするにとどまらず、特定の位格と結びついた名として捉える論考が現れる。一般に、西方教会においてはヤハウェ(ラテン語文献では多く「エホバ」)を父なる神と同一視することが多く、対して東方教会においてはヤハウェはイエス・キリストの神格における名であると考えられることがある[誰によって?]

最近の動向として、2008年6月29日付でバチカンの教皇庁典礼秘跡省は「教皇の指示により神聖四文字で表記されている神の名を典礼の場において用いたり発音したりしてはならない」との指針を示した[24]。教皇庁はこの指針の中で、近年の神の固有名を発音する習慣が増加している事態に対して懸念を表明し、神聖四文字については「ヤーウェ」「ヤハウェ」「エホバ」などではなく、「主」と訳さなければならないと述べ、神の名を削除するよう求めている。これを受けて日本のカトリック司教協議会は、祈りや聖歌において「ヤーウェ」を使用してきた箇所を原則として「主」に置き換えることを決定した(一例として「主ヤーウェよ」と呼びかける部分は「神である主よ」とされた)。

キリスト教神学における、聖書中に見られる神の属性・性質

キリスト教神学における、聖書中に見られる神(ただし三位一体の概念から「父(ヤハウェ)」と「子(キリスト)」と「聖霊」を意味する)の属性・性質ついての研究として以下がある。

宗教改革者のジャン・カルヴァンは著書[25]において、聖書における神について「唯一にして永遠なる神」「生命と義と知恵と力と善と慈しみとの源泉」「すべての善きものは例外なく神より来たり、すべての賛美もただしく神に帰すべき」と述べている。

ヘンリー・シーセンは著書[26]において神の属性として以下の分類を行なっている。

  • 「非道徳的属性」…①遍在性②全知性③全能性④不変性
  • 「道徳的属性」…⑤神のきよさ⑥神の義と正義⑦善⑧真実

また神の性質として「統一性」「三位一体性」を挙げている。

エル・ベルコフは著書[27]において神の属性として以下の分類を行なっている

  • 絶対的属性・・・①神の独存性または自存性②神の不変性③神の無限性④神の単一性
  • 相似せる属性(人間の属性との類比。ただし完全なる神と不完全なる人間の類比である。)・・・①神の知識②神の知恵③神の善④神の愛⑤神の聖⑥神の義⑦神の真⑧神の主権

フロイド・ハミルトンは著書[28]において、神の概念について、近代の自由主義神学者の傾向である「旧約聖書の神の概念の軽視(新約聖書の方がまさって神の概念を示している)」を背信的であるとし、旧約および新約聖書における神の一致性を指摘している。「新約聖書の神は愛の神で、旧約聖書の神は残酷な復讐の神である」ということを是認できないとし、旧約聖書における「愛の神」、新約聖書における「神の怒り」を記す言葉をあげ、聖書における神概念の統一性を指摘している。

イスラム教におけるヤハウェ(アッラーフ)

イスラム教ではヤハウェについてアッラーフ或いはアラー、アッラーのアラビア語呼称を用いる。

以下、 アッラーフ#イスラーム教におけるアッラーより加筆引用。

イスラム書法におけるアッラーフ

アッラーフがクルアーンを授けたとされるムハンマド・イブン=アブドゥッラーフ(以下「ムハンマド」)は、神(アッラーフ)より派遣された大天使ガブリエルから神(アッラーフ)の受託をアラビア語で語った使徒であり、最後にして最大の預言者とされる。ムハンマドは飽くまで神(アッラーフ)から被造物である人類のために人類のなかから選ばれた存在に過ぎない。そもそもアッラーフ(神)自体が「生みもせず、生まれもしない」[29]、つまり時間と空間を超越した絶対固有であるため、キリスト教神学におけるイエス・キリスト像のように、ムハンマドを「神(アッラーフ)の子」と見なすような信仰的・神学的位置付けもされていない。

全知全能唯一絶対であり、すべてを超越する。「目無くして見、耳無くして聞き、口無くして語る」とされる(意思だけの)存在であるため、あらゆる時にあらゆる場にあり得て(遍在)、絵画や彫像に表すことはできない。イスラーム教がイメージを用いた礼拝を、偶像崇拝として完全否定しているのも、このためである。

