十八銀行
本店 | |
種類 | 株式会社 |
---|---|
市場情報 | |
本社所在地 |
日本 長崎県長崎市銅座町1-11 |
設立 |
1877年(明治10年)9月2日 (第十八国立銀行) |
業種 | 銀行業 |
法人番号 | 7310001000829 |
金融機関コード | 0180 |
SWIFTコード | EITNJPJT |
事業内容 | 銀行業 |
代表者 |
代表取締役頭取:森拓二郎 代表取締役副頭取:荒木英二 代表取締役専務:福富卓 |
資本金 |
244億4百万円 (2015年3月31日現在) |
発行済株式総数 |
1億7,371万7千株 (2015年3月31日現在) |
純利益 |
単体:64億62百万円 連結:67億12百万円 (2015年3月期) |
純資産 |
単体:1,501億33百万円 連結:1,561億83百万円 (2015年3月31日現在) |
総資産 |
単体:2兆7,689億11百万円 連結:2兆7,811億26百万円 (2015年3月31日現在) |
従業員数 |
単体:1,404人 連結:1,557人 (2015年3月31日現在) |
決算期 | 3月31日 |
主要株主 | ふくおかフィナンシャルグループ |
主要子会社 | #関係会社参照 |
十八銀行のデータ | |
---|---|
法人番号 | 7310001000829 |
店舗数 |
100店 (本支店・出張所) |
貸出金残高 | 1兆4,592億59百万円 |
預金残高 | 2兆3,984億35百万円 |
特記事項: (2015年3月31日現在) 『株式会社十八銀行有価証券報告書 ‐ 第240期』に拠る。 |
株式会社十八銀行(じゅうはちぎんこう、英: The Eighteenth Bank, Limited)は、長崎県長崎市銅座町に本店を置いていたかつて存在した地方銀行。
2019年に金融持株会社・ふくおかフィナンシャルグループの完全子会社となった後、2020年に親和銀行と統合し、十八親和銀行となった(親和銀行が存続行のため、十八銀行は解散)。
概要
長崎県(親和銀行と共同)・長崎市の指定金融機関であった。ネット支店であるデジタル出島支店を展開するほか、入金照合サービスで使用する被振込専用支店は長崎ゆかりの人物であるフィリップ・フランツ・フォン・シーボルトの名を冠して「シーボルト支店」としている。
数字の銀行名(旧国立銀行)で、唯一数字の部分の英称が英語読み(JuhachiではなくEighteenth)の銀行であった。
コーポレートスローガンは「大切にしたい 心と心」。
FFG傘下入りと親和銀行との経営統合について
かつては北の親和、南の十八とすみ分けがはっきりしていた長崎県の金融界だが、親和銀行がふくおかフィナンシャルグループ(FFG)が傘下になり、競合が激化した[1]。このため十八銀行は、システムの合理化により店舗間の情報共有を進めたほか、法人営業の人員を増やすなど体制の再構築に取り組んだ[2]。さらに2014年には、個人向けリテール融資の拡大を図るため「ローンプラザ」の人員を増やし、渉外行員にはタブレットを携帯させた上で、融資審査を迅速化する体制を構築した[3]。
2016年、親和銀行を傘下に置くFFGと、経営統合を目指して協議していくことで基本合意[4]。2017年4月をめどにFFGが十八銀行を株式交換方式で完全子会社化し経営統合[4]。さらに2018年4月をめどに、ライバル関係にあった親和銀行との合併を計画していた[注 1][4][5]。だが、公正取引委員会による私的独占の禁止及び公正取引の確保に関する法律(独占禁止法)に関する審査が難航し、2017年1月には経営統合を、同年10月に親和銀行との合併を2018年10月に延期すると発表していた[6]。
再延期を発表
2017年7月25日、FFGの柴戸隆成社長(福岡銀行頭取)、十八銀行の森拓二郎頭取、親和銀行の吉澤俊介頭取は福岡市で記者会見を開き、10月に予定していた経営統合の時期を未定として再延期すると正式発表した[7]。統合によって、長崎県内の貸し出しシェアが7割に達し健全な競争環境が阻害されるとみる公取委の企業結合審査が長期化していることを受けての措置[8]。森頭取は、記者から統合断念の可能性を問われ、「再延期を発表し頑張ると表明した現段階で、白紙撤回は考えていない。万策尽きて、という感覚がまだない。(公取委と)議論ができるうちは、頑張っていきたい。何とか統合を成し遂げたいとの気持ちだ。」と述べている[9]。
