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Wikipedia‐ノート:スタイルマニュアル/レイアウト

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これはこのページの過去の版です。Penn Station (会話 | 投稿記録) による 2010年12月28日 (火) 23:42個人設定で未設定ならUTC)時点の版 (「各節の解説」節における「テンプレート」の位置: 新しい節)であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

このページには削除された版があります。削除に関する議論はWikipedia:削除依頼/GFDL上問題のある関連文書をご覧ください。

過去ログ
  1. 2003年11月21日までの議論

全面改訂(2006年2月27日)

全面改訂しました。スタイルマニュアルにおけるレイアウトの方針の位置づけが不明瞭であったので、この点を明確にして整理し直したつもりです。スタイルマニュアルにあった導入部、言語間リンク・カテゴリ、参考文献の解説はこちらに移動し、こっちにあった箇条書きに関する解説などを削除しました(これらの解説はWikipedia:編集の仕方にあります)。Hermeneus (user / talk) 2006年2月26日 (日) 17:14 (UTC)[返信]

Hermeneusさん、全面改定お疲れさまです。より見やすく活用しやすいものにしていただいたと思います。
せっかくHermeneusさんに改訂していただいたのですが、2点、変更させていただきました。第1点は、参考文献と関連項目の順序をHermeneusさんが編集される前の版に戻したことです。これは、以前の順序の方がウィキペディアの内部→ウィキペディアの外部という流れで統一されており、特に変更する理由がないものと考えるためです。
第2点は、参考文献の項に「読者に推薦する文献」も記載できるよう修正したことです。これは以前の版に「記事の読者に推薦する書籍や論文を、箇条書き形式で書いてください。」とあった部分に相当するものです。これについては、新たに== 読書案内 ==という節を設けるべきかもしれませんが、当面は以前の版の状態を維持すべきだと考えております。Sloop25 2006年2月27日 (月) 23:38 (UTC)[返信]
確かに、実際に記事を書く際に参照・引用している文献のリスト(bibliography, works cited)と、その事物についてさらに詳しく知りたい人に参考になる本のリスト(reading list)とは、分けた方がいいかも知れませんね。Hermeneus (user / talk) 2006年2月28日 (火) 00:10 (UTC)[返信]

脚注の位置(提案)

私はいままで脚注を作る際に末尾に持ってきていたのですが、ここの指針だと、本文の中ほどに位置していますね。これって、「脚注」とはいえないのではないでしょうか?脚注位置を末尾に持ってきて文字通り脚注とすることを提案します。--PeachLover ももがすき。 2006年10月9日 (月) 04:00 (UTC)[返信]

  • 参考文献の次辺りが妥当ではないでしょうか。外部リンクや関連項目よりは上でよいと思います。……とおもったら、関連項目を参考文献のまえにしてるんですね。此の指針はつくづく起草者の独自のものだなと思いました。ガイドラインと認めていいんでしょうか? Kzhr 2006年10月9日 (月) 05:18 (UTC)[返信]
ご意見ありがとうございます。参考文献や脚注は、論文等では末尾(注釈はページごとにある場合もある)のは、皆さんご理解いただけるところだと思います。関連項目、参考文献、外部リンク、脚注と並べたいというのが私の意見です。(外部リンクが最後という考えもあるかもしれませんね)--PeachLover ももがすき。 2006年10月9日 (月) 05:23 (UTC)[返信]
ここに2006年10月9日 (月) 09:46 (UTC)づけで約語についての文章を書いていましたが整理のため利用者‐会話:Penpenに移動しました。Penpen 2006年10月16日 (月) 16:02 (UTC)[返信]
ここに2006年10月9日 (月) 09:53 (UTC)づけの文章を書いていましたが整理のため利用者‐会話:Penpenに移動しました。Penpen 2006年10月16日 (月) 16:02 (UTC)[返信]
    • タグがどうのこうのという話をしているのではないと思います。百科事典記事も含めて論文(のような文章)を書くに当たってどういう形式が一般的に通用するかたちなのか、ということを考えた際、現行指針が不自然なことを述べているのではないかという指摘がまずあるのですから、そこから考えなければいけません。で、miyaさんの案が確かに自然かつもっともポピュラーなものであると思いますので、私も賛成します。--ikedat76 2006年10月9日 (月) 12:53 (UTC)[返信]
    • (蛇足)と言いつつも、脚注はおろかreferencesもbibliographyもろくに付いてない記事のほうが多いような気がしてならないのですが。--ikedat76 2006年10月9日 (月) 12:53 (UTC)[返信]
ここに2006年10月9日 (月) 14:50 (UTC)づけの英語版の「Footnote」が3通りの意味に使われている旨の文章を書いていましたが整理のため利用者‐会話:Penpenに移動しました。Penpen 2006年10月16日 (月) 16:02 (UTC)[返信]
ここに2006年10月9日 (月) 15:07 (UTC)づけの文章を書いていましたが整理のため利用者‐会話:Penpenに移動しました。Penpen 2006年10月16日 (月) 16:02 (UTC)[返信]
ここに2006年10月9日 (月) 15:27 (UTC)づけの英語版とあわせるとよい旨の文章を書いていましたが整理のため利用者‐会話:Penpenに移動しました。Penpen 2006年10月16日 (月) 16:02 (UTC)[返信]
「英語版がこうだから」というのは重要な参照点ですが、だからといって一から十まで倣わなければならない理由はありません。英語版とそろえなければならない説得的な理由をPenpenさんは示されていません。miyaさんの提案されている順序は、(「関連項目」「外部リンク」があるのを別にすれば)論文としてスタイルを備えた文章の構成として(日本語・英語圏問わず)定着したものであることは、そうしたスタイルの文章を読み慣れた者なら誰でもわかるものです。ブリタニカなどがそうですが、百科事典記事というのは基本的に論文のスタイルで書くことが求められていることを踏まえて考えるべきです。--ikedat76 2006年10月11日 (水) 16:30 (UTC)[返信]
少し、議論がかみ合っていないような気がするので、補足できればと思い、横から失礼します。まず前提として、参照文献(Reference)と参考文献(Bibliography)は区別した方が良いかと思います(上記の英語版の記述もそれを前提にしなければ理解できないのではないかと思います)。その上で、Wikipediaの脚注機能は、参照文献および注釈のための機能であると思います。しかし、この2つを取り扱う方法にはいくつかの流儀があるために、混乱を招いている気がします。特に、参照文献よりも注を重視して、注の項を設ける書き方や注を参照文献と一緒に並べる手法は、人文社会系の論文では通常見られる作法だと思います。一方で、自然科学系などでは参照文献を重視しますので、注を用いることの方がまれで、参照文献と混ぜる表記法はほとんどとられません。ここらへんの分野による慣習の相違がおそらくは混乱の原因なのではないかと想像します。慣習がそもそも異なる分野を取り混ぜて執筆すべきウィキペディアでは、ある程度自由度を持たせたほうが良い気はします。まずは最低限、英語版の説明のように、参考文献と参照文献とを切り分ける記述を考えた方が良いのではないかと思いますが、いかがでしょうか? --Masao 2006年10月11日 (水) 17:06 (UTC)[返信]
分野によって注や参照文献(refereces)や参考文献(bibliography, further readings)の扱いが違うと言う話は承知していますが、Penpenさんはどうもそういう水準の話をなさっているのではない、という理解のもとで私はコメントをしています。つまり、論文スタイルの文章における文章の構成ではなく、タグや英語版文書で“こうなっている”“ああなっている”だけを参照して発言されているように見えたので、上記のような発言になったわけです。もし誤解であればご指摘ください。--ikedat76 2006年10月11日 (水) 17:22 (UTC)[返信]
はい、Ikedat76さんには釈迦に説法かと思われましたが、必ずしもここでの議論で明示的に書かれていない事柄であり、そのためPenpenさんの議論を含め、議論の中で各発言中の「参考文献」「脚注」がどの意であるかが明確になっていないようでしたので、他の方への情報提供の意味もこめて、補足として加えさせていただきました。既に了解済みの事項でしたら、蛇足で申し訳ありませんでした。Masao 2006年10月12日 (木) 06:50 (UTC)[返信]

「参照文献」と「参考文献」の違いについては気が付いておりませんでした(すみません)。ところで、Miyaさんの意見(本文→脚注→参考文献→関連項目→外部リンク)とPeachLoverさんの意見(本文→関連項目→参考文献→外部リンク→脚注)の「関連項目」の位置の違いについて考えたのですが、Miyaさんの意見はひとつの項目がひとつの論文として成立するような内容である場合を想定しているのに対して、PeachLoverさんの意見は複数の項目でひとつの内容を記述することを想定しているためだと思います。Wikipediaを(私なりに)見ていると、ある項目の節が成長して新しい項目になるということがよくあるようです。このような状態に対応するには「関連項目」が「Reference」より内側にあるPeachLoverさんの配列のほうが(他の節の配列はさておき)よいと思います。Penpen 2006年10月13日 (金) 15:35 (UTC)[返信]

百科事典の記事は確かに「ひとつの項目がひとつの論文」で説明されますが、同時に、「…をも見よ」とか「~をも参照」というかたちで、複数の記事が連携しあってある主題について記述するという(「複数の項目でひとつの内容を記述する」)形式にもなっているのです(紙の百科事典を見ればすぐ分かることですが)。百科事典というものはどういうものなのか、その体裁と形式について学ばれてからコメントされることをお勧めします。--ikedat76 2006年10月13日 (金) 15:49 (UTC)[返信]
Ikedat76さんに(初歩的な)質問ですが、そうすると、英語版の2.See also と3.Notes 4.References の順番は英語の百科事典の書き方としては少し変と理解してよろしいのでしょうか。Penpen 2006年10月13日 (金) 15:58 (UTC)[返信]
英語版の配列でも別に変ではありません。
私が申し上げているのはそういう問題ではありません。Wikipediaは紙媒体であることの制約を免れていますが、百科事典であることには違いありません。紙の百科事典とはどういうもなのか、論文のスタイルとはどういうものなのか、等々について、Penpenさんがよくご存じではないまま発言されているのが気にかかる、と申し上げているのです。--ikedat76 2006年10月13日 (金) 16:23 (UTC)マークアップ修正。--ikedat76 2006年10月14日 (土) 04:22 (UTC)[返信]
論文の形式というのを全く知らないわけではないですが、よく知っているかといわれると、頭をかかざるをえません。それはそれとして、ikedat76さんにご意見をお書きいただきたいことと、ご教示いただきたいことがあるのでよろしくお願いします。まず、意見をいただきたいことですが、「関連項目」の配置についてReferencesの前(本文側)におくのと後ろに置くののどちらがよいと思っておられるのかと言うことです。次に、ご教示いただきたいことは日本語の論文でNotesに当たる節は「脚注」と書くのかということです。よろしくお願いします。Penpen 2006年10月14日 (土) 01:05 (UTC)[返信]
miyaさん案に賛成(参照文献→関連項目)と上で書いているのですが…。Notesですが、厳密に言えばNotesだけなら「注」です。--ikedat76 2006年10月14日 (土) 04:22 (UTC)[返信]
わたしもPeachLoverさんと同じく「註」は最後にするのがいいと思います。つまり、「本文→参考文献→関連項目→外部リンク→註」の順です。理由は、いくつかの記事を執筆した経験からなのですが、きちんと出典を伴った記述をし、本文を読みやすくするため、解説部分を「註」に持ってきたりすると、「註」の数はあっという間に50、60になり、100を越えることもあります。それは画面上、結構スペースを取るので、大きさを90%の表示にしたりもします。そして、実際に記事を読むときは、上から順にスクロールして行きますが、「関連項目」や「外部リンク」に行く途中で、長い註の部分をスクロールしなければなりません。しかし、「註」は本来、本文の特定の箇所からクリックで「註」の部分にジャンプして見、またクリックで元の箇所へ戻るというのが基本なので、「註」自体を順に見て行くということは普通必要がありません。それなのに、「関連項目」や「外部リンク」を見るために、長い「註」の部分を無駄にスクロールしなければならないのは大変不便なことです。特に携帯電話でウィキペディアを閲覧するときはパソコンほど、早くスクロールできないので、より不便になります。これらの閲覧の際の利便性を高めるために、「註」を末尾にすることを提案します。どうか御理解下さい。--モトカル 2007年6月24日 (日) 10:24 (UTC)[返信]
乗り遅れましたが、私も脚注を記事末尾にすることに同意します(それ以外の項目の順序についてはこだわりません)。理由はPeachLoverさん、モトカルさんと同じで、さらに付け加えると、参考文献や関連項目に注がつく形も想定すると、全体の末尾に注がまとまっているべきではないかと考えます。--Tamago915 2007年7月11日 (水) 04:28 (UTC)[返信]

「脚注(footnotes)」だったらページごとに下部に書くんだから、本文直下だろう。「尾注(endnotes)」で最後にまとめる場合でも、本文の後、参照文献節(references)より先に来る。

現行の英語版ではこうなっている:

Standard appendices and descriptions
Certain optional standard sections should be added at the bottom of an article. There is consensus that the plural form of the section name should be used. Changing section names breaks links (hence the utility of permalinks), so it is best not to change already-established article section names. Common appendix sections:
  1. Quotations (deprecated)
  2. See also
  3. Notes
  4. References (or combined with "Notes" into Notes and references)
  5. Further reading (or Bibliography)
  6. External links
Note:
  • It is okay to change the sequence of these appendices, but the Notes and References sections should be next to each other. For example, you may put "Further reading" above "Notes and references" or vice versa.
  • "Notes" is only for footnotes (explanations or comments on any part of the main text). "References" is only for referenced materials (books, websites etc. cited in the main text). Otherwise "Notes and references" should be combined.

順番で意見が分かれるのなら、こっちにも「It is okay to change the sequence of these appendices」を入れておけばいいんじゃないの?

とりあえず、実際に本文で頁数などを指定し実際に参照している参考/参照文献(references)と、その記事のトピックに関してさらに詳しく知りたい人用の推薦文献(further reading)を明確に区別しておく必要はある。そして、英語版方針文書にもあるように、注と参照文献節は隣接させておくべき。--Saintjust 2007年7月13日 (金) 01:56 (UTC)[返信]

Saintjustさん、ウィキペディアは紙の事典と違って、ハイパーリンクでジャンプして註を見るということをよく考慮する必要があると思います。:Tamago915さんのおっしゃる通り、参考文献や関連項目にも註を付けることもあるかもしれませんし、本文から参考文献、関連項目、外部リンクの所まで行く際に、長い「註」の部分を無駄にスクロールして、見るよりは、末尾(但しカテゴリの記述部分よりは前でいいと思います)に持ってくるのが一番“使い勝手がよい”位置だと思います。註が100以上ある「安倍晋三」の記事などで、無駄なスクロールを実感してほしいと思います。携帯電話でウィキペディアを閲覧すれば、よりその不便さがわかると思います。註(references)と参考文献は区別するべきと思いますが、隣接させる必要は特に感じません。註の位置に関しては、一律に決めないで、「記事の状況によって、本文の次ぎするか記事の最後にするかを決めてもよい」というような但し書くのはいいかもしれません。--モトカル 2007年7月15日 (日) 00:40 (UTC)[返信]
註セクションが長くなったら、それこそHTMLの特性を生かして縮小すればいいだけで(例:en:Japan#References)、何の問題もありません。参考文献や関連項目に注など普通つけませんし、必要あるとも思いません。--Saintjust 2007年7月15日 (日) 01:08 (UTC)[返信]
Saintjustさん、”スクロールテキストボックス”を作るという方法があったとは知りませんでした。単に縮小するだけでは効果が薄いし、縮小率が大き過ぎても見え辛くなりますが、この方法は画期的ですね。早速、「安倍晋三」で使っていただきありがとうございました。携帯でもちゃんと見れました。しかし、この方法を取っているのは今まで見かけたことがありませんね。脚注が長くなれば、是非使うべきですね。--モトカル 2007年7月15日 (日) 01:56 (UTC)[返信]
(現状のままで良い)コメント依頼でこの議論を知りました。「関連項目」と「外部リンク」は、他のページか外部へのリンク集なので、「脚注」はそれらよりは上に配置すべきです。「参考文献」よりも本文との関連性が強いから、「脚注」はこれよりも上の配置で正解でしょう。従って、現状のままで良いと思います。--Game-M 2007年9月22日 (土) 11:43 (UTC)[返信]

なんで草案になってるんだ?

もともとガイドラインだったのが理由も無く2006年11月5日 (日) 14:42の版から草案に格下げされてるのはなぜ?--Fugue 2007年6月20日 (水) 07:57 (UTC)[返信]

ノートで議論中だからだそうですが、考慮すべきガイドラインを、コミュニティで検討することなしに草案に格下げすることなど許されるはずもありません。内容について議論があっても、ガイドラインとして定められているものが自動的に格下げになることもありません。したがってガイドラインに戻しました。--PeachLover- ももがすき。 2007年7月15日 (日) 00:44 (UTC)[返信]

関連項目について

記事の関連項目の節に、無秩序に内部リンクがならんでいることをよく見かけます。これらが、どう、その記事の事物と関連しているのか、がいまいち不明なことが、多いようです。また、もっとその記事について知りたくなったひとへの読書案内にするためにも、たとえば、「ふがふが」の記事なら、
== 関連項目 ==

  • ほげほげ - ふがふがと仲良し
  • ぴよぴよ - ふがふがのいいひと

とかのように、それらが、「ふがふが」とどう関連しているのか、すこし説明することを推奨する風にしてみてはどうでしょうか。--じゆにち (Mobnbka) 2007年6月20日 (水) 15:11 (UTC)[返信]

スポーツ選手の記事などでも良く見かけますね。プロ野球選手の場合に同時期にレギュラーだった選手や当時の監督はわかりやすいのですが、陸上選手やスピードスケート選手に多数の内部リンクがつけられて同年代でもなく、出身地、出身校も異なり短い記事同士で接点が全くつかめないものもありました。関連性がある場合はなるべく、本文中でどう関連があるかどちらかの記事で述べられてほしいし、本文中で内部リンクがあるのに、関連項目にも内部リンクを重複させるのは避けて欲しいと思います。(巨大な記事でなければ)。--Tiyoringo 2007年7月19日 (木) 20:59 (UTC)[返信]
> 本文中で内部リンクがあるのに、関連項目にも内部リンクを重複させるのは避けて欲しいと思います。
英語版だとen:WP:GTL#See also00:55, 3 August 2007 (UTC))を名分としてざっくりやることができます。これを輸入するのはどうでしょうか?
「関連項目」(See also)節はナビゲーションの助けとしてこれと関係のある、ウィキペディア中の他の記事への内部リンクの補足リストを提供します。それは理想的に言えば、すでに記事に含まれるものが繰り返されるべきではありませんし、存在しないページにリンクするべきでもありません。通常、記事と関係するトピックは、ただのリンクとして記事のテキストに含まれているべきです。
記事テキストにリンクがあれば、関連項目に連ねる必要性は薄いという筋は通っていますから(かつ「理想的に」なので弾力的な運用もできる)、強烈な反対は来ないと思います。--Tatsujin28 2007年8月14日 (火) 18:27 (UTC)[返信]
関連項目で連想ゲームのようにずらずら書かれているのをみると、もう酷くて…。で、関連項目については現状、基準とかルールとかがないようで…。Wikipedia:関連項目と議論が分散してる感もあります。Tatsujin28さんの文面もWikipedia:関連項目に似てるような気が…。Uma 2007年9月8日 (土) 01:08 (UTC)[返信]
Wikipedia‐ノート:関連項目#草案更新の提案において、関連項目の基準について議論が行われています。どちらかでまとめて議論する場を作った方がよいかもしれませんが、まずはご連絡いたします。--Jinshu 2008年2月21日 (木) 14:51 (UTC)[返信]
こちらでの議論は気づいていませんでした。議論の分散はもったいないのでどちらかに統一したいと思います。個人的にはWikipedia:関連項目の記述に反映するためにWikipedia‐ノート:関連項目#草案更新の提案で議論を行えれば、と思いますがどうでしょうか。--iwaim 2008年2月21日 (木) 15:06 (UTC)[返信]
まとめてしまって良いと思います。やろうとしていることは同じようなものですし。--Tatsujin28 2008年2月21日 (木) 15:24 (UTC)[返信]

「関連項目について」の関連項目

参考文献と脚注について

上の#脚注の位置(提案)の節では「現行のまま変えない」ということで議論が終わってしまったようですので、新しく節をたてました。

「参考文献」(もしくは参照文献、出典)と「脚注」(もしくは註)が離れているのはおかしい気がするので、これらの間に「関連項目」をはさむスタイルは変えたほうが良いと思っています。現在のところ「参考文献」の節は使い方が曖昧で、参照文献、出典として挙げてあるものと、further reading として挙げてあるものの区別が明確になっていません。一方で ref タグは出典の明記と注記の両方の目的で使われています。別の言い方をすると、出典の示し方は一意に定まっていないということです。関連項目を挟んだ今の配列では、出典明記の方法の違い、すなわち * を使ったリストと <references /> を使ったリストの違いにより、「出典」の置き場所が変わってしまう場合があります。これはちょっと変なのではないかと思いました(変ではないのかもしれませんが…)。

とりあえず、「参考文献」と「脚注」は離さないことにして、問題となっていた、関連項目などとの順序は、Saintjustさんがおっしゃっていたように英語版にならってどちらが先でも良い、としておくのではどうでしょうか。そうすれば <references /> で出典と註を同時に扱っている場合に「参考文献と注」のような節名を付すこともできるようになります。

--Calvero 2008年6月29日 (日) 14:38 (UTC)[返信]

「参考文献」節の順序などの変更の経緯を示します。この版 までは「記事の読者に推薦する書籍や論文」であったのが、次の編集 で「記事を書く際に引用・参照した文献」に変化するとともに配置の順序が変更されています。その後この編集 で順序が元(関連項目のあと)に戻され、同時に「読者に推薦する文献」が復帰されました。ここで「参考文献」の用法の多様化が起こっています。

いうまでもなく Wikipedia:検証可能性 は、ウィキペディアで最も重要な方針のひとつです。ので、出典として示された文献は読者に推薦する文献と明確に区別するほうがよいと考えます。そこで、出典として示された文献は節名を「出典」、推薦文献は「推薦文献」、両者の性質を併せ持つ場合は「参考文献」とする、などのように明確化する必要があるとおもうのですが、いかがでしょうか。そのままではちょっとややこしいので、あまりよい提案ではないようにも思いますが、何らかの形で修整は必要であるように思います(reference の訳語として出典というのも何か変かもしれません)。

また、「脚注」についても、現在の文面ではもっぱら出典を示す場合に使われるように読めますが、注釈を加える際にも使われる、という記述も必要であるように思います。加えて、脚注という名称も、様態を示すものではありますが性質までは読み取れるものではないのではないかと思います。すなわち、内容に応じて「出典」「注釈」あるいは「出典と注釈」のような節名を付す必要があるのではないでしょうか。

--Calvero 2008年6月30日 (月) 19:13 (UTC)[返信]

執筆コンテストで錦絵新聞の工夫を見てから、ぼんやり考えているんですが、「脚注」の節は、注釈、出典を問わず形式的に。「資料など」という節を作って、「推薦資料」(読者向け)、「参考資料」(執筆者が用いた資料)、「関連資料」(有用と思われるが、執筆者が確認していない資料)に分けて書誌情報と外部リンクなどを。というのを、こないだ思いつきました。両者は並んでいたほうがよくて、関連項目は、そのかたまりの前または後ろ。これは分野をまたいで人が集まらないと、話が進まないかなあ。--Ks aka 98 2008年6月30日 (月) 19:44 (UTC)[返信]
それでは話を広げすぎない方向にして、とりあえず「脚注と参考文献の節は離さない、関連項目との前後は任意」というあたりで合意がられるかどうか、ご意見いただきたく思います。Ks aka 98 さんのアイデアを見て気づいたのですが、外部リンクはたまたま形態がウェブサイトなものであって、本質的には紙の本の further reading (推薦文献、関連資料)と同じものなのではないかと思いました。--Calvero 2008年7月1日 (火) 13:33 (UTC)[返信]
私はそれで問題ないと思います。--iwaim 2008年7月1日 (火) 13:46 (UTC)[返信]
私も「脚注」と「参考文献」が離れているのは違和感を感じています。また「関連項目」はWikipediaの解説本文では説明できなかった関連の深い項目を列挙するということで、本文に近いほうがよいと思います。順番は「関連項目」「脚注」「参考文献」の順番を推奨とするのはいかがでしょうか。--Mark-zero 2008年7月6日 (日) 10:56 (UTC)[返信]
ああ、外部サイトは、「出典となるもの」「推薦文献/関連資料と位置づけられるもの」の双方があるでしょうね。「関連項目」は、文中の内部リンクを相互参照に用いて、そこで追いきれない部分の補足というのと「関連資料」という位置づけに分けられるのかなあ。それは判断難しいかなあ。--Ks aka 98 2008年7月6日 (日) 11:34 (UTC)[返信]
遅ればせながら、「関連項目」と「脚注」の順番が変更されているのに今頃になって気がつきました。この節での議論の大勢は「順番は任意」という方向であると見受けられ、Mark-zeroさんも「推奨」とおっしゃっているにもかかわらず、Wikipedia:レイアウトの指針では単に順番が変更されているだけなので、「関連項目」が先で「脚注」が後という順番のみが認められているという印象を受けます。また、「関連項目」と「脚注」の順番については、#脚注の位置(提案)でも議論されているので、その内容も参考にする必要があるのではないかと思います。この変更は、非常に多くの記事に影響が及ぶことでもあるので、いったん、Wikipedia:レイアウトの指針の編集を元に戻して、このノートでさらに検討することを提案します。--OiOiO 2008年8月11日 (月) 02:20 (UTC)[返信]
特にご意見がありませんでしたので、「関連項目」と「脚注」の順番をいったん元に戻させていただきました。引き続きここで議論が深められることを期待します。
私個人は、まず、Ks aka 98さんが整理されたように「出典となるもの」と「推薦文献/関連資料」とに大別し、それぞれを内部リンク(これは出典とはなりませんが)、外部リンク、文献に細分するのがよいのではないかと考えます。順番については、「出典となるもの」が本文に付随するものであるのに対して、「推薦文献/関連資料」は補足情報であると考えられるので、「本文」、「出典となるもの」、「推薦文献/関連資料」の順が適当ではないでしょうか。 --OiOiO 2008年8月26日 (火) 14:07 (UTC)[返信]

脚注と関連項目の位置関係

十二国記において、節が「関連」→「脚注」という順序になっていたのを本指針に従って逆にする編集が行われたのですが、「関連」の中に挙げられている項目がどのように関連しているのかを脚注の形で説明している部分があったため脚注の中身の一部が表示されないという状況になりました。脚注の内容が表示されないのはまずいと思ったので脚注の位置をとりあえず元に戻したのですが、本指針には反する状態になっています。このような場合どのようにするべきでしょうか。--211.135.52.62 2008年9月6日 (土) 17:07 (UTC)[返信]

Wikipedia:関連項目には、「本来、内部リンクは本文記事内の文中に包括されるのが理想的であり、「関連項目」のセクションに挙げられる項目は深い関連がありながら本文に組み込むことが困難な項目に限られるべきです。」と書かれています。一般的に言って、「関連項目」の節に関連する記事への内部リンクだけでなく、その記事についての説明が記載されている場合には、何らかの形で本文に組み込むことができる場合が多いのではないかと思います。十二国記の場合も、十二国記#関連の内容は、NHKアニメをのぞき、例えば、「関連作品」のような適切な節を設けて本文に組み込むことができるのではないでしょうか。--OiOiO 2008年9月6日 (土) 17:51 (UTC)[返信]
ありがとうございます。ということは、そもそも「関連項目」の節には単純に関連する項目の項目名を列挙するだけにとどめるべきであって、いろいろな説明文(さらには脚注)を付け加える必要があるようなものは関連項目の節に入れるべきではなかったという理解でよろしいでしょうか。いろいろな記事で「○○」は関連項目に入れてもよい、あるいは入れるべきではないといった議論はよく見られますが、関連項目では単純に項目名を挙げるだけにするべきであり説明を付け加えるべきではないという見解は私が知らなかっただけでしょうが、初めて見たような気がします。実際に私の知っている範囲だけでも関連項目の節にあがっている項目にいろいろと説明を付け加えている記事が結構あります。例えば踊る大捜査線#関連項目はちょっと極端かもしれませんが、クイズ!ヘキサゴンII#関連項目ハロー!モーニング。#関連項目程度のものは結構あるように思います。また関連項目に何をあげるか挙げないかで議論になった項目で、最終的にもともと挙げられていた項目の中で関連性の無さそうなもの、関連性の薄そうなもの、関連性に疑問のあるものは除去した上で、残すことになった項目についてはどのように関連しているのかについて具体的な説明を付け加える編集を行った上で残すといったことが行われている記事もあります。これらの項目にも何らかの形で手を加えていくべきなのでしょうか。--211.135.52.62 2008年9月9日 (火) 15:21 (UTC)[返信]
ええと、例として挙げられているテレビ番組の類は、基本的に百科事典としてどう書くべきかというようなところも定まっておらず、またどのような記述をすれば百科事典らしくなるかということを踏まえて編集されている方ばかりではなかったりしますので、どうしても記事としては未成熟なところがあります。当面は、特に統一させる方向ではなく、古典的な作品記事などを参照しつつ、テレビ番組の性質を考慮して、どのようにすればいいのかという試行錯誤を、丁寧に議論し、合意を得ながら繰り返す、というような感じで進めていくのがよろしいかと思います。--Ks aka 98 2008年9月9日 (火) 18:32 (UTC)[返信]


脚注は末尾で参考資料や関連項目の後、外部リンク、ガテゴリーと言語リンクの前と下記の理由を述べ加筆しましたが、削除されました脚注欄は記事の末尾に作成します。冒頭に「脚注」、「注釈」などの表題を付けるのが一般的です。末尾とは「関連項目」の後、「カテゴリ」と「言語間リンク」の前のことです。これは脚注欄以降に作成された節の中に脚注欄を参照する記述があっても表示されないためです。例えば、脚注欄の後に「関連項目」、「参考文献」やその他の節を作成した場合、これらの節の中で脚注を含む記述があっても脚注としての明細の記述は表示されないためです。たまたま英文版で見つけて、日本語版でもサンドボックスで試したら同じ現象でした。本文「Wikipedia:レイアウトの指針」のここで脚注節の位置が関連項目や参考文献の以前にあるのは問題です。 外部リンクの文が脚注付き文を持つのは考えられませんが、上記の様に明確に脚注の節の順を指針しないと、 参考文献や関連項目は脚注付きの文を暗に認めないこととなります。事実、ほとんどの記事は関連項目、脚注、外部リンク、カテゴリー、言語リンクの順となっています。この指針に沿わず、現実の不都合を避けています。本文の指針での脚注節の順を修正すべきでしょう。加えて、参考文献と脚注を一つの節で共用する記事がありますが、この節の順番と参考文献紹介の文章に脚注付き文言を書けないと言う矛盾を持つこととなりますので、参考文献の節と、脚注の節は別の節とする指針が奨められます。--Namazu-tron 2008年12月7日 (日) 11:55 (UTC)[返信]

