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岡田斗司夫

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岡田 斗司夫(おかだ としお、1958年7月1日 – )は、大阪市住吉区出身の作家プロデューサー。通称オタキングオタクの王)。大阪芸術大学芸術学部客員教授。元ガイナックス代表取締役社長、同社筆頭株主。元と学会会員。元東京大学非常勤講師大阪電気通信大学経営工学科放校処分。姉が一人。

人物

生い立ち

大阪府立病院で出生。父は工兵あがりの元教師で、息子に「斗(闘いを)司(司る)夫(ますらお)」という勇ましい名前を命名。妻の内職の仕事を拡大させた有限会社の社長を務めていた。実母は仕事熱心で労を惜しまず働きづめに働いていた。 幼稚園2年目で、すでに漢字も読めるなど、早熟だったため、幼稚園は無意味だからやめたいと父母や幼稚園園長に交渉し、同意を得る[1]。父方の祖父は宮大工である。なお、母方の祖父母は雀荘の経営者[1]

家計は貧窮しており、土間のある長屋に三家族で生活。幼少時に学校で受けた知能検査で、自身の知能指数が148以上あることを知り、頭がいいから宿題など必要無いと考え、以後勉強をまったくしなくなったという[1]大阪市立遠里小野小学校入学、岡田少年が小学校5年時に豪勢な生活に急転、コップの水が凍てつくほどの強力な空調が設置された、だだっ広い部屋をあてがわれ、映画、アニメ、プラモデル、サイエンスフィクションの流行に没頭。空想科学が華やかりし頃、浜村淳のラジオ番組で「地球の自転が停止するとどうなるか」というテーマでリスナー間で侃々諤々の大論争。岡田は子供なりの理論を立てて「自転が止まると、その運動量は熱エネルギーに転換される。結果、地表は溶けてマグマが噴出し、人類は滅びる」と結論を出し番組に投書。この葉書が模範解答に選ばれる。三稜中学校入学、友人から機材を借りて自主短編映画を撮影し、学校の行事などで上映。この頃の将来の展望はSF作家を夢見る少年だったが知識とアイデアは大量に出てくるのに、それを創作という形にするのは全く別の労力だという事を悟る。

1974年大阪府立今宮高等学校入学。TVアニメ番組「宇宙戦艦ヤマト」を見て衝撃を受け、当時の金額で30万円するソニー製のビデオデッキを父親を即興のロジックで言いくるめて説得し購入。ビデオテープ1本しか許しが出なかったために内容を丸暗記するべく幾度も再生しては上書き録画でヤマトの物語に夢中となる。1976年同高校卒業。

大阪電気通信大学入学、ある日実家に立ち寄ってみると2階建てだったはずの家が3階建てに変貌。1フロアが丸々集会所となっていて父親から「斗司夫、今日からお母ちゃん神様やで」と告げられ驚愕。労働で得た報酬が税金として徴収された事の憤りと、自分の無学さに対する悔しさから子供の岡田に母が「斗司夫、納税なんてしたらアカンで」と涙ながらに諭し、自ら新興宗教を立ち上げるという強攻策だった。後、同校退学[1]。なお、大阪芸術大学の講義で本人が語った所によれば、1年生の時に履修届を丸々忘れてしまい、以降4年間両親には大学へ行くフリをしながら仕送りを続けてもらい、製作活動にのめり込んだという。ちなみに籍は置いていた。当時の大阪電気通信大学は名前さえ書ければ合格可能で、大阪で下から二番目の大学だったと語る[2]

同人時代

1978年、第17回日本SF大会(ASHINOCON)に参加し、武田康廣と共に舞台で話芸を披露。「関西芸人」の異名を取る[3]1979年に大阪で開催された「第4回SFショー」を主催。これは野田昌宏が創設していたイベントで、開催ルールを知らずに「大阪第3回大会(DAICON3)」を開こうとして認められず、「SFショー」の枠を借りて開催した。事務局長を務め、SF落語やコスチュームショーなどを企画構成した。

1981年、第20回日本SF大会(DAICON3)を開催。オープニングでDAICON FILMの自主製作アニメーションを上映。この自主制作作品を元にしたグッズやガレージキットを制作、販売することによりジャンルの狭いマニア向けであってもビジネスモデルが確立できることに成功した。その資金を元手に1982年SFグッズ専門店「ゼネラルプロダクツ」を開店し、SFグッズやガレージキットを販売。当時はこのような専門的な店が少なく、後のガレージキットの市場形成に大きな役割を果たした。同年中学の同級生と結婚。

1982年、脚本を執筆したDAICON FILMの自主製作映画『愛國戰隊大日本』がSF界で論争になる[4]。同年、6月27日に放送の劇場アニメ『伝説巨神イデオン』の宣伝番組に武田康廣と共に「双子の悪魔」としてテレビ出演。数々のパフォーマンスを演じる[5]

