医王山村
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いおうぜんむら 医王山村 | |
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廃止日 | 1907年8月10日 |
廃止理由 |
新設合併 金浦村、湯ノ谷村、医王山村 → 浅川村 |
現在の自治体 | 金沢市 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 中部地方(北陸地方) |
都道府県 | 石川県 |
郡 | 河北郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
隣接自治体 |
河北郡金浦村、直江谷村 富山県西砺波郡南蟹谷村、広瀬村 広瀬館村、西太美村 |
医王山村役場 | |
所在地 | 石川県河北郡医王山村二俣[1] |
ウィキプロジェクト |
医王山村(いおうぜんむら)は、かつて石川県河北郡に存在した村。
村名の由来は医王山にちなんだものだが、医王山の山頂・奥医王山は当時の金浦村魚帰にあり当村ではない。
地理
[編集]- 現在の金沢市南東部に位置し、富山県南砺市に隣接している。
- 現在の石川県道27号金沢井波線が村内を通っている。
- 現在においては、二俣本泉寺、医王ダムがある(二俣)。医王山ビジタセンターがあり(奥新保)、医王山県立自然公園の一部である。
- 砦:荒山城
- 川:森下川、田島川、荒谷川、荒屋谷川
- 山:前山、黒瀑山、白兀山
歴史
[編集]- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制の施行により、二俣村、荒山村、田島村、戸室清水村及び南原村の区域をもって、医王山村が発足する[1]。
- 1907年(明治40年)8月10日 - 湯ノ谷村、金浦村及び医王山村が合併して、浅川村が発足する。
行政
[編集]村長
[編集]代数 | 氏名[2] | 就任年月日[2] | 退任年月日[2] | 備考 |
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1 | 大山尾之助 | 1889年(明治22年)5月28日 | 1899年(明治32年)8月8日 | |
2 | 田賀孫助 | 1899年(明治32年)8月28日 | 1903年(明治36年)7月10日 | |
3 | 松岡長次郎 | 1903年(明治36年)8月31日 | 1905年(明治38年)4月6日 | |
4 | 山崎德右衞門 | 1905年(明治38年)8月15日 | 1907年(明治40年)8月9日 |
地域
[編集]教育
[編集]小学校
- 医王山尋常小学校(現・金沢市立医王山小学校)[3]