ヤマハ硬式野球部
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チーム名(通称) | ヤマハ |
---|---|
加盟団体 | 日本野球連盟 |
加盟区分 | 企業チーム |
創部 | 1958年 |
チーム名の遍歴 |
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本拠地自治体 |
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チームカラー | 紫色 |
監督 | 申原直樹[1] |
都市対抗野球大会 | |
出場回数 | 45回 |
最近の出場 | 2024年 |
最高成績 | 優勝(3回) |
日本産業対抗野球大会 | |
出場回数 | 4回 |
最近の出場 | 1972年 |
最高成績 | 準優勝 |
社会人野球日本選手権大会 | |
出場回数 | 28回 |
最近の出場 | 2024年 |
最高成績 | 優勝(1回) |
全日本クラブ野球選手権大会 | |
出場回数 | ※出場資格なし |
ヤマハ硬式野球部(ヤマハこうしきやきゅうぶ)は、静岡県浜松市に本拠地を置き、日本野球連盟に加盟している社会人野球の企業チームである(練習グラウンドは静岡県磐田市に所在する)。
運営母体は、楽器・音響機器・自動車部品製造発売を手がけるメーカーのヤマハ。
概要
[編集]1958年、『日本楽器硬式野球部』として創部。
1965年の都市対抗野球で初出場を果たし、1967年の都市対抗野球では準優勝、1972年の都市対抗野球では初優勝を果たした。
1976年の日本選手権で初出場を果たし、1980年の日本選手権と1985年の日本選手権では準優勝を果たした。
1987年、本社の名称変更に伴いチーム名を『ヤマハ硬式野球部』に改称した。同年は、都市対抗野球で2度目の優勝を果たした。
これまで静岡県内では、大昭和製紙(富士市)、河合楽器(浜松市)らの強豪と常にしのぎを削ってきたが、1993年に大昭和製紙が休部し(1996年に廃部)、2001年に河合楽器が休部して以降は静岡県内では唯一の企業チームとして活動している。
設立・沿革
[編集]- 1958年 - 『日本楽器』として創部。
- 1965年 - 都市対抗野球に初出場(初戦敗退)。第15回日本産業対抗野球大会で準優勝。
- 1967年 - 都市対抗野球で準優勝。
- 1972年 - 都市対抗野球で初優勝。
- 1976年 - 日本選手権に初出場(初戦敗退)。
- 1980年 - 日本選手権で準優勝。
- 1985年 - 日本選手権で準優勝。
- 1987年 - 本社の名称変更に伴い、チーム名を『ヤマハ』に改称。都市対抗野球で2度目の優勝。
- 1990年 - 都市対抗野球で3度目の優勝。
- 2016年 - 日本選手権で初優勝。
- 2023年 - 都市対抗野球で2度目の準優勝。
主要大会の出場歴・最高成績
[編集]- 都市対抗野球大会:出場45回、優勝3回(1972、1987、1990年)、準優勝2回(1967年、2023年)
- 日本産業対抗野球大会:出場4回、準優勝1回(1965年)
- 社会人野球日本選手権大会:出場28回、優勝1回(2016年)、準優勝3回(1980、1985年)
- JABA北海道大会:優勝1回(2004年)
- JABA東北大会:優勝3回(2001、2021、2024年)
- JABA静岡大会:優勝4回(1973、1993、2002年、2023年)
- JABAベーブルース杯争奪大会:優勝1回(1966年)
- JABA京都大会:優勝2回(1977、2010年)
- JABA岡山大会:優勝1回(1971年)
- JABA九州大会:優勝1回(1965年)
- JABA長野県知事旗争奪野球大会:優勝7回(1965、1966、1970、1971、1979、1980、1982年)
- JABA日立市長杯争奪大会:優勝2回(1985、1990年)
- JABA広島大会:優勝1回(2000年)
- JABA新潟大会:優勝5回(1988、1989、1990、1994、2003年)
- JABA富山市長旗争奪富山大会:優勝3回(1975、1985、2005年)
- JABA高山市長旗・飛騨市長杯争奪高山大会:優勝2回(1989、2010年)
- JABA伊勢・松阪大会:優勝5回(1971、1972、1979、1982、2003年)
主な出身プロ野球選手
[編集]- 村上公康(捕手) - 1966年第1次ドラフト4位で西鉄ライオンズに入団
- 中野孝征(内野手) - 1967年ドラフト1位でサンケイアトムズに入団
- 服部敏和(内野手) - 1968年ドラフト10位で近鉄バファローズに入団
- 鎌野裕(投手) - 1971年ドラフト6位で東映フライヤーズに入団
- 池谷公二郎(投手) - 1972年ドラフト1位で広島東洋カープから指名を受け、翌1973年シーズン終了後に入団
- 新美敏(投手) - 1972年ドラフト1位で日拓ホームフライヤーズに入団
- 辻哲也(外野手) - 1972年ドラフト7位で中日ドラゴンズに入団
- 榊原良行(内野手) - 1974年ドラフト4位で阪神タイガースに入団
- 深沢恵雄(投手) - 1975年ドラフト5位で阪神タイガースから指名を受け、翌1976年シーズン終了後に入団
- 河守峰男(投手) - 1975年ドラフト外で大洋ホエールズに入団
