城山神社 (坂出市)
城山神社 | |
---|---|
拝殿 | |
所在地 | 香川県坂出市府中町本村4760 |
位置 | 北緯34度17分38.50秒 東経133度54分40.70秒 / 北緯34.2940278度 東経133.9113056度座標: 北緯34度17分38.50秒 東経133度54分40.70秒 / 北緯34.2940278度 東経133.9113056度 |
主祭神 | 神櫛別命 |
社格等 |
式内社(名神大) 旧県社 |
本殿の様式 | 春日造 |
例祭 | 10月8日 |
城山神社(きやまじんじゃ)は、香川県坂出市府中町にある神社。式内社(名神大社)で、旧社格は県社。
祭神
[編集]祭神は次の3柱。
歴史
[編集]創建
[編集]社伝では、祭神の神櫛別命は、景行天皇の御代に南海で悪魚を退治した功で讃岐国造に任じられたという。のち館を城山に造営して住んでいたが、仲哀天皇8年に120歳で没した。その後、祠を建てその神霊を祀ったのが当社の始まりと伝える[1][2]。
神櫛別命に関しては、『日本書紀』にも「神櫛王(神櫛別命に同じ)は讃岐国造の祖である」と記載されている[3]。なお『先代旧事本紀』「国造本紀」では「神櫛別命三世孫の須売保礼命が応神天皇期に讃岐国造の任を賜った」と記しており[4]、讃岐国造一族の祖とする点では同じである。
また、社伝では元々は城山一峰に残る明神原遺跡(後述)の地に鎮座していたとしている。明神原には現在も巨石数個があることから、古代より同地で祭祀が行われたと推測される[5]。
概史
[編集]国史では、『日本三代実録』貞観元年(859年)条・貞観7年(865年)条に「城山神」に対する神階昇叙の記事が見える。
延長5年(927年)成立の『延喜式』神名帳では讃岐国阿野郡に「城山神社 名神大」と記載され、名神大社に列している。讃岐国の名神大社は、当社のほか田村神社・粟井神社の計3社のみになる。このように崇敬を受けたのは城山山麓に讃岐国府が置かれていたことも関係していたと見られ[5]、府内鎮護・国衙守護の性格を持ったとする説もある[5]。
『菅家文草』によれば、仁和4年(888年)に讃岐国司の菅原道真は城山神社で降雨祈願を行なっている[6]。祈願は成功し豊作をもたらしたという。
中世の様子は不明であるが次第に衰退したと見られ、その後貞治元年(1362年)の細川頼之・清氏の合戦の兵火で焼失した[5]。そのため神体のみが印鑰の地(北緯34度17分43.51秒 東経133度55分03.35秒 / 北緯34.2954194度 東経133.9175972度)に移されて小祠が建てられ、のち現在地に移された[1]。
神階
[編集]境内
[編集]-
社殿
-
拝殿
摂末社
[編集]境内末社
- 雨請天満宮
- 祭神は菅原道真公。仁和4年の道真の雨乞いを感謝して祀ったことに始まる。
- 四神殿
境外末社
- 福宮神社
- 御霊神社
- 金刀比羅宮
- 須佐之男社
- 市杵島社
- 砂野神社
関係地
[編集]現地情報
[編集]所在地
交通アクセス
周辺
脚注
[編集]- ^ a b 『讃岐国官社考證』(『香川県の地名』城山神社項より)。
- ^ a b 神社由緒書。
- ^ 『日本書紀』景行天皇4年条「次妃五十河媛、生神櫛皇子・稲背入彦皇子。其兄神櫛皇子、是讃岐国造之始祖也。」。
- ^ 『国造本紀』(『先代旧事本紀』第10巻)讃岐国造条「軽島豊明朝御代。景行帝児神櫛王三世孫須売保礼命定賜国造。」。
- ^ a b c d e 『香川県の地名』城山神社項。
- ^ 『菅家文草』仁和4年5月6日祭城山神文(城山神社(神道・神社史料集成)参照)。
- ^ a b 城山(きやま)、史跡城山(坂出市ホームページ)。
- ^ 『香川県の地名』城山項。
- ^ 『香川県の地名』鼓岡項では円墳と記載(神櫛別命との関係性は指摘していない)。
参考文献
[編集]- 神社由緒書
- 『日本歴史地名大系 香川県の地名』(平凡社)坂出市 城山項・城山神社項
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 城山神社 - 國學院大學21世紀COEプログラム「神道・神社史料集成」