コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

濱口和久

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
はまぐち かずひさ

濱口 和久
生誕 日本の旗 日本 熊本県
出身校 防衛大学校
職業 大学教授
テンプレートを表示
濱口 和久
生誕 (1968-10-14) 1968年10月14日(56歳)
日本の旗 日本 熊本県
所属組織 陸上自衛隊
軍歴 1993 - 1994
最終階級 3等陸尉
除隊後 元首相秘書、日本政策研究センター研究員
栃木市首席政策監(防災・危機管理担当兼務)
國學院栃木短大講師
テイケイ(旧帝国警備保障)株式会社常務取締役
一般財団法人防災教育推進協会理事長
拓殖大学地方政治行政研究所特任教授、拓殖大学地方政治行政研究所附属防災教育研究センター長、日本大学法学部公共政策学科非常勤講師、学校法人日本航空学園理事長室アドバイザー兼特別講師など
テンプレートを表示

濱口 和久(はまぐち かずひさ、1968年10月14日[1] - )は大学教授。

[拓殖大学]地方政治行政研究所特任教授および同大学地方政治行政研究所附属防災教育研究センター長、日本大学法学部公共政策学科非常勤講師、東日本国際大学健康社会戦略研究所客員教授、学校法人日本航空学園理事長室アドバイザー兼特別講師、一般財団法人防災教育推進協会理事長[2][3]、国立研究開発法人防災科学技術研究所客員研究員、稲むらの火の館(濱口梧陵記念館・津波防災教育センター)客員研究員、産経新聞社「正論」執筆メンバー、熊本県立菊池高等学校防災教育特別アドバイザー、防災・危機管理政策アドバイザー[4]、城郭史研究家[4]、近江八幡市安土城復元推進協議会副会長、一般社団法人日本戦略研究フォーラム政策提言委員、共同ピーアール総合研究所客員研究員、政策研究フォーラム理事、ニューレジリエンスフォーラム事務局長、一般社団法人日本CBRNE学会理事、一般社団法人日本危機管理学会理事、一般社団法人防災住宅研究所理事、NBCR対策推進機構副理事長、特定非営利活動法人日本領土領海戦略会議政策顧問、一般社団法人サイバースマートシティ創造協議会顧問、元自衛官[5]

経歴

[編集]

1968年10月14日、熊本県菊池市生まれ[1]熊本県立菊池高等学校[1]防衛大学校材料物性工学科卒(工学士)[1]日本大学大学院総合社会情報研究科博士前期課程修了(国際情報修士)、名古屋大学大学院環境学研究科博士後期課程単位取得満期退学。

防衛大学校時代には国際関係論研究会理事として、東京大学行政機構研究会、慶應義塾大学経済新人会、日本大学政治研究会との4大学合同シンポジウムや合同合宿セミナーの企画・運営に携わる。軍事アナリスト・静岡県立大学特任教授の小川和久総務大臣高市早苗衆議院議員を招いての講演会を企画した(2名の肩書は令和2年8月15日時点)。同時に学外向けにニュースレター『防衛大学校オピニオンプラザ』を毎月発行する。弁論部にも所属し、フジサンケイグループ行革キャンペーン実行委員会主催第9回土光杯全日本学生弁論大会(第25回大会から土光杯全日本青年弁論大会に大会名が変更される)に出場。演題『国際社会に通用する政治改革の断行を』で優秀賞(産経新聞社杯)を受賞。卒業時、学校長褒章を授与される。1994年からは土光杯OB会事務局長も務めている。

1990年5月、読売新聞社発行の月刊オピニオン誌『THIS IS 読売』の企画「防衛大生が本音を語る」で上坂冬子と対談する。この頃から各種雑誌等に寄稿を開始する。

陸上自衛隊任官後に入校した陸上自衛隊幹部候補生学校(福岡県久留米市)の学生弁論大会では『東京裁判史観からの脱却を』という演題で優勝する[要出典]。その後、陸上自衛隊第3施設群施設科小隊長(3等陸尉)として神奈川県座間市の座間分屯地(米軍座間キャンプ内)で勤務した。