1983年には、DAICON FILMの自主制作映画『帰ってきたウルトラマン マットアロー1号発進命令』(総監督・主演:庵野秀明)の脚本を執筆した。

ガイナックス設立

1984年、アニメ制作会社「ガイナックス」を設立、代表取締役に就任。アニメ『王立宇宙軍〜オネアミスの翼』、『トップをねらえ!』、『ふしぎの海のナディア』や、ゲームソフト『プリンセスメーカー』などのヒット作を生み出す。

1992年、岡田自ら企画したパソコン用ソフト電脳学園シナリオI Ver2.0が有害図書指定され、宮崎県を提訴し最高裁まで争うが棄却される。その後ガイナックスはEOCSに加入する。

1992年、ガイナックスを退社。ガイナックスを岡田と共に立ち上げた武田は、社長でありながら仕事をしなくなった岡田に、会社を辞めるよう迫った結果だとしている[3]。なお、岡田は現在も同社の最大株主の一人である。

ガイナックス退社後

1994年10月~翌3月まで東京大学教養学部にて非常勤講師として、サブカルチャーを題材とした「マルチメディア概論」の講義を行った。本人曰く「高卒で東大で講義したのは僕だけじゃないかな?」との事。1996年から1997年にかけては「オタク文化論」の講義を行った。立教大学でも講義を行う。

1995年唐沢俊一眠田直とともに、オタク芸人ユニット「オタクアミーゴス」を結成。1996年よりレギュラーメンバーとして出演のNHKBS2で不定期放送中の番組『BSマンガ夜話』が開始。1997年、自身の講演・執筆活動のために株式会社オタキングを設立、代表取締役に就任。1999年、編者を務めた『国際おたく大学』で唐沢俊一が行った伊藤剛 への誹謗中傷により提訴される。結果、原告の要求した「全国紙での謝罪・賠償金の支払い」という要求は却下され、「誹謗中傷的」という文言を含む謝罪をサイトに一定期間掲示する、という有利な条件で和解する。

2003年マサチューセッツ工科大学で講師を務める。ガレージキットの草創期から公私にわたる交友がある海洋堂と組んで食玩「王立科学博物館」シリーズを企画し、タカラから発売。2004年、岡田が企画立案したBS2『BSアニメ夜話』の放送開始。レギュラーメンバーでもあり、当初は司会も務めた。2005年大阪芸術大学芸術学部キャラクター造形学科客員教授。

2006年、新宿のロフトプラスワンにおけるトークショー「オタク・イズ・デッド」で「オタクという民族は解体し、『オタク文化』は死んだ」「いまこそすべてのオタクは、『オタクである』という旧来のアイデンティティより解放され、『アニメやマンガなどが好きな個人』として生きるべき」と語り、各メディアで取り上げられ[6]、様々な反響を起こしたそこで語られたトークを大幅に修正し加筆した物が、2008年に「オタクはすでに死んでいる」として発表された。2006年11月21日に、プチ落語家「吉祥亭満月」としてデビュー。

2007年、自ら実践したダイエットをテーマに著した『いつまでもデブと思うなよ』が、2008年現在50万部のベストセラーになる[7]本人公式ブログより「あのやせ方は超常現象だ」とのコメントにより、日本トンデモ本大賞2008で複数票を得た。同年、食玩「王立科学博物館」シリーズが三才ブックスより書籍化された。2008年1月、携帯電話ブランド各社の公式サイト「王立科学博物館」[8]が相次いで公開された。同年5月、電子玩具の企画開発、製造販売事業を行うワイ・シー・トイズ・ラボ株式会社顧問就任。

経歴

オタクの“顔”として

岡田は自ら「オタキング」を名乗り、「オタクカリスマ[9]「オタクの教祖」とも称される。

岡田は1996年からオタク関係の著書を立て続けに出し、並行して各種メディアに頻繁に露出するようになり、その中でオタクをひたすら擁護・称揚して、オタクの社会的地位の向上のための言論活動を1998年まで行なった[10][11]

ダイエット

117kgの体重があったが、2006年より始めたダイエットにより、約50kgもの減量に成功した。この体験を元に『いつまでもデブと思うなよ』(ISBN 978-4106102271)を出版した。

その他

  • 30歳前後頃から精神的な不調を煩い、躁と鬱を約3ヶ月周期で繰り返していると明かす。本人曰く躁の時は「小賢しい物言い」になり、鬱の時は感傷的になる。
  • 「フロン」執筆中に、子供も成長し結婚生活を続けている意味が無い事に気づき、妻と相談して籍を抜き、一般通念上では「離婚」し「独身」となり別居する。しかし離婚後も、それまでどおり家族での食事など続けていたため、後になってこの事実を知った子供は何ら相談も無く、勝手に離婚していた両親を詰る。
  • ガイナックスを辞めた件について会社内での不仲説などがネット上で流れたが、本人は著書「フロン」で「子供が生まれてからSFや美少女モノの話が作れなくなってしまったため」と語っている。
  • 「自分はナンバーワンよりオンリーワンになる事を望む」と著作「人生テスト ― 人を動かす4つの力」で語っている。ゼネラルプロダクツも大成功したが、類似するような専門店ができて、その中で競争する事はあまり興味が無く、仲間とガイナックスを設立したとの事。

