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佐野秀綱

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
佐野秀綱
時代 戦国時代
生誕 文明4年(1472年
死没 天文15年8月13日1546年9月7日[1]または天文17年(1548年)8月)
別名 佐野小太郎[1]
戒名 松根院殿一器徳玄大居士[1]
墓所 栃木県佐野市栃本町1470
曹洞宗本光寺[1]
官位 従五位下、越前[1]
氏族 藤原北家秀郷流藤姓足利氏庶流佐野氏
父母 父:佐野盛綱
兄弟 秀綱藤岡房重[1]柴宮盛俊[1]舟津川秀実[1]小見是綱[2]船越増綱[2]戸室親綱[2]田沼重綱[2]
泰綱[1][2]秀山[1]大橋秀盛[1]片倉俊景[1]柴宮行綱[2]久賀利綱[2]中江川高綱[2]
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佐野 秀綱(さの ひでつな)は、戦国時代武将。父は佐野盛綱。子に泰綱

下野国の有力な国人である佐野氏の第12代当主。大永7年(1527年)頃に家督を相続し[3]古河公方に仕えた。唐沢山城の改築、拡張工事を行ない、城を下野でも有数の堅城に成長させた秀綱は佐野氏の戦国時代における基礎を築き上げた。

また、当主として家訓ともいうべき文書を残しているほか、大永年間に天命村(現・佐野市天明町[4])に観音寺を建立している[3]

脚注

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  1. ^ a b c d e f g h i j k l 『田原族譜』第4版 山士家左伝
  2. ^ a b c d e f g h 『下野国誌. 巻之11』河野守弘
  3. ^ a b 佐野市 2020, 秀綱の家訓.
  4. ^ 佐野市 2020, 佐野市の紹介-地名のいわれ-天明町.

参考文献

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  • 山士家左伝 編『田原族譜』東明会、1883年9月。 NCID BA85281841https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/780477 
  • 河野守弘 編『下野国誌. 巻之11』佐藤三一郎、1893年10月。 NCID BB19199224https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/763936 
  • 佐野市教育総務部文化財課. “秀綱の家訓/佐野市”. 佐野市ホームページ. 佐野市役所. 2020年1月1日閲覧。
  • 佐野市観光立市推進課. “佐野市の紹介-地名のいわれ-天明町”. 佐野市ホームページ. 佐野市役所. 2020年1月1日閲覧。