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安藤勝己

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安藤勝己
2011年桜花賞表彰式
基本情報
国籍 日本の旗 日本
騎手情報
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安藤 勝己(あんどう かつみ)は日本中央競馬会 (JRA) の元騎手、現在は競馬評論家。

アンカツ」のニックネームで親しまれている。出生から幼少時までの姓は「北浦」であったが、中学2年生のときに両親が離婚、母親に引き取られ「安藤」姓となる。両親はのちに復縁したが、復縁時には逆に父親が安藤籍に入ったため、本名は現在でも「安藤勝己」である[1]

なお本項ではほかの安藤姓の競馬関係者と区別するため、とくに断りのない限り安藤勝己を「勝己」と表記する。

来歴

笠松時代のお手馬

フェートノーザン
安藤自身が笠松時代で思い出に残る馬として名前を挙げている[2]。同馬とのコンビでは、地元の東海地区にとどまらず中央との交流戦であったブリーダーズゴールドカップ帝王賞に遠征して勝利をあげるなど全国レベルで活躍した[3]

中央競馬への移籍

JRA騎手試験を受験

2001年には中央競馬への移籍を目指してJRA騎手試験を受験する。公営ジョッキーが現役のままJRAの騎手試験を受けることは前代未聞であり注目されたが、結果は1次試験で不合格となった。これはJRA競馬学校卒業者と同じく学科試験を課されたからであると言われているが、橋口弘次郎調教師が「アンカツだけは特例と思ってた、ファンの立場からすればあれだけ信頼して買える騎手もいない、競馬界にマイナス」と非難した[4]

中央競馬移籍

2013年

2013年に入っても実戦騎乗がない状況が続く中、1月30日に次年度の騎手免許更新の手続きをしていないことが明らかになった[5]。同日、納得のいく騎乗ができなくなったことを理由に、翌1月31日を以って騎手免許を返上することを表明した[6]。2月3日に京都競馬場で引退式が行われた。なお、後日公式twitterにて、前述の2012年京阪杯でパドトロワに騎乗したことをふり返り、「京阪杯はもっとやれると思っとった。動かしきれんで納得いかなくて、引退決意したんや」と引退の理由を明かした[7]

引退後

引退の記者会見では「調教師や調教助手になるつもりはない」としながらも「ファンに競馬のよさを伝える仕事ができれば」と語っていたが[8]、現役時代から続けている『週刊実話』のコラム「アンカツの『勝負師の極意』」(現役引退と同時に終了)に加え、2013年4月には『競馬最強の法則』(KKベストセラーズ)で「競馬アンカツの流儀」、東京スポーツでコラム「GIはアンカツに聞け!」[9]など、相次いで競馬関連メディアで連載をスタートさせており、現在は競馬評論家として活動を行っている。

著書

  • 『安藤勝己自伝 アンカツの真実』(エンターブレイン、2003年5月)
  • 『アンカツ日記』(芸文社、2003年5月)

脚注

  1. ^ 安藤勝己『安藤勝己自伝 アンカツの真実』、エンターブレイン、2003年、12-13頁参照
  2. ^ “「もう馬に乗ることはない」安藤勝己騎手・引退会見の様子(後半)”. 競馬ラボ. (2013年1月30日). http://keibalab.jp/topics/16406/ 2015年9月13日閲覧。 
  3. ^ 地方でも中央でも超一流 安藤勝己騎手引退”. 地方競馬全国協会. 2015年9月13日閲覧。
  4. ^ なんかモヤモヤ、アンカツ不合格(All About競馬 2001年12月03日)
  5. ^ アンカツ引退!地方からJRA移籍のパイオニア、騎手免許更新せず”. 2013年1月30日閲覧。
  6. ^ 安藤 勝己騎手が引退”. 2013年1月31日閲覧。
  7. ^ 安藤勝己ツイッター(2013年5月7日) - Twitter、2015年12月3日閲覧
  8. ^ アンカツ引退会見「調教師になるつもりはない」 - 東京スポーツ・2013年1月30日
  9. ^ 競馬界の“生ける伝説”アンカツが本紙に登場 - 東京スポーツ・2013年4月8日

外部リンク