どこの分野の事実なのか存じませんが、昨日・今日と脚注まわりの作業をした感触では9割以上が脚注→関連項目でしたよ。1%ほどは関連項目に出典があった関係で順番が逆になっているのも見かけましたが。--Knua 2008年12月7日 (日) 14:48 (UTC)[返信]
jawpに現存する記事群にて脚注と関連項目の配置順序がどうなっているのかは知りませんが、何が何でも“脚注を末尾に置く”としなければならない理由があるとは理解できません。
Namazu-tronさんがそのように主張する問題意識は「参考文献や関連項目は脚注付きの文を暗に認めないこととなります」(が、それはまずい)ということだと思います。しかし、そんなものが必要なのか疑問に思います。
参考文献に注釈が必要であれば書誌事項の後に注記として添え書きするとか、さらに必要であれば文献解題をすればよいだけです。また、関連事項に関して言えば、2007-06-20 15:11:43 (UTC)にMobnobokaさんが提案され、Wikipedia‐ノート:関連項目#草案更新の提案で議論をへてWikipedia:関連項目の改訂に至る流れの中で確認されたように「関連項目のセクションは短く、必要最小限であるべきです」し、注釈まで使って詳細に述べなければならないような関連項目であれば、それはむしろ本文中に組み込むべきでしょう。そういう意味で言えば、“脚注付きの参考文献や関連項目”というのは文章(記事)構成に失敗しているのであって、そうしたものに配慮しなければならない理由があるとは考えられません。それ以前に、記事全体を構成しなおすことを考えるべきものではないでしょうか。--ikedat76 2008年12月7日 (日) 15:46 (UTC)[返信]
>参考文献に注釈が必要であれば書誌事項の後に注記として添え書きするとか、さらに必要であれば文献解題をすればよいだけです
自分もこれに関わる、検討の余地のある編集を行っていますので、もう少し詳しく教えてください。具体的には、変則将棋#参考文献で取り上げた雑誌について、取り上げた理由を説明するために出典付きの解説を含めているのですが、出典部分を脚注に書かないとすれば、どのように変更すべきだということになるのでしょうか。--Tamago915 2008年12月7日 (日) 23:32 (UTC)[返信]
(Namazu-tronさんの発言と前後しますが、こちらに書きます)
変則将棋を拝見しました。結論のみ記せば、本文中で参照していないならそもそも記載する必要がないし、記載するのであれば巻号・ページ数まで確認の上、記載すればよい、というのではないでしょうか。
直接ではなく孫引きにて参照するなら「ホゲはモゲである(「週間ふんじゃらけ」<ref>うんじゃらけ[2004: 123]</ref>)」とするとか、やりようはあります。Tamago915さんが示した事例に限定して言う限り、脚注付きの説明を付ける必要性を感じられませんでした。
上での発言は、私の作成した記事で恐縮ですが(厳密に言うと参照文献ではないですが)源伴存#活字本書誌のように翻刻底本を示すとか、そういう場合を想定してのものです。--ikedat76 2008年12月8日 (月) 14:33 (UTC)copyedit--ikedat76 2008年12月8日 (月) 14:37 (UTC)[返信]
私から見れば、Ikedat76さんの立場こそ「何が何でも“脚注を参考文献の前に置く”としなければならない」に思えます。原則は脚注→参考文献・関連項目の順でいいと思いますが、逆にしたほうが書きやすければそれでもいい、くらいの緩い規定で十分だと思うし、逆転したほうが書きやすい例として変則将棋をあげました。
記述を除去する方向での解決は望ましいとはいえないので、加筆で構成を見直したいですね。じつは、変則将棋は多くのスタブ記事を統合して作ったものであり、全体の概要を欠いていますので、概要を補って参考文献中の解説を脚注ごと繰り入れる、という形は考えられると思います。
ただ、参考文献の解説に脚注が含まれる余地を残すのは、学術的な厳密さはないかもしれませんが、記事を発展させるためにも必要だと認識していますので、ある程度融通の利く方針にしていただければと考えております。--Tamago915 2008年12月8日 (月) 16:15 (UTC)[返信]

(インデント戻し)少々長い書き込みですが、お付き合いください。このノートの各節内を頭から見ました、特に「脚注の位置(提案)」の節、「参考文献と脚注について」の節は当方の言う論点が論じられています。 初めに断りますが、「脚注節」、「脚注」、「脚注付き文」と3者を峻別して書かせてもらいます。脚注節はそれ以前に有る脚注付き文の脚注をまとめて、表示するもの。奨める訳では有りませんが、複数の脚注節があれば、それぞの脚注節はそれまでの脚注をまとめます。
例示すれば:
「脚注」の節は2個の「=」で囲まなくとも3個やそれ以上の個数での「=== 脚注 ===」の小節や小小節と出来ますが、これはこのノートの中のこの節内に書くために3個を敢えて使いました。
複数の脚注の例:
文章1[1]です。文章2[2]です。以上の出典は脚注その1にまとめられます。

脚注その1

  1. ^ 文章1の出典
  2. ^ 文章2の出典

文章1-2[1]です。文章2-2[2]です。文章3-2[3]です。 以上の出典は脚注その2にまとめられます。

脚注その2

  1. ^ 文章1-2の出典
  2. ^ 文章2-2の出典
  3. ^ 文章3-2の出典

文章1-3[1]です。文章2-3[2]です。文章3-3[3]です。 以上の出典は脚注その3にまとめられます。

脚注その3
  1. ^ 文章1-3の出典
  2. ^ 文章2-3の出典
  3. ^ 文章3-3の出典

{{reflist}}による脚注の例: 文章1[g1 1]です。文章2[g1 2]です。以上の出典は脚注その1Lにまとめられます。

脚注その1L

  1. ^ 文章1の出典
  2. ^ 文章2の出典

文章1-2[g2 1]です。文章2-2[g2 2]です。文章3-2[g2 3]です。 以上の出典は脚注その2Lにまとめられます。

脚注その2L

  1. ^ 文章1-2の出典
  2. ^ 文章2-2の出典
  3. ^ 文章3-2の出典

文章1-3[g3 1]です。文章2-3[g3 2]です。文章3-3[g3 3]です。 以上の出典は脚注その3Lにまとめられます。

脚注その3L
  1. ^ 文章1-3の出典
  2. ^ 文章2-3の出典
  3. ^ 文章3-3の出典

以上の例はあくまで脚注節の機能の論理的仕組みの説明です。

さて、当方、主に電気関連を編集しますが、言わば、雑食性で何にでも首を突っ込んで(食らいつき)で和英版とも編集しています。関連項目の後、脚注節が外部リンク(及びカテゴリー、言語リンク)の直前に有るのはあくまで例の記事を挙げると、地上デジタルテレビジョン放送。脚注が全くの末尾はISDB、関連項目直前は中国産食品の安全性などがあり、一様ではありません。兎も角、統一は取れておらず、脚注節の位置は2-3通りと言えるでしょう。尚、アニメやTVドラマは関心が有りません。 「脚注の位置(提案)」の節で紹介されますがSaintjustさんが引っ張ってきた英文では

  1. Quotations (deprecated)記事記述等
  2. See also関連項目
  3. Notes(注記)
  4. References (or combined with "Notes" into Notes and references)(脚注、または注記への統合も可)
  5. Further reading (or Bibliography)参考文献
  6. External links外部リンク
となり、少なくとも脚注は関連項目の後、参考文献の前となっています。

さて、以上の現実を踏まえて、私見及び試案を以下に書きます。 今までのこのノート各節の諸氏の見解を含めると、本文Wikipedia:レイアウトの指針

2.1 導入部
2.2 解説本文
2.3 脚注
2.4 関連項目
2.5 参考文献
2.6 外部リンク
2.7 カテゴリ
2.8 言語間リンク
2.9 テンプレート

において、脚注の位置を変えず、2.4 関連項目、:2.5 参考文献、:2.6 外部リンクには脚注付き文を書くべきでないとの見解も有ります。しかし、「脚注付き文」を書くことは工学に限らず、編集の自由度を増すもので、無味乾燥なプログラム言語や、法律、規則、仕様などと違い、日本語版だけに言及しても、40万に近い日本語版の記事を数万人(?)の編集者の人間性を反映した豊かな百科事典を造りあげる事が出来ると考えます。他の言語も含めれば数十万人の編集者でしょう。 言いたいのは、脚注付き文をやたらに関連項目や参考文献、外部リンクに書かない編集が望ましいとは言え、必要に応じて最良の方法として脚注付き文を書くこともあって良いと言うことです。これが脚注の脚注たる意味合い、機能、由縁です。従って、上記の複数の脚注節の例でも示した通り、脚注節は出来るだけ末尾の節とし、勿論、一つの記事内に一つの脚注節を設ける事となります。 結論として言えば、

2.1 導入部
2.2 解説本文
2.3 関連項目
2.4 参考文献(または脚注)
2.5 脚注 (または参考文献)
2.6 外部リンク
2.7 カテゴリ
2.8 言語間リンク
2.9 テンプレート

と脚注節を関連項目及び参考文献の後、外部リンクの前とすることを提案します。これによって、脚注付き文を関連項目及び参考文献の中に、書ける自由度を持たせつつ、一方、安易に脚注を避ける上手な記述を心がける様に、指針に書くべきでしょう。現状では脚注節が前にあり、関連項目と参考文献が後にある位置では自由度を持たない上に、関連項目と参考文献には脚注付き文を禁止している事となっています。 現状、前述の通り脚注節の位置は2-3通り有りますが、40万弱の記事数ですから、これらはこのままで容認し、または気がつき次第、その都度位置修正も良いでしょう。Botによっては比較的に位置修正をできると考えられる(当方Botは作れませんが)ロジカルな案件とも思えますが、Botで全記事修正する必要は感じません。 また、脚注や脚注付き文は主となる文をすっきりまとめる大事な脇役です。可読性も持たせた文や句ととなります。此所までの長文をまとめると、脚注節は外部リンクの直前に置く、脚注付き文は関連項目と参考文献に置いても良いが、必然性ある場合にとどめ、それを避ける工夫した文章とする。編集の叡智による脚注の生かし方を工夫する。但し、これはあくまで指針であり、脚注節の位置を決めて拘束するものではなく、記事毎の利便と可読性を考慮した位置とする。などを指針とすることを提案します。最後に、現在の指針は先に示した様に、当方の指針の加筆を削除していますが、脚注節の位置によって、前後の脚注付き文の脚注が生きるか生きないかを明示した説明が不足で、混乱させる事もあろうと指摘しておきます。--Namazu-tron 2008年12月8日 (月) 13:42 (UTC) グルーピングを修正。- NEON 2009年1月28日 (水) 10:42 (UTC)[返信]

要するに何を言いたいのでしょうか。一番最後に示された配列を推奨としたいということのでしょうか。その結論に至る過程の意味がさっぱり分かりません。「例示」とやらにあるようなマークアップの機能はいちいち説明されずとも知っていますし、適度に注に情報量を吐き出すことのメリットもいわずもがなのことです。
それに「推奨」案も、論理的・構造的におかしいと考えます。「注」「参考文献」「関連項目」それぞれのもっている意味と記事本文との結びつきの強さを考えれば、注→参考文献→関連項目の配列になるのがむしろ当然ではないでしょうか。また、関連項目に挙げた項目にWikipedia‐ノート:関連項目#草案更新の提案でMobnobokaさんが提案されたような簡単な説明以上の説明が必要なら、それは本文に織り込む or 注に落とす、さもなくば簡略な概要のみにとどめて{{See}}や{{Main}}でその項目に誘導するとか、いくらでもやりようはあります。
強いて言うなら、「注」「参考文献」「関連項目」の順序は任意、という以上に何かが言えるとは思えません。逆に、ここまでして特定の順序を強制しなければならない理由は依然として不明です。--ikedat76 2008年12月8日 (月) 14:33 (UTC)[返信]


以下は2008年12月11日追記したものです

  1. 時系列で追ってみます。英文版のWikipedia:レイアウトの指針はNovember 2, 2002年に新規に起こされ、March 1, 2003年の段階で、1 Introductory material、2 Lists、3 Structure of the article、4 Quotations、5 Related topics(現在のSee Also関連項目) 、6 References(脚注)の順が決まっています。December 7, 2008現在までに955回編集されています。October 19, 2005頃には一旦一時的に5.2 See also、5.3 External links、5.4 References(脚注)と脚注が最末尾に来ています。February 3, 2006には6.1 See also、6.2 References、6.3 Bibliography、6.4 External linksの順です。この頃から関連項目→脚注の順が定着しています。
  2. 一方、日本語版のWikipedia:レイアウトの指針には2006年2月26日 (日)に導入部分、解説本文、解説本文B、脚注、参考文献、関連項目、外部リンク、へと全面改訂されました。他方、英文版は2006年2月の時点でも、6.1 See also、6.2 References、6..3 Bibliography 、6.4 External links、であり、関連項目→脚注の順のままでした。その後Aotakeさんによって2007年10月3日にWikipedia:関連項目に『(「参考文献」や「注」のセクションとの位置関係については議論があります。Wikipedia:レイアウトの指針およびそのノート参照のこと)。』が本文に加筆されて現在の2008年12月に至っています。
  3. 英文版における3.2 "See also" section、3.3 Notes, Footnotes, or References、3.4 Further reading、3.5 External links に関して、3.3は註釈、脚註または本文の編集の為に参照した文献などの出典です。3.4は更に読むもの、すなわち、言わば「推薦読本Bibliography」であり、Wikipediaを超えて、更に知りたい人に読書や参考として読むように奨める文献を示す節です。単に参照文献や参考文献と称すと「編集の為に参照した文献」との混同を招きます。
  4. さて、改めて言うまでもありませんが、「内部リンク」や「脚註」をクリックしそこに至り、それを見た後、またクリックして本文に戻るのが紙の百科事典と違うものです。
  5. 人文社会系の論文と自然科学系の論文では脚註の位置が異なるとのご意見もありますが、百科事典であるWikipediaではこのような括り方では見る必要は無いと考えます。つまり、この種の学問に類しない記事も多数あるからです。此処ではあくまでレイアウトを論じていますので、個々の記事が、体系[1]システムを成すものを題材としての記事か、比較的「非体系」と言える事柄の事典としての項目であるかと言うことでしょう。自然科学系は言うに及ばず、人文社会系でも、年金経済金融など一例ですが、複雑な体系です。Wikipediaの記事においては歴史すら過去の体系の結果だ考えます。一方、比較的体系を持たない記事には、歴史小説は体系を成しますが、アニメやドラマなどフィクションや、各都市など地理などは体系とは思えません。勿論、非体系の事柄を題名(記事空間名)としながらも記事の本文は体系化した内容とすることは可能であります。このように体系を成すものを記事題名とした記事か、比較的体系と呼べないものの記事かに二分して見る必要があると考えます。体系を成すものの記事本文では脚註や内部リンクを盛り込む事は記事そのものを理解する上で欠かせないものです。
  6. さて、当方の提案の関連項目→2.4 参考文献(または脚注)→2.5 脚注に関して、論点を戻しますと、体系を成すものの記事は内部リンクとともに、出典、参照した文献などをちりばめた本文が無ければ記事そのものの理解はおぼつきません。しかし、これらはクリック一つで飛べ、また戻れます。紙の百科事典に倣って、本文の直後に脚注が続くべきとして現在の指針が2.2 解説本文→2.3 脚注となっています。しかし、2.2 解説本文→2.3 脚注節ディスプレイの画面に納まるなら、有効な配置順となるでしょう。 多くの記事では画面に納まらず、クリックによって飛ばなければなりません。言い換えれば、クリックで飛び、またクリックで本文に戻れますから、脚注は記事全体のレイアウトにおいて何処にあっても読者には全く支障はありません。一方、「関連項目」の節には「目次」から飛ぶ事は別として、本文を読み終えて、その下部に関連項目の節が表示されてこそ、関連項目を示す機能が発揮されます。解説本文の後方に幾つ有るやも知れない、膨大な脚註が羅列し、果たして、関連項目に容易に至る事が出来るでしょうか。ここに、解説本文の後に関連項目が置かれる由縁であり、英文はそのようになっており、長年のコンセサスとして定着していると見受けます。(尚、October 6, 2008に英英文版のナンシー・ペロシや October 1, 2008にWorld Community Gridにスクロール型の脚註節しましたが、しばらくして非スクロール型に戻されました。英語版ではスクロール型は好まれず、また、本文直後に脚註が有る訳ではないので、本文から関連項目に自然な読み順で至る事が出来ます。(尚、日本語版の中国産食品の安全性地デジがスクロール型であり、特に「中国産食品の安全性」では関連項目はスクロール型故に、幸いに本文末、脚註、関連項目ノ3者が画面に納まります。)

以上の理由により、本文→関連項目→脚註の順とした利便性を持ち、且つ日本や日本語版に偏らない標準と考えて良い英文版に倣う提案して居ることとなります。また、体系的か非体系的かは、記事名や本文だけでなく、編集者各人においても該当し、議論が尽きないまたは、結論に至り難い一因でもありましょう。--Namazu-tron 2008年12月11日 (木) 08:44 (UTC)[返信]

脚注と関連項目の位置関係の議論

節分け。--ikedat76 2008年12月13日 (土) 20:39 (UTC)[返信]

正確に言えば「脚注の節関連項目の節の位置関係の議論」です。--Namazu-tron 2008年12月14日 (日) 09:35 (UTC)[返信]

実際の議論や提案などはこのノート最初の節「全面改訂(2006年2月27日)」からおこなわれています。ノート全体の熟読を奨めます。(他からこの節に飛んでこれるよう独立の節と変えました)--Namazu-tron 2008年12月14日 (日) 07:16 (UTC)[返信]

何か重大な勘違いがあるようです。“Wikipediaは紙の百科事典ではない”という文言の“ない”は紙にかかるのであって百科事典にかかるわけではありません。紙でないということは論理的な構造を無視していい理由にはなりえません。原則に対して例外を認めるという議論ならまだしも譲歩の余地もあるでしょう。しかし、原則を示す文書において、最初から原則と例外を倒錯させる提案にどんな検討の余地があるのか理解不能です。--ikedat76 2008年12月13日 (土) 01:00 (UTC)[返信]

(長文にてインデント戻します):ikedat76さんの 2008年12月8日 (月) 14:33 (UTC)と併せてここでコメントさせて貰います。「{{See}}や{{Main}}でその項目に誘導するとか」に関してコメントします。その前に、これ以前の事柄は当方の書いた「(以下は2008年12月11日追記したものです)」に網羅されていると思っています。標準名前空間を記事と言わせて頂きますが、(1){{See}}や{{Main}}で飛ぶ記事、(2)関連項目で飛ぶ記事、(3)内部リンクで飛ぶ記事とも、飛ぶ理由は違っても、飛んで、ブラウザの戻るボタンで戻れる事においては同じです。(4)脚注は「^」をクリックして戻れます。飛んで所用を済まし戻れる事では(1)-(4)とも同じです。次に貴方の言う「特定の順序を強制しなければならない」との下りについては、ここは「レイアウトの指針」であって「レイアウトのルール/規定/守るべき仕様」とは題されません。すなわち、強制していないから敢えて「指針」と名付けていると解します。ルールとして強制して、それに従わなければ罰則、すなわちブロックです。事実、指針に従わない記事が幾多有ります。つまり、指針とは強制はしていないものです。次に、Wikpediaは寄付で成り立って居ます。寄付でもコメントを見ても、「役だった」などのコメントが大半です。利用者となって編集をして楽しいから寄付すると言うのも有るかも知れませんが、恐らく少数でしょう。つまり、利用者ではなく、Wikipedaiの読者、または閲覧者の為にこのWikipediaが存在するのであって、利用者はその存在を維持、発展をせしめる者です。まずは読者を優先すべきことは言うまでも有りません。指針はルールではありませんが、Wikipediaのルールに従いたく無ければ、ブロックされるか、利用者としての編集を止めるかのいずれかでず。編集者のルール破りの勝手な、楽しみのために存在するもので無い事は明らかです。再び言いますがここは「指針」であってルールではなく、指針に従わない記事は日本語版に限らず数多あります。指針を強制と見ないでください。なお、読者優先と考えれば、指針によって、各記事が統一したレイアウトで統一がとれているのが最も望ましいことです。望ましいのであって、統一すべきとは敢えて言いません。なお、直前の件に関して言えば、原則を指針として案内しているのであって、原則を強制していない。例外は多いにあって良いでしょう。もしそれが読者対してに最適なレイアウトであるならば。指針はあくまで指針の域を出ません。勿論、指針でなく「レイアウトのルー/規定」と移動などによる改名が将来行われれば、強制と化すでしょう。最後に、記事本文や(1)-(4)の中身の事項の有用性は日々刻々と多くの編集者によって最適化(?)されたものとなっています。しかし、レイアウトまたは節の位置や順序は通常の編集とは違う範疇に属し、指針として示し、出来るだけそれに従うのが、望ましく、一般的な編集と違い刻々それらの節の順序を変えることは出来ないもので有ることは明白です。最後に繰り返し提案しますが、本文の後に数知れない脚注が配置され、その後に関連項目が遙か下方に有るのは、読者に配慮した利便性を持っているとは思えません。--Namazu-tron 2008年12月13日 (土) 02:06 (UTC)[返信]

強制でなくとも指針は拘束力を持ちます。再度指摘しますが、指針は原則を示すものです。原則を示す文書において、そもそも原則となるべき論理的な構造を無視したものを“原則”として明記するのは誤り以外の何者でもありません。それに“クリックすればどこへでも行ける”というのであれば、「本文の後に数知れない脚注が配置され、その後に関連項目が遙か下方に有」ったところで何の問題があるのでしょうか。端的に言って主張が矛盾・破綻しています。そうであるなら、原則がどこにあるかを確認する内容とし、例外を許容するかたちにすればよいのです。--ikedat76 2008年12月13日 (土) 02:15 (UTC)[返信]
横レスで失礼します。
>“クリックすればどこへでも行ける”というのであれば、「本文の後に数知れない脚注が配置され、その後に関連項目が遙か下方に有」ったところで何の問題があるのでしょうか
私も以前、#脚注の位置(提案)の節で脚注を末尾にしてはどうかとを提案したことがあります。とりわけ、携帯電話でPCサイトを見るときには脚注の節が長い記事では「参考文献」、「関連項目」、「外部リンク」に辿り着くまで、かなりスクロールしなければならず大変不便に感じたのです。Namazu-tronさんの仰る「クリックで飛び、またクリックで本文に戻れますから、脚注は記事全体のレイアウトにおいて何処にあっても読者には全く支障はありません」というのは重要な視点だと思います。以前にも書きましたが、脚注の節は通常の閲覧においては上から下まで順番に見てゆく必要性はまったくありません。それと反対に参考文献、関連項目、外部リンクなどは目次からジャンプすることも可能ですが、本文を読んだ続きで見ることも多いものです。ただ、脚注が長ければ「インラインスクロールインラインフレーム表示」という手もあり、Help‐ノート:脚注#長い脚注リストのスクリーン以外のメディア対応で議論されていましたが、残念なことに携帯電話でPCサイトを閲覧する際には「インラインスクロールインラインフレーム表示」にはならず、長い脚注が表示されてしまいます。
>原則を示す文書において、そもそも原則となるべき論理的な構造を無視したものを“原則”として明記するのは誤り以外の何者でもありません。
「解説本文」の次に「脚注」が来るのが論理的な構造になるのかわかりませんが、閲覧者がウィキペディアを読みやすくなるように現実的な配慮を検討することは決して誤りだとは思いません。なぜならウィキペディアは”論理”のためにではなく、”利用”のために存在するものだと思うからです。
記事が充実してくれば出典や注釈は増えてくるものなので、脚注の節は自然と長くなると思います。それでもIkedat76さんの仰るように、現状の「解説本文」の次に「脚注」が来るのを原則として、脚注が長くなったなら末尾にすることを許容する形にするのか、それとも。Namazu-tronさんの仰るように脚注の節が長くなる可能性を最初から見込んで、利便性のために脚注を末尾にするのを原則とするのかということについて他の利用者の意見も聞きたいと思います。私は脚注を末尾にする方に賛同します。--モトカル(会話) 2008年12月13日 (土) 08:31 (UTC)[返信]
個人的な意見ですが、わたしとしては「解説本文」→「脚注」→「関連項目」→「外部リンク」という順番がよいと思っています。「脚注」は記事本文の出典明記や補足的な説明のための節で、本文と密接な関係がありますから、Wikipediaの他の記事へのリンク集である「関連項目」よりは前に来るべきだと考えます。ただし、脚注がかなり多い場合はスクロールしてみるのが大変ですので、閲覧者側の利便性を考慮してモトカルさんのおっしゃるように「脚注」を末尾にすることを認めてよいと思います。ケースバイケースでしょうね。--長月みどり 2008年12月13日 (土) 16:53 (UTC)[返信]

皆さん、コメント有り難い。先にも書いたように(1){{See}}や{{Main}}、(2)関連項目、(3)内部リンク、(4)脚注全て飛んで所用を済まし戻れる事では(1)-(4)とも同じです。衆知の事柄なら事典の必要は有りません。当方編集に際し、出典を伴う編集を心がけています。この点は誰しも同じでしょう。自分としてはWikipediaは本文もさることながら、出典の明示とその解説がWikipediaの本質ではないかとも思えるものです。従い、逆説的に言えば、出典が多いほど、Wikipedaiらしいとさえ思います。拠って、出典をまとめた脚註節 を本文の直後に持ってくる、従来の百科事典の形式にこだわる必要は無いことは前述の通りです。インターネットを利用し、クリックで飛んだり戻ったり出来る機能が、世の人々のWikipediaの人気と支持を得る理由と思います。これらの機能を伴わないが内容の充実したサイトは数知れず存在しますが、これらの機能を持たない故に、寄付までしようと思わないのだと考えます。極論すれば、理想的には、長い脚註集でもある本文の記事がWikipediaの本質で、便利で役立ち、寄付で成り立つ理由と思います。もし、出典やこれらの機能が失われたら、Wikipediaは財政的に存続出来るか思いを巡らせると、Wikipediaの各方式や機能を生み出した先人、また日々生み出しつつある現貢献者に脱帽です。また、出典を伴わない本文で有ったなら、読者に疑念を抱かせつつ読み進む、単なる長文集に堕ちるでしょう。言い換えれば、多い脚注そのものが実は本質であると、極論の極みではありますが....--Namazu-tron 2008年12月13日 (土) 18:47 (UTC)[返信]
またディベートに長けた主に米国人の成せる技と結果とも思います。--Namazu-tron 2008年12月13日 (土) 19:10 (UTC)[返信]

「「脚注」は記事本文の出典明記や補足的な説明のための節で、本文と密接な関係があり」という長月みどりさんのような常識的な判断がなぜできないのでしょうか。Namazu-tronさんやモトカルさんは便利かどうかをもっぱら気にしていますが、ある文章がどのような構造をとっているのか、というのも文章の品質を示すひとつの指標です。そこで、長月さんのように常識ある判断をすることを求めます。Wikipediaの「成功」をめぐる「分析」をふくめ、理解不能な発言を続けるのはもう勘弁してくれませんか。--ikedat76 2008年12月13日 (土) 20:39 (UTC)[返信]
コメント スクロールして戻ることに関しての現実的な解のひとつです。脚注が多い記事というのは、本文も長いことが多く、脚注以外の部分からスクロールして元の場所に戻るのがたいへんだったりします。そのような場合に、紙媒体とは違うすばらしい方法があります。それは、同じ記事をもうひとつのウィンドウで表示することです!残念ながら携帯電話ではなかなかできないのですが、携帯の場合は、wikipedia.org のサイトを直接見るよりも、2次利用されているサイトのほうが使い勝手がよいかもしれません。個人的な意見では、Wikipediaは、ブラウザでの閲覧だけではなく、データとして提供され2次利用されていたり、紙媒体に印刷して利用されていたりします。より本質的な利便性ということでいうと、どのような順番になっているにしろ、論理的構造がなるべく一貫しているほうが使いやすいのかなとは思います。とはいえブラウザでの閲覧利用がもっとも多いでしょうから、それに対しアクセシビリティを確保するのことは重要なことです。この議論のそもそもの発端となった、<references />がひとつしか使えないことについては回避方法があるようなので参考までに節を設けて書いておきます。--Mymelo 2008年12月14日 (日) 03:32 (UTC)[返信]
ikedat76さん、「本文と密接な関係がある」ということは私もNamazu-tronさんも当然理解しています。しかし、紙の百科事典と違い、本文から脚注へクリックでジャンプして再びクリックで本文に戻るという構造になっている点を考えてほしいと言っているのです。各文末の脚注の番号からスクロールして該当する出典や注釈のある場所に移動するのであれば、当然本文のすぐ後に置くべきです。また本文を読んだ続きで関連項目や外部リンクなどにスクロールで移動する際に脚注の節が邪魔にならないほどの長さであれば、「本文と密接な関係がある」という観点から本文のすぐ後に置くべきでしょう。しかし、Namazu-tronさんも仰るように、出典が充実していることはウィキペディアにとって非常に重要なことですし、ある程度記事の長さが充実してくれば、脚注はすぐに50くらいはにはなりますし、100を超えることもあります。しかし、ウィキペディアの現状は脚注での出典の明示が少ないものが多過ぎるので、携帯で閲覧されたことがなければ、長い脚注の不便さをあまり実感されてないのかと想像します。参考までに以下に脚注の節の数で分類しました。長い脚注はやはり「インラインフレーム表示」になっているものが多いです。「世界基督教統一神霊協会」、「慰安婦」はインラインフレーム表示ではないので、脚注を最後に持って来ています。
「インラインフレーム表示」は確かに便利なのですが、携帯での閲覧には無効であることや印刷の面で問題があるようです。この話題はこの「レイアウトの指針」のノート以外でも、草案としては内容が乏しいですが、「Wikipedia:アクセシビリティ」で閲覧の際の利便性という点からも議論をしてみてもいいのではと思います。