陸上自衛隊を1994年10月に退官後、株式会社舛添政治経済研究所に所員として勤務[1]1996年12月、舛添政治経済研究所退社[要出典]1997年1月より、太陽党本部で羽田孜代表(元首相)秘書兼政策調査会主席研究員、民主党本部役員室次長、幹事長室副部長などを歴任。国会での代表質問等の草稿作成等やその他の議員の質問原稿の作成を担当(日銀法の改正法案、金融監督庁設置法案、外為法改正法案、日米防衛協力のための指針に関わる法案、介護保険法法案など)。2001年第19回参議院議員通常選挙では島根県選挙区から[6]2003年第43回衆議院議員総選挙では島根県第1区から出馬するが次点で落選[7]。民主党を中道保守政党にしたいという思いがあったが、2005年に「民主党の体質に嫌気がさし」離党した。その後は、保守派の立場で国政に対して発言している。民主党離党後は、自民党岐阜県連政治大学や自民党本部でも講演をしている。

民主党離党後、日本政策研究センター研究員、栃木市首席政策監(防災・危機管理担当兼務)、國學院栃木短大講師、業界3位の警備会社であるテイケイ(旧・帝国警備保障)株式会社常務取締役、日本防災士機構理事、拓殖大学日本文化研究所客員教授、インターネットチャンネル「日本文化チャンネル桜」で「防人の道 今日の自衛隊」「濱口和久の防災・危機管理塾」キャスターなどを務めた。

現在の主な役職・活動

[編集]

[拓殖大学]地方政治行政研究所特任教授および同大学地方政治行政研究所附属防災教育研究センター長。日本大学法学部公共政策学科非常勤講師、東日本国際大学健康い社会戦略研究所客員教授、学校法人日本航空学園理事長室アドバイザー兼特別講師。一般財団法人防災教育推進協会理事長。国立研究開発法人防災科学技術研究所客員研究員。稲むらの火(濱口梧陵記念館・津波防災教育センター)客員研究員、産経新聞社「正論」執筆メンバー、熊本県立菊池高等学校防災教育特別アドバイザー、一般社団法人日本CBRNE学会理事、一般社団法人日本危機管理学会理事、一般社団法人日本戦略研究フォーラム政策提言委員。共同ピーアール総合研究所客員研究員。政策研究フォーラム理事。ニューレジリエンスフォーラム事務局長。一般社団法人防災住宅研究所理事。NBCR対策推進機構副理事長。一般社団法人サイバースマートシティ創造協議会顧問。防災・危機管理政策アドバイザーとして全国の自治体で防災・危機管理対応の助言をしている。安全保障・地政学・領土問題にも詳しく特定非営利活動法人日本領土領海戦略会議政策顧問を務める。城郭史研究家としての顔も持ち、城郭に関する書籍も出版、近江八幡市安土城復元推進協議会副会長も務める。