経営統合
2018年8月24日、公取委より条件付きで排除措置命令を行わない旨の通知があったが、これは長崎県内3経済圏(離島以外)における中小企業向け貸出について競争を実質的に制限することとなる懸念に対し、FFGと十八銀行が申し出た問題解消措置(1千億円弱相当の貸出債権譲渡)を講じることを前提としている[10]。FFGは2019年4月の経営統合を発表。十八銀行は2019年3月27日に上場廃止となり、同年4月1日付でFFGの完全子会社となった[11]。なお、十八銀行は長崎県内に本社を置く唯一の上場企業であったため、この上場廃止により県内に本社を置く上場企業はゼロとなり、長崎県は上場企業がない唯一の都道府県となった[12]。
2020年10月1日に、十八銀行は親和銀行へ吸収合併され解散し、存続行となる親和銀行は十八親和銀行へ商号変更した。
沿革
- 前史
- 1870年(明治3年)1月 - 産物会所の貸付金整理業の協力社が設立される。
- 1872年(明治5年)
- 1874年(明治7年)10月8日 - 松田源五郎、上海・香港へ渡り、第一国立銀行員として銀貨流通状況を視察。
- 1875年(明治8年)9月15日 - 立誠会社を株式組織とする。
- 正史
- 1877年(明治10年)
- 1878年(明治11年)
- 1879年(明治12年)
- 1885年(明治18年)
- 7月 - 政府紙幣5万円の下付を受け、洋銀買い付けを開始。
- 9月 - 洋銀鑑定人を採用。
- 1886年(明治19年)
- 1889年(明治22年)
- 1890年(明治23年)10月 - 第一号支店を朝鮮国(現・大韓民国)仁川広域市に開設。
- 1897年(明治30年)7月1日 - 普通銀行に転換、「株式会社十八銀行」に改称し、営業を継続。(資本金100万円)
- 1907年(明治40年)
- 1月 - 株式の大暴落に端を発し、市場は混乱、金融界もその大打撃を受け、各所で取り付け騒ぎが起こる。
- 6月 - 熊本支店で取り付けにあう。
- この年 - 清国から銀行事務研修生が続々と長崎を訪れ、十八銀行で研修が行われる。
- 1908年(明治41年)2月 - 厳原支店が取り付けにあう。
- 1917年(大正6年)11月30日 - 資本金300万円を600万円とする。第一次世界大戦の結果、経済界は空前の活況を呈し、銀行の新設や増資の計画が相次いだ。
- 1919年(大正8年)11月1日 - 口之津銀行を合併。資本金を650万円とする。
- 1927年(昭和2年)
- 1928年(昭和3年)4月1日 - 長崎市金庫取扱銀行に指定される。
- 1929年(昭和4年)10月15日 - 有家銀行を合併。
- 1931年(昭和6年)4月10日 - 満55歳定年制を導入。
- 1936年(昭和11年)2月29日 - 政府の朝鮮における金融統制により、在鮮全9支店を朝鮮殖産銀行に譲渡。
- 1942年(昭和17年) - 諫早銀行を合併。
- 1944年(昭和19年)3月15日 - 長崎貯蓄銀行を合併。
- 1945年(昭和20年)
- 1951年(昭和26年)2月10日 - 資本金を1億円とする。
- 1954年(昭和29年)1月11日 - 資本金を倍額増資して2億円とする。
- 1955年(昭和30年)6月4日 - 本店横に扇橋が完成。
- 1961年(昭和36年)3月 - 長崎菱和自動車と連携し、乗用車の月賦金融を開始。
- 1962年(昭和37年)
- 4月23日 - 東京支店を再開。
- 9月 - 全国の銀行の中では初めて出勤簿制度を廃止。
- 1963年(昭和38年)7月1日 - 資本金を6億円とする。
- 1967年(昭和42年)4月30日 - 新本店建設のため、旧館感謝祭を実施。
- 1969年(昭和44年)
- 1971年(昭和46年)8月27日 - ポルトガル長崎領事館[注 3]が本店内に移転し、清島頭取が駐長崎ポルトガル国名誉領事に任命される。
- 1972年(昭和47年)
- 1973年(昭和48年)