  • 50以上
    • 第二次世界大戦(2008年12月13日 (土) 01:29(UTC)) 62(インラインフレーム表示)
    • 創価学会(2008年9月27日 (土) 12:38(UTC)) 63(インラインフレーム表示)
    • 日本(2008年12月13日 (土) 02:09(UTC))86(インラインフレーム表示)
  • 100以上
    • 池田大作(2008年12月7日 (日) 01:23(UTC)) 115(インラインフレーム表示)
    • 麻生太郎(2008年12月13日 (土) 09:35(UTC)) 119(インラインフレーム表示)
    • 世界基督教統一神霊協会(2008年12月12日 (金) 03:45(UTC)) 120
    • 慰安婦(2008年10月7日 (火) 06:53(UTC)) 144
    • 安倍晋三(2008年12月9日 (火) 10:27(UTC)) 164(インラインフレーム表示)
    • 福田康夫(2008年12月7日 (日) 16:54(UTC)) 190(インラインフレーム表示)
--モトカル(会話) 2008年12月14日 (日) 03:44 (UTC)[返信]
印刷面での問題はreflist-scrollクラスを用いることで回避できます。Help:脚注#スタイルと用法やそのノートを確認してみてください。--iwaim 2008年12月14日 (日) 06:11 (UTC)[返信]
こと、脚注節内のスクロール方式の印刷に関してはHelp‐ノート:脚注#長い脚注リストのスクリーン以外のメディア対応にて<div class="reflist-scroll">{{reflist}}</div>が考案され、2008年12月6日に350の記事が適用されました。適用前と後の違いは、実際に紙に印刷せずとも、現在の記事や「履歴」の前の版を「印刷プレビュー」機能で確認出来ます。記事の例はファイナルファンタジーXIの登場人物/アルタナ諸国 現代地デジ日本日本語などなど。尚、力量はともかく、PC(電子計算機)は東京オリンピックの1964年以前から、通信も最古参ですが、PC以外、携帯などの利用は皆無に近く、PCでの印刷結果しか知り得ません。悪しからず。--Namazu-tron 2008年12月14日 (日) 07:16 (UTC)[返信]

印刷に問題がないとしても、依然としてインラインスクロールインラインフレーム表示にしないと閲覧に不便があり、インラインスクロールインラインフレーム表示にしても携帯ではインラインスクロールインラインフレーム表示にならず閲覧が困難だという事情は変わりません。やはり、末尾にすることが様々なケースにとって不都合がないように思います。 「脚注が本文と密接な関係がある」としても、実際の閲覧にはクリックでジャンプし、クリックで戻るのですから、近くにある必然性はやっぱりないように思います。ですからわたしには脚注が本文のすぐ後に位置していることが「文章の品質を示すひとつの指標」になるとは思えません。それより、紙の百科事典ではなく、オンラインの百科事典であることの特性を生かして、多くの人がスムーズに閲覧できるようにすることの方が読者に大きな利益をもたらすのではないかと思います。理念のために、簡単に解消できる不便さをあえて我慢する必要はあるでしょうか?--モトカル(会話) 2008年12月14日 (日) 09:53 (UTC)[返信]

「実際の閲覧にはクリックでジャンプし、クリックで戻る」という論法にしても、当の同じ論法で、「注を最後に置く」配置を原則とするほうがよいという主張への反対に利用できますし、それは既に指摘した通りです。
携帯デバイスでの閲覧についてはMymeloさんより指摘があったとおり、2次利用のサイトを利用すればよい。注が長いのが気になるなら、iwaimさんの指摘の通り、マークアップで回避可能です。
ならば、もはや後は脚注や参考文献付きの文章の書き方として何が常識であるかと言う問題でしかありません。覆された論拠をいつまでも繰り返さないでください。--ikedat76 2008年12月15日 (月) 15:57 (UTC)[返信]
>「実際の閲覧にはクリックでジャンプし、クリックで戻る」という論法にしても、当の同じ論法で、「注を最後に置く」配置を原則とするほうがよいという主張への反対に利用できますし、それは既に指摘した通りです。
一度、脚注が本文の後にあり、インラインフレーム表示でない場合の閲覧の際の様子を確かめてみて下さい。本文の最後まで来て、長い脚注の節をスクロールするのが煩わしいので、目次から「関連項目」、「参考文献」、「外部リンク」などにジャンプしようとします。パソコンでも携帯でもページのトップにジャンプします。しかし、その画面は記事の定義を記述した部分であり、目次を見るためには少しスクロールで下がらなければなりません。目次の長い記事(例えば日本)などでは「関連項目」が見えるまで結構スクロールしなければなりません。そこから「関連項目」、「参考文献」などにジャンプはできますがちょっと手間がかかります。しかし、脚注が最後にあれば、本文から自然な流れでスムーズに閲覧できます。カテゴリを見たいときはパソコンでも携帯でもページの最後にジャンプすればすぐそこにあります。長い脚注があっても全く不便がありません。
それに比べ、本文の直後に脚注が位置していること自体は脚注を参照する際の利便性について見たときに、(クリックでジャンプするので)位置的な必然性はなく、実際に何の便利さももたらしません。それどころか上に述べた余分な不便さを発生させます。
>携帯デバイスでの閲覧についてはMymeloさんより指摘があったとおり、2次利用のサイトを利用すればよい。
2次利用のサイトで長い脚注の不便さが解消するのか、インラインフレーム表示で閲覧できるのか不明ですし、たとえできたとしても、その2次利用のサイトがウィキペディアの最新版が即座に反映されるのものなのか、そのサイト事体が長く存続するものかの保証もありません。本来ウィキペディアの中で解決すべき問題であり、それは根本的な解決ではありません。
>注が長いのが気になるなら、iwaimさんの指摘の通り、マークアップで回避可能です。
携帯での閲覧ではインラインフレーム表示にならないことは繰り返し述べていますし、Mymeloさんも携帯電話では同じ記事をもうひとつのウィンドウで表示する方法が使えないことを述べておられます。
>もはや後は脚注や参考文献付きの文章の書き方として何が常識であるかと言う問題でしかありません。
ikedat76さんは論文を見慣れておられるからか、脚注の位置が変わることに強い抵抗感を持たれておられるような気がします。しかし、紙の百科事典とブラウザで見る百科事典は利用形態が根本的に違います。ですから常識とか慣習とか既成概念にとらわれることなく、ゼロベースで誰もが使いやすい、パソコンでも携帯でも使いやすいというアクセシビリティを模索して行くことが大事ではないでしょうか?過去の常識に従うのではなく、ある面ではウィキペディアが新しいものを作り上げてゆくという発想も悪くはないと思います。
>覆された論拠をいつまでも繰り返さないでください。
”討論”ではなく”対話”により、よりよき方向性を模索して行くこの場に”覆す”という言葉はちょっと不似合いのように感じます。--モトカル(会話) 2008年12月15日 (月) 18:51 (UTC)[返信]
より本質的な利便性ということでいうと、どのような順番になっているにしろ、論理的構造がなるべく一貫しているほうが使いやすいのかなとは思います」(強調はikedat76)とMymeloさんが指摘されているはずです。他者の発言を都合のよいところだけつまみ食いなされませんよう。
「ウィキペディアが新しいものを作り上げてゆくという発想も悪くはないと思います」と言いますが、百科事典は新しいものを作り上げることではなく、過去の知識の総合が任務です。--ikedat76 2008年12月17日 (水) 14:37 (UTC)[返信]

言語版を問わない案件として、英語版にも提起しました。Please join to discussion en:Wikipedia talk:Layout#Change location of section "Notes, Footnotes, or References".--Namazu-tron 2008年12月16日 (火) 00:56 (UTC)[返信]
(追伸)尚、英語版レイアウト指針はすでに関連項目節の後に、脚注節が来ています。英文版での提案は脚注節を全ての節の最後の節とするものです。--Namazu-tron 2008年12月16日 (火) 06:37 (UTC)[返信]

各言語版は独立して運営されています。この議論を多言語版、それも英語版にだけ(他の言語版にはしないのに)拡散させなければならない理由は何なのでしょうか。よく分かってもいないのに議論を提起し、あちこちに拡散させることについて繰り返し注意を受けてきたはずです。少しは改めたらいかがですか。--ikedat76 2008年12月17日 (水) 14:37 (UTC)[返信]
えーと、その英語版の提案ですが、向こうでは即、「過去に何度も出たが、その都度却下されてきた提案」だというコメントがついてますね。英語版では、こういった提案がen:Wikipedia:Perennial proposals(WP:PEREN、「絶えず持ち上がる提案」)にまとめられているようで、今回のNamazu-tronさんの提案を機に、この内容もWP:PERENに追加されそうな様子です。
Ikedat76さんが指摘されているように、各言語版の運営は独立していますが、その一方でこの提案内容については「言語版を問わない」というNamazu-tronさんの考えにも一理あると、私も思います。基本的に、百科事典に書くべき文章についても、そのレイアウトの軸となる「論理構造」の重要性には共通点が多いためです。つまり、Namazu-tronさんが「言語版に問わない提案」だ、というのであれば、「英語版では、すでに何度も提案され、その都度却下されている」ということが、日本語版においてもそのまま反論の材料になりえます。すなわち、英語版で提案された「脚注を最後に位置させる」という提案について、今回Namazu-tronさんが向こうで主張してる内容は、過去何度かもそうであったように、今回も英語版では却下される可能性の方が高いでしょうし、(Namazu-tronさんが考えるように)これが「言語版を問わない」という認識であればこそ、それを日本語版で個別に議論しても同じ結果になるのが当然、ということになるでしょう。
私の個人的な感情では、英語版での議論のように「過去に却下されたから」ということで、議論を停止させてしまうことには、正直言うと少し抵抗もあります。ただ、他の人達がこれまでにさんざん議論し、メリットとデメリットのバランスを考慮した上で却下されたことなのに、(モトカルさんやNamazu-tronさんがそうだというわけではありませんが)、まだウィキペディア全体についての知識や経験が少なくて、見聞きした範囲が狭い人が、「あ、俺、いいこと思いついた!」という程度のノリとか、「俺はまだこの議論に参加してない! 俺ならこの結論をひっくりかえせる(……実際は同じ意見の持ち主が何人もいて、それでも結局通せなかったということには、本人だけが気付いてない)」という感じで、浅い考えで何度も提案されることがあるというのも現状です(Namaza-tronさんの英語版での提案への最初のコメントからも伺えます)。その都度、説得と議論のために人的リソースが費やされるというのは避けたいことです。特にウィキペディアのようなシステムでは、「とにかくゴネて議論を続け、相手を疲弊させたら勝ち」になりかねない部分がありますので、注意しなければなりません。それは最終的には、議論参加者のブロックという、当人にとっても不幸な結果につながりかねないことでもありますし。
そういった状況を招かないためにも、(1)議論された当時と取り巻く状況が大きく変わった、(2)以前の議論では重大な要素の見落としがあり(その点がまったく議論されておらず)それを指摘することでメリット/デメリットのバランスが大きく変わりうる、などのことがない限り、今回、英語版で「過去に却下された提案と何ら変わらない」という形で却下されても、それは妥当な判断だろうと考えます。そして、私もNamazu-tronさんと同じく「言語版を問わない」提案だと思っているので、日本語版でもその英語版での判断を理由に却下されるのも、また妥当な判断だと考えます。
また、もう一つの提案であった「関連項目」の位置についてですが、これについては現在の英語版と日本語版では少し状況が異なるようです。以前、Wikipedia‐ノート:関連項目で、iwaimさんが正しく指摘されてましたが、英語版の"See also"と日本語版の「関連項目」は、多少意味合いが異なります。"See also"は「〜も参照」、つまり本来ならばその本文中で説明されてもおかしくない内容が、別項目として分割されているような場合(小項目主義的な項目に多いと思われますが)に誘導する意味合いがあり、言わば「分割されてるが、本文を補完する役割が大きい(構成によっては本文の一部にもなりうる)項目」です。このようなケースでは、これらの項目はNotes(註釈)よりも、本文との結びつきが強いと見なせるため、Notesの前に"See also"が来るというのは、文章の論理構造から見ても理に適ってます。一方、「関連項目」となると「本文は本文で完結しており、それとは独立に存在する、関連した別項目」のニュアンスが高まるため、この場合には、現在の日本語版での解説のように、註釈や参考文献よりも後に書かれるのは妥当だと考えられます。実際、上述の英語版でのNamazu-tronさんの提案に対して、「英語版では、昔はSee alsoではなくRelated topicsが用いられていた時期があり、この頃はReferencesの後に書かれていたものがある」という旨のコメントが出ています[2]。日本語版で「関連項目」という節名で用いている場合、この点に関しても、Ikedat76さんが指摘されてるように、現状の記載を変更する必然性は低いと考えます(「関連項目」の中身の妥当性には、またいろいろ議論があるでしょうが、それはまた別の適切な場所で議論すべきということで)
また、モトカルさんの意見についてですが、アクセシビリティは確かに重要な要素ですが、「アクセシビリティだけ」が重要な要素だというわけではありません。この件も他の多くのケースと同様、メリットとデメリットの両方を生む類いのものであり、アクセシビリティだけに囚われて、他の重要な要素に対する注意を行わなければ、バランスを欠いたものにしかなりません。またアクセシビリティに関しては、英語版では「脚注を後ろに持っていく事で、読者の混乱とアクセシビリティの低下をもたらしかねない」というのが以前の却下理由の一つにあげられています[3]ので、本当の意味でアクセシビリティの向上につながると言えるかどうかは、少なくとも統一見解は得られてないのではないか、と考えます。ただ、統一見解が得られていないということであれば、Ikedat76さんや長月さんが最初の方で言われているように、ケースバイケースで「脚注を後ろに持っていく方がよいケース」というのも存在する余地があり、柔軟に対処して構わないとは思いますが。もしアクセシビリティの向上に関心がおありでしたら、むしろもう一歩進んで、「現在の並び順で、アクセシビリティを追求するにはどうすればいいのか」ということに思考のリソースを向けていただけると、ウィキペディア全体への大きな貢献につながると思いますので、是非よろしくお願いします。--Y tambe 2008年12月18日 (木) 03:18 (UTC)[返信]
>他者の発言を都合のよいところだけつまみ食いなされませんよう。
ikedat76さん、 「より本質的な利便性ということでいうと、どのような順番になっているにしろ、論理的構造がなるべく一貫しているほうが使いやすいのかなとは思います」というMymeloさんの発言は、御自身は脚注の位置がどこかいいかということ意見をお持ちだとしても、この発言事体はどちらかがいいということに言及せず、「どのような順番になっているにしろ」という言葉が示すように「脚注」の位置をどこにするにせよ、ケースにより使い分けるよりは統一されている方が使いやすいという見解だけを述べておられるのだと私は受け取りました。もし、私の理解が違うとしても、インラインフレーム表示というパソコンにおいては有効な方法も携帯電話では使えない問題を私は訴えてきているであり、Mymeloさんも「同じ記事をもうひとつのウィンドウで表示すること」(これもインラインフレーム表示のことかと受け取りました)は「残念ながら携帯電話ではなかなかできない」と同じことを述べておられるのですから、”他者の発言を都合のよいところだけつまみ食いしている”ではないことをご理解下さい。
>百科事典は新しいものを作り上げることではなく、過去の知識の総合が任務です。
これもこちらの趣旨を誤解されておられるようですが、紙の百科事典とオンライン百科事典はそもそもメディアとしての形態が異なるのだから、紙の本を前提に考えれらた既存の形式に無理に合わせる必要はないということを述べているのです。ウィキペディアは上から記事が始まり、長い記事であってもスクロールで下へ下へと読み進めます。これをわざわざ紙の百科事典に合わせて左右に1ページずつ振り分けて左のページを読み終わると右ページに移るという風にはする必要はないことはおわかりになると思います。このようにウィキペディアは既に紙の百科事典とは違う形式をいくつも持っているのではないでしょうか?
Y tambeさんへ、英語版でも、脚注を末尾にする提案がなれたが、却下されたということは初めて知りました。却下理由の一つが「脚注を後ろに持っていく事で、読者の混乱とアクセシビリティの低下をもたらしかねない」ということですが、これだけではよくわかりませんね。どなたでもよいですが、英語版での議論の要旨を説明して下さる方がおられれば、議論の節約にもなると思います。私もそうですが、英語での議論をきちんと理解できる方はそう多くもないと思いますから・・・ ただ、英語版での議論は参考にはすべきだと思いますが、いつなされたの議論なのか、日本と違う状況があるのかなども考慮すべきであり、必ずしも英語版の議論に必要以上に影響されることもないと思います。
それから、私は「アクセシビリティだけ」が重要な要素だと述べているわけではありません。コメントをよく読んでいただければ、本文と脚注が密接であることは認識していることはわかっていただけると思います。その上で、実際の閲覧においてはクリックによって参照する脚注が本文の直後に来る位置的必然性は薄いこと、そして、必然性は薄いのに、本文から関連項目などに向かう際に長い脚注が邪魔になることを述べ、「理念のために、簡単に解消できる不便さをあえて我慢する必要はあるでしょうか?」と内容の関連性と閲覧の際の利便性を計りにかけた上での自身の見解を述べていることをご理解下さい。
また、「現在の並び順で、アクセシビリティを追求するにはどうすればいいのか」ということは2006年に#脚注の位置(提案)という節で同じ問題を論じた際に、Saintjustさんが「スクロールテキストボックス」(インラインフレーム表示)という方法を教えて下さり、早速、長い脚注をインラインフレーム表示に変更して下さり、私はよい解決方法だと納得しました。しかし、その後、他の記事だったか忘れましたが、「スクロールテキストボックス」は視覚障害者の方がテキストリーダーで記事を読む際に、読めなくなるという意見により「スクロールテキストボックス」に変更した脚注を元の長い脚注に差し戻され、この方法が使えないのかと残念に思った記憶があります(その議論はどこだか思い出せず探せていません。)しかし、現在はそのような異義が唱えられることもないのか、インラインフレーム表示になっている記事もいくつかあります。しかし、携帯電話での閲覧に大変不便があることがわかりました。この問題も携帯電話でPCサイトが見られるようになる以前は問題とならなかったでしょう。もちろん、携帯電話のPCサイトビューワーフルブラウザが進化してインラインフレーム表示が可能になるかもしれません。
それから、英語版の議論がどの程度の人数での議論だったのか気になるところですが、日本語版での議論についても、結構重要な議題であっても、実際に議論に参加する人はまだまだ少ないことが多いと思います。前回にはなかった携帯電話ではインラインフレーム表示で解決しないという新たな問題も提起しているので、もっと多くの人のいろんな意見を聞きたいと思います。--モトカル(会話) 2008年12月18日 (木) 13:50 (UTC)[返信]

あらためて確認しておくと、ここでの提案はガイドライン文書の内容を変えようというものです。ガイドライン文書は確かに公式な方針ではなく、強制力はないとしても強制力を持ちます。例えば、ページの分割と統合ページの改名もガイドラインに分類されていますが、これらに従わずに記事の分割・統合・改名等を強行すれば、最悪の場合、投稿ブロックに至る場合もあることは周知の通りです。

これは確かに極端な例かも知れません。「拘束力をもつ」ということがどういう性質の事柄なのか、よく考えていただきたい。拘束力の有る文書の文言を変更すれば、その変更に即して、何万とある記事の全体に影響があり、それは当然にWikipediaの書き手・読み手にも及びます。そうした重要な変更である以上、軽々に行ってよいはずがなく、変更による影響や混乱の可能性にもかかわらず、実行するべきだと他者を納得させられるしっかりした論拠が必要です。逆の結論を導くためにも使えるような論拠しか持たない、生煮えの提案などを採用できるわけがないのです。

繰り返し指摘しますが、「理念」(おそらくWikipediaの理念と言いたいのでしょう)云々のはるか以前、はるか手前にある文章の書き方の常識を逸脱した提案であると言う意味で、この提案は採りえません。文章というものは、構造で読ませるものです。同じ情報量が含まれる文章でも、不適切な配列や構造で書かれたものと、そうではないものとでは、読者にとって全く異なる質を備えたものになります。その意味で、本文と脚注を隣接させるという構造は、まさに長年にわたって用いられ・定着してきたという意味で、論理的な文章の書き方として実績のあるものです。そして、Wikipediaが紙の百科事典ではないとしても百科事典ではないわけではない以上、本文と脚注を隣接させる仕方に従わなければいけないのです。あくまでも例外として容認する、ということまでは譲歩してもよいかも知れませんが、それにしたって、そんな非常識で恥ずかしい構造の文章といわざるを得ません(個人的にはそんなモノを書く人と同じコミュニティのメンバだなどと見られたくないと思います)。

こうした実績ある構成を覆すには、非常に強力な論拠が必要です。クリックすればどこへでも行けるというのであれば、どういう配置・構成をとってもかまわない以上、配置・構成を決める根拠はそれ以外に求めなければならない。2008年12月15日 (月) 18:51 (UTC)で不便だ不便だと言っているが、それを言うならどこへ行くのだって不便です。脚注や参考文献まで含めて“がっつり読み”たければ、それに適したデバイスでアクセスすればよいのです。少なくとも、現存する各種の形態デバイスの画面では大容量の情報を表示して読むのは明確に不適です。不適なデバイスで不適なことをしている、そういうことがらに何故対応しなければならないのか、全く必要性を認められません。そもそも、携帯デバイスを通じて“がっつり読み”込むような需要があるという客観的な根拠が何かあるのでしょうか。

さらに言えば、この文書が変更されることにより、長年定着し・馴れ親しまれてきたレイアウトが変更されることによる読者や書き手の混乱のことも(Y tamabeさんが指摘されるとおり)考慮すべきです。そうした混乱をおしてまで進めるほど価値あることなのでしょうか。「あ、俺、いいこと思いついた!」程度の思いつきで混乱を生むのではなく、「「現在の並び順で、アクセシビリティを追求するにはどうすればいいのか」ということに思考のリソースを向けていただけると、ウィキペディア全体への大きな貢献につながる」というY tamabeさんの指摘に耳を傾けて下さい。その意味では、この議論を通じてまともに耳を傾けるべき提案はただ唯一Mymeloさんのそれであって、“脚注末尾式”ではありません。

拘束力を持つ文書の内容に関する議論であると言うこと、われわれが書いているのがあくまで百科事典の記事であるということ、基本的な点を取り違えないよう求めます。--ikedat76 2008年12月18日 (木) 15:58 (UTC)[返信]

こんにちは。

  • まず「脚注を末尾に」という表現をやめませんか?
  • 社会学系だと、脚注の後ろに文献リスト(references)が来るスタイルが多く、この場合書誌情報は文献リストに載せることになりますから、「脚注→文献リスト」という順序を崩すというのは、かなり大きな問題です。広く用いられているスタイルを実質的に排除するということであれば、一般的なスタイルそれぞれについて閲覧時の便のみでなく、加筆や修正時のことなどからも丁寧に検討がなされるべきだと思います。
  • 「関連項目」を脚注の前に置きたい、ということであれば、まずは関連項目の意味合いを再考する必要があると思います。現在は「本文中で説明しきれないが重要な関連のある項目について列挙」となっていますが、本文との関連性が強いものなら、脚注の上、周辺的なものという位置づけが強いならカテゴリや外部リンクの近くということになるのではないでしょうか。現状、関連項目がけっこう長いリストになってしまっているというところもありますが、適宜整理されて、それほど長いものにならないのであれば、使い方によって、脚注の上にあるということには、それほど抵抗はないです。
  • カテゴリの表示位置は変えないという前提であれば、外部リンクや関連項目がカテゴリの上・「脚注および(あれば)文献リスト」の下というのが、意味合い的には妥当だと思います。「一番下」に固まっているというのは、スクロールバーがあれば比較的容易に辿り着けますし、たとえば脚注の見出しのところに下部へ跳べるリンクを置くというようなことも考えられます。長い本文と、長い脚注の間というのは、記事全体からすると、わかりにくい、辿り着きにくい位置ではないかと思うのですがいかがでしょう。
  • 「解説本文」と「脚注」を逐一往還しながら読む、というのはそれほど一般的ではないと思うのですが、そこはいかがでしょうか。逐一読んでいないのであれば、一連の脚注があり、ひとまずは読まれるべきものとして存在していることは、スクロールや、跳ぶために一番上から目次まで下がっていくことが多少煩わしくとも、不便とするべきではないでしょう。
  • ぼく個人としては、基本的には本文は本文として読んで、よほど意味が取れないような場合や論旨が怪しくて出典を確認したい場合は補助的に「本文から脚注へクリックでジャンプして再びクリックで本文に戻る」こともありますが、ウィキペディアの記事程度の長さではスクロールしてしまうことも多いです。本文読んでから、脚注は脚注として出典の素性や補足説明などを流し読みする。本文から離れたりインラインスクロール表示になったりするほうが閲覧に不便だと感じます。まあ、ぼくの感覚はともかくとして、テキストリーダーで読めないなら撤廃すべきでしょう。
  • たとえば、電車の中などで読み物として携帯で閲覧するような場合は、関連項目や外部リンクへのアクセスが容易なほうが使い勝手がいいのだろうと思うのですが、百科事典として読むという場合、基本的には何かを知りたくて読むと思うのですね。簡単なことなら、本文を読んでいるところで知る事ができます。調べ物のとっかかりとして、ということなら、きちんと本文を読み、脚注を確認する必要があります。これらと比べると、関連項目や外部リンクは重要性に劣ると思います。また、そのような使い方を前提とするのであれば、ブラウザやプリントアウトでの閲覧を第一に考え、携帯で閲覧することが可能であり、その際の利便性を考慮することは必要だとしても、関連性に沿って並んでいるほうが好ましいと思います。

ひとまず、そんなことを感じました。--Ks aka 98 2008年12月18日 (木) 16:14 (UTC)[返信]

2008年12月本日現在、Wikipedia:レイアウトの指針の冒頭には「この文書はウィキペディア日本語版の考慮すべきガイドラインです。多くの利用者が基本的に同意しており、従うことが推奨されますが、公式な方針ではありません。必要に応じて編集することは可能ですが、大きな変更を加える場合は、先にノートページで提案してください。」と書かれています。考慮すべきガイドラインには規定、推薦、心がけることなど、いろんなガイドライン(指針)が含まれます。この英文版の冒頭の指針も似た意味合いです。長々と主張していますが、あくまでこれに乗っ取っているものです。英文版でも書き込みましたが、Wikipediaが発足して僅か6-7年です。当方はWikipediaは30年や50年で消滅するとは思っていません。おそらく永代人類遺産の百科事典となるとの思いで編集に参加しています。すでに多くを書き述べていますので繰り返しませんが、脚注節の配置とそれによる利便性は言語や人種を問わないことであるし、また永代百科事典としては言語版間でも統一するのが望ましいと思います。 この指針を公式なガイドラインとするならせめて、本文→関連項目→脚注と英文版にも見る(または沿う)順番としてもらいたい。最後に携帯電話などでは使い辛い件に関して、欧米でもアフリカ奥地でも携帯電話などPC以外で見る読者が増えれば、いずれ将来、配置順とその利便性の問題が挙がってくるでしょう。--Namazu-tron 2008年12月18日 (木) 23:35 (UTC)[返信]

すでに指摘済みのことですが、各言語版で運営は独立していますし、enWPにおいてNamazu-tronさんの提案は繰り返し提案されるがそのたびに却下される提案にカテゴライズされました。また、各言語版間で統一云々と言う前に、ご自身の提案はjaWPですら合意を得られていないはずなのに、何に「統一する」というのでしょうか。
「この指針を公式なガイドラインとするなら」と言っておられますが、「公式なガイドライン」などというカテゴリーは少なくともjaWPには存在しませんし、そのような提案はNamazu-tronさんご自身を含めて誰一人提案していません。また「この指針を公式なガイドラインとするなら」に続いて、英語版に従うべきだと言う主張は論理が飛躍していて理解不能です。
永代なり人類なりを引き合いに出してもかまいませんが、「永代」「人類」がenWPの運営に従うことを意味するに過ぎないなら(Namazu-tronさんの言っていることとはつまりこれに他なりません)、それは大変な誤解だと言わざるを得ません(単なるenPOVに過ぎません)。
なお、Namazu-tronさんについてはコメント依頼を提出いたしました。これ以上、各所での議論のかく乱はただちにおやめください。迷惑です。--ikedat76 2008年12月20日 (土) 07:43 (UTC)[返信]
まず、「インラインスクロール」という言葉を「インラインフレーム(表示)」という表現に修正し、「PCサイトビューアー」という名称はブラウザの機種名のようなので、フルブラウザと訂正しました。それらのブラウザの中でもインラインフレームに対応しているものとそうでないものがあるようです(未対応のものはJavaScript、Ajaxが使えないモバイルブラウザだけかもしれません)。ただ、インラインフレームに対応しているフルブラウザでも、ある記事(安倍晋三)では携帯でもインラインフレーム表示になり、他の記事(池田大作)ではインラインフレーム表示にならず、長い脚注が表示されてしまいます。これは記事の容量が大きいため、タグなどがきちんと読み込めていないからかとも想像しますがよくわかりません。とにかく、インラインフレームに対応しているフルブラウザでも長い脚注が邪魔になるという不便が生じてしまうことがあることがわかりました。
しかし、Ks aka 98さんが「脚注の見出しのところに下部へ跳べるリンクを置く」という非常によいアイデアを出して下さいました。正に”コロンブスの卵”でこんな簡単な方法を思いつきませんでした。例えば下記のような体裁になるでしょう。
== 脚注 ==
[[#参考文献]] / [[#関連項目]] / [[#外部リンク]]
{{reflist}}


これなら、携帯での閲覧の際に、インラインフレーム表示にならず、長い脚注がそのまま表示されてしまっても、参考文献、関連項目、外部リンクにすぐにジャンプでき、長い脚注を無駄にスクロールせずに済みます。是非これは解説本文に、補足説明として記載した方がよいと思います。よい解決策を出して下さったKs aka 98さんに感謝いたします。この方法が採用されるなら、問題にしていた不便さが解消されるので、私としては脚注を記事の最後に位置させるという提案は取り下げます。
ただ、ikedat76さんの発言について思うところがありますので、「#利用者に対する不適切な発言について」という節を設け、意見を述べたいと思います。 --モトカル(会話) 2008年12月20日 (土) 13:26 (UTC)[返信]

ひとつの記事に複数の脚注を設ける方法

この議論の発端となった、<references />の下部に脚注があった場合に、脚注が表示されなくなることについて回避方法があるようなので書きます。

<ref>と<references />に、group という属性(でしたっけ)をもたせることによりグループ化を行えます。

下記のようにマークアップすると、

*ほげ<ref group="本文注">これは本文の注</ref>
**<references group="本文注" />
*ふが (2008年) <ref group="参考注">これは参考の注</ref>
**<references group="参考注" />

こんな感じになります。

  • ^ これは本文の注
  • ^ これは参考の注
  • 以上です。--Mymelo 2008年12月14日 (日) 03:32 (UTC)[返信]