  • 2004年
    • 3月11日、妻子と共に韓国が不法占拠している竹島へ本籍を移す[注 1][8][9]。竹島問題については、国民の間で一般的認識が出来上がったので、当初の目的を果たしたと考え、現在(2017年11月~)は本籍地を東京都に戻している。
    • 5月、民間団体「県土・竹島を守る会」の設立世話人となる[要出典]
  • 2007年
    • 1月、日本青年会議所近現代史教育実践委員会副委員長に就任[10]安全保障領土問題、防災・危機管理に関する講演、執筆活動を本格的に開始する。
    • 9月、栃木市首席政策監(防災・危機管理担当兼務)に就任[11][12]
  • 2010年
    • 9月、栃木市首席政策監での実績を買われ[要出典]テイケイ株式会社(旧・帝国警備保障株式会社)常務取締役に就任。
    • 10月から、芸能事務所のカートプロモーションに文化人として所属[要出典]
  • 2013年
    • 5月、一般財団法人防災検定協会の設立に伴い、常務理事・事務局長に就任する[14]
  • 2015年
    • 4月、拓殖大学大学院地方政治行政研究科講師に就任する[要出典]
    • 7月、拓殖大学地方政治行政研究所客員教授に就任する[15]
    • 9月、日本文化チャンネル桜の番組「防人の道 今日の自衛隊」の番組の終了に伴い、新番組「濱口和久の防災・危機管理塾」がスタートする[要出典]
  • 2016年
    • 3月、カートプロモーションの所属から離れる[要出典]
    • 4月、拓殖大学地方政治行政研究所附属防災教育研究センター副センター長(兼任・客員教授)に就任する[16]
    • 4月、名称が一般財団法人防災検定協会から一般財団法人防災教育推進協会となり、引き続き常務理事・事務局長を務める(~現在)。
  • 2017年
    • 6月、日本文化チャネル桜「濱口和久の防災・危機管理塾」が終了し、約12年間務めたキャスターを降りる。。
    • 8月、防災危機管理フォーラム代表に就任(~現在)。
  • 2018年
    • 4月、拓殖大学大学院地方政治行政研究科特任教授に就任。
  • 2019年
    • 4月、拓殖大学地方政治行政研究所附属防災教育研究センター長に就任。
    • 10月、日本戦略研究フォーラム政策提言委員に就任。
    • 11月、近江八幡市安土城復元推進協議会副会長に就任。
  • 2021年
    • 4月、共同ピーアール総合研究所客員研究員に就任。
    • 5月、政策研究フォーラム理事に就任。
    • 5月、ニューレジリエンスフォーラム事務局長に就任。
    • 11月、特定非営利活動法人日本領土領海戦略会議政策顧問に就任。
  • 2022年
    • 3月、一般社団法人防災住宅研究所理事に就任。
    • 5月、NBCR対策推進機構副理事長に就任。
    • 11月、学校法人日本航空学園理事長室アドバイザー兼特別講師に就任。
  • 2023年
    • 4月、一般社団法人日本CBRNE学会理事就任。
    • 4月、稲むらの火の館(濱口梧陵記念館・津波防災教育センター)客員研究員就任。
    • 4月、熊本県立菊池高等学校防災教育特別アドバイザー就任。
    • 12月、産経新聞社「正論」執筆メンバーに就任。
  • 2024年
    • 2月、東日本国際大学健康社会戦略研究所客員教授に就任。
    • 4月、日本大学法学部公共政策学科非常勤講師に就任。
    • 4月、拓殖大学地方政治行政研究所特任教授に就任。
    • 5月 一般社団法人日本危機管理学会理事に就任。
    • 6月、一般財団法人防災教育推進協会理事長に就任。
    • 10月、国立研究開発法人防災科学技術研究所客員研究員に就任。

栃木市首席政策監

[編集]

2007年4月に行われた栃木市市長選で日向野義幸候補を支援し、応援演説を行った。その後再選された日向野市長は濱口を副市長の候補として議会に提案した[17]が、議会の同意が得られず副市長職での採用は見送られた[18]。同年9月、日向野市長の要請を受け栃木市首席政策監[注 2]に就任。市長は採用の理由として、自民党とのパイプを活かした国からの予算獲得と企業誘致のPR、災害対策、危機管理対応[注 3]をあげた[12]。採用の経緯や専門能力の実態等について、議会で共産党などから疑義がだされ[19]、左翼市民団体「とちぎ・市民の会」が発足し問題提起を行う一方、民主党議員や反市長派の自民党議員からも市長や濱口への批判が出た[20]。一方で、全国の自治体で初めて、市長以下全職員に防災士資格を5年間の間に取得させる政策を実行した。プロジェクトK(霞が関の若手官僚グループ)を招き、市長や若手職員、若手経営者と勉強会を開催した。さらに、自民党参議院議員の佐藤正久氏やフジテレビ解説委員長の若松勉氏、内閣官房参事官の小林博史氏などを講師に招いての職員研修会を実施した。また、陸上自衛隊宇都宮駐屯地での職員研修会も実施した。 2008年(平成20年)12月4日の市議会で、濱口の栃木市首席政策監退任直後からの肩書「栃木市長特別補佐」について質問がなされ、日向野市長は、濱口が栃木県防衛協会において「栃木市長特別補佐」の勤務先として栃木市役所と記載されていることに対しては、公的身分と誤解されるような表記がないように栃木県防衛協会事務局に申し入れをした(栃木県防衛協会の事務処理上のミス)と答弁する[要出典]

城郭史研究家として

[編集]

小学3年の時に徳川家康の伝記を読んだのがきっかけで城の魅力に取りつかれて以来、旅行や出張の折には国内に残る城郭、城跡を巡り、「めぼしい城はほぼ踏破した」という[3]。2010年に出版した『思城居(おもしろい)』では全国30箇所の城郭を紹介した。同年10月には古式特技法「穴太衆」第十四代目石匠の粟田純司の自宅を訪問し、対談した。2011年12月から2014年11月まで夕刊フジで「探訪 日本の名城」[21]の連載を担当した。その後、「名城と女」[22]、「名城と事件」[23]を連載した。連載したシリーズを『探訪 日本の城 戦国の武将と出会う旅(上・下巻)』(青林堂)、『戦国の城と59人の姫たち』(並木書房)として単行本化している。現在、月刊誌『近代消防』に「城郭と防災」というテーマで連載中。令和元年11月より近江八幡市安土城復元推進協議会副会長を務める。 令和4年8月6日~31日まで名古屋市において、濱口が撮影した写真展「探訪 日本の名城」を開催中。令和5年1月から熊本日日新聞に「ニッポン お城図鑑」を1年にわたり毎日連載中。

