瀧田佐登子
瀧田 佐登子 (たきた さとこ) | |
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生誕 |
1963年 鳥取県鳥取市 |
国籍 | 日本 |
教育 | 明星大学理工学部卒業 |
配偶者 | (氏名は積極的には公表せず) |
業績 | |
専門分野 | 情報工学 |
勤務先 |
日電東芝情報システム 富士ゼロックス情報システム 東芝システム開発 日本ネットスケープ・コミュニケーションズ Mozilla Japan |
プロジェクト |
Netscape Navigatorのローカライズ Mozilla製品の普及促進 |
受賞歴 |
日経ウーマン・オブ・ザ・イヤーリーダー部門(2008年) 日本OSS貢献者賞(2009年) |
瀧田 佐登子(たきた さとこ、1963年 - )は、日本のシステム技術者。一般社団法人WebDINOジャパン(旧モジラ・ジャパン)代表理事。旧一般社団法人Mozilla Japan代表理事。慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科講師。愛称はChibi(ちび)。新字体で滝田 佐登子(たきた さとこ)と表記される場合もある。「ブラウザの母」。
来歴
[編集]生い立ち
[編集]1963年生まれ[1]。鳥取県鳥取市にて生まれ育つ[2]。鳥取県立鳥取西高等学校を経て、明星大学の理工学部に進学した[3][4]。入学前は宇宙工学に関心を抱いていたが、大学には該当する学科がなかったため生物化学を学ぶことにし、酵母菌の突然変異などを研究した[4]。全く就職活動をしていなかったが、卒業間際になって日電東芝情報システム(のちのNECトータルインテグレーションサービス)が女性技術者を初採用すると知り興味を抱き、電話してみたところ当日入社試験を受けることになり、そのまま入社が決まった[5]。1986年3月に明星大学を卒業し、翌月、日電東芝情報システムに入社した[1][6]。
技術者として
[編集]プログラミング経験は全くなかったが、日電東芝情報システムではACOS上で動作するCADを担当する部署に技術者として配属されたため、FORTRANに取り組んだ[7]。また、ACOSの案件がないときは、営業担当者と2人でパソコン用のCADの飛び込み営業をしていた[7]。その後、UNIXやC言語に関心を持つようになり、1988年に富士ゼロックス情報システムに転職する[8]。1991年、偶然再会した日電東芝情報システム時代の上司に勧められ、東芝システム開発(のちの東芝アイティー・ソリューション)に転職する[1][9]。同社では、東芝のUNIXワークステーション事業を担当する部署に配属され、サン・マイクロシステムズなどのソフトウェアのサポートなどに従事した[10]。このころ、NCSA MosaicやNetscape Navigator、Javaに興味を抱く[10][11]。その後、東芝がネットスケープコミュニケーションズのソフトウェアをライセンス販売することになり、ネットスケープコミュニケーションズとの折衝を担当することになった[12]。
1996年に日本ネットスケープ・コミュニケーションズからヘッドハントされ、同社に転職した[1][12]。サポートエンジニアとして入社したものの、アメリカ合衆国のネットスケープコミュニケーションズ本社に常駐し、Netscape Navigatorの日本語ローカライズに携わった[6][13][14]。しかし、ネットスケープコミュニケーションズの経営状況が思わしくなくなったことから、2001年に日本ネットスケープ・コミュニケーションズが閉鎖されることが決定した。これにより、Netscape Navigatorを導入した日本の企業ユーザに対するサポートは、アメリカ合衆国のAOL / Netscape本社と直接契約を結んだうえで、瀧田が行うことになった[1][15][16]。日本ネットスケープ・コミュニケーションズの事業所もなくなったため、自宅を仕事場代わりにし、日本の企業ユーザーに対する最新バージョンの提供やアップグレードの提案を一人で行っていた[15]。しかし、2003年には、同社がNetscape Navigatorなどクライアント事業から完全に撤退することになったため、それにともない瀧田の契約も終了した。