- 1976年(昭和51年)4月26日 - 九州の地方銀行では初めて、本店の1階に自動預金機が設置される[13]。
- 1978年(昭和53年) - 西日本初の本格的な無人コーナーを滑石支店に設置。
- 1979年(昭和54年)10月1日 - 資本金を51億円とする。
- 1991年(平成3年)1月1日 - テレビコマーシャル解禁で、石田ゆり子を採用したものを放送開始。
- 1993年(平成5年)4月 - 十八銀行女子陸上部が創設される。
- 2001年(平成13年)1月1日 - ATM365日稼働を開始。
- 2002年(平成14年)
- 2003年(平成15年)7月25日 - バーチャル営業所、シーボルト支店を開設。
- 2009年(平成21年)
- 2010年(平成22年)10月1日 - 大阪証券取引所上場廃止。
- 2016年(平成28年)2月25日 - ふくおかフィナンシャルグループと2017年4月を目途に経営統合する方針を表明。
- 2018年(平成30年)8月24日 - 公正取引委員会、ふくおかフィナンシャルグループと十八銀行の経営統合を承認。
- 2019年(平成31年/令和元年)
- 3月27日 - 東京証券取引所・福岡証券取引所上場廃止[14]。
- 4月1日 - 株式交換に伴ってふくおかフィナンシャルグループと経営統合し、同社の子会社となる。
- 7月1日 - ふくおかフィナンシャルグループ傘下の証券会社であるFFG証券と業務提携し、長崎市の本店営業部・北支店・住吉支店・思案橋支店、佐世保市の佐世保支店、島原市の島原支店の6店舗を手始めに証券会社紹介サービスを開始[15]。
- 7月16日 - 当行の「ローンプラザ」と親和銀行の「ローンセンター」を当行と親和銀行の共同営業拠点である「ローンセンター」へ統一。当行「ローンプラザ長崎」は親和銀行 長崎営業部内の「長崎ローンセンター」へ、当行「ローンプラザ佐世保」はFFG佐世保ビル内の「佐世保ローンセンター」へそれぞれ移転統合、当行「ローンプラザ大村」は親和銀行 大村支店内の「県央ローンセンター」へ移転統合され「大村ローンセンター」へ改称、当行「ローンプラザ諫早」は親和銀行の諫早支店へ移転され「諫早ローンセンター」を新規開設した[16]。
- 2020年(令和2年)
歴代頭取
代 | 氏名 | 期間 | 備考 |
---|---|---|---|
1 | 永見傳三郎 | 1877年 (明治10年)9月21日 - 1885年(明治18年)1月8日まで (7年4か月間) | |
2 | 松田源五郎 | 1885年(明治18年)1月8日 - 1901年(明治34年)4月1日まで (16年3か月間) | |
3 | 松田庄三郎 | 1901年(明治34年)4月1日 - 1916年(大正5年)1月19日まで (14年9か月間) | |
4 | 永見寛二 | 1916年(大正5年)1月19日 - 1922年(大正11年)4月16日まで (6年3か月間) | |
5 | 松田精一 | 1922年(大正11年)4月16日 - 1939年(昭和14年)7月28日まで (17年3か月間) | |
6 | 松田一三 | 1939年(昭和14年)7月28日 - 1956年(昭和31年)3月7日まで (16年8か月間) | |
7 | 清島省三 | 1956年(昭和31年)3月7日 - 1983年(昭和58年)10月1日まで (27年7か月間) | 大蔵省出身。元・北九州財務局長。経済企画庁審議官。 |
8 | 堀太郎 | 1983年(昭和58年)10月1日 - 1990年(平成2年)2月1日まで (6年8か月間) | |
9 | 野﨑元治 | 1990年(平成2年)2月1日 - 2000年(平成12年)6月28日まで (10年4か月間) | |
10 | 藤原和人 | 2000年(平成12年)6月2日 - 2007年(平成19年)6月22日まで (7年間) | |
11 | 宮脇雅俊 | 2007年(平成19年)6月22日 - 2014年(平成26年)6月23日まで(7年間) | |
12 | 森拓二郎 | 2014年(平成26年)6月23日 - | (現職) |
イメージキャラクター
通帳、カードなどに以下のキャラクターを使用[いつ?]