現在の主な肩書

[編集]
  • 城郭史研究家[3]
  • 近江八幡市安土城復元推進協議会副会長
  • 拓殖大学地方政治行政研究所特任教授・同大学地方政治行政研究所附属防災教育研究センター長
  • 日本大学法学部公共政策学科非常勤講師
  • 東日本国際大学健康社会戦略研究所客員教授
  • 学校法人日本航空学園理事長室アドバイザー兼特別講師
  • 一般財団法人防災教育推進協会理事長[2]
  • 国立研究開発法人防災科学技術研究所客員研究員
  • 稲むらの火の館(濱口梧陵記念館・津波防災教育センター)客員研究員
  • 産経新聞社「正論」執筆メンバー
  • 一般社団法人日本CBRNE学会理事
  • 一般社団法人日本危機管理学会理事
  • 熊本県立菊池高等学校防災教育特別アドバイザー
  • 防災危機管理フォーラム代表
  • 一般社団法人日本戦略研究フォーラム政策提言委員
  • 共同ピーアール総合研究所客員研究員
  • 政策研究フォーラム理事
  • ニューレジリエンスフォーラム事務局長
  • NBCR対策推進機構副理事長
  • 特定非営利活動法人日本領土領海戦略会議政策顧問
  • 一般社団法人防災住宅研究所理事

その他の役職及び所属団体

[編集]


出演

[編集]

テレビ

[編集]

  舛添都知事問題で出演

ラジオ

[編集]

インターネット放送

[編集]

著書

[編集]

編集協力

[編集]
  • 一般財団法人防災教育推進協会『防災検定1級・2級用公式テキスト』教育家庭新聞社、2022年。(一般財団法人防災教育推進協会編集委員会)

共著

[編集]
  • 『日本版 民間防衛』青林堂、2018年。(江崎道朗、坂東忠信らとの共著)

単著

[編集]
  • 『リスク大国 日本 国防・感染症・災害』グッドブックス、2022年。
  • 『戦国の城と59人の姫たち』並木書房、2016年。ISBN 978-4890633463 
  • 『日本の命運 歴史に学ぶ40の危機管理』扶桑社、2016年。ISBN 978-4594074623 
  • 『探訪 日本の名城 戦国武将と出会える旅(下巻)』青林堂、2014年。ISBN 978-4792604868 
  • 『探訪 日本の名城 戦国武将と出会える旅(上巻)』青林堂、2013年。ISBN 978-4792604806 
  • 『だれが日本の領土を守るのか?』たちばな出版、2012年。ISBN 978-4813324409 
  • 『領土問題の基本は歴史認識から ― 歴史の中にこそ領土問題の本質がある ―』内外ニュース社、2012年。
  • 『思城居(おもしろい) 男はなぜ城を築くのか』東京コラボ、2009年。ISBN 978-4915096952 
  • 『祖国を誇りに思う心』ハーベスト出版、2009年。ISBN 978-4938184360 
  • 『日本を守る決意』ハーベスト出版、2005年。ISBN 978-4938184346 
  • 『守ろう竹島! 日本の領土。』インテリジェンス、2005年。
  • 『機は熟した! 甦れ、日本再生。』オプサイブ、2003年。

現在連載中の媒体

[編集]
  • 月刊「祖国と青年」に『日本の安全保障と自衛隊の歩み』を連載中
  • 内外ニュース社「世界と日本」に「マスメディア批判」を連載中
  • 航空自衛隊連合幹部会「翼」に「城郭の歴史」を連載中
  • 念法眞教「念法時法」に「親子で学ぶ防災教室」を連載中
  • 月刊「近代消防」に「城郭と防災」を連載中
  • 公益財団法人モラロジー道徳教育財団「れいろう」に「備えあれば憂いなし」を連載中

寄稿

[編集]

脚注

[編集]

