佐野泰綱
表示
時代 | 戦国時代 |
---|---|
生誕 | 長享2年(1488年) |
死没 | 永禄3年(1560年)1月29日)[1] |
別名 | 通称:小太郎 |
戒名 | 東根院殿渓唯禅大居士[1] |
墓所 |
栃木県佐野市栃本町1470 曹洞宗本光寺 |
官位 | 修理亮 |
主君 | 足利高基→晴氏 |
氏族 | 藤原北家秀郷流藤姓足利氏庶流佐野氏 |
父母 | 父:佐野秀綱? |
兄弟 | 泰綱、柴宮行綱、久賀利綱、中江川高綱 |
子 | 豊綱、昌綱、房綱(天徳寺宝衍)[2] |
佐野 泰綱(さの やすつな)は、戦国時代の武将。佐野秀綱の嫡男とされるが、各種系図で出自や年齢が異なっており、実際は不明。
生涯
[編集]下野国の有力な国人である佐野氏の第13代当主。古河公方に仕えたが、公方家が衰退しつつあることもあって、下野国に独立的な勢力を築き上げた。
永正6年(1509年)には、関東を旅していた連歌師宗長を佐野に迎え、連歌会を催している[3]。