- あらいぐまラスカル
- デジットくん。 - 同社のインターネット上の支店「デジタル出島支店」のイメージキャラクター
店舗網
- 総数 - 99店舗(本店1・支店89・出張所9)※インターネット専用のデジタル出島支店(1)、シーボルト支店(1)を除く。
- 銀行名にちなみ、電話番号に「18」が入っている店舗が多い。
- 長崎県外
- 11店舗(支店11)
- かつて存在した支店・出張所
-
- ウラジオストク松田銀行部 - 1916年(大正5年)3月2日に廃止の上、朝鮮銀行へ譲渡。
- 仁川支店 - 1936年(昭和11年)2月29日に廃止の上、朝鮮殖産銀行へ譲渡。
- 釜山支店 - 同上。
- 元山支店 - 同上。
- 京城支店 - 同上。
- 木浦支店 - 同上。
- 羅州主張所 - 同上。
- 群山支店 - 同上。
- 新龍山支店 - 同上。
- 広島支店 - 1986年(昭和61年)9月16日廃止の上、広島銀行へ譲渡。
- 香港支店 - 1999年(平成11年)9月21日廃止。
- 大分支店 - 2000年(平成12年)7月10日廃止。
- 佐賀支店 - 2000年(平成12年)11月10日廃止。
- 鹿児島支店 - 2001年(平成13年)3月2日廃止。
- 店舗の統廃合
( )は統合先の支店
- 1986年(昭和61年)
- 9月19日 - 八幡支店(北九州支店)
- 1998年(平成10年)
- 11月21日 - 西城山出張所
- 1999年(平成11年)
- 10月15日 - 赤坂支店(福岡支店)、原支店(西福岡支店)
- 2001年(平成13年)
- 3月9日 - 大橋駅前支店(福岡支店)
- 2002年(平成14年)
- 6月7日 - 式見支店(城山支店)、千歳出張所(住吉支店)、江川出張所(深堀支店)、卸センター支店(本店営業部)
- 10月4日 - 宝町支店(北支店)、広馬場支店(本店)、白木支店(思案橋支店)、雲仙支店(小浜支店)
- 2003年(平成15年)
- 1月17日 - 中央市場支店
- 2005年(平成17年)
- 6月24日 - 峰支店(豊玉支店)、佐須奈支店(比田勝支店)、夢彩都出張所(本店)、古賀支店(東長崎支店)、福田出張所(稲佐支店)、小川町出張所(諫早支店)、石田出張所(壱岐支店)
- 2006年(平成18年)
- 1月27日 - 西彼支店(琴海支店)、小長井支店(高来支店)、森山支店(愛野支店)
- 2010年(平成22年)
- 6月21日 - 京坪支店(佐世保支店)、伊王島代理店(本店)
- 2020年(令和2年)
ATM提携
「九州ATMネットワーク」による九州内の銀行との間でATMの相互開放協定を結んでおり、これらの銀行のATMでカードにより預金を引き出す場合、他行利用手数料は徴収されない。
情報処理システム
2000年5月24日、多様化する顧客ニーズや年々進化するITに対して多額の投資が必要とされていた中、経営体質の強化を図るためコスト削減に注力していた十八銀、佐賀銀行、筑邦銀行の3行間で「システムおよび集中事務の共同化」について基本合意し、同年12月1日には最終合意に達した。合意内容は基幹システム(勘定系システム)の共同化、集中事務の共同化、事務フローの共同化、金融サービス業務の共同化であり、これらによってシステムおよび集中事務部門における大幅なコスト削減を実現し、今後の新業務拡大に必要とされるIT等の戦略的分野へのシステム投資を積極的に進め、営業と事務の革新を進めるとの方針を盛り込んだ[18][注 4]。
合意に基づき3行は、共同基幹システムの運用と開発先として富士通を選定し、2004年から順次稼働させるとの計画を立てた。しかし開発の遅延によって同社から3行に対し稼働延期の申し入れがあり、2年半程度の延期を決定した。だが2003年5月、延期によって当時稼働していた各行システムへの追加投資が発生し、共同基幹システムへの移行によるコスト削減効果が減ずると判断したことや、導入予定であった富士通製システムが陳腐化する恐れを考慮し、3行は富士通との契約を解消。新たな委託先と稼働時期の再検討に入った[20]。
