高向麻呂
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時代 | 飛鳥時代 |
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生誕 | 不明 |
死没 | 和銅元年閏8月5日[1](708年9月23日) |
別名 | 摩呂 |
官位 | 従三位・摂津大夫 |
主君 | 天武天皇→持統天皇→文武天皇→元明天皇 |
氏族 | 高向臣→朝臣 |
父母 | 父:高向国押 |
子 | 色夫智、大足、人足 |
高向 麻呂(たかむこ の まろ)は、飛鳥時代の公卿。名は摩呂とも書く。姓は臣のち朝臣。刑部尚書・高向国押の子。官位は従三位・摂津大夫。
経歴
[編集]天武天皇10年(681年)小錦下に叙せられる。天武天皇13年(684年)遣新羅大使となり、新羅に遣わされる。同年10月の八色の姓の制定により、臣から朝臣に改姓する。翌天武天皇14年(685年)学問僧の観常・雲観らを伴って帰国し、新羅王の献上物をもたらした[2]。
大宝元年(701年)の大宝令の施行を通じて従四位上に叙せられ、翌大宝2年(702年)には参議に任ぜられ朝政への参加を命じられた。慶雲2年(705年)正四位下・中納言、和銅元年(708年)従三位・摂津大夫に叙任されたが、同年閏8月5日に薨去。最終官位は摂津大夫従三位。
官歴
[編集]『六国史』による。
- 天武天皇10年(681年)12月29日:小錦下
- 天武天皇13年(684年)4月20日:遣新羅大使。11月1日:臣から朝臣に改姓(八色の姓制定)
- 時期不詳:従四位上
- 大宝2年(702年)5月21日:参議
- 時期不詳:正四位下
- 慶雲2年(705年)4月22日:中納言
- 和銅元年(708年)正月11日:従三位。3月13日:摂津大夫。閏8月5日:薨去(摂津大夫従三位)