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溝口雄三

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
溝口 雄三
人物情報
生誕 (1932-07-30) 1932年7月30日
日本の旗 日本愛知県名古屋市
死没 2010年7月13日(2010-07-13)(77歳没)
出身校 東京大学名古屋大学
学問
研究分野 中国哲学
研究機関 埼玉大学一橋大学東京大学大東文化大学
学位 文学博士
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溝口 雄三(みぞぐち ゆうぞう、1932年昭和7年)7月30日 - 2010年平成22年)7月13日 )は、日本中国学者・思想史家中国思想史研究者。専門は、初の思想史(宋明理学)・精神史近代化論)。東京大学大東文化大学中国社会科学院名誉教授[1]

経歴

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出生から修学期

1932年、愛知県名古屋市で生まれた。東京大学文学部中国文学科で学び、1958年に卒業。卒業後は、郷里の名古屋に戻って一時的に家業を継ぎ、その活躍ぶりは新聞に掲載されるほどの業績であった[2][要文献特定詳細情報]

その後名古屋大学大学院文学研究科中国文学専攻に入学し、入矢義高に師事。同大学大学院修士課程を修了。

中国思想史研究者として

1967年、東京大学文学部中国文学研究室助手に採用された。しかし東京大学は東大紛争の渦中にあり、その中で研究を進めた[3]

その後、埼玉大学教養学部助教授に就いた。その後、同大学教授に昇進。1978年、一橋大学社会学部教授に転じた。1981年、学位論文『中国前近代思想の屈折と展開』を九州大学に提出して文学博士号を取得[4][5]

同1981年、戸川芳郎の招きで東京大学文学部教授となり、中国哲学研究室を担当した。1993年、東京大学を定年退官し、名誉教授となった。その後は大東文化大学文学部教授として教鞭をとり、退任後は同大学名誉教授となった。2010年に死去。

研究内容・業績

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専門は初の思想史で、宋明理学精神史近代化論に関連する著作もある。

著作

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著書

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共編著

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翻訳・校注

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言志四録相良亨共校注
入矢義高・島田虔次との鼎談が月報に収録されている[10]

参考文献

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脚注

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  1. ^ 『異と同のあいだ』著者略歴”. 岩波書店Webサイト. 2020年5月8日閲覧。
  2. ^ 伊東貴之. “『異と同のあいだ』編者からのメッセージ”. 岩波書店Webサイト. 2020年5月8日閲覧。
  3. ^ 子安宣邦. “二つとない交友であったー溝口回想”. 子安宣邦本人のブログ、『東方学』第130輯の掲載文と同内容. 2020年5月8日閲覧。
  4. ^ 1980年度 博士論文『中国前近代思想の屈折と展開』(九州大学付属図書館 九大コレクション
  5. ^ CiNii(学位論文)
  6. ^ 出版後、荒木見悟に勧められ博士論文として提出した。
  7. ^ 相良亨との対談「異と同の瀬踏み 日本・中国の概念比較」(初出: 岩波書店『文学』1987年1月号)を収録
  8. ^ 伊東貴之が解説を担当している。
  9. ^ 現代語訳のみ
  10. ^ 狭間直樹中江兆民『民約訳解』の歴史的意義について --「近代東アジア文明圈」形成史 : 思想篇」『近代東アジアにおける翻訳概念の展開 京都大学人文科学研究所附属現代中国研究センター研究報告』2013年、14頁。