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渭伊神社

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
渭伊神社

拝殿
地図
所在地 静岡県浜松市浜名区引佐町井伊谷1150(字天白)
位置 北緯34度49分58.55秒 東経137度39分49.28秒 / 北緯34.8329306度 東経137.6636889度 / 34.8329306; 137.6636889 (渭伊神社)座標: 北緯34度49分58.55秒 東経137度39分49.28秒 / 北緯34.8329306度 東経137.6636889度 / 34.8329306; 137.6636889 (渭伊神社)
主祭神 玉依姫命
品陀和気命
息長足姫命
社格 式内社(小)
郷社
創建 不詳
本殿の様式 流造
別名 井伊谷八幡宮・八幡宮
例祭 10月15日
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渭伊神社(いいじんじゃ)は、静岡県浜松市浜名区引佐町(いなさちょう)井伊谷(いいのや)にある神社式内社で、旧社格郷社

祭神

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現在の祭神は次の3柱[1]

歴史

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創建

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天白磐座遺跡(静岡県指定史跡)

創建は不詳。社殿後背の薬師山山頂には磐座祭祀遺跡である天白磐座遺跡(静岡県指定史跡「渭伊神社境内遺跡」)があり、発掘調査において古墳時代の遺物が検出されていることから、この天白磐座遺跡の延長として創建されたとする説がある[2]。そして享禄年間(1528-1532年)には、龍潭寺付近にあった八幡宮が合祀されたという[3]

一方、八幡宮と渭伊神社は同一神社であり享禄年間に龍潭寺付近から遷座したものであるとして、渭伊神社は天白磐座遺跡と連続しないとする説も挙げられている[4]。この説では、龍潭寺付近の井戸(伝井伊共保公出生井)を聖井とする「井神社」が本来の性格になると指摘される[4]

概史

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日本三代実録貞観8年(866年)12月の条に「蟾渭神」の神階が正六位上から従五位下に昇叙される旨が記載されており[5]、『遠江国風土記伝』ではこの「蟾渭神」を当社の旧名とする[3]

延長5年(927年)成立の『延喜式神名帳では、遠江国引佐郡に「渭伊神社」と記載され、式内社に列している[3]

大永6年(1526年)には「井伊郷八幡宮」の梵鐘が鋳造され、大永8年(1528年)には鰐口が奉納された[3]。また前述のように、享禄年間(1528-1532年)には、龍潭寺付近にあった八幡宮を合祀(または渭伊神社そのものが遷座)したという。

江戸時代の朱印地は15石で、当地の領主である旗本の井伊谷近藤家から崇敬された[3]正徳4年(1714年)には彦根藩主井伊直興が社参している[3]

明治維新後、近代社格制度では郷社に列している[3]

神階

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境内

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文化財

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静岡県指定文化財

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  • 史跡

脚注

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  1. ^ 境内説明板。
  2. ^ 「天白磐座遺跡」『日本歴史地名大系 22 静岡県の地名』平凡社、2000年。
  3. ^ a b c d e f g 渭伊神社(平凡社) 2000.
  4. ^ a b 辰巳和弘『聖なる水の祀りと古代王権 天白磐座遺跡(シリーズ「遺跡を学ぶ」33)』新泉社、2006年。
  5. ^ 六国史 : 国史大系  日本三代実録経済雑誌社、269頁https://dl.ndl.go.jp/pid/950691/1/141。「遠江國正六位上蟾渭神。鳥飼神。並從五位下」 
  6. ^ 渭伊神社境内遺跡(浜松市ホームページ)。

参考文献

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  • 境内説明板
  • 明治神社誌料編纂所編 編「渭伊神社」『府県郷社明治神社誌料』明治神社誌料編纂所、1912年。 
  • 「渭伊神社」『日本歴史地名大系 22 静岡県の地名』平凡社、2000年。ISBN 4582490220 

外部リンク

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  • ウィキメディア・コモンズには、渭伊神社に関するカテゴリがあります。