イスラームの教えは先行するユダヤ教・キリスト教を確証するものであるとされるため、アッラーフはユダヤ教・キリスト教のヤハウェと同じであるとされる[30]。一方でユダヤ教、キリスト教はこれを認めていないが、近年キリスト教の一部でも同じ神として礼拝をしている教会もある[要出典]。したがって神(アッラーフ)は六日間で天地創造しており、また最後の日には全人類を死者までも復活させ、最後の審判を行う「終末」を司る。

なお、一切を超越した全能の神(アッラーフ)が休息などするはずがない[31]、という観点から、創造の六日間の後に神が休息に就いたことを否定するなど違いはある。これはイスラームがユダヤ教やキリスト教を同じ「啓典の宗教」として尊重しながらも、それらの教えに人為的改変あり、と見なしてきたことの顕著な例でもある。クルアーンが現在の形になったのはムハンマドの死後であるが、イスラム教徒は神(アッラーフ)が遣わせた大天使ガブリエルからムハンマドに言わせた言葉が現在のクルアーンに、完全に再現されていると考えている。

アッラーフ#イスラーム教におけるアッラーからの引用終わり。

起源に関する諸説

この名が旧約聖書の中で初めて出てくるのは創世記2章であり、ユダヤ教キリスト教においてヤハウェは人間の創造者として人間の歴史の始まりから崇拝されていた唯一のとされている。

一方、聖書批評家によると、ユダヤ教成立以前の信仰をヤハウェ信仰、あるいはエロヒム信仰とよぶが、両者は必ずしも同一の信仰ではなく、四資料説において、エル(普通名詞の神の意)やその複数形であるエロヒムを神の呼称とする「E資料」、ヤハウェを神の名とする「J資料」が想定されている。両者はかなり性質の異なる別系統の神々だったが、唯一神教化する過程で混同され、同一神とみなされるようになった。エロヒムはヤハウェに比べてより古い信仰であり、もともとはセム系の諸民族にみられる多神教における最高神で、抽象的・観念的な天の神であった。イスラエルにおいてはサマリアガリラヤなど北部で信仰された。これに対し、ヤハウェの起源はエロヒムの起源に比べるとやや時代が下り、ヤハウェは、抽象的なエロヒムと異なり、具体的な人格神で、慈愛だけでなく怒りや妬み(ほかの神々に傾倒してゆく民に対しての感情をねたみと表現した)も表す感情豊かな神であり、もともとはヘブロンを中心としたイスラエル南部の信仰で、王国時代にはエロヒムと異なりヤハウェの祭儀は祭司階級であるレビ族に担われた。唯一絶対神の性格を帯びるようになった。ただし、唯一神教化した時代をより古く見積もる説では、出エジプトの頃のヘブライ人は古代エジプトのアテン神を信仰しており、そのためアテン信仰が廃された後に弾圧され、エジプトを脱出したのではないかとする説もある[32]

その他

ニュージーランドマオリ語では、固有名詞としてではなく「主」の訳語として“ihowā”(イホワー)が用いられる[注 8]

脚注

注釈

  1. ^ a b ヘブライ語は右から左に読む
  2. ^ 原文まま。正しくは歴史的仮名遣で「ヱホバ」。
  3. ^ 「エローヒーム」「エロヒーム」とも読む。
  4. ^ 一時期上帝版聖書が席巻して、版聖書を駆逐して、その後神という聖句を入れた聖書が出来たので、一文字空いているという状態。
  5. ^ 大文字で始まることに注意。
  6. ^ 「エホバの証人」の書である、"New World Translation 1984":Mt 1-20で"Jehova's angel"、「新世界訳 1982」マタイ 1-20で「エホバのみ使いが」というように 彼らによれば「新約聖書」中で約30例使用している。ヘブライ語で新たにおこした新約聖書では、同箇所を"יהוה מלאך "(THE NEW COVENANT IN HEBREW 1966)と記述している。英語圏ユダヤ人用新約聖書では、同箇所を"angel of Adonai"(JEWISH NEW TESTAMENT 1989)と記述している。
  7. ^ イスラムの神「アラー」はアラビア語で「ALLH」であり「アルラー」または「アッラー」と表記する(Q'ran)。またエジプト語では太陽神を「Ra」とし「ラー」と呼ぶことに注意したい(エジプト語辞典 泰流社 1994))
  8. ^ 神よニュージーランドを守り給え」のマオリ語版(“Aotearoa”)の始めの方に出て来る

