渡辺芳邦
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渡辺 芳邦 わたなべ よしくに | |
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内閣府地方創生推進室より公表された肖像 | |
生年月日 | 1964年9月9日(60歳) |
出生地 | 日本 千葉県木更津市長須賀 |
出身校 | 日本大学理工学部建築学科 |
所属政党 |
(自由民主党→) 無所属 |
親族 | 父・渡辺二夫(千葉県議会議員) |
公式サイト | 木更津市長 渡辺芳邦 未来へつながる市民総出のまちづくり。 |
当選回数 | 3回 |
在任期間 | 2014年3月31日 - 現職 |
選挙区 | 木更津市選挙区 |
当選回数 | 3回(補選含む) |
在任期間 | 2005年3月 - 2014年 |
渡辺 芳邦(わたなべ よしくに、1964年(昭和39年)9月9日[1] - )は、日本の政治家。千葉県木更津市長(3期)。元千葉県議会議員(3期)。
来歴
[編集]千葉県木更津市長須賀に生まれる。木更津市立木更津第三中学校、千葉県立木更津高等学校卒業。1987年(昭和62年)3月、日本大学理工学部建築学科卒業[2]。
2000年(平成12年)、日本青年会議所の関東地区千葉ブロック協議会会長に就任。2001年(平成13年)、同会議所の特別委員長に就任[2]。
2005年(平成17年)3月に行われた千葉県議会議員の補欠選挙に立候補し初当選した。計3回連続当選。県議時代は自由民主党県青年部長を歴任した[4]。
2014年(平成26年)1月31日、任期満了に伴う木更津市長選挙に立候補する考えを表明[5]。同年3月23日に行われた市長選に自民党・公明党の推薦を受けて立候補し、元建設省職員の石川哲久[6]を破り初当選を果たした[7]。3月31日、市長就任[8]。
※当日有権者数:105,549人 最終投票率:41.94%(前回比:pts)
候補者名 | 年齢 | 所属党派 | 新旧別 | 得票数 | 得票率 | 推薦・支持 |
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渡辺芳邦 | 49 | 無所属 | 新 | 22,726票 | 52.19% | (推薦)自民党・公明党 |
石川哲久 | 66 | 無所属 | 新 | 20,818票 | 47.81% |
2018年(平成30年)3月18日告示の市長選で無投票により再選(自民党・公明党推薦)[9]。
2022年(令和4年)3月20日告示の市長選で無投票により3選(自民党・公明党推薦)[10]。
市政
[編集]- 2020年(令和2年)5月7日、新型コロナウイルス対策の財源に充てるため、自身と副市長、教育長の6月から2021年(令和3年)3月までの月額給与を10%減額する条例案を市議会臨時会に提出した[11]。同日、同条例案は可決された[12]。
脚注
[編集]- ^ 『全国歴代知事・市長総覧』日外アソシエーツ、2022年、122頁。
- ^ a b c 渡辺芳邦のプロフィール|Ameba (アメーバ)
- ^ 千葉県議会議員選挙(2003年4月13日)
- ^ 千葉県 議選:開票結果 : 統一地方選2011 : 地方選 : 選挙 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)
- ^ “2新人が出馬表明 渡辺氏「市民活動を積極支援」 石川氏「駅前再生が第一の柱」 木更津市長選”. 千葉日報. (2014年2月1日) 2017年7月27日閲覧。
- ^ 祖父と父が木更津市長である石川哲久は2015年の木更津市議会議員選挙に立候補し、初当選した。再選準備中の2019年3月9日、娘の夫に自宅で殺害された。
- ^ “木更津市長に渡辺氏 「自治強化」掲げ初当選”. 千葉日報. (2014年3月24日) 2017年7月27日閲覧。
- ^ 平成26年中に実施された選挙/千葉県
- ^ “木更津市長選 渡辺氏が無投票再選”. 産経新聞. (2018年3月19日) 2018年3月19日閲覧。
- ^ “千葉・木更津の渡辺市長、無投票で3選 自公推薦”. 産経新聞. (2022年3月20日) 2022年3月21日閲覧。
- ^ “新型コロナ 木更津市長らが給与を10%減額 緊急経済対策実施へ /千葉”. 毎日新聞. (2020年5月1日) 2020年6月3日閲覧。
- ^ 令和2年5月市議会臨時会議案一覧表木更津市
外部リンク
[編集]公職 | ||
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先代 水越勇雄 |
千葉県木更津市長 2014年 - |
次代 現職 |