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濱村芳宏

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
濱村芳宏
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 徳島県
生年月日 (1966-08-24) 1966年8月24日(58歳)
身長 159cm
体重 53kg
血液型 AB型
選手情報
所属 徳島支部
登録番号 3295
登録期 60期
弟子 横西奏恵(3774)
特徴 自在
選手実績
デビュー日 1987年5月9日
選手引退日 2023年2月27日
SG優勝 1
GI/PGI優勝 10
通算優勝 60
通算勝利 2050
主要獲得タイトル
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濱村 芳宏(はまむら よしひろ、1966年8月24日[1] - )は、徳島県[2]松茂町出身の元競艇選手。登録番号3295。徳島支部所属。

師匠は新開文夫。弟子に女子レーサートップクラスとなった横西奏恵がいた。

来歴

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  • 1987年5月9日、鳴門でデビュー(節間成績 5・1・6・1・5・6・5)。
  • 1989年、鳴門一般戦で初優勝。
  • 1995年蒲郡40周年で初のGIを獲得。
  • 1999年、第26回蒲郡笹川賞ではインから.04の好スタートを決めて一気に逃げ切り、遂に念願のSG初優勝を飾る。年末の第14回賞金王決定戦では、松井繁に次いで2着に入っている。
  • 2005年日本モーターボート選手会理事に就任、2013年まで8年間理事を務める。
  • 2019年8月、宮島でのレース中にターンマークに激突し右肩鍵盤筋断裂の重傷を負う。徳島県内に手術のできる医者が一人しかおらず、順番待ちのため長期の欠場となったが、翌2020年6月に児島で復帰を果たした[3]
  • 2023年2月27日、「鳴門のいも屋杯競走」最終日7Rに1号艇で出走。2着となり、このレースをもって現役を引退した[4][5]。現役引退後は競艇解説者に転身している[6]

エピソード

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  • 同期に同じ徳島支部所属の烏野賢太をはじめ、上瀧和則川崎智幸倉谷和信藤丸光一など強豪揃いである。
  • プロペラの整備の巧さには定評があった[7]
    • 本人によると、「広島支部の亀本さんが年賀状に『広島の牡蠣と濱のペラを替えてくれ』と書いてきたこともあった(笑)」そうである[7]
    • プロペラが本人所有だった当時は、プロペラを整備する自身の工房にたくさんの後輩選手が出入りしており、「僕だけじゃなしに、後輩からのアドバイスもあったからプロペラ(整備)がうまくなれた」とも話す[8]。また、「(抽選で)悪いエンジンを引いても、自分が作ったプロペラが合えばエンジンが出るようになるから、レースに行くのが楽しくて仕方がなかった」と語る[7]
    • その一方、「僕にはリズム感がなくてピットアウトが下手だったから、僕が倉谷のと自分のとで同じプロペラを2枚作っても、ボートに取り付けたら倉谷のはよく伸びたのに、僕のはあまり伸びなかった」という[7]
  • 2020年にケガから復帰した際には、「ボートのハンドルが早く切れなかったり、プロペラが思った通りに叩けなくなったり、今までできていたことができなくなったのが精神的につらくて、レース場に行くのがイヤになった」と話す[7]
  • 2023年1月15日に唐津競艇場で行われた「マンスリーBOATRACE杯」の2日目第5レースにおいて.01のフライングを喫し[9]、「自分じゃ絶対にフライングを切っていないと思っていたのにフライングしたから、もう(引退の)潮時かなと思った」というが、その後鳴門からの「鳴門のいも屋杯競走」の斡旋が入り、このレースで引退することを決めたという[7]
    • 自身が引退することは他の選手や関係者はおろか家族にさえも伝えておらず、自身の最終出走レースでの競走終了後に引退が発表され[7]、レース後には鳴門の実況アナウンサーの桃井雄也が号泣しながら引退セレモニーの模様を伝えた[5]
  • 孫が2人いる[7]
  • 趣味は海釣り、それもカツオやカジキマグロのような大物を釣ることだという[7]。現役引退後も各地へ釣りに出かけており、釣果や釣りのためのトレーニングの様子も自身のinstagramで発信している。

SG・GIタイトル

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SG

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GI

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脚注

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参考文献

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  • 蛭子能収『競艇入門』ポケットブック社〈Pocket book 38〉、1992年。ISBN 978-4-341-14038-0 

関連項目

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外部リンク

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