- 佐藤滋孝(外野手) - 1979年ドラフト外で阪急ブレーブスに入団
- 藤原仁(投手) - 1979年ドラフト外で阪神タイガースに入団
- 立野政治(投手) - 1980年ドラフト外でヤクルトスワローズに入団
- 鍋屋道夫(投手) - 1982年ドラフト5位で広島東洋カープに入団
- 熊野輝光(外野手) - 1984年ドラフト3位で阪急ブレーブスに入団
- 高田博久(投手) - 1985年ドラフト外で日本ハムファイターズに入団
- 西村龍次(投手) - 1989年ドラフト1位でヤクルトスワローズに入団
- 吉田篤史(投手) - 1991年ドラフト1位で千葉ロッテマリーンズに入団
- 岡本真也(投手) - 2000年ドラフト4位で中日ドラゴンズに入団
- 辻竜太郎(外野手) - 2001年ドラフト8位でオリックス・ブルーウェーブに入団
- 筒井正也(投手) - 2001年ドラフト8位で広島東洋カープに入団
- 三東洋(投手) - 2002年ドラフト6位で阪神タイガースに入団
- 歌藤達夫(投手) - 2003年ドラフト自由獲得枠でオリックス・ブルーウェーブに入団
- 森山周(内野手) - 2005年大学生・社会人ドラフト4位でオリックス・バファローズに入団
- 岡本洋介(投手) - 2009年ドラフト6位で埼玉西武ライオンズに入団
- 石山泰稚(投手) - 2012年ドラフト1位で東京ヤクルトスワローズに入団
- 竹下真吾(投手) - 2014年ドラフト1位で東京ヤクルトスワローズに入団
- 池田駿(投手) - 2016年ドラフト4位で読売ジャイアンツに入団
- 鈴木博志(投手) - 2017年ドラフト1位で中日ドラゴンズに入団
- 池谷蒼大(投手) - 2020年ドラフト5位で横浜DeNAベイスターズに入団
- 宮崎竜成(内野手) - 2024年ドラフト2位で千葉ロッテマリーンズより指名
元プロ野球選手の競技者登録
[編集]- 森口哲夫(元:阪急ブレーブス、大映ユニオンズ) - 投手→監督→退団
- 佐藤二朗(元:ヤクルトスワローズ) - 内野手→兼任コーチ→コーチ(2007年~2022年)
- ロドリゴ宮本(元:ヤクルトスワローズ) - 投手→退団
- 網谷圭将(元:横浜DeNAベイスターズ) - 内野手(2019年~)
かつて在籍していた選手・コーチ・監督
[編集]- 川島勝司(内野手) - 選手として在籍し、その後監督を務めた。ソウルオリンピック日本代表コーチ。アトランタオリンピック日本代表監督。
- 長田仁志(外野手) - 選手として在籍し社会人ベストナイン等の数々の賞を受賞、その後監督を務めた。監督時の1999年都市対抗野球大会ではチームを3位に導く。現在は静清高等学校野球部の監督を務める。静清高校含め、これまで数多くのプロ野球選手を輩出。
- 髙栁信英 - 選手として在籍し、その後監督を務めた。実弟は高柳秀樹。
- 鳥谷司(内野手) - 実兄は鳥谷敬[2]。
- 町田友潤(内野手) - 常葉学園菊川にて2007年の選抜高校野球大会で「甲子園史上最高の二塁手」と評されるほどの好守備で優勝に貢献した[3]。
- 山路哲生(内野手) - 選手として在籍した。現役引退後、東北福祉大学硬式野球部のコーチ・監督を歴任。
- 山本泰(外野手) - 選手として在籍した。現役引退後、PL学園高野球部の監督、大阪産業大学高野球部の監督、法政大学野球部の監督、大阪近鉄バファローズにスカウトなどを歴任。
- 河野和洋(外野手) - 選手として在籍した。退団後は米独立リーグ球団などに所属。現役引退後、帝京平成大学硬式野球部の監督に就任[4]。
- 山本秀樹(内野手) - 選手として在籍し、その後監督を務めた。
- 吉村健二(投手) - 選手として在籍した。第3回WBCブラジル代表。
- 劉秋農(投手) - ロサンゼルスオリンピック台湾代表。
- フェリペ・ナテル(投手) - 選手として在籍し、2023年よりコーチも兼任した。2025年シーズンより福岡ソフトバンクホークスの四軍投手コーチに就任。
関連項目
[編集]- 社会人野球チーム一覧
- 都市対抗野球大会 (静岡県勢)
- ヤマハ発動機野球部 - ヤマハの関連会社であるヤマハ発動機が支援しているクラブチーム。
- ヤマハ吹奏楽団浜松 - 全国大会に出場した場合に応援団として応援に行く吹奏楽団。
脚注
[編集]出典
[編集]- ^ “社会人野球ヤマハの新監督に申原(のぶはら)直樹氏が就任…中大時代は巨人の阿部慎之助監督の一学年後輩”. スポーツ報知 (2023年12月2日). 2024年1月17日閲覧。
- ^ “阪神・鳥谷、兄の素顔 家族に明かした決意”. SANSPO.COM: p. 5. (2017年9月9日) 2020年3月25日閲覧。
- ^ “「甲子園史上最高の二塁手」と呼ばれた選手 なぜ球界から姿を消した?”. ライブドアニュース. 2019年8月13日閲覧。
- ^ 『帝京平成大学硬式野球部の監督に河野和洋氏が就任』(プレスリリース)帝京平成大学、2019年11月22日 。2020年3月25日閲覧。
外部リンク
[編集]- ヤマハ野球部オフィシャルサイト
- ヤマハ野球部 (@Yamaha_Baseball) - X(旧Twitter)[リンク切れ]
- ヤマハ硬式野球部 (@yamaha_baseball) - Instagram
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