ジョニー・バレンタイン
ジョニー・バレンタイン | |
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プロフィール | |
リングネーム |
ジョニー・バレンタイン ロッキー・バレンタイン ザ・ビッグ・O |
本名 | ジョン・セオドア・ウィスニスキー |
ニックネーム |
金髪の妖鬼 The Bad Man from The Badlands |
身長 | 193cm |
体重 | 120kg - 125kg |
誕生日 | 1929年9月22日 |
死亡日 | 2001年4月24日(71歳没) |
出身地 |
アメリカ合衆国 ワシントン州シアトル |
トレーナー | スタニスラウス・ズビスコ |
デビュー | 1946年 |
引退 | 1975年 |
ジョニー・バレンタイン(Johnny "The Villain" Valentine、本名:John Theodore Wisniski、1929年9月22日 - 2001年4月24日)はアメリカ合衆国のプロレスラー。ワシントン州シアトル出身のポーランド系アメリカ人。生年は1928年とも言われる。
"The Bad Man from The Badlands" の異名を持つヒールの大型ラフファイターとして、NWA、WWWF、NWFなど全米の主要テリトリーで活躍した。日本での異名は「金髪の妖鬼」。息子のグレッグ "ザ・ハンマー" バレンタインもプロレスラーである。
来歴
1946年にプロレス入り。ロープワークや投げ技を「リアルに見えない」との理由から非常に嫌い、肘・拳による打撃と基本的な絞め技だけで攻めるという独自のスタイルをつくった。そのニックネームの由来となったグラスブルーの眼から放たれる妖気もあってスーパースターとなったが、一つの地域に留まることをせず旅を続けながら各地の大物選手と戦い続けた。歴代NWA世界ヘビー級王者にとっては「最強の挑戦者」の一人であり、特にバディ・ロジャースとは最大のライバルであった。1966年10月、東京プロレスの旗揚げシリーズに初来日し、エースに擁されたアントニオ猪木と伝説的な名勝負を残す。この試合は猪木の出世試合として有名であるが、東京プロレスにテレビ中継がつかなかったため映像は残っていない。
その後国際プロレス、日本プロレスに来日。1972年にはジャイアント馬場のインターナショナル・ヘビー級王座に挑戦したが、この直後馬場が王座を返上(独立し全日本プロレス創立のため)、これが馬場の最後のインター防衛戦となった(「最後のインター戦」という記載も散見するが、ブルーザー・ブロディがインター王者だった1980年代に馬場が挑戦したことがあるので厳密な意味においては「最後のインター戦」は誤りである)。1973年には坂口征二の日本プロレス離脱に伴う混乱のさなかに来日し、2月23日にインターナショナル・タッグ王座を大木金太郎・坂口征二組から、3月2日にUNヘビー級王座を坂口からそれぞれ奪取したものの、インタタッグ王座は3月6日に大木金太郎&上田馬之助に、UN王座も3月8日に高千穂明久にそれぞれ敗れ王座陥落。この時、日本プロレス側から「坂口を潰して(坂口が離脱・新日本入りを表明していたため)くれれば特別ボーナスを出す」という誘いがあったというが、バレンタインは乗らなかったという。日本プロレス崩壊の5か月後の同年9月には新日本プロレスに登場。
1975年10月4日、移動中の飛行機事故で腰と足の骨を折り、再起不能となって引退。なお、この時同じ飛行機にリック・フレアーが乗っていて重傷を負ったが、こちらはなんとか復帰可能な怪我ですんだ(下っ端だったので視界の悪い席に座らされており、それが幸いしたという)。フレアーとはこのしばらく前からタッグを組んだばかりであり、フレアーは復帰後バレンタインの勧めもあってロジャースのコピーを始めていくことになる。1990年9月に猪木のデビュー30周年イベントで久々に姿を現したが、その時もなお松葉杖をついて歩いていた。
必殺技「エルボー・ドロップ」を始めとする一連のエルボー攻撃は凄まじい破壊力があり、あるレスラーは「あいつのヒジには本物の針が仕込まれている」と語ったほどである。また、ジャイアント馬場の話では、馬場の先輩レスラーがバレンタインと対戦した際、バレンタインが両目をカッと見開いてヒジを振り上げただけで悲鳴をあげて逃げ回ったという。
得意技
獲得タイトル
- NWAテキサス・ブラスナックル王座:2回
- NWA USヘビー級王座(テキサス版):1回
- NWAテキサス・ヘビー級王座:8回
- NWAテキサス・タッグ王座:1回(w / エディ・グラハム)
- NWAアメリカン・ヘビー級王座:1回
- NWAアメリカン・タッグ王座:3回(w / ワフー・マクダニエル×2、サンダーボルト・パターソン)
- メープル・リーフ・レスリング
- NWA USヘビー級王座(トロント版):7回
- NWAインターナショナル・タッグ王座(トロント版):5回(w / ブルドッグ・ブラワー、ザ・ビースト、ジム・ハディ、ホイッパー・ビリー・ワトソン×2)
- NWAミッドアトランティック・ヘビー級王座:2回
- NWA USヘビー級王座(ミッドアトランティック版):1回
- NWAデトロイト
- NWA USヘビー級王座(デトロイト版):3回
- NWAウエスタン・ステーツ・スポーツ
- NWA北米ヘビー級王座(アマリロ版):1回
- NWAカナディアン・ヘビー級王座(カルガリー版):1回
- NWAミズーリ・ヘビー級王座:1回
- NWAジョージア・ヘビー級王座:1回
- NWAハリウッド・レスリング
- NWAビート・ザ・チャンプTV王座:1回
- NWAミッドパシフィック・プロモーションズ
- NWAハワイ・タッグ王座:1回(w / リッパー・コリンズ)
- NWA世界タッグ王座(ミネアポリス版):1回(w / Chet Wallick)
- NWA USタッグ王座(ノースイースト版):3回(w / ドクター・ジェリー・グラハム、バディ・ロジャース、カウボーイ・ボブ・エリス)
- WWWF USタッグ王座:1回(w / アントニオ・プリエーゼ)
- NWF世界ヘビー級王座:2回
- NWF北米ヘビー級王座:2回
- UNヘビー級王座:1回
- インターナショナル・タッグ王座:1回(w / キラー・カール・クラップ)
- その他
エピソード
- そのスタイルからルー・テーズからは「タフガイ」と呼ばれた。
- かなり変わった人物であったらしく、会場に招待された若き日のジョージ・H・W・ブッシュにいきなり中指を突き立てたこともある。フレアーによれば、控え室では一人で読書やチェスをしていることが多く、移動のときはオペラを聴いていたという。