北条篤貞
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時代 | 鎌倉時代 |
---|---|
生誕 | 不明 |
死没 | 嘉元3年(1305年)? |
別名 | 平太 |
幕府 | 鎌倉幕府 |
氏族 | 北条氏 |
父母 | 父:桜田時厳、母:不詳 |
兄弟 | 元助、師頼、兼貞、貞国、篤貞、頼覚、貞源、綱栄、貞宗 |
妻 | 不詳 |
特記 事項 | 北条時頼の孫、従兄弟の北条宗方の養子になった。 |
北条 篤貞(ほうじょう あつさだ、生没年未詳)は、鎌倉時代後期の武士[1][2]。通称は「平太」と称された[1][2]。父は桜田時厳であり、鎌倉幕府第5代執権の北条時頼の孫にあたる。また、第8代執権の北条時宗の甥にあたり、第9代執権の北条貞時の従兄弟にあたる[3]。従兄弟の北条宗方の養子になった。義時流 (得宗)[2]。嘉元3年(1305年)に発生した嘉元の乱にて従兄弟の北条宗方同様に討死したと推定されている[4][5][6]。
兄弟に北条元助[7][8][3]、北条師頼、北条兼貞、北条貞国、頼覚、貞源、北条綱栄、北条貞宗がいる[8]。
得宗家と桜田流との関係系図
[編集]凡例:数字は得宗家代数、太字は執権経験者。
時頼6 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
時輔 | 時宗7 | 〔宗政流〕 宗政 | 宗頼 | 〔桜田流〕 時厳 | 宗時 | 政頼 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
貞時8 | 元助 | 頼覚 | 師頼 | 兼貞 | 貞国 | 篤貞 | 貞源 | 綱栄 | 定宗 (貞宗とも称す) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
高時9 | 時光 | 十郎 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
脚注
[編集]- ^ a b 北条氏系譜 2001, p. 147.
- ^ a b c 鎌倉北条氏 2019, p. 219.
- ^ a b 鎌倉北条氏 2019, p. 137.
- ^ 得宗専制論 2000, p. 40.
- ^ 得宗専制論 2000, p. 41.
- ^ 得宗専制論 2000, p. 51.
- ^ 『北条氏系譜人名辞典』には元助の記載があるが、『鎌倉北条氏人名辞典』には元助の記載がない。
- ^ a b 北条氏系譜 2001, p. 90.
参考文献
[編集]- 北条氏研究会 著、北条氏研究会 編『北条氏系譜人名辞典』(第1版)新人物往来社、2001年6月15日。ISBN 4-404-02908-X。
- 北条氏研究会 著、菊池紳一 編『鎌倉北条氏人名辞典』(第1版)勉強出版、2019年10月25日。ISBN 978-4-585-22255-2。
- 細川重男『鎌倉政権得宗専制論』(第1版)吉川弘文館、2000年1月10日。ISBN 4-642-02786-6。
関連項目
[編集]外部リンク
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