著書

  • ぼくたちの洗脳社会 朝日新聞社(1995年)のち文庫、9.5万部[12]
  • オタク学入門 太田出版(1996年)のち新潮文庫、13万部[12]
  • 東大オタク学講座 講談社(1997年)のち文庫
  • 東大オタキングゼミ 自由国民社 1998.4
  • マジメな話 岡田斗司夫世紀末・対談 アスキー・アスペクト 1998.4
  • 二十世紀の最後の夜に 講談社 1998.12
  • 世紀の大怪獣!!オカダ 岡田斗司夫のお蔵出し イースト・プレス 1998.7
  • 岡田斗司夫の絶滅プラモ大百科 グリーンアロー出版社 1999.1
  • 岡田斗司夫の未来玩具 グリーンアロー出版社 1999.11
  • オタクの迷い道 文藝春秋 1999.3 のち文庫 
  • 人生テスト 人を動かす4つの力 ダイヤモンド社 2000.4
  • 失われた未来 毎日新聞社(2000年
  • 30独身女、どうよ!? 現代書林 2001.12
  • 恋愛の取説 タイプ別究極の恋愛心理テスト 現代書林 2001.12
  • フロン 結婚生活・19の絶対法則 海拓舎(2001年)のち幻冬舎文庫
  • Otaking diary me no ikizama wo miyagare 1996-2000 ロケット野郎 2002.8
  • 日本オタク大賞2003年ISBN 4594039006
  • 恋愛自由市場主義宣言! 確実に「ラブ」と「セックス」を手に入れる鉄則 ぶんか社(2003年)
  • プチクリ 好き=才能 幻冬舎(2005年
  • 「世界征服」は可能か? ちくまプリマー新書(2007年)、8.1万部[12]
  • いつまでもデブと思うなよ 新潮新書(2007年ISBN 4106102277
  • オタクはすでに死んでいる 新潮新書(2008年ISBN 9784106102585
  • 脱デブ なぜ芸能人はレコーディング・ダイエットにはまるのか,なぜ1年以上たってもリバウンドしないのか ソニー・マガジンズ新書 2008.8
  • 岡田斗司夫の見るだけでダイエット ビジュアルで覚えるマッピング・カロリー&脂質事典 小学館 2009.2
  • レコーディング・ダイエット決定版 文春文庫 2010.1
  • レコーディング・ダイエット「公式」手帖(2009年ISBN 9784796669757
  • 未来改造のススメ (アスペクト 2010) ISBN 9784757217959

共著

  • 国際おたく大学 1998年 最前線からの研究報告(編)光文社(1998年
  • 封印 史上最強のオタク座談会 田中公平,山本弘 音楽専科社 1999.8
  • 回収 史上最強のオタク座談会2 田中公平,山本弘 音楽専科社 2000.8
  • 絶版 史上最強のオタク座談会3 田中公平,山本弘 音楽専科社 2000.8
  • ヨイコ 空前絶後のオタク座談会1 山本弘 音楽専科社 2001.5
  • ナカヨシ 空前絶後のオタク座談会 2 山本弘 音楽専科社 2002.2
  • メバエ 空前絶後のオタク座談会3 山本弘 音楽専科社 2002.2
  • 結婚ってどうよ!? 渡辺由美子 青春出版社 2003.10
  • オタク論! 唐沢俊一 創出版 2007.4
  • オタク論! 2 唐沢俊一 創出版 2009.5
  • オタクに未来はあるのか!? 「巨大循環経済」の住人たちへ 森永卓郎 PHP研究所 2008.5

東京大学「オタク文化論」対談者一覧

出演番組

脚注

  1. ^ a b c d 岡田斗司夫、速水由紀子「現代の肖像 岡田斗司夫」『AERA』2002年11月4日
  2. ^ GyaOジョッキー「岡田斗司夫のひとり夜話」より。
  3. ^ a b 武田康廣 『のーてんき通信 エヴァンゲリオンを創った男たち』 ワニブックス2002年、152頁。
  4. ^ 巽孝之 『日本SF論争史』 勁草書房、2000年、30 - 31頁。
  5. ^ 中島紳介・斉藤良一・永島収 『イデオンという伝説』 太田出版、1998年、172 - 174頁。
  6. ^ AERA2006年9月11日号、朝日新聞社など。
  7. ^ 「いつまでもデブと思うなよ」 大ベストセラーの理由 J-CASTニュース、2007年10月23日
  8. ^ 王立科学博物館1月16日Yahoo!ケータイソフトバンクモバイル)、1月21日iモードNTTドコモ)、1月24日EZwebau)。
  9. ^ 倉田真由美 「フリドラ男22」『週刊朝日』2007年10月5日号、朝日新聞社。
  10. ^ 岡田斗司夫 『世紀の大怪獣!!オカダ 岡田斗司夫のお蔵だし』 イースト・プレス、1998年、126 - 129頁。
  11. ^ 黒岩静也 『オタクになれないアニメ好きの本』 キルタイムコミュニケーション、1997年、「流行批評版オタク解剖学」。
  12. ^ a b c 本人公式ブログ

関連項目

外部リンク