藤原和人
藤原 和人(ふじわら かずひと 1938年(昭和13年)1月8日 - 2009年(平成21年)10月12日 )は、日本の大蔵官僚、銀行家。十八銀行頭取、国土事務次官(旧・国土庁)。
来歴・人物
[編集]東京都立日比谷高等学校、東京大学法学部第2類(公法コース)卒業[1]。1962年(昭和37年)、大蔵省入省。主計局法規課に配属[2]。1964年(昭和39年)6月に近畿財務局理財部。1965年(昭和40年)6月に経済企画庁国民生活局物価政策課。1968年(昭和43年)7月に岩見沢税務署長。
1971年(昭和46年)7月 外務省在フランス大使館一等書記官[3]、1974年(昭和49年)7月 国際金融局短期資金課長補佐[3]、1976年(昭和51年)7月 大臣官房調査企画課長補佐[3]、大臣官房秘書課長補佐、1977年(昭和52年)5月 大臣官房企画官(兼大臣官房秘書課)などを経て[3]、1979年(昭和54年)7月に主計局主計企画官(調整担当)[4]。
1981年(昭和56年)7月に主計局主計官(総理府、司法・警察担当)。銀行局保険部保険第一課長、銀行局特別金融課長、銀行局銀行課長などを経て、1986年(昭和61年)6月に銀行局総務課長。1987年(昭和62年)6月25日に東海財務局長。1988年6月15日に近畿財務局長。1989年(平成元年)6月、理財局次長(理財担当)。財政金融研究所長を経て、1991年(平成3年)10月、日本銀行政策委員会大蔵省代表委員に就任。1992年6月23日、国土庁に転出し、官房長に。1994年7月1日、国土庁事務次官となる。また阪神淡路大震災における総理府阪神・淡路復興対策本部事務局長も歴任した。
農林漁業金融公庫副総裁を経て、2000年(平成12年)6月から十八銀行頭取に就任。2007年(平成19年)6月に同行頭取退任後、同行取締役会の指名委員会及び報酬委員会委員長に就任するも、2009年(平成21年)に体調不良を理由に顧問に退いた。同年10月12日、都内の病院で逝去[5]。叙正四位。
同期入省
[編集]小川是(JT会長、大蔵次官、国税庁長官)、藤井威(内閣官房内閣内政審議室長、理財局長)、津野修、江沢雄一(国際金融局長)、松田篤之(造幣局長)、真鍋光広(衆議院議員)など。
脚注
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ビジネス | ||
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先代 野﨑元治 |
十八銀行頭取 :2000年 -2007年 |
次代 宮脇雅俊 |