深見東州
この項目は著作権侵害が指摘され、現在審議中です。 審議の結果、該当する投稿以降の全ての版またはこのページ全体(すべての版)が削除される可能性があります。問題箇所の適切な差し戻しが行われていれば、削除の範囲は問題版から差し戻し直前の版までとなる可能性もあります。適切な差し戻しが行われていないと考えられる場合は、この版の編集や引用はしないで下さい。著作権上問題のない自分の投稿内容が削除される可能性のある方は、早めに控えを取っておいて下さい(詳しくはこちらの解説をお読み下さい)。 該当する投稿をされた方へ: ウィキペディアでは、著作権上問題のない投稿のみを受け付けることになっています。他人の著作物を使うときをお読み頂いた上で、審議にご協力をお願いします。自分の著作物を投稿されていた場合は削除依頼を出されたらをご覧下さい。 審議が終わるまで、このお知らせを除去しないでください。 (以下、著作権侵害の可能性がある箇所を取り除いた内容を暫定的に表示します。) |
このページのノートに、このページに関する議論があります。 議論の要約:深見青山のセクハラ訴訟について |
ふかみ とうしゅう 深見 東州 | |
---|---|
生誕 |
半田 晴久 1951年3月18日(73歳) 兵庫県西宮市 |
国籍 | 日本 |
別名 | 戸渡阿見、レオナルドTOSHU |
出身校 |
同志社大学経済学部 武蔵野音楽大学特修科(マスタークラス)声楽専攻卒業 エディスコーエン大学芸術学部大学院修了。創造芸術学修士(MA) 清華大学美術学学科、文学博士(Ph.D.) 浙江大学中文学科、文学博士(Ph.D.) |
職業 | 宗教家、芸術家、福祉活動家、評論家、歌手、オペラ歌手、画家、書家、能楽師、実業家など |
テレビ番組 | サクセス登龍門、世界のいま、HANDA.TVの放映番組 |
肩書き |
在福岡カンボジア王国名誉領事 英国王立盲人協会(RNIB)副総裁 世界ブラインドゴルフ協会総裁 ワールドメイトリーダー[1]など |
受賞 | 紺綬褒章など |
公式サイト |
www |
深見 東州(ふかみ とうしゅう、本名:半田晴久(はんだはるひさ)1951年3月18日 - )は宗教家[1][2]、福祉活動家[3][2]、会社経営者[4][2]。芸術家[5][6][2](歌手[7]、オペラ歌手[8]、画家[7][8]、書家[8]、能楽師[8])、評論家[2]としても活動している[2]。
主に、芸術活動や神道家としての活動等を行う際は、深見東州(ふかみとうしゅう)という通名を使用している。学術活動や評論活動及び公益活動や実業家としての活動を行う際は、本名の半田晴久(はんだはるひさ)で活動している。また、劇団活動や小説家、詩人として作家活動を行う際は、戸渡阿見(ととあみ)というペンネームを使用している。さらに、上記のあらゆる活動を行う人物として登場する際はレオナルドTOSHU(レオナルドとうしゅう)というペンネームをラジオパーソナリティ名やツイッター上で使用している。過去には、深見青山(ふかみせいざん)という通名を使用していた[9]。
人物像
経歴
1951年、兵庫県西宮市で、父・利晴(としはる)、母・志保子の長男として生まれる。お宮参りは西宮神社である。半田家は、代々酒樽製造業を営んでおり、最盛期には灘五郷の酒蔵の酒樽造りを一手に引き受けていたという日本一の酒樽屋だった[10]。物心ついたころ、家庭では、気性の激しい父が母に鬱積したエネルギーをぶつけ、夫婦喧嘩が絶えなかった。そこで、部屋の隅に隠れ、「母を助けたまえ」と神仏に祈り続ける毎日を過ごしていた[11]。少年時代に、彼の福祉活動や宗教活動を支える理念[注 1]。が芽生えた[12]。幼少の頃からひときわ霊的な感応力が強く、数々の神秘体験を経験した[13][12]。
1962年、10歳の頃、近隣の世界救世教で信仰に目覚めた母より宗教心を育てられる[14][注 2]。学校では生徒会活動に打ち込み、救世教で学生部を結成すると、その熱心な活動ぶりが支部の上部機関である教会長の知るところとなり、教会所属に加えられる。その教会長のことば[注 3]で己の態度を反省し、父親と正面から向き合うように努める。変貌ぶりに驚いた父の問いに、「『救世教』の教会長に言われて反省したんです」と正直に言うと、翌日、父・利晴は、『救世教』の支部に行き、入信する。こうして、信仰により、家庭に平和が訪れることとなった[12]。
1967年、15歳で、世のため、人のために生きるという人類救済の発願をする[15]。その後、母の原因不明の病気治癒がきっかけで救世教から大本教へ転向することとなる。『大本教』屈指のシャーマンであった松本マツ子[注 4]の支部に通うようになると、大本の教典である『お筆先』や出口王仁三郎の大著『霊界物語』を読破し、救世教当時の疑問を解決する[16]。
兵庫県立鳴尾高等学校より同志社大学経済学部に進学。専攻は国際金融論。ゼミのテーマは「南北問題の経済援助について」。父から半ば強制的にESS(ハードな部活で知られる)に入るように言われる。後に、ESSのプレジデント、Discussion Sectionの代表を務めた。ESSの活動に打ち込むバイタリティは、学生の間でも超人的な努力と評判となる。[注 5]大学4年の時、同志社女子大の付属高校のESSのコーチを引き受けた。[注 6]
同志社大学を卒業後、大和ハウス工業の営業マンとして東京に赴任する[17]。1977年に、大本教と提携している銀座の道院紅卍字会で、根本宏に師事をする[注 7]。道院紅卍字会で神託[注 8]を受け、根本よりひたすら中国の古典やあらゆる宗教の原典を学ぶ。そして、わずか一年足らずで根本より「もう私からあなたに教えるものは何もない。あなたは『任天(にんでん)の導師[注 9]となる人に違いない」と評価される。その後、根本の仲介により、生涯の師となる植松愛子と出会い[注 10]弟子入りする。1978年、植松の指示を仰ぎながら[18]株式会社ミスズを設立、みすず学苑の経営に携わる[17]。1984年、ワールドメイト(旧コスモコア[19])を設立し講演活動を始める。その後、宗教活動、福祉活動、公益活動、芸術活動の他、国内外に十数社を経営し[7]、抽象的理念にとどまらない実践派[20]コンサルタント[7]としてシンポジウム、講演会を主催、経営評論活動を行い、テレビの外交コメンテーターとしても活動[7]。
2013年3月30日より、HANDA.TV(インターネットテレビ)で、出演番組を毎日放映している。
学歴・称号等
同志社大学経済学部卒業。武蔵野音楽大学特修科(マスタークラス)声楽専攻修了[要出典]。西オーストラリア州立エディスコーエン大学芸術学部大学院修了[要出典]、創造芸術学修士(MA)。清華大学美術学院美術学学科博士課程修了、同美術学院で2006年に文学博士(Ph.D.)[21][22]。浙江大学大学院中文学部博士課程修了[23]、同大学院で2007年に文学博士(Ph.D.)[21][22]。
ジュリアード音楽院名誉人文学博士[24]。オックスフォード大学Honorary Fellow[25]。ロンドン大学東洋アフリカ研究学院(SOAS)Honorary Fellow)[26]、グロスタシャー大学名誉博士[27][28]。その他、西オーストラリア州の西オーストラリア大学、カーティン工科大学[29]、エディスコーエン大学より名誉博士号を授与される。
カンボジア大学総長[30]。 カンボジア政府顧問(首相と副首相に次ぐ上級大臣[7][注 11])ならびに首相顧問(オフィシャル・アドバイザー)[31]。 パシフィックフォーラム CSIS理事[32]。日本国際フォーラム理事。アジア・エコノミックフォーラム ファウンダー(創始者)[7]、チェアマン[33]、東南アジアテレビ局解説委員長[7]、東南アジア英字新聞論説委員長。
英国王立盲人協会副総裁[34]、在福岡カンボジア王国名誉領事[35]、国立カンボジア平和協力研究所(CICP)総裁、日本文化・経営研究センター所長。
中国国家一級美術師、中国国家一級声楽家、中国国家二級京劇俳優。高校生国際美術展実行委員長。東アジア美術交流祭会長。現代日本書家協会顧問。日本デザイン文化協会評議員。日本ペンクラブ会員。現代俳句協会会員。宝生流能楽師、公益社団法人能楽協会会員。IFAC・宝生東州会会主。「東京大薪能」主催者代表。茶道師範、華道師範、書道教授者。カンボジア王室コマンドール友好勲章、カンボジア王国ロイヤル・モニサラポン大十字勲章受章。カンボジア王国モニサラポン・テポドン最高勲章、カンボジア王室ソワタラ勲章大勲位受章。中国合唱事業特別貢献賞、西オーストラリア州芸術文化功労賞受賞。2004年11月、インターナショナル・ロータリーより、ポール・ハリス賞受賞(WA Rotary Club Paul Harris Fellow)。2005年6月、紺綬褒章受章。西オーストラリア州首都パース市、及びスワン市の名誉市民(「the keys to the City of Perth」、「the keys to the City of Swan」)など。
人柄
- 中学の担任より、「君が志望校に合格するなら、全員が合格するよ」と言われる成績であったが、半田はその言葉を、「みんなが合格するためには、自分が合格しなければならない」という励ましの言葉であると受け取る。そして、志望校に合格すると、担任より「お宅のお子さんは稀にみる素直な子ですね。教師生活20年で、初めて見ましたよ」と言われる[36][37]。
- 生涯不犯の誓いをたてており、生涯独身を通すことを決意している[38]
- 「現代は、宗教の枠を超えて、広く活動していく必要があり、『理想社会』の達成という神仏や歴代の宗祖たちの悲願を継承し、新しい時代のあらゆる分野について、ご神意にかなう方向性を示し、締めくくりをすることが、自分に課せられた使命である」と発言している[39]。
- 世界救世教、大本教、道院紅卍字会については、「魂のふるさととして大切にしたい」と発言している[40]。
対人関係
- 「同時通訳の神様」で知られる國弘正雄より、「現代のルネッサンスマン」と呼ばれ、多芸多才を評される。学生時代、國弘正雄のラジオ講座を聞いて英語の練習をしていたということもあり、社会人になって出会ってから意気投合し、今も親交が深い。[要出典]
- 「ショートショートは阿刀田高さんが一番で、人間性のすばらしさが滲み出る、すがすがしい文体が好き」と述べており[41]、世界のいまで共演もしている。
- 神道関係者から最も尊敬を受けていた小泉太志命が、80歳を超えて病に伏したときに、側近に再三招くように命じて面会をしている。小泉太志命が自分から面会を求めたのは、後にも先にもこのときのみであったという[注 12]。
- 湯川れい子は「こんな歌い手さんが日本にいたなんて驚きです! 実に素直で、丁寧で、その楽曲に対する心からの敬意と愛情が感じられる、優しく暖かい歌声であることに、びっくりさせられます」とコメントしており[42]、『TOSHU FUKAMI sings GOLDEN POPS』、『TOSHU FUKAMI sings ゴールデン演歌』などを監修している。
- 安田喜憲の依頼により、富士山の世界文化遺産登録の実現のために、第37回世界遺産委員会議長をつとめたカンボジアのソクアン副首相等に、三保松原の重要性を直接話すなどの働きをした[43]。
- 映画シャインのモデルとなったデビッド・ヘルフゴットと親交がある。ヘルフゴットが初来日した際に、深見がヘルフゴットのために作曲したという「アンドロメダ・ファンタジア」や、その他、ピアノ小品集などが、ヘルフゴットにより、演奏録音された[44]。
- マイケル・ボルトンとは人権問題の活動推進を通して意気投合したという[45]。2012年11月にシンガポールでチャリティーライブを共演し[46]、翌2013年9月には、日本武道館で、ピーター・セテラとともにトリプルバンドでチャリティーライブを共演した[45]。
- ジミ・ジェイミソン(サバイバーのボーカル)とともに、日本で、ロックコンサート「深見東州と世界の友人コンサートツアー」にダブルバンドで出演した。
- ニック・ファルド(プロゴルファー)と親交が深く、 Handa Faldo Cambodian Classic を開催し、ニック・ファルド アジアシリーズ公式国際大使[47]やニック・ファルド基金名誉顧問も務めている[48]。
- ビル・クリントンと友人関係にある。マイケル・ボルトンはクリントンと深見の共通の友人である[8][7]。
宗教活動・宗際化活動
宗教者同士が宗教・宗派の違いを超え、世界平和実現のために対話し協力しあう宗際化活動を推進している[注 13]。日本人かつ神道家としてただ一人、国際的な宗際化活動を推進するParliament of the World's Religions 名誉国際顧問[49]とWorld Faiths Development Dialogue (WFDD)理事[50]をつとめる。仏教においては声明の大家である天納傳中大僧正に師事し、天台座主(天台宗総本山、比叡山延暦寺住職)の許可のもと在家得度[51]、禅においては臨済宗東福寺派管長の福島慶道師に認められ、居士名「大岳」を得たとしている。25歳で宗教活動を開始してワールドメイト(旧コスモコア)を起こし、宗教書を複数著している。[52]
福祉活動
福祉について、3つのことを大切にしている。1つ目は「福祉とは障害者や困窮する人の自己実現のお手伝いのことである」ということ。2つ目は、「民間のやるべき福祉とはなにか」ということである。民間人は大きすぎない規模で成果を目の当たりにできるユニークなものをするべきで、福祉を行うことの喜びを身をもって感じられることが大切だと考えている。3つ目は、「福祉を通じて心の交流をする」ということであり、心の通う福祉こそが本当に活きた福祉であると考えている[53]。
ブラインドゴルフ(視覚障害者ゴルフ)
1988年に、日本で初めて、ブラインドゴルフ倶楽部を設立し、日本に初めてブラインドゴルフを紹介した「日本のブラインドゴルフの父」として知られ[54]、世界盲人ゴルフ協会の総裁を務める[55][注 14]。視覚障害者福祉の必要性に目覚めたのは、日本ブラインドゴルフ振興協会の初代会長となった松井新二郎(当時は日本盲人職能開発センター所長)との出会いにより、「視覚障害者があらゆる障害者の中でも恵まれない環境にある」と聞いたのがきっかけであるという。ブラインドゴルフに取り組む前年の1987年に、オーストラリアのパースにあるゴルフ場でプレーするブラインドゴルファーの底ぬけに明るい人柄とゴルフを楽しむ優れたプレーに深く感動する。その後、自ら主宰するセミナーで、一番ヶ瀬康子(当時は日本女子大教授)の「福祉とは障害のある方が自己実現することを手伝うことだ」という言葉に感銘を受け、「福祉活動の原点とは、障害者に、自己実現できる場所や環境を提供することである」と考えるようになる。豪州でプレーしていたブラインドゴルファーが、今まで会った視覚障害者のなかで、最も明るく、楽しく、幸せそうであったことから、民間の「ゴルフの社会貢献」として、ブラインドゴルフの世界的な推進活動を展開している[56]。
障害者ゴルフ
障害者ゴルフ普及のため、2012年1月、英国PGAとISPSを通じ、英国PGAのプロ選手に障害者ゴルファーへのコーチ資格を与える「ISPSハンダPGAアカデミープログラム」を始める[57]。
カンボジアでの福祉活動
24時間無料の救急病院(シアヌーク病院)建設
1996年12月、カンボジアの首都プノンペンに、24時間無料救急病院シアヌーク病院を建設することを決意。カンボジア政府から無料で提供された土地に、二階建、40ベッド、緊急集中治療設備を擁した近代的な24時間体制の救急無料病院を、リーダーをつとめるワールドメイトを通じて建設した。この病院の運営は、自らがリーダーを務めるワールドメイトが毎年億単位の運営費を拠出し、ワールドメイトと「ホープ・ワールドワイド(Hope Worldwide)」(世界75ヶ国で慈善事業を展開するNGO組織)が、同等のパートナーとして協力している[58]。
また、チャリティーコンサートを企画し、栗林義信らとコンサートを共演し、収益金をシアヌーク病院に寄付するなどの慈善活動も行う [59] 2003年1月に第二病棟が完成した時、ワールドメイトを通じた活動を評し、カンボジア王室より民間で初めてコマンドール勲章[60][注 15]を受勲。