2005年5月、3行は経営企画や営業部門などによる連携組織である3行業務研究会を立ち上げ、同時に基幹システムの共通化では日本ユニシス(現・BIPROGY)製オープン勘定系パッケージである「BankVision」の採用を決定した[21]。これによって2009年1月4日、十八銀は先陣を切りBankVisionへ移行した[22][23][注 5]。
格付け
株式会社日本経済研究所による十八銀行の格付けは、「A / 安定的」となっている[26]。格付け対象は、長期優先債務または長期優先債務に準ずるもの。
関係会社
連結子会社
- 十八総合リース株式会社
- 長崎保証サービス株式会社
- 十八ビジネスサービス株式会社
- 株式会社十八カード
- 十八ソフトウェア株式会社
- 株式会社長崎経済研究所
テレビ番組
- 日経スペシャル ガイアの夜明け 湯けむりサバイバル 〜旅館再生に挑む請負人たち〜(2005年9月6日、テレビ東京)[27]。- 地元旅館の再生を取材。
脚注
注釈
- ^ 行内では、ふくおかフィナンシャルグループとの経営統合に向けた協議を行うことで基本合意に至るまでの間には、FFG以外にも、当行とともに親睦会「つばさ会」を構成している、肥後銀行及び鹿児島銀行を傘下に置く九州フィナンシャルグループや、システムを共同で運用している佐賀銀行及び筑邦銀行による「有明連合」との経営統合を行う案もそれぞれ検討されていた[4]。しかし、親和銀行との競争に終止符を打つ観点から、同行との合併及びその親法人であるふくおかフィナンシャルグループとの経営統合を決断したとされる[4]。
- ^ 高さが屋上まで40.55m、塔屋まで51.9mで、当時長崎県下一の超高層ビルであった。
- ^ 1966年(昭和41年)11月24日に魚の町の広高商店内に設置。
- ^ このほか2007年11月13日には、十八銀は鹿児島銀行がITコンサルタント企業と共同で開発に当たった法人向け融資支援システムである「Key Man」の導入を決定し、鹿銀と同システムを核とした業務提携を締結した[19]。
- ^ FFGとの経営統合に伴い、十八銀はBankVisionから離脱し、2018年5月を目処にFFGシステムへ切り替える方針を明らかとしていた[24][25]。2020年10月の十八親和銀行発足後もBankVisionが併存されていたが、2021年1月4日のシステム統合により正式にBankVisionから離脱し、FFGのシステムへ統合・一本化された。
出典
- ^ “長崎や熊本、塗り替わる金融地図 ふくおかFG 統合5年の変革(中)”. 日本経済新聞. (2012年4月27日) 2014年5月22日閲覧。
- ^ “十八銀行、法人営業を強化 11年度に要員倍増”. 日本経済新聞. (2011年3月11日) 2014年5月22日閲覧。
- ^ 「十八銀、個人向け融資を拡大 住宅ローンは営業増員」 『日本経済新聞電子版』 2014年6月21日
- ^ a b c d e FFG・十八銀行統合/中 十八銀、熟慮の末に 「脱消耗戦」で相手先決断(毎日新聞西部版 2016年3月2日朝刊)2018年6月2日確認
- ^ ふくおかFG、十八銀統合 17年4月、地銀首位に 西日本新聞 2016年2月26日、アーカイブ版
- ^ 『株式会社ふくおかフィナンシャルグループと株式会社十八銀行の経営統合のスケジュールに関するお知らせ』(PDF)(プレスリリース)十八銀行、2017年1月20日 。2017年1月24日閲覧。
- ^ “ふくおかFGと十八銀、経営統合の再延期を正式決定”. 産経ニュース. (2017年7月25日) 2017年8月14日閲覧。