2004年に3名でMozilla Japanを発足させ、2006年に代表理事に就任した[1][6]。また、慶應義塾大学を拠点とし、同大学大学院政策・メディア研究科などが参加する「先端ITスペシャリスト育成プログラム」では、講師を務めている[17][18]。これらの業績に対して、2008年12月に日経BP『日経ウーマン』から「日経ウーマン・オブ・ザ・イヤー2009リーダー部門」が授与され、2009年10月に情報処理推進機構から「2009年度日本OSS貢献者賞」が授与されるなど、幾つかの賞を受賞している[19][20]。
人物
[編集]- 愛称・異名など
- ネットスケープコミュニケーションズ本社での愛称は「Chibi」[6][14]であった。現在でも、ブログの末尾などに「by Chibi」[21]と署名することがある。マスメディアなどでは「ブラウザの母」[1]と評されることがある。また、瀧田自身は、日本ネットスケープ・コミュニケーションズ解散後に日本の企業ユーザのサポートを一人で担当していたことを回顧し、当時の様子を「一人ネットスケープ」[1][15]と称することもある。コミュニティからは「ブラウザーの母」とも呼ばれている[22]。
- 趣味・特技
- スポーツが得意である。日本赤十字社救助員の資格に加え、ライフセービングの資格も持つ[9]。富士ゼロックス情報システム時代は、技術者としての勤務の傍ら、朝晩2回、東京YWCAで水泳のインストラクターを兼業していたという[9]。
家族
[編集]既婚者であり、1997年11月に結婚式を行った[23]。夫は「UNIX研究者として有名な大学教授」[23]であり「日本における情報セキュリティの第一人者」[23]だとされているが、お互い夫婦であることを積極的には公表していない[23]。
略歴
[編集]- 1963年 - 鳥取県鳥取市にて誕生。
- 1986年 - 明星大学理工学部卒業。
- 1986年 - 日電東芝情報システム入社。
- 1988年 - 富士ゼロックス情報システム入社。
- 1991年 - 東芝システム開発入社。
- 1996年 - 日本ネットスケープ・コミュニケーションズ入社。
- 2004年 - Mozilla Japan理事。
- 2006年 - Mozilla Japan代表理事。
- 2007年 - 慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科講師。
賞歴
[編集]著作
[編集]- 滝田佐登子著『作りながら身につくJava & Java Script――超初心者のためのプログラミング入門』日本経済新聞社、1996年。ISBN 4532144914
脚注
[編集]- ^ a b c d e f g h 荒井亜子「『Webブラウザの母』が語るMozillaの軌跡」『「Webブラウザの母」が語るMozillaの軌跡(前編) - @IT自分戦略研究所』アイティメディア、2009年12月21日。
- ^ 吉村哲樹「とにかく頑固でわが道を行く少女時代」『とにかく頑固でわが道を行く少女時代 - @IT情報マネジメント』アイティメディア、2011年11月9日。
- ^ 吉村哲樹「雪深い地の伝統校に通った高校時代」『雪深い地の伝統校に通った高校時代 - @IT情報マネジメント』アイティメディア、2011年11月14日。
- ^ a b 吉村哲樹「宇宙工学を学ぶはずがなぜかバイオ方面へ」『宇宙工学を学ぶはずがなぜかバイオ方面へ - @IT情報マネジメント』アイティメディア、2011年11月16日。
- ^ 吉村哲樹「不純な動機で選んだ就職先」『不純な動機で選んだ就職先 - @IT情報マネジメント』アイティメディア、2011年11月21日。
- ^ a b c d 武田敏則「Mozilla製品の普及に貢献した『ブラウザの母』が見据える、オープンソース文化の未来」『Mozilla製品の普及に貢献した「ブラウザの母」が見据える、オープンソース文化の未来【連載:匠たちの視点-瀧田佐登子】 - エンジニアtype』キャリアデザインセンター、2012年6月22日。
