第34軍 (日本軍)
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(牡丹江重砲兵連隊から転送)
第34軍 | |
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創設 | 1944年(昭和19年)7月3日 |
廃止 | 1945年(昭和20年) |
所属政体 | 大日本帝国 |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
部隊編制単位 | 軍 |
所在地 | 中支-朝鮮 |
編成地 | 湖北省 漢口 |
通称号/略称 | 呂武 → 展 |
上級単位 | 第6方面軍 → 関東軍 |
最終上級単位 | 関東軍 |
担当地域 | 湖北省 → 咸鏡南道 |
最終位置 | 朝鮮 咸興 |
戦歴 | 第二次世界大戦 |
第34軍(だいさんじゅうよんぐん)は、大日本帝国陸軍の軍の一つである。
沿革
[編集]中央官衙 |
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主要兵力 |
歴史・伝統 |
その他 |
1944年(昭和19年)7月3日に武漢防衛軍を改編した軍である。編成後、同年8月26日に第6方面軍の戦闘序列に編入され、一貫して武漢要域の警備と防衛を担当した。
1945年(昭和20年)3月当時の老河口作戦では、一部兵力を湖北省方面から出撃させて、中国軍の牽制作戦を担当した。その後、同年6月18日に関東軍の戦闘序列に編入され、咸興へ移駐した。この転用に伴い、編成以来から使った「呂武」という通称号を「展」と変更した。以後、咸鏡南道一帯で対ソ防衛体制の整備を行っていた。同年8月9日にソ連軍が侵攻を開始(ソ連対日参戦)したが、軍主力は交戦することなく終戦を迎えた。
軍概要
[編集]歴代司令官
[編集]歴代参謀長
[編集]最終司令部構成
[編集]- 司令官:櫛淵鍹一中将
- 参謀長:川目太郎少将
- 高級参謀:扇広大佐
- 高級副官:谷口貞一中佐
- 兵器部長:金子時之助大佐
- 経理部長:新居邦八主計大佐
- 軍医部長:樋口四郎軍医大佐
- 獣医部長:阿部正一獣医中佐
- 法務部長:身保正男法務少佐
最終所属部隊
[編集]- 第59師団
- 第137師団
- 独立混成第133旅団:原田繁吉少将
- 永興湾要塞司令部:多田勇夫大佐
- 永興湾要塞砲兵隊:二田口牛雄少佐
- 特設警備第462大隊:柴田欣一郎大尉
- 牡丹江重砲兵連隊:纐纈哲三大佐
- 独立野砲兵第11大隊:小川忠治少佐(旧第11軍所属)
- 迫撃第15大隊:伊井伴造少佐(旧第20軍所属)
- 独立自動車第115大隊:古谷裕典大尉
- 電信第56連隊:秋間喜一少佐
- 特設建築勤務第107中隊 :浅野石雄中尉
- 特設水上勤務第127中隊:田中文雄中尉
- 第179兵站病院:中村進軍医大佐
参考文献
[編集]- 『戦史叢書4 一号作戦(1) 河南の会戦』 防衛研修所戦史室 朝雲新聞社 1967年
- 『戦史叢書16 一号作戦(2) 湖南の会戦』 防衛研修所戦史室 朝雲新聞社 1968年
- 『戦史叢書30 一号作戦(3) 広西の会戦』 防衛研修所戦史室 朝雲新聞社 1969年
- 『戦史叢書55 昭和十七・八年の支那派遣軍』 防衛研修所戦史室 朝雲新聞社 1972年
- 『戦史叢書73 関東軍(2) 関特演・終戦時の対ソ戦』防衛研修所戦史室 朝雲新聞社 1974年
- 『戦史叢書99 陸軍軍戦備』 防衛研修所戦史室 朝雲新聞社 1979年