- ^ “ふくおかFGと十八銀、統合再延期発表 「時期未定」”. 日本経済新聞. (2017年7月25日) 2017年8月14日閲覧。
- ^ “ふくおかFG・十八銀統合再延期発表 柴戸氏「可能性あるならば」森氏「何とか成し遂げたい」”. 産経ニュース. (2017年7月26日) 2017年8月14日閲覧。
- ^ 『株式会社ふくおかフィナンシャルグループによる株式会社十八銀行の株式取得に関する審査結果について』(プレスリリース)公正取引委員会、2018年8月24日 。2018年10月6日閲覧。
- ^ 『株式会社ふくおかフィナンシャルグループと株式会社十八銀行の経営統合に関する公正取引委員会の審査結果の受領について』(PDF)(プレスリリース)ふくおかフィナンシャルグループ・十八銀行、2018年8月24日 。2018年10月6日閲覧。
- ^ “十八銀が上場廃止、長崎県の上場企業消える”. 日本経済新聞. (2019年3月27日) 2019年3月29日閲覧。
- ^ 「市制百年 長崎年表」(1989年(平成元年)4月1日, 長崎市役所)現代の長崎 p.360
- ^ 『株式会社ふくおかフィナンシャルグループと株式会社十八銀行の株式交換による経営統合に関する最終合意について』(PDF)(プレスリリース)ふくおかフィナンシャルグループ・十八銀行、2018年10月30日 。2018年12月29日閲覧。
- ^ 『十八銀行とFFG証券の業務提携について』(PDF)(プレスリリース)株式会社十八銀行、2019年6月21日 。2020年8月14日閲覧。
- ^ 『十八銀行ローンプラザ・親和銀行ローンセンターの拠点変更について』(PDF)(プレスリリース)株式会社十八銀行、2019年6月27日 。2020年8月14日閲覧。
- ^ a b 『完全子会社である株式会社親和銀行と株式会社十八銀行の合併契約締結及び合併後の新銀行の商号変更に関するお知らせ』(PDF)(プレスリリース)株式会社ふくおかフィナンシャルグループ、2020年5月19日 。2020年8月14日閲覧。
- ^ 『十八銀行130年の歩み』p.356 - 357
- ^ 『十八銀行130年の歩み』p.357 - 358
- ^ 「十八銀行など3行、富士通との契約解消 基幹システム 開発に遅れ」『日経産業新聞』2003年5月7日
- ^ 「十八銀など3行、新商品開発へ研究会発足 基幹システムも共通化」『日経金融新聞』2005年5月24日
- ^ “十八銀行で日本ユニシスの新勘定系システムが稼働開始”. IT Leaders編集部. (2009年1月6日) 2016年3月12日閲覧。
- ^ “新勘定系システム「BankVision(バンクビジョン)」が稼動開始”. 十八銀行. (2009年1月6日) 2016年3月12日閲覧。
- ^ “「前向きな声多い」準備委を設置 ふくおかFG・十八銀統合で”. 日本経済新聞. (2016年3月5日) 2016年3月6日閲覧。
- ^ “十八銀 佐銀とのシステム共同運用を離脱へ”. 佐賀新聞. (2016年2月27日) 2016年3月6日閲覧。
- ^ “News Release” (PDF). 日本経済研究所 (2012年7月20日). 2012年8月11日閲覧。
- ^ 湯けむりサバイバル 〜旅館再生に挑む請負人たち〜 - テレビ東京 2005年9月6日
参考資料
- 市制百年長崎年表編さん委員会編『市制百年 長崎年表』長崎市、1989年(平成元年)4月1日。
- 十八銀行総合企画部130年史編纂担当編『十八銀行130年の歩み』 十八銀行、2008年(平成20年)3月。
関連項目
- 石田ゆり子 - 初代テレビコマーシャル出演者
- チューリップ - かつて企業の花として制定されていた。
- 全日本合唱コンクール - 混声合唱団を持っており、職場部門で出場したことがある。