クメール・ルージュの犠牲者へ義捐金
「クメール・ルージュによるジェノサイドの犠牲者への補償、および追悼のためのDr.HANDA 基金」会長。クメール・ルージュの犠牲者の現状を知り、自ら3千万円を寄付し、義捐金制度を設立した。同基金にはワールドメイトがさらに1億円の寄付を行った。同基金は義捐金引換証を手渡しで犠牲者へ授与する儀式を5度行い、同時に遺族の体験を記録する活動を行った。2009年2月までに、クメール・ルージュの遺族3,703世帯が義捐金を受けた[61]。
この功績により、カンボジア王国政府より、モニサラポン・テポドン最高勲章(福祉分野の最高賞)、ソワタラ勲章大勲位(福祉分野の二番目の賞)を受けた[62]。
孤児への支援
プノンペン郊外にある「ワールドメイト未来の光孤児院」会長をつとめている。代表をつとめる団体を通じ、287名の子供たちのための支援を継続的に行い[63]、孤児院内に寮やコンピューターハウスを建設、寄贈している[64]。さらに、里親制度を設立し孤児の里親として生活費や学費の援助を推進している[64]。
カンボジア大学
2003年、カンボジア大学初代総長を務める。2007年より、フンセン首相の提案により始まった「サムデック・フンセン・ハンダ・ナショナル・スカラーシップ」にワールドメイトが資金提供し、毎年、成績優秀な学生500人が授業料無償で通学、学士の学位を取得できるようにした。2007年〜2009年で各500人、計1500人採用した [65] [66]。2008年12月、この功績により、カンボジア王室より、ロイヤル・モニサラポン大十字勲章(教育分野の最高賞)を受勲[67][出典無効]。
小学校の建設
2005年からは、学校がない貧しい地域の子供たちのために、小学校の校舎を20校建設したいというフンセン首相の希望を受け、代表をつとめるワールドメイトが「フンセン小学校プロジェクト」を支援し20校を竣工予定[60]。
中国での福祉活動
2001年、中国の伝統文化の振興と繁栄を目的として、中国国家文化部に「造形舞台芸術創作及び学術研究成就賞」を設立[注 16] 中国における児童福祉の貢献に対し、IFACの代表として、2002年6月、「中国児童慈善家」ベスト10人に、ノミネートされ、中国国家民政部より表彰される[68][69]。
小学校建設の計画
2000年4月、会長をつとめるIFACの寄付により、中国児童少年基金会と地元の教育委員会の三者が協力し、毎年10校ずつ合計130校の小学校を最貧地域に建設する「春蕾小学校」建設を推進している[70]。このプロジェクトでは、校舎の建設支援のほか、学内の備品、1000冊以上の蔵書の図書館、スライドやコンピュータ等を寄贈している。さらに、「露天舞台(野外体育館のようなもの)」を作り、開校式では、この舞台で中国の伝統芸能である京劇公演や、歌、おどり、漫才などを開催し、地域の人達全員が楽しめるようにした。こうした文化的催しは、貧しい地方では、何年間に一度あるかないかのことで、近隣の村からも何万人もの村人が見物に集まる[71]。
貧しい子どもへの学費支援
中華全国婦女連合会が進める中国児童少年基金会「春蕾計画」の一環として、会長をつとめるIFACの寄付により中国全土の11の貧しい少数民族地区出身の優秀な生徒がつどう「春蕾クラス」30名の学費を支援[72]。当初、香港の事業家が出資していたが、事業不振により支援を打ち切る予定だった「春蕾クラス」30人の高校、大学の学費の支援を申し出たのがきっかけであった。2007年6月「春蕾クラス」30名全員が無事に大学を卒業した[73]。
その他、2001年6月より、中国敦煌市文化経済顧問である縁により、会長をつとめるIFACの寄付により、「支援百名孤児就学計画」として敦煌の孤児100名の学費を支援。2001年9月、北京市私立樹人学校に「第2期 東州春蕾クラス」を設立して32名の学費を支援し、芸術分野の才能に秀でた女子学生11名で構成される天津市三毛芸術学校の「春蕾芸術クラス」の学費を支援[73]。
イギリスでの福祉活動
王立盲人協会(RNIB)副総裁に、日本人で初めて就任する[74]。
1994年、ロンドンのロイヤルアルバートホールで、チャリティーコンサート「アラウンド・ザ・ワールド」を主宰した。同副総裁の英国国教会(元)カンタベリー卿ジョージ・ケアリーと協力し、宗教・言語・民族が複雑に絡み合う地域での青少年の正しい育成を目指し、2004年にエリザベス2世が開校した Lambeth Academy (Learning Trust) をワールドメイトを通じて支援。2008年、「英国国教会聖職者のためのセントルークス病院」の白血病の子供達のための基金等をワールドメイトを通じて支援した。エリザベス2世には三度謁見している[74]。
オーストラリアでの福祉活動
2004年10月、西オーストラリア州芸術文化功労賞受賞。オーストラリア人権教育評議会名誉顧問。就任時に、国際名誉市民の称号を授与される。西オーストラリア州首都パース市名誉市民。西オーストラリア州スワン市名誉市民。西オーストラリア州立エディスコーエン大学では、ワールドメイトを通じて「ハンダスタジオ」を寄贈したり、パースのスピーチ&ヒアリングセンター(聾唖センター)内に、専門図書館兼遠隔教育センターを設立するなど教育支援、福祉支援を推進している。
アルバニアでの福祉活動
アルバニア、ジロカストロ市名誉市民。2001年5月、アルバニアの中でも最貧地域のブトリントに、ワールドメイトを通じて最初の近代的な学校を建設し、寄付。その他、ワールドメイトを通じてジロカストロに初の職業訓練校を建設し、その付近の荒廃した病院を近代的な病院として再建する。
スポーツ振興
NPO法人日本インストラクタープロゴルフ協会(JIPGA)認定プロ。FOSゴルフ指導者協会認定プロフェッショナルゴルフ指導者。
「スポーツの力」が平和に役立ち社会をよりよくするという信念により、スポーツによる社会貢献や福祉を推進している。2003年より、ゴルフ界全体が活性化し裾野が広がればブラインドゴルフの輪も拡大するという考えから、シニアゴルフ、女子シニアゴルフ、ジュニアゴルフ等の支援の推進を始め、現在は、ボウリング、アーチェリー、ボート、ボクシング等の支援も推進している。
自身が会長をつとめるISPSが大会を主催する際には、フィランソロピー大会[注 17]として収益や賞金の一部を選手が社会福祉団体へ寄付をするほか、国籍、年齢、性別、身体障害の有無等の垣根を越えて共にプレーする大会を数多く催すなど、新たなスポーツ文化、福祉文化の創造に尽力している[75]。
女子シニアゴルフ
2003年、ブラインドゴルフ振興協会創立15周年の記念大会を神戸ゴルフ倶楽部で開催した際、クラブの人の「最初の100年はゴルフの普及。次の100年はゴルフの社会貢献」という言葉に感銘を受け、ゴルフの社会貢献を行う決意をする。翌2004年、プロゴルファーの稲葉真寿美より、女子シニア公式戦は米国にしか存在せず、日本の女子シニアプロは試合に出る機会がない厳しい実情を聞く。そこで、自ら米国女子シニアゴルフ協会に呼びかけ、2005年4月、米国女子シニアの公式戦「第1回ワールドシニアゴルフレディースオープン選手権」(日本ブラインドゴルフ振興協会(JBGA)、世界ブラインドゴルフ協会(IBGA)、The LEGENDS Tour(旧米国女子シニアゴルフ協会)の共催[注 18])を初めて日本で開催。続いて同年6月、自身が会長を務めるJBGAの主催により「JBGA シニアレディスカップ」を、日本女子シニアゴルフ協会(JLPGA)の協力により開催する。この試合がきっかけとなり、他に日本女子シニアゴルフの大会が二つ開催され、その後、日本においても、女子シニアゴルフの公式戦が毎年複数開催されるようになる。
日本女子シニアゴルフが興隆したことで、2006年より日本女子プロゴルフ協会(JLPGA)で、シニア登録の制度が始まり、日本女子シニア初のQT(クォリファイングトーナメント)も開催される。
こうしたゴルフ興隆に対する貢献等により[76]、本名の半田を冠したHanda Cup (米国女子シニア LEGENDS Tour )[注 19]等の大会が開催されるようになった[77]。
男子シニアゴルフ
2007年~2010年、日本プロゴルフ協会(PGA)の申し出により、男子シニアゴルフの三大公式戦の一つ「PGA Handa Cup フィランスロピートーナメント」に会長を務めるISPSが特別協賛(2010年は欧州シニアツアーとの共催)。2009年より、Handa Australian Senior Open (PGA LEGENDS Tour)、2011年は東日本大震災により開催を自粛するが、2012年より、ISPS Handa PGA Seniors Championship (欧州シニアツアー )、「ISPS ハンダカップ・灼熱のシニアマスターズ」(2013年は「ISPS ハンダカップ・五月晴れのシニアマスターズ」というタイトル)「ISPS ハンダカップ・秋晴れのシニアマスターズ[78]」、2013年より、「ISPS ハンダカップ・フィランスロピートーナメント[79]」も加わりPGAシニアツアー3試合、「ISPS グローイング シニアオープン ハンダ熱血シリーズ(5試合)」、「ISPS スーパーシニア</ref>[注 20]等の支援[80]。
大会では毎回プロアマ戦を設け、プロ、アマチュア、ブラインドゴルファーがチームを組んで交流を深める混合大会を開催するなどの、新たな試みも行う[81]。
ゴルフの国際貢献
ヨーロピアンシニアツアー顧問兼国際大使、アジアンツアー国際大使、ニック・ファルド・アジアシリーズ公式国際大使[47]。2010年、ASIA-PACIFIC GOLF PERSONALITY OF THE YEAR(アジア太平洋ゴルフパーソナリティー賞)授賞[82][注 21]。 2006年11月、自身が会長をつとめるISPSを通じ、男子シニア、女子シニア、男子ジュニア、女子ジュニアが一緒に、ひとつのタイトルを争う世界初の混合大会Handa Australian Cup(現:ISPS HANDA AUSTRALIA CUP)をオーストラリアで開催する。各国の選手が集い、シニアはジュニアに自らの熟練の技を伝え、ジュニアはシニアのすぐれた技術やゴルフへの姿勢、またマナーや経験智を継承する機会を得られる意義深い機会と注目され、以降も毎年開催する[83][注 22]。
その他、ISPS等を通じ、2006年よりHanda Cup (LEGENDS Tour)、2009年より、ISPS Handa New Zealand Women's Open (オーストラリア女子ツアーALPG)、2010年よりISPS Handa Women's Australian Open (ISPSハンダ・オーストラリア女子オープン)(米国女子ツアーLPGA、欧州女子ツアーLET、豪州女子ツアーALPGの共催大会)、ISPS Handa Singapore Classic(アジアンツアー)、2012年よりISPS Handa Wales Open(ISPS ハンダ・ウェールズ・オープン)(欧州PGAツアー)、ISPS Handa Perth International (欧州PGAツアーと豪州PGAツアーの共催)、2013年より、ISPS Handa Ladies European Masters(欧州女子ツアーLET)、Nelson Mandela Championship presented by ISPS Handa (欧州PGAツアーとサンシャインツアーの共催大会)等の公式戦を支援している。 2013年11月21日より4日間、ISPSハンダがタイトルスポンサーとなり、ISPS HANDA ワールドカップオブゴルフ(W杯)開催に尽力した[84][85][86]。ちなみに今大会は五輪で採用される新方式の大会であった[8][注 23]。
ジュニアゴルフ
ISPSを通じ、2006年より、ISPS HANDA AUSTRALIA CUP に、日本のジュニアゴルフ選手の参加を支援。また、2009年より、「日韓対抗 中学・高校生ゴルフ選手権」の支援等。
プロボウリング
2007年より毎年、ISPSを通じ、シニア女子、シニア男子、女子、男子等の複数の公式戦を主催・協賛し、生涯スポーツの一つでもあるボウリングを支援している 。また、主催するフィランスロピー大会では、選手が賞金の一部を社会福祉団体に寄付することとし、ボウリングを通した社会貢献を推進している[87]。
また、自身が会長を務めるISPSが主催するプロボウリング大会の公式戦のプロアマ交流戦で、視覚障害者も参戦する混合大会を設けるなどブラインドボウリングの普及にも尽力している。
ISPSを通じ、2007年より全日本プロボウリング選手権大会、全日本女子プロボウリング選手権大会、2009年より「HANDA CUP フィランスロピー・女子プロボウリングトーナメント」「HANDA CUP プラチナレディースボウリングトーナメント」、2010年より「HANDA CUP・プロボウリングマスターズ」の支援などを行っている。
パラリンピック
障害者ゴルフを、2020年以降のパラリンピックの正式種目採用を目指し、国際的な普及活動を推進している[88][89]。また、日本では、まだ障害者ゴルフが全国障害者スポーツ大会の正式種目でないことから、国体への正式採用の運動も推進している。
2013年、ISPSを通じ、スポーツ祭東京2013(第68回国民体育大会と第13回全国障害者スポーツ大会の共通の国体)のデモンストレーション行事として、障害者ゴルフ大会の実施を支援。
シンクタンク
日本国際フォーラム
日本の民間政策シンクタンクである公益財団法人日本国際フォーラムの理事をつとめる。政策提言の政策委員や緊急提言委員として、「緊急アピール『対露領土交渉の基本的立場を崩してはならない』(2009月4月30日)[90]や「日本国際フォーラム第32政策提言:積極的平和主義と日米同盟のありかた』(2009年10月)[91]、「日本国際フォーラム第33政策提言:外国人展望の受け入れと課題』(2010年11月)[92]、「日本国際フォーラム第35政策提言:膨張する中国と日本の対応』(2012年1月)[93]などに賛意を示し署名をしている。
パシフィックフォーラム CSIS
世界開発協力機構と協力関係にある[94]パシフィックフォーラム CSISでは理事[95]として、アジア太平洋の海上安全保障の確立に尽力している。2012年8月8日、BSジャパンで「アジア太平洋の海上安全保障と日・米・中関係」に関する座談会でモデレーターをつとめ、参加者の発言を意見広告として全国紙に掲載し、アジア太平洋の自由な海洋活動の保障確立に関する意見を提言した[96]。2012年9月30日には、BSジャパンの特別番組として、「激論!! 太平洋安全保障をどう築くのか? ~アジア・太平洋の海上安全保障と日米中関係~」でモデレーターをつとめた。出席者は、マイケル・マクデビット(米海軍分析センター上級フェロー)、香田洋二、楊毅(ヤン・イー。中国国防大学研究員)、ジャスティン・ゴールドマン(パシフィックフォーラム CSISハンダフェロー)
NPO活動
世界開発協力機構
福祉・学術・教育等で国際協力や支援活動等を行う[97]「世界開発協力機構」(Worldwide Support for Development、2008年に特定非営利活動法人認可)の総裁を務める[98][99]。
2009年5月、BS11にて「北方4島返還を考える」をテーマに、モデレーターをつとめ、伊藤、丹波、袴田らと討論番組に出演しその紙面広告の掲載を世界協力開発機構が支援した[100]。 2009年9月〜2010年4年に開催されたカンボジア国際会議『ブリッジ』でチェアマンをつとめ、世界協力開発機構(WSD)が支援した[101]。
スポーツ平和サミット
スポーツ平和サミットとは、NPO法人「世界開発協力機構」が他団体と共催しているスポーツに関する国際会議[102][103]。 2012年から、親交の深いジョージ・ケアリーや、コリン・モイニハン、 キャサリン・マーシャルらと協力し、スポーツ平和サミットの開催に尽力している。翌2013年のスポーツ平和サミット東京大会では、自らの友人のトップアスリートやエキスパートらを中心に[104]16ヶ国から招き、スポーツの価値や素晴らしさを日本から発信した[105]。