    利用者に対する不適切な発言について

    まず、万が一にも誤解されることのないように明確にしておきますが、ikedat76さんがNamazu-tronさんについてコメント依頼(コメント依頼/Namazu-tron)を出されたことはまったく無関係です。昨日の時点で書こうと思っていましたが、時間がなかっただけです。

    Ikedat76さんの2008年12月18日 (木) 15:58 (UTC)の発言(差分)はウィキペディアの利用者に対する不当な非難を含んだ侮辱的なものであり、看過できないので意見を述べておきます。以下に引用しますが、問題の箇所を強調表示しました。[返信]

    <引用開始> 本文と脚注を隣接させるという構造は、まさに長年にわたって用いられ・定着してきたという意味で、論理的な文章の書き方として実績のあるものです。そして、Wikipediaが紙の百科事典ではないとしても百科事典ではないわけではない以上、本文と脚注を隣接させる仕方に従わなければいけないのです。あくまでも例外として容認する、ということまでは譲歩してもよいかも知れませんが、それにしたって、そんな非常識で恥ずかしい構造の文章といわざるを得ません(個人的にはそんなモノを書く人と同じコミュニティのメンバだなどと見られたくないと思います)。 <引用終わり>

    「非常識で恥ずかしい構造の文章を書く人」というのは直接的には(本文と脚注を隣接させる仕方を変えることを提案をした)私(モトカル)とNamazu-tronさんのことですが、結果的には以前に「脚注を記事の最後にしてはどうか」と提案したPeachLoverさん、Tamago915さんも含むことになります(#脚注の位置(提案)の節を参照)。つまり、Ikedat76さんは、これらの利用者たちは非常識で恥ずかしい者たちなので同じコミュニティのメンバだなどと見られたくないと仰っていることになります。これは明らかに侮辱的な発言です。脚注の位置を変えたらどうかという提案する人は現状の並びで何かしら不都合を感じたからこそ提案しているのです。それに比べ、Ikedat76さんは 「百科事典記事というのは基本的に論文のスタイルで書くことが求められている」などと本文と脚注を密接される形式が常識という点を盛んに強調され、それを分離する形式を「非常識で恥ずかしい構造の文章」とまで酷評しながら、脚注を記事の最下部することを例外としては認めるような発言もされ矛盾しています。

    それに脚注の位置を変えることで困る点については、「拘束力の有る文書の文言を変更すれば、その変更に即して、何万とある記事の全体に影響があり、それは当然にWikipediaの書き手・読み手にも及びます」、「同じ情報量が含まれる文章でも、不適切な配列や構造で書かれたものと、そうではないものとでは、読者にとって全く異なる質を備えたものになります。」、「年定着し・馴れ親しまれてきたレイアウトが変更されることによる読者や書き手の混乱」などと抽象的なことばかり述べて具体的な点をまったく示せていません。ですから、奇しくもTamago915さんが「私から見れば、Ikedat76さんの立場こそ「何が何でも“脚注を参考文献の前に置く”としなければならない」に思えます」と仰ったように、「変えたくない」という思いしか伝わって来なかったというのが率直な感想です。

    それから、「軽々な提案」、「生煮えの提案」をするなというような御意見についてですが、先にも述べたように提案の背景には実際に不都合や不便さを感じたという事情があるのです。それにウィキペディアは素人が自由参加するプロジェクトです。小中学生も実際に参加しています。百科事典をろくに見たことがなくても、論文の書き方を知らない人でも参加する権利があるのです。大人が働く企業であっても門外漢や素人などが、変な固定観念がなく、ゼロベースで考えられる分、専門家では決して思いつかない自由な発想で素晴らしい企画や発明をすることが実際にあります。もちろん、ウィキペディアを知らなさ過ぎて、未熟な質問や提案をする利用者もいるでしょう。それでも、ウィキペディアの経験者が適切に答えてたり、諭したりすることで、初心者もそれを機会にウィキペディアをより知ってゆくことにもなります。そういうことがあるのが当たり前なのがウィキペディアではないでしょうか?(Ikedat76さんがご自身をそう思っておられるかわかりませんが)熟練者の自分にとって未熟な者たちと関わるのが面倒だとお考えなら、他の経験者に任せておけばいいのですし、未熟な者たちと同列に見られるのが御免だとお考えなら、Nupediaのような専門性の高いウィキサイトに参加されればよいでしょう。

    私は要約欄に「討論ではなく対話のつもりでいます」と書きましたが、Ks aka 98さんは、頭ごなしに相手の提案を否定することなく、問題点を一つ一つ一緒に考えようとして下さり、私がこうあるべきだと伝えたかった議論の見本をみごとに見せて下さり、そのような姿勢から生まれた思わぬ解決のアイデアをいただきました。

    それでは今回のお願いですが、本文と脚注を離す形式を「非常識で恥ずかしい構造の文章」と評するのは個人的な意見なので文句は言えません。しかし、「(個人的にはそんなモノを書く人と同じコミュニティのメンバだなどと見られたくないと思います)。」というコメントは上記にも述べたように、それぞれの問題意識から正当なかたちで提案をした利用者を非常識で恥さらしの者のように言う侮辱的発言です。

    これを是非、撤回していただきたいと思います。具体的には取り消し線ではなく除去でお願いします(公式方針であるWikipedia:ウィキケットでも批判の消去が認められています)。もし、そのコメントを取り消されるなら、そのコメントに対して書いた私のコメントもすべてを同様に(取り消し線ではなく)除去いたします。(そんなことがあるとは信じたくないですが)万が一撤回なさらないとしたら、Ikedat76さん自身のウィキペディアのプロジェクトや利用者に対する意識・態度について疑問を持つ利用者は少なくないと思っています。--モトカル(会話) 2008年12月20日 (土) 13:26 (UTC)[返信]

    私の立場も組み込まれているのですが、正直なところ「どちらでもいい」と思っているし、例外を認める言質が取れているので、それで十分かなと。
    脚注の位置についていわせてもらえば、ページ末尾にあるほうが脚注に移動しやすい(スクロールバーをいちばん下まで持って行けばいいわけですから)ので、脚注末尾のほうが使いやすいと思っていますが、そうではない人もいるわけで、どちらにすべしという考えはありません。
    あと、書籍でもページごとに脚注を組むスタイルがあるわけですが、ウィキペディアでそれを採用するとページ末尾(=記事末尾)に脚注が来ることになります。それは「非常識で恥ずかしい構造」なのでしょうか。--Tamago915 2008年12月20日 (土) 14:08 (UTC)[返信]

    モトカルさんご指摘の箇所については確かに言いすぎであったことを認めます。しかし、下記の通り、モトカルさんの発言に対し大幅な異論があります。モトカルさんの発言がなければ以下の異論も意味不明になる以上、抹消しないでいただくためにも、取り消し線による対応とします。

    > 脚注を記事の最下部することを例外としては認めるような発言もされ矛盾しています。

    議論を収束させるための妥協として、原則と例外の関係においてあくまで例外として容認するという譲歩を示すことが矛盾なのでしょうか。個人的には全く受け入れがたいのは変わらないにせよ、現実的な落としどころとして容認できる限界を述べるという姿勢ではなく、あくまでも断固として突っぱねれば満足していただけるのでしょうか。

    > 抽象的なことばかり述べて

    提案者の方々が、自分のしていることについて、どういう性質のことなのか理解していないからこそ、このような指摘をしています。提案者の方々がなさっているような影響の大きな事をするのであれば、慎重に熟慮の上でするように求めることが不当だと言うのでしょうか。

    討論/対話をどう定義されているのか興味はありませんが、しっかりした根拠のある提案なのかどうなのかを厳しく検討することがいけないことであるかのように非難されるとは、理解し難いことです。

    > 変な固定観念がなく、ゼロベースで考えられる分、専門家では決して思いつかない自由な発想で素晴らしい企画や発明をすることが実際にあります。

    くどいようですが、百科事典はゼロベースではありません。脚注や参考文献を伴って、しっかりした根拠を示すことを要求されるタイプの文章の書き方についても同様です。新しいことをしたければ別のところでお願いします。

    > もちろん、ウィキペディアを知らなさ過ぎて、未熟な質問や提案をする利用者もいるでしょう。それでも、ウィキペディアの経験者が適切に答えてたり、諭したりすることで、初心者もそれを機会にウィキペディアをより知ってゆくことにもなります。そういうことがあるのが当たり前なのがウィキペディアではないでしょうか?(Ikedat76さんがご自身をそう思っておられるかわかりませんが)熟練者の自分にとって未熟な者たちと関わるのが面倒だとお考えなら、他の経験者に任せておけばいいのですし、〔後略〕

    「未熟な質問や提案でも」おかしな提案でも、反対しなければ通ってしまいます。別に面倒だとは考えていませんが、その種のことがらを常習的にしているユーザをそのままにし、他の有益なことに使われるべきリソースが浪費されるのを看過するのが正しいことだとは思っていません。

    ついでに指摘しておくと、携帯デバイスからの閲覧に適合化させることをしなければならないような需要の存在を示す客観的な根拠を求めたはずですが、いまだ示されていません。また、携帯デバイスからの閲覧において、脚注の位置を現行から変更しなければならないような、閲覧や利用のされ方をしているという根拠もお願いしたはずですそれとも、これも不当な要求で、「他の利用者への侮辱」で応えるに値しないということなのでしょうか。--ikedat76 2008年12月20日 (土) 14:36 (UTC)[返信]

    > モトカルさんご指摘の箇所については確かに言いすぎであったことを認めます。
    ありがとうございます。それを認めて下されば心は収まります。恐らく感情が高ぶっておられたゆえのことと思います。取り消し線による対応で了解しました。
    >議論を収束させるための妥協として、原則と例外の関係においてあくまで例外として容認するという譲歩を示すことが矛盾なのでしょうか。個人的には全く受け入れがたいのは変わらないにせよ、現実的な落としどころとして容認できる限界を述べるという姿勢ではなく、あくまでも断固として突っぱねれば満足していただけるのでしょうか。
    こちらが満足するかどうかではなく、「非常識で恥ずかしい構造」とまで語気を強めて酷評するものなのにであれば、例外として認めるのはおかしい辻褄が合わないと感じたのです。
    提案者の方々がなさっているような影響の大きな事をするのであれば、慎重に熟慮の上でするように求めることが不当だと言うのでしょうか。
    そうではなく、脚注の位置を変えることによって、(抽象的ではなく)具体的にどういう不便があり、どういう混乱が起こるかをIkedat76さんは語っていないということを指摘したのです。
    > しっかりした根拠のある提案なのかどうなのかを厳しく検討することがいけないことであるかのように非難されるとは、理解し難いことです。
    検討することがいけないと言っているのではなく、初めから完璧な提案である必要なければ、提案してはいけないということはないと思うのです。それに提案というより、相談でいいと思うのです。誰もがウィキペディアを熟知しているわけではなく、不便に思ったこと、疑問に思ったことを熟練者に相談するような敷居の低さが必要だと思います。
    > 百科事典はゼロベースではありません。脚注や参考文献を伴って、しっかりした根拠を示すことを要求されるタイプの文章の書き方についても同様です。新しいことをしたければ別のところでお願いします。
    ゼロベースという言葉は決して既存の形式や慣習をまったく無視しろと言っているのではありません。それにとらわれずという意味くらいで”ゼロベース”という言葉を使っています。それに、パソコンで閲覧するという形式自体が紙の事典とは既に異なる形態や様式を持っているということは前回も述べております。
    > 「未熟な質問や提案でも」おかしな提案でも、反対しなければ通ってしまいます。
    ikedat76さんお一人が目を光らせてなくても、現在のウィキペディアにはそれなりの経験者がいると思うのですが・・・
    > 携帯デバイスからの閲覧に適合化させることをしなければならないような需要の存在を示す客観的な根拠を求めたはずですが、いまだ示されていません。
    携帯での閲覧者はPCでの閲覧者よりは少数であるからといって、携帯でのアクセシビリティを無視してよいとは思いません。以前、インラインフレーム表示の脚注が視覚障害者などがテキストリーダーで読む際の障害になるということで、通常の長い脚注に差し戻された経験があります。携帯での閲覧者より、はるかに少ないと思われるこれらの利用者についても、「バリアフリー」が浸透してきたこの時代に、小数だということで無視してよいとお考えですか?また現在、国民の相当数が携帯を所有し、携帯のPCサイト用のフルブラウザも当然機能が更に向上して行くと思われます。ウィキペディアがこれほど著名になった現在、携帯電話での閲覧者はますます増加してゆくのではないでしょうか?更には携帯だけではなく、PSPニンテンドーDSなどのゲーム機にもPCサイト用のブラウザが搭載されるようになって来たという状況もよく考えて行く必要があると思います。
    > 携帯デバイスからの閲覧において、脚注の位置を現行から変更しなければならないような、閲覧や利用のされ方をしているという根拠もお願いしたはずですそれとも、これも不当な要求で、「他の利用者への侮辱」で応えるに値しないということなのでしょうか
    私は自身の意見についての根拠を問われたことに対して、「不当な要求」だとか「他の利用者への侮辱」で応えるに値しない」などというような応答などしたことはありません。ちょっとおかしな意図のわからない質問ですね。脚注の位置本文の直後だと長い脚注をスクロールするのこと際に不便感じているというのは私自身の経験であることは以前も今回も述べています。しかし、Ks aka 98さんが出して下さったアイデアが採用されれば、その不便は解消されるので、もう不要な話となります。--モトカル(会話) 2008年12月20日 (土) 16:27 (UTC)、(校正)モトカル(会話) 2008年12月20日 (土) 21:11 (UTC)[返信]

    言いだしっぺ一人を除いて、もう議論は収束しそうですから、これを最後に。

    > 携帯での閲覧者はPCでの閲覧者よりは少数であるからといって、携帯でのアクセシビリティを無視してよいとは思いません。

    2つの問題があると考えます。第1に“少数であるから無視してよい”と言っているのではありません。私自身も、仕事で帰りが遅いときなど、携帯電話で新着投票所をよく眺めていますから。そうではなく、携帯デバイスでの閲覧時に、注や参考文献まで含めて入念に読み込む(Ks aka 98さんの言う「「解説本文」と「脚注」を逐一往還しながら読む」)ような読み方が有力なもので、それに対応する必要が発生しているものなのか疑問だと言っているのです。その種の不便さをモトカルさんが感じているという発言は認識しますが、その種の不便さが生じないような読み方しか携帯デバイスには期待していない(ちゃんと読むならPC等の広い画面で読む)読者も反面ではいます。携帯デバイスでの閲覧者が記事を読む仕方として、そもそも「「解説本文」と「脚注」を逐一往還しながら読む」ことが有力であるのか疑問なのに、影響力の大きい決定をしてまで対応する必要があるのかと言うことです。

    第2にこれは単にせいぜい利便性の問題で、アクセシビリティの問題ではないでしょう。不便でも記事(情報)にアクセスで(「読め」)ないわけではありません。しかし、例えば、不適切なマークアップ(例としてHelp:箇条書き#よくある、あまり良くない例Help:箇条書き#なぜいけないの?を参照)はスクリーンリーダの処理を妨げ、視覚障碍者がアクセスする(「読む」)ことを妨げます。一方で、W3Cのアクセシビリティに対する勧告はデバイスに対する非依存性を定めてはいるものの、「すべての入出力装置をサポートしなければならないという意味ではないことに注意してください」(ウェブコンテンツ・アクセシビリティ・ガイドライン 1.0)。そういう意味で言えば、アクセシビリティを云々するなら、注の配置を問題にするのは優先順位が間違っていると思います。注の配置がどうであろうと、スクリーンリーダの処理には影響がありません。

    > ikedat76さんお一人が目を光らせてなくても、現在のウィキペディアにはそれなりの経験者がいると思うのですが

    出典を明記することや検証可能な記述をすることを方針としてうたいながら、その具体的な方法について、jaWPは未整備です(別に他の言語版が整備されていると言う意味ではありません)。関心があることがらだからこそ、どういう議論や提案が出てくるのかウォッチリストに入れて注視して、やってきたのです。それが自警(目を光らせて)扱いですか。まあ、どうでもいいですが…。--ikedat76 2008年12月21日 (日) 02:34 (UTC)[返信]

    > 携帯デバイスでの閲覧者が記事を読む仕方として、そもそも「「解説本文」と「脚注」を逐一往還しながら読む」ことが有力であるのか疑問なのに、影響力の大きい決定をしてまで対応する必要があるのかと言うことです。
    これまでの私が不便さを訴えていたのは携帯電話での閲覧の際に、本文を読み進めた流れで関連項目や外部リンクへ行く際に不要なスクロールを強いられるということであって、「「解説本文」と「脚注」を逐一往還しながら読む」ことに支障があるとは一度も述べていません。ただ、ウィキペディアはPCでの閲覧が基本であり、携帯電話での閲覧はあくまで補助的なものであるから、PCでの閲覧と同じ利便性を求めなくてもいいのではというのも一つの見解としてはわかります。ただ、携帯しか持っていない人の利便を考えることも考慮すべきという考えもできます。どちらが正しいかという話ではなく、ウィキペディアの利用者間で方向性を決める話ですね。
    > アクセシビリティを云々するなら、注の配置を問題にするのは優先順位が間違っていると思います。注の配置がどうであろうと、スクリーンリーダの処理には影響がありません。
    「すべての入出力装置をサポートしなければならないという意味ではないことに注意してください」という見解はあくまでW3CというWWW技術の標準化団体のものであって、ウィキペディアとしては参考にするとしても必ずしもそれと同じ見解を取らないといけないというわけではありません。
    > 関心があることがらだからこそ、どういう議論や提案が出てくるのかウォッチリストに入れて注視して、やってきたのです。それが自警(目を光らせて)扱いですか
    ”目を光らせる”というのは本来、悪い意味の言葉ではなく、私も少しも悪い意味で使っているつもりはありません。その言葉の後に「それなりの経験者が対応してくれる」という趣旨のことを書いているのですから、善意に取って下さるようお願いします。
    とりあえず、この議論はこれくらいでよいかと思います。--モトカル(会話) 2008年12月21日 (日) 04:24 (UTC)[返信]

    参考文献と推薦文献について(その1)

    #参考文献と脚注についてに関連する話題です。現状、参考文献の節には推薦文献ないし関連資料(英語版で言うところの "Further Reading")まで含めて記載するとなっていますが、これだと引用・執筆に利用した文献を特定することや記事の検証が難しくなるため不適当だと考えます。したがって、参考文献下に「推薦文献」節を設け、そちらに推薦文献は記載する、との内容を追加することを提案します。(なお、履歴を確認したところ、推薦文献も記載するとの文言が追加された際には特段議論された形跡がありません[4]。)--Kurz 2009年1月8日 (木) 08:54 (UTC)[返信]

    (賛成) 参考文献と推薦文献の分離案に賛成します。--Penn Station 2009年1月15日 (木) 11:21 (UTC)[返信]
    (賛成) Wikipediaで全てを記述出来る訳でもなく、百科事典より更に深い専門的な事に関しては推薦文献に任せるとして、大いに賛成です。参考文献と推薦文献は別物ですから。合わせて推薦文献の位置は外部リンクの直前が良いと考えます。--Namazu-tron 2009年1月15日 (木) 12:35 (UTC)[返信]
    ご意見ありがとうございます。位置としてはNamazu-tronさんと同じところでよいかと思います。文案としては、外部リンクの文と同様に、「その記事が解説する事物についてさらに詳しく知りたい読者に参考になる文献を、この節に箇条書き形式で記します。書誌情報の書き方は参考文献と同様です。」とする予定ですが、修正点があればお願いします。--Kurz 2009年1月16日 (金) 04:57 (UTC)[返信]
    分離については賛成ですが、参考文献の節だけを整理するのではなく、#参考文献と脚注についての2008年8月26日 (火) 14:07 (UTC) のコメントでも書いたように、脚注、関連項目、参考文献、外部リンクを、「出典となるもの」と「推薦文献/関連資料」とに大別し、それぞれを内部リンク(これは出典とはなりませんが)、外部リンク、文献に細分するのがよいのではないかと思います。--OiOiO 2009年1月16日 (金) 11:54 (UTC)[返信]
    そこまでやるとなると、かなり大がかりな変更になってしまいますね…。私としては、ステップ・バイ・ステップで、先ずはKurzさんの案からやってみる、というのがいいかと思っています。ちなみにOiOiOさん案の具体例を示してもらうことは可能でしょうか?--Penn Station 2009年1月16日 (金) 12:29 (UTC)[返信]
    「出典となるもの」にも、記事の特定の記載に関連するもの(=脚注)と、記事全体に関連するものがあって、脚注を細分化することはすぐには難しいと思うので、当面の現実的な案としては、例えば
    • 出典
      • 脚注
      • 外部リンク
      • 文献
    • 関連資料
      • 関連項目
      • 外部リンク
      • 文献
    のようなレイアウトが考えられるのではないかと思います(なお、各節の名称は仮のもので、検討の余地があると思います)。--OiOiO 2009年1月16日 (金) 13:09 (UTC)[返信]
    具体例の提示、ありがとうございます。上記「脚注」ですが、これは現在の「脚注」のうちの出典(References)のみで、注釈(Notes)は「出典」の外に別途設ける、ということですか?それとも出典と注釈を両方含む意図でしょうか?--Penn Station 2009年1月16日 (金) 14:18 (UTC)[返信]
    脚注を直ちに細分化することは困難ですので、当面は出典と注釈の両方を含まざるを得ないと思います。その点が問題になるのだとすれば、例えば、
    • 脚注
    • 出典
      • 外部リンク
      • 文献
    • 関連資料
      • 関連項目
      • 外部リンク
      • 文献
    のようなレイアウトも考えられるのではないかと思います。--OiOiO 2009年1月16日 (金) 14:33 (UTC)[返信]
    ありがとうございます。クリアになりました。「出典」の中に出典(References)以外の注釈(Notes)が入るのは好ましくないと思うので、そういう意味では上記案の方がいいですね。細分化は困難、とのことですが、出典と注釈の区別は明らかなので、その分離はそんなに難しくはないのでは、とは思いますが。
    いずれにせよ、方向性としては良いと思うのですが、上でも書いたように、いきなりここまで変えるのには少し躊躇します…。他の方のご意見を伺いたいと思います。--Penn Station 2009年1月16日 (金) 14:53 (UTC)[返信]
    脚注には<references />や{{Reflist}}などが使われているので、出典と注釈とを分けることは技術的に難しいのではないかと思います(ただし、私は技術的なことには詳しくないので、簡単にできることなのかもしれませんが)。
    また、上記の私の案について、私自身は、参考文献だけを細分化する案と比較して、「いきなりここまで」と言われるような大幅な変更だとは考えていません。むしろ、「出典となるもの」と「推薦文献/関連資料」との区別は、参考文献だけでなく外部リンクにもあるので、参考文献のみを先行して細分化するのはバランスを欠くのではないかと思います。--OiOiO 2009年1月16日 (金) 16:26 (UTC)[返信]
    en:Action potentialのように、NotesとReferencesを分けることは技術的に難しくはありません(<ref>と<references/>でgroup属性を指定します)。--Penn Station 2009年1月16日 (金) 16:52 (UTC)[返信]
    (インデント戻す)端的に言って、OiOiOさんの案には基本的な方向性としては賛成なのですが、改変が大きなものであるためにすぐには合意がまとまらないと考えられるので(実際、過去の例でもそうでした)、合意が得られそうな推薦文献の部分だけ先に提案したものです。Penn Station さんもおっしゃっているように、漸進的に進めた方がいいのではないでしょうか。--Kurz 2009年1月17日 (土) 00:26 (UTC)[返信]
    ちなみに、英語版(en:Wikipedia:Layout#Standard appendicesen:Wikipedia:Citing_sources#How_to_present_citations)の例では、次のようなレイアウトのようです:1. 著作 2. 関連項目 3. 脚注 4.参考文献 5. 推薦文献 6. 外部リンク。参考までに。--Kurz 2009年1月17日 (土) 00:33 (UTC)[返信]
    段階的に話を進めるのだとしても、「参考文献」だけを整理するのではなく、「外部リンク」も含めて、
    • 脚注
    • 参考文献・外部リンク - 引用・執筆に利用した文献・外部リンクを記載
    • 関連資料
      • 関連項目 - さらに詳しく知りたい読者に参考になるWikipediaの記事を記載
      • 外部リンク - さらに詳しく知りたい読者に参考になる外部リンクを記載
      • 推薦文献 - さらに詳しく知りたい読者に参考になる文献を記載
    のように整理するか、または、階層をなくして、
    • 脚注
    • 参考文献・外部リンク - 引用・執筆に利用した文献・外部リンクを記載
    • 関連項目 - さらに詳しく知りたい読者に参考になるWikipediaの記事を記載
    • 外部リンク - さらに詳しく知りたい読者に参考になる外部リンクを記載
    • 推薦文献 - さらに詳しく知りたい読者に参考になる文献を記載
    のように整理する案はいかがでしょうか。--OiOiO 2009年1月17日 (土) 02:18 (UTC)[返信]

    (インデント戻し) Kurz 2009年1月17日 (土) 00:33 (UTC)の言う通り、この節題に関してのみまず進めるべきでしょう。 OiOiOさんの下記の提案には判らない点があります。[返信]

    • 出典
      • 外部リンク
      • 文献
    • 関連資料
      • 関連項目
      • 外部リンク
      • 文献


    ですが、 脚注---脚注は文字通り「足もと」即ち、これより下部にある注釈であり本文に現れた順の結果としての出典の一覧です。出典には外部のTemplate:Cite webなどであり、またネットに示されない蔵書や文献です。従い提案の出典をさらに階層構造として外部リンクと文献に分けるのはの矛盾がありと思われます。

    また、資料とは別途役立つ、資するもの資料としての意味合いがあります。Wikipediaにおける関連項目とは関連する記事とも読み替えられ、これはあくまで参考となる、See Alsoが日本語版で「関連項目」と訳され、見ておいた方が良いですよと参照を奨める別の記事として扱われています。Wikipediaでは他の言語版の記事や同一言語版の中の記事(項目)は出典として扱われません。読者に資するものであっても、記事として「資する」ものではない、とされています。従い、関連項目を関連資料の範疇には入れられないし、事実、現存する記事(または別称、項目)を羅列しているものです。Wikipediaを離れて、一般論で言えば、関連項目は関連資料の範疇に入るかもしれませんが、ここWikipediaではあくまで関連項目とはWikipedia内に現存する(赤の内部リンクもまま、ありますが)記事を「関連項目やSee Also」と呼んでいるものです。 記事の中に関連項目の節が1箇所だけであるとして、関連資料の下部階層として置けば、この「関連項目」と名付けられた節の根本や基本を揺るがす大問題化します。関連項目とはWikipedia内だけに通用する意味合いを持たせたものとして定義されているものなのです。 従い、


    • 関連項目 (または脚注の節)
    • 脚注の節 出典 (または関連項目の節) (尚、関連項目の節と脚注の節の順番はあえて過日の提案として並べましたが、現状の指針はこれが前後した順です)
      • 外部リンク
      • 文献>
    • 関連資料
      • ** 関連項目>
      • 外部リンク-----本文では全く触れて居ないが資するWebサイト
    • 参考推薦文献-----本文では全く触れて居ないが、資する蔵書・文献で且つネットでは示されないもの
    • 外部リンク-----本文では全く触れて居ないが資するWebサイト
      • 文献-----本文では全く触れて居ないが、資する蔵書・文献で且つネットでは示されないもの

    となるべきでしょう。つまり、Kurzさんの提案そのものです。--Namazu-tron 2009年1月17日 (土) 01:44 (UTC)[返信]

    尚、「group属性」を使ったNoteや注意は脚注を出典と注意に分けたものであって、読者への利便を考慮した分け方として有っても良い案であり、あくまで個々の記事内で採用するかしないかであり、指針のとしてはオプションとして2分も可能とする程度が良いと考えます。指針が強制力を持つ持たないを離れても、オプションが望ましい。--Namazu-tron 2009年1月17日 (土) 01:57 (UTC)[返信]

    関連項目、脚注、外部リンク、参考文献の4者のみでかつ4個の節を同一インデデントな並ぶものと修正しました。--Namazu-tron 2009年1月17日 (土) 02:15 (UTC) 16日の発言に合わせ、参考文献は外部リンクの前に置き換え。混乱しました、ご容赦乞う。--Namazu-tron 2009年1月17日 (土) 02:21 (UTC)[返信]

    Kurzさんへのコメントの形で修正案を提示させていただきましたので、そちらをご覧ください。--OiOiO 2009年1月17日 (土) 02:18 (UTC)[返信]
    レイアウトについては絶対の基準がない以上、意見百出となるため、結果として意見がまとまらないだろうと思います。一方、参考文献と推薦文献の混合は、検証可能性の面から問題がありますので、早めに対処する必要があります。できれば、当座は論点をそこのみに絞っていただけないでしょうか。ぜひともよろしくお願いします。--Kurz 2009年1月17日 (土) 02:32 (UTC)[返信]
    私からもお願いします。今回は参考文献と推薦文献の分離案にフォーカスしましょう。--Penn Station 2009年1月17日 (土) 02:40 (UTC)[返信]
    当方からも、参考文献と推薦文献の分離案のみとしましょう。--Namazu-tron 2009年1月17日 (土) 02:57 (UTC)[返信]

    「注釈であり」を「注釈は」に訂正--Namazu-tron 2009年1月18日 (日) 04:33 (UTC)[返信]

