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結城安次

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
結城安次

結城 安次(ゆうき やすじ、1884年明治17年)10月17日[1] - 1977年昭和52年)3月4日[2])は、大正から昭和時代の政治家実業家貴族院多額納税者議員参議院議員

経歴

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結城萬蔵の二男[1][3]、結城堅の弟として茨城県取手町(現取手市)に生まれる[4]1911年(明治44年)東京帝国大学法科大学法律学科(独法)を卒業し、三井物産に入り、本店、上海、大阪各支店にて勤務する[4][2]1924年(大正13年)清浦内閣の時、逓信大臣秘書官に任ぜられた[4]。実業界では早川電力、東京電力大井川鐵道などの重役、自動車鋳物、大井川電力各社長[2]三河水力電気、伊豆水力電気、上毛電力、東京湾電気、寸又川水力電気各取締役[4]などを歴任した。

1939年(昭和14年)茨城県多額納税者として貴族院議員に互選され、同年9月29日[5]から1947年(昭和22年)5月2日の貴族院廃止まで在任する[2]。戦後は1947年(昭和22年)4月の第1回参議院議員通常選挙茨城地方区から出馬し当選[6]緑風会に所属し参議院議員を1期務めた[6]。政界では、鉄道省運輸通信省、議会制度審議会各委員[2]、参議院通商産業委員長を歴任したほか、第9回国際連盟総会帝国使節団員としてジュネーブに派遣された[6]

1964年(昭和39年)秋の叙勲で勲二等瑞宝章を受章(勲四等からの昇叙)[7]

1977年(昭和52年)3月4日死去、92歳。死没日をもって従五位から正四位に叙される[8]

子の安蔵は茨城県教育委員や取手市議を歴任、現取手市議の繁は弟の孫。

脚注

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  1. ^ a b 『大衆人事録 改訂13版』823頁。
  2. ^ a b c d e 衆議院、参議院 編 1960, 219頁.
  3. ^ 人事興信所 1915, ゆ6頁.
  4. ^ a b c d 人事興信所 1928, ユ9頁.
  5. ^ 『官報』第3823号、昭和14年9月30日。
  6. ^ a b c 衆議院、参議院 編 1960, 310頁.
  7. ^ 『官報』第11369号6頁 昭和39年11月4日号
  8. ^ 『官報』第15052号15-16頁 昭和52年3月15日号

参考文献

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議会
先代
竹中七郎
日本の旗 参議院通商産業委員長 次代
中川以良