世界オピニオンリーダーズサミット
世界オピニオンリーダーズサミットとは、特定非営利活動法人「世界開発協力機構」が主催する国際会議[106]。深見と交友関係にある人物を中心に深見が招聘し[107][2]、世界のリーダーと世界平和貢献などを議論する国際会議[2]
- 第一回世界オピニオンリーダーズサミット
2013年9月6日、総裁を務めるWSD世界開発協力機構が主催で「世界オピニオンリーダーズサミット」にモデレーターとして参加し、世界平和に貢献するための外交政策を熱く議論した[107][108][109]。参加者は、スペシャルゲストとしてトニー・ブレア。ゲストは、高村正彦、ヒシャム・バドル(エジプト外務次官)、ブレンダン・スキャネル(アイルランド大使)、ラルフ・コッサ、伊藤憲一、平林博[110]。トニー・ブレアは深見と親交が深く[111]、参加者はいずれも深見と交友関係にある人物を深見が招聘したという[107]。
- 第二回世界オピニオンリーダーズサミット
2013年11月18日、国際舞台の第一線で活躍する[8]日米外交の主要人物7名を招いて開催[112]。第一部講演とモデレーターをつとめる。 参加者は、ビル・クリントン[113]、コリン・パウエル、ジェイムズ・アンドリュー・ケリー、ラルフ・コッサ、藤崎一郎、小池百合子、伊藤憲一。第一部メインゲスト予定であった町村信孝は、出張先の北海道で寒波に襲われ搭乗便に乗れず[114][7]、急遽深見が第一部の基調講演もつとめた[8]。
ビル・クリントンは深見と舞台上のソファーに座り、リラックスしたムードで「世界における今後の日本の役割」を話し、アベノミクスへの理解を示した[112]。
芸術活動
NPO法人世界芸術文化振興協会会長として、またアーティストとして、書画展やオペラ、音楽コンサート、演能会などの芸術活動を世界中で展開し、チャリティー活動や日本文化芸術の紹介につとめている。声楽、絵画、作詞、作曲、演奏、指揮、俳句、クラシックバレエ、京劇、俳優など、多彩な活動を行っている。中国ではプロの芸術家として、国家一級美術師(2002年9月)、国家一級声楽家(2002年10月)、国家二級京劇俳優(2002年12月)に認定されている。音楽や芸術に関しては、自ら実践し、世界の芸術を紹介しながら、ジャンルを超えた芸術活動を行うという信念を持っている。また、後進の育成にも熱心である。日本ペンクラブ会員。
オペラ・声楽
戸渡阿見オペラ団主宰。中国国家一級声楽家(中国歌劇舞劇院 海外芸術顧問、正団員)。日本語、英語、中国語に加え、ドイツ語、イタリア語、スペイン語、フランス語、ロシア語の歌を歌う。1991年、40歳から、本格的に声楽を志し、音大を受験する。1997年、46歳で武蔵野音楽大学特修科(マスタークラス)声楽専攻を卒業すると、翌年、西オーストラリア州立エディスコーエン大学芸術学部大学院に入学し、研鑽を積み卒業(MA取得)[要出典]。ユーリシッチに師事す[115]。本場イタリア・オペラのベルカント唱法をマスターしている[45]。
オペラ出演・総合プロデュース
1997年3月、オペラ「俊寛」の康頼役でオペラ歌手としてデビュー。2001年、50歳から本格的にオペラを始め、2002年11月14日、オペラ「『聖徳太子』~和を以て貴しとなす」での主演(厩戸皇子役) [116]を皮切りに、毎年、オペラの総合プロデューサーをつとめる傍ら、主演や準主演の出演をこなしている。
毎年、総合プロデュースするオペラでは、日本と西洋の文化を見事に融合している[117]。登場人物の心の動きを日本舞踊で表すなど、日本の風俗が西洋の名作オペラに大胆に融合させる演出が特徴である [118]。オペラはすべて原語での上演であるが、登場人物の全役名は、すべて漢字である[119]。
2003年8月28日、オペラ『元禄のトラビアータ(椿姫)』慈兵衛流門(ジェルモン)役。2004年9月2日、オペラ『大正時代のボエーム』磨千絵浪(マルチェッロ)役。2005年9月15日、オペラ『雛祭りのフィガロの結婚』主演:日賀朗(フィガロ)役 [120]。2006年9月16日、オペラ『リゴレット in ジャパン』主演:詈業劣徒(リゴレット)役。2007年9月13日及び2008年9月19日、オペラ『大江戸版 好色男のファルスタッフ』主演:春舌夫(ファルスタッフ)役。2009年9月27日、オペラ『ゼウスの化身 怪人ドン・ジョバンニ』主演:貪・女蛮兄(ドン・ジョバンニ)役。2010年9月24日及び9月26日、オペラ「『ナブッコ』~我が愛する地球よ!」主演:名武鼓(ナブッコ)役等。
オペラでの公益活動
2002年5月、西オーストラリア州のパース国際芸術祭ワールドプレジデント(国際実行委員長)に就任する。オーストラリアの声楽コンクール「オーストラリアン・シンギング・コンペティション」をIFACを通じて支援し、オペラ歌手の後進に力を注いでいる。2003年、パース市より「名誉芸術家」の称号を授かる。また、西オーストラリア州の芸術文化に対する貢献に対し、「西オーストラリア州文化功労賞」を受賞。2003年6月、オーストラリア最古のオペラ劇場、ヒズ・ マジェスティ・シアターの 100 周年記念祭の総裁に就任する。2005年11月、 ジョーン・サザーランド特別賞[注 24]。2006年8月、中国合唱事業特別貢献賞受賞。2008年、米国ジュリアード学院とIFACの間に、日本人音楽家養成プログラムの支援協定を結び奨学金制度を設立して、日本のオペラ歌手育成にも力を注いでいる。2009年、代表をつとめるIFACの資金援助により、同音楽院に優秀な芸術家を招聘するための「声楽客員芸術家のための寄付講座」が設けられる。2009年より、日本人対象の、ジュリーアード音楽院オーディションを国内で開催し、「IFAC・ジュリアード賞」受賞者には、ジュリアードへの米留学諸経費を、代表を務めるIFACが負担している。中国合唱協会 名誉理事長、世界中国語合唱大会(東州杯)終身名誉主席。
歌手・演奏
レパートリーは、オペラ歌曲のみに留まらず、シンガーソングライター、ロック歌手、ジャズ歌手、アニソン歌手、演歌歌手、童謡歌手としても活動している。
1994年、「アラウンド・ザ・ワールド」(ロンドン、ロイヤル・アルバート・ホール)に指揮者として出演。1996年、「世界を華麗な舞台に」(ニューヨーク、カーネギー・ホール)に歌手として出演。1997年、「ニューイヤーコンサート」(ロンドン)に歌手として出演。1998年、「サマーコンサート」(ロンドン)、「前衛芸術コンサート」(オーストラリア)に歌手として出演。その他、国内外で50回以上のコンサートやリサイタルに、歌手として出演している。1999年、団長をつとめるアルプス合唱団とともに、ローマ法王にバチカンでオリジナル曲や日本歌曲を披露、謁見を許される[121]。
2007年5月、15年間のライブステージの集大成として、『深見東州ヒストリカルライブステージ』(9枚)をリリース。2011年8月、初のロックのミュージックビデオとして、『GAT MAN(ガット・マン)』をリリース。自身で作詞、作曲、歌、映像出演をはたし、オリジナルCGはジョージ・ルーカス・スタジオのクリエーターが手がける。2012年に『TOSHU FUKAMI sings ゴールデン演歌』で初の演歌集をリリース。
深見東州と世界の友人コンサートツアー
歌を通しての社会貢献として、友人ゲストとともに世界中の人権問題や貧困問題を訴えるチャリティーコンサートツアー[122]。2013年5月には、ジミ・ジェイミソン(サバイバーのボーカル)とダブルバンドによるライブ(ロックコンサート)を共演。同年9月には、マイケル・ボルトンとピーター・セテラとトリプルバンドによるライブを日本武道館にて共演し、アンコールでイマジンを3人で熱唱し「世界に平和を」というメッセージを発信した[122]。
明るすぎる劇団・東州
自身原作の短編小説上演のために自身が設立した一般財団法人東京芸術財団のもとに、2007年5月、「明るすぎる劇団・東州」を設立した[123]。自身で、劇団団長、総合プロデューサー(監督)として原作、脚本、演出、衣装、音楽を全て行っている。また、自身による芝居解説やパントマイムも行われている[124]。2009年より、定期公演を実施し、自らもパントマイムで出演している。(2011年定期公演のみ、東日本大震災の影響で実施していない。)
小説・脚本(戯曲)・詩
小説家、詩人として活動する際のペンネームとして、戸渡阿見(ととあみ)を使用している。 2007年、パーソナリティをつとめるラジオ番組さわやかTHIS WAYで小説『蜥蜴』を発表し、小説家デビューを果たす。2008年11月、二冊目小説『バッタに抱かれて』が、社団法人 日本図書館協会選定図書 [注 25]に選ばれる。2008年より、小説を絵本としても出版する。「うた」の詩心と、「ものがたり」の面白さが融合した作品を目指している。 これまでに、詩集を6冊、たちばな出版から出している。
能
公益社団法人能楽協会会員。宝生流能楽師。宝生東州会会主。「東京大薪能」主催者代表。同志社大学能楽部宝生会にて、柏原仁兵衞及び辰巳孝に師事。森田流笛を貞光義次、寺井啓之、帆足正規に師事。一噌流笛を藤田次郎に師事。幸流小鼓を幸信吾に師事。1972年に初舞台。宝生東州会は、全国に宝生流最大の所属数を抱え[125]、発表会を開催している[126]。
能楽の普及活動
日本の伝統文化「能」を広く知ってもらうため、毎年無料で薪能を開催したり、海外での演能活動を行う。
東京大薪能主宰者代表として、毎年、自らシテとして出演したり能楽講座を行っている [127] [128](ただし、2011年は東日本大震災の影響により、中止)。 演目解説は、1時間程の初心者向けの能楽講座も行っている。東京大薪能を通して、「能は難しく、退屈ではない。啓蒙のために見るチャンスをつくっていきたい」という目的があるという[129]。 海外では、宝生流宗家らとともに、その地域で初めての本格的な能楽公演を[125]、たびたび行う。これまで、米国メトロポリタン美術館能、国連連合プラザ広場薪能、北京大学での薪能、「京劇」のメッカである中国戯曲学院での薪能[130]、エジプトスフィンクス薪能[131][132][133]、アンコールワット薪能等において、宝生流宝生流十九世宗家らと共に『石橋(しゃっきょう)』『乱(みだれ)』『翁』等を演能している。
また、能楽とバレエ、または能楽とバレエと京劇を融合させるなど、新しい舞台芸術の融合にも取り組んでいる。 能楽とバレエと京劇を組み合わせた"新"西遊記は、字幕スーパーを入れ、日本語と中国語が入り交じる形式で開催[134]。 また、ロシアバレエ界を代表する踊り手の一人であるマイヤ・プリセツカヤを招き、能とバレエを融合した創作能・バレエ「羽衣ーHAGOROMO」 [135]など、新しい舞台芸術を生み出し[136]、自身も、マイヤ・プリセツカヤと息のあった舞を披露[137]。
京劇
中国国家二級京劇俳優(北京京劇院二級演員)、北京京劇員正団員。梅蘭芳基金会理事長、梅蘭芳京劇団団員。黒龍江省京劇院京劇振興協会会長、黒龍江省京劇院客演団員。北京戯曲芸術教育基金会名誉会長。中国京劇界の泰斗・王金璐(おうきんろ)、葉蓬に拝師(ぱいしー)の儀を通して入門。1999年、『西遊記』、『虹橋贈珠(こうきょうぞうしゅ)』での二郎神役。2000年、『古城の再開』関羽役。2002年8月13日、京劇『漢津口』関羽役。2002年8月23日、中国中央電視台主催「国際京昆アマチュアテレビ大コンクール」に出場、「漢津口(はんじんこう)」関羽役を演じ、参加者1000人中金龍賞(最も優れている賞)を受賞。その芸術性を評価され、中国国家二級京劇俳優に認定される。その他、2003年2月4日、シドニーオペラハウス初の京劇開催となる『シドニー京劇公演』の「漢津口(はんじんこう)」での関羽役等。
絵画・水墨画
中国国家一級美術師(中国芸術研究院一級美術師・外国人初)。仏画を浅井秀水、日本画と水彩画を犬飼得之に師事す。油絵と西洋画を松下友紀に習い、水墨画を安永麦州に師事す。 水彩画、アクリル画、詩画など、多種多彩なジャンルの絵画を描く[138]。毎年、誕生日の前後に、1年間書きためた書画の作品を個展で展示している。 1999年、「BESETO美術祭東京展」に出展。同年、ニューヨーク市ソーホーのグラントギャラリーで個展を開催。2000年、中国政府文化部主催で北京市紫禁城にて個展を開催。2001年、遊美堂刊の「2000年度優秀美術作品全集」に作品2点が選ばれ、収録される。2002年、中国芸術研究院より、外国人初の国家一級美術師の認定を受け、アクリル画「青龍神と緋鯉」が永久所蔵される。2003年10月、西オーストラリア州パース国際芸術祭に招聘され、「東州・麦州二人展」を開催す。同年、日豪芸術交流祭において、水墨画「キラキラ天の川」が、330人の日本のトッププロ画家の中から選ばれ、「西オーストラリア州芸術文化大臣賞」「パース市長賞」「審査員最優秀賞」の3賞を同時受賞し、パース市より「名誉芸術家」の称号を授かる[139]。
美術(絵画・書)を通した国際交流
美術を通して国際交流と国際理解を深めることを目的として、高校生国際美術展実行委員長として、毎年、高校生を対象とした、出品料無料の国際美術コンクールを主宰している。受賞作品は、毎年、入場無料でギャラリーに展示される[140]。 また、東アジア美術交流祭会長として、毎年、国際コンクールも主宰している。 また、西オーストラリア州の芸術文化に対する貢献に対し、「西オーストラリア州文化功労賞」を受賞。2007年、「芸術市場の流通の変遷における日中美術品から見た芸術と市場の関係」を出版する。
書道
現代日本書家協会顧問。大東文化大学書道研究所認定書道教授者。16歳より兵庫県立鳴尾高等学校書道部部長として、田端曲全に師事。35歳より竹中青虎に学び、西川寧の孫弟子となる。「大英図書館永久収蔵記念 現代書家の名品と平成の佐竹本三十六歌仙展」に出展、「現代書家の名品」の一つとして、作品「恕」が、大英図書館に永久所蔵されている。作品「把手共行」は第67回謙慎展において、秀逸を受賞。その他、謙慎展で「岳」「無位真人」が褒賞受賞。
1999年及び2000年に、西オーストラリア州カリグラフィーギルド協会主催で、「深見東州書道展覧会」を開催。2001年、北京の近代芸術館にて、肖像画の巨匠・袁煕坤(えんきこん)と「二人展」を開催。
華道
嵯峨御流師範。水野峨往に師事す。1999年、華道と舞台芸術の融合をテーマに、「藤の花咲くバレエの夕べ」を開催。同年、熊野本宮大社にて「奉納・藤の花咲くバレエ生け花『日本蘇生』」を開催す。2001年、アートと華道を融合させた個展を開催。
茶道
江戸千家新柳派師範。20歳より裏千家流茶道を学ぶ。全日本茶道会を経て、35歳より、江戸千家新柳派に入門。1986年より、伝統的な茶会を定期的に開催するほか、2002年3月、茶碗、茶杓、水差し、花器、掛け軸、畳、抹茶、菓子など、全ての道具類を自ら制作、プロデュースし、現代芸術と茶道を融合させた茶会を開催す。
陶芸
彫刻を荒川明照、陶芸を東紀代美に師事す。2002年に開催した現代芸術と茶道を融合させた茶会において、自らが制作した茶碗、陶芸皿を披露(ちなみに、茶杓、水差し、花器、掛け軸、畳、抹茶、菓子等、全ての道具類を自ら制作、プロデュースした)。
俳句
東州句会を主宰。金子兜太の推薦により、現代俳句協会会員。2005年、日本ペンクラブの会員となる。18歳から俳句になじみ、中村汀女の直弟子である伊藤淳子、金子兜太に師事す。2000年、第一句集『かげろふ』(伊藤淳子が300句を選び、深見東州が100句を選び編集)、2009年、第二句集『新秋』(伊藤淳子が59句、金子兜太が159句を選び編集)を上梓す。また、風景写真にマッチする写真と句をコラボレーションによる写真句集を5冊上梓す。
作詞・作曲
2008年、小林旭に、自らが作詞・作曲した「ジダンダ」を提供、週間HIT 演歌/歌謡曲USENチャートで1位を記録(2009年の年間リクエストは28位)[141]。作詞は50曲以上、作曲は300曲以上にのぼる。
指揮
長瀬清正に師事す[142]。1994年3月、大阪サンケイホールで、初めて自作のマーチを東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団を相手に指揮す 。それ以降、1994年11月ロイヤル・アルバート・ホール・オーケストラを指揮し、1996年カーネギーホール・オーケストラを指揮し、1997年英国室内楽団を指揮する。その他、国内外で30回以上の指揮[143]。