    外部リンクにも同様の問題があると考えますし、参考文献と同時に外部リンクも同様に分離することにそれほどの困難性はないのではないかと思います。外部リンクの分離に問題があるのでしたら、問題点を具体的に指摘していただけないでしょうか。--OiOiO 2009年1月17日 (土) 03:00 (UTC)[返信]
    なお、英語版のen:Wikipedia:Citing_sources#How_to_present_citationsで例に挙げられているen:Starship Troopersの"references"のセクションでも、文献と外部リンクが混在して記載されています。英語版との整合性の観点からも、「参考文献」という節を設けて引用・執筆に利用した文献だけを記載するのではなく、「参考文献・外部リンク」などの節にして、文献と外部リンクの両方を記載できるようにした方がよいのではないかと思います。--OiOiO 2009年1月17日 (土) 03:07 (UTC)[返信]
    現在、慣例として参考文献や脚注の欄に外部リンクが書かれる場合がしばしば見られますので、その心配はいらないのではないでしょうか。--Kurz 2009年1月17日 (土) 03:14 (UTC)[返信]
    これまでは問題がなかったかもしれませんが、新たに「推薦文献」の節を設けて「文献」のみを記載することにすると、同じ「文献」という語を含む節であっても、「参考文献」の節には慣例で文献も外部リンクも書いてよい一方、「推薦文献」の節には文献のみを書くことになるので、混乱を招くのではないかと思います。新たに「推薦文献」の節を設けるのであれば、現在の「参考文献」の節の名称を例えば「参考文献・外部リンク」や「参考資料」などに変更するとともに、この節が引用・執筆に利用した文献及び外部リンクを記載する節であることをレイアウトの指針の本文中で明確に説明すべきと考えます。--OiOiO 2009年1月17日 (土) 03:29 (UTC) (一部修正--OiOiO 2009年1月17日 (土) 03:30 (UTC)[返信]
    (コメント) 慣例をそう簡単には変えられないのです。上で申し上げたように、そのように影響範囲が大きい変更であり、かつ絶対的な基準がないものは議論が百出しますので、議論をまとめるのは大変なことです。実際、この話は上で読んだ限りでは2006年からたびたび問題になっているのですが、他の論点とごっちゃに論じられており、そちらがまとまらなかったために現状のままなのです。そして問題は続いています。訳語ひとつとっても、英語と日本語では用語がかなり違い定訳がないために意見は分かれます。ですから、可能な限り慣例を尊重しつつ、必要最小限かつ喫緊の課題のみに話をしぼって提案しているのです。その後でしたら、OiOiOさんのおっしゃるような修正についても考えます。ですから、段階的に事を進めるわけにはいかないのでしょうか。どうか切にお願いいたします。--Kurz 2009年1月17日 (土) 03:48 (UTC)[返信]
    段階的に進めることが必要であることは理解できますが、その「段階」が中途半端であればかえって混乱を招きます。本件については、混乱を生じないように「外部リンク」の取り扱いまではひとまとめにして検討する必要があるのではないかと思います。これまでのところ、議論がまとまらないのではないかという指摘以外に、当方の提案について具体的な問題や反対意見は示されていません。問題がないのであれば、まず、当方の案で進めてみて、もし、議論が百出してまとまらなくなった場合に、次善の策として「参考文献」のみの整理を検討すればよいのではないでしょうか。--OiOiO 2009年1月17日 (土) 04:06 (UTC)[返信]
    (コメント)--OiOiO さんはKurzさんの提案した節に相乗りの別件提案ではなく、独自に熟考して新たな節を設けて新たな提案とするべきです。その新たな節で議論進めば良いと考えます。--Namazu-tron 2009年1月17日 (土) 04:00 (UTC)[返信]
    両者は同じセクションを対象とする提案ですので、別の節で検討するとかえって混乱を招くのではないかと思います。--OiOiO 2009年1月17日 (土) 04:06 (UTC)[返信]
    (コメント)あくまでKurzさんの最初の提案の骨子、すなわち「further readingsがある場合は、それを通常のreferences (citations) と同じ場所に書く、という旨の現在の記述を改めるべき」という点についてのみ、賛意を示します。
    OiOiOさんの提案についてですが、出典を外部リンクと書誌とに分ける必要性は薄いというか、少なくとも学術分野での文献記載方式について私の知る限りでは、そういった出典の媒体ごとに分類して記載をしているケースの方が少なく、初出順か、筆頭著者名によるインデクスを優先していることの方が多いと考えますが、いかがでしょうか? Further readingsの中身についても同様で、内部でさらに小節分けする必要性は薄いかと。もちろんFurther readingsの中の並び順については初出順を気にする必要がないので、外部リンクと書誌とでそれぞれ一塊に並べた方がいいとは思いますが、そんな細かい部分に関してまで、この場で決定する必要はないと考えます。現在は、外部リンクやFurther readingsの節を設けるかどうかも含めて、参考になる外部リンクとFurther readingsを統合すべきかどうかなども、個々の記事の主力な執筆者が任意に決定してよい、というスタンスであり、少なくとも当面の間は、このスタンスを持続させていくことの方が、執筆過程をスムーズに進める上では有用だと思います。
    それから「推薦文献」という名前を使うことがいつの間にか決まってるものとして話が進んでるようですが……この点については指摘しておくとともに、なし崩し的に決められることについては、強い懸念を表明しておきます。これまでもFurther readingsにそういう定訳がないからこそ混乱の元であったし、先人もさんざん苦労してきた部分なので。個人的には、使用頻度的には推薦文献よりは、まだ「推奨文献」の方が上じゃないかと思うし、その推奨文献ですらコンセンサスが得られるかどうか、怪しいと考えてます。過去の議論ではFurther readingsを「参考文献」、referencesを「参照文献、引用文献」としていた人も確かいたと思います。この辺りの用語の使い分けについて、もし「この場で決める」というのであれば、多くの分野の執筆者を集めた上で投票でもしておかないと、後々トラブルの元になりかねないと思います。個人的には、そういうヤヤコしい議論まで、ここで詰めようとすると、まとまる話もまとまらないので、とりあえずその辺りについては、節名をいくつか並記(「関連資料、推奨文献、推薦文献」)する、という形で進行させ、Kurzさんの骨子だけに絞って決めていく方がいいんじゃないかと思いますけど。
    それからNamazu-tronさんの発言についてですが、とりあえず「脚注=出典の記載に用いる」という、画一的で浅い考え方は、改めて下さるようお願いします(何か、前にも似たような指摘をした覚えがありますが)。そこらへんの基本的な文章の書き方について、きちんと理解した上で議論に参加していただかないと、何と言うか、困ります……どこもそうですが「実情」を判ってない人が方針を作ったときに、振り回されて困るのは他ならぬ当事者…ここではウィキペディアに参加する多く執筆者なのですから。--Y tambe 2009年1月17日 (土) 07:27 (UTC)[返信]
    Help:脚注に書かれる通り、参考文献や注釈であり、脚注節に飛びまた「^」で本文に戻れなければ困ります。その意味では参考文献も出典の範疇となります。当方は言うのは本文から飛び、「^」で戻れるもののみ、脚注節に置かれる様にするの意味です。違っていれば教示してください。--Namazu-tron 2009年1月26日 (月) 08:50 (UTC)[返信]
    Y tambeさんの意見(提案骨子だけに絞って決めていく)に賛成します。便宜的に「推薦文献」と言ってきましたが、実際の節名称は要検討だ思っていました。ただどうしても1つに決める必要はなく、今回の提案はそこが趣旨ではないと思いますので、Y tambeさんの仰るようにガイドライン文書ではいくつかの有力案を併記、でいいと思います。--Penn Station 2009年1月17日 (土) 07:47 (UTC)[返信]
    コメント おおよそご意見はうかがいました。私には本提案をまとめるに十分な知見は持ち合わせていませんので、あとはおまかせします。--Kurz 2009年1月17日 (土) 12:00 (UTC)[返信]
    私も、Y tambe さんがまとめられた内容であれば、Kurzさんの最初の提案の骨子には賛成ですし、進め方として、まず、骨子に絞って合意することにも賛成です。ただ、セクションの名称については、「ヤヤこしい議論」であっても、ある程度まではここで議論しておかないと、レイアウトの統一性が保たれず混乱を招くのではないかと思います(議論が収束しないようであれば、最終的にいくつかを併記することはありえると思います)。
    なお、まず骨子に絞って話を進めるという方向性には反するかもしれませんが、Y tambe さんがおっしゃっている「出典を外部リンクと書誌とに分ける」というのは私の当初の提案であって、現在はそのような主張をしているわけではないので、その点についてだけ説明させていただきます。私の現在の意見の趣旨は、「参考文献」のセクションに文献だけでなく外部リンクも記載されることを明確にする必要があるということであり、そのための具体的手段として、Kurzさんの提案をベースにした上で、(1) セクションの名称を「参考文献」ではなく、例えば「参考文献・外部リンク」や「参考資料」などに変更すること、及び、(2) レイアウトの指針の本文中で、このセクションに外部リンクも記載できることを明確に説明することを提案しています。--OiOiO 2009年1月17日 (土) 13:54 (UTC)[返信]
    意見が出なくなりましたね。仕方がありませんので、「参考文献」の節に、「なお、出典として利用しておらず、単にその項目に関連しているだけの文献については、出典と混同しないようにするため別の節に記載してください。」という注意書きを記載させていただきます。上の議論の経緯からいっても、ノートの他の議論からいっても、この点にはどなたも異論はないようですので。--Kurz 2009年1月26日 (月) 06:40 (UTC)[返信]
    出典と混同しないようにするため別の節に記載してください。」は「出典と混同しないようにするためこの節に記載してください」のような気がしますが?「その項目」とは記事全体ですか、節ですか。別の節ではなく具体的な節または節の例を示した方が良いでしょう。--Namazu-tron 2009年1月26日 (月) 09:06 (UTC)[返信]
    一方、参考文献の節に参考文献として掲載すると、それは記事全体をその文献を参考として記事を書いたとの意味合いになりますが、それは初版や版数が少ない場合に該当するでしょう。つまり、他の見解によって修正の編集や版を重ねると、全体を参考としたと言う当初のニュアンスから違ってきたり、個々の文に於いて矛盾を生じる場合も考えられます。従い、出来るだけ、骨子となる文は脚注節に落ちる出典としての参考文献にする事が必要だと考えられます。版を重ねても矛盾しないなにか良い方法はありますか。--Namazu-tron 2009年1月26日 (月) 09:37 (UTC)[返信]
    (1)参考文献節を Further Reading と Reference に分割するという案ですら合意が得られそうにありませんので、暫定的に「別の節」と記しました。もちろん合意が得られて、「この節」と言えるのならそれに越したことはありません。(2)文言に問題があるとお考えでしたら、修正案を教えていただければ助かります。(3)参考文献の扱いについては、おそらくレイアウトの指針で扱う範疇ではないでしょうね。私もそこまで論ずるに足る知識は持ち合わせていません。--Kurz 2009年1月28日 (水) 01:19 (UTC)[返信]

    (インデント戻し)2009年1月26日 (月) 08:50 (UTC) の書き込みに補足します。この節を現時点の最後まで見て気がつきました。上記の『Help:脚注に書かれる通り、参考文献や注釈であり脚注節に飛びまた「^」で本文に戻れなければ困ります』はHelp:脚注に書かれる通りですが、脚注における参考文献と呼んでいるものは英語版におけるFurher Redaingではなく、出典として「参考となる/参考としている文献」または「参照した文献」と解釈すべきと思います。脚注の節に落ちる文献ですからFurther Readingでは無いことは確かです。単に参考文献と呼ぶからFurther Readingと混同し易いのでしょう。 初めのこの節題の「参考文献と推薦文献について」Kurzさんの提案に従い、推薦文献節を設けるなら、

    • 脚注節-- 本文中の出典として、この節に飛び、また「^」で元の本文に戻れるもの。飛び、戻れる出典として「参考となる文献」または「参照した文献」ものも含む。但しこれを参考文献と呼ぶと次の参考文献節との紛らわしさを生ずる。
    • 参考文献節--記事の全体、または一部は参考文献としてその文献の記述が本文の記述に役立ったもの(編集に引用した引用元の文献)。
    • 推薦文献節--記事では取り上げていない、本文の記述に役立たせたものではないが、更に詳しく知りたい者が読むことを推薦する文献。
    • 外部リンク節--ネットで見ることが出来るサイト。文献と言う言葉は主に書籍を指し、英文版においてもFurther Readingを書籍に絞っています。つまり、ネットサイトと書籍を区別しています。(インターネットの発達によって、傾向として既に現れていますが、新聞の廃刊や雑誌の廃刊、書籍の発刊の極度な減少などが、将来更に著しくなれば、ネットサイトも書籍と同等の位置づけの「文献」と言われることとなるかもしれませんが。)--Namazu-tron 2009年1月28日 (水) 05:16 (UTC)[返信]

    赤字の「引用エラー <ref> tags exist, but no <references/> tag was found」が履歴で以前の数版見ても消えていません。判る方、消して下さい。お手数を掛けます。--Namazu-tron 2009年1月28日 (水) 09:16 (UTC)[返信]

    直しました。Namazu-tron 氏の過去の投稿を修正した形になっているので、文意が変わっていないかどうか確認をお願いします[5]。- NEON 2009年1月28日 (水) 10:45 (UTC)[返信]

    参考文献と推薦文献について(続きその2)

    まず、勝手ながら議論が長くなりそうなので節をその1とその2として編集し易くしました。議論はその1からから始っていますのでその1から読んで下さい。--Namazu-tron 2009年1月29日 (木) 01:28 (UTC)[返信]

    2009年1月17日 (土) 03:07 (UTC) のコメントで書いたとおり、英語版のen:Wikipedia:Citing_sources#How_to_present_citationsで例に挙げられているen:Starship Troopersの"references"のセクションでは、文献と外部リンクが混在して記載されています。英語版との整合性の観点からも、「参考文献」という節を設けて引用・執筆に利用した文献だけを記載するのではなく、「参考文献・外部リンク」などの節にして、文献と外部リンクの両方を記載できるようにした方がよいのではないかと思います。また、私の上記のコメントに対して、Kurzさんが 2009年1月17日 (土) 03:14 (UTC) に「現在、慣例として参考文献や脚注の欄に外部リンクが書かれる場合がしばしば見られますので、その心配はいらないのではないでしょうか。」と書いていらっしゃいますが、もしそのような慣例があるのだとすれば、少なくとも、今後、「参考文献」の節に外部リンクを記載することをこれまで通り認めるのか、また、もし認めないとすれば、記事の全体または一部の参考とした外部リンクはどの節に記載するのか、について検討し、指針の本文中で明示する必要は最低限あるのではないかと考えます。-- OiOiO 2009年1月28日 (水) 12:38 (UTC)[返信]

    :::en:Starship Troopersの"references"のセクションでは、文献と外部リンクが混在して記載されています。と仰いますが「混在」と言うより、Reference=文献節(多くはTemplate:Cite news/doc形式のTemplateを使ってはいるが)も外部リンク節も外部のサイトをリストアップしている「同じ形式」となっていると言うことですか?(NEONさんエラー除去感謝)--Namazu-tron 2009年1月28日 (水) 23:50 (UTC)<del> </del>による取消。--Namazu-tron 2009年1月29日 (木) 04:54 (UTC)[返信]

    日本語版Wikipedia:レイアウトの指針の参考文献の節の解説では「記事を書く際に引用・参照した文献を、この節に箇条書き形式で記します。」となっており、あくまで引用や参照したもので、ここまでは日本語版と英文版は同じです。日本語版「外部リンク」説の解説は外部のウェブサイトでと限定しています。一方、英文版の外部リンクの節には更にen:Wikipedia:LayoutのExternal linksでは「External links may be listed in the section "Further reading", instead of having a separate section specifically for external links.」と書かれ、外部リンク節を設けず、Further redaing(推薦文献)の節に外部のウェブサイトの一覧をmay beとして混在を認めています。繰り返しますが、しかしこれは日本語版の外部リンクの解説にはありません。幾つかの実例として「Kurzさんが 2009年1月17日 (土) 03:14 (UTC) に「現在、慣例として参考文献や脚注の欄に外部リンクが書かれる場合がしばしば見られます」はその通りです。大ざっぱに言って、日本語版はこのようにしなさいと指針として書かれ、肯定文の記述であり、英文版では更にこれは駄目と言う、べからず方針も並記されます。しばしばみられる事はこの様なべからずが書かれないことと、Further redaing(推薦文献)の節が無いことが一因と考えられます。但し、当方はこのべからずを日本語版に加筆する必要まではないと思います。英文版の指針は日本語版より具体的で有ると同時に、例外的手法もMay beなどとして、編集の自由度も認めていますが、日本語版では例外の手法は殆ど書かれていません。現在、日本語版では自由度は少なく例外も肯定されませんが、今のままで良いのではないかと思います。--Namazu-tron 2009年1月29日 (木) 14:57 (UTC)[返信]
    オフラインのFurther readingがどこにも書けません…。今の版の指針に従えば、参考文献節には書けませんし(「出典として利用しておらず、単にその記事に関連しているだけの文献については、出典と混同しないようにするために別の節に記載してください」)、外部リンクもウェブサイトと断言しているので、どちらにも書けません。解説本文に節を設けるという手もありますけど、できればオフラインのFurther readingを置く専用の節が欲しいところです。1から読んでみましたが、文献(bibliography)とウェブサイト(webcite)で節を分けるか、典拠(works cited)と非典拠資料(further reading)で節を分けるかで紛糾しているようですね。記述の検証をする読者の視点を考えると個人的には後者を推すところですが、現状はどちらでもありません。オフラインのFurther reading用の節を新設して後者にする(か、版を差し戻して前者に戻すか、どちらかの)処置が必要と思います。--Akaniji 2009年2月1日 (日) 10:38 (UTC)[返信]

    (インデント戻し)議論が停滞していますが、参考文献の節を設けるのに賛成です。Wikipedia:レイアウトの指針の初版は奇しくも丁度6年前の2003年2月2日で、この段階で参考文献の節に「記事の読者に推薦する書籍を箇条書き形式で書いてください」となっています。それ以来変わらず2009年1月17日 にこの件の提案者Kurzさんによって「推薦する文献」は除かれました。英文版のFurther reading節の記述を訳と日本語版化を勘案し下記の草案を示します。なお、推薦、推奨、推挙などの節題が候補でしょうが、この3者の中で推薦が一般的話、書きの両言葉で多用されると考え、推薦を推薦します。また( )内は省略できましょう。下記は草案ですから皆で練ってください。

    推薦文献(節、草案)読者にさらに読むことを推薦または推奨される印刷された文献(書籍、雑誌や新聞の記事、論文などの出版物)を列挙します。ただし、そのウィキペディア記事を書くにあたって情報源としていない文献であって、読者に記事の背景や詳しい情報を提供する文献のリストとします。記事を書くにあたって信頼できる情報源とした文献は参考文献の節や脚注欄納まるように挙げてください。(編集者はしばしば推薦文献の項目が少ないとして外部リンクの項目をまとめてこの参考文献節に列挙しますが)(通常)ウェブサイトやオンライン出版物と言われるものは外部リンクの節に記載します。また、記事において不必要な重複を避けるために記事の中の他の節に記載した文献はこの推薦文献に記載してはいけません。--Namazu-tron 2009年2月1日 (日) 10:59 (UTC)[返信]
    翻訳の便のため、原文へのリンクを置いておきます。--Akaniji 2009年2月1日 (日) 12:48 (UTC)[返信]
    ノートの上の方に行ってしまった書き込みから、大切そうな記述を抜粋しておきます。

    「推薦文献」という名前を使うことがいつの間にか決まってるものとして話が進んでるようですが(中略)これまでもFurther readingsにそういう定訳がないからこそ混乱の元であったし、先人もさんざん苦労してきた部分なので。(中略)過去の議論ではFurther readingsを「参考文献」、referencesを「参照文献、引用文献」としていた人も確かいたと思います。この辺りの用語の使い分けについて、もし「この場で決める」というのであれば、多くの分野の執筆者を集めた上で投票でもしておかないと、後々トラブルの元になりかねないと思います。個人的には、そういうヤヤコしい議論まで、ここで詰めようとすると、まとまる話もまとまらないので、とりあえずその辺りについては、節名をいくつか並記(「関連資料、推奨文献、推薦文献」)する、という形で進行させ、Kurzさんの骨子だけに絞って決めていく方がいいんじゃないかと思いますけど。 — 利用者:Y tambe会話 / 投稿記録 2009年1月17日 (土) 07:27 (UTC)

    Wikipedia‐ノート:レイアウトの指針#参考文献と推薦文献について(その1)
    ということですので、Further readingの翻訳には注意が必要です。節名の併記は、英語版の指針で脚注節名を "Notes, Footnotes, or References" と併記していることに倣うということだと思います。「どれを使ってもいいですよ」と。ともあれ、日本語版でもオフラインFurther readingを置く場であるFurther reading節を本指針に収載したいですね。--Akaniji 2009年2月1日 (日) 14:58 (UTC)[返信]

    えーとえーと。

    今の論点および、それに関係する、共有すべき情報などについて整理すると、

    ウィキペディアでは、外部のさまざまな情報を記事で触れる必要があるもに、触れたほうがよいと思われるものがある。それらは、おおむね以下のようなもの。

    • 引用のための出所明示や、検証可能性を満たすための情報源の明示。
    • 直接本文の内容に結びつかないが参考にしたもの
    • 読者にとって有益と思われる資料群、参考書など

    情報源については、慣習上分野ごとに書式が異なり、これらを統一させることは、現状考えない。注意しなければならない点として、本文や脚注で書誌情報を完全に示さないため、いわゆる文献リストを付ける必要がある書式も存在する。

    出所/情報源を示す上では、書式上の違いはあるが、その媒体を問わないで情報を記すことが一般化している。また、かならず脚注を用いるわけではない。たとえば項目全体に対応するような文献を情報源とする場合、脚注を用いないことのほうが適切な場合もある。

    脚注というのは、本文に置くことが適切でないものを書く場所として位置づけられる。その内容として、

    • 情報源を示す。つまり、引用ならば出所明示、ウィキペディア的には主に検証可能性を満たすための情報源の明示。
    • 文章の流れから本文に置くにはそぐわないものや、補足情報など。

    がある。

    執筆する上で、または読者のために示すような資料としては、書籍、定期刊行物、新聞、DVDなど「文献」以外の情報源、外部サイトなどがあり、情報源としては用いられないが読者に有益な参照先としてウィキペディア内の他の項目がある。

    読者のための情報と、執筆する上で参考にした情報源は、一致せず、また、包含関係にあるわけでもない。

    レイアウト上、現在は「脚注」「関連項目」「参考文献」「外部リンク」という区分がある。

    で、あれこれ考えてみたのですが、言葉をどう選ぶかというところを後回しにしてよいなら、
    • 本項目に関連する情報・資料
      • 文献(*1)
      • 関連項目
      • 外部リンク
    • 脚注と情報源
      • 脚注
      • 全体的な情報源、採用されたスタイルによっては文献リスト
    というのが、いまのところ、よさそうな気がします。これまでの順序と変わってしまうところもありますが。*1については、基本文献、代表的な教科書、研究史や教育史的に重要な文献、あるいは、比較的容易に知りうる関連文献リストなど、かなり広く運用できる/されるものとなりそうです。ある文献が、基本文献と言えるかどうかといったことについては、宣伝かどうかというような話も含めて論争になりえると思いますから、検証可能な情報源があることが好ましく、ただし、これをきちんと満たして書くことはかなり難しいと思われます。また、この部分での情報源を示す必要性から、脚注と情報源を、これよりも後におく必要が生じると考えます。研究史・教育史というようなところで書けるならば、これについては、本文中に組み込むことが望ましいでしょう。関連文献リストは、どこかの書籍にある参考文献リストや図書館や論文検索などの結果が持ち込まれることを想定しています(そういう編集がされているのも見たことがあります)。この種のリストは、分量が多くなることになりますし、百科事典的ではないようにも思いますが、けっこう有益だったりはするので、ノートのサブページに置いてリンクさせるとか、適当な解決が必要かもしれません。脚注がない場合は、情報源だけでもよいでしょう。
    参照した文献リストと、参考になる文献リストを分離することは重要だと思う一方で、これではウィキペディア独自のスタイルを作ることにもなりますから、丁寧に合意をはかる必要があると思います。いかがなものでしょう。--Ks aka 98 2009年2月2日 (月) 08:43 (UTC)[返信]
    まずは「参考文献」節を以前のbibliographyから現行のreferences (works cited) にすることについて、合意をはかるべきだ、ということですか?--Akaniji 2009年2月3日 (火) 13:52 (UTC)[返信]
    えーと、そうじゃないと思います。わかりにくかったらすみません。これまで「参考文献」節がreferences とFurther readingの間で混乱していたという認識のもと、「Works Cited であれ Bibliography であれ執筆者がなした記述に対応するものとして提示するもの」と、「読者のために用意する Further reading 」を分離しましょう、言い換えれば、「参考にした文献」と、「参考になる文献」の区別をしましょう、ということです。Works Cited と Bibliography を、どう扱うかは、執筆者に委ねられるでしょう。そして、その区別をするならば、派生的に、それぞれの節の順番を入れ替えたほうがいいだろうと考えます。こうした、構造全体を変更するものとしての提案です。--Ks aka 98 2009年2月3日 (火) 14:16 (UTC)[返信]
    情報源や出典や文献に区別をつけましょう、ということをまず合意しましょうという提案ですね。区別をつけることには賛成します。節の呼び方と節の並べ方を考えるのはその合意の後にするということでしょうか。--Su-no-G 2009年2月3日 (火) 14:28 (UTC)[返信]
    Ks aka 98さんが行った分析について、2つの大別と5つの細別もそんなところでよろしいんじゃないでしょうか。--Su-no-G 2009年2月3日 (火) 15:22 (UTC)[返信]
    「参考にした文献」と「参考になる文献」を区別することに私は異議はありません。賛同します。--Akaniji 2009年2月3日 (火) 14:44 (UTC)[返信]
    「参考にしたもの」と「参考になるもの」とを区別することには賛成です。ただし、検討の対象は「文献」のみに限定せずに「外部リンク」も含めるべきと考えます。--OiOiO 2009年2月3日 (火) 15:10 (UTC)[返信]
    外部リンク節を紙資料も含めたfurther reading節にしてしまうのが、一番手っ取り早いんですけどね。…と、この話を出すのは少し性急でしたね。まずは「参考にした資料」と「参考になる資料」を区別することの合意形成を目指しましょうか。--Akaniji 2009年2月3日 (火) 15:25 (UTC)[返信]

    提案者としてフォローしておきます。外部リンクの扱いは、今のところ「現状維持」に近づけようという意識です。他言語版との調和など、別の論点も入り込むと思いますので。どういう表現にするか、というのは、後回し。実質的に、こうすべき、というほどの合意が求められているわけではないと思いますので、分かるように書いてくれればよいよ、ということをガイドライン的にどういう風に表現するか、というところを探ることになるかと予想しています。ここでは、この順序、分離について、各分野の執筆者が、普段の書式から違和感を覚えないか、実際的な不都合はないか、というところの判断をお願いしたいと思っています。--Ks aka 98 2009年2月3日 (火) 17:41 (UTC)[返信]

    区別を付けましょう、という点については賛成です。並び順と分類についても、まぁいいんじゃかなぁという気もしますが、その提案中での「脚注」の解釈の仕方によりますね…現行文書での解釈のままの「脚注」を使うと、「注釈 Notes」の書き場所がなくなりますから(…って、現行文書にも元々ないのか!) 「脚注(特に組版用語としての)Footnotes (実質はEndnotesかも?)」と「注釈 Notes」、それにウィキペディア上の「脚注機能」(そもそもこれが「Help:脚注機能(ないし参照機能)」じゃなくて「Help:脚注」になってるのも混乱の一因じゃないかとおもうのだけど、まぁそれはまた別の問題ということで)の扱いで議論上のすれ違いが起こらないように、この部分については、議論の際に自分が意図しているものがどれかを各々明示しながら、議論していった方がいいんじゃないかと思いますので。多分、その辺りKs aka 98さんは認識しておいでだと思うのだけど、一応確認までに指摘しておきます。--Y tambe 2009年2月4日 (水) 09:39 (UTC)[返信]
    あっと、それともう一点確認。チンドン屋のようなリファレンススタイル(脚注→参考文献)を取る場合、もしFurther readingsに当たる書誌情報がある場合、それを脚注の前に置くのと、参考文献に混ぜてしまう(つまり本文中や脚注からの参照がない書誌情報が混じる)のでは、どちらのスタイルが一般的でしょうか? 個人的には、このスタイルでは個々の文章の出典を明示する役割は脚注が担っているので、参考文献節が広義に、referencesとfurther readingsの両者を含んでても問題がない(誤解を生じない)ように思うのですが。なので、もし混ぜる方式であっても、各専門分野ですでに一般的なのならば、妨げる必要はないのではないかと思いました。ただ、この手の脚注出典方式は、自然科学系の文書では現在はあまり見ないスタイルなので。実際の用例として、各専門分野(特に人文・社会科学系)でどうなっているのか、ご存知であれば教えていただきたく。--Y tambe 2009年2月4日 (水) 09:55 (UTC)[返信]
    んー、やはり性急だったようですね、すみません。外部リンク節に紙資料を書く、というより、外部リンク節の位置にFurther reading節(=外部リンク+紙Further reading)を置きたいな、という主旨で申し上げました。こういう書き方も認めてもらいたくて、Further reading節の創設(英語版からの翻訳)に同調したわけです。
    Further readingsに当たる書誌情報がある場合ですが、付録Appendixとして末尾に置くのが一般的な方法のひとつだと思います(手元の資料:ISBN 978-4-431-70930-5より)。
    チンドン屋、拝見しました。脚注での典拠の充実ぶりが圧巻ですね。ただ、参考文献節にreferencesが混在して、特定の記述を指定せずに「項目全体に~を参照した」としているのは、著作権的にあやういのではないかという印象を受けました。挙げている資料が多いので抵触することはないと思いますが、引用の条件である「主従関係」が頭の片隅に浮かびました。脚注節で典拠を示す形式をとるのであれば、参考にした文献は脚注節のみに置き、参考文献節には参考になる文献のみ置く方がよいと思います。こういうことが起きないよう、「参考とした文献」と「参考になる文献」は明確に区別し、「参考とした文献」は面倒でも全て脚注などで本文からリンクを張ること、と本指針に明記した方がいいと思います(Template:参照方法)。--Akaniji 2009年2月4日 (水) 15:45 (UTC)[返信]

    Y tambeさん

    • 「脚注」は、上で多少説明しているつもりだったのですが、ひとまずは、脚部の注(組版的な意味)で、用途としては出典を示すものとしても、注記(Note)としても使いうるということで考えます。ああ、この文書としては、「Wikipedia:脚注」へのリンクとするのがよいのかも(文書を書くところからはじめないといけませんが)。
    • 文献をリストにするスタイルだと、本文中で触れたものに限るというものが多いという印象です。シカゴスタイルは、けっこう幅広くて、脚註+参考文献というのと、括弧註+引用文献一覧というのと、二つに対応させているのです。今はオンラインで読めないので、この「参考文献」が、本文で触れていないものまで含めるかどうかを確認できていません。シカゴが一番合理的と話していた指導教官は、観たもの全部挙げろ的なことを話されていたと記憶するのですが、最後のところで体調を崩されてしまって細かい詰めはできずじまいでした。社会学だと、日本では「社会学評論スタイルガイド」というのがあって、これは脚注は注釈のみ、引用文献は、本文に(1)などとして、本文で扱ったもののみ文献リストを付けるというものです。
    • 実際面でも、参照していなくてもfurther readingsに書くのが妥当な文献というのはあると思いますし、読んでほしい文献が、執筆者が参照した文献にまぎれこむと、それを選び出す能力を閲覧者に求めることになってしまうかなと思うのです。伝わるかどうかわからないですが、手元にあるランダウ=リフシッツとJJサクライで量子力学の項目を書いて、でもfurther readingには、ディラックの(一昔前の)定番教科書は挙げておかないと、とか。

