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牛尾健治

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
1953年撮影

牛尾 健治(うしお けんじ、1898年明治31年)11月 - 1958年昭和33年)8月20日[1])は、日本実業家。牛尾合資会社代表社員[2][注 1]中国合同電気、山陽商事各社長[5][注 2]神戸銀行副頭取[5]姫路商工会議所会頭。神戸経済同友会元代表幹事[7]。兵庫県輸出工業協会長[7]

人物

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兵庫県姫路市出身。飾磨郡豊沢村・梅吉の長男[5][7]1920年大阪高等商業学校卒業[8]1923年東京商科大学(現一橋大学)卒業[7][9][10]。東京で大学講師をしていたが、1934年に父・梅吉が他界し、帰郷して事業を引き継ぐことになった[1]1934年家督を相続した[5]。株式公債売買業を営む[9]。中国合同電気に入社[11]

広沢製作所会長[7]大日本産業報国会理事、神戸銀行副頭取、鳥取電燈副社長[12]、日本電球、但馬瓦斯、山陽瓦斯、山陽製紐、北海電気興業、日本商品、日本編物、ナニワ電球工業、牛尾興業、山陽商事各社長などを務め[2][5]、神戸経済同友会の立上げも行った[13]

1948年公職追放になった[1]。敗戦による財閥解体のため、事業を縮小し、目立たなくしたが、その財力は、些かも変わらなかったという[14]。追放解除のあと、電力、ガスでは社外役員になったくらいで、神戸・舞子の自宅で句会をしたり、新国劇島田正吾らと交友した[1]

1958年8月20日、59歳で死去[1]。健治が残したのは、繊維、不動産、電機部門などをもつ牛尾工業で、どの部門も赤字という中小企業だった[1]

住所は兵庫県姫路市西紺屋町[9][15]・同市北条口[11]・同市福沢町[16]、同県神戸市須磨区垂水町舞子[5]。宗教は真宗[5][7]。趣味は読書、俳句[5][7][17]文人肌ながら[13]、進取的な気象に富み、経営的手腕もあった[17]。思想は自由主義的だった[1]

家族・親族

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牛尾家
親戚
  • 乾亀松(政治家、衆議院議員) - 養姉・ハナの夫の父。
  • 乾利一(中国合同電気取締役)[17] - 養姉・ハナの夫。
  • 中村彌之祐(実業家、中村組社長)

その他

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  • 第二次世界大戦前、姫路藩が所有していた御座船を取得。舞子の邸宅に保管していた[20]。死後、遺族から神戸市に寄贈され中央区にある日本庭園「相楽園」に船屋形として上部構造部分のみ伝えられている[21]

脚注

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注釈

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  1. ^ 牛尾合資会社(1923年設立)の主な業務は、農事殖林経営業[3]。株式公債の引受売買[4]
  2. ^ 山陽商事株式会社(1913年設立)の主な業務は、金融業[6]

出典

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  1. ^ a b c d e f g 『わたしの足跡 関西経済人列伝』154-162頁。
  2. ^ a b 『日本紳士録 第41版』兵庫ウ26頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2016年2月14日閲覧。
  3. ^ 『兵庫県会社一覧 昭和13年12月末日現在』109頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2016年2月22日閲覧。
  4. ^ 『統計年報 昭和2年』72頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年11月23日閲覧。
  5. ^ a b c d e f g h i j k l m 『人事興信録 第14版 上』ウ41頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2016年2月13日閲覧。
  6. ^ 『兵庫県会社一覧 昭和13年12月末日現在』114頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2016年2月22日閲覧。
  7. ^ a b c d e f g 『人事興信録 第15版 上』ウ13頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2017年12月11日閲覧。
  8. ^ 『大阪商科大学一覧 昭和4年5月』323頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2016年2月14日閲覧。
  9. ^ a b c d 『人事興信録 第10版 上』ウ58頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年3月29日閲覧。
  10. ^ 『東京商科大学一覧 自大正13年至14年』博士、学士及卒業生姓名194頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2016年2月14日閲覧。
  11. ^ a b 『人事興信録 第11版 上』ウ62頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2016年2月14日閲覧。
  12. ^ 『日本全国銀行会社録 第47回』鳥取県 下編275頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2022年12月18日閲覧。
  13. ^ a b 「先見性と人脈で飛躍 ウシオ電機・牛尾治朗氏に聞く」神戸新聞
  14. ^ 逆説の日本史23明治揺籃編18 - 21頁。
  15. ^ a b 『人事興信録 第4版』ウ42頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2016年2月13日閲覧。
  16. ^ a b 『姫路飾磨神崎紳士大鑑』68頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年4月1日閲覧。
  17. ^ a b c 『人的事業大系2(電力篇)』218 - 219頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2016年2月14日閲覧。
  18. ^ a b c d e f 『人事興信録 第9版』ウ47 - 48頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2016年2月11日閲覧。
  19. ^ ウシオ電機牛尾治朗会長は“平成の後白河法皇”と呼ばれた男”. 日刊ゲンダイDIGITAL (2020年4月1日). 2022年7月11日閲覧。
  20. ^ 三百年前の豪華船、尾張藩の御座船発見(昭和17年9月6日 東京日日新聞)『昭和ニュース辞典第8巻 昭和17年/昭和20年』p8 毎日コミュニケーションズ刊 1994年
  21. ^ 陸揚げされた姫路藩水軍の威容”. 日経スタイル エンタメ!歴史博士 (2012年10月2日). 2022年1月9日閲覧。

参考文献

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  • 人事興信所編『人事興信録 第4版』人事興信所、1915年。
  • 『姫路飾磨神崎紳士大鑑』姫路興信所、1924年。
  • 東京商科大学編『東京商科大学一覧 自大正13年至14年』東京商科大学、1925年。
  • 『統計年報 昭和2年』姫路商工会議所、1928年。
  • 大阪商科大学編『大阪商科大学一覧 昭和4年5月』大阪商科大学、1929 - 1930年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第9版』人事興信所、1931年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第10版 上』人事興信所、1934年。
  • 兵庫県総務部調査課編『兵庫県会社一覧 昭和13年12月末日現在』兵庫県総務部調査課、1936 - 1939年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第11版 上』人事興信所、1937年。
  • 交詢社編『日本紳士録 第41版』交詢社、1937年。
  • 商業興信所編『日本全国銀行会社録 第47回』商業興信所、1939年。
  • 中外産業調査会編 『人的事業大系2(電力篇)』中外産業調査会、1939年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第14版 上』人事興信所、1943年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第15版 上』人事興信所、1948年。
  • 産経新聞大阪経済部『わたしの足跡 関西経済人列伝』産経新聞出版、2007年。

関連項目

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先代
坂野鉄次郎
山陽配電(旧中国合同電気)社長
1939年 - 1942年
次代
(解散)