温井総貞
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時代 | 戦国時代 |
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生誕 | 不明 |
死没 | 弘治元年(1555年) |
改名 | 総貞→紹春(法名) |
別名 | 景長、備中入道 |
戒名 | 紹春禅定門 |
官位 | 兵庫助、備中守 |
主君 | 畠山義総→義続→義綱 |
氏族 | 温井氏 |
父母 | 父:温井孝宗 |
兄弟 | 総貞、続基(景貞)、綱貞 |
子 | 続宗、女(長続連室) |
温井 総貞(ぬくい ふささだ)は、戦国時代の武将。能登畠山氏の家臣。剃髪後の温井紹春でも知られる。畠山七人衆の筆頭。能登国天堂城主。
生涯
[編集]藤原北家利仁流の温井氏は能登の国人で、現在の輪島を領していた。
畠山義総・義続・義綱3代にわたり仕えた(最初の主君・義総からは偏諱(「総」の字)を与えられた)。文芸に深く義総の寵愛を受け家中の筆頭重臣となった。天文3年(1534年)に兵庫助、天文14年(1545年)に備中守を称す。義続・義綱の時代になると専横に振る舞うようになり、畠山七人衆の筆頭となった頃には、遊佐氏の当主・遊佐続光を蹴落とし、権力をほしいままにした。