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若宮小太郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
わかみや こたろう

若宮 小太郎
生誕 1913年1月21日
日本の旗 日本 東京都
死没 1967年8月2日(54歳没)
出身校 東京帝国大学法学部卒業
職業 朝日新聞記者
内閣総理大臣秘書官
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若宮 小太郎(わかみや こたろう、1913年大正2年〉1月21日[1] - 1967年昭和42年〉8月2日)は、日本の政治評論家朝日新聞新聞記者鳩山一郎首相内閣総理大臣秘書官東京帝国大学法学部卒業。東京都出身。長男はジャーナリスト若宮啓文

経歴

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東京都出身。東京帝国大学法学部卒業。朝日新聞の新聞記者で、社会党の担当を長くに渡って務め、後に鳩山一郎内閣総理大臣秘書官に就任した[1]

1963年昭和38年)には社会党民社党の推薦で神奈川県知事選挙に出馬するも内山岩太郎に敗れ落選。またこれまでに日本評論家協会理事・ラジオ関東常務・朝日新聞大阪支社長などを歴任[2]

1967年昭和42年)8月2日、死去。享年54。

著書

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  • 『若宮小太郎 二つの日記 日ソ交渉とアメリカ旅行』朝日新聞社書籍編集部、2007年8月2日。 NCID BC09952239全国書誌番号:21282928 

脚注

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  1. ^ a b 『人事興信録』 下(第23版)、人事興信所、1966年5月16日、わ21頁。 
  2. ^ 1963年,神奈川県選挙管理委員会『地方選挙の記錄』