    Akanijiさん

    • Wikipedia:引用のガイドライン/草案の履歴を参照してみておくんなまし。多少補足すると、著作権上、類似の程度にもよりますが citationは著作権法上は権利侵害になることはなく、Quotationについては必要。citationの場合は、剽窃にならないように、出典を書くということになります。いずれにしても、脚注である程度本文との対応関係を示して、特定できる形で書名などを挙げ、文献リストに書誌情報を置く分には問題にはならないでしょう。これがQuotationだったら、チンドン屋の記述はいわゆる明瞭区分性から要件を満たさなくなる、かな。脚注で簡略化した書誌を載せて文献リストへというのはシカゴスタイルのうちのひとつですし、より情報が少ない、本文や脚注で(ほげほげ1993)などと略記して文献リストで書誌情報というスタイルは、それほど珍しくないです。
    • 「外部リンク節の位置にFurther reading節(=外部リンク+紙Further reading)を置きたい」というのは、同じ節に置きたいのか、レイアウト上現在の外部リンクが置かれている最下部に置きたいのか、というところが、ちょっと読み取れませんでした。Further readingsに当たる書誌情報を付録Appendixとして扱って、末尾に置くというのは、ひとつの書式だと思います。現在、Further readingsとして位置づけられるであろう外部リンクなどが脚注節の後にあるのは、それに倣っているのだろうとも思います。ウィキペディアの特性から、その文献をFurther readingsとして挙げるべきかどうかという議論が生じたときに、挙げるべきという根拠を示すために脚注の前に置く必要があるのではないかというふうに考えての提案です。

    「チンドン屋」の参考文献節は、意識としては「執筆の上で参考にした文献」で、ちょっと悩んだ結果、本文で触れていないものも含めています。(広義の)ビブリオグラフィ。further readingsに相当するものは、研究史も兼ねて「主な文献、資料など」で書いたというつもり。

    ちょっと引っかかりを覚えたのですが、further readingsの位置づけを、論文作法はあまりちゃんと承知していないので、ぼくが共有していないのかもしれません。百科事典読者のための、さらなる参考になる文献という意味合いで理解していますが、お二人の意見を読んでいると、「cf. 」みたいな意味合いに近いのかなとも思います。ぼくが、further readingsの場所については、論文のスタイルからは、それほど強い制約は受けないだろうと思い込んでいるのかもしれません。--Ks aka 98 2009年2月4日 (水) 20:02 (UTC)[返信]

    あちらのノートを読みました。著作権が云々されるのはquoteした時であって、citeした時は権利侵害云々はされないということですね。剽窃のあたりに少しまだしこりが残る気はしますが、そこはここでの話し合いにあまり益はないのでこれ以上言及しないようにしたいと思います。ハーバード方式は便利ですよね。私もウィキペディアの執筆にあたって、よく{{Harv}}を使います。
    外部リンク節の件については、両方でした。でも、Ks aka 98さんの書き込みを読むうち、別に同じ節に置かなくてもいいし、必ずしも末尾である必要もないな、と思いました。
    Further reading節はおっしゃるとおり、定番書を紹介するところだと思います。先にあげた書籍でも定番書を挙げていました。ついでに、「定番書」はfurther readingの訳語候補として挙げたいと思います。
    あとこの話題、議論が少し発散しやすいので、会議室のホワイトボード的な、To doリストなどあるといいかもしれません。--Akaniji 2009年2月5日 (木) 13:59 (UTC)[返信]

    差し戻しについて

    Namazu-tron さんが Wikipedia:レイアウトの指針 中で「参考文献」「参照した文献」という言葉の「参考」「参照」という部分に大辞林へのリンクを貼り、「引用」を内部リンク化した 2009年2月1日 (日) 23:39 (UTC) の編集[6]を差し戻しました。後二者はともかく、「参考文献」の「参考」にだけリンクを貼る行為は、「参考文献」という言葉への意味づけを巡って議論が続いているさなかの編集としては無神経に過ぎます。「参考文献」という言葉が辞書でどのように説明されているかを本ノートで紹介されるのでしたら議論の材料として有意義でしょうから、それはぜひ行って下さい。--Su-no-G 2009年2月2日 (月) 04:57 (UTC)[返信]

    引用、参考、参照はそれぞれ違う意味でこれを明確にしたものです。細部編集として文意か変えていないためノート議論不要と思ったものです。このリバートが受けますが、客観的、一般的意味合いは百科事典とて同じであると考えます。引用は内部リンクあるが、他の2語は無かったためです。言葉の意味合いと使い方が違っていてたり、誤解をもたらすなら指針となり得ません。方法は別に有ってもいいですが、何らかの形で3語または~文献の意味合いを謳う、または峻別できる文言の必要ありと思います。または、3者の言葉は誰しも正しく理解しているとして、その事には触れないのいずれかです。引用は一部の転記です。参照は2者を照らし合わせる意味で、文献が1者でもう一つの1者は何かと考えると思い当たりません。参考は文献を見て編集者が理解し、考え自分なりの文言を書くことも意味します。指針として現状の用語としての「参考+文献=参考文献」は編集者にとって最適であり、かつ適切、問題を起こす可能性が少ない表現と考えます。これは変える必要は無いでしょう。再確認の意味で3者の意味合いは以下の通りです。引用参考参照--Namazu-tron 2009年2月2日 (月) 12:35 (UTC)[返信]
    「参考」を明確にしても「参考+文献=参考文献」と定義しても、それだけでは「参考文献」は明確になりません。明確さに欠けますので最適ではありえません。Ks aka 98 さんの交通整理の邪魔になるといけないのでこれで止めましょう。このコメントにご返事は無用です。--Su-no-G 2009年2月2日 (月) 13:18 (UTC)[返信]

    Further reading節

    先日の改定で、参考文献節が出典のみである旨が強調されました。 このため、紙のfurther readingを書く場所がなくなってしまいました。 そこで、次のような使い方を想定し、Further reading節をen:Wikipedia:Layout#Further readingから導入したいと思います。

    == 本文 ==
    引用した文章<ref>{{Citation}}</ref>。
    注釈の必要な文章{{ref}}。
    
    == Further reading ==
    ; 書名<ref>{{Citation}}</ref>
    : 紹介文。
    ; サイト名<ref>{{Citation}}</ref>
    : 紹介文。
    
    == 脚注 ==
    # {{Note}}注釈文。
    
    == 参考文献 ==
    {{Reflist}}
    

    Further readingの訳語など、アドバイスをいただけますと幸いです。--Akaniji 2009年2月8日 (日) 03:38 (UTC)[返信]

    訳語ですが、「関連図書」あたりでどうでしょうか。 -- NiKe 2009年2月8日 (日) 03:46 (UTC)[返信]

    いちお注釈と誘導を本文のほうに付けておきました。--Ks aka 98 2009年2月8日 (日) 07:01 (UTC)[返信]

    おふたりともありがとうございます。コメント依頼をしましたので、もうすこしみなさんのご意見を伺いたいところです。--Akaniji 2009年2月8日 (日) 13:53 (UTC)[返信]

    いまさらなのかも知れませんが素朴な疑問。further readingの品質は何によって保証されるのでしょう。その記事の主題をもっと知りたいという読者のために紹介するモノである以上、内容がしっかりしたもの・かつ・ある程度の難易度のものである、という品質が必要なように思われるのですが。勘違いでしたらご指摘ください。--ikedat76 2009年2月8日 (日) 14:03 (UTC)[返信]
    Wikipedia:外部リンクの選び方#掲載してよい外部リンクに準じればよいかな、と思います。--Akaniji 2009年2月8日 (日) 14:26 (UTC)[返信]

    質問 横からすみません。Akanijiさんのご提案(使い方の想定)ですが、現状との違いという観点からは、以下と考えてよろしいでしょうか?

    • 脚注はNotes(注釈)のみにする
    • Further readingに外部リンクを統合(現状の「外部リンク」節は廃止?)
    • Further reading(外部リンク含む)にも<ref>, {{ref}}を付ける(or つけてよい?)
    • 参考文献(記事全体を対象とする出典情報)にReferences(個別の出典情報)を統合(現状の「脚注」節にあるReferencesは廃止?)

    最初に確認しておきたく、よろしくお願いします。--Penn Station 2009年2月9日 (月) 09:55 (UTC)[返信]

    現状との違いは、解説本文に置くしかなかった紙のfurther readingを、後方のFurther reading節に置く点です。外部リンク節など他の節の改廃は考えていません。脚注節に出典を書いてもいいと思います(出典の示し方としては最も簡単。<ref group="ほげほげ">や{{Ref}}、{{Note}}、{{Harv}}などは、執筆初心者には使い方が難解すぎる)。
    冒頭の想定はFurther reading節の使い方の一例ですので、下にもうひとつFurther reading節の使用例を示してみます。
    == 本文 ==
    引用文<ref>夏目漱石『吾輩は猫である』(ホトトギス社)より。</ref>。
    注釈を必要とする文<ref>注釈文。</ref>。
    
    == Further reading ==
    ; 福沢諭吉『学問のすすめ』
    : 紹介文
    
    == 脚注 ==
    {{Reflist}}
    
    == 外部リンク ==
    * [http://ja-two.iwiki.icu/ ウィキペディア]
    
    Further reading節には紙のfurther readingのみを書き、ウェブのfurther readingは外部リンク節に書き、脚注節に出典も注釈も書くスタイルです。
    私としては、紙のfurther readingを置く定型の場があればそれでいいと思っています。真正細菌でFurther readingとしてBergey's Manualを紹介するような使い方を考えています。コメントをいただきありがとうございます。引き続き、Further readingの訳語などアドバイスをお願いします。--Akaniji 2009年2月9日 (月) 15:38 (UTC)[返信]
    了解しました。ここでの提案は、純粋に、今回の改定で行き場のなくなったFurther readingのための節を設けましょう、ということであると理解しました(上の節で議論されているKs aka 98さんの提案とは関係はあるが独立した話ということですね)。分かりやすい例を示していただきありがとうございました。
    訳語ですが個人的には「推薦資料、推薦文献」(併記)くらいでどうかなと思います。Further readingには紙もWebサイトも両方あり得る、という前提だとすると、紙を連想させる「○○文献」や「○○図書」だけにする、というのは避けた方が良いように思います。--Penn Station 2009年2月9日 (月) 16:50 (UTC)[返信]
    Further readnigs の訳としては「(より) 進んだ読みもの」「(より) 詳しく知りたい人のために」といったものを見かけます。--Jms 2009年2月9日 (月) 22:56 (UTC)[返信]
    「詳しく知りたい人のために」はいいですね。私としてはFurther readingが本来意図しているものを掲載してもらえるように、「関連○○」のような比較的幅の広い意味で解釈される可能性のある見出しは避けた方が無難かな、と思っています。--Penn Station 2009年2月10日 (火) 02:43 (UTC)[返信]
    ご意見ありがとうございます。↓の引用部に収載します。--Akaniji 2009年2月10日 (火) 17:09 (UTC)[返信]
    そうですね、行き場のなくなったfurther readingのための節を設けましょう、ということです。参考までに、これまでに出た案を列挙しておきます。抜けがあったらごめんなさい、日付と一緒に補って下さい。
    • 読書案内(2006年2月27日)
    • 参考文献(2006年10月11日)
    • 推薦文献(2007年7月13日)
    • 推薦資料(2008年6月30日)
    • 関連資料(2008年6月30日)
    • 推薦読本(2008年12月11日)
    • 推奨文献(2009年1月17日)
    • 推薦資料、推薦文献(併記)(2009年2月9日)
    • (より) 進んだ読みもの(2009年2月9日)
    • (より) 詳しく知りたい人のために(2009年2月9日)
    — Wikipedia‐ノート:レイアウトの指針 (2009年2月10日 (火) 02:46 UTC)
    あと、ウェブで見つけたものを紹介します。
    • 補足資料
    — 東北大学大学院 固体地球物理学講座 (n.d.), 講義関連情報 2008, http://www.zisin.geophys.tohoku.ac.jp/lecture/lecture2008.html 2009年2月11日閲覧。 
    --Akaniji 2009年2月10日 (火) 17:09 (UTC)[返信]
    (コメント)んーと、まずFurther readingsを説明するところを作ろう、ということについては賛成します。ただし、上に挙げられた二つの例示には問題点があるので、そのまま採用するのには反対です。訳語の選択については、それも絡んでくるので、まずはそちらを解決した方がいいかなぁ、と。
    まず先に問題点の方を(問題が大きいと思う方から)指摘しておきます。一例目、二例目とも、Further readings節に「紹介文」を書くスタイルになっていますが、この点は議論なしに、なし崩し的に方針文書に導入してはならない部類の案件だと考えます。確かに、文書によってはそういうスタイルも採用することがありますが、それがウィキペディアで採用できるかどうかについては、少なくとも意見は分かれるでしょうし、ましてや方針文書に入れるとなると、後から問題点として挙げられ、揉めるだろうことは予想がつきますので、今の段階では外しておいていただいた方がよろしいかと。
    次に、これはややマイナーな指摘だとは思うけど、他の人から出ないとまずいので。二例目でやや具体的に挙げられている書誌情報だけでは書誌の特定が出来ません。書籍なら、少なくとも「著者、書籍名、出版社、出版年」(場合によっては始頁数)が必要かと。初心者向きにとっつきやすく、とは言っても、最低限の用を果たさない書き方を推奨しかねないので。本当を言うと、これも「書誌情報として『最低限』書くべきものは何と何か」ということについてはきちんとした議論が必要になるんだけど、それもまたここではオフトピックになりますのでやめときましょう。
    それから、これは問題点の指摘というよりは、考え方やスタンスの違いだと思いますが、個人的にはとりあえず二例目のスタイルの方については、一旦外して話を進めた方がいいんじゃないかと…というのは、Akanijiさんは別に上のKs aka 98さんの提案に反対されてるわけではないですよね? なのに外部リンクの書き位置が二例目の方では、そちらの提案のスタイルを踏襲してません。そういう「それまでの議論の流れを無にする」提案を、それまでの議論への反論なしにいきなり持ってくるというのは、議論の整理をややこしくしかねないので……。ただまぁ、私も二例目のスタイルで、外部リンクを最後に持ってくるというのは、そんなにおかしな構成だとは思わないのですが、それは「いくつかある、許容されるスタイルの一つ」という位置付けということにしておき、「この方針文書に」盛り込むかどうかとは別に議論すべき内容かな、と思います。あのスタイルも、このスタイルも、と欲張って詰め込むと、方針文書がわけのわからないものになっちゃいますから。方針文書の説明としては、そういったいくつもあるスタイルの中から「読んで理解しやすい説明が書けるもの」を一つ選んで書く方がいいかと。もちろん将来的には、そういった「許容されるスタイル」についての例示をどっかにまとめておけるといいと思います。(まぁ先にそういう例を全部挙げて、そのうちのどれを代表例として使うか決める、という議論のやり方もあると思いますが、それならそれで議論の進め方をどっちかに舵取りしとかないとまとまりませんから)
    で、訳語の選択についてですが、上のKs aka 98さんの提案をベースとして考えるかどうか(紙のFurther readingsの上位に、それをまとめた「参考資料」節があるかどうか)で、選択の幅が少し変わってきます(なので、このスタンスを明確にしておく必要があるわけなんですが)。「資料」や「読み物」、あるいは「詳しく知るには」という訳語は、書誌文献以外の、外部リンクや関連項目などについても当てはまる、やや意味の広い訳語になると思います。もし紙のFurther readings(つまり、外部リンクなどをふくめたいわゆる「参考資料」節内の小節)に限定して説明するのであれば、「文献」なり「書誌」なり「読本」なりを入れておく方が一意になるかな、とも思います……とりあえず、選択肢には「関連文献」も追加しておいた方がいいかな……が、ここも何をベースにするかで変わってくるということで。--Y tambe 2009年2月11日 (水) 00:08 (UTC)[返信]
    Akanijiさんの挙げていらっしゃる上記2つの例は、あくまでもこの場での例にすぎず、その例そのものを方針文書に導入されようとしている訳ではないと思いますが…。当初私も同じような疑問を持ったため上で質問させていただきましたが、Akanijiさんの回答を得てそのように理解しました。ただ、先ずはFurther reading節のレイアウトの観点からの位置付けが決まらないと、その名称を検討する前提が変わってくる、というご指摘はそのとおりだと思います。--Penn Station 2009年2月11日 (水) 01:20 (UTC)[返信]
    なるほど。私の読解不足でした。そういうことであれば、具体的な例示に対する私の指摘は的外れであったろうと思います。議論の整理のために、打ち消し線を入れました。悪しからずご了承ください。--Y tambe 2009年2月11日 (水) 01:42 (UTC)[返信]

    的確な指摘とフォローをありがとうございます。

    1. 一点目の指摘点について。懸念はしていたのですが、やはりそうですか。*による箇条書きにしましょうか。
    2. 二点目。書誌は省略しただけです。
    3. 三点目について。ごめんなさい。下に議論を復帰しますので、ご容赦ください。
    4. 四点目。訳語候補として「関連文献」をいただきました。ありがとうございます。
    5. 五点目。Further reading節のレイアウトの観点からの位置付けについてです。Ks aka 98さんの議論の流れを乱してしまったことを謝罪します。Ks aka 98さんの提案は次のようなものです。
    • 本項目に関連する情報・資料
      • 文献(*1)
      • 関連項目
      • 外部リンク
    • 脚注と情報源
      • 脚注
      • 全体的な情報源、採用されたスタイルによっては文献リスト
    — Ks aka 98 2009年2月2日 (月) 08:43 (UTC)

    ウィキペディアでの出典の示し方としては

    1. 著者名・発行年方式
    2. 引用順方式
    3. Documentary-Note方式(脚注・文献一覧方式)から文献一覧を省いたウィキペディアの方式

    の3方式が多く使われていますが、検証可能性が確保されるのであれば、どのスタイルも認めてよいと思います。著者名・発行年方式は{{Harv}}と{{Citation}}を参考文献節で使うことで、引用順方式は<ref group="注釈">か{{Ref}}、{{Note}}を参考文献節で使うことで(Help:脚注#参考文献リストと注釈リストを別置したいとき)、ウィキペディアの方式は脚注を脚注節で使うだけで実現できます。

    Ks aka 98さんの節の順序をハーバード方式、バンクーバー方式、脚注節のみ方式でそれぞれどのようになるか、具体例を作ってみました。

    ① 著者名・発行年方式

    == 本文 ==
    天は人の上に人をつくらず {{Harv|福沢|1872}} 。
    注釈の必要な文章<ref>注釈文。この中にさらに{{Harv}}を置くことも可。</ref>。
    
    == Further reading ==
    * 書名 {{Harv|夏目|1905}}<ref>further readingの注釈文</ref>
    
    == 関連項目 ==
    * 内部リンク
    
    == 外部リンク ==
    * 外部リンク
    
    == 脚注 ==
    {{Reflist}}
    
    == 参考文献 ==
    * {{Citation | last = 夏目 | first = 漱石 | year = 1905 | title = 吾輩は猫である}}
    * {{Citation | last = 福沢 | first = 諭吉 | year = 1872 | title = 学問のすゝめ}}
    

    ② 引用順方式

    == 本文 ==
    天は人の上に人をつくらず<ref>{{Citation | author = 福沢諭吉 | year = 1872 | title = 学問のすゝめ}}</ref>。
    注釈の必要な文章{{Ref}}。
    
    == Further reading ==
    * 書名<ref>{{Citation | author = 夏目漱石 | year = 1905 | title = 吾輩は猫である}}</ref>{{Ref}}
    
    == 関連項目 ==
    * 内部リンク
    
    == 外部リンク ==
    * 外部リンク
    
    == 脚注 ==
    # {{Note}}本文の注釈文。この中にさらに<ref>出典</ref>を書いても可。
    # {{Note}}Further readingの注釈文。
    
    == 参考文献 ==
    {{Reflist}}
    

    注釈文の中で出典を示す場合を考えて、<ref group="注釈">ではなく{{Ref}}{{Note}}を使いました。<ref>は二重には使えません。

    ③ Documentary-Note方式(脚注・文献一覧方式)から文献一覧を省いたウィキペディアの方式

    == 本文 ==
    天は人の上に人をつくらず<ref>{{Citation | author = 福沢諭吉 | year = 1872 | title = 学問のすゝめ}}</ref>。
    注釈の必要な文章<ref>注釈文。</ref>。
    
    == Further reading ==
    * 書名<ref>{{Citation | author = 夏目漱石 | year = 1905 | title = 吾輩は猫である}}(注釈文を含んでも可)</ref>
    
    == 関連項目 ==
    * 内部リンク
    
    == 外部リンク ==
    * 外部リンク
    
    == 脚注 ==
    <references />
    

    このように、どの引用スタイルでも、Ks aka 98さんの提案される節の順序で支障はないと思います。--Akaniji 2009年2月11日 (水) 05:19 (UTC)[返信]

    コメント 議論が続いていますが、ひとつ意見を。このような、「一定の範囲内ではどう決まっていてもさして変わりはないが、とにかくどれかに決まっていなければ困る事柄」はよくあることです(ゲーム理論では「調整問題状況」という)。たとえば、日本の交通ルールでは信号機は赤・黄・青と決まっていてこれには必然性は全くないのですが、これをルールとし皆で遵守することで利用者は安全に車を運転できるようになり、全員が利益を得ることになります。今回の件はそれに類する事柄でしょう。このような場合には、何か権威的なもの(例:ウィキペディアの管理者)の決定に従えばそれで皆が利益を得ることができます。そのような状況であることを踏まえて、議論を続けていただければと思います。--Kurz 2009年2月14日 (土) 02:20 (UTC)[返信]

    反対 1) Wikipedia:ウィキペディアは何ではないかを読んでください。Wikipediaはデータベース(一覧)を作るところではありません。そんなリストを作る暇があるなら、further readingが必要だと思う人は、further readingの本を読んで本文を充実すべきです。2) 私はあとで本文に利用しようと思っている本は、その記事のノートに書いています。本文に反映させる予定も無い本は、各人がAmazonのリストマニアでも作れば良いでしょう。--長島左近 2009年8月19日 (水) 06:14 (UTC)[返信]

    コメント Further reading は主題への一層の理解を促すためのものです。英語版などではある程度発達した記事に存在しますし(例:en:Bacteria)、通常の図書でも総説の末尾に存在することは普通です。ウィキペディアは何ではないかを引き合いに出して否定されるようなものでは無いと思います。- NEON 2009年8月19日 (水) 07:14 (UTC)[返信]
    コメント お返事ありがとうございます。1) 主題への一層の理解は、必要だと思った人がFurther reading して本文の充実で行えばよいと思います。通常の図書のように一旦出版されてしまったら発達できないものと違い、ウィキペディアは常に成長が可能ですから。2) 英語版では「ある程度発達した記事」でそのような事例があるとの事ですが、なぜ本文ではなくFurther reading というリストの加筆になるのか、納得できる理由をご説明いただけないと、何の正当性にもならないと思います。3) だいたいFurther readingへの追加は、どのような基準や根拠に基づいて選定されるのでしょう。出典(参考文献)の妥当性は、本文を読めば理解できますが、Further readingは検証可能性もない単なるリストにすぎません。これは「ウィキペディアは何ではないか」で戒められている類のことだと思います。データベース化したり、新刊の宣伝に使われるのがオチです。--長島左近 2009年8月19日 (水) 09:22 (UTC)[返信]
    コメント Wikipedia は百科事典として性質上、本文に書ける内容には限界があります。専門書ではないので執筆を手加減しなければなりません。実際、詳述されすぎて内容の削減が検討されている記事もあります(例:DDR3 SDRAM)。そのような場合に、より深い知識を望む少数の読者のために Further reading を設けるのは良い方法です。それが 1)、2)への回答になろうかと思います。
    3)については、信頼できる情報源に合致するものの中から執筆者が選ぶことになるでしょう。参考文献と同じです。「参考文献の妥当性は本文を読めば理解できる」という考えは、検証可能性の概念を真逆に用いているために誤りだと思います。Further reading でも参考文献でも、信頼性の調査には最終的に情報源の確認を要する点に違いはありません。しかし本文の記述に内容が反映されていない分、信頼性の予測が難しいという事にはなります(おそらくそれを懸念されているのだと思います)。
    書籍宣伝の場として利用される憂慮も確かにありますが、Further reading 節を設けていない現状でも日々書き込まれては人海戦術で消している状態[7]なので、そこはあまり心配しても仕方ない思っています。- NEON 2009年8月19日 (水) 10:16 (UTC)[返信]
    コメント 1) 「手加減しなければ」ならない内容とは、つまりウィキペディアのルールに反する為、掲載できない内容という事ですよね。中立的でない、検証可能性の無い、独自研究が記載されている書籍をリストに載せて、読者を誘導するのですか? 2) 「内容の削減が検討されている記事」の件ですが、内容を削減すればよいのです。または記事分割という手もあります。それが一般的です。3) 「検証可能性の概念を真逆」の件ですが同意できません。”明日、宇宙人が攻めてきて地球は滅亡する”のように明らかに間違った本文は、信頼性を予測するまでもなく、読めばすぐに参考文献ともども排除できます。本文はWikipedia:信頼できる情報源の確認と執筆者を監視する為の重要な情報源です。4)「人海戦術で消している状態」の件ですが、さらに余計な仕事を増やしても良いという事にはなりません。5) 「より深い知識を望む少数の読者」の件ですが、参考文献を入手すれば、巻末に掲載されているFurther readingのリストも入手できます。古い本であっても、著者が生きていれば、新しい本も出るでしょう。また代替手段も豊富です、学生なら教師に。一般人は図書館のリファレンスサービスを利用できます。より深い知識を望む人はウィキペディアで得た知識・キーワードを元に、プロフェッショナルに相談するのが最善の道だと思います。--長島左近 2009年8月20日 (木) 04:39 (UTC)[返信]
    • コメント たしかにルールでは、記事のデータベース化や宣伝加筆は望ましくない行為とされています。しかしそれが記事本来の発展にとって著しい障害にならない限り、放置しておけば充分でしょう。わざわざ多大な時間をかけてそれらに干渉するのは、努力の方向が間違っています。
    また上記にも指摘があるように、ウィキペディアは専門書でなく単なる百科事典なので、専門知識の体系的記述に多大な難があります。知的誠実さをもって記事執筆にあたる限り、詳細記述のどこかの段階で執筆に見切りをつけ、それ以上の詳細は専門書や外部専門サイトにゆずらざるを得ない場面にたびたび遭遇します。そうして出来上がった専門書や外部サイトのリストは、たとえ外観上「データベース」になろうとも、知識共有に必要な情報です。
    個別の記事に対する充分な理解や専門的判断能力を欠いたまま、主観的かつ形式的な判断で記事に干渉して回る行為は、結局のところ執筆者の記事離れを起こし、将来的な記事発展の大きな阻害要因となるでしょう。 --114.145.175.56 2009年8月26日 (水) 04:46 (UTC)[返信]
    コメント ご意見ありがとうございます。しかしながら1) 「知的誠実さをもって記事執筆にあたる限り」、ルール違反してよいことにはなりません。2) そもそも「記事本来の発展にとって著しい障害に」なるから、Wikipedia:ウィキペディアは何ではないかという非常に基本的なルールで、データベース化や宣伝加筆を禁じているのだと思います。それを勝手な判断で軽視・無視して、情報共有の大義名分の下、好き勝手なことをしたいというのは大きな誤りです。3) 「ゆずらざるを得ない場面に」遭遇したら、内容削減や記事分割で対応するべきです。更にはウィキペディア以外の教師や図書館のレファレンスサービスを利用すべきです。他に手段があるのに、なぜルールを破らなければならないのでしょうか? 4) ルールを遵守できない「執筆者の記事離れ」はむしろ大歓迎です。管理の手間が省かれたほうが、より有益な仕事に没頭できます。--長島左近 2009年8月26日 (水) 08:29 (UTC)[返信]
    長島様の投稿履歴を拝見致しました。率直に申し上げて、長島様はこれまで"Further reading"が必要となるような複雑で専門的な記事の執筆を経験されていないように拝見します。
    ウィキペディアには実に様々なレベルの人々が共存しています。中には、非常に長い経験と高度な教養と、そして何より教育への情熱を兼ね備え、Wikipediaのような三次資料未満の百科事典を読む初学者に対しても、高度な専門知識をつかみとるチャンス(文献リスト、必読書リスト)を提供する素晴らしい方々が存在しています。長島様がこれまで個人的にFurther readingを必要としなかったからと言って、それが普遍的な価値観であるとは限りません。
    また他の方の議論努力に対し、判で押したような原則論を繰り返し、さらに見ず知らずの相手の誠意を疑うような軽率な発言を繰り返すのは不謹慎です。今後、長島様が充分な知的訓練を積まれて、初学者に対する暖かい思いやりと教育的精神を学ばれて、そしてFurther readingの意義を深く理解される事を望みます。経験がまだ不充分な方が、結論を急いで出す必要性は全くありません。--114.165.22.74 2009年8月26日 (水) 12:04 (UTC)[返信]
    コメント ご意見痛み入ります。1) レベルが低くてすみません。しかし精一杯ルールを守って、記事を書いてきたつもりです。2) 「普遍的な価値観であるとは限りません」の件ですが、ウィキペディアのルールを守るという話ですから、私の個人的な資質や価値観は別として、普遍的かつウィキペディアンの義務の話だと思います。「判で押したような原則論」は仕方ありません。3) 「他の方の議論努力に対し」の件ですが、皆さん楽観的な議論に始終し、フォーマットを決めて盛り上がっているだけのように見えます。誰かがFurther readingの弊害や代替案を指摘しなければなりません。今回はたまたま私がその役割を果たしているだけの事です。4) 「"Further reading"が必要となるような複雑で専門的な記事」の件ですが、記事分割と内容削減で対応できない記事とは、どのような物なのでしょう?再三質問してきましたが、まだ何方からも回答を戴いておりません。5) 「素晴らしい方々が存在しています。」の件ですが、素晴らしくない方々もまた存在しています。楽観論だけで、ルールを破り、ウィキペディアを危険で面倒な方向に導いてはなりません。初学者が混乱するだけです。6) 「見ず知らずの相手の誠意」の件ですが、IPユーザであるあなたがどこのどなた様か、残念ながら知るすべもありません。失礼ながら、匿名で博識やご経験を主張されても説得力がありません。7) 「結論を急いで出す必要性は全くありません」の件ですが、ルール違反には迅速に対処すべき必要性があります。お互いに誠意を持ってルールを守って行く態度が必要かと愚考いたします。--長島左近 2009年8月26日 (水) 22:23 (UTC)[返信]
    長島氏以外の方へ