ファッションデザイナー
社団法人日本デザイン文化協会評議員。2001年、日本デザイン文化協会主催のコンテストでデザイン画が5000点中2位に選ばれる。同年、「T.Fukamiファッションショー」を開催。2002年、「大型ファッションショー流動する紫禁城」に「将軍」、「世紀の聖人」として出演。2006年、「中国文化フェスティバル2006」において、中国スーパーモデルファッションショー「流動する紫禁城」に、日本側のデザイナーとして出展[144][145]。自らデザインしたブランド服も販売している。
ギャグ
ギャグ研究家[146]。これまでに、ギャグ作品集を4作、ギャグ写真集を1作、ギャグDVD『ギャグ300連発』『ギャグ600連発』『ギャグ888連発』3作品をリリース。2010年3月18日より「戸渡阿見」「レオナルドTOSHU」のTwitterでほぼ毎日ギャグをつぶやいている[146]。
ライブ・コンサート・イベント
年 | 出演形態 | タイトル | 公演日・会場 | 備考 |
---|---|---|---|---|
1991年 | ソロヴァイオリン演奏 | 弦楽四重奏「スターライト・イン・パース」 | 3月30日 パース(オーストラリア) | 初めての、ヴァイオリンのソロ演奏[147] |
コンサート・歌 | デビッド・ヘルフゴットを迎えてのコンサート | 9月22日 大宮ソニックシティ大ホール(埼玉県) | ||
舞・総監督 | オラトリオ「天地創造 日本誕生」 | 12月29日 三重県伊勢市 | ||
1992年 | コンサート・歌 | 雨の鹿島の野外コンサート | 6月20日 鹿島神宮 | |
歌・剣舞 | 「シンフォミエッタ熊野」 剣舞「黎明」 | 10月2日 熊野本宮大社黎明殿 | 初めての、剣舞での出演[148] | |
歌・能管・舞 | オペラバレエ「やまとは国のまほろば」 | 12月30日 阿児アリーナホテル(三重県) | 初めての、能管のソロ演奏[149] | |
1993年 | ラジオ公開収録&コンサート・歌 | "SEIZAN KENZAN SPRCIAL"公開録音 「日本の心」 | 2月14日 名古屋テレピアホール | |
"SEIZAN THIS WAY"公開録音 「セイザン&ダ・カーポ 日本の心をうたう」 |
4月11日 大手門会館大ホール(福岡市) | |||
バレエ(ソリスト)・総監督 | オペラバレエ「天の安河のうけひ」 | 12月28日 阿児アリーナホテル(三重県) | 初めての、クラシックバレエでの出演[150] | |
1994年 | ラジオ公開録音&コンサート・歌 | "さわやかTHIS WAY"公開録音 | 2月6日 山口南総合センター(山口県) | |
歌・指揮・バレエ | 七福神 ウィーンを巡る | 3月26日 大阪サンケイホール | 初めての、オーケストラの指揮者デビュー[151] | |
指揮 | 鹿島野外セレモニーコンサート | 6月25日 鹿島灘 | ||
コンサート・歌・指揮・バレエ・ヴァイオリン | 真夏の夜のイリュージョン | 7月4日 川口リリアホール(埼玉県) | ウィーン・フィルのコンサートマスターと、初めてのヴァイオリンの合奏[152] | |
コンサート・歌 | ベルリン・フィルのメンバーとの夕べ | 10月9日 箱根神社 | ||
コンサート・歌・指揮・総監督 | AROUND THE WORLD | 11月18日 ロイヤル・アルバート・ホール(ロンドン) | 初めての、外国での指揮者デビュー[153] | |
バレエ(ソリスト)・指揮 | クリスマスコンサート | 12月23日 大宮ソニックシティ大ホール(埼玉県) | ||
クリスマス ドラマティックコンサート | 12月25日 フェスティバルホール(大阪府) | |||
1995年 | コンサート・指揮・総監督 | 箱根より大宇宙への旅立ち | 10月10日 箱根神社 | |
1996年 | コンサート・歌・指揮・舞・総監督 | 中東和平コンサート | 4月26日 かつしかシンフォニーヒルズ モーツァルトホール(東京都) | |
能「猩々」シテ | 能「高砂」「猩々」 狂言「棒縛」 | 6月29日 鹿島 | ||
バレエ(プリンシパルダンサー) | 薪バレエ「浜辺に集う妖精たち」 | |||
コンサート・歌・指揮・総監督 | 女神を迎えるコンサート | 10月10日 箱根神社神楽殿 | ||
能「羽衣」シテ(天人) | 芸術の秋 演能鑑賞会 | 11月9日 宝生能楽堂(東京都 水道橋) | ||
コンサート・歌・指揮・総監督 | 世界を華麗な舞台に All the World's Stage | 11月18日 カーネギー・ホール(ニューヨーク) | ||
1997年 | 歌・指揮・総監督 | New Year Gala Concert | 1月8日 セント・ジョンズ・スミス・スクエア(ロンドン) | |
オペラ「俊寛」平判官入道康頼役、剣舞、謡、総監督 | よみがえる日本の心 オペラと能の鑑賞会 | 3月21日 熊野本宮大社旧社殿跡地(和歌山県) | オペラと能とバレエの主役を一つの薪能舞台で演ず[154] | |
能「竹生島」シテ(龍神・漁翁) | 3月22日 熊野本宮大社 旧社殿跡地 | |||
能「西王母」シテ(西王母) | 鹿島灘薪能と野外オペラの鑑賞会 第1夜「薪能と狂言の夕べ」 |
6月27日 鹿島灘(茨城県) | 能とオペラとバレエの、三つの主役を2日で演ず[157] | |
オペラ「魔笛」ザラストロ役、プリンシパルダンサー、総監督 | 鹿島灘薪能と野外オペラの鑑賞会 第2夜「野外オペラと創作バレエの夕べ」 |
6月28日 鹿島灘(茨城県) | ||
オラトリオ「七福神来天」毘沙門天役 | '97箱根神社奉納 薪能とガラ・コンサート | 10月10日 箱根神社 | オラトリオの主役と能の主役を同じ舞台で演ず[158] | |
能「橋弁慶」シテ(弁慶) | ||||
コンサート | 深見東州 チャリティーリサイタル | 12月15日 光が丘IMAホール(埼玉県) | ||
1998年 | ラジオ公開録音&コンサート・歌 | "SEIZAN THIS WAY"公開録音 「一人一曲ニューイヤーリサイタル」 |
1月27日 カザルスホール(東京都) | |
コンサート・歌 | Arts on the Edge | 4月3日 エディス・コーエン大学(オーストラリア) | ||
祝言「高砂」シテ(住吉明神) | 初夏の神道能 | 6月6日 井草八幡宮(東京都) | ||
能「高砂」前シテ(尉)・後シテ(住吉明神) | 第一回東京大薪能 | 6月26日 東京都庁舎都民広場 | ||
コンサート・歌・指揮・総監督 | London Summer Concert | 7月14日 セント・ジョンズ・スミス・スクエア(ロンドン) | ||
能「養老」シテ | 笛の会 | 7月29日 矢来能楽堂(東京都) | 初めての、能のシテと笛方としてのデビュー[159] | |
舞囃子「胡蝶」笛 | 7月30日 矢来能楽堂 | |||
ラジオ公開録音&コンサート・歌 | "SEIZAN THIS WAY"公開録音 「二十世紀を代表する日本の声楽家達のガラ・コンサート」 |
8月20日 カザルスホール(東京都) | ||
コンサート・歌・指揮 | 光は東方より 深見東州作曲作品演奏会 | 11月10日 光が丘IMAホール(埼玉県) | ||
1999年 | 能「石橋」シテ | 宝生東州会 第一回発表会 | 3月12日 国立能楽堂 | |
半能「藤」シテ プリンシパルダンサー・生け花・総監督 | 藤の花咲く能バレエの夕べ ~能「藤」 創作バレエ「日本蘇生」~ | 4月25日 日本青年館 | 初めての、能と生け花とバレエの主役としての出演[160]。 | |
プリンシパルダンサー・生け花・総監督 | 奉納・藤の花咲くバレエ生け花~創作バレエ「日本蘇生」~ | 5月1日 熊野本宮大社 | ||
能「藤」シテ | 能「藤」 | 5月30日 宝生能楽堂(東京都) | ||
A Celebration of Noh Theater | 6月1日 メトロポリタン美術館(ニューヨーク) | |||
6月2日 国際連合プラザ広場(ニューヨーク) | ||||
ラジオ公開録音&コンサート・歌 | "SEIZAN THIS WAY"公開録音 「日中文化交流 チャリティー ガラ・コンサート」 |
7月27日 カザルスホール | ||
仕舞「鶴亀」シテ(天人) | 日本寳生流 能樂 | 8月3日 浙江音楽庁(中国浙江省杭州市) | ||
能「岩船」シテ | 第二回 東京大薪能 | 9月28日 東京都庁舎都民広場 | ||
唐王(中国語)・土蜘蛛(能装束にて能楽の形式)・釈迦(中国語にて京劇の一節を歌う)の一人3役 | 新作「西遊記・孫悟空」 | 10月26日 メルパルクホール(東京都) | 世界初の能と京劇とバレエとのコラボ[161] | |
能「岩船」 仕舞「高砂」 | An evening Performance of Noh and Japanese Art Exhibit | 11月11日 HANDA NOH THEATER(ロンドン大学ロイヤル・ホロウェー校) | ||
コンサート・歌・司会・総監督 | 日本・オーストラリア ガラコンサート | 11月17日 東京オペラシティコンサートホール | ||
京劇「虹橋贈珠(こうきょうぞうしゅ)」二郎神役 | クリスマスコンサート 新作「虹橋贈珠」 | 12月23日 東京オペラシティコンサートホール | ||
2000年 | コンサート・歌・指揮 | 深見東州 49歳のバースデーコンサート | 3月18日 朝日生命ホール(東京都新宿区) | |
能「乱」シテ | 第二回 宝生東州会全国大会 | 4月16日 国立能楽堂 | ||
コンサート・歌 | 第五回長城の春(呂遠作品) | 5月28日 万里の長城「天下第一関」(中国) | ||
中外著名音楽家演奏会 | 5月30日 中国 | |||
京劇「古城の再会」関羽役 | 京劇「古城の再会」 | 7月16日 八王子市民会館大ホール | ||
コンサート・指揮 | 第五回 中国国際合唱節 | 7月22日 北京音楽庁(中国) | ||
白龍役・総指揮 | 創作 能・バレエ「羽衣」 | 8月31日 東京国際フォーラムコンサートホール | ||
能「乱」シテ | 日本宝生流能楽 北京公演 | 9月5日 北京大学(中国) | ||
中国戯曲学院50周年 日本宝生流能楽 中国京劇公演 | 9月6日 中国戯曲学院(中国) | |||
能「土蜘蛛」シテ | 第三回 東京大薪能 | 10月17日 東京都庁舎都民広場 | ||
コンサート | 2000 Australian Singing Competition | 10月28日 パース(オーストラリア) | ||
コンサート | 春雷小学開学典礼(開校式コンサート) | 11月14日 春雷小学校(中国湖南省) | ||
2001年 | コンサート | 深見東州 50歳のバースデーコンサート | 3月18日 イイノホール(東京都 虎ノ門) | |
半能「石橋(連獅子)」シテ(白獅子) | エジプトスフィンクス薪能 | 6月1日 ギザの大スフィンクス前広場(エジプト) | スフィンクスの前での演能は史上初[162] | |
宝生東州会 西日本大会 | 7月27日 香里能楽堂(大阪府) | |||
舞囃子「鞍馬天狗」シテ | 宝生東州会 全国大会 | 7月28日 宝生能楽堂 | ||
能「石橋(連獅子)」シテ(白獅子) | 7月29日 宝生能楽堂 | 連獅子の白獅子シテ | ||
石宏図「東瀛観劇録」出版記念公演 | 9月19日 中国児童劇場(北京) | |||
第四回 東京大薪能 in お台場 | 9月19日 潮風公園太陽の広場(東京都 お台場) | |||
指揮 | 2001 Australian Singing Competition | 10月31日 シドニーオペラハウス(オーストラリア) | ||
コンサート・歌 | つるとコアラのコンサート | 11月29日 カザルスホール | ||
ファッションショー | T.FUKAMI ファッションショー | 12月5日 TFTビルBホール(東京都 有明) | 初めての、単独でのファッションショー[163] | |
コンサート・歌 | クリスマスコンサート | 12月24日 日本青年館(東京都 新宿) | ||
2002年 | MUSICIAN ACROSS THE WORLD
A New Year Celebration |
1月19日 セント・ジョンズ・スミス・スクエア(ロンドン) | ||
京劇「漢津口(はんじんこう)」関羽役 | 深見東州・バースデーイブ京劇 「漢津口」 | 3月17日 日本青年館大ホール | ||
コンサート・歌 | 武生国際音楽祭 2002 チャリティーコンサート | 6月12日 武生市文化センター(福井県越前市) | ||
能「翁」シテ | 宝生東州会 全国大会 | 8月4日 宝生能楽堂 | ||
鹿島神宮御船祭奉納 | 8月6日 鹿島神宮 | 鹿島神宮での歴史上、初めての薪能[164] | ||
京劇「漢津口」関羽役 | 黒龍江省京劇院 日本友人深見東州先生総合演出 | 8月13日 黒竜江省京劇院(中国) | ||
国際京昆アマチュアテレビ大コンクール 決勝戦金龍賞受賞 |
8月15日 中国中央電視台 | |||
国際京昆アマチュアテレビ大コンクール授賞大会 | 8月23日 中国中央電視台 | |||
コンサート・歌 | Special Opera Concert | 9月15日 日本青年館大ホール | ||
能「翁」シテ | 第五回 東京大薪能 in お台場 | 9月27日 テレコムセンター(東京都) | ||
指揮 | 2002 Australian Singing Competition | 10月31日 パースコンサートホール(オーストラリア) | ||
オペラ「聖徳太子」聖徳太子役 | オペラ「聖徳太子」~和を以て貴しとなす~ | 11月14日 新宿文化センター大ホール | 初めての、グランドオペラでのタイトルロールの主役[165] | |
コンサート・ソリスト | レクイエム コンサート | 12月31日 三重県伊勢市 野外会場 | ||
2003年 | 指揮 | Australia Day Concert | 1月23日 パースコンサートホール(オーストラリア) | |
京劇「漢津口」関羽役 | 梅蘭芳京劇団 AUSTRALIAN PERFORMANCE SEASON | 2月5日~7日 シドニー・オペラハウス(オーストラリア) | 初めての、シドニーオペラハウスにおける京劇公演[166] | |
コンサート・歌 | 深見東州52歳バースデー記念サーカス&中東和平コンサート | 3月18日 かつしかシンフォニーヒルズモーツァルトホール | 初めての、サーカスとオーケストラと歌との共演[167] | |
能「鶴亀」シテ | 宝生東州会 五周年記念大会 | 8月3日 宝生能楽堂 | ||
オペラ「椿姫」ジェルモン(慈兵衛流門)役 | オペラ「元禄のトラヴィアータ」 | 9月15日 日本青年館大ホール | 初めての、イタリア語でのオペラ出演[168] | |
能「鶴亀」シテ | 第六回 東京大薪能 in お台場 | 9月30日 宝生能楽堂 | ||
コンサート・歌 | 栗林義信先生の古希をお祝いするコンサート | 11月15日 東京文化会館大ホール | ||
中日濠歌唱家共演 古典オペラの夕べ | 12月5日 民族文化宮大劇院(北京) | |||
2004年 | コンサート・ソリスト | 旧暦の年末第九コンサート | 2月1日 東京厚生年金会館大ホール | 初めての第九のソリストデビュー[169] |
半能「田村」シテ(坂上田村麻呂の霊) | 十周年記念 崇寶会 | 3月6日 国立能楽堂 | ||
コンサート・歌 | 深見東州53歳のバースデー記念 バースデーコンサート | 3月18日 第一生命ホール(東京都) | ||
オペラ『楊貴妃』赤雄役 | オペラ『楊貴妃』 | 5月30日 天橋劇場(中国北京) | 初めての中国語によるオペラ出演[170] | |
