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湯ノ谷村

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ゆのたにむら
湯ノ谷村
廃止日 1907年8月10日
廃止理由 新設合併
金浦村医王山村湯ノ谷村浅川村
現在の自治体 金沢市
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方 中部地方北陸地方
都道府県 石川県
河北郡
市町村コード なし(導入前に廃止)
隣接自治体 石川郡湯涌谷村犀川村崎浦村
河北郡金浦村
富山県西礪波郡太美山村
湯ノ谷村役場
所在地 石川県河北郡湯ノ谷村袋[1]
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湯ノ谷村(ゆのたにむら)[注 1][2]は、かつて石川県河北郡に存在した

地理

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  • 現在の金沢市東部、浅野川に沿って(対岸には湯涌谷村が)位置し、富山県南砺市に隣接する。
  • 現在の石川県道10号金沢湯涌福光線が村内全域を通っており、江戸時代には金沢 - 福光 - 五箇山を結ぶ塩硝街道と呼ばれていた。
  • 現在の北陸大学、太陽が丘ニュータウンなどがあり、新興住宅地化している。
  • 峠:横谷峠
  • 川:板ヶ谷川、医王山川、浅野川

歴史

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  • 1889年明治22年)4月1日 - 町村制の施行により、銚子口村、上中村、谷口村、打尾谷村、野村、袋村、木目谷村、平等(だいら)村、下荒屋村、炭釜村、朝加屋村、藤六村、東市瀬村、北袋村、平下(ひらしも)村、上山村、町村、古郷寺(こきょうじ)村、栃尾村、石黒又村、板ヶ谷村及び横谷村の区域をもって、湯ノ谷村が発足する[1]
  • 1907年(明治40年)8月10日 - 湯ノ谷村、金浦村及び医王山村が合併して、浅川村が発足する[2]

行政

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村長

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代数 氏名[2] 就任年月日[2] 退任年月日[2] 備考
1 齋藤武十郎 1889年(明治22年) 不明
2 北尾榮次郎 1893年(明治26年) 不明
3 西村善秀 1897年(明治30年) 不明
4 坂田萬馬 1903年(明治36年) 不明
5 吉田有格 1904年(明治37年) 1907年(明治40年)8月9日

地域

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教育

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小学校

  • 袋尋常小学校(現・金沢市立東浅川小学校)[3]

脚注

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注釈

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  1. ^ 1920年大正9年)刊行の石川県河北郡誌では湯谷村と記されている。

出典

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  1. ^ a b 日用便覧(河北郡教育会、1904年)P.100”. 国立国会図書館 近代デジタルライブラリー. 2013年6月29日閲覧。
  2. ^ a b c d e 石川県河北郡誌(1920年)P.386”. 国立国会図書館 近代デジタルライブラリー. 2013年6月29日閲覧。
  3. ^ 沿革史”. 金沢市立東浅川小学校. 2013年6月29日閲覧。

関連項目

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