中村彌之祐
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中村 彌之祐(なかむら やのすけ、1871年5月(明治4年4月)[1] - 1931年(昭和6年)1月3日[2])は、日本の実業家。中村組社長[注 1][1]。族籍は兵庫県平民[4]。
人物
[編集]島根県人・三上新市郎の弟[4]。先代祐七の養子となり1915年、家督を相続する[1]。会社重役である[4]。中村組社長、中播運送[2]、不二商会、姫路電気化学工業、姫路水力電気、紅屋コークス、幡美鉄道、関西土木電気興業各取締役[4][5]、姫路商業銀行、神戸布引土地、姫路水力電気各監査役などをつとめた[5]。
『商工資産信用録 第25回』によると、中村彌之祐(調査年月・1924年6月)は「正身身代・未詳、信用程度・A、職業・雑」である[6]。1930年、破産者となる[7]。住所は兵庫県姫路市龍野町1丁目[1][7][8]。
家族・親族
[編集]- 中村家
- 養父・祐七(1845年 - 1915年、兵庫県平民、中村組合資会社業務執行社員、姫路水力電気相談役)[9]
- 養妹・みつ(1902年 - ?、兵庫、牛尾梅吉の長男健治の妻)[5]
- 妻・榮枝(1884年 - ?、兵庫、波多野鋮之助の長女)[4]
- 長男・四郎祐[4][8](1906年 - ?、中村組代表[3]、山陽商事取締役[10])
- 長女・辰子(1904年 - ?、鹿児島、屋代熊太郎の長男弘孝の妻)[1]
- 二女・佐和子(1909年 - ?)[4]
- 三女・喜久子(1912年 - ?)[4]
- 四女・華(1914年 - ?)[4]
- 二男・定七(1917年 - ?)[4]
- 五女・経子(1920年 - ?)[1]
- 親戚
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ a b c d e f g 『人事興信録 第9版』ナ95頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2017年8月11日閲覧。
- ^ a b 『官報 1931年04月22日』官報 第1291号 13頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年5月28日閲覧。
- ^ a b c 『兵庫県会社一覧 昭和13年12月末日現在』112頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2017年8月11日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j 『人事興信録 第6版』な43頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2017年8月11日閲覧。
- ^ a b c 『人事興信録 第8版』ナ102頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2017年8月11日閲覧。
- ^ 『商工資産信用録 第25回』兵庫県や之部45頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2022年12月3日閲覧。
- ^ a b 『官報 1930年08月11日』官報 第1085号 328頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年5月28日閲覧。
- ^ a b 『姫路飾磨神崎紳士大鑑』54-55頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年6月9日閲覧。
- ^ 『人事興信録 第4版』な42頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2017年8月11日閲覧。
- ^ 『日本紳士録 第44版』兵庫ナの部98頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2017年12月15日閲覧。
参考文献
[編集]- 人事興信所編『人事興信録 第4版』人事興信所、1915年。
- 人事興信所編『人事興信録 第6版』人事興信所、1921年。
- 商業興信所編『商工資産信用録 第25回』商業興信所、1921 - 1926年。
- 『姫路飾磨神崎紳士大鑑』姫路興信所、1924年。
- 人事興信所編『人事興信録 第8版』人事興信所、1928年。
- 大蔵省印刷局編『官報 1930年08月11日』日本マイクロ写真、1930年。
- 人事興信所編『人事興信録 第9版』人事興信所、1931年。
- 大蔵省印刷局編『官報 1931年04月22日』日本マイクロ写真、1931年。
- 兵庫県総務部調査課編『兵庫県会社一覧 昭和13年12月末日現在』兵庫県総務部調査課、1936-1939年。
- 交詢社編『日本紳士録 第44版』交詢社、1940年。