半能「田村」シテ(坂上田村麻呂の霊) | 第六回 宝生東州会 全国大会 | 8月8日 梅若能楽学院会館(東京都東中野) | ||
オペラ『ラ・ボエーム』マルチェッロ(麿千絵浪)役 | オペラ『大正時代のボエーム』 | 9月2日 ゆうぽうと簡易保険ホール(東京都 五反田) | ||
半能「田村」シテ(坂上田村麻呂の霊) | 第七回 宝生大薪能 | 9月15日 東京都庁舎都民広場 | ||
コンサート・歌 | オラトリオ メサイア | 11月21日 八王子市民会館大ホール | 初めてのメサイアのソリストデビュー[171] | |
クリスマスチャリティーコンサート | 12月23日 日本青年館大ホール | |||
2005年 | 舞囃子「鞍馬天狗」シテ(天狗) | 舞囃子「鞍馬天狗」 | 1月23日 ニューピアホール | |
半能「鞍馬天狗」シテ(天狗) | 崇寶会 | 3月6日 セルリアンタワー能楽堂 | ||
第七回 宝生東州会 全国大会 | 8月7日 宝生能楽堂 | |||
第八回 東京大薪能 in お台場 | 8月7日 テレコムセンター1Fアトリウム | |||
オペラ『フィガロの結婚』マルチェッロ(日賀朗)役 | オペラ『雛祭りのフィガロの結婚』 | 9月15日 ゆうぽうと簡易保険ホール | ||
オペラ『楊貴妃』赤雄役 | オペラ『楊貴妃』 日本公演 | 10月19日~20日 新宿文化センター大ホール | ||
コンサート | クリスマスチャリティーコンサート | 12月23日 さいたま市民会館おおみや大ホール | ||
2006年 | 半能「鞍馬天狗」シテ(天狗) | アンコールワット薪能 | 1月23日 アンコール・ワット前 特設能舞台(カンボジア) | アンコールワットでの、史上初の薪能[172] |
袴能「項羽」シテ(項羽) | 第八回 宝生東州会 全国大会 | 8月6日 宝生能楽堂 | ||
指揮 | 第二回(中国・東州杯)世界漢語合唱大会 | 8月22日 北京音楽庁(北京) | ||
コンサート・歌 | 真夏の夜の第九コンサート | 8月27日 八王子市民会館 | ||
オペラ『リゴレット』リゴレット(詈業劣徒)役 | オペラ『リゴレット』 in ジャパン | 9月16日 新宿文化センター大ホール | ||
半能「項羽」シテ(項羽) | 第九回 東京大薪能 in お台場 | 9月27日 テレコムセンター1Fアトリウム | ||
世界初・薪能と薪京劇の競演 | 11月19日 六本木ヒルズアリーナ | 「薪能と薪京劇」の競演は世界初[173] | ||
コンサート | クリスマスチャリティーコンサート | 12月24日 八王子市民会館 | ||
2007年 | コンサート・歌 | 廣田神社奉納演奏 | 4月27日 廣田神社(兵庫県西宮市) | |
鹿島神宮奉納演奏 | 6月29日 鹿島神宮 | |||
オペラ『ファルスタッフ』ファルスタッフ(春舌夫)役 | オペラ『大江戸版 好色男のファルスタッフ』 in ジャパン |
9月16日 東京文化会館大ホール | ||
コンサート | 箱根神社奉納演奏 | 10月13日 箱根神社 | ||
2008年 | オペラ『ファルスタッフ』ファルスタッフ(春舌夫)役 | オペラ『大江戸版 好色男のファルスタッフ』 in ジャパン |
9月19日・9月21日 新宿文化センター大ホール | |
コンサート | Special Opera Concert | 11月29日 熊谷会館(埼玉県熊谷市) | ||
2009年 | パントマイム・総監督 | 明るすぎる劇団・東州 2009年定期公演 | 3月18日 光が丘IMAホール | 初めての、パントマイムの出演の劇団定期公演 |
3月21日 阪南市サラダホール | ||||
オペラ『ドン・ジョバンニ』ドン・ジョバンニ(貪・女蛮兄)役 | オペラ『ゼウスの化身 怪人ドン・ジョバンニ』 | 9月27日・9月30日 新宿文化センター大ホール | ||
2010年 | パントマイム・総監督 | 明るすぎる劇団・東州 2010年定期公演 | 9月7日~8日 浅草公会堂 | |
オペラ『ナブッコ』ナブッコ(名武鼓)役 | オペラ『ナブッコ』・我が愛する地球よ! | 9月24日・9月26日 新宿文化センター大ホール | ||
2011年 | コンサート・歌 | クリスマス・コンサート | 12月23日 EBIS303 | |
2012年 | パントマイム・総監督 | 明るすぎる劇団・東州 2012年定期公演 | 4月20日~21日 浅草公会堂 | |
オペラ「ドン・パスクワーレ」ドン・パスクワーレ役 | 第1回 グランドオペラ Japan 「ドン・パスクワーレ」 |
9月21日・9月23日 新宿文化センター大ホール | 初めてのオペラ・オーストラリアとの共作[174] | |
ライブ | MICHAEL BOLTON LIVE IN CONCERT 2012 | 10月26日 マリーナベイ・サンズ(シンガポール) | マイケル・ボルトンとの共演 | |
2013年 | パントマイム・総監督 | 明るすぎる劇団・東州 2013年定期公演 | 4月13日~14日 浅草公会堂 | |
ライブ | 深見東州と世界の友人コンサートツアー with ジミ・ジェイミソン |
5月21日 名古屋市民会館フォレストホール | 初めての、ダブルバンドによるロックコンサート | |
深見東州と世界の友人コンサートツアー with マイケル・ボルトン and ピーター・セテラ |
9月5日 日本武道館 | 初めての、トリプルバンドによるロックコンサート | ||
コンサート | 東京国際コンサート | 9月10日 なかのZERO大ホール | 国際交流を目的としキリ・テ・カナワ、コナール・コードらと共演[175]。 | |
ディナーショー | 深見東州 クリスマス・チャリティー・ディナーショー | 12月11日 ホテル日航東京 大宴会場・ペガサス | 収益は全額ネルソン・マンデラ・チルドレンズ・ファンド に寄付された[176]。 |
メディア出演
ラジオ
さわやかTHIS WAYは、累計22年間継続したFM界の長寿番組である。
- 今夜もウェルカム(ラジオ日本)1985年7月~1985年12月
- ハートのプラネタリウム(TBSラジオ)1988年10月15日~1991年9月
- SEIZAN KENZAN(東海ラジオ)1991年10月12日~1993年3月
- SEIZAN THIS WAY(FM福岡)1990年11月4日~1992年3月(題名とキー局を変えて続行)
- さわやかTHIS WAY(FM山口)1992年4月~2012年3月25日
- OVER HEAD COME RADIO(ラジオ日本)1995年4月15日~1997年4月27日
- レオナルドTOSHUの遊びがNight(NACK5)2009年4月~2012年3月
テレビレギュラー番組
- 『サクセス登龍門』(BS11毎週火曜23:00~23:30) 2011年7月4日~継続中
- TOKYO MX『世界のいま』モデレーター 毎週月曜20:30 ~ 21:30 2011年4月4日~2012年3月26日
- 『本格闘論 FACE』、モデレーター、コメンテーター出演。(BS11)
- 緊急特集!!北方4島返還を考える『4島返還』がなぜ揺らぐのか? 2009年5月3日18:00~18:55 ゲスト:伊藤憲一、丹波實、袴田茂樹、鈴木哲夫
- 緊急特集!!北方4島返還を考える パート2『危うし!日本の外交』 2009年5月3日18:00~18:55 ゲスト:伊藤憲一、鈴木宗男、鈴木哲夫
- FACEスペシャル どうする日本の外交 2009年7月5日14:00~15:55 ゲスト:伊藤憲一、田久保忠衛、吹浦忠正、鈴木哲夫
- スフィンクスと日本刀 part1 2009年8月23日18:00~18:55 ゲスト:ヒシャム・バドル、伊藤憲一、吹浦忠正
- スフィンクスと日本刀 part2 2009年8月30日18:00~18:55 ゲスト:ヒシャム・バドル、伊藤憲一、吹浦忠正
- 富士山とピラミッドに架ける橋 2010年1月31日18:00~18:55 ゲスト:ワリード・マハムード・アブデルナーセル博士、伊藤憲一
- 日米同盟50周年、次の50年への展望と課題 2010年6月6日18:00~18:55 ゲスト:ロバート・ドゥジャリック、ジェラルド・カーティス、伊藤憲一
- 頑張れ!!日本人 PART-1 2010年8月15日18:00~18:55 ゲスト:ラルフ・コッサ、ヒシャム・バドル、サイモン・テイー、伊藤憲一
- 頑張れ!!日本人 PART-2 2010年10月3日18:00~18:55 ゲスト:ラルフ・コッサ、ヒシャム・バドル、サイモン・テイー、伊藤憲一
- 外国人受け入れの展望と課題 2010年12月5日18:00~18:55 ゲスト:伊藤憲一、平林博、井口泰
- 東アジア共同体 ~その戦略と展望 2011年1月2日18:00~18:55 ゲスト:鳩山由紀夫、伊藤憲一、進藤栄一
テレビ特番
- 「浙江能楽事始」(能・石橋)(TOKYO MX 1999年9月25日)
- 「第二回東京大薪能」(能・岩船)(TOKYO MX 1999年10月24日)
- 「第三回東京大薪能」(能・土蜘蛛)(TOKYO MX 2000年11月5日)
- 「カンボジアに夢を育む」(TOKYO MX 2001年2月1日)
- 「砂漠に舞う~スフィンクス薪能~」(TOKYO MX 2001年7月22日)
- 「第四回東京大薪能」(能・石橋)(TOKYO MX 2001年10月28日)
- 「ブラインドゴルフ・視覚障害者の闘い」(TOKYO MX 2002年5月25日)
- 「第五回東京大薪能」(能・翁)(TOKYO MX 2002年10月27日)
- 「IFACオペラ 聖徳太子」(TOKYO MX 2002年12月7日)
- 「京劇に挑戦した!」(TOKYO MX 2003年1月25日)
- 「豪州異文化交流」(TOKYO MX 2003年5月29日)
- 「カンボジア再建の為に」(TOKYO MX 2003年8月10日)
- 「IFACオペラ 元禄のトラヴィアータ」(TOKYO MX 2003年10月4日)
- 「第六回東京大薪能」(能・鶴亀)(TOKYO MX 2003年11月1日)
- 「甦れ、カンボジア」(TOKYO MX 2003年11月18日)
- 「翔べ、世界のステージへ」(TOKYO MX 2004年6月13日)
- 「ブラインドゴルフジャパンオープン チャンピオンシップ2004」(TOKYO MX 2004年7月3日)
- 「第七回東京大薪能」(能・田村)(TOKYO MX 2004年9月13日)
- 「オペラ大正時代のボエーム」(TOKYO MX 2004年10月16日)
- 「南半球に渡った能舞台」(TOKYO MX 2004年12月18日)
- 「ハンディーはゼロ ~盲人ゴルファー女子シニアに出会う」(TOKYO MX 2005年5月21日)
- 「第8回東京大薪能」(能・鞍馬天狗)(TOKYO MX 2005年9月24日)
- 「雛祭りのフィガロの結婚」(TOKYO MX 2005年10月30日)
- 「スーパーオペラ楊貴妃」(TOKYO MX 2005年12月24日)
- 「アンコールワット薪能」(J-sports 2006年3月21日)
- 「第二回ワールドシニアゴルフ レデイースオープン」(J-sports 2006年4月23日)
- 「ふれあいのグリーン ~世界を結ぶグラインドゴルフ~」(TOKYO MX 2006年5月21日)
- 「IFACオペラ リゴレット イン ジャパン」(TOKYO MX 2006年10月21日)
- 「第九回東京大薪能 ~能との出会い・ソプラノ大貫裕子~」(TOKYO MX 2006年12月23日)
- 「the joining of the generations 時代を越えてHANDA AUSTRALIA CUP」(TOKYO MX 2007年1月20日)
- 「和の心を伝える中国ファッションショー」(TOKYO MX 2007年1月21日)
- 「女子シニア感動の熱戦 HANDA USA CUP」(TOKYO MX 2007年2月3日)
- 「IFACオペラ 大江戸版好色男のファルスタッフ」(TOKYO MX 2007年10月27日)
- 「2007PGA HANDA CUP フィランスロピーシニアトーナメント」(TOKYO MX 2007年10月28日)
- 「WALK WITH ともに歩む――ゴルフの社会貢献」(TOKYO MX 2008年1月13日)
- 「LEGENDS TOUR OPEN 伝説の女子ゴルファー、シドニーで競う」(TOKYO MX 2008年1月27日)
- 「明日への架け橋 ~挑戦と感動のボウリング~ ブラインドボウリング」(TOKYO MX 2008年2月3日)
- 「HANDA CUP USA 世界選抜、あと一打!米ゴルフ殿堂名門コース女子シニア戦」(TOKYO MX 2008年2月17日)
- 「オペラ 大江戸版好色男のファルスタッフ」(TOKYO MX 2008年11月16日)
- 「カンボジア ~次世代を育む~」(BS11 2009年1月25日)
- 「2008PGA HANDA CUP フィランスロピーシニアトーナメント」(TOKYO MX 2009年2月15日)
- 「HANDA CUP」・第40回全日本女子 プロボウリング選手権大会 ~心で投げるストライク!!~」(BS11 2009年2月22日)
- 「小林旭 デビュー55周年記念 ラスト・ドリームコンサート ~男の友情は固く、強く~」(BS11 2009年3月29日)
- 「第十二回東京大薪能~伝統芸能を楽しむ~」(TOKYO MX 2009年10月4日)
- 「オペラ ゼウスの化身 ドン・ジョヴァンニ」(TOKYO MX 2009年11月3日)
- 『千客萬来』その壱 ゲスト:小林旭(BS11:2009年11月21日、TOKYO MX、TVK、KBSで再放送)
- 『千客萬来』その弐 ゲスト:小林旭(BS11:2009年11月28日、TOKYO MX、TVK、KBSで再放送)
- 「2009PGA HANDA CUP フィランスロピーシニアトーナメント」(TOKYO MX 2010年1月17日)
- 『カンボジア 未来への架け橋』(BS11 2010年3月21日)
- 「心に響け 笑顔のストライク~「HANDA CUP」・第41回全日本女子 プロボウリング選手権大会~」(BS11 2010年3月28日)
- 「第1回 ジュリアード音楽院声楽オーディション ~大西宇宙の挑戦~」(BS11 2010年8月22日)
- 「第十三回 東京大薪能 みんなが楽しめる伝統芸能の世界~」(TOKYO MX 2010年9月25日)
- 「IFACオペラ「ナブッコ ~わが愛する地球よ~」(TOKYO MX 2010年11月7日)
- 「シニアゴルフの星 煌く『2010HANDACUPシニアマスターズ』」(TOKYO MX 2011年1月9日)
- 『レオナルドTOSHUの月刊・百面相』(TOKYO MX 2012年全6回)
- 「激論!! 太平洋安全保障をどう築くのか?」~アジア・太平洋の海上安全保障と日米中関係~(BSジャパン 2012年9月30日(日)15:00~15:55)
インターネットテレビ
HANDA.TV
2013年3月30日より、HANDA.TV(ハンダ・ドット・ティーヴィー)[注 26]がサービス開始し、無料登録で視聴できる。深見の出演番組が毎日配信されることから、「半田がドッと出てくるテレビ=ハンダ.TV(ハンダ・ドット・ティーヴィー)」という「ギャグ」により、名付けられたという。
- サクセス登龍門
- 明るすぎる劇団・東州定期公演
- 深見東州演能シリーズ
- 深見東州作品展
- 風車の書画展
- こだわりのラッキー&エナジーShow品 毎日9:00~10:00、木曜を除く15:00~16:00
- 『南アフリカ宗教サミット』毎週月・水・金17:00~19:00、水曜12:00~14:00
- 『カンボジア福祉活動リポート2013』毎週木曜14:30~16:00
- ジュリアード音楽院声楽オーディション 第1回~第4回
- ロックコンサート in 名古屋 with ジミ・ジェイミソン
- モーツァルトの謎 B級ホラー漫談
- スポーツ祭東京2013 デモスポ 障害者ゴルフ