    長島氏と対話を試みましたが、長島氏には対話努力が見えません。ただ相手の言葉の断片を引用しそれに反論する形式で、実際は自身の持論をただ繰り返す以上の対話ができていないようです。このような特殊な方の意見はとりあえず棚上げして、他の方の意見を集め議論を継続するのがよろしいかと存じます。

    ウィキペディアには実に様々な方が居り、中には自身の狭い体験で全てを推し量って、他の方の建設的努力に水を差す方が居られる点、非常に残念に感じます。皆様におかれましては、一部の経験が浅く対話もできない残念な方に足を引っ張られる事なく、今後も建設的な提案をして頂きます様、切に希望致します。 --122.16.219.194 2009年9月1日 (火) 11:29 (UTC)[返信]

    コメント 長島です。1) 「対話努力が見えません」「特殊な方の意見」と酷いレッテル貼りや個人攻撃がなされており、びっくりしています。
    2) 私は2009年8月19日 (水) 06:14 (UTC)から2009年8月26日 (水) 22:23 (UTC)までの1週間、きちんと対話したつもりです。
    3) 私はFurther reading節の設置根拠について質問しただけです。Further readingはWikipedia:ウィキペディアは何ではないかという基本的なルールに反するデータベース化ではないか。なぜ本文の加筆ではなくFurther readingというリストの加筆になるのか。なぜ本文の内容削減や記事分割の後、本文に加筆できないのかを質問し、論理的な回答を求めました。これはFurther reading節の設置議論を進める上で必要かつ重要ですから、繰り返し質問しています。
    4) しかし何方からも論理的な回答はありません。それどころか今回、122.16.219.194さんによる言われない個人攻撃と無視の呼びかけが行われました。理由も無くFurther reading節を作りたいという情熱だけでは建設的な努力にはなりません。まして設置に賛成する人だけを建設的と見なして、一方的に話を進めたいというのは幼稚な考えです。真に建設的な議論をお願いします。--長島左近 2009年10月7日 (水) 11:59 (UTC)[返信]
    反対
    「Further Reading節」の作成に反対します。
    理由
    書籍の内容も知らずに、書籍名をネットなどで検索しただけの文献を列挙される恐れがある。百科事典である『Wikipedia』が、書籍のデータベースである必要性は感じられません。弊害だけを感じます。
    「Further Reading節」に載せるべき、その重要だと考える文献を所持、もしくは図書館などで閲覧したのであれば、重要と考える部分を要約して本文に記述し、「参考文献」として記載すれば良いだけのことと考えます。
    特筆性があるほどの重要な書籍であれば、出典として用いて記述し、「参考文献」の欄に記載させるべきです。
    「Further Reading節」に載せるべき重要な書籍を、出典としては用いることが出来ない理由・場合を明示してください。
    国立国会図書館が所蔵していない、もしくは閲覧不能な書籍は、重要な書籍とは思えません。初学者が触れることも出来ない書籍は、特筆に値しません。
    国宝級の触れることの出来ないような重要書籍は、通常に書籍化されており閲覧可能と思われます。(例 - 『教行信証』(坂東本)【国宝】…全文が、原典版・訓読版・現代語訳版で複数出版されています。)--Resto1578 2009年11月3日 (火) 08:19 (UTC)[返信]
    コメント
    IP:122.16.219.194の、「長島氏以外の方へ」のコメントは「Wikipedia:エチケット」に反しているものと考えます。
    ログインすることを推奨されているのに、IPユーザーとしてコメントされるIP:122.16.219.194は、私見ですが経験が深いとはいえないと思います。Wikipedia:説明責任#ログインの勧めを参照してください。--Resto1578 2009年11月3日 (火) 08:19 (UTC)[返信]

    作品名が記事名のときの装飾について

    Wikipedia:レイアウトの指針#導入部において「作品名が記事名のときは『』をつけ」るとされていますが、Wikipedia:スタイルマニュアル#著作物名Wikipedia:表記ガイド#著作物名でCDシングル名などは「」で囲むとされており、双方がかち合っているとの指摘がWikipedia‐ノート:表記ガイド#CD名・曲名の括弧でありました。

    そこで、導入部でも作品名の装飾をWikipedia:スタイルマニュアル#著作物名Wikipedia:表記ガイド#著作物名に合わせることとし、Wikipedia:レイアウトの指針#導入部を以下のように改定することを提案します。

    • 次の箇所を除去
      • 「作品名が記事名のときは『』をつけ、「『'''記事名'''』は~」とします。」
    • 次の箇所を変更
      • 変更前
        「最初に現れる記事名は、太字で強調表示して下さい(例:記事名とは○○である。 記述は'''記事名''')。」
        変更後
        「最初に現れる記事名は、太字で強調表示してください(例:'''記事名'''とは○○である。)。記事名が著作物名であればWikipedia:スタイルマニュアル#著作物名Wikipedia:表記ガイド#著作物名に従って装飾し、記事名の部分のみ強調表示します(例:『'''記事名'''』)。」

    ——以上の改定案はWikipedia:レイアウトの指針#導入部 2009年4月3日 10:45 (UTC) より複製・改変を含む

    以上、ご意見がありましたらお寄せください。--Kabityu 2009年6月5日 (金) 17:24 (UTC)[返信]

    賛成します。シングルに限らず、例えばWikipedia:ウィキプロジェクト 漫画#記事作成の指針には、「短編集に収録された作品名などは「 」で囲んでください」とあり、読みきり作品の記事の記事名は「 」で囲むべきだと考えますが、現状ではこのようなケースでも『 』で囲まれることが多いです。
    こういうことがありますので、作品名が記事名のときには『 』で囲むのが原則であると取れるような現在の文面には問題があり、その点を修正すべきだと考えます。--長月みどり 2009年6月5日 (金) 18:06 (UTC)[返信]
    賛成 ご提案内容に賛成いたします。ご指摘のとおり現状は明らかにガイドライン間で矛盾があります。--Penn Station 2009年6月6日 (土) 03:21 (UTC)[返信]
    チェック ご意見いただきありがとうございます。提案に賛成意見をいただきましたので、改定を行いました。--Kabityu 2009年6月13日 (土) 13:37 (UTC)[返信]

    「脚注」~「外部リンク」の作成奨励について

    1. テンプレート
    2. 導入部分
    3. 解説本文A
      • 段落1
      • 段落2
    4. 解説本文B
    5. 脚注
    6. 関連項目
    7. 参考文献
    8. 外部リンク
    9. テンプレート
    10. カテゴリ
    11. 言語間リンク

    …の一連の節ですが、特に「脚注」~「外部リンク」については節を作成していない記事が多数見受けられます。「参考文献」や「外部リンク」は情報の出所を示す、ある意味記事の根幹をなす節ですし、「脚注」も同様の効果があり、また記事の記述を整理したり文脈を変えることなく一言付け加えていく上で有用です。

    これらの節は基本的には全ての記事が一律に備えるべき構成であり、現時点で記述するべき内容がないと思われる場合であっても作成しておくことで記述の追加を促すべきと思います。というか基本的には何らかの情報源なしに記事を作るべきではないでしょう(「曖昧さ回避」のページなどは例外扱いで良いとも思います)。辞書の定義レベルの記事を作成しておいて、他の編集者による追加を期待する方法もアリとは思いますが。

    よって、Wikipedia:レイアウトの指針#記事の構成

    >ウィキペディアでは上に列挙したような共通の見出しの名称を使用することが推奨されています。

    に、以下の文意を追加することを提案します。

    >また、「脚注」~「外部リンク」については特段記述するべき内容が思いつかない場合でも節を作成しておくことが強く求められます。「参考文献」や「外部リンク」はウィキペディアの根幹である検証可能性や中立的な観点を確立するための基本的な情報の出所を示す節であり、可及的速やかに節内の記述を充実させる必要があるからです。

    「脚注」「関連項目」については適当な文章が思いつきませんでした。上文の修正と併せ、良い案がありましたらご提示ください。また「参考文献」「外部リンク」に比べれば絶対必要というほどではない、これらの作成は「強く推奨」しなくとも良い、と思われるならそれも一理ですのでご意見をお聞かせいただければと存じます。--9a1boPv5wk 2009年7月2日 (木) 00:47 (UTC)[返信]

    うーん。むずかしいところではあるのですが、とりあえず反対。
    前から気になっていることなんですが、「参考文献」に必ずしも関連するとは限らない文献が掲載されていることがけっこうあるんですよ。なんていうか「参考文献」というのは、おれの感覚では「その記事を執筆する際に参考にした文献」であり、「参考文献に記されていることのエッセンス・ダイジェストがその記事に含まれている」はずだと思うんです。しかし現実にはそうではなく、単に「その記事の主題と関係する文献」が掲載されていることが珍しくない。その記事の本文の編集を全くやっていないひとがテキトーに参考文献欄に文献を記載していたりもする。それは、違うだろうと。同様のケースが外部リンクにも言えます(まあこちらは「参考リンク」じゃなくて「外部リンク」だから、「参考文献」ほど厳密に考える必要はないかもしれませんが)。
    おれの感覚では、単にその項目に関連する文献というだけではそれは「参考文献」ではなく「関連文献」にとどまるだろうと思う。その2つは位置づけが違うんじゃないだろうか。しかし現実問題、そこらへんについてあまりに無頓着なひとが少なからずおられるのです。「空の参考文献」や「空の外部リンク」があったら、深く考えていないひとがテキトーな文献やテキトーなサイトを追加して記事の質を下げてしまうのじゃないかという恐れを抱きました。
    検証可能性などの観点からは必要な項目ではあるのですが、現時点で「強い推奨」や「必須化」をすると副作用の方が大きいような気がします。「その項目に掲載できるものは何か」についてコンセンサスを形成しそれを広めることを先行させないとやばいのじゃないでしょうか。よって現状での追加には反対に一票。--Nekosuki600 2009年7月2日 (木) 09:19 (UTC)[返信]
    反対 ほとんど Nekosuki600 氏に書かれてしまったところですが、一部具体化して投稿しておきます(かなり重複します)。大まかな理念には同意するものの、それをレイアウト側から促す必要性もしくは効果は薄いのではないかと思います。
    まず有効性への疑問です。それらの節、特に注釈や参考文献の節は本来文章を書いた人が設ける内容です。「節があるから内容を補完しようと思った」人が脚注なり参考文献なりを別途書き加えたところで、それがどれだけ本文の内容と合致しているのか、本文の信頼性を担保するのかは未知数です。情報源(らしきもの)が加わった事を以って、内容の検証を伴わない独自研究タグ荒らしを退ける効果はあると思いますが、本質的ではありません。関連性の不明な書籍が列挙してあるよりは、{{独自研究}} や {{出典の明記}} タグがべたべた貼ってある方が、読者への優良誤認を招かない点や記事の可塑性において、まだ健全なんじゃないかと思います。文面を拝借すると「節内の記述を充実させる」必要があるのではなく、「そのような節を伴った内容の記事に改める」必要があります。
    次に副作用です。まず、この指針に依拠して空節を作るだけの編集が横行することを懸念します。また空節の作成は不適切な関連項目の追加や参考文献スパム(例えば工作舎のIPアドレスからの編集[8])、外部リンクスパムを助長しかねません。
    結局のところ、空節があるか無いかの差で駆動される出典明記のモチベーションは記事の品質向上にあまり寄与しない、その割りに副作用が大きい、と思います。どうでしょう。- NEON 2009年7月2日 (木) 10:16 (UTC)[返信]
    反対 出典明記を推進するお考えには大いに賛成するところなのですが、「特段記述するべき内容が思いつかない場合でも節を作成しておくことが強く求められます」には反対します。敢えて空の節を設けなくても、{{出典の明記}}テンプレートを活用すれば、閲覧者への注意喚起および編集者への出典追加要請の目的は十分に果たせるのではないでしょうか。また、「関連項目」や「外部リンク」は本来出典を示すための節ではありません(WP:GTL#関連項目WP:GTL#外部リンク参照)。さらに「脚注」と「参考文献」を両方必要とするケースばかりではなく、例えば「脚注」だけで十分な場合もあります。
    (追記)Nekosuki600さんご指摘の「参考文献」節に「関連文献」を含めてしまう問題については本ページでも議論されていて(# 参考文献と推薦文献について(その1)# 参考文献と推薦文献について(その2)#Further reading節参照)、その結果WP:GTL# 参考文献に「出典として利用していないが、その記事に関連している文献・資料などは、記述の出典と混同しないよう、別の節を作るなど、分離して記載するようにしてください。指針としてのこれらの扱いについては、further readingsに相当する表現なども含めてノートで議論中です。」の文言が追加されています。--Penn Station 2009年7月3日 (金) 03:05 (UTC)[返信]

    (コメント)皆様のご懸念は理解します、といいますか、別の場所である程度諮り「反発も大きいだろう」と認識はしておりましたし、文案も十分練れていると自信を持って言える状態ではありません。それでも提案したのはやはり何がしかの情報ソースを提示しておく必要があると考えるからであり、その点で皆様と認識を異とするものではないと信じます。
    ただ、「出典の明記」テンプレートだけで問題が解決するとは思っていません。情報ソースと出典は必ずしも同一ではなく、あくまで「参考文献」に留まる場合もあります。その辺りの齟齬はいずれ解決せねばならないと思います。また、NEON氏のおっしゃる空節の作成による副作用とモチベーションのバランスについては、私はもう少し楽観的ですし、問題が起きた事実をもって本格的な議論に繋げられないか、とも思います(一定の賛同を得られない限り強行しようとも思いませんが)。その意味でもNekosuki600氏のおっしゃる

    >「その項目に掲載できるものは何か」についてコンセンサスを形成しそれを広めることを先行させないとやばいのじゃないでしょうか。

    には全面的に賛同します。

    本件について「総論賛成、各論反対」のような流れになることは正直予想していましたが、一歩でも、半歩でも現状を進めることが得策でしょう。まず何から変えて行くか、何を浸透させていくかも含め、折に触れある程度時間をかけて皆様と議論を進めることができれば幸いです。--9a1boPv5wk 2009年7月7日 (火) 14:18 (UTC)[返信]

    お疲れさまです。問題意識は共有しているという認識です。「「その項目に掲載できるものは何か」についてコンセンサスを形成しそれを広めることを先行させないとやばいのじゃないでしょうか」については私も完全に同意で、まずはそこから始まるのかな、と思います(本ガイドラインの趣旨にも合致していますし)。ところで、1点だけ確認させてください。「情報ソースと出典」ですが、その区別を教えていただけないでしょうか?私には同じものに思えるのですが…。以上、よろしくお願いいたします。--Penn Station 2009年7月7日 (火) 16:17 (UTC)[返信]
    回答します。
    >【出典】
    >故事・成語、引用文、また引用された語句などの出所である書物。典拠。(大辞泉より)
    つまり出典とは情報ソースの内、特に「引用(「転載」も含まれるでしょうか)」のソースであり、情報ソースの一部分です。ついでに出てきた「典拠」ですが
    >【典拠】
    >頼りにできる根拠。文献などにみえる、しっかりしたよりどころ。
    です。参考文献は(重なる部分も多いにせよ)厳密には出典とは異なります。伝聞のようにもっと曖昧な情報ソースもありますね。他にも個人HPの記述なんかは情報ソース・参考にはなっても出典というのは難しい例があると思います。--9a1boPv5wk 2009年7月8日 (水) 02:17 (UTC)[返信]
    ご回答ありがとうございます。なるほど、なんとなく分かりました。一方で言葉の解釈も人それぞれだなぁ、と改めて感じております。私も結構安易に「出典」という言葉を使っていましたが、Wikipediaで一般的に言われる「出典」とは、Wikipedia:出典を明記するの「執筆する際に、書籍や外部サイトを参照することがあるでしょう。そのときは、情報源を明記してください。」における「情報源」のことであると理解しています。一方で「引用」とは、Wikipedia:引用のガイドラインで説明があるように「主従関係」「明瞭区別性」「同一性」等が満たされているもの、つまり「本文と明確に区別がつき原典と一言一句違わぬもの」という認識です。ですので、「出典(情報源)」は「引用」にはもちろん必要ですが、Wikipediaではそれ以外の文章(本文)にも求められている、と理解しています。
    9a1boPv5wkさんの言われる「情報ソース」はそれよりも広いものを含んでいるようです。私の理解では、伝聞や個人HPの記述等は一般的にはあくまで傍証に過ぎず、「参考文献」節には信頼できる情報源のみが記載されるべきと考えています。「参考文献」という名前が紛らわしいのかもしれませんね。やはり「「その項目に掲載できるものは何か」に関するコンセンサス」形成がまず必要かなと改めて感じました。--Penn Station 2009年7月8日 (水) 03:49 (UTC)[返信]

    関連項目の位置

    Kiku bさんによって「記事の構成」節での「関連項目」の位置が「参考文献」の後に変更されました(差分)。確かにWP:STY#節・セクションには「関連項目の節と外部リンクの節は、記事の最後に置きます。両方あるときには、関連項目を先に、外部リンクを後にします。」とありますが、本ガイドラインの重要なポイントである節順序が議論なく変更され、また「各節の解説」での順序とも合っていないため、いったんリバートさせていただきました。本ガイドラインの順序を変更した方がいいのか、それともWP:STY#節・セクションの説明を修正した方がいいのか、ご意見をお願いいたします。個人的には本ガイドライン時の順序(関連項目、参考文献、外部リンク)で良いと思っています。--Penn Station 2009年8月9日 (日) 17:35 (UTC)[返信]

    Wikipedia‐ノート:スタイルマニュアル#関連項目の位置にて本議論を告知しておきました。--Penn Station 2009年8月10日 (月) 08:55 (UTC)[返信]

    (関連項目が後)第一に重要性で比較すると、参考文献の方が圧倒的に重要です。出典の無い記事はありえません。関連項目は無くても良い物です。目立つ場所(前の方、本文の近く)には重要性の高い物を置くべきです。第二にWikipedia:関連項目では、関連項目は内部リンク集であると説明されています。外部リンクの前に置くのが自然だと思います。--長島左近 2009年8月19日 (水) 05:49 (UTC)[返信]
    ご意見ありがとうございます。参考文献→関連項目→外部リンクということですね。個人的には、参考文献が重要という点には同意ですが、現行の順序(関連項目→参考文献→外部リンク)もWikipedia内の情報→外部のリソースという順序関係になっており、まったくおかしなものでもないと思っております(英語版でもSee also→Notes and References→Further reading→External linksとなっています。NotesがSee alsoの後になっている点は現行日本語版と異なりますが)。出典を確認・検証しない多くの純粋な読者の立場からすると、本文→脚注→関連項目→参考文献→…という順序の方が読みやすいのでは、とも思います。外部リンクが一番最後、については異論ありません。
    ところで以前より感じていたのですが、現状では出典情報を含むことのある脚注と参考文献が関連項目で分断されている点も問題だと思います。英語版と同様に、関連項目はむしろ脚注の前に持ってくるべきではないかと。そこで以下、節を新しく設けて、そこで改めて提案させていただきたいと思います。また、本ガイドラインの変更はすべての記事に影響するため、できるだけ多くの方のご意見をお聞きするためにWikipedia:お知らせで意見募集をし、他の方の意見を待ちたいと思います。--Penn Station 2009年8月31日 (月) 18:57 (UTC)[返信]

    改訂提案

    #関連項目の位置節からの続きです。以下の理由から本ガイドラインの改訂(節順序の変更)を提案します。

    • 改定案1WP:STY#節・セクションとの不整合の解消。関連項目は参考文献の後に:脚注→参考文献→関連項目→外部リンク
    • 改定案2:脚注と参考文献の分断を解消、ただし関連項目は脚注の前に(英語版準拠):関連項目→脚注→参考文献→外部リンク


    以下に表にまとめました。現行改定案1改定案2のいずれが良いか、ご意見をお願いします。

    現行
    Wikipedia:レイアウトの指針#記事の構成
    1. テンプレート
    2. 導入部分
    3. 解説本文A
      • 段落1
      • 段落2
    4. 解説本文B
    5. 脚注
    6. 関連項目
    7. 参考文献
    8. 外部リンク
    9. テンプレート
    10. カテゴリ
    11. 言語間リンク
    改訂案1
    (関連項目を参考文献の後に移動:WP:STY#節・セクション
    1. テンプレート
    2. 導入部分
    3. 解説本文A
      • 段落1
      • 段落2
    4. 解説本文B
    5. 脚注
    6. 参考文献
    7. 関連項目
    8. 外部リンク
    9. テンプレート
    10. カテゴリ
    11. 言語間リンク
    改訂案2
    (関連項目を脚注の前に移動:英語版に準拠)
    1. テンプレート
    2. 導入部分
    3. 解説本文A
      • 段落1
      • 段落2
    4. 解説本文B
    5. 関連項目
    6. 脚注
    7. 参考文献
    8. 外部リンク
    9. テンプレート
    10. カテゴリ
    11. 言語間リンク
    (参考)英語版
    en:Wikipedia:Layout
    1. Lead section
    2. Body sections
      1. Headings and sections
      2. Section templates and summary style
      3. Paragraphs
    3. Standard appendices and footers
      1. Works or Publications or Bibliography
      2. See also section
      3. Notes and References
      4. Further reading
      5. External links

    私自身は一般読者の視点を重視し、Wikipeiaの記事としての本文との関連性の強さおよび英語版との整合性から改定案2を支持します。
    --Penn Station 2009年8月31日 (月) 19:10 (UTC) (支持文の場所移動)Penn Station 2009年9月3日 (木) 15:31 (UTC)[返信]

    改定案1) 改定案2の根拠である、一般読者の視点と英語版準拠が意味を成さないこと。また関連項目の危険性と運用ルールの未整備を理由に改定案2に反対します。また本文の次に重要なのは出典であるとの立場から、改定案1を支持します。
    1) 「一般読者の視点」とは、「出典を確認・検証しない多くの純粋な読者」(2009年8月31日 (月) 18:57 (UTC))という事でしょうか。まったく同意できません。第一に誰もが編集可能なウィキペディアにおいて、純粋な読者はありえません。第二に多くの読者が出典を確認・検証していないとの根拠が不明です。またそれが真実であるなら、憂慮すべき危険な事態です。根拠を確認しない読者はデマ・妄想の被害予備軍です。なんとしても出典を目立つ上位に置かなければなりません。2) 「英語版準拠」の件ですが、なぜ英語版で関連項目(See also)が、出典より上位に位置し、重視されるのか理由が良く分かりません。See alsoは逆に「Indeed, a good article might not require a "See also" section at all.」と説明され軽視されているほどです。それを覆すような理由が、Wikipedia:Layoutのどこかに述べられているのでしょうか?。根拠のハッキリしない規則に準拠するというのは、非合理的です。3) 関連項目は誤用の多い、非常に危険な項目です。つい先日も、関連項目が42行に及ぶ記事を整理したばかりです。関連項目によって本文と脚注・出典を分断することは、悪用を誘発しかねません。本文と脚注・出典の距離を広げれば、デマ隠しが容易になります。そもそも関連項目は運用ルールの議論・整備が足りない項目だと思います。関連項目の個数の制限など厳格なルールが無い限り、改定案2は成り立ちません。--長島左近 2009年9月1日 (火) 11:21 (UTC)[返信]
    (賛成) いずれも脚注節と参考文献節を隣接させる案であり、この点で改訂に賛成します。en:WP:CITE#Shortened footnotesの方法で参照を行なうことができるからです。関連項目の位置は、どちらがいいですかね。迷いどころです。--Akaniji 2009年9月1日 (火) 13:32 (UTC)[返信]
    改定案1)長島左近氏の意見を支持します。--kiku_b(talk/work) 2009年9月3日 (木) 14:37 (UTC)[返信]
    (改定案1・改定案2両方とも反対、対案)脚注と参考文献の隣接は賛同しますが、この議論も進行中であることと、脚注は最下部(カテゴリの前)の位置が望ましいと思います。この場に合わせて対案3を提出します。--Nobook 2009年9月3日 (木) 14:57 (UTC)[返信]
    対案3
    ※「テンプレートから解説本文Bまで」と「カテゴリ・言語間リンク」の位置も同じなので、省略します。本文Bからカテゴリまでの並びだけを記します。
    1. 関連項目・関連リンク
    2. 外部リンク
    3. 参考文献
    4. 脚注
    改定案1)長島左近氏の意見に言うべきことはすべて述べられています。賛同します。--ikedat76 2009年9月3日 (木) 15:16 (UTC)[返信]
    • (改定案1,2、以下で述べる3のいずれでも)ただし、上でも議論がありましたが「参考文献」というのは、執筆者が実際に参照した文献の書誌情報一覧という理解です。Further readingの扱いは考えていません。
    次のように考えました。一般的な百科事典のスタイルとしては、「関連項目」は普通にそれぞれの項目やその中の章の末尾に置かれている、脚注や情報源とした書誌情報は無い、外部リンクというのは参照すべき外部の情報源(Further readingに似たもの)は、項目の末尾か別冊などにまとめられる、というような印象を持っています。ウィキペディアでは脚注と情報源の書誌情報は必要で、両者はくっついているのが望ましいでしょう。改定案2、あるいは英語版の並びというのは、一般的な百科事典に近い。改定案1は関連項目と外部リンクを記事外部の情報としてまとめたもの、と受け取りました。いずれの考え方も理解できます。先行する議論では、関連項目や外部リンクについて、いくらか情報を補う必要があり、そこで脚注を用いる場合があるという指摘がありました。これを受けて、「関連項目→外部リンク→脚注→情報源の書誌情報」(対案4)を挙げておきます。対案3の「参考文献」が意味するものがわからないので、同じことを書いているかもしれません。なお、「出典を確認・検証しない読者」が多いかどうかはわかりませんが、出典などを確認しないでも信じる事ができるクオリティの百科事典をわたしたちは作ろうとしているのだと思います。また、関連項目は、それらをまとめて本文に加筆して内部リンクとすることで数を減らしていくという形で記事を発展させればよいのではないかと思います。--Ks aka 98 2009年9月3日 (木) 17:53 (UTC)[返信]
    各節が記事項目に果たす役割から、(改定案2)を支持します。「関連項目」の位置が問題となっているようですが、説明本文にもあるように「本文中で説明しきれないが重要な関連のある項目」ですから、本文のつづきとしてすぐ後にあるのがよいと思います。もちろん、「関連項目」は限定的に使われるべきですし、本文中で内部リンクすることで実際にはこの節自体が不要な場合が多いですが、使われ方に疑問があるからといって後ろに持って行くものでもありません。
    また、「脚注」はHelp:脚注冒頭にあるように、「記事本文の内容に関する参考文献や注釈といった短い補足コメント」をまとめて別に表示するものであり、「参考文献」は書誌情報ですので、こうした情報は巻末(外部リンク以下は考慮していません)に置くというのがレイアウトの基本的スタイルでしょう。これらのどれにより重要性を見るかは人それぞれでしょうが、レイアウトは必ずしもそれに左右されることではないと考えます。念のために付記しますが、これはガイドラインであり「指針」なので、そもそもガチガチに固めるものではない、ということが前提です。--みっち 2009年9月4日 (金) 09:31 (UTC)[返信]
    対案3と対案4に反対)1) ウィキペディアにおいて、脚注はTemplate:参照方法のように出典を示す為に使われる重要な物です。参考文献のリストでは納得しない人が多いのです。また実際にどの書籍を読んで、その文章を書いたのか理解に苦しむような場合も多いです。2) 私事ですが現在、ある記事の参考文献を査読中です。酷い有様で頭痛がしています。脚注を使って、一対一で出典を示せば、このような記事にはならなかったのにと後悔しております。3) Ks aka 98さんのおっしゃる「出典などを確認しないでも信じる事ができるクオリティの百科事典をわたしたちは作ろうとしているのだと思います。」という物を実現する為にも、分かりやすい出典の示し方を模索しなければなりません。そのためには脚注と参考文献は上位に置くべきです。「先行する議論では、関連項目や外部リンクについて、いくらか情報を補う必要があり、そこで脚注を用いる場合がある」というような認識は、まったく誤りです。脚注を補助的なものにしてはなりません。--長島左近 2009年9月4日 (金) 10:59 (UTC)[返信]
    • (コメント)誰しもが思う「“記事の信頼性”を高めるため」というのには、異論も反論もありませんが、私の出した対案3以外はありえないと思っています。これの根拠として、ゼミの卒論集を見返して見ましたら、参考文献と脚注は最後でした。これは、論文を執筆する上でのルールなのです。この2つは後方に位置することがベストなのです。下記の節でも言いましたが、「脚注」の「脚」は、「足」を意味しているので、関連項目・外部リンクよりも前に位置することなんて絶対に無く、ましてや参考文献(参考資料)と隣接するのであれば、最後尾(カテゴリの前)の位置以外にはありえません。--Nobook 2009年9月4日 (金) 14:33 (UTC)[返信]
    対案3)脚注機能において、グループ化しなければ脚注の一覧表示(<references/>)を置く位置より後ろの脚注(<ref>〜</ref>)が表示されない不具合が存在するのは、脚注の一覧表示が常に末尾に置かれることを想定していて、末尾ではない箇所に置かれる想定をしていない実装の為と思われますので、対案3を支持致します。--4行DA 2009年9月4日 (金) 14:39 (UTC)[返信]
    対案3に反対ウィキペディアは紙製でないので、紙の論文を根拠とすることは無意味に近いことです。もちろんそれが有用なものであればウィキペディアにも採用されるべきですが、Nobook氏のおっしゃる部分には、対案3を採用すること自体のメリットが一切述べられていないことに疑問を呈します。4行DAの主張に関しては、関連項目や外部リンクに脚注をふることを想定しているとは思えないので、何れの改訂案も条件として十分であると考えます。--kiku_b(talk/work) 2009年9月4日 (金) 15:20 (UTC)[返信]
    (コメント)紙製でないのは認めますが、ウィキペディアが他のサイトのような解説記事であったとしても、脚注が最後尾にあったっても何らおかしくないと思います。むしろ見た目は綺麗で統一感があると思いますよ。--Nobook 2009年9月4日 (金) 16:07 (UTC)[返信]
    対案3に反対)紙の論文を根拠とすることは必ずしも無意味ではないと考えます。しかし、その根拠が卒業論文集ごときなどというのはまったくありえないことです。研究者の研究業績にはよほどのものでもないかぎり、学部の卒業論文を載せません。理由は単純で、形式内容の両面で学術誌の査読(もしくはそれに相当する水準)によるチェックを受けておらず、それゆえ研究成果としての品質が保証されていないからです。かかるものをもって多少なりとも学術的な文章の構成を云々するなど、まったく考えも及ばないことです。--ikedat76 2009年9月4日 (金) 17:22 (UTC)[返信]
    (改定案1に賛成)「脚注」は可読性向上のために解説本文の中では記述せず、後に置いているわけですから、記事の一部であり「関連項目」などで分断せずに本文の一番最後に置くべきだと考えます。「参考文献」につきましても記事の出典としての意味合いで記述されることが少なくないですので、「脚注」の後に置いたほうがよいのではないでしょうか。それに対して、「関連項目」は記事内容そのものではなく、Wikipedia のほかの記事へのリンク集ですから「脚注」よりは記事との結びつきが薄いと考えます。そのため、「関連項目」を「脚注」や「参考文献」よりも後に置いたほうが、あくまでわたし個人の印象ではあるのですが違和感がなく望ましいように思っています。--長月みどり 2009年9月4日 (金) 17:49 (UTC)[返信]
    (改正案1に賛成)長島左近さんや長月みどりの意見に賛同します。Help:脚注でも確かに「記事の末尾など本文とは別の場所に」とあるものの、当該Helpページの「脚注」は「関連項目」より上です(現行のレイアウトの指針に従っているまでと考えることもできますが)。ちなみに、Help‐ノート:脚注で当該ページのレイアウトが議論された形跡はありません。紙媒体の例をあげて「脚注」を最も文末にすべきとの意見をお持ちの方もおられるようですが、紙媒体における「関連項目」に該当(あるいは類似)するものが何であるかの説明や検討がなされていないのでなないかと思います。書籍に例えるなら、本文や脚注にも登場せず執筆の参考にもしていないが見る(読む)ことを推奨するものとの前提となりますので、私の感覚では、その書籍に関連する分野の「推薦図書」などに近いものではないかと考えます。「推薦図書」などは「参考文献」より後ではないでしょうか。また、Nobookさんは「脚注」は「足」だから最後尾と言われていますが、書籍で最後尾(巻末)に付す注釈は「後注」であり、「脚注」の「足」は書籍の各ページの下部を意味するものです(「脚注」のページを参照ください。一応、脚注のページの執筆者は「ウィキペディアにおける脚注も誤った用例」(←「後注」を意図しての記載か)と言われていることも付記しておきますが、現状「脚注」の語が用いられていますので…)。従って、「脚注」は本質的には本文に近い位置づけのものであるため「本文」の次に、次いで「参考文献」、「推薦図書」的な「関連項目」はさらにその次、となりますと「改正案1」に合致するというのが私の意見です。--Tatsundo h 2009年9月4日 (金) 19:34 (UTC)[返信]
    (案3にコメント) 案1, 2, 4はいずれも脚注節の直後に参考文献節を設けており、en:WP:CITE#Shortened footnotesの方法で出典を示すことができるため、支持します。案3は、en:WP:CITE#Shortened footnotesの方法で出典を示すことができるよう、修正が必要であると思います(たぶん、修正案が案4です)。en:WP:CITE#Shortened footnotesの実例として陪審制バリ島を挙げておきますので、秀逸な出典の示し方がどんなものであるか、ご覧になってください。出典の示し方については、ハーバード方式バンクーバー方式が参考になると思いますので、ぜひご一読ください。--Akaniji 2009年9月4日 (金) 22:17 (UTC)[返信]