注釈

[編集]
  1. ^ 新しい本籍地は「島根県隠岐郡五箇村竹島官有無番地」
  2. ^ 規則上の職名は「参事兼政策監」
  3. ^ 但し、濱口政策監が防災士の資格を取ったのは就任3ヶ月後の11月末

出典

[編集]
  1. ^ a b c d e 『戦国の城と59人の姫たち』 著者略歴
  2. ^ a b “論点 どう見る 熊本地震”. 毎日新聞. (2016年4月19日). https://mainichi.jp/articles/20160419/ddm/004/070/026000c 2018年5月3日閲覧。 
  3. ^ a b c “人模様 趣味の城巡りの本を出版 濱口和久さん”. 毎日新聞. (2017年2月4日). https://mainichi.jp/articles/20170204/dde/041/070/026000c 2018年5月3日閲覧。 
  4. ^ a b “<ニュース解説>「耐震」と「観光」天守再建=森忠彦(オピニオングループ)”. 毎日新聞. (2017年5月30日). https://mainichi.jp/articles/20170530/org/00m/070/006000c 2018年5月3日閲覧。 
  5. ^ “陸自日報は「文学だ」! 緊迫、過酷の一方で「ほのぼの」記述が高評価 出版求める声まで”. 夕刊フジ. (2018年4月23日). https://www.zakzak.co.jp/article/20180424-BLBYMKFBTRL6DGF2723ZTNBNU4/ 2018年5月3日閲覧。 
  6. ^ 島根県:第19回参議院議員通常選挙(トップ / 県政・統計 / 各種委員会 / 選挙管理委員会 / 島根の選挙 / 選挙の記録 / 参議)”. www.pref.shimane.lg.jp. 2022年9月30日閲覧。
  7. ^ 島根1区 - 第43回衆議院議員選挙(衆議院議員総選挙)2003年11月09日投票 | 選挙ドットコム”. 選挙ドットコム. 2022年9月30日閲覧。
  8. ^ “竹島へ本籍地移転の手続き 民主党島根県連副代表”. 共同通信社. 47NEWS. (2004年3月11日). オリジナルの2013年4月30日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20130430022721/http://www.47news.jp/CN/200403/CN2004031101000392.html 2016年11月8日閲覧。 
  9. ^ “竹島に本籍置く人79名 「日本領土の証明になる」の思いから”. NEWSポストセブン. (2012年7月30日). https://www.news-postseven.com/archives/20120730_133769.html?DETAIL 2018年5月3日閲覧。 
  10. ^ 2009年度東大阪JC事業報告 3月度例会”. 一般社団法人東大阪青年会議所 (2009年3月17日). 2017年11月18日閲覧。
  11. ^ 栃木市議会だより No.129” (PDF). 栃木市議会 (2007年10月31日). 2017年11月18日閲覧。
  12. ^ a b 栃木市議会だより No.130” (PDF). 栃木市議会 (2008年1月31日). 2017年11月18日閲覧。
  13. ^ 2012年6月24日産経新聞 - 湯浅博による書評
  14. ^ 役員名簿”. 一般財団法人防災教育推進協会 (2017年10月1日). 2017年11月18日閲覧。
  15. ^ 近隣町会のための特別講座「街の防災と安全」が開催されました”. 拓殖大学 (2015年12月8日). 2017年11月18日閲覧。
  16. ^ 9月30日に「防災検定講座」が開催されました”. 拓殖大学 (2017年10月2日). 2017年11月18日閲覧。
  17. ^ 下野新聞2007年8月18日付
  18. ^ 下野新聞8月30日付
  19. ^ 下野新聞9月15日付
  20. ^ 下野新聞12月14日付
  21. ^ “濱口和久 探訪・日本の名城=”. 夕刊フジ. (2014年11月1日). https://www.zakzak.co.jp/society/rensai/society-r24585.htm 2018年5月3日閲覧。 
  22. ^ “濱口和久 名城と女”. 夕刊フジ. (2016年5月28日). https://www.zakzak.co.jp/society/rensai/society-r27671.htm 2018年5月3日閲覧。 
  23. ^ “濱口和久 名城と事件”. 夕刊フジ. (2017年4月2日). https://www.zakzak.co.jp/society/rensai/society-r32280.htm 2018年5月3日閲覧。 
  24. ^ a b c d e 濱口和久のプロフィール

参考文献

[編集]

外部リンク

[編集]