- カンボジア薪舞踏
- スポーツ平和サミット東京大会
- 大ウケ! 劇団東州の明るすぎるワケ
CM
- カンボジアへ行こう(在福岡カンボジア王国名誉領事・福岡限定)2012年
新聞
- 産経新聞
- 「成功する受験生と保護者へのアドバイス」 2003年2月~2005年2月毎週連載
- Olympics-Father of blind golf pushing for Paralympic place[177]
- 「ゴルフ天国」 2013年7月11日
- 「アカスリ半田劇場!」 2013年8月28日~11月13日(隔週水曜連載)
雑誌
- 「成功する実践経営論」 2001年10月~2005年1月連載
- 盲人ゴルファーと女子世界殿堂プロたちの競演 ワールドシニアレディース選手権が日本で開催[178] 2005年4月
- 月刊 ギャラリー
- 「深見東州の深奥の世界とは?」 2012年5月~11月連載
- 「松井武利の絵を見る人も好き好き この一品 深見東州』 2013年1月~連載中
ポッドキャスティング&ムービー配信
- 2009年10月23日より、「"レオナルドTOSHUの年中非日常的"ポッドキャスティング」として、人生相談などのオリジナルコンテンツが毎週配信されている。
- 2009年12月7日より、"レオナルドTOSHUの年中非日常的"ザ・ムービーとして、コンサート映像動画などが毎週配信された。
- 2011年4月4日より、世界のいまが、Ustream(ユーストリーム)で配信されている。
作品
書籍
著書は270冊を超える[7]。音楽CDは86本、DVDは21本リリース。宗教書のほか、芸術論、人生論、文明論、絵画、書、小説、詩、俳句、福祉、教育、学術、ビジネス、ギャグ、レシピなど、分野は多岐にわたる。主な著作は、158万部(2013年6月)を売り上げ[要出典]7カ国語に翻訳された「強運」などがある。
宗教論
- 『神界からの神通力』(1990/6)---日本文芸社(1985/12)の改訂版、深見青山名義
- 『強運』(1990/12)---扶桑社(1986/3)刊の改訂版、深見青山名義
- 『神霊界』---日本文芸社(1986/9)の改訂版、深見青山名義
- 『恋の守護霊』(1991/12)---「愛の守護霊」扶桑社(1986/11)の改題、改訂版、深見青山名義
- 『大金運』(1991/6)---扶桑社(1986/12)、深見青山名義
- 『大天運』(1991/9)---廣済堂出版(1987/8)の改訂版、深見青山名義
- 『大除霊』(1992/5)---角川書店(1989/5) の改訂版、深見青山名義
- 『大創運』(1993/5)---角川書店(1987/12)の改訂版
- 『神社で奇跡の開運』(1995/12)---学研(1991/7)の改訂版
- 『全国の開運神社案内』(1997/2)
- 『宇宙からの強運―幸運を呼ぶ驚くばかりの秘伝満載!!』(2001/4)
- 『どこまでも強運―どんな人でもたちまち強運になれる』(2002/9)
- 『信仰の道』(2004/11)
- 『究極の運命論』 (2004/12)
- 『強運―あなたの運がドンドンよくなる』(2012/3)
福祉論・教育論・学術書
- 『下手な英語の話し方―入門の入門・英会話』(単行本 - 2000/1)
- 『今まで誰も説かなかった大学入試合格の秘訣!―受験生と保護者のために』(2005/3)
- 『ブラインド(視覚障害者)の皆さん、外へ出てゴルフをしよう!』(2006/4)
- 『美術と市場―日本と中国の美術品交流と変遷からの視点』(2007/10)
- 『Understanding Japan』
経営論
- 『絶対成功する経営』(1995/3)
- 『これがわかれば会社は儲かり続ける』(1995/7)
- 『中小企業の経営の極意』(1999/6)
- 『本当に儲かる会社にする本』(1996/9)
- 『ビジネス成功極意』(1996/10)
- 『経営と未来予知―楠木正成の経営術』(1998/12)
- 『「日本型」経営で大発展』(2001/6)
- 『成功経営の秘訣』(2001/7)
- 『営業力で勝て!企業戦略』(2001/8)
- 『経営者よ気概を持て―成功する実践経営論』(2005/7)
他
エッセー等
- 『解決策―瞬間に悩みが消える本』(1995/2)
- 『運命とは何だ』(1995/7)
- 『幸せを運ぶ宝石の伝説』(1995/10)
- 『死ぬ十五分前に読む本』(1995/10)
- 『日本経済大発展の理由』(1995/12)
- 『深見東州爆笑対談』(1996/12)
- 『五十すぎたら読む本』(1997/7)
- 『こどもを持ったら読む本』(1997/7)
- 『生命の神秘 動物の伝説』 (1997/8)
- 『超一流のサラリーマン・OLになれる本』(1998/2)
- 『観葉植物の伝説』(1998/8)
- 『よく分かる霊界常識―恋愛から先祖供養まで』(1998/12)
- 『コルゲン講話集―心が風邪をひいたあなたに』(1999/3)
- 『開運!フラワー・ヒーリング』(1999/7)
- 『願いがかなう!星座の伝説』(1999/12)
- 『こんな恋愛論もある』(2000/6)
- 『自分を変えれば未来が変わる』(2001/9)
- 『音楽の伝説―火の鳥になる16分前に読む本』(2002/5)
- 『3分で心が晴れる本』(2008/5)
- 『たちまち晴れるその悩み!』(2008/10)
- 『パワーストーン付宝石の伝説』(2010/12)
- 『ブレスレット付星座の伝説』(2011/5)
他
画集 書画集
- 『深見東州 書画集1』(1997/9)
- 『深見東州 日本画の世界』(1999/8)
- 『深見東州 書の世界』(1999/8)
- 『深見東州画集』 求龍堂(2001/3)
- 『TOSHU FUKAMI ART WORKS』(2002/10)
- 『書画 深見東州』 求龍堂
- 『創作 深見東州』 求龍堂
- 『深見東州 油絵、水彩、アクリル、色鉛筆、墨彩、書、陶芸創作 A Creation of Toshu Fukami』文化芸術出版社(中国)
- 『深見東州 自選画集』(日本図書館協会選定図書)求龍堂(2010/8)
- 『深見東州の書』求龍堂(2012/8)
小説(脚本) 絵本(文) 詩集
以下は「戸渡阿見」名義。小説は「明るすぎる劇団・東州」の演目の脚本として使用されている。
小説
- 『蜥蜴』―短篇小説集(2007/10)
- 『バッタに抱かれて』(2008/10)
絵本
- 『雨』(絵・ゆめのまこ)たちばな出版(2008/3)
- 『チーズ』(絵・いとうのぶや)たちばな出版(2008/3)
- 『てんとう虫』(絵・いとうのぶや)たちばな出版(2008/3)
- 『わんこそば』(絵・いとうのぶや)たちばな出版(2008/3)
- 『リンゴとバナナ』(絵・いとうのぶや)たちばな出版(2008/3)
- 『ある愛のかたち』(絵・いとうのぶや)たちばな出版(2008/3)
- 『赤ちゃん天使』(絵・ゆめのまこ)たちばな出版(2008/7))
- 『犬』(絵・いとうのぶや)たちばな出版(2008/9)
- 『人食い熊』(絵・いとうのぶや)たちばな出版(2008/9)
- 『十二月の詩』(絵・ゆめのまこ)たちばな出版(2008/12)
- 松本道弘訳『A Christmas Story』(絵・ゆめのまこ)たちばな出版(2009/11)
- 『黄金伝説 清拭篇』(絵・いとうのぶや)たちばな出版(2009/3)
詩集
- 『明日になれば』-戸渡阿見詩集 たちばな出版(2009/3)
- 『ハレー彗星』-戸渡阿見詩集 たちばな出版(2009/4)
- 『泡立つ紅茶』-戸渡阿見詩集 たちばな出版(2009/8)
- 『明日になれば……メルヘン』-戸渡阿見詩画集 たちばな出版(2010/03)
- 『魔女の目玉』 -戸渡阿見詩集 たちばな出版 (2011/05)
俳句集(句)
- 第一句集『かげろふ』(2000/4)
- 『ディズニー俳句集 四季』(2002/3)
- 第二句集『新秋』(2009/2)
- 『墨汁の詩―句・書・水墨画集』(水墨画・安永麦州)(2008/7)
ギャグ集
- 『深見東州のギャグ大爆発!』 (1997/10)
- 『深見東州のウルトラギャグ大爆発!!』(1999/7)
- 『ポパイの心があたたまるさむい本』(2001/1)
- 『ベティーの心があたたまるさむい本』(2001/1)
気学
- 『ネコにも分かる気学入門』(2002/3)
- 『誰でもできる気学鑑定』(2005/2)
- 『図解 イヌでもできる「気学鑑定ノート」』 (2011/12)
謡曲・道歌集
- 『ヤマトタケルノミコト―即興謡曲』(2002/6)
- 『歌の調べに魂が宿る 勇気が出る東州道歌』(2003/12)
レシピ集
- 『プーさんのおいしいレシピ集 ごはんの料理』 (2000/5)
- 『プーさんのおいしいレシピ集 たまごの料理』(2000/5)
- 『プーさんのおいしいレシピ集 飲み物』 (2000/5)
神道
- 『古神道入門―吾郷清彦・松本道弘・深見東州鼎談集』(2000/10)
- 『神道の祭り』神道国際学会篇(2003/11)
- 『皇室と伊勢神道』神道国際学会篇(2003/12)
コミック監修
- 『成功の道』 (絵・人見倫平、古城武司)(1995/6)
- 『恋愛・結婚物語―恋が成就できる秘密の本』(絵・RYO、あいざっく蕪殷)(1995/10)
- 『守護霊が動けば運命は変わる』 (絵・望月あきら、ほしのあき) (1996/2)
- 『強運 マンガ版―あなたの運がこれで開ける』(絵・保沢環)(2002/3)
- 『恋の守護霊―マンガ版』(絵・岡映子) (2002/9)
- 『大金運 マンガ版―あなたの成功をリードする』(絵・大森夏) (2002/10)
- 『マンガ版 開運神社案内』(絵・石森章太郎プロ、佐口賢作) (2002/12)
- 『大天運 マンガ版―あなた自身の幸せの呼び方』(絵・玉屋カツキ) (2003/10)
- 『強運 マンガ版〈2〉星のパワーをもらおう』(絵・保沢環) (2004/1)
他
写真集
- 『深見東州フォトグラフ・ライブラリ- 熊野・よみがえる日本の心篇』(1997/8)
- 『深見東州 ギャグ写真集』(1997/12)
- 『深見東州演能写真集 幽玄の美』(1999/6)
- 『華麗なる舞―深見東州バレエ写真集』(2000/9)
他
DVD(VHS)
オペラ
- オペラ「魔笛」ザラストロ役/創作バレエ「顕現」
- オペラ「俊寛」能バレエ「黎明」付祝言「高砂」総監督/平判官入道康頼役/歌・剣舞/仕舞・謡 (1997/3)
- オペラ・バレエ『やまとは国のまほろば』ヤマトタケル役(バレエ出演)/神笛演奏 (1999/2)
- 創作 能・バレエ『羽衣』白竜役(能・バレエ出演)(1999/2)
- オペラ『聖徳太子』総合プロデューサー/厩戸皇子(聖徳太子)役 (2006/7)
- オペラ『元禄のトラヴィアータ』総合プロデューサー/慈兵衛流門(ジェルモン)役(2006/7)
- 新作「『西遊記・孫悟空』能楽とバレエと京劇の共演」唐王・土蜘蛛・釈迦役)(2006/7)
- スーパーオペラ『楊貴妃』全中国語上映 総監修/赤雄役(2006/10)
- オペラ『大正時代のボエーム』総合プロデューサー/磨千絵浪(マルチェッロ)役(2006/7)
- オペラ『雛祭りのフィガロの結婚』総合プロデューサー/日賀朗(フィガロ)役(2006/1)
- オペラ『リゴレットinジャパン』総合プロデューサー/詈業劣徒(リゴレット)役(2006/12)
- オペラ『大江戸版 好色男のファルスタッフ』総合プロデューサー/春舌夫(ファルスタッフ)役(2009/6)
- オペラ「ゼウスの化身 怪人ドン・ジョヴァンニ」総合プロデューサー/貪・女蛮兄(ドン・ジョバンニ)役(2010/3)
- オペラ『ナブッコ・我が愛する地球よ!』総合プロデューサー/名武鼓(ナブッコ)役(2011/3)
能
- 『仕舞・舞囃子・笛 シテ・笛 深見東州』(2010/7)
- 能「猩々」(2010/7)
- 能「羽衣」(2010/7)
- 能「竹生島」(2010/7)
- 能「西王母」(2010/7)
- 能「橋弁慶」(2010/7)
- 能「嵐山」(2010/7)
- 能「高砂」(2010/7)
- 半能「養老」(2010/7)
- 能「藤」(2010/7)
- 半能「石橋」(2010/7)
- 能「岩船」(2010/7)
- 能「乱」(2010/7)
- 能「土蜘」(2010/7)
- 半能『石橋 連獅子』(2010/7)
- 能「翁」(2010/7)
- 能「鶴亀」(2010/7)
- 半能「田村」(2010/7)
- 半能「鞍馬天狗」(2010/7)
- 半能「項羽」(2010/7)
- 『能解説』~初めて能をご覧になる方へ~(2010/7)
ライブ
- 『心ときめく廣田神社奉納演奏』(2007/9)
- 『2007年箱根神社奉納演奏』(2008/4)
- 『2007年鹿島神宮奉納演奏』(2008/4)
ロックCG
- 『GAT MAN(ガット・マン)』(C/W 恋に狂って支離滅裂)作詞・作曲・歌・映像出演(2012/4)
ビジネス
- 『強運力開発セミナー』(2011/9)
- 『サクセス登龍門~夢へ!学ビジョン~ ビジネス(1) ビジネスアイディア豊かな若き経営者達』(2011/4)
- 『サクセス登龍門~夢へ!学ビジョン~ ビジネス(2) 大震災に負けない若き経営者たち』 (2011/4)
- 『サクセス登龍門~夢へ!学ビジョン~ 政治・社会(1) 若者達へメッセージ』(2011/4)
指揮
- 『交響曲箱根神社』(2008/12)
- 『中東和平コンサート』
他
CD
歌
- アルバム
- 『ダニーボーイ』(2007/5)
- 『涙そうそう』(2007/5)
- 『心ときめく廣田神社奉納演奏』 (2007/9)
- 『深見東州のクリスマスソング集』(2007/12)
- 『アメリカンポップス&JPOPS・ライブ名曲集』(2008/6)
- 『雨の中のバラード』詞・曲・唄・表紙絵 (2008/12)
- 『深見東州クラシックベストセレクション』(旧タイトル:オー・ソレ・ミオ)バリトン(2008/12)
- 『日本の歌』日本歌曲集 唄・絵・題字(2009/6)
- 『日本の心』日本歌曲集 唄・絵・題字(2009/6)
- 『TOSHU FUKAMI sings GOLDEN POPS』ライブ盤(2010/12)
- 『Toshu Fukami クリスマス計画』唄・作詞・作曲(2011/11)
- 『男らしい歌で元気になる!』-ルパン三世のテーマ、Go the Distance、What a Wonderful World(2012/12)
- 『TOSHU FUKAMI sings ゴールデン演歌』ライブ盤(2013/1)
- シングル
- 『千の風になって―ベートーヴェン交響曲第9番』(2007/7)
- 『千の風になって―霧の摩周湖/卒業写真/赤いスイートピー』(2007/7)
- 『君のいないメリークリスマス C/Wメタボの雀』表紙絵・作詞・作曲・歌(2009/12)
- 『シンドバッド C/Wメスの狼』表紙絵・作詞・作曲・歌(2010/6)
他
作詞・作曲
- デビッド・ヘルフゴット『アンドロメダ・ファンタジア』作曲(1992/5)
- 『ミュージカルを見に行こう 深見東州ピアノコレクション1』(1997/6)
- 『テムズ川よりウィンザー城へ 深見東州ピアノコレクション2』(1997/6)
- 小林旭『ジダンダ!』作詞・作曲(2009/2)
他
役職
大学教授
- 1998年9月 - 中国浙江大学大学院日本文化研究所客員教授 (1998年9月~2006年12月)
- 1999年
- 9月 - 中国清華大学歴史学部顧問教授
- 11月 - 中国戯曲学院客員教授(~2004年10月)
- 11月 - 英国ウルヴァーハンプトン大学経営学部客員教授(~2002年10月)
- 2000年
- 2001年12月 - 中国南開大学国際商学院客員教授
- 2003年
- カンボジア大学総長
- 2004年
- 6月 - 北京戯曲芸術職業学院(中学卒業時の受験で入学できる5年制の一貫校[179])客員教授
役職/日本国内
- 公益財団法人協和協会理事長
- 時代を刷新する会理事長
- 公益財団法人日印協会理事