出典

  1. ^ אדני
  2. ^ אדני(Lord)-Genesis 15:8
  3. ^ אדני(my master)-Genesis 24:35,אדני(my master's)-Genesis 24:36,אדני(is my master)-Genesis 24:65
  4. ^ H113 adon
  5. ^ H113 'adown
  6. ^ H113 'adown
  7. ^ 『新改訳聖書』あとがき。
  8. ^ 日本聖公会祈祷文訂正委員報告』p.52 1893年
  9. ^ 柳父章『ゴッドと上帝』筑摩書房、1986年、120〜131ページ、ISBN 4480853014
  10. ^ ブリッジマン・カルバートソン訳『舊約全書』江蘇滬邑美華書館[リンク切れ]1863年
  11. ^ ブリッジマン・カルバートソン訳『新約全書』上海美華書局[リンク切れ]1863年
  12. ^ 柳父章『ゴッドと上帝』筑摩書房、1986年、160〜162ページ、ISBN 4480853014
  13. ^ 柳父章『ゴッドと上帝』筑摩書房、1986年、122ページ、ISBN 4480853014
  14. ^ 『ヘブライ文字の第一歩』p.2
  15. ^ Journal of Biblical Literature 聖書文献ジャーナル誌英語(第96巻 63-83ページ)
  16. ^ אדני
  17. ^ ハーザー』2011年1月号
  18. ^ Journal of Biblical Literature 聖書文献ジャーナル誌英語(第79巻111-118ページ)
  19. ^ Journal of Biblical Literature 聖書文献ジャーナル誌英語(第96巻76,77ページ)
  20. ^ 『中公バックス 世界の名著 13 聖書』(ISBN 978-4-12-400623-0)
  21. ^ 日本聖書協会文語訳 小型聖書』(この聖書について、「明治初期、J.C.ヘボンを中心とした委員会が翻訳し、広く日本の思想・文学に影響を与えた旧新約聖書です。スマートかつコンパクトに仕上げました」と書いてある)
  22. ^ 宗教年鑑平成24年版』文化庁編 p.123(PDFのページ数ではp.139)
  23. ^ 正木 弥神のみ名」『新世界訳聖書は改ざん聖書』びぶりや書房(現ビブリア書房)、2007年11月
  24. ^ 司教協議会への手紙――「神の名」について - カトリック中央協議会 フランシス・アリンゼ、アルバート・マルコム・ランジス
  25. ^ ジャン・カルヴァン『信仰の手引き』13頁、新教出版社1956年
  26. ^ ヘンリー・シーセン著『組織神学』203-241頁、聖書図書刊行会1961年
  27. ^ エル・ベルコフ著『改革派神学通論』52-66頁、活水社書店1952年
  28. ^ フロイド・ハミルトン著『キリスト教信仰の基礎』192-194頁、聖書図書刊行会1957年
  29. ^ クルアーン第112章1-4節。“言え、「かれは神、唯一の御方であられる。神(アッラー)は自存され、御産みなさらないし、御生まれになられたのではない、かれに比べ得る何もない。」”(「言え、」という部分は大天使ガブリエルがムハンマドに、「言え、」と命じているのである)。
  30. ^ クルアーン第4章163-164節、クルアーン第46章12節
  31. ^ クルアーン第2章255節
  32. ^ ジークムント・フロイト『モーセと一神教』ISBN 978-4480087935 「唯一神教アマルナ起源説」等という。吉村作治も学説としてではないが、著書の中で類似のアイディアを披露している。

特定の新興宗教

参考文献

関連項目