- ^ a b 吉村哲樹「先輩にうまく乗せられて覚えたFORTRAN」『先輩にうまく乗せられて覚えたFORTRAN - @IT情報マネジメント』アイティメディア、2011年11月25日。
- ^ 吉村哲樹「UNIXに一目ぼれし、ゼロックスへ転職」『UNIXに一目ぼれし、ゼロックスへ転職 - @IT情報マネジメント』アイティメディア、2011年11月28日。
- ^ a b c 吉村哲樹「通勤前後に水泳インストラクターをこなす超人」『通勤前後に水泳インストラクターをこなす超人 - @IT情報マネジメント』アイティメディア、2011年11月30日。
- ^ a b 吉村哲樹「出戻り先の東芝で出会った運命の相手」『出戻り先の東芝で出会った運命の相手 - @IT情報マネジメント』アイティメディア、2011年12月2日。
- ^ 吉村哲樹「社会貢献が開いたブラウザ活動への道」『第10回 - @IT情報マネジメント』アイティメディア、2011年12月7日。
- ^ a b 吉村哲樹「肌で感じた日米の“エンジニアへの待遇格差”」『肌で感じた日米の“エンジニアへの待遇格差” - @IT情報マネジメント』アイティメディア、2011年12月12日。
- ^ 吉村哲樹「ネスケ本社のいい加減なテスト方法に驚愕」『ネスケ本社のいい加減なテスト方法に驚愕 - @IT情報マネジメント』アイティメディア、2011年12月14日。
- ^ a b 吉村哲樹「“MOJIBAKE”を一般語化させる」『“MOJIBAKE”を一般語化させる - @IT情報マネジメント』アイティメディア、2011年12月16日。
- ^ a b c 吉村哲樹「“1人ネットスケープ”になっても衰えなかった製品愛」『“1人ネットスケープ”になっても衰えなかった製品愛 - @IT情報マネジメント』アイティメディア、2012年1月13日。
- ^ 高橋信頼「『Mozillaは企業で使えるWebブラウザ』――Mozilla Japan瀧田佐登子氏」『オープンソース - 「Mozillaは企業で使えるWebブラウザ」――Mozilla Japan 瀧田佐登子氏:ITpro』日経BP、2004年9月16日。
- ^ 拠点間教材等洗練事業運営委員会『「文部科学省――先導的ITスペシャリスト育成推進プログラム」産学連携人材育成拠点の現状――世界最高水準の高度IT人材育成を目指して』2010年3月、117頁。
- ^ 吉村哲樹「学生の内にオープンソースの世界を踏み台にしろ!」『学生の内にオープンソースの世界を踏み台にしろ! - @IT情報マネジメント』アイティメディア、2012年1月25日。
- ^ Eri Inoue「日経ウーマン・オブ・ザ・イヤー2009に代表理事瀧田が選ばれました」『日経ウーマン・オブ・ザ・イヤー2009 に代表理事 瀧田が選ばれました | Mozilla Japan ブログ』Mozilla Japan、2008年12月8日。
- ^ 「IPA、2009年度日本OSS貢献者/奨励賞を発表――Mozillaの瀧田氏など」『IPA、2009年度日本OSS貢献者/奨励賞を発表――Mozillaの瀧田氏など - ITmedia エンタープライズ』アイティメディア、2009年10月23日。
- ^ Satoko Takita「スタッフ紹介:瀧田佐登子」『スタッフ紹介:瀧田佐登子 | Mozilla Japan ブログ』Mozilla Japan、2006年12月21日。
- ^ 日経産業新聞 NIKKEI BUSINESS DAILY「ブラウザー1強グーグル崩せ 独立系、スマホで躍進」2018年8月18日『日本経済新聞』
- ^ a b c d 吉村哲樹「結婚式の翌日には米国にとんぼがえり!」『結婚式の翌日には米国にとんぼがえり! - @IT情報マネジメント』アイティメディア、2011年12月19日。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- Mozilla Japan について | 組織概要 | Mozilla Japan - 瀧田の挨拶を掲載するMozilla Japanのページ