    皆様ご意見ありがとうございます。今のところ改定案1の方が支持が多いようですね。現時点でのご意見をまとめてみます(敬称略、*は複数回答)。

    • 改定案1支持(脚注→参考文献→関連項目→外部リンク):長島左近, Akaniji(*), kiku_b, ikedat76, Ks aka 98(*), 長月みどり, Tatsundo h
    • 改定案2支持(関連項目→脚注→参考文献→外部リンク):Penn Station, Akaniji(*), Ks aka 98(*), みっち
    • 改定案3支持(関連項目→外部リンク→参考文献→脚注):Nobook, 4行DA
    • 改定案4支持(関連項目→外部リンク→脚注→参考文献):Ks aka 98(*), Akaniji(*)

    なお、ここでの「参考文献」とは「情報源の書誌情報」を示します。
    引き続き、他の方のご意見もお待ちしております。--Penn Station 2009年9月9日 (水) 14:52 (UTC)[返信]


    コメント さて、私の意見は改定案2である旨冒頭でお伝えしてありますが、皆さんのご意見も踏まえた上で、もう少し詳しく見解を述べさせていただきたいと思います。まず、前節でも触れましたが、少なくとも現状のレイアウトは脚注(出典を含むことがある)と参考文献(情報源の書誌情報)が関連項目で分断されている点でよろしくなく、その意味においては、いずれの改定案も現状よりは良いと言えます。
    改定案3と4については、関連項目や外部リンクに対して脚注を使いたい場合に有用かもしれませんが、個人的には、記事内容から一番遠い存在(関係性の薄い)である外部リンクが最後でない点に違和感を覚えます。どうしても関連項目や外部リンクで脚注を使う必要がある場合は、個別対応でもよいのではないでしょうか(ちなみに脚注は同一記事に2つ設置できませんでしたっけ?)。
    さて改定案2を支持する理由ですが、冒頭で「一般読者の視点を重視し」と書きました。みっちさんのご意見でも指摘されていますが、本ガイドライン自身で述べられおり、関連項目とは「本文中で説明しきれないが重要な関連のある項目について列挙」したものであり、本来記事本文内に包括されるべき内部リンク(Wikipedia:関連項目参照)をやむを得ず外部で列挙している節だととも言えます。つまり読者にとってはあくまで本文の延長線上にある訳です。それに対して脚注や参考文献(情報源の書誌情報)は、本文の内容に直接関係する情報というよりは、本文の内容に対するメタ情報(付加的情報)だと考えています。本文と本文の延長線上にある関連項目は連続していることが望ましく、その流れをメタ情報で分断してしまうのはよろしくない、と思う訳です。もちろん出典情報の重要性は言うまでもありませんし、長島左近さんが心配されているような関連項目の肥大化などもってのほか(Wikipedia:関連項目にもあるように関連項目は最小限にとどめるべき)ですが、それらは注釈が関連項目の前だろうが後だろうが、さして影響されることではないと考えます。それから「英語版との整合性」ですが、日本語版で特に理由なく現在のレイアウトになっているのであれば、わざわざ利用者数が多く日本語版と併用している利用者も多いであろう英語版と異なる配置にする必要はないだろう、という程度であって、日本語版固有の事情や参加者の選択によって異なる選択をすることは当然あり得ることだと思います(日本語版と英語版を併用している利用者には違和感を与えるかもしれませんが、現在既に違っていますしね)。最後に、みっちさんも触れられていますが、本ガイドラインはレイアウトに関して特に事情や理由がない場合に参照される「指針」であって、全ての記事をこれでガチガチに固めるためのものではない、という点は皆さんの共通認識だと考えています。
    以上、長くなりましたが、私自身の見解の背景について説明させていただきました。引き続きご意見お願いいたします。--Penn Station 2009年9月9日 (水) 14:52 (UTC)[返信]
    コメント 「本来記事本文内に包括されるべき内部リンク(Wikipedia:関連項目参照)をやむを得ず外部で列挙」というような事は現実には、ほとんど起こりえないと思います。本当に「重要な関連」があるなら、本文中で記述できます。また関連項目は「内部リンクに存在していてもその記事を理解する上で特に重要な項目は許容されます」(Wikipedia:関連項目参照)など運用面で甘すぎます。その結果、関連項目の大半は誤用で、肥大化したり、感想文化したり、やっかいな代物になっています。つい先日もある方に注意したばかりです。関連項目の現実を考えると悲しいことですが、なるべく目立たない場所(下の方)に行って貰うのが無難です。よって改定案2には引き続き反対です。--長島左近 2009年9月12日 (土) 22:56 (UTC)[返信]
    (案2、案4)関連項目の肥大化の問題ですが、関連項目節が下にあろうが上にあろうが、あまり変わらないと思います。また、脚注節、参考文献節、外部リンク節はいずれも外部資料を記述する節であり、この3節は隣接して末尾に配置した方が良いと思います。よって、案2と案4を支持します。--Akaniji 2009年9月19日 (土) 00:39 (UTC)[返信]
    コメント改定案1がベター、他でも反対はしない)個人的な感覚なのかもしれませんが、Wikipediaが独自研究を排除し検証可能性を追求するものである限り、出典は記事本体の直後に置かれた方がよいのではないかと思います。関連項目についても、本文に密接な関連を有するものなら本文中にリンクされるなり、{{main}}などで本文中に置かれるでしょうから、末尾に置かれるものは関連性が多少なりとも薄いものと考えています。--ろう(Law soma) D C 2009年9月30日 (水) 08:15 (UTC)[返信]
    (改定案1に賛成)改定案1を支持します。参考文献欄にまず詳細な本や記事のタイトル、著者、発行者、ISBNなどを記載した上で、脚注欄には著者名とページ番号だけでインラインの出典を細かく付けるというのはよく使われているスタイルです。そういうスタイルを使うのであれば、参考文献欄と脚注欄は離すべきではありません。次に、脚注欄を本文中には書かないが備考的に付加情報を示すために使う例もよく見かけます。これは本文の一部が脚注欄に押し出されているものなので、本文の近くに置くべきだと思います。したがって本文→脚注→参考文献→その他の順になるかと思います。関連項目や外部リンクは単なるリンク集なので本文との関わりが薄く、最後に持っていく方が望ましいと思います。
    Nobookさんが、卒業論文では脚注や参考文献が最後ということを述べておられますが、Nobookさんの卒業論文には「関連項目」や「外部リンク」といったセクションがあるのでしょうか。私が書いた論文にはそのような項目はありません。最初から関連項目や外部リンクがない文献を、これらの順番をどうするかを決める参考にはできないと思います。また4行DAさんがref - references機能のバグと言うことを仰っていますが、これはそういう仕様だと思います。というのは、referencesを2箇所に入れた記事を作ると、refで記述した脚注はそれより後で最も近いreferencesの場所にまとまって現れるからです。これは、節ごとに脚注を表示することを想定した機能だからこうなっているのだと思います。また、もしバグであるならバグを修正すべきであって、それを糊塗するために記事スタイルというウィキペディアの最大のコンテンツに手を入れることは本末転倒だと考えます。--Tam0031 2009年9月30日 (水) 14:37 (UTC)[返信]
    コメント改定案1を支持)検証可能性を考慮しつつ執筆する場合、脚注と参考文献は必須と考えます。一方、内部リンク(関連項目)と外部リンクは、仮に存在しなかったとしても問題ないでしょう。なぜなら、関連項目と外部リンクの役割はその項目についてさらなる理解を深める点にあり、「存在しなかったらその項目が成立しない」という性質のものではないからです。必須でないものは後ろに置く……という視点から改定案を検討すると、支持できるのは改定案1だけということになりました。--Tondemonai 2009年9月30日 (水) 16:26 (UTC)[返信]


    多数の皆様にご意見をいただき、感謝申し上げます。現状は以下のとおりです(敬称略、*は複数回答、括弧書きは許容表明)。

    • 改定案1支持(脚注→参考文献→関連項目→外部リンク):長島左近, Akaniji(*), kiku_b, ikedat76, Ks aka 98(*), 長月みどり, Tatsundo h, Law soma, Tam0031, Tondemonai
    • 改定案2支持(関連項目→脚注→参考文献→外部リンク):Penn Station, Akaniji(*), Ks aka 98(*), みっち, (Law soma)
    • 改定案3支持(関連項目→外部リンク→参考文献→脚注):Nobook, 4行DA, (Law soma)
    • 改定案4支持(関連項目→外部リンク→脚注→参考文献):Ks aka 98(*), Akaniji(*), (Law soma)

    ※「参考文献」とは「情報源の書誌情報」を示します。
    上記のとおり、改定案1が支持多数であり、私としてはこの結果を尊重し、改定案1の順序となるよう本ガイドラインを改訂したいと思います。他の案を支持された方もいらっしゃるので、3日ほど待ち、もし異論がなければ実際に改訂しようと思います。ご意見がありましたら、よろしくお願いいたします。--Penn Station 2009年10月4日 (日) 14:53 (UTC)[返信]

    少なくとも現状より改善されると思います。改訂を支持します。--Akaniji 2009年10月4日 (日) 22:17 (UTC)[返信]

    (報告)Akanijiさん、ご意見ありがとうございました。特に異論はないようでしたので、改定案1に基づきガイドライン本文を変更しました。当初の私の考えとは異なる結果となりましたが、現状(これまで)よりは改善されることと多くの方が改定案1を支持されていることから、納得しております。議論に参加くださった皆様に御礼申し上げます。ありがとうございました。--Penn Station 2009年10月8日 (木) 14:56 (UTC)[返信]

    脚注はなぜ末尾へと置いてはいけないのか?

    今回、脚注の位置についてresubewさんとetoaさんからご指摘を頂きました(詳細はこちらこちら)。

    Template:前後番組で「番組の変遷」という節が設けてはいけないという方針になった以上、「外部リンク」ではないのに前後番組との同居がどうしても許せないのです。このため、前後番組のテンプレートを脚注(おもに補足や出典を示すためのもの)扱いとして最後尾へと移動しています。お二人とも共通しているのは、「Wikipedia:レイアウトの指針」といっていますが、「従うことが推奨されますが、公式な方針ではありません。」という一文もあるように、必ずしもの方針ではないとなっているため、きちんと議論・答えをだしてもらいたく、今回の質問ということになりました。よろしくお願いします。--Nobook 2009年9月3日 (木) 09:01 (UTC)[返信]

    Nobookさんも引用されている本ガイドラインの冒頭文ですが、より正確に引用すると、「この文書はウィキペディア日本語版の考慮すべきガイドラインです。多くの利用者が基本的に同意しており、従うことが推奨されますが、公式な方針ではありません。」となっています。文字どおりな訳ですが、あくまで「推奨」であって、何か個別の事情があり、他の編集者も納得しているまたは気にしていないのであれば、必ずしも従う必要はないと思います(その場合は記事のノートなりウィキプロジェクトなりで合意形成しておいた方が無難だと思います)。逆に言えば、特別な事情が無い限りはガイドラインに準拠すべきですし、他の多くの編集者との無用のトラブルを回避でき、文書間に一貫性を持たせることもできます。
    今回問題となっているのはサカスさんのようですが、個人的には脚注節を記事の最後に持ってくる積極的な理由が分かりません。上記のとおり敢えてガイドラインに準拠しないのであれば、相応の理由をもって関係者の方々を説得する必要があると思います。--Penn Station 2009年9月3日 (木) 11:00 (UTC)[返信]
    前後番組のテンプレートそのものが、脚注のようなものであると判断したためです。なぜ、最後においてはいけないのかという私の疑問のお答えにはなっていないと思いますし、脚注は、「脚」という言葉から「足」を意味し、最後尾に置かれるのがベストであると思っています。これは以前に議論として出ているため、ここでは触れません。「外部リンク」の節の中に、前後番組のテンプレートがあるということがおかしいのも、この行動の1つです(こちらでも触れました)。--Nobook 2009年9月3日 (木) 12:30 (UTC)[返信]
    前後番組のテンプレートは脚注のようなものであるとは思いません。私は脚注は本文の一部と考えており(そもそも<ref>タグは本文中に埋め込む)、関連項目および外部リンク節より上に設けるべきものと判断しています。--akane700 2009年9月3日 (木) 13:31 (UTC)[返信]
    前後番組のテンプレートはあった方がいいものの、あってもなくてもどちらでもいいものであり、誘導のためのテンプレート(補足のようなもの)と捉えています。脚注も、本文の中の説明等を補足する節である以上、前後番組のテンプレートは、補足・脚注扱いで充分だと思います。大概の論文での脚注は、最下部に置かれることが多いため、最下部に脚注があることがベストであると思っています。--Nobook 2009年9月3日 (木) 14:10 (UTC)[返信]
    前後番組のテンプレートは関連項目に近いものではないでしょうか。少なくとも他の記事への言及という点では、記事内部の保管補完という性質を持つ脚注とは異質のものであると僕は考えます。上節改訂案1で言うところの脚注までが論文的性質の部分 (つまり脚注が本文としての文末) 、関連項目以下が他記事へ誘導するための付属部という解釈でいいと思います。--kiku_b(talk/work) 2009年9月3日 (木) 14:34 (UTC)訂正--kiku_b(talk/work) 2009年9月3日 (木) 16:40 (UTC)[返信]
    コメント Nobookさんはガイドライン自体の改訂を希望されていたのですね。Nobookさんの最初の書き込みからは、現行ガイドラインの運用について聞いているとしか読めませんでした。改訂についてはNobookさんご自身で#改訂提案節にコメントいただきましたので、続きはそちらで。なお、私も前後番組テンプレートが「脚注のようなもの」であるとは思いません。--Penn Station 2009年9月3日 (木) 15:59 (UTC)[返信]
    前後番組のテンプレートの位置付けについての意見は、Template‐ノート:前後番組#最下部との同居に述べさせていただきました。上の改訂議論にご参加されるのはけっこうなのですが、前後番組テンプレートを外部リンクと同居させたくないために脚注節を末尾に移動したいというのは本末転倒です。Nobookさんには、合理的な理由を述べていただくことを期待したいです。--Rollin 2009年9月3日 (木) 16:16 (UTC)[返信]
    (コメント)ガイドラインの改定は二の次です。現行ガイドラインの運用について聞いたのです。たまたま、改定案がこの節の真上であったことから、対案を出したまでです。前後番組テンプレート以外にも、司会者・キャスターの変遷といったテンプレート群(これは人物記事に多い)がありますが、これらも「脚注・補足のようなもの(あったら良心的ではあるが、無くても成立するもの)」と思っています。--Nobook 2009年9月3日 (木) 16:40 (UTC)[返信]
    Rollinさんへ>ありがとうございます。Template‐ノート:前後番組#最下部との同居を確認しました。どうもNobookさんは前後番組などのテンプレートが最下部の節に属していると捉えてしまっているようですね…。Rollinさんのご意見に同意です。
    Nobookさんへ>現行ガイドラインの運用については上記で回答したとおりです。前後番組などのテンプレートが「脚注のようなもの」と考える人は、少なくとも現状ではNobookさんだけのようですので、運用対処にせよガイドライン改訂にせよ、その理由のみに基づいてご希望のレイアウトを採用するのは難しそうです(記事ごとに個別に関係者と調整していただくしかないと思います)。--Penn Station 2009年9月3日 (木) 17:04 (UTC) 追記:Penn Station 2009年9月3日 (木) 18:13 (UTC)[返信]
    脚注が補足だなんてとんでもない。脚注は本文の一部ですよ。繰り返しますが、<ref>タグは本文中にあり、本文中に出典を書き込むと可読性が低下するため仕方なく脚注節を設けて本文より下に持ってきているのです。--akane700 2009年9月3日 (木) 20:12 (UTC)[返信]
    脚注=「あったら良心的ではあるが、無くても成立するもの」というNobookさんのご理解が、残念ながら現在のウィキペディアの状況とは一致していません。Template:参照方法のような脚注の使い方の重要性が増しています。失礼ながら、Nobookさんは前後番組のテンプレートという視点からだけ見ているので、視野が狭くなっているのだと思います。--長島左近 2009年9月4日 (金) 11:21 (UTC)[返信]
    脚注が本文の一部であるのには異論はありませんが、あくまでも、本文を補足する意味合いのものと捉えています。長島左近さんは、「前後番組のテンプレートという視点からだけ見ている」とおっしゃっていますが、番組以外の全ての記事に共通して言えると思っています。脚注が後方であったとしても、記事の信頼性が損なわれたり低下することなんてないと思いますし、それこそ思い込みだと思っています。上記の節やこちらでも再三言っていますが、「脚注」の「脚」は、「足」を意味していることからも、関連項目・外部リンクよりも前に来ることなんて絶対にありえないですしおかしいのです。--Nobook 2009年9月4日 (金) 14:34 (UTC)[返信]
    1)「本文を補足する意味合いのものと捉えています」の件ですが、ウィキペディアはゼミの卒論集とは違います。雑多な人が集まった自由すぎる共同執筆で常に変動しており、補足の意味合いもまた違ってきます。Template:参照方法のように補足が主役と同等なほど重要になることもあります。それがウィキペディアは紙製ではありませんという事なのです。2) 残念ですがウィキペディアは常に色々な人の魔の手にさらされており、なるべく監視しやすくしなければなりません。そのためにはどうすれば良いか?それがレイアウトの最重要ポイントであって、紙製の書籍のレイアウトがどうであろうと関係ありません。まして「脚」や「足」などの言葉遊びをしている暇は無いのです。失礼ながら。--長島左近 2009年9月4日 (金) 15:22 (UTC)[返信]
    おっしゃる通り紙製ではありませんが、さまざまな記事・論文の執筆のルールであると思っています。脚注の位置が最下部であっても問題点なんてないと思っています、言葉遊び以前に。監視の観点について述べられていますが、すべての記事を隅から隅まで読めば、脚注が最下部にあっても何ら問題はないはずですよ。それとも何ですか、監視するの観点だけのものさしでみた時に、最下部まで読むのが面倒臭いから、レイアウトの上部に持って来ようというお話であれば論外です。--Nobook 2009年9月4日 (金) 16:09 (UTC)[返信]

    (コメント)えー、最初に指摘した身なのでちょっとコメント出します。最初のNobookさんの2009年9月3日 (木) 09:01 (UTC)の発言は、1.「テンプレート用の節は設けないと決まっている」、2.「番組テンプレートが外部リンクの節にあるのはおかしい」、3.「番組テンプレートを、補足や出典を示すためのものとして脚注と同列に扱う」とした上で、「今のレイアウトの指針は変えた方がいいと提案した」と判断しています。[返信]

    で、まず2.についていえばテンプレートは一番下におかれているだけで、外部リンクの節に入れる訳じゃありません。外部リンクの節がなければ、関連項目の節に入るわけで。ですので、「テンプレートが外部リンクの節にあるのはおかしい」と思うのであれば、議論すべきは脚注の位置ではなく、テンプレートの位置でしょう。
    次に、3.「テンプレートを、補足や出典を示すためのものとして脚注と同列に扱う」ですが、Wikipedia:検証可能性を満たすためには出典は必ず出すものです。極端な話、番組テンプレートはなくても全然かまいませんが、出典はなければいけません。二つは同列でも同じ内容でもない、まったく別々のものです。履歴をちょっと見ましたが、Nobookさんは<ref>を全然使用していないように見受けられます。「個人の意見書くな」「んだと、誰でも言ってるだろ、ググレカス」「検証可能性なめんな、本か新聞を出典に出せ」といった殺伐としたやりとりが必要な記事の編集に関わったことがある身としては、出典とそれを示す脚注の節に対する理解が十分ではないと感じます。だから「本文を補足する意味合い」なんて言っちゃうのかなーと。
    まず、「テンプレートの位置は一番下だとおかしいのか(今回、たまたま外部リンクの節と一緒になっただけです)」、「Wikipediaの原則(検証可能性)を満たすためには示さなければならない出典と、前後の番組を表示する番組テンプレートは同じものなのか、同じ脚注の節に入れて良いものなのか」この2点を整理してから、レイアウトのどの部分を修正することが望ましいか、修正した場合番組テンプレートを使用してない大多数の記事にどんな影響が及ぶのか、この2点を考慮した上で、もう一度提案した方が良いんじゃないかと思います。
    以上です。--Etoa 2009年9月4日 (金) 17:33 (UTC)[返信]

    (競合しましたがそのまま)今回の提案は記事の各セクションの構造と機能にかんするもの、と一応言うことが出来ます。それでは、Wikipediaでは脚注はどのような機能を持っており、その機能に即して構造(配置)を決めるのであれば、どのようにすべきなのか。

    まず原点から確認しましょう。紙製の百科事典の記事は専門家が書きます。そしてそのことが記事の品質保証となります。しかしWikipediaは誰でも編集できます。そのようなどこの馬の骨が書いたのか分からない記事に対し、品質保証を求めるのは端的には矛盾します。その矛盾を回避するためにWikipediaがどうしているのかといえば、記述には必ず裏付け(Wikipedia:検証可能性)を明示する(Wikipedia:出典を明記する)ことであり、Wikipediaにおける脚注とは、それらを実現するという機能を負わされています。

    もちろん脚注が内容上「本文を補足する意味合いのもの」であることはWikipediaであろうがなかろうが、変わりないでしょう。しかし、専門家が書いていることであらかじめ品質に保障がある(それゆえ、注が記されていることがほぼ皆無である)紙製の百科事典と違い、Wikipediaでの脚注が負わされている機能や、その立脚点を考慮するならば、内容上「本文を補足する」ものであったとして、記事の構成の中で担っている機能からすれば「本文を補足する」どころか本文そのものの核心であるといってさえおかしくないはずです。

    そうであるならば、まずもって本文に次いで読者に提示するべきは品質保証(=脚注)でなければなりません。書き手の側からの品質のチェック(長島左近さんの言われるところの「監視」)ももちろん必要です。しかし、それに加えて、より以上に大事なのが誰に対して書いているのかという点です。その意味で言えば、品質保証をする相手は誰でもなく読者であり、それ以外の誰でも(書き手では決して)ありえません。もちろん脚注などなくても品質に信頼がおかれることが望ましく、そうあるべきですが、少なくとも現在のWikipediaがそのようなものではおよそあり得ません。

    そうした意味で本文と脚注を隣接させておくことは「あったら良心的ではあるが、無くても成立するもの」などではありえません。「良心」であるとしても無くてはならないものと考えるべきです。「本文と脚注を隣接させる」という構造には、相応の機能があり、それは決してないがしろにし得ないものだと考えます。テンプレート含め関連項目以下については、kiku_bさんの2009年9月3日 (木) 14:34 (UTC)付発言で言われるべきとおり、「付属部」であるという理解で尽きていると思われますので、重複は避けます。--ikedat76 2009年9月4日 (金) 17:51 (UTC)[返信]

    • (コメント)えっと。「Template:前後番組」をどこに置くのがよいかというと、レイアウトの考え方からいけば、「関連項目」に収めるのがいいんじゃないかなと思う。本文で内部リンクを作成しにくいが関連付けしたいもの、ということ。それで収まりが悪いなら、テンプレートのデザインを変えるか、本文のどこかに置くことを考えて、どうしても必要なら節で区切ることを再度検討すればよいのではないかと思いました。なお、注釈は、まあ補助的なところはありますが、「参照した情報源」は重要です。重要なものを本文に近いところにおかないといけないか、というと、まったく一般向けというほどではない初学者向けの本だとFurther Readings and Resourcesは章末、注釈や「参照した情報源」や文献リストは巻末ということもあるので、自明なことではないと思っていますが、それらは「前後番組のテンプレート」を脚注の上に置くかどうかとは、あまり関係ない話ではないかと思います。--Ks aka 98 2009年9月4日 (金) 18:51 (UTC)[返信]

    外部リンク例の修正提案

    現在、外部リンクの例示としては以下のITmediaのページが使用されています。

    しかし、このページは掲載期限切れとの理由により、削除されているようです。従って適切な例示とは考えられませんので、別のページへ置き換えることを提案いたします。 なお、上記ページへのリンクが張られたのはこの版ですが、その際には特に議論などが行なわれなかった模様です。 置き換えの候補として、同じITmediaのサイトにあった以下のページを考えてみました。

    ITmediaのサイトから「ウィキペディア」でNews検索して見つけた最新のニュースを選んだだけなので、このページに対するこだわりはありません。「外部リンク」の例示なので、メタウィキメインページへのリンクでも良いかと思います。

    例示としてはどちらが適切でしょうか。「○○への置き換えに賛成」「他にもっと適切なリンク先がある」「リンク切れの例示にもなるので現状のままでいい」などなど、ご意見をお待ちしております。--Tondemonai 2009年10月5日 (月) 13:55 (UTC)[返信]

    (対案)
    1. ニュースサイトは期限切れとなったときに再び張り替える手間が発生する虞がある
    2. メタウィキだと「外部」という点が弱くなるのではないか
    3. リンク切れについてはわざわざここでいっしょに解説する必要はない (かえって読みにくくなってしまうのでは)
    以上から、ウィキメディア財団と関係なく、リンク切れになる可能性の低くかつウィキペディアに関連のあるサイトとして次のリンク例示を提案します。
    --kiku_b(talk/work) 2009年10月5日 (月) 14:42 (UTC)[返信]
    ここではあくまで表示例として挙げているわけですから、リンク先への誘導が目的ではありませんし、出典などのようにリンク先が存在しないと問題というわけでもないですよね。ですから、わたしは「リンク切れ」であることを明記すれば現状のままでもよいと思っています。ただ、リンク切れが放置されていますとメンテナンスが不十分と受け取られかねませんので、変更するのでしたら、kiku_bさんご提案の基準でよいのではないでしょうか。--長月みどり 2009年10月5日 (月) 18:35 (UTC)[返信]
    jawpの歴史に関係するもの[9][10]とか、たとえばライセンス周辺[11][12][13]とか、どうでしょう。--Ks aka 98 2009年10月5日 (月) 19:02 (UTC)[返信]

    (提案から約1週間経過)kiku_bさん、長月みどりさん、Ks aka 98さん、ご意見ありがとうございます。いろいろ候補が出てきて、どうしたらいいものか悩んでいるのですが……とりあえずわたしの提示した置き換え候補2つ(Itmediaとメタウィキ)は支持がなかったので取り下げておきますね。どれに置き換えるかですが、kiku_bさん提案の

    は、長月みどりさんも賛成してくださっていますし、わたしも問題ないと思いますので、こちらへの置き換えでどうでしょうか。 Ks aka 98さん提案の候補で「jawpの歴史に関係するもの」はちょっと古すぎるかな?と思い、「ライセンス周辺」はリンク先を見たけれど何が書いてあるのかよく分からなかった(すみません……)ので。 異論がなければ、1週間ほどでIT用語辞典へのリンクに置き換えたいと思っております。--Tondemonai 2009年10月12日 (月) 10:20 (UTC)[返信]

    (報告)1週間新たなご意見がありませんでしたので、IT用語辞典のリンクへ変更を行ないました。いまさら気付いたんですが、『外部のウェブサイトを箇条書き形式で列挙します』とあるのだから、一つに限定する必要はなかったんですね……--Tondemonai 2009年10月19日 (月) 13:46 (UTC)[返信]

    「各節の解説」節における「テンプレート」の位置

    各節の解説の「カテゴリ」→「言語間リンク」→「テンプレート」という節順序を、記事の構成で定義されている一般的な節順序と合わせるため(読者の混乱を避けるため)に「テンプレート」→「カテゴリ」→「言語間リンク」としました。特に問題ないかと思っていますが、もし不都合等あればお知らせください。--Penn Station 2010年12月28日 (火) 23:42 (UTC)[返信]