温井景隆
表示
時代 | 戦国時代 - 安土桃山時代 |
---|---|
生誕 | 不明 |
死没 | 天正10年6月24日(1582年7月13日) |
官位 | 兵庫助、備中守 |
幕府 | 室町幕府 |
主君 | 畠山義綱→義慶→義隆→春王丸 |
氏族 | 温井氏 |
父母 | 父:温井続宗 |
兄弟 | 景隆、三宅長盛、長綱連正室 |
温井 景隆(ぬくい かげたか)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。能登畠山氏の家臣。
略歴
[編集]藤原北家利仁流の温井氏は能登国の国人で、現在の輪島を領していた。
弘治元年(1555年)、祖父・温井総貞が主君・畠山義綱によって討たれると、温井一族は反乱を起こすが敗れて加賀国へ逃亡した。永禄9年(1566年)、義綱とその父・義続が重臣らによって追放されると帰参し、年寄衆に列して再び重臣となる。
天正5年(1577年)、上杉謙信の大軍に七尾城を囲まれると、遊佐続光と協力して親織田派の長続連らを殺害し、謙信に内応した。しかし謙信の死後、織田軍の侵攻に遭って能登を追われる。天正10年(1582年)、本能寺の変により織田信長が没すると、復権を目指して上杉景勝の支援のもと能登へ侵攻したが、佐久間盛政と前田利家の反撃に遭い、戦死した。(荒山合戦)