- 公益財団法人日本国際フォーラム理事
- グローバルフォーラム経済人メンバー
- 東アジア共同体評議会顧問
- 特定非営利活動法人世界開発協力機構(WSD)総裁
- 特定非営利活動法人世界芸術文化振興協会(IFAC)会長
- 特定非営利活動法人国際縄文学協会会長
- 特定非営利活動法人日本ブラインドゴルフ振興協会(JBGA)名誉会長
- 特定非営利活動法人日本インストラクタープロゴルフ協会会長
- 公益社団法人日本紅卍字会理事兼名誉会長
- 社団法人日本デザイン文化協会評議員
- 日本エジプト芸術文化振興協会会長
- 一般社団法人 国際スポーツ振興協会(ISPS)会長
- 一般財団法人 東京芸術財団(TAF)会長
- PGA・Handa Cup フィランスロピーシニアトーナメント大会名誉会長
- 高校生国際美術展実行委員長
- 東アジア美術交流祭会長
- 株式会社ミスズ代表取締役社長
- 予備校みすず学苑創設者学苑長
- 株式会社たちばな出版代表取締役社長
- 株式会社菱法律経済政治研究所代表取締役社長
- 武蔵野メディカル株式会社代表取締役社長
- 株式会社ジャパンペガサスツアー代表取締役社長
- 宗教法人ワールドメイト代表役員
役職/米国
- パシフィックフォーラム CSIS理事
- インターナショナル・シントウ・ファウンデーション(ISF)会長〔国連経済社会理事会(ECOSOC)認可NGO、国連広報局認可NGO〕
- 米国公益法人The LEGENDS Tour(米国女子シニアゴルフ協会〔WSGT〕)会長
- 米国公益法人シアヌーク病院副会長
- 米国公益法人世界芸術文化振興協会(IFAC)会長
役職/イギリス
- 英国公益法人王立盲人協会(RNIB)副総裁
- 英国公益法人世界宗教対話開発協会(WFDD)理事
- 英国公益法人世界芸術文化振興協会(IFAC)会長
役職/オーストラリア
- 西オーストラリア盲人協会理事
- ゴルフオーストラリア総裁兼国際大使
- オペラ・オーストラリア名誉総裁及びゲスト・アーティスト
- オーストラリアPGA終身名誉会員
- オーストラリア人権教育評議会名誉顧問[180]
- オーストラリア公益法人世界芸術文化振興協会(IFAC)会長
役職/中国
- 国立中国歌劇舞劇院(オペラ団)海外芸術顧問
- 「造形舞台芸術創作及び学術研究成就賞」創立者
- 中国敦煌市文化経済顧問
- 中国国立北京大学日本文化センター顧問
- 北京梅蘭芳基金会理事長
- 中国合唱協会名誉理事長
- 黒龍江省京劇院京劇振興協会会長
- 世界中国語合唱大会(東州杯)終身名誉主席
役職/カンボジア
- 在福岡カンボジア王国名誉領事
- カンボジア王国政府顧問(首相と副首相に次ぐ上級大臣)
- カンボジア王国首相顧問(オフィシャル・アドバイザー)
- 東南アジアテレビ局解説委員長
- 東南アジア英字新聞論説委員長
- アジア・エコノミック・フォーラム(AEF)ファウンダー(創始者)、チェアマン。
- アジア宗教対話開発協会(AFDD)会長
- 国立カンボジア平和協力研究所(CICP)副総裁
- カンボジア・日本ソサエティー会長
- カンボジアシアヌーク病院創設者
- クメール・ルージュによるジェノサイドの犠牲者への補償、および追悼のための半田基金会長
- アジア指導者センター(ALC)会長
- ワールドメイト未来の光孤児院会長
役職/その他
- 世界ブラインドゴルフ協会(IBGA)総裁
- ヨーロピアンシニアツアー 顧問兼国際大使
- アジアンツアー国際大使
- ニック・ファルド・アジアシリーズ公式国際大使
- ニック・ファルド基金名誉顧問
- インターナショナル・ピース・ファウンデーション(IPF)顧問
- エジプト・日本芸術文化協会 役員
栄典・受賞
- 日本国・紺綬褒章
- 前カンボジア王室より、コマンドール友好勲章(外国人に与える最高賞)
- カンボジア王国政府より、モニサラポン・テポドン最高勲章(福祉分野の最高賞)
- カンボジア王国政府より、ソワタラ勲章大勲位(福祉分野の二番目の賞)
- カンボジア王室より、ロイヤル・モニサラポン十字勲章(教育分野の最高賞)
- ラオス政府より開発勲章。
- 西オーストラリア州芸術文化功労賞
- オーストラリア人権教育評議会より、国際名誉市民「Citizen of Humanity」称号
- 西オーストラリア州州都パース市名誉市民「the kyes to the City of Perth」称号
- 西オーストラリア州スワン市名誉市民「the kyes to the City of Swan」称号
- アルバニア、ジロカストロ市名誉市民称号
- 中国合唱事業特別貢献賞
- 中国慈善賞10人(中国国家民政部より表彰)
- 中国児童慈善家(中華全国婦女連合会所属、中国児童基金会より表彰)
脚注
- ^ 小学校のとき、「過去の偉人たちは、みな人類のために大いなる遺産を残そうと思って頑張った。今の偉人たちもそうだ。とすれば、いずれこの世に偉人たちの遺産が積み上げられ、理想の社会が出現するに違いない」と日記に書き、担任の先生に花丸をもらった(大原一浩 1992, p. 62-63)
- ^ 救世教のお守りである「お光り」を教会から授かった日に、宗教的奇跡を体験し(磯崎史郎 1991, p. 185)(大原一浩 1992, p. 63)、毎朝登校の途中、必ず救世教の支部に立ち寄り、奉仕活動をして信仰を深めた。
- ^ 「神様のための活動もいいですが、日頃の生活が基本です。キミには、お父さんとの葛藤があるようだけれど、まず自分の家庭を立て直すことを考えてごらんなさい」と教会長に言われる(大原一浩 1992, p. 66)。
- ^ 松本マツ子に初めて会った日、松本は深見の話を涙ぐみながら聞き、「その心がけは本物の信仰心と、神様というものを真に理解されている証拠です。こんなに若いのに、本当の信仰を体得されています」と言った。そして、松本が、深見の勉強ぶりや宗教に対するまごころと捨て身の姿勢を大いに認めたとき、松本の背後にある神棚からパチーンという柏手を打つような音が聞こえる。驚く深見に対し、「神様も、あなたに賛辞を送られているのです」と松本が告げたというエピソードがある(磯崎史郎 1991, p. 191)。
- ^ 「相談にのってほしい」と複数の学生に迫られたのをきっかけに、祈りに応じた神通力が発現するようになり、身の上相談に来る学生たちで、「門前、市をなす」という有様であった(大原一浩 1992, p. 69)。
- ^ 優勝するにはほど遠い実力であったが、京都府中で行われる英語弁論コンクールに出場する女学生に、「君は優勝するよ」「君は3位だな」「君は5位に入賞する」と予想すると、見事にその通りになるという経験を通し、「他人のために祈りを捧げて神がかる」という法則を体得する(磯崎史郎 1991, p. 193)。
- ^ 大和ハウス工業に、朝出社すると、そのまま道院紅卍字会で学問を研鑽し、夕方に会社に戻りデスクワークをするという日々が続く。しかし、神業を言い訳に仕事をおろそかにしてはいけないと、わずかな時間を神に祈りつつ必死に仕事をした結果、1年目から受注を軒並みとって、トップの成績に躍り出る(磯崎史郎 1991, p. 197)。
- ^ 半田の審神の前に、『紅卍字会』に通いつめていたすべての霊能者が敗れ去り、半田晴久の名が轟き渡った頃、神の「汝は神の道を選ぶのか。現世での仕事の道を選ぶのか」という声を聞く。「神の道です」と即答すると、「ならば、『紅卍字会』にあって研鑽に励め。まもなく、ある人物が汝を迎えに来る。その者に従い進むことが、汝の終生の仕事になるはずだ」という神託を聞く(大原一浩 1992, p. 71-72)。
- ^ 任天(にんでん)の導師とは、天がその人にすべてをまかす人間界、天上界ふたつながらの指導者という意味である(大原一浩 1992, p. 73)。
- ^ 植松が自身が受けた神示を謡うと、深見が「私が伴奏をしましょう」と学生時代から習っていた横笛で伴奏をする。植松はかねてから、「やがて笛吹き童子がやってくる。その若者に全てを伝えるがいい。その人物が仕組みの担い手となり、この道を世に正しく広めていくだろう」という神示を受けていた。深見は神示により能管を習っており、「笛吹き童子」というあだ名がついていた(磯崎史郎 1991, p. 198-199)。
- ^ カンボジアでは、首相、副首相、上級大臣、大臣というランクがある
- ^ 小泉は、枕元に深見を招き、「よくぞ、きてくれた。あなたには一点の私心もない。私はあなたの本を全て読み、いつも枕の下に置き、あなたのテープを聞いて過ごしていました。今後の日本神道、伊勢の霊性、皇室の命運、そしてわが国の国運は、あなたの双肩にかかっております。今生、肉体がある間にあなたにお目にかかれてこんなにうれしいことはない。あなたが世に出たということは、神はかんながらの道と日本を見捨てなかったということだ。よろしく頼みますよ。」と涙ぐんで声を震わせながら言った。また、小泉は「私はなんで半田晴久を評価するかわかるかね。私は行によって霊力を得たが、彼は何の行もなくて、あれだけの大神通力を楽々と持っている。ということは、あの人はもともと神様の生まれ変わりであり、死んで神界にお帰りになる方だからである。そういう方と縁ができたということを感謝しなければならない。」と、藤波孝生(元官房長官)に遺言を残した。それから一ヶ月後に、小泉は息を引き取った(磯崎史郎 1991, p. 229)。
- ^ 「宗際化」とは“inter religious”の日本語訳である。
- ^ 米国、英国、豪州、カナダ、日本など、世界15カ国17地域のブラインドゴルフ協会が加盟
- ^ カンボジアの最高位の国家勲章の一つであり、外国人に与える最高の勲章。
- ^ 毎年、美術・書道・古典芸術や芸能など、特筆すべき創作や研究において成果をあげた芸術家と研究者を選考し、表彰するというもの。国家によるこのような表彰制度は、中国においてはこれが初めてである
- ^ スポーツを通じ、身体能力の高い者が身体の不自由な人の福祉に貢献する慈善活動の要素のある大会
- ^ 日米初のシニアの共催大会
- ^ ゴルフ界への貢献が広く認められ、ライダーカップやソルハイムカップ等のように、公式戦に名前を冠して「ハンダカップ」と名付けられた。
- ^ 65歳以上男子で争うゴルフトーナメント
- ^ アジア全域をカバーする唯一のゴルフ専門誌「Asian Golf Monthly」(2013年21万部発行)読者のオンライン投票により、毎年選出される賞
- ^ この第1回大会優勝者に森田理香子がいる。他、薗田峻輔も出場した。以降、藤本麻子、森桜子等が出場している
- ^ 日本代表は初出場の石川遼と3度目の出場となる谷原秀人。
- ^ オーストラリアでの音楽への貢献、および芸術促進への貢献」(For services to Music and For services to the promotion of the Arts in Australia) により、ジョーン・サザーランドから直接授与
- ^ 選定図書とは、各専門分野から日本図書館協会より任命された約50名の選定委員が現物一冊一冊に目を通し、公共図書館に適している本として選択されたものである。年間6万点以上の新刊本のなかから平均16パーセントの書籍が選定図書に選ばれている。
- ^ 略称は、ハンダ・ティーヴィー、ハンダ・テレビ
出典
- ^ a b http://www.worldmate.or.jp/profile/
- ^ a b c d e f g h “「世界オピニオンリーダーズサミット」で熱き議論”. デイリースポーツ (デイリースポーツ社). (2013年11月18日)
- ^ http://www.jbga.org/concept/handa.php
- ^ http://www.misuzu-gakuen.jp/aboutus/
- ^ “深見東州氏 こてんこてんの個展開く”. 人民日報(海外版). (2008年4月22日)
- ^ 「深見東州の深奥の世界とは?」『ギャラリー 2012 Vol.5』第325号、ギャラリーステーション、2012年5月、94-97頁。
- ^ a b c d e f g h i j k “クリントン元米大統領来日 半田晴久WSD総裁と世界平和日米関係語り合った”. 東京スポーツ (東京スポーツ新聞社). (2013年11月19日)
- ^ a b c d e f g h “「世界オピニオンリーダーズサミット」クリントン元大統領語る 日本のあるべき姿”. スポーツニッポン (スポーツニッポン社). (2013年11月18日)
- ^ 島田裕巳 (2008). 平成宗教20年史. 幻冬舎. p. 191
- ^ 磯崎史郎 1991, p. 180.
- ^ 大原一浩 1992, p. 61.
- ^ a b c 大原一浩 1992, p. 61-62.
- ^ 磯崎史郎 1991, p. 180-183.
- ^ 島薗進 2001, p. 128-130.
- ^ 沼田健哉 1995, p. 258.
- ^ 磯崎史郎 1991, p. 191.
- ^ a b 井上順孝 et al. 1996, pp. 323–324.
- ^ 『強運力 開発セミナー』
- ^ 新宗教 教団・人物事典. 弘文堂. (1996). pp. 323, 324, 559
- ^ 川上 恒雄、2006、「新宗教とビジネス哲学」、『宗教研究』(第八部会)、日本宗教学会<特集>第六十五回学術大会紀要、NAID 110006271815 pp. 379-380
- ^ a b 『美術と市場』まえがき参照
- ^ a b “学術活動”. 半田晴久公式ホームページ. 2013年12月21日閲覧。
- ^ “日本文化研究所 修士・博士論文一覧”. 浙江工商大学日本文化研究所. 2013年12月9日閲覧。
- ^ “Honorary Degrees to Be Awarded at Commencement”. The Juilliard School. 2013年6月23日閲覧。
- ^ “Corpus Christi College Oxford - News”. Corpus Christi Oxford. 2013年6月23日閲覧。
- ^ “SOAS Honorary Fellows:Haruhisa Handa”. SOAS, University of London. 2013年6月23日閲覧。
- ^ “University announces honorary awards”. University of Gloucestershire. 2013年12月9日閲覧。
- ^ “Honorary Doctorates and Fellows”. University of Gloucestershire. 2013年12月9日閲覧。
- ^ “Dr Haruhisa Handa”. Curtin University. 2013年6月23日閲覧。
- ^ “Chancellor » Profile”. The University of Cambodia (UC). 2013年6月23日閲覧。
- ^ “H.E. Dr. Haruhisa Handa’s Appointment By the Royal Government of Cambodia”. The University of Cambodia (UC). 2013年11月4日閲覧。
- ^ “Pacific Forum Board of Governors”. 2013年8月31日閲覧。
- ^ “The 8th AEF Speakers' Profiles” (PDF). Asia Economic Forum (AEF) (2012年3月). 2013年6月23日閲覧。
- ^ “About us - RNIB”. Royal National Institute Of Blind People (RNIB). 2013年6月23日閲覧。
- ^ “駐日外国公館リスト アジア”. 外務省. 2013年11月4日閲覧。
- ^ 大原一浩 1992, p. 184.
- ^ レオナルドTOSHUの遊びがNight2011年5月7日
- ^ 大原一浩 1992, pp. 96–98.
- ^ 磯崎史郎 1991, p. 210.
- ^ 大原一浩 1992, p. 92.
