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芝辻一郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
芝辻一郎

芝辻 一郎(しばつじ いちろう、1883年明治16年)6月6日 - 1962年昭和37年)1月12日[1])は、日本内務官僚。官選山梨県知事川崎市長沼津市長。

経歴

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千葉県安房郡北条町長須賀(現:館山市長須賀)で、旧龍野藩士・芝辻勝の長男として生まれる[1][2]北条町尋常高等小学校千葉中学校第一高等学校を経て、1910年7月、東京帝国大学法科大学政治学科を卒業。同年9月、内務省に入省し東京府属となる。1911年11月、文官高等試験行政科試験に合格[1][3][4][5]

以後、神奈川県理事官、同県三浦郡長、同愛甲郡長、福島県北会津郡長、同県伊達郡長、富山県事務官・学務部長、愛媛県警察部長、宮崎県書記官・内務部長、三重県書記官・内務部長などを歴任[1][3]

1931年12月、山梨県知事に就任。不況対策に取り組み、甲府市水道事業の拡張などに尽力した[1][3]1932年6月28日、知事を休職[6]1933年8月14日、依願免本官となり退官した[7]

1935年9月14日、川崎市長に就任。戦時体制の強化政策を推進し、1939年9月13日任期満了で退任した[4]1943年1月16日、沼津市長に就任。1944年4月、駿東郡片浜村金岡村大岡村静浦村との合併を実現。戦時下の増産体制の整備を行う。また、戦災からの復興に尽力[8]。しかし、戦災対策の処理の停滞を理由に沼津市会から辞職勧告を受け、1945年10月11日に市長を退任した[8][9]。その後、公職追放となった[10]

脚注

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  1. ^ a b c d e 『山梨百科事典』増補改訂版、456-457頁。
  2. ^ 『人事興信録』第8版、シ35頁。
  3. ^ a b c 『新編日本の歴代知事』505頁。
  4. ^ a b 『日本の歴代市長』第1巻、1049頁。
  5. ^ 『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』201頁。
  6. ^ 『官報』第1648号、昭和7年6月29日。
  7. ^ 『官報』第1987号、昭和8年8月15日。
  8. ^ a b 『日本の歴代市長』第2巻、367頁。
  9. ^ 『朝日新聞』(東京本社発行)1945年10月11日朝刊、1頁。
  10. ^ 公職追放の該当事項は「翼賛市支部長」。(総理庁官房監査課 編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、573頁。NDLJP:1276156 

参考文献

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  • 歴代知事編纂会編『新編日本の歴代知事』歴代知事編纂会、1991年。
  • 歴代知事編纂会編『日本の歴代市長』第1巻、歴代知事編纂会、1983年。
  • 歴代知事編纂会編『日本の歴代市長』第2巻、歴代知事編纂会、1984年。
  • 秦郁彦編『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』東京大学出版会、2001年。
  • 『山梨百科事典』増補改訂版、山梨日日新聞社、1989年。
  • 人事興信所編『人事興信録』第8版、1928年。
  • 総理庁官房監査課編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年。