- ^ “戸渡阿見 短編小説「蜥蜴(とかげ)」まえがきエッセー”. 2013年6月23日閲覧。
- ^ “吉田豪のギリギリレビュー!! vol.7”. 2013年6月12日閲覧。
- ^ “富士山と三保松原が世界遺産に”. 電気新聞 (一般社団法人 日本電気協会新聞部). (2013年7月4日)
- ^ 熊本日日新聞 「シャイン」のモデル ヘルフゴットのライブ盤を発売
- ^ a b c “深見東州と世界の友人コンサートツアー日本武道館 世界に垣根なし”. 日刊スポーツ. (2013年9月7日)
- ^ マイケル・ボルトン (2012年11月7日). “MICHAEL BOLTON Memories in Singapore”. 2013年6月12日閲覧。
- ^ a b “Faldo Series Asia teams up with ISPS for good causes in golf”. Golftoday.co.uk. 2013年12月19日閲覧。
- ^ “IBGA Honorary President”. IBGA. 2013年12月19日閲覧。
- ^ “Honorary International Advisors”. Parliament of the World's Religions. 2013年12月16日閲覧。
- ^ “History and Objectives of the World Faiths Development Dialogue”. Georgetown University (2009年6月). 2013年12月16日閲覧。
- ^ “天台声明を大僧正より習う 天台宗比叡山 得度式”. Toshu Fukami. 2013年12月16日閲覧。
- ^ 深見青山『神界からの神通力』日本文芸社 1985年、『奇跡の開運』学習研究社 1991年、『大天運』廣済堂出版 1987年、『大除霊』角川出版 1989年。
- ^ “深見東州氏 こてんこてんの個展開く”. 中国婦女報. (2009年4月29日)
- ^ REUTERS「Olympics-Father of blind golf pushing for Paralympic place」 2012年6月29日
- ^ 「電気新聞」HOTTIMEインタビュー、2005年4月7日
- ^ ブラインドの皆さん、外に出てゴルフをしよう!. たちばな出版. (2006). pp. 17〜25
- ^ “ISPS Handa PGA Academy Programme”. ISPS. 2013年7月2日閲覧。
- ^ “ABOUT US”. sihosp.org. 2012年11月25日閲覧。
- ^ “チャリティー音楽会 カンボジアの孤児を救おう オペラ歌手 深見さんら出演”. 福井新聞. (2002年5月29日)
- ^ a b “教育・福祉活動”. 半田晴久. 2013年11月16日閲覧。
- ^ “Dr. Handa Compensation and Memorial Fund For the Victims of the Khmer Rouge Genocide” (PDF). HANDA Foundation. 2013年12月22日閲覧。
- ^ “福祉、教育、スポーツ、学術、芸術などの公益活動”. ワールドメイト. 2013年12月26日閲覧。
- ^ “ワールドメイト未来の光孤児院”. ワールドメイト未来の光孤児院. 2013年11月16日閲覧。
- ^ a b “ワールドメイト未来の光孤児院”. ワールドメイト未来の光孤児院. 2013年11月16日閲覧。
- ^ “Hun Sen-Handa Scholarships 2008”. カンボジア大学. 2013年12月22日閲覧。
- ^ “Samdech Akka Moha Sena Padei Techo Hun Sen-Haruhisa Handa National Scholarships 2009”. カンボジア大学. 2013年12月22日閲覧。
- ^ “カンボジア大学の建設と運営を支援”. ワールドメイト. 2013年12月22日閲覧。
- ^ “熱烈祝賀 第一回 "中国自動慈善活動日"大型福祉活動 円満成功”. 人民日報. (2002年6月22日)
- ^ “愛心は無情の宝”. 京華時報. (2002年6月23日)
- ^ “基金会3000万元の寄贈を得る”. 中国日報. (2000年3月30日)
- ^ “中国の辺境地区に、「春蕾小学校」130校建設”. Toshu Fukami. 2013年11月4日閲覧。
- ^ “世界芸術文化振興協会会長深見東州、中国児童少年基金会に3000万人民元を寄贈”. 中国中学生報. (2000年4月4日)
- ^ a b “「春蕾(しゅんらい)小学校」130校建設計画”. 半田晴久公式ホームページ. 2013年11月4日閲覧。
- ^ a b “深見東州プロフィール”. Toshu Fukami. 2013年11月16日閲覧。
- ^ Patricia Hannigan (2011年11月9日). “Dr. Haruhisa Handa - The Quintessential Golf Ambassador”. Golf Girl's Diary. 2013年6月30日閲覧。
- ^ Patricia Hannigan (2009年9月6日). “The Handa Cup and Dr. Haruhisa Handa”. Golf Girl's Diary. 2013年6月30日閲覧。
- ^ “女子シニアゴルフとの出会い”. 国際スポーツ振興協会. 2013年6月30日閲覧。
- ^ “北の大地に"古豪"集結 シニアツアー「ISPS HANDA CUP 秋晴れのシニアマスターズ」”. スポーツニッポン. (2013年8月30日)
- ^ “"世界遺産級"熟練の技必見 シニアツアー「ISPS HANDA CUP フィランスロピーシニアトーナメント」あす開幕”. スポーツニッポン. (2013年7月10日)
- ^ “PGA「ISPSグローイングシニアオープン 」アマチュア予選会”. ゴルフダイジェスト・オンライン. 2013年7月2日閲覧。
- ^ “海外でのシニアゴルフの振興”. 国際スポーツ振興協会. 2013年6月30日閲覧。
- ^ “ASIAN GOLF MONTHLY AWARDS: KINGDOM OF THAILAND REIGNS SUPREME”. Danang Golf Tour. 2013年7月2日閲覧。
- ^ “海外でのシニアゴルフの振興”. 国際スポーツ振興協会. 2013年6月30日閲覧。
- ^ “ISPSハンダがワールドカップのタイトルスポンサーに”. ParGolf (Pargolf & Company). (2013年9月11日). オリジナルの2013年9月12日時点におけるアーカイブ。
- ^ “ISPSハンダがワールドカップのタイトルスポンサーに”. ゴルフダイジェスト (ゴルフダイジェスト社). (2013年9月11日). オリジナルの2013年9月12日時点におけるアーカイブ。
- ^ “ISPS、11月の男子ゴルフW杯に協賛”. サンケイスポーツ (産業経済新聞社). (2013年9月12日). オリジナルの2013年9月12日時点におけるアーカイブ。
- ^ “第1回 HANDA CUPフィランスロピー プロボウリングトーナメント”. 一般社団法人 国際スポーツ振興協会. 2013年11月18日閲覧。
- ^ “Father of blind golf, Haruhisa Handa pushing for Paralympic place”. JAGRAN POST (2012年6月9日). 2013年6月30日閲覧。
- ^ Patricia Hannigan (2012年7月16日). “Golf in the Paralympics - Dr. Haruhisa Handa's High Hopes for 2020”. Golf Girl's Diary. 2013年6月30日閲覧。
- ^ “緊急アピール 対露領土交渉の基本的立場を崩してはならない”. 特定非営利活動法人 ユーラシア21研究所. 2013年12月6日閲覧。
- ^ “第32政策提言『積極的平和主義と日米同盟のあり方』” (PDF). 日本国際フォーラム (2009年10月). 2013年12月12日閲覧。
- ^ “第33政策提言『外国人展望の受け入れと課題』” (PDF). 日本国際フォーラム (2010年11月). 2013年12月12日閲覧。
- ^ “第35政策提言『膨張する中国と日本の対応』” (PDF). 日本国際フォーラム (2012年1月). 2013年12月12日閲覧。
- ^ http://csis.org/programs/pacific-forum-csis/wsd
- ^ “Pacific Forum Board of Governors”. CSIS Center for Strategic and International Studies. 2013年12月12日閲覧。
- ^ “半田晴久(深見東州)出演「日米中座談会」”. 2013年1月10日閲覧。
- ^ http://www.wsd.or.jp/about/mokuteki.php
- ^ http://www.wsd.or.jp/about/lead.php http://www.wsd.or.jp/about/aisatsu.php
- ^ http://www.wsd.or.jp/about/lead.php
- ^ “北方領土4島返還を考える『紙面広告』を掲載”. WSD世界開発協力機構. 2009年5月11日閲覧。
- ^ “"Bridges" in Cambodia and Thailand starting in November 2009”. INTERNATIONAL PEACE FOUNDATION. (2009年). オリジナルの2013年12月12日時点におけるアーカイブ。
- ^ http://berkleycenter.georgetown.edu/publications/olympic-values-london-and-beyond-report-of-the-olympic-values-symposium
- ^ http://www.sports-summit.jp/
- ^ “アカスリ半田劇場4”. スポーツニッポン (株式会社スポーツニッポン新聞社). (2013年10月9日)
- ^ “「スポーツ平和サミット東京大会」スポーツの価値を日本から発信”. サンケイスポーツ (産業経済新聞社). (2013年7月19日)
- ^ http://www.leaders-summit.jp/
- ^ a b c “「世界オピニオンリーダーズサミット」開催 元英国首相トニー・ブレア氏来場!!”. 東京スポーツ. (2013年9月8日)
- ^ “WSD-Handa Young Leaders Program - Tokyo, Japan”. CSIS. 2013年11月22日閲覧。
- ^ “ザ・グレート・サスケ オフィシャルブログ”. ザ・グレート・サスケ. 2013年11月22日閲覧。
- ^ “一夜明け世界オピニオンリーダーズサミット ゲストにブレア元首相”. 日刊スポーツ. (2013年9月7日)
- ^ “「世界オピニオンリーダーズサミット」で世界平和を誓った ブレア氏も熱弁”. スポーツニッポン. (2013年9月7日)
- ^ a b “クリントン元米大統領らが熱弁”. スポーツ報知 (報知新聞社). (2013年11月18日)
- ^ “Bill Clinton, Not Hun Sen, Booked to Speak at Tokyo Summit”. The Cambodia Daily (The Cambodia Daily). (2013年11月5日)
- ^ “クリントン元米大統領「日本に必要なのは平和への存在感」”. 日刊スポーツ (日刊スポーツ社). (2013年11月19日)
- ^ "オペラ ゼウスの化身 怪人ドン・ジョヴァンニ". 3 November 2009. BS11/TOKYO MX。
{{cite episode}}
:|series=
は必須です。 (説明) - ^ “国づくりに情熱注ぐ姿 舞台いっぱいに演じる”. 毎日新聞. (2002年11月15日)
- ^ “オペラ「椿姫」の江戸・吉原版公演”. 毎日新聞. (2003年8月29日)
- ^ 「深見東州の深奥の世界とは? 第5回」『ギャラリー 2012 Vol.10』第330号、ギャラリーステーション、2012年10月、116-119頁。
- ^ “「オペラ ゼウスの化身 怪人 ドン・ジョバンニ」上演”. 人民日報(海外版). (2010年1月15日)
- ^ “オペラ「大正時代のボエーム」”. 毎日新聞. (2004年8月25日)
- ^ “一般社団法人東京芸術財団(TAF)”. 一般社団法人東京芸術財団(TAF). 2013年11月16日閲覧。
- ^ a b “深見東州 in 武道館”. 東京スポーツ. (2013年9月8日)
- ^ 東京芸術財団
- ^ 『GALLERY 2012 vol.6』 ギャラリーステーション、2012年6月1日。
- ^ a b “能楽 - 深見東州”. Toshu Fukami. 2013年11月16日閲覧。
- ^ “同門会・大学クラブ発表会・同好会その他の催事情報:2013年〔入場無料公演〕”. 公益社団法人 宝生会. 2013年11月16日閲覧。
- ^ “第12回「東京大薪能」厳かに”. 人民日報(海外版). (2009年8月25日)
- ^ 「深見東州の深奥の世界とは? 第4回」『ギャラリー 2012 Vol.9』第329号、ギャラリーステーション、2012年9月、92-95頁。
- ^ “幽玄薪能 都庁をバックに観客6500人堪能”. 産経新聞. (2004年9月16日)
- ^ “北京で浸る幽玄の世界”. 産経新聞. (2000年9月6日)
- ^ “スフィンクスに伝統の舞を披露ーエジプト”. 毎日新聞. (2001年6月2日)
- ^ “スフィンクスも日本の幽玄鑑賞”. 産経新聞. (2001年6月2日)
- ^ “エジプト スフィンクス背に「薪能」 壮大な歴史と自然に溶け込んだ幽玄の美”. 西日本新聞. (2001年8月15日)
- ^ “能楽+バレエ+京劇 物語も躍動"新"西遊記”. 産経新聞. (1999年10月25日)
- ^ “『羽衣』を能とバレエで”. 毎日新聞. (2000年8月30日)
- ^ “世界のプリマが能と幻想的な共演”. 毎日新聞. (2000年8月29日)
- ^ “マイヤ・プリセツカヤ 能・バレエ『羽衣』を上演”. 日刊スポーツ新聞. (2000年8月24日)
- ^ “深見東州氏の作品展”. 人民日報(海外版). (2009年3月31日)
- ^ “第10回高校生美術展”. 人民日報(海外版). (2009年8月11日)
- ^ “高校生の力作320点展示”. 産経新聞. (2003年8月1日)
- ^ “たちばな出版”. たちばな出版. 2013年11月16日閲覧。
- ^ “座長・戸渡阿見(半田晴久)プロフィール”. 一般社団法人東京芸術財団(TAF). 2013年11月16日閲覧。
- ^ “オペラ・声楽・指揮 - 深見東州(半田晴久)”. Toshu Fukami. 2013年11月16日閲覧。
- ^ “豪華絢爛スーパーファッションショー”. 日中新聞. (2006年12月5日)
- ^ “紫禁城モチーフのファッションショー 400人の観客を魅了”. 東方時報. (2006年12月7日)
- ^ a b “ギャグ 戸渡阿見”. 戸渡阿見. 2013年11月16日閲覧。
- ^ “弦楽四重奏「スターライト・イン・パース」初演”. Toshu Fukami. 2013年6月30日閲覧。
- ^ “「シンフォミエッタ熊野」剣舞「黎明」”. Toshu Fukami. 2013年6月30日閲覧。
- ^ “オペラバレエ「やまとは国のまほろば」”. Toshu Fukami. 2013年6月30日閲覧。
- ^ “マイヤ・プリセツカヤを迎えての オペラバレエ「天の安河のうけひ」”. Toshu Fukami. 2013年6月30日閲覧。
- ^ “ウィーンフィルのトップメンバーを迎えてのチャリティコンサート 「七福神 ウィーンを巡る」”. Toshu Fukami. 2013年6月30日閲覧。
- ^ “ウィーンフィルのコンサートマスターとアメリカポップスのスターを迎えてのチャリティコンサート 「真夏の夜のイリュージョン」”. Toshu Fukami. 2013年6月30日閲覧。
- ^ “チャリティコンサート 「AROUND THE WORLD 」”. Toshu Fukami. 2013年6月30日閲覧。
- ^ “オペラと能を上演 熊野本宮大社旧社殿跡で21、22両日”. 朝日新聞. (1997年3月13日)
- ^ “21、22日に「薪オペラ」「薪能」 本宮の大斎原”. 中日新聞. (1997年3月19日)
- ^ “鹿島灘薪能と野外オペラの鑑賞会 第1夜「薪能と狂言の夕べ」 能「西王母」 半能「石橋」 狂言「附子」”. Toshu Fukami. 2013年6月30日閲覧。
- ^ “鹿島灘薪能と野外オペラの鑑賞会
第1夜「薪能と狂言の夕べ」”. Toshu Fukami. 2013年6月30日閲覧。 - ^ “箱根薪能とガラ・コンサート オラトリオ「七福神来天」”. Toshu Fukami. 2013年6月30日閲覧。
- ^ “笛の会 能「養老」”. Toshu Fukami. 2013年6月30日閲覧。
- ^ “藤の花咲く能バレエの夕べ 能「藤」創作バレエ「日本蘇生」”. Toshu Fukami. 2013年6月30日閲覧。
- ^ “世界初の試み能楽とバレエと京劇の共演 新作「西遊記・孫悟空」唐皇・土蜘蛛・釈迦の一人三役”. Toshu Fukami. 2013年6月30日閲覧。
- ^ “エジプトスフィンクス薪能”. Toshu Fukami. 2013年6月30日閲覧。
- ^ “T.Fukami ファッションショー”. Toshu Fukami. 2013年6月30日閲覧。
- ^ “能狂言、2000人が堪能--宝生流一門、鹿島神宮に奉納”. 毎日新聞. (2002年8月8日)
- ^ “オペラ「聖徳太子」”. Toshu Fukami. 2013年6月30日閲覧。
- ^ “シドニー京劇公演”. Toshu Fukami. 2013年6月30日閲覧。
- ^ “深見東州・52歳バースデイ・サーカス 中東和平コンサート”. Toshu Fukami. 2013年6月30日閲覧。
- ^ “オペラ 元禄のトラヴィアータ ヴェルディ作曲『椿姫』”. Toshu Fukami. 2013年6月30日閲覧。
- ^ “節分の鬼神達が歌う 旧暦の年末 第九コンサート”. Toshu Fukami. 2013年6月30日閲覧。
- ^ “オペラ 『楊貴妃』”. Toshu Fukami. 2013年6月30日閲覧。
- ^ “オラトリオ メサイヤ”. Toshu Fukami. 2013年6月30日閲覧。
- ^ “アンコールワット薪能”. Toshu Fukami. 2013年6月30日閲覧。
- ^ “世界初・薪能と薪京劇の競演”. Toshu Fukami. 2013年6月30日閲覧。
- ^ “ドン・パスクワーレ”. TAF. 2013年6月30日閲覧。
- ^ “10日は中野で国際交流オペラ”. スポーツニッポン (スポーツニッポン社). (2013年9月7日)
- ^ “深見東州クリスマス・チャリティ・ディナーショー”. 世界協力開発機構. 2013年12月12日閲覧。
- ^ Johnston, Patrick (29 June 2012). “Olympics-Father of blind golf pushing for Paralympic place”. Reuters. SINGAPORE
- ^ 「盲人ゴルファーと女子世界殿堂プロたちの競演 ワールドシニアレディース選手権が日本で開催」『週刊ゴルフダイジェスト』、ゴルフダイジェスト社、2005年4月、2013年6月12日閲覧。
- ^ “大学入試なしで高等教育を修了 5年制一貫校設置へ”. 人民網 (2004年4月12日). 2013年11月17日閲覧。
- ^ “The Australian Council for Human Rights Education (ACHRE)”. 2013年6月23日閲覧。
参考文献
- 磯崎史郎『深見青山 その天才の秘密をさぐる』勁文社、1991年。ISBN 978-4766913149。
- 大原一浩『なぜ、人は神を求めるのか―深見青山との対話』祥伝社、1992年。ISBN 978-4396500269。
- 沼田健哉『宗教と科学のネオパラダイム』創元社、1995年。ISBN 978-4422140193。
- 井上順孝; 孝本貢; 対馬路人; 中牧弘允; 西山茂『新宗教 教団・人物事典』弘文堂、1996年。ISBN 978-4335160288。
- 島薗進『ポストモダンの新宗教』東京堂出版、2001年9月25日。ISBN 978-4490204476。